小説(日本)一覧

原田マハ 魔性の女「サロメ」とは何者か?

こんばんは。

  皆さんは、「魔性」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。

  この小説を読んで思い出したのは、シューベルトの歌曲「魔王」です。

  低音のピアノのリフで始まる「魔王」は、4つの異なる登場人物によって謳われます。もちろん、通常は一人のテノール歌手によって謳われるのですが、その詩には4つの視点から語られるのです。その主人公は「魔王」。

  ある晩高熱を出した息子を医者に診せるために父は夜の闇の中、息子を抱いて馬を走らせます。疾走する暗闇の中、魔王は熱にうなされる息子をいざなうように語りかけます。「かわいい坊や、一緒においで、楽しくに遊ぼう。綺麗な花も咲いて、黄金の衣装もあるよ。」

mahamasyou01.jpg

(楽譜「魔王」の挿絵 wikipediaより)

  息子は、父親に「魔王が見えないの?魔王がささやきかけてくるよ。」と訴えます。疾走する父は、「息子よ、あれはただの霧だよ。」と諭して安心させようとします。しかし、魔王は執拗に息子を誘います。「素敵な少年よ。一緒においで、私の娘が君の面倒を見よう。歌や踊りを披露させよう。」息子は救いを求めます。「お父さん、お父さん。見えないの?暗がりにいる魔王の娘たちが。」父「息子よ。確かに見えるよ。あれは灰色の古い柳だ。」

  歌曲は、おどろおどろしいピアノと4つのテノールによって、緊迫の中をカタストロフへと突き進んでいきます。魔王ついに本性をさらけ出します。「お前が大好きだ。いやがるのなら、力づくで連れていくぞ。」息子は抗います。「お父さん、お父さん!魔王が僕をつかんでくるよ。魔王が僕を連れていくよ。」恐ろしくなった父親は、息子を抱える腕に力を込めて一層速度を上げて闇の中を突き進みます。

  たどり着いた時に息子は息絶えていたのです。

  この魔王の持つ蠱惑的な言葉と破滅に導く力こそ、我々が「魔性」とよぶものです。

  今週は、文庫化された原田マハさんの新たな絵画小説を読んでいました。

「サロメ」(原田マハ著 文春文庫 2020年)

【原田マハの新たな絵画小説とは?】

  「サロメ」と言えば、旧約聖書の物語ですが、過去からあまたの画家が「サロメ」の姿を描いてきました。古くは、宗教改革のルターの盟友であったドイツ画家の巨匠クラーナハが描いたサロメが有名ですが、近年では象徴主義の大家である、ギュスターヴ・モローも「サロメ」を題材とした名画の数々を世に送り出しています。特に1876年に発表された「出現」は、宙に浮かぶ預言者ヨハネの首を指し示す妖婦サロメが描かれた傑作です。

mahamasyou03.jpg

(ギュスターヴ・モロー「出現」wikipediaより)

  しかし、今回原田マハさんが描いたのは、「サロメ」を描いた画家オーブリー・ビアズリーのエピソードでした。あえてエピソードとしたのは、この小説が物語ではなく「魔性」が出現したその瞬間を描くために執筆された小説だからです。

  皆さんも、オーブリー・ビアズリーの絵を一度は目にしたことがあると思います。あえて「画家」と書きましたが、彼の職業は挿絵画家でした。その最初の仕事は、トマス・マロリーが描いた「アーサー王の死」と題された本の挿絵画家としてでした。しかし、もっとも有名な絵は、オスカー・ワイルドが書いた戯曲「サロメ」の挿絵です。

  この本の表現を借りるならば、その挿絵は。「女はまるで亡霊さながら、おどろおどろしい横顔をしてぽっかりと宙に浮かんでいる。そしてその両手に掲げられているのは、麗しき髪と秀でた眉、永遠に瞼を閉じた男の生首。/女は男の首をかき抱き、たったいま、暗い池の中から空中に飛び出してきたかに見える。いや、池に見えるのは生首からしたたり落ちる黒い血だまり。女は血の池に浮かび上がる妖艶なのだろうか。」

  それは、魔性の美女「サロメ」そのものを蘇らせる魔力を備えた絵だったのです。

mahamasyou04.jpg

(オーブリー・ビアズリー「サロメ」挿絵)

  白と黒だけを使ったペン画にこれほどの魅力が備わっているとは、オーブリー・ビアズリーの天才はいったいどこから生まれ出たのか。その進化の秘密がこの小説に託されたひとつのテーマなのです。

  今回の小説はこえまでのマハさんの絵画小説とは一線を画した趣向にあふれています。

【ビアズリーとオスカー・ワイルド】

  オスカー・ワイルドは19世紀末のイギリスの作家。その代表作は、「ドリアン・グレイの肖像」です。昔から肖像画はそのモデルとなった人間が乗り移るものだと言われていましたが、この小説は不気味な小説です。ある日、画家のバジルは、友人のドリアン・グレイから肖像画を依頼され、その美貌あふれる姿を絵に収めました。この絵の美しさを見たドリアンの友人ヘンリー卿はその美しさをほめるとともに、ドリアンにこの世の常識にとらわれることなく、その美貌に似つかわしい自由奔放な生き方を強く勧めます。その誘惑に乗ったドリアンは、自分の代わりに肖像画に描かれた自分が年を取ればよいと宣言しました。

  このヘンリー卿は明らかにオスカー・ワイルド自らの生き方を語る本人の傀儡です。その言葉にそそのかされたドリアンは、その後、純粋な愛を求める美しき恋人を死の淵へと追いやり、さらそれをなじる画家バジルをも殺してしまいます。しかし、その後も乱れた、奔放な暮らしを続けるドリアン。20年を経てもドリアンは全く老いることなく、その美貌は衰えることを知りません。

  しかし、ドリアンがまったく変わらぬ美貌を保ち続けている間、バジルが描いた彼の肖像画は醜く変貌し、ドリアンに代わって年を取り続けていくのです。

  その結末はこの小説を読むにしかず、ですが、オスカー・ワイルドはこんな猟奇的な小説を描くだけのことはあり、自らが世の常識に従わない自由奔放な男だったのです。

mahamasyou05.jpg

(オスカー・ワイルド「サロメ」 books.rakutenより)

  イギリスと言えば、ジェントルマンの国です。

  その一方で、長い間、伝統と階級を重んじてきた社会でした。ピューリタン革命の時代から、貴族階級と労働者階級は完全に分かれており、貴族たちは支配階級として帝国に君臨していました。その世界観は特に保守的で厳格。階級が異なれば会って話をすることさえままならない世界が長く続いていたのです。19世紀末は、イギリス帝国の最盛期であり、こうした保守性と厳格さは彼らの誇りでもありました。

  同じころ、ドーバー海峡を渡った先のフランスでは、パリを代表される大敗を賛美し、自由を愛する人々が奔放な芸術活動を続けていました。印象派はもちろんのこと、パリでの芸術的成功を求めて、ピカソやゴーギャン、アポリネールなど若い芸術家たちがやがて来る新時代を前に芸術を語りあかしていました。保守的で厳格なイギリスでもこうした荒廃した世界にあこがれる人々もいました。オスカー・ワイルドは、こうした中、イギリスに颯爽と登場し、その自由奔放な行動と退廃的な芸術性で人気を博していたのです。

  イギリスで生まれたオーブリー・ビアズリーは、こうした退廃的奔放とは無縁な生活を送っていました。彼は、1898年に25歳と言う若さで夭折しますが、その原因は結核でした。彼が初めて結核と診断されたのは、7歳の時です。彼は、母親の収入でとても大切に育てられましたが、早くから芸術に才能を見せていたと言います。ピアノがうまく、文才もあり、絵がうまい。彼の画才はとびぬけていました。

  彼には、細やかな愛情そそいでくれた母と彼を守ることが当たり前のように育ってきた姉がいました。姉の名前はメイベル・ビアズリー。弟の画才を埋もれさせたくなかったメイベルは弟の絵を見せるために、オーブリーを連れて当時イギリスの画壇で名のあったエドワード・バーン・ジョーンズのもとを訪れます。

  このくだりは、この小説のひとつのハイライトですが、ネタバレとなるので小説を楽しみにしておいてください。そのときに、オーブリー・ビアズリーの画才は初めて世に認められることとなるのですが、この場に居合わせたのが、かのオスカー・ワイルドその人だったのです。

  この出会いからオーブリーの運命は大きく転換していくこととなるのです。

【原田マハが描く「魔性」とは】

  「あゝ、あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。」

  クライマックスの「サロメ」のセリフは衝撃的です。サロメは、ヘロデ王の前で「七つのヴェールの踊り」という世にもあでやかで妖艶な舞を踊ったほうびに、ヘロデ王にとらわれていた預言者ヨカナーンの生首を所望したのです。地下の監獄に繋がれたヨカナーンを一目見て恋に落ちてしまったサロメは、ヨカナーンに触れたくて千々に乱れる想いから逃れることができません。しかし、預言者はその思いをきっぱりと拒絶します。

  サロメは、自らの想いを遂げるためにヨカナーンの生首を求めたのです。

mahamasyou02.jpg

(原田マハ「サロメ」 amason.co.jp)

  この反道徳的で、しかも欲望に満ちた蠱惑は、人の欲望、想いに忠実であろうとするオスカー・ワイルドの想いそのものでした。そして、その桁外れな芸術を全く同じ感性で表現したのが、オーブリー・ビアズリーだったのです。二人は、余人には理解しえない魔性を共有します。

  今でこそ「LGBT」や「ジェンダ-」などの言葉で、同性愛の存在は知性ある人々に受け入れられつつありますが、19世紀末のイギリスでボーイズラブが受け入れられるわけもありません。オスカー・ワイルドは、劇場やアトリエ、さらには社交場に若くて美しい男性を数多く引き連れて訪問していました。それは、言外にボーイズラブを公言している行動です。

  そして、畢生の芸術である「サロメ」をめぐって、男たちの三角関係が繰り広げられていきます。それは禁断の世界であるとともに、芸術としてはまさに「魔性」の世界です。オーブリー・ビアズリーもその才能ゆえにその渦中へと巻き込まれていくのです。

  しかし、このボーイズラブの世界がこの小説の新機軸なのではありません。確かに、原田マハさんと「魔性」の世界はこれまで融合することはない世界でした。ところが、この小説はそれほど単純ではありません。

  これまで、マハさんは常に女性の視点に立って自立した女性の物語を語ってきました。絵画小説においても主人公のひとりは必ず颯爽とした女性でした。そう、今回の小説も例外ではありません。オーブリー・ビアズリーに最も近い女性は誰でしょうか。

  それは、結核の患う弟を守り、その絵画の才能を世に出し、自らも女優としての道を歩もうとするオーブリーの姉、メイベル・ビアズリーその人です。

  そして、今回描かれる「魔性」とは、これまで語られてきたオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーの間に生まれた禁断の魔性以上に「人間の性(さが)」そのものに肉薄するような「魔性」なのです。

  小説「サロメ」には、これまでの絵画小説のような謎解きやワンダーなプロットは使われていません。そうしたものはなくても、ラストのどんでん返しに皆さんは衝撃を受けるに違いありません。そして、その衝撃の伏線は、プロローグから周到に用意されているのです。

 皆さんも、この「サロメ」で、これまでとは一線を画す新たな原田マハの魅力に触れて下さい。その「魔性」に背筋がゾッとするに違いありません。


  世の中では、首都圏のコロナ新規感染者の数が急増しています。首都圏の皆さん、3密を避け、ソーシャルディスタンスを保ちましょう。感染対策が万全のお店で飲むときでも、声高に飛沫を飛ばすことなく、穏やかな会話を楽しみましょう。ここが我々の踏ん張りどころです。私も含め、皆さんの一つ一つの行動が日本と世界を救うのです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



真山仁 東京地検特捜部検事富永 再び!

こんばんは。

  4月16日に宣言された全国の緊急事態宣言が解除されました。

  5月25日。北海道および首都圏が残されていた緊急事態宣言がすべて解除されました。あれから1週間がたち、飲食店やフィットネスクラブ、そして映画館、商業施設などが感染対策を徹底したうえで再開され始めました。

hyouteki02.jpg

(宣言解除翌日の渋谷駅前 asahi.com)

  これからの合言葉は「With Corona」ですが、この言葉の意味をキチンと咀嚼する必要があります。これまでの世界の感染者数は560万人を超え、死者は36万人を超えています。その感染力の強さは驚異的であり、高齢者や既往症のある方の死亡率は非常に高くなっています。

  その事実を踏まえると、職場や施設内で感染者が発生した場合に、感染者と感染源の特定を可能な状態にするにはどうすればよいのか、発見すればすぐに休業ができる体制になっているのか。こうしたことを十分に準備して日常活動を再開することが必須要件だと思います。

  それよりも大切なのは、我々一人一人が感染しない、させないことを意識した生活を送ることです。仕事や飲食、健康維持の体力づくりなどをしていく中で、いかに感染を意識して生活をしていくことができるのか、が新型コロナとの共生なのだと確信します。それには、習慣を見直すことが大切です。マスクをすることが当たり前、公共の場所でもトイレがあれば手洗いする。施設に入るときには両手を消毒する。匿名で訪れたいような場所には行かない。

  こうしたことが習慣になれば、少なくとも市中での感染は著しく少なくなり、万一感染した場合でも感染源を特定できる確率が高くなります。この日常を守るためにも、ワクチンが開発され、それが廉価にいきわたるようになるまでは新たな習慣を大切にしましょう。

  さて、そんな中で読んでいた本は、真山仁さんが描く東京地検特捜部、富永検事の活躍を描くシリーズ第2弾を読んでいました。

「標的」(真山仁著 文春文庫 2019年)

【検察庁のフリーランス部隊とは】

  このシリーズは、産経新聞に連載されたシリーズ小説です。真山さんと言えば「ハゲタカシリーズ」がつとに有名ですが、意外なことにシリーズものはこれ1作だけだそうです。そして、作家10周年に至って何か新たなシリーズを書き始めたいと考えたのが、富永検事の小説だったといいます。真山さんと言えば、綿密な取材に基づいて現実以上にリアルに小説世界を描き出しますが、政治の世界も得意分野のひとつです。

  真山仁さんが政治を描いた小説では、日本の総理大臣の理想と腐敗を描きあげた「コラプティオ」が思い浮かびますが、政治と密接に関係している検察庁の物語は、真山ワールドに非常に親和性の高いテーマだと思います。

  かつて、日本の文学では「社会性」を描くことは普遍性を保つことができないという意味で、ある種、際物的に取り扱われていました。今でも「芥川賞」では、文学表現の独自性と斬新さが重視されており、社会的事象を取り扱うことは不似合だといえます。しかし、かつてのソビエト連邦でソルジェニーツィン氏が告発したような政治世界は、文学の先進性を見事に表現していました。イギリスやフランスから発し、アメリカに大きな繁栄をもたらした民主主義と自由主義経済の体制は、かのクロムウェルから数えれば300年にも及ぶ歴史を有しており、すでに普遍的な理念と言ってもよいのではないでしょうか。

  真山仁さんは、綿密な取材と真実性を兼ね備える小説を描くという意味で、あの山崎豊子さんを目標にしていると言います。

  今回、奇しくも安倍内閣が次期検事総長候補の検察検事長の黒川氏の定年の延長を、検察庁法を無視して閣議決定し、あまつさえ今国会で後出しジャンケンのごとく検察庁法の改正案を提出してその正当化を図りました。この法律改正案は、識者の猛反発を惹起して、SNSは大炎上。さらには、もと検察庁OBたちの反対直訴にまで及びました。

hyouteki03.jpg

(反対意見書を提出した元検事総長 manichi.com)

  この出来事は、黒川氏が自粛期間中にもかかわらず、某所で複数回の賭けマージャンに教師でいた事実が暴露され、検事長を自任するというお粗末な結果となり、法案改正も取り下げられましたが、政治家とは実に執念深い人種であり、検察庁人事への恣意性を条文に盛り込んだ改正はまた国会に提出されるに違いありません。

  こうしたことがなし崩し的に重ならないように我々はキチンとアンテナを立てておく必要があるのではないでしょうか。

  さて、検察官はたった一人でも犯罪者を起訴できるという権限を持っています。もちろん、起訴とは裁判を起こすための要件ですが、刑事裁判の場合、もしも無実であれば事件の被告となった人間は、被疑者として社会的に大きな痛手を被り、大きな損害賠償を請求されることになります。

  ですので、検察官は犯罪者が間違いなく有罪であることを客観的な証拠によって明確に立件できるだけの裏図家調査を求められることになります。もちろん、このことは警察官にも言えるわけですが、警察は逮捕権をもっていますが、訴訟を提起することはできません。起訴ができるのは、あくまでも検察官なのです。

  真山仁さんが描く富永検事は、一人でも捜査、起訴ができる検察官の代表なのです。

【「巨悪を眠らせない」検事】

  巨悪とは何か、それは東京地検特捜部にとっては大きな権力を持つ政治家の巨額の贈収賄事件、横領事件の摘発のことをさします。

  政治家は、逮捕や起訴に対して法令によって守られています。総理大臣は、法務大臣を通じて逮捕への拒否権を発動することができますし、国会議員は国会開催中に逮捕されることはありません。それは、彼らが日本の国益を代表する、行政と立法の代表者だからなのです。

  日本では、権力を持つ行政機関である自衛隊、警察官、検事官は、すべてシビリアンコントロール(文官統治)の下に置かれています。それは、全体主義国家による世界征服に代表されるように国の権力が全体主義に統治されれば、国民の虐殺や他国への侵略が行われることになることが、歴史的に証明されているからです。

  つまり、巨大な権力を有している組織では、その統治者に政治家である行政大臣が置かれているということです。彼らは、政治家であり常に国民のため、国益のために正義の徒であることが前提となっています。しかし、人間である限り、そこには権力欲や物欲、虚栄心があることを否定するわけにはいきません。とくに大臣や総理大臣は大きな権力を有しており、その権力の見返りに巨額の富を築くことも不可能ではありません。

  そのことを止められるのは誰なのか。

  それが、検察庁の中でも特別捜査を行う組織である各行政区にある特別捜査部なのです。特に東京地検特捜部は、その地域内に総理官邸や各省庁舎、国会議事堂を有し、過去にも政治家の利権に絡む数々の事件を捜査、起訴してきました。

  かの「ロッキード事件」では、ピーナッツに摸された巨額の現金が授受されて、時の総理大臣であった田中角栄が起訴され、有罪となりました。また、「リクルート事件」でも株の無償譲渡に関して贈収賄の疑惑が持ち上がり、複数の国会議員や元大臣が逮捕され、時の竹下内閣は総辞職に追い込まれました。

hyouteki05.jpg

(田中角栄元首相逮捕の報道紙面ー朝日新聞)

  前回の「売国」は、日本の宇宙開発技術に関する利権に絡んだ諜報的な漏えい疑惑を描いた手に汗を握る小説であり、テレビドラマにもなりましたが、今回のテーマは、次期総理大臣を目指す女性議員、越村みやびの疑惑に富永検事が対峙していくという、聞いただけでその展開に胸が躍るものです。

  実は、今回の小説の中には、前作がテレビドラマ化されたときの題名である「巨悪を眠らせない」との言葉がちょっとしたシャレで登場します。そのネタは後半に登場しますが、ぜひこの面白い小説を読んで確かめて下さい。

【次期総理大臣VS富永検事】

  真山仁さんの小説は、本当によく練られて面白い。

  今回の面白さは、主人公とわき役たちの生き生きとした動きと、それに伴い明らかになっていく事実の緊迫感あふれるワンダーです。

hyouteki01.jpg

(文庫版「標的」文春文庫)

  まず、主人公富永検事の陣営ですが、とことん「証拠」にこだわる富永検事の相棒を務めるのは、まだ若いが「割り屋」との異名を取るバイタリティ溢れる女性検事、藤山あゆみです。さらに二人の上司となるのは、強面の副部長である羽瀬検事。羽瀬は、ひと睨みするだけで嫌疑者が口を割るとさえ言われるやり手の検事ですが、やはり上司からの命令には従うという柔軟性も身に着けています。

  そして、迎え撃つ越村みやびは、48歳の国会議員。金沢の老舗酒造家の娘ですが、その人気と手腕はすべての議員が認めるところ。黛総理の懐刀として厚生労働大臣を務め、次期総理の有力候補として名をはせています。もしも、民自党の総裁選で勝てば、日本憲政史上初の女性総理大臣になると、話題となっているのです。

  さらに、東京地検特捜部と言えば欠かすことができないのはマスコミです。今回、ジャーナリストとして登場するのは名門新聞社である「暁光新聞」の記者、神林裕太です。元経済部の記者だった神林は、これまで数々のスクープをものにしてきたやり手記者の東條部長にみこまれて、遊軍ともいえるクロスボーダー部に呼びこまれています。

  さて、小説の中心となるのは、高齢化社会への政策として肝いりで制定された「サービス付き高齢者向け住宅」いわいる「サ高住」です。

  「サ高住」は、老人ホームや介護施設とは異なり、言葉の通りサービスを付加した高齢者向けの住宅のことです。つまり、高齢者向けの住居でありながらそこに医療サービスや介護サービスが付帯されているのです。この政策は、これからの超高齢化社会に向けて高齢者自身がサービスを選択し、自らの住居を選択するという理想的な政策として期待されてきました。

  しかし、補助金を伴う「サ高住」には、利権を求める人々が群がっていました。「サ高住」は、「高齢者の住居の安定確保に関する法律」に定められた住居で、リーマンショック後の不動産業界では、空き地と言えば「サ高住」と言われるほどの大ブームとなり、その補助金を目当てにして新築ブームが出現しました。

  そこには、新たな利権の構造が出来上がり、「サ高住」によって成り上がった勝ち組の業者がたくさん生じました。世の中では、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われますが、この制度にも悪徳業者が輩出し、与野社会問題となっています。

  ここに登場したのが、高齢者を食い物にする悪徳業者を駆逐する法律の制定に乗り出した越村みやびだったのです。兼ねてからこの問題に焦点を当てていた越村は、黛総理大臣の庇護のもと厚生労働大臣に任命され、この問題の解決に自ら乗り出したのです。しかし、そこは利権渦巻く世界でした。

  ある日、上司の羽瀬から呼び出された富永と藤山は、羽瀬から越村みやびの捜査を命じられます。そこには、「サ高住」問題解決の法案成立のためにある「サ高住」団体から越村みやびが多額の資金を受け取っている、贈収賄の告発があったのです。越村は、「清廉潔白」がトレードマークの政治家。それは次期総理大臣候補の越村みやびからは最も遠い世界の告発でした。

  ここから、我々は手練の真山節の世界へと引き込まれていきます。業師である現職の黛総理の姿がバックに垣間見える中、富永検事の手に汗握る戦いの火ぶたが切って落とされるのです。


  このシリーズは、真山さんにとっても思い入れあふれる作品です。その面白さは天下一品。真山ファンならずともその面白さには時間を忘れます。ぜひ皆さんもお楽しみください。このシリーズが末永く続くこと願ってやみません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



