篠崎史紀 マロが語る人と音楽の世界

こんばんは。

  今年もすっかり押し迫りました。皆さん、お元気にお過ごしですか。

  今年は、コロナ禍ウィルス防衛の反動で、インフルエンザやマイコプラズマ、新型コロナが大流行しているそうです。私の周りでも、インフルなどの症状がちらほらと見え始めています。皆さんもどうぞご自愛ください。

  そんな中ですが、私自身は相変わらず音楽三昧と読書の日々を過ごしています。

  クラシック界では、一時体調不良で来日が延期されていた大指揮者ブロムシュテットさんが10月に来日して元気な姿と素晴らしい演奏を披露してくれました。今回は、ご自身の故郷でもある北欧の音楽家の作品を指揮すると同時に、シューベルトの交響曲を聴かせてくれました。とても97歳とは思えない探究心にあふれた表現は我々を魅了してくれました。

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(N響 ブロムシュテット公演 yomiuri.com)

  シューベルトの交響曲と言えば、今月、あのパーヴォ・ヤルヴィさんがドイツカンマーフィルとともに来日していたのをご存じですか。そのセットリストになんとシューベルトの交響曲第7盤(8番という人もいます。)「未完成」がはいっていたのです。長らくクラシックのコンサートに足を運んでいますが、「未完成」をライブで聴くのはこれが初めてです。ワクワクでした。

  「未完成」と言えば、父が持っていたラファエル・クーベリックがウィーンフィルを指揮したレコードが最も耳慣れた演奏です。シューベルトと言えばロマン派の代表ですが、この交響曲もその名の通りエモーショナルな主題と変奏に貫かれており、クーベリックはその魅力を引き出し、夢を追って突き進むような演奏が我々の胸に熱い想いを蘇らせてくれます。

  特に素晴らしいのは、第1楽章に仕掛けられた第1主題と第2主題のエモーショナルなメロディです。この交響曲は、コントラバスによる主題につながる動機の提示から始まりますが、たった8小節の動機が第1楽章すべてを支配します。ところが、レコードではこの動機があまりに低音で奏でられるため、音量を上げなければ聞き取れないのです。ところが、動機が終わって主題部に移ると、オーケストラの音が大きくなり、動機で音量を上げて聞いていると、音量を下げなければ聴いていることが出来なくなるのです。

  しかし、ライブでは違いました。

  ヤルヴィ指揮のカンマーフィルの「未完成」は、はじまるや、後方の左翼に並んだ3基のコントラバスが重厚にはじまりの動機を奏で、(あたりまえのことですが)、その響きが胸にしみいってきたのです。やはりライブはかけがえのない場に他なりません。いきなり、心をわしづかみにされた気持ちになりました。そこからはじまった「未完成交響曲」は、まるで2幕の舞台のように疾風怒濤の音楽を奏で、感動の渦に巻き込まれました。

  クーベリックの「未完成」に比べれば、テンポは少し抑え気味で、疾走感と胸に迫る重厚感を見事なバランスで内包した素晴らしい演奏でした。テレビで見たブロムシュテットさんの未完成もテンポが同じ感じで、近年のロマン派の交響曲への解釈がクーベリックの時代とは変ってきたことが感じられました。

  ヤルヴィ指揮に感動した2日後には、別のコンサートに足を運びました。

  こちらは、ヴァイオリンソナタです。ヴァイオリニストはベルリンフィル第1コンサートマスターの樫本大進さん、そしてピアニストは2005年のジョパンコンクールで優勝し、最もショパンをよく弾くと言われるラファウ・プレハッチさん。大進さんは7色の音色と、強靱さと繊細さを併せ持つ唯一無二のヴァイオリニスト。今年は、大進さんが弾くブラームスのヴァイオリンソナタを聴き、すっかりブラームスにはまりました。

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(大進 プレハッチ デュオ公演チラシ)

  この日のプログラムは、モーツアルト、ベートーベン、ドビュッシー、武満徹、フランクという豪華なラインアップでした。ベートーベンのヴァイオリンソナタと言えば、「春」と「クロイツェル」が有名ですが、この日は第7番。初めて聴くヴァイオリンソナタでしたが、4つ楽章に込められた伸びやかで、魅力的な旋律が大進さんのヴァイオリンから流れ出し、心を動かされました。

  さらに感動したのは、ドビュッシーです。ドビュッシーのヴァイオリンソナタは、彼の遺作となりましたが、その繊細さと感性のひらめきは健在で、最も有名なピアノ作品「月の光」をしのぐ美しさと言っても過言ではありません。プレハッチさんのピアノはよりリリカルなタッチで一見不揃いな和音を美しく引きたたせ、大進さんのヴァイオリンがさらにつややかな音で彩っていきます。感動しました。

  さて、前段が長くなりましたが、これにはわけがあります。今回ご紹介する本は、日本が誇る管弦楽団、NHK交響楽団の主席コンサートマスターであった篠崎マロ史紀さんが上梓した、人生と音楽を綴ったエッセイなのです。

「音楽が人智を越える瞬間(とき)」

(篠崎史紀著 ポプラ新書 2024年)

【還暦を迎えたコンサートマスター】

  コンマスとは、コンサートマスターの略称ですが、マロこと篠崎さんは、1997年にNHK交響楽団(以下、N響)のコンサートマスターに就任。様々な指揮者たちのもと、楽団をまとめあげてきましたが、昨年、還暦を迎え定年にて主席コンマスを退任しました。

  日本でこれほど海外の著名な指揮者が指揮した楽団は、N響以外にありません。

  現在、日曜日の夜9時にはEテレで、クラシック音楽館が放送されていて、毎週楽しみにしています。今、N響の首席指揮者はイタリアの名匠ファビオ・ルイージさんですが、その前は私が大ファンであるパーヴォ・ヤルヴィさんでした。その他にもシャルル・デュトワ、ブロムシュテット、アシュケナージ等々、錚々たる巨匠たちがその名を連ねています。

  テレビでその名演奏を見ていると、必ず指揮者の左横の席にはマロさんがいて、指揮者を見上げるとともに楽団員全員に対してオーラを発信し続けていることが見て取れます。そんな、おなじみのマロさんが、定年を機に上梓した本。読まずにはいられません。

  さて、そこにはいったい何が語られているのでしょうか。まずは目次を。

第1章 ウィーンが「音楽の流儀」を教えてくれた

2章 ウィーンで身につけたマロ流妄想力

3章 北九州が「人生の流儀」を育んでくれた

4章 N響が「コンサートマスターの流儀」を確立させてくれた

5章 偉大なマエストロたちが音楽の流儀を教えてくれた

6章 いま、日本の音楽界に、そして故郷に伝えたい思い

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(コンサートマスターMARO 新書 amazon.co.jp)

  クラシックファンの方ならば、この目次を見てワクワクするに違いありません。その予感の通り、この本にはどこをとっても「音楽」の楽しみが詰まっています。「マロ」とは、学生時代からのあだ名だそうですが、ヴァイオリン教師のご両親から生まれたマロさん。ヴァイオリンを強いられたことは一度も無いそうです。生まれたときから周囲にヴァイオリンの人材や環境があふれていて、2歳を待たずに、自然にヴァイオリンを引くようになったようです。

  この本を読むと、マロさんのご両親の育て方はなかなか見事です。クリスマスプレゼントに子供用のチェロが入っていて、負けず嫌いの性格から自ら練習したとのエピソード。気がつくと海外の情報が書かれて本が身の回りのたくさん置かれており、007が好きだったマロさんは、「ムーンレイカー」の「舞台となったヴェネチアの写真集を見て、海外に興味をもち、自ら高校卒業後にウィーンに留学したと言います。

