小説(日本)一覧

沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

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(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

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(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

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(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

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(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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沢木耕太郎 人生の「在り方」を描く

こんばんは。

  久しぶりに沢木耕太郎さんの作品を読み終えました。

  沢木さんと言えば、日本を代表するノンフィクションライターですが、今回読んだ本は上下巻に渡る小説です。この小説は、佐藤浩市さんと横浜流星さんの主演で映画化され、昨年公開されたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

「春に散る」(沢木耕太郎著 朝日文庫上下巻 2020年)

【ボクシングを描いたフィクション】

  この小説は、ある初老の男の最後の1年間を描いているのですが、その主人公、広岡仁一は、かつて世界チャンピオンを目指してアメリカに渡った元プロボクサーなのです。

  沢木耕太郎さんについては、迫真の著書、「キャパの十字架」を紹介したときに記しましたが、その独自の手法から紡ぎ出されるノンフィクションの文章は、我々の胸に迫ってくるものがあります。それは、取材の対象そのものに迫るためのアクションの見事さからはじまり、その中から生まれてくる言葉を、自ら第三者の目でとらえなおして、綴られる文章であり、そのアプローチの方向と深いところにまでたどり着く感性が読者の心に響いてくるのです。

  2000年以降、沢木さんは小説も上梓していますが、これまで、沢木さんの小説にはあまり興味がわきませんでした。しかし、ボクシングを題材とした小説であれば話は別です。

  沢木さんが、自らのノンフィクションへのアプローチ方法を深めて上梓した作品が、1981年に上梓された傑作ノンフィクション「一瞬の夏」でした。この作品に描かれたのがまさにボクシングの世界だったのです。

  はじまりは、沢木さんが2冊目の作品として上梓したノンフィクション作品集「敗れざる者たち」に収められた小編「クレイになれなかった男」でした。

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(文春文庫「敗れざる者たち」 amazon.co.jp)

  「敗れざる者たち」は、スポーツノンフィクションの先駆けとなる作品集でしたが、この本の最初を飾った作品が「クレイになれなかった男」と名付けられたあるボクサーのノンフィクション作品でした。当時は、ルポルタージュと呼ばれていました。主人公は、かつてミドル級の東洋チャンピオンだったカシアス内藤、というプロボクサーです。

  彼は、かつて、6人の日本人世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー、エディ・タウンゼントから世界チャンピオンとなった藤猛や海老原博幸よりもボクシングがうまく、才能があると呼ばれたほどのボクサーでした。そして、東洋チャンピオンにまで駆け上がりました。

  そのリングネーム、「カシアス」は世界最強のボクサーと言われたカシアス・クレイから命名された名前です。カシアス・クレイは、その後モハメッド・アリと改名しました。しかし、カシアス内藤はその才能にもかかわらず、東洋チャンピオンのタイトルを韓国のボクサー柳済斗に奪われます。そして、この作品では、柳済斗との4度目のタイトル戦が描かれますが、それはすでに柳のコンディションのための対戦ととらえられていました。

  しかし、取材する沢木さんは、カシアス内藤がすべての力を出し切って燃え尽きることを願っていたのです。その後、彼はボクシングの表舞台に姿を現さなくなりました。

  そして、ここから沢木さんにとっての第2章がはじまります。

  カシアス内藤は、1978年にプロボクシングの試合に突然復帰します。そして、そのカシアス内藤を沢木光太郎は徹底的に取材します。その取材は、決して外からの取材ではなく、カシアス内藤とそのトレーナーと一体となって、生活を共にし、練習から試合のマッチアップまでをすべてともに作り上げていくという、自分までもルポルタージュの対象としてしまうプロセスになったのです。

  その「『私』ノンフィクション」ともいえる物語は、1981年に「一瞬の夏」という素晴らしいノンフィクション作品に結実します。

  沢木さんは、1978年に上梓した「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、思わぬ印税収入を手にしました。「一瞬の夏」は、その印税を復帰するカシアス内藤との生活に使おうと決意する場面がとても印象的でした。

  いったい、世界に届くだけの才能を認められたプロボクサーがなぜ燃え尽きるまでボクシングを極めることができなかったのか。その疑問に対する、数え切れないほどの要素が、毎日の生活のうちに垣間見ることができます。しかし、トレーナーとボクサーと沢木の3人は、すべてのことを乗り越えて、ボクシングに対する情念を燃焼し尽くすことを目標に邁進していきます。

  そして、ついに因縁のソウルで、時の東洋王者であった朴鐘八とタイトルを懸けて戦うことになるのです。

  沢木さんの「一瞬の夏」は、読みすすむうちに心を突き動かされ、共感し、感動する、初めて味わうノンフィクションの名作でした。ここから、沢木耕太郎さんの大ファンとなったことに間違いはありません。そして、この本は沢木さんに第1回新田次郎文学賞をもたらしました。

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(新潮文庫「一瞬の夏 上巻」amazon.co.jp)

  そして、沢木さんは、かつてすべてを注ぎ込んだボクシングを舞台にして小説を書き上げました。

【小説の感動は細部にこそ宿る】

  沢木さんは、この小説を一人の男の生き方でも死に方でもなく、在り方を描こうと思ったと語っています。

  その言葉は、最後の章を読み切ったときに始めて納得できます。主人公の広岡仁一の在り方を描いて、感動を生む物語ですが、小説が人の心を動かすのは、そこにリアルがなければなりません。そして、リアルを生み出すのは、日常生活では気づくことがない感情や出来事を積み重ねていくプロセスに他なりません。

  そして、ボクシングとボクサーの世界を知り尽くした沢木さんだからこそ、感動を生む物語を創造することができたのではないでしょうか。

  以下、ネタバレとなります。

  広岡仁一は、かつてボクシングの世界チャンピオンになるために日本を飛び出して、アメリカに渡りました。そこで、3試合を戦い、無敗のまま世界ランキング5位までランクを上げます。しかし、4試合目にTKO 負けを喫してボクシングをやめてしまします。その後は、まさに底辺を味わいながら苦労に苦労を重ねてホテルのオーナーにまで登りつめ、食べるのに困らない暮らしを手に入れました。

  物語は、広岡が心臓発作を起こし手術を受けなければ命が危ないと宣告されるところから始まります。いったい自分は何を望むのか。キーウェストを訪れた広岡は、遙か遠くにかすむキューバの島影を見ながら、突然、40年ぶりに日本に帰ることを決意します。

  ここから、濃密な小説世界が展開されていくことになります。

  小説は本当に読み応えのある作品なのですが、それは、沢木さんが培ってきたボクシングに対する造形とボクサーの心の繊細な描写のたまものです。

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(朝日文庫「春に散る 上巻」amazon.co.jp)

  例えば、広岡が日本に帰ることを決断するキーウェストで、たまたま寄った街のカフェでボクシングの試合が放映されていました。ボクシングに距離をおいてきた広岡ですが、ナカニシというアナウンスを耳にして、その試合に日本人がマッチしていることに惹かれてその試合に目を向けます。

  試合は、1818勝世界ランク1位の黒人選手ブラウンとナカニシと呼ばれる元日本チャンピオンとの一戦でした。ナカニシは、次にチャンピオン戦にチャレンジするであろう黒人選手のかませ犬として試合が組まれているのは明らかでした。

  試合は予想通どおり第1ラウンドからブラウンが一方的にパンチを繰り出し、ナカニシはディフェンス一方の展開になります。ブラウンのパンチは強力でディフェンスの上からでも威力があり、ナカニシは徐々に追い込まれていきます。しかし、ナカニシは第5ラウンドまでディフェンスに徹して、しのぎきります。第6ラウンド、業を煮やしたブラウンは、ラッシュを懸けてナカニシをロープに追い込みます。

  誰もがブラウンのノックアウト勝ちを確信します。ブラウンが後ろにのけぞるナカニシに最後の一撃とばかりにボディに渾身のフックを打ち込みます。その瞬間、ブラウンの左ボディにナカニシのカウンターが打ち込まれました。ブラウンはスピンスするように回転し、マットに沈みました。そして、一度起き上がりかけたブラウンですが、再度床に落ち、10カウントが数え終わります。

  ナカニシは、カウンターの右フックを打ち込んだ直後、さらにフックをブラウンのあごにたたき込んだのです。ナカニシは、インタビューで、ブラウンの試合をビデオで何度も何度も見て、ラッシュの時に左のディフェンスが下がる癖があることを見つけた、ブラウンのディフェンスが空くのはこのときだけ、そこに1%の勝機を懸けました、そう語りました。

  それは、まるでアリがフォアマンを倒した試合の再現のようでした。広岡は、ボクシングの奥深さに改めて心を奪われるとともに自らのボクシングを顧みることになるのです。

  序章からいきなりこうしたエピソードが語られ、我々はボクシングの深遠な世界へと引き込まれていくことになります。

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(映画「春に散る」ポスター)

  物語は、何の当てもなく日本に帰ってきた広岡が、かつて所属した真拳ジムを訪れ、その近所に古いアパートを借りるところから展開していきます。

  沢木さんの筆は、広岡の視点と記憶から様々のディテールを描き込んでいきます。真拳ジムに広岡が入所したとき、同時期に4人のプロがジムに所属して合宿生活を送っていました。ジムではこの四天王と呼ばれた4人を世界チャンピオンに育て上げるとの目標を掲げていました。この4人の存在感がこの小説を面白くしていきます。広岡以外の3人の人生もさることながら、40年前の姿までがリアリティを持ちます。広岡のクロスカウンター、佐瀬健三のジャブ三段打ち、藤原次郎のインサイドアッパー、星弘のキドニー寸前のボディフック、それぞれが必殺技を持ち、その個性が際立っているのです。

  この小説は、その長さをまったく意識させない面白さにあふれています。小説には、欠かせない愛すべきキャラクターも登場します。その名は、土井佳菜子。彼女は若い女性でふとしたことから知り合うのですが、彼女には研ぎ澄まされた第六感が備わっています。いったいなぜ?その人生の秘密は下巻の第17章で明らかになります。お楽しみに。

  さらには、小説の終わり近くには、世界チャンピオンのベルトを持ちながら23才で交通事故のため夭折したボクサー、大場政夫の名前も語られます。

  長編小説には、その小説の独自な時間が流れています。この小説にはボクシングを触媒にして、ある人生を築いてきた男の1年間の「在り方」が語られています。そこに刻まれる時間は、我々をワンダーな世界へと運んでくれます。


  皆さんもこの小説で、時間を忘れて主人公の、さらには沢木耕太郎さんの語る人生の在り方を味わってみてはいかがでしょうか。自分のこれからの人生を見直してみたくなること間違いなしです。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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原田マハ 俵屋宗達は海を越えていた

こんばんは。

  久しぶりに時間を忘れて小説を読みふけりました。

  その小説は、アート小説の名手、原田マハさんが挑んだ日本美術を代表する画家、俵屋宗達を描く圧倒的な物語でした。

「風神雷神 Jjppiter,Aeoloce」(上下巻)

(原田マハ著 PHP文芸文庫 2022年)

【俵屋宗達とは何者か】

  本屋さんでこの本をみつけたとき、上下巻二冊というそのボリュームに一瞬たじろぎました。これまで印象派をはじめとする西欧絵画を数多く描いてきた原田さんですが、日本美術を題材にした小説は知りませんでした。しかも、国宝である「風神雷神図」がその表題となっています。いったいどんな小説なのか。棚で見つけて、その場で購入したもののしばらくは、愛用のPCの前に積まれたままでした。

  そして、久しぶりにマハさんのアート小説を読みたいと思ったとき、最初のページをめくったのです。それが運の尽き。その面白さに目も心も奪われて、一気に上下巻を読み通してしまいました。

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(文庫「風神雷神」上巻 amazon.co.jp)

  この小説の主人公は、俵屋宗達です。

  「俵屋宗達」と聞いてピンとくる方は、日本美術に造形の深い方だと思います。恥ずかしながら、代表作である「風神雷神図」こそ知っているものの、昔、日本史の教科書で見たことがある程度の認識しかありませんでした。

  室町時代、他の文化と同じく日本画は狩野派や土佐派に代表され、絢爛な屏風絵やふすま絵はたまた天井画などが生み出されました。特に狩野派の頭領であった狩野永徳は、織田信長が天下統一をなす時に建造した安土城の内装の装飾画を一手に引き受けたことでその名を知られています。

