こんばんは。
皆さんは電車で手持無沙汰のときにどうしていますか。
今やスマホをいじっている人が圧倒的に多く、情報系の検索、ゲーム、テレビドラマの視聴、音楽鑑賞とあらゆるものをスマホで楽しんでいます。最近は、スマホでマンガを読んだり、本を読んだりしている人も珍しくなくなりました。都心の鉄道では、ドアのうえに液晶画面が備えられており、ニュースや気象情報、広告など様々な動画が乗客を楽しませてくれます。
それと同時にひまつぶしになるのが、車内広告です。
社内に吊られている広告は満員電車の中でも良く見えますし、毎朝人に押しつぶされながらもドアの窓に張られている広告には目が行ってしまいます。マンションなどの不動産、商業施設やお店のバーゲン情報、週刊誌の中刷り広告が多いようですが、ときどき変わった広告を見ることもあります。そうした中で、本の広告も見受けられます。本の広告は、大手の出版社よりも話題の実用書などを出版している個性的な版元の方が多いようです。
(週刊文春 中吊広告 syukanbunsyun.jp)
もう6年ほど前になりますが、JR東日本の京浜東北線に小学館が広告を出していたことに気づきました。広告は、車両端の座席(優先席になっていることが多い)のわきの壁に透明なプラスチックケースに入って掲載されていました。そこには、紺色の色彩の中を歩くバックを下げた男が描かれた本が掲載されていました。本の題名は「教場」。著者は、長岡弘樹と書かれています。「異色の警察小説」、「ベストセラー」、「週刊文春ミステリーベスト10 第1位」との文字が躍っています。どうやら警察学校を舞台としたミステリーのようでしたが、その怪しいイメージが気になって、いつか読んでみたいと思ったのです。
それからは、通勤電車で見るたびに気になって、本屋めぐりのときにも平置き棚に積まれた「教場」がいつも気になっていましたが、まずは文庫になるまで我慢しようと素通りしていました。そして、2015年にはついに文庫化がなされます。はじめて文庫本を見てから本屋さんに行くたびに手に取っていたのですが、いつも優先したい本があって、ついつい日延べしてきたのです。
そして、今週、ついに読みました。
「教場」(長岡弘樹著 小学館文庫 2015年)
【小説の舞台は警察学校】
まず、「教場」とは何か。それは、普通の学校でいえばクラスの事を意味します。1組、2組などのあのクラスのことです。「教場」とは警察学校におけるクラスの名称。例えば、この小説には植松という教官が登場しますが、彼が担任を務めるクラスは、植松教場と呼ばれるのです。
警察学校というと、まるで公立の高校や大学のように聞こえますが、誰もが入れるわけではありません。この学校の生徒は、警察官の採用試験に合格した人間です。彼らは、この学校で警察官として必要な技能や知識、法律などを半年間に渡り身に着けて警察官としてデビューするのです。学校であるからには、入学して卒業するわけですが、この小説で描かれるのは、警察官になるための厳しい教練の場です。
舞台も警察小説と言ってもきわめて斬新な場所であり、人間を描くにも多様な人生、そして人間関係が渦巻いています。ミステリーと言えば謎解きのワンダーが肝になりますが、この舞台ではあらゆるところに謎を創りだすことが可能です。しかも警察学校は閉鎖的な空間であることが一層の効果を引き立てます。
この小説は、短編連作の形を取っています。
目次を追うと
第1話 職質、第2話 牢問、第3話 蟻穴
第4話 調達、第5話 遺物、第6話 背水
(文庫版「教場」 amazon.co.jp)
小説の奥深さは作者によって周到に用意されています。まず、登場人物の背景が多種多様。警察学校の生徒は、警察官登用試験に合格した人間です。つまり、そこには様々な職業を経験した人物が集まっているのです。元学校の教諭、元インテリアデザイナー、元ボクサー、などこれぞれが個性にあふれています。そして、学校は寄宿舎となっており、携帯電話や免許書は日常生活の中で取り上げられて、所持することは許されません。また、外出も許されておらず、課題宿題が常に課されています。
こうした環境で様々な謎が提示され、ワンダーが醸し出されるのです。
そして、各話に共通する人物がいます。それがこの教場を担任する風間公親です。白髪で義眼を入れたような目つき、温厚でありながら絶対的な迫力を持つ警務官です。実は、2020年の初めにこの小説はフジテレビでテレビドラマとして放映されるとのことです。各話で謎解き役を担う風間を演じるのは、あのキムタク(木村拓哉)だそうです。原作からはイメージがわきませんが、どんなドラマになるのか、楽しみです。
【一味違ったミステリー】
このミステリーは設定自体も変わっていますが、その語り方もまた一味違います。
著者の長岡さんは、著作のインタビューで自らのスタイルを「書きすぎない」ことと語っています。というのは、あまり説明はしないということです。廊下を歩いている時に後ろに人の気配がしたとします。後ろにいるのは誰なのか。作者は当然誰かを知っているので語ろうと思えば語れるわけですが、あえて語りません。さらに、振り向けばそれが誰なのかはすぐに分かるわけですが、この著者はなかなか振り向かせないのです。
この小説では、ミステリーらしく、心理的な圧迫や物理的な暴力がところどころに描かれます。
担任の風間公親は温厚で暴力を振るいませんが、副担任である須賀は武道専任教官であり、柔道6段という猛者です。警察学校にはさまざまな規則があり、課題も多いので罰則は枚挙にいとまがありません。校庭10周の駆け足や腕立て伏せなどは、日常茶飯事です。例えば、4歩以上の距離を移動するときに生徒は必ず駆け足をすることが義務付けられています。須賀は、その違反者を見つけると柔道場に呼び出して、何本も投げ技を懸けて生徒をあざだらけにしてしまいます。
