Y・N・ハラリ ホモ・サピエンスとは何者なのか

こんばんは。

  ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」の日本語訳が出版されたのは2016年。かれこれ8年前になりますが、当時、ビジネス書として大きな話題となり、本屋さんでは最も目立つ場所に展示されていました。

  この本は、各界で絶賛され、ビジネス書大賞など多くの賞を受賞しました。

  ハラリ氏は、イスラエルの歴史学者、哲学者です。略歴によると1976年生まれとなっていますので、現在は40代後半と最も活躍する世代のひとりです。この本がヘブライ語で上梓されたのは2011年ですので、この本の執筆時、氏は30代であり、まさに時代を引っ張るオピニオンリーダーを担う世代でした。この本は、66カ国で出版され、世界では2500万部を超える大ベストセラーになっているといいます。

  そして、ついにこの著作が文庫本で発売されたのです。これを読まないわけにはいきません。

  イスラエルといえば、昨年の10月にパレスチナの武装組織ハマスがガザ地区から国境を越えてイスラエルに侵入し、多くのイスラエル人を殺し、200人以上の人質を奪っていきました。そして、イスラエルは、このテロの報復としてパレスチナのガザ地区に、ハマスの武装解除を目的として侵攻しました。その結果、何万人ものパレスチナの市民が殺され、何百万人もの人々が非難を強いられています。ウクライナに続いて、ガザ地区においても何の罪もない市民たちが苦悩と死の恐怖にさらされているのです。

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(瓦礫の山と化したガザ地区 asahiデジタルより)

  こうした中、ハラリ氏はイスラエル人の歴史学者として世界中の様々なメディアに起稿して、世界中の人々に発信しています。

  昨年の1020日には、テレビ朝日の報道ステーションにリモートで出演し、30分以上にわたるインタビューに答えていました。

  インタビューでハラリ氏は、自分は当事者であり、友人や家族のことを思うと客観的になることはできない、と語りながらも、歴史学者として多くの示唆に富んだ発言を述べていました。その中で、心に残ったのは、歴史が語ってくれている人類の愚かさと知恵についての言葉です。ホモ・サピエンスの歴史を見れば、戦争は「絶対的正義」という価値観を持つことによって引き起こされてきた、といいます。戦いは、友人や家族を失うという悲しみによってさらにエスカレートし、ついには核兵器までが使用されることとなり、地球の壊滅にもつながります。そして、「和平」とは、当事者が「絶対的正義」から譲歩することでしか生れないといいます。

  憎悪の連鎖を生む戦争は、短い期間で和平に至ることは難しいのですが、長期的に見ればイスラエルとドイツの歴史が示すとおり和平を超えて友好的な関係を築くことが狩野なのだと言います。我々人類は「愚かさ」を持ち、性懲りも無く戦争を繰り返します。しかし、一方で人類には「知恵」があり、平和な時代も築いてきました。いまこそ、我々は人類が持つ「家族への愛情」、「友情」、「平和を愛する心」、「働くことの喜び」などといった共有できる価値観を大切にして、グローバルな秩序の構築をまざすべきなのだ。本当に力強いメッセージでした。

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(報道ステーション インタビュー AMEBAHPより)

  ということで、今週はハラリ氏のベストセラーとなった著作を読んでいました。

「サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福」

Y・N・ハラリ著 柴田弘幸訳 河出文庫 2023年)

【なぜ「ホモ・サピエンス」なのか】

  この本の面白さは、ハラリ氏の人類観にあります。

  20世紀までの人類は、この宇宙の中(地球上)で、最も優れた存在だと自負し続けてきました。科学の心がめばえ、生命がこの宇宙の中で偶然生れたことが判明し、生命が進化の歴史を経て人間が生れ、人間はすべての生命の頂点に立っているという認識です。「人類の進歩と調和」という1970年の万国博覧会のテーマは、まさに我々人類の達成した成果への参加に他なりません。

  しかし、21世紀の現在、マスコミは「SDGs」というメッセージ一色に染まっています。

  「SDGs」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。これは、国連によって提唱された人類が今後、生き延びていくための17の目標です。その中には、地球環境の改善や地球にはぐくまれた生命の維持保全、我々人類内での課題解決など、我々がこれからも持続的に生きていくための目標が掲げられています。キーワードにひとつは、「多様性」です。

  端的に言えば、人類の位置づけを「征服者」から「加害者」へと転換する目標ではないでしょうか。

  人類は、決して「選ばれた生物」でも「生命の頂点」でもありません。ハラリ氏の人類観は、人類をこれまでの価値観から解放し、地球上に生じたたんなる一生命としてとらえることから始まっています。

  生物学では、生物の分類ルールが定められています。

  人類の始まりを語りはじめる箇所。著者は生命学者が、進化の樹木に従って生物を「科」、「属」、「種」に分類することを述べていきます。例えば、ネコ科には、ライオン、チータ、イエネコなどが存在します。科のもとには、属があります。例えば、ライオンやヒョウ、トラなどヒョウ属の仲間です。さらに分類は種へと分かれていきます。ライオンは、ヒョウ属の中のひとつの種なのです。

  そして、生物学では、学名を属と種をラテン語で表した言葉で名付けます。ライオンであれば、ヒョウ属のラテン語「パンテラ」とライオンの「レオ」をつなげて、「パンテラ・レオ」と呼ぶことになります。我々人類と言えば、ホモ(ヒト)科、ホモ(ヒト)属、サピエンス(賢い)種に位置づけられるので、我々は「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。

  さて、「人類」とは実を言うとホモ属全般をさす言葉です。以前、ブログで紹介した「絶滅の人類史」という本を紹介しましたが、人類と呼ばれるホモ属には、我々現生人類であるサピエンス種の他にもたくさんのホモ属が存在していたのです。それは我々とも混血したことがわかっているネアンデルターレンシス種やルドルフェンシス種、エレクトス種、デニソワ種などなど多くの人類が存在していました。

  ところが、驚くことにホモ属の人類たちは、我々ホモ・サピエンス(現生人類)を除いてすべて絶滅してしまったのです。ハラリ氏は、現生人類を語るときにはサピエンスとよび、サピエンス以外の種も含めて語るときには人類とよぶとこの本の冒頭でことわっています。そして、サピエンスを語るときには、我々を生命全体の中の単なるひとつの「種」にすぎないとの認識を貫いているのです。

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(「サピエンス全史(上巻)」amazon.co.jp)

【サピエンスの飛躍はどう起きたのか】

  さて、さっそくこのユニークな歴史書の目次を見てみましょう。

第1部 認知革命
 第1章 唯一生き延びた人類種
 第2章 虚構が協力を可能にした
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
 第4章 史上最も危険な種
第2部 農業革命
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
 第6章 神話による社会の拡大
 第7章 書記体系の発明
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界
 第10章 最強の征服者
 第11章 貨幣;グローバル化を進める帝国のビジョン

  この目次をみれば、我々が知っている歴史教科書とかけ離れた独自の視点にワクワクします。

  イギリスの文化は、チャーチルやディケンズが体現しているように常にアイロニーにあふれています。ハラリ氏は、イギリスのオクスフォード大学で歴史学を学びました。その影響かどうかはわかりませんが、この本を貫く皮肉にあふれる語り口はまさに独自のものです。

  目次の第2章には「虚構」との言葉が使われています。この歴史書を貫く認識は、サピエンスは「認知革命」によって地球を制するような進化を遂げたとの考え方です。それは、多くの人類の中で唯一生き残った要因といっても過言ではありません。道具や言葉はサピエンスを大きく躍進させた要因に他なりませんが、道具も言葉も火も他の人類も使用していました。では、他の人類のすべてが絶滅する中で、唯一生き残ったサピエンスが持っていたものは何なのでしょうか。それこそが「虚構」を作り出す能力だったのです。

  「言葉」はコミュニケーションに必要な道具ですが、それは単なる音声に過ぎません。サピエンスはそこに「虚構」を付加することで、「認知革命」を引き起こしたのです。この進化はどのように起きたのか。これには2つの説があります。

  ひとつは、柔軟で複雑に言葉を操る能力。例えば、「ライオンに気をつけろ!」だけであれば、鳥でも猿でも音を送ることで表現します。しかし、サピエンスは、「あそこの川の上流にライオンがいるので避けて通れ。」と柔軟で複雑な情報を共有できるように進化した、という説です。

  もうひとつの説は、「噂話」が進化を生んだというものです。我々が毎日使っているSNSや電子メール、手紙でのやりとりの内容は、そのほとんどが噂話です。特に、共通の知人に関する噂話ほど盛り上がる話題はありません。お隣の子供のお兄さんが東京大学に入って、妹は東京女子大にはいったという事実は、いつの間にか町内会で知れ渡ります。いったいどの塾に通って一流大学に合格したのか、はたまた生れながらに頭脳明晰なDNAを備えていたのか、噂話はつきることがありません。

  いずれにしても我々サピエンスは、「認知革命」によって、「虚構」を創り、「虚構」を信じることにとよって、全人類の中で突出した存在となり、他の人類を駆逐し、ときには他の生物たちも駆逐して生き残り、繁栄への糧を手にすることとなったのです。

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(3万2000年前の象牙ライオン人間像 wikipedia)

  そして、サピエンスの物語は、「狩猟」から「農業」への革命を迎えることになります。そして、さらなる「統一」へと向かっていくのです。

  「農業革命」で、ハタリ氏が描く世界はアイロニーに充ち満ちています。我々は、穀物を育てて定期的な収穫を得、さらに牧畜によって食料を蓄えることによって1カ所に定住して、コミュニティを生み出すことになります。しかし、この「農業革命」は、サピエンスに何一つ幸福を招かなかったというのです。

  我々は、食料を蓄えコミュニティを創ることによってヒエラルキーを生み出します。支配者と被支配者、資産家と労働者、富裕層と貧困層、男と女、あらゆる差別のはじまりは、農業革命を景気としているという説があります。また、より肥沃な地域や蓄えた食料を奪う目的で、コミュニティ間での争いはエスカレートしていき、戦争へと発展していきます。農業革命で唯一サピエンスに有利に働いたことは、この革命によりサピエンスの数がまたたく間に増大し、地球上を席捲し地球の支配者になったことだったのです。

  この本の上巻の最後のフレーズは、まさにチャーチルの有名な言葉と響き合います。

  サピエンスは、人類を統合していく過程でいくつもの帝国を生み出しました。最後にハタリ氏は言います。「キュロス大王以来の2500年間に、無数の帝国が全人類のために普遍的な政治秩序を打ち立てることを約束した。だが、それはすべて口先だけのことで、残らず失敗に終わった。真に普遍的な帝国は1つもなく、全人類のために本当に尽くした帝国も、皆無だった。未来の帝国は、果たしてそれよりはましだろうか?」


  なるほど、読んでみればこの本がベストセラーになる訳がよくわかります。これほど、皮肉に満ち、これほど示唆に富んだ歴史書は読んだことがありません。皆さんもぜひこの本を読んで、我々サピエンスがどれだけ皮肉な存在かを味わってみてください。明日からの生き方が少し変るかもしれません。次回は、この本の下巻を語りたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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大黒達也 音楽と脳の幸せな関係

こんばんは。

  人類は常に未知の世界を探求し続けています。

  未知の世界は無限に広がっています。宇宙の果てはあるのか。そこには未知のエネルギーやダークマターが存在し、その謎には素粒子が大きく関わっています。さらには生命の起源はどこにあるのか、それには未知の深海の探求が欠かせません。さらに人や生命の謎はゲノムの世界からさらに未知の領域が広がっています。その中でも、我々人類の英知すべてを司ると言っても良い脳は未だに謎多き存在に他なりません。

  一方で、人生において音楽から得た恩恵は言い尽くすことができないほどに大きなものです。それは、生れた頃から身近にありました。物心つく頃からテレビから流れてきた数々の番組のテーマ曲。アニメ「鉄腕アトム」や「鉄人28号のテーマ」は、いつまでも忘れられません。また、休みの日になると、寝床で聞こえたクラシックの心躍るメロディ。「くるみ割り人形」、「田園」、「アルルの女」、どれも心を明るくしてくれました。また、思春期にはビートルズから始まるロックやポップス、そして歌謡曲やフォークソング。すべての音楽に勇気づけられて生きてきたことに間違いはありません。

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(名盤クリュタンス指揮「アルルの女」 amazon.co.jp)

  そんな中、先日いつもの本屋巡りをしていると、興味深い題名の本に目がとまりました。手にとって開けてみると、「はじめに」の一文からその世界に引き込まれてしまいました。その本を持って、カウンターへと急いだのは言うまでもありません。

「音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学」

(大黒達也著 朝日新書 2022年)

【人と音楽の不可分な関係】

  確かに音楽は私たちにとってなくてはならない存在ですが、改めてなぜ音楽が我々の心を動かすのか、と問われると、ふと言葉を失います。

  かつて、人間のすべての存在は脳が司っていると考えられてきましたが、近年の研究では、人間の各部位、例えば骨や筋肉、大腸や胃などの器官が、それぞれ様々な伝達物質を発生させて他の部位や脳と連携してひとを生かしていることがわかってきました。しかし、こと視覚や聴覚に関する限り、それを司るのはやはり脳だと考えられます。

  つまり、音楽を聴いて心が動かされるのは、聴覚に関する脳の働きだと思い当たります。

  この本を読む動機の一つは著者の経歴です。

  1986年、青森県生まれ。医学博士。東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。オックスフォード大学、ケンブリッジ大学勤務などを経て現職。専門は音楽の神経科学と計算論。現代音楽の制作にも取り組む。

  まさに音楽と脳の科学における最先端の研究者の著作なのです。

  目次を見ると、さらにワクワク感が増大します。

はじめに

1章 音楽と数学の不思議な関係

2章 宇宙の音楽、脳の音楽

3章 創造的な音楽はいかにして作られるか

4章 演奏家たちの超絶技巧の秘密

5章 音楽を聴くと頭がよくなる?

