原田マハ ゴッホ小説はこうして生まれた?

こんばんは。

  組織のトップに立つ人には、清廉さが求められるのは言うまでもありません。

  東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森嘉朗氏が辞任しました。その直接の要因は、氏が日本オリンピック委員会の会合の中で、「女性がたくさんはいっている理事会は時間がかかる。」と発言し、これが女性を差別する発言として、世界も含めた世論の顰蹙をかったことでした。たしかに、「ダイバーシティ(多様性)」が常識の一つとなっている現在ではありえない発言であり、聖火ランナーやボランティアの方々がその役目を辞退したくなる気持ちも当然のことと思います。

  辞任は当たり前のこととして、今回の出来事に一抹の不安も感じます。

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(新たに会長に就任した橋本聖子氏 asahi.com)

  それは、人の心にゆとりがなくなってきていることです。

  誤解を恐れずにいうならば、余裕と癒しのあるおおらかな組織であれば、どなたかが「森さん、理事会が長くなるのは、女性でも男性でも同じです。私もよく言われます。」と話せば、昭和の人が少々「ボケ」をかましたな、との雰囲気になったのではないか、と思うのです。当然、カリスマの森さんにそんなことを言えるわけがないとも言えますが、お年を考えればそんな場面があるのは当たり前だとも思えます。

  この言葉の前後の脈略はわかりませんが、おそらく森さんは、話の枕としてなごみも期待して語ったと思われます。それは森さんの中で昭和が延々と続いていることの証であると思います。考えてみれば、76歳で請われて東京オリンピック・パラリンピック組織委員会という大組織の長となってから7年間。森さんなくしては国際社会で組織委員会の仕事が回せなかったことも事実です。83歳というお年を考えたときに、誰もフォローできなかった、というこの狭量な世界に忸怩たる思いを感じるのは私だけでしょうか。

  人は、必ず間違いを犯します。特に若いとき、老齢のときには間違いもあります。とくに高齢者は永年刷り込まれてきたことを塗りなおすのは容易ではありません。そうした間違いが起きた時、人も社会もその「多様性」を問われるのだと思います。犯罪やいじめは許されませんが、若者や老人の過ちをゆとりを持って受け入れ、その過ちを質すことも「多様性」の一面ではないかと思います。

  小説「変身」の著者であるフランツ・カフカのエピソードがあります。若い詩人のグスタフ・ヤノーホがカフカの事務所を訪れたっとき、そこにギュートリングという詩を書いている役人がきていました。その中で、ギュートリング氏が「私自身、詩人ですから。」と語ったのに対し、カフカは「ええ、あなたは詩人です。」と答えました。ギュートリングが部屋を去った後、ヤノーホは「本当に彼が詩人だとお考えなのですか。」と問いました。カフカは、「彼は確かに詩人(ディヒター)です。」と返しました。

  「ディヒター」には詩人と言う意味と同時に「隙間のない人」と言う意味もあります。そして、「ディヒター」には釘で打ち付けられたとの意味から、「頑迷、愚鈍」という言葉になるのですが、ヤノーホはカフカが彼を頑迷、愚鈍な人と言ったと思い笑い声をあげました。

  カフカは、語ります。「そうではないのです。彼は自分の言葉に埋め尽くされて、現実に対して完全に(心の)隙間を塞がれているのです。」

  さて、今週は原田マハさんのゴッホ小説の副読本を読んでいました。

「ゴッホのあしあと」

(原田マハ著 GS幻冬舎新書 2018年)

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(「ゴッホのあしあと」 amazon.co.jp)

【ゴッホは日本に住みたかった?】

  この本をおなじみ本屋さん巡りで見つけたのは、2年以上も前の話です。

  この本が新書で発売されたのは、「たゆたえども沈まず」が単行本で上梓された後ですので、ターゲットは単行本で読んだ人たちでした。以前に「モネのあしあと」を読んでいたので、見てすぐに購入したのですが、目次を見ると小説のネタばれが随所にありそうで、まずは本編を読んでからと決めて本棚で眠っていたのです。

  まさか文庫化されるまでにこれほどの年月が経とうとは、幻冬舎さんは商売が上手で、文庫化したと同時に副読本としてこの「ゴッホのあしあと」も文庫化されたのです。

  ということで、本編を読み終わるとすぐにこの本を読み始めました。さすが、副読本と銘打たれているだけあって、読むにつれて小説のどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのか。はたまた、なぜこの小説がこれまでのマハさんの小説と異なっているのか、がとてもよくわかりました。

  まずは、目次をチラ見です。

プロローグ 私とゴッホの出会い

第1章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛

第2章 パリと林忠正

第3章 ゴッホの夢

第4章 小説「たゆたえども沈まず」について

第5章 ゴッホのあしあとを巡る旅

  小説を読んだ方には、興味が尽きない内容に間違いありません。

  今回の小説は、あまりネタばれの心配がありません。それは、謎解きの要素が少ないからです。ゴッホの人生はあまりにも知られており、そのエピソード自体は有名なものばかりです。また、ゴッホが画業に専念できたのは、弟のテオが仕送りを行ってその画業を応援していたおかげですが、その陰でこの兄弟がどれだけの辛苦を味わいながら生きていたのか、これもすでにその手紙によってよく知られています。

  しかし、実際にゴッホの絵をみると、そうした彼のエピソードよりもなによりも、その画自体が発するオーラがすべてを吹き飛ばして「絵」に込められたパワーに呆然としてしまいます。

  そんなゴッホが日本にあこがれていたとは、どういうことなのでしょう。

  ゴッホが日本を知っていたのは、当時パリで大流行していたジャポニズムによるものでした。そこで紹介されたエキゾチックな日本美術の魅力は当時パリの万博での展示がその出発点でした。特にこれまでの伝統的なアカデミー派の絵から脱却しようとしていた画家たちにとって、日本の浮世絵の技法は驚異的なものでした。その遠近法を無視するような構図や版画とは思えない豊かな色彩、そして単なる線を駆使した写実表現。

  印象派やポスト印象派と呼ばれる画家たちは、皆、浮世絵の技法を研究しました。そして、ゴッホもそのひとりだったのです。ゴッホは浮世絵に描かれた明るさと華やかさから日本にあこがれを持っていたに違いありません。そして、マハさんはその思いに焦点を当てて、当時パリで画商を営んでいた日本人、林忠正とゴッホとの出会いを描いたのです。

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(ゴッホ模写の広重作浮世絵  wikipediaより)

  オランダ出身のゴッホとテオは、どんよりと雲の垂れ込める国で育ちました。彼らは太陽の光にあこがれていました。そして、ゴッホはあこがれの日本に行くことができない代わりに、光に溢れたアルルへと旅立ったのです。アルルでは、若き芸術家たちのコミュニティを創りたい、そんな夢を描き、彼がゴーギャンをアルルへと誘ったのです。

  アルルと日本。その関係は、ぜひこの本で読み解いてください。

【ゴッホの絵画を巡る旅】

  この本は、題名の通りゴッホの足跡を追っています。

  第3章では、ゴッホがめざし、夢見た絵画とはどのような作品だったのかが、作品の変遷とともに語られていきます。そこで語られる作品は、アルル時代に描かれた「夜のカフェテラス」。この作品が所蔵されているのはクレラー・ミュラー美術館。この美術館には、ゴッホの作品が数多く収蔵されていることで有名なオランダの美術館です。

  他にも「アルルの跳ね橋」、「種まく人」、「じゃがいもを食べる人々」、「糸杉と星の見える道」などの作品が収蔵されていますが、その作品は何度か日本にも来てくれています。

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(ゴッホ「夜のカフェテラス」 wikipediaより)

  マハさんは、アルル時代の絵画にはゴッホの心の奥に秘められた「孤独」がその画面に感じられると言います。その孤独は、アルルにきて一緒に生活したゴーギャンがたった2カ月で家を出ていったことで頂点に達します。ゴッホが住んでいたのは黄色い家と呼ばれており、その家を題材にしていくつも絵を残しています。そこには、「ゴーギャンの肘掛け椅子」、「ゴッホの椅子」という作品があるのですが、この2枚には椅子だけが描かれていて、そこにいるゴーギャンもゴッホもあがかれていません。

  この孤独な2枚の絵は小説でも重要な役割を果たしています。

  ゴッホは、ゴーギャンが出ていったときに自らの耳を切り取るという驚きの行動に出ますが、その行動が災いして精神病院で療養することになります。アルルの市民病院から紹介されたサン=レミにある修道院に付属する精神病院でゴッホは1年を過ごすことになります。ここでは、数多くの作品が生まれていますが、マハさんはここでゴッホの強さを感じたと語っています。

  この修道院に着いた頃にかかれた「アイリス」という作品やサン=レミで観られる糸杉を題材とした作品は、ゴッホの代表作となりました。また、このころに弟とテオとヨー夫妻の間に生まれた甥へのお祝いに「花咲くアーモンドの木の枝」という作品を描き、贈っています。修道院の部屋は三畳ほどの狭苦しい閉鎖空間で、訪れたマハさんはこの環境で次々と名作を描いたゴゥホの強さに驚嘆しています。

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(ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」wikipedia)

  そして、その後ゴッホは終焉の地となるオーヴェル=シュル=オワーズへと移り住みます。この地では、下宿屋であるラヴー亭で生活しましたが、そこでの暮らしはたったの60日間に過ぎません。その60日の間、「オーヴェルの役場」、「ガッシュ石の肖像画」、「オーヴェルの教会」、「オ-ヴェルの階段」、「ドービニーの庭」、「カラスのいる麦畑」、「アザミの花」など数多くの名作を残しています。

  最後にこの本は、ゴッホの絵を見ることができる日本の美術館を紹介してその旅を締めくくります。

  この本は、ぜひ小説を読み終わったのちに手に取ってください。マハさんのゴッホへの想いが伝わってくると同時に小説の解読に役立つことに間違いありません。


  大阪、名古屋周辺では、緊急事態宣言の解除も検討されているようですが、油断大敵です。ここまで縮小してきた感染者数や重症患者の数も、人が接する機会が増えればアッという間に再びうなぎのぼりとなることは目に見えています。皆さん、ここまで頑張ってきた自分をほめつつ、ワクチン接種が万人にいきわたるまで、お互い自粛に務めましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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原田マハ たゆたえども沈まず、とは?

こんばんは。

  原田マハさんの書いたゴッホ小説をついに読みました。

「たゆたえども沈まず」

(原田マハ著 幻冬舎文庫 2020年)

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(原田マハ 「たゆたえども沈まず」amazonより)

【アート小説とフィクションの妙】

  マハさんの小説の魅力は何度となくこのブログで紹介してきましたが、またまたアートの世界を描く素晴らしい小説が上梓されました。今回、マハさんが挑んだのはあのフィンセント・ファン・ゴッホです。その「ひまわり」の絵が数十億と言う金額で取引され、なんどとなく美術展が開催される孤高の画家ゴッホ。そのゴッホを原田さんはどのように描くのか。興味は尽きません。

  マハさんのアート小説は、変幻自在です。

  初めてのアート小説である「楽園のカンヴァス」は、本格的な謎解きを織り込んだ素晴らしいミステリー小説でしたが、そこに描かれていたのはアンリ・ルソーの作品に対する限りない愛情とリスペクトでした。かの有名なルソーの「夢」に描かれた女性、その名前はヤドヴィガです。いったいルソーはどのように宿ヴィかと出会い、彼女を描いたのか。そして、ルソーの絵に新たな絵画の力を感じ取った若き日のピカソ。ピカソはルソーを応援するために自ら選択戦と呼ばれたアトリエに仲間を呼んで「夜会」を催しました。

  かの有名な夜会も題材とした謎解きの小説はアート小説に新境地を切り開きましたが、それはその後の序章にしか過ぎなかったのです。

  その後、マハさんは次々とアート小説の傑作を世に問うて行きます。画家たちにかかわりのある女性たちの視点から印象派の巨匠たちを描いた中短編集「ジュヴェルニーの食卓」では、印象派の絵にも通ずる抒情と感性を作品に昇華しました。さらにニューヨーク近代美術館を舞台とした短編集「モダン」でのコント。スペイン内戦の時代から第二次世界大戦までのパリ時代のピカソを描いた「暗幕のゲルニカ」では、ピカソの愛人を語り部としながらピカソの「ゲルニカ」の作品としての変遷を語りました。

  若くして夭折した天才オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルドの邂逅を描き、最後には読者の背筋をぞっとさせるスリラータッチの作品「サロメ」は、記憶に新しいところです。

