小説(日本)一覧

恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その2)

こんばんは。

  面白い小説を読んでいると、いつまでも終わって欲しくないためにページをめくる手を押さえたくなる時があります。前回からご紹介しているこの小説は、まさにページをめくる手を止めたくなるほど緊張感にあふれる小説です。それもそのはず、そこに描かれているのは、12日間に渡って100人近いピアニストの中から1人の優勝者を決める芳ケ江国際ピアノコンクールのすべてなのです。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  ところで、コンクールと言えばこの本を読んでいる間にうれしいニュースが飛び込んできました。世界的にも有名なピアニストの登竜門、チャイコフスキー国際コンクール。先日行われた第16回コンクールのピアノ部門で日本人が27年ぶりに2位入賞の快挙を成し遂げたのです。その日本人とは、東京音楽大学3年生で20歳の藤田真央さんです。藤田さんは、2017年に18歳でクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝したとの経歴の持ち主。

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(コンクール第2位 藤田真央さん spice.eplusより)

  音楽の神に祝福されたピアニストの快挙に思わず拍手してしまいました。

【心憎い小説の演出】

  さて、前回、著者の恩田さんがこの著書に込めた様々な工夫についてお話ししましたが、それ以外にも著者の仕掛けはプロフェッショナルであり、数えきれません。

  普通、クラシック音楽のファンでなければ国際コンクールと言っても故中村紘子さんの本で有名になったチャイコフスキー国際コンクールや最近生誕200年として、各地で話題となった国際ショパンコンクールの名前をかろうじて知っている程度です。ましてや、日本で行われるコンクールがどんな日程で、どんなプログラムで実施されるのか、知る由もありません。

  著者は、小説を読むうちに素朴な疑問がいろいろ湧き上がることを考えて、小説が始まる前に事前知識を我々に開示してくれます。まず、コンクールがどのような曲で行われるのかとの情報です。それは、参加するコンテスタント(競技参加者)たちがエントリーするための課題の一覧です。

  第一次予選:①バッハ平均律クラヴィーア曲集より1曲。ただし、フーガが三声以上のものとする。②ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第1楽章または第1楽章を含む複数の楽章。③ロマン派の作曲家の作品より1曲。*演奏時間は合計で20分をこえてはならない。

  ちなみに超絶技法を持つ19歳のイケメン、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの第一次予選のエントリー曲は、①バッハ「平均律クラヴィーア曲集第一巻第六番」、②モーツァルト「ピアノソナタ第十三番第一楽章」、③リスト「メフィスト・ワルツ第一番 村の居酒屋の踊り」と記されています。

  こうして、コンクールの予選本選のエントリー課題曲の条件と小説で描かれる4人のコンテスタントのエントリーした実際の課題曲が一覧表で示されているのです。これを見るだけで、我々はこのコンクールの奥深さと、高島明石、栄伝亜夜。マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵がこの12日間にどんな曲で演奏に挑んでいくのか、その姿が浮かび上がってくるのです。

  一次予選は20分の演奏ですが、第二次予選は40分未満、第三次予選は60分以内、と予選が進むに従ってその力量を問われることとなり、さらに本戦は、小野寺昌幸指揮、新東都フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を共演し、ソリストとしての存在感を問われることになります。特に第二次予選では興味深い課題が仕組まれています。それは、このコンクールのために作曲された新作のピアノ曲を演奏するとの課題です。

  今回お題となる曲は、菱沼忠明作曲の「春と修羅」。

  皆さんこの題名からピンとくるものがあると思います。そう、この曲はみちのくの作家宮沢賢治が書き記した詩集の題名です。このブログでもご紹介した「ビブリア古書堂の事件手帖」にもその初版本が登場しましたが、この作品には24歳で亡くなった妹トシとの別れを謳った「詠訣の朝」やトシとの交流を描いた作品など、その壮絶な心象風景が謳われています。この曲をどのように解釈し、その息吹を表現するのか、それが第二次予選のハイライトとなるのです。

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(「春と修羅」初版本 中古本サイトより)

  小説で丁寧に描かれていく主人公たちの優勝を目指す演奏は、読者に提示されたそれぞれのエントリー曲が次々と登場し、我々をコンクールの世界へといざなってくれるのです。そして、高島明石、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵。4人のコンテスタントがそれぞれの個性と人生を振り返りながら、音楽の表現者として驚くほどの成長を遂げていきます。その姿に我々は手に汗を握って小説世界に没頭します。

【伏線、そして第三の視点】

  この文庫本には、下巻の最後に、この小説が雑誌に連載されていた当時の裏話を編集者が描いた解説が掲載されています。それを読むと、まず恩田さんの「国際ピアノコンクールを最初から最後まで小説にしてみたい。」との執筆の動機が語られています。小説を読み終わると、まさに著者の言う通りのことがこの小説に描かれていることが分かります。

  しかし、日本で行われるピアノコンクールをその最初から最後まで描いた小説が、なぜこれほど面白いのでしょうか。そして、なぜこの小説が恩田陸さん待望の直木賞を受賞し、さらに2度の受賞はないと言われていた二度目の本屋大賞を受賞したのでしょうか。

  もちろん、前回お話しした多彩の登場人物たちの視点をちりばめて、たくさんの個性豊かな登場人物がそれぞれの言葉でコンクールや演奏を語ることが、この小説の大きな魅力となっていることに間違いはありません。それにしても、だれでも親しめるわかりやすい言葉で語られているこの小説。恩田さんがこの作品の中にいかに数々のドラマを練りこんでいるのか、それを語っていきましょう。(以下、かなりのネタばれあり)

  ここまで、この小説の主人公であるコンテスタント4人についてご紹介しましたが、この小説は、それだけでは語れないほど多層的です。前回、高島明石の奥さんの語りを紹介しましたが、この小説ではピアニストの家族や師匠のほかにも大切な語り部が存在しているのです。それは、コンテストの行方を左右する神のような審査員の存在です。

  この小説が面白いのは、小説が一つの謎解きのような構造を持っていることです。

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(文庫「蜜蜂と遠雷」下巻 amazon.co.jp)

【仕掛けられた謎とは?】

  この小説に仕掛けられた最も大きな謎は、16歳のコンテスタント「風間塵」そのものです。彼は、プロローグにも、エピローグにも登場するのですが、彼の存在そのものがこの小説の謎そのものとなっているのです。謎には、それを解き明かす探偵が必要です。この小説では、コンクールの審査員たちが謎を解く探偵としての役割を果たしているのです。

  最近のハリウッド映画では、エンドロールに撮影ユニットのスタッフが数多く紹介されます。例えば、ロケ地によって、ロンドンユニット、ニューヨークユニット、トウキョウユニットなどと撮影班やクリエーターたちがそれぞれ映像を作り上げていきます。それと同様にこの魅力あふれる小説では、審査員ユニットがそれぞれの予選において、小説の謎解きを担っているのです。

  審査員を代表するのは、嵯峨三枝子という国際的な一流ピアニストです。小説の冒頭、「エントリー」の章では、フランスのパリで行われたコンクールのオーディションの光景が描かれます。このオーディションの審査員である三枝子、セルゲイ・スミノフ、アラン・シモンの3人は、若き謎のピアニストを目の当たりにするのです。

