宮城谷昌光 呉越春秋ついに最終巻!

こんばんは。

  宮城谷昌光さんが描く中国の春秋時代。その魅力は尽きることがありません。

  今週は、ついに最終巻を迎えた文庫版「呉越春秋」を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 九」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2020年)

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(文庫版「呉越春秋 第9巻」 amazon.co.jp.)

【ライフワークともいえる大作】

  宮城谷さんと言えば、12年の歳月をかけて書き上げた「三国志」はまさにライフワークと言ってもよい作品ではありますが、この「呉越春秋」も匹敵する面白い作品です。

  「小説現代」に作品の連載がはじまったのは、2009年7月号のこと。そこから単行本を経て最初の文庫本が発売されたのが、2013年のことでした。雑誌への連載は、営々と書き進められていき、最終回を迎えたのは2018年8月号のことでした。実に書き続けられたのは、9年間。まさにライフワークと言っても過言ではありません。

  さらなる驚きは、その奥深さと面白さです。

  9巻に渡る文庫本の発売は、完結までに7年を費やしました。呉の宰相であった伍子胥(ごししょ)を描く巻が6冊、越の宰相である范蠡(はんれい)を描いた巻が3冊。その壮大な物語には、宮城谷さんのエッセンスがすべて盛り込まれています。

  宮城谷さんは、生きた物語を描くことを信条にされています。この「呉越春秋」もはじめには「范蠡」を主人公に物語を開始するはずでした。物語の「あとがき」には、この小説の開始に当たってなかなか書き出しを定められなかったご苦労が語られています。

  「・・・ひとつのイメージにこだわった。少年の范蠡が、のちに暗殺者となる呉の鱄設諸(せんせつしょ)と会うシーンからはじめたい。だが、このシーンには暗さがつきまとっている。冒頭が暗ければ、小説全体が暗くなってします。それがわかるので筆が竦んでしまうのである。」

  宮城谷さんの小説は、常に凛とした颯爽とした気分が全体を支配しています。今回の「呉越春秋」は水を意識して書いている、と著者が語っていますが、その水は濁っているものではなく、常に淡い透明度を保ちながら、しなやかに時には激しい潮流を生み出しているように思えます。そうした意味で、あとがきにかかれているこのご苦労のおかげで、この小説はこれだけ長きにわたり語られることになったのです。この面白さを導き出してくれた伍子胥に感謝です。

  ここで語られる幼い范蠡と鱄設諸が会うシーンとは、小説の第4巻に描かれているのですが、確かにそこには、そこはかとない暗さがつきまといます。しかし、このシーンはこの物語に范蠡が初めて登場する重要な場面となるのです。以前のブログを読んだ方はご存知ですが、鱄設諸は伍子胥を腹心とする呉王闔閭が前王を暗殺する、まさにその暗殺者となる人物なのです。

  そして、その鱄設諸が訪れるのは、楚の国で大きな力を持つ商人(賈人)である范氏の屋敷です。伍子胥の命を受けた鱄設諸は、范氏に黄金の盾の制作を依頼するために楚の国まで赴いたのです。そして、このエピソードがはるか後、范蠡が越の国の宰相となり、越が最後の復讐を成し遂げる場面への伏線へとつながっていくのです。

  その伏線の妙はぜひ最終巻で存分に味わってください。

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(「呉越春秋」の登場人物関係図  文庫本付録より)

  全巻を読み終えてみると、1巻から6巻までの伍子胥編、7巻から9巻までの范蠡編、それぞれの宰相の徳と個性の違いを味わうことができる長い物語でした。

  伍子胥は、一族が代々楚国の王室を助ける役目を担ってきた中では、最も大きな徳を備えた宰相でした。楚への復讐という目的はありましたが、呉の王、闔閭の側近として政治と軍事を支え、楚を滅ぼすほどの国力を実現しました。一方。呉への復讐をなすために越の政治と軍事を支えた范蠡は、代々商家を営んできた一族の末裔であり、政治家や官僚、軍人たちよりもその視野は広く、さらに懐が大きな人物として描かれています。

  呉と越の長年にわたる抗争もついに終わりの時を迎えます。その2国を支えた伍子胥と范蠡の物語も。この第9巻でいよいよ最後を迎えます。

【復讐するは我にあり】

  今回の大長編作は、一言でいってしまえば壮大な復讐の物語です。

  復讐と言えば、「復讐するは我にあり」という題名が有名ですが、この言葉は新訳聖書からの引用だそうです。言葉から受ける印象は、復讐を成すべく、決意を披露したように受け止められますが、この言葉は、神が人に向かって語った言葉なのです。それは、復讐は神に任せなさい、と諭したことに神が答えた台詞です。つまり、悪人への「復讐(報復)」は神がおこなう、という意味なのです。

  人は心に負った深い傷を、それを負わせた相手に復讐することで晴らそうとします。

  これまで、呉越春秋の物語で壮大な復讐劇を演じるのは、呉の王と越の王でした。「臥薪嘗胆」とはこの物語から発せられた言葉。それは、恨みを忘れないために薪の上に寝て痛みを思い出し、苦い肝をなめてその苦さで恨みを思い出す、という意味です。

  楚の国から亡命した伍子胥は、流浪の末、呉の国の公子光の右腕として仕えましたが、公子光は時の王をクーデターで暗殺し王となり、闔閭と名乗りました。闔閭は参謀の伍子胥と孫武とともに楚に攻め込み、滅亡の淵に追い詰めます。しかし、その都を制圧し楚王を追撃する最中、本国が越に攻め込まれたとの急報に接します。急ぎ引き返した闔閭は、越の王、允常率いる軍を追い払うことに成功します。