黒木亮 ヘッジファンド対国家の闘い

こんばんは。

    日本の政治家たちの危機管理能力には大きな疑問を持たざるを得ません。

  新型コロナウィルスへの対応について、中国から始まり韓国、日本へと広がってきていた感染の波は、いきなりヨーロッパに飛び火、さらにアメリカで拡大の一途をたどり、今や「オーバーシュート」を起こした国々では、外出自粛要請などという生易しい対応ではなく、首都における都市封鎖「ロックダウン」が宣言されています。イタリア、スペイン、フランス、そしてアメリカでは、都市封鎖を行っていますが、時すでに遅く医療崩壊が起きつつあります。

  日本では、まだ「オーバーシュート」(感染爆発)にはかろうじて至っておらず、今が踏ん張りどころ、との認識から夜の街を含めて外出自粛要請にとどまっています。日本の政治では、責任をうやむやにすることが状態となっています。今回、非常事態宣言から都市封鎖に至る決断は、責任を背負う覚悟が明確に必要な判断です。最も恐れるのは、オーバーシュートが起きてからの非常事態宣言と都市封鎖です。

  中小企業や個人事業主の皆さんも真綿で首を絞めていくようなじり貧の破綻は望んでいないはずです。借金まみれで102兆円もの予算を計上するくらいならば、その借金を使っての支援をしっかりと構築したうえで、2週間程度の都市封鎖が現状で最も効果があり、責任感のある政策だと思います。日本の政治家の先送り体質が思わぬ悲劇を起こすことがないように祈るばかりです。専門家委員会の答申を受けた政策がマスク2枚の配布とは、株価が下がるのも当たり前だとあきれます。

  さて、話は変わりますが、債権とは、簡単に言えば借金のことです。

  個人でも、企業でも、国家でも借金をすれば返済しなければなりません。通常、個人や企業は借金が膨らんで消せなくなった場合、法律によって債務の無効が宣告されることがあります。個人でいえば「自己破産」を申告し、借金をチャラにすることが可能です。企業の場合、会社法や会社更生法、民事再生法などによって、借金を軽減(放棄)して再建することができます。

  それでは、国の場合はどうなるのでしょう。

  国家財政も借金が膨らみ返せなくなると破綻することになります。

  今週は、国家の不良債権を食い物とする投資ファンドの小説を読んでいました。

「国家とハイエナ」(黒木亮著 幻冬舎文庫 上下巻 2019年)

500%リターンの投資とは?】

  大量の資金を運用して利ザヤを稼ぐ。これが投資ファンドの仕事です。

  真山仁さんが一躍その名をはせた小説「ハゲタカ」では、バブル崩壊によって日本国内に生じた倒産企業の不良債権や破綻寸前の企業を買いたたく「ハゲタカファンド」の暗躍を描いて大ヒットしました。その真山さんはその後、様々な分野の小説を上梓していますが、当時、まったく違う視点から投資ファンドを見事に描いた小説がありました。

  それが、黒木亮氏の「トップ・レフト」でした。

  この小説が上梓されたのは2000年の3月ですが、この時、黒木氏はロンドンの商社で金融部長を務めるバリバリの現役金融マンでした。「トップ・レフト」とは、海外の巨大投資案件で主幹事を取った企業に冠される栄冠です。国際投資シンジケートの主幹事の座を巡り、収益第一主義のアメリカの投資銀行マン龍花と日本の都銀で海外融資を担う銀行マン今西。世界を舞台に繰り広げられる戦いは息もつかせぬ展開で、時間を忘れて読みふけりました。

  この小説は、投資銀行と金融投資にまつわる専門用語が数多く登場し、難解といえば難解ですが、黒木氏が現実に身を置いている国際投資の世界をリアルに描いており、その迫力には目を見張りました。この作品を契機に黒木氏は専業作家に転身し、多くの作品を上梓してきました。

  このブログが始まってからも黒木氏の投資ファンド小説をたびたびご紹介してきましたが、作品を追うごとに小説はスケールアップしており、近年の作品はみな大河小説的なスケールで小説世界が描かれています。そのテーマは、格付け会社であったり、石油・天然ガスなどのエネルギーであったり、二酸化炭素の排出権であったり、とにかくディールにかかわるあらゆる物語へと及んでいるのです。

  その黒木氏が今回描くのは、国家予算規模のディールです。

  デフォルトという言葉をご存じでしょうか。国家破綻という言葉がリアルとなったのは、2010年、ギリシャの財政危機が報じられた時でした。そのときの報道は「ギリシャ、デフォルトの危機」と大騒ぎとなりました。デフォルトとは、債務不履行という意味です。ギリシャ危機の発端は、ギリシャ政府の財政赤字隠蔽でした。

  財政赤字とは、持っている資産よりも支出の方が大きいということで、その支出の赤字は借金(債務)によって支えられているということです。EUでは、加盟国の財政赤字幅をGDP3%以内と定めていました。ギリシャは、その割合を5%と公表し是正を求められていたのですが、実は赤字が12.7%となっていたことが発覚したのです。ここからギリシャの財政は債務不履行となる、と言われたのです。

  この危機は、EU諸国が資金を負担して3690億ドルの財政支援を行うことで回避され、2018年にはこの支援金も終了し、財政も黒字を保っています。3690億ドルとは、日本円にしていったいいくらなのでしょうか。なんと約413280億円となります。そこに発生する負債や債券の金額は、桁違いと言えます。

  今回の小説で描かれる投資ファンド、シェイコブスアソシエイツは、デフォルト国家の債権を二束三文で購入し、世界中で訴訟を起こしてその債権の元金と金利を回収する、との手法で強大なリターンを確保する投資ファンドです。デフォルト国家はもちろん資金不測の国ですから、その国民の経済も破綻しており、国民は失業して収入もなく、香港で不衛生な生活を強いられています。そうした国の債権を買い取り、元利すべてをむしり取ろうとする投資ファンドは、ハイエナファンドと呼ばれています。

  ジェイコブスは、このギリシャの財政危機に際して、ギリシャの借金である国債を徹底的に買いまくります。ギリシャはEUからの金融支援を受けるためにデフォルトを宣言するわけにはいきません。財政の悪化によって回収不安が増した国債の価格はアッという間に値段を下げていきます。二束三文となったギリシャの債権を安価で買いまくり、額面で回収できればその差額は莫大な利益となるわけです。しかし、一投資ファンドがギリシャを相手に不良債権の返済を求めても、デフォルトとなったギリシャから債権を回収できるわけではありません。

  そこで、ジェイコプスが行うのはギリシャが持つ資産の差し押さえです。

【“ハイエナ”ファンドとは?】

  国家の不良債権を狙った投資ファンドは、実際には「ハゲタカ」と呼ばれていますが、黒木氏は真山さんの小説ですっかり有名になった「ハゲタカファンド」と一線を画する意味で、こうしたファンドを「ハイエナ」と名付けました。ハイエナは、他の動物が仮で仕留めた死肉を横から盗み食いをすることで生きています。国家の債権を食い物にするハイエナファンドとは。

  黒木氏は、最初はこの小説を、アフリカ諸国をめぐるハイエナファンドとの争いを描く物語として構想したと語っています。

  物語の始まりは、アフリカのコンゴ共和国です。ハイエナファンドと呼ばれるサミュエル・ジェイコブスは1997年にコンゴ共和国に対する、すでに債務不履行となった債権を800万ドル(88千万円)で購入します。その債権の額面は7000万ドルですが、債権には利息が加算されます。この債券はもともとベルギー政府が融資した債券でしたが、コンゴ政府がデフォルト状態となったためにコゲついていました。ジェイコブスは、800万ドルで手に入れた債権で、7000万ドル(77億円)+数年分の利息(10%×5年とすれば、約47億円)を返済してもらう、というわけです。

  いったいジェイコブスは債務不履行に陥った債権をどのようにして回収するのでしょうか。

  金銭賃貸借契約には、必ず紛争が起きた場合の管轄裁判所が定められています。例えば、コンゴ共和国の場合にはベルギーの首都であるブリュッセルの裁判所が管轄裁判所となっています。債権を購入したジェイコブスは、ブリュッセルの裁判所でコンゴ政府を相手に自らの債権の償還の訴状を提訴することになります。さらに、債権を持つということは、債権の返済が行われない場合には、債務者の資産を差し押さえることができます。

  コンゴ共和国の主な財源は石油の輸出による収入です。ベルギーの裁判で債権への返済義務が認められれば、ジェイコブスは、債権者として石油を差し押さえることができます。コンゴ政府では、石油の輸出による収入を巧みにカモフラージュし、本来政府に入るべき収入を政府首脳が個人の収入にしている実態がありました。この石油の輸出は、税制優遇国に設立された複数のペーパーカンパニーを抜け道として、公に知られることがないように仕組まれていたのです。

  その巧みに構築されたスキームには、資金調達のための国策銀行も一役買っていました。

  黒木ファンなら、ニューヨークのカラ売りファンドである、パンゲアの北川靖の名前はおなじみだと思います。パンゲアは、この小説でも登場します。パンゲアは、コンゴ共和国の密輸出に絡む子国策銀行の株を空売りしようと、銀行が絡むコンゴの石油輸出スキームを探っていたのです。石油タンカーの動きを追うために北川は、アフリカ大陸の東側に浮かぶマダガスカル島に上陸します。この島から船を出し、石油タンカーの船籍がコンゴ共和国であることを暴こうというのです。

  敵の敵は味方。との言葉通り、コンゴ共和国の国策銀行株の下落を狙うパンゲアとコンゴ共和国の資産を差し押さえたいジェイコブスの思惑は、見事に一致するのです。その活躍は、ぜひともこの小説でお楽しみください。

【ハイエナファンドVS NGO

  国家が債務過多によって債務不履行状態になると、国の財政が破綻するだけではなく、国際的な経済活動が制限されます。ただでさえ経済的に不遇な発展途上国では、国民の一人当たりの収入が減り、子供に食事がいきわたらなくなり、貧困層が増大します。ハイエナファンドに訴訟を起こされ、資産を差し押さえられた国は財政不足と政治の腐敗から貧困にあえぐ国民を見殺しにします。国に保護されず、収入の道もない人々は子供に満足な食事を与えることもできず、次々に亡くなっていきます。

  そんな途上国の悲惨な状況に声を挙げる国際的なNGOが存在します。

  その幹部の一人は、何と日本人、沢木容子という情熱を内に秘めた女性です。

  このNGOは、世界各国に事務所を備え、世界中で過大な途上国の負債を減免させる運動を展開しています。例えば、「ジュビリー2000」は、貧困にあえぐアフリカ途上国の国際債務を帳消しにしようとする運動です。黒木さんは、実際に日本でこの運動の旗振り役出会った女性にインタビューを行い、迫真に迫る描写を実現しています。

  小説の読みどころは、ハイエナファンドと破たん国家の元首たちとの闘いですが、そこに正義をめざすNGOが登場し三つ巴の闘いが展開されるのです。1996年から20年にわたるハイエナファンドの闘いを描くこの小説は、黒木氏の新たな投資サーガの幕開けを告げるワンダーな物語です。お楽しみください。

  今、コロナウィルスとの闘いが正念場を迎えています。その勝利のためにも皆が人との接触8割減を目標に一人一人が努力を重ねるときが来ています。頑張りましょう!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



鳴神響一 脳科学と心理学の関係とは?

