真山仁 富永検事、沖縄で何が・・・

こんばんは。

  名探偵は事件を呼ぶといいますが、名検事もしかり。

  真山仁さんの富永検事シリーズは、「証拠」と「真実」に徹底的にこだわる主人公が国家に関わる巨悪に挑んでいく物語が綴られます。

  真山仁さんが山崎豊子さんの「白い巨塔」を読んで感動し、緻密で膨大な取材に基づいた小説を作りたいと志した話は有名です。「ハゲタカ」シリーズをはじめ、日本の原子力発電技術を描いた「ベイジン」、さらには日本の政治と総理大臣を描いた「コラプティオ」など、その小説の面白さは独自の色彩を放っています。

  その小説の面白さは、ひとりひとりの人間をキチンと描いていく描写力と、その登場人物たちが巻き込まれていくリアルな状況が、息つく暇もなく新たな状況を生み出していく、手に汗を握るストーリーテリングの妙にあります。

  この富永検事シリーズもそんな真山マジック満載の傑作です。

  今回は、昨年文庫化された第三作を読んでいました。

「墜落」(真山仁著 文春文庫 2025年)

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(真山仁著文庫版「墜落」 amazon.co.jp)

【まるで小説のような解散総選挙】

  ところで、28日に行われた衆議院の解散に伴う総選挙。60年ぶりの真冬の衆議院選挙となりましたが、東北や北陸の豪雪地域では短期間の公示期間で、選挙ポスターでの公示や投票券の発送など、必死の準備に奔走した自治体職員の皆様には感謝しかありません。

  解散は国会開催日の123日、公示が同27日、選挙投票日が28日。解散から投票日まで16日間という日程は前代未聞ですが、この深く吟味する余地を与えない電光石火の選挙が高市早苗総理大臣の決断力と行動力の無謀さを物語っています。

  結果は、前代未聞の自民党大勝利だったので、高市さんの作戦勝ちというほかはありません。

  それにしても、解散時の自民党の衆議院での議席は198議席、選挙後の議席は316議席。衆議院の総定数は465議席ですので、過半数割れの状況から一気に「3分の2」を超える議席を獲得することを誰が予想し得たでしょうか。

  一方で、今回の解散総選挙に伴って、衆議院の旧立憲民主党と旧公明党が合体して結成した「中道改革連合」は、解散時167議席あった議席数が、49議席に激減するという、こちらも前代未聞の大敗北となりました。

  この結果を投票した我々も驚いている、というのが正直なところです。

  今回の選挙には、日本人の特異性がそのまま反映されているのではないでしょうか。

  それは、熱しやすく冷めやすい「ええじゃないか」気質と言ってよいと思います。今回の選挙の投票率は、56%程度だそうですので、これまでの選挙の中では比較的多くの国民が投票したことになります。これは、これまで政治に関心が薄かった人たちが、「高市推し」に向かったことが大きな要因だと思います。

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(江戸時代末期「ええじゃないか」の図 wikipediaより)

  現在日本では、疲れた日々を癒やしてくれる「推し」が大きなブームになっています。それは、アイドル推し、BL推し、アニメ推し、ドジャース推し、サムライジャパン推し、サウナ推し、などなど人の数だけ推しがあるといっても過言ではありません。

  もともと、生き物には「共感」するという本能が備わっており、「生きる」ことに有利となるように同じ種が「共感」することで、厳しい社会を生き抜いていくことができるようです。この「共感」が癒やしを生んで「推し活」がストレスを解消することになります。

  特に日本人は、弥生時代の昔から村社会を形成して、村一丸となって物事を成し遂げるモデルを作り上げてきました。江戸幕府はこの「共感」を逆手にとって村単位での監視社会や、士農工商非民という階層を作ることで、不満のガス抜きを行ってきました。日本人は数千年にわたって「共感」能力を磨き続けてきたのです。それは、熱しやすく冷めやすい民族を作り出す元となりました。

  その気質は、例えば、江戸時代末期に「ええじゃないか」と音頭をとりながら町を踊り歩く行動が一大ブームとなり、日本各地で熱狂的な踊り狂いが社会現象となりました。また、戦前には「ほしがりません勝つまでは」とのスローガンに象徴されるように、軍のプロパガンダにすべての日本人が踊らされ、日本は「戦争」一色に染まりました。さらに戦後には、アメリカの統治下にて、すべての日本人が「民主主義万歳」を唱えることとなりました。

  ことほどさように、我々日本人は「共感力」が高く、「熱しやすく冷めやすい」のです。

  我々の「推し活」もこの「共感力」に支えられていますが、今回の解散総選挙はこうした「高市推し活」を巧みに利用した高市解散がもののみごとに奏功したのではないのでしょうか。確かに、高市総理は「強い経済、強い日本」を再び取り戻すために、「働いて、働いて、働いて、働く」と公約しています。

  しかし、民主主義は数の世界ですので、戦前の日本やドイツをみればわかるとおり、政治が多数を握れば熱狂を生み、破滅へと向かっていくこともあり得ます。ドイツの人たちもワイマール共和国の時代にまさか独裁者が生まれるとは思っていなかったはずです。日本もしかり。

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(1936年ナチス政権下開催のベルリンオリンピック)

  我々も我が国の政治家たちが数の論理で走り出さないよう、よく見極める必要があると思います。「現実は小説よりも奇なり」、とは真実を言い当てているのです。

【富永検事、沖縄に赴任する】

  さて、小説の話に戻ります。

  真山仁さんの小説は、真山チームによる稠密な取材に基づいて構築されており、毎回、現代日本が抱える大きな課題を浮き彫りにしてくれます。さらに、エンターテイメントとして、それを読む面白さを兼ね備えているところにその魅力があります。

  今回、真山氏が自らの分身とも言える富永検事の活躍の場に選んだのは沖縄です。

  昨日、第二次内閣を発足させた高市総理ですが、昨年117日の衆議院予算委員会で台湾有事に対する答弁により中国の怒りを買い、日中関係は尖閣諸島の問題以来の厳しい状況となっています。中国は、日本の水産品の輸入自粛や日本への渡航自粛を自国民にほぼ強要するのみではなく、国連や国際会議の場でも日本の発言を日本の再軍備化の象徴であるがのごとき初弁を繰り返しています。

  沖縄は、台湾に最も近い場所に位置しており、そこには在日米軍基地が集中しています。その敷地は、日本の0.6%にすぎませんが、米軍基地の70%が沖縄に集中しており、その面積は沖縄本島の15%を占めています。

  そして、中国は常に尖閣諸島を中心に領海、領空付近に中国人民解放軍を派遣しています。

  領空に関しては、日常茶飯事のごとくに中国人民軍の主力戦闘機が出没します。彼らの目的は、日本のカウンター能力を確認することだと言われていますが、台湾発言で揺れている昨今は、その頻度が増えているようです。今回、小説のメインストーリーは、この自衛隊のスクランブル発進で利用されている米国製高速度ジェット戦闘機F-77を巡って繰り広げられる物語となります。

  さて、このシリーズは、毎回、多彩な登場人物たちの視点から物語が進行していくことが大きな魅力の一つとなっていますが、今回はその語りによる面白さはますます際立っています。

  まず、スクランブル発進する航空自衛隊のエースパイロット、我那覇瞬。その操縦技量と沈着冷静な判断は群を抜いており、まさにエースです。そして、防衛大学を首席で卒業し、抜群の技量を持つ女性パイロット荒井涼子。二人は、スクランブル発進の時にチームを組んでいます。

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(自衛隊最新戦闘機F-35 wikipediaより)

  一方、沖縄では米軍基地に土地を貸している「軍用地主」は、多額の賃料を受け取っています。小説の登場人物である金城昇一と長男の一(はじめ)は、養豚事業やレストラン経営で成功して巨万の富を築き、さらには軍用地主として年間3億円もの賃料を得ている大富豪です。

  こうした沖縄基地を巡るの複雑な事情の一方で、沖縄には松山という歓楽街があり、そこには新宿歌舞伎町のトーヨコのように未成年の男女が大勢集まっています。そこでは、10代の女性が身を売って日々を暮らし、10代にして子供を産む女性も多くいるといいます。しかし、トーヨコと異なっているのは、そこにいるティーンエージャーたちが皆、とても明るく騒いでいる光景です。

  小説の重要な登場人物として登場する金城一の妻、華はそうした女性の一人です。10代にして、金城一の子供を産み、若くして3児の母なり、今は、沖縄で身寄りのない子供たちの面倒を見ているフローレンスこども園の手伝いをしています。華もかつてこのこども園で生活しており、家族の愛情に人一倍あこがれを抱いている女性なのです。

  ここに、登場するのが、那覇地方検察庁への異動が決まった富永検事が赴任してくるのです。過去、東京地検特捜部で巨悪の検挙に奔走した富永は、アメリカ大使館員の不正ビザ発給詐欺を追っていましたが、同盟国の事件をもみ消そうとする日本政府からの圧力によって「事件はなかったことにする。」との結論を最後に、東京地検特捜部から異動することになったのです。

  その富永を待っていたのは、前任者が残したある殺人事件でした。それは、沖縄の大富豪、金城昇一の跡取り息子が、自宅のマンションで殺害されるという殺人事件でした。その犯人は、被害者である金城一の妻、華だったのです。警察官が現場に駆けつけたとき、華は無残な死体の前に血だらけで佇んでいました。その手には血のついた包丁が握られていたのです。

  そして、物語は、様々な登場人物が物語を織りなしていき、進んでいきます。そのみごとなスト-リーテリングに、思わずページをめくる手を押さえたくなります。

  そんなとき、中国の戦闘機がまたしても領空区域に接近します。24時間体制で監視している沖縄基地の管制塔からスクランブル発進の指令が発せられ、ジエ板野の戦闘機F772機が発信し、領空区域にて中国機に警告を発します。その日、中国機にはこれまで知られていない彼我不明機(アンノウン)が一緒に飛行していたのです。アンノウンを追尾するF-77機。しかし、中国機は、日本領空を犯すことなく引き返していきました。さらに米軍機までもが登場し、F-77には、帰投指令が発せられます。

  しかし、事態は思わぬ方向へと動いていきます。帰投すべきF-77は、突然急降下をはじめ、一直線に墜落してしまったのです。

  そして、事件は、アメリカ軍基地、本土の防衛庁、沖縄県知事を巻き込んで大きなうねりへと発展していきます。さらに、そこに前作で富永検事と渡り合った暁星新聞の敏腕記者、神林裕太までが登場し、物語は息もつかせぬ展開を見せていくのです。


  この小説は、これまでのシリーズの中でも、最も読み応えのある作品です。後半には、現防衛大臣である小泉大臣を思わせる防衛大臣も登場し、我々を存分に楽しませてくれます。そして、物語の最後を飾る思いがけない真実。そこには、今、最も旬な話題であるAI(人工知能)も関わってくるのです。

  皆さんも是非この本で、社会派小説の面白さと問題提起を味わってください。その深さに時間を忘れて引き込まれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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毛内拡 「心」と「脳」はどうつながっているのか

こんばんは。

  何が起きているのかよくわからないうちに、高市総理大臣は今年初めての衆議院本会議の冒頭で解散を表明し、またまたまた国政選挙が行われることになりました。そこにかかる国費は、800億円と言われています。日本では、食料品を中心に値上げラッシュが続いており、毎年?国政選挙を行うような余力はないはずです。

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(解散総選挙に向けた党首討論会 yomiuri.co.jp)

  国の予算と企業の予算と、個人の家計は異なるように語られますが、経済原理はなにも変わることはなく、返済できないほどの借金を抱えれば、個人でも企業でも国でも破綻するとの結末に違いはありません。

  ところが、市町村、県、国は選挙にかかる資金に対して人ごとのような発想しかないようです。

  市町村や県でも、トップに立つ人たちが、学歴を詐称したり、不倫まがいの行動をとったり、パワハラで職員から突き上げられたりすると、議会からリコールされて解散か辞任を選択し、すぐに選挙が行われます。その安易さと、さらにその選挙に投票する人が、有権者の半分以下というていたらくでは、日本人の民主主義意識は崩壊しているとしか思えません。選挙で財政が破綻するとは誰も思わないのですが、無駄な選挙の行き着く先は、歴史にあるとおり、巡り巡って財政破綻を招き、極右政党か極左政党が民衆の支持を得て、戦争が起きることは火を見るよりも明らかです。

  今、世界は分断の時代を迎えています。被爆国でもある日本は、世界でもまれに見るほどの平和国家です。それは、日本の民意が平和を求めているからに他なりません。今回のような安易な「解散」に国民が「NO」といわなければ、日本は正常な政治を取り戻せないように思えます。