  そんなマハさんがこの作品ではどんなワンダーを味合わせてくれるのか、本当に文庫本になるのが待ち遠しい作品でした。

  そして、期待をたがえることなく、今回も新たな手法で我々を驚きと感動の世界に導いてくれました。それは、大胆な着想によるゴッホと日本の物語だったのです。

【炎の人 ゴッホとは?】

  皆さんは、ゴッホと聞いて何を思うでしょうか。

  「炎の人ゴッホ」との名称は、映画の題名です。ゴッホの伝記映画としては昨年制作された「永遠の門 ゴッホの見た未来」が話題になったのは記憶に新しいですが、この題名は1956年に名匠ヴィンセンt・ミネリ監督が撮った映画の邦題となります。この映画は牧師であった父親の後を継ごうと聖職者を目指した青年時代から亡くなる37歳までを描いた力作で、ゴッホを演じたのはカーク・ダグラス。ゴーギャンを演じたアンソニー・クインはこの映画でアカデミー助演女優賞を受賞しています。

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(「炎の人ゴッホ」DVD  amazonより)

  この映画は、かつて日曜映画劇場で観て感動した映画で、私の中ではゴッホといえば「炎の人」という印象が定着略してしまいました。実は原題は「Lust For Life」との題名で、これは「生への渇望」を意味しています。原題通りであれば、ゴッホへの印象も大きく変わったと思われます。

  映画の題名はともかく、ゴッホの絵は確かに我々を魅了してやみません。鮮やかで現職のようなエキゾチックな色使いもさることながら、油絵の具をまるで3Dのように画布に盛り上げて表現する技法は独自のもので、見る者に強烈な迫力を持って迫ってきます。

  これまで、美術展では数多くのゴッホを見てきました。

  いったいなぜゴッホの絵はこれほど我々を魅了するのでしょうか。印象派の絵が我々を魅了するのは、描かれている対象が単なる風景なのではなく、作家の目や心に映った光や事象であり画家の心がそこに反映されているからに違いありません。ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンなどの作品は、ポスト印象派と呼ばれています。それは、シスレーやピサロ、マネなどの印象派をもう一歩進めた作品を描いたという意味でもあります。

  印象派が「眼」に映った光のうつろいをカンヴァスに写し取るのに対して、ゴッホは「眼」よりも「心」に作り上げた事象をカンヴァスに焼き付けようとしています。花瓶に生けられたひまわりを何度も何度もカンヴァスに描くには、自らの心にあるひまわりと、カンヴァスに焼き付けたひまわりにギャップがあるからに違いありません。

  マハさんがこの小説で究極のゴッホとして描いているのは「星月夜」と言う作品です。晩年、アルル北東にあるサン=レミ・ド・プロヴァンス村のサン=ポール・ド・モゾル療養所で生活していたゴッホがその部屋から見える糸杉をモチーフに数々の作品を書き残しました。「星月夜」は、明け方のまだ三日月が残る夜空を背景に黒い糸杉が夜空に身かって伸び、渦巻く夜に向かって佇む姿を描いています。その迫力は唯一無二の作品です。

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(ゴッホ「星月夜」wikipediaより)

  これまで、様々な場面で見たゴッホの絵は、いかにして自分の心をそこに映し出そうかと苦悩しているように思えます。コスモポリタン美術館展で観た「糸杉」は、昼の淡い青空に黒く大きな糸杉が屹立していて、糸杉の命に自らを託しているように見えました。また、最晩年に麦畑に種まきを飛び交うカラスを描いた作品では、暗い夕日を背景に飛ぶカラスが黒く描かれており、ゴッホが自らを塗りつぶしてしまいたいと思っている心が見えてくるようでした。

  ゴッホと言えば病的なまでにつきつめた精神性と緊迫感を思い出しますが、これまで見たゴッホの中で一番好きな作品は、松方コレクションの一枚で、現在では上野の国立西洋美術館に収蔵されている「ばら」という作品です。

  この小説には、アルルでゴーギャンとの共同生活が破たんして耳の一部を切り落とす事件の後、「星月夜」を描いた療養所からパリに一時帰った時のゴッホの姿が描かれています。結婚して、優しい奥さんと子供(子供の名前は、ゴッホの名と同じフィンセントです。)に恵まれた弟テオのもとを訪れたゴッホは、本当に穏やかで幸せな3日間を過ごします。この「ばら」を見ると、その静謐な筆致の中にテオの新居を訪れて幸福感の中にいるゴッホが思い起こされます。

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(ゴッホ「ばら」国立西洋美術館HPより)

  37年の間に素描も含めて2100もの作品を残し、最後は自らを銃で打ち抜いたエキセントリックな生涯。マハさんがその絵画と生涯をどのように描いたのか、読み逃すわけにはいきません。

【ゴッホと日本と浮世絵と】

  マハさんの中短編集「ジヴェルニーの食卓」に「タンギー親父さん」を描いた作品が収められています。タンギー親父さんはパリの画装具店の店主です。彼は若き芸術家が大好きで、その店には絵具代を払えない画家たちが後払いで絵具を買っていき、支払の代わりに作品を置いていくのでまるでギャラリーのようになっていたのです。

  ゴッホも絵具代の代わりに「タンギー親父」の肖像画を描いているのですが、その背景にはたくさんの浮世絵が飾られており、ゴッホはその浮世絵を描いています。ゴッホを始めとする印象派やポスト印象派の画家たちは、当時「ジャポニズム」が流行するパリにいて、日本の浮世絵の手法に大きな影響を受けていたのです。当時、パリには熱狂的な日本の美術収集家がおり、その人たちは「ジャポニザン」と呼ばれていました。

  1986年の3月、ゴッホは当時「グーピル商会」という画商のパリ支店の支配人であった弟のテオを頼ってパリにやってきます。そこで、ゴッホは浮世絵に出あいその技法の虜となります。丁度その年の5月、流行の絵入り雑誌「パリ・イリュストレ」で日本特集が組まれ、発売されました。その特集の表紙を飾ったのは渓斎英泉の浮世絵「雲龍打掛の花魁」だったのです。この浮世絵は、「タンギー親父さんの肖像」の背景に描かれたのはもちろんですが、ゴッホはこの絵を模写しているのです。

  実は、この「パリ・イリュストレ」の日本美術の特集記事は日本人によって書かれた記事が掲載されています。その記事の執筆者は林忠正。この雑誌が発売された19865月、林忠正はパリで美術商を営んでいたのです。その美術勝の名は、「若井・林商会」。林忠正は、その美術勝の社長としてパリの美術界で辣腕をふるっていたのです。

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(雑誌「パリ・イリュストレ」wikipediaより)

  丁度この時期、フィンセント・ファン・ゴッホの弟であるテオは、当時ヨーロッパ屈指の美術商である「グーピル商会」のモンマルトル大通り支店の支配人を務めていたのです。そして、テオは、画家を志す兄フィンセントに仕送りを行い、兄の画業をささえていました。フィンセントは、テオの仕送りによってまったく売れるあてのない絵を好きなだけ描くことができたのです。しかし、一家の長兄であるフィンセントは無一文で稼ぎのない厄介者である自分を常に苛んでいたのも事実でした。

  マハさんが描くゴッホは、同じ時代にパリの空の下にいた日本美術を扱う美術商林忠正とその下で働く加納重吉、フィンセントとテオドールたちの間で繰り広げられる絵画の物語なのです。果たして、ゴッホはどのようにして日本の浮世絵と出会ったのか。フィンセントとテオの兄弟は、パリでどのように過ごしていたのか。現在、我々が知るゴッホの絵のほとんどは、この浮世絵との出会い以降に描かれた絵となります。マハさんはこの小説で、ゴッホが自らの絵画に目覚めた理由を我々に提示してくれるのです。

【ゴッホにかかわる数々の謎】

  ゴッホは周囲の人たちにたくさんの手紙を書いており、多くの手紙が現代に残されています。とりわけゴッホの生活費のほとんどを仕送りによって賄っていた弟テオとの間で交わされた手紙は、「ゴッホの手紙」として上梓されており、多くの研究者がゴッホの人生を追っています。

  にもかかわらず、ゴッホには多くの謎が残されています。

  特に、死の直接の原因となった行為、リボルバーによって自らの腹を打ち抜いたとされる行為は謎につつまれています。そこには目撃者はおらず、真実は藪の中にあります。そもそも、彼が手にしていたリボルバーはどこから現れたものなのか。果たして、その日にゴッホは本当に一人だったのか。研究者の中には、それは自殺なのではなく他殺だったとの説を唱える人さえいるほどです。

  さらに、ゴッホが最後まで追求してやまなかった絵画。彼が目指した絵はどんな絵だったのか。

  今回の小説は、ミステリー小説ではありません。しかし、この小説ではその謎がみごとに解き明かされています。そして、セーヌ川に囲まれ、そのセーヌ川に翻弄されたパリ。「たゆたえども沈まず」とはパリを表わす言葉ですが、マハさんは、そこに人が生きていく想いを幾重にも重ね合わせてこの小説を完成させています。

  絵画が好きな方もそうでない方も、一度この本を手に取ってみて下さい。ゴッホの秘密の一端が皆さんの心を開いてくれるに違いありません。

  新型コロナウィルス封じ込めのための緊急事態宣言が続いています。皆さん、くれぐれも手洗い消毒、マスク着用、脱3密を心がけ、脱コロナ禍を実現しましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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池上彰 佐藤優 知的再武装のノウハウ

こんばんは。

  第46代のアメリカ大統領にジョー・バイデン氏が就任しました。

  歴史とは本当に面白いもので、人間の行ってきた行為とは必ず繰り返すという言葉を改めて思い出しました。というのも新大統領の就任式にトランプ氏が出席しないとの報道に関してのことです。アメリカは民主主義とフェアプレイを信条としてきた国なので、新大統領の就任式に前大統領が出席しないことがあったなどとは夢にも思いませんでした。ところが、152年前にもそうした出来事があったというのです。

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(離任式で演説するトランプ前大統領 yahoo/co/jp)

  調べてみると、新大統領就任式に出席しなかった大統領は、第17代アメリカ大統領のアンドリュー・ジョンソン氏でした。そのときの新大統領は共和党のユリ―シーズ・グラント第18代大統領です。今回は、再選を果たせなかったトランプ氏が自ら新大統領の就任式を欠席したのですが、152年前には、新大統領であったグラント氏が前大統領を嫌い、就任式に行く馬車にジョンソン氏を乗せなかったためにジョンソン氏は就任式に出席でしなかった、というのです。

  歴史は繰り返す、とはその通りなのですが、まったくおなじではなかったようです。

  アンドリュー・ジョンソン氏は、かの有名なリンカーン大統領の下で副大統領を務めており、リンカーンが暗殺されたために大統領に就任しました。ジョンソン氏は意外なことに奴隷制度を擁護する南部出身の民主党党員でしたが、南部の州が連邦政府から脱退することには反対で、そのためリンカーンに認められ、南部の代表と言う意味で副大統領となったようです。そのため、大統領に就任後も南部の奴隷制度を容認する政策を取り続け、アメリカ史上初の弾劾訴追を受けた大統領としてその名が残っているのです。

  ジョンソン氏は、あまりに南部の議員や制度を擁護したせいで、共和党員から弾劾を受ける羽目になったのですが、新大統領の就任式への欠席や弾劾訴追を受けた事実など、トランプ氏と共通点があることは間違いありません。

  当時は、南北戦争という内戦で、アメリカは真っ二つに分断されていました。その様は、トランプ氏の支持者への先導などから現代のアメリカが分断されている状況によく似ています。バイデン大統領は、その就任式で「unity」という言葉を繰り返し使い、分断されたアメリカ国民の融和と結束を語りかけていました。それは、まるで内戦によって二つに割れてしまったアメリカを再びひとつにまとめなければならなかった南北戦争の状況とよく似ています。

  ソビエト連邦が崩壊して冷戦が終わった時、世界中の人々は「自由と平等と民主主義」が世界に戻ってくると願いましたが、世界の多様性はそこには向かわず、様々な不幸を繰り返していく歴史が続いています。

  禍福はあざなえる縄のごとし、と言いますが、人間は幸福と不幸を繰り返して少しずつ進歩していく動物であることは間違いがないようです。

  我々は、物理的にも精神的にも弱い動物です。そのために、ともすれば強い力を持つ個人や団体に自らをゆだねて生きていく方が楽なのかもしれません。しかし、強い権力を持つ個人や勢力が、多くの人を幸福にするとは限りません。やはり、生きる権利を持つ個人個人が、最大公約数の幸せとは何かを真剣に考え、一人一人が自分の人生と他人の人生の両方を視野に入れて幸福を求めていく教養と意志を持つ必要があるのだと思います。

  その意味で、多様性を否定する社会は一部の人だけの幸せに甘んじる社会になるのだと思います。

  ところで、就任したバイデン大統領は、歴代大統領の中で最も高齢な78歳です。次期大統領選の時には82歳。そうした意味では、社会の高齢化を象徴する指導者と言っても過言ではありません。しかし、その穏健で様々な経験を経てきた政治家としての経歴が分断のアメリカには必要なのかもしれません。

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(就任演説を行うバイデン新大統領 asahi.com)

  翻って考えれば、我々の寿命もどんどんと延びています。このブログを始めた時、「人生楽しみ」の年齢は52歳でしたが、11年目に突入した現在は62歳となりました。

  小学校6年生の時にアポロ11号が人類初の月世界着陸に成功したとき、はじめて「21世紀」を意識しましたが、2001年の自分の年齢を計算してみると42歳。その頃は、42歳の自分など全く想像もできず、そんなに長く生きているのかさえも不確かでした。しかし、現実には、その日その日を生きてみると、気が付くとその年齢は単なる通過点でした。

  皆さんは、自分が60歳となった姿を想像できるでしょうか。人間50年と言われた安土桃山時代から、現在は人生100年時代へと変貌しつつあります。まだ、企業の定年は60歳ですが、自分のことを考えれば60歳は単なる人生の通過点に過ぎないと思えます。しかし、普通の会社員にとって仕事に生きることができるのは遅くても65歳までです。

  かつては、生きていることさえ稀であった人生の後半戦、我々はどう生きれば幸せなのでしょう。

  今週は、人生の後半生、どのように知的再武装をすべきかを語る対談集を読んでいました。

「知的再武装 60のヒント」

(池上彰 佐藤優著 文春新書 2020年)

【知的に生きるためのノウハウ】

  池上さんと佐藤さんの対談は、その汲めども尽きぬ知的な刺激が楽しく、新たな対談本が上梓されるたびに、つい読んでしまいます。

  今回も、お二人のお名前と「知的再武装」という佐藤優氏らしいその題名に惹かれて本を手に取りました。相変わらず、お二人の対談は軽妙洒脱で、なおかつ奥が深いものでした。

  これまで、お二人は歴史や世界情勢、はたまた新聞の読み方まで、さまざまな知的な対談本を上梓していますが、今回の対談は人生後半戦での知の磨き方に焦点を当てたトークとなっています。しかも、その作りは現代ではよく売れるノウハウ本のような体裁となっているのです。

(目次を紐解くと)

第一章 何を学ぶべきか
第二章 いかに学ぶべきか
第三章 いかに学び続けるか
第四章 今の時代をいかに学ぶか
第五章 いかに対話するか

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(「知的再武装対談」 amazon.co.jp)

  この本で語られる「知的再武装」とは、60歳になった人、または60歳に備えようとする人をターゲットに対話された本であり、まさに今の私がど真ん中という内容でした。実は、買った時にはあまり考えなかったのですが、題名通りに対談には60個のヒントが箇条書きにされていて、まさにノウハウ本の体裁を取っています。

  例えば、最初のヒントは、「ヒント1.45歳は重要な折り返し地点。45歳までに自分は何をやったのか。そのリスト作りをする。」、第二章では、「ヒント24.読書の間に眠たくなったり読めなくなったりしたら、腹式呼吸で音読してみる。本が読めなくなったら、オーディオブックなどを併用する。」など、かなり実践的なヒントが並んでいます。

  しかし、このブログを読んでくださる方なら知っていると思いますが、池上さんと佐藤さんの対談が、ただのノウハウ語りで終わるわけがありません。随所にお二人の体験やおすすめ本がちりばめられており、その見識にワンダーを感じる場面が次々に登場します。佐藤優氏は、「学ぶ」と言うことに関しては、45歳が一つの分かれ目だと主張します。45歳までは、新しいことにチャレンジすることがおすすめだが、45歳以降はそれまでに成し遂げた(または成し遂げようとした)事柄や築き上げてきた人間関係を充実させていく時期になると言います。その理由は、45歳を過ぎると新たなことを身に着けることや記憶することに膨大な時間を要することになるからです。

  池上さんは、記憶力は45歳を過ぎるとザルになると言います。それまでは、バケツのように記憶がたまるのに比べ、45歳を過ぎるとまるでザルのように記憶が消えていくのです。その語りの中で、佐藤さんが記憶力に関するエピソードを披露してくれます。

  佐藤さんは、ご存知の通り国策捜査によって背任と偽計の罪で拘置所に収監されました。そのときにボールペンを差し入れてもらうまでの8日間は筆記道具がなく、すべてを自分の記憶にとどめるしかなかったために記憶力が飛躍的に強くなったというのです。氏は一日56時間の取り調べの質問をすべて記憶して、翌日に弁護士に記憶したすべてを語ることを実践していたのです。記憶力は鍛えられたのですが、ボールペンが手に入ってメモするようになると、とたんに何も覚えていられなくなったそうです。

  この本には、こうしたお二人の体験談がたくさん詰まっておりまさに学ぶに持って来いなのです。

【おすすめ本も盛りだくさん】

  対談の中では、お二人が会話の中でぜひ読んでほしいというおすすめ本がたくさん紹介されています。

  特に今や古典となっている名作の紹介は面白い。特にお二人は昔読もうと志して読めなかった本の再読をすすめているのですが、古典の現代語訳や海外の古典の翻訳が新たになされており、その最新版がおすすめ、とのくだりは刺激的です。

  例えば、ドイツの哲学者ライプニッツの古典「マナドロジー」の岩波文庫版は新訳が発売されてやっと良い翻訳が発売されたとの語り。はたまた、岩波文庫の「太平記」の新たな現代語訳もおすすめだと言います。

  本の話となったとたんにお二人の話は盛り上がり、次々と本の名前が出現します。佐藤さんが最新の情報を語るための教養として「日本国勢図会」や「世界国勢図会」をあげれば、池上さんは、福沢諭吉の「学問のすすめ」と森鴎外の「舞姫」を語ります。そして、そのつながりから佐藤氏は「天は自ら助くる者を助く」で有名なスマイルズの「自助論」で切り返す、という具合です。

  この対談でおすすめの本を挙げ始まるとキリがなくなるので、ぜひ本書を紐解いてほしいのですが、特に興味深かった本をご紹介します。

  まずは、ヒトラーとレーニンの読書術に学ぼうという話です。文春文庫の「ヒトラーの秘密図書館」では、ヒトラーは、自分の机に遊個に備えてある本棚を常に入れ替えて、その時々に必要な本を常に読んでいたそうです。また、レーニンには、「哲学ノート」、「国家論ノート」などの本があり、レーニンは自分の読んだ本のエッセンスをノートにメモし、その横に「そうだ、その通り!」、「ずれてる!」などのコメントを記していたといいます。

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(「ヒトラーの秘密図書館」 amazon.co.jp)

  記憶力の話に及んだ時には、世界的なベストセラーとして、「KGBスパイ式記憶術」(水王舎)なる本を紹介しています。これは、インテリジェンス好きにはぜひ読んでみたい本です。

  さて、この対談集は確かにノウハウ本の体裁を取っていますが、このお二人の対談はそんな形式的な語りにとらわれることはありません。特に、第四章と第五章では、ヒントやノウハウなどと言う言葉は吹っ飛んでしまうほどに体験からくる面白い話がちりばめられています。

  人生後半戦の「学び」に興味のある方は、ぜひこの本を手に取ってください。人生をさらに充実させるヒントが満載です。


  緊急事態宣言が11の都府県に発出されてから2週間となりますが、新規感染者の数はなかなか減少に至りません。夜間だけではなく、なんとか昼間の人出をおさえていかなければなりませんが、テレワークができない現場仕事を止めることは難しそうです。この際、医療現場以外では、すべての国民が2週間の休暇を取得して、買い物以外は家に閉じこもることにしてどうでしょうか。思い切った自粛がなければ、重症患者の減少は実現しないのではないでしょうか。

  それでは皆さん、マスク・手洗い消毒を励行してお元気で、またお会いします。


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三上延 ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ

こんばんは。

  SNSの世界では、動画が最も熱いアイコンとなっています。

  デジタルの世界での中国の存在感は今や際立つものとなっています。14億の人口(この間まで13億だったのですが、今や13.9億人)ですから、そこから吸い上げられる富は底なしの井戸のようなものです。自由経済を取り込み、人民が富を蓄えることが可能となり、携帯のファーウェイ、電子決済のアリババ、動画配信のTikTok など、バーチャルプラットホームの世界では国境を越えて世界を席巻しているといっても過言ではありません。

  もちろん、中国が共産主義であることも事実であり、自由主義圏である我々は国防の問題もおろそかにはできません。

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(世界を席巻するTikTok nikkei.comより)

  それにしても、動画という直観的なコンテンツに慣れてしまうと、瞬間的な会館の連鎖がエスカレートして、立ち止まって考えるという習慣が失われてしまうことが危惧されます。ヨーロッパの教育現場では、幼いころから自ら考え自ら行動し、自らの責任を自覚する、との教育が過程においてもなされており、思考を深めることが求められています。残念ながら日本では、複数の答えのある設問に対して相対的な回答を導き出す力が鍛えられていない、との現実があります。

  大学入試などにおいても、採点の問題もあり、思考なくして回答する設問がほとんどです。

  逆に企業ではグローバリゼーションに対応できなければ生き残れません。そこでは、職員一人一人が自ら考え、自ら学び、自ら行動することが常に求められています。そうした環境では、瞬間的な動画や映像への反応だけでは、仕事を効果的に進めることは難しいと言わざるを得ません。そこに必要なのは、思考やコミュニケーションの手段となる言葉です。

  合理的な思考は、言葉によって語られることで共有化が可能です。我々が創造してきた弁証法や演繹法による理論付けや科学を探求する前提となる仮説(課題)の形成には、積み重ねていく言葉が必要不可欠です。そして、そのために必要なのは、自国語を操る能力です。国際的なコミュニケーションのためにはバイリンガルであることが求められますが、自国語に精通していなければ多国語を効果的に使うことができません。

  そして、自国語である言葉に精通するためには、言葉を知ることが必要不可欠です。

  言葉による思考の深みを身に付けるには、本を読むことが重要です。

  かつては、新聞のコラムや社説を読むことが、言葉による利起承転結を学ぶには最も有効と言われましたが、いまや若い人たちには「新聞」は死語に近いのではないでしょうか。今は、「検索」すればすべてが数秒のもとに簡略に表現されて出現します。こうした中で、「本」が手に取られるためには、本を読むことが面白くなければいけません。

  「本が面白い」これが、言葉を深めるための原点です。

  と、前ぶりがやたらと長くなりましたが、「本」への感動とリスペクトを題材にした物語が再び始動しました。さっそく読みましたが、あの面白さが帰ってきました。

「ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ ~扉子と空白の時~」  

(三上延著 メディアワークス文庫 2020年)

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(三上延「ビブリア古書堂 Ⅱ」amazon.co.jp)

【篠川栞子さんは今!】

  北鎌倉駅かプラットホームから見える古書店の名前は、「ビブリア古書堂」。そこの若き女性店主、篠川栞子の物語は、2010年に始まりました。ちょうどこのブログを始めた時期と重なるので、とてもよく覚えています。

  就職浪人をしていた時にアルバイトとしてこの古書店で働くようになった五浦大輔。物語は、その始まりから我々を魅了しました。五浦大輔くんがまだ高校生のころ、この古書店でみかけた美しい女性。アルバイト先に来てみると、何とその美少女がこの店の主人だったのです。ところが、この女主人は、その美しいプロポーションや容貌とは似合わない、強度の人見知り体質だったのです。

  しかし、ほとんど人と話すことができない栞子さんが「本」のかかわるとき、彼女はスーパーウーマンへと一瞬にして変身します。彼女は部類の本好きで、こと本のことに関しては古今東西知らないことがないほどの博識。さらには、「本」の話になると人見知りであることも忘れて、いつまでも話し続けるのです。

  そして、その本好きがいつのまにか本に関する謎を呼び寄せることになるのです。

  初めての事件は、自らが巻き込まれた太宰治の初版本にかかわる犯罪でしたが、「本」にかかわる謎を次々に解き明かすうちに、人が人を呼び、いつしか本にかかわる事件が起きると、その相談が「ビブリア古書堂」に舞い込むことになったのです。

