ノンフィクション一覧

やっぱり我々は宇宙からできている

こんばんは。


  今、宇宙船を利用した宇宙の探求が次々に広がっています。


  皆さんは、「宇宙」と聴いて何を思うでしょうか。今日はワンダーの宝庫、宇宙の話にお付き合いください。


【「宇宙」へのロマンを語りましょう。】


  我々の世代で「宇宙」といって思い浮かぶのは、何と言ってもアメリカのアポロ計画です。


  しかし、宇宙開発競争ではじめに一歩抜きに出たのは、旧ソビエト連邦でした。この世界はじめて、宇宙の軌道に衛星を送り込んだのは1957年に打ち上げられたソ連の衛星スプートニク1号です。旧ソ連は同じ年にメスのワンちゃん、ライカを乗せたスプートニク2号を打ち上げ、宇宙に初めて地球の生命を送り込みました。


utyuude02.jpg

(宇宙旅行犬ライカ記念切手  wikiwand.com)


  当時は、アメリカと旧ソビエトの間で、民主主義の共産主義の熾烈な冷戦が繰り広げられており、宇宙開発競争もこの冷戦の一部となっていました。アメリカも時を同じくして、衛星を宇宙に送り込むのですが、エクスプローラー1号の成功も後塵を拝した形となりました。


  さらに旧ソ連は、有人宇宙飛行となるボストーク号の打ち上げを計画。1961年には、ボストーク1号が打ち上げられ、ユーリイ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行者となりました。かの有名な「地球は青かった。」との言葉は、この時に発せられたものです。その後も、ボストークは二人による有人飛行やワレンチナ・テレシコワによる初の女性宇宙飛行など、次々と成果を上げていったのです。


  しかし、アメリカも旧ソ連の成功に指をくわえていたわけではありません。


  1961年、当時のケネディ大統領は、連邦議会での演説で10年以内にアメリカは月に人類を送り込むことを発表します。これこそが人類の宇宙への夢を花開かせることになったアポロ計画です。アポロ計画ははじめ、単なる月軌道に衛星を乗せ探査する月探査計画でしたが、ケネディ大統領の決断によって、月への有人探査計画へと変貌したのです。


  こうして、1969712日、アポロ11号の船長であったニール・アームストロングは人類として初めて鉄面に降り立ちました。「一人の人にとっては小さな一歩だが、人類のとっては飛躍の一歩だ。」との言葉はその後長く語り継がれることになったのです。続くアポロ12号によって持ち帰られた月の石は、1970年に大阪で開かれた万国博覧会のアメリカ館で展示され、多くの日本人が月の石を間近に目にすることとなりました。


  確かに人類が宇宙に飛び出してその活動を広げることには大きなロマンがありますが、宇宙の魅力やロマンはなにも宇宙旅行だけにあるわけではありません。


【はやぶさの快挙とかぐやの活躍】


  このブログを始めた時に話題となっていたのは、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の偉業でした。


  「はやぶさ」は、200359日に鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられました。その目的は30億km離れた小惑星「イトカワ」です。この探査機は、少ない予算ながら日本の英知を結集した技術とロマンに溢れた素晴らしい衛星でした。


  当時、世界の宇宙技術は大きく発展しており、アメリカや旧ソ連によって太陽系の惑星に探査機が着陸し、多くの研究成果がもたらされていました。そんな中で、日本が世界初、世界一を目標に立案されたのが「はやぶさ」プロジェクトだったのです。


  詳しくは、過去のブログを見ていただければ幸いですが、「小惑星探索」、「サンプルリターン」、「イオンエンジン」、「スウィングバイ」、「タッチダウン」と、当時の世界ではどれもが日本独自の技術が結集したオリジナルな計画でした。


  この「はやぶさ」計画が我々に感動を与えてくれたのは、そのプロジェクトに降りかかった様々な困難と、それを乗り越えて計画を成功に導いたJAXA(当初はISAS)のプロジェクトメンバーたちの並々ならぬ愛情とオペレーションでした。当初、2007年の帰還を計画した「はやぶさ」が実際に地球にたどり着いたのは、2010年の613日です。この時の感動は、小学生のときに見ていたアームストロング船長の月世界への第一歩をみたときの感動に勝るとも劣らない劇的なものだったのです。


