伊藤潔 JAZZを愛した名プロデューサー

こんばんは。

  音楽好きの皆さん、お待たせしました。

  日本にこの人あり、と言っても過言ではない名プロデューサーの本が上梓されました。

  音楽と言っても多種多様で、音楽の趣味ほど人と人をつなぎ止めるコアな趣味はありません。というのも、人によって好みの音楽ジャンルが異なるからです。音楽は、基本的に子供の頃か思春期に特定の曲、または、特定の人に魅了されるところから始まります。

  例えば、近年ボーカロイドから派生したJ-POPが世界中を席巻していますが、誰もが最初に心を動かされた瞬間があります。それは、初音ミクのアニメソングか、YOASOBIの「夜を駆ける」、Adoの「うっせいわ」なのかもしれません。最初の曲か、アーティストから始まり、徐々にそのジャンルに魅了されていくのです。

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(YOASOBIイメージサイト nikkeiトレンドより)

  皆さんのはまったジャンルはどれでしょうか。

  クラシック、ロック、ジャズ、フュージョン。そのどれもが魅力的でハマリましたが、音楽を聴く媒体はこの100年で大きく変りました。私と同年代の方は、そのすべての変遷を知っているのではないでしょうか。まずは、かのエジソンが発明した蓄音機で聞くレコードから始まり、リール型のテープレコーダー、カセット型のテープレコーダーから音楽を持ち運ぶことが可能となったソニーのウオークマン。そして、1980年代になるとデジタル録音が始まり、コンパクトディスクが登場。コンパクトディスクは小型化されMDへと進化。

  そこから音楽は、データとして取り扱われるようになり、ついにデータとして持ち運べるiPadが登場し、いまや音楽はストリーミングの時代へと突入しています。

  近年は、レコードが見直され、ディスクユニオンなどは本店のみではなく、各地でレコードの買い取りと販売店を立ち上げています。

  昭和の方々は、私と同じでレコードやCDに心をときめかせた世代だと思います。

  特に、ロックやジャズ、フュージョンの世界では、レコードやCDのジャケットが売り上げを左右するとあって、すべてのレコード会社がジャケットデザインに力を入れていました。プログレッシブロックの世界では、ピンクフロイドが「原子心母」で牛一頭の写真のみをあしらったヒプグノシスのジャケットやイエスが「こわれもの」で地球をあしらったロジャー・ディーンのジャケットなど、まさに芸術ともいえるジャケットが登場。音楽好きの間では、「ジャケット買い」なる言葉がはやりました。

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(YES「こわれもの」ジャケット amazon.co.jp)

  レコードやCDの時代、レコード製作会社で演奏者たちのアルバムづくりをコーヂィネートしていたのは、プロデューサーという人々です。彼らは、アルバム制作のコンセプトを企画し、アーティストや楽曲を選定し、予算を獲得してレコーディングを行い、作品を完成させます。場合によっては、その販売ルートを手配し、さらにはツアーの企画やライブ盤の企画も行います。

  また、このプロデューサーの他に、A&Rと呼ばれる仕事があります。これは、アーティスト&レパートリーの略で、レコード会社や出版会社の中で新しいアーティストを発掘し、その成長を促してデビューまでの道のりを形作る職業です。

  こうした人たちは音楽ファンにとっては裏方で、スタッフに名前が連なるのですが、実はこうした人たちが、我々が心から愛する音楽を支えていたのです。

「My Dear Artists ジャズ・レジェンドたちとの邂逅」

(伊藤潔著 シンコーミュージックエンターテイメント 20247月)

【あの名盤たちのプロデューサー】

  この本をいつもの本屋さんで見つけたときは、衝撃的でした。

  そこに出てくるアーティストたちの名前が、すべて私がハマッたレジェンドばかりだったのです。そこには、マイルス・デイビスからはじまり、渡辺貞夫、日野皓正、菊池雅章、ゲイリー・ピ-コック、笠井紀美子、增尾好秋、ハンク・ジョーンズ、佐藤允彦、ナンシー・ウイルソン、エディ・ゴメス、スティーヴ・ガット、リチャード・ティーなどなど、の名前が並び、名前を見るだけでクラクラするようです。

  このレジェンドたちと名盤を創った日本人がいたとは。知らない自分にあきれたほどでした。

  著者の伊藤潔氏は、1969年から今日までに180枚以上の名盤をアーティストたちとともに作り上げてきました。氏が最初にプロデュースしたレコードは、1969年発売のマイルス・デイビスの「Miles In Tokyo」でした。このとき氏は、当時立ち上がったばかりのレーベル、CBSソニーの新入社員で23歳だったというから驚きです。

  この本には、心から音楽を愛する若者が、音楽を愛しリスペクトするミュージシャンたちと音楽アルバムを作り上げていくプロセスが見事に語られています。

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(伊藤潔「My Dear Artists」 aqmazon.co.jp)

【渡辺貞夫との邂逅と音楽】

  ナベサダといえば、今や知らぬ人はいないレジェンドですが、92歳の現在でも各地でライブを行っています。ちょうど10年前、新宿ピットイン50周年の記念ライブが新宿文化センターで行われ、渡辺貞夫が2日間の大トリで登場しました。当時、82歳で久しぶりのライブパフォーマンスでしたが、得意のビパップをグルーブ満開で演奏しており、素晴らしい音を出していたのをよく覚えています。そのとき、曲と曲の間に幕間に下がってひたすらアドリブを練習している姿に感動しました。

  渡辺貞夫が日本で知られるようになったのは、1978年に発表した「カリフォルニア シャワー」がきっかけでした。このアルバムのプロデューサーも著者の伊藤潔さんだったのは、この本を読んで初めて知りました。このアルバムの曲は、当時、資生堂のCMに採用され、ナベサダの名前は日本中の人たちに知られるようになりました。

  このアルバムは、当時、西海岸でリー・リトナー&ジェントルソウツのアルバムのアレンジャーであったデイヴ・グルーシンの音に反応した伊藤さんが、その音を提案して創ったアルバムの2作目で、最先端のフュージョンミュージックを体現したアルバムでした。

  ナベサダの「マイ ディア ライフ」、「カリフォルニア シャワー」、「モーニング アイランド」は、フージョン3部作と言ってもよいウェストコーストの明るい音で、アルバムはどれも大ヒットしました。ナベサダの名前も広く知られて、TVCMにも出演していました。しかし、我々が知っているナベサダは、ほんの一面でしかないのです。

  この本では、伊藤さんと渡辺貞夫の永きにわたる遍歴が語られています。

(以下、ネタバレあり)

  伊藤さんが渡辺貞夫と初めてであったのは、1965年。ちょうど、渡辺貞夫がバークリー音楽院に留学し、その後にアメリカでの遠征から帰国したときです。伊藤さんはまだ大学生で、恩師だった内田修さんに誘われて帰国したばかりの渡辺貞夫と食事し、さらにはセッションも聞かせてもらったそうです。その後、貞夫にかわいがってもらい、麻布の家に毎週のように遊びに行ったそうです。

  伊藤さんは、CBSソニーに入社した1969年、渡辺貞夫のリーダーアルバム「パストラル」をプロデュースすることになります。このアルバムは、全曲オリジナルの記念すべき一枚となります。この後、伊藤さんは、1981年まで15枚のアルバムを渡辺貞夫と制作することになるのです。

