手島龍一 佐藤優 公安調査庁とは何か

こんばんは。

  菅総理が総裁選挙に不出馬を表明したことには少なからず驚きました。

  総理は、自ら差配できる戦略である解散総選挙がコロナ禍の中で選択できないとして、最後の手段として自民党の党内人事の改革を打ち出しました。しかし、自民党内からの様々な声を受け止めた総理は、解散も人事も取りやめて満期を迎える自民党の総裁選挙に出馬しないとの選択をし、総理を辞任する道を選んだのです。

  菅総理は、日本の憲政史上最長の任期を務めた安倍総理のもとで7年以上も官房長官をつとめ、安倍総理の突然の辞任を受けて第99代目の内閣総理大臣の座に就きました。菅さんは、官房長官として新型コロナ対策に当たり、その継続を第一義として総理に就任しました。その意味で、菅さんの内閣はまさに実務内閣であり、コロナウィルスが終息すれば、その功績により総理の株も上がって自民党総裁の椅子は引き続き菅さんのものであったと思います。

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(総裁選不出馬を表明する菅総理 asahi.com)

  しかし、コロナウィルスもさるもの、次々に新たな遺伝子を獲得し、インド発のデルタ株はその威力を増して、こともあろうに2020東京オリ・パラ開催を襲ったのです。1年延期をしたにもかかわらず、大会は第5派の最中に行われることとなりました。

  もともと菅さんは、安倍さんの後継として立候補することさえためらっていたのですから、権力に対する妄執は持っていないのではないでしょうか。もちろん、政治家になったからにはその頂点に立ちたい、との人としての志はあったに違いありません。しかし、ワクチン接種によって一定の道筋ができたことによって、菅さんは自らの引き際を潔く判断したのだと思います。

  菅内閣は、携帯電話料金の引き下げ、デジタル庁の発足、東京オリンピック・パラリンピック開催とたった1年間の間に驚くほどの成果を挙げました。望むべくはその先までも先導して成果を挙げることなのですが、政治とは摩訶不思議なもので国民感情、自民党事情は菅さんの継続を望んでいないようです。

  2世議員ばかりが闊歩する中で、庶民宰相として腕を振るった菅総理に心からの拍手を送りたいと思います。

  次期総裁についてはいろいろと思うところがありますが、野球と政治の話は営業マンにはご法度ですので、今回はここまでといたします。

  さて、緊急事態宣言の行方も気になる中、今週は久々に日本のインテリジェンスを語る対談本を読んでいました

「公安調査庁 情報コミュニティの新たな地殻変動」

(手島龍一 佐藤優著 2020年 中公新書ラクレ)

【インテリジェンスのワンダーとは】

  このブログをフォロー頂いている皆さんは、「インテリジェンス」のラベルに34の記事が連なっていることをご存知かと思います。

  最初に「インテリジェンス」と出会ったのは、国際スパイ小説です。

  「インテリジェンス」は「諜報」と訳されることが最も多いので、すぐにスパイを思い浮かべてしまいます。もちろん、そのワンダーは「諜報小説」によるところが大きいのは間違いありません。その手に汗握る面白さはエンターテイメントにうってつけですが、本来の「インテリジェンス」は、その国の存続を左右する最重要の情報を取得することを意味するのです。

  「国の存亡を左右する」と言えば、その最たるものは戦争です。

  例えば、第二次世界大戦における「諜報」は、各国の存亡にストレートに結びついていました。例えば、真珠湾攻撃をめぐる「諜報合戦」は人間ドラマまでも内包した手に汗握るストーリーとして、様々に描かれています。

  代表的な小説は、佐々木襄さんの「エトロフ発緊急電」(新潮文庫 1994年)です。この小説は、スパイ小説というよりも、戦線で友を殺さなければならなくなった日系アメリカ人の若者ケニー・ケンイチロウ・斉藤が、アメリカ海軍によってスパイに仕立て上げられ、真珠湾奇襲の情報を入手し本国へと送るとの密命を遂行する物語です。その物語には幾重もの人間関係が刻まれて、まさに愛憎の中で人々が身もだえる姿が描かれた傑作です。

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(文庫「エトロフ発緊急電」 amazon.co.jp)

  さらに、逢坂剛さんのイベリアシリーズ第2作の「遠ざかる祖国」(講談社文庫 2005年)にも真珠湾奇襲の情報が登場します。このシリーズは、日中戦争中の日本から中立国スペインに送り込まれたスパイ、北都昭平の活躍を描いたエスピオナージです。当時のマドリードは、第二次世界大戦における中軸国と連合国の諜報合戦の中枢でした。そこには、イギリスのMI6、アメリカのOSS、ドイツのアブヴェーアが諜報員を送り込み、丁々発止の諜報戦を演じます。

  日本から送り込まれた北都昭平は、日本の現状で日米開戦に突入すれば日本に勝ち目がないことを見抜き、なんとかアメリカに参戦させたいチャーチルの思惑を背景に日本に開戦を止まらせようと奔走します。その中で、真珠湾攻撃の諜報合戦が繰り広げられるのです。

  真珠湾攻撃と言えば、少し変わったインテリジェンス小説もあります。

  それは、西木明さんのインテリジェンス小説「ウェルカム トゥー パールハーハー」(2011年 角川文庫)です。

  「真珠湾奇襲による日米開戦」は、日本にとっても国の存続を決定づける最重要情報ですが、第二次世界大戦で劣勢に立たされていたイギリス、対ドイツ戦で国土と体制を守らなければならないソ連、国内の世論から中立を貫くことを求められているアメリカ、どの国にとっても国の存亡にかかわるインテリジェンスに間違いありません。

  この小説は、その題名の通りニューヨークに送り込まれた二人の日本人諜報員を主人公に、各国の諜報機関が「日米開戦」をめぐり、スパイ合戦を繰り広げる、本当に面白い小説です。モデルには実在した日本の諜報員が存在しており、そのリアリティが小筒に厚みを加えています。

  話は長くなりましたが、「インテリジェンス」とは一国の存続にかかわる諜報のことを指すのです。

  さて、現代の国際情勢の中でも各国は、インテリジェンスの取得に力を入れています。その代表はパレスチナとの戦闘が常に隣り合わせのイスラエルです。その諜報機関である「モサド」では、イスラエル存続のためにあらゆる諜報に日夜奔走しています。その実態は、「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」(早川ノンフィクション文庫 2014年)や元モサド長官だったハレヴィ氏が著した「イスラエル秘密外交:モサドを率いた男の告白」(新潮文庫 2015年)を読めばその一端にふれることができます。

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(文庫「モサド・ファイル」 amazon.co.jp)

  ところで、日本のインテリジェンスはどうなっているのか。

  現在の日本で、インテリジェンスを語らせれば右に出る者がいないと言ってもよいのは手島龍一氏と佐藤優氏です。お二人は、これまで最新の国際情勢をインテリジェンスの観点から語る本を対談で上梓してきました。

  そのお二人が日本のインテリジェンス機関を語ったのが今回の対談本です。

【時代は公安調査庁に光を当てた】

  さて、日本のインテリジェンス機関と言えば、内閣情報調査室が思い浮かびますが、日本で各省庁に必要な調査機関が存在します。例えば、外務省では国際情報統括官、防衛省では統括情報局のもとに陸上・海上航空それぞれの情報隊、警察庁では警備企画課、海上保安庁にも警備情報課があります。

  省庁それぞれの情報は、内閣情報調査室にあげられて内閣情報会議、合同情報会議へと送られます。そして、最終的には官邸や国家安全保障会議に伝えられることになります。

  内閣情報調査室には、実際に諜報自体を行う人材は配置されておらす、基本的には各省庁から送られてくる情報を取りまとめる組織なのです。日本のインテイジェンス体制の弱点は、ここにあります。つまり、アメリカのFBICIA,、イギリスのMI5MI6、イスラエルのモサドなどのように意思決定者に直接インテリジェンスを伝える組織とは基本的に異なっているのです。

  そんな中で、少し変わった位置づけにあるのが、公安調査庁です。「公安」というからには、公安警察に連なる組織化と思いきや、公安調査庁は法務省に属する情報組織なのです。いったいなぜ法務省が諜報組織を司っているのでしょうか。実は公安調査庁だけが戦前の諜報機関からの歴史を継承する組織だからなのです。

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(煉瓦造の法務省旧本館 moj.go.jp)

  この本では、公安調査庁がかかわった驚くべきインテリジェンスとその成り立ちが語られているのです。

  まず語られるのは、2017年にクアラルンプール空港で暗殺された北朝鮮の最高指導者、金正恩の兄、金正男にかかわる情報です。暗殺から遡ること16年。2001年、金正男が日本の成田空港で拘束されるという事件が起きました。このとき、北朝鮮は金正恩の父、金正日が思考権力者として君臨していました。つまり、この時点で日本が拘束した金正男は最高指導者の長男であり、最右翼の継承者のひとりだったのです。

  拘束された理由は、偽造パスポートによる入国容疑でした。この事件の顛末は、本書に詳しいので読んでいただくとして、日本の入国管理者はなぜ偽造パスポートをみやぶることができたのでしょうか。超優秀だったから?いえ、違います。

  その答えは、事前に偽造パスポートによる金正男の入国を当局が知っていたからなのです。そして、この情報を入手したのが、公安調査庁だったというのです。いったい公安調査庁はどうやってこのインテリジェンスを手に入れたのでしょうか。それは、海外のインテリジェンス機関からのタレこみ情報だったのです。

  そして、情報をもたらしたのはどの国の機関だったのか。

  インテリジェンスの世界では、情報の入手もとは秘匿することが絶対的なルールです。なぜなら、それを漏らした組織は、信用を失い二度とこの世界では活動できなくなるからです。つまり、この情報がどこからもたらされたのかは、永遠の謎です。しかし、著者であるお二人は、得意の見立てによってそのもたらした組織を特定していきます。それは、なんとイギリスのインテリジェンス組織だというのです。

  この事件を語ったのち、お二人は公安調査庁がなぜ、海外のインテリジェンス組織から大きな信用を勝ち得ているのかを、日本のインテリジェンスの実態と合わせて語っていくのです。

  もうひとつだけネタばれです。2014年。シリアでは「イスラム国」がその勢力を拡大し、世界中の若者をテリリストとしてスカウトしていました。そして、日本でも衝撃的なニュースが報道されました。それは、当時の北大生が「イスラム国」と連絡を取り合い外人戦闘員として、イスラム国に渡航するために九空権を入手していた、という事件です。この事件は、事前に警視庁公安部が私戦予備・陰謀の容疑で学生から旅券を押収していたため未遂に終わりました。

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(対談「公安調査庁」 amazon.co.jp)

  この事件を抑えたのも公安調査庁がさまざまな諜報によって日頃から活動し、イスラム国の連絡所となっていた古書店をマークしていたことが功を奏したからでした。

  公安調査庁は、日本のインテリジェンスを担うべき組織なのか。

  答えは、お二人の本で読み解いてください。久々にインテリジェンス話題にのめりこみました。皆さんもこの本で、ぜひ日本のインテイrジェンスに思いをはせて下さい。


  さて、コロナ禍も新規感染者数は減少し、緊急事態宣言も解除されそうな雲行きです。しかし、ワクチンを打っていても感染リウクはあると言います。さらにウィルスは変異します。我々も油断することなく、感染対策を万全にして毎日を過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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手島龍一 佐藤優 公安調査庁とは何か

こんばんは。

  菅総理が総裁選挙に不出馬を表明したことには少なからず驚きました。

  総理は、自ら差配できる戦略である解散総選挙がコロナ禍の中で選択できないとして、最後の手段として自民党の党内人事の改革を打ち出しました。しかし、自民党内からの様々な声を受け止めた総理は、解散も人事も取りやめて満期を迎える自民党の総裁選挙に出馬しないとの選択をし、総理を辞任する道を選んだのです。

  菅総理は、日本の憲政史上最長の任期を務めた安倍総理のもとで7年以上も官房長官をつとめ、安倍総理の突然の辞任を受けて第99代目の内閣総理大臣の座に就きました。菅さんは、官房長官として新型コロナ対策に当たり、その継続を第一義として総理に就任しました。その意味で、菅さんの内閣はまさに実務内閣であり、コロナウィルスが終息すれば、その功績により総理の株も上がって自民党総裁の椅子は引き続き菅さんのものであったと思います。

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(総裁選不出馬を表明する菅総理 asahi.com)

  しかし、コロナウィルスもさるもの、次々に新たな遺伝子を獲得し、インド発のデルタ株はその威力を増して、こともあろうに2020東京オリ・パラ開催を襲ったのです。1年延期をしたにもかかわらず、大会は第5派の最中に行われることとなりました。

  もともと菅さんは、安倍さんの後継として立候補することさえためらっていたのですから、権力に対する妄執は持っていないのではないでしょうか。もちろん、政治家になったからにはその頂点に立ちたい、との人としての志はあったに違いありません。しかし、ワクチン接種によって一定の道筋ができたことによって、菅さんは自らの引き際を潔く判断したのだと思います。

