小説(日本)一覧

辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 人の心をつなぐ使者再び

こんばんは。

  近年、春夏秋冬の区切りが曖昧になってきて、日本の四季も徐々になくなりつつあるように思えます。今年も2月から3月にかけて冷え冷えする日もあれば、夏日と言われる気温が話題となる日もあり、「春」の立ち位置がどんどん霞んできている気がします。

  それでも、我々の心を癒やしてくれる桜(ソメイヨシノ)の開花は今年も我々を楽しませてくれます。

  温暖化によるソメイヨシノが咲かなくなる、との話題も世間を賑わせていますが、今年も桜前線は順調に日本を北上しており、私の住むサイタマも3月31日現在、見事な満開の桜に恵まれました。幸せなことに、近所にはお花見のメッカと言われる神社と公園があり、毎日、気軽に桜を楽しむことが出来ます。公園は、浦和駅から住宅地への途中にあり、たくさんの人が公園を通勤通学経路として利用しています。

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(つきのみや公園 満開のソメイヨシノ)

  この通路の中央あたりで立ち止まり、ぐるりと体を巡らせれば、360度満開の桜を目にすることができ、まさに楽園の気分を味わうことが出来ます。今の時期は、老若男女すべての人々がこの通路の途中で立ち止まり、スマホ片手に写真を撮っています。もちろん、私も毎日つられてシャッターを切ることになります。

  本当に幸せなひとときを味わうことが出来ます。寒いけど春です。

  「桜」と言えば、今週読んだ小説でも桜が感動を呼ぶアイテムとなっていました。

「ツナグ 想い人の心得」

(辻村深月著 新潮文庫 2024年)

【故人との縁をツナグ使者】

  小説「ツナグ」は、2010年に上梓された辻村深月さんの作品で、2011年にはこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞しています。さらに著者は翌年に短編集「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、辻村深月ブームといえるほど多くの読者に読まれました。

  私もその一人で、2012年に文庫本が発売されると、映画化の話題にもつられて購入し、一気に読みました。そのときの感動は、201211月の拙ブログで紹介しています。

  深月さんの小説の魅力は、そこに描かれる人物たちのまさに琴線と言ってもよい繊細な心の動き方です。読者は、その小説の登場人物とひとつになって、一緒に心を動かされ、読み終わると喜び、悲しみ、哀愁、切なさを感じることになります。前作「ツナグ」では、5つの作品がそれぞれの登場人物の一人称で描かれ、それぞれが異なる感動を我々に残してくれました。

  あれから10年以上が経ってもその感動の余韻は心に残っています。本屋さんの平積みでその続編を見たとき、迷わずのカウンターへと走ったのは当然のことでした。

(以下、ネタバレあり)

  さて、小説の題名である「ツナグ」は、漢字で書くと「使者」と表されます。いったい何の使者なのか。それは、今はこの世にはいない故人と生きている人とをつなぐ使者なのです。死者と生者をつなぐ死者。まるでオカルト小説かSF小説に出てきそうな設定ですが、深月さんの「筆」にかかると、それはまさにリアルな今そのものとなるのです。

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(文庫版「ツナグ」 amazon.co.jp)

  我々は、何らか故人に会わなければならない縁(えにし)が生じたときに、どこからともなく「ツナグ」の携帯電話の番号を知ることになります。そして、疑心暗鬼となりながらもその番号に連絡を取り、心に葛藤を秘めながらも故人に会いたいとの申し入れを行います。

  この使者とは、霊界の人なのか。

  さにあらず、「ツナグ」は「秋山家」という永く続いてきた占い師の一族に託された役目です。なるほど陰陽師の家であれば、ありそうな話ではあります。秋山家では、代々この「ツナグ」を継承してきました。前作では、秋山家から渋谷家に嫁いだ75歳となる渋谷アイ子がツナグを務めていましたが、心臓に病気を抱えており、その役目を孫の渋谷歩美に引き継ぐことが語られます。

  「ツナグ」は、ご縁があり、ツナグへの携帯電話番号へと連絡が来た人から、誰に会いたいのかを聴きます。その相手はすでに故人である死者。「ツナグ」は、秋山家に伝えられる特殊な鏡を使って死者の世界に連絡を取り、依頼人が会いたい死者に依頼人が面会を希望していることを伝えます。死者は、生者とは一度しか会うことが出来ないので、面会を断ることが出来ます。

  死者から面会を断られた場合、「ツナグ」はその旨を依頼人に伝えます。依頼人は、あきらめてもよいし、他の死者との面会を希望することも出来ます。

  前作の最終編は、この「ツナグ」の物語でした。

  17歳、高校生の渋谷歩美(男性です)はすでに両親を亡くしています。父親は、かつてツナグでしたが、母親とともにあるときに亡くなっています。アイ子は、亡くなった息子からツナグを引き継いだのですが、そこには哀しいいきさつがありました。そのいきさつは、ぜひ前作を読んで味わってください。感動すること間違いなしです。

【ツナグ続編の面白さ】

  さて、この連作には作品ごとに「○○の心得」という題名が付されています。

  前作では、「アイドルの心得」、「長男の心得」、「親友の心得」、「待ち人の心得」、「使者の心得」の5つの題名がならびますが、この題名は、どんな人が依頼人または故人であるのかのヒントになっています。最終編の「使者」とは、まさに「ツナグ」のことです。

  今回の5つの続編にも、シリーズどおりの題名が付されています。「プロポーズの心得」、「歴史研究の心得」、「母の心得」、「一人娘の心得」、「想い人の心得」。

  前作では、5つの物語はそれぞれ異なる依頼人からの独立したエピソードが並んであり、最終話において語り手が「ツナグ」を引き継ぐ渋谷歩美が務めることで、作品全体をまとめるとの体裁を取っていました。続編である本作で、著者はさらなる創意工夫をほどこしています。

  前作紹介のブログで、深月さんの自由自在な一人称使いの妙を紹介しましたが、この作品はそれぞれの物語で語り手が異なります。基本的には、依頼人が語り部となっているのですが、この続編ではその手法を踏襲しながらも、著者の手腕はさらに進化を果たしています。

  今回の最初の物語「プロイポーズの心得」は、お約束通り依頼者である若き役者が語り部となります。この役者は、特撮ヒーローものの主役を演じたことから世間に知られることとなった若者です。(余談ですが、深月さんは映画化されたツナグの主役、松坂桃李さんをイメージしてこの人物を描いたそうです。)彼は、とあることで知り合った女性に心を引かれているのですが、その女性は「ツナグ」の存在を知っており、彼女からその連絡先を聞いて電話しました。

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(映画「ツナグ」ポスター)

  オープニングからワンダーが飛び出します。

  それは、主人公が日比谷の街角にある公園で、突然名前を呼ばれるところから始まります。彼は、声の主を確かめますが、そこに立っていたのは小学校低学年と思われる少女でした。大切な待ち合わせをしていた彼は、少女の扱いに困ります。にもかかわらず、その少女は言います。「ご心配なく、私が、あなたが待っていたツナグです。」

  読んだ瞬間、「あぁ、そうそうこのワンダーだ。」 心の中で、快哉の声を上げました。

  前作のオープニングのワンダーは、ツナグと待ち合わせていた女性が、ボーイズラブ的な高校生から「私がツナグです。」と告げられるシーンでした。本作のワンダーな場面とまさに符合するのです。さらに読み進めていくと、この主人公が心引かれている彼女の名前がどこかで聞いたことがある名前であることに思い当たりました。

  美砂という彼女の名前、記憶をたどれば前作で、とある死者との面会をツナグに依頼した女性の名前と同じではないか。そのフルネームは、嵐美砂。著者の仕組んだワンダーにまんまとはめられてしまったのです。気がついたときには、第一編を「一気に読み終わっていました。

【変幻自在な語りの妙】

   さて、オープニングで登場するツナグですが、8歳の女の子の名前は、秋山杏奈。なんと驚くなかれ、彼女は由緒正しき秋山家の正当な当主なのです。いったいなぜ彼女が歩美の代わりにツナグとなっていたのか。そのいきさつはこの本で解き明かされます。