  この本には、たくさんのミュージック ラヴァーが登場しますが、その中でも渡辺貞夫のマネージャーだった「あいミュージック」の鯉沼利成氏のすごさには驚かされました。

  1980年.日本人のジャズマンとして初めての武道館でのライブ録音の2枚組アルバムが発売されました。この武道館でのライブを企画、実現したのが鯉沼利成さんです。武道館でのライブというだけでも大仕事ですが、鯉沼さんは武道館を3日間押さえ、さらにチケットはソルドアウトにしたのです。このライブは、企画時からライブアルバムを発売することが決まっており、伊藤さんもプロデューサーを務めました。ライブは3日間でしたが、そのメンバーがすごい。

  ドラムスはスティーヴ・ガット、ベースはアンソニー・ジャクソン、キーボードはリチャード・ティー、ギターはエリック・ゲイル、パーカッションはラルフ・マクドナルド、そして、オーケストラは東京フィルハーモニックオーケストラという豪華なラインアップです。

  オーケストラとの共演は珍しく、オーケストラでジャズのグルーブをどう表現するかが勝負です。伊藤さんは、デイヴ・グルーシンに相談して、アレンジを依頼します。デイヴは、オーケストラアレンジを快諾するとともに、このライブのために新曲2曲を提供してくれます。そして、ジャズグルーブをだすために、リード・トランペットを送り込んでくれたのです。トランペットのジョン・ファディスは、こうしてクレジットされることとなりました。

  こうして、武道館ライブは大きな成功を収め、その演奏はアルバム「How’s Everything」として世に出ることになったのです。伊藤さんはこの本で、このアルバムが18枚の中で最も心に残り、ベストなアルバムだと語っています。

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(渡部貞夫アルバム「How's Everything」amazon.co.jp)

【そして名盤は生み出された】

  この本には、日本のジャズ・フュージョンの歴史がミュージシャンとの仕事を通じて語られています。

  ジャズヴォーカリストでは、笠井紀美子、伊藤君子、ナンシー・ウイルソン。笠井紀美子は、伊藤さんとは同年代で、のみ仲間だったそうです。最初の仕事がかのギル・エヴァンスとの録音という話も読みどころですが、この章では、日本のジャズミュージシャンがたくさん登場して、当時の日本のジャズシーンが蘇るようです。ベースの鈴木良雄、ピアノの菊池雅洋、ドラムの村上寛。村上寛は、後に笠井紀美子と結婚しています。

  個人的に最も心に残ったのは、エディ・ゴメスとスティーヴ・ガット、リチャード・ティーの章です。エディ・ゴメスは、ご存じの通り1966年から11年間、ビル・エヴァンス・トリオのベーシストを務めた名プレイヤーです。この章は1973年、ビル・エヴァンス・トリオが来日し、CBSソニーからライブ盤を出したときから始まります。そこで、エディと知り合った伊藤さんは、プロデュースをしていたピアニストの佐藤允彦さんからエディ・ゴメスとヂュオをやりたいというリクエストに応じて、エディとの共演をプロデュースします。ここから、エディとの仕事が始まり、スティーヴ・ガットとのトリオアルバムを制作することとなります。

  スティ-ヴ・ガットと言えば、エリック・クラプトンを始めジャンルを超えてあらゆるミュージシャンから招かれるスーパードラマーですが、伊藤さんとの絆はとても強いことがこの本を読めばわかります。伊藤さんが新た恣意レーベルを立ち上げたときに、スティ-ヴの新しいバンド「ガッド・ギャング」と契約が出来たのも、伊藤さんとスティーヴの強い信頼関係があったからです。

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(アルバム「THE GADD Gang」amazon.co.jp)

  ガッド・ギャングは、1980年代後半に来日公演も行いました。スティーヴとエディは、これより前にマイク・マイニエリとSTEPSというバンドを組んでおり、ピアノはドン・グルーニック、サックスがマイケル・ブレッカーという豪華メンバーでした。彼らが来日したときには、新宿ピットインでライブを堪能しました。スティーヴの生音の記憶は今でも忘れられません。

  この本には、スティーヴ・ガッドのインタビューも載っていて、ミュージシャンとプロデューサーの絆の強さを知ることが出来ます。

  音楽の話をすると止めどなく続きます。ジャズ・フュージョンファンの皆さん、ぜひこの本を手に取ってみてください。一週間くらいは音楽話が続けられること間違いなしです。この本を読んでいる間はまさに至福の時間でした、

  日本でも季節がなくなりつつありますが、もうすぐ日本列島は雨の季節に入りそうです。天気と体調には強い因果関係があるそうです。皆さん、音楽で気持ちを上げてこの季節を乗り切りましょう。

それでは皆さんお元気で、またお会いします

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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蔦屋重三郎 花街から躍り出たメディア王

こんばんは。

  皆さんは、タイムスリップするとすれば、どの時代に行きたいと思いますか。

  いくとするなら江戸時代です。江戸時代は言葉も通じるでしょうし、江戸は17世紀には世界で最も人口が多く、文化的にも栄えた都市だと言われています。さらに、江戸時代には交通も経済も発達しており、江戸、大坂、京都の3大都市を擁する日本は、当時の世界では先進国だったのではないでしょうか。

  しかし、江戸時代は265年も続いた時代です。一世代を30年と考えるとすれば、8代にもまたがるわけですから、その間のどの世代に降り立つかによって境遇はずいぶん違うのではないかと想像します。一方で、世界的に見ても、人類史上これだけ長い間平和が続いた政権はまれなのではないでしょうか。そう考えれば、江戸時代の何処にに降り立ってもすぐに殺されることはなさそうです。

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(江戸時代 交通網の起点 広重の日本橋)

  時代の幸せ感から考えると、江戸時代は戦後の日本とよく似て平穏で平和な気がします。

  確かに265年と戦後の80年が同じというのもおかしな話ではありますが、現代の進化速度を考えれば、当時の265年を80年と比較することは必ずしも不合理とは思えません。

  徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いたのは1603年です。戦国時代から群雄割拠によって日本全国で戦いが続き、その結果、天下を統一した豊臣秀吉は、せっかく実現した平和にもかかわらず、あろうことか朝鮮に出兵し日本全国を疲弊させました。徳川家康が、大河ドラマのように「平和」を希求して天下を収めたとは思えませんが、家康が日本の繁栄を目指したことは間違いなさそうです。

  戦後80年を江戸時代の年月に換算すると、現代の1年間は江戸時代の33ヶ月と考えることが出来ます。戦後の復興期は約10年。昭和30年代には高度成長期に入り、「もはや戦後ではない」と言われました。東京オリンピックの開催は昭和36年でした。その後、高度成長期は続き、その15年後には、バブル景気を招くことになります。

  昭和の高度成長は、江戸時代、第5代将軍徳川綱吉の時代に好景気に沸いた元禄時代になぞらえられます。元禄が始まったのは、1688年。ここから1704年まで続きますが、この間に元禄文化が花開きます。読み物では、「好色一代男」の井原西鶴、俳句では「奥の細道」の松尾芭蕉、浄瑠璃で一世を風靡した近松門左衛門などキラ星のような才能が輝きます。