  菅内閣は、携帯電話料金の引き下げ、デジタル庁の発足、東京オリンピック・パラリンピック開催とたった1年間の間に驚くほどの成果を挙げました。望むべくはその先までも先導して成果を挙げることなのですが、政治とは摩訶不思議なもので国民感情、自民党事情は菅さんの継続を望んでいないようです。

  2世議員ばかりが闊歩する中で、庶民宰相として腕を振るった菅総理に心からの拍手を送りたいと思います。

  次期総裁についてはいろいろと思うところがありますが、野球と政治の話は営業マンにはご法度ですので、今回はここまでといたします。

  さて、緊急事態宣言の行方も気になる中、今週は久々に日本のインテリジェンスを語る対談本を読んでいました

「公安調査庁 情報コミュニティの新たな地殻変動」

(手島龍一 佐藤優著 2020年 中公新書ラクレ)

【インテリジェンスのワンダーとは】

  このブログをフォロー頂いている皆さんは、「インテリジェンス」のラベルに34の記事が連なっていることをご存知かと思います。

  最初に「インテリジェンス」と出会ったのは、国際スパイ小説です。

  「インテリジェンス」は「諜報」と訳されることが最も多いので、すぐにスパイを思い浮かべてしまいます。もちろん、そのワンダーは「諜報小説」によるところが大きいのは間違いありません。その手に汗握る面白さはエンターテイメントにうってつけですが、本来の「インテリジェンス」は、その国の存続を左右する最重要の情報を取得することを意味するのです。

  「国の存亡を左右する」と言えば、その最たるものは戦争です。

  例えば、第二次世界大戦における「諜報」は、各国の存亡にストレートに結びついていました。例えば、真珠湾攻撃をめぐる「諜報合戦」は人間ドラマまでも内包した手に汗握るストーリーとして、様々に描かれています。

  代表的な小説は、佐々木襄さんの「エトロフ発緊急電」(新潮文庫 1994年)です。この小説は、スパイ小説というよりも、戦線で友を殺さなければならなくなった日系アメリカ人の若者ケニー・ケンイチロウ・斉藤が、アメリカ海軍によってスパイに仕立て上げられ、真珠湾奇襲の情報を入手し本国へと送るとの密命を遂行する物語です。その物語には幾重もの人間関係が刻まれて、まさに愛憎の中で人々が身もだえる姿が描かれた傑作です。

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(文庫「エトロフ発緊急電」 amazon.co.jp)

  さらに、逢坂剛さんのイベリアシリーズ第2作の「遠ざかる祖国」(講談社文庫 2005年)にも真珠湾奇襲の情報が登場します。このシリーズは、日中戦争中の日本から中立国スペインに送り込まれたスパイ、北都昭平の活躍を描いたエスピオナージです。当時のマドリードは、第二次世界大戦における中軸国と連合国の諜報合戦の中枢でした。そこには、イギリスのMI6、アメリカのOSS、ドイツのアブヴェーアが諜報員を送り込み、丁々発止の諜報戦を演じます。

  日本から送り込まれた北都昭平は、日本の現状で日米開戦に突入すれば日本に勝ち目がないことを見抜き、なんとかアメリカに参戦させたいチャーチルの思惑を背景に日本に開戦を止まらせようと奔走します。その中で、真珠湾攻撃の諜報合戦が繰り広げられるのです。

  真珠湾攻撃と言えば、少し変わったインテリジェンス小説もあります。

  それは、西木明さんのインテリジェンス小説「ウェルカム トゥー パールハーハー」(2011年 角川文庫)です。

  「真珠湾奇襲による日米開戦」は、日本にとっても国の存続を決定づける最重要情報ですが、第二次世界大戦で劣勢に立たされていたイギリス、対ドイツ戦で国土と体制を守らなければならないソ連、国内の世論から中立を貫くことを求められているアメリカ、どの国にとっても国の存亡にかかわるインテリジェンスに間違いありません。

  この小説は、その題名の通りニューヨークに送り込まれた二人の日本人諜報員を主人公に、各国の諜報機関が「日米開戦」をめぐり、スパイ合戦を繰り広げる、本当に面白い小説です。モデルには実在した日本の諜報員が存在しており、そのリアリティが小筒に厚みを加えています。

  話は長くなりましたが、「インテリジェンス」とは一国の存続にかかわる諜報のことを指すのです。

  さて、現代の国際情勢の中でも各国は、インテリジェンスの取得に力を入れています。その代表はパレスチナとの戦闘が常に隣り合わせのイスラエルです。その諜報機関である「モサド」では、イスラエル存続のためにあらゆる諜報に日夜奔走しています。その実態は、「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」(早川ノンフィクション文庫 2014年)や元モサド長官だったハレヴィ氏が著した「イスラエル秘密外交:モサドを率いた男の告白」(新潮文庫 2015年)を読めばその一端にふれることができます。

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(文庫「モサド・ファイル」 amazon.co.jp)

  ところで、日本のインテリジェンスはどうなっているのか。

  現在の日本で、インテリジェンスを語らせれば右に出る者がいないと言ってもよいのは手島龍一氏と佐藤優氏です。お二人は、これまで最新の国際情勢をインテリジェンスの観点から語る本を対談で上梓してきました。

  そのお二人が日本のインテリジェンス機関を語ったのが今回の対談本です。

【時代は公安調査庁に光を当てた】

  さて、日本のインテリジェンス機関と言えば、内閣情報調査室が思い浮かびますが、日本で各省庁に必要な調査機関が存在します。例えば、外務省では国際情報統括官、防衛省では統括情報局のもとに陸上・海上航空それぞれの情報隊、警察庁では警備企画課、海上保安庁にも警備情報課があります。

  省庁それぞれの情報は、内閣情報調査室にあげられて内閣情報会議、合同情報会議へと送られます。そして、最終的には官邸や国家安全保障会議に伝えられることになります。

  内閣情報調査室には、実際に諜報自体を行う人材は配置されておらす、基本的には各省庁から送られてくる情報を取りまとめる組織なのです。日本のインテイジェンス体制の弱点は、ここにあります。つまり、アメリカのFBICIA,、イギリスのMI5MI6、イスラエルのモサドなどのように意思決定者に直接インテリジェンスを伝える組織とは基本的に異なっているのです。

  そんな中で、少し変わった位置づけにあるのが、公安調査庁です。「公安」というからには、公安警察に連なる組織化と思いきや、公安調査庁は法務省に属する情報組織なのです。いったいなぜ法務省が諜報組織を司っているのでしょうか。実は公安調査庁だけが戦前の諜報機関からの歴史を継承する組織だからなのです。

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(煉瓦造の法務省旧本館 moj.go.jp)

  この本では、公安調査庁がかかわった驚くべきインテリジェンスとその成り立ちが語られているのです。

  まず語られるのは、2017年にクアラルンプール空港で暗殺された北朝鮮の最高指導者、金正恩の兄、金正男にかかわる情報です。暗殺から遡ること16年。2001年、金正男が日本の成田空港で拘束されるという事件が起きました。このとき、北朝鮮は金正恩の父、金正日が思考権力者として君臨していました。つまり、この時点で日本が拘束した金正男は最高指導者の長男であり、最右翼の継承者のひとりだったのです。

  拘束された理由は、偽造パスポートによる入国容疑でした。この事件の顛末は、本書に詳しいので読んでいただくとして、日本の入国管理者はなぜ偽造パスポートをみやぶることができたのでしょうか。超優秀だったから?いえ、違います。

  その答えは、事前に偽造パスポートによる金正男の入国を当局が知っていたからなのです。そして、この情報を入手したのが、公安調査庁だったというのです。いったい公安調査庁はどうやってこのインテリジェンスを手に入れたのでしょうか。それは、海外のインテリジェンス機関からのタレこみ情報だったのです。

  そして、情報をもたらしたのはどの国の機関だったのか。

  インテリジェンスの世界では、情報の入手もとは秘匿することが絶対的なルールです。なぜなら、それを漏らした組織は、信用を失い二度とこの世界では活動できなくなるからです。つまり、この情報がどこからもたらされたのかは、永遠の謎です。しかし、著者であるお二人は、得意の見立てによってそのもたらした組織を特定していきます。それは、なんとイギリスのインテリジェンス組織だというのです。

  この事件を語ったのち、お二人は公安調査庁がなぜ、海外のインテリジェンス組織から大きな信用を勝ち得ているのかを、日本のインテリジェンスの実態と合わせて語っていくのです。

  もうひとつだけネタばれです。2014年。シリアでは「イスラム国」がその勢力を拡大し、世界中の若者をテリリストとしてスカウトしていました。そして、日本でも衝撃的なニュースが報道されました。それは、当時の北大生が「イスラム国」と連絡を取り合い外人戦闘員として、イスラム国に渡航するために九空権を入手していた、という事件です。この事件は、事前に警視庁公安部が私戦予備・陰謀の容疑で学生から旅券を押収していたため未遂に終わりました。

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(対談「公安調査庁」 amazon.co.jp)

  この事件を抑えたのも公安調査庁がさまざまな諜報によって日頃から活動し、イスラム国の連絡所となっていた古書店をマークしていたことが功を奏したからでした。

  公安調査庁は、日本のインテリジェンスを担うべき組織なのか。

  答えは、お二人の本で読み解いてください。久々にインテリジェンス話題にのめりこみました。皆さんもこの本で、ぜひ日本のインテイrジェンスに思いをはせて下さい。


  さて、コロナ禍も新規感染者数は減少し、緊急事態宣言も解除されそうな雲行きです。しかし、ワクチンを打っていても感染リウクはあると言います。さらにウィルスは変異します。我々も油断することなく、感染対策を万全にして毎日を過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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渋沢栄一 めざすのはすべての人々の幸せ

こんばんは。

  今年の大河ドラマの主人公は渋沢栄一です。

  また、今年は1年延期された東京オリンピック、東京パラリンピックが開催されています。新型コロナウィルスの第5波の襲来によって、その開催に対して反対する意見も多くみられますが、かかわる人たちの献身的な感染対策の展開と徹底には頭が下がります。様々な意見はありますが、選手たちの活躍が、我々にコロナに正しく立ち向かう勇気を与えてくれているのは間違いのない事実です。

  ここしばらく、大河ドラマは面白さに欠けていて我が家ではすっかりごぶさたをしていました。ところが、今回は地元埼玉県出身の偉人が主人公と言うことで、毎回かかさず見ています。渋沢栄一は、その青年期を維新の時代に過ごしました。200年以上続いた江戸幕府から新明治政府に180度の大転回を果たす。まさに日本の歴史の中で、最も価値観の大転換が起きた時代でした。

  これまで、大河ドラマでは明治維新の主役たちが数多く主人公となりましたが、明治維新ではわき役であった人物が主役となったのははじめてではないでしょうか。しかし、誰もがこの歴史の転換点のただ中にいたことは間違いなく、「志」を貫こうとした渋沢栄一も時代に翻弄された人物の一人です。

  その生涯は波乱に富んでおり、その面白さは無類です。

  先週は、その渋沢栄一が100年以上前に著した「よりよく生きるための羅針盤」と言ってもよい著作を読んでいました。

「現代語訳 論語と算盤」

(渋沢栄一著 守屋淳訳 2010年 ちくま新書)

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(新版「論語と算盤」 amazon.co.jp)

  さて、その「青天を衝け」も、オリ・パラの威力には勝てず、その開催期間には放送されません。

閑話休題

  今回の東京オリンピックでは、わが日本が過去最大の58個のメダルを獲得しました。しかも金メダルは27個。オリンピックは参加することに意義がある、とは言いながら、やはり自国の選手がメダルを獲得することは、日本国籍を持つものとして大いに誇りに思います。とくに柔道や体操は、日本のお家芸としてみごとな世代交代を成し遂げて、世界にその強さを見せつけてくれました。

  その陰では、金メダルを期待されながら成果が出なかった競技種目もありました。

  いったい何が違ったのでしょうか。

  それは、これまでの歴史において培われてきた指導者と選手の心技体の鍛錬の違いではないかと思います。世界ランカーが何人もいながら決勝まで進めなかったバトミントンは、ケガによる要因もありましたが、なぜか全員が何者かに魅入られたかのように予選敗退となりました。その中で、混合ダブルスの東野有紗選手と渡辺勇大選手は、見事な戦いぶりで香港チームを下し、銅メダルを獲得しました。

  例えば、バトミントン勢の不調は、自国開催のオリンピックに対する大きな期待へのプレッシャーや1年間の延期期間の圧迫などのメンタル面での影響とも言われています。確かに、柔道や体操、野球、水泳などと異なり、これまでのオリンピックでの実績は、ロンドンでの初のメダル、前回大会の女子シングルス、の銅メダル、女子ダブルスの金メダルのみです。

  どの競技においても、過去には不遇の時期がありました。しかし、今大会の柔道競技のように、指導者層と選手が一丸となって、これまでの成果と課題を分析し、着実なトレーニングを継続して続けたこと、さらに全員で他業種競技を体験するなどのメンタルトレーニングも行ったことがメダルラッシュにつながったとの大きな成果もあります。体操におけるすそ野の広い選手育成システムも大いに参考になるのではないでしょうか。

  今回、無念の涙をのんだ選手たちの一層の奮起に大いに期待しています。

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(みごと銅メダル ワタガシペア nikkansports.jp)

  一方、東京パラリンピックは、今回多様性の調和を大きな理念として掲げ、連日その言葉通りの多様な選手たちの闘いが胸を熱くしてくれます。

  パラアスリートたちには、一人一人異なる克服してきた過去があります。その過去をプラスに転じたパワーとそれを支えてきた家族や仲間たちの想いが、連日の感動の源になっていることは間違いありません。その熱い戦いには目が離せません。

  皆さん、パラアスリートたちの闘いを応援しましょう!