  その名は、「ジン・カザマ」。

  三枝子は、エントリーシートでこの名前を見た時、そのエピソードに目を奪われます。そこには、「師事した人」としてユウジ=フォン=ホフマンの名前が記されていたのです。ホフマンは、最近鬼籍に入った世界的なピアニストであり、その演奏はすでに伝説と化していたのです。さらに、そこには推薦状ありと記されています。5歳からホフマンに師事。伝説のホフマンは弟子を取らないことでも有名です。いったい「ジン・カザマ」はどんな演奏を聞かせるのか、その演奏を前に三枝子の鼓動は高まっていきます。

  「ジン・カザマ」は、最後の演奏者。ところが、時間になっても本人は登場してきません。会場が戸惑う中、しばらくすると本人が息せき切って現れます。現れたのは、子供と見違えるような少年でした。その幼い笑顔に驚く三枝子ですが、ピアノの前に座り鍵盤に指を置いた途端、三枝子はその演奏に心をえぐられるような衝撃を覚えたのです。

  オーディションの審査員3人は健啖家であると同時に無類の酒好きで、その審査も保守本流から遠く離れた破天荒な評価をすることで名が知れていました。その3人は、「シン・カザマ」の衝撃的な演奏を聴いた後、伝説のピアニスト、ホフマンの推薦状の内容について語り合います。その内容は・・・。

「皆さんに、カザマ・シンをお贈りする。

 文字通り、彼は『ギフト』である。おそらくは、天から我々への。

 だが、勘違いしてはいけない。試されているのは、彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。仲には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。

 彼を本物の『ギフト』にするか、それとも『厄災』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。」

  「ジン・カザマ」の弾く、モーツァルト、ベートーヴェンを聴いて三枝子は怒りに身を震わせます。「こんな音楽を私は認めない。」 三枝子は、審査に当たって彼の演奏を0点としますが、他の審査員が満点に近い点をつけたことで、彼はオーディションに合格。本番の芳ケ江国際ピアノコンクールにコンテスタントとして登場することになったのです。

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(浜松国際ピアノコンクール 大ホール actcity.jpより) 

  いったい「ジン・カザマ」とは何者なのか。彼は、コンクールでどんな演奏を聞かせてくれるのか。その謎は、最後まで我々にこの小説を楽しませてくれるのです。

【音楽の魅力を描く】

  素晴らしい語り部は、物語を魅力的にしてくれます。

  恩田さんは、この小説にこれまで培ってきたすべてを注ぎ込んでいます。そのプロットももちろんですが、その中にちりばめられる音楽にかかわる様々なエピソードにも心を奪われます。

  審査員の一人である高名なピアニスト、ナサニエル・シルヴァーバーグは、イギリス人でありながらアメリカのジュリアード音楽院で教授を務めています。彼は、三枝子の元夫であると同時に、コンテスタントであるマサル・カルロス・レヴィ・アナトールの師匠でもあります。彼は、かつて伝説のピアニスト、ホフマンの押しかけの弟子でした。「シン・カザマ」はそのホフマンの弟弟子。しかし、自らの弟子マサルの強力なライバルでもあるのです。彼の存在が、ジンとマサルの対決をさらに盛り上げてくれます。

  また、本選でピアノコンチェルトが演奏される場面では、新東都フィルハーモニー管弦楽団を指揮する小野田昌幸のこんな述懐も披露されます。以前のコンクールでは、4人のコンテスタントが全員ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」をエントリーしたことがあり、4人のコンテスタントに対して同じテンションで演奏をしなければいけないと分かっていても、4回目には緊張感を維持することが大変だったと語ります。コンクールを担当する指揮者は、人知れぬ苦労があるのだ、と思わず同情してしまいました。

  そして、この小説で最も重要な役割を担っているのは、音楽の神様です。音楽の神様は、いったいコンテスタントたちに何をもたらすのか。この小説のテーマは、そこに尽きるのです。そして、小説の題名にもそのテーマが通底しています。「蜜蜂と遠雷」、それは音楽以前の音そのものを表わしているのです。


  音楽が好きな方もそうでない方も、ぜひこの小説で「音楽と人」のすばらしい関係を味わってください。興奮と感動を味わうことができること請け合いです。ただし、夜に読み始めると、必ず徹夜になってしまうのでお気を付けください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その1)

こんばんは。

  恩田陸さんは、これまで様々なアプローチで、吉川英治新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞など数々の賞を受賞しています。その恩田さんが2017年、ついに直木賞を受賞しました。その作品は、「蜜蜂と遠雷」。この作品は、直木賞と共に恩田さんとしては2回目の本屋大賞をも受賞しました。いったいどれほど面白い本なのでしょうか。その「蜜蜂と遠雷」がついに文庫で発売されたのです。

  いつも本の話題で盛り上がる本好きの先輩も単行本で読んで、大推薦。ずっと推薦本リストに載っていました。本屋さんで文庫本を見て、すぐに購入したのは当然でした。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

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(文庫「蜜蜂と遠雷 上巻」 amazon.co.jp)

【クラシック音楽の素晴らしさ】

  音楽を文章にすることは難しい。

  クラシックは、再現芸術です。まず、楽譜を書いた作曲家がおり、演奏家はその楽譜に従って自らの解釈や想いをその音に乗せて音楽を奏でます。さらにオーケストラが奏でる音楽の場合には、そこに指揮者による楽譜の解釈が加わることになるのです。そのために、同じ作曲家の音楽でも演奏家や楽団、指揮者によって時には全く別の音楽に変身してしまう場合もあるのです。

  例えば、最も好きなブラームスの交響曲第一番にしても、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルの交響曲全集は知られていますが、イギリス人らしい軽快なブラームスはあまり趣味に合いません。ダニエル・バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団のブラームスは、低音域を響かせようとする解釈が曲の美しさをとどめているところに難があり、先日亡くなった大御所ロリン・マゼール指揮、クリーブランドファイルのブラームスは、華やかに歌い過ぎていて納得できません。

  やっぱり、1959年にカール・ベームがベルリン・フィルを指揮したグラムフォン録音のブラームが最高でした。ブラームスは、ベートーヴェンの交響曲の偉大さにプレッシャーを感じて作曲家として名を成したのちにもなかなか交響曲を書くことができませんでした。若き日に交響曲のために書いたスコアは、ピアノ協奏曲やレクイエムに転用され、第1番が完成したのは構想から21年を経た43歳のときだったのです。そこに込められたベートーヴェンを継承しつつ新たな交響曲を創るとの思いは、粘着質なブラームスの中では、濃淡と起伏にとんだこの第1番にいかんなくあらわされています。

  もう何十年もこのベームの盤を超えるブラームスを聴くことが出来なかったのですが、先日、ついにベームを超えるブラームスを耳にしたのです。それは、ライブで味わったドイツ・カンマーフィルのブラームスでした。指揮者はパーヴォ・ヤルヴ。その解釈は、出だしの荘厳な弦楽器から魂に響くかのような張りと深みを備えた重層音から始まり、その戦慄が唄うような管楽器に見事に引き継がれ、古典とロマンを繰り返しあざやかな音を届けてくれました。音楽に最も心を動かされた瞬間でした。

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(「ヤルヴィ指揮 ブラームス1番」 amazon.co.jp)

  話は横道にそれてしまいましたが、指揮者によってオーケストラが奏でる音がまったく異なるように楽器の場合には演奏家によって曲は全く別の顔を持つようになります。先日、ファジル・サイのベートーヴェン「熱情」を聴きましたが、彼の心の底からわき出るような荒けづりなピアノの音は、ベートーヴェンのスコアを超えて、演奏家の情念を我々に聞かせてくれました。アルゲリッチ、ポリーニ、内田光子、アシュケナージ、ツィマーマンとすべてのピアニストが名ピアニストですが、同じ「熱情」は一つとしてありません。