  江戸幕府から元禄文化までは約100年。終戦から戦後復興を経てバブル景気まで約40年。江戸時代と現代は、よく似ていると思えてなりません。元禄時代には、様々な事件も起きています。元禄期には、かの有名な「赤穂浪士事件」が起きています。また、江戸も現代と同様に様々な災害に見舞われています。1682年には、八百屋お七で知られる天和の大火で大きな被害を受け、1703年には、元禄地震、元号が変った翌年には、浅間山の大噴火。さらに2年後には富士山の噴火、そして宝永地震と立て続けに災害に見舞われているのです。

  これは、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災と大きな災害に見舞われた現在と重なるように思えます。

  現代の日本は、幸いなことに「平和」が続いていますが、江戸時代と同様にこの平和が永く続くことを願います。

  さて、江戸時代と言えば今年の大河ドラマでは、江戸の出版文化の新たなページを切り開いた粋な男、蔦屋重三郎が主役。あまり我々にはなじみのない名前ですが、なぜ彼が大河ドラマの主役となるのか、それを知るために一冊の本を読みました。

「面白すぎて誰かに話したくなる 蔦屋重三郎」

(伊藤賀一著 リベラル新書 2024年)

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(伊藤賀一著 新書「蔦重」amazon.co.jp)

【蔦屋重三郎とは何者なのか】

  蔦屋重三郎は、1750年に江戸の吉原で生まれました。バブルになぞらえられる元禄時代から下ること約50年、江戸幕府から公認されていた花街である吉原。そこで生まれ、そこで育った重三郎はいったい何をした男なのでしょう。

  皆さんは、フランスで花開いた印象派の絵画はお好きですか。印象派と言えば、モネの睡蓮、ルノワールの少女、ドガの踊り子、それに続くゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどなど、日本人には大人気の絵画群が思い起こされます。

  こうした印象派の画家たちが大きな影響を受けたのが日本の浮世絵です。

  葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽などなど、モネのジュベルニーのある自宅の食堂は浮世絵で満たされていました。また、ゴッホは、自らの絵画に生かすために多くの浮世絵を模写していました。また、ルノワールもジャポニズムを背景とした少女の絵を残しています。そして、皆さんもこうした浮世絵師たちの名前はよくご存じだと思います。

  実は、世界に冠たる浮世絵師たちを世に出したプロデューサーが蔦屋重三郎だったのです。彼は、閉鎖的な江戸の出版文化に風穴を開け、江戸に新たな文化を根付かせることに成功しました。それは、アカデミックなものではなく、自らが江戸の大衆に受けると信じた黄表紙本や浮世絵、はたまた狂歌本を次から次へと世に出して、メディア王と言ってもよい活躍をしたのです。

  驚きなのは、彼の生涯が47年に過ぎなかったという事実です。

  江戸時代には、乳児の死亡率が高く、平均寿命は40歳前後と言われていますが、まさに「人生50年」を地で行ったといえるかもしれません。それにしても、70歳まで現役で働いている現代人から見れば短かすぎる人生ですが、彼の死に際は、その生き方同様に見事です。

  江戸っ子と言えば、野暮を嫌い「粋」でけんかっ早く、人情に厚いとの印象ですが、蔦屋重三郎(以下、蔦重と言います。)も江戸っ子そのものだったようです。その経歴を見ると、蔦重は何事にもめげずにひたすら前進する、「前向き」の塊のように見えますが、実はその出自には悲しさが伴っています。

  吉原で生まれた蔦重は、幼くして両親が離別するという悲しみを味わったうえ、その両親がどちらも引き取りを拒否したことから7歳にして、吉原の引手茶屋である喜多川家に養子として引き取られることになります。そして、吉原の引手茶屋の仕事を手伝いながら、義兄が開いていた引手茶屋「蔦屋」の軒先を間借りして、小さな書店を開きます。このとき蔦重は22歳でした。

【江戸文化を変えるまでの成長】

  蔦重がなぜ書店を営もうと思ったのかは、想像するしかありません。

  江戸の吉原と言えば、頂点に立つ花魁から、鼓楼の中に顔見せする数百人の遊女たちがその美しさを競いあう花街です。当時、この花街の遊女を紹介するガイドブックが販売されていました。その本は、俗に「吉原細見」と呼ばれます。この本の版元は日本橋の地本問屋「鶴鱗堂」で、ほぼ独占状態でした。蔦重は、吉原に培った人脈の力で、この本の販売代理店になることに成功したのです。つまり、「吉原細見」を仕入れて販売する商売を始めたわけです。

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(歌麿が描いた吉原花魁の浮世絵)

  ところが、小売りを初めて2年後、版元の「鶴鱗堂」の手代が上方の版元と同じ本を重版するという罪を犯し、「鶴鱗堂」では一時期「吉原細見」を出版することが出来なくなったのです。これをチャンスととらえたのが蔦重でした。

  蔦重は、自ら吉原の内外に築いた人脈をフルに利用して、「吉原細見」に変る新たな吉原のガイド本を出版したのです。それは、吉原にある遊郭各店にいる花魁を花に見立てて紹介する遊女紹介本「一目千本」というガイド本でした。蔦重は、従来の単なる紹介本から花魁の絵図をふんだんに使って視覚に訴える小冊子を自ら出版したのです。

  彼が巧妙だったのは、このガイドブックを有料で販売せず、吉原で最も裕福な客のみを相手する花魁にもたせて、無料で客たちに配布したのです。この本は、富裕層の顧客(上級武士や豪商)たちの間で評判となり、蔦重の本も順調に販売数を伸ばしたのです。

  こうして順調に売り上げを伸ばした蔦重は、10年後には従来の「吉原細見」の版権を次々に買い取って、吉原ガイド本をすべて独占するまでに大きくなったのです。蔦重が統一して出版した「吉原細見」には、当時マルチな才能で人気者だった平賀源内が序文を書いたことから、大いに評判をとることになりました。

  いま、大河ドラマではこのあたりが進行していますね。

  「吉原細見」の独占までにも蔦重は、「貸本行」の株を手に入れ、さらに売り上げを伸ばし、義兄の軒先から独立し、「耕書堂」という店舗を立ち上げます。そして、寺子屋の教科書の出版、当時の小説の新ジャンルである黄表紙の出版にも手を広げます。

  当時の江戸には、参勤交代で江戸つめとなっていた全国各藩の武士たちが集まり、さらには商家の次男、三男など、様々な人材が才能を発揮し、小説本を執筆していました。蔦重は、人脈作りに精を出し、信用と信頼を勝ち取り、老舗で黄表紙を書いていた恋川春町などの著者を引き抜きます。武家であった山東京伝も蔦重で黄表紙を執筆して大当たりします。

  ここから勢いを増す蔦重は、当時、流行していた狂歌に目をつけます。狂歌とは、上の句、下の句で世の中を粋にニヤリとさせる短歌のことです。川柳は俳句と同じ五七五ですが、その短歌版が狂歌というわけです。狂歌の流行はすさまじく、蔦重は自ら号を持って狂歌の集まりである「連」を主催して、それを扱う狂歌本を出版。大いに売り上げを伸ばします。

  蔦重は、こうした躍進を背景に、吉原から出て大手版元が集まる日本橋に出店することになるのです。

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(葛飾北斎が描いた蔦重の「耕書堂」)