  20051124日、はやぶさは、世界で初めて小惑星イトカワへのタッチダウンを成功させました。しかし、ここまでの段階で、すでに多くの苦難を乗り越えていたのです。太陽放射線による太陽光パネルの損傷破損、イオンエンジン用の燃料の流出、姿勢制噴射装置の故障など、様々な苦難を乗り越えてはやぶさは、地球への危難の途に着きました。ところが、その後、はやぶさはその消息を絶ってしまったのです。


utyuude03.jpg
(はやぶさCG画 wikipedia)

  管制官が再び微弱なはやぶさの通信電波をとらえたのは、年が明けた2006年の123日のことでした。通信の復旧により判明したのは、満身創痍の「はやぶさ」の姿です。燃料もなく、噴射装置も故障したはやぶさをどのようにして帰還させるのか。そこには、イトカワで採集した微量ではあれど貴重な粒子が格納されているのです。プロジェクトは、地球への帰還を20106月に再計画し、ここから苦難のオペレーションが開始されました。


  「失敗は成功の母」と言われますが、「失敗」の原因を特定・解析し、それを次につなげるプロセスがなければ、失敗は成功を生み出すことはできません。「はやぶさ」の苦難は次世代機、「はやぶさ2」計画へと引き継がれたのです。「はやぶさ」からの数々の教訓を改善した「はやぶさ2」は、みごとそのミッションを成功させ、昨年の123日に無事カプセル回収に至ったことは皆さんご存知の通りです。はやぶさ2は現在2031年に小惑星1998KY26を間近で観測するため再び太陽系を旅しています。


  ところで、宇宙好きの皆さんは、NHKBSプレミアムで毎週木曜日の夜10:00に放送されている「コズミックフロント」という番組をご存じだと思います。宇宙にかかわる最新の情報をドキュメンタリーとして語ってくれるこの番組は、ときどき驚くようなワンダーを我々に提供してくれます。


  先週放送された「8億年前の地球大異変 月が教えてくれたこと」は、最新科学のワンダーを我々に教えてくれる面白い番組でした。


【数々の研究が交わるところに成果がある】


  この番組は、昨年大阪大学の寺田健太郎教授のチームが発表した驚くべき仮説に焦点を当てて、その仮説がどのように形作られたのかをさぐるドキュメンタリーです。


  そのワンダーな仮設とは、8億年前の月と地球に、40兆トンを超える量の隕石が降り注いだとする驚きの研究なのです。40兆トンというと、富士山がまるまる40個納まるほどの量になるのです。


  地球に落ちた隕石としては、6550万年前に地球に落ちた隕石が当時地球に謳歌していた恐竜たちを絶滅させたとの話を思い出しますが、8億年前に地球を襲った隕石群は、その数十倍にもなるというのには驚きました。


utyuude06.jpg

(月を襲う幾多の隕石群 hotozaro.com)


  この仮説はいったいどのように導き出されたのか。


  事の発端は、日本の月探査衛星「かぐや」がもたらした超高精細映像でした。そこに映った月のクレーターは緻密で詳細な図形や組成を映し出していたのです。寺田教授はこれまでも月の酸素の研究など、月を研究対象としてきましたが、月のクレーターはどのように創られてきたのかに興味を持ったのです。月のクレーターの研究では、今回の論文の共同研究者でもある東京大学の諸星准教授が以前からクレーターの形成年代の研究を行っていました。


  月の模様は、日本ではお餅を搗くうさぎに見立てられてきましたが、その図形を織りなしているのがクレーターと色の異なる平らな土地です。平らな土地は、月の火山活動によって噴火した溶岩がクレーターを覆って平らになった場所なのです。クレーターの研究は、周辺の大地がいつどのように蘇生されたかを調査することにより、稠密な観察と計算から導くことができるというのです。


  寺田教授は、この研究を知り諸星さんから直径20m以上のクレーター59基の年代測定データの提供を受け、その生成時期を分析しました。すると、そのクレーターのうちの多くが6.6億年前にできたものだということが分かりました。さらに、元のデータの前提条件を補正してみると、なんと8基(モデルによっては17基)ものクレーターが同じ8億年前の隕石落下によってできたものであるとの結論が導き出されたのです。