【渋沢栄一って誰でしょう】

  さて、渋沢栄一とは何者のでしょうか。

  彼が生まれたのは江戸時代の末期、1840年(天保14年)です。日本が幕末の動乱を経て、明治維新を迎えたのが1868年(明治元年)。そのとき栄一は28歳でした。そして、幕末から維新、そしてその後には、波乱万丈の人生を送り、1931年(昭和6年)にその生涯を閉じました。

  その生まれは、埼玉県深谷市の血洗島。

  大河ドラマを見るまで、恥ずかしながらその人生と功績はあまりよく知りませんでした。

  それでも日本で初めて銀行を設立し、それが第一銀行と言う名称で、第一勧業銀行からみずほ銀行となったこと。産業振興に努め、地元深谷にレンガ工場を設立。東京駅にみごとな日本製のレンガを提供し、深谷駅にも同様のレンガが使用されてレトロ建築として有名であること。王子駅に近い飛鳥山公園にその邸宅があったことは知っていました。

  その渋沢栄一は、2024年度から新1万円札の顔になることが決まっています。聖徳太子、福沢諭吉と並んで1万円札になるとは、本当に日本の発展に尽くした人なのですね。

  そんなこんなで、今年の大河ドラマは毎回欠かさずに見ているのですが、今年の大河ドラマは異例ずくめです。まず、昨年からのコロナ禍で、前の「麒麟がくる」の撮影が中断。その放送が延びたことから本来12月末で終了するところが、2月まで放送が延長されました。さらに今年は東京オリンピック・パラリンピックがあり、大河ドラマの放映回数が縮小。「青天を衝く」も延長されるのかと思いきや、こちらはいつもどおり12月で終了するようです。

  こうした逆境の中でも「青天を衝け」は近年になかった面白い大河ドラマに間違いありません。

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(「青天を衝け」ガイドブック amazon.co.jp)

  その面白さは、現実の渋沢栄一の生涯が奇想天外であったことが大きな要因です。栄一の実家は血洗島で藍を取り扱う豪農でした。そこで、父親から藍の育成から仕入れ、藍染め屋への卸まで農業と商売のノウハウを学んでいきます。ところが、17歳の時、父親の名代で地元の代官から税の徴収を申し付けられるとの場を経験します。そのとき、農家が汗水たらして稼いだ銭を、武士が言葉一つで貢がせることの理不尽を味わい、その理不尽な仕組みを覆すためには、自分も武士になるしかないと決意するのです。

  このドラマの脚本はよく書かれていて、渋沢栄一が将来実業家になり、第一銀行をはじめとして480社もの会社を設立し、日本資本主義の父と呼ばれることとなる、その根本の思想がどのように形成されたのかを、その幼少期に求めています。それは、栄一の母、ゑいが諭すように語る言葉です。それは、「みんなが幸せなのが一番なんだ」という一言。この言葉が栄一の将来を象徴する一言となるのです。

  そして、武士になるために父親の家を出て、江戸に出た栄一が出会ったのが、平岡円四郎でした。円四郎は栄一の向こう見ずで志豊かな人柄が好きでたまりません。その円四郎は、なんと徳川慶喜の第一の家臣だったのです。血洗島では尊王思想から討幕のために高崎城乗っ取りまで計画していた栄一は、その徳川の家臣である円四郎から仕官を勧められます。栄一は、その変節に悩みますが、世の中を変えるために徳川慶喜への仕官の道を選びます。

  その仕官に至る栄一の行動が、このドラマのオープニングを飾るみごとな場面です。

【栄一が語る「論語と算盤」とは?】

  さて、そうした渋谷栄一が100年以上前に出版したのが、今回ご紹介する「論語と算盤」です。

  この本は、渋沢栄一を慕う人々が、彼の講演会での話を毎回雑誌に掲載し、その後に項目別に編集したものを出版した本です。つまり、渋沢栄一の講演録ですが、その内容は渋沢の生きる指針が語られていると同時に、ところどころ自らのル-ツにも触れている素晴らしい内容となっています。

  その目次を紐解くと、第一章 処世と信条、第二章 立志と学問、第三章 常識と習慣、第四章 仁義と富貴、第五章 理想と迷信、第六章 人格と修養、第七章 算盤と権利、第八章 実業と士道、第九章 教育と情誼、第十章 成敗と運命。その章も面白く、とても100年以上前に語られた言葉とは思えません。もちろん、訳者、守屋淳氏に負うところも大きく、きわめて読みやすい書体となっています。

  ところで、この本の題名ですが、「論語」は孔子の教えが記されたあの「論語」のことです。そして、「算盤」は、今でいえばコンピューターもしくはタブレットと言い換えることができるのではないでしょうか。渋沢は、大蔵省に入る以前から日本の国力を高まるためには、国が経済的に豊かに名たなければならないと考えていました。そのために必要なのは、民間での商業の発展です。

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(渋沢栄一翁肖像画  kof.or.jpより)

  そのためには、銀行が出資し、市中に資金を潤沢に供給し、その資金を集めて株式会社を設立し、その利益金が積み重なれば、国民も政府も豊かになるとの信念です。

  そのためには、株式を上場するための証券取引所も必要です。渋沢は、第一銀行と同時に東京証券取引所の開設にもかかわっていました。そして、その豊かさ創出のための経済的な営みを象徴するのが、「算盤」です。しかし、バブル経済の崩壊やサブプライムに端を発したリーマンショックを見れば、知恵や哲学のない「算盤」の暴走は、人類を、豊かさとは対極の不幸へと導いてしまいます。

  渋沢は、商売や仕事に不可欠なものは、「商売道徳」であると語ります。日本では、「論語」から出た儒教をルーツとする朱子学に基づいた武士道が発達しましたが、その中で人格者に必要とされるものは、「仁」「義」「孝」「弟」「忠」「信」とされています。商売において利益を追求する場合でも、士道に通ずるこうした「商売道徳」がなければその商売は決して長続きはせず、豊かさには通じないのだというのです。

  この本には実業に必要な様々なことが書かれていますが、ときに面白いエピソードも差し込まれています。渋沢が大蔵省にて財政改革に奔走していたときに渋沢の自宅に当時、政府の参与を勤めていた西郷隆盛がやってきたと言います。果たして、西郷は何の目的で渋沢栄一の下を訪れたのか。そのエピソードは、ぜひこの本の第六章で味わってください。

  これまで、企業統治と言えば、京セラの稲盛さんやソニーの井深さん、はたまたユニクロの棚井さんの本に心を動かされてきましたが、100年以上前の日本にすでに企業統治の基本的理念を持った人物の本が出版されていたとは驚きです。

  この本は、プロ野球パリーグ、日本ハムの栗山英樹監督が新たに入団した選手たちに毎年配っているそうです。プロ野球選手は、野球人である前に一人の社会人としての人格が必要との考えは、野村克也さんが常に口にしていた言葉でした。栗山さんもヤクルト時代にそうした薫陶を受けた野球人の一人です。

  たしかにこの本にはそれだけの価値があります。


  世間ではまだまだコロナウィルスの新規感染者の数が高止まりを続けています。皆さん、ぜひともマスク、手洗い、消毒、密回避を実践し、コロナに打ち勝ちましょう。ワクチン接種も忘れずに!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その2)

こんばんは。


  東京オリンピックが始まりました。


  世界中からアスリートたちが集い、平和と多様性の調和の下、これまで培ってきた自らの力を最大限発揮して競技に臨みます。


  スケートボードでの日本最年少金メダリストの誕生や13年ぶりのソフトボール女子の金メダル。はたまた卓球混合ダブルスで絶対王者中国を破っての初の金メダル、などなど、毎日が感動の連続でアスリートたちの姿に元気をもらう毎日です。


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(スケートボード日本最年少金メダル 西矢選手 cnn.co.jp)


  一方で、今回のオリンピックは、新型コロナウィルスとの闘いが続き中での開催となり、一部の地域を除いて、無観客での開催となりました。開会式をはじめほとんどの協議では、大会関係やと選手たちの拍手が響くのみですが、1年間延期となった不安を払しょくして日夜鍛えてきた選手たちには、一層の集中力を持って戦ってもらいたいと思っています。


  オリンピックの報道に隠れてしまったように感じるコロナ禍ですが、デルタ株などの変異型ウィルスは世界中で猛威を振るい、日本でもこれまで以上の勢いで第5波にさらされつつあります。


  高齢者へのワクチン接種も順調に進み、ワクチン効果が期待されましたが、今回の第5波は、その多くが20代から50代のまだワクチン接種に至っていない世代が新規感染しています。日本では、行動の自由が憲法により明確に定められており、強制的な行動制限を行うことはできません。さらに酒類を販売する飲食店を筆頭に自営業の方々やその従業員の方々は、自粛によって生活自体を脅かされる状況となっています。

   

  経済活動の維持と人流抑制は二律背反の課題です。


  しかし、新型コロナウィルスと人類の闘いは死ぬか生きるかの戦争と言っても過言ではありません。我々は「自由」と「責任」について、ここでじっくり考えてみるべきではないでしょうか。これまで感染していない方々は、マスク、手洗い、消毒が十分なのか、不要不急の外出を自粛しているのか、改めて真剣に考えてみるべきだと思います。


  オリンピックに人生をかけて戦うアスリートの姿を見るにつけ、我々も毎日を、緊張感を持って過ごしていく必要があると身が引き締まる思いがします。


  さて、今回は前回に引き続き、東京會舘を描いた辻村さんの本を紹介します。


「東京會舘とわたし(下 新館)」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(文庫「東京會舘とわたし 下巻」 amazon.co.jp)


  東京會舘は、東京日比谷の皇居に面した場所に帝国劇場と並んで大正11年に建設されました。


  そのコンセプトは、「民間初の社交場」。それは、貴族のためでも富裕階級のためでもない、誰もが集うことができる建物をめざした建物だったのです。


  大正11年(1922年)に建築された旧館は、大正時代末期の大賞デモクラシーも相まって、様々な市民によってにぎわっていました。上巻(旧館)での短編を見ると、


第一章 クライスラーの演奏(大正12年)

第二章 最後のお客様(昭和15年)

第三章 灯火管制の下で(昭和19年)

第四章 グッドモーニング、フィズ(昭和24年)

第五章 しあわせな味の記憶(昭和39年)


と、日本の激動の時代に東京會舘とそこにかかわる人々が織りなす世界を描きます。


  旧館は、建築後1年もたたずして関東大震災に見舞われ、1階部分は大きく破損し、外壁が崩れ落ちて鉄骨がむき出しになりました。周囲にあった帝国劇場や警視庁は火災によって焼失しましたが、東京會舘は火災からは免れて建物は大きな被害を受けながらも生き残りました。しかし、その復旧には19カ月の歳月を要し、その間休業を余儀なくされたのです。


  上巻、第二章には、その歴史と、そしてさらに日中戦争下で国に徴収された東京會舘の従業員たちの想いが描かれます。


【レトロ建築に刻まれた人々の想い】


  前回、NHKEテレ「美の壺」のスペシャル版で紹介された「レトロ建築」のすばらしさを語りましたが、最後の「ツボ」を語るところで紙面が尽きてしまいました。


■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ

  上野駅からほど近い上野公園は、近代レトロ建築の宝庫です。


  まず、上野駅から正面に位置するのは、前川國男が設計した東京文化会館です。この建物は1961年の竣工ですが、そのエントランスは、コンクリートの大きな庇の下に大きなガラス張りの入り口がそびえ公園の入り口にふさわしい建物となっています。建物に入ると一面に敷き詰められた茶系のタイルが秋の落ち葉を思わせ、公園の一部であることを感じさせます。


  そして、そこから公園に進んでいくとフランス近代建築の巨匠ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館が見えてきます。ここで開催される数々の美術展は目を離せないのですが、毎回訪れるたびにこの建築のエントランスとファサードには感慨を抱きます。この建物は、2016年に世界遺産に登録されています。


