千々和泰明 戦争の終わり方を知る

こんばんは。

  さて、前回触れたベネルクス3国+ドイツへの旅行ですが、食べ物の話を忘れてはいけません。

  ヨーロッパと言うとすぐに思い出すのは、フランス料理とイタリア料理です。今や日本にはそのレストランが数え切れないほどあり、どこに行ってもそのおいしさを堪能することができます。今回の旅行で感動したのは、そうしたメインコースの料理ではなく、スウィーツ系の味でした。

  オランダは酪農の国とも言われていますが、驚いたのは朝食で食べたクレープの味でした。今回の旅行では、ホテルの朝食はすべてビュッフェ方式で、並んでいる料理をピックアップして、テーブルに運んで食べる方式です。主食はパンで、パンの種類は豊富でバケットもあればクロワッサンも、ロールパンや蒸しパンも並んでおり、すべてが美味です。

  そして、そこに並んで、焼きたてのクレープが置かれています。

  日本でもクレープは人気のスウィーツですが、日本のクレープを何も載せずに食べる人は少ないと思います。ホテルの朝食で並んでいる焼きたてのクレープは、もちろんプレーンで、何も載せてありません。そのクレープを食べたときのおいしさは衝撃的でした。ほんのり焼き色がついたクレープは、とても甘い香りが立ち上ります。そして、ナイフで切って口に運ぶと、その香り通りのほのかな甘さが口の中に広がって、とろけるような食感とともに幸せを感じます。おいしかった!

  スウィーツといえば、ベルギーワッフルは日本でもスーパーに行けば、たいてい手に入ります。

  ベルギーでは、町中にたくさんのワッフル屋さんを見ることができます。ブルージュの旧市街を散策したときにも、そこここにワッフルのお店が並んでいました。

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(ブル-ジュ旧市街のワッフル屋さん 2026.04.)

  旧市街のワッフル屋さんの前に来たときに、一緒に歩いてくれた現地のガイドさん曰く、「このお店は焼きワッフルでは評判のお店ですが、ワッフルには2種類あります。まず、このようにワッフル専門店で売っている焼きワッフル。それから、お店で食べる、皆さんがよく知るベルギーワッフルです。ベルギーワッフルは、ナイフとフォークで食べますが、焼きワッフルはお店で焼いたワッフルをそのままで出してくれます。」

  すると、ワッフル屋さんのメニュー看板を指さして、「見ていただくとわかるとおり、焼きワッフルには、いろいろなものを載せて食べます。いちごやラズベリー、アイククリームや生クリーム、バナナやカスタードクリームなどなど、数え切れないトッピングがあって、どれも食べたくなりますよね。でも、皆さん、最初に食べるときには、何も載せないワッフルを食べてみてください。きっと、そのおいしさに驚くと思いますよ。」と教えてくれたのです。

  自由散策の時間になると、さきほどのお店に行って焼きワッフルを頼みました。もちろん、何も載せないプレーンです。焼き時間がかかるので、しばらく待っていると、出てきました。ちょうど、日本のお好み焼きのような大きさで、段ボールのお皿に載った熱々のワッフルです。もちろん、何もトッピングはなく、端っこに生クリームがちょこんと載って、その脇に楊枝で作ったベルギーの旗がお子様ランチのように刺さっています。

  その香ばしく、甘い香りの素敵なこと。そして、そのお味は。もう言葉で言い尽くせないほど、口の中に幸せが広がりました。

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(焼きワッフルは最高のおいしさ!!)

  さて、こんな素敵な旅が味わえるのも、この世界が平和だからこそです。

  我々が、成田を出発する2ヶ月前の2月。アメリカのトランプ大統領が電撃的にイラン空爆を実行しました。イランの最高指導者であるハーメネイ師を殺害し、イラン革命防衛隊の司令部爆撃によって多くの幹部をも抹殺したのです。イランは、すぐさま、中東地域に配置されたアメリカ軍基地にミサイルによる報復攻撃を行いました。

  UAE(アラブ首長国連邦)のドバイ国際空港もその標的となり、ドバイ空港経由で日本からヨーロッパに向かう航空機は一時、運休となりました。幸い、我々の飛行機は直行便だったので、無事に旅行は催行されましたが、ホルムズ海峡の閉鎖により、原油価格の高騰が懸念され、燃料サーチャージが値上げされることになりました。

  人類の歴史に汚点をみつけるとすれば、それは「戦争」です。エゴによる命の奪い合いにより、我々を悲しみと不幸に陥れる人災は、汚点の最たるものと言えるのではないでしょうか。

  今週は、その「戦争」の終わり方を研究した本を読んでいました。

「戦争は如何にして終結したか」

(千々和泰明著 中公新書 2021年)

【終わりなきウクライナ侵攻】

  2022年224日。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナへの軍事侵攻を実行し、ウクライナはロシアからの一方的な侵略に対抗して防衛戦を強いられることになりました。ロシアは、これを軍事作戦と銘打って領土拡大を続けています。

  侵攻が始まった当初、EUとアメリカなど西側諸国は、この戦争に自ら参加することを避けながらも、経済制裁やエネルギー輸入の凍結、さらには軍事支援など、あらゆる支援を尽くして、ロシアの侵攻を食い止めようとしました。にもかかわらず、4年以上経た現在もこの軍事侵攻は延々と続いています。

  ウクライナの人々の悲しみは、いかばかりかと心が痛みます。

  当時、アメリカの大統領は民主党のバイデン大統領でした。彼は平和がもたらす恩恵を十分に認識しており、ロシアには厳しい経済制裁を科し、ウクライナにはNATOとともに手厚い軍事支援を行いました。それは、「力での(境界線の)現状変更は認めない。」とする国際法(国連憲章)の精神を揺るがす秩序の破壊だからです。

  そんな中、昨年1月のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が第47代、2度目の大統領に就任しました。トランプ氏は、MAGAMake America Great Again)を合言葉に、アメリカの対外財政政策をことごとく変更していきます。関税攻撃もさることながら、EUNATO、国連に対して、これまで負担してきた拠出金を見直すこととし、ロシアに侵攻されているウクライナへの武器供与に関しても、レアアースの採掘権など、支援に見合う代償を求めたのです。

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(初会談で口論する両大統領 nikkei.comより)

  さらには、アメリカの軍事力を背景に南北アメリカ大陸、その北に位置するグリーンランドをアメリカの影響下に置くことを公然と宣言しているのです。のみならず、自らの支持母体でもあるキリスト教信者のユダヤ系住民を背景に、イスラエルのネタニヤフ首相と協調して中東のイランまでをも軍事侵攻で攻撃したのです。

  これでは、プーチン大統領と何ら変わらない独裁的権力者に他なりません。

  1989年、ブッシュ大統領(父)とゴルバチョフ書記長がマルタ会談で冷戦の終わりを宣言して以降、これほど国家同士の対立が表立ち、戦争が近づいている時代はないのではないでしょうか。

【戦争が終結するとき何が起きるのか】

  今回の新書は、「戦争」の終わり方を分析した研究書です。

  著者は、政治学の専門家ですが、これまで政府機関などで安全保障の副官房長官補や自衛隊防衛研究所の研究員などを務めてきた安全保障のプロフェッショナルでもあります。

  国家間の「戦争」には、はじまりがあれば終わりもあります。この本の扉の裏には、鉄の宰相と呼ばれたドイツ帝国のビスマルクの言葉が載せられています。「戦争の終わりにおいて、その発言が戦争を始めるときほど立派でない指導者に災いあれ。」

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(「戦争はいかに終結したか」 amazon.co.jp)

  確かに、戦争の終わり方のよって、その後の国家のあり方や世界の平和の形態は大きく影響を受けることになります。世界大戦はもちろんですが、朝鮮戦争やベトナム戦争を考えても、その終わり方がその後の世界のあり方を決定づけている、といっても過言ではありません。

  平成生まれの方々は、今の北朝鮮と韓国は生まれたときから38度線を国境とした二つの国と認識していると思いますが、実はこの二つの国は今でも戦争中なのです。1948年、将来統一されると約束されていた南側の朝鮮と北側の朝鮮がそれぞれ、「大韓民国」、「朝鮮民主主義人民共和国」として樹立を宣言しました。

  第二次世界大戦の終結時、朝鮮は北側をソ連、南側をアメリカが統治していました。この2国は共産主義と民主主義の代表としてイデオロギーの浸食を恐れて対立し、世界中を巻き込む冷戦がはじまりました。冷戦激化は朝鮮を巡る戦争へと発展し、1950年、ついに北朝鮮は南朝鮮に侵攻し、朝鮮戦争が勃発したのです。

  戦争は、前半は共産軍側(ソ連、中国が主導)が優勢、その後、国連軍側(アメリカが主導)が押し戻し北側に攻め入り、翌年の4月から5月には膠着状態となります。そして、ソ連、中国、アメリカ各国の国内事情と思惑によってこの戦争をなんとか休戦にしようと終結への動きが始まります。

  この本には、その「休戦」にいたるやりとりが簡潔に記されています。

  そして、19527月、「朝鮮戦争休戦協定」が締結されます。しかし、この協定は「和解なき休戦」と呼ばれており、75年が経とうとしている現在でも2つの国は「休戦」中であり、戦争は続いているのです。なぜ、朝鮮戦争は終結しなかったのか。本著には、大国間の思惑に翻弄された「休戦」へのいきさつが明確に分析されているのです。

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(朝鮮戦争休戦 大佐級の協議 wikipediaより)

【原因の根本解決か、妥協的和平か】

  戦争の終結を決定づける要素とは何か。

  著者は、序章で第二次世界大戦を機に始まった、「終戦」に関する各国国際政治学者による研究を紹介しています。その中では、「パワーポリティクスに基づいた権力政治的アプローチ」、「戦闘国の人的犠牲や経済的疲弊の度合いから見る合理的選択的アプローチ」などを紹介していますが、どの説にも一長一短があり、決定的な定説とはなりにくいようです。

  こうした研究を前提として著者が指標とするのが、「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ、です。前者は、極端に言えば優勢勢力が劣勢勢力を殲滅し、この世から消滅することです。例えれば、ナチスドイツをこの世から殲滅した第二次世界大戦は、「戦争原因の根本解決」の代表です。このときに問題となるのは、「現在の犠牲」です。ある統計で、連合国側は、この殲滅のために5600万人もの人が亡くなったと言われています。この「犠牲」によって手にするものは「将来の危険」の除去です。

  一方の「妥協的和平」は、戦争終結による「和平」によって戦争による「現在の犠牲」を最小限にして戦争を終結させます。例えば、この本の第三章で語られるベトナム戦争は、アメリカが「現在の犠牲」を最小限にするために最終的な妥協によってパリ協定による戦争の終結に至ったものと言えます。この場合、ベトナムが共産国となるという「将来の危険」を捨てて終結を図った結果、アメリカ軍撤退の4年後に「ベトナム社会主義共和国」が成立することになりました。

  この本では、「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ、を基軸として、第一次世界大戦、第二次世界大戦、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の終結を解析していきます。

  いったい、戦争終結はその後の世界にそのような世界(和平)をもたらすのか。今。正井目の前で起こっている戦争のゆくえにも思いをはせる一助にもなります。戦争を終結させたさまざまな権力者たちの決断に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。人間はどのように「戦争」を終わらせてきたのか。興味は尽きません。

  今年も不安定な天気と陽気が続きそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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延江浩 昭和100年を駆け抜けた男

こんばんは。

  今年も新緑が鮮やかな5月がやってきました。ゴールデンウィークも終わりですが、皆さんは楽しい日々を過ごすことができたでしょうか。

  皆さんはオランダにあるキューケンホフ公園をご存じでしょうか。

  この公園はアムステルダムから約30kmの距離にあり、バスやタクシーで行くことができますが、別名「ヨーロッパの公園」とも呼ばれており、32ヘクタール(東京ドーム約7個分)の敷地に数え切れないほどの数の広い花壇に、色とりどりの花が咲き誇っているのです。

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(オランダ キューヘンホフ公園 2026.04.)