  このシリーズは、みごとな舞台設定とひとつひとつの物語のプロットが秀逸で、テレビドラマにもなり、映画化もなされました。最初のシリーズは、栞子さんと大輔くんが知り合ってから2年間に起きた数々の事件をもの語り、二人の家族にまつわる謎を含めて展開。その謎が解き明かされるにしたがって二人の中も進展し、最終話で二人はみごとにゴールインしたのです。

  主人公は、女店主である栞子さんですが、このもの語りの語り部は、基本的に五浦大輔くんでした。大輔くんは、不思議な体質で「本」が好きなのにもかかわらず、長時間本を読むと気分が悪くなり目が回ってしまう、という体質です。しかし、本の話を聴くのは大好きで、栞子さんが本の話を始めるといくらでも身を乗り出して聞き入るので、栞子さんも嬉しそうに話をいつまでもし続けるのです。その二人は、まるでシャーロック・ホームズとワトソン医師との関係の様でもあります。

  このシリーズは、数々の謎を我々に解き明かしつつ、第7巻を持って2017年に終了しました。

  今回、そのシリーズが再び始動したのです。

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(文庫本のおまけカードの栞子さん)

  その舞台は、2021年。まさに現在なのですが、著者の三上さんのプロットは一筋縄ではいきません。この第二シリーズには、二人の間に生まれた一人娘、篠川扉子(五浦くんは、篠川家に婿に入ったのです。)が登場します。実は、プロローグで登場する扉子はなんと高校生なのです。

  あれ、おかしくない?2012年に結婚したのなら、扉子が生まれたのは2013年のはず。高校生ならば、15歳。とすると、プロローグの年は、2028年でなければおかしいのです。そうです。ここが、著者の時間をあやつるワンダーなプロットとなるのです。そのタネあかしは、この本を読んでのお楽しみです。

【横溝正史は、家庭小説作家?】

  今回の謎解きの題材は、江戸川乱歩と並んで日本のミステリーの扉を開いた立役者、横溝正史です。

  横溝正史と言えば金田一耕助が即座に思い浮かびますが、私の中では、角川映画でシリーズ化された石坂浩二演じる金田一耕助が横溝正史のイメージそのものとなっています。残念ながら、横溝作品は一冊も読んだことがありません。

  市川崑監督の「犬神家の一族」が制作されたのは1976年ですが、この年に私は高校生でした。その頃は、SF小説にはまっていて小松左京、筒井康隆、星新一、平井和正などの作品やホーガン、フレドリック・ブラウン、アシモフ、ハインラインなどを読みさっていました。実は、ミステリーにも手を伸ばし始めていたのですが、そのヒーローはアルセーヌ・ルパンでした。なぜアルセーヌ・ルパンかといえば、彼が殺人を犯さないことをポリシーとしていたことがとても魅力的だったからです。いわいる義賊で人を傷つけることなく、人を苦しめる人間から意表を突く方法で盗み取る、なんとも格好良いヒーローでした。

  横溝正史の金田一ものは、殺人事件が盛大に起きるという印象が強く、あまり読む気がしなかったのです。映画を見ても確かに連続殺人事件が起こるのですが、市川崑監督は主演を石川浩二とすることにより作品から血なまぐささを消し去りました。さらに、金田一耕助の推理は犯人の人としての悲しい生きざまへの理解を前提としており、その意外性も相まって本当に面白い作品でした。

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(映画「犬神家の一族」ポスター)

  今回、著者が取り上げた横溝正史は、映画ですっかり日本人におなじみとなった作家であり、作品は成功しています。

  この物語で取り上げられる横溝の作品は、最もメジャーな金田一ものとは異なります。それは、「雪割草」という横溝正史らしくない「家庭小説」なのです。さらに今回の作品にはいくつものワンダーが仕掛けられています。

  この作品の構造として、4つの時間軸が内包されているところが読みどころとなります。まず、プロローグとエピローグで語られる扉子が高校生の世界(2028年?)、そして、最初の事件が起きるのは、前のシリーズが終了した直後の2012年。さらには、2021年の10月には扉子は小学生になっています。そして、2012年に起きた事件の続きとなる第4の時制は、2021年の11月。

  横溝正史の作品にまつわる3つの章は、前回シリーズに勝るとも劣らない構成でその面白さは抜群です。

  ネタバレとはなりますが、その面白さの一端をご紹介すると、第一話と第三話は、同じ本を題材とした物語となっています。今回の事件の依頼者は、鎌倉に住む旧家の娘です。上島家は古くから続く華族の家のようです。当主は未亡人であった女主人ですが、彼女には双子の妹がいました。双子の妹のうちのひとりは、生まれてすぐに親戚である井浦家に養子として出され井浦姓となりましたが、戦後には井浦家と上島家は同じ鎌倉の屋敷に住んでいたのです。

  上島家は、戦争で男たちが亡くなり、戦後には長姉の秋世と双子の妹春子と井浦初子が残りました。今回の依頼人はその井浦初子の娘、井浦清美です。そして、その依頼とは盗まれた横溝正史の本を探してほしい、というものだったのです。その本の名前は「雪割草」。ところが、横溝正史の著作の中に「雪割草」という本はないというのです。いったいどういうことなのか。しかも、その本を盗んだのは、依頼人の母親である井浦初子だというのです。

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(横溝正史 幻の「雪割草」)

  いったいどういうことなのか。その「雪割草」は長姉の秋世がとても大事にして蔵の保管庫に大切にしまっていたもので、秋世が亡くなって初七日の日に盗まれたのです。いったい、出版されていない幻の「雪割草」とはどのような本なのか。その本はどのように蔵から持ち出されたのか。真犯人は本当に井浦初子なのか。謎は尽きません。

  第一話は謎を残して終わります。そして、その謎は2021年に第三話で解き明かされることになるのです。

  今回の第二シリーズは一段と趣向を凝らしたワンダーな展開が楽しめます。

  実は、2年程前に「ビブリア古書堂」のスピンオフ作品が上梓されました。その本には二人の子供である扉子が初登場するのですが、スピンオフのためか語り部がこれまでの大輔くんではありませんでした。そのためとは言いませんが、残念ながらシリーズほどの切れ味がなく、とてもがっかりしたのです。

  それが、今回の再始動では大輔くんの語りが戻ってきたのです。

  今回の「ビブリア古書堂」は、シリーズの中でも上位にあがる面白さにあふれています。少々難点があるとすれば、登場人物の心の機微の描き方が少し浅い気がするのですが、この点を差し引いてもその面白さは抜群です。

  過去からのファンも、初めての方も今回の「ビブリア古書堂」に触れてみて下さい。今回も栞子さんの名推理に舌を巻くこと間違いなしです。

  首都圏には2度目の緊急事態宣言が発出されました。我々にできることはこれまでと変わりありません。手洗い、消毒を常に行い、家族以外の密を回避することに尽きます。みんなで心を一つにし、この感染拡大に歯止めをかけましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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明けましておめでとうございます

 
令和三年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 昨年は、コロナウィルスとの闘いに誰もが厳しい毎日を味わいました。今年は、皆さん心を一つにして明るい世界を目指しましょう。

 「日々雑記」も人やイベントとのつながりがなくなり、月一ブログとなっていました。にもかかわらず、ご訪問頂いた皆様にはただただ感謝です。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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酒井正士 別府温泉に眠る邪馬台国

こんばんは。

  ここのところ、コロナ感染者の最多人数が毎日更新されています。

  2月頃、クルーズ船でのクラスターが世界中の注目を集めていました。未知のウィルスへの対応は人類VSウィルスの闘いの様相を呈しており、予想通りその戦いは長期戦に突入しています。その頃に、インフルエンザにかかった顛末は以前にもブログでお話ししましたが、新型ウィルスの猛威に対抗するには、やはりワクチン接種が決め手になるに違いありません。

  日本でも早い時期の緊急事態宣言で、一時は感染拡大が落ち着いたように見えましたが、経済活動再開によって夏には第二波に見舞われ、第三波は今やとどまることがないように見えます。

  この年末は、会食や移動を控えて静かに過ごすことが望まれます。

  とても不思議に思うのは、大人数での会食の自粛、お酒を出す飲食店の営業時間の制限、移動の自粛を同じように呼びかけながら、地域によって効果に差が生じている点です。北海道や大阪では、11月の下旬から呼びかけられた自粛により、繁華街での人手が減少し、それに比例して新規感染者の数が減りました。ところが、東京では一向に減少する気配が見えません。

  報道によれば、東京では自粛の呼びかけにもかかわらず、人出が減っていないというのです。確かにウィルスによる自粛が半年を超えて、職を失って収入が亡くなる人や売り上げがなくなり店を閉めるお店が増え、生活が立ち行かなる人々が増加しています。そこでさらに経済活動を自粛すれば、生活に困る人が続出します。しかし、大阪や北海道では減少した人出がなぜ東京では減らないのでしょうか。

  大阪や北海道の人々は自粛してもお金に困らないのでしょうか。

  東京には、世界中の人々が集中しています。そのために大阪や北海道に比べて、知事の呼びかけに対して「他人事感」が強いのかもしれません。経済的な厳しさは、大阪でも北海道でも同じですし、例えば期間を限定する限り、自粛によって生きていけなくなることにまで追い込まれる場合には、行政や福祉によって援助する仕組みを作ることは可能です。

  神奈川、埼玉、千葉などを含めた首都圏では、新規感染者の増加によって医療機関が機能不全になる直前まで追い詰められています。このままでは、コロナ以外の疾患が悪化した人を受け入れる病院がなくなり、救えなくなる命が生じるリスクがどんどん増加していきます。首都圏には、外国人や多様な地域の人たちが集中し、隣にだれが住んでいるのかさえ分からないような日常があたりまえになっています。そうした中では、なかなか首長たちの呼びかけや危機感が届きにくいことは当然です。しかし、今年の年末年始に感染者が減少しなければ、首都圏の経済活動が新型ウィルスのために停止してしまう事態までが想定されます。

  自らの命や生活を守るために皆さん、改めてマスク、手洗い、消毒は当たり前、外出を自粛し、大人数での会食や会話は控えるという「密」をさける行動を徹底しましょう。

  さて、話は変わりますが、10年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか。

  実は、10年前、このブログはすでに始まっていて、ちょうど10年前に読んでいた本がちくま新書の「倭人伝を読みなおす」という邪馬台国に関する本だったのです。この本は、考古学者として有名な森浩一博士の書いた本でしたが、氏は2013年に85歳で亡くなりました。時のたつのは早いものですが、そのときから邪馬台国と書かれた本は読まずにはいられません。

  先日、本屋さんで久しぶりに邪馬台国を題名にした本に出合いました。

「邪馬台国は別府温泉だった!」(酒井正士著 小学館新書 2020年)

【邪馬台国は永遠の謎なのか】

  昔から、「邪馬台国」、「魏志倭人伝」という文字を読むとロマンを感じてしまいます。

  古代とは、古今東西を問わず我々人類が歴史を刻む最も早い時期を示します。そこにはまだ言葉は少なく、我々人類はその初期のころ、何を考え、どのように行動し現在の姿を作り上げてきたのか。そのことに想いを寄せると、自らが人として生まれてきたことの意味に少しでも近づけるような気がして、たまらないワンダーを感じるのです。

  ブログでも人類の起源や文明の起源に関する本をたくさん紹介してきました。

  日本においては、日本書記や古事記の世界、古墳の世界、木簡の世界など、日本人の起源にかかわる本は数え切れないほどたくさん上梓されています。しかし、書き残された資料以前の世界は、考古学によって解き明かしていくしかありません。それは、古代遺跡の発掘による遺物からわかる歴史に他なりません。

  日本書記や古事記には、神話の世界が記されていますが、日本という国が大和朝廷によって統合される以前、日本列島にはどのような人々が住み、どのような暮らしをしていたのか。それは、様々な遺跡の発掘によってしか解明されないのです。

  しかし、日本では有史以前でも朝鮮半島をはさんだ西には4000年の歴史を持つ中国が存在していました。中国では殷(商)が3000年も前に漢字を発明し、紀元前1300年ころには記録を残しているのです。「史記」をはじめとした紀元前後の中国の歴史書は、人類最古の歴史書といっても過言ではありません。

  そして、そこに記された中国の東の果ての記録の中に当時の日本の姿が語られているのです。

  その最も古いものが正史である「三国志」の「魏志」に記されていた東夷伝のなかに倭人の条があり、それが「魏志倭人伝」と呼ばれているのです。そこに登場する邪馬台国は3世紀の日本において中国に朝見の使者を送るほどの勢力を持っており、当時の日本では最も権力を有していたと想像することができます。