  今回の選挙、どの政党を支持するかはいったん置くとしても、皆さんが白票でもかまわないので、政治に対して意思表示をすることが大切です。皆さん、投票所に行きましょう。せめて、70%の投票率(意思表示)がなければ、与党と政権を国民が選んだとは言えません。皆さん、投票所に行って、民主主義の機能を発揮させましょう。

  さて、本の話です。

  唐突ですが、ハラスメントといえば、人と人の間に起きる嫌がらせや相手を傷つける言動のことですが、我々は、自分がハラスメントをしていることに気がつかないことが多いようです。基本的に「ハラスメント」は、被害者がいやな思いをしてそれを表明することからはじまります。しかし、必ずといってよいほど、加害者は「そんなつもりではなかった」と語ります。

  では、人はなぜ他の人からの言動を「嫌だ」と感じるのでしょうか。それは、我々の「心」が痛むからでしょうか。

  では、「心」とは我々の体のどこにあるのでしょうか。

  近年では、体中の臓器は筋肉も含めていつも信号を発信しているといいます。それは、特別なタンパク質によって発せられるそうですが、その信号に基づいて「脳」が反応するのだといいます。すると、「心」は脳内にあるのではなく、五臓六腑の中にあるのでしょうか。

  いつもの通り、本屋さんで面白そうな本を探していると、インパクトのある題名が目に入ってきました。今週は、脳科学者が語る、「心」と「脳」に関する本を読んでいました。

「心は存在しない-不合理な『脳』の正体を科学でひもとく」

(毛内拡著 SB新書 2024年)

【「自分」、「心」、「意識」、「感情」、「情動」】

  昔、教科書に小田実さんが書いた「さかさに地図を眺めてみよう」という文章が載っていました。いつも見ている世界地図は、北が上で南が下ですが、それを逆さまにすると自分の感覚が一瞬崩れていくように感じます。例えば、なぜかベーリング海峡がとても狭く感じます。一万年前に我々ホモ・サピエンスが世界中に拡散したグレートジャーニーがにわかに身近に感じられます。

  この本で語られる「脳」は、我々の「心」への思い込みをひっくり返してくれます。

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(「心は存在しない」SB新書 amazon.co.jp)

 まずは、目次を眺めてみましょう。

序章 実は心なんて存在しない?

第1章 心の定義は歴史上どう移り変わってきたのか

第2章 心はどうやって生まれるのか

第3章 心は性格なのか

第4章 心は感情なのか

第5章 脳はなぜ心を作り出したのか

終章 心は現実の窓

  著者の毛内拡(もうないひろむ)氏は、過去から現在、そして最新の心理学や脳科学を語りながら、「脳」の持つ不思議な「思い込み」機能を次々と語り明かしていきます。

  その第1章では、これまで解き明かされた「心」と「脳」の関係が語られており、興味は尽きません。例えば、心理学の世界では、フロイトやユングが我々の意識について、いつも認識されている意識の下には、自我である「前意識」が存在し、さらにその下には「無意識」の世界があると整理しています。

  我々の感情や思考は、「前意識」の自我やさらに意識すらできないスーパー自我によって規制されていて、それがブレーキとして、心の防衛システムになっているというのです。

  さらに興味深いのは、日本の仏教の教えにある「唯識」という考え方です。

  仏教は仏陀が開いた宗教で、苦しみに満ちた現世から解脱して悟ることを目的としています。そのためには厳しい修行が必要となるのですが、「悟り」の前提となる現世と人の意識について、様々に探求がなされ、仏教ならではの分析と教義へと結びついています。

  大乗仏教は、仏教の救いをすべての人々に広げていこうとする一派なのですが、その教義の前提となる「人」の持つ意識を「唯識」として捉えています。意識とは、人において物事を認識し、知る機能のことですが、その「識」には9つの階層があるとされています。

  まずは、誰もが知っている5感。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が5識として認識されています。その次には、「意識」、我々が5感を含めて様々に認識をするのが「意識」となります。そして、「意識」の下層には、7識として「末那(マナ)識」が存在します。この「識」は、自己意識です。これは「自己執着心」と呼ばれますが、我々の「優越感」、「羨望」、「嫉妬」など、自我そのものの意識がこの「識」です。

  そして、その下層には、8識となる「阿頼耶(アラヤ)識」があります。この識は「蔵識」とも呼ばれ、生まれてからこれまで、人が「識」によって知り得たすべての認識、言葉、経験、が貯蔵されていると考えられ、善悪、生死のすべてがここに納められている、といいます。そして、さらにその下層には、純粋で汚れのない生命の根源、そして、煩悩の根源的な識があると考えます。それが、第9識の「阿摩羅(アマラ)識」です。

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(横山紘一著「阿頼耶識の発見」 amazon.co.jp)

  近代の科学的心理学は、フロイトやユングによって切り開かれたのですが、日本人が「唯識」によって遙か以前に、「深層心理」、「自我」、「集合的無意識」などの概念が認知されていたことは驚きです。著者もこの「唯識」には、「脳」と「心」を考える上で重要な示唆が含まれているといいます。

【「脳」で生み出される「心」とは】

  この本では、近年増加している「心」の負担に対処することも大きな主題として取り扱われています。そのためには、我々の「脳」がどのような仕組みで「心」に浮かぶ意識を生み出しているのかを知る必要があるといいます。

  そのほんの一端をご紹介します。

  まず、脳が情報をどのように処理して、我々の様々な認識や行動に現れるのか、その仕組みをこの本は語ってくれます。

  著者の研究では、人の脳の中には「人間らしさ」を生み出すための「知恵ブクロ記憶」があるとの仮説が立てられています。この「知恵ブクロ記憶」は、人が脳を形成するときから意識無意識に関わらず経験してきたすべての事物が記憶として蓄積されている、と考えています。

  一方、脳は情報処理の過程で、2つの経路と3つのフィルターを利用しているといいます。

  人は外部の情報を5感から得ます。得られた情報は、まず第1のフィルターによって2つの経路に分かれて流れます。それは、意識にあげるか、無意識下で処理するかの2つの経路です。無意識下で、情報は知覚にのぼることなく脳の扁桃体などに送られ、バイパスして即座に恐怖や驚きなどの反応を表出します。これは、ボトムアップのプロセスと呼ばれます。

  バイパス情報とは別に脳に送られた情報は、この情報をどのように取り扱うかについて「知恵ブクロ記憶」に問い合わせ、脳内モデルに基づいたシミュレーションを行い、意識下における対応を予測します。例えば、よく効く薬といわれて飴をなめると病気が治ってしまう、というプラセボ効果もこのシミュレーション予測による反応と考えられます。

  そして、氏は第3のフィルターがあるとの仮説を提示します。それは、生成された認知や感情をどのように表出するかをフィルターによって変えているといいます。それは、喜怒哀楽の表現も含みますが、このフィルターに個人差があるので、怒鳴る人もいれば、静かに怒る人もいる、ということになるのです。

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(NHK「人体」シナプスとニューロン nhk-ondemannd)

  こうしたプロセスは、それぞれの人の「知恵ブクロ記憶」が異なることから、フィルターのかけ方もすべての人間で異なることになるのです。しかし、このプロセスは人間の脳では共通に行われています。それは、物理的な電気信号による情報伝達によって行われているのです。

  これを知ると、このプロセスから生まれている我々の「心」は、物理的な運動の積み重ねに過ぎないのだと感じます。我々は、あたりまえのように、「自分(自意識)」があると考えていますが、それはひとつの物理的な現象にしか過ぎないのではないかと思えてきます。

  さらには、このブログでも何度かご紹介した生物学者の福岡伸一氏が語る「動的平衡」という言葉が登場します。我々の体を形作っている細胞は、常に死に絶えており、なおかつ生まれていて、すべての細胞が入れ替わるのに約2週間を要する、といいます。すると、我々は2週間に一度、別の人間に生まれ変わっていることになります。

  例えば、朝起きたときに自分が眠る前の自分と同じ人間か、どうしてわかるのか、との命題を考えてみると、それは「脳」がそうした認識を生み出しているためにそう考えているだけで、もしかすると別の人間にすりかわっているのかもしれません。

  そう考えると、我々の「心」とは、「脳」という器官が「動的平衡」により人を生かすために作り出した幻想に過ぎないのかもしれません。しかし、やっかいなことに、その幻想は、一人一人の「知恵ブクロ記憶」が異なる故に、すべての人が異なる個性を持っています。それがゆえに、分断が生まれ、争いが起き、殺人や自殺が起きるのです。

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(福岡伸一著「動的平衡」 amazon.co.jp)

  この本を読むと、いかに人の「脳」が我々に生きるための幻影を見せているのか考えさせられます。それは、あたかも、イスラエルの歴史学者ユヴァル・N・ハラリ氏が上梓した「サピエンス全史」で喝破した、サピエンスは虚構を生み出して、それを信じる能力によって地球上を席巻した、との指摘と響き合うような気がします。

  「唯識」では、我々は机の上の「リンゴ」を見て、「リング」が当然存在すると考えるが、それは見る者の思い込みに過ぎない、といいます。我々個人も自分の「脳」により作りだされる「心(虚構)」に振り回されているのかもしれません。


  皆さんもこの本で、「心」の本質を見つめてみてはどうでしょうか。「なやみ」は「脳」が生み出す信号であり、別の角度から見ればなやまなくてもすむことがあると気づくのではないでしょうか。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2026年 明けましておめでとうございます

令和八年 
 明けましておめでとうございます。

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新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
おかげさまで日々雑記も16年目を迎えます。
これも、ひとえにいつもご訪問くださる皆様のおかげです。
誠に有難うございます。
ウクライナ、ガザ、トランプ旋風と世の中には不穏な風も吹いていますが、良識のある地球号の一員として、対話のある相互に幸せな人生を送っていきたいと思っています。

皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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松岡圭祐 007は二度死んだ!?

こんばんは。

  第二次世界大戦中にイギリス海軍の諜報機関で仕事をしていたイアン・フレミングは、終戦後、新聞社に勤務する傍ら、休暇時にはジャマイカの別荘で小説を執筆していました。その小説が、後にベストセラ-となり、映画化された007シリーズでした。

  第一作「カジノ・ロワイヤル」が発表されたのは、1953年。フレミングは、ここから年1作のペースで007の作品を執筆し、1964年に上梓されたシリーズ11作目の作品が「007は二度死ぬ」です。この間に、フレミングと007を取り巻く環境は大きく変わっています。

  まず、1961年にアメリカのライフ誌に掲載された当時のケイネディ大統領がお気に入りの本に、第5作に当たる「ロシアより愛をもめて」が入っていたことから、この作品がベストセラーとなり、フレミングは一躍有名人の仲間入りをしました。

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(イアン・フレミングのブロンズ像 wikipediaより)

  さらに、1961年、第6作目「ドクター・ノー」を原作とした映画が公開され、大ヒットして、フレミングは007の生みの親として、全世界にその名を知られることとなったのです。ちなみに、日本で公開された映画の邦題は「007は殺しの番号」でしたが、その後、リバイバル上映時に「ドクター・ノー」と改題されています。

  こうして、イアン・フレミングが描いたジェームズ・ボンドは、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンに並んで世界のアイコンとなったのです。

  残念なことに、彼は1964年、第12作目の作品「黄金の銃を持つ男」を校正している最中に心臓麻痺でかえらぬ人となり、それ以降、ジェームズ・ボンドの新作は読むことがかなわなくなったのです。しかし、ジェームズ・ボンド愛は消えることはありませんでした。その後も、イアン・フレミング財団がふさわしい作家を選定し、007の新作を発表し続けています。

  そして、日本にもジェームズ・ボンドを心から愛する作家がいたのです。

  今週は、日本を舞台に描かれた007の物語を読んでいました。

「タイガー田中」(松岡圭祐著 角川文庫 2024年)

007の日本での活躍】

  007好きの皆さんは、日本を舞台にした007作品といえばすぐにその名がよみがえってくると思います。そうです。その作品が1963年に発表された第11作「007は二度死ぬ」なのです。

  この作品は、1967年にジェームズ・ボンドシリーズの第5作目として映画化されました。ここまでボンドを演じてきたショーン・コネリーはこの作品を持ってジェームズ・ボンド役から一度引退することになります。映画の舞台も原作通り日本となっており、映画はそのほとんどのシーンが日本ロケで撮影され、当時も大きな話題となりました。

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(「007は二度死ぬ」映画ポスター 007-seris.com)