  さらに上野公園には、東京国立博物館という近代建築の代表が存在します。表慶館は1908年に建てられた丸い屋根を持つモダン建築。本館は銀座和光を設計した渡辺仁による古典主義の荘厳な建築。東洋館の建築は1968年谷口吉郎の作品。法隆寺宝物殿は1999年に谷口吉生による近代的建築。ここでは、明治、昭和、平成の建物をみることができるのです。


と、前置きが長くなりましたが、「美の壺」で取り上げられたレトロ建築は、その先にあります。


  その建物の名前は、「国際こども図書館」。名前を聴くとレトロ建築とは結びつきませんが、その前身は「旧帝国図書館」だったのです。その建物が建てられたのは、1906年(明治39年)。まるで、パリやベルリンを思わせるヨーロッパ風石造りの瀟洒な建物です。


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(国際こども図書館全景 kodomo.go.jpより)


  この建物が「レトロを未来へ」として取り上げられたのは、この建物が2000年からのリニューアル工事によって改修されたにもかかわらず、旧帝国図書館の建物が見事に保存されているところにあります。この保存のために設計にかかわったのは国際的にも有名な安藤忠雄さんです。安藤さんは、建物内に自然の光を導きいれることによって、建物に生命力を与える設計で知られています。


  安藤さんは、この改修において、旧帝国図書館の建物をガラスの器によって覆うことで、旧建築のファサードを見事によみがえらせました。特に建物の裏側には、外壁をカラスによっておおわれた回廊が設置されており、ラウンジでは旧帝国図書館の外壁に直接触れることができる光あふれる設計がなされています。


  このリニューアルには、まさにレトロ建築を未来につなぐ心が満ち溢れています。


  さて、次なるレトロ建築の所在地は新潟県上越市高田地区となります。


  その建築は、なんと現役の映画館です。どのくらいレトロかと言えば、この建物が営業を開始したのは、1911年(明治44年)なのです。最初は劇場としてスタートした建物が映画館へと変わったのは1916年。なんと、105年を経て今もなお映画館として営業を続けているのです。その映画館の名前は「高田世界館」。


  この映画館は、地元のブランティア(というか映画と建物のファン)の方々が愛情を持って運営しており、その内部も客席も建築当時の面影を残しています。ホールの座席は1階席と2階席に分かれ、その雰囲気は「ニューシネマパラダイス」をほうふつとさせます。その体験は、「映画を見る」というよりも「映画館で映画を見る」ことではないかとある方が語っていました。


  そして、この映画館のお隣には、地区90年の古い町屋をリニューアルした「世界ノトナリ」というカフェが映画を楽しんだ皆さんの憩いの場となっています。


  この映画館は、経済産業省の近代化産業遺産にも認定された文化財ですが、レトロ建築は、現役で使われてこそ更なる価値が生まれ、未来へと引き継がれていくのです。


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(「高田世界館全景 takadasekaikan.comより)


【東京會舘を巡る感動の物語】


  大正11年にうぶ声を挙げた東京會舘は、昭和47年に建て替えが完了し、東京會舘新館として新たなスタートを切りました。


  「東京會舘とわたし」の下巻には、新たにスタートした新館での物語5編と文庫本に加えられた1編の物語が収められています。東京會舘は、2019年に2度目の建て替えを行い、近隣の富士ビルヂィング、東京商工会議所ビルと一体で地上30階建ての高層ビルに変貌しました。東京會舘は、その地下3階から地上4階まで、そして7階の宴会場が東京會舘となっており、そのエントランスや吹き抜けの宴会場は伝統と新しさを兼ね備えた建物となっています。


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(新新館に引継がれた初代シャンデリア kaikan.co.jp)


  この本の最終章は、竣工した三代目の東京會舘が紹介されています。


  下巻の短編は二代目東京會舘に込められた人々の想いがそれぞれの章に込められた秀作ぞろいです。


第六章 金環のお祝い(昭和51年)

第七章 星と虎の夕べ(昭和52年)

第八章 あの日の一夜に寄せて(平成23年)

第九章 煉瓦の壁を背に(平成24年)

第十章 また会う日まで(平成27年)

新 章 「おかえりなさい、東京會舘」(平成31年)


  この本を読むと、歴史的な建物に込められているのは、そこで繰り広げられる様々な出来事にかかわった人々の心の記憶なのだと気づきます。


  下巻でも辻村さんの描く人々の心象風景が我々の心に迫ってきます。


  この本にはひとりの作家の物語も含まれています。


  プロローグと第九章、そして最終章には小椋真護(おぐらまもる)という小説家が登場します。実は、この物語の作者はこの小椋真護なのです。第九章では、東京會舘のシルバールームにある煉瓦色の壁が登場します。その壁の前では、芥川賞と直木賞の受賞会見が行われます。それまで、4度直木賞の候補に上がり落選していた小椋が5度目に直木賞を受賞したその日がここに描かれているのです。


  この小説には小椋が持つ1本の万年筆が登場します。その万年筆のキャップには「M.Ogura」「2012.7.17」と刻まれています。小椋とその万年筆に秘められた長い年月の秘められた物語。そのカギとなったのが東京會舘そのものだったのです。


  その他にも、東京會舘にこよなきあこがれをもっていた夫を亡くし、金婚式のその日に一人で東京會舘を訪れた未亡人の物語、東京會舘で毎年ディナーショウを開いていた日本を代表するシャンソン歌手越路吹雪と岩谷時子。そのディナーショウのそでで付き添っていた若きフロアマンの姿を描く「星と虎の夕べ」。東日本大震災の夜、帰宅困難者であふれかえった東京で、東京會舘で一夜を過ごした女性の人生の絆を描く物語。


  どの作品をとっても心を動かされる名短編が我々の胸を熱くしてくれます。


  皆さんもこの本で辻村さんの描くムーヴメントを味わってください。殺伐としたコロナ禍の現代。まるでろうそくの灯を見るような癒しを感じること間違いありません。


  オリンピックと緊急事態宣言。一見相いれないように見える出来事ですが、これをむすびつけることは必ずしも正解とは思えません。手洗い、消毒、蜜の回避という自己の「責任」と日本のアスリートへの熱き声援。皆さん、その両方を大切に熱き戦いから勇気をもらいましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その2)

こんばんは。


  東京オリンピックが始まりました。


  世界中からアスリートたちが集い、平和と多様性の調和の下、これまで培ってきた自らの力を最大限発揮して競技に臨みます。


  スケートボードでの日本最年少金メダリストの誕生や13年ぶりのソフトボール女子の金メダル。はたまた卓球混合ダブルスで絶対王者中国を破っての初の金メダル、などなど、毎日が感動の連続でアスリートたちの姿に元気をもらう毎日です。


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(スケートボード日本最年少金メダル 西矢選手 cnn.co.jp)


  一方で、今回のオリンピックは、新型コロナウィルスとの闘いが続き中での開催となり、一部の地域を除いて、無観客での開催となりました。開会式をはじめほとんどの協議では、大会関係やと選手たちの拍手が響くのみですが、1年間延期となった不安を払しょくして日夜鍛えてきた選手たちには、一層の集中力を持って戦ってもらいたいと思っています。


  オリンピックの報道に隠れてしまったように感じるコロナ禍ですが、デルタ株などの変異型ウィルスは世界中で猛威を振るい、日本でもこれまで以上の勢いで第5波にさらされつつあります。


  高齢者へのワクチン接種も順調に進み、ワクチン効果が期待されましたが、今回の第5波は、その多くが20代から50代のまだワクチン接種に至っていない世代が新規感染しています。日本では、行動の自由が憲法により明確に定められており、強制的な行動制限を行うことはできません。さらに酒類を販売する飲食店を筆頭に自営業の方々やその従業員の方々は、自粛によって生活自体を脅かされる状況となっています。

   

  経済活動の維持と人流抑制は二律背反の課題です。


  しかし、新型コロナウィルスと人類の闘いは死ぬか生きるかの戦争と言っても過言ではありません。我々は「自由」と「責任」について、ここでじっくり考えてみるべきではないでしょうか。これまで感染していない方々は、マスク、手洗い、消毒が十分なのか、不要不急の外出を自粛しているのか、改めて真剣に考えてみるべきだと思います。


  オリンピックに人生をかけて戦うアスリートの姿を見るにつけ、我々も毎日を、緊張感を持って過ごしていく必要があると身が引き締まる思いがします。


  さて、今回は前回に引き続き、東京會舘を描いた辻村さんの本を紹介します。


「東京會舘とわたし(下 新館)」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(文庫「東京會舘とわたし 下巻」 amazon.co.jp)


  東京會舘は、東京日比谷の皇居に面した場所に帝国劇場と並んで大正11年に建設されました。


  そのコンセプトは、「民間初の社交場」。それは、貴族のためでも富裕階級のためでもない、誰もが集うことができる建物をめざした建物だったのです。


  大正11年(1922年)に建築された旧館は、大正時代末期の大賞デモクラシーも相まって、様々な市民によってにぎわっていました。上巻(旧館)での短編を見ると、


第一章 クライスラーの演奏(大正12年)

第二章 最後のお客様(昭和15年)

第三章 灯火管制の下で(昭和19年)

第四章 グッドモーニング、フィズ(昭和24年)

第五章 しあわせな味の記憶(昭和39年)


と、日本の激動の時代に東京會舘とそこにかかわる人々が織りなす世界を描きます。


  旧館は、建築後1年もたたずして関東大震災に見舞われ、1階部分は大きく破損し、外壁が崩れ落ちて鉄骨がむき出しになりました。周囲にあった帝国劇場や警視庁は火災によって焼失しましたが、東京會舘は火災からは免れて建物は大きな被害を受けながらも生き残りました。しかし、その復旧には19カ月の歳月を要し、その間休業を余儀なくされたのです。


  上巻、第二章には、その歴史と、そしてさらに日中戦争下で国に徴収された東京會舘の従業員たちの想いが描かれます。


【レトロ建築に刻まれた人々の想い】


  前回、NHKEテレ「美の壺」のスペシャル版で紹介された「レトロ建築」のすばらしさを語りましたが、最後の「ツボ」を語るところで紙面が尽きてしまいました。


■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ

  上野駅からほど近い上野公園は、近代レトロ建築の宝庫です。


  まず、上野駅から正面に位置するのは、前川國男が設計した東京文化会館です。この建物は1961年の竣工ですが、そのエントランスは、コンクリートの大きな庇の下に大きなガラス張りの入り口がそびえ公園の入り口にふさわしい建物となっています。建物に入ると一面に敷き詰められた茶系のタイルが秋の落ち葉を思わせ、公園の一部であることを感じさせます。


  そして、そこから公園に進んでいくとフランス近代建築の巨匠ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館が見えてきます。ここで開催される数々の美術展は目を離せないのですが、毎回訪れるたびにこの建築のエントランスとファサードには感慨を抱きます。この建物は、2016年に世界遺産に登録されています。


  さらに上野公園には、東京国立博物館という近代建築の代表が存在します。表慶館は1908年に建てられた丸い屋根を持つモダン建築。本館は銀座和光を設計した渡辺仁による古典主義の荘厳な建築。東洋館の建築は1968年谷口吉郎の作品。法隆寺宝物殿は1999年に谷口吉生による近代的建築。ここでは、明治、昭和、平成の建物をみることができるのです。


と、前置きが長くなりましたが、「美の壺」で取り上げられたレトロ建築は、その先にあります。


  その建物の名前は、「国際こども図書館」。名前を聴くとレトロ建築とは結びつきませんが、その前身は「旧帝国図書館」だったのです。その建物が建てられたのは、1906年(明治39年)。まるで、パリやベルリンを思わせるヨーロッパ風石造りの瀟洒な建物です。


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(国際こども図書館全景 kodomo.go.jpより)


  この建物が「レトロを未来へ」として取り上げられたのは、この建物が2000年からのリニューアル工事によって改修されたにもかかわらず、旧帝国図書館の建物が見事に保存されているところにあります。この保存のために設計にかかわったのは国際的にも有名な安藤忠雄さんです。安藤さんは、建物内に自然の光を導きいれることによって、建物に生命力を与える設計で知られています。


  安藤さんは、この改修において、旧帝国図書館の建物をガラスの器によって覆うことで、旧建築のファサードを見事によみがえらせました。特に建物の裏側には、外壁をカラスによっておおわれた回廊が設置されており、ラウンジでは旧帝国図書館の外壁に直接触れることができる光あふれる設計がなされています。


  このリニューアルには、まさにレトロ建築を未来につなぐ心が満ち溢れています。


  さて、次なるレトロ建築の所在地は新潟県上越市高田地区となります。


  その建築は、なんと現役の映画館です。どのくらいレトロかと言えば、この建物が営業を開始したのは、1911年(明治44年)なのです。最初は劇場としてスタートした建物が映画館へと変わったのは1916年。なんと、105年を経て今もなお映画館として営業を続けているのです。その映画館の名前は「高田世界館」。


  この映画館は、地元のブランティア(というか映画と建物のファン)の方々が愛情を持って運営しており、その内部も客席も建築当時の面影を残しています。ホールの座席は1階席と2階席に分かれ、その雰囲気は「ニューシネマパラダイス」をほうふつとさせます。その体験は、「映画を見る」というよりも「映画館で映画を見る」ことではないかとある方が語っていました。


  そして、この映画館のお隣には、地区90年の古い町屋をリニューアルした「世界ノトナリ」というカフェが映画を楽しんだ皆さんの憩いの場となっています。


  この映画館は、経済産業省の近代化産業遺産にも認定された文化財ですが、レトロ建築は、現役で使われてこそ更なる価値が生まれ、未来へと引き継がれていくのです。


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(「高田世界館全景 takadasekaikan.comより)


【東京會舘を巡る感動の物語】


  大正11年にうぶ声を挙げた東京會舘は、昭和47年に建て替えが完了し、東京會舘新館として新たなスタートを切りました。


  「東京會舘とわたし」の下巻には、新たにスタートした新館での物語5編と文庫本に加えられた1編の物語が収められています。東京會舘は、2019年に2度目の建て替えを行い、近隣の富士ビルヂィング、東京商工会議所ビルと一体で地上30階建ての高層ビルに変貌しました。東京會舘は、その地下3階から地上4階まで、そして7階の宴会場が東京會舘となっており、そのエントランスや吹き抜けの宴会場は伝統と新しさを兼ね備えた建物となっています。


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(新新館に引継がれた初代シャンデリア kaikan.co.jp)


  この本の最終章は、竣工した三代目の東京會舘が紹介されています。


  下巻の短編は二代目東京會舘に込められた人々の想いがそれぞれの章に込められた秀作ぞろいです。


第六章 金環のお祝い(昭和51年)

第七章 星と虎の夕べ(昭和52年)

第八章 あの日の一夜に寄せて(平成23年)

第九章 煉瓦の壁を背に(平成24年)

第十章 また会う日まで(平成27年)

新 章 「おかえりなさい、東京會舘」(平成31年)


  この本を読むと、歴史的な建物に込められているのは、そこで繰り広げられる様々な出来事にかかわった人々の心の記憶なのだと気づきます。


  下巻でも辻村さんの描く人々の心象風景が我々の心に迫ってきます。


  この本にはひとりの作家の物語も含まれています。


  プロローグと第九章、そして最終章には小椋真護(おぐらまもる)という小説家が登場します。実は、この物語の作者はこの小椋真護なのです。第九章では、東京會舘のシルバールームにある煉瓦色の壁が登場します。その壁の前では、芥川賞と直木賞の受賞会見が行われます。それまで、4度直木賞の候補に上がり落選していた小椋が5度目に直木賞を受賞したその日がここに描かれているのです。


  この小説には小椋が持つ1本の万年筆が登場します。その万年筆のキャップには「M.Ogura」「2012.7.17」と刻まれています。小椋とその万年筆に秘められた長い年月の秘められた物語。そのカギとなったのが東京會舘そのものだったのです。


  その他にも、東京會舘にこよなきあこがれをもっていた夫を亡くし、金婚式のその日に一人で東京會舘を訪れた未亡人の物語、東京會舘で毎年ディナーショウを開いていた日本を代表するシャンソン歌手越路吹雪と岩谷時子。そのディナーショウのそでで付き添っていた若きフロアマンの姿を描く「星と虎の夕べ」。東日本大震災の夜、帰宅困難者であふれかえった東京で、東京會舘で一夜を過ごした女性の人生の絆を描く物語。


  どの作品をとっても心を動かされる名短編が我々の胸を熱くしてくれます。


  皆さんもこの本で辻村さんの描くムーヴメントを味わってください。殺伐としたコロナ禍の現代。まるでろうそくの灯を見るような癒しを感じること間違いありません。


  オリンピックと緊急事態宣言。一見相いれないように見える出来事ですが、これをむすびつけることは必ずしも正解とは思えません。手洗い、消毒、蜜の回避という自己の「責任」と日本のアスリートへの熱き声援。皆さん、その両方を大切に熱き戦いから勇気をもらいましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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終わりに

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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その1)

こんばんは。


  今年、定年を迎えた友人は、仕事を辞めて悠々自適の生活に入りました。


  最後の出勤日、今後の悠々自適生活について語りましたが、彼にはいくつかの人生計画がありました。その中の一つに、「歴史的建物の徒歩による探訪」が含まれていました。


  友人は、一級建築士の資格を持ち、かつて某ゼネコン(総合建設業)に籍を置いていましたが、30年前にわが金融業界へと転職してきたのです。その建物への造形の深さはもちろんなのですが、彼には、高血糖値の持病があり、糖尿病予備軍として体調管理を医師から言い渡されているのです。つまり、取得するカロリーを抑えて、消費するカロリーを増やすことを課せられているわけです。


  そのために最も適しているのがウォーキングです。生活習慣病予備軍にとって、一日一万歩は健康への道標です。しかし、我々は何の目的もなく歩くのには忍耐力を要します。最近はPokemon GOのような歩くこと自体で報酬をもらえるスマホゲームが人気を呼んでおり、街にはスマホを片手に歩き回る高齢者たちをよく見かけるようになりました。


  話は逸れましたが、その友人は退職後、ウォーキングを継続的に行う目的として歴史的建造物を巡り、街を歩くことにしたわけです。確かに、東京近県には様々な歴史を包含した名建築が数多く残されています。東京では、東京駅や丸の内の三菱一号館美術館、上野に行けば東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館など、数え切れないほどの名建築がひしめいています。それを巡るウォーキングは、人生の楽しみと健康の両方を満喫する一石二鳥の計画と言えるのではないでしょうか。


  こんなことを思い出したのも先週から読んでいるある小説のワンダーのためです。


「東京會舘とわたし(上)旧館」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(「東京會舘とわたし(上 旧館)」 amazon.co.jp)


【レトロ建築に秘められたワンダー】


  東京會舘と言えば、現在はリニューアルにより最新の建物に生まれ変わりましたが、建物の中には1920年(大正11年)の初代東京會舘から継承された様々な内装や造作が今も残されており、我々にその歴史に秘められた記憶を呼び起こしてくれるのです。


  閑話休題


  最近は、NHKの番組を見ることが多く、家族からはNHKオタクと呼ばれてあきれられています。特に動物写真家岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」とEテレの「クラシック音楽館」は面白い。そのNHK Eテレに「美の壺」という番組があることをご存知でしょうか。この番組はあらゆる美術の鑑賞マニュアルとの副題のとおり、毎回様々なアートを取り上げてその鑑賞ノウハウを伝えてくれます。


  その番組で「レトロ建築」が取り上げられました。しかも90分のスペシャル版。見ごたえがありました。この番組では、レトロ建築を味わうための5つのツボを紹介してくれます。


■レトロ建築のツボ その1:建物で味わう世界旅行

  まず紹介されるのは、新宿区にある木造建築「小笠原伯爵邸」です。この建物は旧小倉藩主で伯爵であった小笠原当主が1927年に建築した歴史的建造物であり、東京都選定歴史的建造物にも認定されています。旧小倉藩と聞くと木造数寄屋造りの建物が想像されますが、さにあらず。この建物は、鉄筋コンクリート2階建て、スパニッシュ様式で建てられたヨーロッパが香るようなファサード、そして優雅な内装に魅了されます。さらに応接間の内装にはアラビアを思わせる装飾が施され、異国情緒に満ち溢れています。


  レトロ建物めぐりが大好きという女優内田有紀さんの案内で建物の中で世界旅行気分を味わいます。その他にもレンガ造りの旧事務所、三菱1号館美術館、ギリシャ様式の柱を配置した明治生命ビル、白金にあるアールデコ様式の旧朝香宮邸と見どころ満載の建物が紹介されます。


■レトロ建築のツボ その2:時代を映す、店の顔

  日本には多くの外国人がいますが、あの大ヒットアニメ「君の名は」の背景を描いたアーティストがポーランドの方とは知りませんでした。その名もマテウシュ・ウルバノヴィッチさん。現在、ウルバノヴィッチさんは東京の古き良き商店の建物をデッサンし独自のイラストを制作しているのだそうです。イラストは、「東京店構え」との題名で本にもなっているといいます。


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(書籍「東京店構え」 amazon.co.jp)


  番組では、築地にある築地木村家というサンドイッチ専門店の店構えに魅せられたウルバノヴィッチさんが、木村家の4代当主を訪ね、その店構えを独特のタッチでイラストに仕上げるまでを紹介してくれます。その古さに風情がある看板は秀逸な出来です。


  さらに番組は、東京小金井市にある「江戸東京たてもの園」を訪問します。その中には、実際に使われていた商店6件を移築した一角があり、どれも個性あふれる建物です。


■レトロ建築のツボ その3:時が重ねた心地よさ

  次に番組が訪れたのは、なんと「銭湯」です。今や家庭には必ず内風呂がある時代。銭湯はもはや一部のファンの楽しみとなりましたが、昭和30年代には「内風呂」があっても広く大きなお風呂屋さんの湯舟を味わいたくて家族でお風呂屋さんを訪れました。驚いたことに都内には、総木造り、宮構えのお風呂屋さんが現役で営業しているのです。


  かつて、家族ドラマとして「時間ですよ」というTV番組が放映されていました。その舞台は銭湯。そこの住込みの使用人堺正章が、冒頭に「おかみさーん。時間ですよー。」と声を挙げて始まる番組は、一世を風靡し、皮肉なことに番組が始まると銭湯から人がいなくなると言われるほどでした。(「戦後すぐのラジオ番組「君の名は」みたいですが・・・。」


  ともあれ、この昭和32年に建築されたという銭湯は、吹き抜けを見上げれば、織り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)が広く施され、昔、パーマ屋さんにあった、座ってドームをかぶる方式のドライヤーまで設置されてレトロ感満載です。


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(大田区のレトロ銭湯 Tokyosentou.com)


  いつもはナレーションを務める木村多江さんが、あこがれだったと語る番台に座って、男湯も女湯も見渡し、その建築のすばらしさを紹介してくれました。続いて、木村さんが訪れるのはフランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新が設計した名建築「自由学園明日館」です。


  この建築は、大正10年(1910年)に建てられたといいます。すでに100年以上を経ているのですが、驚くことにこの建物は「動態保存」という保存方法を用いており、現在も現役として利用されつつ保存されているのです。もともと学園ですので、子供たちの教育の場なのですが、光がふんだんに入る講堂やすべての人々が対面して食事をとる食堂は、まるでハリーポッターに出てくるフォグワースを思わせる様々な工夫に溢れています。


  番組では、この建物の中で開催されているオカリナの市民講座の様子を映しており、高齢の受講者たちがここに通ってくることを楽しみにしながら、永年オカリナを葺いている姿に感動しました。


  いよいよ番組も佳境に入っていきます。次なるレトロ兼特は、こだわりの職人技が光る建築物となります。


■レトロ建築のツボ その4:手仕事が生み出す華やぎ

  京都に銭湯?その意外な銭湯は北区所在の「船岡温泉」です。こちらの銭湯もレトロと言えば負けていません。大正昭和の香りをまとった内装はなつかしさでいっぱいで、京都らしく木船医師のある露天風呂や脱衣所を囲むように彫り込まれた京の祭りの欄干など見どころに溢れています。しかし、番組で紹介するのは、職人技と言えるマジョリカタイルの美しさです。


  マジョリカ焼とは、イタリアのマヨリカ焼が発祥の彩色タイルのことですが、19世紀半ばにイギリスのミルトン社、ウエッジウッド社が制作したマジョリカタイルが世界に流行しました。日本でも輸入されましたが、その値段が硬化であることから和製摩距離方いるが開発され、大正から昭和10年代にかけて多く生産されました。大半は輸出されましたが、2から3割は国内の建築に利用されました。そのレトロな美しさは、我々の心を捉えて離しません。


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(船岡温泉のマジョリカタイル funaokaonnsen.net)


  そして、もう一つの職人技。これこそフランク・ロイド・ライトによって図面が起こされた旧帝国ホテルのテラコッタです。テラコッタとは粘土を素焼きにしたものをさし、彫刻や土器などに利用されますが、建築に使う装飾としても使われます。


  旧帝国ホテルの本館では、ライトが作図したテラコッタが450万個も使われるため、このテラコッタ製造のために常滑市に「帝国ホテルレンガ製作所」という会社を作り、テラコッタの制作に当たったのです。実は、この会社が現在のINAX社(旧伊那製陶社)に変わったというのはワンダーでした。さらに驚いたことに、この製作所の職人たちの気質は求道的で、実際に焼きあがったテラコッタはライトの作図したものよりも複雑で合理的な造形だったというのです。


