篠田謙一 遺伝子が語るグレートジャーニー

こんばんは。

  「好奇心」は、我々人類にとって不可欠な要素です。

  2013年に制作された「人類20万年 遙かな旅路」から10年が経ちました。この番組はイギリスBBCが制作したドキュメンタリー番組。医師で解剖学者であり、古代病理学者でもあるジュリア・ロバーツ博士が、アフリカで一人のイヴから生まれたホモ・サピエンスが6万年以上前にアフリカから全世界へと拡散していった足取りを実際にたどっていく、素晴らしい番組でした。

  その旅路は2016年に本となり、その文庫版をブログでも2回にわたって紹介しました。

  当時、ゲノム情報から遺伝子情報を解析して先祖をたどっていく研究が始まっており、世代を経る中でもミトコンドリア内に引き継がれるミトコンドリアDNAは、子々孫々の女性に変わることなく引き継がれていくことがわかっていました。そして、現代人の持つミトコンドリアDNAから起源をさかのぼっていった結果、我々ホモ・サピエンスは人属唯一の種であること、そして我々は20万年前にたった一人のイヴから生まれたことが突き止められたのです。

  そして、世界中へと拡散していったホモ・サピエンスの軌跡を当時最新の考古学の知見を駆使して紹介してくれたのがこの本でした。

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(文庫版「人類20万年 遙かなる旅路」amazon.co.jp)

  あれから10年。科学の世界は人類の「好奇心」を武器に新たな知見を重ねています。

  今週は、人類の起源とグレートジャーニーを、DNAを駆使して解明する最新研究本を読んでいました。

「人類の起源ーDNAが語るホモ・サピエンスの『大いなる旅』」

(篠田謙一著 中公新書 2022年)

【着々と進化する古代DNA解析の現場】

  この本のDNAワンダーは、第一章から第二章にかけて語られます。

  古代人類の歴史と進化は、これまで考古学としての化石の発見によって紡がれてきました。

  我々の学名「ホモ・サピエンス」とは、「賢い人」という意味だそうです。(クロアチア侵攻を考えると学名には大いなる疑問がありますが・・・)学名は、前半が属名、後半が種名となるので、ホモ(人)は属名で、サピエンス(賢い)は種名となります。現在、地球上でこの属名をもつ人類は我々だけとなっています。ホモ(人)属には、ホモ・ネアンデルタレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・エレクトスなどが知られていますが、すべて絶滅し現存していません。

  また、700万年前、チンパンジーから変異した我々は、その後、猿人、原人、旧人、新人という段階を経て進化してきたといいます。

  化石の発掘と解析による古代人類史は、150年に渡る歴史を持ち人類の歴史を解き明かしてきました。化石の発掘と解析に基づいた仮説は、様々に展開され、長い間、ネアンデルタール人や北京原人、ジャワ原人などは我々の祖先であり、ホモ・サピエンスはここから進化してきたと考えられてきました。

  そこに登場してきたのが、遺伝子DNAを利用した古代研究です。

  かつて、ゲノム解析にはとてつもない時間と費用がかかりました。ヒトのゲノムは30億個の塩基を持ちますが、かつてその解析には、13年、4300億円の費用がかかったといわれています。ところが、解析技術は驚くほどの進歩を遂げ、次世代シーケンサーの飛躍的な進化により、現在は数時間、費用も140万円くらいで30億個の塩基の解析が可能となりました。

  かつては、化石の復元や比較などによって行ってきた解析ですが、現在では化石として見つかった骨のゲノム解析を行うことで、様々な仮説を導き出すことが可能になったといいます。しかし、難しいのは古代の化石自体の発見が難しいことと、化石には多くの別のゲノムが混入しているため、解析の正確性を保つことが必要となることです。

  古代DNA解析は、人類の起源解明に新たな光をもたらしています。たとえば、我々とは異なる種であるネアンデルタール人について、デニソワ洞窟の発掘から新たな発見がありました。この洞窟は、ロシアと中国とモンゴルの国境近くアルタイ地方にありますが、ここから2010年に発掘された化石の解析により新たな旧人が発見されたのです。

  発掘されたのは、指の骨と臼歯でしたが、そのDNAを解析した結果、その骨はホモ・サピエンスともネアンデルタール人とも異なる未知の人類の骨だったのです。その人類は洞窟の名を取ってデニソワ人と名付けられました。この洞窟は、ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・サピエンスの3つの人類によって利用されていたのです。

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(デニソワ人とホモ・サピエンスの関係 nikkeibp.co.jp)

  そして、ネアンデルタール人もデニソワ人も絶滅しているのですが、彼らはホモ・サピエンス以前にグレートジャーニーを行っていたことがわかっています。さらには絶滅前にはホモ・サピエンスとも交雑しており、デニソワ人のDNAはパプアニューギニアの人々に受け継がれているというのです。すでに絶滅した旧人たちの遺伝子は、我々ホモ・サピエンスに引き継がれているのです。

【誕生の地アフリカでのホモ・サピエンス】

  第三章では、アフリカにおける人類の歴史が語られます。

  我々ホモ・サピエンスがアフリカで最初のイヴによってこの世に誕生したことはミトコンドリアDNAの解析から間違いがなさそうですが、その時期については明確にはなっていません。

  というのも、ゲノムデータの解析が進むと、ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人など、絶滅してしまったホモ属との交雑を続けていることが明らかになり、さらにはホモ・サピエンス同士の結婚でも数10万年を経るうちに環境によって遺伝子の変異が起こっておるため、現代人のゲノムのみから解析できる事実には限界があるためです。

  現在、アフリカで発見されているホモ・サピエンスの最古の化石は30万年前のものですが、それ以前の化石はアフリカでは発見されていないのです。しかも、アフリカは熱帯であり砂漠が多く存在しており、化石人骨にDNAが残りにくいため、古代DNAの解析が進んでおらず、最古のDNA15000年前の人骨からのものといいます。

  現代人のゲノムデータの解析からホモ・サピエンスの世界展開は6万年前以降ということがわかっていますが、アフリカからイスラエル近くまでのアジアではもっと古い化石も発見されており、出アフリカと世界展開とは必ずしもい一致するものではないようです。

  DNA解析によるワンダーは、変異を続けてきたホモ・サピエンスのミトコンドリアDNA(女系継承)とミトコンドリアY染色体(男系継承)をたどることによって、ハブロタイプと呼ばれる特徴を持つ配列を特定してさかのぼることによってその祖先を知ることができるという解析です。

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(篠田謙一著「人類の起源」amazon.co.jp)

  現在、我々ホモ・サピエンスは、世界中を席巻していますが、住む地域によって言語も違えば見た目も異なります。それは、環境や食べ物、生活形態によって遺伝子が変異することで違いが発現するのですが、実は現存するホモ・サピエンスは、すべてが同じ属と同じ種に分類される生き物なのです。

  ホモ・サピエンスが出アフリカを果たすまでには少なくとも10万年以上が経過しており、我々がアフリカ(またはその周辺)で過ごした時間は、世界に展開した時間に比べれば気が遠くなるほど長いのです。その証拠にアフリカの人々は、我々ホモ・サピエンスの持つ遺伝子の多様性のうち85%を備えていることがゲノム解析で判明しているのです。

  このことは、世界の言語のうちアフリカの人々の使う言語は2000種類にのぼり、その種類は世界中の言語の1/3に当たる、という言語学的な数値とも整合しています。こうした事実を知ると、改めてアフリカの人々を奴隷として売り買いし、長きに渡り差別してきた歴史がいかに恥ずべき事実だったのかを思い知らされます。

  この本は、我々が最も長い時間を過ごしたアフリカにおけるホモ・サピエンスのワンダーを分析した後、いよいよ世界へと展開していった我々ホモ・サピエンスの歴史をDNAデータから語っていくことになるのです。

【グレートジャーニーのワンダー】

  これまでの考古学的な研究(遺跡や石器、はたまた化石や骨格)から、我々ホモ・サピエンスは6万年前頃にアフリカを出て、その後数万年を費やして地球上のすべての大陸、そこに連なる島々にまで進出していったことが判明しています。一言で6万年といいますが、「歴史」と言われるホモ・サピエンスの営みはほんの数千年分しか記録されていません。

  我々がアフリカを脱出してグレートジャーニーの旅に出てから、ホモ・サピエンスは旧石器時代、中石器時代、新石器時代、狩猟採集時代、農耕牧畜時代へと進化してきました。そして、その長い時間の間に我々は、様々な交配を繰り返して変異を続けて現代のホモ・サピエンスに変貌してきたのです。地球は、誕生からの長い歴史の中で氷河期と氷間期を繰り返してきたと言われます。直近の氷河期は20万年前から12万年前まで続き、そこを乗り越えてきた我々は、現在、氷間期を生きてきました。しかし、氷間期の間にも寒暖は繰り返されます。たとえば、最終氷期極大期は2万年ほど前に全世界を覆い、地表の25%が氷で覆われ、海面は現在よりも125mも低かったといわれています。

  こうした中で行われたグレートジャーニー。この本では、古代DNA研究によって明らかになった事実を次々と語っていきます。第四章ではヨーロッパへの進出、第五章ではユーラシア大陸から東アジアへの進出、第六章では我々の日本列島への進出、そして第七章ではアメリカ大陸への長い旅をひもといてくれるのです。これまでの考古学で提唱された様々な仮説は、古代DNA解析によって新たな展開を迎えることになったのです。

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(1万年前のイギリス人チェダーマン復元 realsound.jp)

  これまでの考古学的な仮説は、より古い年代のホモ・サピエンスの化石が発見されるたびに新たな仮説へと進化してきました。古代DNA解析も古い時代の遺跡発掘によるDNAが発見されることで新たな発見を加えていくことになります。その発見はまさにワンダーです。

  たとえば、アメリカ大陸におけるホモ・サピエンスの旅は古代DNA解析によって新たな展開を迎えてきました。

  コロンブスがアメリカ大陸を「発見」するまで、アメリカにはアジア人そっくりのインディアンたちが暮らしてきました。彼らは、発掘された遺跡の年代とその骨格研究などから13千年ほど前にベーリング陸橋を渡ってアメリカ大陸へと移動したと考えられていました。彼らは5000人ほどの集団から瞬く間に北アメリカから南アメリカへと移動し、最南端へとたどりついたのです。

  その祖先はどこからやってきたのか。古代DNA解析は驚きの事実を我々に教えてくれるのです。

  北アメリカやアジア側のシベリアの遺跡から発見された古代DNAを解析し、アメリカ先住民の最初の分岐までさかのぼると、祖先は、アフリカから東アジアへと移動してきた集団がさらに北上し、シベリアで24千年前に生まれたことがわかりました。これまでも考古学的な研究からアメリカに移動したとされる13千年という年代とシベリア側で発見された遺跡の24千年前との年代の齟齬は議論されてきましたが、DNA解析により明確となったのです。

  1万年もの間、アメリカ先住民の祖先はシベリアで何をしていたのか。氷で閉ざされたベーリング陸橋。彼らは陸橋が渡れるようになるまでどこかで待っていたのでしょうか。そのなぞは、この本で解読してください。古代DNA解析によってわかる最大のワンダーは、アメリカ文明を「発見」し、古代文明を破壊して彼らを駆逐した15世紀のヨーロッパの人々とアメリカ大陸の先住民は同じDNAを持つホモ・サピエンスであったという事実です。

  我々の歴史は殺戮の歴史です。しかし、この本を読んでわかるのは、殺戮を生んでいるのはたった0.1%のゲノムの違いなのです。それ以外の99.9%は全く同じホモ・サピエンスが0.1%のために殺し合う。その不条理な事実に愕然とします。

  現在侵略戦争をおこなっているロシア人と、無垢な命を奪われているウクライナ人は兄弟だと言われます。それ以上に、我々人類は兄弟をも超えてさらにそのDNAは濃く、同じホモ・サピエンスなのです。我々は、一刻も早くそのことに心を寄せなければならないのです。

  それは皆さんお元気で、またお会いします。


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指揮者が語るベートーヴェンの交響曲

こんばんは。

  このブログは、もともとハンドルネームのとおり「人生の数々の楽しみ」を言葉にしていくことを目的に始めました。

  その原点が、「本」であり、「音楽」であり、「映画」であり、アスリートたちの輝きでした。

  中でも、言葉を読むことの楽しみは格別です。我々は「言葉」を発明したことによって、地球上の他の生命から枝分かれをして「特別な」存在へと進化しました。そして、言葉はあらゆる事物や事象を語ることができる「無限」の可能性を持つ道具です。そこで、ブログの中心は、大好きな本の感想をその中心とすることに決めました。

  「音楽」もあらゆる事々を表現できる、という意味では言葉と同じ力を持っています。しかし、その魅力は「音楽」を聴くことによって我々の心を動かしてくれるもので、どんな「音楽」に心を動かされるのかは、一人一人のすべての人間の個性とつながっています。

