坂本龍一 その音楽人生を語る本

こんばんは。

   季節は着実に春に近づいています。

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(散歩途上に見つけたモクレンも満開)

  今年開催されたミラノ・コルティナオリンピックは、冬季オリンピックのたびに味わうことができる感動を今回も我々に届けてくれました。今回、日本チームが獲得したメダルの数は冬季オリンピックで最高の24個となりました。

  今や日本のお家芸となったスノーボードの各種目はもちろんですが、スキーモーグル、スキージャンプ、フィギアスケート、スピードスケートと毎日、感動とともに過ごすことができました。

  フィギアスケートペアで、日本初の金メダルをつかみ取った、りくりゅうペアの演技。オリンピック直前の大会で骨折という大けがを負いながら6位入賞という奇跡の技を見せたスノーボードの平野歩夢選手には本当に大きな感動をもらいました。

  そんな中で、最も心に残ったのは日本が団体競技で見せた絆の強さでした。フィギアスケr-トの団体競技で見せた、坂本花織選手の明るさと演技、それまでの最高得点をたたき出した、りくりゅうペア。そして、最後の男子フィギアで渾身の演技を披露した佐藤駿選手。すべての選手がチームのために持てる力を100%発揮する姿は、人の持つ「共感する力」を改めて見せてくれる素晴らしい時間でした。

  加えて、スキージャンプ混合団体では、本大会でメダルを各位得した丸山希選手と二階堂蓮選手、前回北京オリンピックで金メダルを獲得した小林陵侑選手、そして、平昌オリンピックで銅メダルを獲得した高梨沙羅選手という最強のメンバーで挑み、みごとに銅メダルを手にしました。

  前回の北京オリンピックでは、高梨選手が特大ジャンプを飛びながら、スーツの規定違反で失格となり、メダルを逃した悔しい涙を流した姿が忘れられません。そのリベンジを見事に果たし、うれし涙を流す姿には心からの感動を覚えました。メダルが決まった瞬間、前回大会でともに戦った伊藤有希選手が高梨選手に駆け寄って「よく頑張ったね。」とともに涙を流す姿に、その絆の強さを感じました。

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(みごと銅メダル獲得! nikkei.comより)

  人を思う心が、持てる力の100%以上を発揮させる姿に人間の持つ「共感力」をみて、改めて人の持つパワーを感じた瞬間でした。

  今週からは、ミラノコルティナパラリンピックが開催されています。再び、アスリートたちの姿をみることができることを楽しみにしています。

  3月6日からはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕しました。今年も大谷翔平選手をはじめ、大リーグで活躍する日本選手たちが日本代表として参加しています。7日の予選、台湾戦では、大谷選手が打順一番で登場し、いきなりのツーベースヒット、さらには満塁ホームランを放ち、快勝しました。予選を全勝で通過したサムライジャパンの活躍がますます楽しみです。

  さて、日本が誇る音楽家でミュージシャンの坂本龍一さんが亡くなってから今月で、2年がたとうとしています。坂本さんは1952年生まれですので、享年71歳。そのラストイヤーは、NHKで特集が組まれ放送されたので、最後まで音楽を紡ぎ続けたその姿をご覧になった方も多いのではないかと思います。2012年にがんが見つかり、その後は療養生活と音楽活動を両立する日々でしたが、最後は静かに息を引き取られたようです。

  今月は、その坂本龍一さんが、自らの半生を語った本を読んでいました。

「音楽は自由にする」(坂本龍一著 新潮文庫 2023年)

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(文庫「音楽は自由にする」 amazon.co.jp)

【「KYLYN LIVE」の衝撃】

  坂本龍一と聞いて思い出すのは、数々の賞を受賞した「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」などの映画音楽、CMから大ヒットした「energy Flow」。はたまた、当時、一世を風靡したテクノポップの先駆け、YMOでの活躍かもしれません。