  今回の本の題名「タイガー田中」とは、まさにこの作品における日本側の諜報機関(公安外事査閲局)の責任者である田中虎雄そのひとなのです。

  田中虎雄は、その名前からか外国人からタイガーと呼ばれており、映画では当時、丹波哲郎が演じていました。そして、彼ら諜報員の訓練場となっていたのが姫路城でした。この映画では、東京オリンピック開催後のモダンな東京の姿も描かれていましたが、タイガー田中率いる諜報員たちは、忍者の伝統を受け継いでおり、日本の柔道に代表される武道や剣術、手裏剣などが登場し、やはり日本はタイピカルに描かれるのだな、と感じさせるものでした。

  しかし、監督のルイス・ギルバートは、アクション映画も得意としており、007映画の魅力を存分に描いてくれました。ジェームズ・ボンドといえば、ボンド・ガールですが、日本の女優、若林映子と浜美枝が抜擢されました。特に浜美枝は、宿敵プロフェルドが拠点とする離島に潜入するために偽装結婚する離島の海女を演じており、映画の鍵を握る女性となります。

  そして、ボンド映画を彩る新兵器。毎回、ボンドに新たな兵器を引き渡すのは、おなじみQと呼ばれる諜報員です。今回Qが持ち込むのは、一人乗りの小型ヘリコプター(正しくはオートジャイロト呼ぶそうです。)「リトル・ネリー」です。4つのトランクから取り出された「リトル・ネリー」にタイガー田中は「おもちゃのヘリコプターか?」と驚きますが、実は強力な装備を備えていたのです。

  機首には、7.7ミリ機関銃が2門。機体の下に熱感知追尾式のミサイル2基を搭載。さらには、後方に向けた火炎放射器と煙幕発射装置、そして、落下傘投下方式の空中爆雷を備えているスーパーオ-トジャイロなのです。映画では、敵基地を飛び立った数機のヘリコプターとの空中戦が繰り広げられ、ボンドはオートジャイロの武器で敵を壊滅させるのです。

  この日本を舞台にした007作品は、痛快でジェームズ・ボンドの魅力が詰まった楽しい映画でした。

  今回ご紹介する本は、「007は二度死ぬ」の後日談となる物語なのです。

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(文庫「タイガー田中」 amazon.co.jp)

【映画は原作に忠実なのか?】

  さて、小説「タイガー田中」は、確かに「007は二度死ぬ」の後日談として、ジェームズ・ボンドを描く小説なのですが、それは、映画の後日談なのではなく、小説「007は二度死ぬ」の後日談です。

  イアン・フレミングのボンド小説は、第12作目までとなりますが、そのストーリーは引き継がれる形となって進んでいきます。例えば、小説としての「007は二度死ぬ」は第11作目となりますが、そのストーリーは10作目の作品「女王陛下の007」を引き継ぐ形で語られていきます。

  「女王陛下の007」で、ボンドはコルシカマフィアのボス、マルク=アンジェ・ドラコの娘であるトレーシーと恋に落ちて、物語の最後に結婚することになります。ところが、結婚式を挙げ、新婚旅行に向かう車が、悪の組織スペクターの首領であるプロフェルドに急襲され、トレーシーは銃撃によって殺されてしまうのです。

  「007は二度死ぬ」でのボンドは、前作で妻を殺され、失意のうちに酒浸りとなり007としての仕事ができなくなってしまいます。そこで、上司のMが彼を立ち直らせようと、007の名称を7777号と改めて、日本が開発した暗号機「マジック44」の受け取りという任務のため、日本に送り込むのです。小説「007は二度死ぬ」はこうして始まることになります。

  ところが、映画では、「女王陛下の007」よりも「007は二度死ぬ」が、先に制作されました。つまり、妻が死んだ話から話をつなげるわけにはいかないのです。(ちなみに次作の「女王陛下の007」ではほぼ原作通りのストーリーが展開しています。)

  映画は、小説とはまったく異なる設定となり、プロフェルドは米ソの宇宙衛星をそれぞれ拉致して、米ソに戦争を引き起こさせようと企むことになります。そして、そのためのスペクターの基地が日本の離島に存在するとの物語となったのです。

  ですので、今回の小説「タイガー田中」の主人公である田中虎雄は、丹波哲郎演じたタイガー田中とは異なり、原作通りに諜報機関の責任者らしい慎重かつ、大胆、さらに経験豊富な諜報員の長という設定になっています。

【タイガーとボンドの活躍 in NIPPON

  原作「007は二度死ぬ」では、九州の鹿児島から離れた黒島にあるプロフェルドの基地に侵入したボンドが、プロフェルドとの一騎打ちとなり、プロフェルドを倒します。しかし、そのときに受けた刀傷が原因で記憶喪失となり、黒島で偽装結婚したキッシー鈴木と結婚生活を送ることになりのです。そして、キッシー鈴木はボンドの子供を身ごもることになるのですが、ある日、太郎と名前を変えたボンドは新聞記事にあった「ウラジオストック」という地名に衝撃を受けます。そこには記憶を呼び覚ます何かがあるはずだ。太郎(ボンド)は、そこに行けば何かを思い出すはずだ、と感じてウラジオストックに向かうのです。

  と、小説「007は二度死ぬ」はここで終わります。

  そして、いよいよ今回の小説「タイガー田中」の幕が開くことになるのです。

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(緊迫の舞台 神戸ポートタワー prtimes.jpより)

(以下、ネタバレあり。)

  物語は、北海道の稚内港から始まります。

  ここで登場するのは、公安外事査閲局の課長宮澤とその部下、斗蘭(トラン)となのる若い女性局員。そして、原作、映画にも登場した話し好きのオーストラリアの外交官ヘンダーソンです。3人は、埠頭に停泊している連絡船を監視しているのです。その連絡船は、ウラジオストックに向かう船。3人は、ウラジオストックに渡ろうとしている太郎ことジェームズ・ボンドがこの船に乗るとの情報を得て、張り込んでいるのです。

  そして、ボンドが現れます。連絡船に乗り込むボンド。斗蘭はボンドを追いかけて連絡船に乗り込むや、その後を追って船内を駆け巡り、彼を追い詰めます。しかし、拳銃を彼に向けあきらめるように説得しようと語った刹那、突然、船内で爆発が起こり、そこに乗じたボンドは狭い窓から海へと身を翻します。それを追って斗蘭も海へと飛び込みますが、ボンドを取り逃がしてしまうのです。

  小説は、いきなりアクションシーンから始まります。

  斗蘭は、田中虎雄の娘。ロンドンで生まれ、父親とはほとんど一緒に暮らすことはなく日本に戻り、なぜか父親の部下となっているのです。ここから、田中虎雄は、記憶を失ったボンドが太郎として暮らしていた黒島で、夫婦であったキッシー鈴木と面談し、ここまでのいきさつが語られることになります。

  ボンドは、プロフェルドと差し違えて死んだ。そう報告されていましたが、実は黒島で生きていたのです。ボンドが生きている、との情報はアメリカにもソ連にも伝えられ、アメリカは元CIAのフェリックス・ライター(「ドクター・ノオ」に登場した仲間)を日本に送り込みました。そして、ソ連の暗殺組織スラッシュは組織NO.2の暗殺者、アキム・アバーエフを、ボンド抹殺指令の下、日本に送り込んだのです。

  そして、そこにコルシカマフィアのボス、マルク=アンジェ・ドラコが娘のとむらい合戦に参戦すべく日本にやってきます。

  さらに、黒島の古城でボンドに殺されたと思われていたプロフェルドは、どうやって逃げたのか、田中たちの前に現れ、スペクターとして当時の総理大臣池田勇人あてに恐るべき要求を突きつけてきたのです。その要求を聞かなければ、大規模破壊によって多くの人命が失われる、との脅迫状を送りつけてきたのです。

  記憶を失ったボンドを巡り、交錯する米ソ、ボンドはみつかるのか。そして、日本政府を脅迫するプロフェルドの本当の狙いは何なのか。そして、なぜか日本側の情報が米ソ、そしてプロフェルド側に漏れている、一体、それは何者の仕業なのか。

  諜報合戦と、銃撃戦、そしてど派手なアクションシーン。小説は、息つく暇もなく次から次へと新たな展開を続け、我々はそこに巻き込まれていくのです。

  こんなに面白い小説は、久しぶりに読みました。皆さんも、日本を舞台にした手に汗握るスパイ小説を味わってみてはいかがでしょうか。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。


  今年は、温暖化の影響か、寒暖の差が著しく感じます。皆さんも体調に気をつけて、どうぞご自愛ください。2025年もあとわずかです。皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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小宮正安 ベートーヴェン「第九」に秘められしもの

こんばんは。

  今年の流行語大賞の候補の中に「二季」という聞き慣れない言葉が入っていました。聞けば、この言葉は「四季」に対応していて、近年、異常気象のために「春」と「秋」がなくなり「夏」と「冬」のふたつの季節になってしまったことを意味するといいます。なるほど、今年も11月中旬には寒波の影響で、北の国では初雪の便りが届き、秋を飛ばして冬がやってきました。

  特に朝晩の冷え込みは尋常ではなく、皆さん、どうぞご自愛ください。

  ここのところブログの更新が月ごとになってしまっているので、世の中では様々なことが起きています。まず、政治と行政の世界では、国会の首相指名選挙で高市さんが日本初の女性総理に指名されることとなりました。国会での指名選挙までには紆余曲折があり、野党が一致すれば、少数与党の自民党政権が終焉を迎えることとなるため、公明党が連立から離脱したときには一時、騒然となりました。

  ところが、自民党は野党である日本維新の会との連立政権を樹立するというウルトラCを演じて指名選挙での高市氏指名を勝ち取ったのです。立憲民主党の野田代表、国民民主党の玉木代表はさぞや悔しい思いをしたことと思います。冷静を装っていたのは政治家の故ですね。

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(初の女性総理 高市内閣発足 sannkei.comより)

  高市さんは、確かに女性初の総理大臣として注目を集めていますが、政治家としては故安倍総理や麻生元総理の流れをくむ保守本流の政治信条の持ち主です。自民党が最も得意とする景気浮揚と経済効果に目を奪われている間に、日本が過度に右傾化しないよう我々国民がよく目を光らせる必要があると思います。

  そして、この秋の最も感動的な話題は、大リーグのワールドチャンピオンシリーズです。

  この話をはじめると紙面が尽きてしまいますが、最も感動的だったのはドジャースの山本由伸投手の活躍でした。今年は、32年ぶりのワールドチャンピオンを目指すトロントブルージェイズと連覇を目指すロサンジェルスロジャースの対決となりましたが、予想通り試合は第7戦までもつれ込みました。そして、最後にドジャースが連覇を果たしたのです。

  優勝時の胴上げ投手は山本由伸投手、そしてMVPも山本由伸投手です。

  山本投手は、初戦を落とした2戦目に先発。1失点で完投し勝利投手となりました。翌日の第3戦は7回の裏にドジャースが同点として延長戦となりました。その後、試合は膠着して18回を迎えます。両チームとも総力戦となり、ロジャースもピッチャーを使い果たしました。

  残っていたのは、前日完投を果たした山本投手のみです。そして、山本投手は、18回の裏の攻撃時、「いけます」との声とともにブルペンで投球練習を開始したのです。その姿を見たフリーマンは、「彼に投げさせてはいかない。」と自らの打席でさよならホームランを打って試合を決めたのです。

  そして、ブルージェイズが3勝で王手をかけた第6戦。山本投手が再び先発します。この試合も山本は好投を見せ、8回まで投げて1失点に押さえて2勝目をあげます。その日の夜の会見では、「明日も投げますか。」との記者からの質問に「行けと言われれば行きますけど、できれば応援を頑張りたい。」と笑いながら語りました。

  3勝3敗で迎えた運命の第7戦。試合はドジャーズビハインドも7回にロハスが1点差にせまる読み勝ちのソロホームラン。そして、9回表の土壇場では捕手のウィル・スミスが起死回生の同点ソロホームランを放ち、試合は延長戦へともつれこみます。そして、9回裏、なんと、前日8回まで投げた山本投手がマウンドへとあがったのです。そして、11回に及ぶ延長戦を制したのはロジャースでした。幕切れは劇的でした。

  山本由伸投手は、このシリーズ3勝をあげて、見事MVPを受賞したのです。感動しました!