  音楽本を読む楽しみは、本来は聴かなければ味わうことができない感動を「言葉」で味わうことができることに他なりません。

  先日、新たな人生の楽しみを見つけるためにさいたま市の「生涯学習相談センター」に足を運びました。相談の後、センターの入居する大宮シーノの中に桜木図書館があることを思い出しました。図書館で本やCDを見ている時間は、まさに至福の時間です。CDのコーナーでは、上原ひろみとエドマール・カスタネーダというジャズハープ奏者とのライブ盤を発見、さらにリッキー・リー・ジョーンズのアルバム、そのほか6枚ほどのCDを借り出しました。音楽本のコーナーに行くと、そこで発見したのはブログを始める以前に読んだ本でした。

「ベートーヴェンの交響曲」

(金聖響 玉木正之著 講談社現代新書 2007年)

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(「ベートーヴェンの交響曲」amazon.co.jp)

  対談本のプレトークを読んだとたんに、かつての感動がよみがえり、借りてしまいました。

【ライブで聞くベートーヴェンの感動】

  あらためてこの本を読もうと思ったのには訳があります。

  ブログにも書きましたが、2020年、クラシック界ではベートーヴェン生誕250年という節目の年で様々なイベントが企画されました。その中でも数々のライブコンサートは最も楽しみな企画でした。そんな中、今、最も好きな指揮者の一人であるパーヴォ・ヤルヴィ氏が、自身が鍛え上げたドイツカンマーフィルハーモニーを率いて来日し、ベートーヴェンの交響曲9曲を演奏する、という奇跡のような企画があったのです。

  チケットの発売日、妻と二人でパソコンとスマホを駆使して、必死にチケットの購入にトライしました。コンサートは5日間にわたりますが、9曲の交響曲はそれぞれ演奏日が異なります。奮闘努力の甲斐があり、なんと第九、そして第3番、第8番のチケットをゲットすることに成功しました。

  ところが、2020年と言えばコロナ禍が世界を席巻し、渡航停止を含めた行動制限がピークを迎えた時期でした。そうは言っても中には厳しい検疫制限を経ても来日するアーティストもおり、いくばくかの期待がありました。しかし、さすがにオーケストラを危険にさらすわけにもいかず、来日公演は中止となったのです。コロナ禍の中で最も痛恨の出来事でした。

  あらゆるライブが中止となった中でしたが、このコンサートだけはお金が帰ってきてもあきらめることができないコンサートでした。

  昨年、世界ではコロナ禍が去ったわけではないものの、世界的不況の危機感が強く存在して、行動制限を撤廃する動きが相次ぎました。決定的だったのは、ゼロコロナ政策をかたくなに守ってきた中国が、各地で頻発する政策反対デモの嵐を受けて行動制限を緩める(事実上撤廃する)転換を行ったことでした。

  コロナ禍の中で、必ず日本の皆さんに再開したい、と語っていたアーティストたちが次々と来日することになりました。

  95歳となるレジェンド指揮者ブロムシュテット氏も元気な姿を見せてくれ、なんとベートーヴェンの「運命」を聴かせてくれました。この交響曲第5番の疾走感のある力強い演奏は、年齢をまったく感じさせない感動を呼ぶものでした。

  そして、そして、あのパーヴォ・ヤルヴィ氏がリベンジに来日したのです。忘れもしない2022129日木曜日、新宿オペラシティコンサートホール。オーケストラは、あの時と同じドイツカンマーフィルハーモニーです。さらにさらに、このときの演目が泣かせます。ベートーヴェンの「コリオラン」序曲、交響曲第8番、そして交響曲第3番「英雄」です。

  そのパーヴォ氏の作り上げた素晴らしいベートーヴェンの感動は今でも心に鳴り響いています。

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(パーヴォ・ヤルヴィ カンマーフィル ポスター)

【指揮者が語る交響曲のすばらしさ】

  かつてこの本を読んだ時にも、現役指揮者が語る第1番から第9番までの素晴らしい交響曲の魅力とスポーツライターで音楽に造詣が深い玉木さんとの対談は、時間を忘れさせてくれました。しかし、今回再読したときには、その語りが改めて深く深く心に響いてきたのです。

  実は、昨年12月にパーヴ・ヤルヴィ氏のベートーヴェンを聴いてから、あまりの感動に氏とカンマーフィルが吹き込んだベートーヴェン交響曲全集を購入しました。それを聴いては、12月のコンサートを思い出し、その感動を味わっていたわけですが、今回はそのCDを聴きながら、この本を読んでいたのです。

  第1番から第9番まで、実際に現代最高峰の演奏を聴きながら読んだ、金さんの語りはまさに至福の時間でした。

  まずは、この本の目次を読みましょう。


プレトーク:ベートーヴェンの交響曲の魅力

第1番 ハ長調 作品21

 「喜びにあふれた幕開け」(29歳)

第2番 ニ長調 作品36

 「絶望を乗り越えた大傑作」(31歳)

第3番 変ホ長調 作品55 『英雄』

 「新時代を切り拓いた『英雄』」(33歳)

第4番 変ロ長調 作品60 

 「素晴らしいリズム感と躍動感」(35歳)

第5番 ハ短調 作品67 

 「完璧に構築された究極の構造物」(37歳)

第6番 ヘ長調 作品68 『田園』

 「地上に舞い降りた天国」(37最)

第7番 イ長調 作品92 

 「百人百様に感動した、狂乱の舞踏」(42歳)

第8番 ヘ長調 作品93 

 「ベートーヴェン本人が最も愛した楽曲」(42歳)

第9番 ニ短調 作品125 『合唱付』

 「大きな悟りの境地が聴こえてくる」(53歳)

アフタートーク:新しいベートーヴェン像を求めて


  この本の魅力は、実際にオーケストラを指揮し、人々に「音楽」を届けている指揮者自身が交響曲の魅力を語るところにあります。ベートーヴェンの交響曲がなぜ我々の心を捉えて離さないのか。それは、ベートーヴェンがそれを意図して交響曲を作曲していたからなのです。

  以前にこの本を読んだとき、9つの交響曲のうち何度も聞き込んでいたのは、おなじみの「英雄」と第5番、「田園」、そして第九でした。その他には疾走感が感動的な第7番。その語りを心から嬉しく読んでいましたが、他の交響曲は読み飛ばした感が満載でした。

  今回読んで面白かったのは、第1番、第2番、第4番、第8番。この本では、いずれも名曲として語られていますが、以前には曲をよく知らないという悲しさから読んでも心に響かなかった、というのが正直なところです。これが、実際に曲を聴いてみると、金聖響氏が語ってくれる一つ一つの魅力が、実際に心に届いてくるのです。

  例えば、第2番。目次を見ると「絶望を乗り越えた大傑作」との表題。このときベートーヴェンは31歳ですが、聴覚障害がはじまっており、かの有名な「ハイリゲンシュタッの遺書」を書いた後に作曲されました。音楽を職業とする人間にとって、耳が聞こえなくなることは腕をもがれるよりもつらい出来事であり、「死」を望んでもおかしくない事実であったと思います。

  ところが、その遺書と同じ時期に同じ場所で作曲された交響曲第2番は、まるで人生を生きる素晴らしさと決意を告げるような明るく、疾走感のある交響曲なのです。この曲は、語りにもある通り、それまでハイドンやモーツァルトが創り上げてきた交響曲の構成に新しい風を吹き込み、革新的な音楽を志したベートーヴェンの意欲があふれている作品なのです。それは、各章の作曲技術にも表れており、金さんはその内容を具体的に語ってくれるのです。

  この第2番の第一楽章が、あの第九の第一楽章と同じ調性と聞いて、びっくりです。その和音や音の降下は非常に似ていると言います。もちろん、長調か短調かの違いはありますが、同じ音階を使いながらこれだけ違う印象を創りだすのは、まさに音楽の不思議であり、さらにはベートーヴェンの見事な職人技であると改めて感心します。

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(ヤルヴィ指揮 交響曲第2番CD amazon.co.jp)

【メトロノームと古楽器奏法】

  さらに楽しかったのは、ベートーヴェンの交響曲の演奏史ともいえる語りでした。

  まず、以前にもブログで紹介しましたが、ベートーヴェンが第9番の交響曲を準備していたころ、我々におなじみのメトロノームが誕生したそうです。そして、ベートーヴェンはこの技術に共感したのか、自分のすべての交響曲にさかのぼってメトロノームによるテンポを書き込んでいるのです。

  この本にも随所にベートーヴェンが記載したテンポが登場しますが、これが現在の指揮者たちを悩ませているというのです。そのわけは、ベートーヴェンが記載したテンポは現代の我々から見るととても早く、とても合理的とは思えないからなのです。例えば、交響曲第8番のテンポは、異常に早く、いかなるヴァイオリンの名手でもその3連符を引きこなすことは難しい、と言います。このためこれまでの演奏では、このテンポは、取り上げられなかったのです。

  わたしのクラシック歴は多くの人たちと同じく、父親のレコードコレクションから始まっていますが、その頃の指揮者たちはまさに大指揮者たちでした。フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、チェリビダッケ、クーベリック、まさにそうそうたる指揮者たちです。彼らのテンポはそれぞれ全く異なっていて、例えば第九。ベートーヴェンの生前の記録では、63分となっています。が、フルトヴェングラーの幻のバイロイト版は79分、早いと言われるトスカニーニは64分、ワルターは71分、ベームは74分、バーンスタインはベルリンの壁崩壊時の式典では78分の第九を披露しています。近年は、60分台後半の演奏が多いようです。

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(ワルター指揮 交響曲第9番 amazon.co.jp)

  第九の演奏時間でもわかりますが、クラシックの演奏は時代によってその演奏が異なります。フルベンからカラヤンに至る大指揮者時代には、ベートーヴェンと言えば哲学的で重厚な演奏が観客を魅了し、テンポを緩めて重々しく鳴らすことでエモい演奏を繰り広げました。その後、平成に至ると、世には古楽器系の指揮者たちが登壇してきます。

  古楽器系とは、作曲者がスコアを書いた時代の楽器と編成で作曲者の意図した演奏を再現しようとする演奏方法です。この本では、その奏法を「ピリオド奏法」と呼び、大指揮者時代から現在に至る「現代奏法」と比較しています。例えば、我々があたりまえに思っているビブラート(音を細かく震わせる奏法)ですが、これはベートーヴェンの時代にはありませんでした。つまり、古楽器の時代には音は震えず、伸ばされず、シンプルだったのです。

  テンポもこれと同様にできる限り当時のテンポに近づけるべきだというのが古楽器系の指揮者たちです。アーンノンクールやノリントンは古楽器派の代表格ですが、実はヤルヴィもかつては古楽器派の一員として認識されていました。

  確かに、最も現代的であると思うヤルヴィ氏の演奏は、小気味の良いテンポであり、緩急はわかりやすく、ピリオド奏法に近いのかもしれません。しかし、流行はどうあれ、すべての指揮者は自分の中に理想の音とテンポを持っており、そこにすこしでも近づくために毎日演奏を続けている、と金聖響氏は語っています。

  いやぁ、本当に音楽も本も楽しいですね。そろそろ紙面が尽きました。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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600回 本当にw ありがとうございます

こんばんは。

  皆さんのおかげで、人生楽しみのブログも無事に600回を迎えることができました。これも、ひとえに訪問を頂いている皆さんのおかげと心より感謝しております。本当にありがとうございます。

  と言っても、550回目から600回まで丸3年もかかっているのでその更新ペースの遅さには自分でもビックリです。この3年間と言えば、コロナ禍による行動制限の時期とピッタリ重なっています。本来、外出自粛の時期には読書が進むはずなのですが、私の場合には読書時間=通勤時間でしたので、通勤が無くなると自動的に読書の時間も無くなり、すっかりご無沙汰する結果となりました。退職を機会に、これからは読書に時間を割けるのではないかと思っています。

  ところで、先月、退職記念に連れ合いが四国旅行をプレゼントしてくれました。岡山から車で四国に渡り、徳島の鳴門の渦巻き、高松からフェリーで小豆島、高松の父母が浜(チチブガハマ)、愛媛の今治から「しまなみ海道」を北上して大島・大三島・因島をめぐって、福山から帰る、という45日の豪華な旅行でした。

  見所たっぷりの旅行でしたが、おすすめをひとつだけご紹介します。

  香川県の三豊市にある父母が浜は日本のユニ湖として最近映えスポットで有名ですが、そこで宿泊した「咄々々(トツトツトツ)」というペンションは最高のおもてなしをしてくれる、癒やされるお宿でした。古民家を改装した建物は立派な日本建築で、岐阜から移住してきたご夫婦がお客様をもてなしてくれます。予約は一日一組。一泊2食付きで夕食は和食か洋食を選ぶことができますが、どちらも奥様の手料理です。私たちは和食を選んだのですが、懐石風に地元の食材を使った料理が一品ずつ提供されてどれも豊かな味わいのおいしい料理でした。また、日本酒の飲み比べができ、その日は料理に合わせてご主人が仕入れた千葉、長野、香川の本当においしい純米酒を味わうことができました。