【試練をも糧にして進む蔦重】

  昔から、「好事魔多し」と言いますが、順調すぎるときには割ることが起きるものです。

  蔦重37歳のとき、江戸幕府では第11代将軍に徳川家斉が就きました。そして、その老中首座に松平定信が就任したのです。松平定信は、「寛政の改革」に着手し、倹約令を発布、世相の風紀引き締めを徹底したのです。

  当時は流行していた黄表紙や狂歌絵本は、世の中を面白おかしく風刺することで人気を得ていました。幕府への批判と受け取られるような内容はすべて取り締まりの対象となり、蔦重の「耕書堂」も著者共々、お上から咎めを受けることとなるのです。

  しかし、蔦重の超ポジティブな人生は、そんなことではめげることがありませんでした。幕府から資産没収の憂き目に遭った後、蔦重は喜多川歌麿、東洲斎写楽などの浮世絵の大流行の火付け役となるのです。


  と、すべてのネタをばらすのは、「粋」ではありません。蔦重の人生の面白さは、ぜひ皆さんそれぞれで味わってください。その生き方を見れば、つまらない日常も楽しい人生に見えてくるかもしれません。

  桜も散って、季節は夏へと向かいますが、まだまだ寒暖差は激しそうです。どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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南直哉 一切皆苦を語るエッセイ

こんばんは。

  久しぶりに南直哉さんの本を読みました。

  南直哉さんは曹洞宗の僧侶です。会社員の身から一念発起して出家。曹洞宗の大本山である永平寺にて約20年間修行し、2005年からは青森県の恐山菩提寺の院代を務めています。

  このブログの最初の記事は20102月付ですので、今年で15年を迎えることになります。南直哉さんの本との出会いは、ブログを始めて2ヶ月後でした。その本は、脳科学者の茂木健一郎さんとの対談本、「人は死ぬから生きられる」でした。当時は茂木さんの本にはまっていて、その一環で読んだ本なのですが、茂木さんは直哉さんと対談するためにわざわざ恐山に足を運び、この対談を行って本として上梓したのです。

  この対談で直哉さんは、仏教の教えや禅の心得などではなく、自らのフィルターを通して考え抜いた生き方や人への接し方、物事の考え方など、常識にとらわれない形で語っており、その語りは眼からうろこが落ちるようでした。

  この対談で直哉さんの語りに魅了され、すぐにちくま文庫から発売されている「語る禅僧」という本を読みました。この本の面白さは、2011213日のブログで紹介したとおりです。僧侶というと、法要のときに読経したあとに行われる説法を思い出して、その説教臭さに辟易しとした記憶がよぎりますが、直哉さんの本には説教くささは皆無です。

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(文庫版「語る禅僧」 amazon.co.jp)

  今回手にした本は、これまでになく変ったタイトルです。

「苦しくて切ないすべての人たちへ」

(南直哉著 新潮新書 2024年)

【ワンダーに響く言葉とは】

  このブログを書いていて、いつも思うのは「言葉」の選択の難しさです。

  直哉さんは、その語りの中で「言葉」の役割について、仏教を考え、伝えるための重要な手段だとしていますが、「言葉」は人と人をつなぐ手段でもあります。

  これまでも直哉さんは、その著作で自ら歩んできた道のりを語っていますが、この本ではこれまで語られなかった過去も語られています。それは、直哉さんの言葉がどのように形作られてきたかを物語るワンダーを秘めています。

  例えば、学生時代。大学生だった直哉さんは、ほとんど学校に行かず、下宿に「ひきこも」っていたといいます。その頃の毎日は、午前10時頃に起きてパンの耳をかじり、道元禅師の「正法眼蔵」とハイデガーの「存在と時間」を読みふけり、午後4時頃から銭湯での湯浴みと外食、それから帰って哲学・思想関係の本を乱読しながら明け方まで妄想とメモ書き、というものだったと書いています。

  直哉さんは、「なぜ自分が生まれてきたのか」、「自分はなぜ存在しているのか」、この答えを知りたいとの欲求が昂じて、ついには出家してしまったという過去を持ちます。さらに、永平寺での修行によって精進し、数千年の歴史を持つ仏教思想を掻き込むようにして学んだのだと思います。直哉さんの本を読むと、彼の学んだ仏教は決して机上の理屈ではなく、毎日の毎時の毎分の毎秒の実践によって経験してきたものなのだと想像できます。

  こうした経験を積んできた直哉さんは、「言葉」の持つ重要性とあやうさを良く知っています。

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(単行本「超越と実在」 amazon.co.jp)

  この本にあるエピソードですが、「宗教対話」の実践としてある会議に訪れたとある神父との話。会議後に雑談をしている中で、話の最後に神父は、「結局、仏教は神の存在を認めないのですね。」と問いかけます。直哉さんの答えは、「いいえ、単に必要がないのです。」

  また、禅の修行にきたキリスト教の修道女が修行をして曰く、「あなたの説明によると、座禅とは石になるのと変らないのではありませんか。」答えて曰く、「それではいけませんか?石と人間と何が違うのですか。」、「人間には心があります。」

  直哉さんの返事は、「石に心がないとどうしてわかったのですか?」

  この話は、第三章の「真理」への欲望の項に出てくる話ですが、「言葉」の持つ諸刃の性質を良く物語っています。この本には、そんな直哉さんのワンダーな言葉がすべての話に秘められているのです。

【「一切皆苦」とは何か】

  ところで、第44代アメリカ大統領となったドナルド・トランプ氏ですが、ロシアの侵攻から丸3年となるウクライナ戦争の停戦交渉に意欲を示しています。

  この戦争で、ロシアは2014年に一方的にクリミア半島を占領し、さらに20222月にはウクライナの東側の領土に侵攻して、現在東部と南部の州を事実上統治下におき、さらなる侵攻を続けています。ロシア側の兵士の死者は95000人以上、ウクライナ軍の死者は45000人以上になると言います。あまつさえ、ロシア軍の攻撃によるウクライナ民間人の死者は、659人の子供を含め12000人以上に登ると言われています。

  ウクライナとの国境を侵して侵略を開始したのはプーチン大統領であり、これだけの無垢な命を死に追いやったのはロシア側です。こうした事実を無視して、トランプ大統領は被害者であるウクライナのゼレンスキー大統領を無視してロシアと和平交渉を進めようとしています。

  話を整理すると、まずトランプ大統領は、ウクライナに対してアメリカが支援した10兆円の武器や資金に対して見返りを要求しました。それは、ウクライナ領土に眠るレアメタルなどの鉱物資源を対価として提供しろ、という要求です。ゼレンスキー大統領は、アメリカとの関係を良好に保つため鉱物資源地図を提供したものの、採掘協定に関しては協定内にウクライナの安全保障に関する条項がないことを理由に保留しました。

  すべての政策をディール(取引)と考えているトランプ大統領にとって、このことはよほど腹に据えかねたと見え、ロシア寄りの発言を連発するようになりました。

「プーチンが望めば、ロシアはウクライナ全土を占領できる。」

「ゼレンスキー大統領の支持率は4%だ。(実際は57%)」

「ゼレンスキー大統領は選挙なき独裁者だ。」

  ウクライナ抜きの停戦交渉の開始をはじめとしたこうした一連の発言は、多くの罪なき死者やその家族を冒瀆し、戦争を是認する非人道的な発言であるとともに、ウクライナ市民の悲しみをさらに深いものへと追いやります。