  4月の中旬。連れ合いと一緒にベネルクス3国+ドイツに9日間のツアーで行ってきました。

  キューケンホフ公園はこの旅行の目的の一つで、ツアーでは4時間、園内での自由時間がありました。公園内は、ヨーロッパ式の庭園となっており、いくつもの池と緑、そして花々が絶妙のバランスで配置されており、どこを歩いても花々の姿に癒やされます。

  公園は満開の花々を満喫するために、3月の中旬から5月の中旬までしか開園していません。そのため、今回の旅行は4月に計画しました。公園には世界中の人々が癒やしを求めて訪れており、その美しさに癒やされ、すべての人々が幸せそうでした。オランダに行き機会のある方でまだ行ったことがない、という方には是非足を運んでもらいたい阿すすめスポットです。

  中央には巨大な温室があり、そこでは800種類のチュ-リップを見ることができ、「これもチューリップなの?」と驚くような色や形の花々を楽しむことができました。

  今回の旅行は、見所満載で、美術館としては「クレラー・ミュラー美術館」、「オランダ国立美術館」、「マウリッツハイス美術館」を巡り、アムステルダム、ヒートホールン、ブルージュでは運河クルーズで町並みや歴史を味わい、ライン川下りではローレライや数々の川岸のお城を楽しみました。さらに、建造物では、ケルン大聖堂、アントワープのノートルダム大聖堂(「フランダースの犬」のラストシーンで有名)に感動しました。

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(オランダ国立美術館 修復中の「夜警」)

  語り出すと、数週間はかかってしまうので本の話に移りましょう。

  今年は、日本で初めてラジオ放送が始まってから100年になるとのことで、初めてのラジオ放送を行ったNHKでは、サザンのテーマ曲を始めとして、様々な特集番組を組んでその歴史を紐解いてくれています。我々は、テレビの華々しさに目を奪われがちですが、ラジオにも様々な場面で魅了されてきました。

  今週は、音楽好きな友人が紹介してくれた「ミスターFM」と呼ばれた人物を描いたノンフィクションを読んでいました。

「反骨魂-後藤亘『ミスターFM』と呼ばれた男」

(延江浩著 文芸春秋社 2025年)

【ラジオといえば青春です】

  この本は、あの「FM東京」が、前身の「FM東海」として実験放送を始めた1958年から2年後、その草分けの時代に入社し、以来FM放送の発展に人生をかけた後藤亘氏の人生を描いた評伝です。ちなみに、氏は、今もFM東京と東京MXTVの名誉相談役を務めておられます。

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(延江浩「反骨魂」 amazon.co.jp)

  さて、ラジオといえば、昭和の時代を思い出します。

  昭和40年代、テレビがお茶の間の主役となり始めた頃、思春期を迎えた子供たちの話し相手となっていたのはラジオでした。特にAM放送では、思春期の子供たちに圧倒的な人気を誇っていたのは深夜放送でした。

  当時は中学生でしたが、布団の中にトランジスタラジオを持ち込んでイアホンで毎晩深夜放送を聞いていました。当時、どの局でも看板パーソナリティーがいて、青春まっただ中の悩める若者に寄り添うような笑いと共感を生み出していたのです。文化放送は「セイ・ヤング」、日本放送は「オールナイトニッポン」、TBSラジオは「パック・イン・ミュージック」、これらの番組は忘れることができません。

  「セイ・ヤング」では、土井まさるや落合恵子。「オールナイトニッポン」では、糸居五郎、亀渕昭信、斉藤安弘、「パック・イン・ミュージック」では、愛川欽也、野沢那智と白石冬美の「ナチチャコパック」や林義雄などなど、どの局を回しても若者たちからのたくさんのはがきを土台に、若者たちに共感する語りが我々の心をつかみました。

  なんといっても面白かったのは、「ナッチャコパック」です。

  「ナッチャコパック」の「お題拝借」のコーナーは、毎週お題に合わせてリスナーが実際にあった話を面白おかしく手紙に記して投書し、その手紙を野沢那智さんが、あの美声と役者的演出で読み上げ、そこに白石冬美さんが少々天然なボケを入れる、という流れで進行していきます。その内容が毎週爆笑もので、翌日学校に行くとその話題でもちきり、ということになります。

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(単行本「パック・イン・ミュージック」amazon.co.jp)

  お題は忘れましたが、ある放送では、高校生が「どれくらいの間、髪の毛を洗わずに世間にバレずにいられるか。」をレポートする形で読まれていました。日々、学校での自分と友人たちの姿を描写する情景が文面を彩り、声優のプロ、野沢那智さんが臨場感満載で読んでくれるのです。

  数週間経過したある日、体育の時間に教室で着替えているときに隣で着替えていた友人が、怪訝な顔をしてこちらを見ています。「さては、ついにバレタか」とヒヤヒヤしていると、友人がこちらの頭に鼻を近づけて、クンクンと匂いを嗅いでくるではありませんか。思わず、「これで終わりか」と冷や汗が流れます。すると、友人がひとこと、「おまえ、変わった匂いのするトニックつけてるなぁ。」。「やった!」、ホッと胸をなで下ろします。

  間一髪、洗わずの髪の記録は伸び続けました。

  布団の中で聞いていた私は、野沢那智さんの緊迫の語りと白石冬美さんの可憐なボケに爆笑してしまいました。翌日、友人たちと笑い合ったは言うまでもありません。

  ナッチャコパックでは、必ず番組最後に若者たちが自らの悩みを語った手紙が読まれます。それは、難病にかかった若者の心情や差別や偏見に苦しむ若者、厳しい境遇に苦しむ人々などなど、社会の矛盾に悩む人々の訴えです。

  その手紙への野沢那智さんのコメントにかぶせて、レイモン・ルフェーブル楽団の「シバの女王」が流れはじめます。不条理に悩む若者の心情を感じながら番組が終了していきます。

  ラジオは、まさに青春そのものでした。

【FMにも青春が詰まっています】

  青春時代、ラジオはAM放送のみならずFM放送にもたくさんの想い出があります。

  中学生時代、最もはまっていたのは洋楽ポップスでした。小学生時代には、姉の影響でモンキーズやビートルズにはまっていましたが、そこから、ビージーズやカーペンターズ、ギルバート・オサリバン、CCRなどの洋楽が大好きでした。そこには、フランソワーズ・アルディやダニエル・ビタル、ミッシェル・ポルナレフ、シルヴィ・バルタンなどのヨーロッパ発の素晴らしい歌手もいて、彼らの歌唱にも心を奪われました。

  当時、洋楽の情報は手に入る場所がなく、必ず聞いていたのがFM東京、土曜日の1400から流れていた「ダイヤトーン・ポップスベストテン」という洋楽のヒットチャートを紹介してくれる番組でした。当時は、ちょうどカセットラジオが発売されたところで、新しもの好きの父親が買ってきたラジカセで録音していたのを覚えています。

  FMは、周波数の変調を利用した電波を使用しており、電波の届く距離は短いのですが、伝送容量が大きいため音質がよく、ステレオ放送も可能です。つまり、FM放送は、高音質の音楽や副音声が必要な教育放送などの利用に向いており、そこに特徴があるのです。

  以前にも書きましたが、父親は大のクラシックファンで、当時家にはコンポーネントステレオがあり、チューナーはトリオ、アンプはサンスイ、プレーヤーはデンオン、オープンリールテープレコーダーはティアック、スピーカーはダイヤトーンと、クラシック音楽を聴くためのステレオセットが備えられていました。

  父親は、この装置を使って、クラシックの名演奏をほとんど毎日録音していました。その音源は、すべてFM東京とNHKFMでした。そのおかげで、私もFM放送のエアチェックは早くから得意で、NHKFMでは、「サウンド・オブ・ポップス」という夜の番組をよく録音していました。当時は、ブリティッシュロック全盛期で、レッド・ツエッペリンの当時の新譜「プイレゼンス」はこの番組のエアチェックで録音し、テープがすり切れるほど聞き込みました。

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(Led Zeppelin 「Presence」 amazon.co.jp)

  そんなFM放送ですが、FM東京の看板番組といえば「ジェットストリーム」です。

  この番組は、夜間のジェットフライトで音楽を聞きながら安らかな眠りに誘われていく、とのコンセプトに基づいて、平日の深夜000から1時間の番組です。その歴史は古く、最初の放送は、FM東京がまだ前身のFM東海だった時代、1967年の74日から現在まで続いている長寿番組です。その放送は、22000回を超えるというから驚きです。

  この番組の機長で、ナビゲターは永く城達也さんが務めていました。声優としてはゲイリー・クーパーやグレゴリー・ペックの声を担当し、その甘く渋い声はナイトフライトの機長にうってつけでした。城達也さんは1998年に惜しくも亡くなりましたが、亡くなる3ヶ月前までこの番組の機長を務めていました。その年数は27年にも及んでいます。

  心がざわついている夜には、この番組を聴きながら心を落ち着けて眠りにつくことができる、希有な番組でした。そして、この番組を企画し、スタートさせたのが、この本の主役である後藤亘、その人なのです。そのいきさつは、この本に詳しく語られています。

【ミスターFMと呼ばれた男】

  後藤亘氏は、1933年(昭和8年)生まれです。今年94歳。この本の題名にもなっている「反骨魂」は、永年同じ職場で切磋琢磨した著者が氏を体現する言葉として選んだ言葉です。氏の出身は、江戸から明治への転換期に、最後の幕府軍として明治政府軍(薩摩長州藩)と戦って殲滅された会津二本松藩である福島県です。

  私の今は亡き義理の母も昭和一桁ですが、日中戦争、太平洋戦争の戦前戦後を体験した世代の方々には、我々には想像できないような艱難辛苦と思想変換を経験してきた忍耐力とおおらかさがあります。さらに福島出身である気骨が備わっているのであれば、「反骨魂」は氏の人生を表す言葉としてうってつけなのではないでしょうか。

  この本には、後藤さんが駆け抜けてきたFMの世界と昭和の世界が余すことなく語られています。実験放送から始まったFM東海が本放送に乗り出そうとした1967年、事件が起こります。当時の郵政省が、突然本放送のへの認可更新を拒否してきたのです。昭和の政治家は、自らの許認可権を振りかざし、民間企業にとてつもない嫌がらせをしていたのです。まさに、「人民は弱し、官吏は強し」(星新一著のノンフィクションです。)

  FM放送の未来はどうなってしまうのか。その結末は、ぜひこの本で確かめてください。経営者の器を知る、思いもかけない結末が皆さんを待っています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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日本はどのように誕生したのか?

こんばんは。

  ここ数年、桜の開花がどんどん早くなり、今年も桜が散り始めています。お花見も今週末が最後となりそうです。とはいえ、日本の桜は本当に美しく、毎年桜の美しい姿を見るにつけ、この国に生まれたことの幸せを味わっています。

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(散歩中に味わった満開のソメイヨシノ)

  さて、その日本の話です。

  すべての物事の起源を知ることには、大きなワンダーを覚えます。それは、人類が「知る」ことを追求することで進化してきたことの証ではないでしょうか。宇宙の起源、地球の起源、生命の起源、人類の起源、細胞の起源、日本人の起源。我々人類は、すべての起源を探求してここまで歩んできました。その最新地点を知ることは、人生の楽しみ、そのものでもあります。

  このブログでも、日本人の起源や歴史の本を読むたびに、その楽しみを紹介してきました。特に、謎に包まれた日本の古代史は、本屋めぐりのテーマの一つです。先日、目にとまった本はNHK出版から上梓された仁尾本の古代史を取材した一冊でした。

「新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト政権」

NHKスペシャル取材班著 NHK出版新書 2025年)

【邪馬台国はどのように成立したのか】

  邪馬台国といえば、これまで何度もご紹介してきたように、その所在地について九州説と近畿説が古くから唱えられており、未だに決着を見ていません。直近では、大分の別府温泉付近がその所在地であり、阿蘇山の噴火によって埋もれてしまったとの説を読みました。

  その説は、これまで基本となった新井白石の説に疑問を投げかけるところから始まっています。それは、有名な「魏志倭人伝東夷伝」に記載された邪馬台国に至る各地の名称を日本の地名と比定することで、邪馬台国の場所を特定する説です。これまで、この地名特定式の方法で邪馬台国の場所は、九州説と近畿説に分かれてきました。

  別府温泉説は、「倭人伝」に記載された「1里」をこれまでの説とは異なる77mとすることによって、読み解くといおう新たな考え方で唱えられていますが、とても新鮮な仮説でした。

  この本は、日本の古代史の最前線を取材し、「邪馬台国」が記載された3世紀中盤からヤマト王権が日本を統合していく6世紀までの「謎」に迫っていくことを目的にしています。

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(NHK出版「新・古代史」 amazon.co.jp)

  ここで、この本の目次に目を通しておきましょう。

1章 邪馬台国と古代中国 

2章 最新研究で迫る邪馬台国連合 

3章 漢王朝の崩壊と「倭国大乱」   

4章 卑弥呼×三国志──知られざるグローバル戦略

5章 卑弥呼の最期と歴史の断絶

6章 「空白の四世紀」に何が起きたのか

7章 ヤマト王権と朝鮮半島情勢

8章 激動の東アジアと倭の五王

9章 「日本」はいかに誕生したか

  目次を読むと、その謎の解明がどこまで進んでいるのか、期待に胸が膨らみます。

  さて、「邪馬台国」です。我々はともすると、「邪馬台国」が九州にあったのか、近畿にあったのか、その結論に興味を持ちますが、この本は、そのどちらに与するのではなく、「考古学」の視点からその謎がどこまで解明されつつあるのかに焦点を当てて取材しているのです。