  ダイニングと純和室床の間付きのリビングはつながっていて、ゆっくりくつろげます。さらに、別の寝室は青一色に改装されていてアンティーク風にベッド式の洋室となっています。建物や内装もさることながら、食事を運んでいただく間、ご夫婦と、香川の観光情報や地の食材、お酒情報など、様々な会話でホッコリした時間を過ごすことができました。また、宿から車で20分ほど上ったところに「高屋神社」というお社があり、「天空の鳥居」があることで有名です。

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(天空の鳥居 「高屋神社」)

  宿のご主人が「天空の鳥居」の場所を教えてくれ、翌朝、朝食前に「天空の鳥居」を訪れて鳥居から眺める絶景を堪能できました。宿では、鳥居観光から戻る時間に合わせて朝食を用意してくれており、その心遣いもありがたいものでした。朝食は、地の野菜を中心としたクラブサンドイッチで、ご主人が焼いたパンの香ばしさとシットリ感に感激しました。宿は、昼には喫茶店を営んでいて、コーヒーのおいしさも格別でした。瀬戸内海の見所を満喫した旅行でしたが、皆さんも機会があればぜひこの宿を予約してみてはいかがでしょうか。旅が豊かになること間違いなしです。

  それでは、550回から600回までにご紹介した本のベスト10へと話を進めましょう。

  まずは、第10位から第6位までを一気に振り返りましょう。

10位 「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」(更科功著 NHK出版新書 2019年)

09位 「一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい」

    (高津臣吾著 光文社新書 2022年)

08位 「よみがえる天才1 伊藤若冲」

    (辻惟雄著 ちくまプリマー新書 2020年)

07 「時代を撃つノンフクション100」

    (佐高信著 岩波新書 2021年)

06位 「天才の思考 高畑薫と宮崎駿」

     (鈴木敏夫著 文春新書 2019年)

   いつも思いますが、読んだ本を見ると自分の興味がどこにあるのかがよくわかります。

   更科功さんは、分子古生物学者という変わった職業についていますが、その専門は遺伝子構造を研究することで、生命の進化を解き明かしていくことです。今回の本は、われわれホモ・サピエンスという種がどのように進化してきたのかを解き明かしていくのですが、今の我々の遺伝子の中にすでに絶滅した人類であるネアンデルタール人の遺伝子が混ざっているという事実に驚きました。さらに、ホモ・サピエンス以外の人類がたくさん存在しており、偶然と必然の連鎖によってホモ・サピエンスのみが生き残ったというワンダーが秀逸です。やっぱり、最新科学は面白い。

  そして、忘れてならないのはスポーツ本です。野球といえば、ワールドベースボールクラシックの感動は忘れることができませんが、この本はヤクルトスワローズを優勝に導いた高津監督が優勝への道筋を書き綴った面白い本でした。今年は、ラグビーそしてバスケットのワールドカップイヤーになります。日本代表の活躍から目が離せない年になりますね。みんなで応援しましょう!

  「伊藤若冲」は、近代日本画のさきがけとなる江戸期の日本画家です。彼が追求したリアリズムはまさに天才ならでは、といえます。作品のリアリティのために画材や技法を究極まで追求し、さらにそこに遊び心までを的確に表現し、見る者の心を動かしていきます。まさに絵画好きの心を射貫く本でした。

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(京都 錦市場 若冲の生家)

  佐高信さんの本は、時代を代表するノンフィクション作品の紹介ですが、心を打つのんふぃくしょんの中心にいるのは一人の人間であり、その人間とそれ以外の人々との関わり合いの真実です。この本は「人」への興味を改めて沸き起こしてくれました。

  スタジオジブリが制作した数々のアニメーション映画は、日本の観客はもちろん、世界中の観客にワンダーと感動を与えてくれました。そこで異彩を放った作家お二人はいったいその才能をどのように発揮していったのか。この本はスタジオジプリで、すべての作品のプロデューサーを務めた鈴木敏夫さんが、戦友でライバルでもあった高畑薫と宮崎駿の軌跡を語ったノンフィクションです。人々の心を動かす映画はどのように生まれるのか、その秘密に興味は尽きません。

  さて、ここからはベスト5の紹介です。

5位  「クオリアと人工意識」

    (茂木健一郎著 講談社現代新書 2020年)

  現在、AIとして最も話題となっているのは、まるで人間のように文章を作成してくれるAI、「Chat GPT」です。これまでのAIは、文章として不完全なものが多く、読めば人間が書いた文章でないことがすぐにわかりましたが、このAIが作成した文章は人が書いた文章と遜色がないのが大きな特徴です。たとえば、ラブレターの代筆や感想文、さらには大学の研究論文や卒業論文など、へたな人間が書くよりも自然な文章となっています。

  大学では、このAIで研究論文や卒業論文を制作することを禁止していますが、基本的には人間が創ったツールに過ぎませんので、問題はAI側にあるのではなく使う人間側にあると思います。そうはいっても、その文章が、見分けがつかないほど洗練されたものなのであれば、一定のルールのもとに利用されることが合理的だといえます。

  画像作成AIも現在人間のお株を奪うほどに洗練されてきていますので、法的に考えれば創作物に対する著作権の問題をきちんと整理し、判例に頼るのではなく、法整備を行うべきなのではないでしょうか。

  イーロン・マスク氏は、様々な危険性が内在していることを理由に、当面の利用を禁止すべきとの見解を公表して話題となっていますが、自らも開発を表明しており、「別次元の発想による開発」と語っていますが、そのうさんくささは天下一品ですね。

  この本は、こうしたAIと人間の問題を脳科学の観点から語ります。著者が語る「クオリア」はいまだに解明されていない、脳が認識する質感のことですが、その仕組みは果たしてAIでも同じように形成されることができるのか、実に興味が尽きない議論が展開されています。

4位 「日本インテリジェンス史」

    (小谷賢著 2022年 中公新書)

  このブログで最も興味深い関心を持っているのは、「インテリジェンス」です。それは、国家の安全、存続に直結する「諜報」のことを意味します。戦前、日本には政府や軍部の垣根を越えてインテリジェンスオフィサーを育成するための「陸軍中野学校」がインテリジェンスの核となる人材を育成していました。しかし、戦後にはすべてが解体され、日本のインテリジェンスはすべてをアメリカにゆだねることとなったのです。それ以来、日本には政府や各省庁、官僚組織を横断するインテリジェンス組織は存在していなかったのです。しかし、この本は、戦後の日本には本気で「インテリジェンス組織」を設立しようとの高い志を持っていた人々がおり、尽力していたのです。

  ブログを始めて12年、日本のインテリジェンスに対して様々にグチをこぼしてきましたが、この本を読んではじめて自らの不明を恥じることとなりました。しかし、現在の日本ではまだまだインテリジェンスが生かされているとは思えません。これからも、このブログではインテリジェンス本を取り上げていきたいと思っています。

3位 「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」(池内紀著 中公新書 2019年)

  この本は、ドイツ文学の研究者であり、同時にエッセイストでもあった池内紀さんの遺作です。現代の世界は、分断の時代を迎えています。さらには、冷戦が終了したにもかかわらず、世界の各国内では民主勢力と軍事勢力の内戦やクーデターが巻き起こり、多くの難民が発生するだけではなく、多くの無垢な命が奪われています。それでも、国家間での戦争は世界大戦に至らずに令和の時代を迎えました。

  ところが、2022223日、ロシアのプーチン大統領はウクライナの国境を越えてウクライナ国内に攻め入ったのです。ロシアはウクライナ国内東部に位置するロシア人地域ないロシア人が虐殺されており、解放する必要があったと述べていますが、いきなりウクライナの首都キーウを攻撃し、傀儡政権を打ち立てようとしたことは、まさに宣戦布告に他なりません。

  いったいプーチン大統領は何を考えて戦争を開始したのか、まさに時代はヒトラーの時代を彷彿とさせる事態にまで及んでいます。この本はそうした時代のエポックを我々に教えてくれるのです。

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(池内紀著「ヒトラーの時代」)

2位 「呉越春秋 湖底の城 九」

   (宮城谷昌光著 講談社文庫 2020年)

  宮城谷昌光さんの古代中国歴史小説は人と人の数奇なつながりと国家の戦略を描いてあますところがありません。これまで春秋時代、戦国時代を描いて数々の名作を上梓してきましたが、その時代を締めくくる大作がこの「呉越春秋 湖底の城」です。全9巻の内容については、それぞれの巻を紹介したブログに譲りますが、この呉越の戦いは宮城谷さんが長年暖めに暖めてきた題材で、あまりに知られすぎている歴史であり、なかなか書き出せなかったと語っています。

  しかし、楚の国王に父と兄を殺された伍子胥の復讐劇を中心に「呉」の国の隆盛を描くとの構想に至ったときにこの小説がはじまりました。そして、伍子胥が素晴らしい仲間に出会い、互いに確固たる団結を作り上げる語りは、まさに宮城谷節が炸裂した氏の真骨頂です。歴史小説の醍醐味を味わいたい方には必読の書に間違いありません。

1位 「たゆたえども沈まず」

   (原田マハ著 幻冬舎文庫 2020年)

  今回、もっとも面白かった本は、このブログでは常連となった原田マハさんのアート小説でした。「たゆたえども沈まず」は、ゴッホを描いた小説ではありますが、これまでとはプロットが異なっており、物語の主人公はゴッホの弟であるテオとゴッホ、そしてテオと同じくパリで美術商を営む日本人の林忠正とその部下の加納重吉なのです。さらに、この小説にはもう一人の主人公がいます。それは、すべての人々が恋い焦がれたパリ。「たゆたえども沈まず」とは、決して沈んでしまうことのないパリとゴッホのことを語っているのです。本作は、人の生み出す絵画とパリを描いた見事なアート小説です。

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(パリで出版された日本美術特集雑誌)

  ちなみに、マハさんの小説が初めてベスト10に顔を出したのは第150回のときに第5位だった「キネマの神様」でした。そして、第250回のときにはルソーを描いたアート小説第1作目の「楽園のカンヴァス」が第1位となっています。その後も第300回に「ジヴェルニーの食卓」が第2位。第400回には「翼をください」が第5位。第500回では「暗幕のゲルニカ」が第3位。前回550回では「モダン」が第9位でした。久々に第1位となった作品をぜひお楽しみください。


  おかげさまで、601回目も無事にお開きとなりました。本は人生の伴侶です。これからもこのブログで人生が楽しくなる本を紹介していきますので、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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お久しぶりです+宮下規久朗 名画の効用

こんばんは。

  4月を迎え、いよいよ新しい年度が始まりました。

  実は、この3月末で42年間務めた会社を雇用期間満了で退職し、晴れて自由の身となりました。通常、退職直前の1カ月はゆっくりとマイペースで業務を引き継ぐわけですが、私の場合はまったく異なっていて、ブログを更新する暇もないほど忙しく過ごしました。

  3月初旬には静岡県の桑名市に出張、美味しい焼きはまぐりを堪能することできました。次の週には、大阪で仕事をし、その足で島根県の松江に一泊で出張。大阪は、この8年間担当したところで、一緒に行った大阪の仲間が松江で送別会を開いてくれました。松江なのでカニとかウニとかノドグロとか、食べたかったところですが、3月ということもありどのお店も満員で入れません。うろうろして見つけたのは、なんと「新世界」というお店。

  大阪の方はよくご存じですが、「新世界」といえば通天閣に通じる通路界隈の名称です。そして、その名物は串揚げ。そのソースは2度付け禁止で知られています。なぜ、松江で「新世界」? なんとなく納得感がなかったのですが、考えてみれば大阪の新世界で送別会があったと思えば同じ事かと、妙に納得しました。松江では、仕事の後に飛行機までの時間があったので、国宝松江城を訪れることもでき、素晴らしい天気だったので松江城から鳥取の大山を臨むことができました。感激です。

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(国宝 松江城)

  さらにその翌週には金沢に出張。極めつけは、最終日です。

  通常の職場では、定年最後の日は心おだやかに身の回りの整理を行い、お世話になった方々に挨拶周りをし、会社から貸与を受けているパソコン、健康保険証、社員証、社章、セキュリティカードの返却を行い、お見送りを受ける、というのが一般的だと思います。ところが、3月31日の金曜日には新潟に出張し、仕事をしていたのです。

  おかげで、退職時の様々な用事は、すべて30日に終え、31日の旅費精算まで済まして、最終日には新潟でしっかりと仕事を完結しました。最後に新潟の地酒をお土産に買うことができたのが、せめてもの楽しみでした。まるで、自分の会社人生を象徴しているようでかえって感慨深いものがありました。

  さて、4月からは喪失感があるのかと思いきや、なんと暮らしも気持ちもあまり変わることなく、むしろ開放感があるというのが正直なところです。生活という面で大きかったのは、コロナ禍におけるテレワークの導入でした。最後の1年間は2週間に1度しか会社には出勤せず、打ち合わせはWeb会議、出張も家から直行という状態でした。つまり、ほぼ1日中在宅での勤務だったので、退職しても会社への出退勤報告以外には何も変わることがなかったのです。