  この続編のもう一つの押しは、主人公渋谷歩美の成長です。前作では高校生であった歩美ですが、続編では前作から7年が経過しています。ということは、歩美はすでに社会人になっています。いったいツナグと言う役目をこなしつつ、どんな職業についているのか。

  それは、花の渋谷区、代官山にある「つききの森」という木材を使ったおもちゃを取り扱うメーカーです。そこにつながる縁は、この本を読んでもらうとして、歩美はこの会社の企画担当者として仕事をしているのです。この本の第2編から、「つみきの森」で仕事をする歩美の生活が語られていくのです。

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(文庫版「ツナグ 想い人の心得」amazon.co.jp)

  皆さん、教養小説というジャンルをご存じでしょうか。

  代表的な教養小説は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」が代表昨と言われますが、トーマス・マンの「魔の山」やディケンズの「ディビッド・コパフィールド」などの名が知られています。

 教養小説は、未熟で純粋な若者が様々な人々との交流や多くの経験を経て、人間として成長していく過程を描いている小説を指すとされています。

  前作から7年。この小説では、ツナグとしても役目をこなしながら、「つみきの森」で仕事をする歩美の姿が、各作品の中で描かれていくことになります。そこには、著者が忍び込ませた絶妙な伏線が張られています。7年前にはすでに亡くなっていた歩美の父親は、祖父に反対されながらもふりーのインテリアデザイナーでした。「つみきの森」が仕事を依頼する木工工房には、歩美の父親もデザイナーとして通っていたのです。その工房では、父親がデザインした椅子が今でも大切に使われており、工房の人たちも歩美の訪問を快く受け入れているのです。

  そして、この続編では、作品が続くごとに歩美の仕事の様子が描かれ、それと同時に歩美の周囲で様々な出来事が巻き起こることになるのです。第4編 一人娘の心得、そして、第5編 想い人の心得では、ツナグの役目を通じて歩美が成長する姿が感動とともに描かれることになるのです。

  この本の表題ともなっている第5編 想い人の心得は、このシリーズの中でも、白眉といってもよい作品となっています。そこでは満開の「桜」が感動を呼ぶアイテムとなるのです。

  小説が好きな方もそうでない方も、ぜひこのツナグシリーズを手にとって読んでみてください。心が洗われるようなワンダーを味わえること間違いなしです。小説を読む楽しみは、この本の中にも宿っていることに間違いありません。


  桜は満開となりましたが、まだまだ花冷えの日々も多くなりそうです。皆さん、どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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本城雅人 ロシアの暗く深い森

こんばんは。

  トランプ大統領が就任してからはや10日が経ちました。

  トランプ大統領と言って思い出すのは、1980年代に大ヒットした映画「バック トュー ザ フューチャー」です。天才的なマッドサイエンティストであるドクが発明した空飛ぶスーパーカー「デロリアン」号で、高校生のマーティが時空を旅する物語は、世界を席巻しました。

  この映画の魅力は、マーティが住んでいる家や街を舞台にして、その家族の物語を描くことで観客にリアリティと親近感を感じさせたことです。マーティは、アメリカのどこにでもいる高校生で、第1作は、マーティが1955年、両親が恋に落ちた時代にタイムトラベルすることから物語が始まります。そして、こともあろうに自分のお母さんに一目惚れされてしまう、というワンダーなシチュエーションに観客は引き込まれてしまうのです。

  若き母親の息子への恋が深まるに従って、持ってきた現代の写真からマーティの姿がかすれていく映像にドキドキが高まっていったことをよく覚えています。

  トランプ大統領が登場するのは、第2作。とは言っても本人が出演しているわけではなく、そこに登場するビフと称するボスキャラのモデルとなっているのです。この映画はタイムパラドクスがテーマとなっているのでややこしいのですが、主人公とボスキャラのビフは、第1作で描かれた1955年から第2作の舞台である2015年まで、相対する運命にあります。

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(映画”Back to the futureⅡ” movie walkerより)

  2015年のビフ老人は、マーティが出来心で買った「スポーツ年鑑」がゴミ箱に捨てられているのを見つけ、それを拾います。そして、隙を見てデロリアン号を借用し1955年へとタイムワープ。その時代の自分に、その「スポーツ年鑑」を手渡したのです。その本には、1950年から2000年までの様々なスポーツの結果が掲載されていたのです。

  マーティが元の1985年に戻ってみると、そこでは億万長者となったビフが、ヒルバレーに君臨し、我が物顔に振る舞っていたのです。そこでは、「ビフのカジノパレス」と呼ばれる27階建ての高層ビルを本拠とするビフが、街を支配していました。彼は、こともあろうにマーティの父親を殺害し、昔恋していたマーティの母親と無理矢理再婚していました。

  この1985年のビフのモデルが当時(1989年)のドナルド・トランプだったというのです。

  この映画に出てくる、「ビフのカジノパレス」は、1985年にトランプ氏が建築した「トランプ・プラザ・ホテル・アンド・カジノ」に似ており、そこに住むビフは、当時、ニューヨークで派手な再開発事業を展開し、「アメリカの不動産王」と呼ばれたトランプ氏を思わせるものだったのです。

  映画で描かれる1985年のビフは、欲しいものを手に入れるためには殺人さえいとわない極悪人ですが、トランプ氏とは全く異なるキャラクターです。しかし、大統領選挙で負けると選挙結果がいかさまだとして受け入れず、こともあろうに支持者たちが連邦議会に乱入することまでも煽動する姿を見ると、そのイメージが重なって見えるのは私だけでしょうか。

  トランプ氏は、いくつもの裁判で違法行為を問われ続けながらも、「アメリカ・ファースト」を掲げて支持者たちに夢を与えることを想起させ、みごと第47代アメリカ大統領へと返り咲きました。就任して10日間で、国連世界保健機構から脱退、パリ協定からの脱退、議会乱入者への恩赦、自らの政策に反対する連邦職員の解雇、関税機構の新設、財政政府効率化省新設、などなど矢継ぎ早に大統領令への署名を行いました。

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(大統領令に署名するトランプ大統領 yomiuri.com)

  ウクライナ戦争やイスラエル戦争の停戦にも意欲を見せますが、その語り方は尋常ではありません。イスラエルには、停戦が実現しなければ「双方にとってひどいことになる。」、ロシアには関税課税をちらつかせるなど、ほぼ脅迫とも思えるような発言が続きます。

  トランプ大統領は、実業家として何度となく倒産、破産を経験しており、その都度、復活してきた経歴を持っています。さらには、2004年からはNBCの「アプランティス」というTV番組のホストを務め、この番組は10年以上継続し、大人気を博しました。その押し出しの強さ、カリスマ性は、大統領選でもアメリカ国民の人気を博するのに十分な魅力を醸し出していました。

  トランプ大統領の就任に当たって、世界中の国々がその言動を注目しています。

  それは、警戒の域を超えて、恐れているようです。しかし、トランプ氏は、2期目の大統領であり、大統領の任期は憲法で24年までと定められています。トランプ大統領は、最後の4年間で自らを偉大な大統領として歴史に名を残したいと考えているに違いありません。それは、決して「汚名」ではないはずです。果たして、アメリカを偉大な国に復活させ、世界に平和と新たな秩序を打ち立てることが出来るのか、その手腕には大いに注目が集まります。

  さて、前振りが長くなりましたが、今週読んだ本の紹介です。

  このブログは、ご承知のとおり「インテリジェンス」に眼がありません。今週は、そのポップに「今読むべき本物のインテリジェンス小説!」との文字を目にして、思わず購入してしまった本を読んでいました。

「崩壊の森」(本城雅人著 文春文庫 2022年)

【混沌の中のインテリジェンス】

  この小説の主人公は、中堅新聞社の特派員である土井垣侑(たすく)です。

  著者の本城雅人氏は2009年にデビュー作の「ノーバディノウズ」で、松本清張賞候補になるとともに、翌年、同作で第1回サムライジャパン野球文学賞を受賞しています。その後の作品でも、大藪春彦賞や直木賞の候補に挙がっており、2017年には、「ミッドナイト・ジャーナル」で吉川英治文学新人賞を受賞した、実力派の推理小説作家です。