  俵屋宗達は、伝統的な手法から脱却し、自由な発想で独自の画風を築いたといわれています。江戸期になって尾形光琳が独自のデザイン的な発想で琳派を確立したと言われますが、その琳派の開祖と目されているのが俵屋宗達なのです。その代表作は屏風絵として描いた「風神雷神図」に他なりません。

  この「風神雷神図」は、金色の広々とした空間に蒼緑の肌の風神を右に、白い肌の雷神を左に配置した大胆な構図となっており、今にも動き出しそうな神々をみごとに描ききっています。特に白い肌の雷神は通常赤で表されており、なぜ白で描かれているのか、美術界の謎の一つになっています。この絵は、よほど当時の人々に感動を与えたようで、後に尾形光琳、そして琳派を引き継いだと言われる江戸後期の酒井抱一も光琳の「風神雷神図」を模写しており、江戸期の画家たちがいかに宗達の絵画に心を動かされたのかがよくわかります。

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(風神雷神図屏風 wikipediaより)

  そんな俵屋宗達ですが、実は生没年さえわかっていない謎の絵師だといわれています。宗達の事績として最も古いものは、1602年に福島正則が願い出た平家納経の修復において、一部宗達が修復に関わったといわれています。その交友関係から、その生まれは1570年頃ではないかといわれ、死後の法要記録から1643年より少し前に亡くなったと推定されています。

  「俵屋」とは不思議な名字ですが、この名字は屋号とわかっています。宗達は、「俵屋」という絵画工房を主催しており、扇などに絵を描いており、その扇が京都では評判になっていたことが当時の書き物に残されています。

  謎に包まれた宗達ですが、安土桃山時代に生れ、江戸初期にはすでに評判となっていたことは間違いないようです。

  謎に包まれた人物は、小説にするにはもってこいの主人公なのです。

【知られざる天正遣欧使節の一員】

  この小説には、もう一人主人公がいます。その名は、原マルティノ。

  この名前を聞いてピンと来る方は、よほどの日本史マニアだと思います。そう、彼は、安土桃山時代にイタリアのバチカンに居した、カトリック教会の頂点に立つ教皇グレゴリウス13世の元に日本から遣わされた、天正遣欧使節のひとりなのです。

  日本におけるキリスト教は、1549年にフランシスコ・サビエルが布教のために日本にたどり着いて以降、イエズス会が日本への布教のため多くの司教を日本に派遣し、布教に尽力した結果、ポルトガルとの貿易による利益も相まって、九州を中心に多くのキリシタン大名が生れました。さらに天下統一を目前にしていた織田信長は、未知の西欧文化に大いに興味をそそられて、イエズス会による布教を容認していました

  そうした中、さらなる布教の強化をすすめようとするイエズス会の思惑とさらなる西欧との貿易や文化交流を広げようとする信長やキリシタン大名の思惑が見事に一致し、企図されたのが天正遣欧使節だったのです。

  当時、九州では大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がキリスト教に帰依してキリシタン大名となり、領地内での布教を支援していました。遣欧使節に選ばれたのは、セミナリオと呼ばれた神学校に入学した領主たちにつながる4人のキリシタンの少年たちでした。

  主席正使は、大友宗麟の名代となる伊東マンショ、さらに正使として木村純忠の名代として千々石ミゲル、副使として肥後国中浦城主の息子中浦ジュリアン、もうひとりの副使がセミナリオきっての秀才であった今回の主人公原マルティノです。

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(天正遣欧使節団の4少年 wikipediaより)

  原マルティノはこの小説の進行役であり、語り部でもあります。

  彼らは1582年(天正10年)2月にポルトガルの帆船に乗り、長崎港から遙かに遠いローマに向かって出発しました。その経路は、マカオからインドを経由してアフリカの喜望峰を回り、リスボンに到着したのは15848月でした。さらにローマで教皇に接見できたのは、翌年の3月。なんと片道3年かけての命がけの行程だったのです。織田信長が本能寺の変で亡くなったのは彼らが出港してから4ヶ月後の出来事でした。

  さて、この遣欧使節団には、我々が知らない同行者がいました。当時、日本では印刷技術は無く、書物を複製するには人手による写本しか手段がありませんでした。しかし、ヨーロッパではすでにグーテンベルグ印刷機による活版印刷が実用化されていたのです。この使節団は活版印刷の技術をヨーロッパから持ち帰ることも目的の一つとしていました。そのために、同行者の中には印刷技術を持ち帰るための技術要員がいたのです。その名は、アゴスティーノと言います。

【マカオの教会で発見された古文書】

  小説のプロローグは、現在の京都国立博物館から始まります。(ここからネタバレあり)

  望月彩は、京都国立博物館の研究員です。その専門は俵屋宗達。宗達の代表作「風神雷神図屏風」は、鎌倉時代から続く古刹、建仁寺の所有ですが、現在は京都国立博物館に寄託されているのです。折しも彩が企画する俵屋宗達の展覧会に付随して宗達の講演会を行っていました。そこにマカオ博物館の学芸員を名乗る人物から面会の申し入れがありました。

  サスペンス仕立てのプロローグ。いったい、彩のもとを訪れたマカオ博物館の学芸員レイモンド・ウォンはどんな情報をもたらしたのか。レイモンドは博物館に持ち込まれたある資料を綾に見てほしいのだ、と語ります。その資料は博物館に保管されており、彩にマカオまで来てもらい是非資料を鑑定してほしいと言うのです。

  彩に依頼があるからには、資料は宗達に関するものに違いありません。彩は急遽マカオに飛び立ちます。博物館できかされた経緯は驚くべきものでした。

  資料は、ある青年が持ち込んだものでしたが、その青年は長年育ててくれた祖父が亡くなるときに青年に残したものだといいます。祖父は以前、建設作業員をしており、ある現場で素晴らしい絵画を目にしてつい持ち帰ってしまったというのです。その絵画には古文書が付随しており、青年は、死の床で祖父からそれを返してほしいと頼まれたのだと言うのです。

