辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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南直哉 一切皆苦を語るエッセイ

こんばんは。

  久しぶりに南直哉さんの本を読みました。

  南直哉さんは曹洞宗の僧侶です。会社員の身から一念発起して出家。曹洞宗の大本山である永平寺にて約20年間修行し、2005年からは青森県の恐山菩提寺の院代を務めています。

  このブログの最初の記事は20102月付ですので、今年で15年を迎えることになります。南直哉さんの本との出会いは、ブログを始めて2ヶ月後でした。その本は、脳科学者の茂木健一郎さんとの対談本、「人は死ぬから生きられる」でした。当時は茂木さんの本にはまっていて、その一環で読んだ本なのですが、茂木さんは直哉さんと対談するためにわざわざ恐山に足を運び、この対談を行って本として上梓したのです。

  この対談で直哉さんは、仏教の教えや禅の心得などではなく、自らのフィルターを通して考え抜いた生き方や人への接し方、物事の考え方など、常識にとらわれない形で語っており、その語りは眼からうろこが落ちるようでした。

  この対談で直哉さんの語りに魅了され、すぐにちくま文庫から発売されている「語る禅僧」という本を読みました。この本の面白さは、2011213日のブログで紹介したとおりです。僧侶というと、法要のときに読経したあとに行われる説法を思い出して、その説教臭さに辟易しとした記憶がよぎりますが、直哉さんの本には説教くささは皆無です。

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(文庫版「語る禅僧」 amazon.co.jp)

  今回手にした本は、これまでになく変ったタイトルです。

「苦しくて切ないすべての人たちへ」

(南直哉著 新潮新書 2024年)

【ワンダーに響く言葉とは】

  このブログを書いていて、いつも思うのは「言葉」の選択の難しさです。

  直哉さんは、その語りの中で「言葉」の役割について、仏教を考え、伝えるための重要な手段だとしていますが、「言葉」は人と人をつなぐ手段でもあります。

  これまでも直哉さんは、その著作で自ら歩んできた道のりを語っていますが、この本ではこれまで語られなかった過去も語られています。それは、直哉さんの言葉がどのように形作られてきたかを物語るワンダーを秘めています。

  例えば、学生時代。大学生だった直哉さんは、ほとんど学校に行かず、下宿に「ひきこも」っていたといいます。その頃の毎日は、午前10時頃に起きてパンの耳をかじり、道元禅師の「正法眼蔵」とハイデガーの「存在と時間」を読みふけり、午後4時頃から銭湯での湯浴みと外食、それから帰って哲学・思想関係の本を乱読しながら明け方まで妄想とメモ書き、というものだったと書いています。

  直哉さんは、「なぜ自分が生まれてきたのか」、「自分はなぜ存在しているのか」、この答えを知りたいとの欲求が昂じて、ついには出家してしまったという過去を持ちます。さらに、永平寺での修行によって精進し、数千年の歴史を持つ仏教思想を掻き込むようにして学んだのだと思います。直哉さんの本を読むと、彼の学んだ仏教は決して机上の理屈ではなく、毎日の毎時の毎分の毎秒の実践によって経験してきたものなのだと想像できます。

  こうした経験を積んできた直哉さんは、「言葉」の持つ重要性とあやうさを良く知っています。

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(単行本「超越と実在」 amazon.co.jp)

  この本にあるエピソードですが、「宗教対話」の実践としてある会議に訪れたとある神父との話。会議後に雑談をしている中で、話の最後に神父は、「結局、仏教は神の存在を認めないのですね。」と問いかけます。直哉さんの答えは、「いいえ、単に必要がないのです。」

  また、禅の修行にきたキリスト教の修道女が修行をして曰く、「あなたの説明によると、座禅とは石になるのと変らないのではありませんか。」答えて曰く、「それではいけませんか?石と人間と何が違うのですか。」、「人間には心があります。」

  直哉さんの返事は、「石に心がないとどうしてわかったのですか?」

  この話は、第三章の「真理」への欲望の項に出てくる話ですが、「言葉」の持つ諸刃の性質を良く物語っています。この本には、そんな直哉さんのワンダーな言葉がすべての話に秘められているのです。

【「一切皆苦」とは何か】

  ところで、第44代アメリカ大統領となったドナルド・トランプ氏ですが、ロシアの侵攻から丸3年となるウクライナ戦争の停戦交渉に意欲を示しています。

  この戦争で、ロシアは2014年に一方的にクリミア半島を占領し、さらに20222月にはウクライナの東側の領土に侵攻して、現在東部と南部の州を事実上統治下におき、さらなる侵攻を続けています。ロシア側の兵士の死者は95000人以上、ウクライナ軍の死者は45000人以上になると言います。あまつさえ、ロシア軍の攻撃によるウクライナ民間人の死者は、659人の子供を含め12000人以上に登ると言われています。

  ウクライナとの国境を侵して侵略を開始したのはプーチン大統領であり、これだけの無垢な命を死に追いやったのはロシア側です。こうした事実を無視して、トランプ大統領は被害者であるウクライナのゼレンスキー大統領を無視してロシアと和平交渉を進めようとしています。

  話を整理すると、まずトランプ大統領は、ウクライナに対してアメリカが支援した10兆円の武器や資金に対して見返りを要求しました。それは、ウクライナ領土に眠るレアメタルなどの鉱物資源を対価として提供しろ、という要求です。ゼレンスキー大統領は、アメリカとの関係を良好に保つため鉱物資源地図を提供したものの、採掘協定に関しては協定内にウクライナの安全保障に関する条項がないことを理由に保留しました。

  すべての政策をディール(取引)と考えているトランプ大統領にとって、このことはよほど腹に据えかねたと見え、ロシア寄りの発言を連発するようになりました。

「プーチンが望めば、ロシアはウクライナ全土を占領できる。」

「ゼレンスキー大統領の支持率は4%だ。(実際は57%)」

「ゼレンスキー大統領は選挙なき独裁者だ。」

  ウクライナ抜きの停戦交渉の開始をはじめとしたこうした一連の発言は、多くの罪なき死者やその家族を冒瀆し、戦争を是認する非人道的な発言であるとともに、ウクライナ市民の悲しみをさらに深いものへと追いやります。

  今日、ゼレンスキー大統領はアメリカに行き、トランプ大統領と面談し鉱物資源採掘権の協定を締結するものとみられています。その動きがわかったとたん、トランプ大統領は「独裁者」発言を、「そんなことを言ったとは信じられない。」と知らぬ存ぜぬを決め込みました。これだけの人類史上の悲劇に対して、ディールと同等に相対するそのメンタリティーは人とは思えません。

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(「信じられない」発言 sankei.comより)

  こうした悲劇を見ると、ブッタの教えにある「一切皆苦」という言葉には真実が含まれるように思えます。今の日本は平和が続く幸せな国ですが、ここでも非正規労働者問題や母子家庭問題、ヤングケアラーの問題など、人生の喜怒哀楽はすべて「苦」に通じているというブッタの言葉には頷かざるを得ません。