  古代史ファンならば、「吉野ヶ里遺跡」と「纏向遺跡」の発見に胸を躍らせたことを覚えているのではないでしょうか。

  九州説を唱える人々にとって、1986年、工業団地開発の事前調査時に発見された佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まさに邪馬台国の遺跡だと躍り上がるような発見でした。この遺跡からは、外敵からの防御のための環壕や複数の櫓跡が発見され、大規模集落が存在したことが明らかになります。さらに出入り口に当たる門跡からは、戦国時代の中国を発祥とする防御のための角方の道路が備えられていたことも解明され、中国との接点となりました。

  最新の研究では、弥生時代の墓地が発見され、2023年にはそこから「石棺墓」が出土、当時の有力なリーダーの墓であることが想定されました。さらに、遺跡の近郊には、いくつもの墓墳も発見されており、そこからは剣や鏡が副葬品として発掘されており、大規模集落のリーダーの墓であることが推定されています。

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(佐賀の吉野ヶ里遺跡 yomiuri.co.jpより)

  一方、近畿説を唱える人々にとっても弥生時代の大規模集落の遺跡が発見されています。それは、奈良の桜井市にある「纏向遺跡」です。この遺跡は三輪山近くにあり、奈良時代までに様々な遺跡が積み重なっています。その遺跡調査で、弥生時代の地層から最古のベニバナ栽培の痕跡や桃の種が発見されました。卑弥呼は鬼道をよく使うと「倭人伝」に記されていますが、当時の鬼道と言われる道教では、桃が重要な役割を果たしたとされており、この遺跡で鬼道が行われた者と考えられています。

  第2章では、邪馬台国が複数の集団群がひとつの勢力を形作るために卑弥呼をりーだーとして祭り上げたのではないか、との説を九州説、近畿説の双方から紐解いていきます。

  近年の歴史史観にグローバルヒストリーという考え方がありますが、NHK はこの考え方で様々な特集番組を制作してきました。この本でも東アジア全体の視点、中国からの視点、朝鮮半島からの視点から捉えた「日本古代」との切り口で歴史を読み解いています。

  その中で、ワンダーを感じたのは、世界最古の地図のひとつと言われる「混一きょ理歴代国都之図」という東アジアを描いた世界地図です。この地図は、李氏朝鮮によって15世紀初頭に作られたとされていますが、この地図で日本は北から南に延びる細長い列島として描かれています。「邪馬台国近畿説」では、「倭人伝」の邪馬台国までの行程で「南」と書かれた方角は「東」の間違いだ、との仮説によって近畿説を主張しますが、この地図の概念が古代と同じとすれば、「南」のままでも近畿説は成り立つことになります。

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(李氏朝鮮「歴代国都の図」 wikipediaより)

  ワンダーでした。

【「空白の四世紀」を埋めるピ-ス】

  歴史で最も雄弁であるのは文献資料ですが、日本の古代が記されている同時代文献は中国にしかありません。それは、中国の歴代王朝は王朝の歴史を史書として記し残していくことを文化として持っていい他ことに由来します。

  初めて日本が文献に登場する「魏志倭人伝」は、三国志の魏が残した史書。それは、三世紀の中頃ですが、この後に「日本」が中国の史書に登場するのは、同じく三世紀の「後漢書」。そして、その後、登場するのは五世紀。南朝の宋の史書に倭の5人の王の名が登場するのを待たなければなりません。つまり、邪馬台国と狗奴国が争いを起こし、卑弥呼が亡くなってからヤマト王権が成立して天皇が国を治めるまでの歴史は、中国の史書に登場していないのです。

  このため、日本の古代史ではこの間を「空白の四世紀」と呼んでいるのです。

  現代の我々から見れば「空白」ですが、卑弥呼亡き後、日本の歴史がダイナミックな変遷を遂げていたのが四世紀であり、その意味ではまったく「空白」とはかけ離れた世界であることは間違いありません。そして、この時代を現代の我々は、「古墳時代」と呼んでいます。逆に言えば、古墳を調べることが「四世紀」を明らかにする最も確実な手段だということです。

  以前、古墳の本をご紹介したときに、古墳は天皇の墓であり、すべてを宮内庁が管轄して調査どころか敷地に入ることさえ宮内庁の許可がいることをお話しました。

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(卑弥呼の墓か? 箸墓古墳 asahi.comより)

  確かに、戦時中にはやむを得なかったのでしょうが、現代でも宮内庁が立ち入りを許さないというのは前時代的な発想ではないのかと疑います。その一方で、天皇墓として認定されている以外の古墳では、様々な研究成果が上がっています。この本では、こうした発見から見えてくる「四世紀」のワンダーを語ってくれるのです。

  古墳には、円墳・前方後円墳・前方後方墳などの種類がありますが、以前ご紹介したように日本の関東以北に数が多いのは前方後方墳で、西に多いのは前方後円墳です。前方後円墳が天皇墓中心とすれば、前方後円墳の多い地域は邪馬台国の末裔のヤマト王権、前方後方墳の多い地域は、もともと邪馬台国と闘いを繰り広げた狗奴国の領地だったのではないかとも考えられます。

  この本の古墳を巡るワンダーは、まさにグローバルです。

  皆さんは、韓国の海岸沿いの地域にたくさんの前方後円墳が発見されているのをご存じでしょうか。朝鮮半島の前方後円墳は、1980年代からその存在が語られるようになり、以降多くの前方後円墳が発見されてきました。2022年には、韓国羅州(ナジュ)市で15基目の前方後円墳が発見されて話題となりました。

  一時期には、前方後円墳が朝鮮半島から日本にもたらされたのではないか、との仮説も唱えられましたが、発見された古墳がすべて五世紀末から六世紀にかけて築かれていることから、前方後円墳は日本固有の形態で、何らかの理由で日本から朝鮮半島に渡ったのだと考えられるようになったのです。

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(朝鮮半島南部の前方後円墳 wikipediaより)

  邪馬台国からヤマト王権へと日本が移行していく過程で、王権が最も重視したものは何だったのか。それは、「鉄」でした。「鉄」は、農耕機具、武器として飛躍的な強度を誇り、大量生産の要であると同時に、争いでは決定的な力を発揮したのです。当時、「鉄」は日本国内では手に入らず、もっぱら朝鮮半島からの輸入に頼っていました。

  しかも三世紀から四世紀にかけて、朝鮮半島で日本と交易を行ったのは半島の南端にある百済国に他なりませんでした。邪馬台国からヤマト王権へとゆっくりと全国をまとめ上げていく過程で、鉄は各地の豪族たちに王権のパワーを見せつけるための重要な文物だったのです。百済との絆を強固にすることは、イコール自らの存在感を高めることに他なりませんでした。

  朝鮮半島に築かれた数々の前方後円墳は、利害が一致した当時のやまと王権と百済国が文武で親密な交流を続けていた証ではないのでしょうか。

  当時、中国は三国時代から南北朝時代への変換期であり、朝鮮半島への支配はゆるやかになりました。そこで、力で半島の制覇を狙ったのが高句麗国です。高句麗国は、当時朝鮮半島を3分割していた新羅国と百済国へと攻め入りました。百済国と同盟とも言える関係を結んでいたヤマト王権は、利権を守り、絆を深めるために百済とともに高句麗と戦ったことが想像されます。

  ちなみに、韓国には、この高句麗の広開土王の功績を記した石碑が414年に建立され、その中には当時「倭」が百済とともに連合軍を打ち立て、王は打ち破ったと記されていることが紹介されています。「空白の四世紀」を埋める碑文。ワンダーです。詳しくは、ぜひこの本で。

  さらに、高句麗国は騎馬民族で、騎馬軍団がおり、この流れの中で馬も百済を通じて日本にもたらされた、ということが考古学からもわかってきているそうです。

  時代は日進月歩で進んでいきます。皆さんもこの本で最新の日本古代史に思いをはせてはいかがでしょうか。こうした研究が実を結び、近い将来、古代日本の真の姿が語られることを楽しみにしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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日本はどのように誕生したのか?

こんばんは。

  ここ数年、桜の開花がどんどん早くなり、今年も桜が散り始めています。お花見も今週末が最後となりそうです。とはいえ、日本の桜は本当に美しく、毎年桜の美しい姿を見るにつけ、この国に生まれたことの幸せを味わっています。

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(散歩中に味わった満開のソメイヨシノ)

  さて、その日本の話です。

  すべての物事の起源を知ることには、大きなワンダーを覚えます。それは、人類が「知る」ことを追求することで進化してきたことの証ではないでしょうか。宇宙の起源、地球の起源、生命の起源、人類の起源、細胞の起源、日本人の起源。我々人類は、すべての起源を探求してここまで歩んできました。その最新地点を知ることは、人生の楽しみ、そのものでもあります。

  このブログでも、日本人の起源や歴史の本を読むたびに、その楽しみを紹介してきました。特に、謎に包まれた日本の古代史は、本屋めぐりのテーマの一つです。先日、目にとまった本はNHK出版から上梓された仁尾本の古代史を取材した一冊でした。

「新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト政権」

NHKスペシャル取材班著 NHK出版新書 2025年)

【邪馬台国はどのように成立したのか】

  邪馬台国といえば、これまで何度もご紹介してきたように、その所在地について九州説と近畿説が古くから唱えられており、未だに決着を見ていません。直近では、大分の別府温泉付近がその所在地であり、阿蘇山の噴火によって埋もれてしまったとの説を読みました。

  その説は、これまで基本となった新井白石の説に疑問を投げかけるところから始まっています。それは、有名な「魏志倭人伝東夷伝」に記載された邪馬台国に至る各地の名称を日本の地名と比定することで、邪馬台国の場所を特定する説です。これまで、この地名特定式の方法で邪馬台国の場所は、九州説と近畿説に分かれてきました。

  別府温泉説は、「倭人伝」に記載された「1里」をこれまでの説とは異なる77mとすることによって、読み解くといおう新たな考え方で唱えられていますが、とても新鮮な仮説でした。

  この本は、日本の古代史の最前線を取材し、「邪馬台国」が記載された3世紀中盤からヤマト王権が日本を統合していく6世紀までの「謎」に迫っていくことを目的にしています。

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(NHK出版「新・古代史」 amazon.co.jp)

  ここで、この本の目次に目を通しておきましょう。

1章 邪馬台国と古代中国 

2章 最新研究で迫る邪馬台国連合 

3章 漢王朝の崩壊と「倭国大乱」   

4章 卑弥呼×三国志──知られざるグローバル戦略

5章 卑弥呼の最期と歴史の断絶

6章 「空白の四世紀」に何が起きたのか

7章 ヤマト王権と朝鮮半島情勢

8章 激動の東アジアと倭の五王

9章 「日本」はいかに誕生したか

  目次を読むと、その謎の解明がどこまで進んでいるのか、期待に胸が膨らみます。

  さて、「邪馬台国」です。我々はともすると、「邪馬台国」が九州にあったのか、近畿にあったのか、その結論に興味を持ちますが、この本は、そのどちらに与するのではなく、「考古学」の視点からその謎がどこまで解明されつつあるのかに焦点を当てて取材しているのです。

  古代史ファンならば、「吉野ヶ里遺跡」と「纏向遺跡」の発見に胸を躍らせたことを覚えているのではないでしょうか。

  九州説を唱える人々にとって、1986年、工業団地開発の事前調査時に発見された佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まさに邪馬台国の遺跡だと躍り上がるような発見でした。この遺跡からは、外敵からの防御のための環壕や複数の櫓跡が発見され、大規模集落が存在したことが明らかになります。さらに出入り口に当たる門跡からは、戦国時代の中国を発祥とする防御のための角方の道路が備えられていたことも解明され、中国との接点となりました。

  最新の研究では、弥生時代の墓地が発見され、2023年にはそこから「石棺墓」が出土、当時の有力なリーダーの墓であることが想定されました。さらに、遺跡の近郊には、いくつもの墓墳も発見されており、そこからは剣や鏡が副葬品として発掘されており、大規模集落のリーダーの墓であることが推定されています。

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(佐賀の吉野ヶ里遺跡 yomiuri.co.jpより)