こんばんは。

  本屋巡りをしていると、時々サスペンスものや犯罪小説を読みたくなる時があります。本来は、インテリジェンスものが好きなのですが、著者の力量さえあれば警察物は面白い小説があふれている分野です。先日、本屋さんでサスペンス系を思い描いて本を眺めていると、文庫本の棚に「脳科学捜査官」という文字をみつめました。どうやらシリーズ化されており、4冊目が上梓されたようです。シリーズ化されるということは重版されるということで、売れているということ。

  しかも名前が女性なので、これまで読んだ乃南アサさんの音道貴子や深町秋生さんの八神瑛子をイメージしてしまいます。その題名に思わず魅かれて手に取ってしまいました。

makisanada01.jpg

(角川文庫「脳科学捜査官 真田夏希」amazoncojp)

「脳科学捜査官 真田夏希」

(鳴神響一著 角川文庫 2017年)

【現代版 女性警察官小説】

  警察小説といえば、一時期直木賞の常連でしたが、警察官と犯罪者それぞれの人生が交錯し、生きることの難しさと人の心の不思議さを描き出して、感動とワンダーを醸し出すことが期待されます。かつて、名作とは思い小説でした。しかし、SNSが世の中を席巻し、誰もがチョー短い文章で一発ウケを演出するような世の中では、重厚な小説が若い人たちの心をとらえるのは難しくなっていることは確かです。何といっても、アメリカの大統領をはじめ、世界の指導者たちからして、自ら言いたいことだけを一方的に表明して終わってしまうのですから、世の中あきれてしまう短絡さが蔓延するわけです。

  しかし、いくら昔はよかったと嘆いても、それは単なる愚痴に過ぎず、なぜこれだけたくさんの人間がSNSを便利に使いこなしているかに思いをいたす必要があると思います。

  この小説の主人公、真田夏希は31歳。これまで、心理医療を専門に研究し脳科学の学位も含めてカウンセラーや精神医療を仕事としていました。しかし、ある出来事をきっかけに臨床医療の現場を去り、神奈川県の心理分析官募集に応募し警察官になったという女性です。この著者の筆致はとても軽やかで、小説はサクサクと進んでいきます。

  最初の章は、初登場となる夏希の紹介となりますが、なんと彼女の婚活から物語が始まるのです。確かに31歳という年齢は適齢期には違いないのですが、女性警察官がどんなデートをするのか、興味が尽きない滑り出しとなります。彼女は容姿端麗といってもよい美人と自分で語っていますが、本当にそうなのかはよくわかりません。デートの席、友人の紹介で会うこととなった織田という男と横浜で食事をする場面からはじまります。語り部は、基本的に夏希自身ですので、夏希から見た織田の印象が続いていきます。織田は落ち着いたイケメンで、そのおだやかな語り口や教養あふれる語りも申し分ありません。

  二人は、ホテルの上層階にあるラウンジで改めて酒を飲むことにしますが、織田の隠れ家というバーで美しい夜景を見て、互いの仕事へと話が及ぼうとしたとき、はるか下界で爆発が起きるのです。しばらくすると、そのバーにも警察官が聞き込みに回ってきました。そして、その警察官は同じ神奈川県警。かつて、一緒に研修を受けた警察官だったのです。聞き込みが終わるや二人の警察官のうちひとりが、夏希に敬礼をして去っていきました。夏希の素性は、織田にバレてしまいます。

makisanada03.JPG

(横浜みなとみらいの夜景 travel-notedjp)

  その軽い展開は、まさに現代のエンターテイメント小説そのものです。

  真田夏希の婚活紹介はひとまずおいて、夏希は翌日から心理分析官としてこの爆破事件の捜査本部に派遣されることになるのです。

【脳科学捜査官とは何者】

  さて、警察の心理分析官とはいったい何をするのでしょうか。

  実は、神奈川県警本部において、心理分析官は夏希が初めての採用となります。近年の犯罪はあらゆる意味で複雑化した社会のゆがみが人の心に様々なストレスを与え、その結果、人の心が変容して発生します。犯罪心理学とは心理学の一分野ですが、脳科学から犯罪に切り込むというのは斬新です。人間の脳は、1千億の神経細胞(ニューロン)の間を数兆もの電気信号(シナプス)が行きかうことで体と心の活動を成立させています。

  我々の脳は、大脳と小脳が活動野をなしていますが、どの活動野がどんな活動を担っているのかが様々な研究から明らかになってきています。それと同時に脳内で分泌される各種神経伝達物質の働きも注目されています。

  最近よく話題となるのは、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質です。人間の感情がどこから湧いてくるのか、かつては心理学や文学がそれを分析するための手段でしたが、今では、ニューロンとシナプスの活動の中で生じる神経伝達物質が我々の感情と密接なつながりがあることがわかってきています。

  ドーパミンは、脳内の報酬系と呼ばれる神経系統と関わっており、喜びや快楽などを感じさせる神経伝達物質です。そして、ノルアドレナリンは、交感神経と密接に関係しており、人が精神的、肉体的にストレスを感じたときに分泌され、交感神経を刺激して血圧を高くして脈拍は早くなります。セロトニンは、脳内の視床下部や大脳基底核と呼ばれる場所に分布しているそうですが、この物質にはわれわれの精神を安定させる働きがあります。セロトニンは、日常、ドーパミンやニルアドレナリンの分泌を適度に抑制して制震を安定させています。この物質の分泌が乱れると、ドーパミンやノルアドレナリンが不足したり、過剰となることにより、不安症になったり、パニック症、総うつ症などが引き起こされることがあるのです。

makisanada0.JPG

(体内に行交う体内分泌物質 nhk-ondemand.jp)

  一方で、脳には扁桃体と呼ばれるとても古くからある1対の神経群があります。扁桃とはアーモンドのことで、その形がアーモンドに似ているのでこの名前となったそうです。偏桃体は原始的な脳神経で、感情を司ります。つまり、扁桃体によって人は感情をもってものごとを評価します。「好ましいもの」か「不快なものか」の判断を我々は扁桃体で行っているのです。しかし、扁桃体が嫌悪の評価をしたときにすべてがそのまま反射してしまうと生活に大きな支障が生じることになります。我々は、嫌だと思う人とでもいっしょに仕事をしなければならないこともあります。(その方が多いかも。)そのときに扁桃体の評価を抑える役目を果たすのが「前頭前野」です。

  「前頭前野」は、我々の脳の前にある領域で前頭葉の一部分です。人はこの分野で理性的な思考や感情のコントロール、判断、記憶などを行っています。扁桃体の発する評価(感情)をコントロールしているのがこの領域なのです。感情の抑制は、自動的に行われる場合と意図的に行われる場合があります。我々が嫌な人を見かけても、その人をすぐに殴らないのは自動的抑制のおかげなのかもしれません。

  今回登場する心理分析官である真田夏希は、こうした脳科学や心理学で犯罪者と闘っていくのです。小説では、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる大脳の状態が描写されています。それは、脳が静かにアイドリングしている状態を言います。つまり、脳に何の情報も入ってこない状態で、覚醒しているにもかかわらず働いていない状態を言います。天才たちのひらめきはこの状態で生まれると言われています。犯罪現場で、夏希は自らこの状態を創って、ひらめきに備えるのです。

  また夏希は、毎日、その日のストレスをその日のうちに解消し、いつでも脳が疲れのない状態で稼働できるように生活を規律しています。その意味で、彼女は脳科学捜査官として、自らの思考を意図的にコントロール(抑制)しているのです。その脳科学と心理学のスキルは、犯罪者のプロファイリングを行うときに、プロとしての力を発揮することになるのです。

【正体不明の爆破予告】

  この小説は、とても軽いタッチで描かれており、サクサクと読み進められるのですが、キャラクターとプロットはよく練られています。

  横浜の新高島駅近くにある神奈川県警高島署。その5階に「西区商業地域爆破事件捜査本部」が設けられ、夏希は、婚活デートの翌日にこの捜査本部に特別捜査官として派遣されることとなります。その使命は犯人のプロファイリングなのですが、爆破の翌日の捜査本部では、まだ何の材料も集まっているわけではありません。

  犯人は、今回の爆破について神奈川県警のホームページにメールで爆破の予告を行っていました。「2100、みなとみらい地区で爆発を起こす。マシュマロボーイ」、SNSでなされた予告に基づき、県警は爆発物の捜索を開始しますが、爆発までの時間はわずか15分。さらにみなとみらい地区はあまりに捜査範囲が広く、突き止められないまま爆破が実行されたのです。

makisanada06.JPG

(映画「ゴ-ストバスターズ」マシュマロマン)

  県警の警備部には、デジタル環境に対応するカウンター部門が設置されています。そこから派遣されている小早川警部補は、犯人のメールの送られてきたアドレスのIPプロトコルがスペインのバスク解放同盟のものであることを突き止めました。しかし、それは犯人の証拠隠滅と捜査かく乱のためのわなだったのです。

  捜査本部では、周辺地域の聞き込みと爆発物製造の経路、そして、メールの足跡を追うことで捜査を開始します。いつたいマシュマロボーイとは何者なのか。幸い爆発は、再開発地域の空き地で起きたので人身被害はありませんでしたが、この予告はこれから始まる犯人の本格的な爆破事件の幕開けにしか過ぎなかったのです。

  この小説には、魅力あるキャラクターが数多く登場します。

  夏希は心理分析官として初動の現場捜査に同行します。ところが、指定された車で待っていたのは、不愛想でぶっきらぼうな小川と後部座席に座っている警察犬だったのです。夏希は幼児時代に犬にかまれた体験から、犬が大の苦手です。後部座席を指定された夏希は高層ビルから飛び降りるような気持ちで後部座席に乗り込みます。

  警察犬の名前は、アリシア。鑑識課の小川はこのアリシアを使って現場で爆発物に連なる証拠を捜索していきます。このアリシアが警察犬として採用されたのには、一つの物語がありました。その物語は涙を誘いますが、それはこの本で味わってください。

  この小説は、筆致こそ軽快で気持ちよく読み進めますが、その登場人物の設定とプロットにはただならぬものがあります。捜査本部をあざ笑うようにマシュマロボーイが第二の予告を送り付けてきます。「今日の21時に横浜市内でふたたび爆発を起こす。」。あまりにも広い地域での予告に警察はただただ右往左往するばかりです。

  犯人の自己顕示欲に直接接触を試みるため、夏希は「かもめ★百合」というハンドルネームのメールで犯人に呼びかけを行います。そのメールに不敵にも回答してきたマシュマロボーイ。夏希対マシュマロボーイの闘いの火ぶたが切って落とされます。そして、心理分析官の夏希は、「マシュマロボーイ」に秘められた意味に行きあたります。それは、「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン・・・、とは関係なく、ある心理実験につながっていたのです。そして、マシュマロボーイは夏希に横浜を舞台とした爆破予告ゲームを仕掛けてくるのです。


  この小説は、魅力的なキャラクターと脳科学、というよりも心理学という捜査手法が秀逸で気が付くと小説世界に引き込まれています。犯人のキャラクターの掘り下げがもうひとつだったり、登場人物の名字がすべて戦国武将だったりと、ものたりなさやお遊びもありますが、夏希と犯人との対決には手に汗を握ります。すでに小説はシリーズ化されていますが、次の作品を読むのが楽しみです。

  ライトノベルが気にならない方、ぜひ夏希の婚活にもご注目ください。なかなか楽しめます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




鳴神響一 脳科学と心理学の関係とは?