  今日、ゼレンスキー大統領はアメリカに行き、トランプ大統領と面談し鉱物資源採掘権の協定を締結するものとみられています。その動きがわかったとたん、トランプ大統領は「独裁者」発言を、「そんなことを言ったとは信じられない。」と知らぬ存ぜぬを決め込みました。これだけの人類史上の悲劇に対して、ディールと同等に相対するそのメンタリティーは人とは思えません。

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(「信じられない」発言 sankei.comより)

  こうした悲劇を見ると、ブッタの教えにある「一切皆苦」という言葉には真実が含まれるように思えます。今の日本は平和が続く幸せな国ですが、ここでも非正規労働者問題や母子家庭問題、ヤングケアラーの問題など、人生の喜怒哀楽はすべて「苦」に通じているというブッタの言葉には頷かざるを得ません。

  この本の題名「苦しく切ないすべての人たちへ」には、ブッタの教えが反映されているのです。

【苦労話は自慢話?】

  この本は、ある雑誌に連載されていたエッセイを本にまとめて上梓されたものですが、連載当時の表題は「坊さんらしく、ない。」だったそうです。

  この本の目次を見ると、確かにその言葉が見受けられます。

はじめに

第一章 恐山夜話
第二章 禅僧の修行時代
第三章 お坊さんらしく、ない
第四章 よい宗教、悪い宗教
第五章 苦と死の正体

  直哉さんの本がワンダーなのは、仏教の話にもかかわらず、そこに説法くささが微塵も感じられないところにあります。しかし、当のご本人は、「そろそろ、まじめに仏教のことを書いたらどうか。」という人からの助言に対して、「冗談ではない!私は最初から仏教の話を書いている。」と憤っています。

  その理由は、直哉さんが仏教学者や宗教家とは異なり、すべてを自らの経験と言葉で書いていることにあるのではないでしょうか。

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(「苦しくて切ないすべての人たちへ」 amazon.co.jp)

  まさに第三章には、この話が出てきます。直哉さんは、3歳の時に小児ぜんそくを悪化させ、いつ窒息死してもおかしくない押し迫った危機感が身についてしまったと言います。そして、自らの生死を考えるために仏門に入ってからも、「諸行無常」や「無我」、「縁起」という言葉が研究対象ではなく、そのものが自らを表す言葉だった、そうなのです。

  ある人は氏の本を読んで、「君は仏教で自分語りをした草分けだね。」と言ったそうですが、その言葉は直哉さんのエッセイの本質を言い当てているのかもしれません。さらに直哉さんの語りがワンダーなのには、ある教訓が生きているからなのです。それは、父親が語っていたという言葉でした。「他人の自慢話は誰も聞きたくないだろう?苦労話は自慢話と同じだ。どうしてもしなければならないときは、笑い話にして言え。」 なるほどナア。

【目から鱗のワンダー】

  さて、この本の最後の章には、目から鱗のワンダーが詰まっています。

  最近はやりと言ってもよい「死後」を見越した「終活」に秘められた不毛とは。ちまたで語られる「親ガチャ」とは、実は仏教の教えそのものだった?今、誰もが口にする「プラス思考」に隠される落とし穴とは何か。さらには、ものや人を所有物と見なす市場至上主義が持つ危険な本質。現代社会には、矛盾に満ちた考えが当たり前のこととしてまかり通っています。

  直哉さんの語りは、人類の繁栄が人の幻想から形作られた、と語る歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏を思い起こさせるワンダーな一面を持っています。ぜひ、皆さんもワンダーを秘めた直哉さんの語りに引き込まれてください。今日とは異なる明日が見えてくるかもしれません。


  このところ激しい寒暖差が続きます。くれぐれもご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2025年 明けましておめでとうございます

令和七年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 今年は巳年です。巳は、皮を脱ぎ捨てて新たになることから復活と再生の象徴だと言います。世界ではロシアやイスラエルによる戦争が罪のない平和を祈る人々の日常を無残に蹂躙しています。たとえ、どのような理由があろうと人は幸福になるべく生まれてきたのです。一刻でも早く争いをやめ、平和の復活と再生が成ることを心から祈ります。また、世界では極右政党が各国の議会で多数派となり、保守主義のトランプ氏がアメリカの大統領に復活し、世界の分断が一層大きくなろうとしています。

 「サピエンス全史」の著者ハラリ氏は、新たに上梓した「NEXSUS(絆?)」の中で、「情報」を未来のキーワードとして取り上げています。SNSでは、「嘘」の方が人々の間に広まりやすく、拡散しやすいと述べるとともに、この特性を利用することで、多くの意見が行き交う「民主主義」よりも、ひとつの意見が一方通行で流れる「独裁主義」の方が今後、情報による恩恵を受けやすくなるとも語っています。事実、昨今の選挙ではSNSの特性をうまく利用することが勝利へのカギを握っています。
 さらにハラリ氏は、AI(人口知能)の進化に警鐘を鳴らします。なぜなら、これまでサピエンスが発明したテクノロジーの中で、AIは初めてサピエンスのコントロールから離れて自立性を持つ道具であり、サピエンスにとっては未知の道具となるからです。こうした意味で、今年はサピエンスの歴史分岐となる年になるかもしれません。

 今年も「日々雑記」では、面白い本と音楽を紹介していきます。いつもご訪問頂いている皆様、本当にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 寒さ厳しき折、皆様にはくれぐれもご自愛ください。

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篠崎史紀 マロが語る人と音楽の世界

こんばんは。

  今年もすっかり押し迫りました。皆さん、お元気にお過ごしですか。

  今年は、コロナ禍ウィルス防衛の反動で、インフルエンザやマイコプラズマ、新型コロナが大流行しているそうです。私の周りでも、インフルなどの症状がちらほらと見え始めています。皆さんもどうぞご自愛ください。

  そんな中ですが、私自身は相変わらず音楽三昧と読書の日々を過ごしています。

  クラシック界では、一時体調不良で来日が延期されていた大指揮者ブロムシュテットさんが10月に来日して元気な姿と素晴らしい演奏を披露してくれました。今回は、ご自身の故郷でもある北欧の音楽家の作品を指揮すると同時に、シューベルトの交響曲を聴かせてくれました。とても97歳とは思えない探究心にあふれた表現は我々を魅了してくれました。

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(N響 ブロムシュテット公演 yomiuri.com)

  シューベルトの交響曲と言えば、今月、あのパーヴォ・ヤルヴィさんがドイツカンマーフィルとともに来日していたのをご存じですか。そのセットリストになんとシューベルトの交響曲第7盤(8番という人もいます。)「未完成」がはいっていたのです。長らくクラシックのコンサートに足を運んでいますが、「未完成」をライブで聴くのはこれが初めてです。ワクワクでした。

  「未完成」と言えば、父が持っていたラファエル・クーベリックがウィーンフィルを指揮したレコードが最も耳慣れた演奏です。シューベルトと言えばロマン派の代表ですが、この交響曲もその名の通りエモーショナルな主題と変奏に貫かれており、クーベリックはその魅力を引き出し、夢を追って突き進むような演奏が我々の胸に熱い想いを蘇らせてくれます。