あとがき

  音楽は我々ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前から我々の身近に存在しました。人類の飛躍的な進化は言葉によってなされたことがよく語られますが、この本は言葉以前にコミュニケーションの手段であり、言葉の原型となったと想定されることが語られています。

  今や我々にとってなくてはならない音楽。この本はその音楽と脳の関係を語ってくれるのです。

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(朝日新書「音楽する脳」 amazon.co.jp)

【音楽は脳とともに進化した?】

   音楽は、我々にとって親しい友人ではありますが、気むずかしくもあります。

  ビートルズに代表されるロックバンドには解散がつきものです。解散の理由として最も多く語られるのは、「めざす音楽の方向性の違い」。恋人同士や夫婦は、「性格の不一致」で分かれますが、我々の脳は、何を持って音楽や性格の違いを認識するのでしょうか。

  この本は、まず人の脳にとって「音楽」とは何なのかを語ります。

  5年前、退職を機にテナーサックスを始めました。ブログでもおわかりの通り、音楽には目がなく、クラシックをはじめロックもジャズもフュージョンも、人が作り奏でる音楽とそのパフォーマンスが何よりも好きで、ライブで味わうグルーブと湧き出るミュージシャンの情念に心からの感動を覚えます。学生時代にはアマチュアバンドでサイドギターを弾いていたので、演奏にも多少の自信がありました。

  ところが、聴くと吹くとは大違い。ことにテナーサックスは、楽譜を読むと同時に腹式呼吸でリードを振るわせて音をコントロールし、さらにはすべての指を使って12の音を縦横無尽に押さえる必要があります。ゆっくりとした童謡ならばともかく、少し複雑でスピード感のある音楽を演奏しようとすると、リズムに併せてサックスをよく響かせるのは至難の業です。

  サックスの先生も、いつも「聴くのと吹くのは違う。」と話していました。はじめて「私のお気に入り」を必死に練習していたとき、早いアドリブについていけず、何日も何日も同じ箇所を吹いていて、あまりのできの悪さについ弱音を吐きました。すると、「私も厳しい練習を毎日毎日やっていて、しまいには大好きだった曲が、聴くのもいやになったことがあるので、練習もほどほどにした方がいいでしょうね。」と諭されました。

  確かに、趣味で音楽をやっているのに好きな曲を嫌いになったら本末転倒です。

  幸い、いまでも「私のお気に入りは」マイベストソングではありますが、練習していたアドリブパートフレーズは未だに苦い思い出になっています。

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(愛器 漆黒のテナー 「Canonnball T5-M」)

  音楽を認識して理解し、心が動かされる。さらに、音楽を創る、そして、確かな技術で演奏する。当たり前のように思っていますが、考えてみれば不思議なことです。「音楽」と「雑音」はどこが違うのか。バッハやモーツアルト、ジョン・レノンやマイルス・デイビスはどうして我々が感動する音楽を創り出せるのか。小曽根真やハービー・ハンコック、ラファウ・プレハッチはなぜ素晴らしい技術で音楽を奏でることができるのか。

  「音楽」に関わるすべては、我々の脳が司っているのです。そして、「音楽」は人間と脳の進化とおおきく関わっています。この本は、そのことを脳科学の見地から語ってくれるのです。

【音が音楽となる歴史とは?】

  皆さん、カラオケは好きですか。

  人はそれぞれ歌うことができるキーが異なります。その点、カラオケは便利で、ボタンひとつで歌のキーを変えることができます。この当たり前と思える移調ですが、実は人類の画期的な発明だったのです。移調したときに同じメロディが維持されるのは、我々の音楽が「平均律」という音律でできているからです。平均律とは、あのバッハの鍵盤楽器用の作品「平均律クラヴィーア曲集」の平均律です。

  この本によれば、「平均律」を最初に考案したのは、あのガリレオ・ガリレイの父でリュート奏者だったヴィンチェンツォ・ガリレイだそうです。彼は、リュートの制作に当たって音のピッチが平均となるようなフレットを作るために1581年に平均律を考案しました。そして、その後、平均律を現代のピッチにしたのが数学者のシモン・ステヴィンという人だそうです。

  第1章で語られる音律の歴史と人間の脳との関係はワンダーでした。

  そもそも音律(全音と半音の12音階)を考案したのは、紀元前ギリシャ時代の数学者ピタゴラスでした。ピタゴラスが発見したのは、音の中にある音律と音程です。それは、「ピタゴラス音律」と呼ばれ、現在の音律の基礎となっています。音律とは、低いドと高いドの間、1オクターブに存在するドレミファソラシドのことで、音程はその音の高さの程度を言います。

  ピタゴラス音律は、張った糸の長さによって響く音で考案されたため、一音がアバウトな周波数で定められており、ドミソを和音にしたときには美しい和音になりません。そこで、和音を美しく鳴るようにしようと、周波数の比率を整数倍となる音であらわそうとする「純正律」が考案されました。「純正律」は、ひとつの音階がもつ自然倍音列という周波数比率が整った音を定めることで、和音の響きをより美しくすることができます。バッハやモーツアルトはこの「純正律」で作曲したそうです。

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(ギリシャの数学者ピタゴラス  wikipediaより)

  ところが、この「純正律」には困った点がありました。一つ一つの音は周波数を整えたことで和音が調和するのですが、移調したときにはそれぞれの音の周波数がばらけてしまうため、全く違うメロディになってしまうのです。そこで考案されたのが、現在我々が使っている「平均律」です。我々は「平均律」のおかげで、カラオケで好きなキーを設定しても同じメロディを歌うことができるのです。

  一方、我々の脳は数百年にわたってこの「平均律」を当たり前の音として認識してきました。例えば、現代の耳で「純正律」で作曲されたバッハの曲を聴いたときには、別の音楽が聞こえてくると著者は書いています。さらに、石器時代の人類が今の音楽を聴いても感動するどころか、まったく訳のわからない音に困惑することになると言うのです。

  つまり、現代の音楽はその音に慣らされた現代人の脳ならではの音楽なのです。

【脳は音楽をどう認知しているのか。】

  そして、この後、著者はいよいよ我々の脳と音楽の関係を科学的知見によって語っていきます。

  我々の脳はどのように音楽を聴いているのでしょうか。

  脳は様々な部位の知覚が連動して動くことによって、我々に顕在的な認識を生み出します。音楽の場合には、まず耳から入った音を一時聴覚野が認識して音の大きさや高さなどを知覚します。その後、シナプスにより情報は後方側と横則側に回っていきます。脳を巡る中で、音は空間情報(音程や和音)と時間情報(リズム)として認識されて、音楽として情動や記憶と結びついていくと考えられています。

  ここで、ワンダーなのは、脳の持つ「統計学習」と呼ばれる自動計算機能です。人の脳は、よりよく「生きる」ために学習していきますが、そのプロセスにおいて、自動的に次に起きることの確率を無意識のうちに計算するという機能を備えているというのです。

  例えば、階段を上がるときにつまずいたとすると脳はその要因を認識し、次にそれが起きるであろう確率を自動的に計算して整理します。この脳の働きは普遍的な能力で、起きているときも寝ているときも常にあらゆる事象に対して確率計算と整理を繰り返していると言われています。

  この機能は「音楽」とどのような関係があるのでしょうか。

  それは、我々が感動する音楽が、時代とともにクラシック、ジャズ、ロック、ラップ、ダンスミュージックと変化していくことにも大きく関わっているようなのです。さらには、偉大な作曲家の能力や超絶技巧の演奏家にもこの能力がおおきく影響しているというのです。

  そのワンダーは、ぜひこの本で味わってください。音楽が大好きな人もそうでない人も、この本が語る人の脳と音楽の関係にワンダーを感じること間違いなしです。我々の脳にモーツアルトの音楽が大きなプラス効果を生み出すとは、本当なのでしょうか。その答えも記されています。


  季節はいよいよ春を迎えますが、能登地震の被災地ではまだまだ厳しい避難生活を強いられている方々がたくさんいらっしゃいます。心から寄り添いたいと思います。皆で応援していきましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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手嶋龍一 佐藤優 ウクライナ戦争の核心

こんばんは。

  地球上の生命は、環境に適応し順応することで生き残り進化してきました。

  その中でも、我々ホモ・サピエンスはその知性によって言葉を生み出し、言葉によるコミュニケーションによって集団で環境に適応し順応して生き残ってきたのです。しかし、その知性を鈍化させると想わぬ落とし穴に陥り、自らの首を絞めることにもなりかねません。

  我々が数万年かけて築いてきたホモ・サピエンスの繁栄も、数々の戦争や文明進歩によって種の中で憎しみを募らせあい、地球環境を破壊して自らの生存域を狭めつつあります。こうした危機を回避する方法は、我々が行っている行為が人類の繁栄のために資するものか否かを怜悧に分析し、有用な手段を講じることができるかどうかにかかっています。それには、我々一人一人が鈍化することなく、鋭敏に知性を働かせていくことが必要です。

  我々には、生命に必要な順応力があります。しかし、すべての物事が諸刃の剣であるように、物事になれてしまうと知性は鈍化し、観察、分析、対応を放棄してしまうのです。

  ロシアがウクライナに侵攻してから2年が経ちました。戦争はさらなる長期化の様相を呈していますが、この2年間、中東ではパレスチナとイスラエルが戦争を行い、世界中で山火事や大きな災害が発生しています。日本でも能登半島で大規模な地震によって未だに避難を余儀なくされているたくさんの方々が苦しんでいます。そんな中で、我々は、ロシアとウクライナの戦争が日々続いていることを忘れてしまうことはないでしょうか。そのような日常があって良いはずがありません。

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(占拠されたアウディウカの住居 yahoonewsより)

  今週は、佐藤優さん流れで、手嶋龍一さんと佐藤優さんのウクライナ戦争に関するインテリジェンス対談を読んでいました。

「ウクライナ戦争の嘘」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2023年)

【ウクライナ戦争におけるインテリジェンス】

  このブログに訪問をいただいている方々には、インテリジェンスはおなじみのお題かと思います。インテリジェンスとは、「諜報」と訳され、国の存亡にかかる戦略に必要不可欠な情報の取得とその情報の分析を言います。手嶋さんと佐藤さんのインテリジェンス対談本は、機会あるごとに出版されており、このブログでも紹介していますが、インテリジェンスが本領を発揮するのは、この世界が大きく揺れ動く時に他なりません。

  そうした意味で、今回は、「ウクライナ戦争」という歴史の転換点と言っても良いほどの動乱をテーマとしており読み応えがあります。新聞やテレビ、ラジオの報道で「真相」という言葉がよく使われますが、目の前で起きている事実から何が読み取れるのかという点で、専門家と称される人々が語る解説はものごとの表面をなぞらえているだけで、我々の「なぜ」には答えてくれていません。それは、「真相」からは遠く離れた単なる評論に他なりません。

