手嶋龍一 佐藤優 ガザでは何が起きているのか

こんばんは。

  平和とは、何よりも大切な人類の財産です。

  第二次世界大戦が、アメリカが我が国に投下した2つの原子爆弾によって終結してから80年が過ぎようとしています。その原爆を開発したオッペンハイマー博士を描いた「オッペンハイマー」がアカデミー賞をはじめとした数々の章を受賞したのは記憶にも新しいところです。

  戦後、この地球上に、過去になかったほどの人類の繁栄をもたらしたのは、「平和」に他なりません。

  今日(日本時間9月20日)、アメリカメジャーリーグの名門、ドジャースの大谷翔平がメジャーリーグが始まって以来初の記録を達成しました。それは、1シーズンで一人の打者が達成したホームランと盗塁の記録です。これまで、40本塁打、40盗塁以上を達成した選手は、2006年シーズン、ナショナルズのソリアーノ選手(46本塁打、41盗塁)をはじめとした5選手のみでした。

  今年の大谷翔平選手は手術後のリハビリのため打者に専念しました。そして、126試合で40本塁打、40盗塁を達成し、前日のマーリンズ戦までに48本塁打、49盗塁を記録していました。今や誰もが、前人未踏のフィフティ・フィフティの達成を待ちわびていたのです。

  大谷選手は、勝てばチームのポストシーズンが決まるという重要な試合で、驚くような活躍を我々に見せてくれました。それは、6打数6安打、2盗塁、3打席連続ホームランという超人と言っても良い大活躍でした。この活躍で、大谷翔平は前人未踏のフィフティ・フィフティを1日にして達成したばかりか、その記録をフィフティワン・フィフティワンにまで伸ばしたのです。

gazade01.jpg

(対マーリンズ戦 SHOWTIME 第50号HR nikkei.com)

  ワールドチャンピオンを目指す大谷翔平選手の活躍から目を離すことが出来ません。

  また、今月は、9日に閉会したパリパラリンピックでも大きな感動を味わうことが出来ました。

  日本は、この大会で、金メダル14・銀メダル10・銅メダル1741のメダルを獲得しました。その感動はすべての選手の努力によるものですが、中でも車いすラグビーの悲願の金メダル、そして、車いすテニスでの小田凱人選手の金メダルには心を揺り動かされました。車いすラグビーは、リオ大会で同メダルを獲得。前回東京大会では、メンバー全員が金メダルを目標に血のにじむような鍛錬を重ねたにもかかわらず、銅メダルに終わりました。

  その悔しさを胸にさらなる鍛錬を続けた3年間。その先に待っていたのが前大会銀メダルだった格上のアメリカ代表を破っての金メダルだったのです。この感動は、すべての日本人の心を突き動かしました。

  こうして心から感動を味わうことができるのも、我々の世界に「平和」があるおかげであることは間違いありません。

  現在、この世界ではロシアが引き起こしたウクライナ侵攻に端を発したウクライナ戦争、そして、パレスチナの過激派組織ハマスによるイスラエルに対するテロ攻撃に端を発した、イスラエルによるハマス武装解除のための軍事作戦が平和を脅かしています。

  ロシアがウクライナに侵攻したのは、2022年の223日。その戦いはすでに2年半を超え、ウクライナでは25万人以上の人々が亡くなっています。イスラエルがハマスを武装解除するとして開始した軍事作戦は、2023107日のハマスによるイスラエル侵入テロが発端となっており、来月で1年を経ようとしています。この間にガザ地区でなくなったパレスチナの人々は3万人を超えていると言われます。

  何よりも、罪もない一般市民、無垢な子供たちが殺されている現実には心が引き裂かれます。

  いったい、何が意味も無い殺戮を続けさせているのか。

  それを知りたいと思い、前回に引き続いて出版されたインテリジェンスアナリスト、手嶋龍一さんと佐藤優さんの対談本に手を伸ばしました。

「イスラエル戦争の嘘」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2024年)

gazade02.jpg

(新書「イスラエル戦争の嘘」 amazon.co.jp)

【イスラエルとインテリジェンス】

  この本の題名には、出版社の、読者の気を引こうとする山っ気があふれています。第一に戦争とは国と国によって争われる戦いであり、イスラエルとパレスチナはお互いに」相手を国として認めていません。第二に、戦争とは宣戦布告があって始まるものですが、今回の戦いはハマスが起こしたテロ行為に対するイスラエルの報復がその発端となっています。そして、最も異なっているのは戦争が国の軍隊同士の戦いを指すのに対して、ハマスの戦闘員は国の軍隊ではなく、単なる地域の戦闘組織に過ぎません。

  そうした意味では、「嘘」との題名自体に嘘が含まれており、ある意味では自虐的なタイトル、と言っても良いのかもしれません。しかし、題名はともかく、その内容は読み応えタップリの必読書と言っても良いかもしれません。

  なぜか。

  それは、佐藤優さんが現在の日本の中で最もイスラエルに関して深い知識と理解を持っている日本人の一人だからです。

  1998年4月、イスラエルの対外諜報機関である「モサド」の長官として、長年インテリジェンスオフィサーとして活動していたエフライム・ハレヴィ氏が就任しました。ハレヴィ氏は、このブログでも紹介した「イスラエル秘密外交史 モサドを率いた男の告白」という自伝を上梓していますが、そのインテリジェンスオフィサーとしての哲学はまさにマスターといっても良い、現実味のある愛国心とヒューマニズムに貫かれています。

  佐藤優さんは、ちょうどこの時期に外務省の国際情報局で主任分析官を務めており、世界のインテリジェンス組織と人脈を深めようとしていたときでした。そんなときに、ハレヴィ氏と接する機会を得て、ハレヴィ氏の日本滞在の際にはその滞在中のすべての時間を一緒に過ごしたそうです。

  佐藤優さんは、1981年ソビエト連邦崩壊の時期、外務省の外交官としてモスクワに滞在。軍がクーデターを起こし、ゴルバチョフ書記長が拉致された際、いち早く日本政府にその生存を伝えたことで、インテリジェンスオフィサーの実力を認められたのです。

  おそらく、佐藤さんのインテリジェンスオフィサーとしての哲学と、何よりも人との信頼関係を活動の中心とする信念がハルヴィ氏の心に響いたに違いありません。

gazade03.jpg

(新潮文庫「イスラエル秘密外交史」 amazon.co.jp)

  その佐藤優さんが語る、イスラエルと、パレスチナの中でも原理主義的なハマスの持つ、内在的論理には深さと説得力があり、思わず引き込まれます。

  まず、イスラエルが持つ内在的論理ですが、それをよく表現するある言葉が紹介されます。「全世界から同情されて滅亡するよりも、全世界を敵に回しても生き残る。」その言葉は、イスラエルの国是と言っても良い、と佐藤さんは語ります。イスラエルを建国したのは、旧約聖書のモーゼ以来、世界中に点在したユダヤ人です。彼らは、数々の人種差別に見舞われてきました。その最も恐ろしい差別は、ナチスドイツが行ったホロコーストでした。

  ジェノサイド(大量虐殺)とは、ある民族を根こそぎ殺戮することがその代表とされていますが、ナチスドイツが行ったユダヤ人の隔離と虐殺は、民族殲滅を目的とするジェノサイドでした。ユダヤ人は、このホロコーストを経て、自らの国家設立を民族の悲願としました。イスラエルは、国連の決議によりパレスチナとともに国家となることを認められました。

  差別とホロコーストの歴史を背負ったユダヤ人は、民族の生存のために国家を守り通そうとの信念に貫かれているのです。

【帝国に翻弄された民族】

  一方のパレスチナの人々も歴史に翻弄された民族でした。

  パレスチナの人々はアラブ民族ですが、パレスチナ人はイスラム教の教徒が大多数を占めています。彼らは、オスマン帝国の元で、共存していましたが、領土を狙うイギリス、フランス、ロシアの思惑に翻弄されていきます。第一次世界大戦の時代、イギリスはオスマン帝国を解体して自らの植民地を広げようと、中東地域に触手を伸ばします。

  イギリスは、この時代3つの悪名高き約定を行います。まず、アラブ民族の諸国には、オスマントルコに反旗を揚げて戦えば独立を認める、とする「フサイン・マクマホン協定」を結びます。また、同時期にロシアとフランス、イギリスは、中東地区を3つに分けてそれぞれの国が委任統治すると取り決めた「サイクス・ピコ協定」を結びます。さらに、イギリスはユダヤ資本を味方につけるためにパレスチナの土地にユダヤ人が居住区を創ることを認めるという「バルフォア宣言」を発出するのです。

gazade04.jpg

(イギリスが送り込んだアラビアのロレンス moviewalker)

  まさに、すべての国、民族を味方につける三枚舌の外交を繰り広げます。第二次世界大戦後、困り果てたイギリスは、あろうことかこの地域の統治を国連の信託統治にゆだねてしまうのです。

  アラブ民族は、イスラム教徒としてその血筋を受け継いでいますが、教義を重んじるスンニ派として大きな領土を手にしたのがサウジアラビアです。そのスンニ派に追われた、ムハンマドの血筋を重んじるシーア派がヨルダンとイラクとなりました。

  パレスチナの人々は、元々現在のイスラエルの地に居住していましたが、イスラエルの悲願と国連の決議により共存せざるを得なくなりました。パレスチナの人々から見れば、世界中からユダヤ人がやってきて、自分たちが開拓して住んでいた土地を奪われることになったのです。

  パレスチナの人々を代表する組織体は、かつてアラファト議長が率いていたパレスチナ解放機構(PLO)です。1993年、PLOと当時のイスラエルの首相との間でイスラエルとパレスチナの共存を謳ったオスロ合意が締結されました。しかし、パレスチナの人々は、自らの居住区を強国イスラエルに制限され、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に限定され、閉じ込められたことに納得してはいなかったのです。

  パレスチナ解放機構は、パレスチナを代表する組織として国連で認められていますが、その内部には多くの組織が存在し、穏健的なファハタをはじめ過激なパレスチナ解放人民戦線などがひしめいています。

  ハマスは、その中でも最も過激なイスラム原理主義組織ですが、穏健になったPLOに失望していたガザ地区のパレスチナ人の間で、地区内の治安や衛生、文教などを統治して居住者の支持を得ています。しかし、彼らは原理主義組織であり、イスラエルの殲滅を目標としていることに間違いはありません。

  つまり、イスラエルとハマスは、互いの存在を否定する水と油のような存在なのです。

  この対談でお二人が心配しているのは2点です。ひとつは、イスラム原理主義であるもうひとつの組織ヒズボラとイスラエルが本格的な戦闘へと突入すること。ヒズボラの軍事力はハマスの比ではなく、間違いなく周辺国や欧米を巻き込む可能性があるといいます。もう一つは、核保有国イスラエルが世界から孤立した場合に、戦術核を使用する可能性があり、核の使用に歯止めがかからなくなることです。

  人々が殺し合う戦いは復讐の連鎖を呼び起こし、とどまることがなくなります。双方の内在する歴史や論理、さらに愛する人を奪われたことへの報復の連鎖を考えると、絶望感に襲われます。しかし、愛する人を殺された悲しみは連鎖を止めるための力になることもあるのではないでしょうか。さらに、平和であることの人類への恵みに想いが至るときに、戦いの停止が実現するのではないでしょうか。