  魏志倭人伝には、当時の魏の勢力範囲内であった朝鮮半島にある帯方郡(ソウル近郊らしい)から対馬、壱岐を渡って邪馬台国に至る道程が記されているのです。そこに費やされている文字数は1986文字もあり、東夷伝の中では最も多くの文字数が割かれています。さらには、邪馬台国周辺の国々の名前や邪馬台国の風俗生活、卑弥呼の記載など、おおくの情報が盛り込まれているのです。

  これまで、数え切れないほどの歴史学者、考古学者、作家などが、邪馬台国が日本のどこにあったのかを推理し、その仮説を書き残してきました。ご存知の方には煩わしいと思いますが、邪馬台国の場所は大きく近畿説と九州説に分かれています。いったい方向と距離が記されている歴史書に従って進んでいくのに近畿説と九州説が両方成り立ちうるのでしょうか。不思議です。

  それは、倭人伝の記述を素直に解釈すると、邪馬台国は太平洋上にあることになってしまうからです。

  帯方郡は今のソウル近くですので、韓国から日本に渡るには、対馬、壱岐を経由して海路で至るしか方法はありません。倭人伝で、壱岐の島は「一大国」と記されます。ここまでは、約9000余里と記載され、異論はありません。問題は日本に到着してからの記述です。日本到着の国は、「末蘆国」であり、ここから東南に陸行500里で「伊都国」に、さらに東南に100里で「奴国」、さらに東へ100里いくと「不彌国」に至ります。

  ここまでは、記述の通りに進んでいけばよいのですが、ここから不彌国から先の書きぶりが変わってしまうのです。このさきの記載は、「南至投馬国 水行二十日」、「南至邪馬台国 女王之所都 水行十日陸行一月」となっているのです。いくらなんでも十日も二十日も船で海を南に渡れば、日本をはるかに突き抜けて太平洋上に至ってしまいます。

  これまでの近畿説は、南というのが実は南東のことで近畿地方への方角を言っているとして経路を仮定します。九州説では、この水行を「帯方郡」から「投馬国」、「邪馬台国」への道のりを語っていると仮定して場所の推定を行っています。

  つまり、邪馬台国の場所を特定するためには、「魏志倭人伝」に記載された地名の謎と「方角と距離」の謎を解き明かす必要があるわけです。

【謎を解くために必要なことは?】

  この本の著者は、歴史学とは何の関係のない職業に就いています。それは、生命科学、生物工学です。氏は、かの有名なバイオ飲料に会社の研究員として、人に有用な細菌や代謝の研究を行ってきた専門家なのです。人文科学の分野、とりわけ文献学や考古学などの歴史を扱う世界と自然科学の世界では、そのアプローチや発想はかなり異なります。著者は、現在、全国邪馬台国連絡協議会の会員にも名を連ねており、この著書は、協議会で行われた長年の研究成果の発表をもとにしているそうです。

  氏は、科学者らしく、まず、これまでの邪馬台国論争の前提となっている一つの推論に疑問を持ちます。それは、江戸時代に最初に「倭人伝」に注目した新井白石の仮説です。白石は、一行が日本に上陸した「末慮国」を地名の類似から唐津市の松浦郡に否定し、そこから各地域を地名の類似に従って特定していきました。

  驚くべきことにその後の長年にわたる研究は、ほぼこの説によって推定を重ねてきているのです。著者は、まずこの前提に疑問を投げかけます。では、その前提に代わる考え方とは何か。それは、「方角と距離」の関係です。近畿説は、方角、九州説は距離について仮説を立ち上げることで、邪馬台国の場所を推定しています。「魏志倭人伝」を著した陳寿の時代、その方角と距離はどのように理解されていたのでしょうか。

  著者はその特定から論を進めていきます。

  現代の日本に暮らす我々は、現代の科学水準は秀でており2000年近くも前の人間は科学的な見識では我々に及ばないとの考えにとらわれがちです。しかし、古代における方向と距離への見識は、彼らの軍事的な必要性や移動の重要性を考えれば現代と何の遜色もないといえます。

  氏は、三国時代の数学書「九章算術」からその測量に関する後代に「海島算経」呼ばれた測量法を解説してくれます。さらに航海時にはすでに三角測量の技術も発達しており、海上での距離はすでに直線距離での正確なり距離を把握することができたとして、「魏志倭人伝」に記される「方角と距離」は正確である、との前提を解き明かします。

  氏は、当時の数学書「九章算術」と同じく当時の天文数学書である「周髀算経」からそこに記されている「1里=約77m」との距離を採用します。里には様々な解釈があり、1里は438m、1里は140m、などいくつかの考え方がありますが、氏は自然科学者の強みを発揮してその約77mの合理性を次々に説明していきます。

  その「方向と距離」から導かれる結論とは?

  皆さんも邪馬台国を巡る鮮やかな謎解きをご堪能ください。別府温泉の扇状地の火山灰の下には、纒向(まきむく)遺跡に匹敵する弥生時代の遺跡が埋まっているのかもしれません。

  今年も残るところわずかとなりました。コロナウィルスに翻弄された年ではありましたが、まさに我々人類の英知が試された1年でもありました。皆さん、感染対策に万全を尽くしてよいお年をお迎えください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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ベートーベン生誕250年にちなんで

こんばんは。

  コロナ禍は、第2波がピークを過ぎ、落ち着くかに見えましたが一転またも猛威を振るい、第3波の拡大が懸念される様相を呈してきました。

  ウィルスの感染防止と経済再生を両立させるのは本当に難しい。

  ところで、近年最も残念だったことのひとつに12月のベートーベン生誕250年にちなんだコンサートがキャンセルになったことがあります。

  今や日本ではファンが増えた指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏が、自ら育て上げたドイツ・カンマーフィルを率いて来日。12月の9日(水)から13日(日)にかけて東京オペラシティにて、ベートーベンの交響曲9曲をすべて演奏する、という夢のようなコンサートだったのです。その情報を知ったときには、すでに抽選が終了を迎える寸前で、木曜日の4番と5番は何とか手に入れましたが、3番「英雄」や6番「田園」、7番や第九はすべて売り切れだったのです。

  残るは一般発売。発売開始にはネット販売がパンクするのが通例なので、日曜日の第九ワンチャンスに賭けることに決めて、連れ合いと二人で予約サイトにアクセスしました。案の定開始直後にはアクセス不能となり、購入はできないのかと落胆しました。ところが、連れ合いのスマホが奇跡的につながります。なんと、日曜日の交響曲第8番と第九のチケットを手にすることができたのです。

  今年一番の暁光と手に手を取って喜び合いました。

  ところがです。喜びもつかの間、10月14日、運命のメールがパソコンに届きました。なんと、カーマンフィルコンサートキャンセルと払い戻しの連絡だったのです。この連絡は残念と言うよりもショックでした。環境から見て、ドイツの交響楽団が来日することができないことは頭では理解できますが、あのパッシブで流麗な響きで聞くベートーベンがかなわぬ夢となったことは、納得できることではありません。

  心の傷が和らぎ、チケットを払い戻すまでには1カ月ほどかかりました。

  ところで、残念なこともあれば、うれしいこともありました。

  今年の2月に最後のライブに足を運んで以来、ライブはのきなみキャンセルとなっていましたが、久しぶりにライブに参加することができました。そのライブは、日本のボサノヴァの第一人者、小野リサさんの「2020 Love joy and Bossa Nova」コンサートです。小野リサさんのライブは、6年ぶりですが、その変わらないボサボヴァのセンスと優しい歌声にすっかり癒されました。

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(小野リサさん コンサートの会場チラシ)

  ライブのパフォーマーは、ピアノの林正樹さん、ベースの織原良次さん、ドラムスの斉藤良さんです。コロナ禍の中、優しさと癒しを意識したライブは、メロディアスなバラードを意識したセットリストで、「愛の賛歌」、「街の灯り」、「コーヒールンバ」、「テイクファイブ」などおなじみの名曲が並びました。ピアノの林さんは名バイプレーヤーで、その楽しそうにインプロヴィゼーションを繰り広げる姿が印象的でした。

  優しさと癒しとはいえ、ボサノヴァとサンバではノリの良さで会場を盛り上げていました。前半最後には、「テイクファイブ」がアップテンポなリズムで会場を盛り上げ、最後のプレスリーナンバー「GIブルース」では、みごとなブサノヴァアレンジで会場は大いに盛り上がりました。さらには、第2部の最後は、とどめの「マシケナダ」。やっぱり、サンバは盛り上がります。

  さて、キャンセル続きの昨今ですが、今、NHKで放映されている「ベートーベン250プロジェクト」は、クラシックファンならずとも心が躍るなかなか素晴らしい企画です。

【ベートーベンって何が凄いの?】

  10月18日日曜日に放送された「ベートーベン250プロジェクト 第2回」をご覧になったでしょうか。以前にもご紹介した日曜クラシック音楽館の一環なのですが、この番組が本当に素晴らしかったのです。この番組のナビゲーターは、元?SMAPの稲垣吾郎さんです。不覚にも知らなかったのですが、稲垣さんは「NO.9 不滅の旋律」と題された舞台で、ベートーベンを演じていたというのです。まさに主役。そうした意味で、このプロジェクトのナビゲーターとして白羽の矢が立ったのもうなずけます。

  第2回目のお題は、「革命家・ベートーベン」です。

  革命家、といえば確かにフランス革命後、自由・平等・友愛をかかげて市民革命の反動に対し、フランス軍を率いて戦ったナポレオン・ブナパルトに感銘を受けて交響曲第3番「英雄」を作曲したベートーベンですが、そのこととは異なります。ここれの「革命」は、それまでのクラシック音楽に「革命」を起こしたベートーベンンがテーマであることを示しています。

  今回の解説は、指揮者の高関健さんです。高関健さんは、カラヤン最後の弟子と言われ、カラヤンの薫陶を受けた名指揮者ですが、その語り口はとてもわかりやすく、聞き手の吾郎さんとのやりとりも軽妙で楚お話しに引き込まれます。高関さんは、ベートーベンが音楽に巻き起こした3つの革命について、実際にオーケストラを指揮しながら解説してくれるのです。

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(NHK 250プロジェクト twitter.com)

  まず、第一の革命。それは、あの交響曲第5番「運命」の冒頭に象徴されていたという話。世界で最も有名な交響曲と言っても過言ではない「運命」その冒頭は「ジャジャジャジャーン」というたった4つの音です。この交響曲はベートーベンをして最高の交響曲を創るとの思いから捜索されましたが、それはこの4つの音からどれだけの交響曲を作曲することができるか、という課題への挑戦だったのです。

  それを象徴しているのがこの「ジャジャジャジャーン」でした。

  これまで、「運命」の楽譜をまじまじと見たことがありませんでしたが、その最初にかかれているのは音符ではなく、休符だというのです。なぜ休符が最初にかかれているのか。それは、音楽が始まる前に一拍のタメがあるということです。あの「ジャジャジャジャーン」は、正確には「(ン)ジャジャジャジャーン」だということです。

  高関さんは、その(ン)がどれだけ指揮者にとって難題なのかを、実際の指揮によって教えてくれます。その(ン)によって、ベートーベンはこの交響曲の始まりを4つの音から進化させて渾身の響きへと進化させようとしたのです。実際の指揮では、高関さんの解説に合わせて、吾郎さんもオーケストラの指揮に挑戦します。この流れで、我々はベートーベンがどれほど「凄い」ことを考えていたのかを身を持って体験します。

  この(ン)から始まり、その変奏のすばらしさを知った後に聞かせてくれた「運命」は。な・な・なんと、ドイツ・カーマンフィルと指揮者パーヴ・ヤルヴィによる交響曲第5番だったのです。ヤルヴィ氏の緊迫感と高揚感にあふれる「(ン)ジャジャジャジャーン」は、我々の心を射抜きます。東京オペラシティでのベートーメンがコロナ禍のために聞けなくなったことは残念でしたが、この番組がその感動を補ってくれたのです。本当に涙ものの「運命」でした。

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(ヤルヴィ氏 交響曲全集 amazon.co.jp)

  さて、皆さんはベートーベンが起こした革命のあとの二つがきになりますよね。ここから番組は、改めて我々にワンダーを感じさせてくれるのです。

  「感情を音楽で表現する。」

  第二の革命はこれです。今でこそ、J-POPSでも歌謡曲でもジャズでも音楽は我々の感情を表現し、我々の心とのキャッチボールを創りだします。しかし、ベートーベン以前の音楽は、貴族たちスポンサーのために作られたバックグラウンドミュージックでした。そこに大げさな感情がはいることは、スポンサーである貴族たちのサロンでは邪魔臭いものだったのです。しかし、ベートーベンは音楽をサロンから解放し、市民のもとへと取り戻したのです。