  そうした意味で、インテリジェンスによる読みときや見立てのプロフェッショナルであるお二人の指摘は、我々の「なぜ」にストレートに答えてくれるワンダーな内容です。

  さて、まずはこの本の目次をみてみましょう。

まえがき

第1章 アメリカはウクライナ戦争の“管理人

第2章 ロシアが侵攻に踏み切った真の理由

第3章 ウクライナという国 ゼレンスキーという人物

第4章 プーチン大統領はご乱心なのか

第5章 ロシアが核を使うとき

第6章 ウクライナ戦争と連動する台湾危機

第7章 戦争終結の処方箋 日本のなすべきこと

あとがき

  目次を読んだだけでも興味津々ですが、読んでみれば、読んでいる時間を止めたくなるほど、お二人が語る「真相」に夢中になること間違いなしです。

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(「ウクライナ戦争の嘘」中公新書 amazon.co.jp)

(ここから先はネタバレがあります。)

  手嶋さんや佐藤さんのインテリジェンスのプロたる経歴はこれまでもブログでお話ししてきましたが、「真相」を語るときにつきものなのは表面をなぞるだけの誤解による批判です。

  この本でもお二人が大前提として何度も語るのは、この戦争ではロシアが国際法に違反して、主権国家の領土を侵略しているという事実です。さらに、ロシアは罪もないウクライナ市民を何万人も殺傷しており、その罪は決して許されるものではありません。しかし、その罪をどのように糾弾してもそれがウクライナの領土奪回につながることにはなりません。むしろ、ロシアのプーチン大統領はさらに殺戮を広げ、窮地となれば核戦争も辞さないと語っているのです。

  我々は、ロシアの一方的に犯している許されざる犯罪を十分に認識したうえで、冷徹に現状を知って分析を加え、現状で講じることができる最も有効な手段は何なのかを考える必要があります。しかし、冷徹に事実を見つめ、語る過程ではロシアに有利となる事実も語ることになり、短絡的な発想からは、あらぬ批判をもたれることもあります。そうした無為な批判を招かないために、お二人は大前提を確認しながら話を進めていくのです。

【政治家たちの思惑】

  罪もない市民たちが死の恐怖に脅かされている中でも、政治家たちは国家間の戦略と政治的思惑を振りかざして、日々、政治活動を続けています。

  ウクライナ戦争は、民主主義と新たな独裁主義との戦いです。ソ連が崩壊して冷戦が終わった後、世界はアメリカが主導する自由と民主の時代へと大きく舵を切ったようにみえました。ことにソ連の衛星国であった東欧の国々は次々と民主化し、独裁主義的な体制から民主体制へと移り変わりました。そうした中で、ロシアはアメリカやEU主要国のかかげる「自由と民主主義」の理念とは一線を画したスラブ主義ともいえる独裁的な体制を維持し、市民たちも大多数はそれを是と考えています。

  そうしたロシアから見れば、自らの同盟国であった社会主義国として独裁色の濃かった国々がロシア国境に向かって次々と民主化されていくことに一種の恐怖を感じているのではないでしょうか。ロシアがヨーロッパで国境を接している国は、北からフィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナとつらなり、さらに黒海をはさんで真南にジョージアとアゼルバイジャンと続きます。1991年ソ連が崩壊しロシアは新たな連邦国家として歩み始めました。

  ソビエト時代、国境を接した国々は、フィンランドを除いてワルシャワ条約機構の同盟国として、ときに独裁的な社会主義体制を取ってきましたが、ソビエトの崩壊によって次々に独立し、民族的な民主主義国家へと変っていったのです。それは、イギリスやアメリカ、フランスなどの掲げる自由と民主の国という民主主義体制でした。ベラルーシとアゼルバイジャンはかろうじてロシアに近い独裁的民族主義的な政権を保っていますが、それ以外の国々は自由と民主を是とする国家へと革命により転換していったのです。

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(ロシア国境のEU加盟諸国  国交省HPより)

  現在、ロシアと中国が独裁組織的民主主義を標榜している国で、アメリカの価値観に対抗していますが、さらにはイスラム教の価値観による法の支配を是とする勢力もアメリカ的民主主義と対峙しています。敵の敵は味方。ウクライナ戦争を抱えるプーチン大統領は、欧米の体制に対抗する勢力と主義主張を超えて手を携えようと考えているようです。

  こうした中で、政治家たちは様々な思惑を胸にこのウクライナ戦争に対応していこうとしています。ウクライナのゼレンスキー大統領は侵略が行われた当初から、すべての領土を回復するまでは戦い抜くとして戦争を続ける姿勢を堅持しています。ゼレンスキー氏の背景には、地政学的にEU諸国に接するウクライナの西側地域、中部地域の市民の支持があります。

  ロシアによる侵略当初、ロシアが企んだと言われたゼレンスキー政権転覆の思惑は阻止されました。アメリカとEU諸国の支援によりウクライナはロシアの侵攻に対して国を挙げての反抗へと転じました。しかし、ロシアの執拗な攻撃は続き、東部三州の独立を宣言してロシアは占領地の既成事実化をはかります。こうして前線は膠着してこの侵略戦争は長期化を余儀なくされたのです。

  アメリカは侵攻前からロシアの侵攻を予告し、侵攻開始から終始西側の先頭に立ってEUとともにウクライナを支援し続けています。このアメリカの体制をお二人は「ウクライナ戦争の管理人」と見立てています。アメリカは、かつて自らの領土内で外国との戦闘を行ったことはなく、モンロー宣言に象徴される孤立主義を貫いてきた歴史を持ちます。バイデン政権もロシアの戦争犯罪を糾弾しながら、直接ロシアと戦闘を行うことを避けています。

  直接の戦闘は、核兵器の使用、世界大戦への拡大を招く要因となるため、アメリカもEU諸国もこの侵略への対応を支援にとどめています。アメリカのバイデン政権はこの侵攻に支援を行うことによってロシアの弱体化を目標にしている、とお二人は見立てているのです。さらに、そこには西側の軍産共同体の経済的利益も大きく関わっているのです。

【侵略の背景 ウクライナの歴史】

  この本の冒頭、手嶋さんは、佐藤さんが侵略戦争の勃発を度のように予見し、見抜いたかを問いかけます。佐藤さんは、「いきなり豪速球ですね。」といいながらも、そのみごとな「見立て」を語っていきます。ここから話は本題へと突入していきます。日本で専門家のみ立てを、政治的思惑などからみごとに骨抜きにしながら対談が進んでいきます。

  第2章と第3章は、日本からは想像すらできないロシアとウクライナの歴史的、地政学的背景を次々と解き明かしてくれます。実はウクライナ人(民族)は、現在の国に至るまでに実に複雑な歴史を抱えているのです。

  まず、ワンダーだったのは歴史の始まりにいきなりモンゴル帝国が登場したことです。ウクライナのクリミア半島には15世紀にモンゴル人(のちにタタールと呼ばれる)によるクリミア・ハン国が建国されました。この国はオスマン帝国に押されながらも独立を維持して16世紀には当時モスクワ公国であったロシアに攻められます。しかし、オスマン帝国(のちのトルコ)との狭間で生き残り、18世紀、ロシア帝国のエカテリーナ2世のときにロシアに併合されました。そのクリミア・ハン国が1657年にモスクワ公国と結んだのがペレヤスラフ協定といい、ポーランドからの攻勢を防ぐためにモスクワ公国の宗主権を認めるという内容でした。

  それから300年後の1957年、ソ連のフルシチョフ書記長は協定締結300年を記念してクリミア半島をウクライナに返還したのです。当時、ウクライナはロシアとは軍事的にも深い関係にあり、まさかウクライナが独立するなどとは想像だにできなかったのでしょう。

  現在のウクライナは、西部、中央部、東部の3つの地域から構成されます。そして、この3つの地域は歴史も民族も大きく異なるといいます。お二人はこの地政学的な成り立ちからインテリジェンスを深めていきます。驚きだったのは、開戦以降、多くのウクライナ人が国内で避難した街、リヴィウを中心とした西部のガリツィア地域がウクライナの領土となったのは第二次世界大戦前後で、それまではポーランドの領土だったという歴史です。

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(ウクライナ全図 コトバンクHPより)

  つまり、ウクライナは古くから親ロシアだった東部地域、近代化工業化の中でロシアに染まっていった首都キーウを含む中部地域、そして、ウクライナの民族運動が最も盛んな西部地域、の3つの地域で成り立っており、それぞれが異なる歴史を持っているというのです。

  こうした歴史を知ることで、この本で語られる数々のインテリジェンスが大きな説得力を持って我々に迫ってくるのです。


  ロシアの一方的な国際法では許されない侵略によって始まったウクライナの戦いは、ついに3年目を迎えました。このブログを書いている現在もウクライナの罪もない人々は命の危機にさらされ、日々亡くなる人々、傷つく人々が増えていきます。確かにロシアの犯罪は明らかであり、プーチン大統領はその戦犯ではあります。しかし、どこかで罪のない市民の殺戮をとどめなければなりません。

  ウクライナの人々の被害と不条理、そして憤りは決して収まることはないでしょう。それでも一度、殺戮の手を止めて、命の大切さを再認識する道を模索することが必要なのではないでしょうか。この本には、そのことの必要性と、前提となる条件へのヒントがちりばめられています。いまこそ、我々はもう一度、冷静になるときなのではないでしょうか。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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佐藤優 ドストエフスキー5大長編を語る

こんばんは。

  ロシアは、侵略国家へとなりさがりました。

  ロシアと言えば、あの東ローマ帝国の正当な後継者として独自の文化をはぐくんできました。キリスト教正教会を継承しながらも絵画では、シーシキンやレービンなどの巨匠を生み出し、音楽ではチャイコフスキーやストラビンスキー、文学ではトルストイやドストエフスキー、と我々人類のレガシーがきら星のように輝いています。

  2年前に起きたウクライナへの侵略殺戮以前、ロシアは最も訪れたい国の一つでした。

  もう5年も前ですが、社会人となった娘が海外旅行フリークとなっていて、ロシアのサンクトペテルブルクとモスクワに出かけました。その街並みの美しさもさることながらエルミタージュ美術館に収められた人類の至宝と言っても良い美術品の数々。そこを訪れた話を聞いたときには、次に訪れるのはロシアしかないと連れ合いと話していたものです。

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(エルミタージュ美術館の容姿 wikipediaより)

  ところが、コロナ禍による外出自粛で旅行ができなくなり、さらにはウクライナへの侵略戦争の勃発によってロシアへの旅行はテーマにも上がらなくなってしまいました。

  ウクライナではすでに、戦争とは何の関係もない市民や子供たちが1万人以上も亡くなっています。ロシアは、ウクライナの人々を殺戮し、精神的にも追い詰めることを目的として、ミサイルや無人機で主要都市を攻撃しています。ロシアの文化をはぐくんできた芸術家たちは、ロシアが受けてきた侵略や自らの国民に対して行われた殺戮に対して多くのニエットを唱えてきました。にもかかわらず、ロシアはウクライナに侵略し、他国の国民を殺戮する、という人間の尊厳を根本から否定する忌むべき犯罪を行いつつあります。

  我々人間が持つ最も優先すべき美徳は“ヒューマニズム”です。これは人道主義と訳されるのですが、言葉で定義されるよりも根源的で、普遍的な根本原理と言っても過言ではありません。それは、自分以外の人間が人として存在していることを肯定するという、もっとも基本的な規範なのです。

  元旦に能登地方をおそった大地震によって、多くの方々が一瞬にして肉親を目の前で失うという悲劇に見舞われました。この報道に本当にたくさんの人たちが胸を痛め、支援の行動を起こしてくれました。世界中の国々、人々も心を寄せ、北朝鮮さえも岸田首相宛にお見舞いのコメントをよせてくれたのです。

  災害によって人の命が突然失われることと、一方的な殺戮によって人の命が奪われることに何の差異もありません。ガザ地区におけるパレスチナの人々への殺戮もウクライナの人々の殺戮も、地震やハリケーンによる殺傷もなにも変ることはありません。ヒューマニズムとは、人が人で亡くなることを悼み、人の尊厳を敬愛する心を言います。プーチン大統領やネタニヤフ首相は、自ら手を下すことなく、数万人の人々の命と尊厳を消し去っています。自国民が災害で命を失いそうなとき、お二人はたとえ一人の命であっても必死の救出を命じるはずです。それは、政治家の役割からではなく、ヒューマニズムからだと信じています。人の命を奪う行為は一人でも、一万人でも、決して許されない犯罪です。人は誰もがヒューマニストであることを、今こそ思い返す必要があります。