  このことを恨みに思った闔閭は、10年後、允常の跡を継いだ勾践が王となった越へと攻め込みます。しかし、待ち構えていた勾践の策略にはまり、敗退。撤退時に負った弓矢の傷によって闔閭は亡くなります。闔閭は死に際に跡継ぎの夫差を呼び、必ず越の勾践に復讐せよ、と遺言したのです。夫差は父親の恨みを忘れることがないよう薪のうえで寝たということです。

  夫差は、国力を蓄えちゃくちゃくと復讐の準備を整えます。このままでは、富国強兵の呉に攻め込まれると考えた勾践は、先手を取って呉に攻め込もうと計画します。しかし、情報収集にも疎漏のない伍子胥は、この計画を事前に察知します。そして、準備万端整えた呉軍は、攻め込んできた越を迎え討ち、見事勝利を収めました。降伏した勾践は、命乞いをします。処刑を主張する伍子胥の言を夫差は受け入れず、勾践の命を救いました。

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(「呉越春秋」時代の中華 文庫本付録より)

  勾践は、捕虜となって呉の国に幽閉され、奴隷同様の生活を送ります。しかし、その苦難を飲み込んで、表向きは呉への忠誠を誓い、復讐の心をひた隠しにしてすべてを耐え忍びます。勾践は、その恨みを忘れることがないよう、幽閉を解かれ越に帰還してからも自らは倹約に倹約を重ね、越の民を富ませ、兵力を増強することに全力を注ぎます。そして、苦い肝をなめてこの恨みを忘れないように肝に銘じたのです。

  この長編、呉越春秋は臥薪嘗胆の物語なのですが、宮城谷さんが描いたのは、決して夫差と勾践の復讐の物語ではありません。

  そこに描かれたのは、伍子胥が実現したあまりにも巨大な復讐劇と范蠡の復讐を超えた身の処し方なのです。

【伍子胥と范蠡の壮大な復讐劇】

  宮城谷さんは、これまでも数々の古代中国を描く小説で、人の志の大きさと人が織りなす世の不思議さを描いてきましたが、今回の「呉越春秋」も伍子胥と范蠡を中心に据えて、様々な人々の心の在り方とその交流を描いています。

  曰く、「伍子胥を楚都の津(みなと)に立たせることに決めると、小説世界がむりなくひらけた。」と語っています。楚の名門、連尹家の次男として生まれた伍子胥には、人を魅了するパワーに満ち溢れています。

  小説の伍子胥編は、最初から最後まで伍子胥の人としての大きさと、その魅力にほれ込んだ多くの人々によってその小説世界が構築されています。

  小説の始まりは、楚の国で大臣を務め王子の教育係をまかされる父、五奢と兄の五尚のもとで過ごす伍子胥の旅姿からはじまります。そして、父のライバルである費無極の陰謀と讒言によって、父と兄は平王から死を賜ることになります。伍子胥は、旅の中で慕ってきた仲間たちとともに、処刑場に連行された父と兄の救出を試みますが、その分厚い警護に阻まれて、寸でのところで救出に失敗します。

  こうして、伍子胥は慟哭し、楚の平王に対する復讐劇がはじまるのです。

  第1巻から第6巻までに語られる伍子胥の物語は、復讐が目的ではありながら、一人の人間が人々の間で成長を遂げ、ついには一国の宰相までに押し上げられていく姿が語られています。その姿は、かつて宮城谷さんが描いた流浪の王、際の重耳(ちょうじ)の姿に重なります。そして、その戦略のみごとな様は、これまた名作である、中山国を守り抜いた名将楽毅の姿を彷彿とさせます。それは、復讐と言うよりも人生そのものと言ってもよいのではないでしょうか。

  そして、今回の最終巻では、伍子胥のライバルともいえる越の宰相である范蠡の物語も完結することになるのですが、そこでは悲しい伍子胥の最後も描かれます。。

  さて、范蠡の復讐とはどのようなものでしょうか。

  范蠡は楚の国で商家を営む范家の出身です。しかし、范家はある日何者かによって襲撃を受け、蓄えた財産をすべて奪われてしまします。そのときに伍子胥が政策を依頼した黄金の盾も行方が分からなくなってしまったのです。さらに、親族はすべて殺され、范蠡は天涯孤独の身となるのです。范蠡には幼くして婚約した相手がいました。その名は西施。後に絶世の美女といわれた彼女は幼き日に范蠡と言い名付けだったのです。

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(越の国へと引き渡される西施 文庫本挿絵より)

  ところが、運命は二人を引き裂きます。その後西施は、その美貌から越王の側室となりますが、越王が呉の夫差に敗れたとき、人質の一人として夫差のもとに入ります。范蠡は、元の婚約者の存在を心に留めながらも、なすすべなく過ごすしかありませんでした。

  心に大きな傷を負った范蠡ですが、越王 勾践が嘗胆の末に呉に勝利し、夫差が自死した後には、その復讐を成し遂げるチャンスが巡ってくるのです。しかし、呉から戻ってきた西施は、一度呉王のものとなったために越王から疎まれ、越に帰国するや幽閉され、あまつさえ、邪魔な存在として湖に沈められることになるのです。

  生死と父親の敵。范蠡の復讐劇がどのような形で終わるのか、その顛末が最終巻では語られることになるのです。

  そして、そのあざやかな身の処し方は感動的です。

  宮城谷さんの本を語ると話はいつまでも続きますが、紙面もつきました。本日はここでお開きとします。皆さん、どうぞ最終巻をお楽しみに。

 

  昨年に続き、今年のゴールデンウィークもコロナウィルスに翻弄され、外出もままなりません。しかし、ワクチン確保もめどが立ち、まさに、ここが我慢のしどころです。皆さん、手洗い、消毒、マスク、密回避を徹底し、ウィルスに打ち勝ちましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

 

 

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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