こんばんは。
令和となってから1カ月がたちました。
令和天皇が即位されてから、初めての国賓はアメリカのトランプ大統領。そして、初めての地方でのご公務は愛知県での植樹祭へのご参加でした。日本にとって、平成天皇の時代は戦争のない平和な時代でした。しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件などのテロ、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などの地震災害、さらには台風や豪雨による災害など、数々の大災害に見舞われて、平成天皇はその都度、被災地の人々をご訪問されて心を寄せて、新しい天皇の姿を形作られて見えました。
令和天皇徳仁陛下は、日本100名山をすべて闊歩した健脚でその名を知られています。随行の方が置いていかれるほどの健脚で、日本の未来を導いていただければ幸いです。平成天皇も国民に親しまれるような平易なお言葉をたくさんご発信されていましたが、徳仁陛下はさらに我々の心に響くお言葉をご発信になられています。陛下が令和の時代、我々日本人の心の支えとなっていただけることに間違いはありません。
話は変わりますが、皆さんは、「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ。」という献辞を覚えているでしょうか。以前にこの本をご紹介したのは、2012年の12月でした。早いものでもう7年もまえのことになります。このシリーズは、2006年に最初の単行本が上梓され、毎年4月には新刊が発売されており、さらに、2年遅れて文庫化されているのです。はじめてこのブログでご紹介した文庫版は2008年の発売でした。
その小説の題名は「東京バンドワゴン」。先週は、久しぶりに大家族が巻き起こす様々な出来事を書き綴った連作小説を読んでいました。
「フロム・ミー・トゥ・ユー」
(小路幸也著 集英社文庫 2015年)
(「フロム・ミー・ツゥ・ユー」文庫版 amazon.co.jp)
【うるわしの大家族物語】
昔、テレビドラマと言えば「大家族」が織りなす涙と笑いの物語と相場が決まっていました。昭和の時代、日本の家には三世代が同居しているのが当たり前でした。しかし、高度成長によって団塊の世代が家族を持つようになると、団地やマンションの建築によって次々と親から独立して生活するようになりました。「核家族」が時代のキーワードとなり、大都市、地方都市を問わず大家族の時代は終わりを告げたのです。
「核家族」化は、様々な弊害を日本にもたらしています。
まず考えられるのは、人の知恵が引き継がれていかないことです。
自分のことを考えると、今は亡き父の実家は日本橋の馬喰町という場所にあり、そこには父親のお父さん、つまりおじいちゃん夫婦が住んでいました。私の父親は6人兄弟の次男で、馬喰町には祖父夫婦と長男夫婦、その子供の二人兄弟、父の姉の7人が同居していました。お正月になると、その家に6人兄弟とその子供たちが全員勢ぞろいするため、まさに大家族が出現します。
いとこだけで、長女の子供が2人、長男の子供が2人、私のところが3人、その下の兄弟たちの子供が5人。なんといとこだけで12人が集まるのです。まあ、にぎやかなことこの上なく、父の兄のところの男の子とは年子だったので、当時始まったばかりの「ウルトラマン」の話で、盛り上がり「ウルトラQ」に登場した怪獣たちのストーリーを巡って大喧嘩をしていたことを思い出します。
東京の下町は、誰もがおせっかいです。我が家に「電話」が登場したのは小学生のときでしたが、それまでは御近所の電話をお借りしていました。電話を引いた途端、6人の兄弟たちが入れ代わり立ち代わり電話をしてきて、電話と言えば、いつも叔父叔母と話をしている父親の姿を思い出します。当時は、6人の兄弟がお互いの子供たちの心配までも共有して何かあれば全員で助け合う(愚痴を言い合う?)ということが当たり前になっていたのです。
先日ご紹介した田中優子さんと松岡正剛さんの対談で、日本では「家」がキーワードだと語られていましたが、ルイス・ベネディクトさんを持ち出すまでもなく、日本では「家」と「外」の区別が大きな文化を形成していたと言われています。「外面がいい。」とか「体面を重んじる。」とか「人前で恥をかかせる。」、「内弁慶」など、日本では家のなかのことと、外の事を強く区別してきたのです。