  世代によって、その印象は様々だと思います。

  私の中で最も強烈な印象は、1979年にリリースされたギタリスト渡辺香津美が結成したプロジェクト「KYLYN」のライブアルバムです。当時、アメリカではウェストコーストでギタリストのりー・リトナーがジェントル・ソウツ名義でフュージョンアルバム(当時はクロスオーバーと呼ばれていました。)を発表しており、そのアルバムを聞いた渡辺香津美は最先端の音として、自らもクロスオーバーを目指したいと、当時の新進気鋭のミュージシャンを集めて、「KYLYN」を立ち上げたのです。

  そのプロジェクトのメンバーは驚きで、シンセサイザーとキーボードは、坂本龍一、矢野顕子、益田幹夫、ベースが小原礼、ドラムスは村上“ポンタ”秀一と高橋幸宏、さらにホーンセッションは、トロンボーンが向井滋春、アルトサックスが本多俊之、テナーサックスが清水靖晃、さらにパーカッションはペッカーという布陣です。

  当時は全員がほぼ無名でしたが、その後すべての人が名をなしています。

  坂本龍一さんは、このプロジェクトで曲を4曲も提供しています。その中の「I‘ll be There」という曲は矢野顕子さんとの共作で、その後、このお二人は夫婦になります。

  とにかく、このLP2枚組のアルバムは、すべての曲でインプロビゼーションが繰り広げられ、香津美さんのギターと坂本さんのシンセサイザーが丁々発止のバトルを繰り広げます。マイルス・デイビスの「マイル・ストーン」をはじめとして、オープニングから最後の1曲まで、すべてのミュージシャンのテクニックと熱が渦巻いていて、感動なくして聞くことはできません。

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(名盤「KYLYNライブ」 amazon.co.jp)

  当時、聴いていた音楽はビートルズやモンキーズから発展し、エルトン・ジョン、クイーン、ディープ・パープル、レッド・ツエッペリン、イエス、EL&P、ピンク・フロイドなどのロック系の音楽でしたが、このアルバムを聞いてから、フュージョンとジャズへと嗜好が広がっていったのです。

  ちょうど、時を同じくして渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」やネイティブ・サンのアルバムが登場し、世はすっかりフュージョンブームへと傾いていたのです。

  今回ご紹介するこの本は、月刊誌「エジソン」という雑誌の編集長である鈴木正文氏が、坂本龍一さんにもちかけて、2007年の1月から27回にわたって連載されたインタビューが元になり、本にまとめられて上梓されました。

  2009年は、坂本龍一さんが57歳の時。前年に28歳から31歳まで活動を続け、世界中を驚かせたYMOの再結成ツアーが、ロンドンとスペインで行われた年でもありました。

  坂本龍一の名前を、衝撃を持って知った「KYLINライブ」の頃、彼はまだ東京芸術大学の大学院を卒業したばかりの頃だったのです。この本を読んでも、渡辺香津美の名前も「KYLYN」のことも一言も語られていませんでした。私にとってはひとつの事件だったのですが、音楽家、坂本龍一にとっては、多くの日雇い仕事のひとつだったようなのです。

【現代の音楽家の人生とは】

  坂本龍一氏は、晩年、環境問題や原子力発電廃止、平和や被災者への支援、絵画館前の銀杏並木の伐採反対など、様々な問題に意思を表明していました。

  東日本大震災で大きな傷を負ったピアノに対しての対応は、今でも忘れることができません。坂本さんは、震災支援で宮城県を訪れた際、農業高校で津波の被害に遭ったピアノに出会いました。もちろんピアノは鍵盤も戻らず、ピアノ線もさび付き、鍵盤で音楽を奏でることはできません。しかし、坂本さんはそのピアノで鳴らした音を自らのアルバムの1曲に使用したのです。