  レイモンドは、その資料は1990年に発掘調査が行われた世界遺産、聖ポール天主堂(教会)の調査時にみつかったものと確信しました。そして、その資料が天正遣欧使節に随行した原マルティノに関係するものと考えました。そして、その鑑定を行うに当たり、望月彩に協力を依頼してきたのです。原マルティノは、天正遣欧使節が1590年に帰国した後、マカオに追放されており、聖ポール天主堂に埋葬されたとの記録があるのです。

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(マカオの世界遺産 聖ポール天主堂 Wikipediaより)

  こうして物語は、はるか450年前の九州有馬の地へとタイムワープすることになります。

  そして、原マルティノが有馬のセミナリオで勉学に励むある晩、眠れぬ夜に月を眺めようと浜辺に出て、不可解な少年と出会います。その少年は京の都からはるばる九州のセミナリオまでやってきたといいます。そして、その名を訪ねると彼は「宗達」と名乗ったのです。物語は、二人の出会いから大きく動き始めることになるのです。そして、この少年はキリシタンではありませんが、別の名前を持っていました。その名前は、アゴスティーノ。

【渾身の歴史アート物語の感動】

  この本を読んで思い出したのは、マハさんの小説、「翼をください」でした。

  「翼をください」は、1939年、太平洋戦争が始まる直前、日本の誇る帝国海軍の九六式陸上攻撃戦闘機を改造した旅客機「ニッポン号」が、世界で初めて航空機による赤道を回る世界一周を成し遂げた快挙を描いた作品です。

  このプロジェクトは毎日新聞社が企画した民間事業であり、「平和と夢」を運ぶことを目的とした平和事業でした。世界一周の間に立ちよった各国からは大きな歓迎を受け、親善大使として大いに役割を発揮しました。しかし、太平洋戦争が始まるや日本は「戦争一色」に染まり、この記念碑的大事業も歴史の狭間にうもれてしまったのです。毎日新聞社は、プロジェクト80周年を記念して小説の執筆をマハさんに依頼したといいます。

  以前、ブログでこの作品を紹介しましたが、今回の小説を読んで改めてマハさんの想像力と創作力の素晴らしさに心を動かされました。我々が知る歴史は、すべて「人」が成し遂げてきた事実です。その出来事を成し遂げた人々はどんな気持ちで、どんな行動を起こし、そのことを成し遂げたのか。そこへのアプローチにはノンフィクションとフィクションの両方の手法があります。

  マハさんは、詳細な調査によって確認した史実に基づいて、その余白の部分を想像力と確かな筆致で埋めていきます。その小説に登場する主人公たちは、そのメンタリティと果敢なる行動で我々に大きな感動を与えてくれるのです。


  今回の小説は、少年時代の俵屋宗達と原マルティノが世界を股にかけて躍動します。そして、さらなるワンダーは、最後に伝説の画家カラヴァッジョが登場することです。皆さんも、この歴史とアートが織りなす感動をぜひ味わってください。心が震えること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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瀬尾まいこ そして、バトンは渡された

こんばんは

  皆さんの性格は誰から引き継いだものだと言われますか。

  人の性格は、なくて七癖と言われるほど個性がありますが、考えてみれば祖父母や両親から受け継いでいる性質もあれば、環境や教育によってはぐくまれた性格もあります。

  こんなことを考えたのは、今週、珍しく本屋大賞を受賞したベストセラー小説を読んでいたからなのです。

「そして、バトンは渡された」

(瀬尾まいこ著 文春文庫 2020年)

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(文庫版「そして、バトンは・・・」 amazon.co.jp)

【家系から引き継いだもの】

  自分の家系を鑑みると、第一に残念なのは運動神経です。自分としては運動は大好きで、小学校の頃には特に水泳の時間が大好きで、プール教室は3年間、皆勤賞でしたし、臨海学校でも伊豆の土肥海岸で、3kmの遠泳に2年連続で参加し、完泳しました。しかし、タイムは常に最下位に近く、大会には潜水種目以外に選ばれたことがありません。

  今年、ワールドカップが沖縄で開催されるバスケットも、中学の3年間、一度も休むことなく合宿も練習も参加し、人一倍練習に打ち込みました。しかし、バスケの男子はめちゃくちゃもてるので、一学年に部員が30人近くいて、レギュラーを勝ち取るのは容易ではありません。学年では、当然ながらレギュラーにはなれず、3軍あたりに在籍していました。

  しかし、努力を見てくれている人がいて、3年生最後のインターハイの地区予選。顧問の監督が後半のスターティングメンバーに抜擢してくれ、試合に出ることができました。後半の2分ほどマンツーマンディフェンスしたところで交代でしたが、それまでの努力が報われたこともあり、今でも自分の中では誇らしい実績のひとつになっています。

  事ほどさように、運動神経に関しては皆無といってもよい家系で、このDNAは確実に子供たちにも引き継がれていて、3人の子供たちもバトミントンはできないわ、徒競走はビリだわ、申し訳ない限りでした。ただ、一番下の男の子は頼もしく、中学では運動部で陸上の中距離走に挑戦し続け、高校ではフェンシング、大学では再び陸上と個人種目ながら、たゆまぬ努力を続けていたので、我が子ながらその点には敬服しています。

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(バスケと言えば 映画 「スラムダンク」ポスター)

  さて、身体能力は遺伝的要素が強いのですが、性格や考え方は遺伝的要素と環境的要素の両方が要因となって形成されているに違いありません。

  例えば、人からしかられたときに、理由はともかく納得することなく自己正当化する人もいれば、しかられたことを素直に反省し、改善につなげることができる人もいます。また、「おはよう」、「こんにには」、「いただきます」、「ごちそうさま」、「どうもありがとう」などの言葉は、自然に口に出てくる人もいれば、口に出すのはとても苦手な人もいます。

  挨拶をしたり、食事を残さなかったり、困った人を助けたり、などの行動は、家系もさることながら、生れてから後、育ってきた環境が大きな影響を及ぼしていると思います。それは家族からの言葉もさることながら、日頃から接していた家族の言動が大きく影響していると思うのは私だけでしょうか。

  今の自分を作り上げてきたのは、遺伝なのか、環境なのか・

  今回読んだ小説は、高校生の驚くようなシチュエーションを淡々と語っていくのですが、読んでいると、思わず学生時代の自分のことを顧みてしまうのです。

【人は何を頼りにして生きるのか】

  小説の主人公、森宮優子は何の変哲も無い、普通の高校生です。

  その悩みは、なんと「困ったことが何もない」ことなのです。ところが、小説はすごいことを語っていきます。高校生には、将来をどうするかを相談する進路指導があります。小説は、ベテランで頼りになる女性教師向井先生の進路指導の場面から始まります。そこで語られるのは、森宮優子の数奇な人生です。彼女は、生れてからここまで、4つの名字を名乗っていたという普通ではない人生を生きてきたのです。

  生れたときに名字は水戸、次の名字は田中、それから泉ヶ原、そして現在の森宮。優子の身にはいったい何が起きていたのでしょう。

  この小説の現代性は、「それが何か」、と語るような不思議な「語り」なのです。

  向井先生は、優子の生い立ちをいくばくかは知っており、置かれた状況が普通ではないので、優子が多少は無理して暮らしているのではないかと気にかけています。しかし、「その明るさは悪くないとは思うけど、困ったことやつらいことは話さないとわからないわよ。」との問いを受けて、優子は困ってしまいます。それは、本当に「困ったことがない」からなのです。

  そして語られる森宮優子の生活は、確かに変わっています。優子の父親は、再婚によって優子の父親になるのですが、すぐに離婚してしまい、全く血がつながらないにもかかわらず、30代で思春期の娘を持つ父親になっているのです。しかも、彼は東大を卒業後、超一流企業に就職したエリートで、しかも眉目秀麗なイケメンなのです。

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(映画「そして、バトンは・・・」ポスター)

  しかも、彼の趣味は料理です。しかも、まじめ。確かに優子は困ったことになりようがないのです。

  小説は、優子のこれまでの生い立ちと、現在の高校生活を淡々と優子を語り部として語っていきます。その語りは、小説を通して淡々としていて、彼女を取り囲む育ての親たちは、持てる愛情のすべてをそれぞれのやり方で優子に注いでいくのです。

【そのプロットの巧みさ】

  小説が「いのち」を持つためには、リアリティのある「エピソード」が必要不可欠です。この本は、読み始めると「あれれ」と思うまもなく、ページが進んでいきます。それは、その巧みな「エピソード」とその軽やか語り口です。

  まず、第一にイケメンエリートの父親の創る料理エピソード。彼は、優子の父親として彼女の生活を支えていくことに決意を燃やしています。それは、会社から帰宅して作る夕飯やデザートの数々です。

  新学期の始まりの日には、験を担いで朝からカツ丼が登場します。その肉は脂身のないヒレ。しかも前日には、柔らかくするために、徹底的にたたきます。また、優子が学校で親友たちとの仲違いで元気がなくなると、元気がないときには餃子が一番、とニンニクもりもりの大判餃子を大量に作って優子を元気づけます。そして、優子の悩みが解決するまでは、と毎日餃子レシピを続けるのです。餃子は優子が飽きることのないようにアレンジレシピで続きます。例えば、餃子の具をポテトサラダにしたり、ほうれん草やエビの餡にしてみたり、延々と餃子の日が続いていきます。

  そして、2番目の母親である「梨花さん」のエピソードも強烈です。彼女は、優子を愛する気持ちという意味で誰よりも大きな愛情を持っています。そのすごさはぜひ本編で味わってほしいのですが、その多彩なエピソードには思わず笑ってしまいます。

  その登場の時には、梨花さんの語る人生訓がなるほどなのです。それは、「優子ちゃんもにこにこしてたら、ラッキーなことがたくさんやってくるよ。」「女の子は笑ってれば3割増しかわいく見えるし、どんな相手にも笑っていれば好かれる。人に好かれるのは大事なことだよ。楽しいときには思い切り、しんどいときでもそれなりに笑っておかなきゃ。」という言葉です。そう語る梨花さんの優子を愛するそのすごさはこの小説のあらゆる場面でその真価を発揮していきます。

  さらにこの小説の面白さは優子の高校生活にもあります。誰にでも学生時代に経験がある、恋愛、クラス対抗スポーツ大会、クラス対抗合唱大会です。優子の高校生活がどのような彩りを人背に加えていくのかは小説を読んでのお楽しみですが、そこに語られる体験は、読む人すべてのなつかしい体験を呼び起こしてくれるに違いありません。

  ひとつだけネタばれを許してもらえれば、キーワードはピアノです。

  ピアノといえば、最近大リーグ中継の前後にBS1で放送されている「空港ピアノ」、「駅ピアノ」と題された番組をご存じでしょうか。世界中の空港や駅に置かれているピアノに小型カメラを設置してピアノを演奏する人々を紹介する番組なのですが、見ていると、人類のピアノ文化度の高さに驚かされます。リストのカンパネラやショパンの子犬のワルツなどはもちろん、ビリー・ジョエルやエルトン・ジョン、はたまた「私を月に連れていって」まで、素晴らしい演奏が心を癒やしてくれます。音楽は人の心を支え、我々に元気を与えてくれることは間違いありません。

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(NHKBS1 空港ピアノマルタ編 amass.jp)

  この小説でもピアノが活躍します。優子は、クラス対抗の合唱コンクールでピアノ伴奏を担当することになり、音楽の先生の指導を受けて練習に励みます。ピアノ伴奏には、各クラスの腕に覚えのあるピアニストが登場します。中には、その音色を聞くだけでピアノの音に心を奪われるような素晴らしい演奏を繰り広げる男子もいます。

  優子は、ピアノの演奏が大好きです。彼女のピアノ演奏には彼女と何人もいる両親との歴史がつまっていたのです。

  そうです。ピアノは優子に、さらにはこの小説に大きな物語をもたらしてくれるのです。そのいきさつ、そして顛末はぜひこの本を読んで楽しんでください。心を動かされること間違いなしです。

【人が生きるとはどういうことか】

  この世には、幸せなことに数え切れないほどの小説が満ちあふれています。読書好きの中には、難しい小説や複雑な小説、はたまた本格的な謎解きミステリーなどが大好物な読者も多いと思います。私もどちらかといえば重厚な作品の方が好みです。

