原田マハ 魔性の女「サロメ」とは何者か?

こんばんは。

  皆さんは、「魔性」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。

  この小説を読んで思い出したのは、シューベルトの歌曲「魔王」です。

  低音のピアノのリフで始まる「魔王」は、4つの異なる登場人物によって謳われます。もちろん、通常は一人のテノール歌手によって謳われるのですが、その詩には4つの視点から語られるのです。その主人公は「魔王」。

  ある晩高熱を出した息子を医者に診せるために父は夜の闇の中、息子を抱いて馬を走らせます。疾走する暗闇の中、魔王は熱にうなされる息子をいざなうように語りかけます。「かわいい坊や、一緒においで、楽しくに遊ぼう。綺麗な花も咲いて、黄金の衣装もあるよ。」

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(楽譜「魔王」の挿絵 wikipediaより)

  息子は、父親に「魔王が見えないの?魔王がささやきかけてくるよ。」と訴えます。疾走する父は、「息子よ、あれはただの霧だよ。」と諭して安心させようとします。しかし、魔王は執拗に息子を誘います。「素敵な少年よ。一緒においで、私の娘が君の面倒を見よう。歌や踊りを披露させよう。」息子は救いを求めます。「お父さん、お父さん。見えないの?暗がりにいる魔王の娘たちが。」父「息子よ。確かに見えるよ。あれは灰色の古い柳だ。」

  歌曲は、おどろおどろしいピアノと4つのテノールによって、緊迫の中をカタストロフへと突き進んでいきます。魔王ついに本性をさらけ出します。「お前が大好きだ。いやがるのなら、力づくで連れていくぞ。」息子は抗います。「お父さん、お父さん!魔王が僕をつかんでくるよ。魔王が僕を連れていくよ。」恐ろしくなった父親は、息子を抱える腕に力を込めて一層速度を上げて闇の中を突き進みます。

  たどり着いた時に息子は息絶えていたのです。

  この魔王の持つ蠱惑的な言葉と破滅に導く力こそ、我々が「魔性」とよぶものです。

  今週は、文庫化された原田マハさんの新たな絵画小説を読んでいました。

「サロメ」(原田マハ著 文春文庫 2020年)

【原田マハの新たな絵画小説とは?】

  「サロメ」と言えば、旧約聖書の物語ですが、過去からあまたの画家が「サロメ」の姿を描いてきました。古くは、宗教改革のルターの盟友であったドイツ画家の巨匠クラーナハが描いたサロメが有名ですが、近年では象徴主義の大家である、ギュスターヴ・モローも「サロメ」を題材とした名画の数々を世に送り出しています。特に1876年に発表された「出現」は、宙に浮かぶ預言者ヨハネの首を指し示す妖婦サロメが描かれた傑作です。

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(ギュスターヴ・モロー「出現」wikipediaより)

  しかし、今回原田マハさんが描いたのは、「サロメ」を描いた画家オーブリー・ビアズリーのエピソードでした。あえてエピソードとしたのは、この小説が物語ではなく「魔性」が出現したその瞬間を描くために執筆された小説だからです。

  皆さんも、オーブリー・ビアズリーの絵を一度は目にしたことがあると思います。あえて「画家」と書きましたが、彼の職業は挿絵画家でした。その最初の仕事は、トマス・マロリーが描いた「アーサー王の死」と題された本の挿絵画家としてでした。しかし、もっとも有名な絵は、オスカー・ワイルドが書いた戯曲「サロメ」の挿絵です。

  この本の表現を借りるならば、その挿絵は。「女はまるで亡霊さながら、おどろおどろしい横顔をしてぽっかりと宙に浮かんでいる。そしてその両手に掲げられているのは、麗しき髪と秀でた眉、永遠に瞼を閉じた男の生首。/女は男の首をかき抱き、たったいま、暗い池の中から空中に飛び出してきたかに見える。いや、池に見えるのは生首からしたたり落ちる黒い血だまり。女は血の池に浮かび上がる妖艶なのだろうか。」

  それは、魔性の美女「サロメ」そのものを蘇らせる魔力を備えた絵だったのです。

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(オーブリー・ビアズリー「サロメ」挿絵)

  白と黒だけを使ったペン画にこれほどの魅力が備わっているとは、オーブリー・ビアズリーの天才はいったいどこから生まれ出たのか。その進化の秘密がこの小説に託されたひとつのテーマなのです。

  今回の小説はこえまでのマハさんの絵画小説とは一線を画した趣向にあふれています。

【ビアズリーとオスカー・ワイルド】

  オスカー・ワイルドは19世紀末のイギリスの作家。その代表作は、「ドリアン・グレイの肖像」です。昔から肖像画はそのモデルとなった人間が乗り移るものだと言われていましたが、この小説は不気味な小説です。ある日、画家のバジルは、友人のドリアン・グレイから肖像画を依頼され、その美貌あふれる姿を絵に収めました。この絵の美しさを見たドリアンの友人ヘンリー卿はその美しさをほめるとともに、ドリアンにこの世の常識にとらわれることなく、その美貌に似つかわしい自由奔放な生き方を強く勧めます。その誘惑に乗ったドリアンは、自分の代わりに肖像画に描かれた自分が年を取ればよいと宣言しました。

  このヘンリー卿は明らかにオスカー・ワイルド自らの生き方を語る本人の傀儡です。その言葉にそそのかされたドリアンは、その後、純粋な愛を求める美しき恋人を死の淵へと追いやり、さらそれをなじる画家バジルをも殺してしまいます。しかし、その後も乱れた、奔放な暮らしを続けるドリアン。20年を経てもドリアンは全く老いることなく、その美貌は衰えることを知りません。

  しかし、ドリアンがまったく変わらぬ美貌を保ち続けている間、バジルが描いた彼の肖像画は醜く変貌し、ドリアンに代わって年を取り続けていくのです。

  その結末はこの小説を読むにしかず、ですが、オスカー・ワイルドはこんな猟奇的な小説を描くだけのことはあり、自らが世の常識に従わない自由奔放な男だったのです。

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(オスカー・ワイルド「サロメ」 books.rakutenより)

  イギリスと言えば、ジェントルマンの国です。

  その一方で、長い間、伝統と階級を重んじてきた社会でした。ピューリタン革命の時代から、貴族階級と労働者階級は完全に分かれており、貴族たちは支配階級として帝国に君臨していました。その世界観は特に保守的で厳格。階級が異なれば会って話をすることさえままならない世界が長く続いていたのです。19世紀末は、イギリス帝国の最盛期であり、こうした保守性と厳格さは彼らの誇りでもありました。

  同じころ、ドーバー海峡を渡った先のフランスでは、パリを代表される大敗を賛美し、自由を愛する人々が奔放な芸術活動を続けていました。印象派はもちろんのこと、パリでの芸術的成功を求めて、ピカソやゴーギャン、アポリネールなど若い芸術家たちがやがて来る新時代を前に芸術を語りあかしていました。保守的で厳格なイギリスでもこうした荒廃した世界にあこがれる人々もいました。オスカー・ワイルドは、こうした中、イギリスに颯爽と登場し、その自由奔放な行動と退廃的な芸術性で人気を博していたのです。

  イギリスで生まれたオーブリー・ビアズリーは、こうした退廃的奔放とは無縁な生活を送っていました。彼は、1898年に25歳と言う若さで夭折しますが、その原因は結核でした。彼が初めて結核と診断されたのは、7歳の時です。彼は、母親の収入でとても大切に育てられましたが、早くから芸術に才能を見せていたと言います。ピアノがうまく、文才もあり、絵がうまい。彼の画才はとびぬけていました。

  彼には、細やかな愛情そそいでくれた母と彼を守ることが当たり前のように育ってきた姉がいました。姉の名前はメイベル・ビアズリー。弟の画才を埋もれさせたくなかったメイベルは弟の絵を見せるために、オーブリーを連れて当時イギリスの画壇で名のあったエドワード・バーン・ジョーンズのもとを訪れます。

  このくだりは、この小説のひとつのハイライトですが、ネタバレとなるので小説を楽しみにしておいてください。そのときに、オーブリー・ビアズリーの画才は初めて世に認められることとなるのですが、この場に居合わせたのが、かのオスカー・ワイルドその人だったのです。

  この出会いからオーブリーの運命は大きく転換していくこととなるのです。

【原田マハが描く「魔性」とは】

  「あゝ、あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。」

  クライマックスの「サロメ」のセリフは衝撃的です。サロメは、ヘロデ王の前で「七つのヴェールの踊り」という世にもあでやかで妖艶な舞を踊ったほうびに、ヘロデ王にとらわれていた預言者ヨカナーンの生首を所望したのです。地下の監獄に繋がれたヨカナーンを一目見て恋に落ちてしまったサロメは、ヨカナーンに触れたくて千々に乱れる想いから逃れることができません。しかし、預言者はその思いをきっぱりと拒絶します。

  サロメは、自らの想いを遂げるためにヨカナーンの生首を求めたのです。

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(原田マハ「サロメ」 amason.co.jp)

  この反道徳的で、しかも欲望に満ちた蠱惑は、人の欲望、想いに忠実であろうとするオスカー・ワイルドの想いそのものでした。そして、その桁外れな芸術を全く同じ感性で表現したのが、オーブリー・ビアズリーだったのです。二人は、余人には理解しえない魔性を共有します。

  今でこそ「LGBT」や「ジェンダ-」などの言葉で、同性愛の存在は知性ある人々に受け入れられつつありますが、19世紀末のイギリスでボーイズラブが受け入れられるわけもありません。オスカー・ワイルドは、劇場やアトリエ、さらには社交場に若くて美しい男性を数多く引き連れて訪問していました。それは、言外にボーイズラブを公言している行動です。

  そして、畢生の芸術である「サロメ」をめぐって、男たちの三角関係が繰り広げられていきます。それは禁断の世界であるとともに、芸術としてはまさに「魔性」の世界です。オーブリー・ビアズリーもその才能ゆえにその渦中へと巻き込まれていくのです。

  しかし、このボーイズラブの世界がこの小説の新機軸なのではありません。確かに、原田マハさんと「魔性」の世界はこれまで融合することはない世界でした。ところが、この小説はそれほど単純ではありません。

  これまで、マハさんは常に女性の視点に立って自立した女性の物語を語ってきました。絵画小説においても主人公のひとりは必ず颯爽とした女性でした。そう、今回の小説も例外ではありません。オーブリー・ビアズリーに最も近い女性は誰でしょうか。

  それは、結核の患う弟を守り、その絵画の才能を世に出し、自らも女優としての道を歩もうとするオーブリーの姉、メイベル・ビアズリーその人です。

  そして、今回描かれる「魔性」とは、これまで語られてきたオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーの間に生まれた禁断の魔性以上に「人間の性(さが)」そのものに肉薄するような「魔性」なのです。

  小説「サロメ」には、これまでの絵画小説のような謎解きやワンダーなプロットは使われていません。そうしたものはなくても、ラストのどんでん返しに皆さんは衝撃を受けるに違いありません。そして、その衝撃の伏線は、プロローグから周到に用意されているのです。

 皆さんも、この「サロメ」で、これまでとは一線を画す新たな原田マハの魅力に触れて下さい。その「魔性」に背筋がゾッとするに違いありません。


  世の中では、首都圏のコロナ新規感染者の数が急増しています。首都圏の皆さん、3密を避け、ソーシャルディスタンスを保ちましょう。感染対策が万全のお店で飲むときでも、声高に飛沫を飛ばすことなく、穏やかな会話を楽しみましょう。ここが我々の踏ん張りどころです。私も含め、皆さんの一つ一つの行動が日本と世界を救うのです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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