  月のクレーター年代測定では、月の石による年代の測定も行われています。初の人類月面着陸を果たしたアポロ11号に続くアポロ12号は、嵐の海に着陸し、大クレーターコペルニクスから飛び散った岩石の採取に成功しました。そして、その測定からコペルニクスを作った隕石の落下は8億年前であったことが判明しました。


utyuude07.jpg

(月でお餅を搗くうさぎ  weathernews.jp)


  さらに、アメリカではやぶさ2と時を同じくして小惑星からのサンプルリターン計画のける探査機「オシリス・レックス」によって小惑星ベンヌの石が採取されていますが、このチームの研究者は小惑星帯はいくつかの属性に分かれており、リュウグウやベンヌはオイラリア族と呼ばれる小惑星帯に属していると考えていますが、このオイラリア小惑星帯が創られた星の爆発が起きたのが8億年前である、との仮説が発表されています。


  こうして、8億年前に何らかの理由により、大量の隕石が月、そして我々の地球に降り注いだ、との仮説が導き出されたのです。


【生命の爆発的進化】


  地球上で最初の生命はどのように生まれたのか。


  この謎には、2つの仮説が唱えられています。ひとつは、地球上にある物質がとある環境下で命に変化したというもの。もう1つは、生命の素となる物質が宇宙から隕石で地球に運ばれて生命が生まれたとする説です。この謎には、過去から様々な科学者が地球環境の再現による生命の誕生実験を繰り返してきましたが、環境実験によって生物が生まれることは確認されていません。そこから、現在は生命外来説が有力な説とされています。


  そして、生命の謎の一つに、生命の爆発的な進化がなぜ起きたのかとの疑問があります。爆発的進化として最も有名なものは、54000万年前のカンブリア紀に起きた進化の大爆発です。このとき動物は陸上に進出しておらず、海の中で様々な種類の生物が生まれたのです。三葉虫やアンモナイトなど我々が知る古代生物はこの時代に進化したと言われています。


utyuude08.jpg

(カンブリア紀生物アノマロカリス blast.jp)


  また、生命38億年の歴史では、生命は何度も絶滅の危機を経験していると言います。例えば、少なくとも三度起きたと言われる地球全凍結では、海中2000mまでが氷結しほとんどの生命は絶滅したと考えられています。また、25100万年前には「海洋無酸素事変」が起こり、海中の生物のうち96%の種が絶滅したと言われています。


  もしも8億年前に大量の隕石が地球に飛来したとするなら、我々生命に対しても大きな影響があったはずです。これまでの生命の記録は、地質考古学による地層の化石や成分分析によって明らかになったものです。今のところ、8億年前の地層に生命絶滅の記録は発見されていません。


  しかし、7億年前の地球全凍結直前、海中でリンの濃度が通常の4倍に高まったという研究があります。リンは酸素濃度に大きく影響する物質で、リンの濃度は進化爆発に影響するというのです。そして、隕石の大量落下によって降り注いだリンの量は、当時の海中に存在したリンの10倍程度だったと考えられているのです。


  果たして、8億年前に月と地球に大量の隕石が飛来したとの事実はあったのでしょうか。そして、そのことにより我々生命は大きく進化したのでしょうか。


  この世界と宇宙は、ワンダーに満ち溢れています。


  皆さんも、この番組で宇宙のロマンに浸ってみてはいかがでしょうか。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。





朝日新聞が描くプーチン像とは?