  今回の小説は、重厚さとも難しさとも複雑さともまったく無縁な小説です。

  そこに描かれるのは、どこにでもいる人々とどこにでもある生活です。奥様は魔女のナレーションではありませんが、優子は普通の高校生で、普通にご飯を食べ、普通に学校に通い、普通に暮らしています。ただ一つ違っていたのは、彼女には二人の母親と三人の父親がいることなのです。そこには、人や世に悪意を持っている人は一人も登場しません。さらに小説では驚くような事件はひとつも起きることがありません。

  読む人は、軽やかに優子の歩む、変哲のない人生を一緒に生きていきます。しかし、我々が毎日生活を送るとは、まさにそのことです。この小説は、我々に当たり前に生きることの大切さを教えてくれると同時に、人間は、決して捨てたものではない存在であることを教えてくれます。

  さて、最後にもう一つだけネタばれをお許しください。この小説の主人公は、森宮優子なのですが、実はもう一人の主人公が存在しています。その登場人物とは、プロローグで語り部として登場するその人です。果たして何者でしょうか。


  本屋大賞を受賞する本は、本屋さんの店員さんが本当に面白いと感じた本です。その意味で、やっぱり「外れ」はないのだ、と改めて感じました。皆さんもぜひこの「そして、バトンは渡された」で、人のあたたかさを味わってください。心が癒やされることに間違いがありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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三上延 ビブリア古書堂 祝11歳!

こんばんは。

  ロシアの引き起こした侵略戦争は3ヶ月を超え、ウクライナでの殺戮を続けています。

  人間の欲望は止まるところがありません。アジアには、「足るを知る」という考え方があります。それは、幸福とは今現在の幸福を正しく知ることが必要だという教えです。自己顕示欲や権力欲、支配欲が異常に高い人々は、誰よりも自分が多くの権力と多くの富と多くの領土を手に入れなければ幸福を感じることができません。そこには限度がないのです。

  そして、自らの欲望を満たすためには、他人の苦しみ、命さえも顧みないのです。

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(ロシアにより破壊されたセベロドネツク nhk.or.jp)

  プーチン大統領は、決して自らの欲望のためにウクライナ軍事作戦を始めたのではない、言うに違いありません。しかし、その中心には間違いなく己の欲望があります。それは、自らの力でかつてのロシア帝国や旧ソビエト連邦が手にしていた領土や国家を取り戻し、自らの名前をロシアと世界の歴史に刻みたいという欲望です。

  足るを知らないプーチン大統領は最も不幸です。

  一方で、第二次世界大戦の前と後では、戦争犯罪に対する重みは大きく異なります。それは、人類が自らを滅亡させるに足る力を手に入れたことによる違いです。古代から人を殺めること、人を傷つけることは犯罪として認識されています。そして、最も古い償いは同じ苦しみを与えることです。本来であれば、ウクライナに先に手を出したロシアに対して、その報復はロシア国内に攻め入ることです。しかし、それは世界大戦と世界の破滅を意味します。

  ロシアの卑劣さは、「おまえたちは人類を滅亡させる引き金を引くのか?」との問いを投げ掛けることで、ウクライナへの侵攻を局地化させようとするその思考です。

  新たな時代の民主(のふり)帝国主義に対して、我々はどのように対峙するのか。一人でも多くの人間がプーチン大統領の思想や行動は、人には受け入れられない卑劣な殺戮であることを広く声高に語り、広げていくことが必要です。

  このことは他に転嫁することができない、我々人類が背負った宿題なのです。

  いらだちは尽きませんが、今週は11年目を迎えた本にまつわるミステリィで大人気シリーズとなった文庫の最新刊を読んでいました。

「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅲ 扉子と虚ろな夢」

(三上延著 メディアワークス文庫 2022年)

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(ビブリア古書堂最新刊 amazon.co.jp)

【本はこの世からなくなるのか】

  最近、電車の中で文庫本を読んでいる人が少なくなりました。

  多くの人たちは、スマホを片手にゲームにいそしんでいます。時々、タブレットやスマホで何かを読んでいる人もいます。その人たちは、最近よくテレビのCMで見かける電子レンタルマンガで漫画を読んでいます。そして、たまに電子書籍を読んでいる姿も見かけます。

  こうして世代が変わっていくと、紙に印刷された本はやがて世界から消えていくのか、と殺伐とした気持ちになります。

  かつては、「華氏451度」のように、国家権力による焚書坑儒によって地球上から本がなくなってしまう恐怖が描かれていましたが、現実には、国家による統制ではなく、我々人類自らが本を必要としなくなる時代が来るのかもしれません。

  しかし、それは想像もできないはるか未来のこととなるに違いありません。

  なぜなら、日本の学校教育がデジタル化を阻んでいるからです。その証拠に試験が近くなると電車では参考書や辞書を片手にマーカーで色鮮やかになった文字を一生懸命覚えている若者たちを多く見かけるからです。

  うちの息子は小学校の教諭をやっているのですが、小学校にiPadが導入されたとき、タブレットの扱い方を知っている教諭がだれもおらず、子供のころからPCオタクだったうちの息子が校長に頼まれて、タブレットのマニュアル作りに奔走しました。ところが、せっかくマニュアルを作っても誰もそれを読まず、タブレットを使う段になると、ほぼ全員がトラブルを起こし直接きいてくるそうです。聞く前にマニュアル読んでほしい、と嘆いていました。

  その小学校は神奈川県内でも教育レベルが高いことで知られている文京都市にある公立校なのですが、そこでさえも教諭のデジタルリテラシーは極めて低く、アナログがすべてを支配しているのです。

  そうした環境で教育を受けてきた子供たちは、仕事をするために必要な知識を得るときにはおそらく「本」を読むことで物事を知ろうとするに違いありません。つまり、本はなくなることはないというわけです。本をこよなく愛する私としては、安心してよいのか、心配した方が良いのか、複雑な思いの今日この頃です。

【古書堂店主が解き明かす本ミステリィ】

  さて、大人気シリーズだった「ビブリア古書堂の事件手帖」は、2017年に古書堂の女性店主篠川栞子さんとアルバイト店員だった五浦大輔くんが結婚するという大団円で幕を閉じました。

