真山仁 東京地検特捜部検事富永 再び!

こんばんは。

  4月16日に宣言された全国の緊急事態宣言が解除されました。

  5月25日。北海道および首都圏が残されていた緊急事態宣言がすべて解除されました。あれから1週間がたち、飲食店やフィットネスクラブ、そして映画館、商業施設などが感染対策を徹底したうえで再開され始めました。

hyouteki02.jpg

(宣言解除翌日の渋谷駅前 asahi.com)

  これからの合言葉は「With Corona」ですが、この言葉の意味をキチンと咀嚼する必要があります。これまでの世界の感染者数は560万人を超え、死者は36万人を超えています。その感染力の強さは驚異的であり、高齢者や既往症のある方の死亡率は非常に高くなっています。

  その事実を踏まえると、職場や施設内で感染者が発生した場合に、感染者と感染源の特定を可能な状態にするにはどうすればよいのか、発見すればすぐに休業ができる体制になっているのか。こうしたことを十分に準備して日常活動を再開することが必須要件だと思います。

  それよりも大切なのは、我々一人一人が感染しない、させないことを意識した生活を送ることです。仕事や飲食、健康維持の体力づくりなどをしていく中で、いかに感染を意識して生活をしていくことができるのか、が新型コロナとの共生なのだと確信します。それには、習慣を見直すことが大切です。マスクをすることが当たり前、公共の場所でもトイレがあれば手洗いする。施設に入るときには両手を消毒する。匿名で訪れたいような場所には行かない。

  こうしたことが習慣になれば、少なくとも市中での感染は著しく少なくなり、万一感染した場合でも感染源を特定できる確率が高くなります。この日常を守るためにも、ワクチンが開発され、それが廉価にいきわたるようになるまでは新たな習慣を大切にしましょう。

  さて、そんな中で読んでいた本は、真山仁さんが描く東京地検特捜部、富永検事の活躍を描くシリーズ第2弾を読んでいました。

「標的」(真山仁著 文春文庫 2019年)

【検察庁のフリーランス部隊とは】

  このシリーズは、産経新聞に連載されたシリーズ小説です。真山さんと言えば「ハゲタカシリーズ」がつとに有名ですが、意外なことにシリーズものはこれ1作だけだそうです。そして、作家10周年に至って何か新たなシリーズを書き始めたいと考えたのが、富永検事の小説だったといいます。真山さんと言えば、綿密な取材に基づいて現実以上にリアルに小説世界を描き出しますが、政治の世界も得意分野のひとつです。

  真山仁さんが政治を描いた小説では、日本の総理大臣の理想と腐敗を描きあげた「コラプティオ」が思い浮かびますが、政治と密接に関係している検察庁の物語は、真山ワールドに非常に親和性の高いテーマだと思います。

  かつて、日本の文学では「社会性」を描くことは普遍性を保つことができないという意味で、ある種、際物的に取り扱われていました。今でも「芥川賞」では、文学表現の独自性と斬新さが重視されており、社会的事象を取り扱うことは不似合だといえます。しかし、かつてのソビエト連邦でソルジェニーツィン氏が告発したような政治世界は、文学の先進性を見事に表現していました。イギリスやフランスから発し、アメリカに大きな繁栄をもたらした民主主義と自由主義経済の体制は、かのクロムウェルから数えれば300年にも及ぶ歴史を有しており、すでに普遍的な理念と言ってもよいのではないでしょうか。

  真山仁さんは、綿密な取材と真実性を兼ね備える小説を描くという意味で、あの山崎豊子さんを目標にしていると言います。

  今回、奇しくも安倍内閣が次期検事総長候補の検察検事長の黒川氏の定年の延長を、検察庁法を無視して閣議決定し、あまつさえ今国会で後出しジャンケンのごとく検察庁法の改正案を提出してその正当化を図りました。この法律改正案は、識者の猛反発を惹起して、SNSは大炎上。さらには、もと検察庁OBたちの反対直訴にまで及びました。

hyouteki03.jpg

(反対意見書を提出した元検事総長 manichi.com)

  この出来事は、黒川氏が自粛期間中にもかかわらず、某所で複数回の賭けマージャンに教師でいた事実が暴露され、検事長を自任するというお粗末な結果となり、法案改正も取り下げられましたが、政治家とは実に執念深い人種であり、検察庁人事への恣意性を条文に盛り込んだ改正はまた国会に提出されるに違いありません。

  こうしたことがなし崩し的に重ならないように我々はキチンとアンテナを立てておく必要があるのではないでしょうか。

  さて、検察官はたった一人でも犯罪者を起訴できるという権限を持っています。もちろん、起訴とは裁判を起こすための要件ですが、刑事裁判の場合、もしも無実であれば事件の被告となった人間は、被疑者として社会的に大きな痛手を被り、大きな損害賠償を請求されることになります。

  ですので、検察官は犯罪者が間違いなく有罪であることを客観的な証拠によって明確に立件できるだけの裏図家調査を求められることになります。もちろん、このことは警察官にも言えるわけですが、警察は逮捕権をもっていますが、訴訟を提起することはできません。起訴ができるのは、あくまでも検察官なのです。

  真山仁さんが描く富永検事は、一人でも捜査、起訴ができる検察官の代表なのです。

【「巨悪を眠らせない」検事】

  巨悪とは何か、それは東京地検特捜部にとっては大きな権力を持つ政治家の巨額の贈収賄事件、横領事件の摘発のことをさします。

  政治家は、逮捕や起訴に対して法令によって守られています。総理大臣は、法務大臣を通じて逮捕への拒否権を発動することができますし、国会議員は国会開催中に逮捕されることはありません。それは、彼らが日本の国益を代表する、行政と立法の代表者だからなのです。

  日本では、権力を持つ行政機関である自衛隊、警察官、検事官は、すべてシビリアンコントロール(文官統治)の下に置かれています。それは、全体主義国家による世界征服に代表されるように国の権力が全体主義に統治されれば、国民の虐殺や他国への侵略が行われることになることが、歴史的に証明されているからです。

  つまり、巨大な権力を有している組織では、その統治者に政治家である行政大臣が置かれているということです。彼らは、政治家であり常に国民のため、国益のために正義の徒であることが前提となっています。しかし、人間である限り、そこには権力欲や物欲、虚栄心があることを否定するわけにはいきません。とくに大臣や総理大臣は大きな権力を有しており、その権力の見返りに巨額の富を築くことも不可能ではありません。

  そのことを止められるのは誰なのか。

  それが、検察庁の中でも特別捜査を行う組織である各行政区にある特別捜査部なのです。特に東京地検特捜部は、その地域内に総理官邸や各省庁舎、国会議事堂を有し、過去にも政治家の利権に絡む数々の事件を捜査、起訴してきました。

  かの「ロッキード事件」では、ピーナッツに摸された巨額の現金が授受されて、時の総理大臣であった田中角栄が起訴され、有罪となりました。また、「リクルート事件」でも株の無償譲渡に関して贈収賄の疑惑が持ち上がり、複数の国会議員や元大臣が逮捕され、時の竹下内閣は総辞職に追い込まれました。

hyouteki05.jpg

(田中角栄元首相逮捕の報道紙面ー朝日新聞)

  前回の「売国」は、日本の宇宙開発技術に関する利権に絡んだ諜報的な漏えい疑惑を描いた手に汗を握る小説であり、テレビドラマにもなりましたが、今回のテーマは、次期総理大臣を目指す女性議員、越村みやびの疑惑に富永検事が対峙していくという、聞いただけでその展開に胸が躍るものです。

  実は、今回の小説の中には、前作がテレビドラマ化されたときの題名である「巨悪を眠らせない」との言葉がちょっとしたシャレで登場します。そのネタは後半に登場しますが、ぜひこの面白い小説を読んで確かめて下さい。

【次期総理大臣VS富永検事】

  真山仁さんの小説は、本当によく練られて面白い。

  今回の面白さは、主人公とわき役たちの生き生きとした動きと、それに伴い明らかになっていく事実の緊迫感あふれるワンダーです。

hyouteki01.jpg

(文庫版「標的」文春文庫)

  まず、主人公富永検事の陣営ですが、とことん「証拠」にこだわる富永検事の相棒を務めるのは、まだ若いが「割り屋」との異名を取るバイタリティ溢れる女性検事、藤山あゆみです。さらに二人の上司となるのは、強面の副部長である羽瀬検事。羽瀬は、ひと睨みするだけで嫌疑者が口を割るとさえ言われるやり手の検事ですが、やはり上司からの命令には従うという柔軟性も身に着けています。

  そして、迎え撃つ越村みやびは、48歳の国会議員。金沢の老舗酒造家の娘ですが、その人気と手腕はすべての議員が認めるところ。黛総理の懐刀として厚生労働大臣を務め、次期総理の有力候補として名をはせています。もしも、民自党の総裁選で勝てば、日本憲政史上初の女性総理大臣になると、話題となっているのです。

  さらに、東京地検特捜部と言えば欠かすことができないのはマスコミです。今回、ジャーナリストとして登場するのは名門新聞社である「暁光新聞」の記者、神林裕太です。元経済部の記者だった神林は、これまで数々のスクープをものにしてきたやり手記者の東條部長にみこまれて、遊軍ともいえるクロスボーダー部に呼びこまれています。

  さて、小説の中心となるのは、高齢化社会への政策として肝いりで制定された「サービス付き高齢者向け住宅」いわいる「サ高住」です。

  「サ高住」は、老人ホームや介護施設とは異なり、言葉の通りサービスを付加した高齢者向けの住宅のことです。つまり、高齢者向けの住居でありながらそこに医療サービスや介護サービスが付帯されているのです。この政策は、これからの超高齢化社会に向けて高齢者自身がサービスを選択し、自らの住居を選択するという理想的な政策として期待されてきました。

  しかし、補助金を伴う「サ高住」には、利権を求める人々が群がっていました。「サ高住」は、「高齢者の住居の安定確保に関する法律」に定められた住居で、リーマンショック後の不動産業界では、空き地と言えば「サ高住」と言われるほどの大ブームとなり、その補助金を目当てにして新築ブームが出現しました。

  そこには、新たな利権の構造が出来上がり、「サ高住」によって成り上がった勝ち組の業者がたくさん生じました。世の中では、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われますが、この制度にも悪徳業者が輩出し、与野社会問題となっています。

  ここに登場したのが、高齢者を食い物にする悪徳業者を駆逐する法律の制定に乗り出した越村みやびだったのです。兼ねてからこの問題に焦点を当てていた越村は、黛総理大臣の庇護のもと厚生労働大臣に任命され、この問題の解決に自ら乗り出したのです。しかし、そこは利権渦巻く世界でした。

  ある日、上司の羽瀬から呼び出された富永と藤山は、羽瀬から越村みやびの捜査を命じられます。そこには、「サ高住」問題解決の法案成立のためにある「サ高住」団体から越村みやびが多額の資金を受け取っている、贈収賄の告発があったのです。越村は、「清廉潔白」がトレードマークの政治家。それは次期総理大臣候補の越村みやびからは最も遠い世界の告発でした。

  ここから、我々は手練の真山節の世界へと引き込まれていきます。業師である現職の黛総理の姿がバックに垣間見える中、富永検事の手に汗握る戦いの火ぶたが切って落とされるのです。


  このシリーズは、真山さんにとっても思い入れあふれる作品です。その面白さは天下一品。真山ファンならずともその面白さには時間を忘れます。ぜひ皆さんもお楽しみください。このシリーズが末永く続くこと願ってやみません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



人は音楽なしでは生きていけない

こんばんは。

  今年のゴールデンウイークは、「家にいよう」が合言葉です。

  日本人という民族は、本当にオリジナルな存在だと思います。鎖国をしている間でも江戸を世界一の年にしてしまうし、江戸末期には和算学の関孝和はすでに微分積分を使っていたし、渋川春海は天文学を極め、星の動きから日本1300年にわたる暦をすでに紐解いていました。ところが、文明開化によって西洋文化こそが人類発展の礎とばかりに、すべての文化を西洋の土台で取り入れて競争社会を作り上げたのです。

  今回の新型コロナ拡散では、図らずも日本の特異性が明らかになりました。

  例えば、日本では世界に比べて人口に占める感染者数や脂肪事例は圧倒的に低い水準を保っています。これは、もともと日本人が人に迷惑をかける行為を避けようとする民族であることが大きな要因なのではないでしょうか。

  日本人社会は、農業中心の経済体系を永年にわたって築き上げてきており、そこには村八分文化が根付いています。そこでは、公民的な意味での他人を思いやることとは別に、人に迷惑をかけると村からのけ者にされるため、できるだけ人様に後ろ指をさされないようにしようとの心理が働きます。そのため、疫病などに備えて触れ合わない文化がはぐくまれたのではないでしょうか。

  くしゃみや咳は人に向かってしない、挨拶は触れ合うのではなくお辞儀でする。できれば、座って距離を置いて頭を下げる。目上の人に対しては、距離を取って頭を下げたまま目を挙げない。こうした、村八分にならないための文化が接触を避ける文化となり、結果としてウィルス感染を未然に防ぐことになっているのではないでしょうか。

  そうは言っても今回のウィルスは感染力が異常に強いので、日本の文化だけでは対抗できません。また、村八分社会では負の連鎖が起きる可能性もあります。今は科学の時代です。根拠のある感染症予防(手洗い励行、マスク着用)を行い、対人接触8割減を実現し、一日も早い緊急事態宣言からの脱却を目指しましょう。

【家にいて何をやろうか】

  我々人類のために身を粉にして働いて頂いている医療従事者の方々(うちにも一人います。)には本当に感謝なのですが、それに反し私は4月にはほとんどテレワークで自宅にいました。人との接触は、家族を除けば限りなくゼロに近いのですが、いつもの日課がこなせずにイライラしてくることに間違いはありません。例えば、大好きなライブやコンサートは(当たり前ですが)すべてキャンセルとなり、テナーサックスのレッスンも(これまた当たり前ですが)すべて中止。さらには映画館も休業、本屋さんもやっていません。

  人間は社会的な生き物なので、こうした人が生み出したものへの接触を制限されるとストレスがたまりまくります。日頃からあまり運動はしていないので、その点は特に痛痒を感じないのですが、文化的接触がないのは本当に苦痛です。