こんばんは。

  本屋巡りをしていると、時々サスペンスものや犯罪小説を読みたくなる時があります。本来は、インテリジェンスものが好きなのですが、著者の力量さえあれば警察物は面白い小説があふれている分野です。先日、本屋さんでサスペンス系を思い描いて本を眺めていると、文庫本の棚に「脳科学捜査官」という文字をみつめました。どうやらシリーズ化されており、4冊目が上梓されたようです。シリーズ化されるということは重版されるということで、売れているということ。

  しかも名前が女性なので、これまで読んだ乃南アサさんの音道貴子や深町秋生さんの八神瑛子をイメージしてしまいます。その題名に思わず魅かれて手に取ってしまいました。

makisanada01.jpg

(角川文庫「脳科学捜査官 真田夏希」amazoncojp)

「脳科学捜査官 真田夏希」

(鳴神響一著 角川文庫 2017年)

【現代版 女性警察官小説】

  警察小説といえば、一時期直木賞の常連でしたが、警察官と犯罪者それぞれの人生が交錯し、生きることの難しさと人の心の不思議さを描き出して、感動とワンダーを醸し出すことが期待されます。かつて、名作とは思い小説でした。しかし、SNSが世の中を席巻し、誰もがチョー短い文章で一発ウケを演出するような世の中では、重厚な小説が若い人たちの心をとらえるのは難しくなっていることは確かです。何といっても、アメリカの大統領をはじめ、世界の指導者たちからして、自ら言いたいことだけを一方的に表明して終わってしまうのですから、世の中あきれてしまう短絡さが蔓延するわけです。

  しかし、いくら昔はよかったと嘆いても、それは単なる愚痴に過ぎず、なぜこれだけたくさんの人間がSNSを便利に使いこなしているかに思いをいたす必要があると思います。

  この小説の主人公、真田夏希は31歳。これまで、心理医療を専門に研究し脳科学の学位も含めてカウンセラーや精神医療を仕事としていました。しかし、ある出来事をきっかけに臨床医療の現場を去り、神奈川県の心理分析官募集に応募し警察官になったという女性です。この著者の筆致はとても軽やかで、小説はサクサクと進んでいきます。

  最初の章は、初登場となる夏希の紹介となりますが、なんと彼女の婚活から物語が始まるのです。確かに31歳という年齢は適齢期には違いないのですが、女性警察官がどんなデートをするのか、興味が尽きない滑り出しとなります。彼女は容姿端麗といってもよい美人と自分で語っていますが、本当にそうなのかはよくわかりません。デートの席、友人の紹介で会うこととなった織田という男と横浜で食事をする場面からはじまります。語り部は、基本的に夏希自身ですので、夏希から見た織田の印象が続いていきます。織田は落ち着いたイケメンで、そのおだやかな語り口や教養あふれる語りも申し分ありません。

  二人は、ホテルの上層階にあるラウンジで改めて酒を飲むことにしますが、織田の隠れ家というバーで美しい夜景を見て、互いの仕事へと話が及ぼうとしたとき、はるか下界で爆発が起きるのです。しばらくすると、そのバーにも警察官が聞き込みに回ってきました。そして、その警察官は同じ神奈川県警。かつて、一緒に研修を受けた警察官だったのです。聞き込みが終わるや二人の警察官のうちひとりが、夏希に敬礼をして去っていきました。夏希の素性は、織田にバレてしまいます。

makisanada03.JPG

(横浜みなとみらいの夜景 travel-notedjp)

  その軽い展開は、まさに現代のエンターテイメント小説そのものです。

  真田夏希の婚活紹介はひとまずおいて、夏希は翌日から心理分析官としてこの爆破事件の捜査本部に派遣されることになるのです。

【脳科学捜査官とは何者】

  さて、警察の心理分析官とはいったい何をするのでしょうか。

  実は、神奈川県警本部において、心理分析官は夏希が初めての採用となります。近年の犯罪はあらゆる意味で複雑化した社会のゆがみが人の心に様々なストレスを与え、その結果、人の心が変容して発生します。犯罪心理学とは心理学の一分野ですが、脳科学から犯罪に切り込むというのは斬新です。人間の脳は、1千億の神経細胞(ニューロン)の間を数兆もの電気信号(シナプス)が行きかうことで体と心の活動を成立させています。

  我々の脳は、大脳と小脳が活動野をなしていますが、どの活動野がどんな活動を担っているのかが様々な研究から明らかになってきています。それと同時に脳内で分泌される各種神経伝達物質の働きも注目されています。

  最近よく話題となるのは、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質です。人間の感情がどこから湧いてくるのか、かつては心理学や文学がそれを分析するための手段でしたが、今では、ニューロンとシナプスの活動の中で生じる神経伝達物質が我々の感情と密接なつながりがあることがわかってきています。

  ドーパミンは、脳内の報酬系と呼ばれる神経系統と関わっており、喜びや快楽などを感じさせる神経伝達物質です。そして、ノルアドレナリンは、交感神経と密接に関係しており、人が精神的、肉体的にストレスを感じたときに分泌され、交感神経を刺激して血圧を高くして脈拍は早くなります。セロトニンは、脳内の視床下部や大脳基底核と呼ばれる場所に分布しているそうですが、この物質にはわれわれの精神を安定させる働きがあります。セロトニンは、日常、ドーパミンやニルアドレナリンの分泌を適度に抑制して精神を安定させています。この物質の分泌が乱れると、ドーパミンやノルアドレナリンが不足したり、過剰となることにより、不安症になったり、パニック症、総うつ症などが引き起こされることがあるのです。

makisanada0.JPG

(体内に行交う体内分泌物質 nhk-ondemand.jp)

  一方で、脳には扁桃体と呼ばれるとても古くからある1対の神経群があります。扁桃とはアーモンドのことで、その形がアーモンドに似ているのでこの名前となったそうです。偏桃体は原始的な脳神経で、感情を司ります。つまり、扁桃体によって人は感情をもってものごとを評価します。「好ましいもの」か「不快なものか」の判断を我々は扁桃体で行っているのです。しかし、扁桃体が嫌悪の評価をしたときにすべてがそのまま反射してしまうと生活に大きな支障が生じることになります。我々は、嫌だと思う人とでもいっしょに仕事をしなければならないこともあります。(その方が多いかも。)そのときに扁桃体の評価を抑える役目を果たすのが「前頭前野」です。

  「前頭前野」は、我々の脳の前にある領域で前頭葉の一部分です。人はこの分野で理性的な思考や感情のコントロール、判断、記憶などを行っています。扁桃体の発する評価(感情)をコントロールしているのがこの領域なのです。感情の抑制は、自動的に行われる場合と意図的に行われる場合があります。我々が嫌な人を見かけても、その人をすぐに殴らないのは自動的抑制のおかげなのかもしれません。

  今回登場する心理分析官である真田夏希は、こうした脳科学や心理学で犯罪者と闘っていくのです。小説では、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる大脳の状態が描写されています。それは、脳が静かにアイドリングしている状態を言います。つまり、脳に何の情報も入ってこない状態で、覚醒しているにもかかわらず働いていない状態を言います。天才たちのひらめきはこの状態で生まれると言われています。犯罪現場で、夏希は自らこの状態を創って、ひらめきに備えるのです。

  また夏希は、毎日、その日のストレスをその日のうちに解消し、いつでも脳が疲れのない状態で稼働できるように生活を規律しています。その意味で、彼女は脳科学捜査官として、自らの思考を意図的にコントロール(抑制)しているのです。その脳科学と心理学のスキルは、犯罪者のプロファイリングを行うときに、プロとしての力を発揮することになるのです。

【正体不明の爆破予告】

  この小説は、とても軽いタッチで描かれており、サクサクと読み進められるのですが、キャラクターとプロットはよく練られています。

  横浜の新高島駅近くにある神奈川県警高島署。その5階に「西区商業地域爆破事件捜査本部」が設けられ、夏希は、婚活デートの翌日にこの捜査本部に特別捜査官として派遣されることとなります。その使命は犯人のプロファイリングなのですが、爆破の翌日の捜査本部では、まだ何の材料も集まっているわけではありません。

  犯人は、今回の爆破について神奈川県警のホームページにメールで爆破の予告を行っていました。「2100、みなとみらい地区で爆発を起こす。マシュマロボーイ」、SNSでなされた予告に基づき、県警は爆発物の捜索を開始しますが、爆発までの時間はわずか15分。さらにみなとみらい地区はあまりに捜査範囲が広く、突き止められないまま爆破が実行されたのです。

makisanada06.JPG

(映画「ゴ-ストバスターズ」マシュマロマン)

  県警の警備部には、デジタル環境に対応するカウンター部門が設置されています。そこから派遣されている小早川警部補は、犯人のメールの送られてきたアドレスのIPプロトコルがスペインのバスク解放同盟のものであることを突き止めました。しかし、それは犯人の証拠隠滅と捜査かく乱のためのわなだったのです。

  捜査本部では、周辺地域の聞き込みと爆発物製造の経路、そして、メールの足跡を追うことで捜査を開始します。いつたいマシュマロボーイとは何者なのか。幸い爆発は、再開発地域の空き地で起きたので人身被害はありませんでしたが、この予告はこれから始まる犯人の本格的な爆破事件の幕開けにしか過ぎなかったのです。

  この小説には、魅力あるキャラクターが数多く登場します。

  夏希は心理分析官として初動の現場捜査に同行します。ところが、指定された車で待っていたのは、不愛想でぶっきらぼうな小川と後部座席に座っている警察犬だったのです。夏希は幼児時代に犬にかまれた体験から、犬が大の苦手です。後部座席を指定された夏希は高層ビルから飛び降りるような気持ちで後部座席に乗り込みます。

  警察犬の名前は、アリシア。鑑識課の小川はこのアリシアを使って現場で爆発物に連なる証拠を捜索していきます。このアリシアが警察犬として採用されたのには、一つの物語がありました。その物語は涙を誘いますが、それはこの本で味わってください。

  この小説は、筆致こそ軽快で気持ちよく読み進めますが、その登場人物の設定とプロットにはただならぬものがあります。捜査本部をあざ笑うようにマシュマロボーイが第二の予告を送り付けてきます。「今日の21時に横浜市内でふたたび爆発を起こす。」。あまりにも広い地域での予告に警察はただただ右往左往するばかりです。

  犯人の自己顕示欲に直接接触を試みるため、夏希は「かもめ★百合」というハンドルネームのメールで犯人に呼びかけを行います。そのメールに不敵にも回答してきたマシュマロボーイ。夏希対マシュマロボーイの闘いの火ぶたが切って落とされます。そして、心理分析官の夏希は、「マシュマロボーイ」に秘められた意味に行きあたります。それは、「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン・・・、とは関係なく、ある心理実験につながっていたのです。そして、マシュマロボーイは夏希に横浜を舞台とした爆破予告ゲームを仕掛けてくるのです。


  この小説は、魅力的なキャラクターと脳科学、というよりも心理学という捜査手法が秀逸で気が付くと小説世界に引き込まれています。犯人のキャラクターの掘り下げがもうひとつだったり、登場人物の名字がすべて戦国武将だったりと、ものたりなさやお遊びもありますが、夏希と犯人との対決には手に汗を握ります。すでに小説はシリーズ化されていますが、次の作品を読むのが楽しみです。

  ライトノベルが気にならない方、ぜひ夏希の婚活にもご注目ください。なかなか楽しめます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




宮城谷昌光 呉越の宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに寒水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

goetu802.jpg

(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

goetu801.jpg

(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

goetu803.jpg

(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越のたたきの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、王の不在を守る闔閭の弟、夫概にご王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との戦いはここが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はせおの戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

goetu804.jpg

(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも第八巻では丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




宮城谷昌光 呉越宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに冠水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

goetu802.jpg

(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

goetu801.jpg

(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

goetu803.jpg

(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越の闘いの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、呉王の不在を守る闔閭の弟、夫概に呉王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との闘いはここからが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はその戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

goetu804.jpg

(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも小説の中で丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