こんばんは。

  アメリカにトランプ大統領が登場してから、国際社会は殺伐とした状況を呈しています。

  トランプ大統領の登場が世界に対立の構図を導き出しているのか、世界の煮詰まった状況がトランプ大統領を生み出したのかは、ニワトリが先か卵が先か、との議論と同様となりますが、世界の保守化、右傾化、独裁化は、相当に危機的な状態を生み出しています。アメリカとロシア、トルコやイラン、ベネゼイラや北朝鮮、そして韓国、中国、とリーダーが強い権力を手にして「独裁」に近いパワーを行使していることが、世界を軋轢と格差の世界へと導いています。

  第二次世界大戦によってこの地球、そして人類は大きな痛手を蒙りました。もちろん、アジアで侵略行為を行い、武力で帝国主義を敷衍しようとした日本は、その過ちを二度と繰り返すことのないように国際連合のルールや国際法を順守して平和国家を貫かならなければなりません。それは必要なことですが、世界の独善は日本を置きざりにして、どんどん深みに沈んでいきます。

  イランや中国VSアメリカ、ヨーロッパ連合(EU)VSイギリス、NATO諸国VSロシア、イランVSサウジアラビア、ウクライナVSロシア、日本VS韓国。どの対立も、お互いが自らの正当性を前面に押し出して、一歩も譲ろうとしません。特にアメリカのトランプ大統領は、オバマ前大統領が8年間で成し遂げてきた「平和」や「格差是正」、「自由と平等」への変革政策をことごとく否定しています。国内政策は独断と偏見に満ちており、すべての判断基準が自らの支持層が喜ぶか否かを中心として、成果を上げる取引(ディール)のために働いているとしか思えません。

  国際社会においてもその姿勢は変わらず、オバマ前大統領が交わした協定や条約を次々に否定しています。最も恐るべき破棄は、ロシアとの間で結ばれた中距離核兵器廃棄条約からの離脱を表明したことであり、さらにはイランの核保有を制限するために結ばれたイラン核合意からも離脱すると言う、世界を震撼させるような決断を下したのです。

プーチン01..jpg

(核兵器廃棄条約破棄を語る asahi.com)

  国際法から言えば、条約や協定は国と国の約束であり、政権が変わったとしても国家が存続する限りその約束には拘束力があります。基本的には、相手との合意がなければ、離脱、破棄は行わないことがルールとなっています。しかし、国際社会とはそれぞれの国家の意志と主権が基本となっており、一国の判断を強制力を持ってやめさせることはできません。従ってトランプ大統領が行う意思表示は、アメリカの意思表示としては有効となってしまうわけです。

  こうした国際的な規範を飛び越えた意思表示は、韓国のムン大統領もトランプ大統領と同様に行っています。韓国では、政権が変わるたびに前政権を犯罪者扱いして落としめすことが通例になっています。そうした意味では、国内では前政権をすべて否定して新たな政策を行うことで国政が一新されます。しかし、どんな政権であっても、前政権が国際社会で行った約束は継続して守らなければなりません。過去、互いの国の政治家たちが両国の未来のために必死に考えて締結した約束を、様々な理屈をつけて無視することは国際的には許されません。

  国と国の信頼関係は、政権を超えて約束を守ることで築かれていきます。

  ところが、韓国のムン政権は1965年に両国で結ばれた「韓国と(日本)の請求権・経済協力協定」を無視しています。この協定は、過去からの様々な歴史的な課題を互いが認識し、歴史認識問題や竹島の領有権問題をあえて棚上げにして、互いの国の発展のために合意した協定です。さらに、パク前大統領は、慰安婦支援財団を日本の支援金で立ち上げ、日韓慰安婦問題を解決することに合意しましたが、ムン政権はこの合意もその効力を認めず、なんと財団の解散という国際社会では考えられない無謀な政策を実行しました。

  世界の国々は、韓国と日本の個別の問題については国際的な外交ルールからコメントを行わず、静観する姿勢を貫いています。

  日本は、国際社会においては国際連合のスキームを尊重するいわいる大人で優等生を貫いています。一度結ばれた協定は2国間では有効であるとの原則に基づき、韓国が元徴用工の問題で日本企業に賠償を請求し、その資産を差し押さえる判決が出ても、日本は、協定に基づいて二国間協議を要請。これを韓国が無視すると、さらに協定に基づいて、第三国の委員を含む仲裁委員会の設置を申し入れました。

プーチン02.jpg

(日本をひたすら非難するムン大統領 sannkei.com)