  もちろん、ライブやコンサートはキャンセルなので、チケット代はもどってくるのですが、個人的にはライブやコンサートはお金に代えがたい感動を生んでくれます。最も憂うのはパフォーマーたちの収入が途絶えて、音楽活動が続けられなくなるリスクが出てくることです。もちろん、ライブハウスの経営者も生活していけず、出演者も生活の糧をえることができなくなるのです。

  イギリス、ドイツ、フランスでは、ミュージシャンを含めたパフォーマー達には都市封鎖などによって収入がなくなることへの補償があると報道されています。しかもそれは申請すれば即座にもらえるようです。日本には文部科学省がありますが、こちらの官僚たちには芸術を愛する人は数少ないのかもしれません。人間はパンなしでは生きていくことができません。さらに音楽や文学がなくても生きていけません。政治を司る人たちにはぜひそのことを理解してほしいと心から願います。

【音楽こそが我々をつなぐ】

  さて、話を戻すと、ライブやコンサートで生音を堪能することはできませんが、テレビや動画で、音楽はオンタイムで発信されています。

  コロナ以降、感動した音楽番組をいくつかご紹介します。

  まず、ポップスでは、薬師丸ひろ子さんのライブです。こちらは、NHKBSプレミアムの番組なのですが、2018年に行われた「歌がくれた出会い」と題されたライブの映像です。

  薬師丸ひろ子と言えば、70年代から80年代に青春時代を送ったお父さんたちには懐かしくて涙がチョチョ切れるのではないかと思います。そのデビューは1978年、14歳の時です。当時、角川春樹さんが角川文庫から映画製作へとすそ野を広げ、文庫本とのコラボレーションで一世を風靡しました。その第一作は、横溝正史さんの「犬神家の一読」。この映画は大ヒットし、第二作目は森村誠一さんの「人間の照明」。こちらもジョー山中が謳った主題歌とともに、大ヒットとなりました。

  そして、その第三作目が高倉健さんを主人公に描いた作品「野生の照明」だったのです。

  この「野生の照明」でデビューしたのが、薬師丸ひろ子さんでした。

  ライブのすばらしさは、その題名通り、彼女がこれまで接してきた様々な人々とのエピソードを課の儒自身が振り返るというインタビューが挿入されるところです。ライブは、これまで35年間歌われてきた数々の楽曲が網羅されていますが、それぞれの曲にまつわるエピソードが本人の口から語られる趣向は素晴らしいものでした。

  「野生の照明」のテーマ曲は、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。」とのフィリップ・マーロウの言葉がキャッチコピーの「戦士の休息」。画占め手の映画出演だった彼女に気遣ってくれる高倉健のエピソードはもちろんですが、この曲を歌うたびに高倉健さんがどこか近くにいる気がする、との言葉はデビュー当時の想いが湧き上がってくるようです。

  私が彼女のファンになったのは、1983年公開の松田優作さんと共演した映画「探偵物語」。以前からその大きな目に魅力を感じていましたが、若い女性を描いて一流の赤川次郎さんが書き下ろした原作のおもしろさもさることながら、松田優作さん延ずる駄目刑事がおませでお嬢な女子大生の魅力をふんだんに引き立てており、素敵な映画でした。

  ちょうど会社に入った年に発売されたアルバム「A LONG VACATION」は、日本のJPOPSの草分けであった大瀧詠一さんの大ヒットアルバムです。このアルバムでブレイクした大瀧さんはその後様々な楽曲をメジャー歌手に提供することになりますが、この映画の主題歌はまさに作曲家として絶好調の大瀧詠一がはなったスマッシュヒットでした。(作詞は盟友松本隆さん)この映画は、当時TV放映をビデオにとり、擦り切れるくらいに何度も見たことを覚えています。この曲もラうぶでは、大瀧詠一さんの思い出とともに歌われていました。

  そして、もう1本忘れられない映画が、夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」です。この映画は薬師丸ひろ子さんがはじめて本格的な演技に挑戦し、女優として評価された記念すべき作品です。ラストの衝撃もさることながら、この作品も主題歌が秀逸でした。薬師丸ひろ子さんの歌う「Woman”Wの悲劇より」と題された曲は、「愛」を歌いながらもスタイリッシュで見事な抑揚が心をゆさぶります。作詞は前作に続き松本隆さん、作曲は呉田軽穂です。え?クレタカルホ?かつてグレタ・ガルボという伝説の女優がいましたが、この名前は?

  実はこの人こそあの松任谷由実さんなのです。薬師丸ひろ子さんは女優生活に悩み、何度となく女優を辞めたいと思ったと言います。しかし、ある時、苗場に遊びに行き松任谷由実さんのライブを見た時に、そうなんだ、自分も自由に生きればよいのだと目の覚めるような気がした、と語っています。お二人の間には人にわからない強いきずながあったのです。この曲も名曲でした。

  薬師丸ひろ子さんの歌は本当に様々な人たちが創り、彼女との絆を作り上げてきました。薬師丸さんは中島みゆきさんの名曲「時代」もカバーしています。インタビューでは、この曲の録音の時にスタジオにみゆきさんご本人が来てくれてアドバイスを受けたと言います。ひろ子さんはこの曲を声量を持って歌おうと息を吐き出して歌っていたそうなのですが、みゆきさんがその歌を聴いて、あなたにはもっと声量があるはず、思い切って声を出して、と言われたそうです。あの中島さんが、驚きです。

  彼女がこれまで歌ってきた数々の歌には、その歌にまつわる人との出会いがあったのです。ご紹介した以外でも、彼女には竹内まりあさん、井上陽水さん、坂本龍一さんなどなど日本の音楽界を代表する作曲家たちが曲を書いています。その素晴らしい音楽を味わいながら、それぞれの人たちの出会いを語る。このライブはテレビで見るからこその感動がある素晴らしい番組でした。機会があれば、皆さんもぜひ味わってください。心が癒されること間違いなしです。

Stay Homeを実践する音楽家たち】

  さて、話は変わりクラシックの番組です。

  新日本フィルハーモニー管弦楽団は、日本を代表するオーケストラのひとつです。しかし、今回のコロナウィルスのためにすべてのコンサートは中止となりました。オーケストラにはスタッフを含めれば100人以上の人たちが仕事をしています。そこに収入の道が閉ざされればどんなことが起きるのでしょうか。それは楽団の存続にも影響する一大事です。

  オーケストラはすみたトリフォニーホールを本拠地としていますが、今はホールも閉鎖されており集まっての練習も、遠隔公演もできません。そこでトロンボーン奏者の山口さんがネットで合わせて音楽を届けようと楽団のメンバーに呼びかけたのです。曲は「パプリカ」。62名ものメンバーがそれぞれ自宅からのアクセスで一つの曲を作り上げるとの快挙に感動しました。

  ところで、NHKEテレでは毎週日曜日の2100から「クラシック音楽館」という番組を放送しています。いつもは、N響の定期演奏会の模様を放送するのですが、ときどき驚きのプログラムが放送されます。先日は、「いま届けたい音楽~音楽家からのメッセージ~」と題して、今最も才能を発揮している人々のメッセージとともに過去の素晴らしい演奏を振り返る番組を放送していました。

  92歳になる世界的指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんのベートーベン交響曲7番は、年齢を全く感じさせないテンポの名演奏。そのはつらつとした演奏に大きな元気をもらいました。そのメッセージは「今、ルツェルンの自宅で日本の皆さんを思い浮かべている。いつか皆さんのためにコンサートホールで演奏したい。こうしたときだからこそ、私たちは音楽を渇望する。」。心が熱くなりました。さらには、ベルリンフィルでコンサートマスターを務めるヴァイオリニスト樫本大進の演奏にも時間を忘れて聞き入りました。

  曲は、サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。大進さんの「この曲の第2楽章の美しさに心をいやしてもらえれば・・・」とのメッセージとともに演奏が始まります。サン・サーンスと言えば、さだまさしの曲にも使われた「動物の謝肉祭」の「白鳥」は知らない人はいないほど有名ですが、この曲のヴァイオリンの美しさは、さすがサン・サーンスと唸らせる本当に美しい旋律が心地よい名曲でした。指揮者、パーヴォ・ヤルヴィさんも相変わらずの流麗な演奏でここ画尾から感動しました。

  今、全国の緊急事態宣言も延長を迎えて、我々は「Stay Home」という、さらなる忍耐を強いられますが、こんな時こそ笑顔を忘れずに豊かな音楽を心の糧に穏やかに毎日を過ごしていきましょう。

  今、私は毎日テレワークで仕事をしていますが、幸せなことに子供も巣立ち音楽を聴きながら仕事に勤しんでいます。今のお気に入りはエリック・アレキサンダー(T.Sax)、2016年のアルバム「Second Impression」です。やんちゃなエリックから変貌し、ストレートでアグレッシブながらも大人の魅力を醸しだす彼のSAXがひときわ響き渡る名作です。ジャズがお好きな方は、一度お聴き下さい。お気に入りの1枚になると思います。

  それでは皆さん、いつもに増してお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



黒木亮 ヘッジファンド対国家の闘い

こんばんは。

    日本の政治家たちの危機管理能力には大きな疑問を持たざるを得ません。

  新型コロナウィルスへの対応について、中国から始まり韓国、日本へと広がってきていた感染の波は、いきなりヨーロッパに飛び火、さらにアメリカで拡大の一途をたどり、今や「オーバーシュート」を起こした国々では、外出自粛要請などという生易しい対応ではなく、首都における都市封鎖「ロックダウン」が宣言されています。イタリア、スペイン、フランス、そしてアメリカでは、都市封鎖を行っていますが、時すでに遅く医療崩壊が起きつつあります。

  日本では、まだ「オーバーシュート」(感染爆発)にはかろうじて至っておらず、今が踏ん張りどころ、との認識から夜の街を含めて外出自粛要請にとどまっています。日本の政治では、責任をうやむやにすることが状態となっています。今回、非常事態宣言から都市封鎖に至る決断は、責任を背負う覚悟が明確に必要な判断です。最も恐れるのは、オーバーシュートが起きてからの非常事態宣言と都市封鎖です。

  中小企業や個人事業主の皆さんも真綿で首を絞めていくようなじり貧の破綻は望んでいないはずです。借金まみれで102兆円もの予算を計上するくらいならば、その借金を使っての支援をしっかりと構築したうえで、2週間程度の都市封鎖が現状で最も効果があり、責任感のある政策だと思います。日本の政治家の先送り体質が思わぬ悲劇を起こすことがないように祈るばかりです。専門家委員会の答申を受けた政策がマスク2枚の配布とは、株価が下がるのも当たり前だとあきれます。

  さて、話は変わりますが、債権とは、簡単に言えば借金のことです。

  個人でも、企業でも、国家でも借金をすれば返済しなければなりません。通常、個人や企業は借金が膨らんで消せなくなった場合、法律によって債務の無効が宣告されることがあります。個人でいえば「自己破産」を申告し、借金をチャラにすることが可能です。企業の場合、会社法や会社更生法、民事再生法などによって、借金を軽減(放棄)して再建することができます。

  それでは、国の場合はどうなるのでしょう。

  国家財政も借金が膨らみ返せなくなると破綻することになります。

  今週は、国家の不良債権を食い物とする投資ファンドの小説を読んでいました。

「国家とハイエナ」(黒木亮著 幻冬舎文庫 上下巻 2019年)

500%リターンの投資とは?】

  大量の資金を運用して利ザヤを稼ぐ。これが投資ファンドの仕事です。

  真山仁さんが一躍その名をはせた小説「ハゲタカ」では、バブル崩壊によって日本国内に生じた倒産企業の不良債権や破綻寸前の企業を買いたたく「ハゲタカファンド」の暗躍を描いて大ヒットしました。その真山さんはその後、様々な分野の小説を上梓していますが、当時、まったく違う視点から投資ファンドを見事に描いた小説がありました。

  それが、黒木亮氏の「トップ・レフト」でした。

  この小説が上梓されたのは2000年の3月ですが、この時、黒木氏はロンドンの商社で金融部長を務めるバリバリの現役金融マンでした。「トップ・レフト」とは、海外の巨大投資案件で主幹事を取った企業に冠される栄冠です。国際投資シンジケートの主幹事の座を巡り、収益第一主義のアメリカの投資銀行マン龍花と日本の都銀で海外融資を担う銀行マン今西。世界を舞台に繰り広げられる戦いは息もつかせぬ展開で、時間を忘れて読みふけりました。

  この小説は、投資銀行と金融投資にまつわる専門用語が数多く登場し、難解といえば難解ですが、黒木氏が現実に身を置いている国際投資の世界をリアルに描いており、その迫力には目を見張りました。この作品を契機に黒木氏は専業作家に転身し、多くの作品を上梓してきました。

  このブログが始まってからも黒木氏の投資ファンド小説をたびたびご紹介してきましたが、作品を追うごとに小説はスケールアップしており、近年の作品はみな大河小説的なスケールで小説世界が描かれています。そのテーマは、格付け会社であったり、石油・天然ガスなどのエネルギーであったり、二酸化炭素の排出権であったり、とにかくディールにかかわるあらゆる物語へと及んでいるのです。

  その黒木氏が今回描くのは、国家予算規模のディールです。

  デフォルトという言葉をご存じでしょうか。国家破綻という言葉がリアルとなったのは、2010年、ギリシャの財政危機が報じられた時でした。そのときの報道は「ギリシャ、デフォルトの危機」と大騒ぎとなりました。デフォルトとは、債務不履行という意味です。ギリシャ危機の発端は、ギリシャ政府の財政赤字隠蔽でした。

  財政赤字とは、持っている資産よりも支出の方が大きいということで、その支出の赤字は借金(債務)によって支えられているということです。EUでは、加盟国の財政赤字幅をGDP3%以内と定めていました。ギリシャは、その割合を5%と公表し是正を求められていたのですが、実は赤字が12.7%となっていたことが発覚したのです。ここからギリシャの財政は債務不履行となる、と言われたのです。

  この危機は、EU諸国が資金を負担して3690億ドルの財政支援を行うことで回避され、2018年にはこの支援金も終了し、財政も黒字を保っています。3690億ドルとは、日本円にしていったいいくらなのでしょうか。なんと約413280億円となります。そこに発生する負債や債券の金額は、桁違いと言えます。

