野村克也 宮本慎也 引継がれる思考

こんばんは。

 野村克也氏が亡くなってから早くも1年が過ぎました。

 しかし、野村さんが育てた人々がその精神を受け継いで、さらに次の世代へと野村野球を伝えていこうとしています。

  今年、東日本を襲った震災から10年の節目の年に、あの田中マー君が楽天に戻ってきました。マー君と言えば、星野監督が指揮を執った楽天が優勝した都市のエースです。震災から2シーズン目、2013年のシーズン。仙台を本拠地とする東北楽天イーグルスは、リーグ優勝。さらにクライマックスシリーズにも勝利。巨人との日本シリーズも制して日本一に輝きました。

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(田中マー君入団会見 sanspo.com)

  震災で苦しんでいる人々に勇気をあたえたい。監督選手はもちろん、楽天イーグルスにかかわるすべての人の悲願がここにかなったのです。もちろん闘将、星野仙一監督の統率力も大きな要因ではありましたが、何と言ってもそのシーズン無敗で24連勝を挙げたマー君は、捕手と務めた嶋選手とともに大きな要因であったことに間違いありません。

  この年のマー君は、神がかっていたと言っても過言ではありません。シーズン28試合に登板して無敗はもちろん日本プロ野球界では初めてですし、シーズン24連勝も初の偉業です。さらに、通産での連勝記録は28連勝。(翌年は大リーグに移籍)。また、この年は、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率と3冠に輝くとともに、沢村賞も受賞しています。

  日本シリーズの日本一を決める瞬間に、連投にもかかわらず最後の一人を打ち取った時の鬼気迫る形相は忘れることができません。最後に起用した星野監督の心意気もさることながら、それにこたえて、登板したときの感動は今思い起こしても胸が熱くなります。

  そんなマー君ですが、プロ野球の世界に入った時の監督が野村克也氏でした。野村さんは2006年から2009年まで4年間楽天イーグルスの指揮を執り、2009年にはリーグ2位となり球団初となるクライマックスシリーズ進出を果たしました。2007年のドラフトで野村監督は田中将大投手の交渉権を引き当て、マー君は楽天イーグルス入団したのです。

  マー君は、野村監督について、「プロ野球の世界で生きていくために必要なすべてのことを野村監督に教えてもらいました。」と言っています。

  野村監督は、長い監督人生で「再生工場」と呼ばれ、他の球団でトレードや契約外通告で出された選手を一流選手へと再生することで有名です。その極意は、気づかせる言葉と語っています。例えば、開幕戦で3打席連続ホームランを放った小早川選手、楽天でホームラン王に輝いた山崎武司選手、リリーフに転向しセーブ王となった江夏豊投手など、その手腕には枚挙のいとまがありません。

  マー君の場合には、バリバリの新人ですので直接指導することは少なかったと思いますが、楽天監督時代には、新人捕手の嶋選手を常に横に置き、常に教育していたので、嶋捕手を通じてマー君にも様々な教えが伝わったのではないでしょうか。一つ覚えているのは、ルーキーの年、いきなり一軍で先発を任されて、3試合続けて打ち込まれていた時に、野村監督の一言がマー君を救ったというエピソードです。

  3試合で打ち込まれ、その悔しさに悩みに悩んでいるとき野村監督は、「マウンドで声を出してみろ。」とアドバイスしたそうです。それは、マー君に「気持ち」が最も大切であることを気づかせる言葉でした。その後、マー君はマウンドで雄たけびを挙げ、ルーキー年度から二ケタ勝利、11勝を挙げる活躍を見せたのです。

  野村さんが亡くなって1年。様々なメディアで野村さんをしのぶ特集が組まれています。先日、本屋さん巡りをしていると、文庫本の棚に宮本慎也さんとの共著本をみつけました。お二人の師弟関係は有名ですが、お二人の本は本当に面白く、気がついた時には読み終わっていました。

「師弟」(野村克也 宮本慎也著 講談社文庫 2020年)

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(「師弟」講談社文庫 amazon.co.jpより)

【宮本慎也選手 2000本安打の偉業】

  日本の国語辞典と言えば「広辞苑」の名がすぐに思い浮かびますが、野球の国語辞典といえば「球辞苑」と言われているのをご存知でしょうか。

  野球のコアなファンならその名は有名ですが、この辞典はNHKBSで放送されている番組のタイトルなのです。番組のナビゲーターはお笑いコンビのナイツですが、毎回、野球にまつわる「キーワード」を取り上げて、まるで「広辞苑」のようにそのキーワードの意味や歴史を解明していく番組です。毎週土曜日の夜11時から放送され、月曜日の午後8時からは再放送がなされています。

  この番組では、元ロッテマリーンズの名キャッチャーであった里崎さんがご意見番を務め、さらにはその回の「キーワード」に沿ったゲストが招かれます。先日のお題は「DH(指名打者)」でしたが、ゲストは元ソフトバンクホークスのスラッガー、松中信彦さん。松中さんは膝の故障からDHで活躍したスラッッガーですが、ナイツの塙さんが松中さんの登場時に「三冠王」の会にお招きしないといけなかったのに、と話していたのには敬服しました。松中さんは、2004年に三冠王を獲得しており、平成唯一の三冠王として有名なのです。塙さんは本当に野球好きなのですね。

  さて、話は逸れましたが、この「球辞苑」の「ヒットエンドラン」の回にゲスト出演していたのが宮本慎也さんでした。宮本さんと言えば、19年間の現役時代をすべてヤクルトスワローズで過ごし、守備の名手でありながら2000本安打を達成。名球会に入った選手として有名です。番組では、ヒットエンドランのサインが出た時、何を思いましたか、と聞かれて「気が楽でしたね。」と答えて、メンバーを不思議がらせていました。

  その心は、サインを出したのはベンチなので、失敗してもベンチの責任と割り切れたので気楽だったということです。宮本さんと言えば、ヤクルト時代の野村監督の教え子で、全日本の稲葉監督と並んで野村克也さんとの師弟関係はよく知られています。宮本さんは、常にチームの勝利を第一に考える選手であり、名球会のメンバーで2000本安打とともに400犠打も記録している唯一の会員として有名です。そんな宮本さんだからこそ、ベンチからヒットエンドランのサインがでるとホッとするという心境に至ったのではないか、と妙に納得してしまいました。

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(球辞苑「ヒットエンドラン」の回 nhk.jp)

  ヒットエンドランに関しては、ヤクルト時代の野村監督の教え子として有名な橋上秀樹さんが登場しました。橋上さんはヤクルトに捕手として入団しましたが、そこに古田敦也捕手がいたため外野手に転向、その後手堅い打撃でファンを沸かせた選手でした。引退後には、野村野球を理解するコーチとして、楽天、巨人、西武の強化に貢献したのです。

  コーチ時代、橋上さんはヒットエンドランのサインを任されていたと言います。ヒットエンドランは、一塁に走者がいる場合に走者にはスタート、打者にはヒットを同時に求める戦術で、成功すればランナー一塁三塁となり、圧倒的な得点チャンスを実現することができます。この作戦はアウトカウントにもよるのですが、華々しい反面、はずされれば一塁走者が飛び出しており簡単に一塁で刺されてしまします。また、打者が内野ゴロを打てば、ダブルプレーとなり一瞬にしてチャンスは潰えます。

  それでは、ヒットエンドランへの心構えとは何か。

  橋上さんは、ヒットエンドランについて野村監督が何度も口にしていた言葉を紹介します。「ヒットエンドランは奇襲であり慢心してはいけない。」ヒットエンドランのサインが成功したときに、人はその気持ちよさに酔ってしまい、また成功するのではないかとの慢心してしまうが、ヒットエンドランはよほどのことがなければ使う戦術ではない、ということだそうです。

  確かに近年は得点の確立を挙げるため、一塁ランナーが出るとバントで送ることが常道となっています。勝つための確率としてヒットエンドランは賭けのようなものなのかもしれません。しかし、それを十分にしっていれば、場面によってヒットエンドランは勝利を導く見事な作戦となる可能性があるわけです。

  話を戻せば、野村克也さんのプロ野球における実践的理論は、その教え子である橋上さん、宮本さん、稲葉さん、古田さんに脈々と受け継がれていることに間違いはありません。

  今回読んだ「師弟」は、野村さんが野球漬けの60年以上の生活の中で培ってきた野村野球論とその愛弟子である宮本慎也さんが野球に対する考え方の集大成なのです。

【名将 野村監督が語る8項目】

  今回の本は、野村さんが野球戦略の柱と考える8つの項目を掲げ、それを野村さんと宮本さんの二人が語っていく、という野球ファンにとってはこたえられない内容となっています。

  まずは、野村さんが掲げる8つの項目を見てみましょう。

  「第一章 プロセス重視」、「第二章 頭脳は無限」、「第三章 鈍感は最大の罪」、「第四章 適材適所」、「第五章 弱者の兵法」、「第六章 組織」、「第七章 人心掌握術」、「第八章 一流とは」

  ここにかかれた各章のみだしを見ただけで、お二人が何を語るのか、読むのが待ち遠しくなります。

  野村さんは監督時代にミーティングによって優勝を争うことができるチームを育ててきました。特に専業監督として初めて指揮を執ったヤクルト時代、キャンプでは毎日の野村塾ともいえるミーティングがおこなわれました。その内容が野球の技術戦術よりも、人生をいかに生きるかとの話であったことは有名な話です。この本を読むと、野村さんが選手に、まず人間として優勝にふさわしい人間になることが大切であることを教えたかったということがよくわかります。

  一方、宮本さんは、その野村さんの6年目のシーズンに稲葉選手とともにヤクルトに入団しました。宮本さんは、そのミーティングの内容を毎年ノートに記録し、それを実践してきたのです。

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(1995年 ヤクルトの入団会見 nikkansports)

  この本には、題名の通り「師弟」と言える野村さんと宮本さんが、人生と野球に何を基軸に打ち込んできたのかが描かれています。その面白さは無類です。

  例えば、「頭脳は無限」の項では、野村さんが現役時代に3割を打ち、ホームラン王になったのちのことを語っています。それは4年目のシーズンでしたが、その後の2年間、成績が低迷しました。そのわけは、各球団のバッテリーが野村さんのバッティングを徹底的に研究してきたことにありました。そのことに野村さんは気づかなかったのですが、先輩のとある一言でそれを理解しました。そのときから野村さんの頭脳戦が始まります。

  それは、相手の配給とくせを徹底的に研究し、次に来る球を読むことでした。これが、ID野球の始まりだったのです。広島から小早川選手を獲得し、開幕第一線で当時の巨人のエース斎藤投手から三打席連青くホームランという成果で「再生工場」といわれたわけもここにあったのです。

  野村さんには、「とは理論」と提唱している考え方があります。それは、ものを考える原点として、まず「○○とは?」と考えて答えを探すというプロセスのことです。野村さんは、良く選手に「野球とは?」と質問してその人の思考を観察していたと言います。楽天時代でも、その質問に答えのない選手が多かったと言います。たぶん、野村さんが怖くて答えられなかったというのが真相と思いますが、宮本さんは、「野球とは頭のスポーツです。」と即座に答えたと言います。

  さすが優秀な教え子。

  この項目の宮本さんの話も興味津々です。ここでは、ヤクルトの優勝監督だった真中さんが1番、宮本さんが2番を打っていた時のエピソードが語られていますが、その話はみごとなまでに野村さんの話と重なっています。

  そのワンダーはぜひ、この本でお楽しみください。


  コロナウィルスとの付き合いも早1年を超えました。我々の心がけることは変わりません。手洗い、消毒、蜜を避ける、会話の時にはマスクを外さない、その基本が守られれば感染者数の再拡大は起きることはありません。みんなで、今を乗り越えましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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