  交響曲第5番「運命」と同時に作曲された第6番「田園」。この曲は各章に彼自身が表題をつけています。例えば第一楽章は「田舎に到着したときの愉快な感情のめざめ」と記されています。高関さんは、オーケストラを指揮しながらバート―版がどのようにしてこの曲で感情を表現したかを語ってくれます。木々のささやきや小鳥のさえずりをおなじみの楽器を響かせ合いながら表現し、我々はベートーベンとともに、田舎の田園を散策するすがすがしさを感じることができるのです。

  ことに田舎が夕立に襲われる情景の表現。高関さんはその予兆から雷がとどろくまでを、それぞれの楽器で雷や豪雨にひとビオが逃げ惑う様までがみごとに描かれていることを我々に教えてくれ、我々にさらなるワンダーを味合わせてくれるのです。

  そして、第5番はヤルヴィ氏の名演でしたが、「田園」の指揮者はあのブロムシュテット氏でした。この94歳のマエストロの「田園」は、「感情を音楽で表現する」という言葉を体現する素晴らし演奏です。この日のプログラムは心躍る素晴らしいものです。

  さて、革命その3は「楽章をつなげる。」ことです。

  高関さんは、あの名作ピアノソナタ23番「熱情」の第2楽章の最後の章を奏でます。第2楽章の最後の音は、そのまま第3楽章へとつながり、そこに切れ目を感じることがありません。この音楽を途切れさせることなく、さらなる高みへとつなげていく手法が、ベートーベンの革命であったのです。この手法は、あの「運命」の第3楽章から第4楽章にも使われており、我々は、「運命が戸を叩く」と呼ばれるあの感動を予感から味わうことができるのです。

  番組では、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章から第3楽章への間のこのつながりを、ブオrムシュテット氏の指揮、ピアノ、ルドルフ・ブフビンダー氏の名演で聞かせてくれるのです。ブフビンダー氏は、時には感動し、ときにはうれし気に旋律を指から醸し出し、心からこの曲を奏でることが好きであることが伝わってきます。

  この番組が示してくれたベートーベンの「革命」は、大いなる感動をもたらしてくれました。

【ベートーベンはいつまでも続く】

  この番組ののちにも「クラシック音楽館では、ベートーベン特集が続いています。

  「オーケストラでつなぐ希望のシンフニー」と題されたシリーズは、日本各地のオーケストラによるベート-ベン交響曲の演奏をつないでいきます。

  11月15日には、群馬交響楽団と指揮者高関健氏による交響曲第3番「英雄」と九州交響楽団と指揮者小泉和裕氏による交響曲第4番が放映されました。特に九州フィルが奏でた4番は、緊張感あふれる緩急をみごとに表現して、心から感動しました。

  また、23日には名古屋フィルハーモニー管弦楽団と若手の雄、川瀬健太郎氏の指揮による交響曲第7番。番組では、各地のオケの特長を紹介するとともにリハーサル風景も紹介してくれるのですが、川瀬氏のリハは本当に面白かった。第7番はクレッシェンドが何度も繰り返されることが特長ですが、川瀬氏はそのひとつひとつにいかに緊張感を持たせるかを何度も語っています。そして、本番では、その言葉の通り、緊迫感あふれるクレッシェンドが繰り返されるのです。

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(名古屋フィル 交響曲第7番 twitter.com)

 さらに札幌交響楽団とマエストロ秋山和慶氏のよる北海道のようにおおらかな交響曲第8番。そして、広島交響楽団と指揮者下野竜也氏による劇音楽「エグモント」が披露されました。下野さんがインタビューで、「ベートーベンの音楽は、当たり前のことを力強く、感動を持って語る音楽だ」という言葉は至言でした。確かにとてもわかりやすい音階で感動を呼ぶベートーベンの音楽は「当たり前のことを感動的に奏でる」唯一無二の音楽に違いありません。

 さて、すっかりベートーベン話で盛り上がりましたが、紙面も尽きましたので今夜はこの辺で失礼します。

 それでは皆さんお元気で、感染防止対策を万全に、またお会いします。


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宮城谷昌光 後漢王朝統一の大司馬を描く

こんばんは。

  菅内閣が仕事を始めてから「行政改革」がひとつのキーワードになっています。

  行政改革担当大臣の河野さんのキャラクターもひと役かって、発足初期に特有の「何かやるぞ」感を漂わせています。そんな中、日本学術会議の次期構成員を巡って議論が巻き起こっています。これまで日本学術会議のメンバーは、会議から推薦された内定者を総理大臣が任命することと規定されおり、総理大臣は推薦者をそのまま任命する形を続けてきました。

  ところが、菅総理は推薦された内定者のうち6名を任命しなかったのです。

  日本学術会議とは、日本の学者の集まりで210名の会員と約2000名の連携会員によって運営される国家組織です。そもそもは、戦後の日本において、科学は文化国家の基礎との認識から、行政、産業及び国民生活に科学を浸透させることを目的として、国の予算をもって設立された団体です。この会議の在り方については、これまで何度となく論議が行われてきた経緯があるようですが、近年ではその活動が形骸化しているのではないか、とも言われているようです。

  総理が推薦者の任命を行わないことが、政府の考え方の変更だ、とか、法令違反に値する、とか、様々な議論が行われています。総理大臣が日本学術会議の内定者を任命することには、「科学」を国家の指針、さらに財産とする強い決意があったのだと思いますが、戦後75年が過ぎて「科学」への取り組みから自体が変化しているのではないでしょうか。

  憲法では、宗教、学問、職業など国民が自ら選択できる自由への国家の介入を否定しています。しかし、日本学術会議のメンバーが国家公務員である以上、憲法の保障する自由の枠外であることは明らかです。そうした意味で、総理が推薦者の任命を認めないこと自体に問題はないと思います。問題は、日本学術会議の構成員に何を求めるか、ではないでしょうか。

  このブログでも近代史への新たな視点からの教育を本にした「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の著者である加藤陽子氏は、「科学技術基本法」が改訂され、「人文科学」が法的に科学技術として謳われたタイミングで、日本学術会議のメンバー選定から「人文科学分野」の6名がはずされたことに追記如何を感じる、と述べています。

  確かに、政府が民間の科学分野や研究に介入したのであれば言語道断ですが、個人的には70年以上も続いている、税金を使う組織において、その構成員を「科学者たち」だけで決めるのはいかがなものか、と感じます。人間は、数が増えれば増えるほど、良貨が駆逐されていくとの原則があります。そうした意味で、日本学術会議の人選手段も見直す時期に来ているのではないでしょうか。

  さらに、日本の行政機関が、既得権益を守ることによって存続している事実です。確かに行政機関で働く人たちも消費者の一員であり、日本経済に貢献をしているわけですが、一度、成立した外郭団体が行政機関の退職後の受け皿となり延々と存続したり、名前を変えて生き残ったり、と国の組織ではあまりにも税金が惰性で使われていると思われてなりません。

  日本学術会議が無駄とは言いませんが、今回の議論を機会に日本学術会議は一度、各大学や企業の拠出制にし、民営化する、という案は非現実的なのでしょうか。かつて、日本は敗戦国で学問の徒はなかなか地位を維持することが難しく、会議には国として経済的にも支援すべき、という側面もあったかもしれません。しかし、現代は産学協同によって、企業からノーベル賞学者が排出される時代になっています。科学アカデミーが国の機関であることは逆にナンセンスなのかもしれません。

  もちろん、その存在が国民に貢献するのであれば、税金から補助金を払えばよいではありませんか。今回任命から外れた方々は、加藤陽子先生をはじめ、皆さん素晴らしい実績をお持ちと拝察します。そうした方々は、国家公務員にこだわる必要があるのでしょうか。総理が任命する、しないをあげつらうよりも、これを機に科学アカデミーのあるべき姿を徹底討論してはいかがでしょうか。

  さて、またしても世間話になってしまいましたが、今週は愛読書でもある宮城谷昌光さんの本を読んでいました。やはり、宮城谷さんの中国古代史小説は面白かった。

「呉漢」 (宮城谷昌光著 中公文庫上下巻 2020年)

【劉邦から劉秀に引き継がれた漢王朝】

  昔、人生50年と言われましたが、いまでも人の命は長くても100年程度です。世の中、なかなか200年生きた人はいません。

  人間の寿命は短いのか、長いのか。

  本来哺乳類の一員として人間の寿命は30年程度と聞いたことがあります。確かに、物理的な人の成長は18歳で止まり、あとはすべての機能が衰えていくばかり、というのは事実のようです。しかし、歴史を見ると一つに時代を作った英雄は、人生が50年もあれば十分と言う生き様を示しています。アレキサンダー大王にしても、ナポレオンにしても英雄は若くして頂点に君臨しました。

  中国の王朝を建てた英雄たちも人間であることに変わりはありません。人は、寿命があるからその業績の偉大さをなおさら感じるのかもしれません。

  宮城谷さんは、これまで中国の春秋戦国時代の英雄たちを描いてきましたが、ここ数年は「漢」の時代に焦点を当ててその英雄たちの姿を描いてきました。一つの王朝が倒れ、新しい国が生まれるときに、そこには必ず英雄が現れます。王朝が倒れるときには、腐った王権に反旗を翻す反乱が全土に広がっていきます、

  全国を統一して王朝を建てた秦は、始皇帝が亡くなるとすぐに混乱し、陳勝・呉広の乱が勃発します。乱は全国に及び、その混乱に乗じて西楚王を名乗った項羽が反乱を起こします。陳勝・呉広の乱は秦の将軍、章邯によって鎮圧されますが、章邯は項羽に敗れ、項羽はいよいよ秦に攻め入ります。ここで項羽軍から離脱し、反旗を翻したのは劉邦でした。

  項羽と劉邦の闘いは、楚漢戦争とも呼ばれ、紀元前209年に勃発した陳勝・呉広の乱から数えて6年にわたって中国全土の闘いが続いたのです。そして、最後に漢王朝を建てたのは劉邦でした。時に紀元前202年、劉邦は高祖として漢王朝を開いたのです。

  以前にブログでも紹介した宮城谷さんの「劉邦」は、司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」とは異なる史観で見事な小説世界を我々に味合わせてくれました。

  宮城谷さんは、「劉邦」を執筆する以前、劉邦の前漢の後に後漢の祖となる光武帝を主人公とする小説を上梓しています。小説の名は、「草原の風」。2011年の作品です。劉邦が建国した漢は約200年続きましたが、劉秀が再統一を果たした後漢も約200年続きました。漢王朝は約400年続いたわけですから劉邦と劉秀の築いた礎は英雄の所作と言ってもよいと思います。

  ちなみに単独王朝では7世紀に始まった唐は289年続き、最長の王朝と考えられます。

  さて、宮城谷さんの「漢」をめぐる物語は、どうやら「三国志」に端を発しているようです。というのも宮城谷三国志は、「三国志演義」とは異なり、史書である三国志を基本としており、その始まりは後漢の退廃からはじまっているからです。「前漢」から続く「漢王朝」は、三国志の「魏」によって最後の王が廃されて「漢」は滅亡します。

  宮城谷さんが「草原の風」を描こうと考えた動機は「三国志」にあったのではないでしょうか。後漢の最後を描いた宮城谷さんには、その始まりである劉秀(光武帝)を描くことが必然と感じられたに違いありません。そして、後漢の始まりを描くうちに劉秀の祖である劉邦を描くことが必然だと感じたのだと思います。

【光武帝の武を担った呉漢の物語】

  宮城谷さんの最新作「呉漢」を本屋さんで見つけた時には小躍りしました。その帯には、次の文字が刻まれています。「作家生活30周年記念 光武帝・劉秀が行った中国全土統一、後漢建国事業。天下の平定と、光武帝のためにすべてを捧げた武将の闘いを描く。」

  すでに「草原の風」で光武帝の天下統一を描いた宮城谷さんが、いったいどのような視点で光武帝の将軍であった呉漢という人物を描いていくのか、興味が尽きません。

  最後の行を読み終えての感想は、宮城谷さんの小説に終わりはない、という感慨でした。

  司馬遼太郎さんから歴史作家のバトンを引き継いだと言われる宮城谷さんですが、司馬さんが1987年の「韃靼疾風録」以降、64歳で小説を卒業し、以後はもっぱらエッセイでその史観を語ったこととは異なり、70歳を超えてなお、旺盛に小説を描き続けています。もちろん、司馬さんはもともとジャーナリストであり、そこから小説家になったという経歴の違いもありますが、はじめから小説家としてスタートした宮城谷さんが、今もなお尽きずに物語を語り続けてくれていることにうれしさを感じるのは私だけでしょうか。

