和田秀樹 池田清彦 男子の本懐?

こんばんは。

  今年の夏は本当に酷暑というにふさわしい暑さですね。

  北海道でさえ、連日30度を超えているのですから内陸部で40度になるのも、むべなるかなと思います。「北海道ではエアコンがなくても快適」との言葉は、すっかり過去のものとなりました。皆さん、エアコンを上手に使って、熱中症を防ぎましょう。水分補給と塩分補給も忘れずに。残暑?お見舞い申し上げます。

  さて、先日の参議院選挙は、久しぶりに58.51%と、過半数を上回る投票率を記録しました。最近の物価高やトランプ関税を踏まえて、無党派層の人々が意思表示をする必要を感じたのではないかと思います。また、期日前投票の制度が充実し、選挙当日に仕事や用事のある人々にも投票機会が増えたことも奏功したのではないでしょうか。

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(党首討論会に臨む政党党首たち 時事通信社記事より)

  今回、躍進したのは国民民主党、参政党などの新興勢力ですが、基本的には自民公明政権の旧態依然とした政策に対して大きく警鐘を鳴らしたものといえます。アメリカをはじめとして、世界中で軍事政権も含めたポピュリズムの台頭が日本でも起きるのかとの懸念もありましたが、日本人の知性は民主主義を捨ててはいないことに安心しています。

  それにしても、少子高齢化の時代に財政規律を無視して、困れば借金、理屈をつけては増税との姿勢には、政治家や官僚の皆さんの頭の固さに辟易とします。例えば、各省庁の事務次官が天下りする、エセ官僚法人や不必要な政府主導の業界団体制度など、見直しが必要な支出は数限りなくあるではないでしょうか。既得権益を温存しようとする人々は、自らの身をただして、次の世代の豊かさを真剣に考える必要があると思うのは私だけではないはずです。

  前回の民主党政権は、経験の浅さから日本のエリートと言ってもよい官僚の皆さんを敵に回して、上から目線で既得権に切り込んだために、日本の行政制度が回らなくなり、ひいては景気の後退を招いて、企業や国民からソッポを向かれる結果となりました。優秀な官僚や優秀な司法の皆さんと未来への危機感を共有し、今現在、不要なもののあぶり出しを自ら行う政治が今こそ、求められていると思いますが、いかがでしょうか。

  せっかく、既存勢力を国会において過半数割れに追い込んだ日本国民ですが、肝心の野党が「政策、政策」と念仏を唱えて、国会の中の蛙(かわず)になってしまえば、日本の未来はどんどん暗くなります。政治家と官僚の奮起に期待しています。

  さて、いきなり愚痴から始めてしまいましたが、今回ご紹介する本は、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」を、変わり者と呼ばれるお二人が語った爽快な対談本です。

「オスの本懐」

(和田秀樹 池田清彦著 新潮新書 2024年)

【汲めども尽きぬ変わり者対談】

  和田秀樹さんと言えば、本業は精神科医ながら様々な分野で100冊以上の著作を上梓している医療人の一人です。結構、受験突破メソッド的な著作も多くあり、そちらでも評判でしたが、一方ではその医師としての経験から高齢者の生き方について、忌憚のない物言いで世の中を騒がせています。特に「80歳の壁」(幻冬舎新書 2022年)は、ベストセラーとなりました。その目から鱗の内容は、かなり話題となったのでご存じのからも多いと思います。

  一方の池田清彦さんは、さんまさんの「ホンマでっかTV」のコメンテーターとして有名な構造学の権威にして生物学者です。その歯に衣を着せないコメントは、本では読者の眼から鱗を落とし、テレビでは視聴者の爆笑や苦笑を誘います。この本でも、その独自の語り口は変りません。氏は1947年生まれなので、今年で78歳となりますが、そのお元気な発言を読むとこちらまで勇気がわいてくるようです。

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(新潮新書「オスの本懐」 amazon.co.jp)

  さて、この本の題名ですが、「男子の本懐」といえば故城山三郎さんの傑作小説を思い出します。この小説は、第一次世界大戦後、不況にあえぐ日本を救うために金本位制の復活に命をかける覚悟で行動した浜口雄幸首相と井上準之助蔵相の人生を描いた傑作です。セリフとしては、「男と生まれたからにはこの世の大義のためには命をかけて尽くすことが本望である。」との覚悟を表す言葉です。

  これが、「男子」でなく「オス」となると、とたんにイメージが変ります。

  まずは、目次を見てみましょう。

まえがきにかえて(和田秀樹)

第一章 オスという不治の病
(いってはいけない、本当のこと 他)
第二章 セックスはなぜ快感なのか
(メスを敵に回してはいけない 他)
第三章 ポリコレがオスを弱らせる
(日本の「男女平等」にはバグがある 他)
第四章 オスが輝かしく老いるために
(誰が「おじいさん」だと決めるのか 他)

あとがきにかえて(池田清彦)

  さて、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」とはいったいどうゆうことなのでしょうか?

  我々の常識では、医者と生物学者と言えば実験と事実認識を持つ、合理的な「科学の人」をイメージします。「男子」というと人が勝手に思い込んでいる「性」ですが、「オス」といえば生物学において科学的に分類された「性」を感じさせます。つまり、「オスの本懐」とは、人間の思い込みから解き放たれた「オス」という生き物は、どうやって生きていくのが正しい生き方なのか。それを忌憚なく語る対談本なのです。

  この本を楽しむに当たっては、一つ注意点があります。ここで語られる「オス」とは、日本で定年を迎えた65歳以上の「オス(男性)」のことを語っているという点です。子育てや仕事でバリバリ活躍している現役世代の方には、両親の世代の理解には大いに役立つと思います。私の世代には、まさにど真ん中の役に立つ本でした。

【男と女の間にある大河】

  さて、この本の面白さは、お二人の「目から鱗」の会話の妙にあります。

  さわりのネタバレを許してもらい、その面白さの一端をご紹介します。そもそも「オス」とは何なのか。現代社会には、「多様性」という言葉が世の中にあふれています。女性の地位向上、男女平等、ジェンダー、LGBTQなどなど、飛び交う言葉をどのように考えることが有用なのか。お二人の対談は、今の日本ではおかしな議論が多すぎると喝破します。

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(性別ギャップ指数 日本は世界の125位/158国中)

  日本での男女平等の異常さは、男の社会に女性が同じ立場で進出することが男女平等と捉えられているところにある、と言います。男性と女性、オスとメス。生物学の世界では、それぞれの役割は異なることが当たり前だそうです。もともと生物は子孫を残すために生きているので、男は自分の子孫を出来るだけ多く創る努力を惜します、女はできる限り優秀な男性の子孫を残す努力を惜しまないので、男と女はすれ違うのです。

  日本の社会は、女性に「男のように働き、男のように活躍しろ」と押しつけることを男女平等と考えている、と池田さんは語ります。もともとオスとメスは非対称であるところにその存在価値がある、と言います。政治も仕事も、女性が本来の特性を生かすことで社会進出を促していく社会にならなければ日本の発展はないと言うことですね。

  さらに、人がオスなのかメスなのかは、科学的にわかりやすく説明できるのだと言います。

  そこには、3つの条件があります。まず、①肉体的な条件、②自己認識としての性別、③自分の恋愛対象が男性か女性か。

  肉体的な条件は、体の構造が男性か女性かなので、物理的な問題です。それでは、性別自認はなぜ起きるのでしょうか。それは、脳内の視床下部に分界条床核という領域があり、そこが大きければ自認する性は男、小さければ女なのだそうです。さらに、その大きさは生涯変らないそうです。また、恋愛対象の性別については、先ほどの分界条床核の近くに前視床下部間質核という領域があり、ここが大きければ女性を好きになり、小さければ男性が好きになる、のだそうです。

  つまり、ゆわゆる「ストレート」と呼ばれる男性は、肉体が男性で、脳内の分界条床核が大きく、前視床下部間質核が小さい、ということになります。一方、肉体が男性であっても、分界条床核が小さければ自認する性は「女性」となるし、前視床下部間質核が大きければ恋愛対象も女性になるというわけです。

  脳内のこうした領域の大きさは、お母さんのおなかの中で妊娠5ヶ月目くらいには決まってしまう、そうなのです。日本では、つい最近まで肉体的な変換手術をしない限り、「性」を変更できないとされており、その驚くべき偏狭さはまさに前近代的です。こうした脳内での認識は、自分では変えようもないので、我々はそのことを理解したうえでLGBTQへの対応を考えなければならないのです。

  「眼から鱗」とはこのことです。

  さて、現役を終えて卒業したオスは、どのように幸せな健康寿命を謳歌していけばよいのでしょうか。その秘訣は、それぞれの章の対話で語り尽くされるわけですが、最後の章には、「オスが輝く健康十訓」が示されています。その第一訓は、「禁欲とガマンをやめる」であり、その後、幸せのための十訓が続いています。その続きは、ぜひこの本を手に取ってお楽しみください。人生が豊かになること間違いなしです。

  ところで、対談では、ところどころにお二人の見事な見識が披露されています。その中で、なるほどと感じた語りをひとつだけ紹介します。

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(5年ぶりに9秒台で優勝した桐生選手 Xより)

  話が日本の教育に及んだところで、日本の教育は「競争」をなくして同じ価値観を子供に植え付けることを良しとしていることに言及します。そして、話は生物進化の話へと進んでいくのです。我々は、進化というのはその環境に最も適した種が生き残ることで進んだ、という自然選択説を学校で習いましたが、池田さんは、もしそうだとすれば、生き残るのは皆、同じ生物に集約されていくはずだ、と言います。

  ところが、現実には40億年の間に数え切れないほどの生命体が次々に枝分かれしてきました。つまり、生物が進化したのは、環境に順応したのではなく、生き延びていくために新たな環境を求めて変化し、適用してきたからなのです。これを「能動的適応」と言います。

  「能動的適応」は、生物の進化の常態であることを認識すれば、子供たちの教育も一人一人がその「個性」によって「能動的適応」ができるように育てることが必要なのだ、というわけです。つまり、競争をさせずに一律の価値観を植え付けるような教育では、生物本来の「能動的適応」を生かしていくことが出来ない、というのです。そのとおりですね。

  池田さんは、ここから「自由に生きること」の重要性に言及していきます。「誰かの自由を侵害しない限り、人は何をしても良い」という、他人の恣意性の権利について語るのです。この話の面白さは、ぜひこの本で堪能してください。本当に面白い対話です。


  今年の夏は、これまでの最高気温を毎日更新するほどの酷暑が続いています。皆さん、エアコンを上手に使って健康な日々をお送りください。水分補給、塩分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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和田秀樹 池田清彦 男子の本懐?