  特に素晴らしいのは、第1楽章に仕掛けられた第1主題と第2主題のエモーショナルなメロディです。この交響曲は、コントラバスによる主題につながる動機の提示から始まりますが、たった8小節の動機が第1楽章すべてを支配します。ところが、レコードではこの動機があまりに低音で奏でられるため、音量を上げなければ聞き取れないのです。ところが、動機が終わって主題部に移ると、オーケストラの音が大きくなり、動機で音量を上げて聞いていると、音量を下げなければ聴いていることが出来なくなるのです。

  しかし、ライブでは違いました。

  ヤルヴィ指揮のカンマーフィルの「未完成」は、はじまるや、後方の左翼に並んだ3基のコントラバスが重厚にはじまりの動機を奏で、(あたりまえのことですが)、その響きが胸にしみいってきたのです。やはりライブはかけがえのない場に他なりません。いきなり、心をわしづかみにされた気持ちになりました。そこからはじまった「未完成交響曲」は、まるで2幕の舞台のように疾風怒濤の音楽を奏で、感動の渦に巻き込まれました。

  クーベリックの「未完成」に比べれば、テンポは少し抑え気味で、疾走感と胸に迫る重厚感を見事なバランスで内包した素晴らしい演奏でした。テレビで見たブロムシュテットさんの未完成もテンポが同じ感じで、近年のロマン派の交響曲への解釈がクーベリックの時代とは変ってきたことが感じられました。

  ヤルヴィ指揮に感動した2日後には、別のコンサートに足を運びました。

  こちらは、ヴァイオリンソナタです。ヴァイオリニストはベルリンフィル第1コンサートマスターの樫本大進さん、そしてピアニストは2005年のジョパンコンクールで優勝し、最もショパンをよく弾くと言われるラファウ・プレハッチさん。大進さんは7色の音色と、強靱さと繊細さを併せ持つ唯一無二のヴァイオリニスト。今年は、大進さんが弾くブラームスのヴァイオリンソナタを聴き、すっかりブラームスにはまりました。

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(大進 プレハッチ デュオ公演チラシ)

  この日のプログラムは、モーツアルト、ベートーベン、ドビュッシー、武満徹、フランクという豪華なラインアップでした。ベートーベンのヴァイオリンソナタと言えば、「春」と「クロイツェル」が有名ですが、この日は第7番。初めて聴くヴァイオリンソナタでしたが、4つ楽章に込められた伸びやかで、魅力的な旋律が大進さんのヴァイオリンから流れ出し、心を動かされました。

  さらに感動したのは、ドビュッシーです。ドビュッシーのヴァイオリンソナタは、彼の遺作となりましたが、その繊細さと感性のひらめきは健在で、最も有名なピアノ作品「月の光」をしのぐ美しさと言っても過言ではありません。プレハッチさんのピアノはよりリリカルなタッチで一見不揃いな和音を美しく引きたたせ、大進さんのヴァイオリンがさらにつややかな音で彩っていきます。感動しました。

  さて、前段が長くなりましたが、これにはわけがあります。今回ご紹介する本は、日本が誇る管弦楽団、NHK交響楽団の主席コンサートマスターであった篠崎マロ史紀さんが上梓した、人生と音楽を綴ったエッセイなのです。

「音楽が人智を越える瞬間(とき)」

(篠崎史紀著 ポプラ新書 2024年)

【還暦を迎えたコンサートマスター】

  コンマスとは、コンサートマスターの略称ですが、マロこと篠崎さんは、1997年にNHK交響楽団(以下、N響)のコンサートマスターに就任。様々な指揮者たちのもと、楽団をまとめあげてきましたが、昨年、還暦を迎え定年にて主席コンマスを退任しました。

  日本でこれほど海外の著名な指揮者が指揮した楽団は、N響以外にありません。

  現在、日曜日の夜9時にはEテレで、クラシック音楽館が放送されていて、毎週楽しみにしています。今、N響の首席指揮者はイタリアの名匠ファビオ・ルイージさんですが、その前は私が大ファンであるパーヴォ・ヤルヴィさんでした。その他にもシャルル・デュトワ、ブロムシュテット、アシュケナージ等々、錚々たる巨匠たちがその名を連ねています。

  テレビでその名演奏を見ていると、必ず指揮者の左横の席にはマロさんがいて、指揮者を見上げるとともに楽団員全員に対してオーラを発信し続けていることが見て取れます。そんな、おなじみのマロさんが、定年を機に上梓した本。読まずにはいられません。

  さて、そこにはいったい何が語られているのでしょうか。まずは目次を。

第1章 ウィーンが「音楽の流儀」を教えてくれた

2章 ウィーンで身につけたマロ流妄想力

3章 北九州が「人生の流儀」を育んでくれた

4章 N響が「コンサートマスターの流儀」を確立させてくれた

5章 偉大なマエストロたちが音楽の流儀を教えてくれた

6章 いま、日本の音楽界に、そして故郷に伝えたい思い

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(コンサートマスターMARO 新書 amazon.co.jp)

  クラシックファンの方ならば、この目次を見てワクワクするに違いありません。その予感の通り、この本にはどこをとっても「音楽」の楽しみが詰まっています。「マロ」とは、学生時代からのあだ名だそうですが、ヴァイオリン教師のご両親から生まれたマロさん。ヴァイオリンを強いられたことは一度も無いそうです。生まれたときから周囲にヴァイオリンの人材や環境があふれていて、2歳を待たずに、自然にヴァイオリンを引くようになったようです。

  この本を読むと、マロさんのご両親の育て方はなかなか見事です。クリスマスプレゼントに子供用のチェロが入っていて、負けず嫌いの性格から自ら練習したとのエピソード。気がつくと海外の情報が書かれて本が身の回りのたくさん置かれており、007が好きだったマロさんは、「ムーンレイカー」の「舞台となったヴェネチアの写真集を見て、海外に興味をもち、自ら高校卒業後にウィーンに留学したと言います。

  ご両親のマロさんへの接し方を読むと、現在の子育てにも十分に参考になりそうです。

【マエストロと音楽仲間たち】

  この本の大きな魅力の一つは、N響のコンサートマスターとして表現した数々の仕事です。

  その仕事についてマロさんは、指揮者はゲスト、コンサートマスターはホストだと言います。海外から来る首席指揮者や名誉指揮者などには特に当てはまる言葉です。これは、ホームパーティーを開くときのたとえですが、自宅に客を招くようにN響に指揮者を招くというわけです。しかし、相手は名うてのマエストロ。ホストは、ゲストが気持ちよく指揮できるように環境を整えることが仕事です。

  本番では、指揮者も団員もプロ中のプロ。コンマスのやることはほとんど無い、と言います。ライブではおなじみの楽器のチューニングも、団員たちはすでに各自チューニングを終えているので形だけですむそうです。むしろ、リハーサルの場でこそ、コンマスの力が発揮されます。指揮者は自らが解釈した楽曲の色彩やテンポを楽団に表現してほしいと考えます。しかし、交響楽団とその演奏者たちにはそれぞれ培ってきた色彩とテンポがあります。これが大きく異なるときに、それを調整するのがコンマスの仕事なのです。