  今回の「後漢」は、宮城谷さんらしく、登場人物や時代の背景をしっかりとした史観で支えつつも小作農家出身の後漢がどのようにして光武帝の右腕として王朝の軍事部門を司る大司馬まで登りつめたのか、をあますことなく描きだしています。

  それにしても今や宮城谷さんの物語は名人の域に達しています。

  その物語は、人と人の出会いと時と、そして人とのつながりを語ることによって次々とワンダーが深まっていき、我々はその世界へとのめりこんでいくのです。

  今回、物語のはじまりは小作農の次男である呉漢が、自作農では食べていけず出稼ぎで農地を耕す仕事をしている場面です。呉漢は、無口で黙々と仕事をこなすどこにでもいる、雇われ農民でした。しかし、自然からの賜りものである土地に真摯に向き合い、まじめに仕事をこなしていました。そんな呉漢に声をかけてきた人物がいます。潘臨と名乗った男は、まじめに働く呉漢に目を止め、夜になったら話をしたいと声をかけました。

  もちろん、呉漢には初めてあった男に心を開くような余裕はありません。そのこぎれいな男につっけんどんな態度をしめします。しかし、夜、呉漢を月が照らす外へと誘い、男はこんな言葉を告げたのです。

「農場で働いている者の中で、あなただけが天に背をむけつづけていた。それほど休まずに働いていたともいえますが、あなたには希望がまったくない、とも見えました。たまには天を仰ぐべきです。といっても、あなたはそうしないでしょうから、それならそれで、地をうがつほどみつめることです。ぼんやりながめていてはいけません。人が念(おも)う力とは小石を黄金に変えるのです。」

  この言葉が、その後呉漢の生涯の道しるべとなります。

  このときに呉漢が働いていた農地の地主は、郡の太守を勤めている彭宏です。潘臨は、その息子である彭寵の学友でした。潘臨は、学友の将来のためにその農地で働く者の中に彭寵を助けるような人材がいないか、探していたのです。そこで、目を付けたのが呉漢の懸命で真摯な働きぶりだったのです。

  呉漢は、この後、隣の州で募集している割の良い墾拓の仕事に応募しますが、そこで、二人の男と出会うことになります。ひとりは、その開墾仕事の裏側を知る郵解という男。彼は今回の仕事が新たな王朝・新を建てる王莽からの仕事だと語ります。そして、もう一人が祇登(きとう)と名乗る胡散臭い男。祇登は、呉漢に今回の開墾話のさらなる背景と王莽の世界を語りかけてきます。

  さて、宮城谷さんのファンならすぐにピンとくるはずです。

  そうです、この彭寵、郵解、祇登はこれから17年後の光武帝即位、そして天下統一まで呉漢とともにこの歴史物語におおきくかかわっていくことになるのです。

  呉漢の徳とは、土地を知ること、そして常に周りから知を学び取ること、にあります。そして、土を知ることは、終生仕えることになる光武帝との共通の「徳」となるのです。

  この物語は、宮城谷中国の中でも一段と練達な語りが際立ちます。皆さんもぜひお読みください。やはり、物語は人が創るものだと、改めて感動すること請け合いです。

  まだまだコロナ禍は続きそうです。手洗い、消毒、3密の回避に励みましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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映画はドキュメンタリーが面白い!

こんばんは。

  新型コロナウィルスは、我々人類に様々な試練を与えています。

  元官房長官であった菅さんが総理大臣となった要因にも、新型ウィルス感染症への対応とそのため冷え込んでしまった経済活動再開の両立という課題が横たわっていることが挙げられます。近年の政治家は2世、3世が幅を利かせており、本当に我々国民のことを身に染みて感じている政治家はなかなか表舞台に出てくることがありません。

  そうした意味で、秋田の農家出身で多くの苦労と努力の末に総理大臣となった菅氏の政策には大いに期待が持てます。一国のトップとしてその外交手腕に不安を感じることはありますが、安倍政権の前は、半年ごとに総理大臣が変わってきたわけですから、それに比べれば7年間安倍政権の外交姿勢を経験してきた菅さんならば、外交も無難にこなすに違いありません。

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(菅 新内閣発足 asahi.com)

  今、一番心配なのは財政問題です。消費税を10%としてもなお財政再建はめどがつかない中、経済活動の維持を最大のテーマとしてコロナ対策のために何兆円もの借金で日本を救おうとしています。もちろん、優先すべきはコロナ対策と経済の再生ですが、そこに費やす税金がすべて借金というのはいかがなものかと思います。

  あまつさえ、来年度の概算要求では、これまで予算を抑えるために先送りされてきた政策を、コロナ対策の名のもとにここぞとばかりラベルを張り替えて提出する各省庁の姿勢には、本来日本の未来を憂うべき政治家と官僚のメンタリティがいかに低いかを物語っている気がしてなりません。

  コロナ対策はコロナ対策、財政規律は財政規律と、「省益を忘れ、国益を思え。」という故後藤田さんの言葉は今こそ思い出されるべきだと強く思います。

  さて、思わず話が政治の話に行ってしまいましたが、コロナ対策と言えば、「映画」も最も大きな被害を受けた業界のひとつです。考えてみれば、ライブの最後も2月でしたが、映画館に最後に足を運んだのも2月でした。

  そして、先月、半年ぶりに映画館に足を運んだのです。久しぶりの映画は本当に面白かった。

【ハリウッド映画の音響はこうして生まれた】

  先月ですが、例の王様のブランチの映画コーナーを見ているとシアター映画の特集をやっていました。そこで紹介されていたのが、「ようこそ映画音響の世界へ」という一作でした。その紹介では、「スター・ウォーズ」のチューバッカやR22の声?や「トップ・ガン」のジェット機音がどのように創られたのか、クイズ形式で語られていましたが、その音響がライオンやサルの声を多重録音したものだったというのは驚きでした。

  たしかに近年のハリウッド映画では、あらゆる映画に音響が大活躍しています。「スター・ウォーズ」フリークとしては、映画の音響の秘密を描いたこの作品を見逃すわけにはいきません。上映館を探すと、勤務先である新宿のシネマカリテで上映していました。(今日現在、まだ上映中です。)土日は混むようなので、仕事を休んで見に行くことにしました。

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(「ようこそ映画音響の世界へ」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「ようこそ映画音響の世界へ」(2019年米・94分)

 (原題:「Making Waves」)

・スタッフ  監督:ミッジ・スコティン

        脚本:ボベット・バスター

・キャスト  ウォルター・マーチ ベン・ハート

       ゲイリー・ライドストローム

       ジョージ・ルーカス アン・リー

       スティーブン・スピルバーグ

       デヴィッド・リンチ 

(以下、ネタばれありです。)

  さて、映画はその歴史から語られていきます。音の録音は発明王エジソンの手で発明されましたが、エジソンの夢は、人が動く映像に同時に音をつけることでした。しかし、その技術は実用化されることなく、映画は音声のないトーキーの時代からはじまったのです。劇場では、オーケストラや役者、弁士などを使って映画の上映時に生音をつけることによって映画を楽しんでいたのです。そこに革命が起きたのは、フィルムの横に音の波を記録するサウンドトラックの発明でした。

  映画に音が組み込まれて以来、音響がどのような歴史をだどってきたのか。

  映画は、その音響に革命を起こしてきた人々へのインタビューで。めくるめくような映画の音響世界を我々に語ってくれるのです。

  映画の音響は、「VOICE(声)」「SOUND EFFECT(効果音)」「MUSIC(音楽)」と大きく3つのジャンルに分かれますが、それぞれの分野でおきた革命的なできごとが語られていきます。

  本作で革命を起こした映画として語られる作品を挙げてみると、特撮映画の草分け「キングコング」(1933年)、オーソン・ウェルズの名作「市民ケーン」(1941年)、ヒッチコック監督の名作「鳥」(1963年)、コッポラ監督のアカデミー賞受賞作「ゴッドファーザー」(1972年)、バーブラ・ストライザンド主演の名作「スター誕生」(1976年)、ジョージ・ルーカスの大ヒット作「スター・ウォーズ」(1977年)、当時いち早くベトナム戦争を題材とした「地獄の黙示録」(1979年)などなど、197年代までの歴史はまさに音響革命が次々と起きた奇跡の時代でした。

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(映画「地獄の黙示録」ポスター)

【コッポラとルーカスが作った会社?】

  それぞれのエピソードがワンダーで、本当に面白いのですが、何と言っても最も盛り上がったのはコッポラ、ルーカス、スピルバーグによる「音」へのこだわりです。映画の音響について、3度のアカデミー賞を受賞した巨匠アン・リー監督は、「映画は映像と音に2つでできている。」と語っていますが、映画の中で、ルーカスは、「音は感情を伝える。映画体験の半分は音だ。」と語り、スピルバーグは、「音が瞬間を永遠にする。」と語っています。

  実は、この映画で初めて知った事実があります。それは、コップラとルーカスが映画に対する夢を実現するために映画スタジオを設立していたという事実です。その会社の名は、アメリカン・ゾエトロープ社と言います。若きコッポラとルーカスは、自らの夢をかなえる映画制作の場としてこの会社を設立しました。しかし、会社はルーカスのデビュー作品であるあまりに実験的な作品がヒットせず、破産の危機に見舞われます。しかい、設立にかかわったメンバーの中に「音響部門」を手掛けるウォルター・マーチがいたのです。

  彼が手掛けた作品がコッポラの大ヒット作「地獄の黙示録」でした。映画では、「地獄の黙示録」の音響がどのように作られていたのか、マーチ自らがぁ立ってくれており、ここが映画音響のひとつの分岐点となりました。現在では当たり前のように使われている5.1サラウンドシステムが初めて採用されたのもこの作品だったのです。この作品のおかげで、ゾエトロープ社は破産を免れたと語られています。

  ルーカスは「スター・ウォーズ」を企画したときに音響は、ウォルター・マーチを希望し指名しました。しかし、彼はコッポラ作品を一手に任されており、他の作品を引き受ける時間がありませんでした。そして、マーチは一人のプロフェッショナルな若者をルーカスに紹介します。それが、のちにこの作品でアカデミー賞を受賞する音響デザイナーのベン・バートです。

  映画では、ルーカスとバートが「スター・ウォーズ」の音響をどのように創っていったか、インタビューで明らかにしていきます。

  ルーカスが音響のためにバートをスカウトしたのは、映画の撮影が始まる1年も前のことでした。それほどルーカスは音響の重要さを認識していたのです。確かに「スター・ウォーズ」では、印象に残る音響が数え切れないほど盛り込まれています。ライトセーバーの震えるような電子音、宇宙人たちの話声、ワープの時のエンジン音、R22の機械音、そしてチューバッカの雄たけび、ありとあらゆる音響が「スター・ウォーズ」の世界を彩っているのです。

  そうした数々の音響がいかに作られたか、ルーカスとバートは我々に語ってくれるのです。

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(ルーカス「映画音響」を語る screenonline.jp)

  一つご紹介すると、バートは当時チューバッカの声を作るのに世界中のあらゆる動物たちの声を録音し続けたそうです。どの声を聴いてもルーカスとバートのもつチューバッカのイメージには重なりません。録音の泰美を続けること約1年、バートはその声と出会います。あのチューイの声は・・・。それは映画を見てのお楽しみです。

【音響革命は続いていく】

  新たな音響の世界へと足を踏み入れたハリウッド。

  映画の後半は、1980年代から現代までの「声」「効果音」「音楽」におけるめくるめくような革命の数々を、それを手掛けた監督や音響デザイナーたちが語っていきます。

  ここで新たな音響デザイナーとして登場するのがルーカスフィルムで働いていたゲイリー・ライドストロームです。彼が手掛けた映画を聴けばその音響のすばらしさに驚くに違いありません。「ターミネーター」「ターミネーター2」「バックドラフト」「ジュラシック・パーク」「タイタニック」「プライベート・ライアン」「トイ・ストーリー」「ファイティング・ニモ」などなど、とにかく参画した映画は枚挙にいとまがありません。