こんばんは。

  今年の夏は本当に酷暑というにふさわしい暑さですね。

  北海道でさえ、連日30度を超えているのですから内陸部で40度になるのも、むべなるかなと思います。「北海道ではエアコンがなくても快適」との言葉は、すっかり過去のものとなりました。皆さん、エアコンを上手に使って、熱中症を防ぎましょう。水分補給と塩分補給も忘れずに。残暑?お見舞い申し上げます。

  さて、先日の参議院選挙は、久しぶりに58.51%と、過半数を上回る投票率を記録しました。最近の物価高やトランプ関税を踏まえて、無党派層の人々が意思表示をする必要を感じたのではないかと思います。また、期日前投票の制度が充実し、選挙当日に仕事や用事のある人々にも投票機会が増えたことも奏功したのではないでしょうか。

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(党首討論会に臨む政党党首たち 時事通信社記事より)

  今回、躍進したのは国民民主党、参政党などの新興勢力ですが、基本的には自民公明政権の旧態依然とした政策に対して大きく警鐘を鳴らしたものといえます。アメリカをはじめとして、世界中で軍事政権も含めたポピュリズムの台頭が日本でも起きるのかとの懸念もありましたが、日本人の知性は民主主義を捨ててはいないことに安心しています。

  それにしても、少子高齢化の時代に財政規律を無視して、困れば借金、理屈をつけては増税との姿勢には、政治家や官僚の皆さんの頭の固さに辟易とします。例えば、各省庁の事務次官が天下りする、エセ官僚法人や不必要な政府主導の業界団体制度など、見直しが必要な支出は数限りなくあるではないでしょうか。既得権益を温存しようとする人々は、自らの身をただして、次の世代の豊かさを真剣に考える必要があると思うのは私だけではないはずです。

  前回の民主党政権は、経験の浅さから日本のエリートと言ってもよい官僚の皆さんを敵に回して、上から目線で既得権に切り込んだために、日本の行政制度が回らなくなり、ひいては景気の後退を招いて、企業や国民からソッポを向かれる結果となりました。優秀な官僚や優秀な司法の皆さんと未来への危機感を共有し、今現在、不要なもののあぶり出しを自ら行う政治が今こそ、求められていると思いますが、いかがでしょうか。

  せっかく、既存勢力を国会において過半数割れに追い込んだ日本国民ですが、肝心の野党が「政策、政策」と念仏を唱えて、国会の中の蛙(かわず)になってしまえば、日本の未来はどんどん暗くなります。政治家と官僚の奮起に期待しています。

  さて、いきなり愚痴から始めてしまいましたが、今回ご紹介する本は、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」を、変わり者と呼ばれるお二人が語った爽快な対談本です。

「オスの本懐」

(和田秀樹 池田清彦著 新潮新書 2024年)

【汲めども尽きぬ変わり者対談】

  和田秀樹さんと言えば、本業は精神科医ながら様々な分野で100冊以上の著作を上梓している医療人の一人です。結構、受験突破メソッド的な著作も多くあり、そちらでも評判でしたが、一方ではその医師としての経験から高齢者の生き方について、忌憚のない物言いで世の中を騒がせています。特に「80歳の壁」(幻冬舎新書 2022年)は、ベストセラーとなりました。その目から鱗の内容は、かなり話題となったのでご存じのからも多いと思います。

  一方の池田清彦さんは、さんまさんの「ホンマでっかTV」のコメンテーターとして有名な構造学の権威にして生物学者です。その歯に衣を着せないコメントは、本では読者の眼から鱗を落とし、テレビでは視聴者の爆笑や苦笑を誘います。この本でも、その独自の語り口は変りません。氏は1947年生まれなので、今年で78歳となりますが、そのお元気な発言を読むとこちらまで勇気がわいてくるようです。

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(新潮新書「オスの本懐」 amazon.co.jp)

  さて、この本の題名ですが、「男子の本懐」といえば故城山三郎さんの傑作小説を思い出します。この小説は、第一次世界大戦後、不況にあえぐ日本を救うために金本位制の復活に命をかける覚悟で行動した浜口雄幸首相と井上準之助蔵相の人生を描いた傑作です。セリフとしては、「男と生まれたからにはこの世の大義のためには命をかけて尽くすことが本望である。」との覚悟を表す言葉です。

  これが、「男子」でなく「オス」となると、とたんにイメージが変ります。

  まずは、目次を見てみましょう。

まえがきにかえて(和田秀樹)

第一章 オスという不治の病
(いってはいけない、本当のこと 他)
第二章 セックスはなぜ快感なのか
(メスを敵に回してはいけない 他)
第三章 ポリコレがオスを弱らせる
(日本の「男女平等」にはバグがある 他)
第四章 オスが輝かしく老いるために
(誰が「おじいさん」だと決めるのか 他)

あとがきにかえて(池田清彦)

  さて、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」とはいったいどうゆうことなのでしょうか?

  我々の常識では、医者と生物学者と言えば実験と事実認識を持つ、合理的な「科学の人」をイメージします。「男子」というと人が勝手に思い込んでいる「性」ですが、「オス」といえば生物学において科学的に分類された「性」を感じさせます。つまり、「オスの本懐」とは、人間の思い込みから解き放たれた「オス」という生き物は、どうやって生きていくのが正しい生き方なのか。それを忌憚なく語る対談本なのです。

  この本を楽しむに当たっては、一つ注意点があります。ここで語られる「オス」とは、日本で定年を迎えた65歳以上の「オス(男性)」のことを語っているという点です。子育てや仕事でバリバリ活躍している現役世代の方には、両親の世代の理解には大いに役立つと思います。私の世代には、まさにど真ん中の役に立つ本でした。

【男と女の間にある大河】

  さて、この本の面白さは、お二人の「目から鱗」の会話の妙にあります。

  さわりのネタバレを許してもらい、その面白さの一端をご紹介します。そもそも「オス」とは何なのか。現代社会には、「多様性」という言葉が世の中にあふれています。女性の地位向上、男女平等、ジェンダー、LGBTQなどなど、飛び交う言葉をどのように考えることが有用なのか。お二人の対談は、今の日本ではおかしな議論が多すぎると喝破します。

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(性別ギャップ指数 日本は世界の125位/158国中)

  日本での男女平等の異常さは、男の社会に女性が同じ立場で進出することが男女平等と捉えられているところにある、と言います。男性と女性、オスとメス。生物学の世界では、それぞれの役割は異なることが当たり前だそうです。もともと生物は子孫を残すために生きているので、男は自分の子孫を出来るだけ多く創る努力を惜します、女はできる限り優秀な男性の子孫を残す努力を惜しまないので、男と女はすれ違うのです。

  日本の社会は、女性に「男のように働き、男のように活躍しろ」と押しつけることを男女平等と考えている、と池田さんは語ります。もともとオスとメスは非対称であるところにその存在価値がある、と言います。政治も仕事も、女性が本来の特性を生かすことで社会進出を促していく社会にならなければ日本の発展はないと言うことですね。

  さらに、人がオスなのかメスなのかは、科学的にわかりやすく説明できるのだと言います。

  そこには、3つの条件があります。まず、①肉体的な条件、②自己認識としての性別、③自分の恋愛対象が男性か女性か。

  肉体的な条件は、体の構造が男性か女性かなので、物理的な問題です。それでは、性別自認はなぜ起きるのでしょうか。それは、脳内の視床下部に分界条床核という領域があり、そこが大きければ自認する性は男、小さければ女なのだそうです。さらに、その大きさは生涯変らないそうです。また、恋愛対象の性別については、先ほどの分界条床核の近くに前視床下部間質核という領域があり、ここが大きければ女性を好きになり、小さければ男性が好きになる、のだそうです。

  つまり、ゆわゆる「ストレート」と呼ばれる男性は、肉体が男性で、脳内の分界条床核が大きく、前視床下部間質核が小さい、ということになります。一方、肉体が男性であっても、分界条床核が小さければ自認する性は「女性」となるし、前視床下部間質核が大きければ恋愛対象も女性になるというわけです。

  脳内のこうした領域の大きさは、お母さんのおなかの中で妊娠5ヶ月目くらいには決まってしまう、そうなのです。日本では、つい最近まで肉体的な変換手術をしない限り、「性」を変更できないとされており、その驚くべき偏狭さはまさに前近代的です。こうした脳内での認識は、自分では変えようもないので、我々はそのことを理解したうえでLGBTQへの対応を考えなければならないのです。

  「眼から鱗」とはこのことです。

  さて、現役を終えて卒業したオスは、どのように幸せな健康寿命を謳歌していけばよいのでしょうか。その秘訣は、それぞれの章の対話で語り尽くされるわけですが、最後の章には、「オスが輝く健康十訓」が示されています。その第一訓は、「禁欲とガマンをやめる」であり、その後、幸せのための十訓が続いています。その続きは、ぜひこの本を手に取ってお楽しみください。人生が豊かになること間違いなしです。

  ところで、対談では、ところどころにお二人の見事な見識が披露されています。その中で、なるほどと感じた語りをひとつだけ紹介します。

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(5年ぶりに9秒台で優勝した桐生選手 Xより)