  この本の題名「苦しく切ないすべての人たちへ」には、ブッタの教えが反映されているのです。

【苦労話は自慢話?】

  この本は、ある雑誌に連載されていたエッセイを本にまとめて上梓されたものですが、連載当時の表題は「坊さんらしく、ない。」だったそうです。

  この本の目次を見ると、確かにその言葉が見受けられます。

はじめに

第一章 恐山夜話
第二章 禅僧の修行時代
第三章 お坊さんらしく、ない
第四章 よい宗教、悪い宗教
第五章 苦と死の正体

  直哉さんの本がワンダーなのは、仏教の話にもかかわらず、そこに説法くささが微塵も感じられないところにあります。しかし、当のご本人は、「そろそろ、まじめに仏教のことを書いたらどうか。」という人からの助言に対して、「冗談ではない!私は最初から仏教の話を書いている。」と憤っています。

  その理由は、直哉さんが仏教学者や宗教家とは異なり、すべてを自らの経験と言葉で書いていることにあるのではないでしょうか。

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(「苦しくて切ないすべての人たちへ」 amazon.co.jp)

  まさに第三章には、この話が出てきます。直哉さんは、3歳の時に小児ぜんそくを悪化させ、いつ窒息死してもおかしくない押し迫った危機感が身についてしまったと言います。そして、自らの生死を考えるために仏門に入ってからも、「諸行無常」や「無我」、「縁起」という言葉が研究対象ではなく、そのものが自らを表す言葉だった、そうなのです。

  ある人は氏の本を読んで、「君は仏教で自分語りをした草分けだね。」と言ったそうですが、その言葉は直哉さんのエッセイの本質を言い当てているのかもしれません。さらに直哉さんの語りがワンダーなのには、ある教訓が生きているからなのです。それは、父親が語っていたという言葉でした。「他人の自慢話は誰も聞きたくないだろう?苦労話は自慢話と同じだ。どうしてもしなければならないときは、笑い話にして言え。」 なるほどナア。

【目から鱗のワンダー】

  さて、この本の最後の章には、目から鱗のワンダーが詰まっています。

  最近はやりと言ってもよい「死後」を見越した「終活」に秘められた不毛とは。ちまたで語られる「親ガチャ」とは、実は仏教の教えそのものだった?今、誰もが口にする「プラス思考」に隠される落とし穴とは何か。さらには、ものや人を所有物と見なす市場至上主義が持つ危険な本質。現代社会には、矛盾に満ちた考えが当たり前のこととしてまかり通っています。

  直哉さんの語りは、人類の繁栄が人の幻想から形作られた、と語る歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏を思い起こさせるワンダーな一面を持っています。ぜひ、皆さんもワンダーを秘めた直哉さんの語りに引き込まれてください。今日とは異なる明日が見えてくるかもしれません。


  このところ激しい寒暖差が続きます。くれぐれもご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

houkaimori05.jpg

(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2025年 明けましておめでとうございます

令和七年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 今年は巳年です。巳は、皮を脱ぎ捨てて新たになることから復活と再生の象徴だと言います。世界ではロシアやイスラエルによる戦争が罪のない平和を祈る人々の日常を無残に蹂躙しています。たとえ、どのような理由があろうと人は幸福になるべく生まれてきたのです。一刻でも早く争いをやめ、平和の復活と再生が成ることを心から祈ります。また、世界では極右政党が各国の議会で多数派となり、保守主義のトランプ氏がアメリカの大統領に復活し、世界の分断が一層大きくなろうとしています。

 「サピエンス全史」の著者ハラリ氏は、新たに上梓した「NEXSUS(絆?)」の中で、「情報」を未来のキーワードとして取り上げています。SNSでは、「嘘」の方が人々の間に広まりやすく、拡散しやすいと述べるとともに、この特性を利用することで、多くの意見が行き交う「民主主義」よりも、ひとつの意見が一方通行で流れる「独裁主義」の方が今後、情報による恩恵を受けやすくなるとも語っています。事実、昨今の選挙ではSNSの特性をうまく利用することが勝利へのカギを握っています。
 さらにハラリ氏は、AI(人口知能)の進化に警鐘を鳴らします。なぜなら、これまでサピエンスが発明したテクノロジーの中で、AIは初めてサピエンスのコントロールから離れて自立性を持つ道具であり、サピエンスにとっては未知の道具となるからです。こうした意味で、今年はサピエンスの歴史分岐となる年になるかもしれません。

 今年も「日々雑記」では、面白い本と音楽を紹介していきます。いつもご訪問頂いている皆様、本当にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 寒さ厳しき折、皆様にはくれぐれもご自愛ください。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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篠崎史紀 マロが語る人と音楽の世界

こんばんは。

  今年もすっかり押し迫りました。皆さん、お元気にお過ごしですか。

  今年は、コロナ禍ウィルス防衛の反動で、インフルエンザやマイコプラズマ、新型コロナが大流行しているそうです。私の周りでも、インフルなどの症状がちらほらと見え始めています。皆さんもどうぞご自愛ください。

  そんな中ですが、私自身は相変わらず音楽三昧と読書の日々を過ごしています。

  クラシック界では、一時体調不良で来日が延期されていた大指揮者ブロムシュテットさんが10月に来日して元気な姿と素晴らしい演奏を披露してくれました。今回は、ご自身の故郷でもある北欧の音楽家の作品を指揮すると同時に、シューベルトの交響曲を聴かせてくれました。とても97歳とは思えない探究心にあふれた表現は我々を魅了してくれました。

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(N響 ブロムシュテット公演 yomiuri.com)

  シューベルトの交響曲と言えば、今月、あのパーヴォ・ヤルヴィさんがドイツカンマーフィルとともに来日していたのをご存じですか。そのセットリストになんとシューベルトの交響曲第7盤(8番という人もいます。)「未完成」がはいっていたのです。長らくクラシックのコンサートに足を運んでいますが、「未完成」をライブで聴くのはこれが初めてです。ワクワクでした。

  「未完成」と言えば、父が持っていたラファエル・クーベリックがウィーンフィルを指揮したレコードが最も耳慣れた演奏です。シューベルトと言えばロマン派の代表ですが、この交響曲もその名の通りエモーショナルな主題と変奏に貫かれており、クーベリックはその魅力を引き出し、夢を追って突き進むような演奏が我々の胸に熱い想いを蘇らせてくれます。

  特に素晴らしいのは、第1楽章に仕掛けられた第1主題と第2主題のエモーショナルなメロディです。この交響曲は、コントラバスによる主題につながる動機の提示から始まりますが、たった8小節の動機が第1楽章すべてを支配します。ところが、レコードではこの動機があまりに低音で奏でられるため、音量を上げなければ聞き取れないのです。ところが、動機が終わって主題部に移ると、オーケストラの音が大きくなり、動機で音量を上げて聞いていると、音量を下げなければ聴いていることが出来なくなるのです。

  しかし、ライブでは違いました。

  ヤルヴィ指揮のカンマーフィルの「未完成」は、はじまるや、後方の左翼に並んだ3基のコントラバスが重厚にはじまりの動機を奏で、(あたりまえのことですが)、その響きが胸にしみいってきたのです。やはりライブはかけがえのない場に他なりません。いきなり、心をわしづかみにされた気持ちになりました。そこからはじまった「未完成交響曲」は、まるで2幕の舞台のように疾風怒濤の音楽を奏で、感動の渦に巻き込まれました。

  クーベリックの「未完成」に比べれば、テンポは少し抑え気味で、疾走感と胸に迫る重厚感を見事なバランスで内包した素晴らしい演奏でした。テレビで見たブロムシュテットさんの未完成もテンポが同じ感じで、近年のロマン派の交響曲への解釈がクーベリックの時代とは変ってきたことが感じられました。