  そういえば、人気番組テレ東の「開運 なんでも鑑定団」に旧帝国ホテルのテラコッタが出品され、本人評価額20万円のところ、鑑定結果が250万円となり、本物であることも驚きでしたが、その金額にも驚きました。


  このテラコッタと旧帝国ホテル本館のファサードは現在愛知県犬山市の明治村に移築され、いつでも見ることができます。


  さて、最後のツボは、「■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ」なのですが、本の紹介に至る前に紙面が尽きてしまいました。最後のツボのご紹介は次回に繋げたいと思います。


【建物の歴史は人が紡いでいく】


  さて、今回の小説は、辻村さんが「東京會舘」が大正11年に創業されてから現在に至るまでの物語です。


  東京會舘の建物は、その間に2度の建て替えを行っています。大正11年、創業時の本館はルネサンス様式の洋館で、帝国劇場と並んでモダンで壮麗な建築でした。「民間初の社交場」とのコンセプトで創業された東京會舘は、ホテルの認可が下りずに宿泊施設こそありませんが、バンケットホール、バー、レストランを兼ね備えただれでも利用できる會舘として、長きにわたり日本人に愛されてきた會舘です。しかし、新築1年もたたないうちに會舘は関東大震災に襲われます。未曾有の地震に建物は耐えられたのか。その結末はこの小説でお楽しみください。


  この本館が老朽化のために建て替えられたのは、昭和47年のこと。(ちなみに2度目の建て替えは平成27年(2015年)からはじまり、この文庫本が上梓された平成31年(2019年)に地上30階建てのビルとして竣工しました。)


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(竣工当時の東京會舘と帝国劇場 wikipediaより)


  上巻には、創業時から昭和39年までの5つの短編小説が収められています。


  辻村さんの筆は、人の心の動くさまを見事なタッチで描きだします。東京會舘の歴史を創ってきたのは、この會舘にかかわったすべての人々です。辻村さんは、その時代の會舘の出来事とそこにかかわる人たちのエピソードを語るのですが、それぞれの時代、人の心が動く瞬間を見逃しません。


  第一話。大正1254日、帝国劇場で素晴らしい演奏会が催されました。当時、世界で最も有名な演奏家、ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーが来日し、5日間の公演を行ったのです。作家志望の寺井は、この公演を聴くために都落ちした故郷の金沢から東京へと夜行列車に乗ってやってきます。そして、様々な想いが交錯する中で、寺井はクライスラーのヴァイオリンが奏でる音に心の底から感動します。


  いったい帝国劇場で聞いた奇跡のような音楽は、どこで東京會舘と交わるのか。寺井は、そのクライスラーの演奏に勝るとも劣らない感動を東京會舘で味わうことになるのです。そのワンダー。皆さんぜひこの小説で味わってください。


  他にも「民間の社交場」が戦争激化の中で、東京會舘が政府に徴用されることの無念。戦時下の東京會舘で結婚式を挙げた花嫁はどのように戦争を終えたのか。東京會舘で伝説となったバーテンダーはどのように生まれたのか。高度成長期に新たなスウィーツの開発に尽力した東京會舘の事業部長と菓子職人の意地と信念のぶつかり合い。この小説には、東京會舘と言う建物の中で繰り広げられた人々の心の様々なムーヴメントが詰まっています。


  辻村さんの確かな筆致に感動です。


  新型コロナウィルスは新たなデルタ株の侵攻で四度目の感染拡大フェイズに進んでいます。我々にできることは、手洗い、消毒、そして密の回避です。皆さん、一致団結してこの危機を乗り越えましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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池内紀 ドイツ文学者最後の仕事

こんばんは。


  このブログで敬愛する池内紀さんを礼讃する記事を書いてから10年以上がたちました。


  その池内紀さんが20198月に亡くなったことを知ったのは、2020年に入って本屋さんを巡っているときに「池内紀 追悼」というポップを見つけた時でした。最後に上梓された新書はそのときに購入したのですが、池内さんの言葉を読むことができなくなったと思うと、その本を手に取ることができずに1年以上が過ぎてしまいました。


  前回、亡くなった半藤一利さんの対談本を読んで、ふとその隣に並べてあった池内さんの本に目が留まりました。そして、この本を読もうと思ったのです。


「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」

(池内紀著 中公新書 2019年)


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(新書「ヒトラーの時代」 amazon.co.jp)


【この本が書かれたわけ】


  ドイツ文学と言えば、個人的にはトーマス・マン、ヘッセ、カフカが思い浮かびます。


  最も近くに読んだ池内さんの本は、「戦う文豪とナチス・ドイツ」というスイスに亡命したトーマス・マンが記した日記を解読したエッセイです。トーマス・マンはドイツ文化をこよなく愛し、第一次世界大戦の時にはそのドイツの戦争を擁護し、ドイツ文化のために「非政治的人間の省察」というドイツ独自の体制の在り方を擁護する著作を発表しています。


  しかし、敗戦後には新たに立ち上げられたワイマール共和国を礼讃し、その民主主義をたたえました。ドイツは、第一次世界大戦での敗戦によりヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課せられ、さらに未曾有の世界恐慌のあおりも受け、想像を絶するインフレに見舞われます。1921年には、1ドル=350マルクであったレートが、アッという間に下落を重ね、1923年の11月には1ドル=10億マルクという想像すらできない金額に下落しました。


  こうした混乱の最中、ワイマール共和国では政権を担うべき与党が脆弱であり、小党乱立の状態でまともな政治を行う状況ではありませんでした。ナチス(国民社会主義労働党)の前身であるドイツ労働党もそのなかの一つでしたが、1919年ヒトラーは30歳にしてこの党に入党したのです。


  ヒトラーは、ナチス党の公開討論会でみごとな演説を重ねに重ね、徐々に頭角を現していきます。


  民主主義の根幹をなすのは選挙制度です。ワイマール共和国では議会議員を総選挙で選出し、過半数の議員の票によって大統領が選出される仕組みでした。寄せ集めで立ち上げられた内閣は確固たる政策を打つことはできず、内閣は解散を繰り返します。19307月の解散総選挙のとき、それまで12議席に過ぎなかったナチスは、107議席と大躍進を果たし第二党へと躍り出ます。


  さらに総選挙後に発足した内閣は19326月、組閣3日後に解散し、またしても選挙が行われます。ここで、ナチスは230議席を獲得し第一党となり、内閣の総辞職が重なる中で、大統領ヒンデンブルグは、第一党の党首ヒトラーに首相を要請したのです。


  ここから、民主主義の仕組みを巧妙に利用し独裁を実現していくヒトラーとナチスの謀略がはじまったのです。


  トーマス・マンは、かねてから国家社会主義を標榜し国民をあおるナチスに悲観を繰り返していましたが、19332月にスイスに夫婦で講演旅行に出かけている最中、ドイツでひとつの事件が起こります。それがベルリン国会議事堂炎上事件です。この事件は共産党の若者が議事堂に放火し、全焼した事件ですが、ヒトラーはこの事件を最大限利用します。テロ防止のために、言論の自由や結社の自由などの権利を制限し、権限を首相に集めていくのです。当時、共産党は81の議席を保有していましたが、ヒトラーはその議席を廃止。これにより、288議席を持つナチスが議席の過半数を占めることとなったのです。


  長男からこの状況を聴いたトーマス・マンは、そのままスイスに亡命します。


  ナチスとヒトラーは、こうして独裁の道をひた走り、反体制分子をすべて粛清し、領土を拡大。第二次世界大戦を勃発させ、世界中で4000万人もの民間人と2000万人以上の軍人が命を落としました。あまつさえ、ユダヤ人に対する殺戮(ホロコースト)によって570万人もの命が奪われたと言われています。


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(虐殺施設 アウシュビッツ収容所 jiji.com)


  それにしても、池内紀さんはなぜ最後にヒットラーの時代を描く仕事を成したのでしょうか。


  この本の「あとがき」にこの本を書いたわけが記されていました。


  自らのドイツ文学者の仕事をしながら常に意識にあったとのくだり。「いずれの場合にも、背後に一人の人物がいた。独裁者ヒトラーとして極悪人の名を歴史にとどめた。だが、その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私が様々なことを学んだドイツの人々である。こういったことを、どう考えたらいいのだろう。ついては『ドイツ文学者』をなのるかぎり、『ヒトラーの時代』を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか。誰に課せられたというのでもない。自分が選んだ生き方の必然の成り行きなのだ。」


  そして、文章はこう続きます。「そう思いながら、とりかかるのを先送りにしてきた。気がつくと、自分の能力の有効期間が尽きかけている。もう猶予ができない。」


  池内さんの文章は、常に変わらず、淡々と、しかし瀟洒につむがれていきます。


  この遺作ともいえる最後の本を読んで、改めてこれまで数々の著作で池内紀さんが教えてくれた様々な楽しみと教訓が思い出されてなりません。本当に感謝です。そして、改めて、ご冥福をお祈りします。


【独裁者に成り上がることができた理由】


  話は変わりますが、皆さんは望月三起也という漫画家を覚えているでしょうか。


  そうです、かつて「少年キング」で連載されていた「ワイルド7」の作者です。バイクにまたがって走ることが三度の飯より好きな荒くれ男7人が、警視庁の特別警官隊として無法を持って無法をつぶしていく物語です。毎回、バイオレンスな世界が描かれながらも内側に隠れた正義感をニヒルににおわせて最後にはホロリとさせられる展開がたまらなく面白い名作でした。


  その望月三起也さんが描いた作品に「ジャパッシュ」という名作があります。


  この物語は、ある日本人考古学者がメキシコのマヤ文明の遺跡である石碑を発見する場面から始まります。その石碑には、良く知られた名前が彫り込まれていました。アレキサンダー、アッチラ、ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーと掘られた横には、彼らの生年月日と没年が刻まれていたのです。そして、その最後に刻まれていたのが「ジャパッシュ」。その生年は読み取れますが、没年はかすれており読み取ることができません。


  果たして、この石碑は未来を予言したものなのか。


  翻って、場面は現代日本へとは展開します。主人公である日向光は、生まれながらに「悪」の化身でした。生まれたとき、その目力のまがまがしさに思わず首を絞めてしまおうとする産婆を、逆に殺してしまう恐るべきエピソード。そして、小学生のときに日向は、石碑を発見した考古学者の孫、石狩五郎と同級生となり、その家に遊びに行きます。老学者は日向の生年月日を知って、彼こそが石碑にかかれた「ジャパッシュ」であることを確信し、彼を絞め殺そうとします。しかし、最後の際に慈悲心を感じ、逆に日向に返り討ちにされ、家ごと燃やされてしまいます。


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(望月三起也「ジャパッシュ」 amazon.co.jp)


  日向光は、その後長じると自らの美貌とその弁舌の魅力により、周囲の人間を魅了して親衛隊を組織していきます。その親衛隊は、徐々に拡大していき、「正義」の集団へと拡大していきます。しかし、その「正義」は隠れ蓑にしかすぎません。日向は、とある海運業者に取り入って、そこにはびこる悪をつぶすことにより、会社の経営にまで入り込んで財力を手にします。


  さらに、その「悪」を否定するアジテーションによって日本の民衆を味方につけ、暴力集団テロに対抗する自衛組織「ジャパッシュ」の首領へと駆け上ります。そして、大規模な騒擾を鎮圧するとの名目からついに警察権を手にすることに成功します。


  周囲の大人たちは、日向の立ち振る舞いの胡散臭さを知りながらも、その力を利用して自らの権力を強めようとし、逆に日向に利用され、日向はその人気を不動のものにしていきます。さらに過激派グループの武装集団との対決のために日向は自衛隊の武力さえも操るまでの力を手に入れます。ついには、国民投票によって日本のトップへと登りつめるのです。独裁者の誕生です。


  その徹底して人を利用し尽し、合法的な「悪」を繰り返してすべての権力を手にしていく過程は、まるでヒトラーを描いているようです。


  望月三起也さんは、当初、祖父を殺害された石狩五郎の復讐劇をメインにしたストーリーを構想していたそうですが、日向光の極悪な魅力が読者をとらえてしまい、意図とは異なって「悪」のプロセスを描く物語として人気が出てしまいました。その悪影響を考慮し、自ら連載を打ち切ったといわれています。


  いったいなぜジャパッシュは、独裁者となったのか。


  この本を読みながら望月三起也さんの「ジャパュシュ」を思い出しました。


  さて、話を戻します。今回の本は、フィクションではありません。そこには、歴史的事実が記されているのですが、その視点は本当に池内さんらしい、ウィットにとんだ題材が取り上げられています。


  描かれているのは、ナチス(国民社会主義ドイツ労働党)ができた(改名)1920年からヒトラーがポーランドに侵攻した1939年までの出来事です。編年体の歴史、もしくは歴史小説であれば、ヒトラーが生活保護を受けていた街角の画家からナチスの党首となり、ナチスが国会で第一党に躍り出て首相、そして完全な独裁者となるまでの時代をまるで教養小説の様に描いたかもしれません。