  話が日本の教育に及んだところで、日本の教育は「競争」をなくして同じ価値観を子供に植え付けることを良しとしていることに言及します。そして、話は生物進化の話へと進んでいくのです。我々は、進化というのはその環境に最も適した種が生き残ることで進んだ、という自然選択説を学校で習いましたが、池田さんは、もしそうだとすれば、生き残るのは皆、同じ生物に集約されていくはずだ、と言います。

  ところが、現実には40億年の間に数え切れないほどの生命体が次々に枝分かれしてきました。つまり、生物が進化したのは、環境に順応したのではなく、生き延びていくために新たな環境を求めて変化し、適用してきたからなのです。これを「能動的適応」と言います。

  「能動的適応」は、生物の進化の常態であることを認識すれば、子供たちの教育も一人一人がその「個性」によって「能動的適応」ができるように育てることが必要なのだ、というわけです。つまり、競争をさせずに一律の価値観を植え付けるような教育では、生物本来の「能動的適応」を生かしていくことが出来ない、というのです。そのとおりですね。

  池田さんは、ここから「自由に生きること」の重要性に言及していきます。「誰かの自由を侵害しない限り、人は何をしても良い」という、他人の恣意性の権利について語るのです。この話の面白さは、ぜひこの本で堪能してください。本当に面白い対話です。


  今年の夏は、これまでの最高気温を毎日更新するほどの酷暑が続いています。皆さん、エアコンを上手に使って健康な日々をお送りください。水分補給、塩分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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音楽は豊かで幸福な人生の素

こんばんは。

  前回、日本のジャズ・フュージョン史に燦然と輝く名プロデューサーのアーティスト別エッセイを紹介しました。この本には、渡辺貞夫さんのマネジメントを行った鯉沼利成さんを筆頭にミュージック ラヴァーの面々が日本の音楽の隆盛を作り上げたことがたくさん語られています。

  なぜ人は音楽が好きなのか。音楽には人の生み出す感動があるからです。

【クラシックが生み出す感動】

  2025年も半年が過ぎ、早くも7月が始まりました。この機会に今年上半期に参加したクラシックのコンサートを振り返ってみたいと思います。今年は、身内に不幸があったり、新たな仕事を始めたり、と忙しい毎日で、参加したのは数少ないコンサートでしたが、どのコンサートも感動を味わうことが出来ました。

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(おなじみの所沢ミューズアークホール HPより)

2/09 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 指揮:サカリ・オラモ  ピアノ:藤田真央

・プログラム ウエーバー 歌劇「オベロン」序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第7

5/05 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ ピアノ:リーズ・ドゥ・ラ・サール

・プログラム 武満徹 3つの映画音楽 グリーグ ピアノ協奏曲 ブラームス 交響曲第4

◎5/10 ベルリン放送交響楽団 指揮:ウラディミール・ユロフスキ ピアノ:辻井伸行

・プログラム ベートーヴェン エグモント序曲 ショパン ピアノ協奏曲第2番 ブラームス 交響曲第4

◎6/29 ベルリン交響楽団 指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー ピアノ 石井琢磨

・プログラム ベートーヴェン コリオラン序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第3エロイカ


  いずれも素晴らしいコンサートでしたが、それぞれ異なる感動を味わうことが出来ました。

  これまでも様々なオーケストラの演奏を堪能してきましたが、やはりヨーロッパのオーケストラの音は洗練されていて弦の音も管の音もなめらかで抜けていくような美しさを醸し出します。

  ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音もしかり。さすが、ドイツの名門管弦楽団。その弦の音色は力強く、限りなくたおやかな調べを奏でます。さらに、管楽器もなめらかな音でした。藤田真央さんのピアノを聴いたのは2度目です。前回は、ロッテルダム・フィルハーモニーと共演したときのことで、曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番です。真央さんの得意な曲ですが、このときには、演奏がとても旨いと感じましたが、あまり心を動かされませんでした。ところが、今回の演奏は心に響きました。彼の繊細なタッチとそのまろやかなピアノの音が、ロマン派のシューマンの曲をみごとに引き立てて素晴らしい演奏を聴かせてくれました。さすが、クララ・ハスキル国際コンクールでの優勝はこの美しい音があってのことだったのですね。

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(ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団公演 所沢ミューズHP)

【2025上期 最も感動した演奏】

  さて、次は今年上半期、最も感動したコンサートです。

  NHK交響楽団は2022年まで、私が最も気に入っている指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏が首席指揮者でしたが、その後を受けたのが、今回登場したイタリアのファビオ・ルイージ氏です。N響は、これまでもサヴァリッシュ、ブロムシュテット、デュトワなど、世界の指揮者たちの薫陶を受けてきましたが、日本では最も美しい音を奏でるオーケストラだと思います。こでまで、世界の名だたるオーケストラのコンサートに接しましたが、ここ数年のN響の音は決して引けを取らない素晴らしい音色を奏でています。

  このコンサートで楽しみにしていた曲があります。

  それは、グリーグのビアノ協奏曲です。グリーグは「ペール・ギュント組曲」で有名なノルウェーの生んだ作曲家です。小学生のときに放送委員という役職を務めていたのですが、朝の放送ではこの組曲の「朝」を毎日かけていました。(ちなみに昼休みはビゼーの「アルルの女」からメヌエットでした。)そのグリーグのピアノ協奏曲をはじめてきいたとき、その冒頭、上から流れ落ちで来る滝のようなピアノの旋律に頭を殴られたような衝撃を覚えました。

  そして、映画にハマッタ中学生のときに映画館で見たのがアメリカのミュージカル映画「ソング・オブ・ノルウェー」でした。この映画は、若き日のグリーグを描いた青春映画でしたが、このミュージカルに通底していたのが、このピアノ協奏曲だったのです。映画の冒頭、ノルウェーの美しい自然が移るスクリーンに冒頭の力強い旋律が鳴り響いたときの感動は忘れられません。

  そして、この日、ピアノ協奏曲を演奏するピアニストは、フランス出身のリーズ・ドゥ・ラ・サールです。

  女性としては大柄ですが、その端正な顔立ちとはうらはらに金色をあしらったファッショナブルで派手なな出で立ちで登場しました。いったいどんなグリーグが飛び出すのかと期待していると、想像を超える力強さで、あの美しい旋律が会場に響き渡ったのです。冒頭から情熱的に奏でられたピアノは、そのまま熱を持って輝くように続いていきます。そのエネルギッシュかつ繊細な演奏は、聞く人の心をわしづかみして離しません。この曲をライブで聞くのは初めてでしたが、このピアニストで聞くことが出来たのは、とても幸せな体験でした。心から感動しました。

  この日のN響は、本当によく鳴っていて、大好きなブラームスの4番もエモーショナルな演奏で久しぶりに心を動かされました。特に、有名な第3楽章のスケルツォともいえる荘厳なソナタには圧倒されました。

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(NHK交響楽団公演 所沢ミューズHPより)

  グリーグが描くノルウェーの美しい森とブラームスの描くドイツの森林。それを彷彿とさせたのが、フルートで奏でられる屹立とした旋律です。この日のフルートは特に際立つ透明な音で鳴っており、演奏後に指揮者のルイージが何度もフルート奏者を指名して起立していたのも頷けます。本当にすべてが素晴らしい演奏でした。

【辻井伸行さんのピアノのすごさ】

  さて、N響で感動した5日後に行ったコンサートが、ウラディミール・ユロフスキ氏率いるベルリン放送交響楽団の演奏会です。この交響楽団の音は、本当にドイツの深みのある美しい音でした。本当に不思議なのですが、ヨーロッパを本拠とする管弦楽団はみな日本のオーケストラとは音が違います。まだコンサートに行く機会が無い頃には、日本の空気が淀んでいるせいだと思っていましたが、実際に来日したオーケストラの音を聞くと日本の空気の中でもやはり彼らの音は違っていました。歴史と伝統がなせる技なのかもしれません。

  今回のお目当ては、ピアノの辻井伸行さんです。実は、辻井さんの名前は日本でとどろいていますが、テレビなどで見る限りでは他のピアニストと何が違うのかがわかりませんでした。ところが、一昨年、ヴァリシ-・ペトレンコ氏を指揮者としてイギリスのロヤルフィルハーモニー管弦楽団が来日したときに辻井さんが共演し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。これを聴いたときに、辻井伸行さんの表現力に心からの感動を味わいました。

  その演奏は、大胆にして繊細。チャイコフスキーの大地に根ざした壮大さと人の心の動きを表す繊細な音階を見事に弾きこなし、我々の心を揺り動かしたのです。なぜ、辻井さんの演奏はこれほどの感動を生み出すのでしょうか。この曲は、これまでアルゲリッチやリヒテル、ホロヴィッツなど名だたる名盤がありますが、辻井さんがこうした演奏と異なるのは、見事な「間」の取り方です。もちろん、ピアノは楽譜の通りに演奏するので、楽譜に指示されている必要な「間」ではありません。辻井さんの演奏は、佳境に入る流麗さの中に、ふとした「間」が入るのです。

  我々日本人は、これまで歌舞伎や能、浄瑠璃などのなかで、謡と雅楽で音を体験してきました。そこで培われた「間」は、おそらく人の呼吸と関係しているのではないでしょうか。日本の芸能は息継ぎまでの間まで、息の続く限り言葉を謳います。雅楽もその謳いに会わせて間を生み出します。ピアノやヴァイオリンには、息継ぎが必要ないので、楽譜は音が面々と続いています。辻井さんのチャイコフスキーには、日本人ならば聞き慣れている独自の「間」が込められているのです。

  一昨年のコンサートでは、余りに感動したので会場で販売していたチャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を演奏しているCDを購入しました。(ちなみにCDは、BBCフィルで指揮者は佐渡裕氏でした。)帰ってからそのCDを聴くと、そこには辻井さん独自の「間」がしっかりと表現されていて、コンサートと同じ感動を味わうことが出来ました。

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(辻井伸行 チャイコフスキーCD amazon.co.jp)