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(山本由伸投手MVPおめでとう! full-countHP)

  さて、トピックスはこのくらいにして本題です。

  11月も残り1週間となり、いよいよ師走の声が聞こえてきます。日本の師走といえば、なんといってもベートーベンの交響曲第九番「合唱付」ですね。今週は、久しぶりに本屋さんで見つけた「第九本」を読んでいました。

「ベートーヴェン《第九》の世界」

(小宮正安著 岩波書店 2024年)

【第九はなぜ我々に響くのか】

  拙ブログに訪問していただける皆さんは、これまでもこのブログでベートーベンと第九について何度か語られていることを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

  クラシックは、過去の作曲家が創造した音楽を現代の指揮者と演奏家が奏でる「再現芸術」です。従って、指揮者が変われば楽譜の解釈も変わり演奏時間が変化します。また、オーケストラが変われば、弦の音も管の音もティンパニの音も変化します。

  この本の「はじめに」に登場するのは、イギリスの指揮者サイモン・ラトルです。筆者は2000年と2002年にウィーン楽友協会で同じサイモン・ラトル指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の第九を聞いたそうです。ところが、その演奏が全く別物の演奏だったことに気づいて、その変化に驚いたとのエピソードから話を始めます。

  その2000年の演奏ですが、その日は特別な日でした。

  この演奏があった日の夕方、オーストリアの「マウトハウゼン」で同じ顔ぶれでの第九の演奏会がありました。マウトハウゼンは、ナチス時代にユダヤ人強制収容所があった場所で、この日は強制収容所解放から55年を迎えた節目の記念日だったのです。主催者は、当時ホロコーストの被害者であったユダヤ人の団体で、そこで演奏された第九は、当時強制収容所で重労働の末にガス室で殺された多くにユダヤ人を追悼するための祈りの演奏でした。

  当時、ナチスドイツと合併していたオーストリアにとっては大きな負の遺産であり、ラトルとウィーンフィルがユダヤ人の追悼のために演奏することには内外から様々な意見がありました。賛否両論が世間を賑わせ、さらに緊張と精神的重圧の中、演奏は空前絶後のものだったといいます。

  「第九」は、交響曲としてひとつの作品にしか過ぎません。宗教音楽でも賛美歌でもない第九が、なぜこうした場で演奏されるのか。著者はその秘密にせまろうとします。

  ご存じのように「第九」の第四楽章には、文豪シラーの「歓喜に寄す」の詩が歌詞として採用され、合唱が付されています。筆者の専門はヨーロッパ文化史、ドイツ文学であり、その深い知識から繰り出される数々の事実が、作曲当時の歴史的背景、シラーの詩と、それに新たな言葉を加えたベートーベンの詩の分析によって明かされていくのです。

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(岩波新書「《第九》の世界」amazon.co.jp)

  まずは、この本の目次を見てみましょう。

 はじめに 西洋音楽史を塗り替えた「第九」

第1章 死者もまた生きるのだ!

-混乱する改革と「第九」への道

第2章 堪え忍べ、よりよい世界のために

-混迷する政治体制と「第九」の萌芽

第3章 その方を星の輝く天幕の彼方に探せ

-理想の希求と「第九」誕生への道

第4章 さあ声を合わせよう、より喜びに満ちた音に

-未知への挑戦と「第九」の誕生

第5章 それができない者は、そっと立ち去るがよい

-初演の経緯と19世紀の「第九」

第6章 進め、兄弟よ、君たちの行く道を

-激動の現代と「第九」の変容

 おわりに Move your beautiful body!

  ドイツ文学を研究する著者らしく、目次の表題はシラーの「歓喜に寄す」などの詩から選ばれていますが、そのそれぞれに「第九」の歴史とそこに込められた意味が語られています。

【革新的だった第九のパワー】

  この交響曲は、第四楽章のクライマックスに男女の壮大な合唱を描きこんだ前例のない楽曲であり、その合唱だけでもその革新性が抜きに出ていますが、それ以外にも演奏時間60分以上の交響曲は、当時他に例がありません。その他にも多くの新機軸が盛り込まれていますが、その革新性は、この本の第四章に余すことなく語られています。

  この本の面白さは、シラーがどのように「歓喜に寄す」を創作し、その詩作をなぜベートーベンが交響曲に取り入れ、何を語りたかったかとういう核心を、当時のヨーロッパで起きていた歴史を背景にみごとに分析し尽くしている点です。

  シラーが「歓喜に寄す」を書いたのは、1785年。その出版は1786年です。ベートーベンがこの詩を読んだのは20代の頃(1792年頃)と言われています。そして、ベートーベンが第九の作曲に取り組み始めたのは、1822年頃、第九の初演は1824年のことでした。そこには30年もの歳月が流れていました。

  この30年、ヨーロッパは怒濤の時代を迎えていました。フランスでは、1789年に民衆が蜂起しバスティーユ牢獄が襲撃され、フランス革命が勃発します。封建制度を否定する民衆が「自由・平等・友愛」を合い言葉に放棄し、1793年にルイ16世と王妃マリー・アントアネットが処刑され民衆による革命が成し遂げられました。しかし、その後、蜂起した民衆の代表たちは分裂し、殺し合い、ジャコバン派による恐怖政治が始まり、「自由・平等・友愛」の精神は雲散霧消してしまうのです。

  シラーは、フランス革命前夜のドイツで民衆の自由・平等をめざす革命を応援することを踏まえて「歓喜に寄す」を創作しました。その精神に若きベートーベンも心を動かされました。しかし、フランス革命による反動から恐怖政治が生まれ、革命が必ずしも幸福につながらないことを知り、ベートーベンの思いも複雑であったと想像できます。

  そこに現れたのがナポレオンでした。彼は、フランス革命の反動体制を利用して、「自由・平等・友愛」を体現する者としてフランス軍を統べるようになります。そのナポレオンの台頭にベートーベンも再び革命が体現されると期待を持っていたようです。しかし、ナポレオンは反革命からフランスを守るとの大義の下、周辺の国々を征服し、ドイツ、オーストリアの領土を我が物として自らを「皇帝」と称し独裁者となります。

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(フランスを熱狂させたナポレオン wikipediaより)

  そして、その後ナポレオンの敗北と没落、そしてウィーン会議(1815年)による反動政治と保守政治と時代は大きく動いていくことになります。そんな中で第九の時代がやってきます。

  シラーの語る「歓喜」は、現実に至るように見えて潰えた夢とも言えるのです。

  しかし、ベートーベンは、革命や反革命という現実を超えて「歓喜」につながる「闘い」を続ければ、その先に幸福と歓喜の世界がやってくるのだ、との想いを胸にこの交響曲第9番を作曲し、さらにその最終章に「歓喜に寄す」を作り出したのだといいます。

  そして、著者はそこから現在に至る「第九」の系譜をも語っていくのです。

  さて、これまで拙ブログでは「第九」に関して、2冊の本を紹介しました。それは、「交響曲『第九』の秘密-楽聖ベートーヴェンが歌詞に隠した真実」(マンフレッド・クラメス著 ワニブックスPLUS新書 2017年)と「第九 ベートーベン最大の交響曲の神話」 (中川右介著 幻冬舎新書 2011年)の2冊です。(題名をクリックするとブログにアクセスできます。)気になる方は、こちらもご覧ください。

  どちらも面白い本でしたが、今回の本は「第九」に通底する歴史をも教えてくれる、とても興味深い本でした。ちなみに本書の著者、小宮正安氏は、14年前に紹介した「モーツァルトを『造った』男 ケッヘルと同時代のウィーン」 (小宮正安著 講談社現代新書 2011年)の著者でもあり、久しぶりにその著に触れて心が躍りました。(同じくクリックでジャンプします。)

 12月は第九の季節、皆さんもこの本を読んで第九の予習をしてはいかがでしょう。より深く第九の世界へといざなわれること間違いなしです。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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松任谷正隆 その音楽キャリアを語る

こんばんは。

  気候もようやく秋にさしかかりましたが、異常気象との言葉はすでにインパクトを失いつつあります。温暖化はもちろんですが、雨は豪雨、さらに台風も毎年迷走を繰り返しています。かつて、日本には「二百十日」という言葉があり、年の初めから210日目には台風がやってくるので、その前に稲を刈り取る必要があるという、ことわざでした。今や「死語」になりつつあります。

  この頃は、毎年気持ちを新たにして天災に備えることが必要です。

  ところで、秋といえば「食欲の秋」、「スポーツの秋」、「読書の秋」、「芸術の秋」、「旅行の秋」と様々な楽しみにあふれていますが、皆さんはどんな秋をお過ごしでしょうか。

  読書ブログを書いている身としては、「読書の秋」といいたいところですが、サックスを習うようになってからは「音楽の秋」のウエイトが年々増してきています。

  還暦になってから楽器を始めると、知識も技術も習得するのに時間がかかります。サックスで難しいのは、音程が「移調楽器」であることです。通常、音楽は「ドレミファソラシド」=C(ド)から始まる音階が基本となっています。現代の音楽は、17世紀にはじまった「平均律」と呼ばれる音律で成り立っています。その特徴は、半音階を基本にして、「ド」から始まっても「ド#」や「レ」から始まっても同じメロディに聞こえるようにできている点です。

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(愛機 Canonball-T5M)

  この「平均律」のおかげで、我々はカラオケにいって自由に「キー」を変えても、同じメロディで歌うことができるのです。

  サックスという楽器は、この平均律後に生まれた楽器です。通常、ピアノなどの楽器は「ド(C)」を基本にして音を奏でますが、「移調楽器」は基本の音が「ド」ではないのです。テナーサックスは、基本となる音が「シ♭(B♭)」です。つまり、我々が習う音階、「ドレミファソラシド」は、テナーサックスでは、「レミファ#ソラシド#」と吹かなければ同じメロディにならないのです。

  たとえば、皆さんおなじみの「かえるの歌」=「ドレミファミレド(かえるの歌が♪♪)」をサックスで吹くと、「レミファ#ソファ#ミレ」と吹かないと同じ音階にならないのです。ということは、セッションで他の楽器と一緒に音楽を奏でるためには、ピアノの楽譜を一音あげて吹かなければなりません。音階の基本は半音階ですので、一音上げるときには、必ずフラットとシャープがオタマジャクシに付随することになります。

  学生の頃から永年訓練してきた人たちは、こともなげに一音上の音に変換して演奏するのですが、知識が先に立ってしまう還暦越えのおじさんには、なかなか体にしみこませるのが難しい作業なのです。まぁ、とにかく練習するしかないのですが・・・。

  特に、数え切れないほど聞いてきたお気に入りの音楽をサックスで吹こうとすると、ミミコピ(聞いて音ををコピーする)ではピアノ音階で音が聞こえてしまいます。例えば、数え切れないほど聞いたオールマンブラザースバンドの「エリザベスリードの想い出」。そのサビは、「ミーソシソラッソミレドラ」とギターがうなるのですが、テナーサックスでは、「ファ#―ラド#ラシッラファ#ミレシ」と吹くことになるのです。

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(名作 ABBAND「AT FILLMOIRE EAST」 amazon.co.jp)

  初めての発表会でこの曲を吹いたのですが、一切、楽譜なしで、耳で音を探して吹いたので、バックのピアノの先生やドラムの先生が驚いていました。知らないということは何よりも強いですね。

  還暦まで音楽は「ドレミファ」で聞いていたので、それを吹くのには「レミファ#ソ」と吹く必要があるのだとわかったときには、これまでの耳を疑わなければならなくなり、困りました。未だに困っています。音楽とは、まるで魔法のようなものですね。

  さて、こんな話をもちだしたのは、今週ご紹介する本が音楽本だからなのです。

「僕の音楽キャリア全部話します」

(語り:松任谷正隆 文:神館和典 新潮社 2016)

【松任谷正隆、知っていますか】

  日本の現代ポップスが好きな方にはおなじみの名前ですが、「松任谷」というとユーミン(松任谷由実)を思い出す人が多いのではないでしょうか。それもそのはず、松任谷正隆さんは、ユーミンの夫なのです。その本業は、音楽プロデューサー、アレンジャー、作曲家、演出家と多彩です。

  この本では、そんな松任谷正隆さんのこれまでの音楽人生が語られています。

  ちょっと驚いたのは、年齢でした。その生まれは1951年だそうなので、今年で73歳になります。確かに音楽番組を見ていると、随所で、松任谷塾で薫陶を受けたという話が飛び出します。例えば、斉藤由貴さんの楽曲編曲、大黒摩季さんや今井美樹さんのプロデュース、一青窈さんのプロデュースなどで有名な武部聡志さん、ポルノグラフィティの作曲、編曲、プロデュースやいきものがかりのサウンドプロデュース、編曲で知られている本間昭光さんは、松任谷正隆さんから今の仕事の基礎を教えてもらったと語っています。