  ヤルヴィ指揮に感動した2日後には、別のコンサートに足を運びました。

  こちらは、ヴァイオリンソナタです。ヴァイオリニストはベルリンフィル第1コンサートマスターの樫本大進さん、そしてピアニストは2005年のジョパンコンクールで優勝し、最もショパンをよく弾くと言われるラファウ・プレハッチさん。大進さんは7色の音色と、強靱さと繊細さを併せ持つ唯一無二のヴァイオリニスト。今年は、大進さんが弾くブラームスのヴァイオリンソナタを聴き、すっかりブラームスにはまりました。

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(大進 プレハッチ デュオ公演チラシ)

  この日のプログラムは、モーツアルト、ベートーベン、ドビュッシー、武満徹、フランクという豪華なラインアップでした。ベートーベンのヴァイオリンソナタと言えば、「春」と「クロイツェル」が有名ですが、この日は第7番。初めて聴くヴァイオリンソナタでしたが、4つ楽章に込められた伸びやかで、魅力的な旋律が大進さんのヴァイオリンから流れ出し、心を動かされました。

  さらに感動したのは、ドビュッシーです。ドビュッシーのヴァイオリンソナタは、彼の遺作となりましたが、その繊細さと感性のひらめきは健在で、最も有名なピアノ作品「月の光」をしのぐ美しさと言っても過言ではありません。プレハッチさんのピアノはよりリリカルなタッチで一見不揃いな和音を美しく引きたたせ、大進さんのヴァイオリンがさらにつややかな音で彩っていきます。感動しました。

  さて、前段が長くなりましたが、これにはわけがあります。今回ご紹介する本は、日本が誇る管弦楽団、NHK交響楽団の主席コンサートマスターであった篠崎マロ史紀さんが上梓した、人生と音楽を綴ったエッセイなのです。

「音楽が人智を越える瞬間(とき)」

(篠崎史紀著 ポプラ新書 2024年)

【還暦を迎えたコンサートマスター】

  コンマスとは、コンサートマスターの略称ですが、マロこと篠崎さんは、1997年にNHK交響楽団(以下、N響)のコンサートマスターに就任。様々な指揮者たちのもと、楽団をまとめあげてきましたが、昨年、還暦を迎え定年にて主席コンマスを退任しました。

  日本でこれほど海外の著名な指揮者が指揮した楽団は、N響以外にありません。

  現在、日曜日の夜9時にはEテレで、クラシック音楽館が放送されていて、毎週楽しみにしています。今、N響の首席指揮者はイタリアの名匠ファビオ・ルイージさんですが、その前は私が大ファンであるパーヴォ・ヤルヴィさんでした。その他にもシャルル・デュトワ、ブロムシュテット、アシュケナージ等々、錚々たる巨匠たちがその名を連ねています。

  テレビでその名演奏を見ていると、必ず指揮者の左横の席にはマロさんがいて、指揮者を見上げるとともに楽団員全員に対してオーラを発信し続けていることが見て取れます。そんな、おなじみのマロさんが、定年を機に上梓した本。読まずにはいられません。

  さて、そこにはいったい何が語られているのでしょうか。まずは目次を。

第1章 ウィーンが「音楽の流儀」を教えてくれた

2章 ウィーンで身につけたマロ流妄想力

3章 北九州が「人生の流儀」を育んでくれた

4章 N響が「コンサートマスターの流儀」を確立させてくれた

5章 偉大なマエストロたちが音楽の流儀を教えてくれた

6章 いま、日本の音楽界に、そして故郷に伝えたい思い

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(コンサートマスターMARO 新書 amazon.co.jp)

  クラシックファンの方ならば、この目次を見てワクワクするに違いありません。その予感の通り、この本にはどこをとっても「音楽」の楽しみが詰まっています。「マロ」とは、学生時代からのあだ名だそうですが、ヴァイオリン教師のご両親から生まれたマロさん。ヴァイオリンを強いられたことは一度も無いそうです。生まれたときから周囲にヴァイオリンの人材や環境があふれていて、2歳を待たずに、自然にヴァイオリンを引くようになったようです。

  この本を読むと、マロさんのご両親の育て方はなかなか見事です。クリスマスプレゼントに子供用のチェロが入っていて、負けず嫌いの性格から自ら練習したとのエピソード。気がつくと海外の情報が書かれて本が身の回りのたくさん置かれており、007が好きだったマロさんは、「ムーンレイカー」の「舞台となったヴェネチアの写真集を見て、海外に興味をもち、自ら高校卒業後にウィーンに留学したと言います。

  ご両親のマロさんへの接し方を読むと、現在の子育てにも十分に参考になりそうです。

【マエストロと音楽仲間たち】

  この本の大きな魅力の一つは、N響のコンサートマスターとして表現した数々の仕事です。

  その仕事についてマロさんは、指揮者はゲスト、コンサートマスターはホストだと言います。海外から来る首席指揮者や名誉指揮者などには特に当てはまる言葉です。これは、ホームパーティーを開くときのたとえですが、自宅に客を招くようにN響に指揮者を招くというわけです。しかし、相手は名うてのマエストロ。ホストは、ゲストが気持ちよく指揮できるように環境を整えることが仕事です。

  本番では、指揮者も団員もプロ中のプロ。コンマスのやることはほとんど無い、と言います。ライブではおなじみの楽器のチューニングも、団員たちはすでに各自チューニングを終えているので形だけですむそうです。むしろ、リハーサルの場でこそ、コンマスの力が発揮されます。指揮者は自らが解釈した楽曲の色彩やテンポを楽団に表現してほしいと考えます。しかし、交響楽団とその演奏者たちにはそれぞれ培ってきた色彩とテンポがあります。これが大きく異なるときに、それを調整するのがコンマスの仕事なのです。

  この本には、コンマスの仕事と、協働で音楽を培ってきた指揮者の魅力がたくさん語られています。

  近年、よくN響の演奏会に登場するトゥガン・ソヒエフ。その指揮は、その曲で「作曲者が考えたその先」をタクトで楽団員から引き出すことが出来る、と言います。また、大御所ブロムシュテットについても、常に音楽を探究し、その指先から放たれるオーラで、楽団員たちを未知の世界に導いていく、と語ります。

  その中でも、最も心を動かされたエピソードがあります。それは、ロシア出身の大指揮者ウラディミール・フェドセーエフとのエピソードです。20185度目の共演のとき、プログラムはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」でした。最初のリハーサルでフェドセーエフが提示したテンポは非常にゆっくりとしていて、団員たちからも遅すぎるのではないか、との意見が多く出ました。たしかに管楽器では息が続かないほど遅いテンポなのです。

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(N響 フェドセーエフ公演チラシ)

  マロさんは、自らも疑問を持ったそのテンポを変えてもらおうと、夜、フェドセーエフと食事をともにしました。果たして、マロさんは各団員たちの意見を伝えることが出来たのか。その顛末は、ぜひこの本で味わってください。心が洗われます。

  さて、音楽を心から愛するマロさんは、N響以外でもたくさんの仲間たちと数多くの活動を続けてきました。この本には、自らが立ち上げたジュニアオーケストラの活動、銀座の王子ホールで2004年から続けているサロン風の管弦楽「MAROワールド」、さらに若手と合奏を楽しむ「MAROカンパニー」の活動、など、音楽の和が語られていきます。