  始まりからロシアの話題になったのは、今回読んでいた本が、ロシアの文豪ドストエフスキーの長編を語る本だったからです。

「生き抜くためのドストエフスキー入門-「五大長編」集中講義-」(佐藤優著 新潮文庫 2021年)

【ドストエフスキーは語り継がれる】

  2021年は、ドストエフスキー生誕200年に当たる年で、世界中でドストエフスキーに関するイベントが開催されました。ドストエフスキーの作り上げた世界は、未だに色あせることなく我々の心と知性に響き続けています。

  生誕200年の節目に日本で注目されたのは亀山郁夫さんと佐藤優さんのお二人です。

  亀山さんは、ロシア語の研究者が本業ですが、そのドフトエフスキーへの思い入れは大きく、2007年に「カラマーゾフの兄弟」の新訳を上梓しました。その後もトエフスキーに関する著作を多く上梓し、2021年にはドストエフスキーの長編小説「未成年」の新訳を上梓しています。(本ブログでも亀山さんのドストエフスキー本は何度か紹介していますので、ご参照ください。)

  一方の佐藤優さんは、この年に「ドストエフスキーの預言」という単行本を文藝春秋社から上梓しています。佐藤優さんと言えば、現代日本の知性派であるとともに元インテリジェンスオフィサーとして、世界のインテリジェンスを語ることができる論客です。佐藤さんはソビエト連邦が崩壊し、ロシア共和国が成立したときにモスクワの日本大使館に勤務する外交官で、その後は外務省で分析官を務めており、まさにインテリジェンスオフィサーそのものだったのです。

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(「ドストエフスキーの預言」 amazon.co.jp)

  この本は、そんな佐藤優さんが生誕200年に当たって新潮社主催の新潮講座のひとつに登場した際の講義記録をまとめたものとなっています。

  佐藤さんは、この本のあとがきで、自分にはドストエフスキーを語るときに他の論者とは異なる3つの体験があると語っています。その一つは、自分の基礎教育がキリスト教神学であること。(氏は、同志社大学大学院の神学研究科を修業しています。)二つ目には、自分が78ヶ月外交官としてモスクワで生活しており、ロシア気質を肌感覚で知っていること。さらに、氏は2002年に公安警察に逮捕され、東京拘置所に512日間拘留された体験があります。のみならず、氏は外務省にてモスクワ大学に語学留学の機会を提供された経験も持ちます。三つ目の体験とは、国家の恐ろしさと国家からの恩恵の両方を身をもって知った点だと言います。

  確かにドストエフスキーも作家となってからしばらくして、当時社会主義者であったペトラシェフスキーが主催する会に出席してある手紙を朗読したことで秘密警察に逮捕され、死刑判決を下されました。しかし、まさに死刑執行のその直前に恩赦が出され、4年間のシベリア流刑へと減刑される、という想像を絶する体験を味わったのです。

  お二人がそろって語るのは、21世紀の現在の状況がドストエフスキーが描いた19世紀後半のロシアの状況と極めて似ているという認識です。19世紀後半のロシアは、帝政時代が終焉を迎える時代です。そこでは、ヨーロッパでの民主革命や資本主義の思想が国民の間に広まり、帝国は国家の引き締めに躍起になっています。一方で、流入する民主主義、資本主義の流れの中で、帝国も資本を認め、農奴を解放するなど近代化にも取り組みます。

  こうした時代、ロシアには混沌とした社会情勢が蔓延していきます。それまで、官吏が最も収入が高かった社会に金持ちの資本家が現れ、職を求める解放された農奴たちも貧困層に流入し、社会には大きな格差が生れます。さらには、国王を暗殺し、国家転覆を企てる社会主義者も世にはびこり、社会は混沌につつまれていきます。

  こうした、時代を深く、鋭く洞察し小説へと昇華させたドストエフスキーの作品は、現代社会に通底する問題が様々な場面やエピソードで語られているのです。

  例えば、佐藤さんは講演のプロローグで「罪の罰」の主人公ラスコーリニコフが見た夢の描写を紹介しています。その夢では、アジアの奥地から新たな微生物が発生し、ヨーロッパのほとんどの人々を死亡させるというのです。さらに、その微生物に感染した病人は自分がすべて正しいとする狂信的な人間となり、互いに殺し合うのです。この夢は、まさにコロナ禍とウクライナやガザでの殺戮が思い起こされます。

  ドストエフスキーが語り継がれる理由はまさにここにあるのではないでしょうか。

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(「ドストエフスキー入門」amazon.co..jp)

【ドストエフスキー5大長編を語る】

  この入門編で語られる5大長編とは、「罪と罰」(186645歳)、「白痴」(186948歳)、「悪霊」(187150歳)、「未成年」(187554)、「カラマーゾフの兄弟」(187958歳)を指しています。どれも非常に長い小説ですが、ドストエフスキーの特徴は、小説の中で濃密な時間が流れているところです。それは、登場人物たちの会話が小説の大きな部分を占めるところから生じていると言っても良いと想います。

  会話で構成される小説というと我々は読みやすい小説を思い浮かべますが、ドストエフスキーの小説の登場人物たちは、「天気と健康」のような会話は交わしません。誰もが、自らの独自の主張と考え方を持ち、それぞれの主人公の性格は描写よりもむしろその発言や会話で表されているからです。

  今回の講演は、3日間にわたって行われましたが、1回の時間は限られていて、一つの作品に費やされているのは文庫本にして35ページ程度の分量です。この分量で名作のエッセンスを語るわけですから、テーマは絞られています。この本の面白さは、佐藤優さんの目の付け所とそこにひそむ意味を現代の我々にあざやかに描き出してくれるところなのです。

  少しさわりをご紹介しましょう。

  まず、「罪と罰」ですが、このミステリーと言っても良い小説で佐藤さんは現代ロシアに通じる文化ともいえる「土壌主義」に言及します。それは、2つの殺人を犯したラスコーリニコフが、家族の窮状を救うために自ら娼婦へと身を落としたソーニャとの会話の意味をつまびらかにしていくことで明らかにされていきます。

  ラスコーリニコフがサンクトペテルブルクの広場で激情に駆られて涙を流し、広場の石畳に顔をすり寄せて大地に口づける場面は小説のクライマックスですが、その意味がここで明かされます。

  「白痴」でもキリスト教正教が他のキリスト教徒の相違点に基づいて小説を解説していきますが、この章で面白いのは翻訳者解説です。新潮文庫におけるドストエフスキーの翻訳者には、江川卓さん、原卓也さん、工藤精一郎さん、木村浩さんがいますが、この小説の題名のロシア語の解釈が微妙に異なります。江川さんに対する木村さんの指摘になるほど感を覚えます。

  「悪霊」は、実在のアナーキーな革命家に題材を取ったピカレスクロマンなのですが、そこでのポイントは「人」と「神」の関係と、そこにからんでくる「死」をどのようにとらえるか、という問題です。佐藤さんは、キリスト教からその問題を解き明かすとともに、高橋和巳さんの小説「日本の悪霊」を紹介することによって、よりわかりやすく論点を説明してくれます。

  「未成年」は私も読もうとして、読みにくさに放棄してしまった作品なのですが、佐藤さんの解題は、本当に面白く読むことができました。この小説を身近に感ずるように、佐藤さんはホリエモンや村上春樹さんを引用してこの作品を解説してくれます。また、余談で語られるトルストイへの嫉妬や当てこすりも、なるほど感があります。

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(亀山郁夫訳「未成年1」 amazon.co.jp)

  そして、本好きの誰もが一度は洗礼を受ける「カラマーゾフの兄弟」です。

  この小説は以前にもご紹介したとおり、続編が想定されて執筆された「第一の小説」です。つまり、そのことも踏まえて読み解かなければ見方を誤る可能性があると言います。小説は、ドミートリー、イワン、アリョーシャの3兄弟と父フョードルが別の女性に産ませた(と思われる)スメルジャコフが織りなすドラマですが、その面白さは父親のフョードルが殺害され、その犯人が誰なのかが主題となっている点がその源泉となっています。

  この小説をたったの40ページで語るところが佐藤優さんのすごさなのですが、そのテーマは有名な「大審問官」となります。無神論者であるイワンが、敬虔なキリスト教徒である弟アリョーシャに向かってイワンが創作した「大審問官」という物語を語る、というのがその内容ですが、この中には小説のテーマのひとつが集約されているとも言われています。

  はたして「大審問官」はどのように読み解かれるのか。その面白さはぜひこの本で味わってください。もう一度、小説を読みたくなるに違いありません。


  能登ではまだ行方不明の方がおり、避難されている方々も長いストレスでお疲れのこととお見舞いを申し上げます。日本中の皆さんが寄り添っています。心も体もご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2024年 今年もよろしくお願いします。

令和六年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 今年は辰年です。天に駆け上る龍のごとく天空の星に向かって突き進みたいものです。地球上では、悲しいことに戦争と殺戮が続いています。為政者たちが生活する一人一人の苦しみと悲しみに気づき、”平和”の尊さに行動を起こすことを、切に願います。皆さん、平和に向かい心を一つにして一緒に歩み続けましょう。
 今年も「日々雑記」の発信を続けてまいります。いつもご訪問頂いている皆様には、感謝々々です。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 本日、北陸石川県能登地方で大きな地震が発生し、津波警報が発令されています。すべての皆様が安全に退避して無事でいらっしゃることを心よりお祈りいたします。どうぞ、ご無事でお大事にしてください。

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今年もライブをありがとう!

こんばんは。

  コロナ禍で音楽ライブがご法度となって3年。今年はそのライブが解禁となりました。今年の年忘れは、11月と12月に参加したライブパフォーマンスを振り返って1年の締めとしたいと思います。

  11月には小曽根真さんのビアノライブ。

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(小曽根真 ソロライブ ポスター)

  小曾根さんは今年も大活躍でした。特に注目だったのは”NO NAME HORSES”のニューアルバムとそれに伴う全国ツアーです。2月にかつしかシンフォニーホールで参加したライブは、大迫力のビックバンドで心の底から感動を味わいました。そして、11月のピアノソロは、まったく違ったソロピアノの魅力を満喫することができました。小曾根さんと言えば、ショパン生誕200周年で発売したショパンアルバムが思い出されます。あれ以来、小曾根さんの奏でるジャズ系クラシックもすっかり定番となりました。この日もコロナ禍の中で、外に出る夢を描いた作品”Need to Walk”をはじめジャズ曲も思う存分堪能しましたが、聴きものだったのは第一部で奏でたモスコフスキーのエチュード8番と第二部で奏でたラフマニノフのピアノコンチェルト第2番でした。原曲のロマンを内に秘めながらジャスの香りをちりばめた演奏にはすっかり心を動かされました。

  12月には、人気のチェロ奏者宮田大さんとピアニスト、ジュリアン・ジェルネさんのコンサート、今は亡きエマーソン・レイク&パーマーのライブ、佐渡裕指揮新日本フィルハーモニーのベートーベンの交響曲第9番合唱付、さらには孤高の名ピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンのソロピアノと素晴らしいライブを堪能できました。

  宮田さんのチェロの響きは唯一無二と言ってもよいのびやかで打ち震えるような低音が魅力です。この日には、今年亡くなった坂本龍一さんの”星になった少年”や久石譲さんの”Asian Dreem Song”をはじめ日本の名曲の数々をロマンあふれるチェロで奏でてくれました。そして、第一部の最後に演奏した”リベルタンゴ”は、チェロで奏でていたとは思えないノリを響かせていて思わず体が揺れてしましたした。その素晴らしい演奏に心が震える感動を味わうことができました。

  エマーソン・レイク&パーマーと言えば1970年代のプログレッシブロックをけん引したアイコンです。

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(EL&P来日 ポスター)

  今回、メンバーの唯一の生き残りであるドラマーのカール・パーマーが、今は亡きキース・エマーソン、グレック・レイクの映像と共演するとの趣向で、”最後のEL&P公演”という触れ込みのライブでした。EL&Pと言えば近年NHKの大河ドラマでもその傑作である”タルカス”が使われるなどそのパワフルな楽曲が見直されています。今回は、1992年のロイヤル・アルバート・ホールでのライブパフォーマンスにドラムのカール・パーマーのみがライブで共演するという前代未聞のライブ公演でした。

