指揮者が語るベートーヴェンの交響曲

こんばんは。

  このブログは、もともとハンドルネームのとおり「人生の数々の楽しみ」を言葉にしていくことを目的に始めました。

  その原点が、「本」であり、「音楽」であり、「映画」であり、アスリートたちの輝きでした。

  中でも、言葉を読むことの楽しみは格別です。我々は「言葉」を発明したことによって、地球上の他の生命から枝分かれをして「特別な」存在へと進化しました。そして、言葉はあらゆる事物や事象を語ることができる「無限」の可能性を持つ道具です。そこで、ブログの中心は、大好きな本の感想をその中心とすることに決めました。

  「音楽」もあらゆる事々を表現できる、という意味では言葉と同じ力を持っています。しかし、その魅力は「音楽」を聴くことによって我々の心を動かしてくれるもので、どんな「音楽」に心を動かされるのかは、一人一人のすべての人間の個性とつながっています。

  音楽本を読む楽しみは、本来は聴かなければ味わうことができない感動を「言葉」で味わうことができることに他なりません。

  先日、新たな人生の楽しみを見つけるためにさいたま市の「生涯学習相談センター」に足を運びました。相談の後、センターの入居する大宮シーノの中に桜木図書館があることを思い出しました。図書館で本やCDを見ている時間は、まさに至福の時間です。CDのコーナーでは、上原ひろみとエドマール・カスタネーダというジャズハープ奏者とのライブ盤を発見、さらにリッキー・リー・ジョーンズのアルバム、そのほか6枚ほどのCDを借り出しました。音楽本のコーナーに行くと、そこで発見したのはブログを始める以前に読んだ本でした。

「ベートーヴェンの交響曲」

(金聖響 玉木正之著 講談社現代新書 2007年)

Beethov01.jpg

(「ベートーヴェンの交響曲」amazon.co.jp)

  対談本のプレトークを読んだとたんに、かつての感動がよみがえり、借りてしまいました。

【ライブで聞くベートーヴェンの感動】

  あらためてこの本を読もうと思ったのには訳があります。

  ブログにも書きましたが、2020年、クラシック界ではベートーヴェン生誕250年という節目の年で様々なイベントが企画されました。その中でも数々のライブコンサートは最も楽しみな企画でした。そんな中、今、最も好きな指揮者の一人であるパーヴォ・ヤルヴィ氏が、自身が鍛え上げたドイツカンマーフィルハーモニーを率いて来日し、ベートーヴェンの交響曲9曲を演奏する、という奇跡のような企画があったのです。

  チケットの発売日、妻と二人でパソコンとスマホを駆使して、必死にチケットの購入にトライしました。コンサートは5日間にわたりますが、9曲の交響曲はそれぞれ演奏日が異なります。奮闘努力の甲斐があり、なんと第九、そして第3番、第8番のチケットをゲットすることに成功しました。

  ところが、2020年と言えばコロナ禍が世界を席巻し、渡航停止を含めた行動制限がピークを迎えた時期でした。そうは言っても中には厳しい検疫制限を経ても来日するアーティストもおり、いくばくかの期待がありました。しかし、さすがにオーケストラを危険にさらすわけにもいかず、来日公演は中止となったのです。コロナ禍の中で最も痛恨の出来事でした。

  あらゆるライブが中止となった中でしたが、このコンサートだけはお金が帰ってきてもあきらめることができないコンサートでした。

  昨年、世界ではコロナ禍が去ったわけではないものの、世界的不況の危機感が強く存在して、行動制限を撤廃する動きが相次ぎました。決定的だったのは、ゼロコロナ政策をかたくなに守ってきた中国が、各地で頻発する政策反対デモの嵐を受けて行動制限を緩める(事実上撤廃する)転換を行ったことでした。

  コロナ禍の中で、必ず日本の皆さんに再開したい、と語っていたアーティストたちが次々と来日することになりました。

  95歳となるレジェンド指揮者ブロムシュテット氏も元気な姿を見せてくれ、なんとベートーヴェンの「運命」を聴かせてくれました。この交響曲第5番の疾走感のある力強い演奏は、年齢をまったく感じさせない感動を呼ぶものでした。