  氏は、20年間スポーツ新聞の記者を経験した後に退社して小説家となり、野球や新聞記者を題材とした推理小説を得意にしています。今回文庫化された「崩壊の森」は、新聞記者を題材とした小説です。

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(文庫「崩壊の森」 amazon.co.jp)

(以下、ネタバレあり)

  主人公、土井垣侑は大学で、ロシア語を専攻して新聞社に入社した記者で、ロシア語専攻の理由を受験者が少なく合格しやすそうだった、としながらもロシア語を生かして特派員の仕事をこなそうと密かに海外特派員を狙っていました。侑は、1987年の4月にモスクワ支局へと赴任します。年齢は34歳。記者としてそろそろ脂がのってくる頃の赴任です。未だ共産主義国として世界に君臨するソビエト連邦。小説では、徹底的に統制された共産国ソビエト連邦のモスクワに降り立ち、支局へと向かう場面が描写されていきます。

  支局には、先輩駐在員の新堀が土井垣を待っており、引き継ぎが行われます。我々は、二人のやりとりから当時のソビエト連邦の状況と新聞記者の仕事とは何かを知ることになるのです。例えば、「特ダネ禁止」の原則です。共産主義国では、プレス発表にしても、マスコミから流れる情報にしても、すべては政府に統制された情報であり、特ダネと思って本国に配信しても、すべてはソ連に利することになる。それを戒める意味で、「特ダネ禁止」が不文律となっているのです。

  土井垣がモスクワに降り立ったとき、ソ連ではちょうどゴルバチョフが共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」を打ち出していました。時代は、まさに激動の時を迎えていました、土井垣は、新堀の言葉を心に秘めつつ、自らの情報網を培おうと、毎晩、夜のモスクワを徘徊して酒を飲み交わす日々を送ることになります。

  ロシア人は、共産主義の元で無口ではありますが、信頼されれば心からの友となる、と言います。友となるためには、ウォッカを浴びるように飲むことが必要です。ロシアでは、つぶれるほどに飲んでも正気でいられる人間だけが信頼されるのです。

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(クレムリンと赤の広場 travei walkerより)

  ここから小説は、インテリジェンス小説の様相を呈することになります。

  スパイ小説には、必ず謎の美女が登場します。(ダニエル・ビアンキのような) この小説に登場するのはハンナ・グリンカ。フィンランドの実業家ですが、祖父母がロシア人でフィンランドにいたときに革命が起きて帰国できなかった移住者だと言います。土井垣がソ連外務省主催の海外記者懇談会のためにベラルーシに飛ぶ飛行機で、息をのむような美女に出会います。

  空港の持ち物検査で別室に連れて行かれたとき、検査室で男性の検査官に検査されていたのが彼女でした。検査官は、彼女のワンピースの裾から手を入れて太ももの奥まで触ろうとします。土井垣が止めようと声を出そうとすると、彼女は毅然とした顔で土井垣をテで制します。止めれば検査が長引くことになるからです。機上ででは、たまたま彼女が隣の席となり、土井垣は彼女と親しく話をすることになります。

  さらに、毎晩の人脈作りのための飲酒めぐりの中で、ある日、ラフでおしゃれな服装の雑誌記者から声をかけられます。その男の名前は、ボリス・カルビン。彼は、「青年と未来」という雑誌の記者で、モスクワの若者文化に精通しています。ボリスは、タスクと親しくなり、若者たちが集まるアングラディスコ(怪しげな建物の地下にあります。)に連れて行ってくれたり、様々な情報を流してくれたりする、貴重な情報源となります。

【クーデターとソビエト連邦の崩壊】

  小説は、淡々と土井垣の取材を追いながら徐々に歴史的瞬間へと近づいていきます。この小説のクライマックスは、19918月の共産党内でのクーデターとそれに続く12月のソビエト連邦消滅、ロシア連邦の成立です。

  ソビエト消滅と言えば、思い出すのは佐藤優氏の作品です。

  当時佐藤優氏は、モスクワの日本大使館に勤務する外交官でした。しかし、その使命は、情報分析を専門に行うインテリジェンスオフィサーでした。その作品とは、氏がえん罪で服役し、出所した後に上梓した「自壊する帝国」(新潮文庫)です。

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(文庫「自壊する帝国」amazon.co.jp)

  氏は、19918月のソビエト連邦におけるクーデター勃発時モスクワで勤務しており、モスクワで培っていた人脈からの情報で、当時誰も知り得なかったゴルバチョフの消息(生存と居場所)を突きとめ、世界中の誰よりも早く日本にその情報を送ったことで知られています。この小説の解説は、その佐藤優氏が筆を執っています。

  実は、この小説にはモデルがいます。その新聞記者は、この事件の前、ゴルバチョフ書記長が、共産党の一党独裁を放棄して多党制を認める瞬間をスクープしていました。なぜ、そんなことが可能だったのか。そのサスペンスが、この小説で語られています。もちろん、小説はフィクションです。しかし、そのリアリティは、綿密な取材によってまさに再現されているのです。

  佐藤優氏は、実際にモスクワでこの記者と交流を持っていました。そして、この小説の中にも佐藤さんを思わせる人物が、小田垣の情報源のひとりとして描き出されています。

  我々の想像を超える物語。皆さんもこの小説でそのインテリジェンスの奥深さを堪能してください。日常では味わうことが出来ないサスペンスと感動を味わうこと間違いなしです。エピローグで描かれるロシア連邦でのエピソードは、チェチェン紛争やウクライナ侵攻を予感させ、戦慄を覚えます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

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(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

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(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

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(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

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(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

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(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

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(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

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(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

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(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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原田マハ 俵屋宗達は海を越えていた

こんばんは。

  久しぶりに時間を忘れて小説を読みふけりました。

  その小説は、アート小説の名手、原田マハさんが挑んだ日本美術を代表する画家、俵屋宗達を描く圧倒的な物語でした。

「風神雷神 Jjppiter,Aeoloce」(上下巻)

(原田マハ著 PHP文芸文庫 2022年)

【俵屋宗達とは何者か】

  本屋さんでこの本をみつけたとき、上下巻二冊というそのボリュームに一瞬たじろぎました。これまで印象派をはじめとする西欧絵画を数多く描いてきた原田さんですが、日本美術を題材にした小説は知りませんでした。しかも、国宝である「風神雷神図」がその表題となっています。いったいどんな小説なのか。棚で見つけて、その場で購入したもののしばらくは、愛用のPCの前に積まれたままでした。

  そして、久しぶりにマハさんのアート小説を読みたいと思ったとき、最初のページをめくったのです。それが運の尽き。その面白さに目も心も奪われて、一気に上下巻を読み通してしまいました。

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(文庫「風神雷神」上巻 amazon.co.jp)

  この小説の主人公は、俵屋宗達です。

  「俵屋宗達」と聞いてピンとくる方は、日本美術に造形の深い方だと思います。恥ずかしながら、代表作である「風神雷神図」こそ知っているものの、昔、日本史の教科書で見たことがある程度の認識しかありませんでした。

  室町時代、他の文化と同じく日本画は狩野派や土佐派に代表され、絢爛な屏風絵やふすま絵はたまた天井画などが生み出されました。特に狩野派の頭領であった狩野永徳は、織田信長が天下統一をなす時に建造した安土城の内装の装飾画を一手に引き受けたことでその名を知られています。

  俵屋宗達は、伝統的な手法から脱却し、自由な発想で独自の画風を築いたといわれています。江戸期になって尾形光琳が独自のデザイン的な発想で琳派を確立したと言われますが、その琳派の開祖と目されているのが俵屋宗達なのです。その代表作は屏風絵として描いた「風神雷神図」に他なりません。

  この「風神雷神図」は、金色の広々とした空間に蒼緑の肌の風神を右に、白い肌の雷神を左に配置した大胆な構図となっており、今にも動き出しそうな神々をみごとに描ききっています。特に白い肌の雷神は通常赤で表されており、なぜ白で描かれているのか、美術界の謎の一つになっています。この絵は、よほど当時の人々に感動を与えたようで、後に尾形光琳、そして琳派を引き継いだと言われる江戸後期の酒井抱一も光琳の「風神雷神図」を模写しており、江戸期の画家たちがいかに宗達の絵画に心を動かされたのかがよくわかります。