  武部さんや本間さんは、キーボー-ド奏者としてバックバンドで演奏し、バンドマスターとしても大活躍しています。

  そうした、J-POPの歴史を支えてきた音楽人の礎とも言えるのが松任谷正隆さんです。

  では、この本の目次を紐解いてみましょう。

はじめに

第1章 2016年の音づくり

第2章 音楽的暗黒時代

第3章 アレンジャー本格化時代

第4章 エンタテインメント路線開拓期

第5章 デジタル混迷期

第6章 今も、そしてこれからも音楽をつくり続ける

インタヴューを終えて 松任谷正隆

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(「僕の音楽キャリア全部話します」 amazon.co.jp)

  第一章は、この本が上梓された時期とほぼ同時にリリースされた、松任谷由実の38枚目のオリジナルアルバム「宇宙図書館」の制作話が語られています。

  この本は、松任谷正隆さんのインタヴューが元となっているのですが、本として成立するためには、インタヴュアーの質問や本になるための構成が重要となります。

  本の裏扉にインタヴュアーと構成者の名前が書かれていました。その名は、神館和典。神館さんといえば、音楽ライターとして、様々な有名ミュージシャンとのインタヴュー本を掲載、上梓しており今回の本も彼のキャリアが支えているんだ、と改めて感じました。

  拙ブログでご紹介した本は、「25人の偉大なジャズメンが語る名盤・名言・名演奏」(幻冬舎新書 2008年)、「音楽ライターが、書けなかった話」(新潮新書 2005年)の2冊ですが、それぞれジャズ、ロックのエモーショナルなミュージシャンの話が満載で面白い本でした。(リンクを張りましたので、興味のある方はどうぞ。)神館さんのインタヴューは、ミュージシャンの個性に迫る独特の質問から、我々にワンダーを感じさせる面白いものでした。

  第一章では、神館さんが興味深い質問から、アルバム「宇宙図書館」のネーミングからアルバムコンセプト、そして制作秘話までくまなく話を拾ってくれています。そして、松任谷正隆さんのプロデューサーとしての音に対するこだわりを聞き出しています。

【松任谷ミュージックのこだわり】

  荒井由実さんがアルバム「ひこうき雲」で1973年にデビューしました。この作品と次の「MISSLIM」でバックを奏でたのは、キャラメル・ママというバンドでした。メンバーはベースが細野晴臣、ギターが鈴木茂、ドラムスが林立夫、そしてキーボードが松任谷正隆でした。今考えると、後に日本のPOPS界を引っ張っていくメンバーがバックを務めていたのです。

  近年、ジブリ映画で荒井由実さんの楽曲が主題歌になっています。

  「ひこうき雲」は。2013年に宮崎駿さんの映画「風立ちぬ」で主題歌となり、リバイバルヒットとなりましたが、当時、高校2年生で友人と長野に遊びに行ったときにこのアルバムのことを知り、その音楽の新しさにすっかりとりこになりました。そのバックで松任谷正隆さんがキーボードを弾いていたのを知るのはずっと後のことです。

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(荒井由実「ひこうき雲」 amazon.co.jp)

  この本では、このときの録音のことが語られています。

  由実さんは、その後に松任谷正隆さんと結婚するのですが、このアルバムの録音のときの二人のエピソードは有名です。ある朝、スタジオに来た由実さんが弾くピアノの上に、由実さんの好きなダリアの花が一輪おいてあった、とのお話です。この花をおいたのが松任谷正隆さんだったのです。実は、このときには由実さんの歌唱が不満だったディレクターは、由実さんに歌唱レッスンをさせたのですが、ダリアに込めたメッセージは「今のままで自然に歌う方がよい」という思いだったそうです。

  このアルバム以前。松任谷正隆さんのミュージシャンデビューは、吉田拓郎さんのバックミュージシャンだったといいます。吉田拓郎さんといえば、「結婚しようよ」が爆発的なヒットを記録し、一躍有名スターとなったのですが、この曲が正隆さんのデビューでした。正隆さんに声をかけたのが、サディスティック・ミカバンドの加藤和彦さんだったというから、これまた驚きです。

  この後、荒井由実のアルバム、ステージ、そして吉田拓路のライブバンドが、正隆さんのキャリアを形作っていくことになります。とくに、吉田拓郎のバンドマスターとして伝説のつま恋コンサートライブを行い、後ろから夜明けの拓郎の後ろ姿を見たときのエピソードは感動的です。ぜひこの本で味わってください。

  この本では、その後、現在に至るまでの素晴らしいキャリアが語られていきます。

  神館さんの質問は見事で、正隆さんは次々とその音の秘密を語っていきます。最高だと思っているアルバム、どうしても一緒に演りたかった3人のミュージシャン。ドラムスは、スティーヴ・ガッド派よりもハービー・メイソン派という話。どの話をとっても興味深い話ばかりです。

  現在に至るまでの話は、すべてが面白い話ばかりです。

  この本を読んで、初めて感じたことがひとつありました。

  これまで、ミュージシャンを語った音楽本を読んだときに、最も惹かれるのは、自分がそのミュージシャンにはまった時代の話なのですが、この本では違いました。

  ここ最近、ユーミンのアルバムはほとんど聞いていないし、ライブも10年以上見ていません。しかし、正隆さんの「自分の最高作は常に次の作品だ。」という言葉には、アーティストにとって最も大切なのは「今」であることが感じられ、感動しました。正隆さんは、自らのことを難しい人間だといいます。それは、自分の意見が受け入れてられない現場は耐えられない、との言葉にあらわれています。しかし、彼を受け入れてくれるユーミンや吉田拓郎が彼のキャリアをつくってくれた。やっぱり、人生は出会いなのです。それが、この本からは感じられるのです。

  そこには、一つの人生を感じることができます。

  

  さて、10月も下旬を迎え、季節は一気に晩秋から冬へと走って行きます。朝晩の冷え込みは一段と厳しくなりそうです。寒暖差に気をつけて、どうそご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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青山和夫 マヤ・アステカ・インカの今

こんばんは

  我々はなぜ古代の文明に惹かれるのでしょうか。

  我々が習った「世界史」の教科書は、4大文明の発祥から始まりました。それは、メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4つの文明です。この4大文明は、いずれもチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河という大河の恩恵を受けていました。人類は、石器時代に入り、狩猟中心の生活から食物の栽培中心の生活へ変化し、放浪の時代から定住の時代へと移りました。定住の生活は集落を生み、長を生み、王を生み、文明へと発展していきます。

  という歴史は半世紀前に一般的な人類史でした。

  しかし、4大文明以外にも文明は生まれていたのです。

  今年はテレビ放送が始まって100年に当たります。NHKをはじめテレビ各局は様々な記念番組を創って放映しています。当たり前の話ですが、50年前の1975年は放送開始50年の節目の年に当たっていました。そのとき、私は高校生でしたが、この50周年記念番組として制作されたのが、「未来への遺産」という特集番組です。

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(「未来への遺産DVD」 bookoffHPより)

  この番組は、当時最新の考古学や歴史学の情報をもとに、世界中にちらばる人類の古代文明を取材して「未来への遺産」としてまとめあげた力作でした。現在、すっかりメジャーとなったユネスコの世界遺産。世界遺産条約の発効が1975年。その第1回遺産が発表されたのが、1978年ですから、この番組は時宜を得た作品に他なりません。

  番組が、160分。各回にテーマが設定されており、15回にわたって世界中に点在する遺跡を紹介してくれました。その第1回は、「プロローグ 失われた時への旅」よ題して、まさに4大文明の遺跡を巡る番組でした。そして、番組は4大文明のみならず、古代アメリカ文明も巡りました。当時、この番組に啓発されて古代のロマンを知り、毎週楽しみに見ていたのは忘れられません。この放映に会わせて、NHK出版から同名の写真集も発売され、なけなしのお小遣いを使って、全巻そろえたのも良い思い出です。

  その第1回の放送で紹介されたのが、メソアメリカ文明と言われるアステカの遺跡とマヤ文明のテオティワカンの遺跡でした、その密林の中にそびえる壮大なピラミッドは、エジプトのピラミッドに勝るとも劣らない壮大さを備え、階段状にしつらえられたピラミッドの頂上は平らかに整えられ、そこに生け贄をまつる祭壇が置かれています。

  この番組に心を躍らせ、ここから、中南米のマヤ・アステカ文明、そしてアンデス地域のナスカ・インカ文明に心をときめかせるようになったのです。

  今週は、メソアメリカとアンデスの古代文明最新研究を語る本を読んでいました。

「古代アメリカ文明-マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像」

(青山和夫編 講談社現代新書 2023年)

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(新書「古代アメリカ文明」 amazon.co.jp)

【誤解されてきた古代アメリカ】

  マヤ文明というと思い出すのは、手塚治虫が少年チャンピオンに連載していた「クレーター」という作品です。この作品は、一話ごとの完結で、毎回、不可思議な物語が展開していく面白い作品で毎週楽しみにしていました。この「クレーター」の中に「生けにえ」という不思議な物語があります。

  時は2000年前。場所はメキシコのとある古代ピラミッドの頂上の神殿の前に今まさに神の生け贄にならんとする美しい女性が首を捧げて祭壇に横たわっていました。彼女は心の中で神に訴ったえます。「私の望みを聞いてほしい。」すると、神が彼女に答えます。「おまえの望みとは何か。」

  彼女の望みとは、あと10年生きて平和な家庭と子供を持って暮らしたい、との想いでした。神は、その望みを叶えてやる、ただし、10年後のこの日にはここに戻ってくることになる。と語ります。彼女は頷きました。

  気がついたとき、彼女は一糸まとわぬ姿でとある島の砂浜に現れます。彼女は記憶を失っていました。そして、偶然、島に遊びに来ていた少年が彼女を助けます。二人は島で逢瀬を重ねて恋に落ちました。時は昭和の日本。帰ってきた二人は日本の大都市で結婚します。結婚してしばらくしたとき、夫は会社からリストラに会います。帰って妻に「首を切られた。」と言ったとき、彼女はショックで気を失ってしまいます。

  そんなことがありながらも二人には子供も生まれ、夫は新しい会社でエンジニアとして腕を磨いていきます。そして、島で出会ってから10年が経ったとき、彼はその腕を買われメキシコの建築を任されて現地に赴任することになったのです。小躍りしながら帰って妻に報告すると、妻も我が事のように喜んでくれた後、ふとつぶやいたのです。

  「ねぇ、メキシコに行ったらね、マヤ族インディアンの祭壇があるの。そこで毎年少女が生けにえにされたのよ。そこへ行くことがあったら、チクワナという生けにえの少女のためにお祈りしてくださる?」

  「なんで、そんなことを言い出したの?」といぶかる夫に「ふっ、と思いついたの・・・。」と答えると、妻は「お茶でも入れるわね。」といって台所へと向かいます。そして、その後ろ姿がかき消えてしまうのです。夫はパニックになって探します。

  そして、少女はメキシコの祭壇へと帰りました。

  マヤ文明というと、まず最初に思い浮かぶのが密林の中にそびえ立つピラミッドとそこで行われたいけにえの儀式です。

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(メキシコ チチェン・イッア遺跡 wikipedia)

  この本の編者で、マヤ文明の研究の第一人者である青木和夫氏は、この本の序章で古代アメリカ文明がいかにゆがめられて人々の中に伝えられているのかを語ります。そこで語られるのは、大衆受けする「謎と神秘の古代アメリカ文明」の姿です。「生けにえ」は確かに行われていたのですが、アメリカ大陸を征服し、植民地としたスペインの人々は、勝者として先住民の野蛮さをことさら強調します。その文書には、「4日間で80,400人を生けにえにした。」などと記されていますが、物理的に不可能なことは明白です。

  また、「マヤの人類絶滅の預言」や「ナスカの地上絵は、宇宙人の目印のために書かれた」、「マヤの石版には宇宙船に乗る宇宙飛行士の姿が描かれている」など、科学的には全く根拠のない都市伝説が面白おかしく語られ、一人歩きしています。

  また、メキシコやグアテマラに築かれたマヤ文明、アステカ文明。ペルーの海に近い大地に描かれたナスカの地上絵。そして、アンデス山脈の高地に築かれたインカ文明。この本には、ともすれば、混同してしまいそうな古代アメリカ文明の最新研究をわかりやすく語ってくれるのです。

  それは、ワンダーな体験です。

【古代アメリカ文明は人類史の鉱脈】

  我々が世界史で習った古代文明は、すべて大河の近くで生まれ、反映しました。そして、文字の発明がその文明をさらに発展させ、青銅器から鉄器の道具への応用がその生産性を飛躍的に高めることになったのだ、と教わってきました。

