延江浩 昭和100年を駆け抜けた男

こんばんは。

  今年も新緑が鮮やかな5月がやってきました。ゴールデンウィークも終わりですが、皆さんは楽しい日々を過ごすことができたでしょうか。

  皆さんはオランダにあるキューケンホフ公園をご存じでしょうか。

  この公園はアムステルダムから約30kmの距離にあり、バスやタクシーで行くことができますが、別名「ヨーロッパの公園」とも呼ばれており、32ヘクタール(東京ドーム約7個分)の敷地に数え切れないほどの数の広い花壇に、色とりどりの花が咲き誇っているのです。

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(オランダ キューヘンホフ公園 2026.04.)

  4月の中旬。連れ合いと一緒にベネルクス3国+ドイツに9日間のツアーで行ってきました。

  キューケンホフ公園はこの旅行の目的の一つで、ツアーでは4時間、園内での自由時間がありました。公園内は、ヨーロッパ式の庭園となっており、いくつもの池と緑、そして花々が絶妙のバランスで配置されており、どこを歩いても花々の姿に癒やされます。

  公園は満開の花々を満喫するために、3月の中旬から5月の中旬までしか開園していません。そのため、今回の旅行は4月に計画しました。公園には世界中の人々が癒やしを求めて訪れており、その美しさに癒やされ、すべての人々が幸せそうでした。オランダに行き機会のある方でまだ行ったことがない、という方には是非足を運んでもらいたい阿すすめスポットです。

  中央には巨大な温室があり、そこでは800種類のチュ-リップを見ることができ、「これもチューリップなの?」と驚くような色や形の花々を楽しむことができました。

  今回の旅行は、見所満載で、美術館としては「クレラー・ミュラー美術館」、「オランダ国立美術館」、「マウリッツハイス美術館」を巡り、アムステルダム、ヒートホールン、ブルージュでは運河クルーズで町並みや歴史を味わい、ライン川下りではローレライや数々の川岸のお城を楽しみました。さらに、建造物では、ケルン大聖堂、アントワープのノートルダム大聖堂(「フランダースの犬」のラストシーンで有名)に感動しました。

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(オランダ国立美術館 修復中の「夜警」)

  語り出すと、数週間はかかってしまうので本の話に移りましょう。

  今年は、日本で初めてラジオ放送が始まってから100年になるとのことで、初めてのラジオ放送を行ったNHKでは、サザンのテーマ曲を始めとして、様々な特集番組を組んでその歴史を紐解いてくれています。我々は、テレビの華々しさに目を奪われがちですが、ラジオにも様々な場面で魅了されてきました。

  今週は、音楽好きな友人が紹介してくれた「ミスターFM」と呼ばれた人物を描いたノンフィクションを読んでいました。

「反骨魂-後藤亘『ミスターFM』と呼ばれた男」

(延江浩著 文芸春秋社 2025年)

【ラジオといえば青春です】

  この本は、あの「FM東京」が、前身の「FM東海」として実験放送を始めた1958年から2年後、その草分けの時代に入社し、以来FM放送の発展に人生をかけた後藤亘氏の人生を描いた評伝です。ちなみに、氏は、今もFM東京と東京MXTVの名誉相談役を務めておられます。

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(延江浩「反骨魂」 amazon.co.jp)

  さて、ラジオといえば、昭和の時代を思い出します。

  昭和40年代、テレビがお茶の間の主役となり始めた頃、思春期を迎えた子供たちの話し相手となっていたのはラジオでした。特にAM放送では、思春期の子供たちに圧倒的な人気を誇っていたのは深夜放送でした。

  当時は中学生でしたが、布団の中にトランジスタラジオを持ち込んでイアホンで毎晩深夜放送を聞いていました。当時、どの局でも看板パーソナリティーがいて、青春まっただ中の悩める若者に寄り添うような笑いと共感を生み出していたのです。文化放送は「セイ・ヤング」、日本放送は「オールナイトニッポン」、TBSラジオは「パック・イン・ミュージック」、これらの番組は忘れることができません。

  「セイ・ヤング」では、土井まさるや落合恵子。「オールナイトニッポン」では、糸居五郎、亀渕昭信、斉藤安弘、「パック・イン・ミュージック」では、愛川欽也、野沢那智と白石冬美の「ナチチャコパック」や林義雄などなど、どの局を回しても若者たちからのたくさんのはがきを土台に、若者たちに共感する語りが我々の心をつかみました。

  なんといっても面白かったのは、「ナッチャコパック」です。

  「ナッチャコパック」の「お題拝借」のコーナーは、毎週お題に合わせてリスナーが実際にあった話を面白おかしく手紙に記して投書し、その手紙を野沢那智さんが、あの美声と役者的演出で読み上げ、そこに白石冬美さんが少々天然なボケを入れる、という流れで進行していきます。その内容が毎週爆笑もので、翌日学校に行くとその話題でもちきり、ということになります。

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(単行本「パック・イン・ミュージック」amazon.co.jp)

  お題は忘れましたが、ある放送では、高校生が「どれくらいの間、髪の毛を洗わずに世間にバレずにいられるか。」をレポートする形で読まれていました。日々、学校での自分と友人たちの姿を描写する情景が文面を彩り、声優のプロ、野沢那智さんが臨場感満載で読んでくれるのです。

  数週間経過したある日、体育の時間に教室で着替えているときに隣で着替えていた友人が、怪訝な顔をしてこちらを見ています。「さては、ついにバレタか」とヒヤヒヤしていると、友人がこちらの頭に鼻を近づけて、クンクンと匂いを嗅いでくるではありませんか。思わず、「これで終わりか」と冷や汗が流れます。すると、友人がひとこと、「おまえ、変わった匂いのするトニックつけてるなぁ。」。「やった!」、ホッと胸をなで下ろします。