  今回の小説で描かれる投資ファンド、シェイコブスアソシエイツは、デフォルト国家の債権を二束三文で購入し、世界中で訴訟を起こしてその債権の元金と金利を回収する、との手法で強大なリターンを確保する投資ファンドです。デフォルト国家はもちろん資金不測の国ですから、その国民の経済も破綻しており、国民は失業して収入もなく、香港で不衛生な生活を強いられています。そうした国の債権を買い取り、元利すべてをむしり取ろうとする投資ファンドは、ハイエナファンドと呼ばれています。

  ジェイコブスは、このギリシャの財政危機に際して、ギリシャの借金である国債を徹底的に買いまくります。ギリシャはEUからの金融支援を受けるためにデフォルトを宣言するわけにはいきません。財政の悪化によって回収不安が増した国債の価格はアッという間に値段を下げていきます。二束三文となったギリシャの債権を安価で買いまくり、額面で回収できればその差額は莫大な利益となるわけです。しかし、一投資ファンドがギリシャを相手に不良債権の返済を求めても、デフォルトとなったギリシャから債権を回収できるわけではありません。

  そこで、ジェイコプスが行うのはギリシャが持つ資産の差し押さえです。

【“ハイエナ”ファンドとは?】

  国家の不良債権を狙った投資ファンドは、実際には「ハゲタカ」と呼ばれていますが、黒木氏は真山さんの小説ですっかり有名になった「ハゲタカファンド」と一線を画する意味で、こうしたファンドを「ハイエナ」と名付けました。ハイエナは、他の動物が仮で仕留めた死肉を横から盗み食いをすることで生きています。国家の債権を食い物にするハイエナファンドとは。

  黒木氏は、最初はこの小説を、アフリカ諸国をめぐるハイエナファンドとの争いを描く物語として構想したと語っています。

  物語の始まりは、アフリカのコンゴ共和国です。ハイエナファンドと呼ばれるサミュエル・ジェイコブスは1997年にコンゴ共和国に対する、すでに債務不履行となった債権を800万ドル(88千万円)で購入します。その債権の額面は7000万ドルですが、債権には利息が加算されます。この債券はもともとベルギー政府が融資した債券でしたが、コンゴ政府がデフォルト状態となったためにコゲついていました。ジェイコブスは、800万ドルで手に入れた債権で、7000万ドル(77億円)+数年分の利息(10%×5年とすれば、約47億円)を返済してもらう、というわけです。

  いったいジェイコブスは債務不履行に陥った債権をどのようにして回収するのでしょうか。

  金銭賃貸借契約には、必ず紛争が起きた場合の管轄裁判所が定められています。例えば、コンゴ共和国の場合にはベルギーの首都であるブリュッセルの裁判所が管轄裁判所となっています。債権を購入したジェイコブスは、ブリュッセルの裁判所でコンゴ政府を相手に自らの債権の償還の訴状を提訴することになります。さらに、債権を持つということは、債権の返済が行われない場合には、債務者の資産を差し押さえることができます。

  コンゴ共和国の主な財源は石油の輸出による収入です。ベルギーの裁判で債権への返済義務が認められれば、ジェイコブスは、債権者として石油を差し押さえることができます。コンゴ政府では、石油の輸出による収入を巧みにカモフラージュし、本来政府に入るべき収入を政府首脳が個人の収入にしている実態がありました。この石油の輸出は、税制優遇国に設立された複数のペーパーカンパニーを抜け道として、公に知られることがないように仕組まれていたのです。

  その巧みに構築されたスキームには、資金調達のための国策銀行も一役買っていました。

  黒木ファンなら、ニューヨークのカラ売りファンドである、パンゲアの北川靖の名前はおなじみだと思います。パンゲアは、この小説でも登場します。パンゲアは、コンゴ共和国の密輸出に絡む子国策銀行の株を空売りしようと、銀行が絡むコンゴの石油輸出スキームを探っていたのです。石油タンカーの動きを追うために北川は、アフリカ大陸の東側に浮かぶマダガスカル島に上陸します。この島から船を出し、石油タンカーの船籍がコンゴ共和国であることを暴こうというのです。

  敵の敵は味方。との言葉通り、コンゴ共和国の国策銀行株の下落を狙うパンゲアとコンゴ共和国の資産を差し押さえたいジェイコブスの思惑は、見事に一致するのです。その活躍は、ぜひともこの小説でお楽しみください。

【ハイエナファンドVS NGO

  国家が債務過多によって債務不履行状態になると、国の財政が破綻するだけではなく、国際的な経済活動が制限されます。ただでさえ経済的に不遇な発展途上国では、国民の一人当たりの収入が減り、子供に食事がいきわたらなくなり、貧困層が増大します。ハイエナファンドに訴訟を起こされ、資産を差し押さえられた国は財政不足と政治の腐敗から貧困にあえぐ国民を見殺しにします。国に保護されず、収入の道もない人々は子供に満足な食事を与えることもできず、次々に亡くなっていきます。

  そんな途上国の悲惨な状況に声を挙げる国際的なNGOが存在します。

  その幹部の一人は、何と日本人、沢木容子という情熱を内に秘めた女性です。

  このNGOは、世界各国に事務所を備え、世界中で過大な途上国の負債を減免させる運動を展開しています。例えば、「ジュビリー2000」は、貧困にあえぐアフリカ途上国の国際債務を帳消しにしようとする運動です。黒木さんは、実際に日本でこの運動の旗振り役出会った女性にインタビューを行い、迫真に迫る描写を実現しています。

  小説の読みどころは、ハイエナファンドと破たん国家の元首たちとの闘いですが、そこに正義をめざすNGOが登場し三つ巴の闘いが展開されるのです。1996年から20年にわたるハイエナファンドの闘いを描くこの小説は、黒木氏の新たな投資サーガの幕開けを告げるワンダーな物語です。お楽しみください。

  今、コロナウィルスとの闘いが正念場を迎えています。その勝利のためにも皆が人との接触8割減を目標に一人一人が努力を重ねるときが来ています。頑張りましょう!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



生命誕生の謎を巡る熱い対談!

こんばんは。

    しばらくブログをお休みしている間に世界中に新型コロナウィルスが蔓延してしまいました。

  これまでも我々人類は未知のウィルスや細菌に侵されて、絶大な被害を出してきました。古くはペストによるヨーロッパ社会の壊滅的被害、近くはスペイン風邪の大流行、エイズウィルスによる甚大な被害、アフリカではエボラ出血熱の流行と封じ込め、サーズやマーズの世界的な流行など、今回も学ぶべき事例として紹介されてきました。

  今回のウィルスは、7年前に流行したマーズ(マーズも新型コロナウィルスと解説されていたのは記憶に新しいところです。)の変型種だそうです。変型種とはいえ、今までのワクチンでは効果がなく、その感染力の強さと肺機能への絶大な影響で抵抗力の低い高齢者や既往症者などでは、死に至る病となります。アメリカでは、先日、死亡者が3,000人を超えて2001年の同時多発テロの死者を超えた、と報道されましたが、アッという間に7000人を超えました。。

  「パンデミック」、「クラスター」、「オーバーシュート」、「ロックダウン」など、過激な言葉に対する人々の反応は過剰な動揺と懐疑的な無関心を呼び起こしています。

  志村けんさんが新型コロナウィルスで亡くなってから、改めて我々はその恐ろしさを身近に実感していますが、コロナに感染するとは自らの人生の問題であると同時に身近で大切な人の命までを奪うことにまで至る無責任な不幸であるともいえます。一人一人が冷静に感染に対して適切な予防策を講じることが最も責任のある行動だと感じます。

seimitann01.jpg

(小池都知事の外出自粛要請 asahi.com)

  実は、クルーズ船での感染が日本を震撼させている2月末、私も風邪の症状と発熱に見舞われました。安易に受診しないようにとの報道があったので、事前にかかりつけ医に電話したところ、「発熱者用の診察室があるので、診察ができるときに折り返し電話するので直接その部屋に入ってください。」との返事。もつべきものはかかりつけ医で、安心しました。その発熱室で診察を受けると、熱は378分。念のためにインフルエンザの検査を受けました。

  結果は、A型インフルエンザ。実は、12月に十数年ぶりにインフルエンザの予防注射を打ってもらったのですが、発熱の低さはそのせいだったようです。リレンザ吸入薬を吸って帰りましたが、熱は翌日下がり、症状も3日ほどで抜けました。もちろん、家では自室で自己隔離を行い、会社には5日後に出社したのは言うまでもありません。このときばかりは、かかりつけ医のありがたさを感じましたが、女医さん曰く「今回ばかりはA型インフルエンザでよかったわね。薬があるからすぐに良くなるから。」

  「よかったわね。」には複雑な思いがしましたが、確かに予防注射のおかげもあってすぐに回復。さらに5日ぶりに会社に行っても、すでに会社ではコロナ対策でテレワークや自宅勤務が始まっており、A型インフルで5日間休んでも、ほとんど話題にも上らない状況でした。

  それにしても不思議なのは、インフルにかかった一週間前には飲み会や仕事や会議など、周囲の人とはいわいる濃厚接触を繰り返していたのですが、不思議なことに周りでは誰一人インフルエンザにかかっていないのです。私が他人に迷惑をかけていなかったことは僥倖さったのですが、感染経路が不明であることは不可解でした。

  そこで、いろいろと振り返ってみると、原因は飛沫などによる感染なのではなく、どこかでウィルスが手についたのではないかと想像されます。例えば、通勤時の手摺についていたA型インフルウィルスが手につき、会社で目をこするなど涙から感染したのではないか、それが原因として最も濃厚です。

  つまり、新型コロナ対策は、濃厚接触を避けることはもちろんですが、外出していても仕事をしていても、家にいても、いかにこまめに手洗いをして過ごすかが、最も大切出ることを悟ったのでした。新型コロナウィルスに感染するか否か、最後は運不運ではあるものの事前にできることもたくさんあります。まずは、こまめな手洗いと消毒、その回数が感染するか否かの分水嶺なのかもしれません。

  さて、一日も早いワクチン開発を願いつつ、本屋さんの話題に戻りましょう。

  本屋さんで、本当に面白かった本の著者の名前を久しぶりに見つけたとき、その本のことを思い出しました。その著者の名前は高井研氏。海洋研究開発機構に属する生物学者です。その仕事は、海洋探査船“しんかい6500”を駆使して地球生命の起源を解き明かすことだったのです。そのときに読んだ本は、「生命はなぜ生まれたのか 地球生命の起源の謎に迫る」(幻冬舎新書)という本でした。

  昨年、NHKのプロフェッショナル仕事に流儀という番組で、高井さんが率いる“しんかい6500”が登場しました。この船は太陽の光の届かない深海の探索を行う有人深海探査船です。人を乗せ、深海にもぐること30年。番組では、2019年の夏に実施された「アルビンガイの移動生体実験」と「学生の乗船体験による人材育成」を9日間密着して取材していたのです。当然、チーフ研究員である高井氏もしっかり操縦する姿が映し出されました。

  今週は、本屋さんで見つけた高井研さんの対談本を読んでいました。

「対論! 生命誕生の謎」

(山岸明彦 高井研著 集英社インターナショナル新書 2019年)

seimitann02.jpg

(「対論!生命誕生の謎」 amazon.co.jp)

【地球生命の誕生とは?】

  科学が解き明かす、まだ知られていない未知の世界。

  例えば、素粒子の世界では理論上つきつめていくと世の中は11次元でできている、とか、ある素粒子は見ているときだけ存在し、目を離した時には存在していない、とか、現代科学は思いもよらぬことが真実であることを明かしてくれます。生命に関しても地球上の最初の生命にかかる研究では、はやぶさ2の宇宙生命のカギを握る岩石を採取して帰還するプロジェクトが現在進行中です。「生命誕生」には、どんな謎が潜んでいるのでしょうか。

  まずは、この対論の目次を見てみましょう。

1:生物の共通祖先に「第3の説」!

2:生命はまだ定義されていない!

3:生命に進化は必要か?

4:生命の材料は宇宙からやってきた

5:RNAワールドはあった? なかった?

6:地球外生命は存在する! ではどこに?

