村井康司 ジャズと世界史の関係を解き明かす

こんばんは。

  8月の台風はこれまでにも何度も日本を襲っていますが、今回の台風15号は太平洋側から南下するという前代未聞の経路を経て、813日、お盆のさなかに茨城県に上陸しました。気象庁が統計を取り始めてから茨城県に台風が上陸したのは初めてということで、本当に驚きました。

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(先月まで美しく咲いていたバラ 2026.07)

  この台風は発生以後に太平洋を北上、東北沖で南西に方角を変え、東から茨城県へと上陸したのです。この異常な経路を見て、地球に起きている地球温暖化はこんなところにも影響している、と改めて脅威を感じました。

  さらに異常だったのは、この台風が低気圧を引き込んで大気が不安定になり、千葉県に線状降水帯を発生させて集中豪雨被害を引き起こしたという事実です。これまでにも九州など線状降水帯による集中豪雨で、多くの方がなくなる災害が起きていますが、今回の豪雨は都市型豪雨として最大の被害をもたらしたのです。

  今回、千葉県には1日降り続いた雨が、370mmを超えました。この雨量は81ヶ月の雨量の3倍以上。各地で道路の冠水や床上浸水に見舞われました。都市型豪雨では、冠水した道路上で車が動けなくなる事態が頻発しました。その台数は1200台を超えるとの報道もあります。

  今回の豪雨で亡くなった方は10名にのぼり、ご冥福をお祈りするばかりです。この中で、アンダーパスなどの冠水に車が巻き込まれ、車の中でなくなった方が5名にものぼるとの報道もありました。これまでも豪雨により車に閉じ込められて亡くなる事故が栃木県、愛知県、福岡県でありました。しかし、これほど多くの車が被害に遭うケースは都市部ならではの災害といえるのではないでしょうか。

  子供の頃、読み物で「怖いものの例え」として、地震・雷・火事・親父と教わりましたが、これにゲリラ豪雨を加えなければなりません。まずは、車に乗るときには手の届くところに窓を割って脱出するためのハンマーを装備することが必要です。

  被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復旧を祈念いたします。

  さて、皆さんは「JAZZ」と聞いて、何を連想ずるでしょうか。

  私の場合は、やっぱり「テナーサックス」であり、マイケル・ブレッカーですが、ジャズマニアの人たちからは、「どちらかと言えば、フュージョンなんだね。」といつも多少の優越感を浮かべた笑みで返されます。確かに、ジャズと言えばチャーリー・パーカーであり、ジョン・コルトレーンであり、マイルス・デイビスなのですが、そんなことを言うならば、デューク・エリントンだって、ビル・エバンスだっているだろう、とついチャチャをいれたくなります。

  今週は、世界史の中からジャズを位置づけてみようという面白い本を読んでいました。

「世界史はジャズで踊る」

(村井康司著 文春新書 2026年)

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(新書「世界史はジャズで踊る」 amazon.co.jp)

【ジャズはどのようにして生まれたのか】

  ジャズの成り立ちを語る本はたくさんあり、この本でも後書きや参考文献を見るとちょっと驚きますが、著者がこの本でめざしたのは、ジャズの歴史を紐解くことではありません。それは、ジャズが現在のようにあらゆる地域で愛され、聞かれ、演奏されることになった事実が、どのような経緯から生まれたのかを解き明そうとする試みです。

  「なんだ?」と思われる方が多いと思いますが、まずは目次をご覧ください。

はじめに

1章 文明のミックスジュース-雑居都市ニューオリンズの特殊性

2章 新移民たちのメガロポリス-もう一つの雑居都市ニューヨーク

3章 ジャズ、大西洋を渡る-ヨーロッパへの伝播

4章 近くて遠い仲間たち-カリブ海音楽とジャズ

5章 近くて遠い仲間たちⅡ-ブラジル音楽とジャズ

6章 「母なる大地」への帰還-「アメリカス」からアフリカへ

7章 ジャズは世界史の中で踊る-時空を超える音楽の旅

おわりに

  昨年のNHK朝ドラの主人公はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)でした。皆さんは、ハーンが日本に来る前にアメリカのニューオリンズで10年間を過ごしていたのをご存じでしょうか。その前半は、新聞社の準編集者としてたくさんの記事を書き、後半にはフランス文学の翻訳者、文筆家として本を執筆していました。