濱嘉之 黒田情報官 北との闘い

こんばんは。

  2010年に登場した警視庁を舞台にした情報官の活躍を描く濱嘉之氏の「警視庁情報官」シリーズも7冊目を数えました。前作で、警視正に昇進し情報分析室の室長となった黒田純一。その新作が2年ぶりに登場しました。これまでのファンとしては「買わないという選択はないやろう。」とのCMどおり、見つけたその日に手に入れました。

「警視庁情報官 ノースブリザード」

(濱嘉之著 講談社文庫 2019年)

northb01.jpg

(「警視庁情報官 ノースブリザード」amazon.com)

  前回のブログ(2017年)で、主人公の黒田純一がマネジメント職となり、この先、小説としての語り方が変わるのでは、とご紹介しました。その通り、黒田情報室長は、部下200人のうちキャリア職の警部補6名を手足のように使い、彼らを、次世代を担うインテリジェンスオフィサーとして育てていきます。一方で、自らは、これまで培ってきた人脈をフルに活用して、日本を取り巻く東アジアの情勢を諜報していきます。

  今回の作品は、スリリングなエンタメ小説を期待する読者にとっては、チョット退屈な小説かもしれません。

【習中華人民共和国の台頭】

  インテリジェンスといえば、今、香港では「自由」を守ろうとする住民たちが中国を強く意識する政府に対して、毎週のように大規模なデモを行っています。ことの発端は、現香港政府が逮捕した犯罪者を本国に引き渡す条例を施行しようとしたことでした。

  香港がイギリスから中国に返還されたのは、199771日のことです。返還のもととなったのは、1984年の英中共同宣言でした。共同宣言では、1)外交、安全保障を除いて大幅な自治権を認める。2)資本主義制度と生活様式も50年間変えない、という「一国二制度」が合意されました。その宣言に基づいて、1990年には、香港特別行政区の憲法ともいえる香港基本法が中国の全国人民代表大会で採択されました。

  この年の前年に中国では悪名高き天安門事件が発生しています。香港基本法の採択は、天安門事件を契機に香港からの移民希望者が急増したことや国際社会からの非難を踏まえてのものとも考えられます。返還までの間、中国政府と香港行政庁(長官はイギリスから派遣)間では返還後の自治権により二制度をどのように維持するかで協議が続けられました。そんな中1991年には、香港立法評議会(国会)の選挙が実施され、結果は民主派勢力の圧倒的な勝利となります。

  この結果に警戒感を強めた中国は、1995年、150人からなる香港返還準備委員会を発足させ、民主化派が多くを占める香港立法評議会に変わる臨時立法会の設置と400名からなる推薦委員会の設置を定めました。ちなみに英中共同宣言では、「香港の最高責任者である香港特別行政区長官は、選挙または協議によって選出され、中央人民政府が任命する」とされています。

  香港返還20周年を機に長官に選出された林鄭氏。香港特別行政区の長官は、定数1200人からなる選挙委員会によって選出されますが、この選挙委員会はそのメンバーの3/4が新中国派で占められており、今回の選挙でも林鄭氏は、新中国派から777票を獲得して長官となりました。この選挙でリベラル派の曽氏が獲得した票は365票です。ちなみに世論調査では、曽氏の支持率は56%、林鄭氏の支持率は30%でした。

northb02.jpg

(1997年の香港返還式典 news.line.me)

  犯罪者引渡条例に反対する市民デモは、日に日にその参加者が増大。数万人規模のデモは、6月には200万人にまで拡大しました。中国は、人民解放軍を隣の杭州市に配置し、訓練を行うなど香港市民への圧力を強めていますが、今のところ香港行政府によるデモの鎮静化を第一義としています。デモの拡大と混乱(空港の占拠など)に苦慮した林鄭氏は政府として犯人引渡条例の撤廃を表明しましたが、時すでに遅く、デモの要求は民主化に向けてさらにエスカレートしています。

  先日、ついに香港自治政府の警察官がデモ参加の若者に対して拳銃を発砲し重傷を負わせました。さらに昨日は続いて私服警官がデモ隊に発砲し市民にけがを負わせたのです。デモ市民の一部が暴徒化し、最初の銃撃も警官が鉄パイプを持った若者に襲われたことから身を守るために発砲した正当防衛である、と香港政府は発表しています。しかし、拳銃を使った銃撃は明らかに弱者への脅迫であり、殺人未遂です。拳銃が素手の暴力に対する正当防衛であるはずはありません。

northb03.jpg

(若者に発砲する警察官 sankei.com)

  中国は、自らが自国内と宣言している地域が香港以外にもあります。それは、中華民国と呼ばれている台湾です。呼ばれているというのは、台湾は、アメリカが現在の中国と国交を樹立し、1971年公式に国連を脱退したことから、国際社会では「中国」と認識されなくなったことを指しています。台湾は、現在、15か国との間で国交を保っていますが、日本もアメリカに倣いすでに国交は断絶しています。

  台湾は当然ながら中国からは独立していると主張していますが、中華人民共和国である中国は、台湾を自国の一地域と考えています。問題は、台湾がそれを受け入れるか否かです。以前、中国の経済力が弱かったころに、台湾は中国の数倍の経済力を有していました。ところが、鄧小平氏の政策により経済特区が設定されるや中国は驚くほどの経済成長を実現し、アッという間に世界第2位の経済大国となったのです。

  台湾にとって、よりどころであった経済的優位を失ったとき、中国は本物の脅威として目前に立ちはだかることとなったのです。民主主義、資本主義を根本とする台湾。50年間の資本主義制度を保証された香港。香港で自由が保障されるか否か、は台湾に直結する問題となったのです。中国がこの二つの地域をどのように自らの中に取り込んでいくのか。戦争を仕掛けるわけにはいかない同胞に対して、中国はどのような姿勢で臨むのか。民主主義、自由主義を標榜する自由な国、日本にとって中国のメンタリティと方針は、もっともインテリジェンスセンスが問われる問題なのです。

【日本のインテリジェンス】

  さて、現在の日本にとって東アジアでの課題は、朝鮮半島と中国との距離です。

  朝鮮半島では、今、日本は北朝鮮も韓国も敵に回した状況となっています。良い悪いの問題はおいておくとして、徴用工問題に端を発した日韓の問題は今や泥沼といってもよい状態に陥っています。政府同士が不仲でも民間同士で交流が途切れなければまだ救いがあります。韓国では、日本製品の不買運動が蔓延し日本製品を買うには相当な勇気が必要なようです。人気が高い日本製ビールの輸出量は、対前年比で97%減と壊滅的です。さらに日本への韓国旅行者の数も7月には7.6%減少しています。

  北朝鮮との間には日本人拉致問題が横たわっており、この問題で解を見つけられないがぎり、日本は北朝鮮と関係を持つことはできません。北朝鮮は、今や核実験を何度も行い、単距離長距離ロケットの発射も行った結果、核兵器を使用する能力を獲得したと思われます。北朝鮮と韓国の間は、現在休戦中であり、朝鮮戦争はいまだに続いている状態は解決されていません。韓国の文政権はさかんに南北統一を口にしていますが、北朝鮮にしてみれば絵にかいた餅ほどの実現性も感じていないというのが現実ではないでしょうか。

  核兵器を開発した時点で、北朝鮮は対話の相手をアメリカに絞りました。アメリカとの対話のためにピョンチャンオリンピックと韓国を利用して、みごと仲介者として味方にすることに成功し、今や韓国を全く無視して、アメリカと3度の首脳会談を行うことに成功しています。その北朝鮮のバックにいるのは、今や世界に2国となった共産主義国の中国です。北朝鮮は、一時期、親中国派の高官を粛正するなど独裁化段階で中国の不興を買いましたが、アメリカとの交渉の過程で中国側の顔を大いに立てて、その関係を修復しました。

  現在、中国はその数千年の知恵から、敵対するアメリカの同盟国である日本を自らの陣営に近づけようと親日外交を繰り広げていますが、経済的利益の連帯以外で日本とは相いれるものではありません。その意味で、日本の外交は、常にアメリカの掌の中にあるといっても過言ではありません。では、日本はアメリカと同じ穴の中にいれば安泰なのでしょうか。

  そんなわけはありません。

  よく言われることですが、トランプ大統領は北朝鮮のロケットがアメリカ本土に届かなければ、単距離ミサイルが何度打ち上げられようが痛くもかゆくもないといえます。しかし、日本は単距離ミサイルであっても本土を攻撃される距離に存在しているのです。しかも、韓国はこともあろうに日本との防衛協定であるGSOMIAの継続を拒絶しました。日本は、原発施設を攻撃されれば壊滅的被害を受けます。(もちろん、人為的に選挙される恐れもありますが・・・)

northb04.jpg

(大統領府のGSOMIA破棄発表 tokyo.np.co.jp)

  中国や朝鮮半島は、地政学的に日本とつながっています。そうした意味で、日本は国を守るためのインテリジェンスを磨いていく必要があるのです。

  日本は、戦後、民主主義を標榜する国へと転換しました。その転換は同時に権力による国民への監視を弱める変化をもたらします。国民への監視を弱めることは、イコール外国人への監視を弱めることにもつながります。平成に日本では一度も武力を使った紛争、戦争が起こりませんでした。しかし、日本は本当に安全なのでしょうか。そこでは、大震災が起き、地下鉄サリン事件が起き、国民の危機が発生しています。

  そうした危機が、人為的に起こされる危険はないのか。日本が平和利用を目的として開発した技術が盗まれて軍事転用されるリスクはないのか。世界中が日本の原子力技術やロケット技術、はたまたAI技術、遺伝子技術をのどから手が出るほど欲しがっているのです。

  日本は、冷戦のさなかからスパイ天国と揶揄されます。現在のテロリストたちが徘徊する世界を認識したとき、日本に接待に必要なのはカウンターインテリジェンスをになう情報機関です。今回の本は、改めて私たちのその危機感を思い起こさせてくれます。

【ノースブリザードとは?】

  今回の小説を小説と呼ぶかどうか、議論が分かれるところかと思います。というのも、第3章くらいまで、小説にはほとんど展開がないからです。黒田情報官は室長と言う立場もあって、今回は北海道やアメリカに諜報のために出張します。そこで、ロシアのエージェントやイスラエルのエージェントに北朝鮮情勢をヒアリングします。そこで交わされる会話は、現在の東アジア情勢の最前線に他なりません。

  そこでは、ほとんど見立てと諜報へのうんちくが延々と語られます。私のようなインテリジェンスオタクには思わずのめりこむような話なのですが、面白い小説ファンにとっては何の展開もなく、まったくワクワクしない語りだと思います。

  しかし、第4章から物語は動き始めます。北朝鮮の諜報員が日本に潜入していることが黒田情報官の活躍で判明します。ここからの展開は、これまでのシリーズをほうふつとさせる展開が待っています。やはりこのシリーズは、日本のインテリジェンス小説としては秀逸なのではないでしょうか。インテリジェンスに対するうんちくに興味のある方は手に取ってみることをお勧めします。

  スパイ小説に意外性や意外な展開を求める方には、第3作目あたりがおすすめです。


  ところで、またまたラグビーワールドカップの話です。サモア戦、迫力満点でしたね。この勝利を見ると日本の強さが本物であることがよくわかります。フィジカルが強く、ペナルティねらいのサモアに対して、日本は本当に冷静かつ力強い戦いを繰り広げました。後半13分頃まで、26対19。日本とサモアの点差は7点差。ワントライで同点です。それでも日本は4トライによる勝ち点1までも狙っていたのです。最後の連続スクラムからの松島選手のトライには、体が震えるほど感動しました。

northb05.jpg

(松島選手のラストトライ asahi.com)

  「ONE TEAM」の合言葉通りの闘いに熱烈喝采です。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その2)