  それは、津波という自然の猛威が人の作ったピアノにもたらした「音」をそこに見た、それを感じることでした。坂本さんは、そのピアノを壊れた状態のまま、作品として展示することにしました。自然と音。そのコンセプトから、「津波ピアノ」を地震計と連動させ、地震の震動にピアノが反応して被害を受けたままで音を奏でることにしました。

  2017年、この作品は公開され、NHKでは特集番組が放映されました。

  この本で語られるのは、2009年までの坂本さんの歩みですが、初めての記憶となる「自由学園」系幼稚園でのピアノとの出会いから、学生運動に身を投じた高校、大学時代、どこかに属して職業を持つことへの違和感から求められるがままに音楽に携わった大学院時代、前半では、知られざる坂本龍一の生い立ちが語られていきます。

  とても興味深かったのは、ずっとクラシック音楽を学び、中学時代には「自分はドビッシーの生れ変わり」だと信じていた青年が、東京芸術大学音楽部作曲科で最先端のクラシック音楽を学び、放浪する中で、日本のポピュラーミュージックの世界へと引き込まれていく語りでした。

  坂本さんは、大学院生時代に新宿から中央線沿線で様々なミュージシャンと出会い、ライブに参加してピアノを弾いていたそうですが、その中で人脈が広がっていきました。意外だったのは、山下達郎さんとの出会いです。山下さんが「Ride on Time」でブレークするのは1980年ですので、この頃の達郎は、まだ、シュガーベイブが解散して、ソロデビューの頃だと思います。

  山下さんのバックミュージシャンの仕事もしており、日比谷の野外音楽堂に行ったとき、数千人もの人々がJ-POPのライブに押し寄せているのを見ていて、「日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる。それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーション作っていける、こっちの音楽のほうがよい。」と感じたといいます。

  さらに、山下達郎さんや細野晴臣さんと音楽の話をしていると、自分がこれまで学んできた和声やハーモニーの音楽理論と変わらない知識や技術を持っていて、話していても何の違和感もなく音楽の話ができると感じた、といいます。こうして、細野晴臣さんと知り合って仕事をこなしていく中で、細野さんから、新しいバンドの構想を持ちかけられます。このとき、もう一人のメンバー高橋幸宏さんとはすでに仲良しだったそうです。

  こうして、YMOが産声をあげるのです。

  坂本さんは、当時、「不遜でとんがっていた」と自ら語っていて、細野さんにYMIOに誘われたときにも「個人の仕事が忙しいので、そっちを優先しますけど、まあ時間のあるときにはやりますよ。」と答えたそうです。細野さんは、「まあ、それでもいいから。」と自らやりたいバンドのために大人の対応をしたわけです。

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(YMOの名作「Solid State Survivor」 amazon.co.jp)

  YMOのお話は、ぜひ本書で読んでいただくとして、YMOが一時休止していた1982年、映画監督の大島渚さんから一本の電話があったそうです。それが、映画「戦場のメリ-クリスマス」への出演依頼だったのです。はじめて、事務所で会ったときの話は読みどころです。どうして、これまでやったこともない演技と映画音楽に手を染めることになったのか。あの名曲はどのように生まれたのか。

  「戦場のメリークリスマス」は、カンヌ映画祭に出品されます。坂本さんもカンヌ映画祭に出席するため桓武に行くわけですが、会場で映画好きの坂本さんが敬愛するベルナルド・ベルトルッチ監督に出会います。監督は、ラストエンペラーの構想を蕩々と話し、中国当局との調整の苦労話など、延々1時間近く話していたそうです。

  そして、その3年後、坂本龍一さんは「ラストエンペラー」の撮影に向かうことになるのです。

  この本には、坂本龍一さんがどのように自らの仕事に対峙して行ったのか、また人生にどのように向かっていったのかが語られています。凡人から見れば驚きの人生なのですが、人生を生きる、という意味では、すべての人に共通しています。この本は、読み物として面白いと同時に、人生と対峙するための参考書にもなります。

  皆さんも、ぜひ一度読んでみてください。生きることに前向きになれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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