  しかし、著者三上延さんの古書愛は止まることを知りませんでした。

  昨年、待望の新シリーズが始まったのです。このシリーズでは、三上さんがテーマとして取り上げた本や、その著者がまさに主人公と言ってもよいのですが、長編では、さらにそれが面白さの中心となります。例えば、シリーズ初の長編譚では、江戸川乱歩の希少本を巡るいくつもの謎解きが我々を小説世界へといざなってくれ、時を忘れました。第6巻では、太宰治の「走れメロス」をモチーフとした太宰治の希少本を巡る人間劇が語られます。

  そして、最終巻では、なんとシェークスピアの、世界で初めて刊行された全集であるファーストフォリオが主人公となったのです。

  このシリーズは本好きにとっては、思わず顔がほころんでしまう唯一無二の物語なのです。

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(ビブリア古書堂事件手帖10周年記念 amazon.co.jp)

  2021年から始まった第二シリーズでは、いよいよ栞子さんと大輔くんの愛娘、扉子さんが登場します。前作は、日本のミステリィ小説のレジェンド、横溝正史の作品が謎解きの中心となりました。そこに登場する篠川扉子さんは高校生。しかし、思春期の彼女はプロローグで少し垣間見えるのみで、物語はすぐに現在へと戻ります。前作は、新シリーズのスタートにふさわしい全作品中一、二を争う面白さでしたが、その構成にはいくつもの時制が重なっており、若き栞子さんをほうふつとさせる高校生の扉子さんはまださわりのみの登場でした。

  本作では、その扉子さんが前半戦大活躍します。

  今回の作品は、長編でありながらもいくつかのエピソードがつながっていく、三上さん得意のプロットで展開していきます。

  まず、全編を貫くのは、神奈川県藤沢駅前のデパートで開催される古本市です。この伝統ある古本市は、今回が60回目を数え、古本マニアたちが毎回楽しみにしているイベントです。我らが「ビブリア古書堂」もこの古本市の参加店の一つ。古本市の開催は3日間となります。

  今回の物語では、この3日間にいくつものサスペンスが盛りこまれていくのです。

  今回、栞子さんに持ち込まれた依頼は、古くからつきあいのある同業者、古本店「虚貝堂」にまつわるものでした。(このさきネタバレあり。)

  虚貝堂はビブリア古書堂が店を構える北鎌倉と同じ沿線、戸塚駅前で50年以上も営業しているなじみの古書店です。古書店の店主は、すでに70歳を超える年齢ですが、息子と一緒に店を切り盛りしており、店を譲ろうと考えていました。ところが、その息子は急性の胃がんの発見が遅れ、亡くなってしまいます。

  亡くなった虚貝堂の若旦那には、一人息子がいました。しかし、13年前に離婚して、息子は母親に引き取られ、母親の下で育てられました。今回の依頼主は、亡くなった若旦那が13年前に別れた奥様だったのです。そして、依頼の内容は、驚くべきものでした。

  虚貝堂のご主人は、息子の蔵書を売りさばこうとしている、というのです。依頼主の奥様は、亡くなったご主人の一人息子こそ、ご主人の蔵書の相続人であり、蔵書の処分については相続人が判断すべきであり、なんとか蔵書を売ることを止めてほしい、というのです。

  さらに、古書堂を兼ねた篠川家で栞子さんがこの依頼を受けていたとき、ちょうど学校から帰宅した扉子は、この話を立ち聞きしてしまいました。丁度、母親智恵子さんのロンドンでの仕事で出張しなければならなかった栞子さんは、意を決して、扉子を藤沢で開催される古書市に送り込むことにします。

  篠川扉子は、本を巡る謎を解く名手栞子さんと同じく、その手腕を発揮するのでしょうか。

【古書市にはワンダーがいっぱい】

  以前にもブログに紹介しましたが、浦和駅西口にある伊勢丹、コルソから延びる「さくら草通り」を西に向かって抜けていき、旧中山道を渡った広場では、月に1回、「浦和宿古本いち」が開催されています。県内の古本屋さんが選りすぐりの古本を販売してくれるうれしいイベントです。

  散歩で浦和界隈を毎日歩いているのですが、この「いち」がたっていると、そこで1時間以上足止めとなります。それぞれの出品本をみていると興味が尽きません。単行本や文庫本、新書の棚には100円から200円で豊富な本が数百冊もならびます。こちらをくまなく見るのも楽しみなのですが、それ以外にも嬉しい品物が並んでいます。

  まず、目を凝らすのはCDコーナーです。

  最近は、テナーサックスの教室に通っているので、その名曲を集めたベスト盤はタワーレコードなどでは見つかりません。先日も「JAZZ TENOR SAX」なるベスト盤をみつけました。なんと、デクスター・ゴードンの「チーズケーキ」、ジョン・コルトレーンの「インナセンチメンタルムード」、ソニー・ロリンズの「ラウンドミッドナイト」など名手の9曲が収められており、1000円は超お得で、狂喜乱舞しました。

  さらに日本で行われた美術展のカタログも必ずチェックします。

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(2010年 ボストン美術館展カタログ)

  先日は、2008年に名古屋市美術館で開催された「モネ『印象日の出』展」のカタログを見つけ、思わず手に入れてしまいました。なんとその額300円。嬉しい買い物です。さらには、2010年に森アーツセンターギャラリーと京都美術館で開催された「ボストン美術館展」のカタログ。ルノワールをはじめモネ、コロー、シスレー、ピサロと名だたる印象派の巨匠たちの名作が次から次へと登場します。こちらも300円。あまりの感動にしばらくは毎日眺めてほくそえんでいました。

  もちろん、これまで買い逃していた映画のパンフレットや単行本、文庫、新書も。訪れるたびに新たなワンダーを味わうことができます。

  さて、そんな古書市で繰り広げられる謎解きの数々、みなさんもぜひ味わってください。

  今回、取り上げられているのは東宝映画のパンフレット「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」、そして樋口一葉の「通俗書簡文」、さらには夢野久作「ドグラ・マグナ」。3日間で繰り広げられる謎解きの妙。今回も篠川栞子、五浦大輔、篠川扉子、そして篠川智恵子が大活躍です。お楽しみに。