こんばんは。

  面白い小説を読んでいると、いつまでも終わって欲しくないためにページをめくる手を押さえたくなる時があります。前回からご紹介しているこの小説は、まさにページをめくる手を止めたくなるほど緊張感にあふれる小説です。それもそのはず、そこに描かれているのは、12日間に渡って100人近いピアニストの中から1人の優勝者を決める芳ケ江国際ピアノコンクールのすべてなのです。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  ところで、コンクールと言えばこの本を読んでいる間にうれしいニュースが飛び込んできました。世界的にも有名なピアニストの登竜門、チャイコフスキー国際コンクール。先日行われた第16回コンクールのピアノ部門で日本人が27年ぶりに2位入賞の快挙を成し遂げたのです。その日本人とは、東京音楽大学3年生で20歳の藤田真央さんです。藤田さんは、2017年に18歳でクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝したとの経歴の持ち主。

mitsubachi09.jpg

(コンクール第2位 藤田真央さん spice.eplusより)

  音楽の神に祝福されたピアニストの快挙に思わず拍手してしまいました。

【心憎い小説の演出】

  さて、前回、著者の恩田さんがこの著書に込めた様々な工夫についてお話ししましたが、それ以外にも著者の仕掛けはプロフェッショナルであり、数えきれません。

  普通、クラシック音楽のファンでなければ国際コンクールと言っても故中村紘子さんの本で有名になったチャイコフスキー国際コンクールや最近生誕200年として、各地で話題となった国際ショパンコンクールの名前をかろうじて知っている程度です。ましてや、日本で行われるコンクールがどんな日程で、どんなプログラムで実施されるのか、知る由もありません。

  著者は、小説を読むうちに素朴な疑問がいろいろ湧き上がることを考えて、小説が始まる前に事前知識を我々に開示してくれます。まず、コンクールがどのような曲で行われるのかとの情報です。それは、参加するコンテスタント(競技参加者)たちがエントリーするための課題の一覧です。

  第一次予選:①バッハ平均律クラヴィーア曲集より1曲。ただし、フーガが三声以上のものとする。②ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第1楽章または第1楽章を含む複数の楽章。③ロマン派の作曲家の作品より1曲。*演奏時間は合計で20分をこえてはならない。

  ちなみに超絶技法を持つ19歳のイケメン、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの第一次予選のエントリー曲は、①バッハ「平均律クラヴィーア曲集第一巻第六番」、②モーツァルト「ピアノソナタ第十三番第一楽章」、③リスト「メフィスト・ワルツ第一番 村の居酒屋の踊り」と記されています。

  こうして、コンクールの予選本選のエントリー課題曲の条件と小説で描かれる4人のコンテスタントのエントリーした実際の課題曲が一覧表で示されているのです。これを見るだけで、我々はこのコンクールの奥深さと、高島明石、栄伝亜夜。マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵がこの12日間にどんな曲で演奏に挑んでいくのか、その姿が浮かび上がってくるのです。

  一次予選は20分の演奏ですが、第二次予選は40分未満、第三次予選は60分以内、と予選が進むに従ってその力量を問われることとなり、さらに本戦は、小野寺昌幸指揮、新東都フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を共演し、ソリストとしての存在感を問われることになります。特に第二次予選では興味深い課題が仕組まれています。それは、このコンクールのために作曲された新作のピアノ曲を演奏するとの課題です。

  今回お題となる曲は、菱沼忠明作曲の「春と修羅」。

  皆さんこの題名からピンとくるものがあると思います。そう、この曲はみちのくの作家宮沢賢治が書き記した詩集の題名です。このブログでもご紹介した「ビブリア古書堂の事件手帖」にもその初版本が登場しましたが、この作品には24歳で亡くなった妹トシとの別れを謳った「詠訣の朝」やトシとの交流を描いた作品など、その壮絶な心象風景が謳われています。この曲をどのように解釈し、その息吹を表現するのか、それが第二次予選のハイライトとなるのです。

mitsubachi08.jpg

(「春と修羅」初版本 中古本サイトより)

  小説で丁寧に描かれていく主人公たちの優勝を目指す演奏は、読者に提示されたそれぞれのエントリー曲が次々と登場し、我々をコンクールの世界へといざなってくれるのです。そして、高島明石、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵。4人のコンテスタントがそれぞれの個性と人生を振り返りながら、音楽の表現者として驚くほどの成長を遂げていきます。その姿に我々は手に汗を握って小説世界に没頭します。

【伏線、そして第三の視点】

  この文庫本には、下巻の最後に、この小説が雑誌に連載されていた当時の裏話を編集者が描いた解説が掲載されています。それを読むと、まず恩田さんの「国際ピアノコンクールを最初から最後まで小説にしてみたい。」との執筆の動機が語られています。小説を読み終わると、まさに著者の言う通りのことがこの小説に描かれていることが分かります。

  しかし、日本で行われるピアノコンクールをその最初から最後まで描いた小説が、なぜこれほど面白いのでしょうか。そして、なぜこの小説が恩田陸さん待望の直木賞を受賞し、さらに2度の受賞はないと言われていた二度目の本屋大賞を受賞したのでしょうか。

  もちろん、前回お話しした多彩の登場人物たちの視点をちりばめて、たくさんの個性豊かな登場人物がそれぞれの言葉でコンクールや演奏を語ることが、この小説の大きな魅力となっていることに間違いはありません。それにしても、だれでも親しめるわかりやすい言葉で語られているこの小説。恩田さんがこの作品の中にいかに数々のドラマを練りこんでいるのか、それを語っていきましょう。(以下、かなりのネタばれあり)

  ここまで、この小説の主人公であるコンテスタント4人についてご紹介しましたが、この小説は、それだけでは語れないほど多層的です。前回、高島明石の奥さんの語りを紹介しましたが、この小説ではピアニストの家族や師匠のほかにも大切な語り部が存在しているのです。それは、コンテストの行方を左右する神のような審査員の存在です。

  この小説が面白いのは、小説が一つの謎解きのような構造を持っていることです。

mitsubachi07.jpg

(文庫「蜜蜂と遠雷」下巻 amazon.co.jp)

【仕掛けられた謎とは?】

  この小説に仕掛けられた最も大きな謎は、16歳のコンテスタント「風間塵」そのものです。彼は、プロローグにも、エピローグにも登場するのですが、彼の存在そのものがこの小説の謎そのものとなっているのです。謎には、それを解き明かす探偵が必要です。この小説では、コンクールの審査員たちが謎を解く探偵としての役割を果たしているのです。

  最近のハリウッド映画では、エンドロールに撮影ユニットのスタッフが数多く紹介されます。例えば、ロケ地によって、ロンドンユニット、ニューヨークユニット、トウキョウユニットなどと撮影班やクリエーターたちがそれぞれ映像を作り上げていきます。それと同様にこの魅力あふれる小説では、審査員ユニットがそれぞれの予選において、小説の謎解きを担っているのです。

  審査員を代表するのは、嵯峨三枝子という国際的な一流ピアニストです。小説の冒頭、「エントリー」の章では、フランスのパリで行われたコンクールのオーディションの光景が描かれます。このオーディションの審査員である三枝子、セルゲイ・スミノフ、アラン・シモンの3人は、若き謎のピアニストを目の当たりにするのです。

  その名は、「ジン・カザマ」。

  三枝子は、エントリーシートでこの名前を見た時、そのエピソードに目を奪われます。そこには、「師事した人」としてユウジ=フォン=ホフマンの名前が記されていたのです。ホフマンは、最近鬼籍に入った世界的なピアニストであり、その演奏はすでに伝説と化していたのです。さらに、そこには推薦状ありと記されています。5歳からホフマンに師事。伝説のホフマンは弟子を取らないことでも有名です。いったい「ジン・カザマ」はどんな演奏を聞かせるのか、その演奏を前に三枝子の鼓動は高まっていきます。

  「ジン・カザマ」は、最後の演奏者。ところが、時間になっても本人は登場してきません。会場が戸惑う中、しばらくすると本人が息せき切って現れます。現れたのは、子供と見違えるような少年でした。その幼い笑顔に驚く三枝子ですが、ピアノの前に座り鍵盤に指を置いた途端、三枝子はその演奏に心をえぐられるような衝撃を覚えたのです。

  オーディションの審査員3人は健啖家であると同時に無類の酒好きで、その審査も保守本流から遠く離れた破天荒な評価をすることで名が知れていました。その3人は、「シン・カザマ」の衝撃的な演奏を聴いた後、伝説のピアニスト、ホフマンの推薦状の内容について語り合います。その内容は・・・。

「皆さんに、カザマ・シンをお贈りする。

 文字通り、彼は『ギフト』である。おそらくは、天から我々への。

 だが、勘違いしてはいけない。試されているのは、彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。仲には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。

 彼を本物の『ギフト』にするか、それとも『厄災』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。」

  「ジン・カザマ」の弾く、モーツァルト、ベートーヴェンを聴いて三枝子は怒りに身を震わせます。「こんな音楽を私は認めない。」 三枝子は、審査に当たって彼の演奏を0点としますが、他の審査員が満点に近い点をつけたことで、彼はオーディションに合格。本番の芳ケ江国際ピアノコンクールにコンテスタントとして登場することになったのです。

mitsubachi10.jpg

(浜松国際ピアノコンクール 大ホール actcity.jpより) 

  いったい「ジン・カザマ」とは何者なのか。彼は、コンクールでどんな演奏を聞かせてくれるのか。その謎は、最後まで我々にこの小説を楽しませてくれるのです。

【音楽の魅力を描く】

  素晴らしい語り部は、物語を魅力的にしてくれます。

  恩田さんは、この小説にこれまで培ってきたすべてを注ぎ込んでいます。そのプロットももちろんですが、その中にちりばめられる音楽にかかわる様々なエピソードにも心を奪われます。

  審査員の一人である高名なピアニスト、ナサニエル・シルヴァーバーグは、イギリス人でありながらアメリカのジュリアード音楽院で教授を務めています。彼は、三枝子の元夫であると同時に、コンテスタントであるマサル・カルロス・レヴィ・アナトールの師匠でもあります。彼は、かつて伝説のピアニスト、ホフマンの押しかけの弟子でした。「シン・カザマ」はそのホフマンの弟弟子。しかし、自らの弟子マサルの強力なライバルでもあるのです。彼の存在が、ジンとマサルの対決をさらに盛り上げてくれます。

  また、本選でピアノコンチェルトが演奏される場面では、新東都フィルハーモニー管弦楽団を指揮する小野田昌幸のこんな述懐も披露されます。以前のコンクールでは、4人のコンテスタントが全員ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」をエントリーしたことがあり、4人のコンテスタントに対して同じテンションで演奏をしなければいけないと分かっていても、4回目には緊張感を維持することが大変だったと語ります。コンクールを担当する指揮者は、人知れぬ苦労があるのだ、と思わず同情してしまいました。

  そして、この小説で最も重要な役割を担っているのは、音楽の神様です。音楽の神様は、いったいコンテスタントたちに何をもたらすのか。この小説のテーマは、そこに尽きるのです。そして、小説の題名にもそのテーマが通底しています。「蜜蜂と遠雷」、それは音楽以前の音そのものを表わしているのです。


  音楽が好きな方もそうでない方も、ぜひこの小説で「音楽と人」のすばらしい関係を味わってください。興奮と感動を味わうことができること請け合いです。ただし、夜に読み始めると、必ず徹夜になってしまうのでお気を付けください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その1)

こんばんは。

  恩田陸さんは、これまで様々なアプローチで、吉川英治新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞など数々の賞を受賞しています。その恩田さんが2017年、ついに直木賞を受賞しました。その作品は、「蜜蜂と遠雷」。この作品は、直木賞と共に恩田さんとしては2回目の本屋大賞をも受賞しました。いったいどれほど面白い本なのでしょうか。その「蜜蜂と遠雷」がついに文庫で発売されたのです。