  ご両親のマロさんへの接し方を読むと、現在の子育てにも十分に参考になりそうです。

【マエストロと音楽仲間たち】

  この本の大きな魅力の一つは、N響のコンサートマスターとして表現した数々の仕事です。

  その仕事についてマロさんは、指揮者はゲスト、コンサートマスターはホストだと言います。海外から来る首席指揮者や名誉指揮者などには特に当てはまる言葉です。これは、ホームパーティーを開くときのたとえですが、自宅に客を招くようにN響に指揮者を招くというわけです。しかし、相手は名うてのマエストロ。ホストは、ゲストが気持ちよく指揮できるように環境を整えることが仕事です。

  本番では、指揮者も団員もプロ中のプロ。コンマスのやることはほとんど無い、と言います。ライブではおなじみの楽器のチューニングも、団員たちはすでに各自チューニングを終えているので形だけですむそうです。むしろ、リハーサルの場でこそ、コンマスの力が発揮されます。指揮者は自らが解釈した楽曲の色彩やテンポを楽団に表現してほしいと考えます。しかし、交響楽団とその演奏者たちにはそれぞれ培ってきた色彩とテンポがあります。これが大きく異なるときに、それを調整するのがコンマスの仕事なのです。

  この本には、コンマスの仕事と、協働で音楽を培ってきた指揮者の魅力がたくさん語られています。

  近年、よくN響の演奏会に登場するトゥガン・ソヒエフ。その指揮は、その曲で「作曲者が考えたその先」をタクトで楽団員から引き出すことが出来る、と言います。また、大御所ブロムシュテットについても、常に音楽を探究し、その指先から放たれるオーラで、楽団員たちを未知の世界に導いていく、と語ります。

  その中でも、最も心を動かされたエピソードがあります。それは、ロシア出身の大指揮者ウラディミール・フェドセーエフとのエピソードです。20185度目の共演のとき、プログラムはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」でした。最初のリハーサルでフェドセーエフが提示したテンポは非常にゆっくりとしていて、団員たちからも遅すぎるのではないか、との意見が多く出ました。たしかに管楽器では息が続かないほど遅いテンポなのです。

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(N響 フェドセーエフ公演チラシ)

  マロさんは、自らも疑問を持ったそのテンポを変えてもらおうと、夜、フェドセーエフと食事をともにしました。果たして、マロさんは各団員たちの意見を伝えることが出来たのか。その顛末は、ぜひこの本で味わってください。心が洗われます。

  さて、音楽を心から愛するマロさんは、N響以外でもたくさんの仲間たちと数多くの活動を続けてきました。この本には、自らが立ち上げたジュニアオーケストラの活動、銀座の王子ホールで2004年から続けているサロン風の管弦楽「MAROワールド」、さらに若手と合奏を楽しむ「MAROカンパニー」の活動、など、音楽の和が語られていきます。

  その中で紹介される様々なエピソードにも心を動かされます。

  例えば、ウィーン留学時代に紹介されるエピソード。チェリストである桑田歩さんは、若き日にイタリアでの勉強の帰りに、ウィーンにいたマロさんのもとを訪ねます。彼は翌日に帰る予定でしたが、帰りの飛行機のリコンファームを忘れてしまい、再度取れたのは一週間後の飛行機でした。学生でお金がなかった桑田さんは、マロさんの部屋に泊めてもらうことになりました。

  ところが、彼の演奏を聴いたマロさんはぜひとも一緒に演奏会に参加したくて、彼をウィーン市立音楽院のチェロの先生の所に連れて行き、演奏を聴いてもらいました。その演奏を気に入った先生が彼の入学を許可してくれたのです。桑田さんは、帰りの飛行機のリコンファームを失念したおかげで、ウィーンに留学することとなったのです。マロさんは、リコンファームを忘れて留学することになったのは後にも先にも彼くらいだろうと語ります。

  このエピソードには続きがあります。それは、この本の第6章で語られるのですが、その感動のエピソードはこの本でお楽しみください。心に染み入る感動を味わうことと思います。


  さて、今年も早いもので残すところ1週間となりました。皆さん、元気で年末をお迎えください。今年は、一段と平和な暮らしが幸福だと実感します。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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