  間一髪、洗わずの髪の記録は伸び続けました。

  布団の中で聞いていた私は、野沢那智さんの緊迫の語りと白石冬美さんの可憐なボケに爆笑してしまいました。翌日、友人たちと笑い合ったは言うまでもありません。

  ナッチャコパックでは、必ず番組最後に若者たちが自らの悩みを語った手紙が読まれます。それは、難病にかかった若者の心情や差別や偏見に苦しむ若者、厳しい境遇に苦しむ人々などなど、社会の矛盾に悩む人々の訴えです。

  その手紙への野沢那智さんのコメントにかぶせて、レイモン・ルフェーブル楽団の「シバの女王」が流れはじめます。不条理に悩む若者の心情を感じながら番組が終了していきます。

  ラジオは、まさに青春そのものでした。

【FMにも青春が詰まっています】

  青春時代、ラジオはAM放送のみならずFM放送にもたくさんの想い出があります。

  中学生時代、最もはまっていたのは洋楽ポップスでした。小学生時代には、姉の影響でモンキーズやビートルズにはまっていましたが、そこから、ビージーズやカーペンターズ、ギルバート・オサリバン、CCRなどの洋楽が大好きでした。そこには、フランソワーズ・アルディやダニエル・ビタル、ミッシェル・ポルナレフ、シルヴィ・バルタンなどのヨーロッパ発の素晴らしい歌手もいて、彼らの歌唱にも心を奪われました。

  当時、洋楽の情報は手に入る場所がなく、必ず聞いていたのがFM東京、土曜日の1400から流れていた「ダイヤトーン・ポップスベストテン」という洋楽のヒットチャートを紹介してくれる番組でした。当時は、ちょうどカセットラジオが発売されたところで、新しもの好きの父親が買ってきたラジカセで録音していたのを覚えています。

  FMは、周波数の変調を利用した電波を使用しており、電波の届く距離は短いのですが、伝送容量が大きいため音質がよく、ステレオ放送も可能です。つまり、FM放送は、高音質の音楽や副音声が必要な教育放送などの利用に向いており、そこに特徴があるのです。

  以前にも書きましたが、父親は大のクラシックファンで、当時家にはコンポーネントステレオがあり、チューナーはトリオ、アンプはサンスイ、プレーヤーはデンオン、オープンリールテープレコーダーはティアック、スピーカーはダイヤトーンと、クラシック音楽を聴くためのステレオセットが備えられていました。

  父親は、この装置を使って、クラシックの名演奏をほとんど毎日録音していました。その音源は、すべてFM東京とNHKFMでした。そのおかげで、私もFM放送のエアチェックは早くから得意で、NHKFMでは、「サウンド・オブ・ポップス」という夜の番組をよく録音していました。当時は、ブリティッシュロック全盛期で、レッド・ツエッペリンの当時の新譜「プイレゼンス」はこの番組のエアチェックで録音し、テープがすり切れるほど聞き込みました。

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(Led Zeppelin 「Presence」 amazon.co.jp)

  そんなFM放送ですが、FM東京の看板番組といえば「ジェットストリーム」です。

  この番組は、夜間のジェットフライトで音楽を聞きながら安らかな眠りに誘われていく、とのコンセプトに基づいて、平日の深夜000から1時間の番組です。その歴史は古く、最初の放送は、FM東京がまだ前身のFM東海だった時代、1967年の74日から現在まで続いている長寿番組です。その放送は、22000回を超えるというから驚きです。

  この番組の機長で、ナビゲターは永く城達也さんが務めていました。声優としてはゲイリー・クーパーやグレゴリー・ペックの声を担当し、その甘く渋い声はナイトフライトの機長にうってつけでした。城達也さんは1998年に惜しくも亡くなりましたが、亡くなる3ヶ月前までこの番組の機長を務めていました。その年数は27年にも及んでいます。

  心がざわついている夜には、この番組を聴きながら心を落ち着けて眠りにつくことができる、希有な番組でした。そして、この番組を企画し、スタートさせたのが、この本の主役である後藤亘、その人なのです。そのいきさつは、この本に詳しく語られています。

【ミスターFMと呼ばれた男】

  後藤亘氏は、1933年(昭和8年)生まれです。今年94歳。この本の題名にもなっている「反骨魂」は、永年同じ職場で切磋琢磨した著者が氏を体現する言葉として選んだ言葉です。氏の出身は、江戸から明治への転換期に、最後の幕府軍として明治政府軍(薩摩長州藩)と戦って殲滅された会津二本松藩である福島県です。

  私の今は亡き義理の母も昭和一桁ですが、日中戦争、太平洋戦争の戦前戦後を体験した世代の方々には、我々には想像できないような艱難辛苦と思想変換を経験してきた忍耐力とおおらかさがあります。さらに福島出身である気骨が備わっているのであれば、「反骨魂」は氏の人生を表す言葉としてうってつけなのではないでしょうか。

  この本には、後藤さんが駆け抜けてきたFMの世界と昭和の世界が余すことなく語られています。実験放送から始まったFM東海が本放送に乗り出そうとした1967年、事件が起こります。当時の郵政省が、突然本放送のへの認可更新を拒否してきたのです。昭和の政治家は、自らの許認可権を振りかざし、民間企業にとてつもない嫌がらせをしていたのです。まさに、「人民は弱し、官吏は強し」(星新一著のノンフィクションです。)

  FM放送の未来はどうなってしまうのか。その結末は、ぜひこの本で確かめてください。経営者の器を知る、思いもかけない結末が皆さんを待っています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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