  余談ですが、このコンサートでは事件がありました。チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番の第1楽章が終わったとき、通常ならば息を整えてすぐに第2楽章へと移るのですが、辻井さんが席を立ったのです。ご存じの通り辻井さんは目が不自由なため、指揮者のペトレンコ氏がその腕を支えて一緒に歩き出しました。何事かが起きたのです。ペトレンコ氏は歩き出しながら辻井さんの耳元で何かをささやきました。すると、二人は、舞台袖へと歩いている途中、きびすを返してステージの中央へと戻りました。

  辻井さんは、ピアノで体を支えると話を始めました。説明では、弾いていたピアノの鉄線が切れてしまい、修理が必要な状態だというのです。説明を終えると、お二人は楽屋へと引き上げていき、それに変って調律師の方が現れてピアノ弦交換の作業を行いました。時間にすれば5分程度と思いますが、とても永く感じたのを覚えています。

  修理が完了すると、辻井さんがペトレンコ氏とともにステージに戻ってきました。大きな拍手で迎えられたのは言うまでもありません。永くコンサートに足を運んでいますが、こんなアクシデントははじめてでした。いったい、演奏はどうなるのだろう。その心配は杞憂に終わりました。オーケストラも指揮者も、辻井さんも何事もなかったように素晴らしい演奏を繰り広げてくれたのです。

  やはりプロの仕事は素晴らしい、と改めて辻井さんの魅力に感じ入った次第です。

  さて、そんな辻井さんが演奏したショパンのピアノ協奏曲第1番ですが、チャイコフスキーよりも情緒的で、ロマンあふれる名曲です。この曲は、ポーランドを離れる直前にポーランドの聴衆の前で演奏されました。辻井さんのピアノは、その叙情豊かな感性をみごとに表現する素晴らしい演奏を繰り広げました。辻井さんの感動を呼び「間」は、この曲にも現れていました。ベルリン放送交響楽団の弦と管の音色も素晴らしく、こちらにも大いに感動しました。

【上期最後のコンサート】

  さて、6月の29日には、横浜のみなとみらいホールに足を運び、ハンスイェルク・シェレンベルガー氏率いるベルリン交響楽団のコンサートに参加してきました。ベルリンには30近いオーケストラがあるそうですが、この”Berliner Symphoniker”はあの世界的に有名なベルリンフィルとはまったく別のオーケストラ。もとの母体こそ125年前に遡りますが、現楽団は、1961年にベルリンが東西に分かれた際に西側に残った2つのオーケストラが合体して出来たベルリン市民のためのオーケストラです。

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(ベルリン交響楽団公演 e-プラスHPより)

  ピアニストの石井琢磨さんは、現在日本国内でクラシックにとどまらない幅広い活動で名前を知られた演奏家です。会場には石井さんのピアノめあてのファンもたくさん見えていたようです。石井さんの奏でるシューマンの調べは、その美しい旋律を明るく鮮明な音で奏でる明るい音律でした。甘口のスウィートを味わったときの幸福感を感じました。

  ベルリン交響楽団は、楽団員の数が少なく、音の厚みという点では少し迫力に欠けていた気がします。しかし、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスが生み出す豊かな弦の響きは、さすがベルリン市民をうならせるだけのことがある美しさがありました。指揮者はもとベルリンフィルの主席オーボエ奏者です。さすがにオーボエをはじめとするクラリネットやフルート、ファゴットの音も澄んだなめらかな音色で感動しました。特にエロイカの第2楽章 葬送行進曲は美しく、心から楽しむことが出来ました。


  さて、今日は音楽の中でもクラシックコンサートの話で終始しましたが、今年の上半期にはクラシック以外でも様々な音楽に触れました。60歳から習い始めたテナーサックスですが、町内で同好会に加入して、月に34回セッションを楽しんでいます。会の名称がJAZZ研究会なので、基本的にはジャズのスタンダード曲を皆でセッションします。何が楽しいかと言えば、今まで聴いたこともなかった有名曲を知り、自分で演奏できるようになるプロセスは何物にも代えがたい幸福な体験です。チャーリー・パーカーって本当にスゴイ人だったんですね。

  この話を始めるといくら紙面があっても足りません。また、機会があればお話ししたいと思います。

  今年の気候はどうやらいつもと異なるようです。日本はすでに亜熱帯のようになっていますが、今年の夏は特段に暑いようです。皆さん、無理せず、我慢せず、エアコンを使って熱中症とならないようくれぐれもご自愛ください。水分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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音楽は豊かで幸福な人生の素

こんばんは。

  前回、日本のジャズ・フュージョン史に燦然と輝く名プロデューサーのアーティスト別エッセイを紹介しました。この本には、渡辺貞夫さんのマネジメントを行った鯉沼利成さんを筆頭にミュージック ラヴァーの面々が日本の音楽の隆盛を作り上げたことがたくさん語られています。

  なぜ人は音楽が好きなのか。音楽には人の生み出す感動があるからです。

【クラシックが生み出す感動】

  2025年も半年が過ぎ、早くも7月が始まりました。この機会に今年上半期に参加したクラシックのコンサートを振り返ってみたいと思います。今年は、身内に不幸があったり、新たな仕事を始めたり、と忙しい毎日で、参加したのは数少ないコンサートでしたが、どのコンサートも感動を味わうことが出来ました。

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(おなじみの所沢ミューズアークホール HPより)

2/09 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 指揮:サカリ・オラモ  ピアノ:藤田真央

・プログラム ウエーバー 歌劇「オベロン」序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第7

5/05 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ ピアノ:リーズ・ドゥ・ラ・サール

・プログラム 武満徹 3つの映画音楽 グリーグ ピアノ協奏曲 ブラームス 交響曲第4

◎5/10 ベルリン放送交響楽団 指揮:ウラディミール・ユロフスキ ピアノ:辻井伸行

・プログラム ベートーヴェン エグモント序曲 ショパン ピアノ協奏曲第2番 ブラームス 交響曲第4

◎6/29 ベルリン交響楽団 指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー ピアノ 石井琢磨

・プログラム ベートーヴェン コリオラン序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第3エロイカ


  いずれも素晴らしいコンサートでしたが、それぞれ異なる感動を味わうことが出来ました。

  これまでも様々なオーケストラの演奏を堪能してきましたが、やはりヨーロッパのオーケストラの音は洗練されていて弦の音も管の音もなめらかで抜けていくような美しさを醸し出します。

  ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音もしかり。さすが、ドイツの名門管弦楽団。その弦の音色は力強く、限りなくたおやかな調べを奏でます。さらに、管楽器もなめらかな音でした。藤田真央さんのピアノを聴いたのは2度目です。前回は、ロッテルダム・フィルハーモニーと共演したときのことで、曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番です。真央さんの得意な曲ですが、このときには、演奏がとても旨いと感じましたが、あまり心を動かされませんでした。ところが、今回の演奏は心に響きました。彼の繊細なタッチとそのまろやかなピアノの音が、ロマン派のシューマンの曲をみごとに引き立てて素晴らしい演奏を聴かせてくれました。さすが、クララ・ハスキル国際コンクールでの優勝はこの美しい音があってのことだったのですね。

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(ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団公演 所沢ミューズHP)

【2025上期 最も感動した演奏】

  さて、次は今年上半期、最も感動したコンサートです。

  NHK交響楽団は2022年まで、私が最も気に入っている指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏が首席指揮者でしたが、その後を受けたのが、今回登場したイタリアのファビオ・ルイージ氏です。N響は、これまでもサヴァリッシュ、ブロムシュテット、デュトワなど、世界の指揮者たちの薫陶を受けてきましたが、日本では最も美しい音を奏でるオーケストラだと思います。こでまで、世界の名だたるオーケストラのコンサートに接しましたが、ここ数年のN響の音は決して引けを取らない素晴らしい音色を奏でています。

  このコンサートで楽しみにしていた曲があります。

  それは、グリーグのビアノ協奏曲です。グリーグは「ペール・ギュント組曲」で有名なノルウェーの生んだ作曲家です。小学生のときに放送委員という役職を務めていたのですが、朝の放送ではこの組曲の「朝」を毎日かけていました。(ちなみに昼休みはビゼーの「アルルの女」からメヌエットでした。)そのグリーグのピアノ協奏曲をはじめてきいたとき、その冒頭、上から流れ落ちで来る滝のようなピアノの旋律に頭を殴られたような衝撃を覚えました。

  そして、映画にハマッタ中学生のときに映画館で見たのがアメリカのミュージカル映画「ソング・オブ・ノルウェー」でした。この映画は、若き日のグリーグを描いた青春映画でしたが、このミュージカルに通底していたのが、このピアノ協奏曲だったのです。映画の冒頭、ノルウェーの美しい自然が移るスクリーンに冒頭の力強い旋律が鳴り響いたときの感動は忘れられません。

  そして、この日、ピアノ協奏曲を演奏するピアニストは、フランス出身のリーズ・ドゥ・ラ・サールです。

  女性としては大柄ですが、その端正な顔立ちとはうらはらに金色をあしらったファッショナブルで派手なな出で立ちで登場しました。いったいどんなグリーグが飛び出すのかと期待していると、想像を超える力強さで、あの美しい旋律が会場に響き渡ったのです。冒頭から情熱的に奏でられたピアノは、そのまま熱を持って輝くように続いていきます。そのエネルギッシュかつ繊細な演奏は、聞く人の心をわしづかみして離しません。この曲をライブで聞くのは初めてでしたが、このピアニストで聞くことが出来たのは、とても幸せな体験でした。心から感動しました。

  この日のN響は、本当によく鳴っていて、大好きなブラームスの4番もエモーショナルな演奏で久しぶりに心を動かされました。特に、有名な第3楽章のスケルツォともいえる荘厳なソナタには圧倒されました。

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(NHK交響楽団公演 所沢ミューズHPより)

  グリーグが描くノルウェーの美しい森とブラームスの描くドイツの森林。それを彷彿とさせたのが、フルートで奏でられる屹立とした旋律です。この日のフルートは特に際立つ透明な音で鳴っており、演奏後に指揮者のルイージが何度もフルート奏者を指名して起立していたのも頷けます。本当にすべてが素晴らしい演奏でした。