  その中で紹介される様々なエピソードにも心を動かされます。

  例えば、ウィーン留学時代に紹介されるエピソード。チェリストである桑田歩さんは、若き日にイタリアでの勉強の帰りに、ウィーンにいたマロさんのもとを訪ねます。彼は翌日に帰る予定でしたが、帰りの飛行機のリコンファームを忘れてしまい、再度取れたのは一週間後の飛行機でした。学生でお金がなかった桑田さんは、マロさんの部屋に泊めてもらうことになりました。

  ところが、彼の演奏を聴いたマロさんはぜひとも一緒に演奏会に参加したくて、彼をウィーン市立音楽院のチェロの先生の所に連れて行き、演奏を聴いてもらいました。その演奏を気に入った先生が彼の入学を許可してくれたのです。桑田さんは、帰りの飛行機のリコンファームを失念したおかげで、ウィーンに留学することとなったのです。マロさんは、リコンファームを忘れて留学することになったのは後にも先にも彼くらいだろうと語ります。

  このエピソードには続きがあります。それは、この本の第6章で語られるのですが、その感動のエピソードはこの本でお楽しみください。心に染み入る感動を味わうことと思います。


  さて、今年も早いもので残すところ1週間となりました。皆さん、元気で年末をお迎えください。今年は、一段と平和な暮らしが幸福だと実感します。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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3賢人が語る現代日本の「歪み」とは

こんばんは。

  先月の解散総選挙の結果は、日本の未来のためになるものなのでしょうか。

  選挙にて我々日本の国民は、自ら成立させた政治資金規正法を自らの手で破るような億単位での報告書不記載が露呈した自民党と公明党にお灸をすえ、衆議院での過半数割れに追い込みました。衆議院の議席数は465議席で、過半数は233議席ですが、自公の獲得議席は215と過半数を割り込みました。

  しかし、野党は235という数の議席を取りながら、立憲民主党148議席、日本維新の会38議席、国民民主党28議席、れいわ新撰組9議席他となり、それぞれの党が主導権争いを演じた結果、自公政権を変えるまでには至りませんでした。

  結果、石破さんが再び総理に指名されましたが、国民は成り行きに安堵していると思います。

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(第2次石破内閣閣議  官邸HPより)

  結果はともかく、今回も残念だったのは投票率の低さです。

  今回の選挙は、日本の政治が変革を求められる歴史的にも節目となるはずの選挙にもかかわらず、その投票率は前回を下回る53.85%という戦後3番目に低い数字だったのです。世界では、アメリカのトランプ政権をはじめとして、自国ファーストを掲げる右傾化政党がが議席数を伸ばし、あらゆる場所で分断が進んでいます。ウクライナやパレスチナでの戦争を見れば、分断の先に戦争が待っていることは間違いありません。

  日本は、国連を中心とした平和堅持を国是とする、(今はまだ)経済大国です。その民主主義による平和を代表する国が、その舵取りを決める選挙で「投票」する国民が6割を切るとは、世界中から冷ややかな目で見られてもしかたがない惨状です。日本では、4割の人々が、思考停止となっており、何も考えていないと言われても言い返すことが出来ません。民度が低いのです。

  話は変りますが、今月、連れ合いと一緒に10日間、イタリア旅行を楽しんできました。

  コロナ蔓延、ウクライナ戦争の勃発と海外旅行が出来なくなって5年以上が経ちますが、やっと念願のイタリア旅行に行くことが出来ました。前回イタリアに行ったのはもう40年以上前です。そのときにはローマ、バチカン、ナポリ、ポンペイ、ミラノを観光しましたが、フィレンツェとヴェネツイアにはいけませんでした。その後、娘がイタリアファンとなり何度かイタリアに旅行するのを横目に、うらやんでいたのです。

  今回は、フィレンツェではドゥオーモ大聖堂、ヴェネチアではサン・マルコ大聖堂を貸しきりで見学するという贅沢な旅行で、シスチィーナ礼拝堂のミケランジェロ「最後の審判」、ミラノのダビンチ「最後の晩餐」と併せて、ルネサンスの芸術を堪能する旅となりました。

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(ヴェネチア サン・マルコ広場から見た大聖堂)

  そのお話はまた改めてするとして、まずは今週読んだ本の紹介です。

「日本の歪み」(養老孟司 茂木健一郎 東浩紀著 講談社現代新書 2023年) 

【日本の「歪み」を語る3賢人】

  久しぶりに海外旅行に行って思うのは、日本の良さです。

  第一に日本は清潔です。町中の清潔さはもちろん、公共の場でも人々は場も汚すこともなく、トイレもとてもきれいに使います。イタリアでは、公共トイレは少なく、ほとんどはバルやレストランのトイレや土産物屋にあるトイレを使います。一番驚いたのは、トイレに便座がないことです。

  便座がないと、直接ホーローに腰掛けて用を足すしかないのですが、それがまた特大で、腰掛けると中に落ちてしまうほどです。21世紀の現代でその状況には驚きました。しかし、聴けばそれには理由がありました。イタリアの観光地では、観光客が乱暴で便座を破壊してしまうと言うのです。壊れたら直すのが普通ですが、イタリアでは直しても、直しても即座に壊されるので、観光地のオーナーは直すことをあきらめてしまったそうです。

  やはり日本人の公共的なメンタリティは、世界に冠たるものがあるようです。

  そんな日本ですが、近年、様々な「歪み」がSNSを賑わせています。例えば、夫婦別姓や同性婚問題、ティーンエージャーの自殺の増加、不登校や心を病む人々の拡大、ヤングケアラーの増加、母子家庭の格差、高齢者の孤立、などなど社会の「歪み」は枚挙にいとまがありません。

  いったい現代日本は、なぜこんなに「歪んで」いるのか。

  この本の題名と鼎談の著者名を見て、即座に購入しました。

  鼎談のメンバーは、名著「バカの壁」で知られる解剖学者の養老孟司さん(1937年生まれ)、クオリア研究で名をなす脳科学者の茂木健一郎さん(1962年生まれ)、数々の評論で受賞している批評家の東浩紀さん(1971年生まれ)。この顔ぶれを見ただけで、切れ味するどい会話が目に浮かぶようです。

  その切れ味鋭い鼎談の内容やいかに。

  目次を見てみましょう。

第1章 日本の歪み    第2章 先の大戦
第3章 維新と敗戦    第4章 死者を悼む
第5章 憲法       第6章 天皇
第7章 税金       第8章 未来の戦争
第9章 あいまいな社会  第0章 地震

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(鼎談「日本の歪み」 amazon.co.jp)

  憲法とはその国の基本理念を語るものですが、我が国の憲法はまさに「歪み」を象徴する憲法といえるかもしれません。この本でも、まずこの話題から切り込んでいきます。

  憲法論議は政治的な側面が強いのですが、なんと言っても日本の憲法は第9条で「戦争の永久放棄」とそのための「陸海空軍その他の戦力不保持、交戦権の放棄」が謳われています。現在の政治的な論議は、平和主義国としてこの第9条を守るべきという護憲論と現実に自衛隊という軍隊を自衛のために保持していることを明記すべきと言う改憲論がまっこうから対立しています。

  そもそも現在の日本憲法は、戦後日本の国家理念をどのように反映しているのでしょうか。

  茂木さんは、法学部の学生のときに聴いた長谷部恭男教授が安保法制は違憲であるとの言葉に従って、2015年の強行採決のときに国会前に出向いて忌野清志郎の歌をうたってきた、との話からこの対談を始めています。その話がどう「歪み」につながるのか。