「外の世界」とはどんなところなのか、外にいるのは「他人」です。人にはメンツがあり、外でメンツを保つために日本人は「家」の中で様々な知恵をつなげてきました。大家族のメリットは、「家」が培ってきた知恵を教えてくれる人の数が多いことです。多ければ、伝わる確率は高くなります。身近な例では、「家」の味があります。大家族は、毎日毎日家で3回の食事をします。大家族では、朝も晩もたくさんの人が食事作りに関わります。男女を問わず、お味噌汁の味は家族の味として引き継がれていくのです。
(TVドラマ「東京バンドワゴン」 ポスター)
しかし、核家族となるとそうはいきません。例えば、味噌汁の味はおばあさんから娘へ娘から孫へ孫からひ孫へと引き継がれていきますが、大家族でいれば引き継がれる確率が格段に高くなりますが、核家族で一人息子の家庭では、その子が料理に興味を持たなければ味噌汁の味はそこで途絶えてしまいます。
近年、無差別に人を殺して自ら命を絶つ、または恨みや逆恨みで人を殺して自分も死ぬ、という「人」とは思えないような行為を起こす事件が頻繁に起きています。個人的には、「殺人」とは何らかの病気の発露であると思っています。中にはドストエフスキーの「罪と罰」のような理性的な殺人もあるのかもしれませんが、それは極めてレアなケースです。もともと生命とは、生きて命をつなぐために存在しています。それが、理由はともあれ命をつなぐことを阻害することは明らかに異常であり、生命体にとって正常ではない状態は病気と言えます。
病気には必ず原因があります。それは、ウィルスだったり、細菌であったり、免疫不全であったり、老朽化であったり、遺伝子の欠落であったり、突然変異であったり、様々です。病気を治す(正常な状態にする)ためには、原因を突き止めて、原因を取り除く必要があります。
「人」を殺めるという異常な行為は、いったい何が原因で起きるのでしょうか。それは、人が本来持つ「生きるための知恵」が途切れるからではないでしょうか。人はコミュニケーションを身に着けて共同化することによってこの地球上に君臨してきましたが、そこには数百万年に渡って引き継がれてきた知恵があったはずです。孤独に陥らないためには何が必要なのか。馬の合わない人間とはどのように付き合っていけばよいのか。自らの感情はどのようにコントロールすればよいのか。人の気持ちを逆立てないためにはどのようにすればよいのか。
大家族の中では、毎日そうした知恵が飛び交っているのです。その知恵の継承がとぎれたとき、人は病気になり、人を傷つけることになってしまうのです。
話は長くなりましたが、久しぶりに4世代の堀田家、11人(第1巻ではまだ9人)が織りなす「東京バンドワゴン」を読んで、そんなことを考えました。(11人と言えば、昔、村山聡さん主役のテレビドラマ「ただいま11人」という11人家族が織りなす名作を思い出します。)
(東京バンドワゴンシリーズ facebookより)
【「東京バンドワゴン」番外編】
「東京バンドワゴン」と言えば、毎年上梓されるシリーズは、どの巻も春夏秋冬4編の物語からなる短編集です。4世代に渡る家族関係はちょっと複雑です。まずは、80歳を超える古書店「東京バンドワゴン」を仕切る大旦那は堀田勘一です。東京下町の有名古書店は古色ゆかしい日本家屋で、店の帳場にデンと構えています。その息子は、堀田我南人(がなと)。すでに60歳をこえていますが、日本では有名なロックンローラーです。古いロッククファンには神のような存在で、たくさんのファンを従えています。その口癖は「LOVEだねぇ~」。
我南人には、子どもが3人います。長女は藍子、長男は紺、そして次男は青のブルー三兄妹です。藍子はシングルマザーで、同じ家屋に併設されているカフェを切り盛りしています。紺のお嫁さんは亜美。藍子のお嬢さんは花陽(かよ)、紺夫妻の息子は研人と言い、同級生です。第1巻では次男の青がすずみという女性と結婚します。
数えるのも大変なのですが、これで9人。ここに紺夫妻の長女かんな、青夫妻の長女鈴花が生まれて家族は11人となるのです。そこに加えなければならないのが、4匹のネコ(玉三郎・ノラ・ポコ・ベンジャミン)と2匹の犬(アキ・サチ)です。そして、さらにこの物語の語り部が加わることになります。