【辻井伸行さんのピアノのすごさ】

  さて、N響で感動した5日後に行ったコンサートが、ウラディミール・ユロフスキ氏率いるベルリン放送交響楽団の演奏会です。この交響楽団の音は、本当にドイツの深みのある美しい音でした。本当に不思議なのですが、ヨーロッパを本拠とする管弦楽団はみな日本のオーケストラとは音が違います。まだコンサートに行く機会が無い頃には、日本の空気が淀んでいるせいだと思っていましたが、実際に来日したオーケストラの音を聞くと日本の空気の中でもやはり彼らの音は違っていました。歴史と伝統がなせる技なのかもしれません。

  今回のお目当ては、ピアノの辻井伸行さんです。実は、辻井さんの名前は日本でとどろいていますが、テレビなどで見る限りでは他のピアニストと何が違うのかがわかりませんでした。ところが、一昨年、ヴァリシ-・ペトレンコ氏を指揮者としてイギリスのロヤルフィルハーモニー管弦楽団が来日したときに辻井さんが共演し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。これを聴いたときに、辻井伸行さんの表現力に心からの感動を味わいました。

  その演奏は、大胆にして繊細。チャイコフスキーの大地に根ざした壮大さと人の心の動きを表す繊細な音階を見事に弾きこなし、我々の心を揺り動かしたのです。なぜ、辻井さんの演奏はこれほどの感動を生み出すのでしょうか。この曲は、これまでアルゲリッチやリヒテル、ホロヴィッツなど名だたる名盤がありますが、辻井さんがこうした演奏と異なるのは、見事な「間」の取り方です。もちろん、ピアノは楽譜の通りに演奏するので、楽譜に指示されている必要な「間」ではありません。辻井さんの演奏は、佳境に入る流麗さの中に、ふとした「間」が入るのです。

  我々日本人は、これまで歌舞伎や能、浄瑠璃などのなかで、謡と雅楽で音を体験してきました。そこで培われた「間」は、おそらく人の呼吸と関係しているのではないでしょうか。日本の芸能は息継ぎまでの間まで、息の続く限り言葉を謳います。雅楽もその謳いに会わせて間を生み出します。ピアノやヴァイオリンには、息継ぎが必要ないので、楽譜は音が面々と続いています。辻井さんのチャイコフスキーには、日本人ならば聞き慣れている独自の「間」が込められているのです。

  一昨年のコンサートでは、余りに感動したので会場で販売していたチャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を演奏しているCDを購入しました。(ちなみにCDは、BBCフィルで指揮者は佐渡裕氏でした。)帰ってからそのCDを聴くと、そこには辻井さん独自の「間」がしっかりと表現されていて、コンサートと同じ感動を味わうことが出来ました。

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(辻井伸行 チャイコフスキーCD amazon.co.jp)

  余談ですが、このコンサートでは事件がありました。チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番の第1楽章が終わったとき、通常ならば息を整えてすぐに第2楽章へと移るのですが、辻井さんが席を立ったのです。ご存じの通り辻井さんは目が不自由なため、指揮者のペトレンコ氏がその腕を支えて一緒に歩き出しました。何事かが起きたのです。ペトレンコ氏は歩き出しながら辻井さんの耳元で何かをささやきました。すると、二人は、舞台袖へと歩いている途中、きびすを返してステージの中央へと戻りました。

  辻井さんは、ピアノで体を支えると話を始めました。説明では、弾いていたピアノの鉄線が切れてしまい、修理が必要な状態だというのです。説明を終えると、お二人は楽屋へと引き上げていき、それに変って調律師の方が現れてピアノ弦交換の作業を行いました。時間にすれば5分程度と思いますが、とても永く感じたのを覚えています。

  修理が完了すると、辻井さんがペトレンコ氏とともにステージに戻ってきました。大きな拍手で迎えられたのは言うまでもありません。永くコンサートに足を運んでいますが、こんなアクシデントははじめてでした。いったい、演奏はどうなるのだろう。その心配は杞憂に終わりました。オーケストラも指揮者も、辻井さんも何事もなかったように素晴らしい演奏を繰り広げてくれたのです。

  やはりプロの仕事は素晴らしい、と改めて辻井さんの魅力に感じ入った次第です。

  さて、そんな辻井さんが演奏したショパンのピアノ協奏曲第1番ですが、チャイコフスキーよりも情緒的で、ロマンあふれる名曲です。この曲は、ポーランドを離れる直前にポーランドの聴衆の前で演奏されました。辻井さんのピアノは、その叙情豊かな感性をみごとに表現する素晴らしい演奏を繰り広げました。辻井さんの感動を呼び「間」は、この曲にも現れていました。ベルリン放送交響楽団の弦と管の音色も素晴らしく、こちらにも大いに感動しました。

【上期最後のコンサート】

  さて、6月の29日には、横浜のみなとみらいホールに足を運び、ハンスイェルク・シェレンベルガー氏率いるベルリン交響楽団のコンサートに参加してきました。ベルリンには30近いオーケストラがあるそうですが、この”Berliner Symphoniker”はあの世界的に有名なベルリンフィルとはまったく別のオーケストラ。もとの母体こそ125年前に遡りますが、現楽団は、1961年にベルリンが東西に分かれた際に西側に残った2つのオーケストラが合体して出来たベルリン市民のためのオーケストラです。

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(ベルリン交響楽団公演 e-プラスHPより)

  ピアニストの石井琢磨さんは、現在日本国内でクラシックにとどまらない幅広い活動で名前を知られた演奏家です。会場には石井さんのピアノめあてのファンもたくさん見えていたようです。石井さんの奏でるシューマンの調べは、その美しい旋律を明るく鮮明な音で奏でる明るい音律でした。甘口のスウィートを味わったときの幸福感を感じました。

  ベルリン交響楽団は、楽団員の数が少なく、音の厚みという点では少し迫力に欠けていた気がします。しかし、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスが生み出す豊かな弦の響きは、さすがベルリン市民をうならせるだけのことがある美しさがありました。指揮者はもとベルリンフィルの主席オーボエ奏者です。さすがにオーボエをはじめとするクラリネットやフルート、ファゴットの音も澄んだなめらかな音色で感動しました。特にエロイカの第2楽章 葬送行進曲は美しく、心から楽しむことが出来ました。


  さて、今日は音楽の中でもクラシックコンサートの話で終始しましたが、今年の上半期にはクラシック以外でも様々な音楽に触れました。60歳から習い始めたテナーサックスですが、町内で同好会に加入して、月に34回セッションを楽しんでいます。会の名称がJAZZ研究会なので、基本的にはジャズのスタンダード曲を皆でセッションします。何が楽しいかと言えば、今まで聴いたこともなかった有名曲を知り、自分で演奏できるようになるプロセスは何物にも代えがたい幸福な体験です。チャーリー・パーカーって本当にスゴイ人だったんですね。

  この話を始めるといくら紙面があっても足りません。また、機会があればお話ししたいと思います。

  今年の気候はどうやらいつもと異なるようです。日本はすでに亜熱帯のようになっていますが、今年の夏は特段に暑いようです。皆さん、無理せず、我慢せず、エアコンを使って熱中症とならないようくれぐれもご自愛ください。水分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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伊藤潔 JAZZを愛した名プロデューサー

こんばんは。

  音楽好きの皆さん、お待たせしました。

  日本にこの人あり、と言っても過言ではない名プロデューサーの本が上梓されました。

  音楽と言っても多種多様で、音楽の趣味ほど人と人をつなぎ止めるコアな趣味はありません。というのも、人によって好みの音楽ジャンルが異なるからです。音楽は、基本的に子供の頃か思春期に特定の曲、または、特定の人に魅了されるところから始まります。

  例えば、近年ボーカロイドから派生したJ-POPが世界中を席巻していますが、誰もが最初に心を動かされた瞬間があります。それは、初音ミクのアニメソングか、YOASOBIの「夜を駆ける」、Adoの「うっせいわ」なのかもしれません。最初の曲か、アーティストから始まり、徐々にそのジャンルに魅了されていくのです。

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(YOASOBIイメージサイト nikkeiトレンドより)

  皆さんのはまったジャンルはどれでしょうか。

  クラシック、ロック、ジャズ、フュージョン。そのどれもが魅力的でハマリましたが、音楽を聴く媒体はこの100年で大きく変りました。私と同年代の方は、そのすべての変遷を知っているのではないでしょうか。まずは、かのエジソンが発明した蓄音機で聞くレコードから始まり、リール型のテープレコーダー、カセット型のテープレコーダーから音楽を持ち運ぶことが可能となったソニーのウオークマン。そして、1980年代になるとデジタル録音が始まり、コンパクトディスクが登場。コンパクトディスクは小型化されMDへと進化。

  そこから音楽は、データとして取り扱われるようになり、ついにデータとして持ち運べるiPadが登場し、いまや音楽はストリーミングの時代へと突入しています。

  近年は、レコードが見直され、ディスクユニオンなどは本店のみではなく、各地でレコードの買い取りと販売店を立ち上げています。

  昭和の方々は、私と同じでレコードやCDに心をときめかせた世代だと思います。

  特に、ロックやジャズ、フュージョンの世界では、レコードやCDのジャケットが売り上げを左右するとあって、すべてのレコード会社がジャケットデザインに力を入れていました。プログレッシブロックの世界では、ピンクフロイドが「原子心母」で牛一頭の写真のみをあしらったヒプグノシスのジャケットやイエスが「こわれもの」で地球をあしらったロジャー・ディーンのジャケットなど、まさに芸術ともいえるジャケットが登場。音楽好きの間では、「ジャケット買い」なる言葉がはやりました。

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(YES「こわれもの」ジャケット amazon.co.jp)

  レコードやCDの時代、レコード製作会社で演奏者たちのアルバムづくりをコーヂィネートしていたのは、プロデューサーという人々です。彼らは、アルバム制作のコンセプトを企画し、アーティストや楽曲を選定し、予算を獲得してレコーディングを行い、作品を完成させます。場合によっては、その販売ルートを手配し、さらにはツアーの企画やライブ盤の企画も行います。