  映画のオープニングで語られていたのは、「プライベート・ライアン」で描かれたノルマンディー上陸作戦の戦場を経験した主人公の映像とそこで使われた音響効果です。その音響の使い方を監督であるスピルバーグが語ってくれます。それは、まるで観客が線上にいるような錯覚を覚える銃弾、砲撃、爆弾、機関銃の音、音、音の嵐です。それは、決して音の大きさだけではなく、一つ一つの音が、独立して鮮明に聞こえること、映像とともに音響がサラウンドし、流れていくことへのワンダーなのです。

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(スピルバーグ「映画音響」を語る benger.jp)

  ライドストロームは、「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」に続いてこの「プライベート・ライアン」で3度目のアカデミー賞のダブル受賞(音響効果賞・録音賞)に輝いているのです。映画では、彼が少年のころからいかにして音響に興味を持ち、あらゆる音の挑戦に身を投じてきたかが語られていきます。

  さらに紹介される音響の世界は、「マトリックス」(1999年)、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(2003)、「インセプション」(2010年)、「アルゴ」(2012年)、「ワンダー・ウーマン」(2017年)、「ブラック・パンサー」(2018年)、「ROMA/ローマ」(2018年)と現代まで続く音響の革命を語り続けてくれます。


  この映画は、これまで我々が感動してきた映画の中で音響が創りだしてきた、映像と双璧を成す音が果たしてきた役割を教えてくれるのです。

  本当に面白いドキュメンタリー作品でした。まだ見ていないあなた。映画に興味があるのならぜひご覧ください。これから味わう映画の感動が倍増するに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻惟雄 よみがえる天才 伊藤若冲

こんばんは。

  美術史家の辻惟雄(のぶお)さんが1935年生まれと知って驚きました。

  時のたつのは早いもので、「生誕300年記念 若冲」と題された展覧会を東京都美術館で鑑賞し、そのあまりにも精緻な絵画に心から感動したのは2016年のことでした。

  辻惟雄さんは、そのときの図録の巻頭に「『若冲』という不思議な現象」という一文を寄せて、その人生の軌跡と主要な作品の美術的な意味を解説していました。当時すでに80歳を超えていらっしゃったわけです。

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(「若冲展」チラシ heritager.com)

  若冲の名は知っていましたが、その絵に初めて触れて、江戸時代にここまで緻密な色彩と現代的なデザインを描き印した画家が日本に存在していたこと自体が驚きでした。それよりも、その筆致のすばらしさと構図の斬新さに感動し、ことあるごとに図録を見返してはその感動を思い起こしていたのです。

  先日、本屋さんを歩いていると新書の棚に「よみがえる天才1 伊藤若冲」との題名が目に入りました。そして、著者の名前を見ると、図録の文章を寄せていた辻惟雄さんではありませんか。何はともあれその本を持ってカウンターに急いだのはいうまでもありません。

「よみがえる天才1 伊藤若冲」

(辻惟雄著 ちくまプリマー新書 2020年)

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(辻 惟雄著「伊藤若冲」 amazon.co.jp)

【伊藤若冲とは何者か】

  2016年の展覧会の目玉は、3幅の「釈迦三尊像」と30幅の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」でした。

  東京と美術案での壮観な展示は、今でも忘れることができません。円形の会場には、360度ガラスショーケースがしつらえられており、その中央に「釈迦三尊像」が配置されてその両側をはるかに囲んで「動植綵絵」30幅が囲んでいるのです。まるでその空間は異次元のようで、若冲が心血を注ぎ描きあげた動植物の数々が我々の目に飛び込んでくる趣向となっているのです。

  その迫力はすさまじく、この絵が200年以上も前に描かれたという事実に衝撃を受けました。

  その極彩色の中にも繊細な変化を秘めた彩の万華鏡のような色彩。そして、動植物の造形のすばらしさ。そして、縦140cm、横80cmの大きさから大きくはみ出るような画像は、まるで現代アートのデザインのような斬新さにあふれていたのです。

  伊藤若冲は、とても長生きでした。若冲の30年後に生まれて江戸でその浮世絵の才能を開花させた葛飾北斎も88歳という長寿の天才でしたが、生涯を京都で過ごした若冲も亡くなったのは85歳の時でした。展覧会では、30代で描いた美しい鳳凰図や後の「群鶏図」を思わせる「雪中雄鶏図」や「「旭日鳳凰図」をはじめ、初期の絵画から墨絵や版画、フラスコ画など次々と新たな技法に挑んだ晩年の傑作まで傑作が続き、めくるめく若冲の世界を堪能することができました。

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(「動植綵絵 群鶏図」 wikipediaより)

  さて、展覧会では実際に若冲の作品を前にただただ感動するばかりでしたが、若冲はどのようにして世界にも稀に見る写実性の高い彩色日あふれる絵を描いたのか、それを系統だって知りたくてこの本を手に取ったのです。

  この本の前書きは、まるで自らの絵の未来を予言するような若冲の言葉で幕を開けます。

  それは若冲の元を訪れた川井桂山という医者によって記録された言葉です。「私は理解されるまで1000年の時を待つ。」それは、どんな気持ちから出た言葉なのでしょうか。

  若冲は、代表作「動植綵絵」を半ばまで進めたところでこの言葉を語ったのですが、それはまるで自らを予言するような言葉だったと著者は語ります。なぜなら、生前には世にその名声がとどろいていた若冲は、明治以降、日本ではまったく取り上げられることはなくほとんど無名の画家になったというのです。そして、戦後、若冲を見出したのは日本人ではなく、アメリカのエンジニアであったジョー・プライスというアメリカ人でした。

  展覧会にプライスコレクションと呼ばれる若冲の名画が惜しげもなく出展されていました。そうプライス氏は、若冲の絵を収集しましたが、決して個人で秘蔵するつもりはなく、逆に「里帰り展」や東日本大震災時には日本での若冲展を企画するなど、若冲の故郷を非常に愛してくれていたのです。辻さんは、若いころに日本の古美術商を回って若冲の絵を収集するプライスさんと出会っています。そして、若冲を通じてプライス氏と友情をはぐくみます。

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(プライスコレクション「紫陽花双鶏図」wikipedia)

  そのいきさつは、この本にもちゃんと記録されています。

  ところで、1000年を待つといった若冲ですが、その画は1000年待つことなく日本人に再発見されることになります。それは、21世紀になってからのことですが、若冲がこの予言を発してから250年後が現在です。若冲の予言は、思った以上に早く実現することになったのです。

【伊藤若冲の謎を解く】

  この本の著者は、半世紀にわたって若冲を研究してきた若冲の第一人者です。若冲の名前が埋もれていた時代に、「奇想の系譜」という著作の中でいち早く若冲の天才を取り上げ、20世紀末から21世紀にかけて様々な若冲の展覧会にもかかわり、若冲の絵画の魅力を我々に紹介してくれた美術史家です。

  この本で描かれる若冲にはいくつかの謎があります。

  ひとつは、その人生の全貌。そして、もうひとつは我々を引きつけて止まない若冲絵画に隠された謎です。

  辻氏は、その二つの謎を時代の背景、若冲85年の人生を追いながら、その時々の作品を紐解いていくことで2つの謎を並行して紐解いていきます。

  話は変わりますが、この5年ほど仕事で京都地区を担当しています。いつも仕事で寄る事務所は南北に走る烏丸通に面しています。すぐ南には東西に走る四条通があり、まさに京都の繁華街と言ってもよい場所にあります。この四条通には、大丸デパートがありますがその北側の路地を東に進んでいくと、そこに昔の面影を残す錦市場があります。

  2016年、若冲生誕300年を迎えた年にたまたまお昼ご飯を食べに烏丸方向へと向かったところ、地元職員が「この先に錦市場があるから見に行きましょう。」と誘ってくれました。四条通の路地を歩いていくと正面に「錦市場」との看板を掲げたアーケードが見えてきます。

  錦通りは、雑然としたまさに市場ですが、乾物屋あり、八百屋あり、魚屋あり、雑貨屋あり、味噌屋あり、喫茶店ありと、とにかく騒然としていて、外国人や観光客でごった返していました。驚いたことに、そのアーケードの真下に、「若冲生誕の地」という鶏が描かれた独立看板が立っているではありませんか。それもそのはず、その入り口の角は若冲が生まれた青物問屋「桝源」があった場所だったのです。

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(錦市場入口 若冲生誕の表示塔)

  そうです、今や観光地として常ににぎわっている錦市場。こここそが若冲由来の街だったのです。

  青物問屋とは、野菜を作る農家と庶民に野菜を売る八百屋さんをつなぐ問屋です。若冲は、1716年に「桝源」の四代目として生まれました。「桝源」は、本業としても栄えていて、本業の他にも不動産の賃貸業などで比較的裕福だったそうです。おそらく、少年のころから若冲は絵画に興味を持ち、絵画が大好きであったに違いありません。

  ところが、若冲が23歳のとき、父親である3代目伊藤源左衛門が42歳で亡くなります。長男であった若冲は、4代目伊藤源左衛門として跡を継ぐことになったのです。

  若冲と言えば、その師とも友人とも語られる同世代の禅僧である大典顕常の名が必ず登場します。大典は、歴史ある相国寺で修業し、そこに庵をかまえていましたが、若冲の「動植綵絵」は、「釈迦三尊像」とともに相国寺に寄進された絵画だったのです。

  その大典の残した文章によれば、若冲は、「勉強が嫌いで、字も下手で、世の中に技芸はいろいろあるけれど何一つ身につけることがなかった。」と記されています。それでよく青物問屋の主が勤まったなと思いますが、考えてみれば、今もこんなサラリーマンはざらにいます。若冲のすごさは、別の文章に記されています。曰く、「丹青に沈潜すること三十年一日のごときなり。」つまり、絵を熱心に描いて30年になる、というのです。

  若冲の絵画好きは、「好き」の域をはるかに超えていたのです。

  若冲の絵を見ると、たぐいまれなその表現と細部にまでこだわる緻密さに、とても常人ではないと思われますが、常識がなければ青物問屋の主人はとうてい勤まりません。若冲は確かに天才に間違いありませんが、決して我々と異なる奇人ではなかったのです。

  若冲は17年間「桝源」を切り盛りした後、40歳にして家督を弟に譲り、念願の絵画専念の生活に入ることになります。人の寿命が50年と言われた時代を考えれば、今のサラリーマンが60歳で定年となり、自分のやりたいことに専念するところと変わりがないと思うと、この天才にわずかに親近感を覚えます。

  さて、実は若冲には謎の4年間が存在します。

  「釈迦三尊像」と「動植綵絵」を完成させ、相国寺に寄進した55歳から、その絵筆がピタリと止んでいるのです。60歳からは再び名画の数々を世に送っているので、いったいこの期間何があったのか、なぜ筆を折っていたのかが分からなかったのです。しかし、20世紀の末、ある文章が発見されたことにより、この4年間の空白の謎が解き明かされました。その真実はこの本でお楽しみください。

  若冲への親しみがより深まること間違いなしです。

  さて、いよいよ若冲の素晴らしい絵画群の謎について。この本ではその奥深い謎をあらゆる角度から問い詰めていくのですが、その謎解きの数々はぜひこの本を読んで確かめてみて下さい。

  ひとつだけお話しすると、それは「裏色彩」の謎です。

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(裏色彩の波「群魚図」wikipediaより)

  「動植綵絵」はある事情で相国寺から宮内庁へと献上されましたが、宮内庁では1999年から5年間をかけて大規模な解体修復が行われ、その際に絵の裏面の調査研究が行われました。その中で判明したのは、作品に合わせて数多くの部分で膨大な裏色彩による色絵付けを施していたことでした。例えば、空や地面、波などの背景を描く中で、若冲は赤や青や緑、黄色などの色を裏色彩によって塗り分けることで、淡い濃淡を表現していたことが分かったのです。

  最も裏色彩が効果的に使われていたのは、「白」でした。「動植綵絵」では、「老松白鳳図」や「牡丹小禽図」など鮮やかな城に目を見張る作品が多くあります。「白鳳図」では真っ白な翼に黄金色の色彩がまぶされており、その輝きに目を見張ります。その輝きは裏側から黄土を塗り、表の白い色の厚さを変えることにより、黄金が透けて見えるという技法が使われていたのです。

  若冲は、その絵画において高度な技法を自家薬籠のものとして、その絵画世界を作り上げていたのです。それ以外にも、自らの絵画にすべてを注ぎ込んだ若冲の絵画の謎は、この本の中で次々と解き明かされていくことになるのです。


  この本を読んでいる間、まるで若冲展を再び鑑賞している気持ちになり、時間を忘れてそのワンダーに引き込まれました。

  皆さんもぜひ「若冲」の世界を味わってみて下さい。日本人に生まれた幸せを味わえること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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