  この本は、そんなハーンが友人の送った手紙の内容から始まります。

  ニューオリンズといえば、思い出すのはルイ・アームストロングであり、そこがジャズ発祥の地と言われていることです。実は、ハーンはニューオリンズの音楽にまつわる話題を友人に書き送っており、著者はそこからジャズの発祥に話をつないでいくのです。

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(ハーンとニューオリンズ展 2013 小泉八雲記念館HP)

  ニューオリンズという街は、もともと1718年にフランス人入植者によって建設された街で、その後、スペイン領を経て、再びフランス領となり1803年にフランスがアメリカに売却することで、アメリカ合衆国となりました。さらに、この新大陸にはフランスやスペインを通じて、アフリカから1000万人を超えるとも言われる黒人たちが奴隷として運ばれてきました。

  ハーンは、ジャズの黎明期にちょうどニューオリンズに住み、友人への手紙の中でアフリカからもたらされたブードゥーの音楽やクレオールと呼ばれるフランスやスペインからの移民と黒人との混血人々の音楽について、記しているのです。そうしたクレオールの人々は、楽譜なしの即興でピアノを弾き、それはまるでバンジョーを弾いているようだと言うのです。

  これを読んで思い出したのは、かつて、東京ジャズで聞いた「クレオール」の音楽でした。

  皆さんは、フュージョンバンドとして一世を風靡した「クルセイダース」というグループをご存じでしょうか。このグループは、1960年に「ジャズ・クルセイダース」として結成され、1970年に「クルセイダース」と改名、以後、1988年まで絶大な人気を誇りました。バンドの中心は、テナーサックスのウェルトン・フェルダーとキーボードのジョー・サンプルですが、ギターのラリー・カールトンが在籍したことでも知られています。

  1970年代、まさにフュージョン全盛の時代、ジョー・サンプルはバンドの活動と並行してソロアルバムを発表しました。1978年に初アルバム「レインボウ・シーカー」(邦題:虹の楽園)。このアルバムは、フェンダーピアノが大活躍するファンキーな作品ですが、当時のA面最後の曲が「Melody Of Love」でした。この曲のリリカルなメロディラインに感動して、ファンになったのです。

  そして、2枚目のソロアルバムが1979年に発表した「Carmel」(邦題:渚にて)でした。このアルバムは、前作とは異なり、アコースティックピアノの大胆な旋律を前面に押し出した名アルバムで、どの曲もファンキーかつリリカルという、魅力あるアルバムで、ほぼ毎日聞いていました。特に好きだったのは、「A Rainy Day in Monterey」。雨は、時として心に静謐をもたらしてくれますが、まるで雨に浄化されていく街に暮らす人々の心根を思わせるような演奏が心に響き1曲です。機会があれば、ぜひお聞きください。癒やされます。

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(ジョー・サンプル「Carmel」 amazon.co.jp)

  さて、話が横道にそれましたが、このジョー・サンプルが最後に来日した際に率いていたバンドが、「ザ クレオール ジョー バンド」でした。ジョー・サンプルの両親はルイジアナ州の出身で、彼にはクレオールの血が流れています。生まれた街では、クレオールの人々がいつも口ずさんでいた、「サディコ」と呼ばれるダンスミュージックがあります。ジョーが子供の頃、近所の人たちは毎日のように「サディコ」を歌いながら踊っていたそうで、「サディコ」はジョーのルーツとなる音楽だったのです。彼は、2014年に亡くなりましたが、2012年に来日したときには、彼のルーツとなるダンスミュージックを披露したのです。

  この本では、ニューオリンズでどのようにジャズが生まれたのかを19世紀末から20世紀初頭の様々な資料から探っていきます。録音技術は、1877年にエジソンが発明したものですが、音楽は録音する価値が見いだされなかったため、初めてのジャズの録音は、1917年にオリジナル・シキシーランド・ジャス・バンドが録音・発売した「タイガー・ラグ」という曲だと言います。

  つまり、これ以前には音としての記録はなく、ジャズの発祥は伝承と文字記録を追っていくしか手段がありません。著者は、1938年以降にジャズ草分けの頃から活躍していたピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの証言記録を紹介します。モートンは、アメリカ議会図書館で民族音楽を記録していたアラン・ローマックスに依頼されて、ピアノ演奏をしながら1900年代初頭のジャズ草創期のことを証言し、記録したのです。

  その証言では様々なことが語られるわけですが、この記録が依頼されるキッカケが傑作です。ネタばれ注意ということで、そのエピソードはぜひ本書にてお楽しみください。

【ジャズをとりまく世界史】

  この本が「世界史」と銘打つのは、ジャズを巡って、アメリカのみならず、コロンブスがたどり着いたカリブ海諸島、ジャズが輸入されたヨーロッパでの発展、さらにはそのリズムのルーツの1つとされるアフリカに帰り着いたジャズのさらなる発展、とワールドワイドに語られているからに他なりません。

  ジャズを巡る音楽は、あまりに多様でその広がりに驚くばかりです。

  まず、スウィングのリズムに影響を与えたのは、スペイン音楽でのリズム「ハバネラ」。ビゼーが作曲した「カルメン」には、これを題名とした曲があります。そこから派生するのは、「トレシージョ」と「シンキージョ」。「シンキージョ」は、誰もが聞けばわかる、ソニー・ロリンズノ名曲「セント・トーマス」デ奏でられているリズムです。

  さらに、中森明菜が歌う「ミ・アモーレ」(作曲はラテンフュージョンの名手、松岡直也です。)で使われるラテン音楽の基本リズムが、「クラーベ」または「ハンボーン」と呼ばれるリズムになります。

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(中森明菜シングル「ミ・アモーレ」 amazon.co.jp)

  そして、コロンブスが生涯、西インド諸島と信じていたカリブ海諸国(バハマ諸島、キューバ、ジャマイカ)では、ヨーロッパからの移民とアフリカから強制連行された黒人建ちがジャズとは兄妹とも言える音楽を作り出します。

  そのルーツは、「踊り」です。まず、アフリカから連れてこられた黒人たちは、「カリンガ」と呼ばれる「踊り」を踊っていました。一方、ヨーロッパからは「コントルダンス」と呼ばれるダンスが持ち込まれ、黒人の間でも踊られるようにうなります。ここで生まれるのが「ルンバ」と「ソン」というカリブ海固有の音楽です。ここから次々とあらたな音楽が誕生します。「ルンバ」、「マンボ」、そして「サルサ」。その流れは、この本を読むとよくわかります。

  さらに、歴史はブラジルへと広がります。

  ブラジル音楽と言えば、カーニヴァルで知られる「サンバ」。マツケンですっかり名が知れましたが、サンバの熱狂はブラジルの象徴と言えます。そして、そこから生まれ出た「ボサノバ」。この本では、あのジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョピン、そしてジョアンの妻、アストラッド。そこに招かれたスタン・ゲッツとの微妙な人間関係もしっかりと描かれています。

  この本の最後の章は、アメリカへと戻ります。そして、踊るのは世界史ではなく、ジャズだったのだ、という結論で話が締めくくられることになります。


  歴史とジャズが好き、という皆さん、ぜひこの本をお読みください。人類が音楽なしでは生きていけなかったことがよくわかります。ジャズは我々の宝物ですが、これからもますます進化して、人類の進歩と平和には欠かすことができないアートであり続けることは間違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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