  一方、近畿説を唱える人々にとっても弥生時代の大規模集落の遺跡が発見されています。それは、奈良の桜井市にある「纏向遺跡」です。この遺跡は三輪山近くにあり、奈良時代までに様々な遺跡が積み重なっています。その遺跡調査で、弥生時代の地層から最古のベニバナ栽培の痕跡や桃の種が発見されました。卑弥呼は鬼道をよく使うと「倭人伝」に記されていますが、当時の鬼道と言われる道教では、桃が重要な役割を果たしたとされており、この遺跡で鬼道が行われた者と考えられています。

  第2章では、邪馬台国が複数の集団群がひとつの勢力を形作るために卑弥呼をりーだーとして祭り上げたのではないか、との説を九州説、近畿説の双方から紐解いていきます。

  近年の歴史史観にグローバルヒストリーという考え方がありますが、NHK はこの考え方で様々な特集番組を制作してきました。この本でも東アジア全体の視点、中国からの視点、朝鮮半島からの視点から捉えた「日本古代」との切り口で歴史を読み解いています。

  その中で、ワンダーを感じたのは、世界最古の地図のひとつと言われる「混一きょ理歴代国都之図」という東アジアを描いた世界地図です。この地図は、李氏朝鮮によって15世紀初頭に作られたとされていますが、この地図で日本は北から南に延びる細長い列島として描かれています。「邪馬台国近畿説」では、「倭人伝」の邪馬台国までの行程で「南」と書かれた方角は「東」の間違いだ、との仮説によって近畿説を主張しますが、この地図の概念が古代と同じとすれば、「南」のままでも近畿説は成り立つことになります。

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(李氏朝鮮「歴代国都の図」 wikipediaより)

  ワンダーでした。

【「空白の四世紀」を埋めるピ-ス】

  歴史で最も雄弁であるのは文献資料ですが、日本の古代が記されている同時代文献は中国にしかありません。それは、中国の歴代王朝は王朝の歴史を史書として記し残していくことを文化として持っていい他ことに由来します。

  初めて日本が文献に登場する「魏志倭人伝」は、三国志の魏が残した史書。それは、三世紀の中頃ですが、この後に「日本」が中国の史書に登場するのは、同じく三世紀の「後漢書」。そして、その後、登場するのは五世紀。南朝の宋の史書に倭の5人の王の名が登場するのを待たなければなりません。つまり、邪馬台国と狗奴国が争いを起こし、卑弥呼が亡くなってからヤマト王権が成立して天皇が国を治めるまでの歴史は、中国の史書に登場していないのです。

  このため、日本の古代史ではこの間を「空白の四世紀」と呼んでいるのです。

  現代の我々から見れば「空白」ですが、卑弥呼亡き後、日本の歴史がダイナミックな変遷を遂げていたのが四世紀であり、その意味ではまったく「空白」とはかけ離れた世界であることは間違いありません。そして、この時代を現代の我々は、「古墳時代」と呼んでいます。逆に言えば、古墳を調べることが「四世紀」を明らかにする最も確実な手段だということです。

  以前、古墳の本をご紹介したときに、古墳は天皇の墓であり、すべてを宮内庁が管轄して調査どころか敷地に入ることさえ宮内庁の許可がいることをお話しました。

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(卑弥呼の墓か? 箸墓古墳 asahi.comより)

  確かに、戦時中にはやむを得なかったのでしょうが、現代でも宮内庁が立ち入りを許さないというのは前時代的な発想ではないのかと疑います。その一方で、天皇墓として認定されている以外の古墳では、様々な研究成果が上がっています。この本では、こうした発見から見えてくる「四世紀」のワンダーを語ってくれるのです。

  古墳には、円墳・前方後円墳・前方後方墳などの種類がありますが、以前ご紹介したように日本の関東以北に数が多いのは前方後方墳で、西に多いのは前方後円墳です。前方後円墳が天皇墓中心とすれば、前方後円墳の多い地域は邪馬台国の末裔のヤマト王権、前方後方墳の多い地域は、もともと邪馬台国と闘いを繰り広げた狗奴国の領地だったのではないかとも考えられます。

  この本の古墳を巡るワンダーは、まさにグローバルです。

  皆さんは、韓国の海岸沿いの地域にたくさんの前方後円墳が発見されているのをご存じでしょうか。朝鮮半島の前方後円墳は、1980年代からその存在が語られるようになり、以降多くの前方後円墳が発見されてきました。2022年には、韓国羅州(ナジュ)市で15基目の前方後円墳が発見されて話題となりました。

  一時期には、前方後円墳が朝鮮半島から日本にもたらされたのではないか、との仮説も唱えられましたが、発見された古墳がすべて五世紀末から六世紀にかけて築かれていることから、前方後円墳は日本固有の形態で、何らかの理由で日本から朝鮮半島に渡ったのだと考えられるようになったのです。

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(朝鮮半島南部の前方後円墳 wikipediaより)

  邪馬台国からヤマト王権へと日本が移行していく過程で、王権が最も重視したものは何だったのか。それは、「鉄」でした。「鉄」は、農耕機具、武器として飛躍的な強度を誇り、大量生産の要であると同時に、争いでは決定的な力を発揮したのです。当時、「鉄」は日本国内では手に入らず、もっぱら朝鮮半島からの輸入に頼っていました。

  しかも三世紀から四世紀にかけて、朝鮮半島で日本と交易を行ったのは半島の南端にある百済国に他なりませんでした。邪馬台国からヤマト王権へとゆっくりと全国をまとめ上げていく過程で、鉄は各地の豪族たちに王権のパワーを見せつけるための重要な文物だったのです。百済との絆を強固にすることは、イコール自らの存在感を高めることに他なりませんでした。

  朝鮮半島に築かれた数々の前方後円墳は、利害が一致した当時のやまと王権と百済国が文武で親密な交流を続けていた証ではないのでしょうか。

  当時、中国は三国時代から南北朝時代への変換期であり、朝鮮半島への支配はゆるやかになりました。そこで、力で半島の制覇を狙ったのが高句麗国です。高句麗国は、当時朝鮮半島を3分割していた新羅国と百済国へと攻め入りました。百済国と同盟とも言える関係を結んでいたヤマト王権は、利権を守り、絆を深めるために百済とともに高句麗と戦ったことが想像されます。

  ちなみに、韓国には、この高句麗の広開土王の功績を記した石碑が414年に建立され、その中には当時「倭」が百済とともに連合軍を打ち立て、王は打ち破ったと記されていることが紹介されています。「空白の四世紀」を埋める碑文。ワンダーです。詳しくは、ぜひこの本で。

  さらに、高句麗国は騎馬民族で、騎馬軍団がおり、この流れの中で馬も百済を通じて日本にもたらされた、ということが考古学からもわかってきているそうです。

  時代は日進月歩で進んでいきます。皆さんもこの本で最新の日本古代史に思いをはせてはいかがでしょうか。こうした研究が実を結び、近い将来、古代日本の真の姿が語られることを楽しみにしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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坂本龍一 その音楽人生を語る本

こんばんは。

   季節は着実に春に近づいています。

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(散歩途上に見つけたモクレンも満開)

  今年開催されたミラノ・コルティナオリンピックは、冬季オリンピックのたびに味わうことができる感動を今回も我々に届けてくれました。今回、日本チームが獲得したメダルの数は冬季オリンピックで最高の24個となりました。

  今や日本のお家芸となったスノーボードの各種目はもちろんですが、スキーモーグル、スキージャンプ、フィギアスケート、スピードスケートと毎日、感動とともに過ごすことができました。

  フィギアスケートペアで、日本初の金メダルをつかみ取った、りくりゅうペアの演技。オリンピック直前の大会で骨折という大けがを負いながら6位入賞という奇跡の技を見せたスノーボードの平野歩夢選手には本当に大きな感動をもらいました。

  そんな中で、最も心に残ったのは日本が団体競技で見せた絆の強さでした。フィギアスケr-トの団体競技で見せた、坂本花織選手の明るさと演技、それまでの最高得点をたたき出した、りくりゅうペア。そして、最後の男子フィギアで渾身の演技を披露した佐藤駿選手。すべての選手がチームのために持てる力を100%発揮する姿は、人の持つ「共感する力」を改めて見せてくれる素晴らしい時間でした。

  加えて、スキージャンプ混合団体では、本大会でメダルを各位得した丸山希選手と二階堂蓮選手、前回北京オリンピックで金メダルを獲得した小林陵侑選手、そして、平昌オリンピックで銅メダルを獲得した高梨沙羅選手という最強のメンバーで挑み、みごとに銅メダルを手にしました。

  前回の北京オリンピックでは、高梨選手が特大ジャンプを飛びながら、スーツの規定違反で失格となり、メダルを逃した悔しい涙を流した姿が忘れられません。そのリベンジを見事に果たし、うれし涙を流す姿には心からの感動を覚えました。メダルが決まった瞬間、前回大会でともに戦った伊藤有希選手が高梨選手に駆け寄って「よく頑張ったね。」とともに涙を流す姿に、その絆の強さを感じました。

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(みごと銅メダル獲得! nikkei.comより)

  人を思う心が、持てる力の100%以上を発揮させる姿に人間の持つ「共感力」をみて、改めて人の持つパワーを感じた瞬間でした。

  今週からは、ミラノコルティナパラリンピックが開催されています。再び、アスリートたちの姿をみることができることを楽しみにしています。

  3月6日からはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕しました。今年も大谷翔平選手をはじめ、大リーグで活躍する日本選手たちが日本代表として参加しています。7日の予選、台湾戦では、大谷選手が打順一番で登場し、いきなりのツーベースヒット、さらには満塁ホームランを放ち、快勝しました。予選を全勝で通過したサムライジャパンの活躍がますます楽しみです。

  さて、日本が誇る音楽家でミュージシャンの坂本龍一さんが亡くなってから今月で、2年がたとうとしています。坂本さんは1952年生まれですので、享年71歳。そのラストイヤーは、NHKで特集が組まれ放送されたので、最後まで音楽を紡ぎ続けたその姿をご覧になった方も多いのではないかと思います。2012年にがんが見つかり、その後は療養生活と音楽活動を両立する日々でしたが、最後は静かに息を引き取られたようです。

  今月は、その坂本龍一さんが、自らの半生を語った本を読んでいました。

「音楽は自由にする」(坂本龍一著 新潮文庫 2023年)

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(文庫「音楽は自由にする」 amazon.co.jp)

【「KYLYN LIVE」の衝撃】

  坂本龍一と聞いて思い出すのは、数々の賞を受賞した「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」などの映画音楽、CMから大ヒットした「energy Flow」。はたまた、当時、一世を風靡したテクノポップの先駆け、YMOでの活躍かもしれません。

  世代によって、その印象は様々だと思います。

  私の中で最も強烈な印象は、1979年にリリースされたギタリスト渡辺香津美が結成したプロジェクト「KYLYN」のライブアルバムです。当時、アメリカではウェストコーストでギタリストのりー・リトナーがジェントル・ソウツ名義でフュージョンアルバム(当時はクロスオーバーと呼ばれていました。)を発表しており、そのアルバムを聞いた渡辺香津美は最先端の音として、自らもクロスオーバーを目指したいと、当時の新進気鋭のミュージシャンを集めて、「KYLYN」を立ち上げたのです。

  そのプロジェクトのメンバーは驚きで、シンセサイザーとキーボードは、坂本龍一、矢野顕子、益田幹夫、ベースが小原礼、ドラムスは村上“ポンタ”秀一と高橋幸宏、さらにホーンセッションは、トロンボーンが向井滋春、アルトサックスが本多俊之、テナーサックスが清水靖晃、さらにパーカッションはペッカーという布陣です。

  当時は全員がほぼ無名でしたが、その後すべての人が名をなしています。

  坂本龍一さんは、このプロジェクトで曲を4曲も提供しています。その中の「I‘ll be There」という曲は矢野顕子さんとの共作で、その後、このお二人は夫婦になります。

  とにかく、このLP2枚組のアルバムは、すべての曲でインプロビゼーションが繰り広げられ、香津美さんのギターと坂本さんのシンセサイザーが丁々発止のバトルを繰り広げます。マイルス・デイビスの「マイル・ストーン」をはじめとして、オープニングから最後の1曲まで、すべてのミュージシャンのテクニックと熱が渦巻いていて、感動なくして聞くことはできません。

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(名盤「KYLYNライブ」 amazon.co.jp)

  当時、聴いていた音楽はビートルズやモンキーズから発展し、エルトン・ジョン、クイーン、ディープ・パープル、レッド・ツエッペリン、イエス、EL&P、ピンク・フロイドなどのロック系の音楽でしたが、このアルバムを聞いてから、フュージョンとジャズへと嗜好が広がっていったのです。

  ちょうど、時を同じくして渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」やネイティブ・サンのアルバムが登場し、世はすっかりフュージョンブームへと傾いていたのです。

  今回ご紹介するこの本は、月刊誌「エジソン」という雑誌の編集長である鈴木正文氏が、坂本龍一さんにもちかけて、2007年の1月から27回にわたって連載されたインタビューが元になり、本にまとめられて上梓されました。

  2009年は、坂本龍一さんが57歳の時。前年に28歳から31歳まで活動を続け、世界中を驚かせたYMOの再結成ツアーが、ロンドンとスペインで行われた年でもありました。

  坂本龍一の名前を、衝撃を持って知った「KYLINライブ」の頃、彼はまだ東京芸術大学の大学院を卒業したばかりの頃だったのです。この本を読んでも、渡辺香津美の名前も「KYLYN」のことも一言も語られていませんでした。私にとってはひとつの事件だったのですが、音楽家、坂本龍一にとっては、多くの日雇い仕事のひとつだったようなのです。

【現代の音楽家の人生とは】

  坂本龍一氏は、晩年、環境問題や原子力発電廃止、平和や被災者への支援、絵画館前の銀杏並木の伐採反対など、様々な問題に意思を表明していました。

  東日本大震災で大きな傷を負ったピアノに対しての対応は、今でも忘れることができません。坂本さんは、震災支援で宮城県を訪れた際、農業高校で津波の被害に遭ったピアノに出会いました。もちろんピアノは鍵盤も戻らず、ピアノ線もさび付き、鍵盤で音楽を奏でることはできません。しかし、坂本さんはそのピアノで鳴らした音を自らのアルバムの1曲に使用したのです。

  それは、津波という自然の猛威が人の作ったピアノにもたらした「音」をそこに見た、それを感じることでした。坂本さんは、そのピアノを壊れた状態のまま、作品として展示することにしました。自然と音。そのコンセプトから、「津波ピアノ」を地震計と連動させ、地震の震動にピアノが反応して被害を受けたままで音を奏でることにしました。

  2017年、この作品は公開され、NHKでは特集番組が放映されました。

  この本で語られるのは、2009年までの坂本さんの歩みですが、初めての記憶となる「自由学園」系幼稚園でのピアノとの出会いから、学生運動に身を投じた高校、大学時代、どこかに属して職業を持つことへの違和感から求められるがままに音楽に携わった大学院時代、前半では、知られざる坂本龍一の生い立ちが語られていきます。

  とても興味深かったのは、ずっとクラシック音楽を学び、中学時代には「自分はドビッシーの生れ変わり」だと信じていた青年が、東京芸術大学音楽部作曲科で最先端のクラシック音楽を学び、放浪する中で、日本のポピュラーミュージックの世界へと引き込まれていく語りでした。

  坂本さんは、大学院生時代に新宿から中央線沿線で様々なミュージシャンと出会い、ライブに参加してピアノを弾いていたそうですが、その中で人脈が広がっていきました。意外だったのは、山下達郎さんとの出会いです。山下さんが「Ride on Time」でブレークするのは1980年ですので、この頃の達郎は、まだ、シュガーベイブが解散して、ソロデビューの頃だと思います。

  山下さんのバックミュージシャンの仕事もしており、日比谷の野外音楽堂に行ったとき、数千人もの人々がJ-POPのライブに押し寄せているのを見ていて、「日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる。それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーション作っていける、こっちの音楽のほうがよい。」と感じたといいます。

  さらに、山下達郎さんや細野晴臣さんと音楽の話をしていると、自分がこれまで学んできた和声やハーモニーの音楽理論と変わらない知識や技術を持っていて、話していても何の違和感もなく音楽の話ができると感じた、といいます。こうして、細野晴臣さんと知り合って仕事をこなしていく中で、細野さんから、新しいバンドの構想を持ちかけられます。このとき、もう一人のメンバー高橋幸宏さんとはすでに仲良しだったそうです。

  こうして、YMOが産声をあげるのです。

  坂本さんは、当時、「不遜でとんがっていた」と自ら語っていて、細野さんにYMIOに誘われたときにも「個人の仕事が忙しいので、そっちを優先しますけど、まあ時間のあるときにはやりますよ。」と答えたそうです。細野さんは、「まあ、それでもいいから。」と自らやりたいバンドのために大人の対応をしたわけです。

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(YMOの名作「Solid State Survivor」 amazon.co.jp)

  YMOのお話は、ぜひ本書で読んでいただくとして、YMOが一時休止していた1982年、映画監督の大島渚さんから一本の電話があったそうです。それが、映画「戦場のメリ-クリスマス」への出演依頼だったのです。はじめて、事務所で会ったときの話は読みどころです。どうして、これまでやったこともない演技と映画音楽に手を染めることになったのか。あの名曲はどのように生まれたのか。

  「戦場のメリークリスマス」は、カンヌ映画祭に出品されます。坂本さんもカンヌ映画祭に出席するため桓武に行くわけですが、会場で映画好きの坂本さんが敬愛するベルナルド・ベルトルッチ監督に出会います。監督は、ラストエンペラーの構想を蕩々と話し、中国当局との調整の苦労話など、延々1時間近く話していたそうです。

  そして、その3年後、坂本龍一さんは「ラストエンペラー」の撮影に向かうことになるのです。

  この本には、坂本龍一さんがどのように自らの仕事に対峙して行ったのか、また人生にどのように向かっていったのかが語られています。凡人から見れば驚きの人生なのですが、人生を生きる、という意味では、すべての人に共通しています。この本は、読み物として面白いと同時に、人生と対峙するための参考書にもなります。

  皆さんも、ぜひ一度読んでみてください。生きることに前向きになれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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真山仁 富永検事、沖縄で何が・・・

こんばんは。

  名探偵は事件を呼ぶといいますが、名検事もしかり。

  真山仁さんの富永検事シリーズは、「証拠」と「真実」に徹底的にこだわる主人公が国家に関わる巨悪に挑んでいく物語が綴られます。

  真山仁さんが山崎豊子さんの「白い巨塔」を読んで感動し、緻密で膨大な取材に基づいた小説を作りたいと志した話は有名です。「ハゲタカ」シリーズをはじめ、日本の原子力発電技術を描いた「ベイジン」、さらには日本の政治と総理大臣を描いた「コラプティオ」など、その小説の面白さは独自の色彩を放っています。

  その小説の面白さは、ひとりひとりの人間をキチンと描いていく描写力と、その登場人物たちが巻き込まれていくリアルな状況が、息つく暇もなく新たな状況を生み出していく、手に汗を握るストーリーテリングの妙にあります。

  この富永検事シリーズもそんな真山マジック満載の傑作です。

  今回は、昨年文庫化された第三作を読んでいました。

「墜落」(真山仁著 文春文庫 2025年)

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(真山仁著文庫版「墜落」 amazon.co.jp)

【まるで小説のような解散総選挙】

  ところで、28日に行われた衆議院の解散に伴う総選挙。60年ぶりの真冬の衆議院選挙となりましたが、東北や北陸の豪雪地域では短期間の公示期間で、選挙ポスターでの公示や投票券の発送など、必死の準備に奔走した自治体職員の皆様には感謝しかありません。

  解散は国会開催日の123日、公示が同27日、選挙投票日が28日。解散から投票日まで16日間という日程は前代未聞ですが、この深く吟味する余地を与えない電光石火の選挙が高市早苗総理大臣の決断力と行動力の無謀さを物語っています。

  結果は、前代未聞の自民党大勝利だったので、高市さんの作戦勝ちというほかはありません。

  それにしても、解散時の自民党の衆議院での議席は198議席、選挙後の議席は316議席。衆議院の総定数は465議席ですので、過半数割れの状況から一気に「3分の2」を超える議席を獲得することを誰が予想し得たでしょうか。

  一方で、今回の解散総選挙に伴って、衆議院の旧立憲民主党と旧公明党が合体して結成した「中道改革連合」は、解散時167議席あった議席数が、49議席に激減するという、こちらも前代未聞の大敗北となりました。

  この結果を投票した我々も驚いている、というのが正直なところです。

  今回の選挙には、日本人の特異性がそのまま反映されているのではないでしょうか。

  それは、熱しやすく冷めやすい「ええじゃないか」気質と言ってよいと思います。今回の選挙の投票率は、56%程度だそうですので、これまでの選挙の中では比較的多くの国民が投票したことになります。これは、これまで政治に関心が薄かった人たちが、「高市推し」に向かったことが大きな要因だと思います。

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(江戸時代末期「ええじゃないか」の図 wikipediaより)

  現在日本では、疲れた日々を癒やしてくれる「推し」が大きなブームになっています。それは、アイドル推し、BL推し、アニメ推し、ドジャース推し、サムライジャパン推し、サウナ推し、などなど人の数だけ推しがあるといっても過言ではありません。

  もともと、生き物には「共感」するという本能が備わっており、「生きる」ことに有利となるように同じ種が「共感」することで、厳しい社会を生き抜いていくことができるようです。この「共感」が癒やしを生んで「推し活」がストレスを解消することになります。

  特に日本人は、弥生時代の昔から村社会を形成して、村一丸となって物事を成し遂げるモデルを作り上げてきました。江戸幕府はこの「共感」を逆手にとって村単位での監視社会や、士農工商非民という階層を作ることで、不満のガス抜きを行ってきました。日本人は数千年にわたって「共感」能力を磨き続けてきたのです。それは、熱しやすく冷めやすい民族を作り出す元となりました。

  その気質は、例えば、江戸時代末期に「ええじゃないか」と音頭をとりながら町を踊り歩く行動が一大ブームとなり、日本各地で熱狂的な踊り狂いが社会現象となりました。また、戦前には「ほしがりません勝つまでは」とのスローガンに象徴されるように、軍のプロパガンダにすべての日本人が踊らされ、日本は「戦争」一色に染まりました。さらに戦後には、アメリカの統治下にて、すべての日本人が「民主主義万歳」を唱えることとなりました。

  ことほどさように、我々日本人は「共感力」が高く、「熱しやすく冷めやすい」のです。

  我々の「推し活」もこの「共感力」に支えられていますが、今回の解散総選挙はこうした「高市推し活」を巧みに利用した高市解散がもののみごとに奏功したのではないのでしょうか。確かに、高市総理は「強い経済、強い日本」を再び取り戻すために、「働いて、働いて、働いて、働く」と公約しています。

  しかし、民主主義は数の世界ですので、戦前の日本やドイツをみればわかるとおり、政治が多数を握れば熱狂を生み、破滅へと向かっていくこともあり得ます。ドイツの人たちもワイマール共和国の時代にまさか独裁者が生まれるとは思っていなかったはずです。日本もしかり。

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(1936年ナチス政権下開催のベルリンオリンピック)

  我々も我が国の政治家たちが数の論理で走り出さないよう、よく見極める必要があると思います。「現実は小説よりも奇なり」、とは真実を言い当てているのです。

【富永検事、沖縄に赴任する】

  さて、小説の話に戻ります。

  真山仁さんの小説は、真山チームによる稠密な取材に基づいて構築されており、毎回、現代日本が抱える大きな課題を浮き彫りにしてくれます。さらに、エンターテイメントとして、それを読む面白さを兼ね備えているところにその魅力があります。

  今回、真山氏が自らの分身とも言える富永検事の活躍の場に選んだのは沖縄です。

  昨日、第二次内閣を発足させた高市総理ですが、昨年117日の衆議院予算委員会で台湾有事に対する答弁により中国の怒りを買い、日中関係は尖閣諸島の問題以来の厳しい状況となっています。中国は、日本の水産品の輸入自粛や日本への渡航自粛を自国民にほぼ強要するのみではなく、国連や国際会議の場でも日本の発言を日本の再軍備化の象徴であるがのごとき初弁を繰り返しています。

  沖縄は、台湾に最も近い場所に位置しており、そこには在日米軍基地が集中しています。その敷地は、日本の0.6%にすぎませんが、米軍基地の70%が沖縄に集中しており、その面積は沖縄本島の15%を占めています。

  そして、中国は常に尖閣諸島を中心に領海、領空付近に中国人民解放軍を派遣しています。

  領空に関しては、日常茶飯事のごとくに中国人民軍の主力戦闘機が出没します。彼らの目的は、日本のカウンター能力を確認することだと言われていますが、台湾発言で揺れている昨今は、その頻度が増えているようです。今回、小説のメインストーリーは、この自衛隊のスクランブル発進で利用されている米国製高速度ジェット戦闘機F-77を巡って繰り広げられる物語となります。

  さて、このシリーズは、毎回、多彩な登場人物たちの視点から物語が進行していくことが大きな魅力の一つとなっていますが、今回はその語りによる面白さはますます際立っています。

  まず、スクランブル発進する航空自衛隊のエースパイロット、我那覇瞬。その操縦技量と沈着冷静な判断は群を抜いており、まさにエースです。そして、防衛大学を首席で卒業し、抜群の技量を持つ女性パイロット荒井涼子。二人は、スクランブル発進の時にチームを組んでいます。

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(自衛隊最新戦闘機F-35 wikipediaより)

  一方、沖縄では米軍基地に土地を貸している「軍用地主」は、多額の賃料を受け取っています。小説の登場人物である金城昇一と長男の一(はじめ)は、養豚事業やレストラン経営で成功して巨万の富を築き、さらには軍用地主として年間3億円もの賃料を得ている大富豪です。

  こうした沖縄基地を巡るの複雑な事情の一方で、沖縄には松山という歓楽街があり、そこには新宿歌舞伎町のトーヨコのように未成年の男女が大勢集まっています。そこでは、10代の女性が身を売って日々を暮らし、10代にして子供を産む女性も多くいるといいます。しかし、トーヨコと異なっているのは、そこにいるティーンエージャーたちが皆、とても明るく騒いでいる光景です。

  小説の重要な登場人物として登場する金城一の妻、華はそうした女性の一人です。10代にして、金城一の子供を産み、若くして3児の母なり、今は、沖縄で身寄りのない子供たちの面倒を見ているフローレンスこども園の手伝いをしています。華もかつてこのこども園で生活しており、家族の愛情に人一倍あこがれを抱いている女性なのです。

  ここに、登場するのが、那覇地方検察庁への異動が決まった富永検事が赴任してくるのです。過去、東京地検特捜部で巨悪の検挙に奔走した富永は、アメリカ大使館員の不正ビザ発給詐欺を追っていましたが、同盟国の事件をもみ消そうとする日本政府からの圧力によって「事件はなかったことにする。」との結論を最後に、東京地検特捜部から異動することになったのです。

  その富永を待っていたのは、前任者が残したある殺人事件でした。それは、沖縄の大富豪、金城昇一の跡取り息子が、自宅のマンションで殺害されるという殺人事件でした。その犯人は、被害者である金城一の妻、華だったのです。警察官が現場に駆けつけたとき、華は無残な死体の前に血だらけで佇んでいました。その手には血のついた包丁が握られていたのです。

  そして、物語は、様々な登場人物が物語を織りなしていき、進んでいきます。そのみごとなスト-リーテリングに、思わずページをめくる手を押さえたくなります。

  そんなとき、中国の戦闘機がまたしても領空区域に接近します。24時間体制で監視している沖縄基地の管制塔からスクランブル発進の指令が発せられ、ジエ板野の戦闘機F772機が発信し、領空区域にて中国機に警告を発します。その日、中国機にはこれまで知られていない彼我不明機(アンノウン)が一緒に飛行していたのです。アンノウンを追尾するF-77機。しかし、中国機は、日本領空を犯すことなく引き返していきました。さらに米軍機までもが登場し、F-77には、帰投指令が発せられます。

  しかし、事態は思わぬ方向へと動いていきます。帰投すべきF-77は、突然急降下をはじめ、一直線に墜落してしまったのです。

  そして、事件は、アメリカ軍基地、本土の防衛庁、沖縄県知事を巻き込んで大きなうねりへと発展していきます。さらに、そこに前作で富永検事と渡り合った暁星新聞の敏腕記者、神林裕太までが登場し、物語は息もつかせぬ展開を見せていくのです。


  この小説は、これまでのシリーズの中でも、最も読み応えのある作品です。後半には、現防衛大臣である小泉大臣を思わせる防衛大臣も登場し、我々を存分に楽しませてくれます。そして、物語の最後を飾る思いがけない真実。そこには、今、最も旬な話題であるAI(人工知能)も関わってくるのです。

  皆さんも是非この本で、社会派小説の面白さと問題提起を味わってください。その深さに時間を忘れて引き込まれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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毛内拡 「心」と「脳」はどうつながっているのか

こんばんは。

  何が起きているのかよくわからないうちに、高市総理大臣は今年初めての衆議院本会議の冒頭で解散を表明し、またまたまた国政選挙が行われることになりました。そこにかかる国費は、800億円と言われています。日本では、食料品を中心に値上げラッシュが続いており、毎年?国政選挙を行うような余力はないはずです。

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(解散総選挙に向けた党首討論会 yomiuri.co.jp)

  国の予算と企業の予算と、個人の家計は異なるように語られますが、経済原理はなにも変わることはなく、返済できないほどの借金を抱えれば、個人でも企業でも国でも破綻するとの結末に違いはありません。

  ところが、市町村、県、国は選挙にかかる資金に対して人ごとのような発想しかないようです。

  市町村や県でも、トップに立つ人たちが、学歴を詐称したり、不倫まがいの行動をとったり、パワハラで職員から突き上げられたりすると、議会からリコールされて解散か辞任を選択し、すぐに選挙が行われます。その安易さと、さらにその選挙に投票する人が、有権者の半分以下というていたらくでは、日本人の民主主義意識は崩壊しているとしか思えません。選挙で財政が破綻するとは誰も思わないのですが、無駄な選挙の行き着く先は、歴史にあるとおり、巡り巡って財政破綻を招き、極右政党か極左政党が民衆の支持を得て、戦争が起きることは火を見るよりも明らかです。

  今、世界は分断の時代を迎えています。被爆国でもある日本は、世界でもまれに見るほどの平和国家です。それは、日本の民意が平和を求めているからに他なりません。今回のような安易な「解散」に国民が「NO」といわなければ、日本は正常な政治を取り戻せないように思えます。

  今回の選挙、どの政党を支持するかはいったん置くとしても、皆さんが白票でもかまわないので、政治に対して意思表示をすることが大切です。皆さん、投票所に行きましょう。せめて、70%の投票率(意思表示)がなければ、与党と政権を国民が選んだとは言えません。皆さん、投票所に行って、民主主義の機能を発揮させましょう。

  さて、本の話です。

  唐突ですが、ハラスメントといえば、人と人の間に起きる嫌がらせや相手を傷つける言動のことですが、我々は、自分がハラスメントをしていることに気がつかないことが多いようです。基本的に「ハラスメント」は、被害者がいやな思いをしてそれを表明することからはじまります。しかし、必ずといってよいほど、加害者は「そんなつもりではなかった」と語ります。

  では、人はなぜ他の人からの言動を「嫌だ」と感じるのでしょうか。それは、我々の「心」が痛むからでしょうか。

  では、「心」とは我々の体のどこにあるのでしょうか。

  近年では、体中の臓器は筋肉も含めていつも信号を発信しているといいます。それは、特別なタンパク質によって発せられるそうですが、その信号に基づいて「脳」が反応するのだといいます。すると、「心」は脳内にあるのではなく、五臓六腑の中にあるのでしょうか。

  いつもの通り、本屋さんで面白そうな本を探していると、インパクトのある題名が目に入ってきました。今週は、脳科学者が語る、「心」と「脳」に関する本を読んでいました。

「心は存在しない-不合理な『脳』の正体を科学でひもとく」

(毛内拡著 SB新書 2024年)

【「自分」、「心」、「意識」、「感情」、「情動」】

  昔、教科書に小田実さんが書いた「さかさに地図を眺めてみよう」という文章が載っていました。いつも見ている世界地図は、北が上で南が下ですが、それを逆さまにすると自分の感覚が一瞬崩れていくように感じます。例えば、なぜかベーリング海峡がとても狭く感じます。一万年前に我々ホモ・サピエンスが世界中に拡散したグレートジャーニーがにわかに身近に感じられます。

  この本で語られる「脳」は、我々の「心」への思い込みをひっくり返してくれます。

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(「心は存在しない」SB新書 amazon.co.jp)

 まずは、目次を眺めてみましょう。

序章 実は心なんて存在しない?

第1章 心の定義は歴史上どう移り変わってきたのか

第2章 心はどうやって生まれるのか

第3章 心は性格なのか

第4章 心は感情なのか

第5章 脳はなぜ心を作り出したのか

終章 心は現実の窓

  著者の毛内拡(もうないひろむ)氏は、過去から現在、そして最新の心理学や脳科学を語りながら、「脳」の持つ不思議な「思い込み」機能を次々と語り明かしていきます。

  その第1章では、これまで解き明かされた「心」と「脳」の関係が語られており、興味は尽きません。例えば、心理学の世界では、フロイトやユングが我々の意識について、いつも認識されている意識の下には、自我である「前意識」が存在し、さらにその下には「無意識」の世界があると整理しています。

  我々の感情や思考は、「前意識」の自我やさらに意識すらできないスーパー自我によって規制されていて、それがブレーキとして、心の防衛システムになっているというのです。

  さらに興味深いのは、日本の仏教の教えにある「唯識」という考え方です。

  仏教は仏陀が開いた宗教で、苦しみに満ちた現世から解脱して悟ることを目的としています。そのためには厳しい修行が必要となるのですが、「悟り」の前提となる現世と人の意識について、様々に探求がなされ、仏教ならではの分析と教義へと結びついています。

  大乗仏教は、仏教の救いをすべての人々に広げていこうとする一派なのですが、その教義の前提となる「人」の持つ意識を「唯識」として捉えています。意識とは、人において物事を認識し、知る機能のことですが、その「識」には9つの階層があるとされています。

  まずは、誰もが知っている5感。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が5識として認識されています。その次には、「意識」、我々が5感を含めて様々に認識をするのが「意識」となります。そして、「意識」の下層には、7識として「末那(マナ)識」が存在します。この「識」は、自己意識です。これは「自己執着心」と呼ばれますが、我々の「優越感」、「羨望」、「嫉妬」など、自我そのものの意識がこの「識」です。

  そして、その下層には、8識となる「阿頼耶(アラヤ)識」があります。この識は「蔵識」とも呼ばれ、生まれてからこれまで、人が「識」によって知り得たすべての認識、言葉、経験、が貯蔵されていると考えられ、善悪、生死のすべてがここに納められている、といいます。そして、さらにその下層には、純粋で汚れのない生命の根源、そして、煩悩の根源的な識があると考えます。それが、第9識の「阿摩羅(アマラ)識」です。

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(横山紘一著「阿頼耶識の発見」 amazon.co.jp)

  近代の科学的心理学は、フロイトやユングによって切り開かれたのですが、日本人が「唯識」によって遙か以前に、「深層心理」、「自我」、「集合的無意識」などの概念が認知されていたことは驚きです。著者もこの「唯識」には、「脳」と「心」を考える上で重要な示唆が含まれているといいます。

【「脳」で生み出される「心」とは】

  この本では、近年増加している「心」の負担に対処することも大きな主題として取り扱われています。そのためには、我々の「脳」がどのような仕組みで「心」に浮かぶ意識を生み出しているのかを知る必要があるといいます。

  そのほんの一端をご紹介します。

  まず、脳が情報をどのように処理して、我々の様々な認識や行動に現れるのか、その仕組みをこの本は語ってくれます。

  著者の研究では、人の脳の中には「人間らしさ」を生み出すための「知恵ブクロ記憶」があるとの仮説が立てられています。この「知恵ブクロ記憶」は、人が脳を形成するときから意識無意識に関わらず経験してきたすべての事物が記憶として蓄積されている、と考えています。

  一方、脳は情報処理の過程で、2つの経路と3つのフィルターを利用しているといいます。

  人は外部の情報を5感から得ます。得られた情報は、まず第1のフィルターによって2つの経路に分かれて流れます。それは、意識にあげるか、無意識下で処理するかの2つの経路です。無意識下で、情報は知覚にのぼることなく脳の扁桃体などに送られ、バイパスして即座に恐怖や驚きなどの反応を表出します。これは、ボトムアップのプロセスと呼ばれます。

  バイパス情報とは別に脳に送られた情報は、この情報をどのように取り扱うかについて「知恵ブクロ記憶」に問い合わせ、脳内モデルに基づいたシミュレーションを行い、意識下における対応を予測します。例えば、よく効く薬といわれて飴をなめると病気が治ってしまう、というプラセボ効果もこのシミュレーション予測による反応と考えられます。

  そして、氏は第3のフィルターがあるとの仮説を提示します。それは、生成された認知や感情をどのように表出するかをフィルターによって変えているといいます。それは、喜怒哀楽の表現も含みますが、このフィルターに個人差があるので、怒鳴る人もいれば、静かに怒る人もいる、ということになるのです。

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(NHK「人体」シナプスとニューロン nhk-ondemannd)

  こうしたプロセスは、それぞれの人の「知恵ブクロ記憶」が異なることから、フィルターのかけ方もすべての人間で異なることになるのです。しかし、このプロセスは人間の脳では共通に行われています。それは、物理的な電気信号による情報伝達によって行われているのです。

  これを知ると、このプロセスから生まれている我々の「心」は、物理的な運動の積み重ねに過ぎないのだと感じます。我々は、あたりまえのように、「自分(自意識)」があると考えていますが、それはひとつの物理的な現象にしか過ぎないのではないかと思えてきます。

  さらには、このブログでも何度かご紹介した生物学者の福岡伸一氏が語る「動的平衡」という言葉が登場します。我々の体を形作っている細胞は、常に死に絶えており、なおかつ生まれていて、すべての細胞が入れ替わるのに約2週間を要する、といいます。すると、我々は2週間に一度、別の人間に生まれ変わっていることになります。

  例えば、朝起きたときに自分が眠る前の自分と同じ人間か、どうしてわかるのか、との命題を考えてみると、それは「脳」がそうした認識を生み出しているためにそう考えているだけで、もしかすると別の人間にすりかわっているのかもしれません。

  そう考えると、我々の「心」とは、「脳」という器官が「動的平衡」により人を生かすために作り出した幻想に過ぎないのかもしれません。しかし、やっかいなことに、その幻想は、一人一人の「知恵ブクロ記憶」が異なる故に、すべての人が異なる個性を持っています。それがゆえに、分断が生まれ、争いが起き、殺人や自殺が起きるのです。

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(福岡伸一著「動的平衡」 amazon.co.jp)

  この本を読むと、いかに人の「脳」が我々に生きるための幻影を見せているのか考えさせられます。それは、あたかも、イスラエルの歴史学者ユヴァル・N・ハラリ氏が上梓した「サピエンス全史」で喝破した、サピエンスは虚構を生み出して、それを信じる能力によって地球上を席巻した、との指摘と響き合うような気がします。

  「唯識」では、我々は机の上の「リンゴ」を見て、「リング」が当然存在すると考えるが、それは見る者の思い込みに過ぎない、といいます。我々個人も自分の「脳」により作りだされる「心(虚構)」に振り回されているのかもしれません。


  皆さんもこの本で、「心」の本質を見つめてみてはどうでしょうか。「なやみ」は「脳」が生み出す信号であり、別の角度から見ればなやまなくてもすむことがあると気づくのではないでしょうか。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2026年 明けましておめでとうございます

令和八年 
 明けましておめでとうございます。

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新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
おかげさまで日々雑記も16年目を迎えます。
これも、ひとえにいつもご訪問くださる皆様のおかげです。
誠に有難うございます。
ウクライナ、ガザ、トランプ旋風と世の中には不穏な風も吹いていますが、良識のある地球号の一員として、対話のある相互に幸せな人生を送っていきたいと思っています。

皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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松岡圭祐 007は二度死んだ!?

こんばんは。

  第二次世界大戦中にイギリス海軍の諜報機関で仕事をしていたイアン・フレミングは、終戦後、新聞社に勤務する傍ら、休暇時にはジャマイカの別荘で小説を執筆していました。その小説が、後にベストセラ-となり、映画化された007シリーズでした。

  第一作「カジノ・ロワイヤル」が発表されたのは、1953年。フレミングは、ここから年1作のペースで007の作品を執筆し、1964年に上梓されたシリーズ11作目の作品が「007は二度死ぬ」です。この間に、フレミングと007を取り巻く環境は大きく変わっています。

  まず、1961年にアメリカのライフ誌に掲載された当時のケイネディ大統領がお気に入りの本に、第5作に当たる「ロシアより愛をもめて」が入っていたことから、この作品がベストセラーとなり、フレミングは一躍有名人の仲間入りをしました。

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(イアン・フレミングのブロンズ像 wikipediaより)

  さらに、1961年、第6作目「ドクター・ノー」を原作とした映画が公開され、大ヒットして、フレミングは007の生みの親として、全世界にその名を知られることとなったのです。ちなみに、日本で公開された映画の邦題は「007は殺しの番号」でしたが、その後、リバイバル上映時に「ドクター・ノー」と改題されています。

  こうして、イアン・フレミングが描いたジェームズ・ボンドは、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンに並んで世界のアイコンとなったのです。

  残念なことに、彼は1964年、第12作目の作品「黄金の銃を持つ男」を校正している最中に心臓麻痺でかえらぬ人となり、それ以降、ジェームズ・ボンドの新作は読むことがかなわなくなったのです。しかし、ジェームズ・ボンド愛は消えることはありませんでした。その後も、イアン・フレミング財団がふさわしい作家を選定し、007の新作を発表し続けています。

  そして、日本にもジェームズ・ボンドを心から愛する作家がいたのです。

  今週は、日本を舞台に描かれた007の物語を読んでいました。

「タイガー田中」(松岡圭祐著 角川文庫 2024年)

007の日本での活躍】

  007好きの皆さんは、日本を舞台にした007作品といえばすぐにその名がよみがえってくると思います。そうです。その作品が1963年に発表された第11作「007は二度死ぬ」なのです。

  この作品は、1967年にジェームズ・ボンドシリーズの第5作目として映画化されました。ここまでボンドを演じてきたショーン・コネリーはこの作品を持ってジェームズ・ボンド役から一度引退することになります。映画の舞台も原作通り日本となっており、映画はそのほとんどのシーンが日本ロケで撮影され、当時も大きな話題となりました。

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(「007は二度死ぬ」映画ポスター 007-seris.com)

  今回の本の題名「タイガー田中」とは、まさにこの作品における日本側の諜報機関(公安外事査閲局)の責任者である田中虎雄そのひとなのです。

  田中虎雄は、その名前からか外国人からタイガーと呼ばれており、映画では当時、丹波哲郎が演じていました。そして、彼ら諜報員の訓練場となっていたのが姫路城でした。この映画では、東京オリンピック開催後のモダンな東京の姿も描かれていましたが、タイガー田中率いる諜報員たちは、忍者の伝統を受け継いでおり、日本の柔道に代表される武道や剣術、手裏剣などが登場し、やはり日本はタイピカルに描かれるのだな、と感じさせるものでした。

  しかし、監督のルイス・ギルバートは、アクション映画も得意としており、007映画の魅力を存分に描いてくれました。ジェームズ・ボンドといえば、ボンド・ガールですが、日本の女優、若林映子と浜美枝が抜擢されました。特に浜美枝は、宿敵プロフェルドが拠点とする離島に潜入するために偽装結婚する離島の海女を演じており、映画の鍵を握る女性となります。

  そして、ボンド映画を彩る新兵器。毎回、ボンドに新たな兵器を引き渡すのは、おなじみQと呼ばれる諜報員です。今回Qが持ち込むのは、一人乗りの小型ヘリコプター(正しくはオートジャイロト呼ぶそうです。)「リトル・ネリー」です。4つのトランクから取り出された「リトル・ネリー」にタイガー田中は「おもちゃのヘリコプターか?」と驚きますが、実は強力な装備を備えていたのです。

  機首には、7.7ミリ機関銃が2門。機体の下に熱感知追尾式のミサイル2基を搭載。さらには、後方に向けた火炎放射器と煙幕発射装置、そして、落下傘投下方式の空中爆雷を備えているスーパーオ-トジャイロなのです。映画では、敵基地を飛び立った数機のヘリコプターとの空中戦が繰り広げられ、ボンドはオートジャイロの武器で敵を壊滅させるのです。

  この日本を舞台にした007作品は、痛快でジェームズ・ボンドの魅力が詰まった楽しい映画でした。

  今回ご紹介する本は、「007は二度死ぬ」の後日談となる物語なのです。

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(文庫「タイガー田中」 amazon.co.jp)

【映画は原作に忠実なのか?】

  さて、小説「タイガー田中」は、確かに「007は二度死ぬ」の後日談として、ジェームズ・ボンドを描く小説なのですが、それは、映画の後日談なのではなく、小説「007は二度死ぬ」の後日談です。

  イアン・フレミングのボンド小説は、第12作目までとなりますが、そのストーリーは引き継がれる形となって進んでいきます。例えば、小説としての「007は二度死ぬ」は第11作目となりますが、そのストーリーは10作目の作品「女王陛下の007」を引き継ぐ形で語られていきます。

  「女王陛下の007」で、ボンドはコルシカマフィアのボス、マルク=アンジェ・ドラコの娘であるトレーシーと恋に落ちて、物語の最後に結婚することになります。ところが、結婚式を挙げ、新婚旅行に向かう車が、悪の組織スペクターの首領であるプロフェルドに急襲され、トレーシーは銃撃によって殺されてしまうのです。

  「007は二度死ぬ」でのボンドは、前作で妻を殺され、失意のうちに酒浸りとなり007としての仕事ができなくなってしまいます。そこで、上司のMが彼を立ち直らせようと、007の名称を7777号と改めて、日本が開発した暗号機「マジック44」の受け取りという任務のため、日本に送り込むのです。小説「007は二度死ぬ」はこうして始まることになります。

  ところが、映画では、「女王陛下の007」よりも「007は二度死ぬ」が、先に制作されました。つまり、妻が死んだ話から話をつなげるわけにはいかないのです。(ちなみに次作の「女王陛下の007」ではほぼ原作通りのストーリーが展開しています。)

  映画は、小説とはまったく異なる設定となり、プロフェルドは米ソの宇宙衛星をそれぞれ拉致して、米ソに戦争を引き起こさせようと企むことになります。そして、そのためのスペクターの基地が日本の離島に存在するとの物語となったのです。

  ですので、今回の小説「タイガー田中」の主人公である田中虎雄は、丹波哲郎演じたタイガー田中とは異なり、原作通りに諜報機関の責任者らしい慎重かつ、大胆、さらに経験豊富な諜報員の長という設定になっています。

【タイガーとボンドの活躍 in NIPPON

  原作「007は二度死ぬ」では、九州の鹿児島から離れた黒島にあるプロフェルドの基地に侵入したボンドが、プロフェルドとの一騎打ちとなり、プロフェルドを倒します。しかし、そのときに受けた刀傷が原因で記憶喪失となり、黒島で偽装結婚したキッシー鈴木と結婚生活を送ることになりのです。そして、キッシー鈴木はボンドの子供を身ごもることになるのですが、ある日、太郎と名前を変えたボンドは新聞記事にあった「ウラジオストック」という地名に衝撃を受けます。そこには記憶を呼び覚ます何かがあるはずだ。太郎(ボンド)は、そこに行けば何かを思い出すはずだ、と感じてウラジオストックに向かうのです。

  と、小説「007は二度死ぬ」はここで終わります。

  そして、いよいよ今回の小説「タイガー田中」の幕が開くことになるのです。

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(緊迫の舞台 神戸ポートタワー prtimes.jpより)

(以下、ネタバレあり。)

  物語は、北海道の稚内港から始まります。

  ここで登場するのは、公安外事査閲局の課長宮澤とその部下、斗蘭(トラン)となのる若い女性局員。そして、原作、映画にも登場した話し好きのオーストラリアの外交官ヘンダーソンです。3人は、埠頭に停泊している連絡船を監視しているのです。その連絡船は、ウラジオストックに向かう船。3人は、ウラジオストックに渡ろうとしている太郎ことジェームズ・ボンドがこの船に乗るとの情報を得て、張り込んでいるのです。

  そして、ボンドが現れます。連絡船に乗り込むボンド。斗蘭はボンドを追いかけて連絡船に乗り込むや、その後を追って船内を駆け巡り、彼を追い詰めます。しかし、拳銃を彼に向けあきらめるように説得しようと語った刹那、突然、船内で爆発が起こり、そこに乗じたボンドは狭い窓から海へと身を翻します。それを追って斗蘭も海へと飛び込みますが、ボンドを取り逃がしてしまうのです。

  小説は、いきなりアクションシーンから始まります。

  斗蘭は、田中虎雄の娘。ロンドンで生まれ、父親とはほとんど一緒に暮らすことはなく日本に戻り、なぜか父親の部下となっているのです。ここから、田中虎雄は、記憶を失ったボンドが太郎として暮らしていた黒島で、夫婦であったキッシー鈴木と面談し、ここまでのいきさつが語られることになります。

  ボンドは、プロフェルドと差し違えて死んだ。そう報告されていましたが、実は黒島で生きていたのです。ボンドが生きている、との情報はアメリカにもソ連にも伝えられ、アメリカは元CIAのフェリックス・ライター(「ドクター・ノオ」に登場した仲間)を日本に送り込みました。そして、ソ連の暗殺組織スラッシュは組織NO.2の暗殺者、アキム・アバーエフを、ボンド抹殺指令の下、日本に送り込んだのです。