  それは夢物語ではないはずです。

  皆さんもこの本で、戦いに内在する歴史を知ってください。戦闘停止への難しさとともにその尊さがよくわかること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




高階秀爾 西洋絵画の名著重版出来

こんばんは。

  前回パリでオリンピックが開催されてから100年となる今年、華やかにパリオリンピックが開幕しました。

  7月26日、セーヌ川を舞台として繰り広げられた開会式。スティッフパーソン病症候群という精神疾患に罹病し、闘病中であったセリーヌ・デュオンがエッフェル塔のステージに登場し、見事な歌唱で「愛の賛歌」を歌い上げたとき、その時間を共有できたことは思わず熱い想いがこみ上げてくる感動のひとときとなりました。

  そして、始まったオリンピックは、日本代表の選手たちが躍動する感動の舞台となったのです。

  男子代表団体戦での大逆転劇や東京オリンピックのリベンジを果たした男子ゴルフの松山英樹さんの我慢のゴルフ、男子バレーボールのイタリアとの壮絶なジュースの連続、スケートボード堀米選手の土壇場での大逆転。どれもこれも胸を振るわす感動を味わうこととなりました。

meigamirume01.jpg

(男子団体逆転金! nikkei.comより)

  結果、柔道、体操、フェンシング、スケートボード、そしてレスリングと、日本は20の金メダル、12の銀メダル、13の銅メダルを獲得し、平和の祭典において力を発揮しました。そのすべての選手に感動をもらいましたが、オリンピックが終わった今思うのは、様々な競技における栄枯盛衰に隠された、スタッフを含む人々が費やしてきた、想いと時間の尊さです。

  今回のオリンピックでは、一時期、メダルの数が激減していた柔道が復活し、混合団体を含めて7つの金メダルを獲得。レスリングでも劣勢であった男子が、4つの金メダル、銀メダル1つを獲得しました。過去、涙をのんだ選手が多くいた種目で、これだけの成果を上げるのには、選手はもちろん、スタッフも並々ならぬ鍛錬と努力がどれほどのものだったのか、心が動きます。

  今回のオリンピックでは、日本のお家芸だった競泳やアーティスティックスイミング、サーフィン、球技では、サッカー、バスケットボール、バレーボールでは、残念な結果に終わりました。

  もちろん、すべての競技で日本代表は持てる力を発揮して白熱の接戦を展開してくれました。すべての競技は、世界に届かないときもあれば、世界一になるときも巡ってきます。世界に伍するためには、競技に携わるすべての人々がたゆまない分析と検証と努力を重ねることが必要なのです。

  閉会式では、俳優のトム・クルーズさんが、スタジアムの頂点から映画のいちシーンのように舞い降りて、オリンピック旗を手にして、これまた映画のようにバイクに乗って走り去っていく姿にドギモを向かれました。次回のオリンピックはアメリカ、ロサンゼルスです。大谷翔平選手、八村塁選手でもよく知られる街で、日本選手が躍動する姿がいまから楽しみです。

  そして、828日から行われるパリパラリンピックでの日本選手たちの晴れ姿もしっかり応援したいと思っています。

  さて、オリンピック話が長くなりました。今回ご紹介するのは、60年以上前に上梓され、昨年、「岩波新書のカラー版として再版された名著です。

「カラー版 名画を見る眼Ⅰ―油彩画誕生からマネまで」

(高階秀爾著 2023年 岩波新書)

meigamirume02.jpg

(「名画を見る眼Ⅰ」 amazon.co.jp)

【すっかり遠くなった美術館】

  拙ブログに訪れていただいている皆さんの中には、美術館や美術展に関する記事がめっきり減少したとなげいている方もいらっしゃるかもしれません。実を言うと、コロナ禍で外出自粛となり、美術館に足を運ばなくなってから、今日まで一度も美術館に足を運んでいないのです。人間というのは惰性の動物で、一度行かなくなると映画も美術館もすっかり足が遠のいてしまします。

  そうはいっても、昨年の四国旅行の時には徳島の大塚国際美術館を訪れたり、今年の6月には皇居内の三の丸尚蔵館で、国宝の若冲「動植綵絵」4幅、同じく国宝、狩野永徳「唐獅子図屏風」が公開されたので見に行きました。いずれも素晴らしい作品でした。

  そんな中、いつものように本屋さんを巡っていると岩波新書の中に「名画を見る眼」との書名をみつけました。本を開いて奥付を見ると初刷が1969年となっていますが、重版となるカラー版では、各項目で紹介される絵画がカラーで掲載されており、その絵画もあまりに有名な作品ばかりです。美術館に行くと、心を動かされるような作品でも、その深い意味はなかなかを知ることはできず、作者と制作年代がわかる程度で、もっと作品の背景や作者の思いを知りたくなります。

  それを思い出して中を読むと、まさに知りたいと考えていた名作の背景や考察がそこに記されています。思わず、本を持ってカウンターに走りました。

  いったいどのような名画が紹介されているのか、まずは目次を見てみましょう。

Ⅰ ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」

  ――徹底した写実主義

Ⅱ ボッティチェルリ「春」  ――神話的幻想の装飾美

Ⅲ レオナルド「聖アンナと聖母子」  ――天上の微笑

Ⅳ ラファエルロ「小椅子の聖母」  ――完璧な構成

Ⅴ デューラー「メレンコリア・Ⅰ」  ――光と闇の世界

Ⅵ ベラスケス「宮廷の侍女たち」  ――筆触の魔術

Ⅶ レンブラント「フローラ」  ――明暗のなかの女神

Ⅷ プーサン「サビニの女たちの掠奪」

  ――ダイナミックな群像

Ⅸ フェルメール「絵画芸術」  ――象徴的室内空間

Ⅹ ワトー「シテール島の巡礼」  ――描かれた演劇世界

ⅩⅠ ゴヤ「裸体のマハ」  ――夢と現実の官能美

ⅩⅡ ドラクロワ「アルジェの女たち」  ――輝く色彩

ⅩⅢ ターナー「国会議事堂の火災」  ――火と水と空気

ⅩⅣ クールベ「画家のアトリエ」 ――社会のなかの芸術家

ⅩⅤ マネ「オランピア」  ――近代への序曲

 あとがき

 『カラー版 名画を見る眼Ⅰ』へのあとがき

【ヨーロッパ絵画の歴史と傑作】

  美術館で絵画を鑑賞する動機には、彼女とのデートの場も含めて人それぞれですが、やはりアーティストが描いた「絵」の現物を見ることで、大きな感動を味わうことが出来る、ことが最も大きいのではないでしょうか。

  昨年、四国の国際大塚美術館を訪れたときのことです。

  この美術館は、世界中の名画を実物大の陶板で再現するという素晴らしいコンセプトの美術館で、建築上の制限から地下3階、地上2階の建物の5フロアに古代・中世から、ルネサンス・バロック、近代、現代とすべての時代の実物大の作品が展示されています。圧巻なのは、システィーナ礼拝堂そのものが再現されており、その壁面、天井がミケランジェロの天井画とあの「最後の審判」で彩られているフロアです。

meigamirume03.jpg

(ミケランジェロ「最後の審判」 wikipediaより)

  地下3階の古代から地上1階のバロックまでは、見るものすべてが迫力満点で、感動にあふれた展示でした。その陶板で創られた複製は、実物大で創られた、色合い、質感までを再現した見事な風合いを持つ作品で、全く遜色がないものと感じられたものです。

  しかし、地上1階から地上2階にかけて展示されている印象派前後の作品を見たときに、妙な違和感を覚えるようになりました。拙ブログでもご紹介の通り、私はフェルメールとモネに眼がなく、フェルメールやモネの作品が来日したときには必ずと言っても良いほど美術展に足を運んで、実際に描かれた絵画に触れて感動を味わってきました。

  この美術館で、フェルメールやモネの陶板を見たときには、実物を見たときのわき上がるような感動を味わうことが出来なかったのです。違和感の正体は、実際に描かれた絵画に込められたアーティストの情念を感じることが出来ないことだったのです。

  やはり芸術作品は、音楽も含めてリアルに触れなければ大きな感動を得ることは出来ないようです。

  そして、本物を見て感じる感動は、その絵画に対する予備知識があればより大きく感じることが出来るようになります。そうした意味では、こうした本を読んで、古今の名作に秘められた背景や物語を知った上で、「絵画」を鑑賞すればより大きな感動を味わうことが出来るのです。

  この本では、名だたる名画と美術史に足跡を残した画家たちの歴史が、名画とともに鑑賞することが出来て、これまで見たことのある絵画であっても新たなワンダーを味わうことが出来るのです。特に、ルネッサンスが始まるイタリアで培われた古典主義からはじまり、貿易で栄えたオランダで生まれた写実主義、フランス王政の元で育ったバロック絵画、イギリス・パリで生まれ始めた近代絵画への胎動。この本では、その美術史の流れを余すことなく味わうことが出来ます。

【目から鱗が落ちる名調子】

  この本の魅力は、それぞれの絵画や画家とその時代を語る独特の語り口にあります。

  私が大好きなイギリスの画家、ウィリアム・ターナーで取り上げられているのは、19世紀の一大事件、イギリスの国会議事堂の大火災を描いた「国会議事堂の火災」です。この絵に描かれた火災の炎はまるでうねるように多様な色彩で、絵の中心にテームズ河にかかる橋とともに鮮やかに描かれています。

meigamirume04.jpg

(ターナー「国会議事堂の火災」 wikipediaより)

  この絵はとても有名で私も一度目にしていますが、知らなかったのは、ターナーはこの絵の他に二枚、国会議事堂の火災を描いているという事実です。この作品は、かなりの遠景で河の対岸からの視点で描かれています。しかし、他の2作品はもっと近くから描かれており、驚くことにそのうちの1枚は、まさに火災が起きている目前で燃えている建物を描写しているのです。さらには、そこには集まった野次馬たちまでがみごとに描かれているのです。

  この時代、画家たちには外で絵を描くという習慣がありませんでした。もちろん、外で実物を前にスケッチを描き、後にアトリエでカンヴァスに書き上げるわけです。にもかかわらず、この絵でターナーは現場に水彩絵の具を持って行き、その場で色彩を入れたというのです。ターナーの色彩に対する思い入れはハンパではなかったのです。

  また、当時の展覧会に自らの絵画を出品すると、会場に展示された自分の絵画に最後の最後まで手を入れていたというのです。この話は当時から有名だったそうで、ある展覧会では隣にコンスタブルの「ウォータールー橋の開通式」という絵が展示され、コンスタブルがその絵に最後まで手を入れていました。隣のターナーは、コンスタブルが入念に自らの絵を完成させた後、やってきてお隣の自らの絵に赤い印を書き入れました。

  いったいなぜ?