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(風神雷神図屏風 wikipediaより)

  そんな俵屋宗達ですが、実は生没年さえわかっていない謎の絵師だといわれています。宗達の事績として最も古いものは、1602年に福島正則が願い出た平家納経の修復において、一部宗達が修復に関わったといわれています。その交友関係から、その生まれは1570年頃ではないかといわれ、死後の法要記録から1643年より少し前に亡くなったと推定されています。

  「俵屋」とは不思議な名字ですが、この名字は屋号とわかっています。宗達は、「俵屋」という絵画工房を主催しており、扇などに絵を描いており、その扇が京都では評判になっていたことが当時の書き物に残されています。

  謎に包まれた宗達ですが、安土桃山時代に生れ、江戸初期にはすでに評判となっていたことは間違いないようです。

  謎に包まれた人物は、小説にするにはもってこいの主人公なのです。

【知られざる天正遣欧使節の一員】

  この小説には、もう一人主人公がいます。その名は、原マルティノ。

  この名前を聞いてピンと来る方は、よほどの日本史マニアだと思います。そう、彼は、安土桃山時代にイタリアのバチカンに居した、カトリック教会の頂点に立つ教皇グレゴリウス13世の元に日本から遣わされた、天正遣欧使節のひとりなのです。

  日本におけるキリスト教は、1549年にフランシスコ・サビエルが布教のために日本にたどり着いて以降、イエズス会が日本への布教のため多くの司教を日本に派遣し、布教に尽力した結果、ポルトガルとの貿易による利益も相まって、九州を中心に多くのキリシタン大名が生れました。さらに天下統一を目前にしていた織田信長は、未知の西欧文化に大いに興味をそそられて、イエズス会による布教を容認していました

  そうした中、さらなる布教の強化をすすめようとするイエズス会の思惑とさらなる西欧との貿易や文化交流を広げようとする信長やキリシタン大名の思惑が見事に一致し、企図されたのが天正遣欧使節だったのです。

  当時、九州では大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がキリスト教に帰依してキリシタン大名となり、領地内での布教を支援していました。遣欧使節に選ばれたのは、セミナリオと呼ばれた神学校に入学した領主たちにつながる4人のキリシタンの少年たちでした。

  主席正使は、大友宗麟の名代となる伊東マンショ、さらに正使として木村純忠の名代として千々石ミゲル、副使として肥後国中浦城主の息子中浦ジュリアン、もうひとりの副使がセミナリオきっての秀才であった今回の主人公原マルティノです。

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(天正遣欧使節団の4少年 wikipediaより)

  原マルティノはこの小説の進行役であり、語り部でもあります。

  彼らは1582年(天正10年)2月にポルトガルの帆船に乗り、長崎港から遙かに遠いローマに向かって出発しました。その経路は、マカオからインドを経由してアフリカの喜望峰を回り、リスボンに到着したのは15848月でした。さらにローマで教皇に接見できたのは、翌年の3月。なんと片道3年かけての命がけの行程だったのです。織田信長が本能寺の変で亡くなったのは彼らが出港してから4ヶ月後の出来事でした。

  さて、この遣欧使節団には、我々が知らない同行者がいました。当時、日本では印刷技術は無く、書物を複製するには人手による写本しか手段がありませんでした。しかし、ヨーロッパではすでにグーテンベルグ印刷機による活版印刷が実用化されていたのです。この使節団は活版印刷の技術をヨーロッパから持ち帰ることも目的の一つとしていました。そのために、同行者の中には印刷技術を持ち帰るための技術要員がいたのです。その名は、アゴスティーノと言います。

【マカオの教会で発見された古文書】

  小説のプロローグは、現在の京都国立博物館から始まります。(ここからネタバレあり)

  望月彩は、京都国立博物館の研究員です。その専門は俵屋宗達。宗達の代表作「風神雷神図屏風」は、鎌倉時代から続く古刹、建仁寺の所有ですが、現在は京都国立博物館に寄託されているのです。折しも彩が企画する俵屋宗達の展覧会に付随して宗達の講演会を行っていました。そこにマカオ博物館の学芸員を名乗る人物から面会の申し入れがありました。

  サスペンス仕立てのプロローグ。いったい、彩のもとを訪れたマカオ博物館の学芸員レイモンド・ウォンはどんな情報をもたらしたのか。レイモンドは博物館に持ち込まれたある資料を綾に見てほしいのだ、と語ります。その資料は博物館に保管されており、彩にマカオまで来てもらい是非資料を鑑定してほしいと言うのです。

  彩に依頼があるからには、資料は宗達に関するものに違いありません。彩は急遽マカオに飛び立ちます。博物館できかされた経緯は驚くべきものでした。

  資料は、ある青年が持ち込んだものでしたが、その青年は長年育ててくれた祖父が亡くなるときに青年に残したものだといいます。祖父は以前、建設作業員をしており、ある現場で素晴らしい絵画を目にしてつい持ち帰ってしまったというのです。その絵画には古文書が付随しており、青年は、死の床で祖父からそれを返してほしいと頼まれたのだと言うのです。

  レイモンドは、その資料は1990年に発掘調査が行われた世界遺産、聖ポール天主堂(教会)の調査時にみつかったものと確信しました。そして、その資料が天正遣欧使節に随行した原マルティノに関係するものと考えました。そして、その鑑定を行うに当たり、望月彩に協力を依頼してきたのです。原マルティノは、天正遣欧使節が1590年に帰国した後、マカオに追放されており、聖ポール天主堂に埋葬されたとの記録があるのです。

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(マカオの世界遺産 聖ポール天主堂 Wikipediaより)

  こうして物語は、はるか450年前の九州有馬の地へとタイムワープすることになります。

  そして、原マルティノが有馬のセミナリオで勉学に励むある晩、眠れぬ夜に月を眺めようと浜辺に出て、不可解な少年と出会います。その少年は京の都からはるばる九州のセミナリオまでやってきたといいます。そして、その名を訪ねると彼は「宗達」と名乗ったのです。物語は、二人の出会いから大きく動き始めることになるのです。そして、この少年はキリシタンではありませんが、別の名前を持っていました。その名前は、アゴスティーノ。

【渾身の歴史アート物語の感動】

  この本を読んで思い出したのは、マハさんの小説、「翼をください」でした。

  「翼をください」は、1939年、太平洋戦争が始まる直前、日本の誇る帝国海軍の九六式陸上攻撃戦闘機を改造した旅客機「ニッポン号」が、世界で初めて航空機による赤道を回る世界一周を成し遂げた快挙を描いた作品です。

  このプロジェクトは毎日新聞社が企画した民間事業であり、「平和と夢」を運ぶことを目的とした平和事業でした。世界一周の間に立ちよった各国からは大きな歓迎を受け、親善大使として大いに役割を発揮しました。しかし、太平洋戦争が始まるや日本は「戦争一色」に染まり、この記念碑的大事業も歴史の狭間にうもれてしまったのです。毎日新聞社は、プロジェクト80周年を記念して小説の執筆をマハさんに依頼したといいます。

  以前、ブログでこの作品を紹介しましたが、今回の小説を読んで改めてマハさんの想像力と創作力の素晴らしさに心を動かされました。我々が知る歴史は、すべて「人」が成し遂げてきた事実です。その出来事を成し遂げた人々はどんな気持ちで、どんな行動を起こし、そのことを成し遂げたのか。そこへのアプローチにはノンフィクションとフィクションの両方の手法があります。

  マハさんは、詳細な調査によって確認した史実に基づいて、その余白の部分を想像力と確かな筆致で埋めていきます。その小説に登場する主人公たちは、そのメンタリティと果敢なる行動で我々に大きな感動を与えてくれるのです。


  今回の小説は、少年時代の俵屋宗達と原マルティノが世界を股にかけて躍動します。そして、さらなるワンダーは、最後に伝説の画家カラヴァッジョが登場することです。皆さんも、この歴史とアートが織りなす感動をぜひ味わってください。心が震えること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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瀬尾まいこ そして、バトンは渡された

こんばんは

  皆さんの性格は誰から引き継いだものだと言われますか。

  人の性格は、なくて七癖と言われるほど個性がありますが、考えてみれば祖父母や両親から受け継いでいる性質もあれば、環境や教育によってはぐくまれた性格もあります。

  こんなことを考えたのは、今週、珍しく本屋大賞を受賞したベストセラー小説を読んでいたからなのです。

「そして、バトンは渡された」

(瀬尾まいこ著 文春文庫 2020年)

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(文庫版「そして、バトンは・・・」 amazon.co.jp)

【家系から引き継いだもの】

  自分の家系を鑑みると、第一に残念なのは運動神経です。自分としては運動は大好きで、小学校の頃には特に水泳の時間が大好きで、プール教室は3年間、皆勤賞でしたし、臨海学校でも伊豆の土肥海岸で、3kmの遠泳に2年連続で参加し、完泳しました。しかし、タイムは常に最下位に近く、大会には潜水種目以外に選ばれたことがありません。

  今年、ワールドカップが沖縄で開催されるバスケットも、中学の3年間、一度も休むことなく合宿も練習も参加し、人一倍練習に打ち込みました。しかし、バスケの男子はめちゃくちゃもてるので、一学年に部員が30人近くいて、レギュラーを勝ち取るのは容易ではありません。学年では、当然ながらレギュラーにはなれず、3軍あたりに在籍していました。

  しかし、努力を見てくれている人がいて、3年生最後のインターハイの地区予選。顧問の監督が後半のスターティングメンバーに抜擢してくれ、試合に出ることができました。後半の2分ほどマンツーマンディフェンスしたところで交代でしたが、それまでの努力が報われたこともあり、今でも自分の中では誇らしい実績のひとつになっています。

  事ほどさように、運動神経に関しては皆無といってもよい家系で、このDNAは確実に子供たちにも引き継がれていて、3人の子供たちもバトミントンはできないわ、徒競走はビリだわ、申し訳ない限りでした。ただ、一番下の男の子は頼もしく、中学では運動部で陸上の中距離走に挑戦し続け、高校ではフェンシング、大学では再び陸上と個人種目ながら、たゆまぬ努力を続けていたので、我が子ながらその点には敬服しています。

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(バスケと言えば 映画 「スラムダンク」ポスター)

  さて、身体能力は遺伝的要素が強いのですが、性格や考え方は遺伝的要素と環境的要素の両方が要因となって形成されているに違いありません。

  例えば、人からしかられたときに、理由はともかく納得することなく自己正当化する人もいれば、しかられたことを素直に反省し、改善につなげることができる人もいます。また、「おはよう」、「こんにには」、「いただきます」、「ごちそうさま」、「どうもありがとう」などの言葉は、自然に口に出てくる人もいれば、口に出すのはとても苦手な人もいます。

  挨拶をしたり、食事を残さなかったり、困った人を助けたり、などの行動は、家系もさることながら、生れてから後、育ってきた環境が大きな影響を及ぼしていると思います。それは家族からの言葉もさることながら、日頃から接していた家族の言動が大きく影響していると思うのは私だけでしょうか。

  今の自分を作り上げてきたのは、遺伝なのか、環境なのか・

  今回読んだ小説は、高校生の驚くようなシチュエーションを淡々と語っていくのですが、読んでいると、思わず学生時代の自分のことを顧みてしまうのです。

【人は何を頼りにして生きるのか】

  小説の主人公、森宮優子は何の変哲も無い、普通の高校生です。

  その悩みは、なんと「困ったことが何もない」ことなのです。ところが、小説はすごいことを語っていきます。高校生には、将来をどうするかを相談する進路指導があります。小説は、ベテランで頼りになる女性教師向井先生の進路指導の場面から始まります。そこで語られるのは、森宮優子の数奇な人生です。彼女は、生れてからここまで、4つの名字を名乗っていたという普通ではない人生を生きてきたのです。

  生れたときに名字は水戸、次の名字は田中、それから泉ヶ原、そして現在の森宮。優子の身にはいったい何が起きていたのでしょう。

  この小説の現代性は、「それが何か」、と語るような不思議な「語り」なのです。

  向井先生は、優子の生い立ちをいくばくかは知っており、置かれた状況が普通ではないので、優子が多少は無理して暮らしているのではないかと気にかけています。しかし、「その明るさは悪くないとは思うけど、困ったことやつらいことは話さないとわからないわよ。」との問いを受けて、優子は困ってしまいます。それは、本当に「困ったことがない」からなのです。

  そして語られる森宮優子の生活は、確かに変わっています。優子の父親は、再婚によって優子の父親になるのですが、すぐに離婚してしまい、全く血がつながらないにもかかわらず、30代で思春期の娘を持つ父親になっているのです。しかも、彼は東大を卒業後、超一流企業に就職したエリートで、しかも眉目秀麗なイケメンなのです。

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(映画「そして、バトンは・・・」ポスター)

  しかも、彼の趣味は料理です。しかも、まじめ。確かに優子は困ったことになりようがないのです。

  小説は、優子のこれまでの生い立ちと、現在の高校生活を淡々と優子を語り部として語っていきます。その語りは、小説を通して淡々としていて、彼女を取り囲む育ての親たちは、持てる愛情のすべてをそれぞれのやり方で優子に注いでいくのです。

【そのプロットの巧みさ】

  小説が「いのち」を持つためには、リアリティのある「エピソード」が必要不可欠です。この本は、読み始めると「あれれ」と思うまもなく、ページが進んでいきます。それは、その巧みな「エピソード」とその軽やか語り口です。

  まず、第一にイケメンエリートの父親の創る料理エピソード。彼は、優子の父親として彼女の生活を支えていくことに決意を燃やしています。それは、会社から帰宅して作る夕飯やデザートの数々です。

  新学期の始まりの日には、験を担いで朝からカツ丼が登場します。その肉は脂身のないヒレ。しかも前日には、柔らかくするために、徹底的にたたきます。また、優子が学校で親友たちとの仲違いで元気がなくなると、元気がないときには餃子が一番、とニンニクもりもりの大判餃子を大量に作って優子を元気づけます。そして、優子の悩みが解決するまでは、と毎日餃子レシピを続けるのです。餃子は優子が飽きることのないようにアレンジレシピで続きます。例えば、餃子の具をポテトサラダにしたり、ほうれん草やエビの餡にしてみたり、延々と餃子の日が続いていきます。

  そして、2番目の母親である「梨花さん」のエピソードも強烈です。彼女は、優子を愛する気持ちという意味で誰よりも大きな愛情を持っています。そのすごさはぜひ本編で味わってほしいのですが、その多彩なエピソードには思わず笑ってしまいます。

  その登場の時には、梨花さんの語る人生訓がなるほどなのです。それは、「優子ちゃんもにこにこしてたら、ラッキーなことがたくさんやってくるよ。」「女の子は笑ってれば3割増しかわいく見えるし、どんな相手にも笑っていれば好かれる。人に好かれるのは大事なことだよ。楽しいときには思い切り、しんどいときでもそれなりに笑っておかなきゃ。」という言葉です。そう語る梨花さんの優子を愛するそのすごさはこの小説のあらゆる場面でその真価を発揮していきます。

  さらにこの小説の面白さは優子の高校生活にもあります。誰にでも学生時代に経験がある、恋愛、クラス対抗スポーツ大会、クラス対抗合唱大会です。優子の高校生活がどのような彩りを人背に加えていくのかは小説を読んでのお楽しみですが、そこに語られる体験は、読む人すべてのなつかしい体験を呼び起こしてくれるに違いありません。

  ひとつだけネタばれを許してもらえれば、キーワードはピアノです。

  ピアノといえば、最近大リーグ中継の前後にBS1で放送されている「空港ピアノ」、「駅ピアノ」と題された番組をご存じでしょうか。世界中の空港や駅に置かれているピアノに小型カメラを設置してピアノを演奏する人々を紹介する番組なのですが、見ていると、人類のピアノ文化度の高さに驚かされます。リストのカンパネラやショパンの子犬のワルツなどはもちろん、ビリー・ジョエルやエルトン・ジョン、はたまた「私を月に連れていって」まで、素晴らしい演奏が心を癒やしてくれます。音楽は人の心を支え、我々に元気を与えてくれることは間違いありません。

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(NHKBS1 空港ピアノマルタ編 amass.jp)