  茂木さんは、その後、日本の憲法が英語で書かれた草案としてGHQから一方的に示され、たったの15分の間に承諾を迫られたとの記事を読み、原爆という暴力的な兵器を背景に、憲法が脅しによって成立したことを思って、日本憲法に疑問を感じるよういになったと語ります。

  そして、東さんは、2004年に多くの知識人により、憲法9条を護るために設立された「9条の会」のルーツに、1991年にアメリカで結成された団体「9条の会」が影響を与えていることを指摘しています。日本の基本理念を形作る「憲法」が、まさに歪みを持って成立していることに焦点を当て、鼎談はさまざまな「歪み」に進んでいくのです。

  養老さんは、まさにそうした歪んだ戦後を生き抜いてきた知識人の一人であり、茂木さんと東さんはさまざまな時代の移り変わりでの時代のとらえ方を養老さんに質問し、その答えも踏まえて「歪み」をあぶりだしていきます。

【日本の「歪み」はどこから?】

  現在の日本はどこから始まったのか。戦後生まれの我々は、「戦後の日本」しか知らないので、我々にとって「戦争」が歴史の始まりと言っても過言ではありません。日本が、アジア諸国を侵略し、満州国を建国、さらに「大日本帝国」によってアジアに幸福をもたらすとばかりに南方に支配を拡大してゆき、さらにはアメリカに奇襲をしかけて破滅への道を突き進みました。

  そして、アメリカに負け、占領統治され、戦後世界が幕を開けました。

  現代の「歪み」は、日本の戦後世界が敗戦により大転換し、アメリカの体制と文化で染められたことによって生じたものなのでしょうか。

  この本では、「先の戦争」についても象徴的な話題が語られます。それは、我々の中で「先の戦争」の名称が確定していないという事実です。戦前、この戦争は「大東亜戦争」とよばれていましたが、戦後は「太平洋戦争」と呼ばれています。しかし、「日中戦争」、「アジア太平洋戦争」と呼ばれることもあり、さらには、満州事変から始まったとする「15年戦争」と呼ぶこともあるそうです。

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(満州事変 満州国の首都 新京 wikipedia)

  東さんは、先の戦争の始まりや起点も曖昧で、名称さえ明確ではないところが「日本の歪み」を象徴しているようだと語ります。

  しかし、鼎談が進むにつれて、先の戦争の話から「歪み」の文化の起点はさらに遡られていきます。日本のこれまでの歴史は、そもそも日本の外からの力で創られてきているということが原点ではないかとの問題提起です。

  古くは日本語の成り立ちから、古代、白村江の戦いから日本は好むと好まざるとに関わらず、外国の文化を取り込んで、それを日本の文化に変えながら歴史を作ってきました。先の戦争の前には、明治維新と呼ばれる大事件が起き、すべての価値観が大転換することになります。そこに見られるのは、「西洋対日本」のトラウマなのです。

  明治維新は、まさに西洋文明を取り入れて日本を強くしようという価値観の転換運動でしたが、そこに「歪み」があったとの見立てです。西郷隆盛は、自ら西洋化政策を進めながら、最後には日本文化を代表する士族の頭領として西南戦争を戦うことになります。それは、太平洋戦争へと続く、「西洋対日本」の象徴としての戦いだったのではないでしょうか。

  明治を語る中で、養老さんが語る「吾輩は猫である」の話は秀逸でした。この小説は、語り部である「猫」がある正月に拾われてくるところから始まります。家人は「猫」にお雑煮を食べさせるのですが、猫はそのお餅が歯にひっついてしまい噛むことも飲み込むことも出来ずに、踊ってしまうのです。我々はそれを読んで笑うわけですが、養老さんはこの「猫」こそ、西洋文化を上手に飲み込むことが出来なかった漱石のカリカチュアだ、と読み解くのです。深いなあ・・・。

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(「吾輩は猫である」初版本 wikipedia)

  この鼎談では、どこを読んでも日本に存在する「歪み」への指摘と洞察に富んでいます。

  とても面白かったのは、日本語がいかに特殊な言語であり、英語をはじめとする海外言語と親和性の低い言語なのか、との洞察です。東さん曰く、言語は2つの機能を持っています。ひとつは「事実確認的機能」、もうひとつは「行為遂行的機能」だと語ります。

  ヨーロッパ言語は、書き言葉と話し言葉に差異が少なく機能的には「事実確認的」です。それに比して日本語は、語り言葉と話し言葉が異なっており「行為遂行的」なのだと言います。つまり、日本の言葉は簡潔に事実を説明することが苦手であり、人の行為に寄り添っているのだそうです。例えば、「禁煙」を示すときに英語は「No Smoking」、以上終わり、ですが、日本語では「ここでの喫煙はご遠慮ください。」となります。

  日本語は説明することが苦手であり、相手をおもんぱかることで成り立つ言語だというのです。

  さて、ここから話は佳境に入っていきますが、その続きはぜひ本書で味わってください。なるほど、とうなっている間に次々とページが進んでいき、「ちょっと待って」と言いたくなること間違いなしです。やっぱり、賢人たちの世間話ほど面白いものはありません。


  そろそろ紙面も尽きました。今年も秋がなく、先日までの冷房から、突如、暖房を使うほど朝晩冷え込んできました。どうぞ、ご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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ブルース・リウ 力強いピアノ協奏曲の魅力

こんばんは。

  石破総理が就任早々解散を決断しました。

  政治資金問題で信頼が失墜した自民党のしたたかさは、自民党の歴史の重さが形作ったものなのでしょうか。自民党総裁の任期を迎えて岸田前総理大臣は総裁選不出馬を表明し、新たな総裁選を演出。9人もの候補者が名乗りを上げ、高市さんと石破さんの決選投票の結果、石破さんが総裁の座を射止めました。そして、令和6101日、国会にて第102代総理大臣に指名されました。

  石破さんは、私よりも一つ年上の67才ですが、そのしたたかさは自民党の歴代政治家たちのDNAのおかげだと思います。

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(解散理由を語る石破総理 asahi.comより)

  完全に国民からの信用を失った政治資金規正法(自ら改正した法律)に違反した不記載の巨額な資金隠し。本来ならば、その時点で総辞職して国民に信を問うべきですが、そうすれば自民党は与党から野党に転落するのは明らかです。

  自民党のしたたかさは、総裁任期末まで引き延ばし、新たな総裁選挙で不信に対する弁明を行い、新たな総裁=総理によって解散総選挙を行う、という戦略そのものです。新任の総理大臣は一時的に高い支持率を得ることが出来、即座に解散することで高い支持率の元での衆議院選挙に臨むことが出来るのです。

  このシナリオを実現するためには、昭和の自民党の代表格である石破さんのしたたかさが必要だったのです。そう考えると、9人もの候補者はみそぎのための演出だったと考えるのはうがち過ぎでしょうか。

  一方の野党ですが、自民党の培ってきた政治的したたかさの前になすすべがありません。

  唯一の対抗馬は、かつて民主党政権時代に総理大臣として自民党と見事に対峙し、当時自民党総裁であった安倍晋三氏と党首討論で対等以上に渡り合った野田佳彦氏でした。

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(立憲民主党党首 元総理野田佳彦氏 yomiuri.comより)