  そして、そして、あのパーヴォ・ヤルヴィ氏がリベンジに来日したのです。忘れもしない2022129日木曜日、新宿オペラシティコンサートホール。オーケストラは、あの時と同じドイツカンマーフィルハーモニーです。さらにさらに、このときの演目が泣かせます。ベートーヴェンの「コリオラン」序曲、交響曲第8番、そして交響曲第3番「英雄」です。

  そのパーヴォ氏の作り上げた素晴らしいベートーヴェンの感動は今でも心に鳴り響いています。

Beethov02.jpg

(パーヴォ・ヤルヴィ カンマーフィル ポスター)

【指揮者が語る交響曲のすばらしさ】

  かつてこの本を読んだ時にも、現役指揮者が語る第1番から第9番までの素晴らしい交響曲の魅力とスポーツライターで音楽に造詣が深い玉木さんとの対談は、時間を忘れさせてくれました。しかし、今回再読したときには、その語りが改めて深く深く心に響いてきたのです。

  実は、昨年12月にパーヴ・ヤルヴィ氏のベートーヴェンを聴いてから、あまりの感動に氏とカンマーフィルが吹き込んだベートーヴェン交響曲全集を購入しました。それを聴いては、12月のコンサートを思い出し、その感動を味わっていたわけですが、今回はそのCDを聴きながら、この本を読んでいたのです。

  第1番から第9番まで、実際に現代最高峰の演奏を聴きながら読んだ、金さんの語りはまさに至福の時間でした。

  まずは、この本の目次を読みましょう。


プレトーク:ベートーヴェンの交響曲の魅力

第1番 ハ長調 作品21

 「喜びにあふれた幕開け」(29歳)

第2番 ニ長調 作品36

 「絶望を乗り越えた大傑作」(31歳)

第3番 変ホ長調 作品55 『英雄』

 「新時代を切り拓いた『英雄』」(33歳)

第4番 変ロ長調 作品60 

 「素晴らしいリズム感と躍動感」(35歳)

第5番 ハ短調 作品67 

 「完璧に構築された究極の構造物」(37歳)

第6番 ヘ長調 作品68 『田園』

 「地上に舞い降りた天国」(37最)

第7番 イ長調 作品92 

 「百人百様に感動した、狂乱の舞踏」(42歳)

第8番 ヘ長調 作品93 

 「ベートーヴェン本人が最も愛した楽曲」(42歳)

第9番 ニ短調 作品125 『合唱付』

 「大きな悟りの境地が聴こえてくる」(53歳)

アフタートーク:新しいベートーヴェン像を求めて


  この本の魅力は、実際にオーケストラを指揮し、人々に「音楽」を届けている指揮者自身が交響曲の魅力を語るところにあります。ベートーヴェンの交響曲がなぜ我々の心を捉えて離さないのか。それは、ベートーヴェンがそれを意図して交響曲を作曲していたからなのです。

  以前にこの本を読んだとき、9つの交響曲のうち何度も聞き込んでいたのは、おなじみの「英雄」と第5番、「田園」、そして第九でした。その他には疾走感が感動的な第7番。その語りを心から嬉しく読んでいましたが、他の交響曲は読み飛ばした感が満載でした。

  今回読んで面白かったのは、第1番、第2番、第4番、第8番。この本では、いずれも名曲として語られていますが、以前には曲をよく知らないという悲しさから読んでも心に響かなかった、というのが正直なところです。これが、実際に曲を聴いてみると、金聖響氏が語ってくれる一つ一つの魅力が、実際に心に届いてくるのです。

  例えば、第2番。目次を見ると「絶望を乗り越えた大傑作」との表題。このときベートーヴェンは31歳ですが、聴覚障害がはじまっており、かの有名な「ハイリゲンシュタッの遺書」を書いた後に作曲されました。音楽を職業とする人間にとって、耳が聞こえなくなることは腕をもがれるよりもつらい出来事であり、「死」を望んでもおかしくない事実であったと思います。