  この小説でもピアノが活躍します。優子は、クラス対抗の合唱コンクールでピアノ伴奏を担当することになり、音楽の先生の指導を受けて練習に励みます。ピアノ伴奏には、各クラスの腕に覚えのあるピアニストが登場します。中には、その音色を聞くだけでピアノの音に心を奪われるような素晴らしい演奏を繰り広げる男子もいます。

  優子は、ピアノの演奏が大好きです。彼女のピアノ演奏には彼女と何人もいる両親との歴史がつまっていたのです。

  そうです。ピアノは優子に、さらにはこの小説に大きな物語をもたらしてくれるのです。そのいきさつ、そして顛末はぜひこの本を読んで楽しんでください。心を動かされること間違いなしです。

【人が生きるとはどういうことか】

  この世には、幸せなことに数え切れないほどの小説が満ちあふれています。読書好きの中には、難しい小説や複雑な小説、はたまた本格的な謎解きミステリーなどが大好物な読者も多いと思います。私もどちらかといえば重厚な作品の方が好みです。

  今回の小説は、重厚さとも難しさとも複雑さともまったく無縁な小説です。

  そこに描かれるのは、どこにでもいる人々とどこにでもある生活です。奥様は魔女のナレーションではありませんが、優子は普通の高校生で、普通にご飯を食べ、普通に学校に通い、普通に暮らしています。ただ一つ違っていたのは、彼女には二人の母親と三人の父親がいることなのです。そこには、人や世に悪意を持っている人は一人も登場しません。さらに小説では驚くような事件はひとつも起きることがありません。

  読む人は、軽やかに優子の歩む、変哲のない人生を一緒に生きていきます。しかし、我々が毎日生活を送るとは、まさにそのことです。この小説は、我々に当たり前に生きることの大切さを教えてくれると同時に、人間は、決して捨てたものではない存在であることを教えてくれます。

  さて、最後にもう一つだけネタばれをお許しください。この小説の主人公は、森宮優子なのですが、実はもう一人の主人公が存在しています。その登場人物とは、プロローグで語り部として登場するその人です。果たして何者でしょうか。


  本屋大賞を受賞する本は、本屋さんの店員さんが本当に面白いと感じた本です。その意味で、やっぱり「外れ」はないのだ、と改めて感じました。皆さんもぜひこの「そして、バトンは渡された」で、人のあたたかさを味わってください。心が癒やされることに間違いがありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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三上延 ビブリア古書堂 祝11歳!

こんばんは。

  ロシアの引き起こした侵略戦争は3ヶ月を超え、ウクライナでの殺戮を続けています。

  人間の欲望は止まるところがありません。アジアには、「足るを知る」という考え方があります。それは、幸福とは今現在の幸福を正しく知ることが必要だという教えです。自己顕示欲や権力欲、支配欲が異常に高い人々は、誰よりも自分が多くの権力と多くの富と多くの領土を手に入れなければ幸福を感じることができません。そこには限度がないのです。

  そして、自らの欲望を満たすためには、他人の苦しみ、命さえも顧みないのです。

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(ロシアにより破壊されたセベロドネツク nhk.or.jp)

  プーチン大統領は、決して自らの欲望のためにウクライナ軍事作戦を始めたのではない、言うに違いありません。しかし、その中心には間違いなく己の欲望があります。それは、自らの力でかつてのロシア帝国や旧ソビエト連邦が手にしていた領土や国家を取り戻し、自らの名前をロシアと世界の歴史に刻みたいという欲望です。

  足るを知らないプーチン大統領は最も不幸です。

  一方で、第二次世界大戦の前と後では、戦争犯罪に対する重みは大きく異なります。それは、人類が自らを滅亡させるに足る力を手に入れたことによる違いです。古代から人を殺めること、人を傷つけることは犯罪として認識されています。そして、最も古い償いは同じ苦しみを与えることです。本来であれば、ウクライナに先に手を出したロシアに対して、その報復はロシア国内に攻め入ることです。しかし、それは世界大戦と世界の破滅を意味します。

  ロシアの卑劣さは、「おまえたちは人類を滅亡させる引き金を引くのか?」との問いを投げ掛けることで、ウクライナへの侵攻を局地化させようとするその思考です。

  新たな時代の民主(のふり)帝国主義に対して、我々はどのように対峙するのか。一人でも多くの人間がプーチン大統領の思想や行動は、人には受け入れられない卑劣な殺戮であることを広く声高に語り、広げていくことが必要です。

  このことは他に転嫁することができない、我々人類が背負った宿題なのです。

  いらだちは尽きませんが、今週は11年目を迎えた本にまつわるミステリィで大人気シリーズとなった文庫の最新刊を読んでいました。

「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅲ 扉子と虚ろな夢」

(三上延著 メディアワークス文庫 2022年)

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(ビブリア古書堂最新刊 amazon.co.jp)

【本はこの世からなくなるのか】

  最近、電車の中で文庫本を読んでいる人が少なくなりました。

  多くの人たちは、スマホを片手にゲームにいそしんでいます。時々、タブレットやスマホで何かを読んでいる人もいます。その人たちは、最近よくテレビのCMで見かける電子レンタルマンガで漫画を読んでいます。そして、たまに電子書籍を読んでいる姿も見かけます。

  こうして世代が変わっていくと、紙に印刷された本はやがて世界から消えていくのか、と殺伐とした気持ちになります。

  かつては、「華氏451度」のように、国家権力による焚書坑儒によって地球上から本がなくなってしまう恐怖が描かれていましたが、現実には、国家による統制ではなく、我々人類自らが本を必要としなくなる時代が来るのかもしれません。

  しかし、それは想像もできないはるか未来のこととなるに違いありません。

  なぜなら、日本の学校教育がデジタル化を阻んでいるからです。その証拠に試験が近くなると電車では参考書や辞書を片手にマーカーで色鮮やかになった文字を一生懸命覚えている若者たちを多く見かけるからです。

  うちの息子は小学校の教諭をやっているのですが、小学校にiPadが導入されたとき、タブレットの扱い方を知っている教諭がだれもおらず、子供のころからPCオタクだったうちの息子が校長に頼まれて、タブレットのマニュアル作りに奔走しました。ところが、せっかくマニュアルを作っても誰もそれを読まず、タブレットを使う段になると、ほぼ全員がトラブルを起こし直接きいてくるそうです。聞く前にマニュアル読んでほしい、と嘆いていました。

  その小学校は神奈川県内でも教育レベルが高いことで知られている文京都市にある公立校なのですが、そこでさえも教諭のデジタルリテラシーは極めて低く、アナログがすべてを支配しているのです。

  そうした環境で教育を受けてきた子供たちは、仕事をするために必要な知識を得るときにはおそらく「本」を読むことで物事を知ろうとするに違いありません。つまり、本はなくなることはないというわけです。本をこよなく愛する私としては、安心してよいのか、心配した方が良いのか、複雑な思いの今日この頃です。

【古書堂店主が解き明かす本ミステリィ】

  さて、大人気シリーズだった「ビブリア古書堂の事件手帖」は、2017年に古書堂の女性店主篠川栞子さんとアルバイト店員だった五浦大輔くんが結婚するという大団円で幕を閉じました。

  しかし、著者三上延さんの古書愛は止まることを知りませんでした。

  昨年、待望の新シリーズが始まったのです。このシリーズでは、三上さんがテーマとして取り上げた本や、その著者がまさに主人公と言ってもよいのですが、長編では、さらにそれが面白さの中心となります。例えば、シリーズ初の長編譚では、江戸川乱歩の希少本を巡るいくつもの謎解きが我々を小説世界へといざなってくれ、時を忘れました。第6巻では、太宰治の「走れメロス」をモチーフとした太宰治の希少本を巡る人間劇が語られます。

  そして、最終巻では、なんとシェークスピアの、世界で初めて刊行された全集であるファーストフォリオが主人公となったのです。

  このシリーズは本好きにとっては、思わず顔がほころんでしまう唯一無二の物語なのです。

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(ビブリア古書堂事件手帖10周年記念 amazon.co.jp)