  一人の演奏者が、作曲家が残した楽譜をどのように解釈、消化して音として表現するのか。それは、その演奏を聴けば分かります。しかし、こうした再現芸術の素晴らしさを言葉や文章で伝えるにはどうしたらよいのでしょう。かつて、文豪トーマス・マンは、「ファウスト博士」を執筆するときに、主人公であるアドリアン・レーヴァーキューンのピアノ演奏を表現するために、音を文章にする訓練を積んだと言います。ノーベル賞作家にして、音楽を文章や言葉に翻訳することは非常に難しい仕事だったのです。

【音楽と人のための小説】

  今回の小説は、国際ピアノコンクールにおけるピアニストたちの闘い?を描いた大作です。そのコンクールは日本国内で最も有名な「芳ケ江国際ピアノコンクール」です。3年に1度芳ケ江市で開催されるコンクールは、そのオーディションが世界各国で行われ、そこで選ばれた90人のピアニストが優勝を勝ち取るために芳ケ江市に集い、その演奏を競うイベントです。恩田さんは、ここに参加する4人の若者たちの活躍を中心に、「エントリー」、「一予選」、「二次予選」、「本選」と4つの章に渡って描いていくのです。

  それにしても、演奏家のタマゴたちが競い合う国際ピアノコンクールを描いた小説が、直木賞や本屋大賞を受賞できるのか。とても不思議です。この作品の執筆量は半端ではありません。文庫本では、上巻454ページ、下巻491ページというボリュームですが、その物語の面白さに一気に読み進んでしまいます。その面白さに読み始めるともう止まらないのです。

  最初に読み始めたときに、思わず表紙を見直して著者の名前を確認してしまいました。著者は、確かに恩田陸さんです。見返してしまったのは、これまで読んだ恩田さんの文章と、全く異なる筆運びだったからです。小説は、ピアノコンクールへの「エントリー」と題された章からはじまります。描かれるのは、16歳の少年です。名前は明かされません。見知らぬ外国の街で、時間に遅れないように急ぐ少年の描写。

  そうです。小説はコンクールに参加する若い音楽家たちを描くことを中心に進行していきます。コンクールの参加者は、一番年上の若者が28歳、最も若いコンテスタント(参加者)は15歳。その世代の闘いが描かれます。そこに審査員や参加者の師匠もからんできます。こうした小説には、それにあった文体が必要です。恩田さんは、これまで築き上げてきた小説作法や文体の中で、この小説のための文章を紡ぎ出したのです。それは、これまでの小説にはない、平易でリズミカルな文章だったのです。

  さらに、恩田さんはこの小説を面白くするために様々な技法を駆使しています。各章にはエピソードごとに小見出しが創られています。その見出しが、また見事に音楽を描く小説らしい見出しとなっています。例えば、「第二次予選」と題された章のエピソード見出しは、「魔法使いの弟子」、「黒鍵のエチュード」、「ロンド・カプリチオーソ」、「音の絵」、「ワルキューレへの騎行」、「月の光」、「虹の向こうに」、「春の祭典」、「鬼火」、「天国と地獄」、と音楽ファンならば、思わずほくそ笑んでしまう題名が続いています。

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(「魔法使いの弟子」のミッキー YouTubeより)

  そして、恩田さんが小説家としてのプロの技を発揮しているのは、その表現です。この小説には、本当に多くの登場人物が登場するのですが、著者は数多くのエピソードを別々の登場人物の視点から描いていくのです。当然、語り部によってその文体も変わっていきます。

  この小説の主人公の一人、高島明石は26歳の会社員です。彼は、ピアニストでもありますが、結婚し子供が出来てある楽器メーカーに就職して日々の仕事に励んでいます。しかし、芳ケ江国際コンクールエントリーの記事を見た時に、これまで抑えてきた音楽への探求心が頭をもたげます。ピアニスト、音楽家としてもう一度だけコンクールに挑戦してみたい。その想いを周囲の人々に打ちあけ、奥さんの協力も得て、芳ケ江国際ピアノコンクールにエントリーしたのです。

  彼を取り巻くエピソードの多彩さに我々は思わず小説世界に引き込まれていきます。彼がピアノの世界へと導かれたのは、世の中の音に俊敏な耳を持つ田舎のおばあさんでした。蚕小屋を営むおばあさんは、蚕の葉をかむ音の中で良質の繭を養蚕していました。家にあったピアノを弾き始めた明石は、ピアノを弾いた時の自分の心の中を見抜くおばあさんの耳の良さに驚きます。そして、明石の音楽への熱意を知ったおばあさんは、貯金をはたいて明石にグランドピアノを買い与えてくれたのです。

  さらに明石を取り巻く人々も描かれます。高校時代の様々なエピソード。明石の高校時代の同級生である雅美は、いまテレビ局で仕事をしています。彼女は、良く知る明石がピアノコンクールにエントリーしたことを知り、取材を申し入れます。その申し出とは、エントリー後、実際にコンクールで競い合う姿をドキュメンタリー番組にしたいので、映像も含めて取材させてほしいと言うものでした。かつての同級生の願いを快く聞き入れた明石。そこから雅美の取材が始まります。

  コンクールに挑む明石の姿は、いくつもの視点から描写されていきます。本人の視点、同級生であり取材者でもある雅美の視点、審査員の視点、明石の奥さんである満智子の視点、そして作者の視点。こうした多彩な視点と多彩な文体が我々をコンクールの世界へと導いてくれるのです。特に心を動かされたのは、満智子の視点です。

  「第一次予選」。明石のエントリーナンバーは22番でした。コンクールの初日は日曜日でしたが、一日16名が演奏するコンクールで、明石の演奏は2日目の月曜日に予定されていました。ところが、数名の辞退者がでたために明石の演奏日は初日に繰り上がったのです。教師をしている妻の満智子は平日には演奏を聴きに来ることができませんが、日曜日であればホールに足を運ぶことができます。コンサートの初日、満智子は息子を実家に預けて会場を訪れます。

  高島明石の第一次予選の演奏曲は、バッハの「平均律クラヴィーヤ第一巻第二番」、ベートーヴェン「ピアノソナタ第三番第一楽章」、ショパン「バラード第二番」の3曲です。会場に時間に追われながら到着した満智子は、久しぶりに夫の音楽家、演奏者としての姿を目の当たりにします。そして、その演奏が始まるやその旋律に乗って、満智子の心に様々な思い出が駆け巡ります。明石との結婚に関して女友達からあびせられた心ない皮肉。眠る時間を削って練習を続け、それでも不安になる夫の姿。子供に本を読んでやるときの優しさのこもった声。様々な思いが音楽によって浮かび上がり思わず涙ぐみます。そして、その演奏が終わった時にある言葉が湧き出てきます。「あたしは音楽家の妻だ。あたしの夫は、音楽家なんだ。」

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(「浜松国際ピアノコンクールCD」タワーレコードHPより)