  その顛末はこの本でお楽しみください。著者は、ターナーは本質的には幻想作家であったかもしれない、と語っています。

  この本では、どの絵画も、どの画家も、様々なエピソードで彩られています。それを読むと、ここで紹介された絵画をぜひこの目で味わってみたいとの気持ちがわき上がってきます。皆さんも、ぜひこの本で名画の歴史とエピソードを味わってください。あらためて、絵画鑑賞の魅力を感じること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

sawaki03.jpg

(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

sawaki04.jpg

(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

sawaki01.jpg

(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

sawaki02.jpg

(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

sawaki03.jpg

(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

sawaki04.jpg

(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

sawaki01.jpg

(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

sawaki02.jpg

(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




売野雅勇 シティポップと新たな歌謡曲

こんばんは。

  今、SNSの世界で日本のシティポップが一大ブームとなっています。

  そのきっかけは、2020年にインドネシアで歌姫と呼ばれているレイニッチさんが、今は亡き松原みきさんの「真夜中のドア~stay with me」のカバー曲を配信したことでした。この曲は、92カ国のJ-POPストリーミングサイトでTop10にランキングされ、ブレイクしたのです。それに連なる形で、松原みきが歌うオリジナルも「グローバルバイラルトップ50」で連続18日間、世界1位を記録したというのです。

  シティポップとは何か。特にジャンルとして定義されているわけではないようですが、基本的には当時アメリカのヒットチャートを賑わせていたAORの音楽性を取り入れ、日本語のしゃれた歌詞をのせたポップスを言います。その音楽は、それまで室内やテレビなどで見聞きしていた歌謡曲を戸外へと連れだし、ドライブとともにカーオーディオで聴く、かっこよい音楽です。

  代表的なアーティストとアルバムとしては、大滝詠一さんの「LONG VACATION」、山下達郎さんの「FOR YOU」。さらに、竹内まりあさん、EPOさん、稲垣潤一さん、杉山清貴さん、松任谷由実さん、角松敏生さん、などなど1980年代はシティポップが世の中を席捲しました。テレビをつければ、ほとんどのCMでシティポップが流れていたのです。

urino05.jpg

(大滝詠一「A LONG VACATION」amazon.co.jp)

  こうした中で、日本の歌謡界にも新しい音楽が生れていきました。

  歌謡曲の世界では、当時、本格的な歌唱力を備えたアイドル歌手が人気を得ていました。松田聖子さんはその先駆けですが、その後を継いだ中森明菜さんも本格派でした。

  この時代に居合わせた私は、とても幸運でした。松原みきさんも大滝詠一さんも山下達郎さんも、竹内まりあさんも、(ついでに渡辺美里さん、角松敏生さんも)、新入社員で地方勤務だった時代にカーオーディオで常に流れていました。さらには、中森明菜さんの「スローモーション」はお気に入りの1曲で、つらいことがあるとこの曲を聴いてエネルギーを充填していました。

  そんな世代として、「売野雅勇」という名前は、テレビで歌手が登場するときのテロップでよく目にする作詞家の名前に他なりませんでした。先日、本屋さんの文庫本の棚をながめていると、この名前が目に飛び込んできたのです。すぐにカートに入れたのは言うまでもありません。

「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」

(売野雅勇著 河出文庫 2023年)

【気鋭の作詞家はどのように誕生したか】

  この本は売野氏のエッセイですが、そこに綴られているのは出会いの物語です。  

  人と人の出会いは物語を生み出します。このエッセイには、ファッション雑誌の編集者であり、コピーライターでもあった著者がどのような出会いから作詞の仕事を重ねていくことになったかが丁寧に語られています。

  目次を見てみましょう

第1章 リトル・トウキョウ

第2章 LA VIE EN ROSE

第3章 MIDNIGHT DIAMOND

第4章 2億4千万の瞳

第5章 少女A

第6章 涙のリクエスト

第7章 PURE GOLD

第8章 美貌の青空

第9章 MIND CIRCUS

第10章 天国より野蛮

  本を読むときにはいつも目次にワクワクさせられます。

urino02.jpg

(売野雅勇著「砂の果実」amazon.co.jp)

  この本でも、第5章と第6章を見た瞬間にそのページに行き着くまでの時間がワクワクの時間であることいがすぐに読み取れました。この2曲はまさに売野さんがブレイクした作品であることに間違いがないからです。

  このエッセイの各章には、売野さんが歩んできた人生のステージで出会った人物たちの名前が紹介されています。例えば、「第4章 2億4千万の瞳」の扉に書かれているのは、井上大輔、井上洋子、湯川れい子、鈴木雅之の名前です。

  この第4章は、まさに人との出会いを描く、心が動かされた1章でした。

  売野さんはもともとフリーのコピーライターで、男性ファッション雑誌「LA VIE」の主催兼編集者兼ライターもこなす、どこにでもいそうな若者でした。ネタバレとなりますが、そのきっかけはEPIC・ソニーのレコートの広告コピーを担当していたことでした。その出会いは、第1章に詳しく語られていますが、その正式なデビューは、「麻生麗二」の名義で書いたシャネルズの2ndアルバムに提供した歌詞でした。

  第4章で語られるのは、元ブルーコメッツというグループサウンズで、フルート&サックスプレイヤーとしてあの大ヒット曲「ブルー・シャトウ」を作曲した井上大輔さんとのエピソードです。

  ある日、売野さんが仕事場とする広告代理店の事務所に一本の電話がかかってきました。是非ともあって話がしたいという電話の主は、井上大輔のマネージャーを名乗っていました。指定された喫茶店に訪れるとマネージャーは、「時間がかかったんですよ。麻生さんにたどり着くまで。」と会えたことをことのほか喜んでいました。

  そのわけは、シャネルズのアルバムに収められた「星くずのダンス・ホール」という曲を聴いた井上大輔が、これを書いた「麻生麗二」を探してこい、とマネージャーに頼んだからでした。「麻生麗二」は売野さんのペンネームなので、売野さんに行き着くのは並大抵の情報収集では不可能です。マネージャーは、1ヶ月をかけて売野さんに行き着いたのです。

  売野さんの感激と喜びはひとしおでした。そして、売野さんは井上大輔のアルバムに4曲の詞を提供することとなったのです。さらに、井上大輔の所属事務所、マッドキャップを訪問した売野さんに人生を変える出会いが待っていたのです。井上大輔のアルバム制作デレクターは、打ち合わせが終わって席を立つときにさりげなく売野さんに言ったのです。「売野さん、マッドキャップに入っちゃったらどうですか?」

  こうして、売野さんの作詞家人生がマッドキャップとの契約とともに本格化していくのです。

  その後、井上大輔氏とは「め組のひと」や「24千万の瞳」などの大ヒット作を手がけていくこととなるのですが、そのエピソードはとても印象的で、この本の中でもひときわ心が動かされる章となっています。その感動は、ぜひ本を読んで味わってください。

urino03.jpg

(ブルーコメッツEP「ブルーシャトウ」amazon.co.jp)

【大ブレイクの舞台裏とさらなる出会い】

  この本には、売野さんの物事に対する姿勢が淡々と描かれています。

  それは、いつも冷静(のような)な印象を出会う人々に与えている描写に現れています。

  井上大輔のマネージャーに出会って、偉大な作曲家が自分の歌詞を気に入ってくれたと知ったときの喜びも、気持ち有頂天だったと描きつつも、「こういうことが人生で起こるんだ!とぼくは静かに興奮していた。『面白いなー』と一度くらいは声に出していったかもしれない。」と書いています。

  そんな冷静な売野さんですが、事務所に属してしばらくの間には、多くの没になった作品があったこいとが語られています。そんな中、伊藤銀次さんや大沢誉志幸さんの歌詞を売野さんに依頼してくれたプロデューサーが、いくつも売野さんに新たなチェンスをもたらしてくれます。その中には沢田研二のニューシングルになる歌詞もありました。

  売野さんはメンタルには自信がありましたが、この仕事の時には、「初めての大きなチャンスに、緊張でガチガチになりながら、一週間、必死で毎日考え続けた。(中略)自分はここまでプレッシャーに弱いのかと、青息吐息、あきれるくらいに何も書けなかった。」と語っています。

  そして、最後の2日間でひねり出した歌詞もあえなく没となったのです。

  その後ヒット曲を連発する売野さんですが、ブレイク前には下積みの時代もあったのだ、とこの本を読んで改めて納得しました。しかし、このエピソードが語られているのが第5章なのです。そして、この時代に没となった歌詞のストーリーが「第5章 少女A」の大ヒットした作品へとつながっていくのです。その伏線の妙はこの本でお楽しみください。

  さて、少女Aが大ヒットした後、売野さんの所には歌詞の依頼が数えきれるほど着たのでは、とおもいきや。実際には、全くといって良いほどに新たな申し出はなかったと言います。歌謡曲業界のプロフェッショナルの間では、「少女A」のヒットは際物のような扱いだったのではないでしょうか。

  それでも、何人かのプロデューサー、そして筒美京平さんから歌詞の依頼があり、作詞の技巧は鍛錬されていきます。そして、売野さんは、ある人の紹介で福岡久留米から上京した7人組のドゥワップ・グループに出会うことになるのです。そのグループの名前は、1980年代に一世を風靡したチェッカーズです。

  チェッカーズは、久留米の高校の同級生7人組で、1983年の9月に「ギザギザハートの子守歌」でデビューしましたが、デビュー作品はチャートには乗ったものの大きなヒットにはなりませんでした。そして、1984年の1月、2ndシングル「涙のリクエスト」が発売されます。「涙のリクエスト」は、大ヒット作品となり、チェッカーズは国民的グループへと突き進みました。そして、3作目のシングル「哀しくてジェラシー」を5月に発表。

urino04.jpg

(チェッカーズEP「涙のリクエスト」amazon.co.jp)

  一時期、「涙のリクエスト」の大ヒットを受けて、3作品が同時にチャート入りするという快挙を成し遂げました。そして、この「涙のリクエスト」の歌詞を書いたのが売野さんだったのです。

  この本の第6章には、チェッカーズとの関わり合いと「涙のリクエスト」、さらに売野作品で大ヒットした「ジュリアに傷心(ハートブレーク)」がどのように生れたのか、そのドキュメントが見事に表現されています。まさにワクワク感が満載の章となっています。

  チェッカーズがデビューする直前に稲垣潤一さんの「夏のクラクション」という曲が発売されヒットしましたが、実はこの作品も売野さんが作詞しています。この「夏のクラクション」と「涙のリクエスト」は「別々の惑星で生れた双生児」、と売野さんは語ります。さらに、この2作品は、ある有名な映画にインスパイアされてできた作品だというのです。その秘密は、この本を読んでのお楽しみです。

  さらに、第7章以降、売野さんが協業した素晴らしいミュージシャンたちとの邂逅が語られていきます。それは、今や日本ロック界のレジェンドといっても良い矢沢永吉さん、そして、つい先日に惜しまれながら亡くなった、日本音楽界の至宝ともいえる坂本龍一さん。さらに坂本龍一さんとのプロジェクトで作り上げた中谷美紀さんの作品などなど、汲めども尽きません。


  この本には、日本ポップス界の歴史の数ページが売野さんの様々な出会いとともに語られていきます。音楽好きにはなんとも楽しい一冊でした。皆さんもこの本で日本の音楽シーンの一端を味わってみてはいかがでしょうか。心に響く作品が生れる秘密を垣間見ることができること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




Y・N・ハラリ サピエンスが生み出した虚構たち

こんばんは。

  今回は、前回に引き続いてイスラエルの歴史学者の世界的ベストセラー「サピエンス全史」の下巻を紹介します。

  閑話休題

  人は誰もが死を迎えます。つい先日、グラミー賞6度の受賞を誇る名サックスプレイヤー、デビッド・サンボーン氏が亡くなりました。78歳。まだまだ早い死と残念ですが、彼は前立腺がんと戦っており、死の直前までみごとなライブパフォーマンスを披露していたと言います。

  彼はジャズ・フュージョンのプレイヤーでしたが、なんと言ってもその名前が広まったのは、1979年に発表したフュージョンアルバムの名作「ハイダウェイ」でした。ファンキーでなおかつ、ソフト&メロウな響きには一撃で心を打ち抜かれ、そのアルバム以来、ずっと彼のアルバムを聞き続けてきました。特に1980年代は大ヒットアルバムを連発し、86年の「ストレイト・トゥー・ザ・ハート」から89年の「クローズ・アップ」まで4年連続でグラミー賞を受賞しています。

harari06.jpg

(グラミー賞受賞「ダブル・ビジョン」 amazon.co.jp)

  私が結婚したのは1988年でしたが、披露宴のBGMとして、「ささやくシルエット」、「ア・チェンジ・オブ・ハート」、「クローズ・アップ」の3枚のアルバムから厳選したバラードを流してもらい、心に残る披露宴となったのは忘れられない思い出です。

  2018年にブルーノートでのライブに参加しましたが、このときにはかなり容体が悪かったようで、舞台に上がるのにも支えられて、ステージでも机に寄りかかって演奏していました。にもかかわらず、その演奏は往時と全く変らず、ブルースが中心のセットリストの中で、なつかしい曲も交えて素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれたのは驚きました。さすがでした。

  数あるアルバムの中でも、今でもよく聴いているのはマルチピアニストのボブ・ジェームスとコラボした「ダブル・ビジョン」です。オープニングの「マプート」は、ベーシストのマーカスミラーが送った曲で、ボブ・ジェームスとデビッド・サンボーンのリリカルな演奏が心に響く名曲です。2011年、東京ジャズにこの二人が登場し、そこで二人が奏でた「マプート」を聴いたときには心が揺り動かされる感動の時間を味わうことができました。

  近年のブルースアルバムも含めて、しばらくはサンボーンの音色に浸りたいと思います。

【農業革命のもたらしたもの】

  さて、余談が長くなりましたが、「サピエンス全史」の名調子もいよいよ後半に向かい、中世から近世へと時代は動いていきます。

  上巻では、サピエンスをサピエンスたらしめた「認知革命」が最初のワンダーを我々に見せてくれました。ハラリ氏は、サピエンスという単なる一種にすぎない生物の躍進は、我々が噂話と虚構を表現する能力を得たことによって、他の生物たちとの差別化が現実となったのだと語ります。人類最初の洞窟壁画にはその革命が現れていると言います。

  例えば、たくさんの手のひらが描かれているものは自らの存在を次に残そうとする次世代の認知、動物や地図は仲間にその存在や位置を伝えようとする「認知」「虚構」の象徴的なものだといえます。それは、「アニミズム」、「言葉」、「音楽」などでコミュニティを形作っていく大きな基礎となったのです。

  そして、石器時代と呼ばれる狩猟採集時代は、必要なものを自ら栽培し、畜産する農業革命によって農耕畜産時代へと変っていきました。「農業革命」の出現です。サピエンスは、250万年続いた移動しながらの狩猟採集生活から、1万年ほど前にひと所で栽培、畜産を行う新たな生活様式へと変っていきました。しかし、この革命はサピエンスにとって何一つ良いことはなかったと言います。

  この歴史書の特徴は、年号と出来事を並べないところにあります。

  「農業革命」以降、サピエンスは有史の時代を迎えます。我々が習う世界史の教科書は、時系列でいつ何が起きて、次につながったのかを並べていきます。この本は、歴史を我々が持つ生物学的制約とその制約を超えてその種を増やしていった要因にスポットを当てて語っていきます。

  「農業革命」は、サピエンスに何をもたらしたのか。第二部の各章ではそのことが実証的に語られていきます。誤解を恐れずに端的に表せば、「繁栄」、「神話の誕生」、「言葉を記録する(書記)」、そして、「生れた差別」です。例えば、「神話」の章で、著者は有名なハムラビ法典とアメリカの独立宣言を取り上げます。そこでは、我々サピエンスがどのように「虚構を作り上げて、共有化する」能力を発揮して「神話」を構築し、歴史をすすめてきたのかがみごとに語られます。

harari02.jpg

(「サピエンス全史 上巻」 amazon.co.jp)

  そして、歴史はいよいよ第3部に当たる「人類の統一」へと向かっていきます。

【そして統一へ】

  上巻の最後では、どのように人類が構築された規範を集積して統合し、地域ごとの部族や民族をつくりあげていったのか。そして、統一を促していった要因はいったい何だったのかが語られていきます。

  ハラリ氏は、人は生れた瞬間から死ぬまでの間、その地域で創られた規範を刷り込まれながら生きていくと言います。そこで形作られる規範を「人工的な本能」と呼びます。そして、それぞれの部族や民族で共有される「文化」を人工的な本能によるネットワークと定義します。かつて、文化とはそれぞれの部族や民族特有のものであり変化しない、と考える時代もあったものの、現在では様々な文化がまじりあうことで、文化は常に変っていくと考えられています。

  歴史は一つの方向性を持っており、文化は絶えず干渉し合うことで変化を続け、大きな固まりへと統合されていくと言います。

  事実、我々の世界は石器時代から古代、中世、近世と統合と統一を積み重ねてきました。

  第3部 人類の統一で、著者はサピエンスの文化が統合されていく最も本質的な要素を語っていきます。それは、「貨幣」、「帝国」、そして「宗教」です。上巻では「帝国」までが語られますが、その最後の皮肉に満ちた言葉を前回の最後に紹介しました。その鋭い視点は上巻で我々の目からうろこを落として、そのままの勢いで下巻へと向かっていきます。

  まずは、下巻の目次に目を通しましょう

第3部 人類の統一

 第12章 宗教という超人間的秩序

 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命

 第14章 無知の発見と近代科学の成立

 第15章 科学と帝国の融合

 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 第17章 産業の推進力

 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 第19章 文明は人間を幸福にしたのか

 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

harari07.jpg

(「サピエンス全史 下巻」amazon.co.jp)

【受験には絶対出てこない世界史】

  さて、中世から近世、そして近代から現代まで、まさに世界史では封建制国家の時代からルネッサンスを経て市民の時代に変っていく歴史となるわけですが、この本では、かつて「一夜国見たコロンブス」と覚えた、1492年のコロンブスの西インド諸島への到着も全く新たな観点から語られることとなるのです。

  ハタリ氏は、サピエンスの超飛躍的な進歩の要因は「科学革命」にあると思考し、第4部を「科学革命」と位置づけたのです。

  では、「科学革命」はどのように起きたのか。それは、無知の発見です。

  未知のことがあれば、知りたい。知らない場所に行ってみたい。今日から明日に進んでいこう。今では当たり前となっているこの考え方は、「科学革命」の原点。それが、ハタリ氏が語る「科学革命」なのです。

  「無知であることを知らない」、今の我々には言われてもよくわからない言葉です。しかし、中世という時代、人は知らないことがなかったというのです。神は全知全能であり、すべては神が知っているので我々は何も知らないことが当たり前でした。この世界は、地上と天空で構成されており、地上の果てがあることは誰でも知っていました。月と太陽は果てのある地上の上を規則正しく動いており、それは当たり前のことだったのです。

  近代科学の発端は、我々はすべてを知っているわけではないという前提に立つと同時に、知っていると思っていることについても、さらなる知識を獲得するうちに誤りがあると判明する場合がある、と考えることから始まります。科学は、観察や実験に基づいて仮説を立てることから始まります。「科学」で重要なのは、仮説を証明するために数学を利用するという点だと言います。

  それは、木から落ちるリンゴから重力があることに気づき、それを数式で表したニュートンを祖とする物理学。ベンジャミン・フランクリンは雷の正体が電気であるとの仮説を立て、たこによる実験によりその仮説を裏付けて避雷針を発明し、神からの天罰の正体を明らかにしました。ハラリ氏が語る第14章は、現代に続くサピエンスの爆発的な増殖の要因をあますことなく解析してくれます。

harari08.jpg

(ニュートン著「プリンシピア」 amazon.co.jp)

  そして、科学の力は帝国や資本主義と見事に結びつき、この地球を席捲していきます。

  昔、世界史を専攻していたときに近世ヨーロッパ大航海時代の覇権について、長い長い戦争の末に、ポルトガルからスペイン、スペインからオランダ、オランダからイギリスへと世界の覇権が交代していく様を学びました。そして、受験のためにそれぞれの海戦の名前と年代を暗記しましたが、なぜ覇権を握る国が次々に変っていくのかがずっと謎でした。

  50年を経た今、この本によってその答えを知ることになるとは思いませんでした。それぞれの国が科学革命によって新たな世界を知ったことはもちろん理由の一つなのですが、その科学が資本主義や帝国の規範と結びついた時に新たなスパイラルが次々と生まれ出ていたのです。そのスパイラルの大きさこそが、覇権国家が次々と変遷したことの大きな要因だったのです。まさに目から鱗が落ちました。

harari09.jpg

(オランダ勝利 べラスケス「ブレダの開城」wikipedia)

【現在の世界はどこに向かっていくのか】

  ハタリ氏は、第二次大戦後に国家間で起きた戦争は、それ以前の歴史に比して劇的に減少したと言います。確かに、近年では国家間の戦争が、イランイラク戦争、湾岸戦争、9.11以降のアフガン戦争と本当に数えるほどにしか行われていません。

  氏はその要因を4つに集約しています。

  • 核兵器により、超大国間の戦争は人類の集団自殺にも等しくなった。
  • 戦争の代償が高コスト(急騰)となったと同時に、戦争により得られる利益が少なくなった。
  • 一方で、平和からこれまでには比較にならないほどの利益があがるようになった。
  • グローバルな政治文化に構造的な転換が起きた、すなわち、世界のエリート層が「平和」をスローガン挙げるようになった。

  この本が世に出たのは2014年。著者は、これからの未来を新たなサピエンスの時代と語ります。それは、サピエンスが遺伝子操作やサイボーグ化、はたまたコンピューターのシンギュラリティによって進化していくために新しい価値観、規範が生れてくるからだといいます。さらに、文庫化のあとがきでは、チャットGPTをはじめとするAIの進化がその進化をさらに加速させています。

  その一方で、4つの要因による戦争の減少の中、ウクライナに侵攻したロシアやそれに対峙しようとしない中国や北朝鮮をはじめとする諸国の権威主義が、欧米への対立路線を際立たせています。さらにイスラエルとパレスチナの戦争は、すでに罪もない市民を3万人以上も殺戮するという戦争犯罪にも当たる悲劇を出現させています。そこには、AIを組み込んだ新たな殺戮兵器の開発までが現実のものになっています。

  はたして、我々サピエンスは幸福に向かう進化を成し遂げることができるのか。この本は、それを考える上では、最適な一冊であることに間違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。





Y・N・ハラリ サピエンスが生み出した虚構たち

こんばんは。

  今回は、前回に引き続いてイスラエルの歴史学者の世界的ベストセラー「サピエンス全史」の下巻を紹介します。

  閑話休題

  人は誰もが死を迎えます。つい先日、グラミー賞6度の受賞を誇る名サックスプレイヤー、デビッド・サンボーン氏が亡くなりました。78歳。まだまだ早い死と残念ですが、彼は前立腺がんと戦っており、死の直前までみごとなライブパフォーマンスを披露していたと言います。