  いつも本の話題で盛り上がる本好きの先輩も単行本で読んで、大推薦。ずっと推薦本リストに載っていました。本屋さんで文庫本を見て、すぐに購入したのは当然でした。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

mitsubachi01.jpg

(文庫「蜜蜂と遠雷 上巻」 amazon.co.jp)

【クラシック音楽の素晴らしさ】

  音楽を文章にすることは難しい。

  クラシックは、再現芸術です。まず、楽譜を書いた作曲家がおり、演奏家はその楽譜に従って自らの解釈や想いをその音に乗せて音楽を奏でます。さらにオーケストラが奏でる音楽の場合には、そこに指揮者による楽譜の解釈が加わることになるのです。そのために、同じ作曲家の音楽でも演奏家や楽団、指揮者によって時には全く別の音楽に変身してしまう場合もあるのです。

  例えば、最も好きなブラームスの交響曲第一番にしても、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルの交響曲全集は知られていますが、イギリス人らしい軽快なブラームスはあまり趣味に合いません。ダニエル・バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団のブラームスは、低音域を響かせようとする解釈が曲の美しさをとどめているところに難があり、先日亡くなった大御所ロリン・マゼール指揮、クリーブランドファイルのブラームスは、華やかに歌い過ぎていて納得できません。

  やっぱり、1959年にカール・ベームがベルリン・フィルを指揮したグラムフォン録音のブラームが最高でした。ブラームスは、ベートーヴェンの交響曲の偉大さにプレッシャーを感じて作曲家として名を成したのちにもなかなか交響曲を書くことができませんでした。若き日に交響曲のために書いたスコアは、ピアノ協奏曲やレクイエムに転用され、第1番が完成したのは構想から21年を経た43歳のときだったのです。そこに込められたベートーヴェンを継承しつつ新たな交響曲を創るとの思いは、粘着質なブラームスの中では、濃淡と起伏にとんだこの第1番にいかんなくあらわされています。

  もう何十年もこのベームの盤を超えるブラームスを聴くことが出来なかったのですが、先日、ついにベームを超えるブラームスを耳にしたのです。それは、ライブで味わったドイツ・カンマーフィルのブラームスでした。指揮者はパーヴォ・ヤルヴ。その解釈は、出だしの荘厳な弦楽器から魂に響くかのような張りと深みを備えた重層音から始まり、その戦慄が唄うような管楽器に見事に引き継がれ、古典とロマンを繰り返しあざやかな音を届けてくれました。音楽に最も心を動かされた瞬間でした。

mitsubachi02.jpg

(「ヤルヴィ指揮 ブラームス1番」 amazon.co.jp)

  話は横道にそれてしまいましたが、指揮者によってオーケストラが奏でる音がまったく異なるように楽器の場合には演奏家によって曲は全く別の顔を持つようになります。先日、ファジル・サイのベートーヴェン「熱情」を聴きましたが、彼の心の底からわき出るような荒けづりなピアノの音は、ベートーヴェンのスコアを超えて、演奏家の情念を我々に聞かせてくれました。アルゲリッチ、ポリーニ、内田光子、アシュケナージ、ツィマーマンとすべてのピアニストが名ピアニストですが、同じ「熱情」は一つとしてありません。

  一人の演奏者が、作曲家が残した楽譜をどのように解釈、消化して音として表現するのか。それは、その演奏を聴けば分かります。しかし、こうした再現芸術の素晴らしさを言葉や文章で伝えるにはどうしたらよいのでしょう。かつて、文豪トーマス・マンは、「ファウスト博士」を執筆するときに、主人公であるアドリアン・レーヴァーキューンのピアノ演奏を表現するために、音を文章にする訓練を積んだと言います。ノーベル賞作家にして、音楽を文章や言葉に翻訳することは非常に難しい仕事だったのです。

【音楽と人のための小説】

  今回の小説は、国際ピアノコンクールにおけるピアニストたちの闘い?を描いた大作です。そのコンクールは日本国内で最も有名な「芳ケ江国際ピアノコンクール」です。3年に1度芳ケ江市で開催されるコンクールは、そのオーディションが世界各国で行われ、そこで選ばれた90人のピアニストが優勝を勝ち取るために芳ケ江市に集い、その演奏を競うイベントです。恩田さんは、ここに参加する4人の若者たちの活躍を中心に、「エントリー」、「一予選」、「二次予選」、「本選」と4つの章に渡って描いていくのです。

  それにしても、演奏家のタマゴたちが競い合う国際ピアノコンクールを描いた小説が、直木賞や本屋大賞を受賞できるのか。とても不思議です。この作品の執筆量は半端ではありません。文庫本では、上巻454ページ、下巻491ページというボリュームですが、その物語の面白さに一気に読み進んでしまいます。その面白さに読み始めるともう止まらないのです。

  最初に読み始めたときに、思わず表紙を見直して著者の名前を確認してしまいました。著者は、確かに恩田陸さんです。見返してしまったのは、これまで読んだ恩田さんの文章と、全く異なる筆運びだったからです。小説は、ピアノコンクールへの「エントリー」と題された章からはじまります。描かれるのは、16歳の少年です。名前は明かされません。見知らぬ外国の街で、時間に遅れないように急ぐ少年の描写。

  そうです。小説はコンクールに参加する若い音楽家たちを描くことを中心に進行していきます。コンクールの参加者は、一番年上の若者が28歳、最も若いコンテスタント(参加者)は15歳。その世代の闘いが描かれます。そこに審査員や参加者の師匠もからんできます。こうした小説には、それにあった文体が必要です。恩田さんは、これまで築き上げてきた小説作法や文体の中で、この小説のための文章を紡ぎ出したのです。それは、これまでの小説にはない、平易でリズミカルな文章だったのです。

  さらに、恩田さんはこの小説を面白くするために様々な技法を駆使しています。各章にはエピソードごとに小見出しが創られています。その見出しが、また見事に音楽を描く小説らしい見出しとなっています。例えば、「第二次予選」と題された章のエピソード見出しは、「魔法使いの弟子」、「黒鍵のエチュード」、「ロンド・カプリチオーソ」、「音の絵」、「ワルキューレへの騎行」、「月の光」、「虹の向こうに」、「春の祭典」、「鬼火」、「天国と地獄」、と音楽ファンならば、思わずほくそ笑んでしまう題名が続いています。

mitsubachi06.jpg

(「魔法使いの弟子」のミッキー YouTubeより)

  そして、恩田さんが小説家としてのプロの技を発揮しているのは、その表現です。この小説には、本当に多くの登場人物が登場するのですが、著者は数多くのエピソードを別々の登場人物の視点から描いていくのです。当然、語り部によってその文体も変わっていきます。

  この小説の主人公の一人、高島明石は26歳の会社員です。彼は、ピアニストでもありますが、結婚し子供が出来てある楽器メーカーに就職して日々の仕事に励んでいます。しかし、芳ケ江国際コンクールエントリーの記事を見た時に、これまで抑えてきた音楽への探求心が頭をもたげます。ピアニスト、音楽家としてもう一度だけコンクールに挑戦してみたい。その想いを周囲の人々に打ちあけ、奥さんの協力も得て、芳ケ江国際ピアノコンクールにエントリーしたのです。

  彼を取り巻くエピソードの多彩さに我々は思わず小説世界に引き込まれていきます。彼がピアノの世界へと導かれたのは、世の中の音に俊敏な耳を持つ田舎のおばあさんでした。蚕小屋を営むおばあさんは、蚕の葉をかむ音の中で良質の繭を養蚕していました。家にあったピアノを弾き始めた明石は、ピアノを弾いた時の自分の心の中を見抜くおばあさんの耳の良さに驚きます。そして、明石の音楽への熱意を知ったおばあさんは、貯金をはたいて明石にグランドピアノを買い与えてくれたのです。

  さらに明石を取り巻く人々も描かれます。高校時代の様々なエピソード。明石の高校時代の同級生である雅美は、いまテレビ局で仕事をしています。彼女は、良く知る明石がピアノコンクールにエントリーしたことを知り、取材を申し入れます。その申し出とは、エントリー後、実際にコンクールで競い合う姿をドキュメンタリー番組にしたいので、映像も含めて取材させてほしいと言うものでした。かつての同級生の願いを快く聞き入れた明石。そこから雅美の取材が始まります。

  コンクールに挑む明石の姿は、いくつもの視点から描写されていきます。本人の視点、同級生であり取材者でもある雅美の視点、審査員の視点、明石の奥さんである満智子の視点、そして作者の視点。こうした多彩な視点と多彩な文体が我々をコンクールの世界へと導いてくれるのです。特に心を動かされたのは、満智子の視点です。

  「第一次予選」。明石のエントリーナンバーは22番でした。コンクールの初日は日曜日でしたが、一日16名が演奏するコンクールで、明石の演奏は2日目の月曜日に予定されていました。ところが、数名の辞退者がでたために明石の演奏日は初日に繰り上がったのです。教師をしている妻の満智子は平日には演奏を聴きに来ることができませんが、日曜日であればホールに足を運ぶことができます。コンサートの初日、満智子は息子を実家に預けて会場を訪れます。

  高島明石の第一次予選の演奏曲は、バッハの「平均律クラヴィーヤ第一巻第二番」、ベートーヴェン「ピアノソナタ第三番第一楽章」、ショパン「バラード第二番」の3曲です。会場に時間に追われながら到着した満智子は、久しぶりに夫の音楽家、演奏者としての姿を目の当たりにします。そして、その演奏が始まるやその旋律に乗って、満智子の心に様々な思い出が駆け巡ります。明石との結婚に関して女友達からあびせられた心ない皮肉。眠る時間を削って練習を続け、それでも不安になる夫の姿。子供に本を読んでやるときの優しさのこもった声。様々な思いが音楽によって浮かび上がり思わず涙ぐみます。そして、その演奏が終わった時にある言葉が湧き出てきます。「あたしは音楽家の妻だ。あたしの夫は、音楽家なんだ。」

mitsubachi05.jpg

(「浜松国際ピアノコンクールCD」タワーレコードHPより)

  我々は、音楽家明石のエピソードに引き込まれ、小説世界の虜になるのです。

【音楽の神様と人間の物語】

  恩田さんは、コンクールに参加する若者たちの中の4人の参加者を主人公にしています。一人は高島明石。その他の3人にも素晴らしいエピソードの数々が用意されています。まず、20歳の女性ピアニスト栄伝亜夜。そして、アメリカのジュリアード音楽院の学生である19歳のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。彼は、日本、ラテン、フランス人の血を引く混血児ですが、眉目秀麗を絵にかいたような長身のイケメンです。そして、今回のコンクールの台風の目になるであろう16歳の少年、風間塵。

  この他にも、なんと初日の1番の札を引いてしまったロシアのピアニスト、アレクセイ・ザカーエフ、マサルと同じくジュリアード音楽院に在籍し、常にマサルをライバルとして見ている超絶パワーの女性ピアニスト、ジェニファ・チャンなど、多彩な登場人物がコンクールを盛り上げていきます。

  上巻では、このコンクールの第二次予選の中盤戦までが描かれますが、音楽の神様は果たしてどのコンテスタント(コンクール挑戦者)に微笑むのか。第二次予選がはじまってからの二日目、音楽の神様が我々の前に出現します。

  本当にこの小説はみごとに音楽の姿を描き出しています。

  本題に入る前に紙面が尽きてしまいました。続きは次回に持ち越しです。

  それでは皆さん元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。