  現在は紆余曲折を経て立憲民主党という政党となっていますが、野田さんは党首となり、今回の衆議院選挙では政権交代を訴えて野党勢力の先頭に立ちました。なんだか、時代が一回り戻ったように思えますが、今の自民党に対峙できる経歴を持つ政治家は野田さんしかいないといっても過言ではないと思えます。

  国民全体の総意を推定すると、自民党の持つ金権体質にはNOをつきつけたい気持ちは多々あれど、前回、まともな経済政策を実行できずに経済的低迷を招いた旧民主党の人たちに政権を任せるのは不安このうえない、というのが正直な気持ちなのではないでしょうか。2009年から4年間の民主党政権時代、東日本大震災とそれに伴う原発事故という悲劇にも見舞われましたが、国民は民主党政権に失望したといっても良いのではないでしょうか。

  しかし、時代は刻々と変化しています。

  世界では、成長を続ける国々もあれば、大災害にあえぐ国々もあり、さらに第二次世界大戦後、最も分断し、戦争までも惹起する国々があります。

  日本も今やこうした世界の荒波の中にいます。

  我々日本人も、この平和がほっておいても続くという太平楽な考え方は捨てた方が良いのではないでしょうか。日本の貴重な平和を維持し続けるためには、日本経済の発展と民主主義体制の成熟のために我々国民ひとりひとりが尽力し、世界に伍する高い見識を身につける必要があります。

  今回の衆議院議員選挙は我々の未来のために真に重要な選択なのです。

  にもかかわらず、どの候補者、政党を選択するか以前に、日本の投票率の低さは、そのまま日本人の教養の低さを物語っています。

  白票でも棄権票でも意思表示をすることが重要です。投票率の低さは日本人の意思表示能力の低さを体現しています。皆さん、民主主義平和国家日本の発展のために、ぜひ投票行動を取りましょう。期日前投票もあります。ぜひとも清き一票を投じようではありませんか。

  さて、政治の話はおいて、今日は2021年のショパン国際ピアノコンクールに優勝し、現在、日本を巡るツアーを行っているピアニスト、ブルース・リウをご紹介しようと思います。

【ブルース・リウ氏のプロフィール】

  ブルース・リウ氏は、1997年生まれの27才。中国系カナダ人のピアニストです。

  2021年のショパン国際コンクールといって思い出すのは、このコンクールで第2位を受賞した反田恭平氏と同第4位となった小林愛実さんのダブル受賞です。日本人のあるあるですが、このときのダブル受賞はあらゆるマスコミで取り上げられ、受賞したお二人はすっかり人気者となりました。ところが、優勝者のブルース・リウ氏の話題は我々の記憶にはほとんど残っていません。

  このコンクールで優勝したブルース・リウ氏は、BBCマガジンで「息をのむような美しさ」と絶賛されました。彼のインタビューを読むと、その素顔は「自由な若者」です。彼は、中国人の両親の元、パリで生まれ、カナダのモントリオールで育ちました。ピアノは、8才から始め、モントリオール大学では、アジア人として初めてショパンコンクールで優勝したダン・タイ・ソン氏に師事しているそうです。

  ピアノは人生の様々な選択肢の一つと語っていますが、優勝後には、クラシックの名門ドイツ・グラモフォンと契約、世界を股にかけて演奏活動を行っており、ピアノ以外の時間はあまりなさそうです。好きなピアニストとして、ミケランジェリとキース・ジャレットをあげているのもまたユニークです。

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(ブルース・リウ チャイコフスキー「四季」amazon.co.jp)

  また、ウィキペディアによれば、ブルース・リウというのは芸名で、自らがブルース・リーのファンで、親しみやすい名前を選んだとのこと。自分が子供の頃からブルース・リーに似ているといわれていたこともひとつの動機だったと語っています。発想が自由ですね。

  この10月、フランクフルト放送交響楽団が音楽監督で指揮者のアラン・アルティノグル氏とともに来日しましたが、そのうちの4日間、ピアノ協奏曲のピアニストがブルース・リウ氏でした。

  初日1015日は、サントリーホールで演奏曲は、ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、マーラー 交響曲第5番。翌16日は大阪ザ・シンフォニーホール、18日は愛知県芸術劇場、19日は所沢文化センターミューズ アークホール、という日程です。16日から19日までの演奏曲は、ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ラベル編曲 ムソルグスキーの「展覧会の絵」となっていました。

  ちなみに、フランクフルト放送交響楽団とアラン・アルティノグル氏は、その後20日と21日に気鋭のヴァイオリン奏者 庄司紗矢香さんとブラームスのヴァイオリン協奏曲をプログラムに公演を続けました。(こちらも聴きたかったなぁ・・・)

  私が行った公演は、1019日の所沢ミューズでした。

【ブルース・リウ 「皇帝」の素晴らしさ】

  所沢ミューズのアークホールは、音響効果が素晴らしく、世界の名オーケストラが来日しており、その響きは天下一品です。今年、ジャズピアニストの小曽根真さんが所沢ミューズで初めてソロコンサートを行ったときにも、開口一番ピアノを指で鳴らしながら、「本当にこのホールの響きは素晴らしい。また来たいです。」と語っていたのが印象的でした。

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(所沢ミューズ公演 ポスター)

  開演時間の14時過ぎ、満員の聴衆の拍手に迎えられ、フランクフルト放送交響楽団の面々が舞台に登場します。驚いたのは、その人数の多さでした。舞台には所狭しと椅子が並べられ、舞台の奥には大きなハープが2基、さらに大太鼓やドラ、鐘までもが並んでいます。そして、楽団員の登場、第1ヴァイオリン17名、第2ヴァイオリン15名など、総勢109名が舞台を埋め尽くします。奥には、大きなグランドピアノが置かれています。

  いつもオーケストラの音を聴くと思うのですが、なぜ、ヨーロッパで演奏する交響楽団の音色はあれほど美しいのでしょうか。

  昔は、ヨーロッパの空気と日本の空気が異なるせいで音が違うのかと思っていました。しかし、同じ日本で、同じ所沢ミューズで聴いても、やはりヨーロッパのオーケストラが奏でる音は日本のオーケストラの音よりもなめらかで響きも良く、美しいのです。

  フランクフルト交響楽団も例外ではありませんでした。「マイスタージンガー」はワーグナーの数ある楽曲の中でもとりわけワーグナー的な壮麗さを備えた楽曲です。そこで奏でられる弦楽器のまるでビロードのようになめらかで輝くような響き、また管楽器の天空に抜けていくような芳醇な響きは、まさに唯一無二の美しい響きでした。まるで、大寺院で奏でられるような荘厳な序曲は、魔法のように我々の心をとらえたのです。

  曲が終わると、ホールが揺れるほどの大きな拍手が指揮者と109名の団員に送られました。

  ワーグナーが終わると、一度オーケストラは退場し、大きなグランドピアノが後方から運ばれて指揮台の前へと据えられました。ピアノの横には、FAZIOLIのロゴが印刷されています。ブルース・リウは、ショパンコンクールでも始めてファツイオリのピアノを使用して優勝したピアニストでした。そのピアノが所沢にもやってきたのです。

  楽団の登場に続き、指揮者のアランとブルース・リウが登場します。万雷の拍手が収まると、ブルース・リウはピアノに向かい、指揮者がタクトを構えます。

  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第1楽章を飾る、荘厳な管弦楽がホールに鳴り響きます。そして、その音響の余韻が鳴り止むと同時に、ブルース・リウの指が鍵盤におろされて、流麗なピアノの響きがホールを駆け上がっていきます。これぞ、ベートーベンだ!。