  また、このプロデューサーの他に、A&Rと呼ばれる仕事があります。これは、アーティスト&レパートリーの略で、レコード会社や出版会社の中で新しいアーティストを発掘し、その成長を促してデビューまでの道のりを形作る職業です。

  こうした人たちは音楽ファンにとっては裏方で、スタッフに名前が連なるのですが、実はこうした人たちが、我々が心から愛する音楽を支えていたのです。

「My Dear Artists ジャズ・レジェンドたちとの邂逅」

(伊藤潔著 シンコーミュージックエンターテイメント 20247月)

【あの名盤たちのプロデューサー】

  この本をいつもの本屋さんで見つけたときは、衝撃的でした。

  そこに出てくるアーティストたちの名前が、すべて私がハマッたレジェンドばかりだったのです。そこには、マイルス・デイビスからはじまり、渡辺貞夫、日野皓正、菊池雅章、ゲイリー・ピ-コック、笠井紀美子、增尾好秋、ハンク・ジョーンズ、佐藤允彦、ナンシー・ウイルソン、エディ・ゴメス、スティーヴ・ガット、リチャード・ティーなどなど、の名前が並び、名前を見るだけでクラクラするようです。

  このレジェンドたちと名盤を創った日本人がいたとは。知らない自分にあきれたほどでした。

  著者の伊藤潔氏は、1969年から今日までに180枚以上の名盤をアーティストたちとともに作り上げてきました。氏が最初にプロデュースしたレコードは、1969年発売のマイルス・デイビスの「Miles In Tokyo」でした。このとき氏は、当時立ち上がったばかりのレーベル、CBSソニーの新入社員で23歳だったというから驚きです。

  この本には、心から音楽を愛する若者が、音楽を愛しリスペクトするミュージシャンたちと音楽アルバムを作り上げていくプロセスが見事に語られています。

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(伊藤潔「My Dear Artists」 aqmazon.co.jp)

【渡辺貞夫との邂逅と音楽】

  ナベサダといえば、今や知らぬ人はいないレジェンドですが、92歳の現在でも各地でライブを行っています。ちょうど10年前、新宿ピットイン50周年の記念ライブが新宿文化センターで行われ、渡辺貞夫が2日間の大トリで登場しました。当時、82歳で久しぶりのライブパフォーマンスでしたが、得意のビパップをグルーブ満開で演奏しており、素晴らしい音を出していたのをよく覚えています。そのとき、曲と曲の間に幕間に下がってひたすらアドリブを練習している姿に感動しました。

  渡辺貞夫が日本で知られるようになったのは、1978年に発表した「カリフォルニア シャワー」がきっかけでした。このアルバムのプロデューサーも著者の伊藤潔さんだったのは、この本を読んで初めて知りました。このアルバムの曲は、当時、資生堂のCMに採用され、ナベサダの名前は日本中の人たちに知られるようになりました。

  このアルバムは、当時、西海岸でリー・リトナー&ジェントルソウツのアルバムのアレンジャーであったデイヴ・グルーシンの音に反応した伊藤さんが、その音を提案して創ったアルバムの2作目で、最先端のフュージョンミュージックを体現したアルバムでした。

  ナベサダの「マイ ディア ライフ」、「カリフォルニア シャワー」、「モーニング アイランド」は、フージョン3部作と言ってもよいウェストコーストの明るい音で、アルバムはどれも大ヒットしました。ナベサダの名前も広く知られて、TVCMにも出演していました。しかし、我々が知っているナベサダは、ほんの一面でしかないのです。

  この本では、伊藤さんと渡辺貞夫の永きにわたる遍歴が語られています。

(以下、ネタバレあり)

  伊藤さんが渡辺貞夫と初めてであったのは、1965年。ちょうど、渡辺貞夫がバークリー音楽院に留学し、その後にアメリカでの遠征から帰国したときです。伊藤さんはまだ大学生で、恩師だった内田修さんに誘われて帰国したばかりの渡辺貞夫と食事し、さらにはセッションも聞かせてもらったそうです。その後、貞夫にかわいがってもらい、麻布の家に毎週のように遊びに行ったそうです。

  伊藤さんは、CBSソニーに入社した1969年、渡辺貞夫のリーダーアルバム「パストラル」をプロデュースすることになります。このアルバムは、全曲オリジナルの記念すべき一枚となります。この後、伊藤さんは、1981年まで15枚のアルバムを渡辺貞夫と制作することになるのです。

  この本には、たくさんのミュージック ラヴァーが登場しますが、その中でも渡辺貞夫のマネージャーだった「あいミュージック」の鯉沼利成氏のすごさには驚かされました。

  1980年.日本人のジャズマンとして初めての武道館でのライブ録音の2枚組アルバムが発売されました。この武道館でのライブを企画、実現したのが鯉沼利成さんです。武道館でのライブというだけでも大仕事ですが、鯉沼さんは武道館を3日間押さえ、さらにチケットはソルドアウトにしたのです。このライブは、企画時からライブアルバムを発売することが決まっており、伊藤さんもプロデューサーを務めました。ライブは3日間でしたが、そのメンバーがすごい。

  ドラムスはスティーヴ・ガット、ベースはアンソニー・ジャクソン、キーボードはリチャード・ティー、ギターはエリック・ゲイル、パーカッションはラルフ・マクドナルド、そして、オーケストラは東京フィルハーモニックオーケストラという豪華なラインアップです。

  オーケストラとの共演は珍しく、オーケストラでジャズのグルーブをどう表現するかが勝負です。伊藤さんは、デイヴ・グルーシンに相談して、アレンジを依頼します。デイヴは、オーケストラアレンジを快諾するとともに、このライブのために新曲2曲を提供してくれます。そして、ジャズグルーブをだすために、リード・トランペットを送り込んでくれたのです。トランペットのジョン・ファディスは、こうしてクレジットされることとなりました。

  こうして、武道館ライブは大きな成功を収め、その演奏はアルバム「How’s Everything」として世に出ることになったのです。伊藤さんはこの本で、このアルバムが18枚の中で最も心に残り、ベストなアルバムだと語っています。

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(渡部貞夫アルバム「How's Everything」amazon.co.jp)

【そして名盤は生み出された】

  この本には、日本のジャズ・フュージョンの歴史がミュージシャンとの仕事を通じて語られています。

  ジャズヴォーカリストでは、笠井紀美子、伊藤君子、ナンシー・ウイルソン。笠井紀美子は、伊藤さんとは同年代で、のみ仲間だったそうです。最初の仕事がかのギル・エヴァンスとの録音という話も読みどころですが、この章では、日本のジャズミュージシャンがたくさん登場して、当時の日本のジャズシーンが蘇るようです。ベースの鈴木良雄、ピアノの菊池雅洋、ドラムの村上寛。村上寛は、後に笠井紀美子と結婚しています。

  個人的に最も心に残ったのは、エディ・ゴメスとスティーヴ・ガット、リチャード・ティーの章です。エディ・ゴメスは、ご存じの通り1966年から11年間、ビル・エヴァンス・トリオのベーシストを務めた名プレイヤーです。この章は1973年、ビル・エヴァンス・トリオが来日し、CBSソニーからライブ盤を出したときから始まります。そこで、エディと知り合った伊藤さんは、プロデュースをしていたピアニストの佐藤允彦さんからエディ・ゴメスとヂュオをやりたいというリクエストに応じて、エディとの共演をプロデュースします。ここから、エディとの仕事が始まり、スティーヴ・ガットとのトリオアルバムを制作することとなります。

  スティ-ヴ・ガットと言えば、エリック・クラプトンを始めジャンルを超えてあらゆるミュージシャンから招かれるスーパードラマーですが、伊藤さんとの絆はとても強いことがこの本を読めばわかります。伊藤さんが新た恣意レーベルを立ち上げたときに、スティ-ヴの新しいバンド「ガッド・ギャング」と契約が出来たのも、伊藤さんとスティーヴの強い信頼関係があったからです。

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(アルバム「THE GADD Gang」amazon.co.jp)

  ガッド・ギャングは、1980年代後半に来日公演も行いました。スティーヴとエディは、これより前にマイク・マイニエリとSTEPSというバンドを組んでおり、ピアノはドン・グルーニック、サックスがマイケル・ブレッカーという豪華メンバーでした。彼らが来日したときには、新宿ピットインでライブを堪能しました。スティーヴの生音の記憶は今でも忘れられません。

  この本には、スティーヴ・ガッドのインタビューも載っていて、ミュージシャンとプロデューサーの絆の強さを知ることが出来ます。

  音楽の話をすると止めどなく続きます。ジャズ・フュージョンファンの皆さん、ぜひこの本を手に取ってみてください。一週間くらいは音楽話が続けられること間違いなしです。この本を読んでいる間はまさに至福の時間でした、

  日本でも季節がなくなりつつありますが、もうすぐ日本列島は雨の季節に入りそうです。天気と体調には強い因果関係があるそうです。皆さん、音楽で気持ちを上げてこの季節を乗り切りましょう。

それでは皆さんお元気で、またお会いします

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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蔦屋重三郎 花街から躍り出たメディア王

こんばんは。

  皆さんは、タイムスリップするとすれば、どの時代に行きたいと思いますか。

  いくとするなら江戸時代です。江戸時代は言葉も通じるでしょうし、江戸は17世紀には世界で最も人口が多く、文化的にも栄えた都市だと言われています。さらに、江戸時代には交通も経済も発達しており、江戸、大坂、京都の3大都市を擁する日本は、当時の世界では先進国だったのではないでしょうか。

  しかし、江戸時代は265年も続いた時代です。一世代を30年と考えるとすれば、8代にもまたがるわけですから、その間のどの世代に降り立つかによって境遇はずいぶん違うのではないかと想像します。一方で、世界的に見ても、人類史上これだけ長い間平和が続いた政権はまれなのではないでしょうか。そう考えれば、江戸時代の何処にに降り立ってもすぐに殺されることはなさそうです。