7:アストロバイオロジーの未来

  さて、対論のお相手となる山岸明彦氏ですが、こちらは年長で国際宇宙センターで行われた生命期限探索研究「たんぽぽ計画」のリーダーを務めた分子生物学者です。年こそ違え、生命誕生の謎に正面から挑む両科学者が繰り広げる生命誕生にかかる丁々発止のタイロン。その展開は、まさに手に汗を握る知的論議の連続です。

  まず、お二人の論点となるのは「LUCA」です。「LUCA」とは、「最終普遍共通祖先」のことを言います。共通祖先とは、ダーウィン進化論の基本といってもよい考え方です。例えば、チンパンジーとホモ・サピエンスは同じ霊長類に属していますが、霊長類の中でも我々は約700万年前にほんの少しの遺伝子の変化によってヒトへと分岐したといわれています。つまり、この分岐前に存在した霊長類がチンパンジーとヒトの共通祖先と呼ばれるのです。

  この共通祖先をはるかに遡っていくと、哺乳類は爬虫類との共通祖先がいて、爬虫類と両生類、両生類と魚類、脊椎静物と無脊椎静物、さらには藻類などの菌類や細菌、バクテリア等々、系統図と呼ばれる樹木のような系図ができあがります。さらに遡ると、最後には「LUCA(最終普遍共通祖先)に行きつくことになるのです。

  この「LUCA」が地球上に生息する生命の最初の誕生の形である点は、ダーウィンの進化論を認める限りにおいては真実であることに間違いがありません。お二人もここまでは異論なく同意しているのです。

  それでは、何が対論となるのか。この本が面白いのはここからなのです。

  まず、「LUCA」がいつ、どこで誕生したのか。そこが議論になります。現在の生命には炭素という有機物が生成されていることが条件となります。現在、最古の化石で認められる炭素は、38億年前の化石だといいます。長い時間をかけて炭素が形作られることを考えれば、生命誕生は、38億年から40億年前と推定されます。この点は、お二人が一致する点です。

  それでは、生命誕生はどこで起きたのか。

  高井さんが提唱するのは、そのフィールドワークから研究が深められている熱水噴出孔が生命誕生の知ではないか、との仮説です。熱水噴水孔は火山などのようにマグマによって熱せられた熱水が噴出する孔ですが、高井さんが注目するのは深海に存在する熱水噴出孔です。かつて、400度にも至る高熱の中に生命がいるとは考えられませんでしたが、実際にはそこにひとつの生物社会が形成されていたのです。そこに生息するバクテリアや細菌は、硫化物や金属性物質を有機物に換えて生息しているのです。我々は、基本的に太陽エネルギーの恩恵を受けて命をはぐくんでいるのですが、高井氏は40億年前、無機物から発生する化学エネルギーや電気エネルギーが生命のもとになったのではないかとの仮説を提唱しています。

seimitann03.jpg

(深海の熱水噴出孔探査”しんかい” motor-fan.jp)

  しかし、対論の相手である山岸氏は、この説とは異なる仮説を提唱しているのです。

  山岸氏は、生命誕生の地は深海にある熱水噴出孔ではなく、陸地に噴出している高熱の温泉付近だと語ります。その理由は、最初の生命が誕生するためには、豊富な水分と水分が飛んだ乾いた環境が相互にあることが必要だからだというのです。そこには、生命誕生のとき、生命はどんな機能を備えていたのか、という大きな謎がその根底を流れているのです。

【生命とは何か?】

  山岸氏の科学的論理は極めて明確です。

  我々には耳慣れないのですが、山岸氏が支持する生命誕生の仮説は「RNAワールド仮説」と呼ばれているそうです。詳しくはぜひこの本で味わっていただきたいのですが、ポイントは、生命の重要な要素として複製機能があることです。生命は遺伝子情報を持っていることによって同じ生命を複製できます。遺伝子は核を持つRNAとらせん構造で情報を保存しているDNAによって成り立っています。生命は、エネルギーを持つこと、複製機能があること、膜によって外界と区分けされた世界を持つこと、が要件とされています。

  一般的には情報保持装置がDNAで、RNAはこの情報保持の司令塔とのイメージがありますが、実は、RNAにも独自の遺伝情報を持っており、RNAはもともと複製系として自己完結をしていたとの考えが基本となっています。それにはある酵素の発見が寄与しているのですが、山岸氏の説は、現存する生命はすべて核と膜RNAから成り立っており、進化論の帰結として「LUCA(最終普遍共通祖先)」は、RNAであることが最も合理的である、との考え方から成立しています。

seimitann04.jpg

(RNAは情報を伝達する gizmode.com)

  対論は、「生命の定義」と「進化論の帰結」とは何かという根源的な問いかけに突入していきます。生命とは何か、との問いに対してお二人は、生命に必要な条件とは何か、との議論を展開します。高井さんは、その条件を①エネルギーがあること、②必要な元素を有していること、③有機物であること、の3つを挙げています。これに対して、山岸さんは、①何らかの膜を有していること、エネルギーがあること、③情報を伝える核酸を持つこと、を挙げています。

  つまり、膜があり情報を持つ核酸がある。この条件を満たすのが「RNAワールド仮説」であり、最初のRNAは乾いた環境がなければ生成されることがないので、生命御誕生は陸地で、さらに熱水噴水孔のある温泉地だと主張するのです。お二人おまったく異なる仮説は、迫真の対論を巻き起こし我々を生命議論に巻き込んでいくのです。

  いったい、地球の、我々の元となる生命の素はどこから生まれたのでしょうか。お二人の議論は、真っ二つに割れながら、最後には宇宙における生命実験の神秘と科学へと進んでいきます。太陽系に果たして生命は存在するのか。土星の第二惑星エンケシドスには「水」の存在が確認されており、生命の存在が期待されています。我々生命はどこから埋めれたのか?その謎への最前線の研究を皆さんもぜひこの本で味わってください。夢とワンダーが膨らむこと間違いなしです。

seimitann05.jpg

(土星の第二衛星エンゲラドス wokipediaより)

  今回は、コロナ話のせいで、いつもに増して長いブログとなってしまいました。最後までお付き合いありがとうございます。皆さん、汚染された手で唇や目にさわるのは絶対にやめましょう。頻度の高い手洗いと細心の注意が被害者、そして加害者となることを防ぎます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



ついに完結!「スター・ウォーズ」シリーズ

こんばんは。

  いきなり閑話休題なのですが、戦後プロ野球の歴史を長嶋さん、王さんとともに作り上げてきたレジェンド、野村克也氏が亡くなりました。

  このブログでも野村さんの著書は数えきれないほど紹介してきましたが、日本のプロ野球に数々の新たなページを書き加えてきた氏の功績は何物にも代えがたいものだと思います。ニュースでは、その教え子たちのコメントが次々に述べられていましたが、同時代に切磋琢磨してきた人々の語りもさることながら、監督時代にその教えを学んだ高津監督や島選手の涙は我々の心を打ちました。

  3年前に奥さまを亡くしてからすっかり元気がなくなりましたが、同じ病状で亡くなったその仲睦まじさをそのまま天国でも続けていくものと、心からのご冥福をお祈りしています。

  野村さんの選手晩年と監督時代の活躍を同時代に味わうことができ、野球ファンとしてこれほどの幸せはありません。西武での生涯現役捕手時代、その後のID解説者時代、ヤクルトの黄金時代を築いたヤクルト監督時代、阪神監督時代、マーくんを育てた楽天監督時代、とすべての時代で我々に野球の奥深さを教えてくれました。その人間観察の確かさと弱者が勝つためのマネジメントは、これからも我々の指針として役に立つことに間違いありません。本当にありがとうございました。感謝です。

starwars01.jpg

(1995年 日本一のトロフィーを掲げる野村氏)

  さて、野村さんの話は一度おいて、今回は「スター・ウォーズ」の話です。

  ジョージ・ルーカス氏が壮大なサーガを構築し、そのサーガをもとに最も面白いエピソードを画像化するとのコンセプトで制作された映画「スター・ウォーズ」シリーズ。その大ヒットシリーズが、40年の時を超えてついに完結しました。

  「スター・ウォーズ」シリーズは、1977年から1983年にかけて制作公開された3部作が「オリジナル・トリロジー」。1999年から2005年にかけて作られた3部作が「プリクエル・トリロジー」。2015年から2019年まで作成され、ついに昨年末に最終作「スカイウォーカーの夜明け」が公開された3部作は「シークエル・トリロジー」と呼ばれています。「プリクエル」とは本編に対する前編を意味しており、「シークエル」とは後編を意味しています。

  つまり、最初の3部作は「オリジナルストーリー」であり、ルーカスが作成したアナキン・スカイウォ―カー(ダーズベイダー)の物語が「オリジナル」の前日譚であり、ディズニーが制作した直近の3部作が「オリジナル」の後日譚となるわけです。

  「オリジナル」からのスター・ウォーズファンとしては、年末に公開された完結編を見逃すわけにはいきません。先日、満を持してついに11回の上映となってしまった「スター・ウォーズ」最終完結編を見に行きました。

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(2019年米・142分)

(原題:「Star Wars The Rise of Skywalker」)

・スタッフ  監督:J.J.エイブラムス

       脚本:J.J.エイブラムス

          クリス・テリオ

・キャスト  レイ:デイジー・リドリー

       カイロ・レン(ベン):アダム・ドライバー

       フィン:ジョン・ボイエガ

       ポー・ダメロン:オスカー・アイザック

       ランド・カルリシアン:ビリー・ディー・ウィリアムス

starwars02.jpg
(「スカイウォーカーの夜明け」ポスター)

【オールスターキャストの豪華さ】

  今回の「シークエル・シリーズ」の題名を見てみましょう。

  第1作目が「フォースの覚醒」、第2作目が「最後のジェダイ」、最終作は「スカイウォ-カーの夜明け」となっています。参考にこれまでの題名も見てみましょう。「オリジナル・トリロジー」は、1作目が「新たなり希望」、2作目は「帝国の逆襲」、3作目が「ジェダイの帰還」です。「プリクエル・トリロジー」は、第1作が「ファントム・メナス」、第2作が「クローンの攻撃」、第3作が「シスの復讐」となっています。

  題名を追っていくとよくわかりますが、銀河世界をすべて手中に収めようするシス一族とそれぞれの民族の自由独立を守ろうとする共和国軍の闘いという大きな流れの中で、「フォース」という精神力(気)を持つジェダイという共和国の騎士団がシス一族と相対する物語が紡がれていくことになります。ここで非常に重要な要素は、ジェダイの騎士が操る「フォース」は、暗黒面としての側面も有しており、シス一族も暗黒面の「フォース」を操ることができるという点です。

  「オリジナル」では、ジェダイの騎士の最後の生き残りは2人いて、その一人オビ・ワン・ケノービーであり、もう一人がヨーダでした。一方、シス一族の帝国軍ではダース・ベイダー卿という将軍が暗黒面の「フォース」を操ります。「オリジナル・トリロジー」では、様々な謎が、物語の進行につれて我々に明かされていくことになります。まず、2作目で主人公であるルーク・スカイウォーカーの実の父親がダース・ベイダー卿であることが明かされ、我々に衝撃を与えました。

  いったい敵と味方に分かれて争う「フォース」の持ち主たちが親と子であるとはどうゆうことなのか。その驚きが継続されたまま、作品は第3作目へと突入します。さらに第3作目ではそれ以上に驚きの事実が明かされることになります。それは、共和国軍の王女であるレイア・オーガナ姫が、ルーク・スカイウォーカーの双子の兄妹であるという、これまた衝撃の事実です。次々と明かされる謎に我々は驚くのですが、これこそがジョージ・ルーカスが作品に仕掛けたワンダーのひとつだったのです。

  そして、「オリジナル」で明かされた衝撃の事実がなぜ生まれたのか。それを解き明かしたのが21世紀の幕開けに制作された「プリクエル・トリロジー」だったのです。

starwars03.jpg

(エピソード1「ファントムメナス」ポスター)

  こうした物語を踏まえて、その後を描こうとする「シークエル・トリロジー」の構想は、物語の構成からして非常にハードルが高かっただろうと想像されます。まず、驚いたのは新たな主人公の創出です。ファミリーネームを持たないレイという女性。第1作目は、彼女にリアリティと存在感を与えるために作られたといっても過言ではありません。そのリアリティは、フィン問「帝国軍からの脱走兵によって強調されています。この二人を創出したことで、「シークエル・トリロジー」はやっと動き出すことができたのではないでしょうか。

  レイにはなぜか「フォース」が宿っているようです。その存在は、第2作目に進んで彼女は世捨て人であったルーク・スカイウォ-カーを発見し、ジェダイの修業を受けるようになっても、依然謎のまま最終作へと突入します。一方で、「オリジナル・トリロジー」の人々の人生もレイと同時並行で進んでいきます。

  「シークエル」では、ルーク・スカイウォ―カーもレイア・オーガナ姫もハン・ソロもそれぞれ年齢を重ねて登場します。レイア姫は、シス一族の流れをくむ「ファースト・オーダー」となのる新帝国軍に対抗し、今や共和国軍を率いる将軍となっています。ハン・ソロとは別れていますが、その間にはベンという一人息子を設けました。ところが、ベンはまるでダース・ベイダーのように暗黒面の「フォース」の力に取り込まれ、何と帝国軍の将軍となっているのです。

  ここで、「シークエル」に過去の歴史が繰り返されることになります。ベンは、カイロ・レンと名を変えて、シスの手先となって母親であるレイア姫率いる共和国軍と対峙することになります。こうして、1作目ではハン・ソロが殺され、第2作ではルーク・スカイウォーカーが渾身のエネルギーを使い果たして地上からは消え失せ、レイア姫も第3作で帰らぬ人となります。そして、物語はシス一族対レイの闘いをクライマックスとして壮絶な最後が描かれることとなるのです。ここに至って、最後に残されたレイの出生の秘密が明かされることになるのです。

starwars05.jpg

(帝国軍の戦艦 スターデストロイヤー buzz-plus.com)

  今回は、「アロジナル」の2作目でハン・ソロやルークに力を貸したランド・カルリシアン将軍も登場し、まさにオールスターキャストの映画となりました。完結編には、亡くなったハン・ソロやルーク・スカイウォーカーも登場し、物語で重要な役割を演じることになるのです。

【ディズニー・スター・ウォーズとは?】

  これまでも、「フォースの覚醒」、「最後のジェダイ」をご紹介した回でディズニー映画となった「スター・ウォーズ」がいかにノスタルジー映画になっているかを語ってきました。今回の最終話もやはり「壮大なノスタルジー映画」であることに変わりがありません。

  これ以上深入りすると、第3作目の最終映画のネタばれとなってせっかくのワンダーを削ぐことになってしまうので、具体的なシチュエーションは語らずに話を進めます。

  この物語の進行から言えば、当然ラストは「シークエル・トリロジー」の主人公であるレイと帝国軍を率いるシス一族の首領との対決となります。シスの本拠地はこれまで謎に包まれていましたが、今回、ついに銀河の奥深くに隠されたシスの本拠地が判明し、帝国軍の数万に及ぶ大編隊に共和国軍が全兵力を動員して最後の決戦を挑みます。帝国軍では、これまでも惑星を吹き飛ばすパワーをもつスーパーレーザー砲が惑星基地「デススター」に搭載されて登場しましたが、今回はそのスーパーレーザー砲が装備された戦艦が登場します。

  今回描かれる最後の決戦は、これまでとは比較にならないスケールで描かれます。数万の艦隊である帝国軍に対して、共和国軍の艦隊は数えるほどの艦隊でしかありません。敵の弱点に対してワンポイント攻撃を試みるのですが、多勢に無勢。少数精鋭の舞台で帝国軍の帰還に乗り込んだフィンたち一隊も苦戦を強いられます。

  「オリジナル」でデススターに追い詰められたルークたちにはエンドア星の住人であるイウォーク族の加勢があり、民族を超えた連帯の力強さが描かれていました。その連帯が我々に大きな感動を生んだのですが、今回も最後の決戦に臨んで生命の大きな連携がカギを握ります。しかし、その連携の描かれ方に今ひとつリアリティがないのです。