  しかし、池内さんは時系列にヒトラーが権力を手にしていく過程をわかりやすく示しながら、歴史家がスポットをあてていない人々のエピソードを連ねていくという手法をとっています。それは、これまでの池内エッセイの手法の集大成と言えるかもしれません。


  「ナチス式選挙」の章では、南ドイツ、ボ―デン湖の北にあるメスキルヒにおけるナチスのやり方が描かれています。この街の人口は4500人。この町の名前はドイツ語でミサ教会と言う意味であり、古来カトリック中央党の基盤でした。この地では、ナチス党への得票率は1933年のナチス統制下における選挙でさえ、34.7%であり、中央党の得票率は44.4%で議会は中央党に握られていました。


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(ハイデッガーの生地 メスキルヒ wikipedia)


  まず起きたのは、地元新聞への弾圧です。中央党の新聞「ホイベルグ民衆新聞」は、ナチスを批判した報復を受け発行禁止処分にあい、新聞社にはカギ十字が掲げられました。この地区では他に「メスキルヒ民衆新聞」、「メスキルヒ新聞」が発行されていましたが、1935年には廃刊され、残ったのはナチス党の「ボーデンゼー評論」のみとなりました。


  議会でも弾圧がひどくなります。ナチスは1933年、親衛隊などの組織を使って地区の組織の役職者を排除し、親ナチス派の幹部にすり替えます。そして、その年の6月には社会民主党が禁止され、市議会の社会民主党議員もすべて辞職。その後、中央党も解散させられることになり、その年のうちに市議会はナチス一党支配となったのです。


  皆さん、これを読んで今起きている出来事とダブらないでしょうか。そうです。今、香港で起きていることが約90年前にドイツで起きていたのです。読んでいて背筋がゾッとしました。


  今、世界では独裁的な政権が大きな力を得つつあります。独裁政権は自らの基盤となる一部の国民の幸せのために強力な政策を打ち出し、政権基盤を固めます。しかし、自らに盾突く者は容赦なく封殺します。独裁者の世界はいかに効率的な社会であったとしても、「最大多数の幸福」とは程遠い世界なのではないでしょうか。


  池内さんは、文学者人生の最後に我々に強い警鐘を鳴らしてくれました。皆さんもぜひこの本を手に取って、改めてジェンダー(多様性)の重要性に思いをはせてみて下さい。


  それでは今日はこのへんで。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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半藤一利 池上彰 平成を振り返える

こんばんは。

  平成天皇が退位され、令和となって早くもまる2年が経ちました。

  考えてみれば、30代からの31年間を過ごした平成は、私にとって結婚、子供の成長、仕事と人生の実りを経験した貴重な時代でした。思い出せば汗顔の至りなのですが、健康にも恵まれて一生懸命であったことに間違いはありませんでした。

  平成に生まれた子供たちが皆仕事について巣だったことに時の流れを感じるこのごろです。

  今週は、平成時代を振り返る対談本を読んでいました。

「令和を生きる 平成の失敗を越えて」

(半藤一利 池上彰著 GS幻冬舎新書 2019年)

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(新書「令和を生きる」 amazon.co.jp)

【昭和史の歴史探偵とは】

  歴史を語る番組として長く放映されたTV番組「歴史秘話ヒストリア」が3月で終了し、新たに「歴史探偵」という歴史探求番組が始まりました。歴史探偵と言えば、思い起こすのは半藤一利さんです。半藤さんは、文芸春秋社で文芸春秋や週刊文春などの編集長を務めた後、社の役員となりましたが、1995年に退社し、執筆業に専念していました。

  奥様が夏目漱石の孫に当たり、奥様とともに夏目漱石に関する著作もあります。半藤さんと言えば、戦前戦後の昭和史に関する著作が多くあり、昭和と天皇の歴史を語らせれば深い造形を醸し出してくれ、その著作は数々の賞に輝いています。氏は、司馬遼太郎さんとも親交が深く、司馬さんがその執筆を志しながらも、構想の段階で亡くなったのちに「ノモンハンの夏」を執筆。その先頭の悲惨さとその後太平洋戦争へと突入した日本軍部のあまりにも狭量で傲慢な作戦を赤裸々に描き、昭和史の悲劇をみごとに描きました。

  その半藤さんは今年の112日、90歳で亡くなりました。

  昭和史と言えば、太平洋戦争の敗戦は最も記憶されるべき出来事でした。その終戦聖断の24時間を追った「日本のいちばん長い日」という作品は、映画にもなり、戦後生まれの我々をワンダーに導いた渾身のノンフィクション作品でした。この作品が世に出たのは1965年ですから、すでに半世紀以上がたちました。

  当時半藤さんは文芸春秋社に勤務するバリバリの編集者であり、この本は、文芸春秋社で行われた28名による終戦の日の座談会として企画され、語られた言葉に触発され、半藤さんがさらに取材を重ねて執筆した本でした。

  当時は、文芸春秋社の営業政策上、社員の執筆した本として出版せず、当時ノンフィクションライターとして高名であった大宅壮一編集の本として上梓されました。その後、半藤さんが社を退職し、作家となった1995年に半藤一利名義で「決定版」として再版されました。

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(映画「日本のいちばん長い日」 amazon.co.jp)

  今回の対談本を見つけたのは、平成が終わり令和になってすぐのことでしたので、はや2年がたちます。本屋巡りをしていて、「平成とは何だったのかを考えなくては。」という思いと、もはやレジェンドとなった半藤さんとわかりやすさで定評のある池上さんの対談をぜひ読んでみたいとの思いから、すぐに手に取ったのですが、なぜか、読み始めることがありませんでした。

  しかし、半藤さんが亡くなり、本棚を眺めていて半藤さんをしのぶとの意味も感じて読むことにしたのです。

  お二人の対談は、本当に面白かった。

【平成という時代は何を残したのか】

  上皇陛下が天皇を退位され、平成が終わるとき陛下の語られた言葉はとても印象的なものでした。

  それは、8月退位に当たってのビデオメッセージ、そして85歳の誕生日の記者会見でのお言葉ですが、

  「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

  としたうえで、一貫して戦争の歴史に向き合われてきたことに関し、

  「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」

と語られていました。

  確かに平成のときに日本国内では戦争はなく、平和な時代でした。しかし、その間、日本は幾多の災害に見舞われました。雲仙普賢岳の大噴火、阪神淡路大震災、度重なる豪雨災害、そして東日本大震災。こうした災害がおきるたび、上皇陛下は上皇后さまとともに被災地に赴いて非難されている人たちの手をとって励まし続けてきたことは、陛下の象徴としての自らの在り方を行動として体現されてきたものと、心より敬意を感じてきました。

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(被災地に訪問される両陛下 kunaichou.go.jp) 

  そんな平成をこの対談では、三題噺ではじめます。

  その口火は半藤さんが切るのですが、そのキーワードは「災害、平和、インターネット」でした。さらに半藤さんの友人は、この話を受けて「大衆の消滅、情報革命、共感」を挙げたと言います。この話を振られた池上さんは、「閉塞感、内平外乱、情報革命」と語りますが、ここからお二人の「平成噺」がはじまります。

  お二人の語る平成のテーマは、目次を見るとよくわかります。

はじめに

第一章 劣化した政治、最初の岐路

第二章 災害で失われたもの、もたらされたもの

第三章 原子力政策の明らかな失敗

第四章 ネット社会に兆す全体主義

第五章 誰がカルトを暴発させたのか

第六章 「戦争がない時代」ではなかった

第七章 日本経済、失われ続けた30

第八章 平成から令和へー日本人に天皇制は必要か

おわりに

  目次を見ただけでもお二人の語りに期待が膨らみます。

  この31年間、皆さんは何を思い出すでしょうか。目次を見れば、自民党政権が崩壊し、社会党政権となり、さきがけ政権、民主党政権、そして自公政権と一見目まぐるしく変わった政権が、実は何も変わっていないという衝撃の真実。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、マーク・ザッカーバーグによって世界中を席巻したネット、スマホ社会の滲透。オウム真理教による地下鉄サリン事件を始めとするカルト集団のテロ攻撃。湾岸戦争から多発同時テロ、そこから始まるアフガン侵攻とイラク戦争。そして、バブル経済とその崩壊、リーマンショックと非正規雇用の世界。

  果たして我々日本人は進歩したといえるのでしょうか。

【我々は日本と地球を守っていけるのか】

  この本の面白さは、いくらでも語れるのですが、そこは是非この本を読んでお楽しみください。

  今回は、この本にちなんで平成時代を少し考えてみたいと思います。

  「平成」の日本は、昭和のモーレツ時代に構築してきた価値観が通用しなくなった時代です。モーレツ時代の象徴のようなバブル経済は平成とともに崩れ去り、経済的には長い低迷期が訪れました。平成生まれの世代では、「競争」という言葉に魅力と価値が消え失せ、ゆとり教育や「世界に一つだけの花」に象徴されるように「頑張らない」ことが大きな価値を生み出します。

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(一世を風靡した小川ローザのCM yahoo.co.jp) 

  我々も「儲けること」の価値が揺るぐ中で新たな行動の指針を見つける必要に迫られます。

  現代日本では、かつての行政単位であった村や藩は、組織としての企業にとってかわられ、企業が、人が集まり交わる場となりました。平成には、この企業の価値観を揺るがす考え方がいくつも生まれてきました。

 平成から令和にかけて、いくつかのキーワードが企業内に大きな波紋を投げ掛けています。

 まずひとつは、「コンプライアンス」です。

  私は金融業界に身を置いていますが、初めてこの言葉を聴いた時に命じられた仕事が「個人情報保護法」への対応でした。ご存知の通り、金融機関は銀行を筆頭に顧客情報として、必ず個人情報を集めています。個人情報保護法は、組織に対して個人情報の管理を厳重に求まる法律です。そこには、「安全管理措置」の条鋼があり、個人情報を取り扱う問いには、取り扱う職員以外にその情報が洩れることがないように脳死措置を取る必要があるというのです。

  個人情報は紙とデータによって管理されています。個人が特定できる情報を「個人情報」、2つ以上の個人情報が複数あわされた情報を「個人データ」といいます。これは、企業の職場ごとに施錠して管理する必要があり、職場内においてはカギのかかる保管場所の確保、顧客が情報にアクセスできないよう衝立やドアで安全管理措置を行わなければなりません。

  「コンプライアンス」とは法令順守のことですが、個人情報保護法を遵守するためには、物理的な安全防止措置と情報を管理するためのsy内規定とルールを定め、そのコンプライアンスを徹底する必要があったのです。

  この作業には膨大な予算と労力が必要であり、3カ月ほど土日出勤をして社内のルールを作成し、すべての職場、店舗で安全管理措置(お客様との隔離)を実施したことは忘れられません。当時は、あまりに負荷が高いため、「コンプライアンス倒産」と言う言葉まであったほどでした。

  「コンプライアンス」はその後形を変え、現在その中心は「ハラスメント」へと動いています。

  もうひとつのキーワードといえば、「カーボンニュートラル」です。これは、京都議定書に象徴されるように環境問題が語り始められた平成の時代を象徴しています。我々が産業革命によってもたらした二酸化炭素は、地球を守るオゾン層を破壊し、この地球に恐るべき温暖化をもたらし、地球上に温度上昇と大きな気候変動をもたらしています。「カー分ニュートラル」とは、我々が排出する二酸化炭素をゼロ(ニュートラル)にする取り組みです。企業内でも投資部門などを筆頭に、この問題に取り組むことが大きな成果につながることが注目されています。

  菅総理は先日2050年に温室効果ガスの排出をゼロにする、というボンニュートラル宣言を世界に発信しましたが、これこそが平成に新たに生まれた重要な価値観と言ってもよいのではないでしょうか。

  さらに、令和につながるキーワードは「ジェンダー」です。

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(国連のSDGsポスター unic.or.jp)

  この言葉は、「多様性」をさすのですが、平成にこれほど重要な言葉が語られることになったのは歴史に留められる出来事と言っても過言ではありません。地球規模では、動植物の種の絶滅、パンデミックを発生させる様々なウィルスなど、多岐にわたりますが、日本人社会においても極めて重要なキーワードです。「人」の世界では、人種差別や男女差別、LGBT問題など、語り始めればいくらでも語るべき課題が並んでいます。

  例えば、トイレの問題。我々は日本のトイレが男女に分かれていることが当たり前ですが、「ジェンダー」を考えるときにこれが問題になります。LGBTを考えれば、トイレが男女に分かれていることで、外出を怖がる人たちがたくさんいるという事実に我々は気づきません。LGBTには、街に入れるトイレがないのです。

  そこで、現在「だれでもトイレ」が増えています。これは、従来は「障がい者用トイレ」と呼ばれてきたトイレのことですが、男女の区別なく利用ができるということで、多様性の考え方によくマッチする、万能なトイレとなります。

  しかし、ここで問題となるのが、「誰でも」という点です。

  障がい者用トイレには、オストメイトという設備がつけられています。世の中には、様々な障がいによって直接排泄することができない方がたくさんいます。その方々は、常に排泄用の容器を体に着けて日常の生活を送っています。こうした人々は、容器にたまった排泄物を処理するためにオストメイト装置が必要です。また、車いすの方はその大きさから通常のトイレに入ることができません。障碍者用トイレは、入り口も室内も車いすが利用できるだけの間口と広さを備えており、車いすの方が安心して利用できるのです。

  ところが、「誰でも」トイレにすることで、利用者が増加する点に問題があります。男女問題で利用することは良いのですが、このトイレ以外に利用できない方が使いたいときに使えない、という事態が起きているというのです。それは、誰でもトイレが広くて気持ちいい、子供と一緒に使っても邪魔されない、空いていつでも入れるなどの理由で、特に必要がないにも関わらずに利用する人々がふえているということです。現在では、「障がい者用トイレ」と「誰でもトイレ」を別々に設置する施設も出てきています。しかし、これにはスペースと予算が必要となるのです。

  「多様性」にも様々な問題がある、ことをすべての人々が心に留めておくことが重要なのです。

  こうした新たな考え方は、現在国連によってSDGs(持続可能な開発目標)にまとめられており、そこには17の項目と目標が掲げられています。そのキーワードは「サステナブル」です。

  令和を生きるとは、まさにこのことなのかもしれません。

  皆さんもこの本を読んで、それぞれの令和を考えてみて下さい。新たな日常を見出すことができるかもしれません。

  今回は長話になりました。それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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宮城谷昌光 呉越春秋ついに最終巻!

こんばんは。

  宮城谷昌光さんが描く中国の春秋時代。その魅力は尽きることがありません。

  今週は、ついに最終巻を迎えた文庫版「呉越春秋」を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 九」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2020年)

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(文庫版「呉越春秋 第9巻」 amazon.co.jp.)

【ライフワークともいえる大作】

  宮城谷さんと言えば、12年の歳月をかけて書き上げた「三国志」はまさにライフワークと言ってもよい作品ではありますが、この「呉越春秋」も匹敵する面白い作品です。

  「小説現代」に作品の連載がはじまったのは、2009年7月号のこと。そこから単行本を経て最初の文庫本が発売されたのが、2013年のことでした。雑誌への連載は、営々と書き進められていき、最終回を迎えたのは2018年8月号のことでした。実に書き続けられたのは、9年間。まさにライフワークと言っても過言ではありません。

  さらなる驚きは、その奥深さと面白さです。

  9巻に渡る文庫本の発売は、完結までに7年を費やしました。呉の宰相であった伍子胥(ごししょ)を描く巻が6冊、越の宰相である范蠡(はんれい)を描いた巻が3冊。その壮大な物語には、宮城谷さんのエッセンスがすべて盛り込まれています。

  宮城谷さんは、生きた物語を描くことを信条にされています。この「呉越春秋」もはじめには「范蠡」を主人公に物語を開始するはずでした。物語の「あとがき」には、この小説の開始に当たってなかなか書き出しを定められなかったご苦労が語られています。

  「・・・ひとつのイメージにこだわった。少年の范蠡が、のちに暗殺者となる呉の鱄設諸(せんせつしょ)と会うシーンからはじめたい。だが、このシーンには暗さがつきまとっている。冒頭が暗ければ、小説全体が暗くなってします。それがわかるので筆が竦んでしまうのである。」

  宮城谷さんの小説は、常に凛とした颯爽とした気分が全体を支配しています。今回の「呉越春秋」は水を意識して書いている、と著者が語っていますが、その水は濁っているものではなく、常に淡い透明度を保ちながら、しなやかに時には激しい潮流を生み出しているように思えます。そうした意味で、あとがきにかかれているこのご苦労のおかげで、この小説はこれだけ長きにわたり語られることになったのです。この面白さを導き出してくれた伍子胥に感謝です。

  ここで語られる幼い范蠡と鱄設諸が会うシーンとは、小説の第4巻に描かれているのですが、確かにそこには、そこはかとない暗さがつきまといます。しかし、このシーンはこの物語に范蠡が初めて登場する重要な場面となるのです。以前のブログを読んだ方はご存知ですが、鱄設諸は伍子胥を腹心とする呉王闔閭が前王を暗殺する、まさにその暗殺者となる人物なのです。

  そして、その鱄設諸が訪れるのは、楚の国で大きな力を持つ商人(賈人)である范氏の屋敷です。伍子胥の命を受けた鱄設諸は、范氏に黄金の盾の制作を依頼するために楚の国まで赴いたのです。そして、このエピソードがはるか後、范蠡が越の国の宰相となり、越が最後の復讐を成し遂げる場面への伏線へとつながっていくのです。

  その伏線の妙はぜひ最終巻で存分に味わってください。

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(「呉越春秋」の登場人物関係図  文庫本付録より)

  全巻を読み終えてみると、1巻から6巻までの伍子胥編、7巻から9巻までの范蠡編、それぞれの宰相の徳と個性の違いを味わうことができる長い物語でした。

  伍子胥は、一族が代々楚国の王室を助ける役目を担ってきた中では、最も大きな徳を備えた宰相でした。楚への復讐という目的はありましたが、呉の王、闔閭の側近として政治と軍事を支え、楚を滅ぼすほどの国力を実現しました。一方。呉への復讐をなすために越の政治と軍事を支えた范蠡は、代々商家を営んできた一族の末裔であり、政治家や官僚、軍人たちよりもその視野は広く、さらに懐が大きな人物として描かれています。

  呉と越の長年にわたる抗争もついに終わりの時を迎えます。その2国を支えた伍子胥と范蠡の物語も。この第9巻でいよいよ最後を迎えます。

【復讐するは我にあり】

  今回の大長編作は、一言でいってしまえば壮大な復讐の物語です。

  復讐と言えば、「復讐するは我にあり」という題名が有名ですが、この言葉は新訳聖書からの引用だそうです。言葉から受ける印象は、復讐を成すべく、決意を披露したように受け止められますが、この言葉は、神が人に向かって語った言葉なのです。それは、復讐は神に任せなさい、と諭したことに神が答えた台詞です。つまり、悪人への「復讐(報復)」は神がおこなう、という意味なのです。

  人は心に負った深い傷を、それを負わせた相手に復讐することで晴らそうとします。

  これまで、呉越春秋の物語で壮大な復讐劇を演じるのは、呉の王と越の王でした。「臥薪嘗胆」とはこの物語から発せられた言葉。それは、恨みを忘れないために薪の上に寝て痛みを思い出し、苦い肝をなめてその苦さで恨みを思い出す、という意味です。

  楚の国から亡命した伍子胥は、流浪の末、呉の国の公子光の右腕として仕えましたが、公子光は時の王をクーデターで暗殺し王となり、闔閭と名乗りました。闔閭は参謀の伍子胥と孫武とともに楚に攻め込み、滅亡の淵に追い詰めます。しかし、その都を制圧し楚王を追撃する最中、本国が越に攻め込まれたとの急報に接します。急ぎ引き返した闔閭は、越の王、允常率いる軍を追い払うことに成功します。

  このことを恨みに思った闔閭は、10年後、允常の跡を継いだ勾践が王となった越へと攻め込みます。しかし、待ち構えていた勾践の策略にはまり、敗退。撤退時に負った弓矢の傷によって闔閭は亡くなります。闔閭は死に際に跡継ぎの夫差を呼び、必ず越の勾践に復讐せよ、と遺言したのです。夫差は父親の恨みを忘れることがないよう薪のうえで寝たということです。

  夫差は、国力を蓄えちゃくちゃくと復讐の準備を整えます。このままでは、富国強兵の呉に攻め込まれると考えた勾践は、先手を取って呉に攻め込もうと計画します。しかし、情報収集にも疎漏のない伍子胥は、この計画を事前に察知します。そして、準備万端整えた呉軍は、攻め込んできた越を迎え討ち、見事勝利を収めました。降伏した勾践は、命乞いをします。処刑を主張する伍子胥の言を夫差は受け入れず、勾践の命を救いました。

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(「呉越春秋」時代の中華 文庫本付録より)

  勾践は、捕虜となって呉の国に幽閉され、奴隷同様の生活を送ります。しかし、その苦難を飲み込んで、表向きは呉への忠誠を誓い、復讐の心をひた隠しにしてすべてを耐え忍びます。勾践は、その恨みを忘れることがないよう、幽閉を解かれ越に帰還してからも自らは倹約に倹約を重ね、越の民を富ませ、兵力を増強することに全力を注ぎます。そして、苦い肝をなめてこの恨みを忘れないように肝に銘じたのです。

  この長編、呉越春秋は臥薪嘗胆の物語なのですが、宮城谷さんが描いたのは、決して夫差と勾践の復讐の物語ではありません。

  そこに描かれたのは、伍子胥が実現したあまりにも巨大な復讐劇と范蠡の復讐を超えた身の処し方なのです。

【伍子胥と范蠡の壮大な復讐劇】

  宮城谷さんは、これまでも数々の古代中国を描く小説で、人の志の大きさと人が織りなす世の不思議さを描いてきましたが、今回の「呉越春秋」も伍子胥と范蠡を中心に据えて、様々な人々の心の在り方とその交流を描いています。

  曰く、「伍子胥を楚都の津(みなと)に立たせることに決めると、小説世界がむりなくひらけた。」と語っています。楚の名門、連尹家の次男として生まれた伍子胥には、人を魅了するパワーに満ち溢れています。

  小説の伍子胥編は、最初から最後まで伍子胥の人としての大きさと、その魅力にほれ込んだ多くの人々によってその小説世界が構築されています。

  小説の始まりは、楚の国で大臣を務め王子の教育係をまかされる父、五奢と兄の五尚のもとで過ごす伍子胥の旅姿からはじまります。そして、父のライバルである費無極の陰謀と讒言によって、父と兄は平王から死を賜ることになります。伍子胥は、旅の中で慕ってきた仲間たちとともに、処刑場に連行された父と兄の救出を試みますが、その分厚い警護に阻まれて、寸でのところで救出に失敗します。

  こうして、伍子胥は慟哭し、楚の平王に対する復讐劇がはじまるのです。

  第1巻から第6巻までに語られる伍子胥の物語は、復讐が目的ではありながら、一人の人間が人々の間で成長を遂げ、ついには一国の宰相までに押し上げられていく姿が語られています。その姿は、かつて宮城谷さんが描いた流浪の王、際の重耳(ちょうじ)の姿に重なります。そして、その戦略のみごとな様は、これまた名作である、中山国を守り抜いた名将楽毅の姿を彷彿とさせます。それは、復讐と言うよりも人生そのものと言ってもよいのではないでしょうか。

  そして、今回の最終巻では、伍子胥のライバルともいえる越の宰相である范蠡の物語も完結することになるのですが、そこでは悲しい伍子胥の最後も描かれます。。

  さて、范蠡の復讐とはどのようなものでしょうか。

  范蠡は楚の国で商家を営む范家の出身です。しかし、范家はある日何者かによって襲撃を受け、蓄えた財産をすべて奪われてしまします。そのときに伍子胥が政策を依頼した黄金の盾も行方が分からなくなってしまったのです。さらに、親族はすべて殺され、范蠡は天涯孤独の身となるのです。范蠡には幼くして婚約した相手がいました。その名は西施。後に絶世の美女といわれた彼女は幼き日に范蠡と言い名付けだったのです。

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(越の国へと引き渡される西施 文庫本挿絵より)

  ところが、運命は二人を引き裂きます。その後西施は、その美貌から越王の側室となりますが、越王が呉の夫差に敗れたとき、人質の一人として夫差のもとに入ります。范蠡は、元の婚約者の存在を心に留めながらも、なすすべなく過ごすしかありませんでした。

  心に大きな傷を負った范蠡ですが、越王 勾践が嘗胆の末に呉に勝利し、夫差が自死した後には、その復讐を成し遂げるチャンスが巡ってくるのです。しかし、呉から戻ってきた西施は、一度呉王のものとなったために越王から疎まれ、越に帰国するや幽閉され、あまつさえ、邪魔な存在として湖に沈められることになるのです。

  生死と父親の敵。范蠡の復讐劇がどのような形で終わるのか、その顛末が最終巻では語られることになるのです。

  そして、そのあざやかな身の処し方は感動的です。

  宮城谷さんの本を語ると話はいつまでも続きますが、紙面もつきました。本日はここでお開きとします。皆さん、どうぞ最終巻をお楽しみに。

 

  昨年に続き、今年のゴールデンウィークもコロナウィルスに翻弄され、外出もままなりません。しかし、ワクチン確保もめどが立ち、まさに、ここが我慢のしどころです。皆さん、手洗い、消毒、マスク、密回避を徹底し、ウィルスに打ち勝ちましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

 

 

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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