  これまで、数え切れないほど、「皇帝」を聴いてきました。

  家では正月には必ず「皇帝」が流れて、1年が始まります。クラシックをこよなく愛する父親の愛聴盤は、ウィーンフィルをイッセルシュテットが指揮し、バックハウスがピアノを弾いた名演奏です。さらにその1枚と肩を並べるのは、ベルリンフィルをライトナーが指揮し、ウィルヘルム・ケンプがピアノを弾いた名盤です。ウィーンフィルとバックハウスの演奏は、まさに王宮の広大な鏡の間を思わせるようなきらびやかでエモーショナルな演奏。そして、ベルリンフィルとケンプの演奏は、哲学的で思索的な建造物を思い起こさせるような知性あふれる演奏です。

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(ウィルヘルム・バックハウス「皇帝」amzon.co.jp)

  フランクフルト放送交響楽団とブルース・リウの演奏は、ライブで味わうダイナミズムを全身で感じながらも重厚な弦の音響と、しなやかな管楽器の音響と、ピアノの力強くリリカルな音が共鳴し、一体となって、唯一無二の世界を繰り広げていきます。

  この曲の醍醐味は、それぞれの楽章が奏でる緩急と、作品全体の緩急が構築する、荘厳な世界の味わいです。ホールに響き渡るオーケストラの音から、ピアノのピアニッシモに移る瞬間、若きピアニストの指が鍵盤の上に降りおろされて奏でられる音と、そこに生まれる沈黙は、ピアニストの感性を感じさせて、唯一無二の感動を生み出します。

  第2楽章の美しく、緩やかに流れる旋律は、まさにブルース・リウの個性が表現されるリリカルな主題と再生部で、思わず瞳を閉じてしまします。その緩やかな旋律が沈黙すると、その音は第3楽章へと切れ間目なく続いていくのです。そして、第3楽章につながる音と音の間に生まれる沈黙が、ピアニストの個性を際立たせます。

  わずかに静けさに包まれた次の瞬間、6/8拍子の強烈な旋律がピアニストの指の動きとともにホールに響き渡ります。

  「皇帝」は、ベートーベンの「傑作の森」と呼ばれる時期の作品であり、彼の代表作でもあります。この作品はナポレオンがフランス軍を率いてウィーンに攻め込んできた時期に書かれました。王侯たちが慌ててウィーンから避難する中、ベートーベンが地下に立てこもって作品を作り上げたと言われます。第3楽章のテンポに満ちた流麗な旋律は、ベートーベンが何者にも犯されることなく、自らの芸術を守り抜いた精神を体現する音楽だったのです。

  ブルース・リウの演奏は、50年前の巨匠たちの演奏とは異なり、その緩の部分のインプロビゼーションと、急の部分のスピード感が個性的で、現代が解釈したベートーベンと言っても良いのではないでしょうか。

  今回味わったコンサートは、これまでに無い感動を与えてくれました。あまりの感動に、会場でCDを購入し、ブルース・リウ氏のサイン会に参加してしまいました。そのりりしい姿に向かってお礼を言うと”Thank you”と笑顔で握手してくれました。ブルース・リーに似た優しい笑顔がとても印象的でした。

  音楽は我々に心からの感動を与えてくれる素晴らしい芸術です。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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手嶋龍一 佐藤優 ガザでは何が起きているのか

こんばんは。

  平和とは、何よりも大切な人類の財産です。

  第二次世界大戦が、アメリカが我が国に投下した2つの原子爆弾によって終結してから80年が過ぎようとしています。その原爆を開発したオッペンハイマー博士を描いた「オッペンハイマー」がアカデミー賞をはじめとした数々の章を受賞したのは記憶にも新しいところです。

  戦後、この地球上に、過去になかったほどの人類の繁栄をもたらしたのは、「平和」に他なりません。

  今日(日本時間9月20日)、アメリカメジャーリーグの名門、ドジャースの大谷翔平がメジャーリーグが始まって以来初の記録を達成しました。それは、1シーズンで一人の打者が達成したホームランと盗塁の記録です。これまで、40本塁打、40盗塁以上を達成した選手は、2006年シーズン、ナショナルズのソリアーノ選手(46本塁打、41盗塁)をはじめとした5選手のみでした。

  今年の大谷翔平選手は手術後のリハビリのため打者に専念しました。そして、126試合で40本塁打、40盗塁を達成し、前日のマーリンズ戦までに48本塁打、49盗塁を記録していました。今や誰もが、前人未踏のフィフティ・フィフティの達成を待ちわびていたのです。

  大谷選手は、勝てばチームのポストシーズンが決まるという重要な試合で、驚くような活躍を我々に見せてくれました。それは、6打数6安打、2盗塁、3打席連続ホームランという超人と言っても良い大活躍でした。この活躍で、大谷翔平は前人未踏のフィフティ・フィフティを1日にして達成したばかりか、その記録をフィフティワン・フィフティワンにまで伸ばしたのです。

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(対マーリンズ戦 SHOWTIME 第50号HR nikkei.com)

  ワールドチャンピオンを目指す大谷翔平選手の活躍から目を離すことが出来ません。

  また、今月は、9日に閉会したパリパラリンピックでも大きな感動を味わうことが出来ました。

  日本は、この大会で、金メダル14・銀メダル10・銅メダル1741のメダルを獲得しました。その感動はすべての選手の努力によるものですが、中でも車いすラグビーの悲願の金メダル、そして、車いすテニスでの小田凱人選手の金メダルには心を揺り動かされました。車いすラグビーは、リオ大会で同メダルを獲得。前回東京大会では、メンバー全員が金メダルを目標に血のにじむような鍛錬を重ねたにもかかわらず、銅メダルに終わりました。

  その悔しさを胸にさらなる鍛錬を続けた3年間。その先に待っていたのが前大会銀メダルだった格上のアメリカ代表を破っての金メダルだったのです。この感動は、すべての日本人の心を突き動かしました。

  こうして心から感動を味わうことができるのも、我々の世界に「平和」があるおかげであることは間違いありません。

  現在、この世界ではロシアが引き起こしたウクライナ侵攻に端を発したウクライナ戦争、そして、パレスチナの過激派組織ハマスによるイスラエルに対するテロ攻撃に端を発した、イスラエルによるハマス武装解除のための軍事作戦が平和を脅かしています。

  ロシアがウクライナに侵攻したのは、2022年の223日。その戦いはすでに2年半を超え、ウクライナでは25万人以上の人々が亡くなっています。イスラエルがハマスを武装解除するとして開始した軍事作戦は、2023107日のハマスによるイスラエル侵入テロが発端となっており、来月で1年を経ようとしています。この間にガザ地区でなくなったパレスチナの人々は3万人を超えていると言われます。

  何よりも、罪もない一般市民、無垢な子供たちが殺されている現実には心が引き裂かれます。

  いったい、何が意味も無い殺戮を続けさせているのか。

  それを知りたいと思い、前回に引き続いて出版されたインテリジェンスアナリスト、手嶋龍一さんと佐藤優さんの対談本に手を伸ばしました。

「イスラエル戦争の嘘」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2024年)

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(新書「イスラエル戦争の嘘」 amazon.co.jp)