  もちろん、リアリティを出すための工夫が随所でなされていることに間違いはありません。シス族が潜む星を見つけるためにレイとフィン達は部隊を編成して、ヒントとなるシスの言葉を解読するためにキジーミという星に潜入します。そこは、共和国軍のポー大佐が昔悪事を働いていた星で、昔なじみのゾーリ・ブリスという女性が仲間として登場します。そこのやり取りは泣かせるエピソードなのですが、このエピソードが最後の決戦のにくい伏線となっており、リアリティのための工夫の一つなのです。

  ポー大佐が世話になったキジーミ星は、帝国軍が新たに建造した旗艦船に備えられたスーパーレーザー砲によって木端微塵となり、宇宙の藻屑と消えてしまうのです。

starwars04.jpg

(究極の兵器 デス・スター wired.jpより)

  しかし、こうした周到に用意されたエピソードでリアリティを醸し出そうとする演出にもかかわらず、ラストシーンが終わったときに涙が出るような感動は湧き出てきませんでした。なぜなのでしょうか。それは、映画の展開があまりにも忙しすぎたせいだと思います。この映画は、レイという新たなジェダイの後継者とルークたち(カイロ・レンを含む)の物語の2本だてとなっています。しかし、その伏線の描き方が丁寧ではありません。これまで、ファンが知っている「オリジナル」を意識するあまり、あまりに多くのエピソードが詰め込まれて、エピソードのリアリティが希薄になっていると思えるのです。

  映像としてのワンダーも黒沢映画のワンダーを踏襲したジョージ・ルーカスのような驚きを醸し出すこともなく、脚本も破綻のない物語展開を意識するあまり、オリジナルのワンダーを出し切れていないという印象でした。

  さすが、ハリウッド映画として最高のエンターテイメントになってはいるのですが、「スター・ウォーズ」としては、前作以上に「壮大な二番煎じ」との印象は鑑賞後に湧き出てきた感想です。

  この「シークエル・トリロジー」は、独立したシリーズとして3本をまとめて見れば新たな感動を感じることができるのかもしれません。いつか、時間があれば味わってみたいものです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



権藤博 二宮清純 投げ勝つか、打ち勝つか

こんばんは。

  今年もいよいよ各球団が国内でのキャンプインへと動き出しました。

  最近はサッカーやラグビーとスポーツ人気も多様化しています。おまけに今年は東京オリンピック、パラリンピックの開催を夏に控えて、プロ野球もシーズンを中断することが決まっています。野球人気は衰えるのか、との危機感もあるようですが、日本人の野球好きは変わりません。

  この時期は、巨人ファンもヤクルトファンも阪神ファンも広島ファンも横浜ファンも中日ファンも、日本ハムファンも西武ファンもソフトバンクファンも楽天ファンもロッテファンもオリックスファンも、同じ気持ちでキャンプインを迎えています。シーズンが始まると、ペナントレースの勝敗に一喜一憂し始めるのですが、今は、どの球団にも優勝、日本一の可能性があり、いくらでも期待を語ることができるからです。

dagekiron04.jpg

(西武キャンプに入る松坂投手 sankei.com)

  セリーグでは昨年巨人に原監督が戻ってきて、3年ぶりのリーグ優勝が期待されました。このブログでもこれまでの実績から言って百戦錬磨の原監督の手腕は期待できると語りました。シーズン終盤に一時苦戦したこともありましたが、さすがは名監督。キチンと勝どきをわきまえて勢いを復活させリーグ優勝を果たしました。

  本当に残念だったのは、広島カープでした。昨年引退した新井兄貴、そして、FA宣言により巨人に移籍した丸選手の穴は容易に埋められるものではありませんでした。夏には一時、巨人に1ゲーム差にまで迫り、セリーグを大いに盛り上げましたが、失墜。終盤に奇跡の逆転劇を演じた阪神に追い上げられ、最後にはBクラス、第4位でシーズンを終了しました。緒方監督は引き際もみごと。今シーズンが楽しみです。

  私が好きなヤクルトでは、大リーグから復帰した青木宣親選手の大車輪の活躍がすべての試合を盛り上げたことに間違いありません。個人的には山田哲人選手の4度目のトリプルスリーを期待していたのですが、わずかに及ばず悔しい思いをしました。しかし、19歳の新鋭村上宗隆選手が36本塁打を放ち、高卒2年目の新記録を打ち立てた活躍には心が躍りました。今年は、村上選手も20歳となり、優勝のビールかけで初めてのビールを味わいたい、との頼もしいコメントを表明し、今年の活躍も楽しみです。何といっても今年は、野村ヤクルトで大活躍した抑えのエース、高津臣吾氏が監督に就任するので、快進撃を期待しています。

  野球の話になると止まりませんが、こんな話になったのは、今週読んでいた本当に面白い野球対談本のせいなのです。

「打者が嫌がる投手論 投手が嫌がる打撃論」

(権藤博 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

dagekiron02.jpg

(権藤博野球対談第二弾 amazon.co.jp)

【野球は奥の深いスポーツだ】

  権藤さんと言えば、1998年にハマの大魔神を擁して横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導いた監督として有名ですが、1960年代には最多勝投手として一世を風靡した投手だったのです。近年では、日本代表サムライジャパンの投手コーチや中日の投手コーチに返り咲くなど、日本一の投手コーチと呼ばれています。すでに今年82歳となりますが、この対談を読むとまだまだその野球頭脳は健在で頼もしい限りです。あの野村克也氏も85歳にしてまだまだお元気ですので、このお二人の野球談議には目が離せません。

  実は、この本には前作があります。ブログでもご紹介しましたが、その対談本の名前は「継投論」。権藤さんは、横浜ベイスターズ時代に佐々木主浩投手をクローザーに抜擢し、先発、中継ぎ、クローザーという現代野球を作り上げたことで日本一となりました。なぜ、分業制を取り入れたのか。この本はその戦略の「心」を語りつくした本で、スポーツジャーナリスト二宮清純氏のみごとなリードと相まって、野球の面白さをふんだんに味併せてくれる名対談でした。

  本屋でこの本を目にしたときに、「継投論」の面白さが胸によみがえり、即座に手に取ってレジに向かいました。

  そもそも皆さんもこの題名に目を引かれませんか。野球はピッチャーが投げた球をバッターが打ち返して、得点を取ることでゲームが成立します。前作は、大投手であり、日本一の投手コーチであった権藤氏がピッチャー目線で野球の「勝つ戦略」を語ったわけですが、今回は投打にうんちくが広がっていきます。対談のはじまりから、権藤節がさく裂します。

  考えてみれば、野球においてピッチャーほど打者のことをよく見ている選手はいません。ことに権藤氏が現役の時代。投手は先発完投型ですから、完投したとすれば一試合で最低でも27回バッターを見ています。さらに選手交代があれば、30回以上のバッターを見ているわけです。それが、5球団を相手にするわけですから、単純に計算しても150回、さらに交流戦があれば330回バッターをみていることになります。

  とすれば、ピッチャーは投手のことを語ることができるのは当選として、それ以上に打者のことを語る資格があることになります。今回の対談では、二宮さんがこうした観点で権藤氏の打者論を引き出していきことになるのです。

  さて、先ほど昨年のセリーグについて語りましたが、昨年のパリーグは複雑でした。パリーグでは、工藤監督率いるソフトバンクホークスが日本シリーズに勝利し、3年連続日本一という快挙を成し遂げました。しかし、ペナントレースでは2年連続でリーグ2位と後塵を拝しました。この2年、パリーグを制したのは辻監督が率いる西武ライオンズです。辻監督は、ライオンズ黄金時代の名手。打順は1番の巧打者との印象が強く、日本シリーズでは相手を翻弄する巧打を何度も目にしました。辻監督は、明るく楽しくがモットーで、山川選手、中村選手、森選手など、常に華々しく打ち勝って2年連続リーグ優勝を勝ち取った野球はとても魅力的です。

  埼玉ライオンズのファンとしては、打の強さはそのままにピッチャー陣の防御率や被安打数を抑えることでリーグ優勝のみならず日本一に輝いてほしいと期待しています。

dagekiron06.jpg

(辻西武パリーグ二連覇  yahoo.co.jp)

【目からうろこの権藤野球】

  前作の「継投論」でも目からウロコがたくさん落ちましたが、今回の対談も引き続きウロコは落ち続きます。権藤氏は、投手コーチの仕事を「いかにバッターに打たれずに試合に勝つか」を考えることだと言い切ります。バッターに打たれないためには、バッターのことをよく知らなければなりません。その意味では、投手コーチほどバッターを観察し、バッターを考え続ける仕事は他にないわけです。ましてや権藤氏は日本一と言われた投手コーチです。つまり、打者を語るのに氏ほどふさわしい人はいないということなのです。

  まず、冒頭からユニークな野球論が切り広げられます。キーワードは、3割。野球のバッターは、打率が3割を超えれば超一流です。つまり、ピッチャーの投げる球を10回受けて、そのうちの3回ヒットを打てば目標達成です。それではピッチャーはどうでしょうか。ピッチャーは、逆に7割以上打者を抑えなければその仕事がなりたたないことになります。3割打ちたいバッターと7割抑えたいピッチャーと比べてみればピッチャーの方がバッターのことを四六時中考えていなければ抑えられないということになる、というのです。なるほど。

  さらに権藤氏は、これまで日本野球で常識であった考え方に大きな疑問を呈します。

  我々は、少年野球から始まって高校大学まで、ずっと野球に親しんできました。その中で、「低めの球は打ちにくい。」とは常識でした。プロ野球の解説でも「ピッチャーが低めに球を抑えることができたのがよかったですね。」とか「球を低めに集めたのが勝因」だとか日常的に語られています。ところが、氏は、現代野球では「低めに投げろ」は大間違いだというのです。

  それは、今や時代が違うということなのです。皆さんは、「フライボール革命」という言葉をご存じでしょうか。これは、統計的な話に基づきます。大リーグで、一定のバットスピードである角度のフライを打つと、安打率は5割、長打率は1.5倍に増加することがわかりました。このことにより、適正な角度(26度~30度)を意識してフライを打てば、安打、ホームランが増加することが証明され、大リーグではどの打者もフライを打つことに専念するようになったのです。

  かつて、野球では「ボールを転がす」ことが安打の秘訣と教わってきました。ランナーがいてもボールを転がしさえすれば、イレギュラーや捕球動作の時間によってランナーもバッターも生きる可能性が高い、とされていたのです。であれば、打者はダウンスウィングを徹底してボールをたたくことに専念することになります。ところが、フライボール革命後、フライをあげるために打者はアッパースウィングを心掛けるようになります。

  そうすると何が起きるのか。低めの球は救い上げることによってホームランになる確率が高い球となったのです。逆に胸元の速球は浮き上がることによってアッパースウィングではとらえにくい球となったのです。

  昨年、西武の菊池雄星投手が、イチローがプレーしていたシアトル・マリナーズに入団し、大リーガーを相手に先発投手として活躍しました。しかし、入団してしばらく菊池投手はなかなか勝ち星を挙げられず、初勝利を挙げたのは6試合目の登板でした。権藤氏は、この不振の原因を「低め文化」のなせる業だといいます。フライボール革命後の第リーグ選手は、低めをホームランすることを得意としている。菊池投手は、「困ったときは低めに投げる。」という昔ながらの教えが身についており、そこをやられた、というのです。

dagekiron07.jpg

(菊池雄星投手 大リーグデビュー bunshun.jp)

  80歳を過ぎて、時代の最先端を見る目は確か。その見識には脱帽です。

【ピッチャーにとって嫌な打者とは】

  この本は、どこを読んでもプロ野球を見る目が変わる情報が満載されています。

  その中でも、昔からの野球ファンにとっては「嫌なバッター」といして名前が挙がる第4章は思わずうなずきながら読める、楽しい1章です。西部の黄金時代、権藤氏は近鉄バッファローズや福岡ダイエーホークスのピッチングコーチを務めており、西武とは真剣勝負を演じていました。このときには、石毛選手が3番バッターとして活躍していたのですが、この石毛選手のエピソードは本当に面白い。それは、石毛の三打席目には苦労した、という話です。

  それは、一打席目、二打席目、石毛は普通のバッターだが、三打席目には恐ろしいバッターに変身するというのです。それには2つの意味があります。ひとつは、打率的に言って、石毛選手は3打席目には安打を打つためにその形相が全く変わります。そのため、集中力が高くなり、勝負師となり必ず塁に出るのです。もうひとつは、石毛選手の三打席目には決まってチャンスが訪れる、ということです。

  権藤氏いわく、強いチームというのは勝負強い打者の前に必ず得点につながる場面が回ってくるものだ。またいわく、弱いチームは逆にその日に調子の悪いバッターのところに得点チャンスの場面が回ってくる、そうです。つまり、当時の西武は石毛選手の三打席目に必ず得点につながる場面が回ってきたということなのです。そのときの石毛選手は最も嫌なバッターだったといいます。

  ネタばれ、となりましたがご安心ください。石毛選手以外にも、嫌な打者は次から次へと語られていきます。石毛選手と同じ時期にプレーしていた、今や監督である辻選手。巨人では伝説だった篠塚選手。今やベテランとなったソフトバンクの内川選手。ベイスターズ優勝時にマシンガン打線の一角を担った石井琢朗選手、今や巨人の顔となった坂本勇人選手。なぜ、彼らがピッチャーにとってそれほど嫌な選手なのか。その理由はぜひこの本でお楽しみください。

  バッターの話も面白いのですが、ピッチャーの話はもっと楽しめます。先日亡くなったレジェンド金田投手から大リーグで日本人第一号であった野茂英雄投手、かみそりシュートの平松投手。ベイスターズの現在のストッパー、山崎投手。今や日本のエースといってもよい菅野の投手、etc。そこで飛び出す権藤節はみごとです。

  野球の話は本当に楽しいですね。皆さんもぜひこの本で野球の今を味わってください。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。ああ、開幕が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



更科功 絶滅の次は残酷な進化!?