  そして、そこにコルシカマフィアのボス、マルク=アンジェ・ドラコが娘のとむらい合戦に参戦すべく日本にやってきます。

  さらに、黒島の古城でボンドに殺されたと思われていたプロフェルドは、どうやって逃げたのか、田中たちの前に現れ、スペクターとして当時の総理大臣池田勇人あてに恐るべき要求を突きつけてきたのです。その要求を聞かなければ、大規模破壊によって多くの人命が失われる、との脅迫状を送りつけてきたのです。

  記憶を失ったボンドを巡り、交錯する米ソ、ボンドはみつかるのか。そして、日本政府を脅迫するプロフェルドの本当の狙いは何なのか。そして、なぜか日本側の情報が米ソ、そしてプロフェルド側に漏れている、一体、それは何者の仕業なのか。

  諜報合戦と、銃撃戦、そしてど派手なアクションシーン。小説は、息つく暇もなく次から次へと新たな展開を続け、我々はそこに巻き込まれていくのです。

  こんなに面白い小説は、久しぶりに読みました。皆さんも、日本を舞台にした手に汗握るスパイ小説を味わってみてはいかがでしょうか。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。


  今年は、温暖化の影響か、寒暖の差が著しく感じます。皆さんも体調に気をつけて、どうぞご自愛ください。2025年もあとわずかです。皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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小宮正安 ベートーヴェン「第九」に秘められしもの

こんばんは。

  今年の流行語大賞の候補の中に「二季」という聞き慣れない言葉が入っていました。聞けば、この言葉は「四季」に対応していて、近年、異常気象のために「春」と「秋」がなくなり「夏」と「冬」のふたつの季節になってしまったことを意味するといいます。なるほど、今年も11月中旬には寒波の影響で、北の国では初雪の便りが届き、秋を飛ばして冬がやってきました。

  特に朝晩の冷え込みは尋常ではなく、皆さん、どうぞご自愛ください。

  ここのところブログの更新が月ごとになってしまっているので、世の中では様々なことが起きています。まず、政治と行政の世界では、国会の首相指名選挙で高市さんが日本初の女性総理に指名されることとなりました。国会での指名選挙までには紆余曲折があり、野党が一致すれば、少数与党の自民党政権が終焉を迎えることとなるため、公明党が連立から離脱したときには一時、騒然となりました。

  ところが、自民党は野党である日本維新の会との連立政権を樹立するというウルトラCを演じて指名選挙での高市氏指名を勝ち取ったのです。立憲民主党の野田代表、国民民主党の玉木代表はさぞや悔しい思いをしたことと思います。冷静を装っていたのは政治家の故ですね。

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(初の女性総理 高市内閣発足 sannkei.comより)

  高市さんは、確かに女性初の総理大臣として注目を集めていますが、政治家としては故安倍総理や麻生元総理の流れをくむ保守本流の政治信条の持ち主です。自民党が最も得意とする景気浮揚と経済効果に目を奪われている間に、日本が過度に右傾化しないよう我々国民がよく目を光らせる必要があると思います。

  そして、この秋の最も感動的な話題は、大リーグのワールドチャンピオンシリーズです。

  この話をはじめると紙面が尽きてしまいますが、最も感動的だったのはドジャースの山本由伸投手の活躍でした。今年は、32年ぶりのワールドチャンピオンを目指すトロントブルージェイズと連覇を目指すロサンジェルスロジャースの対決となりましたが、予想通り試合は第7戦までもつれ込みました。そして、最後にドジャースが連覇を果たしたのです。

  優勝時の胴上げ投手は山本由伸投手、そしてMVPも山本由伸投手です。

  山本投手は、初戦を落とした2戦目に先発。1失点で完投し勝利投手となりました。翌日の第3戦は7回の裏にドジャースが同点として延長戦となりました。その後、試合は膠着して18回を迎えます。両チームとも総力戦となり、ロジャースもピッチャーを使い果たしました。

  残っていたのは、前日完投を果たした山本投手のみです。そして、山本投手は、18回の裏の攻撃時、「いけます」との声とともにブルペンで投球練習を開始したのです。その姿を見たフリーマンは、「彼に投げさせてはいかない。」と自らの打席でさよならホームランを打って試合を決めたのです。

  そして、ブルージェイズが3勝で王手をかけた第6戦。山本投手が再び先発します。この試合も山本は好投を見せ、8回まで投げて1失点に押さえて2勝目をあげます。その日の夜の会見では、「明日も投げますか。」との記者からの質問に「行けと言われれば行きますけど、できれば応援を頑張りたい。」と笑いながら語りました。

  3勝3敗で迎えた運命の第7戦。試合はドジャーズビハインドも7回にロハスが1点差にせまる読み勝ちのソロホームラン。そして、9回表の土壇場では捕手のウィル・スミスが起死回生の同点ソロホームランを放ち、試合は延長戦へともつれこみます。そして、9回裏、なんと、前日8回まで投げた山本投手がマウンドへとあがったのです。そして、11回に及ぶ延長戦を制したのはロジャースでした。幕切れは劇的でした。

  山本由伸投手は、このシリーズ3勝をあげて、見事MVPを受賞したのです。感動しました!

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(山本由伸投手MVPおめでとう! full-countHP)

  さて、トピックスはこのくらいにして本題です。

  11月も残り1週間となり、いよいよ師走の声が聞こえてきます。日本の師走といえば、なんといってもベートーベンの交響曲第九番「合唱付」ですね。今週は、久しぶりに本屋さんで見つけた「第九本」を読んでいました。

「ベートーヴェン《第九》の世界」

(小宮正安著 岩波書店 2024年)

【第九はなぜ我々に響くのか】

  拙ブログに訪問していただける皆さんは、これまでもこのブログでベートーベンと第九について何度か語られていることを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

  クラシックは、過去の作曲家が創造した音楽を現代の指揮者と演奏家が奏でる「再現芸術」です。従って、指揮者が変われば楽譜の解釈も変わり演奏時間が変化します。また、オーケストラが変われば、弦の音も管の音もティンパニの音も変化します。

  この本の「はじめに」に登場するのは、イギリスの指揮者サイモン・ラトルです。筆者は2000年と2002年にウィーン楽友協会で同じサイモン・ラトル指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の第九を聞いたそうです。ところが、その演奏が全く別物の演奏だったことに気づいて、その変化に驚いたとのエピソードから話を始めます。

  その2000年の演奏ですが、その日は特別な日でした。

  この演奏があった日の夕方、オーストリアの「マウトハウゼン」で同じ顔ぶれでの第九の演奏会がありました。マウトハウゼンは、ナチス時代にユダヤ人強制収容所があった場所で、この日は強制収容所解放から55年を迎えた節目の記念日だったのです。主催者は、当時ホロコーストの被害者であったユダヤ人の団体で、そこで演奏された第九は、当時強制収容所で重労働の末にガス室で殺された多くにユダヤ人を追悼するための祈りの演奏でした。

  当時、ナチスドイツと合併していたオーストリアにとっては大きな負の遺産であり、ラトルとウィーンフィルがユダヤ人の追悼のために演奏することには内外から様々な意見がありました。賛否両論が世間を賑わせ、さらに緊張と精神的重圧の中、演奏は空前絶後のものだったといいます。

  「第九」は、交響曲としてひとつの作品にしか過ぎません。宗教音楽でも賛美歌でもない第九が、なぜこうした場で演奏されるのか。著者はその秘密にせまろうとします。

  ご存じのように「第九」の第四楽章には、文豪シラーの「歓喜に寄す」の詩が歌詞として採用され、合唱が付されています。筆者の専門はヨーロッパ文化史、ドイツ文学であり、その深い知識から繰り出される数々の事実が、作曲当時の歴史的背景、シラーの詩と、それに新たな言葉を加えたベートーベンの詩の分析によって明かされていくのです。

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(岩波新書「《第九》の世界」amazon.co.jp)

  まずは、この本の目次を見てみましょう。

 はじめに 西洋音楽史を塗り替えた「第九」

第1章 死者もまた生きるのだ!

-混乱する改革と「第九」への道

第2章 堪え忍べ、よりよい世界のために

-混迷する政治体制と「第九」の萌芽

第3章 その方を星の輝く天幕の彼方に探せ

-理想の希求と「第九」誕生への道

第4章 さあ声を合わせよう、より喜びに満ちた音に

-未知への挑戦と「第九」の誕生

第5章 それができない者は、そっと立ち去るがよい

-初演の経緯と19世紀の「第九」

第6章 進め、兄弟よ、君たちの行く道を

-激動の現代と「第九」の変容

 おわりに Move your beautiful body!

  ドイツ文学を研究する著者らしく、目次の表題はシラーの「歓喜に寄す」などの詩から選ばれていますが、そのそれぞれに「第九」の歴史とそこに込められた意味が語られています。

【革新的だった第九のパワー】

  この交響曲は、第四楽章のクライマックスに男女の壮大な合唱を描きこんだ前例のない楽曲であり、その合唱だけでもその革新性が抜きに出ていますが、それ以外にも演奏時間60分以上の交響曲は、当時他に例がありません。その他にも多くの新機軸が盛り込まれていますが、その革新性は、この本の第四章に余すことなく語られています。

  この本の面白さは、シラーがどのように「歓喜に寄す」を創作し、その詩作をなぜベートーベンが交響曲に取り入れ、何を語りたかったかとういう核心を、当時のヨーロッパで起きていた歴史を背景にみごとに分析し尽くしている点です。

  シラーが「歓喜に寄す」を書いたのは、1785年。その出版は1786年です。ベートーベンがこの詩を読んだのは20代の頃(1792年頃)と言われています。そして、ベートーベンが第九の作曲に取り組み始めたのは、1822年頃、第九の初演は1824年のことでした。そこには30年もの歳月が流れていました。

  この30年、ヨーロッパは怒濤の時代を迎えていました。フランスでは、1789年に民衆が蜂起しバスティーユ牢獄が襲撃され、フランス革命が勃発します。封建制度を否定する民衆が「自由・平等・友愛」を合い言葉に放棄し、1793年にルイ16世と王妃マリー・アントアネットが処刑され民衆による革命が成し遂げられました。しかし、その後、蜂起した民衆の代表たちは分裂し、殺し合い、ジャコバン派による恐怖政治が始まり、「自由・平等・友愛」の精神は雲散霧消してしまうのです。

  シラーは、フランス革命前夜のドイツで民衆の自由・平等をめざす革命を応援することを踏まえて「歓喜に寄す」を創作しました。その精神に若きベートーベンも心を動かされました。しかし、フランス革命による反動から恐怖政治が生まれ、革命が必ずしも幸福につながらないことを知り、ベートーベンの思いも複雑であったと想像できます。

  そこに現れたのがナポレオンでした。彼は、フランス革命の反動体制を利用して、「自由・平等・友愛」を体現する者としてフランス軍を統べるようになります。そのナポレオンの台頭にベートーベンも再び革命が体現されると期待を持っていたようです。しかし、ナポレオンは反革命からフランスを守るとの大義の下、周辺の国々を征服し、ドイツ、オーストリアの領土を我が物として自らを「皇帝」と称し独裁者となります。

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(フランスを熱狂させたナポレオン wikipediaより)

  そして、その後ナポレオンの敗北と没落、そしてウィーン会議(1815年)による反動政治と保守政治と時代は大きく動いていくことになります。そんな中で第九の時代がやってきます。

  シラーの語る「歓喜」は、現実に至るように見えて潰えた夢とも言えるのです。

  しかし、ベートーベンは、革命や反革命という現実を超えて「歓喜」につながる「闘い」を続ければ、その先に幸福と歓喜の世界がやってくるのだ、との想いを胸にこの交響曲第9番を作曲し、さらにその最終章に「歓喜に寄す」を作り出したのだといいます。

  そして、著者はそこから現在に至る「第九」の系譜をも語っていくのです。

  さて、これまで拙ブログでは「第九」に関して、2冊の本を紹介しました。それは、「交響曲『第九』の秘密-楽聖ベートーヴェンが歌詞に隠した真実」(マンフレッド・クラメス著 ワニブックスPLUS新書 2017年)と「第九 ベートーベン最大の交響曲の神話」 (中川右介著 幻冬舎新書 2011年)の2冊です。(題名をクリックするとブログにアクセスできます。)気になる方は、こちらもご覧ください。

  どちらも面白い本でしたが、今回の本は「第九」に通底する歴史をも教えてくれる、とても興味深い本でした。ちなみに本書の著者、小宮正安氏は、14年前に紹介した「モーツァルトを『造った』男 ケッヘルと同時代のウィーン」 (小宮正安著 講談社現代新書 2011年)の著者でもあり、久しぶりにその著に触れて心が躍りました。(同じくクリックでジャンプします。)

 12月は第九の季節、皆さんもこの本を読んで第九の予習をしてはいかがでしょう。より深く第九の世界へといざなわれること間違いなしです。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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