  我々は、音楽家明石のエピソードに引き込まれ、小説世界の虜になるのです。

【音楽の神様と人間の物語】

  恩田さんは、コンクールに参加する若者たちの中の4人の参加者を主人公にしています。一人は高島明石。その他の3人にも素晴らしいエピソードの数々が用意されています。まず、20歳の女性ピアニスト栄伝亜夜。そして、アメリカのジュリアード音楽院の学生である19歳のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。彼は、日本、ラテン、フランス人の血を引く混血児ですが、眉目秀麗を絵にかいたような長身のイケメンです。そして、今回のコンクールの台風の目になるであろう16歳の少年、風間塵。

  この他にも、なんと初日の1番の札を引いてしまったロシアのピアニスト、アレクセイ・ザカーエフ、マサルと同じくジュリアード音楽院に在籍し、常にマサルをライバルとして見ている超絶パワーの女性ピアニスト、ジェニファ・チャンなど、多彩な登場人物がコンクールを盛り上げていきます。

  上巻では、このコンクールの第二次予選の中盤戦までが描かれますが、音楽の神様は果たしてどのコンテスタント(コンクール挑戦者)に微笑むのか。第二次予選がはじまってからの二日目、音楽の神様が我々の前に出現します。

  本当にこの小説はみごとに音楽の姿を描き出しています。

  本題に入る前に紙面が尽きてしまいました。続きは次回に持ち越しです。

  それでは皆さん元気で、またお会いします。


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長岡弘樹 警察学校は過酷な世界!?

こんばんは。

  皆さんは電車で手持無沙汰のときにどうしていますか。

  今やスマホをいじっている人が圧倒的に多く、情報系の検索、ゲーム、テレビドラマの視聴、音楽鑑賞とあらゆるものをスマホで楽しんでいます。最近は、スマホでマンガを読んだり、本を読んだりしている人も珍しくなくなりました。都心の鉄道では、ドアのうえに液晶画面が備えられており、ニュースや気象情報、広告など様々な動画が乗客を楽しませてくれます。

  それと同時にひまつぶしになるのが、車内広告です。

  社内に吊られている広告は満員電車の中でも良く見えますし、毎朝人に押しつぶされながらもドアの窓に張られている広告には目が行ってしまいます。マンションなどの不動産、商業施設やお店のバーゲン情報、週刊誌の中刷り広告が多いようですが、ときどき変わった広告を見ることもあります。そうした中で、本の広告も見受けられます。本の広告は、大手の出版社よりも話題の実用書などを出版している個性的な版元の方が多いようです。

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(週刊文春 中吊広告 syukanbunsyun.jp)

  もう6年ほど前になりますが、JR東日本の京浜東北線に小学館が広告を出していたことに気づきました。広告は、車両端の座席(優先席になっていることが多い)のわきの壁に透明なプラスチックケースに入って掲載されていました。そこには、紺色の色彩の中を歩くバックを下げた男が描かれた本が掲載されていました。本の題名は「教場」。著者は、長岡弘樹と書かれています。「異色の警察小説」、「ベストセラー」、「週刊文春ミステリーベスト10 第1位」との文字が躍っています。どうやら警察学校を舞台としたミステリーのようでしたが、その怪しいイメージが気になって、いつか読んでみたいと思ったのです。

  それからは、通勤電車で見るたびに気になって、本屋めぐりのときにも平置き棚に積まれた「教場」がいつも気になっていましたが、まずは文庫になるまで我慢しようと素通りしていました。そして、2015年にはついに文庫化がなされます。はじめて文庫本を見てから本屋さんに行くたびに手に取っていたのですが、いつも優先したい本があって、ついつい日延べしてきたのです。

  そして、今週、ついに読みました。

「教場」(長岡弘樹著 小学館文庫 2015年)

【小説の舞台は警察学校】

  まず、「教場」とは何か。それは、普通の学校でいえばクラスの事を意味します。1組、2組などのあのクラスのことです。「教場」とは警察学校におけるクラスの名称。例えば、この小説には植松という教官が登場しますが、彼が担任を務めるクラスは、植松教場と呼ばれるのです。

  警察学校というと、まるで公立の高校や大学のように聞こえますが、誰もが入れるわけではありません。この学校の生徒は、警察官の採用試験に合格した人間です。彼らは、この学校で警察官として必要な技能や知識、法律などを半年間に渡り身に着けて警察官としてデビューするのです。学校であるからには、入学して卒業するわけですが、この小説で描かれるのは、警察官になるための厳しい教練の場です。

  舞台も警察小説と言ってもきわめて斬新な場所であり、人間を描くにも多様な人生、そして人間関係が渦巻いています。ミステリーと言えば謎解きのワンダーが肝になりますが、この舞台ではあらゆるところに謎を創りだすことが可能です。しかも警察学校は閉鎖的な空間であることが一層の効果を引き立てます。

  この小説は、短編連作の形を取っています。

目次を追うと

1話 職質、第2話 牢問、第3話 蟻穴

4話 調達、第5話 遺物、第6話 背水

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(文庫版「教場」 amazon.co.jp)

  小説の奥深さは作者によって周到に用意されています。まず、登場人物の背景が多種多様。警察学校の生徒は、警察官登用試験に合格した人間です。つまり、そこには様々な職業を経験した人物が集まっているのです。元学校の教諭、元インテリアデザイナー、元ボクサー、などこれぞれが個性にあふれています。そして、学校は寄宿舎となっており、携帯電話や免許書は日常生活の中で取り上げられて、所持することは許されません。また、外出も許されておらず、課題宿題が常に課されています。

  こうした環境で様々な謎が提示され、ワンダーが醸し出されるのです。

  そして、各話に共通する人物がいます。それがこの教場を担任する風間公親です。白髪で義眼を入れたような目つき、温厚でありながら絶対的な迫力を持つ警務官です。実は、2020年の初めにこの小説はフジテレビでテレビドラマとして放映されるとのことです。各話で謎解き役を担う風間を演じるのは、あのキムタク(木村拓哉)だそうです。原作からはイメージがわきませんが、どんなドラマになるのか、楽しみです。

【一味違ったミステリー】

  このミステリーは設定自体も変わっていますが、その語り方もまた一味違います。

  著者の長岡さんは、著作のインタビューで自らのスタイルを「書きすぎない」ことと語っています。というのは、あまり説明はしないということです。廊下を歩いている時に後ろに人の気配がしたとします。後ろにいるのは誰なのか。作者は当然誰かを知っているので語ろうと思えば語れるわけですが、あえて語りません。さらに、振り向けばそれが誰なのかはすぐに分かるわけですが、この著者はなかなか振り向かせないのです。

  この小説では、ミステリーらしく、心理的な圧迫や物理的な暴力がところどころに描かれます。

  担任の風間公親は温厚で暴力を振るいませんが、副担任である須賀は武道専任教官であり、柔道6段という猛者です。警察学校にはさまざまな規則があり、課題も多いので罰則は枚挙にいとまがありません。校庭10周の駆け足や腕立て伏せなどは、日常茶飯事です。例えば、4歩以上の距離を移動するときに生徒は必ず駆け足をすることが義務付けられています。須賀は、その違反者を見つけると柔道場に呼び出して、何本も投げ技を懸けて生徒をあざだらけにしてしまいます。

  第1話で宮坂定は毎日の授業で味方になっていた同級生に恨まれて、自殺の道連れに命を失う恐怖にさらされます。また、第2話で元インテリアコーディネーターの楠本しのぶは、駐車場施設に呼び出されて設備の間に足を挟まれ、骨を折られてしまいます。しかし、長岡さんはその結果、最後に彼らがどうなったのかを描きません。