  ところが、その遺書と同じ時期に同じ場所で作曲された交響曲第2番は、まるで人生を生きる素晴らしさと決意を告げるような明るく、疾走感のある交響曲なのです。この曲は、語りにもある通り、それまでハイドンやモーツァルトが創り上げてきた交響曲の構成に新しい風を吹き込み、革新的な音楽を志したベートーヴェンの意欲があふれている作品なのです。それは、各章の作曲技術にも表れており、金さんはその内容を具体的に語ってくれるのです。

  この第2番の第一楽章が、あの第九の第一楽章と同じ調性と聞いて、びっくりです。その和音や音の降下は非常に似ていると言います。もちろん、長調か短調かの違いはありますが、同じ音階を使いながらこれだけ違う印象を創りだすのは、まさに音楽の不思議であり、さらにはベートーヴェンの見事な職人技であると改めて感心します。

Beethov03.jpg

(ヤルヴィ指揮 交響曲第2番CD amazon.co.jp)

【メトロノームと古楽器奏法】

  さらに楽しかったのは、ベートーヴェンの交響曲の演奏史ともいえる語りでした。

  まず、以前にもブログで紹介しましたが、ベートーヴェンが第9番の交響曲を準備していたころ、我々におなじみのメトロノームが誕生したそうです。そして、ベートーヴェンはこの技術に共感したのか、自分のすべての交響曲にさかのぼってメトロノームによるテンポを書き込んでいるのです。

  この本にも随所にベートーヴェンが記載したテンポが登場しますが、これが現在の指揮者たちを悩ませているというのです。そのわけは、ベートーヴェンが記載したテンポは現代の我々から見るととても早く、とても合理的とは思えないからなのです。例えば、交響曲第8番のテンポは、異常に早く、いかなるヴァイオリンの名手でもその3連符を引きこなすことは難しい、と言います。このためこれまでの演奏では、このテンポは、取り上げられなかったのです。

  わたしのクラシック歴は多くの人たちと同じく、父親のレコードコレクションから始まっていますが、その頃の指揮者たちはまさに大指揮者たちでした。フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、チェリビダッケ、クーベリック、まさにそうそうたる指揮者たちです。彼らのテンポはそれぞれ全く異なっていて、例えば第九。ベートーヴェンの生前の記録では、63分となっています。が、フルトヴェングラーの幻のバイロイト版は79分、早いと言われるトスカニーニは64分、ワルターは71分、ベームは74分、バーンスタインはベルリンの壁崩壊時の式典では78分の第九を披露しています。近年は、60分台後半の演奏が多いようです。

Beethov04.jpg

(ワルター指揮 交響曲第9番 amazon.co.jp)

  第九の演奏時間でもわかりますが、クラシックの演奏は時代によってその演奏が異なります。フルベンからカラヤンに至る大指揮者時代には、ベートーヴェンと言えば哲学的で重厚な演奏が観客を魅了し、テンポを緩めて重々しく鳴らすことでエモい演奏を繰り広げました。その後、平成に至ると、世には古楽器系の指揮者たちが登壇してきます。

  古楽器系とは、作曲者がスコアを書いた時代の楽器と編成で作曲者の意図した演奏を再現しようとする演奏方法です。この本では、その奏法を「ピリオド奏法」と呼び、大指揮者時代から現在に至る「現代奏法」と比較しています。例えば、我々があたりまえに思っているビブラート(音を細かく震わせる奏法)ですが、これはベートーヴェンの時代にはありませんでした。つまり、古楽器の時代には音は震えず、伸ばされず、シンプルだったのです。

  テンポもこれと同様にできる限り当時のテンポに近づけるべきだというのが古楽器系の指揮者たちです。アーンノンクールやノリントンは古楽器派の代表格ですが、実はヤルヴィもかつては古楽器派の一員として認識されていました。

  確かに、最も現代的であると思うヤルヴィ氏の演奏は、小気味の良いテンポであり、緩急はわかりやすく、ピリオド奏法に近いのかもしれません。しかし、流行はどうあれ、すべての指揮者は自分の中に理想の音とテンポを持っており、そこにすこしでも近づくために毎日演奏を続けている、と金聖響氏は語っています。

  いやぁ、本当に音楽も本も楽しいですね。そろそろ紙面が尽きました。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする