こんばんは。
何が起きているのかよくわからないうちに、高市総理大臣は今年初めての衆議院本会議の冒頭で解散を表明し、またまたまた国政選挙が行われることになりました。そこにかかる国費は、800億円と言われています。日本では、食料品を中心に値上げラッシュが続いており、毎年?国政選挙を行うような余力はないはずです。
(解散総選挙に向けた党首討論会 yomiuri.co.jp)
国の予算と企業の予算と、個人の家計は異なるように語られますが、経済原理はなにも変わることはなく、返済できないほどの借金を抱えれば、個人でも企業でも国でも破綻するとの結末に違いはありません。
ところが、市町村、県、国は選挙にかかる資金に対して人ごとのような発想しかないようです。
市町村や県でも、トップに立つ人たちが、学歴を詐称したり、不倫まがいの行動をとったり、パワハラで職員から突き上げられたりすると、議会からリコールされて解散か辞任を選択し、すぐに選挙が行われます。その安易さと、さらにその選挙に投票する人が、有権者の半分以下というていたらくでは、日本人の民主主義意識は崩壊しているとしか思えません。選挙で財政が破綻するとは誰も思わないのですが、無駄な選挙の行き着く先は、歴史にあるとおり、巡り巡って財政破綻を招き、極右政党か極左政党が民衆の支持を得て、戦争が起きることは火を見るよりも明らかです。
今、世界は分断の時代を迎えています。被爆国でもある日本は、世界でもまれに見るほどの平和国家です。それは、日本の民意が平和を求めているからに他なりません。今回のような安易な「解散」に国民が「NO」といわなければ、日本は正常な政治を取り戻せないように思えます。
今回の選挙、どの政党を支持するかはいったん置くとしても、皆さんが白票でもかまわないので、政治に対して意思表示をすることが大切です。皆さん、投票所に行きましょう。せめて、70%の投票率(意思表示)がなければ、与党と政権を国民が選んだとは言えません。皆さん、投票所に行って、民主主義の機能を発揮させましょう。
さて、本の話です。
唐突ですが、ハラスメントといえば、人と人の間に起きる嫌がらせや相手を傷つける言動のことですが、我々は、自分がハラスメントをしていることに気がつかないことが多いようです。基本的に「ハラスメント」は、被害者がいやな思いをしてそれを表明することからはじまります。しかし、必ずといってよいほど、加害者は「そんなつもりではなかった」と語ります。
では、人はなぜ他の人からの言動を「嫌だ」と感じるのでしょうか。それは、我々の「心」が痛むからでしょうか。
では、「心」とは我々の体のどこにあるのでしょうか。
近年では、体中の臓器は筋肉も含めていつも信号を発信しているといいます。それは、特別なタンパク質によって発せられるそうですが、その信号に基づいて「脳」が反応するのだといいます。すると、「心」は脳内にあるのではなく、五臓六腑の中にあるのでしょうか。
いつもの通り、本屋さんで面白そうな本を探していると、インパクトのある題名が目に入ってきました。今週は、脳科学者が語る、「心」と「脳」に関する本を読んでいました。
「心は存在しない-不合理な『脳』の正体を科学でひもとく」
(毛内拡著 SB新書 2024年)
【「自分」、「心」、「意識」、「感情」、「情動」】
昔、教科書に小田実さんが書いた「さかさに地図を眺めてみよう」という文章が載っていました。いつも見ている世界地図は、北が上で南が下ですが、それを逆さまにすると自分の感覚が一瞬崩れていくように感じます。例えば、なぜかベーリング海峡がとても狭く感じます。一万年前に我々ホモ・サピエンスが世界中に拡散したグレートジャーニーがにわかに身近に感じられます。
この本で語られる「脳」は、我々の「心」への思い込みをひっくり返してくれます。
(「心は存在しない」SB新書 amazon.co.jp)
まずは、目次を眺めてみましょう。
序章 実は心なんて存在しない?
第1章 心の定義は歴史上どう移り変わってきたのか
第2章 心はどうやって生まれるのか
第3章 心は性格なのか
第4章 心は感情なのか
第5章 脳はなぜ心を作り出したのか
終章 心は現実の窓
著者の毛内拡(もうないひろむ)氏は、過去から現在、そして最新の心理学や脳科学を語りながら、「脳」の持つ不思議な「思い込み」機能を次々と語り明かしていきます。
その第1章では、これまで解き明かされた「心」と「脳」の関係が語られており、興味は尽きません。例えば、心理学の世界では、フロイトやユングが我々の意識について、いつも認識されている意識の下には、自我である「前意識」が存在し、さらにその下には「無意識」の世界があると整理しています。
我々の感情や思考は、「前意識」の自我やさらに意識すらできないスーパー自我によって規制されていて、それがブレーキとして、心の防衛システムになっているというのです。
さらに興味深いのは、日本の仏教の教えにある「唯識」という考え方です。
仏教は仏陀が開いた宗教で、苦しみに満ちた現世から解脱して悟ることを目的としています。そのためには厳しい修行が必要となるのですが、「悟り」の前提となる現世と人の意識について、様々に探求がなされ、仏教ならではの分析と教義へと結びついています。
大乗仏教は、仏教の救いをすべての人々に広げていこうとする一派なのですが、その教義の前提となる「人」の持つ意識を「唯識」として捉えています。意識とは、人において物事を認識し、知る機能のことですが、その「識」には9つの階層があるとされています。
まずは、誰もが知っている5感。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が5識として認識されています。その次には、「意識」、我々が5感を含めて様々に認識をするのが「意識」となります。そして、「意識」の下層には、7識として「末那(マナ)識」が存在します。この「識」は、自己意識です。これは「自己執着心」と呼ばれますが、我々の「優越感」、「羨望」、「嫉妬」など、自我そのものの意識がこの「識」です。
そして、その下層には、8識となる「阿頼耶(アラヤ)識」があります。この識は「蔵識」とも呼ばれ、生まれてからこれまで、人が「識」によって知り得たすべての認識、言葉、経験、が貯蔵されていると考えられ、善悪、生死のすべてがここに納められている、といいます。そして、さらにその下層には、純粋で汚れのない生命の根源、そして、煩悩の根源的な識があると考えます。それが、第9識の「阿摩羅(アマラ)識」です。
(横山紘一著「阿頼耶識の発見」 amazon.co.jp)
近代の科学的心理学は、フロイトやユングによって切り開かれたのですが、日本人が「唯識」によって遙か以前に、「深層心理」、「自我」、「集合的無意識」などの概念が認知されていたことは驚きです。著者もこの「唯識」には、「脳」と「心」を考える上で重要な示唆が含まれているといいます。
【「脳」で生み出される「心」とは】
この本では、近年増加している「心」の負担に対処することも大きな主題として取り扱われています。そのためには、我々の「脳」がどのような仕組みで「心」に浮かぶ意識を生み出しているのかを知る必要があるといいます。
そのほんの一端をご紹介します。
まず、脳が情報をどのように処理して、我々の様々な認識や行動に現れるのか、その仕組みをこの本は語ってくれます。
著者の研究では、人の脳の中には「人間らしさ」を生み出すための「知恵ブクロ記憶」があるとの仮説が立てられています。この「知恵ブクロ記憶」は、人が脳を形成するときから意識無意識に関わらず経験してきたすべての事物が記憶として蓄積されている、と考えています。
一方、脳は情報処理の過程で、2つの経路と3つのフィルターを利用しているといいます。
人は外部の情報を5感から得ます。得られた情報は、まず第1のフィルターによって2つの経路に分かれて流れます。それは、意識にあげるか、無意識下で処理するかの2つの経路です。無意識下で、情報は知覚にのぼることなく脳の扁桃体などに送られ、バイパスして即座に恐怖や驚きなどの反応を表出します。これは、ボトムアップのプロセスと呼ばれます。
バイパス情報とは別に脳に送られた情報は、この情報をどのように取り扱うかについて「知恵ブクロ記憶」に問い合わせ、脳内モデルに基づいたシミュレーションを行い、意識下における対応を予測します。例えば、よく効く薬といわれて飴をなめると病気が治ってしまう、というプラセボ効果もこのシミュレーション予測による反応と考えられます。
そして、氏は第3のフィルターがあるとの仮説を提示します。それは、生成された認知や感情をどのように表出するかをフィルターによって変えているといいます。それは、喜怒哀楽の表現も含みますが、このフィルターに個人差があるので、怒鳴る人もいれば、静かに怒る人もいる、ということになるのです。
(NHK「人体」シナプスとニューロン nhk-ondemannd)
こうしたプロセスは、それぞれの人の「知恵ブクロ記憶」が異なることから、フィルターのかけ方もすべての人間で異なることになるのです。しかし、このプロセスは人間の脳では共通に行われています。それは、物理的な電気信号による情報伝達によって行われているのです。
これを知ると、このプロセスから生まれている我々の「心」は、物理的な運動の積み重ねに過ぎないのだと感じます。我々は、あたりまえのように、「自分(自意識)」があると考えていますが、それはひとつの物理的な現象にしか過ぎないのではないかと思えてきます。
さらには、このブログでも何度かご紹介した生物学者の福岡伸一氏が語る「動的平衡」という言葉が登場します。我々の体を形作っている細胞は、常に死に絶えており、なおかつ生まれていて、すべての細胞が入れ替わるのに約2週間を要する、といいます。すると、我々は2週間に一度、別の人間に生まれ変わっていることになります。
例えば、朝起きたときに自分が眠る前の自分と同じ人間か、どうしてわかるのか、との命題を考えてみると、それは「脳」がそうした認識を生み出しているためにそう考えているだけで、もしかすると別の人間にすりかわっているのかもしれません。
そう考えると、我々の「心」とは、「脳」という器官が「動的平衡」により人を生かすために作り出した幻想に過ぎないのかもしれません。しかし、やっかいなことに、その幻想は、一人一人の「知恵ブクロ記憶」が異なる故に、すべての人が異なる個性を持っています。それがゆえに、分断が生まれ、争いが起き、殺人や自殺が起きるのです。
(福岡伸一著「動的平衡」 amazon.co.jp)
この本を読むと、いかに人の「脳」が我々に生きるための幻影を見せているのか考えさせられます。それは、あたかも、イスラエルの歴史学者ユヴァル・N・ハラリ氏が上梓した「サピエンス全史」で喝破した、サピエンスは虚構を生み出して、それを信じる能力によって地球上を席巻した、との指摘と響き合うような気がします。
「唯識」では、我々は机の上の「リンゴ」を見て、「リング」が当然存在すると考えるが、それは見る者の思い込みに過ぎない、といいます。我々個人も自分の「脳」により作りだされる「心(虚構)」に振り回されているのかもしれません。
皆さんもこの本で、「心」の本質を見つめてみてはどうでしょうか。「なやみ」は「脳」が生み出す信号であり、別の角度から見ればなやまなくてもすむことがあると気づくのではないでしょうか。
それでは皆さんお元気で、またお会いします。
〓今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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