  韓国は、こうした国際協定に基づいた要請をことごとく無視したにもかかわらず、日本が韓国を貿易「ホワイト国」からはずすと発表したとたん、「両国間の協議」を申し入れてきました。その国際法的に非常識な振る舞いは、国際的な規範をないがしろにする暴挙と言っても良い行動です。日本と韓国の不幸な過去に対する認識の違いはそれとして、少なくともルールに対しては何らかの答えを発信するべきです。都合の悪いことは無視して、都合の良い時には相手の不作為を非難する、これほど品位のない行動は、まるで19世紀の帝国主義時代の振る舞いです。

  国も人も、まず誠実な態度がなければ信頼を築くことができません。過去の約束に対して、韓国がすべて無視し続けるとすれば、韓国と日本の間では何も生み出すことが出来なくなるに違いありません。公式には無理でも、民間ベースでは水面下でお互いの肯首ができないものでしょうか。我々は草の根の国民として、それを求めています。

  さて、今の国際社会ではあまりに身勝手ばかりがまかり通っているので、思わず話が長くなってしまいました。しばらく、仕事が忙しくなってブログが更新できませんでしたが、まずは先週読んだ本をご紹介します。

「プーチンの実像 孤高の『皇帝』の知られざる真実」

2019年 朝日新聞国際報道部著 朝日文庫)

  この本の題名は大向こうをうなされる大袈裟なものですが、プーチンをして「孤高の『皇帝』」と呼ぶことはとても的を射たものと思えます。

  2018年318日。この日、ウラジミール・プーチン氏は第4代のロシア大統領を選ぶ選挙でなんと76%という驚異の得票率を獲得して当選しました。2012年の就任から第二期目の大統領を担うこととなり、その任期は2024年までとなります。2000年にロシア共和国の大統領に就任したプーチン氏は、3選を禁止する憲法の規定により2008年に大統領をメドヴェージェフ氏に譲ります。しかし、氏は目処ヴェージェフ大統領から首相の指名を受けると、影の大統領としてロシアに君臨しました。

  つまり、プーチン氏は2000年から実質24年間ロシアの国に君臨することになるわけです。

プーチン03.jpg

(朝日文庫「プーチンの実像」 amazon.co.jp)

【プーチン氏は「皇帝」なのか】

  私のプーチン氏の印象は、長い間諜報機関KGBと不可分の一体でした。KGBは、泣く子も黙る旧ソ連の諜報機関で、アメリカのCIAと熾烈な諜報戦を繰り広げたことで有名です。その国家の存続までを懸けたインテリジェンスは、フリーマントルの小説に描かれたように手に汗を握る物語です。その裏の裏までを見抜いたヒューミントや非合法な手段による拉致や洗脳、さらには暗殺など、それは人間の体力と知能の究極曲を求める世界です。

  そのKGB出身のウラジミール・プーチン。得意の柔道も含めて、まるでスーパーマンのような印象でした。さらに2012年に大統領に再登板した後には、チェチェン問題やウクライナ問題で、メディアに対して徹底的な統制を強めたこともその神秘的な恐ろしさに拍車をかけていたのです。

  そうしてこの本の「実像」というワードに惹かれて、この本を手に取ったのです。

  この本は2015年にプーチン大統領が安倍総理大臣の求めに応じて、安倍さんの故郷である山口県の長門市を訪問するにあたって、朝日新聞紙上に連載された特集記事が基本になっています。ジャーナル(新聞記事)の特徴は即時性にあります。そうした意味で、この本はジャーナリスティックな記事としては古いものとなります。しかし、改めてノンフィクションとして上梓されたこの本には、ジャーナルを超えた普遍的な価値を持つ記述が数多く記されています。特に、プーチン氏を良く知る人々との多くのインタビューは、プーチン氏がリーダーとして国際社会に登場してから今日までの彼を様々な視点から描き出すことに成功しています。

  「知られざる」との言葉は少々大袈裟と感じますが、この本は現在ロシアの「皇帝」にも見えるプーチン氏の実像に、確かに近づいているように思えます。

【ウラジミール・プーチンの登場】

  この本は、全体を4つのテーマに分けています。

  第一部、第二部は、KGB職員からソビエト連邦崩壊を経て、エリツィン大統領の後を受けて新生ロシア共和国の大統領となるまでの経歴を、当時、周辺にいて彼を良く知る人々へのインタビューによって語っていくとの構成を取っています。さらに第三部は、大統領、首相としてロシアのステイタスをどのように高めてきたのかをコソボ、チェチェン、ウクライナの問題を軸に語っていきます。そこには、大統領に就任してからの理想と現実とのかい離の間でロシアのステイタスを高める道を選択したプーチン氏の姿が語られていきます。