  むしろ、自宅にいても拘束されることがなくなり、自由に出かけることができるようになった分、生活が自由なものとなったのです。コロナ禍による効用が妙なところにあると感じます。

  新たな出発で、何に人生を使っていくのか、まだ模索中ですが、まずはご無沙汰しているブログを定期的に更新すること、そして、進歩のスピードこそ遅いのですが4年半続けているテナーサックスの演奏技能を少しでも向上させたいと思っています。さらに、人のお役に立てることができれば、それ以上に幸せなことはないと思っています。

  久々にブログを更新するので、もう少し余談にお付き合いください。

  最近、心を動かされたことはいくつもありますが、最も感動したのはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にて、侍ジャパンがみごとに世界一に輝いた瞬間でした。大谷翔平選手とアメリカを率いるキャプテンマイク・トラウト選手の対決は、手に汗握る真剣勝負でした。結果は大谷投手が、魔球「スイーパー」でトラウト選手を三振に打ち取り、日本が優勝を果たしたのです。

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(侍ジャパン世界一の瞬間 asahi.com)

  準決勝では、9回の裏にそこまで不振を続けていた村上宗隆選手がサヨナラ打を放ち、見事な勝利を収めたメキシコ戦にもしびれました。もちろん、この試合では3点ビハインドの7回に吉田正尚選手が放った起死回生の3ランホームランも忘れることができません。

  ところで、日本代表を世界一へ導いた栗山英樹監督。皆さんは、4月3日に放送されたNHKの「スポーツ×ヒューマン」というドキュメンタリーをご覧になりましたか。大谷翔平の二刀流を実現させ、日本ハムファイタースをリーグ優勝、日本一へと導き、さらに日本代表監督として侍ジャパンを世界一に導いた栗山英樹監督はどんなマジックを隠し持っていたのか。

  古い野球ファンはよくご存じですが、かつて西鉄の監督として巨人との日本シリーズで3連敗の後、4連勝を飾りみごと日本一となった名監督と言えば、三原脩監督です。あの「神さま、仏さま、稲尾さま」で有名な稲尾投手の4連投はいまだに語り継がれ、三原マジックと呼ばれました。

  この番組を見るまで全く知らなかったのですが、三原脩監督は、自らの野球に関する見分、そして、哲学を数冊もの大学ノートにぎっしりと記して残していたのです。そこには、プロ野球の監督として心に留めおくべき、多くの言葉が語られていたのです。栗山さんは、ジャーナリスト時代に三原さんの娘婿であった怪童中西太さんの元を訪れた際に、中西さんからそのノートを借り受けたのです。番組は、このノートの内容を紹介するとともに、そこから栗山さんが何を学び、何を実践したのかを紐解いていくのです。

  栗山監督が、メキシコ戦で不振だった村上選手に9回裏のあの場面を託したのはなぜだったのか。それは、栗山さんの選手を信じる信念との理由もありましたが、実は勝つための緻密な分析も伴ったうえでの決断だったのです。さらには、決勝戦で、あの究極の投手起用はどこから生まれてきたのか。この番組を見て、その采配は「マジック」のようにみえて、実は必然であったことがわかりました。

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(栗山監督 世界一の胴上げ mainichi.com)

  興味のある方は、4月15日の再放送をぜひご覧ください。

  それにしても、大リーグも日本のプロ野球も開幕を迎え、WBCで活躍した侍ジャパンの面々がそれぞれの球団で大活躍している姿を見ると、胸が躍ります。今年も野球が本当に面白い。

  さて、ブログの本題ですが、3月には、近年のコロナ禍ですっかりご無沙汰している、美術館と名画に関するエッセイ集を読んでいました。

「名画の生まれるとき 美術の力Ⅱ」 

(宮下規久朗著 光文社新書 2021年)

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(「名画の生まれるとき」 amazon.co.jp)

【なぜ人は絵画に惹かれるのか】

  このブログでは、これまで様々な美術館で開催された絵画展をご紹介してきましたが、コロナ禍に見舞われた3年間はまったく美術館に訪れることもなく、絵を鑑賞する機会は失われていました。しかし、絵画や造形美術には我々の心を動かす力があります。我々は良く「心が洗われる」との表現を使いますが、絵画を見た時の感動は、まさにこの表現がぴったりです。

  不思議なことに、ヨーロッパ印象派に連なる名作、ルネッサンス期の名画や彫刻、若冲の鶏、北斎や歌麿の浮世絵、名作と呼ばれる絵画をみると不思議なことに心を洗われるような気がします。それは、疲れた心が癒されることでもあり、落ち込んだ心に希望がさせものでもあり、生きる希望を感じるときでもあります。

  いったい、我々はなぜ絵画に心惹かれるのでしょうか。この本は、そんな問いかけに直接答えてくれるわけではありません。しかし、美術の専門家である著者が、さまざまな絵画を見て感じるところをつづる文章を読むと、紀元以来、人の心を動かし続けてきた絵画の謎の一端が紐解かれるような気がします。

  この本の目次をご紹介します。

第1章 名画の中の名画
第2章 美術鑑賞と美術館
第3章 描かれたモチーフ
第4章 日本美術の再評価
第5章 信仰と政治
第6章 死と鎮魂

  著者は、美術史家として、また大学教授として美術に対する深い造形と愛情をもって、これまで多くの本を上梓しています。この本は、2017年から2021年までの間に発表した文章を加筆修正し、再構成して上梓されたものです。

  本を読み進むと、この世の中にはいまだ知らない作者のいまだ知らない作品がいかにたくさんあるのか、ということを改めて感じます。

  この本のオープニングは、氏が専門としているイタリアのバロック美術、とくにその先駆者であったカラヴァッチョの絵画にまつわるエッセイとなります。カラヴァッチョといえば、若くして名画を描く一方、喧嘩っ早い乱暴者で、常に周囲ともめ事を起こし、殺人事件を起こしてローマを出奔、マルタやナポリでも事件を起こし、38歳で許しを請うためにローマに戻る途中、病死した画家です。

  しかし、その画力はすさまじく、バロック期の画家、ルーベンス、レンブラントに大きな影響を与えたと言われています。最初に語られるのは、そのカラヴァッチョのデビュー作である「聖マタイの召命」です。この絵は、キリストがマタイを召命するその場面を描いた絵画ですが、確かにこの絵は不思議な絵です。

  マタイは、税金を徴収する役人ですが、当時お金を扱う税収人は罪人と同じと考えられていました。キリストは、罪人であるマタイを弟子として召命するわけですが、この絵ではまるで居酒屋のような席に複数の男が描かれ、そこに入ってきたキリストがマタイを指さしているその瞬間を表わしています。問題は、いったい誰がマタイなのかよくわからないところです。キリストが指さしているので分かりそうなものですが、実際には、指さしている人物は3人描かれていて、その誰もが別の人物を指さしているように見えるからです。

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(カラヴァッチョ「聖マタイの召命」 Wikipedia)

  いったいマタイはどの人物なのか。著者の解題にはワンダーがあります。

【未知の芸術家が次々と】

  第1章は、よく知られている巨匠の絵画が次々と紹介されますが、章を重ねるにしたがって、私の知らない名前と作品が続々と登場します。

  例えば、若くして亡くなった現代のごく人アーティストであるミシェル・バスキア、15世紀の北方ルネッサンスの巨匠ファン=エイク、イギリスの作家でターナーのライバルと目されていた風景画の巨匠コンスタブル、海と波を描いてロシアでの人気を誇る画家アイヴァゾフスキー、などなど、これまで知らなかった作家たちが紹介されていきます。

  第4章では、日本美術の数々も語られますが、越後のミケランジェロと呼ばれる石川雲蝶、大正から昭和初期に活躍した木島櫻谷、日本のゴッホと呼ばれた浦上玉堂などなど未知の作家と作品が登場し、楽しむことができます。


  コロナ禍による制限も徐々に緩和され、これからは美術館で開催される展覧会も増えてくるものと期待しています。感染防止を自衛しながら、また絵画や芸術鑑賞を復活させていきたいと思わせる本でした。美術好きの皆さん、ぜひ手に取ってお楽しみください。新たなワンダーを味わえることと思います。

  それにしても毎日、メジャーリーグとプロ野球を見るのは楽しみです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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小谷賢 日本のインテリジェンス組織を語る

こんばんは。

  突然ですが、皆さんヴァイオリニストの樫本大進さんをご存知でしょうか。

  2010年に日本人として2人目のベルリンフィル首席コンサートマスターに就任したヴァイオリンの名手です。ソリストとしても数々の賞を受賞している大進さんですが、いつもはドイツを拠点にしているものの、頻繁に来日し、日本での音楽の普及や若手ヴァイオリンニストの育成のために大活躍しています。

  これまでにもプラハフィルとの来日やベルリン・バロック・ゾリステンとの来日など数々の名演奏を聞かせてくれました。そのときに演奏されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ヴィヴァルディの四季での息詰まるような集中力と、素晴らしい音色には心から感動しました。そして、129日、2年ぶりに大進さんがソナタ演奏のために来日しました。今回は、盟友であるピアニスト、エリック・ル・サージュとの演奏ですが、なんと、シューマンのヴァイオリンソナタ、1番、3番とブラームスのヴァイオリンソナタ2番、3番が演奏されました。

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(樫本大進 ヴァイオリンソナタコンサート)

  シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ。皆さんご存知でしたか。

  恥ずかしながら、私は全く知りませんでした。パンフレットによれば、シューマンは、晩年に友人のヴァイオリニストの勧めで、初めてヴァイオリンソナタを作曲し、第3番の作曲には若きブラームスも加わり、亡くなる前年に完成したそうです。そして、ブラームスのソナタは、彼が最も多作だった時期に作曲されたそうです。

  ブラームスが、交響曲のために多くの習作を書き上げ、あるいは破棄し、あるいは他の楽曲に代わっていったことはよく知られていますが、ヴァイオリンソナタにもその構想の一部は使われていたに違いありません、ブラームスのヴァイオリンソナタは、2番も3番もそのモチーフは敬慕する女性にささげられた優美な旋律に溢れています。しかし、ブラームス特有の重厚な音も見え隠れしており、大進さんのヴァイオリンはその両方の音色をしっかりと表現し、我々の心を揺り動かしてくれました。本当に彼が奏でる音色は唯一無二の音色です。

  至福の時を過ごしました。

  さて、先週は、このブログでも数多く取り上げたインテリジェンスを描いた本を読んでいました。

「日本インテリジェンス史」(小谷賢著 2022年 中公新書)

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(「日本インテリジェンス史」amazon.co.jp)

【SNS時代のインテリジェンス】

  プーチン大統領によるウクライナ侵攻は、恐ろしいことに1年を迎えようとしています。

  21世紀はITの時代と言っても過言ではありませんが、インテリジェンスの世界もインターネットやSNSがその主役の地位を得ようとしています。例えば、イギリスの調査報道ウェブサイトである「ベリングキャット」は、SNS上に公開されているあらゆる映像から隠された真実を導き出すことで、数多くの成果を挙げています。

  彼らが有名になったのは、2014年、ロシアがウクライナのクリミヤ半島を併合したドンバス紛争時に民間機であるマレーシア航空17便が撃墜された事件でした。同年717日定期便であった同機がウクライナ上空を飛行中、何者かに撃墜され乗客283人と乗務員15人の全員が死亡した悲劇でした。

  当時、ロシアはこの民間機をウクライナの戦闘機が撃墜したと発表したものの、現地調査によってミサイルによる撃墜であったとされるや、ウクライナ軍のミサイルによる撃墜だと主張し、映像まで公開しました。ベリングキャットは、インターネットやSNS上に寄せられたあらゆる映像を解析、この撃墜がロシア製の地対空ミサイル「ブーク」によるものであったことを突き止め、さらにはロシアが公開した画像は改ざんされたものであることを発表しました。

  また、べリングキャットは、2018年の亡命ロシアスパイ、セルゲイ・スクリパリ暗殺(毒殺)未遂事件や、2020年、反体制派の上院議員であったアレクセイ・ナワリヌイ暗殺未遂事件において、当局の捜査に協力し、多くの画像解析の結果、容疑者がロシアの工作員チームのメンバーであることを発表しています。

  現在、ウクライナの各都市を占拠したロシア兵が、非人道的な戦争犯罪(捕虜や民間人の拷問や虐殺)にかかわった証拠をあらゆる画像の解析によって進めています。

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(筑摩書房「ベリングキャット」asahi.com)

  インテリジェンス(諜報)の世界では、公開されている情報を収集する手法を「オシント」、偵察衛星や偵察衛星によって撮影された画像から情報を得ることを「イミント」、通信や電子信号を傍受して情報を得る方法を「シギント」と言いますが、21世紀の現在では、こうしたカテゴリーもすべてが錯綜して「諜報」が行われています。

【インテリジェンスとは何か】

  このブログにご訪問の皆さんは、「インテリジェンス」をよくご存知かと思います。

  かつて、インテリジェンスといえば機密情報を得るためのスパイ合戦を思い浮かべました。冷戦時代には、まさにソ連のKGBとアメリカのCIAが丁々発止のスパイ合戦を行っていました。また、イギリスにはジェームズ・ボンドで有名なMI6が海外におけるインテリジェンスを司っていました。小説や映画では、国家の安全保障、世界の安全保障のために自国の国益を守るための諜報活動がアクションを伴って「スパイ映画」として大ヒットしたのです。

  日本のインテリジェンスについて、語ってくれるのは元外務省のインテリジェンスオフィサーだった佐藤優さんと元NHKのワシントン支局長だった手島龍一さんです。佐藤さんは、外務省のロシア駐在としてインテリジェンスに携わり、ソ連崩壊前夜、あのゴルバチョフ大統領が拉致されるという大事件の折、その豊富な人脈とコミュニケーションによってゴルバチョフ大統領の生存を世界の誰よりも早く日本に伝えた人物。

  そして、手島さんは、2001.09.11ワールドトレードセンターへの航空機テロ事件の時のワシントン支局長で、徹夜の同時中継を行った経歴を持ちます。そして、自らの人脈からのインテリジェンスに事づき、「ウルトラ・ダラー」、「スギハラ・ダラー」などのインテリジェンス小説を執筆し、我々にインテリジェンスとは何かを教えてくれました。

  お二人の対談は、いつもインテリジェンスを駆使した見立てで我々に知的刺激をもたらしてくれます。

  そして、前回ご紹介したのがお二人の対談「公安調査庁」です。この本には、日本のインテリジェンスコミニティの中で、いかに公安調査庁が世界のインテイジェンス機関から信頼を置かれているか、その歴史とともに記されていました。

  そして、今回ご紹介する本は、戦後の日本インテリジェンスコミニティの歴史を通史として語ってくれる、これまで書かれたことのないインテイジェンス本なのです。

【日本のインテイジェンスコミニティ】

  インテリジェンスコミニティとは、簡単に言えば「諜報組織」です。つまり、日本国の国益を守るために情報を収集し、集約し、分析する組織のことを言います。映画に出てくるように海外では、国内、対外に分かれ、最高権力者に直結している諜報組織が存在します。アメリカでは国内がFBI、対外がCIA。イギリスではMi5が国内、MI6が対外諜報を担って活動しています。

  ロシアでは、かつてKGBが諜報を一元的に扱っていましたが、ソ連崩壊後には国内をロシア連邦保安庁(FSB)、対外をロシア対外情報庁(SVR)が担当しています。

  翻って日本を見ると、基本的に対外的な諜報組織はありません。さらに官房長内に情報を一元化するために設置された内閣調査室があり、手足となる組織は、警察、自衛隊、外務省、そして、公安警察の各組織内にそれぞれ情報を収集する組織が存在しています。

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(国家安全保障局のある首相官邸 nhk.or.jp)

  これまで、なぜ日本に諜報のための専門組織がないのかを包括的に語ってくれる本は読んだことがありませんでした。今回手に取った本は、まさに日本のインテリジェンスコミニティの歴史を時代の変遷とともに語ってくれる本だったのです。

  その目次を見ると、

まえがき

序章 インテリジェンスとは何か

第1章 占領期の組織再編

第2章 中央情報機構の創設

第3章 冷戦期の攻防

第4章 冷戦後のコミュニティの再編

第5章 第二次安倍政権時代の改革

終 章 今後の課題

あとがき

  かつてこのブログでお話ししたように、確かに日本には保安、軍事、外事を総合的に諜報するとのミッションを担う組織はありません。しかし、この本を読むと、それが不要だと考えている政治家はまったくおらず、戦後75年、心ある人たちは日本に総括的な情報機関をつくろうと志を持って奔走していたのです。

  しかし、戦後、日本を占領したGHQは日本に諜報機関が必要とは考えていませんでした。むしろ、日本をアメリカ諜報の前線基地にして、アメリカ軍に諜報を担わせることを目標にしていたのです。もちろんそのためには日本の警察や警察予備隊にもその一翼を担わせました。

  さらに、戦後の日本国民も諜報機関、治安警察といえば、戦前に諜報統制を行った特別高等警察と情報統制の法的根拠ともなった治安維持法が想起され、国民は拒否反応を起こしてきました。そのため、日本の政府は、諜報組織の必要性を認識しながらも、日米安保条約によるアメリカの庇護のもと、諜報はアメリカにまかせており、総合的な諜報組織がなくてもなんとかなっていたのです。

  冷戦期、諜報に関していえばアメリカ万能の時代でしたが、ソ連が崩壊し、冷戦状況が崩れると世界はテロと多様化の時代に変化していきます。アメリカは、アルカイダを匿うアフガニスタンやイラクなどをならず者国家として敵とみなし、戦争をしかけ、同盟国である日本も海外での協力行動を求められることになります。

  インテリジェンスの世界では、皆さんもご存知のサードパーティルールがあります。それは、「他人から情報をもらった場合、その情報を第三者に提供するときには情報提供者の了解を取る。」というルールです。日本がかつてスパイ大国と呼ばれていた背景の一つには、日本には情報を第三者にわたすときのルールを定めた法律がない、ことでした。

  もちろん、国家公務員には情報漏えい禁止の規定はありましたが、基本的に日本に入ってきた情報は誰に、どこにわたってもおとがめなしだったのです。ここに登場したのが、特定秘密保護法だったのです。

  この本の読みどころは、第4章から第5章にかけてとなります。日本のインテリジェンスに大きな危機感を持っていたのは、各大臣を歴任し、内閣官房長官や衆議院議長を務めたあの町村信孝氏だったのです。さらに、1年前、参議院選挙の応援演説中、銃弾に倒れた安倍晋三元総理大臣が日本のインテリジェンスの一元化に最も貢献した政治家だったというのです。

  そして、日本にはないと言われ続けてきた対外情報機関が、ついに設立されることになります。その組織とはいったいは何なのか。


  これまで知ることのなかった日本のインテリジェンスコミニティの現実をこの本が教えてくれました。本当に面白い本でした。インテリジェンスに興味のある皆さん、ぜひこの本を手に取ってみて下さい。痛快なアクションこそ望めませんが、日本が歩んできたインテリジェンスへの挑戦の歴史を知ることができる貴重な機会になるはずです。

  それでな皆さんお元気で、またお会いします。


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明けましておめでとうございます

令和五年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 うさぎ年の今年、飛躍の一年に向かってジャンプしていきたいものです。見回せば、「戦争」そして「コロナ」と世界を苦悩が覆っています。しかし、信じればすべてが明るい明日につながるはずです。心を一つに歩み続けましょう。
 「日々雑記」の発信もご無沙汰する日々が多くなりました。それでも継続することが原点です。いつもご訪問頂いている皆様には、ただただ感謝々々です。もうすぐ600回を迎えます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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森保ジャパンが導いた新たな地平

こんばんは。

  すっかりご無沙汰しましたが、今年もいよいよ最後の週へと突入しました。

  今年の漢字は「戦」。2月に始まったロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻は、ロシアの一方的な領土の略奪であり、力によって国際的に認められた国家の国土を軍事によって奪おうとする「戦争」は絶対に許されるものではありません。

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(今年の漢字「戦」mainichi.com)

  ロシアも核兵器による世界戦争を望んでいるわけではありません。しかし、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦を顧みると、独裁者の抱く野心は止まるところを知らず、世界の人々に「死」や「不幸」をもたらすことに躊躇はありません。ロシアは反米、反ヨーロッパという価値観を共有する国々との外交によって孤立化を避けようとしていますが、この世界に生きる人々の「生きる権利」を奪う行為に賛同するような国は、必ず衰退をまねくことになります。

  ロシアやその他の国がどのようなバリアをはっても、「戦争」が人類にもたらす「惨禍」は、生命の歴史の中で、人類という種の汚点そのものです。

  世界中の人々が、ロシアの蛮行を止めるために力を尽くし行動を起こすことが必要です。

  さて、「戦」といえば、今年はサッカーワールドカップがカタールで開催されました。中東での開催ははじめてであり、我が森保ジャパンは、これまでの歴史で超えることがかなわなかったベスト8の壁を超えるべく、ドーハへと向かいました。

【Eグループは死の組か?】

  ワールドカップの予選大会。日本は抽選でグループEとなりました。グループEに選ばれたのは、世界ランキング7位のスペイン、12位のドイツ、23位の日本、そして31位のコスタリカでした。特に我々がゾッとしたのは、スペインもドイツもかつてワールドカップで優勝したことのある実力あるチームだったことです。

  そして、1123日、日本はついにドイツと対決します。

  今回のワールドカップメンバーは、これまでとはかなり異なるメンバーが名前を連ねていました。前回ロシア大会では、西野監督が大会開始の2カ月前に急遽監督に就任し、香川選手、乾選手、本田選手、岡崎選手など、過去のワールドカップで活躍した選手たちを本戦メンバーに選んだのです。そのときにコーチだった森保監督は、西野ジャパンがベスト16を勝ち取った大会のすぐ後、オリンピック世代の監督と、ワールドカップ日本代表の監督を兼務する形で代表監督に就任しました。

  カタール大会に選ばれたメンバーは、26名中、ワ-ルドカップ経験者は7名というとても若いメンバーでした。そのうち海外経験者は23名。日本国内のJリーグ組はたったの3名となりました。ちなみに攻撃陣は全員がワールドカップ初体験です。

  メンバー発表で森保監督が語っていたのは、メンバー選考では経験よりも未経験者のより「成功したいという野心」を選択した、という言葉でした。確かに、ワールドカップで求められるのは延長戦も含めれば120分間フルに走れる体力だけではなく、世界に通用する個人技、当たり負けしないデュエルの強さ、そして、何よりもチームのためにプレーする強靭さ、です。

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(メンバー発表の記者会見 mainichi.com)

  日本の実力者たちは、みな世界に通用する力を身に着けるために次々と海外、特にヨーロッパのクラブへと移籍していきました。そうして、海外で、世界に通用するための経験を積んできたのです。ヨーロッパでのサッカーが365日、あたりまえのように生活している選手たちが見せるサッカーはどのようなものなのか。

  その力は、まさにそのドイツ戦でためされたのです。

【壮絶なドイツとの闘い】

  ドイツ戦の前半。日本は守備的な体制「4-3-2-1」、フォーバックで守りつつ、高い位置でボールを奪って攻めていく布陣を取りました。しかし、ドイツは日本を十分に研究してきており、スピードスターの伊東選手や久保選手は徹底的にマークされ、思う様にボールをキープすることができません。ボール支配率はドイツが7割以上となり、日本は守りに多くの時間を費やします。そんな中、前半33分、ドイツのミッドフィルダーのギュンドアン選手がノーマークでパスを受け、ペナルティエリアへと飛び込んできます。ボールを抑えようと飛び込んだキーパー権田選手の腕がギュンドアン選手の足を引っかける形となり、不運にも反則を取られ、PKを与えてしまったのです。

  こうして前半は、ドイツに押され先制点を与えてしまいました。

  1対0で後半戦を迎えた日本は果敢に戦術を変更してきます。守備的な「4-3-2-1」からより前に重点を置く、「3-4-2-1」に戦術変更を行ったのです。さらに森保監督は、後半に入るやすぐに久保選手に変えて冨安選手を投入、さらにその10分後には長友選手に変えて三苫選手を、ワントップの前田選手に変えて浅野選手をピッチに送り込んだのです。

  この采配は日本に活を注入しました。「3-4-2-1」は、ドイツの布陣とピッタリと呼応して、攻守においてマンツーマンが明確になり、見事に機能します。日本が前からプレッシャーをかけてドイツの攻め手を封じていきます。ドイツも後半20分にはミッドフィルダーを2名後退し、日本に対抗します。

  ドイツは、交代したミッドフィルダーが機能し、日本のゴールに襲いかかります。続けざまにこぼれ球のシュートを含め、4本のシュートが日本のゴールに放たれたのです。しかし、ここで日本の守護神、権田選手がスーパーセーブを見せ、この4つのシュートを見事に跳ね返したのです。

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(日本の守護神 権田選手 yomiuri.co.jp)

  それまで、スタジアムではドイツサポーターの歓声がめだっていたのですが、ここから地元サポーターが日本に声援を送っているのか、日本への歓声が高くなり、ドイツへのブーイングまでが巻き起こり、スタジアムも日本の色に変わったのです。

  そして、呼応するように、その5分後、森保監督は田中選手に変えて堂安選手を、足を痛めた酒井宏樹選手に変えて南野選手を投入します。そして、後半30分、三苫選手のパスをゴール前に走りこんだ南野選手が受けシュートを放ちます。さらに、そのこぼれ球を堂安選手が得意の左足で合わせます。同点ゴール!日本とスタジアムが喜びに沸きあがりました。