それは、物語の始まる2年前に亡くなった堀田勘一の妻サチです。サチは、亡くなった後も不思議なことにこの家に居ついていて、家と家族を温かく見守っているのです。そのサチさんが「東京バンドワゴン」で巻き起こる様々な事件を語ってくれます。実は、勘一の孫である紺は時々サチの声が聞こえると同時に会話を交わすことができます。また、サチが気を緩めた時や慌てた時には、紺の息子である研人にはその姿が見えてしまうのです。
この大家族ドラマは、その楽しさからサザエさん一家を思い出します。異なる点は、サザエさんがサラリーマン一家というところですが、もう一つ決定的に異なることがあります。それは、サザエさん一家では時が止まっていることです。タラちゃんは何年たっても幼稚園に行かず、カツオもワカメも永久に小学生です。この「東京バンドワゴン」では、大家族の面々は毎年必ず年を取っていきます。我々は、シリーズ発売のたびに、変化していく堀田家とともに歩むことができるのです。
(家族ドラマの定番「サザエさん」 prtimes.jp)
そんな中で、今回読んだ「フロム・ミー・ツゥ・ユー」は、他のシリーズとは一味違う番外編です。まず、異なる点は収められた短編が、春夏秋冬の4編ではなく11編となっている点です。さらには、いつもはサチさんによって語られる物語が、11人の異なる人々によって語られていきます。今回の題名は、おなじみビートルズの曲名ですが、この題名は11人の語り部が読者にそれぞれの物語を語ってくれることを表現しているのです。
また、シリーズはそれぞれの短編が「謎解き」の形になっていて、我々にワンダーをもたらしてくれます。この番外編は、事件が起きてその謎を解くと言う形式とは異なり、11のエピソードが語られていきます。そのすべてに共通しているのは、皆、「東京バンドワゴン」シリーズの主要なキャストであり、それぞれの意外なエピソードが語られている点です。ワンダーという点では、この小説のファンにとっては「謎解き」よりも嬉しい驚きを味わうことができるのです。
それぞれの短編の語り部はヴァラエティに富んでいて、その文体も語り部によって異なります。
その題名と語り部を紹介すると、
「紺に交われば青くなる」(語り部-以下省略:堀田紺)、「散歩進んで意気上がる」(堀田すずみ)、「忘れじのその面影かな」(木島主水)、「愛の花咲くこともある」(脇坂亜美)、「縁もたけなわ味なもの」(藤島直哉)、「野良猫ロックンロール」(鈴木秋実)、「会うのは同居のはじめかな」(堀田青)、「研人とメリーの愛の歌」(堀田研人)、「言わぬも花の娘ごころ」(千葉真奈美)、「包丁いっぽん相身互い」(甲幸光)、「忘れ物はなんですか」(堀田サチ)。
ファンの方は、これを見ると期待に心が震えるのではないでしょうか。
短編の題名もさることながら、それぞれの語り部の名前を見て、すべての人物が特定できる人は本物の「東京バンドワゴン」フリークに違いありません。例えば、堀田すずみはツアーコンダクターである青の奥様ですが、名前が堀田となっていることからそのエピソードが結婚後の話であることが分かります。逆に脇坂亜美、鈴木秋実の名前を見れば、亜美は古書店を手伝っている紺と結婚する前、秋実に至っては60過ぎのロックンローラー我南人の今は亡き奥様の若いころの話だと思い当たります。
そして気になるのは、最後の堀田サチ。今や紺のみが語ることができ、研人だけがその姿を見ることができるサチさんは、どんなエピソードを語るのか。実は、ここにサチさんの姿を見た第三の若者が存在していたのです。
どのエピソードも「東京バンドワゴン」そのもの。ほのぼのとして心温まる、癒し系のエピソードが並んでいます。今は失われつつある、人と人の会話と思いやりから生まれる物語。大家族は、我々が忘れつつある人の心を伝えてくれます。「LOVEだねぇ~。」
皆さんもこの本で癒されてみてはいかがでしょう。おすすめです。
それでは皆さんお元気で、またお会いします。
〓今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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