  我々は、「エッ、いったいどうなったんだ。」と戸惑いを覚えます。

  そこが作者の狙いです。短編連作の面白さを創るために長岡さんはわざと謎を残して短編を終了します。短編は、それぞれ1話完結なのですが、この小説では同じ学校、同じ教場での出来事が連なっていますので、次の話を読んでいくと前話で残された謎が、さりげなく語られていくことになるのです。しかし、風間教官にまつわる謎はどこまでも続いていきます。

  さらに作者は風間教場の生徒たちに様々な恐怖を語らせます。

  特に象徴的なのは、第1章で語られる問答です。風間教官が宮坂に対して、「警察学校とはどんなところだと思うか」と問いかけます。その答えは「篩(ふるい)」。つまり、警察学校とは、警官になるための厳しい課題に耐えられない人間を振るい落とすために存在する、ということです。確かに第1章では、41人いた第98期入学者は、5月の時点ですでに37名になっていることが語られているのです。

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(警視庁警察学校 wikipediaより)

【エンタメとリアリティの間】

  警察と諜報機関。そこに求められる技術と能力は似たものがあります。もちろん、警察官にずば抜けた語学力や変装能力は求められませんが、職務質問や追跡術、射撃術などは警察官にも必要な技術となります。柳広司氏の小説「ジョーカーゲーム」に描かれる陸軍中野学校の様子と相通ずるものがあるのかもしれません。

  この小説に登場するのは、職務質問、取り調べ技術、交番勤務、水難救助、パトカーの運転技術、射撃技術など警察官が持つプロの技術がさりげなく書き込まれています。

  例えば、警察官が街で不審な人物をみつけたときの職務質問。「すみません、ちょっといいですか。」と話しかけてから、相手の名前を聞き出し、その間にも相手からの攻撃を未然に防ぐような職務質問のテクニック。なるほどと読んでいると、前提として警察官の姿を不意に見せるなど、驚かせて最初の相手の反応を的確にとらえることが最も重要だ、との奥深い話も語られています。

  交通機動隊の所属する神林警部補が登場するパトカーの運転技術講習会でのエピソードもワンダーです。そのパトカーには覚せい剤が隠されているとの設定で、覚せい剤の在りかを探すことが課題として課せられます。意外なほど簡単なところに隠されている、との教官のヒントから、ありとあらゆる場所を探しますが、覚せい剤はみつかりません。果たしてどこに隠されているのか、その答えは本書で確かめてください。

  小説はフィクションではありますが、こうしたリテイルの描写が小説に臨場感や迫力を醸し出します。

  第4章には、風間教場の生徒の中で調達屋が登場します。閉鎖社会の中で、本来手に入らないものを調達する男。この話を読んで思い出したのは、戦争映画の傑作「大脱走」です。

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(映画「大脱走」1963年 ポスター)

  第二次世界大戦下のドイツ。ドイツは連合国軍の捕虜が各地で脱走を企てることに手を焼き、脱走常習者を一所に集めて鉄壁の監視体制を引くことにしました。スタラグ・ルフト北捕虜収容所。しかし、「敵後方のかく乱」を職務とする連合軍の捕虜たちは、前代未聞250名の脱走計画を企て、収容所を脱走するのです。

  この映画は、史実をもとにした映画で、その登場人物たちに当時のスターを振り分けて、その練りに練った脚本で大ヒットを記録しました。スティーブ・マックィーン、ジェームス・ガーナー、チャールス・ブロンソン、ジェームス・コバーン、デビッド・マッカラムなど、それぞれが大活躍した見事な作品でした。

  収容所の脱走計画は、収容所内から3本のトンネルを掘り、250名を脱走させるものでしたが、脱走後に全員が国境を超えるためには周到な準備が必要です。まず、脱出後に着る衣服、偽造の身分証明書、さらに近隣の詳細な地図、完ぺきなドイツ語。そうした綿密な脱走計画の中で、必要な物資の調達を担ったのは仕入れや屋と呼ばれるアンソニー・ヘンドリー(ジェームス・ガーナー)だったのです。

  ダバコから始まり、様々な衣服となる生地からトンネルを掘るために必要なフイゴなどの道具の材料に至るまで、あらゆるものを調達します。そこには、詐欺師まがいのコミュニケーションテクニックと駆け引きが必要です。偽造身分証明書作成のために人の良いドイツ軍の看守を自室に誘い込み、身分証の入った財布をみごとに手に入れる場面では、思わず喝さいを送りました。

  この小説に出てくる調達屋は、映画と違い「調達」と引き換えに恫喝のような行為を続けますが、最後にはそれによって墓穴を掘ることになります。


  この小説は、謎の教官風間公親による教育小説と見られたり、生徒たちの成長を物語る学園小説、などとも呼ばれているようですが、基本的にはこれまでになかったユニークなミステリー小説です。警察学校を描くという意味でもこれまでなかったワンダーを味わうことができます。警察小説に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。その怖さも含めて楽しめること間違いなしです。

  豪雨と暑さが交互に襲ってきます。災害対策と体調管理にはくれぐれもお気づかい下さい。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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小路幸也 「東京バンドワゴン」番外編

こんばんは。

  令和となってから1カ月がたちました。

  令和天皇が即位されてから、初めての国賓はアメリカのトランプ大統領。そして、初めての地方でのご公務は愛知県での植樹祭へのご参加でした。日本にとって、平成天皇の時代は戦争のない平和な時代でした。しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件などのテロ、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などの地震災害、さらには台風や豪雨による災害など、数々の大災害に見舞われて、平成天皇はその都度、被災地の人々をご訪問されて心を寄せて、新しい天皇の姿を形作られて見えました。

  令和天皇徳仁陛下は、日本100名山をすべて闊歩した健脚でその名を知られています。随行の方が置いていかれるほどの健脚で、日本の未来を導いていただければ幸いです。平成天皇も国民に親しまれるような平易なお言葉をたくさんご発信されていましたが、徳仁陛下はさらに我々の心に響くお言葉をご発信になられています。陛下が令和の時代、我々日本人の心の支えとなっていただけることに間違いはありません。

  話は変わりますが、皆さんは、「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ。」という献辞を覚えているでしょうか。以前にこの本をご紹介したのは、2012年の12月でした。早いものでもう7年もまえのことになります。このシリーズは、2006年に最初の単行本が上梓され、毎年4月には新刊が発売されており、さらに、2年遅れて文庫化されているのです。はじめてこのブログでご紹介した文庫版は2008年の発売でした。

  その小説の題名は「東京バンドワゴン」。先週は、久しぶりに大家族が巻き起こす様々な出来事を書き綴った連作小説を読んでいました。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」

(小路幸也著 集英社文庫 2015年)

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(「フロム・ミー・ツゥ・ユー」文庫版 amazon.co.jp)

【うるわしの大家族物語】

  昔、テレビドラマと言えば「大家族」が織りなす涙と笑いの物語と相場が決まっていました。昭和の時代、日本の家には三世代が同居しているのが当たり前でした。しかし、高度成長によって団塊の世代が家族を持つようになると、団地やマンションの建築によって次々と親から独立して生活するようになりました。「核家族」が時代のキーワードとなり、大都市、地方都市を問わず大家族の時代は終わりを告げたのです。