  ドイツはこの直後、同点を死守し勝越しのゴールを狙って、フォワードの選手とミッドフィルダーの選手を交代し、新たな戦力を投入します。しかし、その4分後、前半38分でした。右サイドの板倉選手が放ったロングパスにワントップの浅野選手が反応します。走りに走る浅野選手、そしてドイツのデイフェンダーも全力で並走します。並んだ2人。しかし、浅野選手の右足がわずかに勝り、一瞬の閃光のようにボールはゴールに吸い込まれました。

  オフサイドはなく、見事な勝ち越しゴールが決まったのです。日本はこのまま勢いを守備にもつなげて見事な逆転勝利を収めたのです。

【そして、日本代表は新たな高みへ】

  ワールドカップでの戦いは唯一無二です。第2戦のコスタリカ戦はいかにワールドカップの闘いが予想どおりに行かないかを物語ります。ランク下のコスタリカに勝てば、日本は勝ち点6となり、予選突破をほぼ手中にすることができたはずでした。ところが、日本は0対1でコスタリカに敗れました。そして、ベスト16に残るためには最後のスペイン戦の勝利がそのカギを握るのです。

  12月1日(日本時間122日午前0時)、日本対スペインの闘いの幕が切って落とされました。本大会のスペインはヨーロッパ予選を1位で通過し、乗りに乗っています。初戦のコスタリカ戦では、なんと70で勝利を飾っているのです。

  日本は、この試合も本戦で機能を高めている「3-4-2-1」のフォーメーションで臨みます。しかし、スペインは得意とする早いパス交換を駆使して日本ゴールへとじわじわと攻め寄せてきます。日本も負けずに前線にボールを送り、開始そうそう久保選手が相手ゴールエリアにボールを送り込み、さらに日本ゴール前で奪ったボールをつないで田中選手のパスから伊東選手が果敢にシュートを打ちます。ボールは枠を外れました。

  そして、開始から11分。スペインは得意のパス回しからゴール前で左サイドバックがクロスボールをあげ、フォワードのモラタ選手がみごとなヘディングで合わせます。ボールはそのまま日本ゴールへと吸い込まれました。またしても、日本は先制点を許します。しかし、今の日本は、失点1は想定内。これ以上の失点を抑えれば、必ずチャンスは回ってきます。しかし、スペインはかさにかかって攻めてきます。前半のボール保持率は、何と82%。日本は前線からのプレッシャー、高い位置からの守備、そして最終ディフンスラインでゴ-ルを守ります。

  23分には再びモラタ選手のシュートが日本ゴールを襲いますが、ここはキーパー権田選手がみごとにキャッチして失点を防ぎます。日本は前半戦を決死の守備を見せ、最終ラインの板倉選手、谷口選手、吉田選手と3人にイエローカードが出されました。

  前半を1失点に抑えた日本。後半、森保監督が動きます。

  それは、ドイツ戦で逆転を実現したときと同じオフェンシブな選手交代でした。ミッドフィルダーの久保選手を堂安選手に交代、そして、ディファンダ―の長友選手に代えて三苫選手を投入したのです。この交代がボールをスペインゴールへと押し上げたのです。後半開始直後、3分。中盤でボールを奪いゴール前にけり出されたボールを堂安選手の左足が振り抜き、高速のシュートはキーパーの掌をはじいてゴールへと吸い込まれたのです。

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(堂安選手の黄金の左足 tokyoheadline.com)

  堂安選手の見事な同点ゴールでした。さらにその5分後、右サイドでボールを持った堂安選手がゴール前にボールを転がすと、前田選手が左サイドからボールに向かって猛然と走ります。しかし、ボールはそのままゴール脇に抜けていきます。そのとき、ボールが抜ける左のゴールラインに向かって猛然と走りこんだ選手がいます。三苫選手です。三苫選手の左足は、ゴールラインを割ったかに見えるボールをゴール前へと蹴り上げます。そこに待ち構えていたのは、後ろから走りこんでいた田中選手でした。田中選手は、体ごとボールにぶつかるようにしてゴールに飛び込みます。

  はたして、ボールはゴールラインを割っていたのか。

  今年から公式に導入されたVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)。スタジアムに備えられたたホークアイと呼ばれるカメラとボールに内蔵されたセンサーチップがボールがラインを割っていたのかどうかを判定するのです。その結果は・・・。サッカーでは上から見た時にラインにボールがかかっているかどうかで、インかアウトかを判定します。なんと、ボールは、1.88mm、ラインにかかっていたのです。

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(三苫選手の1mm  nipponwadai.com)

  あまりに劇的な逆転ゴール。日本は、この後、すべてを尽くしたディフェンスで7分間のアディッショナルタイムを含めた44分間、自らのゴールを守り抜き、スペインに勝利しました。日本は、Eグループ1位で予選通過を果たしたのです。

  ベスト8をかけたクロアチアとの1戦、日本は前田選手が見事に初ゴールを挙げましたが、その後同点にされ、延長戦、PK戦の結果、惜しくも敗れてしまいました。クロアチアは、次にブラジル戦にも勝利し、アルゼンチンにこそ敗れましたが、堂々の3位となりました。日本の実力も推して知るべしですね。

  今年の日本代表は、ヨーロッパ、南米のサッカーと互角以上に渡り合う素晴らしい試合を戦い、勝ち切ってくれました。今後の日本サッカーが楽しみで仕方ありません。


  さて、今年も残すところわずかとなりました。1年の終わりにこれほどの感動を味合わせてくれた森保監督と日本代表の皆さんに本当に感謝です。「戦争」や「コロナ」という暗い出来事もありますが、やっぱり人間は捨てたものではありません。明るい明日に向かって走りだしましょう。

  皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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だからプロ野球から目が離せない!

こんばんは。

  行動規制のないコロナ禍での生活もあたりまえになってきました。

  一時、世界一の感染者数を記録していたオミクロン株によるコロナ禍でしたが、一人一人の感染対策が功を奏しているのか、日本全土で猛威を振るっていたオミクロン株もやっと落ち着きつつあるのかと思わせます。

  引き続き、油断することなく、常に感染対策を心がけましょう。

  ウクライナでは、非道のプーチン大統領が侵略によって略奪した地域をロシア国土に編入するために、国民投票をねつ造し、占領地域の既成事実化を図っています。ロシア国内では、兵力不足による予備兵の徴兵や戦争の長期化によってプーチン大統領の支持率も下がってきつつあるようですが、それでも77%というから驚きです。

  ウクライナの反撃は成功しつつあり、併合が画策されているドネツク州の要衝、リマンをウクライナが奪還したニュースが世界中に配信されました。現地の親ロシア派兵力はロシア軍の撤退に異を唱えており、戦略的核兵器を使用すべき、などという言語道断な発言も飛び出しています。また、クリミア半島につながる唯一の道路をウクライナが破壊したとして、報復と称しウクライナの主要都市に数十発のミサイルを撃ち込み多くの無垢な命を奪っています。

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(爆破されたクリミア橋 nittkei.com)

  侵略者であり独裁者でもあるプーチン大統領ですが、人類と地球に不幸をもたらすだけの愚かな決定を次々に実行しています。政治的な思惑が人の命を平気で奪うことの愚かさをあきらめることなく訴え続けることこそが大切です。

  さて、今日は久しぶりに大好きな野球の話をしましょう。

  メジャーリーグでは、エンジェルスの大谷翔平選手が投手と打者の二刀流でまるで漫画の主人公のような活躍をリアルの続け、我々に生きる勇気を与えてくれています。最終戦の登板で、規定打数とともに規定投球回数を上回り、みごと歴史にその名を刻んでくれました。

  日本のプロ野球。昨年は、セパともに前年最下位であったチームが優勝し、大いに盛り上がりました。野村時代からのスワローズファンとしては、その後継者ともいえる(野村さんの後継者は数え切れないのですが、)高津臣吾監督が初のリーグ優勝をかざり、さらには日本一に輝いてくれたことが何よりの喜びでした。

  今年のプロ野球は本当にハラハラドキドキ、素晴らしい試合が続きました。

  セリーグでは、嬉しいことにヤクルトスワローズが交流戦をはさんでぶっちぎりの首位を独走し、終盤に濱の番長、三浦監督率いる横浜ベイスターズに追い上げられましたが、それを振り切って2年連続の優勝を果たしました。さらには、主砲の村神宗隆もとい村上宗隆選手が、日本人最多の56号ホームランを放ち、令和最初の三冠王を獲得しました。最終戦で決めるという劇的なホームランは我々の心を躍らせてくれました。

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(56号をはなった村上選手 asahi.com)

  一方、パリーグでは記録的な熱戦が繰り広げられ、ファンは最後までハラハラドキドキ楽しみました。一時は楽天も交えて、西武、ソフトバンク、オリックスが1ゲーム差の中にひしめき、最終戦でソフトバンクが西武に敗れ、オリックスが楽天に勝利したことによりオリックスが奇跡的な逆転優勝を飾ったのです。同率首位でしたが、直接対決で勝利数が多いオリックスに軍配が上がるという劇的な優勝でした。さらにソフトバンクは、クライマックスシリーズで、最終戦で敗れた西武と対決し、みごとにファイナルステージへと勝ち上がりました。

  クライマックスファイナルは、セリーグがヤクルト対阪神、パリーグはオリックス対ソフトバンクとなり、その行方は混とんとしています。プロ野球ファンにとって今シーズンの熱き戦いはいつまでも記憶に残る素晴らしい戦いとなりました。

  さて、そんな中、今週はヤクルトスワローズ高津臣吾監督の本を読んでいました。

「一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい」

(高津臣吾著 光文社新書 2022年)

【スワローズ・ウェイって何?】

  この本の著者高津臣吾さんは、言わずと知れたヤクルトスワローズの監督です。

  2022年のシーズンは監督就任から3年目となりますが、1年目の2020年シーズンは416910分けという記録で、ダントツの最下位を記録しています。皆さん覚えていると思いますが、昨年、セリーグでヤクルト、パリーグでオリックスが優勝したときに、セパともに前年度最下位球団の優勝、と騒がれました。

  いったい、どうやって最下位のチームを一気に優勝まで押し上げたのか。

  その秘密を知りたくて、この本を手に取ったのです。

  高津監督と言えば、忘れもしない、ヤクルト黄金時代に試合の最後には必ず登場して試合を勝利に導いた最強のリリーフ投手でした。野村克也さんが監督として指揮を執っていた1990年代、ヤクルトスワローズは黄金時代を迎えており、4度の優勝と3度の日本一に輝いています。

  その経歴を見ると、野球に対するその情熱に驚きます。日本では1993年から、りりーフ救援投手に転向し、四度最優秀救援投手に輝いています。その後は、MLBホワイトソックスに移籍、通算で300セーブを記録しまいた。しかい、そのすごさは最後まで現役投手にこだわったことです。MLBの後には、韓国のプロリーグ、台湾プロリーグで活躍、その後、日本の独立リーグに戻り、新潟アルビレックスでは、選手兼任監督として日本一に輝いているのです。

  指導者としても、2014年にはヤクルトの一軍投手コーチに就任。翌年には、真中監督の下で、セリーグ優勝を果たしました。2017年からは二軍監督に就任。一軍に育てた選手を送り込むことに専念し、2018年には、「二軍監督の仕事」という著作を上梓しています。

  高津監督が就任した2020年。これでヤクルトは復活する、との思いがあり応援しました。

  この本のプロローグは、2020年監督に就任した年、シーズン最下位となった最終戦からはじまります。まずは目次を確認しましょう。

プロローグ

1章 2021年かく戦えり
2章 日本シリーズかく戦えり
3章 運命の第6戦、涙の日本一へ
4章 2021年を戦い終えて
5章 スワローズのV戦士たち
6章 育てながら勝とうじゃないか
7章 スワローズ・ウェイと、野村監督の遺伝子
8章 スワローズ・ウェイの完成に向けて

エピローグ

(付録:2021年全試合戦績)

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(「一軍監督の仕事」 amazon.co.jp)

  この本では昨年の高津監督初制覇の内容が記されていますが、2022年のヤクルトは、この本の延長線上にあります。昨年ブレイクした村上選手は、昨年度不動の4番打者に座り、ホームラン39本を打って本塁打王に輝きました。さらに打率は278厘、出塁率4割、長打率は566厘を記録しています。さらには、盗塁も12をマークし、攻守走ともに大活躍したのです。ところが、今年はさらにその上を行きました。

  今年の成績は、ホームラン56本。打率318厘、出塁率458厘、長打率は、なんと71分を記録しているのです。ちなみに打点は昨年の112打点から大きく飛躍し134打点を挙げました。三冠王も納得です。ホームランに注目すると、8月には日本プロ野球記録となる5打席連続ホームランを放ち、5月には2試合連続満塁ホームランの最年少記録も塗り替えています。