プーチン04.jpg

(平和条約締結の難しさを語る会見 mainichi.com)

  まず、意外であったのは「KGB」職員としてのプーチン氏の姿です。彼は、我々がイメージする諜報機関のインテリジェンスオフィサーではなく、どちらかと言えば有能な事務職員であったという事実です。もちろん、彼は少年時代からKGBに憧れて、その夢を実現したという意味で、KGBの中枢を担うべき人材であったのですが、ソビエト連邦のKGBに対しては様々な疑問を持っていた、というのです。

  そして、1989119日、歴史に残る「ベルリンの壁崩壊」が起こりました。

  崩壊の直接の引き金は、子の日東ドイツ政府が発表した西ドイツと東ドイツの旅行の自由化です。この発表に反応した群衆が、ベルリンの壁を破壊し、東ドイツの市民たちが東ドイツ政府の各機関に自由を求めて押し寄せることになったのです。東ドイツには、悪名高き秘密警察のシュタージがありました。125日、自由を求めてドイツ統一をめざす群衆がドレスデンのシュタージ支部を襲いました。

  このとき、プーチン氏はドレスデンのKGB支局に勤務していました。群衆はシュタージ支局に押し寄せた後、隣の敷地にあるKGB支局に迫ります。支局は極秘文書で満ち溢れています。その時に建物から群衆の前に現れたのが将校の制服に身を包んだプーチン氏だったのです。彼は、興奮する群衆を前にして静かにしかし毅然とした態度で彼らを説得しました。「ここに侵入することは断念しろ。武装した同僚にここを守るように指示した。もう一度言う、立ち去れ。」そこから放たれたオーラに熱気に満ちた群衆も冷静さを取り戻し、そこを去っていったと言います。

  この本の第1章は、このときに群衆のリーダー役を担っていたダナードグラプス氏の証言から始まります。さらにKGB時代にプーチン氏の同僚であったウラジミール・ウソリツェフ(仮名)のインタビューも交えて旧ソ連時代のプーチンの姿を浮き彫りにしていきます。

【プーチン大統領の誕生】

  ソ連崩壊の後、彼は何をしていたのか。ロシアは、新たに共和国となりエリツェン大統領が選挙に勝ち政府を打ち立てます。しかし、エリツェンは体調に大きな不安を抱えていました。彼に万が一のことがあったときにはだれを後継者にするべきなのか。意外なことに、エリツェン氏の後継候補にプーチン氏が上がったのは、彼が忠誠心の強い、しかも最も操りやすい人間だと周囲が見ていたからだというのです。

  その彼が、どうのようにしてその後にロシア共和国の中で権力を握り、2018年の選挙で76%もの支持を得るまでになったのか。ロシアを自由の国に変貌したかったその理想とそれを西側諸国に受け入れられなかった挫折。さらには、チェチェン紛争やウクライナ問題で変貌していった愛国者プーチンの姿。そして、柔道を介して日本を愛するプーチンの姿や「人」とのつながりをとても重視する人間プーチンの姿。この本は、様々なプーチン大統領の顔を余すところなく描いていきます。


  この本が上梓された2015年の時点では、北方領土問題と平和条約の問題は安倍総理の在任中には糸口が見えてくるのではないか、との淡い期待があったことがよくわかります。しかし、トランプ大統領や習金平総書記が対立の姿勢をあらわにし、ヨーロッパ対ロシアの図式が鮮明になる中、日本の置かれた状況は複雑さを増し、課題の解決は難しさを増しています。

  しかし、こんな時にこそ我々は正しくプーチン大統領のバックボーンを認識する必要があります。この本は、おそらくプーチンのある面から見た実像を明らかにしていると思います。そして、それは貴重な一面であることに間違いありません。みなさんもこの本で現代のキーマンの姿を知ってください。今後の外交の見立てに役立つこと間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。