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(江戸時代 交通網の起点 広重の日本橋)

  時代の幸せ感から考えると、江戸時代は戦後の日本とよく似て平穏で平和な気がします。

  確かに265年と戦後の80年が同じというのもおかしな話ではありますが、現代の進化速度を考えれば、当時の265年を80年と比較することは必ずしも不合理とは思えません。

  徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いたのは1603年です。戦国時代から群雄割拠によって日本全国で戦いが続き、その結果、天下を統一した豊臣秀吉は、せっかく実現した平和にもかかわらず、あろうことか朝鮮に出兵し日本全国を疲弊させました。徳川家康が、大河ドラマのように「平和」を希求して天下を収めたとは思えませんが、家康が日本の繁栄を目指したことは間違いなさそうです。

  戦後80年を江戸時代の年月に換算すると、現代の1年間は江戸時代の33ヶ月と考えることが出来ます。戦後の復興期は約10年。昭和30年代には高度成長期に入り、「もはや戦後ではない」と言われました。東京オリンピックの開催は昭和36年でした。その後、高度成長期は続き、その15年後には、バブル景気を招くことになります。

  昭和の高度成長は、江戸時代、第5代将軍徳川綱吉の時代に好景気に沸いた元禄時代になぞらえられます。元禄が始まったのは、1688年。ここから1704年まで続きますが、この間に元禄文化が花開きます。読み物では、「好色一代男」の井原西鶴、俳句では「奥の細道」の松尾芭蕉、浄瑠璃で一世を風靡した近松門左衛門などキラ星のような才能が輝きます。

  江戸幕府から元禄文化までは約100年。終戦から戦後復興を経てバブル景気まで約40年。江戸時代と現代は、よく似ていると思えてなりません。元禄時代には、様々な事件も起きています。元禄期には、かの有名な「赤穂浪士事件」が起きています。また、江戸も現代と同様に様々な災害に見舞われています。1682年には、八百屋お七で知られる天和の大火で大きな被害を受け、1703年には、元禄地震、元号が変った翌年には、浅間山の大噴火。さらに2年後には富士山の噴火、そして宝永地震と立て続けに災害に見舞われているのです。

  これは、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災と大きな災害に見舞われた現在と重なるように思えます。

  現代の日本は、幸いなことに「平和」が続いていますが、江戸時代と同様にこの平和が永く続くことを願います。

  さて、江戸時代と言えば今年の大河ドラマでは、江戸の出版文化の新たなページを切り開いた粋な男、蔦屋重三郎が主役。あまり我々にはなじみのない名前ですが、なぜ彼が大河ドラマの主役となるのか、それを知るために一冊の本を読みました。

「面白すぎて誰かに話したくなる 蔦屋重三郎」

(伊藤賀一著 リベラル新書 2024年)

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(伊藤賀一著 新書「蔦重」amazon.co.jp)

【蔦屋重三郎とは何者なのか】

  蔦屋重三郎は、1750年に江戸の吉原で生まれました。バブルになぞらえられる元禄時代から下ること約50年、江戸幕府から公認されていた花街である吉原。そこで生まれ、そこで育った重三郎はいったい何をした男なのでしょう。

  皆さんは、フランスで花開いた印象派の絵画はお好きですか。印象派と言えば、モネの睡蓮、ルノワールの少女、ドガの踊り子、それに続くゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどなど、日本人には大人気の絵画群が思い起こされます。

  こうした印象派の画家たちが大きな影響を受けたのが日本の浮世絵です。

  葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽などなど、モネのジュベルニーのある自宅の食堂は浮世絵で満たされていました。また、ゴッホは、自らの絵画に生かすために多くの浮世絵を模写していました。また、ルノワールもジャポニズムを背景とした少女の絵を残しています。そして、皆さんもこうした浮世絵師たちの名前はよくご存じだと思います。

  実は、世界に冠たる浮世絵師たちを世に出したプロデューサーが蔦屋重三郎だったのです。彼は、閉鎖的な江戸の出版文化に風穴を開け、江戸に新たな文化を根付かせることに成功しました。それは、アカデミックなものではなく、自らが江戸の大衆に受けると信じた黄表紙本や浮世絵、はたまた狂歌本を次から次へと世に出して、メディア王と言ってもよい活躍をしたのです。

  驚きなのは、彼の生涯が47年に過ぎなかったという事実です。

  江戸時代には、乳児の死亡率が高く、平均寿命は40歳前後と言われていますが、まさに「人生50年」を地で行ったといえるかもしれません。それにしても、70歳まで現役で働いている現代人から見れば短かすぎる人生ですが、彼の死に際は、その生き方同様に見事です。

  江戸っ子と言えば、野暮を嫌い「粋」でけんかっ早く、人情に厚いとの印象ですが、蔦屋重三郎(以下、蔦重と言います。)も江戸っ子そのものだったようです。その経歴を見ると、蔦重は何事にもめげずにひたすら前進する、「前向き」の塊のように見えますが、実はその出自には悲しさが伴っています。

  吉原で生まれた蔦重は、幼くして両親が離別するという悲しみを味わったうえ、その両親がどちらも引き取りを拒否したことから7歳にして、吉原の引手茶屋である喜多川家に養子として引き取られることになります。そして、吉原の引手茶屋の仕事を手伝いながら、義兄が開いていた引手茶屋「蔦屋」の軒先を間借りして、小さな書店を開きます。このとき蔦重は22歳でした。

【江戸文化を変えるまでの成長】

  蔦重がなぜ書店を営もうと思ったのかは、想像するしかありません。

  江戸の吉原と言えば、頂点に立つ花魁から、鼓楼の中に顔見せする数百人の遊女たちがその美しさを競いあう花街です。当時、この花街の遊女を紹介するガイドブックが販売されていました。その本は、俗に「吉原細見」と呼ばれます。この本の版元は日本橋の地本問屋「鶴鱗堂」で、ほぼ独占状態でした。蔦重は、吉原に培った人脈の力で、この本の販売代理店になることに成功したのです。つまり、「吉原細見」を仕入れて販売する商売を始めたわけです。

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(歌麿が描いた吉原花魁の浮世絵)

  ところが、小売りを初めて2年後、版元の「鶴鱗堂」の手代が上方の版元と同じ本を重版するという罪を犯し、「鶴鱗堂」では一時期「吉原細見」を出版することが出来なくなったのです。これをチャンスととらえたのが蔦重でした。

  蔦重は、自ら吉原の内外に築いた人脈をフルに利用して、「吉原細見」に変る新たな吉原のガイド本を出版したのです。それは、吉原にある遊郭各店にいる花魁を花に見立てて紹介する遊女紹介本「一目千本」というガイド本でした。蔦重は、従来の単なる紹介本から花魁の絵図をふんだんに使って視覚に訴える小冊子を自ら出版したのです。

  彼が巧妙だったのは、このガイドブックを有料で販売せず、吉原で最も裕福な客のみを相手する花魁にもたせて、無料で客たちに配布したのです。この本は、富裕層の顧客(上級武士や豪商)たちの間で評判となり、蔦重の本も順調に販売数を伸ばしたのです。

  こうして順調に売り上げを伸ばした蔦重は、10年後には従来の「吉原細見」の版権を次々に買い取って、吉原ガイド本をすべて独占するまでに大きくなったのです。蔦重が統一して出版した「吉原細見」には、当時マルチな才能で人気者だった平賀源内が序文を書いたことから、大いに評判をとることになりました。

  いま、大河ドラマではこのあたりが進行していますね。

  「吉原細見」の独占までにも蔦重は、「貸本行」の株を手に入れ、さらに売り上げを伸ばし、義兄の軒先から独立し、「耕書堂」という店舗を立ち上げます。そして、寺子屋の教科書の出版、当時の小説の新ジャンルである黄表紙の出版にも手を広げます。

  当時の江戸には、参勤交代で江戸つめとなっていた全国各藩の武士たちが集まり、さらには商家の次男、三男など、様々な人材が才能を発揮し、小説本を執筆していました。蔦重は、人脈作りに精を出し、信用と信頼を勝ち取り、老舗で黄表紙を書いていた恋川春町などの著者を引き抜きます。武家であった山東京伝も蔦重で黄表紙を執筆して大当たりします。

  ここから勢いを増す蔦重は、当時、流行していた狂歌に目をつけます。狂歌とは、上の句、下の句で世の中を粋にニヤリとさせる短歌のことです。川柳は俳句と同じ五七五ですが、その短歌版が狂歌というわけです。狂歌の流行はすさまじく、蔦重は自ら号を持って狂歌の集まりである「連」を主催して、それを扱う狂歌本を出版。大いに売り上げを伸ばします。

  蔦重は、こうした躍進を背景に、吉原から出て大手版元が集まる日本橋に出店することになるのです。

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(葛飾北斎が描いた蔦重の「耕書堂」)

【試練をも糧にして進む蔦重】

  昔から、「好事魔多し」と言いますが、順調すぎるときには割ることが起きるものです。

  蔦重37歳のとき、江戸幕府では第11代将軍に徳川家斉が就きました。そして、その老中首座に松平定信が就任したのです。松平定信は、「寛政の改革」に着手し、倹約令を発布、世相の風紀引き締めを徹底したのです。

  当時は流行していた黄表紙や狂歌絵本は、世の中を面白おかしく風刺することで人気を得ていました。幕府への批判と受け取られるような内容はすべて取り締まりの対象となり、蔦重の「耕書堂」も著者共々、お上から咎めを受けることとなるのです。

  しかし、蔦重の超ポジティブな人生は、そんなことではめげることがありませんでした。幕府から資産没収の憂き目に遭った後、蔦重は喜多川歌麿、東洲斎写楽などの浮世絵の大流行の火付け役となるのです。


  と、すべてのネタをばらすのは、「粋」ではありません。蔦重の人生の面白さは、ぜひ皆さんそれぞれで味わってください。その生き方を見れば、つまらない日常も楽しい人生に見えてくるかもしれません。