  まさに、神様、村神さまですね。

【野村野球の継承者】

  高津監督はどのようにして勝つチームを作り上げたのか。

  この本にはその秘密がギッシリとつまっています。

  昨年度の合言葉は、「絶対大丈夫」でしたが、その言葉はシーズンを通して戦った高津監督の戦略のうえに成り立っていた言葉でした。野球は、ついつい打撃陣と得点に目が向くのですが、高津監督は元世界のリリーフエースでした。その野球は、基本的に最少得点でも守り勝つことのできるチームを作ることです。

  昨年度の投手成績を見ると、若手の台頭が素晴らしく、奥川9勝、今野7勝、田口5勝、高橋4勝と新たなスターが生まれています。ここにベテランの小川が9勝、石川が4勝、サイスニードが6勝を挙げています。

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(スワローズの要ライアン小川投手 asahi.com)

  今年の成績を見ると今年は昨年ブレイクした奥川投手が不調でどうなるかと思いましたが、新生木澤が9勝、原樹里、高橋が8勝、若手は主役が変わりましたが、さらに9年目の高梨が7勝。ここにベテランの小川が8勝、石川が6勝、サイスニードも9勝と計算できる成績を残しています。

  注目されるのは、この本のサブタイトルにもなっている「育った彼らを勝たせたい」というマネジメントです。さすが抑えで一流の成績を残した高津監督ならではの投手采配が際立ちます。投手と言えば、リリーフエースのマクガフです。

  昨年の日本シリーズ第1戦、この試合はオリックス山本由投手と、奥川投手の投げ合い、1対1で迎えた8回表村上選手の2ランホームランで31と勝ち越します。もちろん9回裏はヤクルトの守護神マクガフが登場です。ところが、どうしたことか、マクガフはヒットとフォアボール、そしてぼてぼてのピッチャーゴロを三塁に送球してセーフ。ノーアウト満塁のピンチを迎えたのです。オリックスの打者は3番吉田正選手。結果は逆転のさよなら負けでした。

  マクガフの想いはいかほどでしょう。しかし、高津監督は、マクガフの気持ちを我がことのように理解していたのです。その後のマクガフの活躍はご存知の通りです。その守る野球の妙は、ぜひともこの本でお楽しみください。

  さて、高津監督はチームを勝たせるマネジメントをどうやって学んできたのでしょうか。その答えは、この本の最後2章に記されています。それは、名将野村克也監督のDNAなのです。

  野村さんと言えば、解説者時代に考案したストライクゾーンを9つのマスに分けて配給を解説する野村スコープが有名で、MLBでも野村スコープによる解説が当たり前になっています。しかし、野村さんは監督として10倍以上も高度なスコープを使用していたのです。それは、投手の配球のストライクゾーン9マスを36マスに分解。さらには、その外側のボールゾーンにふた回り、28マスと36マスを加えて、合計99マスの配給スコープで投球を分析していた、というのです。

  「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」とは、野村さんの名言ですが、高津スワローズには、この野村監督のDNAが脈々と流れていたのです。


  今年もいよいよクライマックスシリーズ、そして日本シリーズが始まります。どの試合からも目が離せません。ダッグアウトではどのような闘いが繰り広げられるのか。この本は、その一端を我々に教えてくれるのです。今年も盛り上がりましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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人生は感動であふれているよ

こんばんは。

  コロナウィルスのオミクロン株の猛威は、一時、日本の新規感染者の数を世界一にまで広げました。それまで日本はコロナ禍の優等生でしたので、免疫保有者の数が世界の中でも少なかったのだと思います。そこに、経済回復のための規制緩和が重なり、感染者が爆発的に増加しました。これまでの中で、7波が最も強烈です。

  オミクロン株は従来よりも重症化率が低く、感染力は高いとされていますが、大都市を中心とした新規感染者の増加には驚かされます。実際第6波までは身近に感染者はいませんでしたが、ここ3カ月ほどは職場でも前後左右の職員、また離れて暮らしている息子も感染するなど、身近な問題となりつつあります。幸いなことに仕事はテレワーク、息子は会社の独身寮にいて、接触を免れています。8月には4回目の接種を終え、少し安心しています。

  これだけの広がりを見せているコロナですが、世界ではすでに規制を取り払い、各自が感染予防を行いながら日常生活を行う状況に至っています。

 モデルナやファイザーは、オミクロン株専用のワクチンを開発するなど、シフトしつつありますが、日本の緩和措置は慎重です。日本の観光資源は世界のトップクラスであり、歴史、文化、グルメのどれをとっても世界中のあこがれとなっているようです。日本への渡航は、現在、ビザが必要、観光目的では個人は認められておらず、ツアーによる団体客のみを受け入れています。

  今や日本国内が世界の中でも最も感染者数が多くなりました。そうした意味では、受け入れに当たっては、これまで以上に公共交通機関や各宿泊施設、飲食店や商業施設、文化施設での、防疫体制、消毒体制をしっかりと日常化することで新規感染を防いでいくことこそ肝要なのではないでしょうか。

  我々がやるべきことは、具合が悪い時には外出しないこと。そして、消毒、手洗い、人ごみでのマスクを欠かさないことが、感染拡大を防ぐために必須であると思っています。

  コロナ禍の一方、独裁者プーチン大統領によるウクライナ侵略戦争ですが、その不毛な殺戮は7カ月を迎えようとしています。ロシアは、アメリカと対立している国々と連携することで、この侵略戦争への非難を少しでも弱めようとしていますが、主権国家に対して一方的に侵略を行い市民を殺戮する行為は絶対に許されることではありません。

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(ロシアのミサイル攻撃を受けた火力発電所 asahi.com)

  どれだけ時間がかかろうとも、我々はその絶対悪を許してはなりません。世界大戦を二度と引き起こしてはなりませんが、ロシア国民が戦役に疲弊し、経済的にも疲弊し、自らの首領が間違ったことをしていると認めるまで、我々は「否」を唱え続けなければなりません。人としての正義は貫かれなければなりません。

  そんな中ではありますが、今回のブログでは最近心を動かされたTV番組について綴りたいと思います。

【音楽と写真家を巡るドキュメンタリー】

  皆さんは、NHKBSプレミアムで午前9:00から毎日「BSプレニアムカフェ」と題してリクエストのあった過去のドキュメンタリー作品を放送していることをご存知でしょうか。

  この時間は仕事中ですので、もちろんリアルでは見ることができないのですが、あまりに面白いプログラムが多いので、ビデオ予約をしています。最近では、「写真家を見る」や「絵画ミステリー」、「作家を巡る謎」など、テーマを決めて何本かのドキュメンタリー作品を続けて放送しています。

  この中で、心を動かされた二つの番組を紹介します。

  まず、写真家特集の2つ目の作品「カメラで音楽を撃て 写真家・木之下晃」には引き込まれました。

  この作品は2007年に制作された番組ですが、2015年に亡くなられた写真家、木之下晃さんの貴重な記録です。木之下さんはクラシック音楽の演奏家を撮影し続けて数々の賞を受賞し、数々の音楽家からも演奏家の音楽が湧き出る瞬間をとらえた作品が絶賛されています。その写真家としての活動を捉えた素晴らしいドキュメンタリーなのです。

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(木之下晃写「マリア・カラス」 fujifilm.com)

  作品には、名だたる演奏家が名を連ねます。カラヤン、バーンスタイン、マゼール、メータ、その白黒の画面からは、躍動し、そこから音楽が聞こえてくるような演奏家たちの姿が湧きあがってきます。この番組に出演していたのは、今は亡きロリン・マゼール氏、レジェンド小澤征爾氏、リッカルド・ムーティ氏など、木之下さんの写真に心を動かされた人々です。

  そして、番組は、デビューのころから撮影を続けている指揮者佐渡裕氏の撮影現場に密着します。

  佐渡裕氏は、小澤征爾氏やレナード・バーンスタイン氏の師事し、バースタインのアシスタントとしてウィーンで活動、1989年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、プロデビューします。番組は、佐渡さんの「一万人の第九」公演のリハーサル、そしてコンサートを指揮する佐渡さんの撮影のため密着する木之下さんを映し出します。

  なぜ、木之下さんは佐渡さんに密着できるのか。

  佐渡さんは、木之下さんとの忘れられない1枚を紹介してくれます。それは、コンクールで優勝し、プロデビュー間もない佐渡さんが演奏指揮を終えた瞬間をとらえた写真です。白黒の画面には、指揮台に立ち指揮棒を大きく振り上げた若き佐渡さんが写っています。まるでスポットライトが当たったように白く浮かび上がる佐渡さんの姿。そこからは演奏が終わった瞬間の緊迫感と開放感がみごとに写りこんでいて、思わず見入ってしまいます。

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(木之下さんと佐渡さんの対談 fukushi-sinnsyo.com)

  佐渡さんは、この写真をみたときから木之下さんの芸術に魅了され、それ以来音楽仲間と言ってもよいほどの親近感を感じていると言います。そして、木之下さんの写真からは音楽が聞こえてくると語るのです。

  佐渡さんは、今年新日本ファイルハーモニー楽団のミュージックアドバイザーに就任し、来年は音楽監督に就任予定ですが、5月に、新日本ファイルを指揮したベートーヴェンの交響曲第7番はその重厚さと歯切れのよいテンポで会場中を魅了しました。その佐渡さんの音を捉えた写真。素晴らしい、の一言です。

  皆さんも機会があればぜひ一度、この貴重な記録をご覧ください。その人生に魅了されます。

【絵画を巡るミステリー】

  さて、「音楽と写真」の次は、「絵画ミステリー シリーズ」です。

  このシリーズでは3回に渡り、絵画にまつわるドキュメンタリー作品が放送されました。まず、2010年に制作された「贋作の迷宮~闇にひそむ名画」。そして、2017年の「4人のモナリザ“謎の微笑”モデルの真実」、最後に2004年の「スリーパー・眠れる名画を探せ」です。どの作品も絵画好きにはたまらない作品ですが、その中でも「4人のモナリザ」はミステリー・ドキュメンタリーとしては傑作でした。

  そもそもの発端は、現代技術を駆使して行われた「モナリザ」の絵画分析です。

  その仕掛けは、24千万画素という途方もない精密さを持つ「マルチスペクトルカメラ」による画像分析です。絵具の色にはそれぞれ異なる波長があり、このカメラで撮影すると、表面に見えている絵具だけではなく、その下にかくれている絵具や下書きまでをみつけることができる、というものです。

  最近のフェルメール研究などでは、X船調査などにより、現在我々に見えていない絵が裏に隠されていることが判明しています。その代表的な例が、傑作「窓辺で手紙を読む女」の背景に広がる白い壁の裏に隠された大きなキューピットの絵画です。キューピットの絵は、完成時にフェルメールが塗りつぶしたものと考えられていましたが、日に第三者に上塗りされたものと判明し、修復作業によって、キューピットの絵画が復活したのです。

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(修復されたフェルメ-ル作品 daily.co.jp)

  今回の解析は、より高度な高額スペクトルによる解析となります。この解析を行ったのは、フランスの絵画分析士であるパスカル・コット氏です。氏の分析によると、レオナルドの描いた「モナリザ」には、4人のモナリザが描かれており、その4人は最初の絵から次々に上塗りされていったと考えられる、というのです。

  なんと、ワンダーな。

  番組は、この4人のモナリザはいったい誰なのかを求め、フィレンツェ、ローマ、そしてパリを巡る旅に出るのです。

  まず、一人目のモナリザ。この絵の痕跡は一部しか残っておらず、レオナルドがデッサンとして描いたものだと言います。その女性像は今のモナリザよりも少し高い位置に顔が描かれており、さらにその手の指は4本しか描かれていません。つまり、レオナルドは女性をデッサンしている途中で描くのをやめてしまったと推定されます。

  そして、二人目のモナリザです。二人目の女性像の頭部には装飾が描かれた痕跡が見られました。その痕跡の正体を求めて、番組はフィレンツェの装飾文化に詳しい学芸員を尋ねます。絵画の歴史は、そこに描かれている人物の服飾品をみれば年代や描かれている人物を特定することができると言います。2人目の頭部に描かれている装飾をみせたところ、ルネッサンス期に描かれた髪飾りと同じものであることが判明します。

  その髪飾り、実は聖母の実に描かれる髪飾りなのです。つまり、2人目の女性像は聖母像であったことが分かります。レオナルドは、1人目の女性のデッサンを消して、そのうえに聖母マリア像を描こうとしていたのです。

  さらに、番組は3人目のモナリザを追いかけます。

  3人目のモナリザは、今のモナリザとは異なりやや左を向いており、服装も現在と異なっています。この3人目のモナリザこそ、当時の美術研究者ジョルジュ・ヴァザーが「ダ・ビンチは除根だの依頼でリザの肖像を描いた。」と書き残した「リザ」だったのです。この絵に描かれたフィレンツェ風の服装は、1500年~1505年に着られていた服で、そのころ、レオナルドはパトロンを失い、フィレンツェの父の下で居候をしていたのです。そして、この絵を依頼した豪商ジョコンドはレオナルドの父親の向かいに住んでいた父の親しい知り合いだったのです。さらに、最近、1503年にレオナルドがリザの肖像画を描いている、との知人の目もが見つかっており、この「モナリザ」が描かれていたことは間違いないようです。しかし、この絵は依頼者に引き渡されることはなかったのです。

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(撮影された4人のモナリザ cardian.exblog.jp)

  その絵は、どのようにして現在の「モナリザ」となったのか。最後の謎は、ローマに隠されていました。その鍵となるのは当時、ローマの超有力者であったジュリアーノ・デ・メディチ公です。彼は、レオナルドのパトロンであり、彼に一枚の肖像画を依頼しました。

  ジュリアーノにはそれはたくさんの恋人がいましたが、彼の子供を生んだ女性はただ一人でした。そして、其母親はその子供を産み落とした時に亡くなってしまったのです。その子供イーポリットは教会経由でジュリアーノの養子となりました。その母の名前はパチフィカ。ジュリアーノはイーポリットのために亡き母の肖像を描くようレオナルドに依頼したというのです。

  それゆえ、モナリザはすべての人の母親のように永遠の微笑みをうかべている。

  4人のモナリザの話は途方もないミステリーとその結末を我々に教えてくれたのです。


  さて、心を動かされる、と言う意味では先日行ったライブハウスでの演奏や、習っているテナーサックスの発表会に向けたレッスン、さらには大人買いしたジャズとクラシックのCDの話など、尽きない話もいろいろあるのですが、紙面が尽きました。続きはまたお話しします。

  今年はまだまだ残暑が続きそうですが、コロナと体調には気を付けて楽しく過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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北中正和 ビートルズとは何者なのか?