  この本には、コンマスの仕事と、協働で音楽を培ってきた指揮者の魅力がたくさん語られています。

  近年、よくN響の演奏会に登場するトゥガン・ソヒエフ。その指揮は、その曲で「作曲者が考えたその先」をタクトで楽団員から引き出すことが出来る、と言います。また、大御所ブロムシュテットについても、常に音楽を探究し、その指先から放たれるオーラで、楽団員たちを未知の世界に導いていく、と語ります。

  その中でも、最も心を動かされたエピソードがあります。それは、ロシア出身の大指揮者ウラディミール・フェドセーエフとのエピソードです。20185度目の共演のとき、プログラムはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」でした。最初のリハーサルでフェドセーエフが提示したテンポは非常にゆっくりとしていて、団員たちからも遅すぎるのではないか、との意見が多く出ました。たしかに管楽器では息が続かないほど遅いテンポなのです。

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(N響 フェドセーエフ公演チラシ)

  マロさんは、自らも疑問を持ったそのテンポを変えてもらおうと、夜、フェドセーエフと食事をともにしました。果たして、マロさんは各団員たちの意見を伝えることが出来たのか。その顛末は、ぜひこの本で味わってください。心が洗われます。

  さて、音楽を心から愛するマロさんは、N響以外でもたくさんの仲間たちと数多くの活動を続けてきました。この本には、自らが立ち上げたジュニアオーケストラの活動、銀座の王子ホールで2004年から続けているサロン風の管弦楽「MAROワールド」、さらに若手と合奏を楽しむ「MAROカンパニー」の活動、など、音楽の和が語られていきます。

  その中で紹介される様々なエピソードにも心を動かされます。

  例えば、ウィーン留学時代に紹介されるエピソード。チェリストである桑田歩さんは、若き日にイタリアでの勉強の帰りに、ウィーンにいたマロさんのもとを訪ねます。彼は翌日に帰る予定でしたが、帰りの飛行機のリコンファームを忘れてしまい、再度取れたのは一週間後の飛行機でした。学生でお金がなかった桑田さんは、マロさんの部屋に泊めてもらうことになりました。

  ところが、彼の演奏を聴いたマロさんはぜひとも一緒に演奏会に参加したくて、彼をウィーン市立音楽院のチェロの先生の所に連れて行き、演奏を聴いてもらいました。その演奏を気に入った先生が彼の入学を許可してくれたのです。桑田さんは、帰りの飛行機のリコンファームを失念したおかげで、ウィーンに留学することとなったのです。マロさんは、リコンファームを忘れて留学することになったのは後にも先にも彼くらいだろうと語ります。

  このエピソードには続きがあります。それは、この本の第6章で語られるのですが、その感動のエピソードはこの本でお楽しみください。心に染み入る感動を味わうことと思います。


  さて、今年も早いもので残すところ1週間となりました。皆さん、元気で年末をお迎えください。今年は、一段と平和な暮らしが幸福だと実感します。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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3賢人が語る現代日本の「歪み」とは

こんばんは。

  先月の解散総選挙の結果は、日本の未来のためになるものなのでしょうか。

  選挙にて我々日本の国民は、自ら成立させた政治資金規正法を自らの手で破るような億単位での報告書不記載が露呈した自民党と公明党にお灸をすえ、衆議院での過半数割れに追い込みました。衆議院の議席数は465議席で、過半数は233議席ですが、自公の獲得議席は215と過半数を割り込みました。

  しかし、野党は235という数の議席を取りながら、立憲民主党148議席、日本維新の会38議席、国民民主党28議席、れいわ新撰組9議席他となり、それぞれの党が主導権争いを演じた結果、自公政権を変えるまでには至りませんでした。

  結果、石破さんが再び総理に指名されましたが、国民は成り行きに安堵していると思います。

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(第2次石破内閣閣議  官邸HPより)

  結果はともかく、今回も残念だったのは投票率の低さです。

  今回の選挙は、日本の政治が変革を求められる歴史的にも節目となるはずの選挙にもかかわらず、その投票率は前回を下回る53.85%という戦後3番目に低い数字だったのです。世界では、アメリカのトランプ政権をはじめとして、自国ファーストを掲げる右傾化政党がが議席数を伸ばし、あらゆる場所で分断が進んでいます。ウクライナやパレスチナでの戦争を見れば、分断の先に戦争が待っていることは間違いありません。

  日本は、国連を中心とした平和堅持を国是とする、(今はまだ)経済大国です。その民主主義による平和を代表する国が、その舵取りを決める選挙で「投票」する国民が6割を切るとは、世界中から冷ややかな目で見られてもしかたがない惨状です。日本では、4割の人々が、思考停止となっており、何も考えていないと言われても言い返すことが出来ません。民度が低いのです。

  話は変りますが、今月、連れ合いと一緒に10日間、イタリア旅行を楽しんできました。

  コロナ蔓延、ウクライナ戦争の勃発と海外旅行が出来なくなって5年以上が経ちますが、やっと念願のイタリア旅行に行くことが出来ました。前回イタリアに行ったのはもう40年以上前です。そのときにはローマ、バチカン、ナポリ、ポンペイ、ミラノを観光しましたが、フィレンツェとヴェネツイアにはいけませんでした。その後、娘がイタリアファンとなり何度かイタリアに旅行するのを横目に、うらやんでいたのです。

  今回は、フィレンツェではドゥオーモ大聖堂、ヴェネチアではサン・マルコ大聖堂を貸しきりで見学するという贅沢な旅行で、シスチィーナ礼拝堂のミケランジェロ「最後の審判」、ミラノのダビンチ「最後の晩餐」と併せて、ルネサンスの芸術を堪能する旅となりました。

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(ヴェネチア サン・マルコ広場から見た大聖堂)

  そのお話はまた改めてするとして、まずは今週読んだ本の紹介です。

「日本の歪み」(養老孟司 茂木健一郎 東浩紀著 講談社現代新書 2023年) 

【日本の「歪み」を語る3賢人】

  久しぶりに海外旅行に行って思うのは、日本の良さです。

  第一に日本は清潔です。町中の清潔さはもちろん、公共の場でも人々は場も汚すこともなく、トイレもとてもきれいに使います。イタリアでは、公共トイレは少なく、ほとんどはバルやレストランのトイレや土産物屋にあるトイレを使います。一番驚いたのは、トイレに便座がないことです。

  便座がないと、直接ホーローに腰掛けて用を足すしかないのですが、それがまた特大で、腰掛けると中に落ちてしまうほどです。21世紀の現代でその状況には驚きました。しかし、聴けばそれには理由がありました。イタリアの観光地では、観光客が乱暴で便座を破壊してしまうと言うのです。壊れたら直すのが普通ですが、イタリアでは直しても、直しても即座に壊されるので、観光地のオーナーは直すことをあきらめてしまったそうです。

  やはり日本人の公共的なメンタリティは、世界に冠たるものがあるようです。

  そんな日本ですが、近年、様々な「歪み」がSNSを賑わせています。例えば、夫婦別姓や同性婚問題、ティーンエージャーの自殺の増加、不登校や心を病む人々の拡大、ヤングケアラーの増加、母子家庭の格差、高齢者の孤立、などなど社会の「歪み」は枚挙にいとまがありません。