  「核家族」化は、様々な弊害を日本にもたらしています。

  まず考えられるのは、人の知恵が引き継がれていかないことです。

  自分のことを考えると、今は亡き父の実家は日本橋の馬喰町という場所にあり、そこには父親のお父さん、つまりおじいちゃん夫婦が住んでいました。私の父親は6人兄弟の次男で、馬喰町には祖父夫婦と長男夫婦、その子供の二人兄弟、父の姉の7人が同居していました。お正月になると、その家に6人兄弟とその子供たちが全員勢ぞろいするため、まさに大家族が出現します。

  いとこだけで、長女の子供が2人、長男の子供が2人、私のところが3人、その下の兄弟たちの子供が5人。なんといとこだけで12人が集まるのです。まあ、にぎやかなことこの上なく、父の兄のところの男の子とは年子だったので、当時始まったばかりの「ウルトラマン」の話で、盛り上がり「ウルトラQ」に登場した怪獣たちのストーリーを巡って大喧嘩をしていたことを思い出します。

  東京の下町は、誰もがおせっかいです。我が家に「電話」が登場したのは小学生のときでしたが、それまでは御近所の電話をお借りしていました。電話を引いた途端、6人の兄弟たちが入れ代わり立ち代わり電話をしてきて、電話と言えば、いつも叔父叔母と話をしている父親の姿を思い出します。当時は、6人の兄弟がお互いの子供たちの心配までも共有して何かあれば全員で助け合う(愚痴を言い合う?)ということが当たり前になっていたのです。

  先日ご紹介した田中優子さんと松岡正剛さんの対談で、日本では「家」がキーワードだと語られていましたが、ルイス・ベネディクトさんを持ち出すまでもなく、日本では「家」と「外」の区別が大きな文化を形成していたと言われています。「外面がいい。」とか「体面を重んじる。」とか「人前で恥をかかせる。」、「内弁慶」など、日本では家のなかのことと、外の事を強く区別してきたのです。

  「外の世界」とはどんなところなのか、外にいるのは「他人」です。人にはメンツがあり、外でメンツを保つために日本人は「家」の中で様々な知恵をつなげてきました。大家族のメリットは、「家」が培ってきた知恵を教えてくれる人の数が多いことです。多ければ、伝わる確率は高くなります。身近な例では、「家」の味があります。大家族は、毎日毎日家で3回の食事をします。大家族では、朝も晩もたくさんの人が食事作りに関わります。男女を問わず、お味噌汁の味は家族の味として引き継がれていくのです。

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(TVドラマ「東京バンドワゴン」 ポスター)

  しかし、核家族となるとそうはいきません。例えば、味噌汁の味はおばあさんから娘へ娘から孫へ孫からひ孫へと引き継がれていきますが、大家族でいれば引き継がれる確率が格段に高くなりますが、核家族で一人息子の家庭では、その子が料理に興味を持たなければ味噌汁の味はそこで途絶えてしまいます。

  近年、無差別に人を殺して自ら命を絶つ、または恨みや逆恨みで人を殺して自分も死ぬ、という「人」とは思えないような行為を起こす事件が頻繁に起きています。個人的には、「殺人」とは何らかの病気の発露であると思っています。中にはドストエフスキーの「罪と罰」のような理性的な殺人もあるのかもしれませんが、それは極めてレアなケースです。もともと生命とは、生きて命をつなぐために存在しています。それが、理由はともあれ命をつなぐことを阻害することは明らかに異常であり、生命体にとって正常ではない状態は病気と言えます。

  病気には必ず原因があります。それは、ウィルスだったり、細菌であったり、免疫不全であったり、老朽化であったり、遺伝子の欠落であったり、突然変異であったり、様々です。病気を治す(正常な状態にする)ためには、原因を突き止めて、原因を取り除く必要があります。

  「人」を殺めるという異常な行為は、いったい何が原因で起きるのでしょうか。それは、人が本来持つ「生きるための知恵」が途切れるからではないでしょうか。人はコミュニケーションを身に着けて共同化することによってこの地球上に君臨してきましたが、そこには数百万年に渡って引き継がれてきた知恵があったはずです。孤独に陥らないためには何が必要なのか。馬の合わない人間とはどのように付き合っていけばよいのか。自らの感情はどのようにコントロールすればよいのか。人の気持ちを逆立てないためにはどのようにすればよいのか。

  大家族の中では、毎日そうした知恵が飛び交っているのです。その知恵の継承がとぎれたとき、人は病気になり、人を傷つけることになってしまうのです。

  話は長くなりましたが、久しぶりに4世代の堀田家、11人(第1巻ではまだ9人)が織りなす「東京バンドワゴン」を読んで、そんなことを考えました。(11人と言えば、昔、村山聡さん主役のテレビドラマ「ただいま11人」という11人家族が織りなす名作を思い出します。)

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(東京バンドワゴンシリーズ facebookより)

【「東京バンドワゴン」番外編】

  「東京バンドワゴン」と言えば、毎年上梓されるシリーズは、どの巻も春夏秋冬4編の物語からなる短編集です。4世代に渡る家族関係はちょっと複雑です。まずは、80歳を超える古書店「東京バンドワゴン」を仕切る大旦那は堀田勘一です。東京下町の有名古書店は古色ゆかしい日本家屋で、店の帳場にデンと構えています。その息子は、堀田我南人(がなと)。すでに60歳をこえていますが、日本では有名なロックンローラーです。古いロッククファンには神のような存在で、たくさんのファンを従えています。その口癖は「LOVEだねぇ~」。

  我南人には、子どもが3人います。長女は藍子、長男は紺、そして次男は青のブルー三兄妹です。藍子はシングルマザーで、同じ家屋に併設されているカフェを切り盛りしています。紺のお嫁さんは亜美。藍子のお嬢さんは花陽(かよ)、紺夫妻の息子は研人と言い、同級生です。第1巻では次男の青がすずみという女性と結婚します。

  数えるのも大変なのですが、これで9人。ここに紺夫妻の長女かんな、青夫妻の長女鈴花が生まれて家族は11人となるのです。そこに加えなければならないのが、4匹のネコ(玉三郎・ノラ・ポコ・ベンジャミン)と2匹の犬(アキ・サチ)です。そして、さらにこの物語の語り部が加わることになります。

  それは、物語の始まる2年前に亡くなった堀田勘一の妻サチです。サチは、亡くなった後も不思議なことにこの家に居ついていて、家と家族を温かく見守っているのです。そのサチさんが「東京バンドワゴン」で巻き起こる様々な事件を語ってくれます。実は、勘一の孫である紺は時々サチの声が聞こえると同時に会話を交わすことができます。また、サチが気を緩めた時や慌てた時には、紺の息子である研人にはその姿が見えてしまうのです。

  この大家族ドラマは、その楽しさからサザエさん一家を思い出します。異なる点は、サザエさんがサラリーマン一家というところですが、もう一つ決定的に異なることがあります。それは、サザエさん一家では時が止まっていることです。タラちゃんは何年たっても幼稚園に行かず、カツオもワカメも永久に小学生です。この「東京バンドワゴン」では、大家族の面々は毎年必ず年を取っていきます。我々は、シリーズ発売のたびに、変化していく堀田家とともに歩むことができるのです。

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(家族ドラマの定番「サザエさん」 prtimes.jp)