  2021年から始まった第二シリーズでは、いよいよ栞子さんと大輔くんの愛娘、扉子さんが登場します。前作は、日本のミステリィ小説のレジェンド、横溝正史の作品が謎解きの中心となりました。そこに登場する篠川扉子さんは高校生。しかし、思春期の彼女はプロローグで少し垣間見えるのみで、物語はすぐに現在へと戻ります。前作は、新シリーズのスタートにふさわしい全作品中一、二を争う面白さでしたが、その構成にはいくつもの時制が重なっており、若き栞子さんをほうふつとさせる高校生の扉子さんはまださわりのみの登場でした。

  本作では、その扉子さんが前半戦大活躍します。

  今回の作品は、長編でありながらもいくつかのエピソードがつながっていく、三上さん得意のプロットで展開していきます。

  まず、全編を貫くのは、神奈川県藤沢駅前のデパートで開催される古本市です。この伝統ある古本市は、今回が60回目を数え、古本マニアたちが毎回楽しみにしているイベントです。我らが「ビブリア古書堂」もこの古本市の参加店の一つ。古本市の開催は3日間となります。

  今回の物語では、この3日間にいくつものサスペンスが盛りこまれていくのです。

  今回、栞子さんに持ち込まれた依頼は、古くからつきあいのある同業者、古本店「虚貝堂」にまつわるものでした。(このさきネタバレあり。)

  虚貝堂はビブリア古書堂が店を構える北鎌倉と同じ沿線、戸塚駅前で50年以上も営業しているなじみの古書店です。古書店の店主は、すでに70歳を超える年齢ですが、息子と一緒に店を切り盛りしており、店を譲ろうと考えていました。ところが、その息子は急性の胃がんの発見が遅れ、亡くなってしまいます。

  亡くなった虚貝堂の若旦那には、一人息子がいました。しかし、13年前に離婚して、息子は母親に引き取られ、母親の下で育てられました。今回の依頼主は、亡くなった若旦那が13年前に別れた奥様だったのです。そして、依頼の内容は、驚くべきものでした。

  虚貝堂のご主人は、息子の蔵書を売りさばこうとしている、というのです。依頼主の奥様は、亡くなったご主人の一人息子こそ、ご主人の蔵書の相続人であり、蔵書の処分については相続人が判断すべきであり、なんとか蔵書を売ることを止めてほしい、というのです。

  さらに、古書堂を兼ねた篠川家で栞子さんがこの依頼を受けていたとき、ちょうど学校から帰宅した扉子は、この話を立ち聞きしてしまいました。丁度、母親智恵子さんのロンドンでの仕事で出張しなければならなかった栞子さんは、意を決して、扉子を藤沢で開催される古書市に送り込むことにします。

  篠川扉子は、本を巡る謎を解く名手栞子さんと同じく、その手腕を発揮するのでしょうか。

【古書市にはワンダーがいっぱい】

  以前にもブログに紹介しましたが、浦和駅西口にある伊勢丹、コルソから延びる「さくら草通り」を西に向かって抜けていき、旧中山道を渡った広場では、月に1回、「浦和宿古本いち」が開催されています。県内の古本屋さんが選りすぐりの古本を販売してくれるうれしいイベントです。

  散歩で浦和界隈を毎日歩いているのですが、この「いち」がたっていると、そこで1時間以上足止めとなります。それぞれの出品本をみていると興味が尽きません。単行本や文庫本、新書の棚には100円から200円で豊富な本が数百冊もならびます。こちらをくまなく見るのも楽しみなのですが、それ以外にも嬉しい品物が並んでいます。

  まず、目を凝らすのはCDコーナーです。

  最近は、テナーサックスの教室に通っているので、その名曲を集めたベスト盤はタワーレコードなどでは見つかりません。先日も「JAZZ TENOR SAX」なるベスト盤をみつけました。なんと、デクスター・ゴードンの「チーズケーキ」、ジョン・コルトレーンの「インナセンチメンタルムード」、ソニー・ロリンズの「ラウンドミッドナイト」など名手の9曲が収められており、1000円は超お得で、狂喜乱舞しました。

  さらに日本で行われた美術展のカタログも必ずチェックします。

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(2010年 ボストン美術館展カタログ)

  先日は、2008年に名古屋市美術館で開催された「モネ『印象日の出』展」のカタログを見つけ、思わず手に入れてしまいました。なんとその額300円。嬉しい買い物です。さらには、2010年に森アーツセンターギャラリーと京都美術館で開催された「ボストン美術館展」のカタログ。ルノワールをはじめモネ、コロー、シスレー、ピサロと名だたる印象派の巨匠たちの名作が次から次へと登場します。こちらも300円。あまりの感動にしばらくは毎日眺めてほくそえんでいました。

  もちろん、これまで買い逃していた映画のパンフレットや単行本、文庫、新書も。訪れるたびに新たなワンダーを味わうことができます。

  さて、そんな古書市で繰り広げられる謎解きの数々、みなさんもぜひ味わってください。

  今回、取り上げられているのは東宝映画のパンフレット「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」、そして樋口一葉の「通俗書簡文」、さらには夢野久作「ドグラ・マグナ」。3日間で繰り広げられる謎解きの妙。今回も篠川栞子、五浦大輔、篠川扉子、そして篠川智恵子が大活躍です。お楽しみに。


  首都圏では、またもコロナの新規感染者が増加しつつあります。皆さん、手洗い、消毒、密回避とマスク着用(熱中症には要注意です。)を励行して拡大防止に努めましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その2)

こんばんは。


  東京オリンピックが始まりました。


  世界中からアスリートたちが集い、平和と多様性の調和の下、これまで培ってきた自らの力を最大限発揮して競技に臨みます。


  スケートボードでの日本最年少金メダリストの誕生や13年ぶりのソフトボール女子の金メダル。はたまた卓球混合ダブルスで絶対王者中国を破っての初の金メダル、などなど、毎日が感動の連続でアスリートたちの姿に元気をもらう毎日です。


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(スケートボード日本最年少金メダル 西矢選手 cnn.co.jp)


  一方で、今回のオリンピックは、新型コロナウィルスとの闘いが続き中での開催となり、一部の地域を除いて、無観客での開催となりました。開会式をはじめほとんどの協議では、大会関係やと選手たちの拍手が響くのみですが、1年間延期となった不安を払しょくして日夜鍛えてきた選手たちには、一層の集中力を持って戦ってもらいたいと思っています。


  オリンピックの報道に隠れてしまったように感じるコロナ禍ですが、デルタ株などの変異型ウィルスは世界中で猛威を振るい、日本でもこれまで以上の勢いで第5波にさらされつつあります。


  高齢者へのワクチン接種も順調に進み、ワクチン効果が期待されましたが、今回の第5波は、その多くが20代から50代のまだワクチン接種に至っていない世代が新規感染しています。日本では、行動の自由が憲法により明確に定められており、強制的な行動制限を行うことはできません。さらに酒類を販売する飲食店を筆頭に自営業の方々やその従業員の方々は、自粛によって生活自体を脅かされる状況となっています。

   

  経済活動の維持と人流抑制は二律背反の課題です。


  しかし、新型コロナウィルスと人類の闘いは死ぬか生きるかの戦争と言っても過言ではありません。我々は「自由」と「責任」について、ここでじっくり考えてみるべきではないでしょうか。これまで感染していない方々は、マスク、手洗い、消毒が十分なのか、不要不急の外出を自粛しているのか、改めて真剣に考えてみるべきだと思います。


  オリンピックに人生をかけて戦うアスリートの姿を見るにつけ、我々も毎日を、緊張感を持って過ごしていく必要があると身が引き締まる思いがします。


  さて、今回は前回に引き続き、東京會舘を描いた辻村さんの本を紹介します。


「東京會舘とわたし(下 新館)」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(文庫「東京會舘とわたし 下巻」 amazon.co.jp)


  東京會舘は、東京日比谷の皇居に面した場所に帝国劇場と並んで大正11年に建設されました。


  そのコンセプトは、「民間初の社交場」。それは、貴族のためでも富裕階級のためでもない、誰もが集うことができる建物をめざした建物だったのです。


  大正11年(1922年)に建築された旧館は、大正時代末期の大賞デモクラシーも相まって、様々な市民によってにぎわっていました。上巻(旧館)での短編を見ると、


第一章 クライスラーの演奏(大正12年)