こんばんは。

  ロシアを統べる独裁者プーチン大統領。そのしたたかさは、帝政ロシアから旧ソビエト連邦へと綿々と受け継がれてきたロシア帝国の歴史そのもののようです。

  それは、自らの正当性を主張するためには、自らの主張以外のすべてに対して無視するか、「ニエット」と語る、メンタリティそのものです。

  ロシアによるウクライナ侵攻は5ヶ月を超え長期化しています。ウクライナは欧米民主主義の国々から軍事支援を受け、東部、南部での領土奪回をめざし、過酷な闘いを繰り広げています。そうした中で、現在最も国際的な問題となっているのがエネルギー危機と食糧危機です。

  ロシア経済の要は、広大な領土の地下資源である天然ガスです。その液化天然ガスが、EU域内では極めて高いシェアを誇っており、その供給を停止すれば多くの国でエネルギー不足が引き起こされます。欧米諸国はロシアに強烈な経済制裁を課していますが、ロシアは経済の根幹であるエネルギーの供給が滞ることがありません。EU各国、イギリスではロシアからのエネルギーに頼らないよう代替手段を講じつつありますが、それには数年を要する状況です。

  あまつさえ、インドや中国はこれを安価なエネルギー確保の好機ととらえ、ロシアからの液化天然ガスの輸入を大きく増加させています。ロシアはほくそ笑んでいるに違いありません。しかし、世界的に見れば、エネルギー価格は高騰し、多くの国でインフレが進んでおり、ロシアは世界経済を停滞へと導いているのです。

  さらに深刻なのは世界的な食糧危機です。

  ウクライナは豊饒な穀物生産地を有する農業大国です。ウクライナの食糧輸出は、ひまわり油世界1位、大麦は世界第2位、トウモロコシは第3位、小麦は第5位となっており、その輸出先はアフリカ、アジアを含め190か国に及んでいます。(2016年)

  その「世界の食糧庫」が侵攻以来、半年近くも穀物を輸出できていないのです。それは、輸出の出口である黒海をロシアが封鎖しているからです。港湾都市マリウポリ、クリミア半島はロシアに制圧され、ウクライナが唯一輸出可能なオデーサもロシア海軍に封鎖され、ウクライナは身動きが取れません。そうする間にもアフリカなどでは穀物が手に入らず、深刻な飢餓が生じているのです。

  そうした中、722日、トルコと国連がロシア、ウクライナとそれぞれ合意文書を締結する形で、ウクライナの穀物輸出ルートの安全を確保することが合意されました。これは「ウクライナ食糧輸出」のための安全回廊の設置に他なりません。

  しかし、常に自国の優位を戦略としているロシアは、こともあろうにその翌日に合意がなされた港湾都市オデーサにミサイルを撃ち込んだのです。幸いなことに81日、ウクライナのトウモロコシを乗せた貨物船は無事にオデーサを出港し中東に向かいました。

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(穀物輸出第1弾出港 yomiuri.comより)

  常に自らを優位な位置に置くための戦略。すでにウクライナをはじめ民主主義の国々はロシアの語ることを正面切って信じることはありません。ロシアの人々やロシアの歴史、文化をこよなく愛する世界じゅうの人々の想いをプーチン大統領はすべて踏みにじっているのです。

  たとえどれだけの時間が経ち、どれだけの既成事実が現実化しても、我々はそれが侵略と蹂躙と殺人の下に行われた行為であることを決して忘れてはいけません。それは、人が人であるための最も根源的なアイデンティティだからです。

  苛立ちは常にわだかまりますが、本の話題へと移りましょう。

  世界の音楽界に衝撃を与えたバンド、ビートルズが解散してから半世紀が過ぎました。

  しかし、世界じゅうのどこにあっても、彼らの曲が奏でられない日は一日もありません。ビートルズが1962年から解散した1970年までの間に世に送ったオリジナル曲は213曲。そこからは、現代につながる様々な音楽への潮流が生まれました。

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(藤本国彦「ビートルズ213」 amazon.co.jp)

  今回読んでいた本は、「ビートルズ」。題名を見た瞬間に手に入れました。

「ビートルズ」(北中正和著 2021年 新潮新書)

【ビートルズはいつも心を突き動かす】

  皆さんは、カラオケに行ったときにまず何を歌いますか。

  一時、コロナ禍の規制でカラオケは最も感染リスクの高い娯楽のひとつとして悪者扱いされました。しかし、人にとって歌うという行動は、「祈り」にも似てなくてはならない行為です。行動制限がなされなくなった今、感染予防に万全を尽くして家族や親しいひと、はたまた一人カラオケを楽しむ方は復活しました。

  私のカラオケ持ち歌のいちばんは、昔も今も変わらずサザンオールスターズと井上陽水ですが、場が長くなり持ち歌がなくなると、最後には必ずビートルズに行きつきます。はじめのうちはおなじみの「Let It Be」や「Hey Jude」を歌いますが、興に乗ってくるとエスカレートして、「Oh! Daring」や「Lady Madonna」など次々に歌います。

  どちらにせよ周りはあまり聞いていないのですが、何と言っても一番好きな曲は、ジョージが創った「While My Guitar Gently Weeps」です。

  ジョージといえば、「Here Comes The Sun」や「Something」が最も多くカヴァーされている名曲ですが、ビートルズでのジョージの願いはギタリストとしてグループに貢献することでした。例えば、レコードデビュー直前までビートルズのドラマーであったピート・ベストはインタビューでジョージの印象を聞かれると、とにかくギターの練習に熱心で、いつも寡黙にギターと取り組んでいた、と語っています。

  この曲は、ホワイトアルバムに収録されていますが、この2枚組の録音時、4人はそれぞれが自らの音楽と考え方にとらわれていて、グループとしての結束が揺れ動いていました。リンゴスターは、このアルバムの録音途中で、自分の存在価値に疑問を持ち、失踪してしまいます。なんとかリンゴを見つけた3人は、いかにビートルズにリンゴのドラムが必要かを語り、連れ戻しています。

  そんな中で、ジョージは外部からミュージシャンを招きます。そのミュージシャンこそが、この曲でウーマントーンのギターを聴かせてくれるエリック・クラプトンだったのです。この後もジョージはセッションにビリー・プレストンなどを招きますが、ゲストを迎えることでビートルズが緊張を取り戻すとの方法はここから始まりました。

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(The Beatles「ホワイトアルバム」amazon.co.jp)

  最近、楽譜を手に入れてテナーサックスでもこの曲を奏でますが、音符を見ると、とても単純な音の構成にもかかわらず、すばらしいメロディメイクがなされており、改めてジョージの音楽センスのすばらしさに感動します。とくに、サビのパートでは絶妙な転調がなされており、この部分ではグッと心をつかまれるように感じます。

  こうしたジョージの才能の開花も、もとはといえばバンマスであったジョン・レノンの「全員平等」精神の現れです。ジョンは、ビートルズのデビュー時にいくつかルールを決めています。まず、ジョンとポールで作った曲はどんなプロセスで作ろうとレノン=マッカートニーとクレジットすること。そして、アルバムを作成するときには必ずジョージやリンゴの曲を入れること。こうしたジョンのマネジメントがビートルズをより高みへと引き上げたと思うのは私だけでしょうか。

【久しぶりのビートルズ本はいかに】

  このブログで、ビートルズ本を取り上げたのは20169月ですので、あれからかれこれ6年を経ています。そのときも、ビートルズについては、様々な研究本や全記録、さらに自らが語った「アンソロジー」も発売され、もう語るべきことは何もないのでは、と書きましたが、今回も同じ疑問を抱えつつこの本を手に取りました。

  しかし、彼らの曲がさまざまなミュージシャンにカヴァーされ、それぞれの個性に色付けされて新しい音楽へと変貌するように、「ビートルズ」という現象もその切り口が違えばそこには別のビートルズが現れるのかもしれません。

  今回、著者の疑問は、「なぜビートルズだけが、他のミュージシャンとは違うのか。」なのです。

  著者は、ビートルズに関する本が、楽曲の構成やエピソード、そして彼らの日々の行動やエピソードを事細かに記録し、出版され、その記述がどんどん稠密に、詳細に、分析されて行く現実を踏まえ、もっと大きな視点で俯瞰的にビートルズやその周辺を捉えれば、なぜビートルズが特別なのかが見えてくるはず、と語ります。

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(北中正和「ビートルズ」 amazon.co.jp)

まず、目次を見てみましょう。

序章 なぜビートルズだけが例外なのか

1.故郷リバプール 「マギー・メイ」「ペニーレイン」をめぐる章

2.ジョン・レノンはアイルランド人か 「マイ・ボニー」「悲しみはぶっとばせ」をめぐる章

3.ミンストレル・ショウの残影 「ミスター・カイト」「フリー・アズ・ア・バード」をめぐる章

4.スキッフルがなければ 「レディ・マドンナ」「ハニー・パイ」をめぐる章

5.作品の源流はどこに? 「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「イエスタデイ」をめぐる章

6.カヴァー曲、RB、ラテン音楽 「ベサメ・ムーチョ」「ツイスト・アンド・シャウト」をめぐる章

7.カリブ海、アフリカとの出会い 「蜜の味」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」をめぐる章

8.60年代とインド音楽 「ノルウェーの森」「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」をめぐる章

9.ふたつのアップルの半世紀 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」をめぐる章

⒑ ビートルズはなぜ4人組か 「アイ・アム・ザ・ウォルラス」「ゲット・バック」をめぐる章

  お気づきの通り、音楽評論家である著者は、彼らの楽曲をヒントにしてその歴史的な背景や社会的な背景を踏まえて、「なぜビートルズなのか」を語っていくのです。

  世にいうビートルマニアにとって、この本に出てくるエピソードは、ほとんどが既知の事実であり、そこにワンダーを求める読者にとって、この本はワクワクするような内容ではありません。しかし、著者の音楽への造詣は深く、これまでのポピュラー音楽の歴史の中で、いかに多くの要素を吸収して、それを自らのオリジナルソングに仕上げ、それを音楽界にインフルエンスしていったかがよくわかります。近年、SNS上ではインフルエンサーなる言葉が流行していますが、ビートルズはポピュラー音楽のインフルエンサーだったのです。

  特に面白かったのは、20世紀から今世紀に続くワールドミュージックの隆盛がポールやジョージから始まった、と感じられたところです。ワールドミュージックは、ボブ・マーレイやウェザ―リポートのジョー・ザビイヌルによってインフルエンスしたものと思っていましたが、その源流ははるかにビートルズにあったとはワンダーでした。

  難を言えば、最後の章について、ビートルズファンにとってはあまりに凡庸な結論であったので、拍子抜けをしてしまうのは否めないというところです。

  この本は、現在の音楽に大きなインパクトをもたらし、いまやファンが3世代目に突入したビートルズ、そしてその音楽がどのように成り立ち、どのような役割を果たしたかを教えてくれる貴重な本でした。音楽好きでビートルズ好きの方にはオススメです。


  コロナ禍はついに第7波まで到達しました。いまや自らが家族とともに、あらゆる手段(マスク、消毒、密回避)を通じて感染を防ぐことが当然な時代となりました。感染数はもはや世界レベルに達していますが、皆さん、感染防止に全力を尽くして、お過ごしください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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