  いったい現代日本は、なぜこんなに「歪んで」いるのか。

  この本の題名と鼎談の著者名を見て、即座に購入しました。

  鼎談のメンバーは、名著「バカの壁」で知られる解剖学者の養老孟司さん(1937年生まれ)、クオリア研究で名をなす脳科学者の茂木健一郎さん(1962年生まれ)、数々の評論で受賞している批評家の東浩紀さん(1971年生まれ)。この顔ぶれを見ただけで、切れ味するどい会話が目に浮かぶようです。

  その切れ味鋭い鼎談の内容やいかに。

  目次を見てみましょう。

第1章 日本の歪み    第2章 先の大戦
第3章 維新と敗戦    第4章 死者を悼む
第5章 憲法       第6章 天皇
第7章 税金       第8章 未来の戦争
第9章 あいまいな社会  第0章 地震

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(鼎談「日本の歪み」 amazon.co.jp)

  憲法とはその国の基本理念を語るものですが、我が国の憲法はまさに「歪み」を象徴する憲法といえるかもしれません。この本でも、まずこの話題から切り込んでいきます。

  憲法論議は政治的な側面が強いのですが、なんと言っても日本の憲法は第9条で「戦争の永久放棄」とそのための「陸海空軍その他の戦力不保持、交戦権の放棄」が謳われています。現在の政治的な論議は、平和主義国としてこの第9条を守るべきという護憲論と現実に自衛隊という軍隊を自衛のために保持していることを明記すべきと言う改憲論がまっこうから対立しています。

  そもそも現在の日本憲法は、戦後日本の国家理念をどのように反映しているのでしょうか。

  茂木さんは、法学部の学生のときに聴いた長谷部恭男教授が安保法制は違憲であるとの言葉に従って、2015年の強行採決のときに国会前に出向いて忌野清志郎の歌をうたってきた、との話からこの対談を始めています。その話がどう「歪み」につながるのか。

  茂木さんは、その後、日本の憲法が英語で書かれた草案としてGHQから一方的に示され、たったの15分の間に承諾を迫られたとの記事を読み、原爆という暴力的な兵器を背景に、憲法が脅しによって成立したことを思って、日本憲法に疑問を感じるよういになったと語ります。

  そして、東さんは、2004年に多くの知識人により、憲法9条を護るために設立された「9条の会」のルーツに、1991年にアメリカで結成された団体「9条の会」が影響を与えていることを指摘しています。日本の基本理念を形作る「憲法」が、まさに歪みを持って成立していることに焦点を当て、鼎談はさまざまな「歪み」に進んでいくのです。

  養老さんは、まさにそうした歪んだ戦後を生き抜いてきた知識人の一人であり、茂木さんと東さんはさまざまな時代の移り変わりでの時代のとらえ方を養老さんに質問し、その答えも踏まえて「歪み」をあぶりだしていきます。

【日本の「歪み」はどこから?】

  現在の日本はどこから始まったのか。戦後生まれの我々は、「戦後の日本」しか知らないので、我々にとって「戦争」が歴史の始まりと言っても過言ではありません。日本が、アジア諸国を侵略し、満州国を建国、さらに「大日本帝国」によってアジアに幸福をもたらすとばかりに南方に支配を拡大してゆき、さらにはアメリカに奇襲をしかけて破滅への道を突き進みました。

  そして、アメリカに負け、占領統治され、戦後世界が幕を開けました。

  現代の「歪み」は、日本の戦後世界が敗戦により大転換し、アメリカの体制と文化で染められたことによって生じたものなのでしょうか。

  この本では、「先の戦争」についても象徴的な話題が語られます。それは、我々の中で「先の戦争」の名称が確定していないという事実です。戦前、この戦争は「大東亜戦争」とよばれていましたが、戦後は「太平洋戦争」と呼ばれています。しかし、「日中戦争」、「アジア太平洋戦争」と呼ばれることもあり、さらには、満州事変から始まったとする「15年戦争」と呼ぶこともあるそうです。

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(満州事変 満州国の首都 新京 wikipedia)

  東さんは、先の戦争の始まりや起点も曖昧で、名称さえ明確ではないところが「日本の歪み」を象徴しているようだと語ります。

  しかし、鼎談が進むにつれて、先の戦争の話から「歪み」の文化の起点はさらに遡られていきます。日本のこれまでの歴史は、そもそも日本の外からの力で創られてきているということが原点ではないかとの問題提起です。

  古くは日本語の成り立ちから、古代、白村江の戦いから日本は好むと好まざるとに関わらず、外国の文化を取り込んで、それを日本の文化に変えながら歴史を作ってきました。先の戦争の前には、明治維新と呼ばれる大事件が起き、すべての価値観が大転換することになります。そこに見られるのは、「西洋対日本」のトラウマなのです。

  明治維新は、まさに西洋文明を取り入れて日本を強くしようという価値観の転換運動でしたが、そこに「歪み」があったとの見立てです。西郷隆盛は、自ら西洋化政策を進めながら、最後には日本文化を代表する士族の頭領として西南戦争を戦うことになります。それは、太平洋戦争へと続く、「西洋対日本」の象徴としての戦いだったのではないでしょうか。

  明治を語る中で、養老さんが語る「吾輩は猫である」の話は秀逸でした。この小説は、語り部である「猫」がある正月に拾われてくるところから始まります。家人は「猫」にお雑煮を食べさせるのですが、猫はそのお餅が歯にひっついてしまい噛むことも飲み込むことも出来ずに、踊ってしまうのです。我々はそれを読んで笑うわけですが、養老さんはこの「猫」こそ、西洋文化を上手に飲み込むことが出来なかった漱石のカリカチュアだ、と読み解くのです。深いなあ・・・。

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(「吾輩は猫である」初版本 wikipedia)

  この鼎談では、どこを読んでも日本に存在する「歪み」への指摘と洞察に富んでいます。

  とても面白かったのは、日本語がいかに特殊な言語であり、英語をはじめとする海外言語と親和性の低い言語なのか、との洞察です。東さん曰く、言語は2つの機能を持っています。ひとつは「事実確認的機能」、もうひとつは「行為遂行的機能」だと語ります。

  ヨーロッパ言語は、書き言葉と話し言葉に差異が少なく機能的には「事実確認的」です。それに比して日本語は、語り言葉と話し言葉が異なっており「行為遂行的」なのだと言います。つまり、日本の言葉は簡潔に事実を説明することが苦手であり、人の行為に寄り添っているのだそうです。例えば、「禁煙」を示すときに英語は「No Smoking」、以上終わり、ですが、日本語では「ここでの喫煙はご遠慮ください。」となります。

  日本語は説明することが苦手であり、相手をおもんぱかることで成り立つ言語だというのです。

  さて、ここから話は佳境に入っていきますが、その続きはぜひ本書で味わってください。なるほど、とうなっている間に次々とページが進んでいき、「ちょっと待って」と言いたくなること間違いなしです。やっぱり、賢人たちの世間話ほど面白いものはありません。


  そろそろ紙面も尽きました。今年も秋がなく、先日までの冷房から、突如、暖房を使うほど朝晩冷え込んできました。どうぞ、ご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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