  しかし、メキシコやペルーの地で発祥した古代アメリカ文明の近くには大きな河はありませんでした。さらにインカ文明は文字を持たない文明にもかかわらず、大都市を形成し広大な地域にナットワーク型の国家を作り上げたのです。そして、古代アメリカ文明は青銅器も鉄器も使っていません。彼らは石器と土器の文化を発展させて巨大な文明を気づいていきました。驚くことに、彼らは「車輪」という概念も持たず、山道や密林での運搬には人力と動物を利用してその文明を高めていったのです。

  これまで、我々がヨーロッパの人々の目から分析してきた文明の要素は、必ずしも文明に必要不可欠な要素ではなかったのです。そして、そうした常識から外れた古代アメリカ文明を理解しようとせず、キリスト教的な文化の中で抑圧してきたのです。

  この本の著者たちは、それぞれがマヤ、アステカ、ナスカ、インカを30年以上も現地で発掘研究してきた研究者です。その地に足のついた発掘と研究は、これまでの常識をはるかに越えるワンダーを我々に教えてくれます。

  例えば、マヤ文字。ピラミッドの壁面や石版に描かれたマヤの文字は長年の謎でしたが、近年の研究ではその一端が解読されています。文字にはアルファベットのような表音文字と感じのような表象文字がありますが、表音文字が26文字と閉鎖的なのに比べ、漢字のような表象文字は開放的で無限に文字を作り出せるそうです。

  マヤの文字はまさに表象文字で、発見されているだけで4万から5万の文字があると言います。その文字では、すでにどう発音したかまでを解読しつつある、と言います。もっとも、文字を使っていたのは神との交流をする上層部の人々だけで、大規模神殿を中心に集まる民衆たちは文字を使うことはなかったようです。

  また、マヤ、アステカのメソアメリカ文明では、暦や数は両手両足の指をを使って数える20進法が利用され、アンデス文明では手の指を使って数える10進法が使われたとの話もワンダーです。これが暦にもつながります。

  第三章で坂井正人氏によって語られるナスカ地上絵の研究はさらにワンダーです。

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(ナスカ一筆書地上絵「ハチドリ」 wikipedia)

  ナスカの地上絵は、その大きさが数キロに及ぶ絵もありとても地上からは識別できず、観光ガイドもヘリコプターやセスナ機で地上絵を見に行くほどです。例えば、有名なハチドリの絵は全長が96mに及びます。また猿の絵は、110mに及ぶのです。

  坂井正人氏は、山形大学において2004年からナスカの地上絵を分析しています。そこに利用された技術は、人工衛星による画像解析でした。人工衛星画像による解析と航空写真とドローンを利用した詳細画像で、ナスカの地上絵の全貌を分析しようというわけです。

  さらに2018年からは人工知能を利用して、人の眼では判別できない地上絵を見つける研究も行ってきました。その結果、新たな地上絵を含めて350点もの地上絵を発見することに成功したのです。このニュースは世界中を驚かせました。

  地上絵には、線で描いたものと面で描かれたものに分類され、その図柄も動物、植物、人と様々です。研究の目的は、地上絵を分析することにもありますが、最終的にはこうした多数の絵を何の目的で古代ナスカの人々が描いたのかとの謎を解き明かすことにあります。

  氏は、350点以上の地上絵の分布を詳細に分析、さらにフィールドワークで実際に地上絵と地上絵の配置を足し家馬手言ったのです。その結果、氏は驚くべき仮説にたどり着いたのです。さて、そのワンダーはぜひともこの本で確かめてください。ワンダーです。


  この本を読むと、我々が毎日食べている多くの野菜の6割は古代アメリカ文明が発祥の野菜だと言います。トウモロコシやジャガイモを筆頭にトマトやズッキーニ、カボチャやトウガラシ等々、数え上げればきりがありません。皆さんもぜひこの本で、知られざる古代アメリカ文明のワンダーを味わってください。楽しめること間違いなしです。

  今年は9月になっても酷暑はおさまりそうにありません。皆さんもご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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和田秀樹 池田清彦 男子の本懐?

こんばんは。

  今年の夏は本当に酷暑というにふさわしい暑さですね。

  北海道でさえ、連日30度を超えているのですから内陸部で40度になるのも、むべなるかなと思います。「北海道ではエアコンがなくても快適」との言葉は、すっかり過去のものとなりました。皆さん、エアコンを上手に使って、熱中症を防ぎましょう。水分補給と塩分補給も忘れずに。残暑?お見舞い申し上げます。

  さて、先日の参議院選挙は、久しぶりに58.51%と、過半数を上回る投票率を記録しました。最近の物価高やトランプ関税を踏まえて、無党派層の人々が意思表示をする必要を感じたのではないかと思います。また、期日前投票の制度が充実し、選挙当日に仕事や用事のある人々にも投票機会が増えたことも奏功したのではないでしょうか。

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(党首討論会に臨む政党党首たち 時事通信社記事より)

  今回、躍進したのは国民民主党、参政党などの新興勢力ですが、基本的には自民公明政権の旧態依然とした政策に対して大きく警鐘を鳴らしたものといえます。アメリカをはじめとして、世界中で軍事政権も含めたポピュリズムの台頭が日本でも起きるのかとの懸念もありましたが、日本人の知性は民主主義を捨ててはいないことに安心しています。

  それにしても、少子高齢化の時代に財政規律を無視して、困れば借金、理屈をつけては増税との姿勢には、政治家や官僚の皆さんの頭の固さに辟易とします。例えば、各省庁の事務次官が天下りする、エセ官僚法人や不必要な政府主導の業界団体制度など、見直しが必要な支出は数限りなくあるではないでしょうか。既得権益を温存しようとする人々は、自らの身をただして、次の世代の豊かさを真剣に考える必要があると思うのは私だけではないはずです。

  前回の民主党政権は、経験の浅さから日本のエリートと言ってもよい官僚の皆さんを敵に回して、上から目線で既得権に切り込んだために、日本の行政制度が回らなくなり、ひいては景気の後退を招いて、企業や国民からソッポを向かれる結果となりました。優秀な官僚や優秀な司法の皆さんと未来への危機感を共有し、今現在、不要なもののあぶり出しを自ら行う政治が今こそ、求められていると思いますが、いかがでしょうか。

  せっかく、既存勢力を国会において過半数割れに追い込んだ日本国民ですが、肝心の野党が「政策、政策」と念仏を唱えて、国会の中の蛙(かわず)になってしまえば、日本の未来はどんどん暗くなります。政治家と官僚の奮起に期待しています。

  さて、いきなり愚痴から始めてしまいましたが、今回ご紹介する本は、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」を、変わり者と呼ばれるお二人が語った爽快な対談本です。

「オスの本懐」

(和田秀樹 池田清彦著 新潮新書 2024年)

【汲めども尽きぬ変わり者対談】

  和田秀樹さんと言えば、本業は精神科医ながら様々な分野で100冊以上の著作を上梓している医療人の一人です。結構、受験突破メソッド的な著作も多くあり、そちらでも評判でしたが、一方ではその医師としての経験から高齢者の生き方について、忌憚のない物言いで世の中を騒がせています。特に「80歳の壁」(幻冬舎新書 2022年)は、ベストセラーとなりました。その目から鱗の内容は、かなり話題となったのでご存じのからも多いと思います。

  一方の池田清彦さんは、さんまさんの「ホンマでっかTV」のコメンテーターとして有名な構造学の権威にして生物学者です。その歯に衣を着せないコメントは、本では読者の眼から鱗を落とし、テレビでは視聴者の爆笑や苦笑を誘います。この本でも、その独自の語り口は変りません。氏は1947年生まれなので、今年で78歳となりますが、そのお元気な発言を読むとこちらまで勇気がわいてくるようです。

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(新潮新書「オスの本懐」 amazon.co.jp)

  さて、この本の題名ですが、「男子の本懐」といえば故城山三郎さんの傑作小説を思い出します。この小説は、第一次世界大戦後、不況にあえぐ日本を救うために金本位制の復活に命をかける覚悟で行動した浜口雄幸首相と井上準之助蔵相の人生を描いた傑作です。セリフとしては、「男と生まれたからにはこの世の大義のためには命をかけて尽くすことが本望である。」との覚悟を表す言葉です。

  これが、「男子」でなく「オス」となると、とたんにイメージが変ります。

  まずは、目次を見てみましょう。

まえがきにかえて(和田秀樹)

第一章 オスという不治の病
(いってはいけない、本当のこと 他)
第二章 セックスはなぜ快感なのか
(メスを敵に回してはいけない 他)
第三章 ポリコレがオスを弱らせる
(日本の「男女平等」にはバグがある 他)
第四章 オスが輝かしく老いるために
(誰が「おじいさん」だと決めるのか 他)

あとがきにかえて(池田清彦)

  さて、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」とはいったいどうゆうことなのでしょうか?

  我々の常識では、医者と生物学者と言えば実験と事実認識を持つ、合理的な「科学の人」をイメージします。「男子」というと人が勝手に思い込んでいる「性」ですが、「オス」といえば生物学において科学的に分類された「性」を感じさせます。つまり、「オスの本懐」とは、人間の思い込みから解き放たれた「オス」という生き物は、どうやって生きていくのが正しい生き方なのか。それを忌憚なく語る対談本なのです。

  この本を楽しむに当たっては、一つ注意点があります。ここで語られる「オス」とは、日本で定年を迎えた65歳以上の「オス(男性)」のことを語っているという点です。子育てや仕事でバリバリ活躍している現役世代の方には、両親の世代の理解には大いに役立つと思います。私の世代には、まさにど真ん中の役に立つ本でした。

【男と女の間にある大河】

  さて、この本の面白さは、お二人の「目から鱗」の会話の妙にあります。

  さわりのネタバレを許してもらい、その面白さの一端をご紹介します。そもそも「オス」とは何なのか。現代社会には、「多様性」という言葉が世の中にあふれています。女性の地位向上、男女平等、ジェンダー、LGBTQなどなど、飛び交う言葉をどのように考えることが有用なのか。お二人の対談は、今の日本ではおかしな議論が多すぎると喝破します。

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(性別ギャップ指数 日本は世界の125位/158国中)

  日本での男女平等の異常さは、男の社会に女性が同じ立場で進出することが男女平等と捉えられているところにある、と言います。男性と女性、オスとメス。生物学の世界では、それぞれの役割は異なることが当たり前だそうです。もともと生物は子孫を残すために生きているので、男は自分の子孫を出来るだけ多く創る努力を惜します、女はできる限り優秀な男性の子孫を残す努力を惜しまないので、男と女はすれ違うのです。

  日本の社会は、女性に「男のように働き、男のように活躍しろ」と押しつけることを男女平等と考えている、と池田さんは語ります。もともとオスとメスは非対称であるところにその存在価値がある、と言います。政治も仕事も、女性が本来の特性を生かすことで社会進出を促していく社会にならなければ日本の発展はないと言うことですね。

  さらに、人がオスなのかメスなのかは、科学的にわかりやすく説明できるのだと言います。

  そこには、3つの条件があります。まず、①肉体的な条件、②自己認識としての性別、③自分の恋愛対象が男性か女性か。

  肉体的な条件は、体の構造が男性か女性かなので、物理的な問題です。それでは、性別自認はなぜ起きるのでしょうか。それは、脳内の視床下部に分界条床核という領域があり、そこが大きければ自認する性は男、小さければ女なのだそうです。さらに、その大きさは生涯変らないそうです。また、恋愛対象の性別については、先ほどの分界条床核の近くに前視床下部間質核という領域があり、ここが大きければ女性を好きになり、小さければ男性が好きになる、のだそうです。

  つまり、ゆわゆる「ストレート」と呼ばれる男性は、肉体が男性で、脳内の分界条床核が大きく、前視床下部間質核が小さい、ということになります。一方、肉体が男性であっても、分界条床核が小さければ自認する性は「女性」となるし、前視床下部間質核が大きければ恋愛対象も女性になるというわけです。

  脳内のこうした領域の大きさは、お母さんのおなかの中で妊娠5ヶ月目くらいには決まってしまう、そうなのです。日本では、つい最近まで肉体的な変換手術をしない限り、「性」を変更できないとされており、その驚くべき偏狭さはまさに前近代的です。こうした脳内での認識は、自分では変えようもないので、我々はそのことを理解したうえでLGBTQへの対応を考えなければならないのです。

  「眼から鱗」とはこのことです。

  さて、現役を終えて卒業したオスは、どのように幸せな健康寿命を謳歌していけばよいのでしょうか。その秘訣は、それぞれの章の対話で語り尽くされるわけですが、最後の章には、「オスが輝く健康十訓」が示されています。その第一訓は、「禁欲とガマンをやめる」であり、その後、幸せのための十訓が続いています。その続きは、ぜひこの本を手に取ってお楽しみください。人生が豊かになること間違いなしです。

  ところで、対談では、ところどころにお二人の見事な見識が披露されています。その中で、なるほどと感じた語りをひとつだけ紹介します。

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(5年ぶりに9秒台で優勝した桐生選手 Xより)

  話が日本の教育に及んだところで、日本の教育は「競争」をなくして同じ価値観を子供に植え付けることを良しとしていることに言及します。そして、話は生物進化の話へと進んでいくのです。我々は、進化というのはその環境に最も適した種が生き残ることで進んだ、という自然選択説を学校で習いましたが、池田さんは、もしそうだとすれば、生き残るのは皆、同じ生物に集約されていくはずだ、と言います。

  ところが、現実には40億年の間に数え切れないほどの生命体が次々に枝分かれしてきました。つまり、生物が進化したのは、環境に順応したのではなく、生き延びていくために新たな環境を求めて変化し、適用してきたからなのです。これを「能動的適応」と言います。

  「能動的適応」は、生物の進化の常態であることを認識すれば、子供たちの教育も一人一人がその「個性」によって「能動的適応」ができるように育てることが必要なのだ、というわけです。つまり、競争をさせずに一律の価値観を植え付けるような教育では、生物本来の「能動的適応」を生かしていくことが出来ない、というのです。そのとおりですね。

  池田さんは、ここから「自由に生きること」の重要性に言及していきます。「誰かの自由を侵害しない限り、人は何をしても良い」という、他人の恣意性の権利について語るのです。この話の面白さは、ぜひこの本で堪能してください。本当に面白い対話です。


  今年の夏は、これまでの最高気温を毎日更新するほどの酷暑が続いています。皆さん、エアコンを上手に使って健康な日々をお送りください。水分補給、塩分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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和田秀樹 池田清彦 男子の本懐?