  彼はジャズ・フュージョンのプレイヤーでしたが、なんと言ってもその名前が広まったのは、1979年に発表したフュージョンアルバムの名作「ハイダウェイ」でした。ファンキーでなおかつ、ソフト&メロウな響きには一撃で心を打ち抜かれ、そのアルバム以来、ずっと彼のアルバムを聞き続けてきました。特に1980年代は大ヒットアルバムを連発し、86年の「ストレイト・トゥー・ザ・ハート」から89年の「クローズ・アップ」まで4年連続でグラミー賞を受賞しています。

harari06.jpg

(グラミー賞受賞「ダブル・ビジョン」 amazon.co.jp)

  私が結婚したのは1988年でしたが、披露宴のBGMとして、「ささやくシルエット」、「ア・チェンジ・オブ・ハート」、「クローズ・アップ」の3枚のアルバムから厳選したバラードを流してもらい、心に残る披露宴となったのは忘れられない思い出です。

  2018年にブルーノートでのライブに参加しましたが、このときにはかなり容体が悪かったようで、舞台に上がるのにも支えられて、ステージでも机に寄りかかって演奏していました。にもかかわらず、その演奏は往時と全く変らず、ブルースが中心のセットリストの中で、なつかしい曲も交えて素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれたのは驚きました。さすがでした。

  数あるアルバムの中でも、今でもよく聴いているのはマルチピアニストのボブ・ジェームスとコラボした「ダブル・ビジョン」です。オープニングの「マプート」は、ベーシストのマーカスミラーが送った曲で、ボブ・ジェームスとデビッド・サンボーンのリリカルな演奏が心に響く名曲です。2011年、東京ジャズにこの二人が登場し、そこで二人が奏でた「マプート」を聴いたときには心が揺り動かされる感動の時間を味わうことができました。

  近年のブルースアルバムも含めて、しばらくはサンボーンの音色に浸りたいと思います。

【農業革命のもたらしたもの】

  さて、余談が長くなりましたが、「サピエンス全史」の名調子もいよいよ後半に向かい、中世から近世へと時代は動いていきます。

  上巻では、サピエンスをサピエンスたらしめた「認知革命」が最初のワンダーを我々に見せてくれました。ハラリ氏は、サピエンスという単なる一種にすぎない生物の躍進は、我々が噂話と虚構を表現する能力を得たことによって、他の生物たちとの差別化が現実となったのだと語ります。人類最初の洞窟壁画にはその革命が現れていると言います。

  例えば、たくさんの手のひらが描かれているものは自らの存在を次に残そうとする次世代の認知、動物や地図は仲間にその存在や位置を伝えようとする「認知」「虚構」の象徴的なものだといえます。それは、「アニミズム」、「言葉」、「音楽」などでコミュニティを形作っていく大きな基礎となったのです。

  そして、石器時代と呼ばれる狩猟採集時代は、必要なものを自ら栽培し、畜産する農業革命によって農耕畜産時代へと変っていきました。「農業革命」の出現です。サピエンスは、250万年続いた移動しながらの狩猟採集生活から、1万年ほど前にひと所で栽培、畜産を行う新たな生活様式へと変っていきました。しかし、この革命はサピエンスにとって何一つ良いことはなかったと言います。

  この歴史書の特徴は、年号と出来事を並べないところにあります。

  「農業革命」以降、サピエンスは有史の時代を迎えます。我々が習う世界史の教科書は、時系列でいつ何が起きて、次につながったのかを並べていきます。この本は、歴史を我々が持つ生物学的制約とその制約を超えてその種を増やしていった要因にスポットを当てて語っていきます。

  「農業革命」は、サピエンスに何をもたらしたのか。第二部の各章ではそのことが実証的に語られていきます。誤解を恐れずに端的に表せば、「繁栄」、「神話の誕生」、「言葉を記録する(書記)」、そして、「生れた差別」です。例えば、「神話」の章で、著者は有名なハムラビ法典とアメリカの独立宣言を取り上げます。そこでは、我々サピエンスがどのように「虚構を作り上げて、共有化する」能力を発揮して「神話」を構築し、歴史をすすめてきたのかがみごとに語られます。

harari02.jpg

(「サピエンス全史 上巻」 amazon.co.jp)

  そして、歴史はいよいよ第3部に当たる「人類の統一」へと向かっていきます。

【そして統一へ】

  上巻の最後では、どのように人類が構築された規範を集積して統合し、地域ごとの部族や民族をつくりあげていったのか。そして、統一を促していった要因はいったい何だったのかが語られていきます。

  ハラリ氏は、人は生れた瞬間から死ぬまでの間、その地域で創られた規範を刷り込まれながら生きていくと言います。そこで形作られる規範を「人工的な本能」と呼びます。そして、それぞれの部族や民族で共有される「文化」を人工的な本能によるネットワークと定義します。かつて、文化とはそれぞれの部族や民族特有のものであり変化しない、と考える時代もあったものの、現在では様々な文化がまじりあうことで、文化は常に変っていくと考えられています。

  歴史は一つの方向性を持っており、文化は絶えず干渉し合うことで変化を続け、大きな固まりへと統合されていくと言います。

  事実、我々の世界は石器時代から古代、中世、近世と統合と統一を積み重ねてきました。

  第3部 人類の統一で、著者はサピエンスの文化が統合されていく最も本質的な要素を語っていきます。それは、「貨幣」、「帝国」、そして「宗教」です。上巻では「帝国」までが語られますが、その最後の皮肉に満ちた言葉を前回の最後に紹介しました。その鋭い視点は上巻で我々の目からうろこを落として、そのままの勢いで下巻へと向かっていきます。

  まずは、下巻の目次に目を通しましょう

第3部 人類の統一

 第12章 宗教という超人間的秩序

 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命

 第14章 無知の発見と近代科学の成立

 第15章 科学と帝国の融合

 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 第17章 産業の推進力

 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 第19章 文明は人間を幸福にしたのか

 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

harari07.jpg

(「サピエンス全史 下巻」amazon.co.jp)

【受験には絶対出てこない世界史】

  さて、中世から近世、そして近代から現代まで、まさに世界史では封建制国家の時代からルネッサンスを経て市民の時代に変っていく歴史となるわけですが、この本では、かつて「一夜国見たコロンブス」と覚えた、1492年のコロンブスの西インド諸島への到着も全く新たな観点から語られることとなるのです。

  ハタリ氏は、サピエンスの超飛躍的な進歩の要因は「科学革命」にあると思考し、第4部を「科学革命」と位置づけたのです。

  では、「科学革命」はどのように起きたのか。それは、無知の発見です。

  未知のことがあれば、知りたい。知らない場所に行ってみたい。今日から明日に進んでいこう。今では当たり前となっているこの考え方は、「科学革命」の原点。それが、ハタリ氏が語る「科学革命」なのです。

  「無知であることを知らない」、今の我々には言われてもよくわからない言葉です。しかし、中世という時代、人は知らないことがなかったというのです。神は全知全能であり、すべては神が知っているので我々は何も知らないことが当たり前でした。この世界は、地上と天空で構成されており、地上の果てがあることは誰でも知っていました。月と太陽は果てのある地上の上を規則正しく動いており、それは当たり前のことだったのです。

  近代科学の発端は、我々はすべてを知っているわけではないという前提に立つと同時に、知っていると思っていることについても、さらなる知識を獲得するうちに誤りがあると判明する場合がある、と考えることから始まります。科学は、観察や実験に基づいて仮説を立てることから始まります。「科学」で重要なのは、仮説を証明するために数学を利用するという点だと言います。

  それは、木から落ちるリンゴから重力があることに気づき、それを数式で表したニュートンを祖とする物理学。ベンジャミン・フランクリンは雷の正体が電気であるとの仮説を立て、たこによる実験によりその仮説を裏付けて避雷針を発明し、神からの天罰の正体を明らかにしました。ハラリ氏が語る第14章は、現代に続くサピエンスの爆発的な増殖の要因をあますことなく解析してくれます。

harari08.jpg

(ニュートン著「プリンシピア」 amazon.co.jp)

  そして、科学の力は帝国や資本主義と見事に結びつき、この地球を席捲していきます。

  昔、世界史を専攻していたときに近世ヨーロッパ大航海時代の覇権について、長い長い戦争の末に、ポルトガルからスペイン、スペインからオランダ、オランダからイギリスへと世界の覇権が交代していく様を学びました。そして、受験のためにそれぞれの海戦の名前と年代を暗記しましたが、なぜ覇権を握る国が次々に変っていくのかがずっと謎でした。

  50年を経た今、この本によってその答えを知ることになるとは思いませんでした。それぞれの国が科学革命によって新たな世界を知ったことはもちろん理由の一つなのですが、その科学が資本主義や帝国の規範と結びついた時に新たなスパイラルが次々と生まれ出ていたのです。そのスパイラルの大きさこそが、覇権国家が次々と変遷したことの大きな要因だったのです。まさに目から鱗が落ちました。

harari09.jpg

(オランダ勝利 べラスケス「ブレダの開城」wikipedia)

【現在の世界はどこに向かっていくのか】

  ハタリ氏は、第二次大戦後に国家間で起きた戦争は、それ以前の歴史に比して劇的に減少したと言います。確かに、近年では国家間の戦争が、イランイラク戦争、湾岸戦争、9.11以降のアフガン戦争と本当に数えるほどにしか行われていません。

  氏はその要因を4つに集約しています。

  • 核兵器により、超大国間の戦争は人類の集団自殺にも等しくなった。
  • 戦争の代償が高コスト(急騰)となったと同時に、戦争により得られる利益が少なくなった。
  • 一方で、平和からこれまでには比較にならないほどの利益があがるようになった。
  • グローバルな政治文化に構造的な転換が起きた、すなわち、世界のエリート層が「平和」をスローガン挙げるようになった。

  この本が世に出たのは2014年。著者は、これからの未来を新たなサピエンスの時代と語ります。それは、サピエンスが遺伝子操作やサイボーグ化、はたまたコンピューターのシンギュラリティによって進化していくために新しい価値観、規範が生れてくるからだといいます。さらに、文庫化のあとがきでは、チャットGPTをはじめとするAIの進化がその進化をさらに加速させています。

  その一方で、4つの要因による戦争の減少の中、ウクライナに侵攻したロシアやそれに対峙しようとしない中国や北朝鮮をはじめとする諸国の権威主義が、欧米への対立路線を際立たせています。さらにイスラエルとパレスチナの戦争は、すでに罪もない市民を3万人以上も殺戮するという戦争犯罪にも当たる悲劇を出現させています。そこには、AIを組み込んだ新たな殺戮兵器の開発までが現実のものになっています。

  はたして、我々サピエンスは幸福に向かう進化を成し遂げることができるのか。この本は、それを考える上では、最適な一冊であることに間違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。





Y・N・ハラリ ホモ・サピエンスとは何者なのか

こんばんは。

  ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」の日本語訳が出版されたのは2016年。かれこれ8年前になりますが、当時、ビジネス書として大きな話題となり、本屋さんでは最も目立つ場所に展示されていました。