第二章 最後のお客様(昭和15年)

第三章 灯火管制の下で(昭和19年)

第四章 グッドモーニング、フィズ(昭和24年)

第五章 しあわせな味の記憶(昭和39年)


と、日本の激動の時代に東京會舘とそこにかかわる人々が織りなす世界を描きます。


  旧館は、建築後1年もたたずして関東大震災に見舞われ、1階部分は大きく破損し、外壁が崩れ落ちて鉄骨がむき出しになりました。周囲にあった帝国劇場や警視庁は火災によって焼失しましたが、東京會舘は火災からは免れて建物は大きな被害を受けながらも生き残りました。しかし、その復旧には19カ月の歳月を要し、その間休業を余儀なくされたのです。


  上巻、第二章には、その歴史と、そしてさらに日中戦争下で国に徴収された東京會舘の従業員たちの想いが描かれます。


【レトロ建築に刻まれた人々の想い】


  前回、NHKEテレ「美の壺」のスペシャル版で紹介された「レトロ建築」のすばらしさを語りましたが、最後の「ツボ」を語るところで紙面が尽きてしまいました。


■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ

  上野駅からほど近い上野公園は、近代レトロ建築の宝庫です。


  まず、上野駅から正面に位置するのは、前川國男が設計した東京文化会館です。この建物は1961年の竣工ですが、そのエントランスは、コンクリートの大きな庇の下に大きなガラス張りの入り口がそびえ公園の入り口にふさわしい建物となっています。建物に入ると一面に敷き詰められた茶系のタイルが秋の落ち葉を思わせ、公園の一部であることを感じさせます。


  そして、そこから公園に進んでいくとフランス近代建築の巨匠ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館が見えてきます。ここで開催される数々の美術展は目を離せないのですが、毎回訪れるたびにこの建築のエントランスとファサードには感慨を抱きます。この建物は、2016年に世界遺産に登録されています。


  さらに上野公園には、東京国立博物館という近代建築の代表が存在します。表慶館は1908年に建てられた丸い屋根を持つモダン建築。本館は銀座和光を設計した渡辺仁による古典主義の荘厳な建築。東洋館の建築は1968年谷口吉郎の作品。法隆寺宝物殿は1999年に谷口吉生による近代的建築。ここでは、明治、昭和、平成の建物をみることができるのです。


と、前置きが長くなりましたが、「美の壺」で取り上げられたレトロ建築は、その先にあります。


  その建物の名前は、「国際こども図書館」。名前を聴くとレトロ建築とは結びつきませんが、その前身は「旧帝国図書館」だったのです。その建物が建てられたのは、1906年(明治39年)。まるで、パリやベルリンを思わせるヨーロッパ風石造りの瀟洒な建物です。


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(国際こども図書館全景 kodomo.go.jpより)


  この建物が「レトロを未来へ」として取り上げられたのは、この建物が2000年からのリニューアル工事によって改修されたにもかかわらず、旧帝国図書館の建物が見事に保存されているところにあります。この保存のために設計にかかわったのは国際的にも有名な安藤忠雄さんです。安藤さんは、建物内に自然の光を導きいれることによって、建物に生命力を与える設計で知られています。


  安藤さんは、この改修において、旧帝国図書館の建物をガラスの器によって覆うことで、旧建築のファサードを見事によみがえらせました。特に建物の裏側には、外壁をカラスによっておおわれた回廊が設置されており、ラウンジでは旧帝国図書館の外壁に直接触れることができる光あふれる設計がなされています。


  このリニューアルには、まさにレトロ建築を未来につなぐ心が満ち溢れています。


  さて、次なるレトロ建築の所在地は新潟県上越市高田地区となります。


  その建築は、なんと現役の映画館です。どのくらいレトロかと言えば、この建物が営業を開始したのは、1911年(明治44年)なのです。最初は劇場としてスタートした建物が映画館へと変わったのは1916年。なんと、105年を経て今もなお映画館として営業を続けているのです。その映画館の名前は「高田世界館」。


  この映画館は、地元のブランティア(というか映画と建物のファン)の方々が愛情を持って運営しており、その内部も客席も建築当時の面影を残しています。ホールの座席は1階席と2階席に分かれ、その雰囲気は「ニューシネマパラダイス」をほうふつとさせます。その体験は、「映画を見る」というよりも「映画館で映画を見る」ことではないかとある方が語っていました。


  そして、この映画館のお隣には、地区90年の古い町屋をリニューアルした「世界ノトナリ」というカフェが映画を楽しんだ皆さんの憩いの場となっています。


  この映画館は、経済産業省の近代化産業遺産にも認定された文化財ですが、レトロ建築は、現役で使われてこそ更なる価値が生まれ、未来へと引き継がれていくのです。


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(「高田世界館全景 takadasekaikan.comより)


【東京會舘を巡る感動の物語】


  大正11年にうぶ声を挙げた東京會舘は、昭和47年に建て替えが完了し、東京會舘新館として新たなスタートを切りました。


  「東京會舘とわたし」の下巻には、新たにスタートした新館での物語5編と文庫本に加えられた1編の物語が収められています。東京會舘は、2019年に2度目の建て替えを行い、近隣の富士ビルヂィング、東京商工会議所ビルと一体で地上30階建ての高層ビルに変貌しました。東京會舘は、その地下3階から地上4階まで、そして7階の宴会場が東京會舘となっており、そのエントランスや吹き抜けの宴会場は伝統と新しさを兼ね備えた建物となっています。


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(新新館に引継がれた初代シャンデリア kaikan.co.jp)


  この本の最終章は、竣工した三代目の東京會舘が紹介されています。


  下巻の短編は二代目東京會舘に込められた人々の想いがそれぞれの章に込められた秀作ぞろいです。


第六章 金環のお祝い(昭和51年)

第七章 星と虎の夕べ(昭和52年)

第八章 あの日の一夜に寄せて(平成23年)

第九章 煉瓦の壁を背に(平成24年)

第十章 また会う日まで(平成27年)

新 章 「おかえりなさい、東京會舘」(平成31年)


  この本を読むと、歴史的な建物に込められているのは、そこで繰り広げられる様々な出来事にかかわった人々の心の記憶なのだと気づきます。


  下巻でも辻村さんの描く人々の心象風景が我々の心に迫ってきます。


  この本にはひとりの作家の物語も含まれています。


  プロローグと第九章、そして最終章には小椋真護(おぐらまもる)という小説家が登場します。実は、この物語の作者はこの小椋真護なのです。第九章では、東京會舘のシルバールームにある煉瓦色の壁が登場します。その壁の前では、芥川賞と直木賞の受賞会見が行われます。それまで、4度直木賞の候補に上がり落選していた小椋が5度目に直木賞を受賞したその日がここに描かれているのです。


  この小説には小椋が持つ1本の万年筆が登場します。その万年筆のキャップには「M.Ogura」「2012.7.17」と刻まれています。小椋とその万年筆に秘められた長い年月の秘められた物語。そのカギとなったのが東京會舘そのものだったのです。


  その他にも、東京會舘にこよなきあこがれをもっていた夫を亡くし、金婚式のその日に一人で東京會舘を訪れた未亡人の物語、東京會舘で毎年ディナーショウを開いていた日本を代表するシャンソン歌手越路吹雪と岩谷時子。そのディナーショウのそでで付き添っていた若きフロアマンの姿を描く「星と虎の夕べ」。東日本大震災の夜、帰宅困難者であふれかえった東京で、東京會舘で一夜を過ごした女性の人生の絆を描く物語。


  どの作品をとっても心を動かされる名短編が我々の胸を熱くしてくれます。


  皆さんもこの本で辻村さんの描くムーヴメントを味わってください。殺伐としたコロナ禍の現代。まるでろうそくの灯を見るような癒しを感じること間違いありません。


  オリンピックと緊急事態宣言。一見相いれないように見える出来事ですが、これをむすびつけることは必ずしも正解とは思えません。手洗い、消毒、蜜の回避という自己の「責任」と日本のアスリートへの熱き声援。皆さん、その両方を大切に熱き戦いから勇気をもらいましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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