原田マハ ゴッホ小説はこうして生まれた?

こんばんは。

  組織のトップに立つ人には、清廉さが求められるのは言うまでもありません。

  東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森嘉朗氏が辞任しました。その直接の要因は、氏が日本オリンピック委員会の会合の中で、「女性がたくさんはいっている理事会は時間がかかる。」と発言し、これが女性を差別する発言として、世界も含めた世論の顰蹙をかったことでした。たしかに、「ダイバーシティ(多様性)」が常識の一つとなっている現在ではありえない発言であり、聖火ランナーやボランティアの方々がその役目を辞退したくなる気持ちも当然のことと思います。

  辞任は当たり前のこととして、今回の出来事に一抹の不安も感じます。

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(新たに会長に就任した橋本聖子氏 asahi.com)

  それは、人の心にゆとりがなくなってきていることです。

  誤解を恐れずにいうならば、余裕と癒しのあるおおらかな組織であれば、どなたかが「森さん、理事会が長くなるのは、女性でも男性でも同じです。私もよく言われます。」と話せば、昭和の人が少々「ボケ」をかましたな、との雰囲気になったのではないか、と思うのです。当然、カリスマの森さんにそんなことを言えるわけがないとも言えますが、お年を考えればそんな場面があるのは当たり前だとも思えます。

  この言葉の前後の脈略はわかりませんが、おそらく森さんは、話の枕としてなごみも期待して語ったと思われます。それは森さんの中で昭和が延々と続いていることの証であると思います。考えてみれば、76歳で請われて東京オリンピック・パラリンピック組織委員会という大組織の長となってから7年間。森さんなくしては国際社会で組織委員会の仕事が回せなかったことも事実です。83歳というお年を考えたときに、誰もフォローできなかった、というこの狭量な世界に忸怩たる思いを感じるのは私だけでしょうか。

  人は、必ず間違いを犯します。特に若いとき、老齢のときには間違いもあります。とくに高齢者は永年刷り込まれてきたことを塗りなおすのは容易ではありません。そうした間違いが起きた時、人も社会もその「多様性」を問われるのだと思います。犯罪やいじめは許されませんが、若者や老人の過ちをゆとりを持って受け入れ、その過ちを質すことも「多様性」の一面ではないかと思います。

  小説「変身」の著者であるフランツ・カフカのエピソードがあります。若い詩人のグスタフ・ヤノーホがカフカの事務所を訪れたっとき、そこにギュートリングという詩を書いている役人がきていました。その中で、ギュートリング氏が「私自身、詩人ですから。」と語ったのに対し、カフカは「ええ、あなたは詩人です。」と答えました。ギュートリングが部屋を去った後、ヤノーホは「本当に彼が詩人だとお考えなのですか。」と問いました。カフカは、「彼は確かに詩人(ディヒター)です。」と返しました。

  「ディヒター」には詩人と言う意味と同時に「隙間のない人」と言う意味もあります。そして、「ディヒター」には釘で打ち付けられたとの意味から、「頑迷、愚鈍」という言葉になるのですが、ヤノーホはカフカが彼を頑迷、愚鈍な人と言ったと思い笑い声をあげました。

  カフカは、語ります。「そうではないのです。彼は自分の言葉に埋め尽くされて、現実に対して完全に(心の)隙間を塞がれているのです。」

  さて、今週は原田マハさんのゴッホ小説の副読本を読んでいました。

「ゴッホのあしあと」

(原田マハ著 GS幻冬舎新書 2018年)

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(「ゴッホのあしあと」 amazon.co.jp)

【ゴッホは日本に住みたかった?】

  この本をおなじみ本屋さん巡りで見つけたのは、2年以上も前の話です。

  この本が新書で発売されたのは、「たゆたえども沈まず」が単行本で上梓された後ですので、ターゲットは単行本で読んだ人たちでした。以前に「モネのあしあと」を読んでいたので、見てすぐに購入したのですが、目次を見ると小説のネタばれが随所にありそうで、まずは本編を読んでからと決めて本棚で眠っていたのです。

  まさか文庫化されるまでにこれほどの年月が経とうとは、幻冬舎さんは商売が上手で、文庫化したと同時に副読本としてこの「ゴッホのあしあと」も文庫化されたのです。

  ということで、本編を読み終わるとすぐにこの本を読み始めました。さすが、副読本と銘打たれているだけあって、読むにつれて小説のどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのか。はたまた、なぜこの小説がこれまでのマハさんの小説と異なっているのか、がとてもよくわかりました。

  まずは、目次をチラ見です。

プロローグ 私とゴッホの出会い

第1章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛

第2章 パリと林忠正

第3章 ゴッホの夢

第4章 小説「たゆたえども沈まず」について

第5章 ゴッホのあしあとを巡る旅

  小説を読んだ方には、興味が尽きない内容に間違いありません。

  今回の小説は、あまりネタばれの心配がありません。それは、謎解きの要素が少ないからです。ゴッホの人生はあまりにも知られており、そのエピソード自体は有名なものばかりです。また、ゴッホが画業に専念できたのは、弟のテオが仕送りを行ってその画業を応援していたおかげですが、その陰でこの兄弟がどれだけの辛苦を味わいながら生きていたのか、これもすでにその手紙によってよく知られています。