  この本は、各界で絶賛され、ビジネス書大賞など多くの賞を受賞しました。

  ハラリ氏は、イスラエルの歴史学者、哲学者です。略歴によると1976年生まれとなっていますので、現在は40代後半と最も活躍する世代のひとりです。この本がヘブライ語で上梓されたのは2011年ですので、この本の執筆時、氏は30代であり、まさに時代を引っ張るオピニオンリーダーを担う世代でした。この本は、66カ国で出版され、世界では2500万部を超える大ベストセラーになっているといいます。

  そして、ついにこの著作が文庫本で発売されたのです。これを読まないわけにはいきません。

  イスラエルといえば、昨年の10月にパレスチナの武装組織ハマスがガザ地区から国境を越えてイスラエルに侵入し、多くのイスラエル人を殺し、200人以上の人質を奪っていきました。そして、イスラエルは、このテロの報復としてパレスチナのガザ地区に、ハマスの武装解除を目的として侵攻しました。その結果、何万人ものパレスチナの市民が殺され、何百万人もの人々が非難を強いられています。ウクライナに続いて、ガザ地区においても何の罪もない市民たちが苦悩と死の恐怖にさらされているのです。

harari04.jpg

(瓦礫の山と化したガザ地区 asahiデジタルより)

  こうした中、ハラリ氏はイスラエル人の歴史学者として世界中の様々なメディアに起稿して、世界中の人々に発信しています。

  昨年の1020日には、テレビ朝日の報道ステーションにリモートで出演し、30分以上にわたるインタビューに答えていました。

  インタビューでハラリ氏は、自分は当事者であり、友人や家族のことを思うと客観的になることはできない、と語りながらも、歴史学者として多くの示唆に富んだ発言を述べていました。その中で、心に残ったのは、歴史が語ってくれている人類の愚かさと知恵についての言葉です。ホモ・サピエンスの歴史を見れば、戦争は「絶対的正義」という価値観を持つことによって引き起こされてきた、といいます。戦いは、友人や家族を失うという悲しみによってさらにエスカレートし、ついには核兵器までが使用されることとなり、地球の壊滅にもつながります。そして、「和平」とは、当事者が「絶対的正義」から譲歩することでしか生れないといいます。

  憎悪の連鎖を生む戦争は、短い期間で和平に至ることは難しいのですが、長期的に見ればイスラエルとドイツの歴史が示すとおり和平を超えて友好的な関係を築くことが狩野なのだと言います。我々人類は「愚かさ」を持ち、性懲りも無く戦争を繰り返します。しかし、一方で人類には「知恵」があり、平和な時代も築いてきました。いまこそ、我々は人類が持つ「家族への愛情」、「友情」、「平和を愛する心」、「働くことの喜び」などといった共有できる価値観を大切にして、グローバルな秩序の構築をまざすべきなのだ。本当に力強いメッセージでした。

harari01.jpg

(報道ステーション インタビュー AMEBAHPより)

  ということで、今週はハラリ氏のベストセラーとなった著作を読んでいました。

「サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福」

Y・N・ハラリ著 柴田弘幸訳 河出文庫 2023年)

【なぜ「ホモ・サピエンス」なのか】

  この本の面白さは、ハラリ氏の人類観にあります。

  20世紀までの人類は、この宇宙の中(地球上)で、最も優れた存在だと自負し続けてきました。科学の心がめばえ、生命がこの宇宙の中で偶然生れたことが判明し、生命が進化の歴史を経て人間が生れ、人間はすべての生命の頂点に立っているという認識です。「人類の進歩と調和」という1970年の万国博覧会のテーマは、まさに我々人類の達成した成果への参加に他なりません。

  しかし、21世紀の現在、マスコミは「SDGs」というメッセージ一色に染まっています。

  「SDGs」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。これは、国連によって提唱された人類が今後、生き延びていくための17の目標です。その中には、地球環境の改善や地球にはぐくまれた生命の維持保全、我々人類内での課題解決など、我々がこれからも持続的に生きていくための目標が掲げられています。キーワードにひとつは、「多様性」です。

  端的に言えば、人類の位置づけを「征服者」から「加害者」へと転換する目標ではないでしょうか。

  人類は、決して「選ばれた生物」でも「生命の頂点」でもありません。ハラリ氏の人類観は、人類をこれまでの価値観から解放し、地球上に生じたたんなる一生命としてとらえることから始まっています。

  生物学では、生物の分類ルールが定められています。

  人類の始まりを語りはじめる箇所。著者は生命学者が、進化の樹木に従って生物を「科」、「属」、「種」に分類することを述べていきます。例えば、ネコ科には、ライオン、チータ、イエネコなどが存在します。科のもとには、属があります。例えば、ライオンやヒョウ、トラなどヒョウ属の仲間です。さらに分類は種へと分かれていきます。ライオンは、ヒョウ属の中のひとつの種なのです。

  そして、生物学では、学名を属と種をラテン語で表した言葉で名付けます。ライオンであれば、ヒョウ属のラテン語「パンテラ」とライオンの「レオ」をつなげて、「パンテラ・レオ」と呼ぶことになります。我々人類と言えば、ホモ(ヒト)科、ホモ(ヒト)属、サピエンス(賢い)種に位置づけられるので、我々は「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。

  さて、「人類」とは実を言うとホモ属全般をさす言葉です。以前、ブログで紹介した「絶滅の人類史」という本を紹介しましたが、人類と呼ばれるホモ属には、我々現生人類であるサピエンス種の他にもたくさんのホモ属が存在していたのです。それは我々とも混血したことがわかっているネアンデルターレンシス種やルドルフェンシス種、エレクトス種、デニソワ種などなど多くの人類が存在していました。

  ところが、驚くことにホモ属の人類たちは、我々ホモ・サピエンス(現生人類)を除いてすべて絶滅してしまったのです。ハラリ氏は、現生人類を語るときにはサピエンスとよび、サピエンス以外の種も含めて語るときには人類とよぶとこの本の冒頭でことわっています。そして、サピエンスを語るときには、我々を生命全体の中の単なるひとつの「種」にすぎないとの認識を貫いているのです。

harari02.jpg

(「サピエンス全史(上巻)」amazon.co.jp)

【サピエンスの飛躍はどう起きたのか】

  さて、さっそくこのユニークな歴史書の目次を見てみましょう。

第1部 認知革命
 第1章 唯一生き延びた人類種
 第2章 虚構が協力を可能にした
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
 第4章 史上最も危険な種
第2部 農業革命
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
 第6章 神話による社会の拡大
 第7章 書記体系の発明
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界
 第10章 最強の征服者
 第11章 貨幣;グローバル化を進める帝国のビジョン

  この目次をみれば、我々が知っている歴史教科書とかけ離れた独自の視点にワクワクします。

  イギリスの文化は、チャーチルやディケンズが体現しているように常にアイロニーにあふれています。ハラリ氏は、イギリスのオクスフォード大学で歴史学を学びました。その影響かどうかはわかりませんが、この本を貫く皮肉にあふれる語り口はまさに独自のものです。

  目次の第2章には「虚構」との言葉が使われています。この歴史書を貫く認識は、サピエンスは「認知革命」によって地球を制するような進化を遂げたとの考え方です。それは、多くの人類の中で唯一生き残った要因といっても過言ではありません。道具や言葉はサピエンスを大きく躍進させた要因に他なりませんが、道具も言葉も火も他の人類も使用していました。では、他の人類のすべてが絶滅する中で、唯一生き残ったサピエンスが持っていたものは何なのでしょうか。それこそが「虚構」を作り出す能力だったのです。

  「言葉」はコミュニケーションに必要な道具ですが、それは単なる音声に過ぎません。サピエンスはそこに「虚構」を付加することで、「認知革命」を引き起こしたのです。この進化はどのように起きたのか。これには2つの説があります。

  ひとつは、柔軟で複雑に言葉を操る能力。例えば、「ライオンに気をつけろ!」だけであれば、鳥でも猿でも音を送ることで表現します。しかし、サピエンスは、「あそこの川の上流にライオンがいるので避けて通れ。」と柔軟で複雑な情報を共有できるように進化した、という説です。

  もうひとつの説は、「噂話」が進化を生んだというものです。我々が毎日使っているSNSや電子メール、手紙でのやりとりの内容は、そのほとんどが噂話です。特に、共通の知人に関する噂話ほど盛り上がる話題はありません。お隣の子供のお兄さんが東京大学に入って、妹は東京女子大にはいったという事実は、いつの間にか町内会で知れ渡ります。いったいどの塾に通って一流大学に合格したのか、はたまた生れながらに頭脳明晰なDNAを備えていたのか、噂話はつきることがありません。

  いずれにしても我々サピエンスは、「認知革命」によって、「虚構」を創り、「虚構」を信じることにとよって、全人類の中で突出した存在となり、他の人類を駆逐し、ときには他の生物たちも駆逐して生き残り、繁栄への糧を手にすることとなったのです。

harari05.jpg

(3万2000年前の象牙ライオン人間像 wikipedia)

  そして、サピエンスの物語は、「狩猟」から「農業」への革命を迎えることになります。そして、さらなる「統一」へと向かっていくのです。

  「農業革命」で、ハタリ氏が描く世界はアイロニーに充ち満ちています。我々は、穀物を育てて定期的な収穫を得、さらに牧畜によって食料を蓄えることによって1カ所に定住して、コミュニティを生み出すことになります。しかし、この「農業革命」は、サピエンスに何一つ幸福を招かなかったというのです。

  我々は、食料を蓄えコミュニティを創ることによってヒエラルキーを生み出します。支配者と被支配者、資産家と労働者、富裕層と貧困層、男と女、あらゆる差別のはじまりは、農業革命を景気としているという説があります。また、より肥沃な地域や蓄えた食料を奪う目的で、コミュニティ間での争いはエスカレートしていき、戦争へと発展していきます。農業革命で唯一サピエンスに有利に働いたことは、この革命によりサピエンスの数がまたたく間に増大し、地球上を席捲し地球の支配者になったことだったのです。

  この本の上巻の最後のフレーズは、まさにチャーチルの有名な言葉と響き合います。

  サピエンスは、人類を統合していく過程でいくつもの帝国を生み出しました。最後にハタリ氏は言います。「キュロス大王以来の2500年間に、無数の帝国が全人類のために普遍的な政治秩序を打ち立てることを約束した。だが、それはすべて口先だけのことで、残らず失敗に終わった。真に普遍的な帝国は1つもなく、全人類のために本当に尽くした帝国も、皆無だった。未来の帝国は、果たしてそれよりはましだろうか?」


  なるほど、読んでみればこの本がベストセラーになる訳がよくわかります。これほど、皮肉に満ち、これほど示唆に富んだ歴史書は読んだことがありません。皆さんもぜひこの本を読んで、我々サピエンスがどれだけ皮肉な存在かを味わってみてください。明日からの生き方が少し変るかもしれません。次回は、この本の下巻を語りたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



大黒達也 音楽と脳の幸せな関係

こんばんは。

  人類は常に未知の世界を探求し続けています。

  未知の世界は無限に広がっています。宇宙の果てはあるのか。そこには未知のエネルギーやダークマターが存在し、その謎には素粒子が大きく関わっています。さらには生命の起源はどこにあるのか、それには未知の深海の探求が欠かせません。さらに人や生命の謎はゲノムの世界からさらに未知の領域が広がっています。その中でも、我々人類の英知すべてを司ると言っても良い脳は未だに謎多き存在に他なりません。

  一方で、人生において音楽から得た恩恵は言い尽くすことができないほどに大きなものです。それは、生れた頃から身近にありました。物心つく頃からテレビから流れてきた数々の番組のテーマ曲。アニメ「鉄腕アトム」や「鉄人28号のテーマ」は、いつまでも忘れられません。また、休みの日になると、寝床で聞こえたクラシックの心躍るメロディ。「くるみ割り人形」、「田園」、「アルルの女」、どれも心を明るくしてくれました。また、思春期にはビートルズから始まるロックやポップス、そして歌謡曲やフォークソング。すべての音楽に勇気づけられて生きてきたことに間違いはありません。

ongakunou02.jpg

(名盤クリュタンス指揮「アルルの女」 amazon.co.jp)

  そんな中、先日いつもの本屋巡りをしていると、興味深い題名の本に目がとまりました。手にとって開けてみると、「はじめに」の一文からその世界に引き込まれてしまいました。その本を持って、カウンターへと急いだのは言うまでもありません。

「音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学」

(大黒達也著 朝日新書 2022年)

【人と音楽の不可分な関係】

  確かに音楽は私たちにとってなくてはならない存在ですが、改めてなぜ音楽が我々の心を動かすのか、と問われると、ふと言葉を失います。

  かつて、人間のすべての存在は脳が司っていると考えられてきましたが、近年の研究では、人間の各部位、例えば骨や筋肉、大腸や胃などの器官が、それぞれ様々な伝達物質を発生させて他の部位や脳と連携してひとを生かしていることがわかってきました。しかし、こと視覚や聴覚に関する限り、それを司るのはやはり脳だと考えられます。

  つまり、音楽を聴いて心が動かされるのは、聴覚に関する脳の働きだと思い当たります。

  この本を読む動機の一つは著者の経歴です。

  1986年、青森県生まれ。医学博士。東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。オックスフォード大学、ケンブリッジ大学勤務などを経て現職。専門は音楽の神経科学と計算論。現代音楽の制作にも取り組む。

  まさに音楽と脳の科学における最先端の研究者の著作なのです。

  目次を見ると、さらにワクワク感が増大します。

はじめに

1章 音楽と数学の不思議な関係

2章 宇宙の音楽、脳の音楽

3章 創造的な音楽はいかにして作られるか

4章 演奏家たちの超絶技巧の秘密

5章 音楽を聴くと頭がよくなる?

あとがき

  音楽は我々ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前から我々の身近に存在しました。人類の飛躍的な進化は言葉によってなされたことがよく語られますが、この本は言葉以前にコミュニケーションの手段であり、言葉の原型となったと想定されることが語られています。

  今や我々にとってなくてはならない音楽。この本はその音楽と脳の関係を語ってくれるのです。

ongakunou01.jpg

(朝日新書「音楽する脳」 amazon.co.jp)

【音楽は脳とともに進化した?】

   音楽は、我々にとって親しい友人ではありますが、気むずかしくもあります。

  ビートルズに代表されるロックバンドには解散がつきものです。解散の理由として最も多く語られるのは、「めざす音楽の方向性の違い」。恋人同士や夫婦は、「性格の不一致」で分かれますが、我々の脳は、何を持って音楽や性格の違いを認識するのでしょうか。

  この本は、まず人の脳にとって「音楽」とは何なのかを語ります。

  5年前、退職を機にテナーサックスを始めました。ブログでもおわかりの通り、音楽には目がなく、クラシックをはじめロックもジャズもフュージョンも、人が作り奏でる音楽とそのパフォーマンスが何よりも好きで、ライブで味わうグルーブと湧き出るミュージシャンの情念に心からの感動を覚えます。学生時代にはアマチュアバンドでサイドギターを弾いていたので、演奏にも多少の自信がありました。

  ところが、聴くと吹くとは大違い。ことにテナーサックスは、楽譜を読むと同時に腹式呼吸でリードを振るわせて音をコントロールし、さらにはすべての指を使って12の音を縦横無尽に押さえる必要があります。ゆっくりとした童謡ならばともかく、少し複雑でスピード感のある音楽を演奏しようとすると、リズムに併せてサックスをよく響かせるのは至難の業です。

  サックスの先生も、いつも「聴くのと吹くのは違う。」と話していました。はじめて「私のお気に入り」を必死に練習していたとき、早いアドリブについていけず、何日も何日も同じ箇所を吹いていて、あまりのできの悪さについ弱音を吐きました。すると、「私も厳しい練習を毎日毎日やっていて、しまいには大好きだった曲が、聴くのもいやになったことがあるので、練習もほどほどにした方がいいでしょうね。」と諭されました。

  確かに、趣味で音楽をやっているのに好きな曲を嫌いになったら本末転倒です。

  幸い、いまでも「私のお気に入りは」マイベストソングではありますが、練習していたアドリブパートフレーズは未だに苦い思い出になっています。

ongakunou03.jpg

(愛器 漆黒のテナー 「Canonnball T5-M」)

  音楽を認識して理解し、心が動かされる。さらに、音楽を創る、そして、確かな技術で演奏する。当たり前のように思っていますが、考えてみれば不思議なことです。「音楽」と「雑音」はどこが違うのか。バッハやモーツアルト、ジョン・レノンやマイルス・デイビスはどうして我々が感動する音楽を創り出せるのか。小曽根真やハービー・ハンコック、ラファウ・プレハッチはなぜ素晴らしい技術で音楽を奏でることができるのか。

  「音楽」に関わるすべては、我々の脳が司っているのです。そして、「音楽」は人間と脳の進化とおおきく関わっています。この本は、そのことを脳科学の見地から語ってくれるのです。

【音が音楽となる歴史とは?】

  皆さん、カラオケは好きですか。

  人はそれぞれ歌うことができるキーが異なります。その点、カラオケは便利で、ボタンひとつで歌のキーを変えることができます。この当たり前と思える移調ですが、実は人類の画期的な発明だったのです。移調したときに同じメロディが維持されるのは、我々の音楽が「平均律」という音律でできているからです。平均律とは、あのバッハの鍵盤楽器用の作品「平均律クラヴィーア曲集」の平均律です。

  この本によれば、「平均律」を最初に考案したのは、あのガリレオ・ガリレイの父でリュート奏者だったヴィンチェンツォ・ガリレイだそうです。彼は、リュートの制作に当たって音のピッチが平均となるようなフレットを作るために1581年に平均律を考案しました。そして、その後、平均律を現代のピッチにしたのが数学者のシモン・ステヴィンという人だそうです。

  第1章で語られる音律の歴史と人間の脳との関係はワンダーでした。

  そもそも音律(全音と半音の12音階)を考案したのは、紀元前ギリシャ時代の数学者ピタゴラスでした。ピタゴラスが発見したのは、音の中にある音律と音程です。それは、「ピタゴラス音律」と呼ばれ、現在の音律の基礎となっています。音律とは、低いドと高いドの間、1オクターブに存在するドレミファソラシドのことで、音程はその音の高さの程度を言います。

  ピタゴラス音律は、張った糸の長さによって響く音で考案されたため、一音がアバウトな周波数で定められており、ドミソを和音にしたときには美しい和音になりません。そこで、和音を美しく鳴るようにしようと、周波数の比率を整数倍となる音であらわそうとする「純正律」が考案されました。「純正律」は、ひとつの音階がもつ自然倍音列という周波数比率が整った音を定めることで、和音の響きをより美しくすることができます。バッハやモーツアルトはこの「純正律」で作曲したそうです。

ongakunou04.jpg

(ギリシャの数学者ピタゴラス  wikipediaより)

  ところが、この「純正律」には困った点がありました。一つ一つの音は周波数を整えたことで和音が調和するのですが、移調したときにはそれぞれの音の周波数がばらけてしまうため、全く違うメロディになってしまうのです。そこで考案されたのが、現在我々が使っている「平均律」です。我々は「平均律」のおかげで、カラオケで好きなキーを設定しても同じメロディを歌うことができるのです。

  一方、我々の脳は数百年にわたってこの「平均律」を当たり前の音として認識してきました。例えば、現代の耳で「純正律」で作曲されたバッハの曲を聴いたときには、別の音楽が聞こえてくると著者は書いています。さらに、石器時代の人類が今の音楽を聴いても感動するどころか、まったく訳のわからない音に困惑することになると言うのです。

  つまり、現代の音楽はその音に慣らされた現代人の脳ならではの音楽なのです。

【脳は音楽をどう認知しているのか。】

  そして、この後、著者はいよいよ我々の脳と音楽の関係を科学的知見によって語っていきます。

  我々の脳はどのように音楽を聴いているのでしょうか。

  脳は様々な部位の知覚が連動して動くことによって、我々に顕在的な認識を生み出します。音楽の場合には、まず耳から入った音を一時聴覚野が認識して音の大きさや高さなどを知覚します。その後、シナプスにより情報は後方側と横則側に回っていきます。脳を巡る中で、音は空間情報(音程や和音)と時間情報(リズム)として認識されて、音楽として情動や記憶と結びついていくと考えられています。

  ここで、ワンダーなのは、脳の持つ「統計学習」と呼ばれる自動計算機能です。人の脳は、よりよく「生きる」ために学習していきますが、そのプロセスにおいて、自動的に次に起きることの確率を無意識のうちに計算するという機能を備えているというのです。

  例えば、階段を上がるときにつまずいたとすると脳はその要因を認識し、次にそれが起きるであろう確率を自動的に計算して整理します。この脳の働きは普遍的な能力で、起きているときも寝ているときも常にあらゆる事象に対して確率計算と整理を繰り返していると言われています。

  この機能は「音楽」とどのような関係があるのでしょうか。

  それは、我々が感動する音楽が、時代とともにクラシック、ジャズ、ロック、ラップ、ダンスミュージックと変化していくことにも大きく関わっているようなのです。さらには、偉大な作曲家の能力や超絶技巧の演奏家にもこの能力がおおきく影響しているというのです。

  そのワンダーは、ぜひこの本で味わってください。音楽が大好きな人もそうでない人も、この本が語る人の脳と音楽の関係にワンダーを感じること間違いなしです。我々の脳にモーツアルトの音楽が大きなプラス効果を生み出すとは、本当なのでしょうか。その答えも記されています。


  季節はいよいよ春を迎えますが、能登地震の被災地ではまだまだ厳しい避難生活を強いられている方々がたくさんいらっしゃいます。心から寄り添いたいと思います。皆で応援していきましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



手嶋龍一 佐藤優 ウクライナ戦争の核心

こんばんは。

  地球上の生命は、環境に適応し順応することで生き残り進化してきました。

  その中でも、我々ホモ・サピエンスはその知性によって言葉を生み出し、言葉によるコミュニケーションによって集団で環境に適応し順応して生き残ってきたのです。しかし、その知性を鈍化させると想わぬ落とし穴に陥り、自らの首を絞めることにもなりかねません。

  我々が数万年かけて築いてきたホモ・サピエンスの繁栄も、数々の戦争や文明進歩によって種の中で憎しみを募らせあい、地球環境を破壊して自らの生存域を狭めつつあります。こうした危機を回避する方法は、我々が行っている行為が人類の繁栄のために資するものか否かを怜悧に分析し、有用な手段を講じることができるかどうかにかかっています。それには、我々一人一人が鈍化することなく、鋭敏に知性を働かせていくことが必要です。

  我々には、生命に必要な順応力があります。しかし、すべての物事が諸刃の剣であるように、物事になれてしまうと知性は鈍化し、観察、分析、対応を放棄してしまうのです。

  ロシアがウクライナに侵攻してから2年が経ちました。戦争はさらなる長期化の様相を呈していますが、この2年間、中東ではパレスチナとイスラエルが戦争を行い、世界中で山火事や大きな災害が発生しています。日本でも能登半島で大規模な地震によって未だに避難を余儀なくされているたくさんの方々が苦しんでいます。そんな中で、我々は、ロシアとウクライナの戦争が日々続いていることを忘れてしまうことはないでしょうか。そのような日常があって良いはずがありません。

ukraine01.jpg

(占拠されたアウディウカの住居 yahoonewsより)

  今週は、佐藤優さん流れで、手嶋龍一さんと佐藤優さんのウクライナ戦争に関するインテリジェンス対談を読んでいました。

「ウクライナ戦争の嘘」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2023年)

【ウクライナ戦争におけるインテリジェンス】

  このブログに訪問をいただいている方々には、インテリジェンスはおなじみのお題かと思います。インテリジェンスとは、「諜報」と訳され、国の存亡にかかる戦略に必要不可欠な情報の取得とその情報の分析を言います。手嶋さんと佐藤さんのインテリジェンス対談本は、機会あるごとに出版されており、このブログでも紹介していますが、インテリジェンスが本領を発揮するのは、この世界が大きく揺れ動く時に他なりません。

  そうした意味で、今回は、「ウクライナ戦争」という歴史の転換点と言っても良いほどの動乱をテーマとしており読み応えがあります。新聞やテレビ、ラジオの報道で「真相」という言葉がよく使われますが、目の前で起きている事実から何が読み取れるのかという点で、専門家と称される人々が語る解説はものごとの表面をなぞらえているだけで、我々の「なぜ」には答えてくれていません。それは、「真相」からは遠く離れた単なる評論に他なりません。

  そうした意味で、インテリジェンスによる読みときや見立てのプロフェッショナルであるお二人の指摘は、我々の「なぜ」にストレートに答えてくれるワンダーな内容です。

  さて、まずはこの本の目次をみてみましょう。

まえがき

第1章 アメリカはウクライナ戦争の“管理人

第2章 ロシアが侵攻に踏み切った真の理由

第3章 ウクライナという国 ゼレンスキーという人物

第4章 プーチン大統領はご乱心なのか

第5章 ロシアが核を使うとき

第6章 ウクライナ戦争と連動する台湾危機

第7章 戦争終結の処方箋 日本のなすべきこと

あとがき

  目次を読んだだけでも興味津々ですが、読んでみれば、読んでいる時間を止めたくなるほど、お二人が語る「真相」に夢中になること間違いなしです。

ukraine02.jpg

(「ウクライナ戦争の嘘」中公新書 amazon.co.jp)

(ここから先はネタバレがあります。)

  手嶋さんや佐藤さんのインテリジェンスのプロたる経歴はこれまでもブログでお話ししてきましたが、「真相」を語るときにつきものなのは表面をなぞるだけの誤解による批判です。

  この本でもお二人が大前提として何度も語るのは、この戦争ではロシアが国際法に違反して、主権国家の領土を侵略しているという事実です。さらに、ロシアは罪もないウクライナ市民を何万人も殺傷しており、その罪は決して許されるものではありません。しかし、その罪をどのように糾弾してもそれがウクライナの領土奪回につながることにはなりません。むしろ、ロシアのプーチン大統領はさらに殺戮を広げ、窮地となれば核戦争も辞さないと語っているのです。

  我々は、ロシアの一方的に犯している許されざる犯罪を十分に認識したうえで、冷徹に現状を知って分析を加え、現状で講じることができる最も有効な手段は何なのかを考える必要があります。しかし、冷徹に事実を見つめ、語る過程ではロシアに有利となる事実も語ることになり、短絡的な発想からは、あらぬ批判をもたれることもあります。そうした無為な批判を招かないために、お二人は大前提を確認しながら話を進めていくのです。

【政治家たちの思惑】

  罪もない市民たちが死の恐怖に脅かされている中でも、政治家たちは国家間の戦略と政治的思惑を振りかざして、日々、政治活動を続けています。

  ウクライナ戦争は、民主主義と新たな独裁主義との戦いです。ソ連が崩壊して冷戦が終わった後、世界はアメリカが主導する自由と民主の時代へと大きく舵を切ったようにみえました。ことにソ連の衛星国であった東欧の国々は次々と民主化し、独裁主義的な体制から民主体制へと移り変わりました。そうした中で、ロシアはアメリカやEU主要国のかかげる「自由と民主主義」の理念とは一線を画したスラブ主義ともいえる独裁的な体制を維持し、市民たちも大多数はそれを是と考えています。

  そうしたロシアから見れば、自らの同盟国であった社会主義国として独裁色の濃かった国々がロシア国境に向かって次々と民主化されていくことに一種の恐怖を感じているのではないでしょうか。ロシアがヨーロッパで国境を接している国は、北からフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナとつらなり、さらに黒海をはさんで真南にジョージアとアゼルバイジャンと続きます。1991年ソ連が崩壊しロシアは新たな連邦国家として歩み始めました。

  ソビエト時代、国境を接した国々は、フィンランドを除いてワルシャワ条約機構の同盟国として、ときに独裁的な社会主義体制を取ってきましたが、ソビエトの崩壊によって次々に独立し、民族的な民主主義国家へと変っていったのです。それは、イギリスやアメリカ、フランスなどの掲げる自由と民主の国という民主主義体制でした。ベラルーシとアゼルバイジャンはかろうじてロシアに近い独裁的民族主義的な政権を保っていますが、それ以外の国々は自由と民主を是とする国家へと革命により転換していったのです。

ukraine03.jpg

(ロシア国境のEU加盟諸国  国交省HPより)

  現在、ロシアと中国が独裁組織的民主主義を標榜している国で、アメリカの価値観に対抗していますが、さらにはイスラム教の価値観による法の支配を是とする勢力もアメリカ的民主主義と対峙しています。敵の敵は味方。ウクライナ戦争を抱えるプーチン大統領は、欧米の体制に対抗する勢力と主義主張を超えて手を携えようと考えているようです。

  こうした中で、政治家たちは様々な思惑を胸にこのウクライナ戦争に対応していこうとしています。ウクライナのゼレンスキー大統領は侵略が行われた当初から、すべての領土を回復するまでは戦い抜くとして戦争を続ける姿勢を堅持しています。ゼレンスキー氏の背景には、地政学的にEU諸国に接するウクライナの西側地域、中部地域の市民の支持があります。

  ロシアによる侵略当初、ロシアが企んだと言われたゼレンスキー政権転覆の思惑は阻止されました。アメリカとEU諸国の支援によりウクライナはロシアの侵攻に対して国を挙げての反抗へと転じました。しかし、ロシアの執拗な攻撃は続き、東部三州の独立を宣言してロシアは占領地の既成事実化をはかります。こうして前線は膠着してこの侵略戦争は長期化を余儀なくされたのです。

  アメリカは侵攻前からロシアの侵攻を予告し、侵攻開始から終始西側の先頭に立ってEUとともにウクライナを支援し続けています。このアメリカの体制をお二人は「ウクライナ戦争の管理人」と見立てています。アメリカは、かつて自らの領土内で外国との戦闘を行ったことはなく、モンロー宣言に象徴される孤立主義を貫いてきた歴史を持ちます。バイデン政権もロシアの戦争犯罪を糾弾しながら、直接ロシアと戦闘を行うことを避けています。

  直接の戦闘は、核兵器の使用、世界大戦への拡大を招く要因となるため、アメリカもEU諸国もこの侵略への対応を支援にとどめています。アメリカのバイデン政権はこの侵攻に支援を行うことによってロシアの弱体化を目標にしている、とお二人は見立てているのです。さらに、そこには西側の軍産共同体の経済的利益も大きく関わっているのです。

【侵略の背景 ウクライナの歴史】

  この本の冒頭、手嶋さんは、佐藤さんが侵略戦争の勃発を度のように予見し、見抜いたかを問いかけます。佐藤さんは、「いきなり豪速球ですね。」といいながらも、そのみごとな「見立て」を語っていきます。ここから話は本題へと突入していきます。日本で専門家のみ立てを、政治的思惑などからみごとに骨抜きにしながら対談が進んでいきます。

  第2章と第3章は、日本からは想像すらできないロシアとウクライナの歴史的、地政学的背景を次々と解き明かしてくれます。実はウクライナ人(民族)は、現在の国に至るまでに実に複雑な歴史を抱えているのです。

  まず、ワンダーだったのは歴史の始まりにいきなりモンゴル帝国が登場したことです。ウクライナのクリミア半島には15世紀にモンゴル人(のちにタタールと呼ばれる)によるクリミア・ハン国が建国されました。この国はオスマン帝国に押されながらも独立を維持して16世紀には当時モスクワ公国であったロシアに攻められます。しかし、オスマン帝国(のちのトルコ)との狭間で生き残り、18世紀、ロシア帝国のエカテリーナ2世のときにロシアに併合されました。そのクリミア・ハン国が1657年にモスクワ公国と結んだのがペレヤスラフ協定といい、ポーランドからの攻勢を防ぐためにモスクワ公国の宗主権を認めるという内容でした。

  それから300年後の1957年、ソ連のフルシチョフ書記長は協定締結300年を記念してクリミア半島をウクライナに返還したのです。当時、ウクライナはロシアとは軍事的にも深い関係にあり、まさかウクライナが独立するなどとは想像だにできなかったのでしょう。

  現在のウクライナは、西部、中央部、東部の3つの地域から構成されます。そして、この3つの地域は歴史も民族も大きく異なるといいます。お二人はこの地政学的な成り立ちからインテリジェンスを深めていきます。驚きだったのは、開戦以降、多くのウクライナ人が国内で避難した街、リヴィウを中心とした西部のガリツィア地域がウクライナの領土となったのは第二次世界大戦前後で、それまではポーランドの領土だったという歴史です。

ukraine06.jpg

(ウクライナ全図 コトバンクHPより)

  つまり、ウクライナは古くから親ロシアだった東部地域、近代化工業化の中でロシアに染まっていった首都キーウを含む中部地域、そして、ウクライナの民族運動が最も盛んな西部地域、の3つの地域で成り立っており、それぞれが異なる歴史を持っているというのです。

  こうした歴史を知ることで、この本で語られる数々のインテリジェンスが大きな説得力を持って我々に迫ってくるのです。


  ロシアの一方的な国際法では許されない侵略によって始まったウクライナの戦いは、ついに3年目を迎えました。このブログを書いている現在もウクライナの罪もない人々は命の危機にさらされ、日々亡くなる人々、傷つく人々が増えていきます。確かにロシアの犯罪は明らかであり、プーチン大統領はその戦犯ではあります。しかし、どこかで罪のない市民の殺戮をとどめなければなりません。

  ウクライナの人々の被害と不条理、そして憤りは決して収まることはないでしょう。それでも一度、殺戮の手を止めて、命の大切さを再認識する道を模索することが必要なのではないでしょうか。この本には、そのことの必要性と、前提となる条件へのヒントがちりばめられています。いまこそ、我々はもう一度、冷静になるときなのではないでしょうか。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。