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  今年の夏は本当に酷暑というにふさわしい暑さですね。

  北海道でさえ、連日30度を超えているのですから内陸部で40度になるのも、むべなるかなと思います。「北海道ではエアコンがなくても快適」との言葉は、すっかり過去のものとなりました。皆さん、エアコンを上手に使って、熱中症を防ぎましょう。水分補給と塩分補給も忘れずに。残暑?お見舞い申し上げます。

  さて、先日の参議院選挙は、久しぶりに58.51%と、過半数を上回る投票率を記録しました。最近の物価高やトランプ関税を踏まえて、無党派層の人々が意思表示をする必要を感じたのではないかと思います。また、期日前投票の制度が充実し、選挙当日に仕事や用事のある人々にも投票機会が増えたことも奏功したのではないでしょうか。

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(党首討論会に臨む政党党首たち 時事通信社記事より)

  今回、躍進したのは国民民主党、参政党などの新興勢力ですが、基本的には自民公明政権の旧態依然とした政策に対して大きく警鐘を鳴らしたものといえます。アメリカをはじめとして、世界中で軍事政権も含めたポピュリズムの台頭が日本でも起きるのかとの懸念もありましたが、日本人の知性は民主主義を捨ててはいないことに安心しています。

  それにしても、少子高齢化の時代に財政規律を無視して、困れば借金、理屈をつけては増税との姿勢には、政治家や官僚の皆さんの頭の固さに辟易とします。例えば、各省庁の事務次官が天下りする、エセ官僚法人や不必要な政府主導の業界団体制度など、見直しが必要な支出は数限りなくあるではないでしょうか。既得権益を温存しようとする人々は、自らの身をただして、次の世代の豊かさを真剣に考える必要があると思うのは私だけではないはずです。

  前回の民主党政権は、経験の浅さから日本のエリートと言ってもよい官僚の皆さんを敵に回して、上から目線で既得権に切り込んだために、日本の行政制度が回らなくなり、ひいては景気の後退を招いて、企業や国民からソッポを向かれる結果となりました。優秀な官僚や優秀な司法の皆さんと未来への危機感を共有し、今現在、不要なもののあぶり出しを自ら行う政治が今こそ、求められていると思いますが、いかがでしょうか。

  せっかく、既存勢力を国会において過半数割れに追い込んだ日本国民ですが、肝心の野党が「政策、政策」と念仏を唱えて、国会の中の蛙(かわず)になってしまえば、日本の未来はどんどん暗くなります。政治家と官僚の奮起に期待しています。

  さて、いきなり愚痴から始めてしまいましたが、今回ご紹介する本は、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」を、変わり者と呼ばれるお二人が語った爽快な対談本です。

「オスの本懐」

(和田秀樹 池田清彦著 新潮新書 2024年)

【汲めども尽きぬ変わり者対談】

  和田秀樹さんと言えば、本業は精神科医ながら様々な分野で100冊以上の著作を上梓している医療人の一人です。結構、受験突破メソッド的な著作も多くあり、そちらでも評判でしたが、一方ではその医師としての経験から高齢者の生き方について、忌憚のない物言いで世の中を騒がせています。特に「80歳の壁」(幻冬舎新書 2022年)は、ベストセラーとなりました。その目から鱗の内容は、かなり話題となったのでご存じのからも多いと思います。

  一方の池田清彦さんは、さんまさんの「ホンマでっかTV」のコメンテーターとして有名な構造学の権威にして生物学者です。その歯に衣を着せないコメントは、本では読者の眼から鱗を落とし、テレビでは視聴者の爆笑や苦笑を誘います。この本でも、その独自の語り口は変りません。氏は1947年生まれなので、今年で78歳となりますが、そのお元気な発言を読むとこちらまで勇気がわいてくるようです。

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  さて、この本の題名ですが、「男子の本懐」といえば故城山三郎さんの傑作小説を思い出します。この小説は、第一次世界大戦後、不況にあえぐ日本を救うために金本位制の復活に命をかける覚悟で行動した浜口雄幸首相と井上準之助蔵相の人生を描いた傑作です。セリフとしては、「男と生まれたからにはこの世の大義のためには命をかけて尽くすことが本望である。」との覚悟を表す言葉です。

  これが、「男子」でなく「オス」となると、とたんにイメージが変ります。

  まずは、目次を見てみましょう。

まえがきにかえて(和田秀樹)

第一章 オスという不治の病
(いってはいけない、本当のこと 他)
第二章 セックスはなぜ快感なのか
(メスを敵に回してはいけない 他)
第三章 ポリコレがオスを弱らせる
(日本の「男女平等」にはバグがある 他)
第四章 オスが輝かしく老いるために
(誰が「おじいさん」だと決めるのか 他)

あとがきにかえて(池田清彦)

  さて、「男子の本懐」ならぬ「オスの本懐」とはいったいどうゆうことなのでしょうか?

  我々の常識では、医者と生物学者と言えば実験と事実認識を持つ、合理的な「科学の人」をイメージします。「男子」というと人が勝手に思い込んでいる「性」ですが、「オス」といえば生物学において科学的に分類された「性」を感じさせます。つまり、「オスの本懐」とは、人間の思い込みから解き放たれた「オス」という生き物は、どうやって生きていくのが正しい生き方なのか。それを忌憚なく語る対談本なのです。

  この本を楽しむに当たっては、一つ注意点があります。ここで語られる「オス」とは、日本で定年を迎えた65歳以上の「オス(男性)」のことを語っているという点です。子育てや仕事でバリバリ活躍している現役世代の方には、両親の世代の理解には大いに役立つと思います。私の世代には、まさにど真ん中の役に立つ本でした。

【男と女の間にある大河】

  さて、この本の面白さは、お二人の「目から鱗」の会話の妙にあります。

  さわりのネタバレを許してもらい、その面白さの一端をご紹介します。そもそも「オス」とは何なのか。現代社会には、「多様性」という言葉が世の中にあふれています。女性の地位向上、男女平等、ジェンダー、LGBTQなどなど、飛び交う言葉をどのように考えることが有用なのか。お二人の対談は、今の日本ではおかしな議論が多すぎると喝破します。

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(性別ギャップ指数 日本は世界の125位/158国中)

  日本での男女平等の異常さは、男の社会に女性が同じ立場で進出することが男女平等と捉えられているところにある、と言います。男性と女性、オスとメス。生物学の世界では、それぞれの役割は異なることが当たり前だそうです。もともと生物は子孫を残すために生きているので、男は自分の子孫を出来るだけ多く創る努力を惜します、女はできる限り優秀な男性の子孫を残す努力を惜しまないので、男と女はすれ違うのです。

  日本の社会は、女性に「男のように働き、男のように活躍しろ」と押しつけることを男女平等と考えている、と池田さんは語ります。もともとオスとメスは非対称であるところにその存在価値がある、と言います。政治も仕事も、女性が本来の特性を生かすことで社会進出を促していく社会にならなければ日本の発展はないと言うことですね。

  さらに、人がオスなのかメスなのかは、科学的にわかりやすく説明できるのだと言います。

  そこには、3つの条件があります。まず、①肉体的な条件、②自己認識としての性別、③自分の恋愛対象が男性か女性か。

  肉体的な条件は、体の構造が男性か女性かなので、物理的な問題です。それでは、性別自認はなぜ起きるのでしょうか。それは、脳内の視床下部に分界条床核という領域があり、そこが大きければ自認する性は男、小さければ女なのだそうです。さらに、その大きさは生涯変らないそうです。また、恋愛対象の性別については、先ほどの分界条床核の近くに前視床下部間質核という領域があり、ここが大きければ女性を好きになり、小さければ男性が好きになる、のだそうです。

  つまり、ゆわゆる「ストレート」と呼ばれる男性は、肉体が男性で、脳内の分界条床核が大きく、前視床下部間質核が小さい、ということになります。一方、肉体が男性であっても、分界条床核が小さければ自認する性は「女性」となるし、前視床下部間質核が大きければ恋愛対象も女性になるというわけです。

  脳内のこうした領域の大きさは、お母さんのおなかの中で妊娠5ヶ月目くらいには決まってしまう、そうなのです。日本では、つい最近まで肉体的な変換手術をしない限り、「性」を変更できないとされており、その驚くべき偏狭さはまさに前近代的です。こうした脳内での認識は、自分では変えようもないので、我々はそのことを理解したうえでLGBTQへの対応を考えなければならないのです。

  「眼から鱗」とはこのことです。

  さて、現役を終えて卒業したオスは、どのように幸せな健康寿命を謳歌していけばよいのでしょうか。その秘訣は、それぞれの章の対話で語り尽くされるわけですが、最後の章には、「オスが輝く健康十訓」が示されています。その第一訓は、「禁欲とガマンをやめる」であり、その後、幸せのための十訓が続いています。その続きは、ぜひこの本を手に取ってお楽しみください。人生が豊かになること間違いなしです。

  ところで、対談では、ところどころにお二人の見事な見識が披露されています。その中で、なるほどと感じた語りをひとつだけ紹介します。

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(5年ぶりに9秒台で優勝した桐生選手 Xより)

  話が日本の教育に及んだところで、日本の教育は「競争」をなくして同じ価値観を子供に植え付けることを良しとしていることに言及します。そして、話は生物進化の話へと進んでいくのです。我々は、進化というのはその環境に最も適した種が生き残ることで進んだ、という自然選択説を学校で習いましたが、池田さんは、もしそうだとすれば、生き残るのは皆、同じ生物に集約されていくはずだ、と言います。

  ところが、現実には40億年の間に数え切れないほどの生命体が次々に枝分かれしてきました。つまり、生物が進化したのは、環境に順応したのではなく、生き延びていくために新たな環境を求めて変化し、適用してきたからなのです。これを「能動的適応」と言います。

  「能動的適応」は、生物の進化の常態であることを認識すれば、子供たちの教育も一人一人がその「個性」によって「能動的適応」ができるように育てることが必要なのだ、というわけです。つまり、競争をさせずに一律の価値観を植え付けるような教育では、生物本来の「能動的適応」を生かしていくことが出来ない、というのです。そのとおりですね。

  池田さんは、ここから「自由に生きること」の重要性に言及していきます。「誰かの自由を侵害しない限り、人は何をしても良い」という、他人の恣意性の権利について語るのです。この話の面白さは、ぜひこの本で堪能してください。本当に面白い対話です。


  今年の夏は、これまでの最高気温を毎日更新するほどの酷暑が続いています。皆さん、エアコンを上手に使って健康な日々をお送りください。水分補給、塩分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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音楽は豊かで幸福な人生の素

こんばんは。

  前回、日本のジャズ・フュージョン史に燦然と輝く名プロデューサーのアーティスト別エッセイを紹介しました。この本には、渡辺貞夫さんのマネジメントを行った鯉沼利成さんを筆頭にミュージック ラヴァーの面々が日本の音楽の隆盛を作り上げたことがたくさん語られています。