  そんな中で、今回読んだ「フロム・ミー・ツゥ・ユー」は、他のシリーズとは一味違う番外編です。まず、異なる点は収められた短編が、春夏秋冬の4編ではなく11編となっている点です。さらには、いつもはサチさんによって語られる物語が、11人の異なる人々によって語られていきます。今回の題名は、おなじみビートルズの曲名ですが、この題名は11人の語り部が読者にそれぞれの物語を語ってくれることを表現しているのです。

  また、シリーズはそれぞれの短編が「謎解き」の形になっていて、我々にワンダーをもたらしてくれます。この番外編は、事件が起きてその謎を解くと言う形式とは異なり、11のエピソードが語られていきます。そのすべてに共通しているのは、皆、「東京バンドワゴン」シリーズの主要なキャストであり、それぞれの意外なエピソードが語られている点です。ワンダーという点では、この小説のファンにとっては「謎解き」よりも嬉しい驚きを味わうことができるのです。

  それぞれの短編の語り部はヴァラエティに富んでいて、その文体も語り部によって異なります。

  その題名と語り部を紹介すると、

  「紺に交われば青くなる」(語り部-以下省略:堀田紺)、「散歩進んで意気上がる」(堀田すずみ)、「忘れじのその面影かな」(木島主水)、「愛の花咲くこともある」(脇坂亜美)、「縁もたけなわ味なもの」(藤島直哉)、「野良猫ロックンロール」(鈴木秋実)、「会うのは同居のはじめかな」(堀田青)、「研人とメリーの愛の歌」(堀田研人)、「言わぬも花の娘ごころ」(千葉真奈美)、「包丁いっぽん相身互い」(甲幸光)、「忘れ物はなんですか」(堀田サチ)

  ファンの方は、これを見ると期待に心が震えるのではないでしょうか。

  短編の題名もさることながら、それぞれの語り部の名前を見て、すべての人物が特定できる人は本物の「東京バンドワゴン」フリークに違いありません。例えば、堀田すずみはツアーコンダクターである青の奥様ですが、名前が堀田となっていることからそのエピソードが結婚後の話であることが分かります。逆に脇坂亜美、鈴木秋実の名前を見れば、亜美は古書店を手伝っている紺と結婚する前、秋実に至っては60過ぎのロックンローラー我南人の今は亡き奥様の若いころの話だと思い当たります。

  そして気になるのは、最後の堀田サチ。今や紺のみが語ることができ、研人だけがその姿を見ることができるサチさんは、どんなエピソードを語るのか。実は、ここにサチさんの姿を見た第三の若者が存在していたのです。

  どのエピソードも「東京バンドワゴン」そのもの。ほのぼのとして心温まる、癒し系のエピソードが並んでいます。今は失われつつある、人と人の会話と思いやりから生まれる物語。大家族は、我々が忘れつつある人の心を伝えてくれます。「LOVEだねぇ~。」

  皆さんもこの本で癒されてみてはいかがでしょう。おすすめです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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真山仁 民主主義 選挙で勝利するには

こんばんは。

  選挙制度は民主主義の根幹となる重要な仕組みに違いありません。

  早いもので選挙権が認められる年齢が20歳から18歳に引き下げられてから2年が経とうとしています。この間、高校や大学で18歳になる若者たちに選挙の意味を考えてもらうための動機付けや模擬投票などが行われ、投票を通じて政治に参加することの意義を醸成していました。

  ちなみに、最近選挙のたびに納得感がないのは日本の投票率の低さです。

  先日の統一地方選挙でも投票率は過去最低を記録し、その平均は50%前後だと報じられています。そのとき、大阪府知事と大阪市長選挙において、大阪維新の会が松井知事と吉村市長の辞任、入れ替え立候補で、県民、市民に大阪都構想の信を問うという手段に打って出ました。結果、大阪維新の会はこの選挙に勝利したのですが、松井さんはこの勝利の後投票率に触れ、「約半分の方の意見は反映されていないので、都構想については引き続き丁寧に説明していきたい。」と述べていました。良識のある発言に納得です。

  近いところでは、安倍政権の信を問うた2017年の衆議院選挙でも全体の投票率は53.68%と、選挙によって安倍政権が全国民に支持されたとはとても語れないような投票率でした。

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(2017年記者会見に向かう安倍首相 sankei.com)

  この選挙における世代別の投票率は、10代が40.49%、20代が33.84%、30代が44.75%、40代が53.52%、50代が63.32%、60代が72.04%、70代以上が60.94%となっています。これを見ると「未来志向の明るい日本」といくら叫んでも、未来を担う若者は投票に来ないという矛盾がうかがわれます。逆に言えば、そろそろ定年が見えてくる50才代から年金支給が見えてくる60才代以降の票を取り込んだ候補が当選すると言う、極めて皮肉な結果が見えてくるのです。

  総務省の統計を見ると、昭和61年以前の総選挙で投票率は70%前後と極めて高い民度を示していたのですが、平成2年の73.31%をピークとして投票率は下落の一途をたどります。特に安倍政権となってからは60%を切り投票率の低下は歯止めがかかりません。安倍首相は長期政権と胸を張りますが、国民の半分の支持しかない内閣が日本国民を代表してすべての政策を是として良いのでしょうか。日本人の民度の低さに危機感を感じます。

  現実的な解決策として、投票しない有権者からは罰金税を徴収する、投票率が50%未満となった選挙は無効としそれに必要な税金を別途徴収する、など多少の荒業を使ってでも日本国民の民度を上げることを検討しても良いのではないでしょうか。もちろん、そんなことをしなくとも投票率が70%以上にもどり、それが当たり前になって欲しいのですが・・・。

  さて、民主社会において政治家は選挙によって市民や県民、国民に選ばれることになるのですが、この選挙が小説に描かれるとすればどのように描かれると思いますか。

  今週は、選挙の内幕を描いた小説を読んでいました。

「当確師」(真山仁著 中公文庫 2018年)

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(単行本「当確師」真山仁 amazon.co.jp)

【選挙コンサルタントとは?】

  真山さんの小説は、フィクションをリアルに描くために取材に基づいた事実が基礎となって描かれています。その小説によって描かれる対象は異なりますが、それぞれがリアリィティを持って読者に迫ってくるのは、そうした理由に拠ります。

  これまで、「ハゲタカ」から始まるゴールデン・イーグルと呼ばれる鷲津政彦を主人公とした経済小説シリーズ、中国を舞台に原子力発電所の安全性を描いた「ベイジン」、メディアの裏側を描いた「虚構の砦」、エネルギー問題を鋭く抉る「マグマ」、日本の農業問題に一石を投じた「沈黙」と多彩な小説を発表し続けている真山仁氏ですが、今回は政治をテーマにした作品です。

  氏の政治をテーマとした小説と言えば、日本の総理大臣を描いた「コラプティオ」が思い出されます。本来、政治とは権謀術策が飛び交う権力をめぐる巣窟との印象がありますが、その本質は国と国民の幸せを実現するために理想を掲げて政策を進める人物が政治を目指すことにあると思います。この小説は、日本の国の行く末を自ら切り開こうとの志を持った政治家が首相の地位に就き政治を仕切る物語です。

  真山氏は、小説のテーマに「正義」をいろいろな形で忍ばせているのですが、この小説は珍しく正義を正面から描こうとしています。しかし、権力とは魔物であり、どれほど理想を掲げようとも権力は腐敗していきます。理想を掲げた政治家が、最後にカタストロフを迎えるところで、改めてこの小説の面白さが浮き立ちました。

  その真山さんが再び政治の世界に挑んだのがこの「当確師」です。

  今回の作品の帯には、「政治版『ハゲタカ』」との文字が躍っていますが、この言葉はいたずらにベストセラーにあやかろうと書かれているわけではありません。氏は、この小説が上梓されたときのインタビューで、作品の作り方には二通りのやり方があり、ひとつはテーマから入って登場人物を配置してストーリーを創っていく方法。もうひとつは、個性豊かな主人公がいて、その主人公が動き出してストーリーが創られていくとの方法です。

  「ハゲタカ」は、後者の作品。イヌワシ(ゴールデン・イーグル)のあだ名を持つ投資ファンドの雄、鷲津政彦という個性的なキャラクターがあってあの面白い小説が出来上がったと言います。

  確かに、鷲津は登場したときから悪役を演じ続けています。しかし、内に秘めているのは「今の日本に喝を入れる。」との信念に貫かれています。自ら勝者となることによって結果として日本の伝統を救い、日本の技術立国であるステイタス企業を救い、弱者を助けます。ジャズピアノにまつわる様々なエピソードは、このシリーズの大きな魅力となっています。(ピアニストとして渡米するキャリアのはじまりが、「スパイラル」で見事に描かれています。)

  今回の「当確師」について、真山氏は、「ハゲタカ」と同様にこの小説は個性的な主人公から物語が創りだされたと述べています。その主人公の名前は、聖達磨。職業は選挙コンサルタントです。彼のモットーは、「選挙は戦争だ。」というものです。その手腕は確かなもので、彼が手がけた選挙ではクライアントが必ず勝利を収めるのです。あれ?

  法律に明るい方は、その職業が公職選挙法に抵触するのでは、と疑問に思うのではないでしょうか。確かに選挙期間中に候補者からコンサルタント料をもらえば公職選挙法違反となることは間違いありません。そこはコンサルタント業。聖達磨は、選挙候補者の公示日にはすでに仕事を完了しています。つまり、選挙の結果は候補者の公示日にはすべて決まっているということです。小説では、コンサルタントフィーに関するノウハウもキチンと語られており、リアルにコンサルタント業の内幕を語ってくれるのです。

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(2019 大阪知事・大阪市長選挙に勝利 news.livedoor)

  「当確師」とは、確実に選挙で当選させることを仕事とする選挙コンサルタントのことを言うのです。

【選挙に勝つためのノウハウ】

  真山仁氏の小説は基本的に緻密な表現力に支えられた重厚な作品です。それでも最近は、ハードボイルド、ミステリー風味の作品が発表されています。この「当確師」は、どちらかと言えば重厚な作品というよりもサスペンス風味がただようエンターテイメント系の小説となります。選挙での勝利を依頼された聖が、様々な人脈や戦略を講じることによって劣勢が明らかな候補者に逆転勝利を呼び込む醍醐味が小説を面白くしています。

  今回描かれる選挙はある都市の市長選です。

  真山氏の小説作法はすでにベテランの味がします。ピカレスク的な主人公、聖達磨という名前も、選挙コンサルタントという職業も、読者にははじめて耳にする名前です。今回、真山氏は第一章でいきなり「選挙」の現場を描写します。(以下、ネタバレあり)

  第一章の舞台は、市長選が繰り広げられている平成市です。平成市の市長選挙は現職の市長が圧倒的な強さを誇り、聖がコンサルタントを引き受けている対抗候補は票読み段階では当選が覚束ない状態で、苦戦を強いられています。対抗候補を恩師と慕っている若きボランティア関口健司は恩師の選挙戦を手伝っています。

  健司の兄は現職の市長に将来を約束されており、その権力にすり寄り、現職市長に張り付き選挙の応援要員となっています。健司はかつて事業に失敗して多大な借金にあえいだことがあり、そのときに兄に借金を肩代わりしてもらった過去がありました。そして、今回の選挙戦では兄から対抗候補側をスパイするように脅されていました。気の弱い健司は恩師の応援に本気で取り組んでいましたが、面と向かって兄に脅されるとどうしても恩師側の情報を兄に漏らしてしまいます。

  現職市長はその権力に物を言わせて市内の有力者たちをその陣営に取り込んでいます。選挙告示がなされる前にコンサルタントの聖はこの選挙に勝利を得るだけの票読みを完成させなければなりません。

  聖は健司を自らの運転手に指名して、車を預けます。そして、平成市で老舗の料亭へと車を向かわせます。その料亭で聖は、翌日に現市長側についている有力者たちとの会合について、女将と打ち合わせていました。その動きを健司から聞いた市長側は、料亭に盗聴器を仕掛けるように健司に命令します。市長側のプレッシャーに負けた健司は言われたとおりに盗聴器を仕掛けます。

  聖は、有力者たちと何を話したのか。盗聴器から聞こえてくる話は、当たり障りのない世間話ばかりです。しかし、料理が終わると聖はお客を庭園へと誘い出し、何かを離しました。その会話を聞くことはできません。すべてが終わった帰り、聖は料亭の出口で客をお送りしますが、その時に風呂敷に包んだ土産を手渡して何かを囁きました。

  聖はいったい市長側の組織票を握る有力者に何を話し、何を渡したのか。

  そして、平成市の市長選挙は聖がコンサルタントを務めた候補が大逆転で勝利し、現職候補は敗れ去りました。いったい何が起きたのか。それは、本書を読んでのお楽しみです。結果として市長側に踊らされた健司でしたが、聖は「おれは正直者がすきなんだ。」と言ってそのまま健司を運転手として雇うことにしました。そして、小説はいよいよ政令指定都市における本題の選挙へと突入していくのです。

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(2017年 横浜市長選挙に勝利した林市長)

  聖は、かつて選挙を手伝った大物衆議院議員ら呼び出されます。

  大物議員は聖に意外な仕事を依頼してきたのです。それは、1年後に行われる政令指定都市、高天市の市長選挙で2期市長を続けた鏑木次郎市長を追い落としてほしいとの依頼でした。その議員はかつて鏑木を応援し当選させた張本人です。鏑木市長は、前市長に勝利してから前市長の癒着政治を浄化し、数々の改革を行って高天市の発展に貢献してきた実績があり、市長選に出馬さえすれば圧倒的な勝利間違いなしと言われています。

  あまつさえ、その依頼には市長の対立候補さえ決まっておらず、候補者選びの段階から聖にコンサルタントを依頼したいと言うのです。果たして、聖はこの不可能とも思える依頼を引き受け、ゼロから鏑木市長に挑戦するのでしょうか。


  小説は始まりからワンダーの連続で、息を切らせぬ展開が我々を小説世界へと引き込んでいきます。高天市で最も有力な財閥である小早川一族。その当主の娘、瑞穂は市長の配偶者であり、二人の仲は睦まじいものです。さらに聖のかつての妻、三枝操が鏑木次郎の選挙コンサルタントを務めているのです。そこに高天市民の組織票を牛耳るカトリック系、仏教系の宗教団体も加わり、小説は予期せぬ展開が続いていきます。

  この小説は、政治をテーマとしていますが間違いのないエンターテイメント小説です。真山さんのファンの中には、その小説に深さを求める方もいると思いますが、この小説にはそれを求めるべきではないかもしれません。面白い小説が読みたい方は、ぜひこの本を手に取ってください。ページをめくる手がもどかしくなること間違いなしです。

  日がすっかり長くなりました。短い夜にはぜひ面白い小説をお楽しみください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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