  しかし、実際にゴッホの絵をみると、そうした彼のエピソードよりもなによりも、その画自体が発するオーラがすべてを吹き飛ばして「絵」に込められたパワーに呆然としてしまいます。

  そんなゴッホが日本にあこがれていたとは、どういうことなのでしょう。

  ゴッホが日本を知っていたのは、当時パリで大流行していたジャポニズムによるものでした。そこで紹介されたエキゾチックな日本美術の魅力は当時パリの万博での展示がその出発点でした。特にこれまでの伝統的なアカデミー派の絵から脱却しようとしていた画家たちにとって、日本の浮世絵の技法は驚異的なものでした。その遠近法を無視するような構図や版画とは思えない豊かな色彩、そして単なる線を駆使した写実表現。

  印象派やポスト印象派と呼ばれる画家たちは、皆、浮世絵の技法を研究しました。そして、ゴッホもそのひとりだったのです。ゴッホは浮世絵に描かれた明るさと華やかさから日本にあこがれを持っていたに違いありません。そして、マハさんはその思いに焦点を当てて、当時パリで画商を営んでいた日本人、林忠正とゴッホとの出会いを描いたのです。

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(ゴッホ模写の広重作浮世絵  wikipediaより)

  オランダ出身のゴッホとテオは、どんよりと雲の垂れ込める国で育ちました。彼らは太陽の光にあこがれていました。そして、ゴッホはあこがれの日本に行くことができない代わりに、光に溢れたアルルへと旅立ったのです。アルルでは、若き芸術家たちのコミュニティを創りたい、そんな夢を描き、彼がゴーギャンをアルルへと誘ったのです。

  アルルと日本。その関係は、ぜひこの本で読み解いてください。

【ゴッホの絵画を巡る旅】

  この本は、題名の通りゴッホの足跡を追っています。

  第3章では、ゴッホがめざし、夢見た絵画とはどのような作品だったのかが、作品の変遷とともに語られていきます。そこで語られる作品は、アルル時代に描かれた「夜のカフェテラス」。この作品が所蔵されているのはクレラー・ミュラー美術館。この美術館には、ゴッホの作品が数多く収蔵されていることで有名なオランダの美術館です。

  他にも「アルルの跳ね橋」、「種まく人」、「じゃがいもを食べる人々」、「糸杉と星の見える道」などの作品が収蔵されていますが、その作品は何度か日本にも来てくれています。

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(ゴッホ「夜のカフェテラス」 wikipediaより)

  マハさんは、アルル時代の絵画にはゴッホの心の奥に秘められた「孤独」がその画面に感じられると言います。その孤独は、アルルにきて一緒に生活したゴーギャンがたった2カ月で家を出ていったことで頂点に達します。ゴッホが住んでいたのは黄色い家と呼ばれており、その家を題材にしていくつも絵を残しています。そこには、「ゴーギャンの肘掛け椅子」、「ゴッホの椅子」という作品があるのですが、この2枚には椅子だけが描かれていて、そこにいるゴーギャンもゴッホもあがかれていません。

  この孤独な2枚の絵は小説でも重要な役割を果たしています。

  ゴッホは、ゴーギャンが出ていったときに自らの耳を切り取るという驚きの行動に出ますが、その行動が災いして精神病院で療養することになります。アルルの市民病院から紹介されたサン=レミにある修道院に付属する精神病院でゴッホは1年を過ごすことになります。ここでは、数多くの作品が生まれていますが、マハさんはここでゴッホの強さを感じたと語っています。

  この修道院に着いた頃にかかれた「アイリス」という作品やサン=レミで観られる糸杉を題材とした作品は、ゴッホの代表作となりました。また、このころに弟とテオとヨー夫妻の間に生まれた甥へのお祝いに「花咲くアーモンドの木の枝」という作品を描き、贈っています。修道院の部屋は三畳ほどの狭苦しい閉鎖空間で、訪れたマハさんはこの環境で次々と名作を描いたゴゥホの強さに驚嘆しています。

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(ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」wikipedia)

  そして、その後ゴッホは終焉の地となるオーヴェル=シュル=オワーズへと移り住みます。この地では、下宿屋であるラヴー亭で生活しましたが、そこでの暮らしはたったの60日間に過ぎません。その60日の間、「オーヴェルの役場」、「ガッシュ石の肖像画」、「オーヴェルの教会」、「オ-ヴェルの階段」、「ドービニーの庭」、「カラスのいる麦畑」、「アザミの花」など数多くの名作を残しています。

  最後にこの本は、ゴッホの絵を見ることができる日本の美術館を紹介してその旅を締めくくります。

  この本は、ぜひ小説を読み終わったのちに手に取ってください。マハさんのゴッホへの想いが伝わってくると同時に小説の解読に役立つことに間違いありません。


  大阪、名古屋周辺では、緊急事態宣言の解除も検討されているようですが、油断大敵です。ここまで縮小してきた感染者数や重症患者の数も、人が接する機会が増えればアッという間に再びうなぎのぼりとなることは目に見えています。皆さん、ここまで頑張ってきた自分をほめつつ、ワクチン接種が万人にいきわたるまで、お互い自粛に務めましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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