  その趣向に心配もありましたが、そのパーフォーマンスは素晴らしいものでした。グレック・レイクのラッキーマンから始まったライブは、フィルムとは思えない臨場感があり、全編素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられました。特に驚いたのは、同行したギタリスト、ポールとベーシストのサイモンのパフォーマンスです。”タルカス”の演奏は、映像ではなくギタリストとベーシストのトリオでのライブパフォーマンスが繰り広げられました。ギターシンセサイザーが奏でるあのタルカスのキーボード。これは、ライブで参加した人にしか味わうことができない唯一無二のアグレッシブな演奏でした。さらにベーシストは12弦ベースを駆使して、あの”石を取れ”をインプロビゼーションで聞かせます。そのリリカルなベースメロディはすべての聴衆を魅了しました。今回のライブはEL&Pファンの心をつかみ取る素晴らしいパフォーマンスでした。

  そして、年末と言えば”第九”です。

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(佐渡裕 新日フィル”第九”ポスター)

  今回は、新日本フィルの音楽監督に就任した佐渡裕さんが凱旋公演として満を持して指揮をした”第九”です。演奏の前に佐渡さん自身がマイクを持ってあいさつに登壇。第九の魅力を語ってくれました。その第一楽章は、前を向いて人生を突き抜ける情熱を表わしていると言います。人は皆、一度は人生を最高のパフォーマンスで突き抜ける瞬間を持っています。その情熱の人生を語るのです。そして第二楽章。第二楽章は、遮二無二突き抜けた情熱の人生を語る知性の疾走を表わしていると言います。その溌剌としたテーマは、まさに知的な失踪と言っても過言ではありません。そして、流麗に奏でられるたおやかな第三楽章。それは、人生の豊かさを朗々と歌う充実と生命力の静けさに満ち溢れた美しい旋律が我々の心を魅了します。そして、第四楽章。ベートーベンは、それまで奏でてきた三つの楽章を奏でた後で、そのすべてを否定します。”友よこの調べではない”、世界中の人々を兄弟と呼び、この地球(テラ)に生まれて生きることの歓びを互いに喜び歌い尽くそう。そして、兄弟たちよ喜び合うだけではなく抱き合おうではないか。素晴らしい”第九”に自らの人生が走馬灯のように心に巡ります。

  ウクライナに侵攻したロシア、ガザ地区を巡り殺戮を重ねるイスラエルとテロを重ねるパレスチナの為政をなす人々。その最も醜い人間の姿を目の当たりにすると、この”第九”に込められた人類への想いをすべての殺し合う人々に聞いてほしい、と心から願います。

  今年の最後に聴いたのは、クリスチャン・ツィメルマンのソロピアノです。

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(ツィメルマン ピアノリサイタル ポスター)

  ツィメルマンは、1975年に18歳でショパンコンクールで優勝して以来、世界中の名指揮者、名管弦楽団との演奏を重ねてきました。自らピアノの調律するほどピアノ愛する名ピアニストです。この日の公演は、聴いたことのない人のいないションパンのピアノソナタを披露してくれました。どの曲もピアノの発表会などで耳にするソナタばかりですが、ツィメルマンの指から奏でられる音は、知っているショパンのソナタとは異なるリリカルで静かな音でした。これこツィメルマン以外の人出は奏でることのできないショパンでした。心からその音に感動しました。さらにドビッシーの”版画”。その東洋的なメロディラインもドビッシーならではのリリカルな曲。ツィメルマンの繊細なタッチは、ドビッシーの作った音をさらに研ぎ澄ませて心に届けてくれたのです。

  コロナ禍を経験して、我々はコロナ以前よりもいっそう素晴らしい音楽を味わうことができています。皆さんも、今年1年を振り返れば心に触れた数々の出来事があったことと思います。そうしたできごとを心によみがえらせながら今年最後のときを迎えましょう。

  今年も、拙ブログにご訪問頂き本当にありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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THE BEATLES 奇跡の47分25秒

こんばんは。

  ビートルズと聞いただけで心が躍るのは、いったいなぜなのでしょう。

  2023年112日、全世界に向けてビートルズの新曲が発表されました。その曲は、”Now And Then”。全世界のビートルズファンが心から待ち望んだ新曲は、我々に感動を運んでくれました。この曲は、全英ヒットチャートで1位を獲得。ビートルズの全英初1位の曲は、1963年の「フロム・ミー・トゥー・ユー」だったと言います。ビートルズは、60年を経て全英チャートで1位を獲得したはじめてのバンドとなったのです。

  ビートルズが解散してから53年。この間にジョン・レノンは1980年に凶弾に倒れ、2001年にはジョージ・ハリスンが病没し、現在は81歳のポール・マッカートニーと83歳のリンゴ・スターがビートルズのメンバーです。新曲は、かつてジョン・レノンがピアノ弾き語りでカセットテープに残したデモからAIによってジョンの声のみを抽出し、そこに生前のジョージのリードギターを重ね、さらにはリンゴとポールがスタジオで実際に演奏して録音し完成させた、正真正銘のビートルズの作品です。

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(最新シングル「Now And Then」amazon.co.jp)

  しかし、ビートルズの音楽に心が動かされるのは、その革新性とその革新性を創造した4人のエネルギーに人々が感応するからなのです。

  確かに新曲はそうした感動を思い起こさせてくれるアイテムではありますが、やはり彼らが残してくれた213曲の楽曲と13枚のアルバムほど我々の心を揺さぶるアイテムはありません。いったい、彼らはどのようにしてロックにあらゆる音楽の要素を融合させ、ビートルズ以外の何者にも作り出せない音楽を世に出したのでしょうか。

  その秘密は、これまでデビュー当時から彼らの成長の糧であったプロヂューサーのジョージ・マーティンやレコーディングエンジニアのジェフ・エメリックなどがその著書によって解き明かしてきました。特に、ロックを芸術にまで高め、時代を変革したと言われる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がスタジオでどのように創造されたか、その4人が生み出した化学反応と進化を描き、心からの感動を呼び起こしてくれました。

  ビートルズは、19668月にライブ活動を停止し、そこからスタジオでの音楽活動に専念しました。その最初のレコーディングセッションが「サージェント・ペパーズ・セッション」です。それは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」からはじまり、アルバム最終「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のオーケストラによるクレッシェンドまでの、天才たちのアイデアと実験に満ちたおもちゃ箱のようなスタジオワークだったのです。

  ビートルズは、この後、唯一の失敗と言われる「マジカル・ミステリー・ツアー」を経て、グループとしての活動から一度距離を置き、メンバー個々の音楽性に重きを置いた2枚組のアルバム「ザ・ビートルズ」を発表します。このアルバムは、それまで父親のようだったプロデューサー、ジョージ・マーティンと距離を置き、それぞれが自由に音楽を創造する試みでした。この頃、彼らは理想の創造の場として設立した会社「アップル」が暗礁に乗り上げ、さらにデビュー当時から頼りにしていたマネージャー、ブライアン・エプスタインが亡くなり、その後継者問題も抱えていました。

  そうした背景から空中分解しそうなビートルズでしたが、ポールは昔のビートルズに帰ることを夢見てある企画を提案します。それが、映画「レット・イット・ビー」へとつながる「ゲット・バック・セッション」でした。このドキュメントは、一昨年、映画のために撮りためてあった60時間にも及ぶセッション映像を新たに編集した「ザ・ビートルズ:Get Back」として公開されました。このセッションは、ビートルズ最後のライブ、アップル社屋屋上でのルーフトップライブで幕を閉じましたが、このとき彼らはすでに解散の危機を迎えていました。

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(最後を飾るルーフトップライブ eiga.comより)

  音楽アルバムの発売としては、この映画「レット・イット・ビー」のサントラ盤となったアルバムが最後のアルバムとなりましたが、録音した順番で言えば、その前に発売された「アビイ・ロード」が、彼らがビートルズとしてスタジオで録音した最後のアルバムだったのです。そして、最終アルバムの録音時間が、4725秒であり、その作品の完成はまさに奇跡でした。

  今週は、この「アビイ・ロード・セッション」の前後を緻密な取材によって描き出したドキュメンタリー本を読んでいました。心が打ち震えました。

「ザ・ビートルズ 最後のレコーディング ソリッドステート革命とアビイ・ロード」

(ケネス・ウォマック著 湯田賢司訳 UD BOOKS 2021年)

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(「ザ・ビートルズ 最後のレコーディング」amazon.co.jp)

【最後のアルバム「アビイ・ロード」】

  ビートルズは、デビュー以来、ジョージ・マーティンのもとでEMIのスタジオでのレコーディングを続けていましたが、ホワイトアルバムからゲット・バック・セッションにおいてはそのスタジオでの録音に問題が生じていました。この本は、その問題からはじまります。その当時EMIスタジオでは、従来から使われていた録音機材に対する技術者たちの思い入れがあり、時代にアップデイトできていませんでした。その機材は、真空管式の音響装置であり、録音トラックも4トラックだったのです。

  当時、トランジスタを使用した新式の録音機材を備えたスタジオが登場し、そうしたスタジオでは8トラックでの録音が可能でした。ビートルズも兼ねてから4トラックでの録音に不満を唱えており、録音をEMIスタジオ以外で行うようになっていたのです。もっとも、EMIスタジオが利用できなかったのは、ホワイトアルバムの録音のために長期間ビートルズがスタジオを押さえていたため、他のアーティストがスタジオ待ちとなっており、ゲット・バック・セッションの間は予約が埋まっていたことも大きな要因でした。

  ゲット・バック・セッションは主にトゥイッケナムスタジオとアップルスタジオで録音され、おなじみのEMIスタジオは利用されなかったのです。そして、その間、デビュー以来のプロヂューサーであったジョージ・マーティンとリボルバー以来のエンジニア、ジェフ・エメリックはセッションに参加していなかったのです。

  ゲット・バック・セッション終了後の1969414日、新たなトランジスタを搭載した8トラックミキサーが設置されたEMIスタジオにジョージ・マーティンとジェフ・エメリックがスタンバイしていました。それは、その2日前、ポールからジョージ・マーティンに、また以前のように4人でアルバムを創りたい、との連絡があったためです。それが、アビイ・ロード・セッションのはじまりでした。そして、そのアルバムは彼らの最後の傑作アルバムとなったのです。

  この本には、アビイロードスタジオにトランジスタを使った8トラック機材が据え付けられてから、解散の危機に見舞われていたビートルズがどのようにして最後の傑作アルバムを完成させたか、すべてのドキュメントを綴った貴重な記録なのです。

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(アビイロードスタジオ webchrohasu.netより)

  そして、新たな音への挑戦は、やはりこの4人に「魔法」をかけたのです。

【アルバムはこうして完成した】

  最後のアルバム「アビイ・ロード」には、彼らの新たな姿が記録されました。

  まず、ジョージ・ハリソンの作曲才能の開花です。これまでもジョージは、アルバムに曲を提供してきましたが、このアルバムにはA2曲目のラブソング「Something」とB面オープニングを飾る「Here Comes The Sun」の傑作2曲が含まれています。「Something」は、ビートルズ作品の中で、「Yesterday」に続いて2番目にカバーの数が多い傑作です。また、「Here Comes The Sun」は、ビートルズ213曲のファン投票で数々の名曲をおさえて13位に輝いています。

  次に、このアルバムには744秒にもなる、ヘヴィなワルツ「I Want YouShe’ So Heavy)」が収められています。この曲は、ジョン・レノンがオノ・ヨーコを想って作った曲ですが、8分近い曲の中に歌詞は題名以外2つのフレーズしか入っていないのです。「So bad」と「It’s riving me mad」のフレーズ。その4つのフレーズのみで聞かせてしまう、ジョンの新境地には脱帽でした。しかもこの曲のエンディングはみごとで、突然空に投げ出された気がします。

  そして、全面に使用された当時最先端であったモーグシンセサイザーの響き。それはまるで、隠し味のようにすべての曲の魅力を引き出していますが、ロックアルバムに最初に使われたモーグシンセサイザーとして名をはせています。イエローマジックオーケストラのデビューは1978年ですからその先取り感覚にはうならされます。

  さらに、なんと言っても最後を飾る16分にもわたるメドレーです。ジョンとポールが作り上げた豊かな世界。心を打つボーカルと鍛え上げられたコーラス、円熟したドラミングとリードギターに心を奪われます。特に「Mean Mr. Mustard」から「The End」に至る922秒は、まさにザ・ビートルズのすべてが凝縮されたような奇跡のメドレーです。

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(奇跡の「アビイ・ロード」amazon.co.jp)

  この本には、ザ・ビートルズはどのようにして新たな自分たちの音楽を創造したのかが余すことなく語られています。しかし、その創造は決して順調に行われたわけではありません。

  アルバム曲の最初の録音は、ジョンの「I want You」が録音された1969222日のトライデントスタジオでのセッションから始まりました。しかし、翌月の3月、ポールはリンダと結婚。ジョンもヨーコと結婚しています。この曲は宙に浮いたまま中断しました。そして、414日からはじまった「アビイ・ロード セッション」ですが、最初に録音されたのは、シングルカットされた「ジョンとヨーコのバラード」でした。このとき、ジョージとリンゴは別の仕事があり、この曲はジョンとポールだけで録音されたのです。ドラムをたたいたのは、ポールでした。

  4月16日には、ジョージ、リンゴもスタジオ入りし、「Something」のセッションが始まります。そして、5月の初めまで、ポール、ジョージの曲を中心にスタジオセッションが進行します。しかし、59日、決定的な事件が起こり、バンドは空中分解寸前にまで陥ります。それは、グループのマネジメント契約に対する対立でした。ポール以外の3人はストーンズのマネジメントをしていたアラン・クラインとの契約を望んでおり、アランのうさんくささに気づいていたポールは、リンダの父と兄で構成される弁護士事務所にマネジメントを依頼したかったのです。アランとの契約を迫った3人とポールは、この日に完全に決裂してしまったのです。

  プロデューサー、ジョージ・マーティンは、決裂したビートルズは「アビイ・ロード・セッション」を続けることができないとあきらめていました。しかし、事件から1ヶ月後の6月中旬、ジョージ・マーティンのもとにポールから連絡があり、7月からアルバム録音を再開したいというのです。マーティンは改めてスタジオの確保に奔走します。

  この再開には、ポールとジョンのアルバムB面を連作メドレーによって完成させるとの新たな野心が原動力となっていたのです。ところが、72日、ジョンはヨーコやジュリアンとともに車でむかっていたスコットランド北部で大きな事故を起こし、入院するという大事件が起こります。ジョンがスタジオに復帰するまで、他のメンバーはポール、ジョージ、リンゴが作った曲のセッションを録音することになります。ジョージ・マーティンは、ジョンが復帰後に果たして4人はもめごともなくセッションを完了することができるのか、不安を抱えたまま録音に臨んでいました。

  そして、79日。満身創痍のジョンとヨーコ、そして絶対安静と告げられた妊娠中のヨーコとジョンのために運び込まれた豪華なダブルベットとともにビートルズのセッションは再会したのです。果たして、数々の問題を抱えたかつてのファブ・フォーはどのようにして傑作「アビイ・ロード」を完成させることができたのか。鍵を握ったのはジョンの「Come Together」でした。

  その感動さえ覚えるセッションの様子は、ぜひともこの本で味わってください。

  「She Came In Through The Bathroom Window」で窓から入ってきたのは誰だったのか。「Polythene Pan」のPanとは何のことなのか。様々な謎が語られていきます。そして、最後の「The End」において、ドラムソロに絶対拒否を続けていたリンゴがたたいた唯一無二のドラムソロ。さらに、ジョンとポールとジョージによる息詰まるようなギターインプロビゼージョン合戦はどのように行われたのか、このくだりを読んだときには、不覚にも涙が出そうになりました。

  ザ・ビートルズは、やはりひとつの奇跡だったのです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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許光俊 クラシックはここから

こんばんは。

  先日、ショッキングなニュースが飛び込んできました。

  あの大指揮者の来日公演が急遽中止になったのです。ブロムシュテット氏は今年96歳の長老ですが、その指揮ぶりは近年ますます脂がのってきており、その緊張感が生み出す感動は天下一品です。今月は、NHK交響楽団の定期演奏会で来日する予定でした。29日には所沢ミューズで演奏会が行われる予定で、チケットも手に入れて楽しみにしていたのです。

  ところが、突然のキャンセルとなりました。理由は体調不良ということですが、年齢が年齢だけに、心配はひとしおです。何とか、元気を取り戻し復帰していただけることを心からお祈りしています。今回のプログラムは、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」とブラームスの交響曲第3番という、類い希なる素晴らしいものでした。そのお元気な姿をこころから待ち望んでいます。

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(ブロムシュテット指揮 N響公演 チラシ)

  このショックもさめやらぬ中でしたが、今月はもう一つ楽しみにしていたコンサートがありました。

  それは、19日の夜に開かれたパーヴォ・ヤルヴィ氏によるコンサートです。今回は、彼が音楽監督を務めるチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とショパンコンクールで優勝したピアニスト、ブルース・リウ氏の共演というなかなか味わうことのできない公演でした。そのプログラムもショパンのピアノ協奏曲第1番、ブラームスの交響曲第1番という、まさに楽しみなものになりました。

  早いもので、もう6年前になりますが、同じく所沢ミューズにヤルヴィ氏が自ら鍛えあげたドイツカンマーフィルを率いて来日したときには、そのブラームス交響曲第1番の演奏に心を奪われたことをブログに書きました。その演奏は、これまで味わったすべてのブラームスの交響曲の中で最も心を動かされた演奏でした。ときには荘厳に、ときには勇敢に、ときには美しく、ときに優しく、そして気持ちを鼓舞してくれるブラームスに心から感動しました。

  大学生の頃、部活でラジオドラマを制作していたのですが、そのときに書き下ろした脚本は、近未来の世界で戦争が起こり、愛し合う恋人たちが引き裂かれるという物語でした。約30分の脚本でしたが、当時その脚本に音声を担当してくれた先輩が選んでくれた劇中曲が、ショパンのピアノ協奏曲第1番だったのです。この曲は、母国ポーランドのワルシャワからウィーンへと出発するときの講演会で演奏された曲で、作曲した当時は20歳だったというからおどろきです。その第1楽章の哀愁を帯びた旋律は、戦争で引き裂かれる恋人たちの心情をみごとに象徴するみごとな選曲でした。

  今回のピアニスト、ブルース・リュウはさすがショパンコンクール優勝の実力通り、みごとに哀愁の旋律とショパンが協奏曲に込めた未来に向けた希望を繊細に、力強く聞かせてくれました。その静と動のアクセントは、比類亡きもので我々の心に強烈な感動を生み出してくれました。第3楽章の跳ね上がるようなロンドは、ポーランドの民族舞踊がモチーフになっていると言いますが、まさに心を躍らせる見事な演奏です。この曲をライブで聞くのは初めてですが、ココエおから感動したショパンでした。

  そして、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のブラームス交響曲第1番。今回、最も心を動かされたのは、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の響き渡る楽器の音でした。コンサートマスターのヴァイオリンの透き通るような音色、ビオラが奏でる力強い連続和音、会場に共鳴するような美しいホルン、繊細に流れるようなフルート、クラリネットにオーボエ、そして勇壮なティンパニ。すべての音が美しく、繊細で、パルヴィ氏の指揮棒によって奏でられるすべての音がまるでアートでした。

  前回は、研ぎ澄まされた刃のようなふくよかでソリッドな演奏に心を奪われましたが、今回は研ぎ澄まされた、というよりもそこに構築された美と勇壮に感動したブラームスでした。カンマーフィルはヤルヴィ氏そのものを感じましたが、今回は、楽団の持つ美しさを最大限に引き出した演奏で、前回とは異なる感動を味わうことができました。

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(ヤルヴィ指揮 ピアノ ブルース・リウ公演) 

  話がすっかり長くなってしまいましたが、今回ご紹介する本の前置きにはうってつけの話題だったのです。

「はじめてのクラシック音楽」

(許光俊著 講談社現代新書 2023年)

【クラシックはマニアのための音楽?】

  音楽ジャンルはあまたありますが、「クラシック」はかなりオタクな分野です。

  このブログに来ていただいている皆さんは、私が音楽に節操がないことをよくご存じと思いますが、純粋なHIP-HOP以外であればどの音楽も大好きです。とくにライブには見境がなく、映画音楽、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、クラシック、どの分野でも聞き逃せません。先日も、八神純子の「ヤガ祭り5th」に参加してきましたし、その前の週には、フランシス・レイ楽団のコンサートで盛り上がってきました。

  ですが、ほとんどのライブでは誘えばライブにつきあってくれる友人にめぐまれているのですが、クラシックだけは「誘われてもなぁ」という友人ばかりなのです。幸いなことに連れ合いはピアノを習っていたこともあり、クラシックが好きなので、一緒にコンサートに感動してくれています。

  なぜか、クラシックはマニアの音楽、ハードルが高いという印象があります。

  この本は、クラシック初心者のための入門本なのでしょうか。実は違います。

  著者の許光俊氏は、これまでにもクラシックの本をたくさん上梓していますが、この本を書いた目的を「まえがき」でこう語っています。ひとつには、クラシックに興味を持ったり、いいなと感じたりした人たちに「クラシック」の情報を俯瞰的に提供したい、というもの。そして、もうひとつは、クラシック経験が浅い人たちにより深い感動、楽しみを知ってもらうヒントを提供したい、というものです。

  著者の語るとおり、クラシックを何度聞いても面白くなく、全く興味を持てない人にいかにその魅力を語っても、「わかったから」と疎まれるのは目に見えています。やはり、どんな音楽でも、趣味でも、スポーツでも実際に触れてみて「楽しさ」、「感動」を味わうことで、最初の1歩がはじまります。私がこの本を手に取ったのは、著者の名前を見てなのですが、それ以上に自分のまだ知らないクラシックの魅力に出会えるかもしれない、という期待感があったからに他なりません。

  この本は、「クラシック」に興味のある方には、もってこいの本です。

  まずはその目次を見てみましょう。

はじめに

第1章 クラシックとは、どんな音楽か?

第2章 クラシック音楽の「聴き方」

第3章 クラシック音楽の「種類」

第4章 楽器の話

第5章 クラシック音楽の作曲家たち――その1 リュウリからシュトラウス一家まで

第6章 クラシック音楽の作曲家たち――その2 国民楽派から武満徹まで

第7章 おすすめの演奏家たち

おわりに

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(新書「はじめての~」 amazon.co.jp)

  クラシックファンは、ほぼ耳から入っている方が多いのではないでしょうか。かくいう私も物心ついたころから、休日になると父親がかけていたクラシック音楽を聴いて育ちました。かかっていたのは、本当にポピュラーなクラシックばかりです。おかげで、小学校の音楽の時間に聞かされたベートーベンの「田園」や「トルコ行進曲」、「くるみ割り人形」などは皆、耳なじみの音楽でした。

  小学校では、朝礼と昼休みの放送当番というのがあって、放送室から始まりの音楽を流します。朝礼時の音楽は、グリーグのペールギュントから「朝」、お昼休みの音楽はビゼーのアルルの女から「メヌエット」でした。こちらも耳なじんでいた音楽ですが、音楽の力は強大で、未だに「メヌエット」がかかるとお昼休みでおなかがすいてくる気がします。まるで、パブロフの犬みたいで、少し複雑な気分になります。

  そこから、交響曲や協奏曲がすきになり、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス、と次々にハマッテいきました。また、家では様々な演奏家のレコードがそろっていて、例えば、「田園」はラファエル・クーベリックの指揮、ベートーベンはフルトヴェングラーの指揮、モーツアルトの40番はブルーノ・ワルターの指揮、41番はカール・ベーム指揮、と定番メニューが決まっていました。ちなみにピアニストは、バックハウスかケンプがおきまりです。

  父はカラヤンが大嫌いでした。今思えば、相当のオタクだったのですね。

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(ラファエル・クーべリック指揮「田園」)

【「はじめて」本の効用】

  クラシックマニアのあなた。「はじめて」本をあなどることなかれ。

  目次を見ればわかるとおり、この本はクラシックファンが知っていることばかりが書かれているように思えます。しかし、マニアとは、ハマッタ所は徹底的に深掘りしてあらゆるアイコンを集めるわけですが、それ以外のことはまったく知らない、そんな人々のことを指す言葉です。

  実際この本を読んで、ワンダーを感じたところが随所にありました。クラシック音楽は基本的にヨーロッパの音楽ですが、その音楽表記の多くがイタリア語であることはご存じでしたか。私はオペラが苦手で、イタリアの音楽はほとんど聞きません。知らなかったなあ。アレグロ、アジャード、エスプレッシーボ、ソナタ、コンチェルト、皆なイタリア語だそうで、どうりで意味がわからないわけです。

  この本には、クラシックでは、縦糸は作曲家で横糸は演奏家だとの言葉も語られています。確かに、作曲家がいなければ幾多の素晴らしい作品はこの世にもたらされなかったわけです。また、演奏家がいなければ、これだけ長い間、人々の耳に作品が届けられることはなかったといえます。クラシックは、作曲家が創作した作品を様々な指揮者、演奏家が奏でる再現芸術です。ここから生れる多様性がマニアにはたまらないというわけです。

  その作曲家と演奏家を紹介することも、クラシックを知るためには欠かすことができません。

  また、ここでもマニアには目に入らなかった人々が紹介されていきます。

  クラシックの分野で古典と言えばバロック音楽ですが、父親が聞いていたバロックは、ビバルディ、ヘンデル、バッハの大御所だけでした。この本を読むとそこにフランスのバロックなる言葉が出てくるのです。初耳です。そこにあげられているのは、ジャン=バティスト・リュリとジャン=フィリップ・ラモーです。確かに17世紀のフランスはブルボン王朝の最盛期で太陽王などが宮廷を荘厳に盛り上げた時代です。そこにはなやかな宮廷音楽があったのは当然のことです。作品としてオペラ多いとのことで、知らないのも当然ですが、オペラ以外にも作品があり、ぜひとも聞いてみたいものです。

  演奏家についても、知らない演奏家が紹介されており興味が尽きませんでした。

  特に1970年代以降に生れた世代の演奏家たちの名前はなじみがなく、機会があればぜひ聞いてみたいと思います。指揮者では、グザヴィエ・ロト、ソヒエフ。ピアニストでは、ラン・ラン、チョ・ソンジン、ヴァイオリニストでは、イザベル・ファウシト、コバチンスカヤ。人気のある演奏家に絞ったとの紹介なので、聞くことが楽しみになります。

  クラシックファンの皆さん、またクラシックに興味のある皆さん、一度この本を手に取ってみてください。クラシックの世界にいっそう興味をそそられることに間違いありません。すべての音楽には我々の心を癒やし、勇気を与え、心を鼓舞する力があります。それを味わうにはライブで味会うことが一番です。皆さんも、ぜひマニアになれる音楽をみつけて人生を豊かにしてください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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原田マハ 俵屋宗達は海を越えていた

こんばんは。

  久しぶりに時間を忘れて小説を読みふけりました。

  その小説は、アート小説の名手、原田マハさんが挑んだ日本美術を代表する画家、俵屋宗達を描く圧倒的な物語でした。

「風神雷神 Jjppiter,Aeoloce」(上下巻)

(原田マハ著 PHP文芸文庫 2022年)

【俵屋宗達とは何者か】

  本屋さんでこの本をみつけたとき、上下巻二冊というそのボリュームに一瞬たじろぎました。これまで印象派をはじめとする西欧絵画を数多く描いてきた原田さんですが、日本美術を題材にした小説は知りませんでした。しかも、国宝である「風神雷神図」がその表題となっています。いったいどんな小説なのか。棚で見つけて、その場で購入したもののしばらくは、愛用のPCの前に積まれたままでした。

  そして、久しぶりにマハさんのアート小説を読みたいと思ったとき、最初のページをめくったのです。それが運の尽き。その面白さに目も心も奪われて、一気に上下巻を読み通してしまいました。

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(文庫「風神雷神」上巻 amazon.co.jp)

  この小説の主人公は、俵屋宗達です。

  「俵屋宗達」と聞いてピンとくる方は、日本美術に造形の深い方だと思います。恥ずかしながら、代表作である「風神雷神図」こそ知っているものの、昔、日本史の教科書で見たことがある程度の認識しかありませんでした。

  室町時代、他の文化と同じく日本画は狩野派や土佐派に代表され、絢爛な屏風絵やふすま絵はたまた天井画などが生み出されました。特に狩野派の頭領であった狩野永徳は、織田信長が天下統一をなす時に建造した安土城の内装の装飾画を一手に引き受けたことでその名を知られています。

  俵屋宗達は、伝統的な手法から脱却し、自由な発想で独自の画風を築いたといわれています。江戸期になって尾形光琳が独自のデザイン的な発想で琳派を確立したと言われますが、その琳派の開祖と目されているのが俵屋宗達なのです。その代表作は屏風絵として描いた「風神雷神図」に他なりません。

  この「風神雷神図」は、金色の広々とした空間に蒼緑の肌の風神を右に、白い肌の雷神を左に配置した大胆な構図となっており、今にも動き出しそうな神々をみごとに描ききっています。特に白い肌の雷神は通常赤で表されており、なぜ白で描かれているのか、美術界の謎の一つになっています。この絵は、よほど当時の人々に感動を与えたようで、後に尾形光琳、そして琳派を引き継いだと言われる江戸後期の酒井抱一も光琳の「風神雷神図」を模写しており、江戸期の画家たちがいかに宗達の絵画に心を動かされたのかがよくわかります。

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(風神雷神図屏風 wikipediaより)

  そんな俵屋宗達ですが、実は生没年さえわかっていない謎の絵師だといわれています。宗達の事績として最も古いものは、1602年に福島正則が願い出た平家納経の修復において、一部宗達が修復に関わったといわれています。その交友関係から、その生まれは1570年頃ではないかといわれ、死後の法要記録から1643年より少し前に亡くなったと推定されています。

  「俵屋」とは不思議な名字ですが、この名字は屋号とわかっています。宗達は、「俵屋」という絵画工房を主催しており、扇などに絵を描いており、その扇が京都では評判になっていたことが当時の書き物に残されています。

  謎に包まれた宗達ですが、安土桃山時代に生れ、江戸初期にはすでに評判となっていたことは間違いないようです。

  謎に包まれた人物は、小説にするにはもってこいの主人公なのです。

【知られざる天正遣欧使節の一員】

  この小説には、もう一人主人公がいます。その名は、原マルティノ。

  この名前を聞いてピンと来る方は、よほどの日本史マニアだと思います。そう、彼は、安土桃山時代にイタリアのバチカンに居した、カトリック教会の頂点に立つ教皇グレゴリウス13世の元に日本から遣わされた、天正遣欧使節のひとりなのです。

  日本におけるキリスト教は、1549年にフランシスコ・サビエルが布教のために日本にたどり着いて以降、イエズス会が日本への布教のため多くの司教を日本に派遣し、布教に尽力した結果、ポルトガルとの貿易による利益も相まって、九州を中心に多くのキリシタン大名が生れました。さらに天下統一を目前にしていた織田信長は、未知の西欧文化に大いに興味をそそられて、イエズス会による布教を容認していました

  そうした中、さらなる布教の強化をすすめようとするイエズス会の思惑とさらなる西欧との貿易や文化交流を広げようとする信長やキリシタン大名の思惑が見事に一致し、企図されたのが天正遣欧使節だったのです。

  当時、九州では大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がキリスト教に帰依してキリシタン大名となり、領地内での布教を支援していました。遣欧使節に選ばれたのは、セミナリオと呼ばれた神学校に入学した領主たちにつながる4人のキリシタンの少年たちでした。

  主席正使は、大友宗麟の名代となる伊東マンショ、さらに正使として木村純忠の名代として千々石ミゲル、副使として肥後国中浦城主の息子中浦ジュリアン、もうひとりの副使がセミナリオきっての秀才であった今回の主人公原マルティノです。

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(天正遣欧使節団の4少年 wikipediaより)

  原マルティノはこの小説の進行役であり、語り部でもあります。

  彼らは1582年(天正10年)2月にポルトガルの帆船に乗り、長崎港から遙かに遠いローマに向かって出発しました。その経路は、マカオからインドを経由してアフリカの喜望峰を回り、リスボンに到着したのは15848月でした。さらにローマで教皇に接見できたのは、翌年の3月。なんと片道3年かけての命がけの行程だったのです。織田信長が本能寺の変で亡くなったのは彼らが出港してから4ヶ月後の出来事でした。

  さて、この遣欧使節団には、我々が知らない同行者がいました。当時、日本では印刷技術は無く、書物を複製するには人手による写本しか手段がありませんでした。しかし、ヨーロッパではすでにグーテンベルグ印刷機による活版印刷が実用化されていたのです。この使節団は活版印刷の技術をヨーロッパから持ち帰ることも目的の一つとしていました。そのために、同行者の中には印刷技術を持ち帰るための技術要員がいたのです。その名は、アゴスティーノと言います。

【マカオの教会で発見された古文書】

  小説のプロローグは、現在の京都国立博物館から始まります。(ここからネタバレあり)

  望月彩は、京都国立博物館の研究員です。その専門は俵屋宗達。宗達の代表作「風神雷神図屏風」は、鎌倉時代から続く古刹、建仁寺の所有ですが、現在は京都国立博物館に寄託されているのです。折しも彩が企画する俵屋宗達の展覧会に付随して宗達の講演会を行っていました。そこにマカオ博物館の学芸員を名乗る人物から面会の申し入れがありました。

  サスペンス仕立てのプロローグ。いったい、彩のもとを訪れたマカオ博物館の学芸員レイモンド・ウォンはどんな情報をもたらしたのか。レイモンドは博物館に持ち込まれたある資料を綾に見てほしいのだ、と語ります。その資料は博物館に保管されており、彩にマカオまで来てもらい是非資料を鑑定してほしいと言うのです。

  彩に依頼があるからには、資料は宗達に関するものに違いありません。彩は急遽マカオに飛び立ちます。博物館できかされた経緯は驚くべきものでした。

  資料は、ある青年が持ち込んだものでしたが、その青年は長年育ててくれた祖父が亡くなるときに青年に残したものだといいます。祖父は以前、建設作業員をしており、ある現場で素晴らしい絵画を目にしてつい持ち帰ってしまったというのです。その絵画には古文書が付随しており、青年は、死の床で祖父からそれを返してほしいと頼まれたのだと言うのです。

  レイモンドは、その資料は1990年に発掘調査が行われた世界遺産、聖ポール天主堂(教会)の調査時にみつかったものと確信しました。そして、その資料が天正遣欧使節に随行した原マルティノに関係するものと考えました。そして、その鑑定を行うに当たり、望月彩に協力を依頼してきたのです。原マルティノは、天正遣欧使節が1590年に帰国した後、マカオに追放されており、聖ポール天主堂に埋葬されたとの記録があるのです。

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(マカオの世界遺産 聖ポール天主堂 Wikipediaより)

  こうして物語は、はるか450年前の九州有馬の地へとタイムワープすることになります。

  そして、原マルティノが有馬のセミナリオで勉学に励むある晩、眠れぬ夜に月を眺めようと浜辺に出て、不可解な少年と出会います。その少年は京の都からはるばる九州のセミナリオまでやってきたといいます。そして、その名を訪ねると彼は「宗達」と名乗ったのです。物語は、二人の出会いから大きく動き始めることになるのです。そして、この少年はキリシタンではありませんが、別の名前を持っていました。その名前は、アゴスティーノ。

【渾身の歴史アート物語の感動】

  この本を読んで思い出したのは、マハさんの小説、「翼をください」でした。

  「翼をください」は、1939年、太平洋戦争が始まる直前、日本の誇る帝国海軍の九六式陸上攻撃戦闘機を改造した旅客機「ニッポン号」が、世界で初めて航空機による赤道を回る世界一周を成し遂げた快挙を描いた作品です。

  このプロジェクトは毎日新聞社が企画した民間事業であり、「平和と夢」を運ぶことを目的とした平和事業でした。世界一周の間に立ちよった各国からは大きな歓迎を受け、親善大使として大いに役割を発揮しました。しかし、太平洋戦争が始まるや日本は「戦争一色」に染まり、この記念碑的大事業も歴史の狭間にうもれてしまったのです。毎日新聞社は、プロジェクト80周年を記念して小説の執筆をマハさんに依頼したといいます。

  以前、ブログでこの作品を紹介しましたが、今回の小説を読んで改めてマハさんの想像力と創作力の素晴らしさに心を動かされました。我々が知る歴史は、すべて「人」が成し遂げてきた事実です。その出来事を成し遂げた人々はどんな気持ちで、どんな行動を起こし、そのことを成し遂げたのか。そこへのアプローチにはノンフィクションとフィクションの両方の手法があります。

  マハさんは、詳細な調査によって確認した史実に基づいて、その余白の部分を想像力と確かな筆致で埋めていきます。その小説に登場する主人公たちは、そのメンタリティと果敢なる行動で我々に大きな感動を与えてくれるのです。


  今回の小説は、少年時代の俵屋宗達と原マルティノが世界を股にかけて躍動します。そして、さらなるワンダーは、最後に伝説の画家カラヴァッジョが登場することです。皆さんも、この歴史とアートが織りなす感動をぜひ味わってください。心が震えること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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宮脇淳子 「元寇」と「蒙古襲来」の違いとは

こんばんは。

  初めて感じた興味や関心は、年齢に関係なくちょっとしたきっかけでよみがえります。

  日本は周囲を海に囲まれているおかげで、国内での争いはともかく、外敵から攻められるということがきわめてまれな国家です。

  ヨーロッパやユーラシア大陸において、国家はすべて陸地でつながっており、強力な軍事を備えれば容易に隣国に攻め入ることができます。そのために、何百年にもおよぶ戦争が国家間で続くこともまれではありませんでした。

  すでに1年半にも及んでいる、ロシアによるウクライナへの侵略戦争もその地政学的な歴史が大きな要因となっています。その歴史は、有史以前までさかのぼるといっても過言ではなく、両国の歴史はまさに併合と独立運動の繰り返しに他なりません。ウクライナの独立戦争は帝政ロシアの時代から繰り返されており、陸続きであるための悲劇ともいえるのではないでしょうか。

  歴史的な背景とウクライナの東南部に住むロシア人への弾圧がロシアの言い訳ですが、無垢の市民や子供、学校や病院、教会や住宅をミサイルで殺戮するロシアの攻撃は、人類の歴史を100年近くも昔に引き戻す蛮行以外のなにものでもありません。ロシア国内はまるで独裁国家のような情報統制がなされ、「戦争」と口に出す人間を次々と拘束しています。反抗したワグネル代表のブリゴジンが搭乗した自家用飛行機を墜落させ、その命を奪うなどの行為は、まさに独裁政権の本性を現している悪魔のような所行です。反欧米という基軸で中国や北朝鮮はロシアの孤立を阻んでいますが、その殺戮に対して目をつぶるのは、独裁者ヒトラーと手を組もうとした世界観と同じ卑劣な行動に他なりません。

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(ブリゴジン氏の葬儀  nhk.or.jp)

  ウクライナの話になると話がエスカレートしてしまいますね。

  話を戻すと、日本は海に囲まれているおかげで、安全と平和を保つことができたことは歴史的な事実です。それでも、長い歴史の中では他国家からの侵略を受けたことがあります。それは、鎌倉時代末期に起きた「元寇」です。それは「蒙古襲来」と呼ばれ、13世紀に中国を支配した「元」のフビライ・ハンによって企図された日本侵略戦争だったのです。

  今週は、この「元寇」を東アジア側からの視点で解析した本を読んでいました。

「世界史の中の蒙古襲来」

(宮脇淳子著 扶桑社新書 2022年)

【蒙古襲来とは何だったのか】

  以前、250回記念のブログに堺屋太一氏の著した「世界を創った男 チンギス・ハン」を紹介したときに話しましたが、私がはじめて「元寇」に興味を持ったのは、中学校の図書館で「竹崎季長」の本を読んだときでした。皆さんも日本史の教科書で、「蒙古襲来絵詞」という当時記された絵巻物の写真を見たことがあると思います。

  1274年旧暦の10月、元軍は兵船900艘に23000人の兵を率いて日本を侵略します。その軍は、対馬、壱岐の両島を攻め落とし、博多湾へと押し寄せます。日本では、鎌倉幕府の奉行であった少弐家、大友家、松浦党などが迎え撃ちました。そして、その中で御家人として死力を尽くして戦った武士の一人が竹崎季長だったのです。

  当時、武士は一所懸命と言われるとおり、手柄を立て土地を得るために懸命に戦いました。季長も第1回目の元寇、文永の役で博多を守り抜く成果を上げました。彼は自らあげた戦果をみとめてもらうために奉行に申し立てますが、鎌倉では季長に対して何の報償もありません。一族総出で戦った季長は、納得できずに自ら鎌倉に出向き、自らの戦いをアピールしました。その結果、報償の対象となったのです。

  季長は、その7年後に起きた2度目の襲来である弘安の役にも出陣し、元を日本から撃退します。二度の戦役を戦い抜いた季長は、この戦いを絵師に描かせ、自ら詞書きを書き入れました。そして完成したのが、この元寇を今に伝える「蒙古襲来絵詞」なのです。

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(「蒙古襲来絵詞 竹崎季長」)

  それまで日本史では日本は閉じられた世界で、独自の歴史を刻んできたとの印象が強かったのですが、あのチンギス・ハンが創ったモンゴル帝国が日本にも版図拡大の手を伸ばしていたというスケールの大きな歴史に心を動かされました。それ以来、「元寇」、「蒙古襲来」という言葉を聞くたびに反応してしまうのです。

  日本側から見ると、当時の政府は北条氏が執権を振るっていた鎌倉幕府でした。そのときに執権の座についていたのは、「鉢の木」などのエピソードでも有名な北条時頼の息子、北条時宗でした。2001年にはNHKの大河ドラマになりましたが、北条時宗は「元寇」を退けるために生れてきたのか、と思わせる人生を歩みました。

  1268年、はじめて元のフビライ・ハンからの詔書が日本に届きます。そのとき、18歳になっていた時宗は、第8代の幕府執権の座につきます。それから何度かフビライからの詔書が届きますが、時宗はそのすべてを無視します。そして、24歳にして最初の戦い、文永の役が勃発します。そこで元軍を退けた後、再来に備えて九州の防備を固めました。その7年後、時宗31歳の時に元軍は再び日本に攻め入って来るのです(弘安の役)。時宗は、二度の元からの大軍を退けた3年後、病を得て亡くなりました。まさに天が元軍の侵略に立ち向かわせるために時宗を日本に降臨させたと思うような人生です。

  我々の知る「元寇」はまさに「蒙古襲来」そのものであり、日本史から見た海外からの侵略戦争なのですが、この本はそんな我々の常識に異なる視点を与えてくれます。

【東アジア史の中での元寇とは】

  それでは、まずこの本の目次を見てみましょう。

まえがき

第1章 日本人のモンゴル観

第2章 モンゴルとは

第3章 高麗とは

第4章 蒙古襲来前夜

第5章 大陸から見た元寇

第6章 「元寇」後の日本と世界

終  章 国境の島と「元寇」

あとがき

  宮脇さんは、中国、チベット、モンゴル、朝鮮の歴史と言語の研究者で、まさに「蒙古襲来」を語るのには適任です。この本の第一章は、まず日本人のモンゴル感はどこから生れているのか、を解説していきます。

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(「世界史の中の蒙古襲来」 amazon.co.jp)

   はじまりは「義経チンギス・ハン伝説」。駐日モンゴル大使館の方々は、訪問してくる日本人のほとんどが必ず「チンギス・ハン義経伝説」を語るそうで、辟易としているとの話が語られています。モンゴルの人々にとって、チンギス・ハンは世界にその名をとどろかせた英雄のひとりです。その英雄が日本人であるはずもありません。その心中は察するに余りあるといえます。

  そして、チンギス・ハンを描いた井上靖の作品「蒼き狼」。著者は、日本人にチンギス・ハンとモンゴル人のイメージを定着させた作品として紹介しますが、その認識の誤りを次々と指摘していきます。その女々しさは、モンゴル人ではなく日本人そのものだというのです。さらに著者は、北方謙三の「チンギス紀(1)火眼」、浅田次郎の「蒼穹の昴」、司馬遼太郎最後の小説「韃靼疾風録」を取り上げて、そこに描かれるモンゴル、女真族、満州人が間違った印象を我々に与えていることを語ります。

  その語りのいきおいに我々も思わず身を乗り出してしまいます。

  しかし、第一章はこの本の「つかみ」の部分であり、本論ではありません。

  第二章からはじまる13世紀のモンゴル、中国、朝鮮の歴史は、日本史で語られる「元寇」からは想像もできない、東アジアの歴史を踏まえた奥深いものです。

【浮かび上がる「元」と「高麗」】

  この本のワンダーは随所にちりばめられています。

  その一つに中国王朝の歴史があります。皆さんも中国の王朝が、古代から北方にいる騎馬民族に侵略を受ける歴史をご存じと思います。「匈奴」、「鮮卑」、「柔然」、「突厥」、「契丹」など、様々な騎馬民族が中国の王朝に攻め込んでいます。秦の始皇帝からはじまる世界遺産、万里の長城は、こうした北方の騎馬民族の侵入を防ぐために築かれた防壁だったのです。

  この本のモンゴルの歴史を読んで驚いたのは、「隋」や「唐」の皇帝は漢人ではなく、騎馬民族である鮮卑の出身だったという事実です。すると、「晋」以降、漢民族の建てた王朝は「元」の前にあった「宋」だけであり、その前後はすべて騎馬民族の血を引く王朝だったということです。驚きですね。

  ハンガリーからベトナム、朝鮮にまで及んだモンゴル帝国はチンギス・ハン亡き後、5代目のフビライの時代には4つのハン国へと分裂します。そこで、「宋」を南へと追いやって中華を治めたのが「元」を興したフビライ・ハンでした。フビライ・ハンは「南宋」を攻めると同時に、ベトナムにも遠征、さらには朝鮮にあった高麗国を属国とし、日本への遠征を計画します。

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(モンゴル帝国の最大版図  wikipediaより)

  フビライは、日本が黄金の国であるとの情報や火薬の原料となる硫黄が豊富にあることから日本侵攻を決断したといわれていますが、どうもモンゴルに服従した一部の高麗の人々がフビライの意向を忖度して日本への侵攻を積極的に進めた節があるといいます。

  というのも元は支配地を統治するために各地域に「省」という行政組織を立ち上げて、属国となった国にその組織を任せたのです。北部朝鮮地区には「遼陽行省」という組織がありました。フビライは日本を侵略するに当たり、朝鮮半島に新たな組織「征東行省」を新設し、そこに日本への遠征計画をまかせました。ところが、第二次遠征(弘安の役)が日本の反撃と台風のために失敗した後、「征東行省」は廃止されました。しかし、フビライは第三次日本遠征を企て、その計画を「遼陽行省」に任せます。「遼陽行省」ではモンゴル側におもねった高麗の人々が仕事を任されていたのです。その人々は、自らの存在意義をフビライに示すために第三次日本遠征の計画を積極的にすすめたと考えられるのです。

  幸いなことに高齢のフビライが亡くなったため、第三次日本遠征は行われませんでした。

  とはいえ高麗にとってモンゴルはあまりにも無慈悲な征服者でした。

  モンゴル軍が高麗に第一次遠征を行ったのは、2代目オゴタイ・ハンの1231年ですが、その後は1235年から1259年に渡り6回もの征伐軍を迎えることとなり、国内は完全に蹂躙されました。しかし、高麗国の王とその一族はモンゴル軍が侵入してくると迎え撃つことなく、江華島と呼ばれる島に逃げ込み籠城してしまうのです。一般市民はモンゴル軍に好きなように蹂躙され、国内は完全に荒廃したのです。

  モンゴル軍の二度にわたる日本への遠征は、鎌倉時代から長らく「蒙古襲来」と呼ばれてきました。しかし、江戸時代から明治時代にかけて、日本は東アジアの諸国から、日本の「倭冦」によって国が侵害された、とのクレームを受け続けます。それにに対して、日本だって「元寇」に苦しんだのだ、と言い訳するために「元寇」が正式な呼称となったと言います。

  宮脇さんは、高麗国や南宋などモンゴル軍に征服された国を使って行った日本への侵略では、モンゴル人は司令官などほんの一握りの人員が随行したのみで、兵士のほとんどは被征服民だったのではないか、と推定しています。であれば、この遠征は「蒙古(モンゴル)襲来」というよりも、「元」が行った侵略という意味で「元寇」との名称が適切なのではないか、と語るのです。


  この本は、「元寇」について、日本遠征を行った側の歴史や時代の情勢を踏まえた視点から語り尽くしており、これまでにないワンダーを感じることができました。「元寇」に興味のある方もない方も、ぜひ一度この本を手に取ってみてください。日本は決して孤高の国として存在しているわけではないことを改めて感じるに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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