  なぜ人は音楽が好きなのか。音楽には人の生み出す感動があるからです。

【クラシックが生み出す感動】

  2025年も半年が過ぎ、早くも7月が始まりました。この機会に今年上半期に参加したクラシックのコンサートを振り返ってみたいと思います。今年は、身内に不幸があったり、新たな仕事を始めたり、と忙しい毎日で、参加したのは数少ないコンサートでしたが、どのコンサートも感動を味わうことが出来ました。

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(おなじみの所沢ミューズアークホール HPより)

2/09 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 指揮:サカリ・オラモ  ピアノ:藤田真央

・プログラム ウエーバー 歌劇「オベロン」序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第7

5/05 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ ピアノ:リーズ・ドゥ・ラ・サール

・プログラム 武満徹 3つの映画音楽 グリーグ ピアノ協奏曲 ブラームス 交響曲第4

◎5/10 ベルリン放送交響楽団 指揮:ウラディミール・ユロフスキ ピアノ:辻井伸行

・プログラム ベートーヴェン エグモント序曲 ショパン ピアノ協奏曲第2番 ブラームス 交響曲第4

◎6/29 ベルリン交響楽団 指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー ピアノ 石井琢磨

・プログラム ベートーヴェン コリオラン序曲 シューマン ピアノ協奏曲 ベートーヴェン 交響曲第3エロイカ


  いずれも素晴らしいコンサートでしたが、それぞれ異なる感動を味わうことが出来ました。

  これまでも様々なオーケストラの演奏を堪能してきましたが、やはりヨーロッパのオーケストラの音は洗練されていて弦の音も管の音もなめらかで抜けていくような美しさを醸し出します。

  ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音もしかり。さすが、ドイツの名門管弦楽団。その弦の音色は力強く、限りなくたおやかな調べを奏でます。さらに、管楽器もなめらかな音でした。藤田真央さんのピアノを聴いたのは2度目です。前回は、ロッテルダム・フィルハーモニーと共演したときのことで、曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番です。真央さんの得意な曲ですが、このときには、演奏がとても旨いと感じましたが、あまり心を動かされませんでした。ところが、今回の演奏は心に響きました。彼の繊細なタッチとそのまろやかなピアノの音が、ロマン派のシューマンの曲をみごとに引き立てて素晴らしい演奏を聴かせてくれました。さすが、クララ・ハスキル国際コンクールでの優勝はこの美しい音があってのことだったのですね。

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(ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団公演 所沢ミューズHP)

【2025上期 最も感動した演奏】

  さて、次は今年上半期、最も感動したコンサートです。

  NHK交響楽団は2022年まで、私が最も気に入っている指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏が首席指揮者でしたが、その後を受けたのが、今回登場したイタリアのファビオ・ルイージ氏です。N響は、これまでもサヴァリッシュ、ブロムシュテット、デュトワなど、世界の指揮者たちの薫陶を受けてきましたが、日本では最も美しい音を奏でるオーケストラだと思います。こでまで、世界の名だたるオーケストラのコンサートに接しましたが、ここ数年のN響の音は決して引けを取らない素晴らしい音色を奏でています。

  このコンサートで楽しみにしていた曲があります。

  それは、グリーグのビアノ協奏曲です。グリーグは「ペール・ギュント組曲」で有名なノルウェーの生んだ作曲家です。小学生のときに放送委員という役職を務めていたのですが、朝の放送ではこの組曲の「朝」を毎日かけていました。(ちなみに昼休みはビゼーの「アルルの女」からメヌエットでした。)そのグリーグのピアノ協奏曲をはじめてきいたとき、その冒頭、上から流れ落ちで来る滝のようなピアノの旋律に頭を殴られたような衝撃を覚えました。

  そして、映画にハマッタ中学生のときに映画館で見たのがアメリカのミュージカル映画「ソング・オブ・ノルウェー」でした。この映画は、若き日のグリーグを描いた青春映画でしたが、このミュージカルに通底していたのが、このピアノ協奏曲だったのです。映画の冒頭、ノルウェーの美しい自然が移るスクリーンに冒頭の力強い旋律が鳴り響いたときの感動は忘れられません。

  そして、この日、ピアノ協奏曲を演奏するピアニストは、フランス出身のリーズ・ドゥ・ラ・サールです。

  女性としては大柄ですが、その端正な顔立ちとはうらはらに金色をあしらったファッショナブルで派手なな出で立ちで登場しました。いったいどんなグリーグが飛び出すのかと期待していると、想像を超える力強さで、あの美しい旋律が会場に響き渡ったのです。冒頭から情熱的に奏でられたピアノは、そのまま熱を持って輝くように続いていきます。そのエネルギッシュかつ繊細な演奏は、聞く人の心をわしづかみして離しません。この曲をライブで聞くのは初めてでしたが、このピアニストで聞くことが出来たのは、とても幸せな体験でした。心から感動しました。

  この日のN響は、本当によく鳴っていて、大好きなブラームスの4番もエモーショナルな演奏で久しぶりに心を動かされました。特に、有名な第3楽章のスケルツォともいえる荘厳なソナタには圧倒されました。

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(NHK交響楽団公演 所沢ミューズHPより)

  グリーグが描くノルウェーの美しい森とブラームスの描くドイツの森林。それを彷彿とさせたのが、フルートで奏でられる屹立とした旋律です。この日のフルートは特に際立つ透明な音で鳴っており、演奏後に指揮者のルイージが何度もフルート奏者を指名して起立していたのも頷けます。本当にすべてが素晴らしい演奏でした。

【辻井伸行さんのピアノのすごさ】

  さて、N響で感動した5日後に行ったコンサートが、ウラディミール・ユロフスキ氏率いるベルリン放送交響楽団の演奏会です。この交響楽団の音は、本当にドイツの深みのある美しい音でした。本当に不思議なのですが、ヨーロッパを本拠とする管弦楽団はみな日本のオーケストラとは音が違います。まだコンサートに行く機会が無い頃には、日本の空気が淀んでいるせいだと思っていましたが、実際に来日したオーケストラの音を聞くと日本の空気の中でもやはり彼らの音は違っていました。歴史と伝統がなせる技なのかもしれません。

  今回のお目当ては、ピアノの辻井伸行さんです。実は、辻井さんの名前は日本でとどろいていますが、テレビなどで見る限りでは他のピアニストと何が違うのかがわかりませんでした。ところが、一昨年、ヴァリシ-・ペトレンコ氏を指揮者としてイギリスのロヤルフィルハーモニー管弦楽団が来日したときに辻井さんが共演し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。これを聴いたときに、辻井伸行さんの表現力に心からの感動を味わいました。

  その演奏は、大胆にして繊細。チャイコフスキーの大地に根ざした壮大さと人の心の動きを表す繊細な音階を見事に弾きこなし、我々の心を揺り動かしたのです。なぜ、辻井さんの演奏はこれほどの感動を生み出すのでしょうか。この曲は、これまでアルゲリッチやリヒテル、ホロヴィッツなど名だたる名盤がありますが、辻井さんがこうした演奏と異なるのは、見事な「間」の取り方です。もちろん、ピアノは楽譜の通りに演奏するので、楽譜に指示されている必要な「間」ではありません。辻井さんの演奏は、佳境に入る流麗さの中に、ふとした「間」が入るのです。

  我々日本人は、これまで歌舞伎や能、浄瑠璃などのなかで、謡と雅楽で音を体験してきました。そこで培われた「間」は、おそらく人の呼吸と関係しているのではないでしょうか。日本の芸能は息継ぎまでの間まで、息の続く限り言葉を謳います。雅楽もその謳いに会わせて間を生み出します。ピアノやヴァイオリンには、息継ぎが必要ないので、楽譜は音が面々と続いています。辻井さんのチャイコフスキーには、日本人ならば聞き慣れている独自の「間」が込められているのです。

  一昨年のコンサートでは、余りに感動したので会場で販売していたチャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を演奏しているCDを購入しました。(ちなみにCDは、BBCフィルで指揮者は佐渡裕氏でした。)帰ってからそのCDを聴くと、そこには辻井さん独自の「間」がしっかりと表現されていて、コンサートと同じ感動を味わうことが出来ました。

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(辻井伸行 チャイコフスキーCD amazon.co.jp)

  余談ですが、このコンサートでは事件がありました。チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番の第1楽章が終わったとき、通常ならば息を整えてすぐに第2楽章へと移るのですが、辻井さんが席を立ったのです。ご存じの通り辻井さんは目が不自由なため、指揮者のペトレンコ氏がその腕を支えて一緒に歩き出しました。何事かが起きたのです。ペトレンコ氏は歩き出しながら辻井さんの耳元で何かをささやきました。すると、二人は、舞台袖へと歩いている途中、きびすを返してステージの中央へと戻りました。

  辻井さんは、ピアノで体を支えると話を始めました。説明では、弾いていたピアノの鉄線が切れてしまい、修理が必要な状態だというのです。説明を終えると、お二人は楽屋へと引き上げていき、それに変って調律師の方が現れてピアノ弦交換の作業を行いました。時間にすれば5分程度と思いますが、とても永く感じたのを覚えています。

  修理が完了すると、辻井さんがペトレンコ氏とともにステージに戻ってきました。大きな拍手で迎えられたのは言うまでもありません。永くコンサートに足を運んでいますが、こんなアクシデントははじめてでした。いったい、演奏はどうなるのだろう。その心配は杞憂に終わりました。オーケストラも指揮者も、辻井さんも何事もなかったように素晴らしい演奏を繰り広げてくれたのです。

  やはりプロの仕事は素晴らしい、と改めて辻井さんの魅力に感じ入った次第です。

  さて、そんな辻井さんが演奏したショパンのピアノ協奏曲第1番ですが、チャイコフスキーよりも情緒的で、ロマンあふれる名曲です。この曲は、ポーランドを離れる直前にポーランドの聴衆の前で演奏されました。辻井さんのピアノは、その叙情豊かな感性をみごとに表現する素晴らしい演奏を繰り広げました。辻井さんの感動を呼び「間」は、この曲にも現れていました。ベルリン放送交響楽団の弦と管の音色も素晴らしく、こちらにも大いに感動しました。

【上期最後のコンサート】

  さて、6月の29日には、横浜のみなとみらいホールに足を運び、ハンスイェルク・シェレンベルガー氏率いるベルリン交響楽団のコンサートに参加してきました。ベルリンには30近いオーケストラがあるそうですが、この”Berliner Symphoniker”はあの世界的に有名なベルリンフィルとはまったく別のオーケストラ。もとの母体こそ125年前に遡りますが、現楽団は、1961年にベルリンが東西に分かれた際に西側に残った2つのオーケストラが合体して出来たベルリン市民のためのオーケストラです。

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(ベルリン交響楽団公演 e-プラスHPより)

  ピアニストの石井琢磨さんは、現在日本国内でクラシックにとどまらない幅広い活動で名前を知られた演奏家です。会場には石井さんのピアノめあてのファンもたくさん見えていたようです。石井さんの奏でるシューマンの調べは、その美しい旋律を明るく鮮明な音で奏でる明るい音律でした。甘口のスウィートを味わったときの幸福感を感じました。

  ベルリン交響楽団は、楽団員の数が少なく、音の厚みという点では少し迫力に欠けていた気がします。しかし、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスが生み出す豊かな弦の響きは、さすがベルリン市民をうならせるだけのことがある美しさがありました。指揮者はもとベルリンフィルの主席オーボエ奏者です。さすがにオーボエをはじめとするクラリネットやフルート、ファゴットの音も澄んだなめらかな音色で感動しました。特にエロイカの第2楽章 葬送行進曲は美しく、心から楽しむことが出来ました。


  さて、今日は音楽の中でもクラシックコンサートの話で終始しましたが、今年の上半期にはクラシック以外でも様々な音楽に触れました。60歳から習い始めたテナーサックスですが、町内で同好会に加入して、月に34回セッションを楽しんでいます。会の名称がJAZZ研究会なので、基本的にはジャズのスタンダード曲を皆でセッションします。何が楽しいかと言えば、今まで聴いたこともなかった有名曲を知り、自分で演奏できるようになるプロセスは何物にも代えがたい幸福な体験です。チャーリー・パーカーって本当にスゴイ人だったんですね。

  この話を始めるといくら紙面があっても足りません。また、機会があればお話ししたいと思います。

  今年の気候はどうやらいつもと異なるようです。日本はすでに亜熱帯のようになっていますが、今年の夏は特段に暑いようです。皆さん、無理せず、我慢せず、エアコンを使って熱中症とならないようくれぐれもご自愛ください。水分補給も忘れずに。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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