純愛ディソナンス 10話 感想|タイトルの真意がやっと分かった気がする…

 

 

いやはや、衝撃のラストでしたなぁ…。

でもまぁ…確かに、第一部で取り上げられていた殺人事件については

あっさり終わった印象は強かったんですよね。

完結した…のかな?加賀美(眞島秀和)が逮捕されたんだからそうなのかもな。

完全に5年後の世界に飛んだから、そういう事にしておこう…って感じで

当時は解釈しておりましたが、全然終わってはいなかった(笑)

 

冴(吉川愛)と正樹(中島裕翔)を主軸において、愛の深さや尊さを描いてきたかと思いきや、

2人の恋愛は不協和音の1音目に過ぎなかった…という転調っぷりにまんまと騙されました。

これだから連続ドラマは楽しい。

連続ドラマの特徴である「どこに着地するか最後まで見てみないと分からない」を

まさに具現化している作品です。

 

そして、今回は3組の親子にまつわるエピソードも描かれました。

「冴ちゃんに看取られたい」と書かれたエンディングノートをきっかけに、

賢治(光石研)の手切れ金を受け取り、あんなに憎んでいた静(富田靖子)への

手術費に充てる事にした冴(吉川愛)。

実は父・秀雄(神保悟志)が自分を今も気にかけてくれていたと知る正樹(中島裕翔)。

あとは…加賀美が家族の幸せのために自ら去る選択をとった一方で、

母を精神的に殺した父を恨み続ける晴翔(藤原大祐)。

(↑今頃思い出しましたけど、「おじカワ」で親戚だったお2人じゃないですか…(泣))

 

冴と正樹の2人の物語と捉えていた自分としては、

やっぱり、純愛っぽさは全面的に出ていないのでは?と感じていた部分もあったんですが、

今回の内容を見て、なぜ「純愛ディソナンス」というタイトルにしたのかが

何となく掴めた気がしています。

 

今回で共通して描かれたのは、親から子供に対する"一方的な想い"…なんですよね。

で、「純愛」の意味を調べてみると、「ひたむきな愛」

「その人のためなら自分の命を犠牲にしても構わないというような愛」といった意味が出てくる。

でも、本作の登場人物の中でも、繊細な性格の冴と正樹は

家族での付き合いが昔から上手くいっていなかった影響で、

親の子供に対する想いには気づこうとせず、自ら心をぴしゃりと閉ざしていた。

要は、「純愛」は親から子への視点の事を指していて、

「ディソナンス(=不協和音)」は想いが通じ合わない親子関係の事を指すのではないかと…。

本作がそんな親子の物語だと気づいた時、

絵は見えていても、数箇所欠けていたパズルのピースがかっちりハマったかのような

妙な爽快感を覚えました。

 

晴翔の件については、Hermitの正体も、本当の顔もヤバいんじゃないかとは

前々から察していましたが、想像以上の恐ろしい本性を見せてくれましたね。

一番ぽわっとしていた人が、まさか一番怖い人だったなんて思いもしないでしょう(笑)

元々の甘いマスクが消え去るほどの、口角をゆっくり動かしてのにた〜っとした表情には

特にゾッとさせられました…。

 

一方で、愛菜美(比嘉愛未)だけが唯一、

初回の頃のジメジメしたダークな感じが戻ってきている雰囲気とは

真逆の方向に行っているのも、別ベクトルで想像出来なかった未来ではあります。

「過去の自分を捨てて生まれ変わる」を体現しつつある点では、

もしかしたら彼女が最終回でのキーパーソンになってくるのかもしれません。

 

最後に、もう1つ良かった所を書くとするなら、

慎太郎(髙橋優斗)が、Hermitが晴飛だと思われる写真を挟んでいた本のタイトルが

罪と罰』になっていたのも、芸が細かいなぁと思わされました。

次回予告を見る限り、冴は一旦助かったようですが。

ハッピーエンドになるのか、ならないのか…本当に気になりますね。

 

 

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