こんばんは。

  ひところ、「人類の進化」が流行っていた時期がありました。それは、ネアンデルタール人よりも小さな脳を持つ我々ホモ・サピエンスは、なぜ唯一の人類として生き残ったのか、との疑問をNHKの特集「人類誕生」が取り上げたことがきっかけのひとつです。そのときに読んだのが、更科功氏の本「人類の絶滅史」でした。

  この本のワンダーは、700万年前、我々ホモ・サピエンスがこの世に誕生するまでに、地球上には25種類以上も人類がいることが確認されていたという事実。さらには、そのすべてがネアンデルタール人を最後に絶滅し、1万年前に共存していたネアンデルタール人が絶滅してからは、我々ホモ・サピエンスが唯一の人類だ、という事実でした。

  我々が生き残り、この地球ですべての生命の頂点に君臨すると思っているのはなぜなのか。その理由が食料を調達するため、また、子供を育てるため、であったことが分かり易い語り口と意外な例示で示されていき、本当に面白い本でした。それ以前に読んだ「化石の分子生物学」は、講談社科学出版賞も受賞しており、その語り口はとてもなめらかです。

  先日本屋さんで新書の棚を眺めていると、またまた「更科功」の文字が目に入りました。いったい今回は何を語ってくれるのか。楽しみにレジへと向かいました。

「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」

(更科功著 NHK出版新書 2019年)

sinka01.jpg

(更科功「残酷な進化論」amazon.co.jp)

【ワンダーを紡ぐ語り口】

  この本を読んでいて思い出したのは、福岡伸一ハカセです。今やその著作がスッカリ有名になりましたが、ベストセラーとなった「生物と無生物の間」はハカセの郷愁を感じる描写とこれまでの生物学の発見と進歩を解き明かすワンダーが相まって、最後まで一気に読み終わってしまう素晴らしい著作でした。思い出したのは、どちらも分子生物学の研究者であるところが共通だからです。

  もっともその専門分野は異なっており、福岡ハカセが現在の分子生物学を研究し、我々は新陳代謝によって毎日生まれ変わることで生きている、といってもよい「動的平衡」との概念を我々に教えてくれます。一方の更科功氏は化石や古生物の分子を研究してまさに進化の謎を解き明かそうとする研究者です。

  福岡ハカセが研究の道を志したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。片や更科功氏が探求しているのはかのチャールズ・ダーウィン。とその研究対象には違いがありますが、生命の分子的研究によって「生命」とは何か、「生きる」とは何か、を究明するとの姿勢はまったく変わりがありません。

  「動的平衡」によれば、我々生命は、自らのすべての細胞を日々新たな細胞に更新することによって生命を維持するのであり、人は1週間もすればすべての細胞が更新されて、まったく新しい命になっていると言います。

  子供のころ姉と一緒にふろに入ると、姉がいつも「あかすり競争」を仕掛けてきました。それは、体を洗うときに体を洗ったタオルをゆすいだ時に、どちらがたくさん「アカ」が落とせたかを競う遊びです。当然、いつも私が勝つわけですが、今思えば、お風呂が大嫌いだった私をふろに入れる作戦だったわけで、姉の戦略には今更ながら脱帽です。

  シェーンハイマーのたんぱく質入れ替え理論や「動的平衡」と聞くと、いつも昔懐かしい「あかすり競争」を思い出します。

sinka05.jpg

(福岡伸一「動的平衡」amazon.co.jp)

  福岡ハカセは置いておいて、今回は「進化」の話です。

  更科さんの語り口は、分かり易く、なめらかです。なぜ分かり易いのかといえば、話の枕がとても興味深い例示や質問になっていることが大きな特徴です。プロローグで、氏は語ります。仮に遥かなる未来、地球が消滅する前に地球生物は地球を脱出し、様々な星に避難民として移民します。ある星には、人間と松の木とミミズが移住しました。

  最初のうちこそ異星人たちもその境遇に同情して優しく接してくれますが、時がたつにつれて居候に嫌気がさしてきます。何か役に立ちたいと思っていた松の木は、光合成という能力を発揮して、その星の二酸化炭素を酸素に換えて空気の浄化に役立ちました。異星人は、なかなかよく働く木だと見直します。それを見ていたミミズは、私もと、その星の土壌を耕して滋養豊富な土に換え、異星人たちに豊作をもたらします。異星人たちは、ミミズの働きに感謝しました。

  はたして人間は何をしてくれるのか。人間は、「バカにするな。我々は地球でもっとも繁栄した生物で、特別だったんだ。松の木やミミズと一緒するな。」と腹を立てます。それでは、いったい何ができるのか、と聞かれて、「我々は足し算ができる。」と答えました。しかし、足し算はその星の住民でもできることなので、役には立たなかったのです。

  こんな話から始まる本は、それで次は?と先を読みたくなるわけです。確かに人間は、自分たちを進化の最高位にいる生物だと思い込んでいるフシがあります。果たしてそうなのでしょうか。我々は、ダチョウのように地上を高速で走ることもできなければ、カラスのように空を飛ぶこともできません。昔は仲間であった猿のように木登りもできません。にもかかわらず、我々は、他の生物より優れていると思っています。

  それは、「進化」という言葉を正しく理解していないからなのではないか。では、進化とは何なのか。それは、我々の細胞が毎日入れ替わっていく「動的平衡」の先にある「自然淘汰」によってもたらされる生命行動そのものなのです。この本は、我々にそのことを教えてくれます。

【ダーウィンと進化論の間】

  さて、この本の目次を覗いてみましょう。

序章 なぜ私たちは生きているのか

第1部 ヒトは進化の頂点ではない

 第1章 心臓病になるように進化した

 第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

 第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

 第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係

 第5章 いまも胃腸は進化している

 第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か

第2部 人類はいかにヒトになったか

 第7章 腰痛は人類の宿命だけれど

 第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か

 第9章 自然淘汰と直立二足歩行

 第10章 人類が難産になった理由とは

 第11章 生存闘争か、絶滅か

 第12章 一夫一妻制は絶対ではない

 終章 なぜ私たちは死ぬのか

  面白そうですね。この本には、これまで著者が研究し、様々な場所で発表してきた内容がギッシリと、しかも分かり易く詰まっています。そして、すべての章がたとえ話と想定問答、それに対する意外な答えによってワンダーを感じながら進んでいきます。

  皆さんの中には、牛乳が苦手な方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の友人たちにも牛乳が苦手で、飲むとおなかがゴロゴロ言っておなかを壊すとか、おならが止まらなくなるとか、飲めない人がたくさんいます。この本を読んでびっくりしたのですが、人類はもともと大人になると牛乳が飲めなくなるようにできている、というのです。

sinka04.jpg

(ピンクフロイド「原子心母」amazon.co.jp)

  母親は子供が生まれる前からお乳が張って、ミルクが出るようになります。最初の子供ができたときに連れ合いが、子供が母乳をのまないと胸が張って痛くなると苦労して搾乳していたことを思い出します。母乳や牛乳は、子供に必要な糖分が乳糖としてたくさん含まれているそうです。この乳糖はラクターゼという酵素によって分解され、吸収されます。

  生まれたての赤ちゃんは、乳糖を栄養に換えるためにこのラクターゼを体内で作り出すのですが、成長して母乳を飲まなくなるとラクターゼは不要となるため無駄な生産を取りやめるというのです。つまり、母乳を飲まなくなると人間はラクターゼを分泌しなくなるので、牛乳が消化できなくなるのです。ということは、牛乳を飲んでおなかを壊すのは、人として当たり前のことだったのです。

  ところが、紀元前6000年ころに人間に「ラクターゼ活性持続症」なる症状が発症しました。牛乳を飲んでそれが栄養となる人は、この「ラクターゼ活性持続症」を発症した病人?だそうなのです。この病気は北欧で特に多いようですが、仮説としては酪農によって人間が動物のお乳をのむようになってこの症状が発症するようになったのでは、といわれています。(ただ、アジアに住む人は10%程度の人しかラクターゼを持たないが、モンゴル人は昔から家畜の乳を飲んでいるとの事実もあるようです。こちらは、腸内細菌の活躍によるのかな?)

  進化というと、100万年単位で突然変異によって起きるとのイメージがありますが、大人になってもラクターゼが活性しているという進化は、数千年単位で起きたものであり、進化は常に起きつつあるとの証左であるとわかります。

【進化のすごさとダーウィンの誤謬】

  ダーウィンの進化論は、人間の優位性や唯一性を信じる19世紀の人々には受け入れがたい説でしたが、今でも宗教的な理由や信念として進化論を拒む人たちもいるようです。そうした人々の一つの論拠として人間の目のような完全な機能は進化では作り上げようがなく、目はもともと備わっていた器官であり、進化論では説明できない、との主張をこの本では取り上げています。その語りは本当にワンダーですが、その楽しさはぜひご自身で味わってください。

sinka03.jpg

(ダーウィン「種の起源」amazon.co.jp)

  ところで、更科氏はこの本とは別にダーウィンの進化論に関する本も上梓していますが、この本でも分かり易くダーウィンの誤謬についても触れています。ダーウィンの進化論での主張は、生命は自然淘汰によって環境に適用するように進化を遂げる、としており、その進化は常により環境に適用するように進んでいくように理解されています。

  しかし、進化が常に前に進むものだとすれば、生きている化石と呼ばれるシーラカンスやカブトガニ、オウムガイなどが数億年前と同様な姿で現在も生きているのはなぜなのでしょうか。この本では、そのことも教えてくれています。生きている化石のみならず、地球上に住む最小の菌たちは、分裂することによって死ぬことなく生命誕生以来40億年も生きながらえていると言います。

  ここで興味深いのは、「進化」には2種類あるとの指摘です。ひとつは「方向性選択」による進化。もうひとつは「安定化選択」という進化です。我々がダーウィンによって知らされた進化は「方向性選択」による進化です。自然淘汰が働いて突然変異が起きたとき、その変異が生きていくのに有効な変異であれば、進化はその方向に進んでいきます。いわいる進化のアクセルが踏まれます。

  一方、自然淘汰による突然変異が生きるために不利に働いたとすればどうでしょう。その変異はすぐに取り除かれて進化はそのまま止まります。つまり、「安定的選択」とは進化しない進化と言えます。このように進化は、アクセルとブレーキを使いながら進んでいくので、ゆっくりと進むように見えますが、牛乳が飲める「ラクターゼ活性持続症」という進化にはブレーキを聞かせる必要がなかったので数千年と言うアクセル全開のスピードで進化したと言います。


  さて、進化とは生きることと同義なのですが、生命が死ぬことは進化の結果だと言います。それは果たして本当なのでしょうか。その答えは、ぜひこの本で解明してください。この本は科学を探求する本なのですが、なんだか宗教の本のようにも思えるから不思議です。ワンダーに楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




更科功 絶滅の次は残酷な進化!?

こんばんは。

  ひところ、「人類の進化」が流行っていた時期がありました。それは、ネアンデルタール人よりも小さな脳を持つ我々ホモ・サピエンスは、なぜ唯一の人類として生き残ったのか、との疑問をNHKの特集「人類誕生」が取り上げたことがきっかけのひとつです。そのときに読んだのが、更科功氏の本「人類の絶滅史」でした。

  この本のワンダーは、700万年前、我々ホモ・サピエンスがこの世に誕生するまでに、地球上には25種類以上も人類がいることが確認されていたという事実。さらには、そのすべてがネアンデルタール人を最後に絶滅し、1万年前に共存していたネアンデルタール人が絶滅してからは、我々ホモ・サピエンスが唯一の人類だ、という事実でした。

  我々が生き残り、この地球ですべての生命の頂点に君臨すると思っているのはなぜなのか。その理由が食料を調達するため、また、子供を育てるため、であったことが分かり易い語り口と意外な例示で示されていき、本当に面白い本でした。それ以前に読んだ「化石の分子生物学」は、講談社科学出版賞も受賞しており、その語り口はとてもなめらかです。

  先日本屋さんで新書の棚を眺めていると、またまた「更科功」の文字が目に入りました。いったい今回は何を語ってくれるのか。楽しみにレジへと向かいました。

「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」

(更科功著 NHK出版新書 2019年)

sinka01.jpg

(更科功「残酷な進化論」amazon.co.jp)

【ワンダーを紡ぐ語り口】

  この本を読んでいて思い出したのは、福岡伸一ハカセです。今やその著作がスッカリ有名になりましたが、ベストセラーとなった「生物と無生物の間」はハカセの郷愁を感じる描写とこれまでの生物学の発見と進歩を解き明かすワンダーが相まって、最後まで一気に読み終わってしまう素晴らしい著作でした。思い出したのは、どちらも分子生物学の研究者であるところが共通だからです。

  もっともその専門分野は異なっており、福岡ハカセが現在の分子生物学を研究し、我々は新陳代謝によって毎日生まれ変わることで生きている、といってもよい「動的平衡」との概念を我々に教えてくれます。一方の更科功氏は化石や古生物の分子を研究してまさに進化の謎を解き明かそうとする研究者です。

  福岡ハカセが研究の道を志したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。片や更科功氏が探求しているのはかのチャールズ・ダーウィン。とその研究対象には違いがありますが、生命の分子的研究によって「生命」とは何か、「生きる」とは何か、を究明するとの姿勢はまったく変わりがありません。

  「動的平衡」によれば、我々生命は、自らのすべての細胞を日々新たな細胞に更新することによって生命を維持するのであり、人は1週間もすればすべての細胞が更新されて、まったく新しい命になっていると言います。

  子供のころ姉と一緒にふろに入ると、姉がいつも「あかすり競争」を仕掛けてきました。それは、体を洗うときに体を洗ったタオルをゆすいだ時に、どちらがたくさん「アカ」が落とせたかを競う遊びです。当然、いつも私が勝つわけですが、今思えば、お風呂が大嫌いだった私をふろに入れる作戦だったわけで、姉の戦略には今更ながら脱帽です。

  シェーンハイマーのたんぱく質入れ替え理論や「動的平衡」と聞くと、いつも昔懐かしい「あかすり競争」を思い出します。

sinka05.jpg

(福岡伸一「動的平衡」amazon.co.jp)

  福岡ハカセは置いておいて、今回は「進化」の話です。

  更科さんの語り口は、分かり易く、なめらかです。なぜ分かり易いのかといえば、話の枕がとても興味深い例示や質問になっていることが大きな特徴です。プロローグで、氏は語ります。仮に遥かなる未来、地球が消滅する前に地球生物は地球を脱出し、様々な星に避難民として移民します。ある星には、人間と松の木とミミズが移住しました。