  桜も散って、季節は夏へと向かいますが、まだまだ寒暖差は激しそうです。どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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南直哉 一切皆苦を語るエッセイ

こんばんは。

  久しぶりに南直哉さんの本を読みました。

  南直哉さんは曹洞宗の僧侶です。会社員の身から一念発起して出家。曹洞宗の大本山である永平寺にて約20年間修行し、2005年からは青森県の恐山菩提寺の院代を務めています。

  このブログの最初の記事は20102月付ですので、今年で15年を迎えることになります。南直哉さんの本との出会いは、ブログを始めて2ヶ月後でした。その本は、脳科学者の茂木健一郎さんとの対談本、「人は死ぬから生きられる」でした。当時は茂木さんの本にはまっていて、その一環で読んだ本なのですが、茂木さんは直哉さんと対談するためにわざわざ恐山に足を運び、この対談を行って本として上梓したのです。

  この対談で直哉さんは、仏教の教えや禅の心得などではなく、自らのフィルターを通して考え抜いた生き方や人への接し方、物事の考え方など、常識にとらわれない形で語っており、その語りは眼からうろこが落ちるようでした。

  この対談で直哉さんの語りに魅了され、すぐにちくま文庫から発売されている「語る禅僧」という本を読みました。この本の面白さは、2011213日のブログで紹介したとおりです。僧侶というと、法要のときに読経したあとに行われる説法を思い出して、その説教臭さに辟易しとした記憶がよぎりますが、直哉さんの本には説教くささは皆無です。

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(文庫版「語る禅僧」 amazon.co.jp)

  今回手にした本は、これまでになく変ったタイトルです。

「苦しくて切ないすべての人たちへ」

(南直哉著 新潮新書 2024年)

【ワンダーに響く言葉とは】

  このブログを書いていて、いつも思うのは「言葉」の選択の難しさです。

  直哉さんは、その語りの中で「言葉」の役割について、仏教を考え、伝えるための重要な手段だとしていますが、「言葉」は人と人をつなぐ手段でもあります。

  これまでも直哉さんは、その著作で自ら歩んできた道のりを語っていますが、この本ではこれまで語られなかった過去も語られています。それは、直哉さんの言葉がどのように形作られてきたかを物語るワンダーを秘めています。

  例えば、学生時代。大学生だった直哉さんは、ほとんど学校に行かず、下宿に「ひきこも」っていたといいます。その頃の毎日は、午前10時頃に起きてパンの耳をかじり、道元禅師の「正法眼蔵」とハイデガーの「存在と時間」を読みふけり、午後4時頃から銭湯での湯浴みと外食、それから帰って哲学・思想関係の本を乱読しながら明け方まで妄想とメモ書き、というものだったと書いています。

  直哉さんは、「なぜ自分が生まれてきたのか」、「自分はなぜ存在しているのか」、この答えを知りたいとの欲求が昂じて、ついには出家してしまったという過去を持ちます。さらに、永平寺での修行によって精進し、数千年の歴史を持つ仏教思想を掻き込むようにして学んだのだと思います。直哉さんの本を読むと、彼の学んだ仏教は決して机上の理屈ではなく、毎日の毎時の毎分の毎秒の実践によって経験してきたものなのだと想像できます。

  こうした経験を積んできた直哉さんは、「言葉」の持つ重要性とあやうさを良く知っています。

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(単行本「超越と実在」 amazon.co.jp)

  この本にあるエピソードですが、「宗教対話」の実践としてある会議に訪れたとある神父との話。会議後に雑談をしている中で、話の最後に神父は、「結局、仏教は神の存在を認めないのですね。」と問いかけます。直哉さんの答えは、「いいえ、単に必要がないのです。」

  また、禅の修行にきたキリスト教の修道女が修行をして曰く、「あなたの説明によると、座禅とは石になるのと変らないのではありませんか。」答えて曰く、「それではいけませんか?石と人間と何が違うのですか。」、「人間には心があります。」

  直哉さんの返事は、「石に心がないとどうしてわかったのですか?」

  この話は、第三章の「真理」への欲望の項に出てくる話ですが、「言葉」の持つ諸刃の性質を良く物語っています。この本には、そんな直哉さんのワンダーな言葉がすべての話に秘められているのです。

【「一切皆苦」とは何か】

  ところで、第44代アメリカ大統領となったドナルド・トランプ氏ですが、ロシアの侵攻から丸3年となるウクライナ戦争の停戦交渉に意欲を示しています。

  この戦争で、ロシアは2014年に一方的にクリミア半島を占領し、さらに20222月にはウクライナの東側の領土に侵攻して、現在東部と南部の州を事実上統治下におき、さらなる侵攻を続けています。ロシア側の兵士の死者は95000人以上、ウクライナ軍の死者は45000人以上になると言います。あまつさえ、ロシア軍の攻撃によるウクライナ民間人の死者は、659人の子供を含め12000人以上に登ると言われています。

  ウクライナとの国境を侵して侵略を開始したのはプーチン大統領であり、これだけの無垢な命を死に追いやったのはロシア側です。こうした事実を無視して、トランプ大統領は被害者であるウクライナのゼレンスキー大統領を無視してロシアと和平交渉を進めようとしています。

  話を整理すると、まずトランプ大統領は、ウクライナに対してアメリカが支援した10兆円の武器や資金に対して見返りを要求しました。それは、ウクライナ領土に眠るレアメタルなどの鉱物資源を対価として提供しろ、という要求です。ゼレンスキー大統領は、アメリカとの関係を良好に保つため鉱物資源地図を提供したものの、採掘協定に関しては協定内にウクライナの安全保障に関する条項がないことを理由に保留しました。

  すべての政策をディール(取引)と考えているトランプ大統領にとって、このことはよほど腹に据えかねたと見え、ロシア寄りの発言を連発するようになりました。

「プーチンが望めば、ロシアはウクライナ全土を占領できる。」

「ゼレンスキー大統領の支持率は4%だ。(実際は57%)」

「ゼレンスキー大統領は選挙なき独裁者だ。」

  ウクライナ抜きの停戦交渉の開始をはじめとしたこうした一連の発言は、多くの罪なき死者やその家族を冒瀆し、戦争を是認する非人道的な発言であるとともに、ウクライナ市民の悲しみをさらに深いものへと追いやります。

  今日、ゼレンスキー大統領はアメリカに行き、トランプ大統領と面談し鉱物資源採掘権の協定を締結するものとみられています。その動きがわかったとたん、トランプ大統領は「独裁者」発言を、「そんなことを言ったとは信じられない。」と知らぬ存ぜぬを決め込みました。これだけの人類史上の悲劇に対して、ディールと同等に相対するそのメンタリティーは人とは思えません。

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(「信じられない」発言 sankei.comより)

  こうした悲劇を見ると、ブッタの教えにある「一切皆苦」という言葉には真実が含まれるように思えます。今の日本は平和が続く幸せな国ですが、ここでも非正規労働者問題や母子家庭問題、ヤングケアラーの問題など、人生の喜怒哀楽はすべて「苦」に通じているというブッタの言葉には頷かざるを得ません。

  この本の題名「苦しく切ないすべての人たちへ」には、ブッタの教えが反映されているのです。

【苦労話は自慢話?】

  この本は、ある雑誌に連載されていたエッセイを本にまとめて上梓されたものですが、連載当時の表題は「坊さんらしく、ない。」だったそうです。

  この本の目次を見ると、確かにその言葉が見受けられます。

はじめに

第一章 恐山夜話
第二章 禅僧の修行時代
第三章 お坊さんらしく、ない
第四章 よい宗教、悪い宗教
第五章 苦と死の正体

  直哉さんの本がワンダーなのは、仏教の話にもかかわらず、そこに説法くささが微塵も感じられないところにあります。しかし、当のご本人は、「そろそろ、まじめに仏教のことを書いたらどうか。」という人からの助言に対して、「冗談ではない!私は最初から仏教の話を書いている。」と憤っています。

  その理由は、直哉さんが仏教学者や宗教家とは異なり、すべてを自らの経験と言葉で書いていることにあるのではないでしょうか。

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(「苦しくて切ないすべての人たちへ」 amazon.co.jp)

  まさに第三章には、この話が出てきます。直哉さんは、3歳の時に小児ぜんそくを悪化させ、いつ窒息死してもおかしくない押し迫った危機感が身についてしまったと言います。そして、自らの生死を考えるために仏門に入ってからも、「諸行無常」や「無我」、「縁起」という言葉が研究対象ではなく、そのものが自らを表す言葉だった、そうなのです。

  ある人は氏の本を読んで、「君は仏教で自分語りをした草分けだね。」と言ったそうですが、その言葉は直哉さんのエッセイの本質を言い当てているのかもしれません。さらに直哉さんの語りがワンダーなのには、ある教訓が生きているからなのです。それは、父親が語っていたという言葉でした。「他人の自慢話は誰も聞きたくないだろう?苦労話は自慢話と同じだ。どうしてもしなければならないときは、笑い話にして言え。」 なるほどナア。

【目から鱗のワンダー】

  さて、この本の最後の章には、目から鱗のワンダーが詰まっています。

  最近はやりと言ってもよい「死後」を見越した「終活」に秘められた不毛とは。ちまたで語られる「親ガチャ」とは、実は仏教の教えそのものだった?今、誰もが口にする「プラス思考」に隠される落とし穴とは何か。さらには、ものや人を所有物と見なす市場至上主義が持つ危険な本質。現代社会には、矛盾に満ちた考えが当たり前のこととしてまかり通っています。

  直哉さんの語りは、人類の繁栄が人の幻想から形作られた、と語る歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏を思い起こさせるワンダーな一面を持っています。ぜひ、皆さんもワンダーを秘めた直哉さんの語りに引き込まれてください。今日とは異なる明日が見えてくるかもしれません。


  このところ激しい寒暖差が続きます。くれぐれもご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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