【イスラエルとインテリジェンス】

  この本の題名には、出版社の、読者の気を引こうとする山っ気があふれています。第一に戦争とは国と国によって争われる戦いであり、イスラエルとパレスチナはお互いに」相手を国として認めていません。第二に、戦争とは宣戦布告があって始まるものですが、今回の戦いはハマスが起こしたテロ行為に対するイスラエルの報復がその発端となっています。そして、最も異なっているのは戦争が国の軍隊同士の戦いを指すのに対して、ハマスの戦闘員は国の軍隊ではなく、単なる地域の戦闘組織に過ぎません。

  そうした意味では、「嘘」との題名自体に嘘が含まれており、ある意味では自虐的なタイトル、と言っても良いのかもしれません。しかし、題名はともかく、その内容は読み応えタップリの必読書と言っても良いかもしれません。

  なぜか。

  それは、佐藤優さんが現在の日本の中で最もイスラエルに関して深い知識と理解を持っている日本人の一人だからです。

  1998年4月、イスラエルの対外諜報機関である「モサド」の長官として、長年インテリジェンスオフィサーとして活動していたエフライム・ハレヴィ氏が就任しました。ハレヴィ氏は、このブログでも紹介した「イスラエル秘密外交史 モサドを率いた男の告白」という自伝を上梓していますが、そのインテリジェンスオフィサーとしての哲学はまさにマスターといっても良い、現実味のある愛国心とヒューマニズムに貫かれています。

  佐藤優さんは、ちょうどこの時期に外務省の国際情報局で主任分析官を務めており、世界のインテリジェンス組織と人脈を深めようとしていたときでした。そんなときに、ハレヴィ氏と接する機会を得て、ハレヴィ氏の日本滞在の際にはその滞在中のすべての時間を一緒に過ごしたそうです。

  佐藤優さんは、1981年ソビエト連邦崩壊の時期、外務省の外交官としてモスクワに滞在。軍がクーデターを起こし、ゴルバチョフ書記長が拉致された際、いち早く日本政府にその生存を伝えたことで、インテリジェンスオフィサーの実力を認められたのです。

  おそらく、佐藤さんのインテリジェンスオフィサーとしての哲学と、何よりも人との信頼関係を活動の中心とする信念がハルヴィ氏の心に響いたに違いありません。

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(新潮文庫「イスラエル秘密外交史」 amazon.co.jp)

  その佐藤優さんが語る、イスラエルと、パレスチナの中でも原理主義的なハマスの持つ、内在的論理には深さと説得力があり、思わず引き込まれます。

  まず、イスラエルが持つ内在的論理ですが、それをよく表現するある言葉が紹介されます。「全世界から同情されて滅亡するよりも、全世界を敵に回しても生き残る。」その言葉は、イスラエルの国是と言っても良い、と佐藤さんは語ります。イスラエルを建国したのは、旧約聖書のモーゼ以来、世界中に点在したユダヤ人です。彼らは、数々の人種差別に見舞われてきました。その最も恐ろしい差別は、ナチスドイツが行ったホロコーストでした。

  ジェノサイド(大量虐殺)とは、ある民族を根こそぎ殺戮することがその代表とされていますが、ナチスドイツが行ったユダヤ人の隔離と虐殺は、民族殲滅を目的とするジェノサイドでした。ユダヤ人は、このホロコーストを経て、自らの国家設立を民族の悲願としました。イスラエルは、国連の決議によりパレスチナとともに国家となることを認められました。

  差別とホロコーストの歴史を背負ったユダヤ人は、民族の生存のために国家を守り通そうとの信念に貫かれているのです。

【帝国に翻弄された民族】

  一方のパレスチナの人々も歴史に翻弄された民族でした。

  パレスチナの人々はアラブ民族ですが、パレスチナ人はイスラム教の教徒が大多数を占めています。彼らは、オスマン帝国の元で、共存していましたが、領土を狙うイギリス、フランス、ロシアの思惑に翻弄されていきます。第一次世界大戦の時代、イギリスはオスマン帝国を解体して自らの植民地を広げようと、中東地域に触手を伸ばします。

  イギリスは、この時代3つの悪名高き約定を行います。まず、アラブ民族の諸国には、オスマントルコに反旗を揚げて戦えば独立を認める、とする「フサイン・マクマホン協定」を結びます。また、同時期にロシアとフランス、イギリスは、中東地区を3つに分けてそれぞれの国が委任統治すると取り決めた「サイクス・ピコ協定」を結びます。さらに、イギリスはユダヤ資本を味方につけるためにパレスチナの土地にユダヤ人が居住区を創ることを認めるという「バルフォア宣言」を発出するのです。

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(イギリスが送り込んだアラビアのロレンス moviewalker)

  まさに、すべての国、民族を味方につける三枚舌の外交を繰り広げます。第二次世界大戦後、困り果てたイギリスは、あろうことかこの地域の統治を国連の信託統治にゆだねてしまうのです。

  アラブ民族は、イスラム教徒としてその血筋を受け継いでいますが、教義を重んじるスンニ派として大きな領土を手にしたのがサウジアラビアです。そのスンニ派に追われた、ムハンマドの血筋を重んじるシーア派がヨルダンとイラクとなりました。

  パレスチナの人々は、元々現在のイスラエルの地に居住していましたが、イスラエルの悲願と国連の決議により共存せざるを得なくなりました。パレスチナの人々から見れば、世界中からユダヤ人がやってきて、自分たちが開拓して住んでいた土地を奪われることになったのです。

  パレスチナの人々を代表する組織体は、かつてアラファト議長が率いていたパレスチナ解放機構(PLO)です。1993年、PLOと当時のイスラエルの首相との間でイスラエルとパレスチナの共存を謳ったオスロ合意が締結されました。しかし、パレスチナの人々は、自らの居住区を強国イスラエルに制限され、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に限定され、閉じ込められたことに納得してはいなかったのです。

  パレスチナ解放機構は、パレスチナを代表する組織として国連で認められていますが、その内部には多くの組織が存在し、穏健的なファハタをはじめ過激なパレスチナ解放人民戦線などがひしめいています。

  ハマスは、その中でも最も過激なイスラム原理主義組織ですが、穏健になったPLOに失望していたガザ地区のパレスチナ人の間で、地区内の治安や衛生、文教などを統治して居住者の支持を得ています。しかし、彼らは原理主義組織であり、イスラエルの殲滅を目標としていることに間違いはありません。

  つまり、イスラエルとハマスは、互いの存在を否定する水と油のような存在なのです。

  この対談でお二人が心配しているのは2点です。ひとつは、イスラム原理主義であるもうひとつの組織ヒズボラとイスラエルが本格的な戦闘へと突入すること。ヒズボラの軍事力はハマスの比ではなく、間違いなく周辺国や欧米を巻き込む可能性があるといいます。もう一つは、核保有国イスラエルが世界から孤立した場合に、戦術核を使用する可能性があり、核の使用に歯止めがかからなくなることです。

  人々が殺し合う戦いは復讐の連鎖を呼び起こし、とどまることがなくなります。双方の内在する歴史や論理、さらに愛する人を奪われたことへの報復の連鎖を考えると、絶望感に襲われます。しかし、愛する人を殺された悲しみは連鎖を止めるための力になることもあるのではないでしょうか。さらに、平和であることの人類への恵みに想いが至るときに、戦いの停止が実現するのではないでしょうか。

  それは夢物語ではないはずです。

  皆さんもこの本で、戦いに内在する歴史を知ってください。戦闘停止への難しさとともにその尊さがよくわかること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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