  最初のうちこそ異星人たちもその境遇に同情して優しく接してくれますが、時がたつにつれて居候に嫌気がさしてきます。何か役に立ちたいと思っていた松の木は、光合成という能力を発揮して、その星の二酸化炭素を酸素に換えて空気の浄化に役立ちました。異星人は、なかなかよく働く木だと見直します。それを見ていたミミズは、私もと、その星の土壌を耕して滋養豊富な土に換え、異星人たちに豊作をもたらします。異星人たちは、ミミズの働きに感謝しました。

  はたして人間は何をしてくれるのか。人間は、「バカにするな。我々は地球でもっとも繁栄した生物で、特別だったんだ。松の木やミミズと一緒するな。」と腹を立てます。それでは、いったい何ができるのか、と聞かれて、「我々は足し算ができる。」と答えました。しかし、足し算はその星の住民でもできることなので、役には立たなかったのです。

  こんな話から始まる本は、それで次は?と先を読みたくなるわけです。確かに人間は、自分たちを進化の最高位にいる生物だと思い込んでいるフシがあります。果たしてそうなのでしょうか。我々は、ダチョウのように地上を高速で走ることもできなければ、カラスのように空を飛ぶこともできません。昔は仲間であった猿のように木登りもできません。にもかかわらず、我々は、他の生物より優れていると思っています。

  それは、「進化」という言葉を正しく理解していないからなのではないか。では、進化とは何なのか。それは、我々の細胞が毎日入れ替わっていく「動的平衡」の先にある「自然淘汰」によってもたらされる生命行動そのものなのです。この本は、我々にそのことを教えてくれます。

【ダーウィンと進化論の間】

  さて、この本の目次を覗いてみましょう。

序章 なぜ私たちは生きているのか

第1部 ヒトは進化の頂点ではない

 第1章 心臓病になるように進化した

 第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

 第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

 第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係

 第5章 いまも胃腸は進化している

 第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か

第2部 人類はいかにヒトになったか

 第7章 腰痛は人類の宿命だけれど

 第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か

 第9章 自然淘汰と直立二足歩行

 第10章 人類が難産になった理由とは

 第11章 生存闘争か、絶滅か

 第12章 一夫一妻制は絶対ではない

 終章 なぜ私たちは死ぬのか

  面白そうですね。この本には、これまで著者が研究し、様々な場所で発表してきた内容がギッシリと、しかも分かり易く詰まっています。そして、すべての章がたとえ話と想定問答、それに対する意外な答えによってワンダーを感じながら進んでいきます。

  皆さんの中には、牛乳が苦手な方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の友人たちにも牛乳が苦手で、飲むとおなかがゴロゴロ言っておなかを壊すとか、おならが止まらなくなるとか、飲めない人がたくさんいます。この本を読んでびっくりしたのですが、人類はもともと大人になると牛乳が飲めなくなるようにできている、というのです。

sinka04.jpg

(ピンクフロイド「原子心母」amazon.co.jp)

  母親は子供が生まれる前からお乳が張って、ミルクが出るようになります。最初の子供ができたときに連れ合いが、子供が母乳をのまないと胸が張って痛くなると苦労して搾乳していたことを思い出します。母乳や牛乳は、子供に必要な糖分が乳糖としてたくさん含まれているそうです。この乳糖はラクターゼという酵素によって分解され、吸収されます。

  生まれたての赤ちゃんは、乳糖を栄養に換えるためにこのラクターゼを体内で作り出すのですが、成長して母乳を飲まなくなるとラクターゼは不要となるため無駄な生産を取りやめるというのです。つまり、母乳を飲まなくなると人間はラクターゼを分泌しなくなるので、牛乳が消化できなくなるのです。ということは、牛乳を飲んでおなかを壊すのは、人として当たり前のことだったのです。

  ところが、紀元前6000年ころに人間に「ラクターゼ活性持続症」なる症状が発症しました。牛乳を飲んでそれが栄養となる人は、この「ラクターゼ活性持続症」を発症した病人?だそうなのです。この病気は北欧で特に多いようですが、仮説としては酪農によって人間が動物のお乳をのむようになってこの症状が発症するようになったのでは、といわれています。(ただ、アジアに住む人は10%程度の人しかラクターゼを持たないが、モンゴル人は昔から家畜の乳を飲んでいるとの事実もあるようです。こちらは、腸内細菌の活躍によるのかな?)

  進化というと、100万年単位で突然変異によって起きるとのイメージがありますが、大人になってもラクターゼが活性しているという進化は、数千年単位で起きたものであり、進化は常に起きつつあるとの証左であるとわかります。

【進化のすごさとダーウィンの誤謬】

  ダーウィンの進化論は、人間の優位性や唯一性を信じる19世紀の人々には受け入れがたい説でしたが、今でも宗教的な理由や信念として進化論を拒む人たちもいるようです。そうした人々の一つの論拠として人間の目のような完全な機能は進化では作り上げようがなく、目はもともと備わっていた器官であり、進化論では説明できない、との主張をこの本では取り上げています。その語りは本当にワンダーですが、その楽しさはぜひご自身で味わってください。

sinka03.jpg

(ダーウィン「種の起源」amazon.co.jp)

  ところで、更科氏はこの本とは別にダーウィンの進化論に関する本も上梓していますが、この本でも分かり易くダーウィンの誤謬についても触れています。ダーウィンの進化論での主張は、生命は自然淘汰によって環境に適用するように進化を遂げる、としており、その進化は常により環境に適用するように進んでいくように理解されています。

  しかし、進化が常に前に進むものだとすれば、生きている化石と呼ばれるシーラカンスやカブトガニ、オウムガイなどが数億年前と同様な姿で現在も生きているのはなぜなのでしょうか。この本では、そのことも教えてくれています。生きている化石のみならず、地球上に住む最小の菌たちは、分裂することによって死ぬことなく生命誕生以来40億年も生きながらえていると言います。

  ここで興味深いのは、「進化」には2種類あるとの指摘です。ひとつは「方向性選択」による進化。もうひとつは「安定化選択」という進化です。我々がダーウィンによって知らされた進化は「方向性選択」による進化です。自然淘汰が働いて突然変異が起きたとき、その変異が生きていくのに有効な変異であれば、進化はその方向に進んでいきます。いわいる進化のアクセルが踏まれます。

  一方、自然淘汰による突然変異が生きるために不利に働いたとすればどうでしょう。その変異はすぐに取り除かれて進化はそのまま止まります。つまり、「安定的選択」とは進化しない進化と言えます。このように進化は、アクセルとブレーキを使いながら進んでいくので、ゆっくりと進むように見えますが、牛乳が飲める「ラクターゼ活性持続症」という進化にはブレーキを聞かせる必要がなかったので数千年と言うアクセル全開のスピードで進化したと言います。


  さて、進化とは生きることと同義なのですが、生命が死ぬことは進化の結果だと言います。それは果たして本当なのでしょうか。その答えは、ぜひこの本で解明してください。この本は科学を探求する本なのですが、なんだか宗教の本のようにも思えるから不思議です。ワンダーに楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




稲葉振一郎 銀河帝国興亡と現代の闘い

こんばんは。

  SFの世界で古典的作家といえば、アイザック・アシモフの名前が挙がります。アシモフは学生時代からたくさんのSF作品を発表し、その72年の生涯で、科学者としても著作を残すと同時にノンフィクションライターとしても多くの著作を発表しました。その著作は500作以上とされており、SFのみならず、現代の知者の一人といってもよい作家です。

  同じくSF作家では、「地球幼年期の物語」のアーサー・C・クラーク、「夏への扉」のロバートA・ハイランインと並べてSF御三家と呼ばれています。こうした著者のSFはどれも面白く、かつてその作品たちのセンス・オブ・ワンダーに夢中になりました。

  アシモフと言えば、一連のロボット短編集と最大のロマンである「銀河帝国興亡史」が最も有名な作品群といっても過言ではありません。先週、恒例の本屋さん巡りをしていると新書の棚で、「銀河帝国」、「ロボット」という文字が目に飛び込んできました。思わず手に取ってみると、どうやら社会学者の方が書いたロボット本のようでした。なかなか興味深そうなので他の本と一緒に購入しました。今週は、SF世界から人類の未来を語ろうとする本を読んでいました。

「銀河帝国は必要か-ロボットと人類の未来」

(稲葉振一郎著 ちくまプリマー新書 2019年)

アシモフ01.jpg

(「銀河帝国は必要か?」amazon.co.jp)

【アシモフに見る未来】

  まず、結論をお伝えしましょう。

  この本はアシモフのファンにはとてつもなく興奮する本ですが、そうでない読者にはどこに焦点があてられているのか、理解しにくい内容となっています。

  さて、アシモフと言えば、「われはロボット」という短編集がすぐに頭に浮かびます。私も最初に読んだのはこの本でした。この本がアメリカで上梓されたのは1950年といいますから、まさに古典といってもよい作品です。ロボットは、チェコの作家、チャペックが人間に変わって使役的作業を行う機械を小説に登場させ、その名をロボットと名付けたことがはじまりと言われていますが、自分で考え自分で動く自動人形(ロボット)は、SF世界では代表的な一分野を築いています。

  特にアシモフが有名なのは、ロボットSFの基本となるような概念を作品に持ち込んだからです。それは、「ロボット工学三原則」と呼ばれ、その後のロボットSF作品に大きな影響を及ぼしました。その三原則とは、①ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。②ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、①に反する場合は、この限りでない。③ロボットは、前掲①および②に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。というものです。

  この三原則が「アシモフの三原則」と呼ばれることに関してアシモフは、自分は科学者の端くれなので、架空の科学分野における架空の原則で後世に名を残すのは本意ではない。将来現実のロボット工学が発達して三原則が実用されれば真の名声を得られるかもしれない。仮にそうなるとしても、どのみち自分の死後のことだろう。と話したといいます。アシモフが亡くなったのは1992年。確かにその後ロボット工学は驚異的に発展しましたが、現実世界で三原則の話はいまだ聞いたことがありません。

アシモフ02.jpg

(アシモフ名作「I ROBOT」amazon.co.jp)

  今回の本の主題は、すでに現実となっているAI技術を含めたロボット工学の世界で、人類がこれまで築いてきた様々な倫理学が今後どのように変化していくのかを、SF世界を分析することで見極めようとする試みなのです。

  その目次を覗くと、この本でいうSFとは正にアシモフ世界のことを指しているのです。

1章 なぜロボットが問題になるのか

2章 SF作家アイザック・アシモフ

3章 宇宙SFの歴史

4章 ロボット物語-アシモフの世界から(1

5章 銀河帝国-アシモフの世界から(2

6章 アシモフと人類の未来

  さて、アシモフのファンは、そのSFがロボットシリーズとファウンデーションシリーズに二分されていることをよくご存じと思います。この本の第1章での問題提起を読むと、人類の未来とロボットの関係を社会学的に論じるつもりであることが語られていますが、第2章以下を読み進むにつれて、この本の著者である稲葉氏が、SFとアイザック・アシモフを分析しようとする社会学的な意志を感じます。

  著者は、第4章でアシモフのロボットシリーズを分析し、さらに第5章ではファウンデーションシリーズの分析へと取り掛かります。アシモフファンにはたまらない展開。なつかしさとその目の付け所にワンダーを感じます。

  「ファウンデーション」というとアシモフの読者でない方は、けげんに感じると思いますが、ファウンデーションシリーズの日本での翻訳は「銀河帝国の興亡」または「銀河帝国興亡史」という名称で上梓されています。日本語の題名を見て、世界史を専攻した方は歴史家ギボンが記した「ローマ帝国衰亡史」を思い出すと思います。若きアシモフは、まさにその本を読んでこの500年間にわたる銀河帝国を物語る小説を構想したのです。

  作家で科学者であったアシモフは、初期の作品群でロボットシリーズとファウンデーションシリーズを全く別の小説として構想し、小説にまとめています。近未来を描くミステリーの傑作「鋼鉄都市」では、ロボット刑事であるダニールが登場し、謎に満ちた殺人事件を人間の刑事であるベイリとタッグを組んで解決していきます。ロボットシリーズは、その後、この二人を主人公として続いていくことになります。

アシモフ04.jpg

(アシモフ「鋼鉄都市」amazon.co.jp)

  最初の「銀河帝国(ファウンデーション)シリーズ」は、宇宙ものSFの傑作でしたがそこに記された未来にロボットはまったく登場していません。一方のロボットシリーズは、ロボット工学三原則を基本とした推理小説仕立てのミステリィであり、その内容は銀河帝国とは関係のない物語でした。その後、アシモフは科学やノンフィクションを書くことに興味を抱き、さらに現代ものの推理小説も上梓します。しばらく、ロボットもファウンデーションも執筆されることはありませんでした。

  しかし、ファウンデーションシリーズを1953年に上梓し、ロボットシリーズの続編を1957年に上梓してから25年後、アシモフはファンの要請にこたえてシリーズの続編を構想します。1982年に「ファウンデーションの彼方に」で再びシリーズをスタートしたアシモフは、ロボットとファウンデーションをつなぐ物語の構想を想起しました。それは、「銀河帝国」の物語になぜロボットが登場しないのか、とのなぞを解明する物語だったのです。

  ちなみに日本語訳の「銀河帝国興亡史」は、ファウンデーションと呼ばれる人類の永遠にわたる存続を目標とする組織と相対する銀河帝国の興亡を描いており、最初の三部作の題名としてはふさわしかったのですが、1982年以降の作品と「銀河帝国」はそぐわない題名です。なぜなら、前期と後期をつなぐ500年にわたる物語は、銀河帝国ではなくファウンデーションが主役だからです。

アシモフ03.jpg

(アシモフ「銀河帝国興亡史」amazon.co.jp)

【アシモフを巡る未来への議論】

  著者は、第1章で現在2045年にシンギュラリティ(無限値)を迎えるAIに焦点を当てます。これまで、SFは近代の科学的発展を先取りする架空世界を展開してきました。その中心は、ガンダムや鉄腕アトムに代表されるロボットたちです。しかし、これまでSFで描かれてきたロボットと現在のAIには、決定的な違いがあるとの指摘はそのとおりです。