第1話で宮坂定は毎日の授業で味方になっていた同級生に恨まれて、自殺の道連れに命を失う恐怖にさらされます。また、第2話で元インテリアコーディネーターの楠本しのぶは、駐車場施設に呼び出されて設備の間に足を挟まれ、骨を折られてしまいます。しかし、長岡さんはその結果、最後に彼らがどうなったのかを描きません。
我々は、「エッ、いったいどうなったんだ。」と戸惑いを覚えます。
そこが作者の狙いです。短編連作の面白さを創るために長岡さんはわざと謎を残して短編を終了します。短編は、それぞれ1話完結なのですが、この小説では同じ学校、同じ教場での出来事が連なっていますので、次の話を読んでいくと前話で残された謎が、さりげなく語られていくことになるのです。しかし、風間教官にまつわる謎はどこまでも続いていきます。
さらに作者は風間教場の生徒たちに様々な恐怖を語らせます。
特に象徴的なのは、第1章で語られる問答です。風間教官が宮坂に対して、「警察学校とはどんなところだと思うか」と問いかけます。その答えは「篩(ふるい)」。つまり、警察学校とは、警官になるための厳しい課題に耐えられない人間を振るい落とすために存在する、ということです。確かに第1章では、41人いた第98期入学者は、5月の時点ですでに37名になっていることが語られているのです。
(警視庁警察学校 wikipediaより)
【エンタメとリアリティの間】
警察と諜報機関。そこに求められる技術と能力は似たものがあります。もちろん、警察官にずば抜けた語学力や変装能力は求められませんが、職務質問や追跡術、射撃術などは警察官にも必要な技術となります。柳広司氏の小説「ジョーカーゲーム」に描かれる陸軍中野学校の様子と相通ずるものがあるのかもしれません。
この小説に登場するのは、職務質問、取り調べ技術、交番勤務、水難救助、パトカーの運転技術、射撃技術など警察官が持つプロの技術がさりげなく書き込まれています。
例えば、警察官が街で不審な人物をみつけたときの職務質問。「すみません、ちょっといいですか。」と話しかけてから、相手の名前を聞き出し、その間にも相手からの攻撃を未然に防ぐような職務質問のテクニック。なるほどと読んでいると、前提として警察官の姿を不意に見せるなど、驚かせて最初の相手の反応を的確にとらえることが最も重要だ、との奥深い話も語られています。
交通機動隊の所属する神林警部補が登場するパトカーの運転技術講習会でのエピソードもワンダーです。そのパトカーには覚せい剤が隠されているとの設定で、覚せい剤の在りかを探すことが課題として課せられます。意外なほど簡単なところに隠されている、との教官のヒントから、ありとあらゆる場所を探しますが、覚せい剤はみつかりません。果たしてどこに隠されているのか、その答えは本書で確かめてください。
小説はフィクションではありますが、こうしたリテイルの描写が小説に臨場感や迫力を醸し出します。
第4章には、風間教場の生徒の中で調達屋が登場します。閉鎖社会の中で、本来手に入らないものを調達する男。この話を読んで思い出したのは、戦争映画の傑作「大脱走」です。
(映画「大脱走」1963年 ポスター)
第二次世界大戦下のドイツ。ドイツは連合国軍の捕虜が各地で脱走を企てることに手を焼き、脱走常習者を一所に集めて鉄壁の監視体制を引くことにしました。スタラグ・ルフト北捕虜収容所。しかし、「敵後方のかく乱」を職務とする連合軍の捕虜たちは、前代未聞250名の脱走計画を企て、収容所を脱走するのです。
この映画は、史実をもとにした映画で、その登場人物たちに当時のスターを振り分けて、その練りに練った脚本で大ヒットを記録しました。スティーブ・マックィーン、ジェームス・ガーナー、チャールス・ブロンソン、ジェームス・コバーン、デビッド・マッカラムなど、それぞれが大活躍した見事な作品でした。
収容所の脱走計画は、収容所内から3本のトンネルを掘り、250名を脱走させるものでしたが、脱走後に全員が国境を超えるためには周到な準備が必要です。まず、脱出後に着る衣服、偽造の身分証明書、さらに近隣の詳細な地図、完ぺきなドイツ語。そうした綿密な脱走計画の中で、必要な物資の調達を担ったのは仕入れや屋と呼ばれるアンソニー・ヘンドリー(ジェームス・ガーナー)だったのです。
ダバコから始まり、様々な衣服となる生地からトンネルを掘るために必要なフイゴなどの道具の材料に至るまで、あらゆるものを調達します。そこには、詐欺師まがいのコミュニケーションテクニックと駆け引きが必要です。偽造身分証明書作成のために人の良いドイツ軍の看守を自室に誘い込み、身分証の入った財布をみごとに手に入れる場面では、思わず喝さいを送りました。
この小説に出てくる調達屋は、映画と違い「調達」と引き換えに恫喝のような行為を続けますが、最後にはそれによって墓穴を掘ることになります。
この小説は、謎の教官風間公親による教育小説と見られたり、生徒たちの成長を物語る学園小説、などとも呼ばれているようですが、基本的にはこれまでになかったユニークなミステリー小説です。警察学校を描くという意味でもこれまでなかったワンダーを味わうことができます。警察小説に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。その怖さも含めて楽しめること間違いなしです。
豪雨と暑さが交互に襲ってきます。災害対策と体調管理にはくれぐれもお気づかい下さい。
それでは皆さんお元気で、またお会いします。
〓今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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