  それは、現在のAIはネットワークにつながっていることが常態となっているとの指摘です。

  我々がこれまでイメージしていたロボットは、アトムのように独立した頭脳を持ち自ら考え、自ら行動を起こす機械でした。確かに、現在でも独立したコンピューターが頭脳となり、その中で人間の脳を再現するニューロンとシナプスを増やしていき、そこに人間の脳と同じように情報を流し込んで学習させていくとの手法がAIを発達させてきました。

  しかし、今やインターネットに代表されるネットワークはほぼすべてのコンピューターにつながっています。さらに世の中ではクラウドコンピューターの技術が進化を続けており、あるAIが人間の脳を超えれば、すべての端末でシンギュラリティが実現することが容易に想定されます。こうした技術は、これまでのロボットSFの枠組みを超える現在科学の大きな変革です。

  SFのもう一つの主役は、宇宙です。無限に広がる宇宙では、我々が生きている銀河系や太陽系と同じ環境の星系が数多くあると言われています。そのことから、人間は、この宇宙の何処かで我々と同様の知性を持った異星人との接触があるのではないか、との期待に胸を躍らせています。SFでは、「火星人襲来(宇宙戦争)」以来、「未知との遭遇」や「E..」など功罪ありまぜた異星人との接触を夢見てきました。

アシモフ05.jpg

(H.G.ウェルズ「宇宙戦争」amazon.co.jp)

  ところが、最新の研究では我々人類が生存している間に異星人と接触することはないだろう、との学説が有力になっていると言います。

  もしも異星人との接触がないとすれば、残る選択肢は宇宙というフロンティアの開拓です。すでに国際宇宙ステーションを使ったあらゆる科学分野の実験が、宇宙空間で展開されていますが、さらにその発想が進んでいけば、人間は太陽系の別の惑星に移住するとの行動が現実となる可能性が高くなります。

  そのときに考えられるのは、ネットワークでつながっているロボットや攻殻機動隊のようなサイボーグ人間が真空の宇宙空間や、別の惑星で開拓を行っていく未来です。こうした未来が想定される中で、アシモフに代表されるロボットと宇宙人類の未来は我々にどんな倫理観を期待するのでしょうか。著者は、そうした問題意識で、科学者であり、SF作家でもあり、さらにノンフィクションライターでもあったアシモフの作品を分析していくのです。

  もう一つ、著者の議論のポイントとなっているのは、光速による恒星間移動の現実性です。スター・ウォーズでもスタートレックでも宇宙船による移動の手段は、ワープなどの光速を超える速度での空間移動です。しかし、著者はここでも疑問を展開します。それは、技術的な問題(例えば瞬間で惑星や彗星小惑星の一が揺れ動いている宇宙で、出現する場所での安全性の確保は不可能である。)とネットワークの問題から実現は難しいという考え方です。

  つまり、現在のネットワーク技術は極めて限定された物理的な距離の中で実現された技術であり、人類はこの利便性を捨ててまで光速で移動しなければならないような別銀河にまで進出することはないだろうとの未来予想です。

  こうした現在我々が置かれた人類社会とアシモフが描いた未来社会。この二つの世界から我々はどのような未来を描けばよいのでしょうか。そこでは、アシモフが描いたロボット工学三原則に加えられた新たな原則、第零原則が大きくクローズアップされることになるのです。


  その議論には、ぜひこの本を読むことで参加してください。最後には、社会哲学に突入する議論が展開されることになりますが、アシモフが好きな方には楽しめることに間違いありません。お楽しみに。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



稲葉振一郎 銀河帝国興亡と現代の闘い

こんばんは。

  SFの世界で古典的作家といえば、アイザック・アシモフの名前が挙がります。アシモフは学生時代からたくさんのSF作品を発表し、その72年の生涯で、科学者としても著作を残すと同時にノンフィクションライターとしても多くの著作を発表しました。その著作は500作以上とされており、SFのみならず、現代の知者の一人といってもよい作家です。

  同じくSF作家では、「地球幼年期の物語」のアーサー・C・クラーク、「夏への扉」のロバートA・ハイランインと並べてSF御三家と呼ばれています。こうした著者のSFはどれも面白く、かつてその作品たちのセンス・オブ・ワンダーに夢中になりました。

  アシモフと言えば、一連のロボット短編集と最大のロマンである「銀河帝国興亡史」が最も有名な作品群といっても過言ではありません。先週、恒例の本屋さん巡りをしていると新書の棚で、「銀河帝国」、「ロボット」という文字が目に飛び込んできました。思わず手に取ってみると、どうやら社会学者の方が書いたロボット本のようでした。なかなか興味深そうなので他の本と一緒に購入しました。今週は、SF世界から人類の未来を語ろうとする本を読んでいました。

「銀河帝国は必要か-ロボットと人類の未来」

(稲葉振一郎著 ちくまプリマー新書 2019年)

アシモフ01.jpg

(「銀河帝国は必要か?」amazon.co.jp)

【アシモフに見る未来】

  まず、結論をお伝えしましょう。

  この本はアシモフのファンにはとてつおなく興奮する本ですが、そうでない読者にはどこに焦点があてられているのか、理解しにくい内容となっています。

  まず、アシモフと言えば、「われはロボット」という短編集がすぐに頭に浮かびます。私も最初に読んだのはこの本でした。この本がアメリカで上梓されたのは1950年といいますから、まさに古典といってもよい作品です。ロボットは、チェコの作家、チャペックが人間に変わって使役的作業を行う機械を小説に登場させ、その名をロボットと名付けたことがはじまりと言われていますが、自分で考え自分で動く自動人形(ロボット)は、SF世界では代表的な一分野を築いています。

  特にアシモフが有名なのは、ロボットSFの基本となるような概念を作品に持ち込んだからです。それは、「ロボット工学三原則」と呼ばれ、その後のロボットSF作品に大きな影響を及ぼしました。その三原則とは、①ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。②ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、①に反する場合は、この限りでない。③ロボットは、前掲①および②に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。というものです。

  この三原則が「アシモフの三原則」と呼ばれることに関してアシモフは、自分は科学者の端くれなので、架空の科学分野における架空の原則で後世に名を残すのは本意ではない。将来現実のロボット工学が発達して三原則が実用されれば真の名声を得られるかもしれない。仮にそうなるとしても、どのみち自分の死後のことだろう。と話したといいます。アシモフが亡くなったのは1992年。確かにその後ロボット工学は驚異的に発展しましたが、現実世界で三原則の話はいまだ聞いたことがありません。

アシモフ02.jpg

(アシモフ名作「I ROBOT」amazon.co.jp)

  今回の本の主題は、すでに現実となっているAI技術を含めたロボット工学の世界で、人類がこれまで築いてきた様々な倫理学が今後どのように変化していくのかを、SF世界を分析することで見極めようとする試みなのです。

  その目次を覗くと、この本でいうSFとは正にアシモフ世界のことを指しているのです。

1章 なぜロボットが問題になるのか

2章 SF作家アイザック・アシモフ

3章 宇宙SFの歴史

4章 ロボット物語-アシモフの世界から(1

5章 銀河帝国-アシモフの世界から(2

6章 アシモフと人類の未来

  さて、アシモフのファンは、そのSFがロボットシリーズとファウンデーションシリーズに二分されていることをよくご存じと思います。この本の第1章での問題提起を読むと、人類の未来とロボットの関係を社会学的に論じるつもりであることが語られていますが、第2章以下を読み進むにつれて、この本の著者である稲葉氏が、SFとアイザック・アシモフを分析しようとする社会学的な意志を感じます。

  著者は、第4章でアシモフのロボットシリーズを分析し、さらに第5章ではファウンデーションシリーズの分析へと取り掛かります。アシモフファンにはたまらない展開。なつかしさとその目の付け所にワンダーを感じます。

  「ファウンデーション」というとアシモフの読者でない方は、けげんに感じると思いますが、ファウンデーションシリーズの日本での翻訳は「銀河帝国の興亡」または「銀河帝国興亡史」という名称で上梓されています。日本語の題名を見て、世界史を専攻した方は歴史家ギボンが記した「ローマ帝国衰亡史」を思い出すと思います。若きアシモフは、まさにその本を読んでこの500年間にわたる銀河帝国を物語る小説を構想したのです。

  作家で科学者であったアシモフは、初期の作品群でロボットシリーズとファウンデーションシリーズを全く別の小説として構想し、小説にまとめています。近未来を描くミステリーの傑作「鋼鉄都市」では、ロボット刑事であるダニールが登場し、謎に満ちた殺人事件を人間の刑事であるベイリとタッグを組んで解決していきます。ロボットシリーズは、その後、この二人を主人公として続いていくことになります。

アシモフ04.jpg

(アシモフ「鋼鉄都市」amazon.co.jp)

  最初の「銀河帝国(ファウンデーション)シリーズ」は、宇宙ものSFの傑作でしたがそこに記された未来にロボットはまったく登場していません。一方のロボットシリーズは、ロボット工学三原則を基本とした推理小説仕立てのミステリィであり、その内容は銀河帝国とは関係のない物語でした。その後、アシモフは科学やノンフィクションを書くことに興味を抱き、さらに現代ものの推理小説も上梓します。しばらく、ロボットもファウンデーションも執筆されることはありませんでした。

  しかし、ファウンデーションシリーズを1953年に上梓し、ロボットシリーズの続編を1957年に上梓してから25年後、アシモフはファンの要請にこたえてシリーズの続編を構想します。1982年に「ファウンデーションの彼方に」で再びシリーズをスタートしたアシモフは、ロボットとファウンデーションをつなぐ物語の構想を想起しました。それは、「銀河帝国」の物語になぜロボットが登場しないのか、とのなぞを解明する物語だったのです。

  ちなみに日本語訳の「銀河帝国興亡史」は、ファウンデーションと呼ばれる人類の永遠にわたる存続を目標とする組織と相対する銀河帝国の興亡を描いており、最初の三部作の題名としてはふさわしかったのですが、1982年以降の作品と「銀河帝国」はそぐわない題名です。なぜなら、前期と後期をつなぐ500年にわたる物語は、銀河帝国ではなくファウンデーションが主役だからです。

アシモフ03.jpg

(アシモフ「銀河帝国興亡史」amazon.co.jp)

【アシモフを巡る未来への議論】

  著者は、第1章で現在2045年にシンギュラリティ(無限値)を迎えるAIに焦点を当てます。これまで、SFは近代の科学的発展を先取りする架空世界を展開してきました。その中心は、ガンダムや鉄腕アトムに代表されるロボットたちです。しかし、これまでSFで描かれてきたロボットと現在のAIには、決定的な違いがあるとの指摘はそのとおりです。

  それは、現在のAIはネットワークにつながっていることが常態となっているとの指摘です。

  我々がこれまでイメージしていたロボットは、アトムのように独立した頭脳を持ち自ら考え、自ら行動を起こす機械でした。確かに、現在でも独立したコンピューターが頭脳となり、その中で人間の脳を再現するニューロンとシナプスを増やしていき、そこに人間の脳と同じように情報を流し込んで学習させていくとの手法がAIを発達させてきました。

  しかし、今やインターネットに代表されるネットワークはほぼすべてのコンピューターにつながっています。さらに世の中ではクラウドコンピューターの技術が進化を続けており、あるAIが人間の脳を超えれば、すべての端末でシンギュラリティが実現することが容易に想定されます。こうした技術は、これまでのロボットSFの枠組みを超える現在科学の大きな変革です。

  SFのもう一つの主役は、宇宙です。無限に広がる宇宙では、我々が生きている銀河系や太陽系と同じ環境の星系が数多くあると言われています。そのことから、人間は、この宇宙の何処かで我々と同様の知性を持った異星人との接触があるのではないか、との期待に胸を躍らせています。SFでは、「火星人襲来(宇宙戦争)」以来、「未知との遭遇」や「E..」など功罪ありまぜた異星人との接触を夢見てきました。

アシモフ05.jpg

(H.G.ウェルズ「宇宙戦争」amazon.co.jp)

  ところが、最新の研究では我々人類が生存している間に異星人と接触することはないだろう、との学説が有力になっていると言います。

  もしも異星人との接触がないとすれば、残る選択肢は宇宙というフロンティアの開拓です。すでに国際宇宙ステーションを使ったあらゆる科学分野の実験が、宇宙空間で展開されていますが、さらにその発想が進んでいけば、人間は太陽系の別の惑星に移住するとの行動が現実となる可能性が高くなります。

  そのときに考えられるのは、ネットワークでつながっているロボットや攻殻機動隊のようなサイボーグ人間が真空の宇宙空間や、別の惑星で開拓を行っていく未来です。こうした未来が想定される中で、アシモフに代表されるロボットと宇宙人類の未来は我々にどんな倫理観を期待するのでしょうか。著者は、そうした問題意識で、科学者であり、SF作家でもあり、さらにノンフィクションライターでもあったアシモフの作品を分析していくのです。

  もう一つ、著者の議論のポイントとなっているのは、光速による恒星間移動の現実性です。スター・ウォーズでもスタートレックでも宇宙船による移動の手段は、ワープなどの光速を超える速度での空間移動です。しかし、著者はここでも疑問を展開します。それは、技術的な問題(例えば瞬間で惑星や彗星小惑星の一が揺れ動いている宇宙で、出現する場所での安全性の確保は不可能である。)とネットワークの問題から実現は難しいという考え方です。

  つまり、現在のネットワーク技術は極めて限定された物理的な距離の中で実現された技術であり、人類はこの利便性を捨ててまで光速で移動しなければならないような別銀河にまで進出することはないだろうとの未来予想です。

  こうした現在我々が置かれた人類社会とアシモフが描いた未来社会。この二つの世界から我々はどのような未来を描けばよいのでしょうか。そこでは、アシモフが描いたロボット工学三原則に加えられた新たな原則、第零原則が大きくクローズアップされることになるのです。


  その議論には、ぜひこの本を読むことで参加してください。最後には、社会哲学に突入する議論が展開されることになりますが、アシモフが好きな方には楽しめることに間違いありません。お楽しみに。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。