  首都圏では、またもコロナの新規感染者が増加しつつあります。皆さん、手洗い、消毒、密回避とマスク着用(熱中症には要注意です。)を励行して拡大防止に努めましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その2)

こんばんは。


  東京オリンピックが始まりました。


  世界中からアスリートたちが集い、平和と多様性の調和の下、これまで培ってきた自らの力を最大限発揮して競技に臨みます。


  スケートボードでの日本最年少金メダリストの誕生や13年ぶりのソフトボール女子の金メダル。はたまた卓球混合ダブルスで絶対王者中国を破っての初の金メダル、などなど、毎日が感動の連続でアスリートたちの姿に元気をもらう毎日です。


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(スケートボード日本最年少金メダル 西矢選手 cnn.co.jp)


  一方で、今回のオリンピックは、新型コロナウィルスとの闘いが続き中での開催となり、一部の地域を除いて、無観客での開催となりました。開会式をはじめほとんどの協議では、大会関係やと選手たちの拍手が響くのみですが、1年間延期となった不安を払しょくして日夜鍛えてきた選手たちには、一層の集中力を持って戦ってもらいたいと思っています。


  オリンピックの報道に隠れてしまったように感じるコロナ禍ですが、デルタ株などの変異型ウィルスは世界中で猛威を振るい、日本でもこれまで以上の勢いで第5波にさらされつつあります。


  高齢者へのワクチン接種も順調に進み、ワクチン効果が期待されましたが、今回の第5波は、その多くが20代から50代のまだワクチン接種に至っていない世代が新規感染しています。日本では、行動の自由が憲法により明確に定められており、強制的な行動制限を行うことはできません。さらに酒類を販売する飲食店を筆頭に自営業の方々やその従業員の方々は、自粛によって生活自体を脅かされる状況となっています。

   

  経済活動の維持と人流抑制は二律背反の課題です。


  しかし、新型コロナウィルスと人類の闘いは死ぬか生きるかの戦争と言っても過言ではありません。我々は「自由」と「責任」について、ここでじっくり考えてみるべきではないでしょうか。これまで感染していない方々は、マスク、手洗い、消毒が十分なのか、不要不急の外出を自粛しているのか、改めて真剣に考えてみるべきだと思います。


  オリンピックに人生をかけて戦うアスリートの姿を見るにつけ、我々も毎日を、緊張感を持って過ごしていく必要があると身が引き締まる思いがします。


  さて、今回は前回に引き続き、東京會舘を描いた辻村さんの本を紹介します。


「東京會舘とわたし(下 新館)」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(文庫「東京會舘とわたし 下巻」 amazon.co.jp)


  東京會舘は、東京日比谷の皇居に面した場所に帝国劇場と並んで大正11年に建設されました。


  そのコンセプトは、「民間初の社交場」。それは、貴族のためでも富裕階級のためでもない、誰もが集うことができる建物をめざした建物だったのです。


  大正11年(1922年)に建築された旧館は、大正時代末期の大賞デモクラシーも相まって、様々な市民によってにぎわっていました。上巻(旧館)での短編を見ると、


第一章 クライスラーの演奏(大正12年)

第二章 最後のお客様(昭和15年)

第三章 灯火管制の下で(昭和19年)

第四章 グッドモーニング、フィズ(昭和24年)

第五章 しあわせな味の記憶(昭和39年)


と、日本の激動の時代に東京會舘とそこにかかわる人々が織りなす世界を描きます。


  旧館は、建築後1年もたたずして関東大震災に見舞われ、1階部分は大きく破損し、外壁が崩れ落ちて鉄骨がむき出しになりました。周囲にあった帝国劇場や警視庁は火災によって焼失しましたが、東京會舘は火災からは免れて建物は大きな被害を受けながらも生き残りました。しかし、その復旧には19カ月の歳月を要し、その間休業を余儀なくされたのです。


  上巻、第二章には、その歴史と、そしてさらに日中戦争下で国に徴収された東京會舘の従業員たちの想いが描かれます。


【レトロ建築に刻まれた人々の想い】


  前回、NHKEテレ「美の壺」のスペシャル版で紹介された「レトロ建築」のすばらしさを語りましたが、最後の「ツボ」を語るところで紙面が尽きてしまいました。


■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ

  上野駅からほど近い上野公園は、近代レトロ建築の宝庫です。


  まず、上野駅から正面に位置するのは、前川國男が設計した東京文化会館です。この建物は1961年の竣工ですが、そのエントランスは、コンクリートの大きな庇の下に大きなガラス張りの入り口がそびえ公園の入り口にふさわしい建物となっています。建物に入ると一面に敷き詰められた茶系のタイルが秋の落ち葉を思わせ、公園の一部であることを感じさせます。


  そして、そこから公園に進んでいくとフランス近代建築の巨匠ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館が見えてきます。ここで開催される数々の美術展は目を離せないのですが、毎回訪れるたびにこの建築のエントランスとファサードには感慨を抱きます。この建物は、2016年に世界遺産に登録されています。


  さらに上野公園には、東京国立博物館という近代建築の代表が存在します。表慶館は1908年に建てられた丸い屋根を持つモダン建築。本館は銀座和光を設計した渡辺仁による古典主義の荘厳な建築。東洋館の建築は1968年谷口吉郎の作品。法隆寺宝物殿は1999年に谷口吉生による近代的建築。ここでは、明治、昭和、平成の建物をみることができるのです。


と、前置きが長くなりましたが、「美の壺」で取り上げられたレトロ建築は、その先にあります。


  その建物の名前は、「国際こども図書館」。名前を聴くとレトロ建築とは結びつきませんが、その前身は「旧帝国図書館」だったのです。その建物が建てられたのは、1906年(明治39年)。まるで、パリやベルリンを思わせるヨーロッパ風石造りの瀟洒な建物です。


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(国際こども図書館全景 kodomo.go.jpより)


  この建物が「レトロを未来へ」として取り上げられたのは、この建物が2000年からのリニューアル工事によって改修されたにもかかわらず、旧帝国図書館の建物が見事に保存されているところにあります。この保存のために設計にかかわったのは国際的にも有名な安藤忠雄さんです。安藤さんは、建物内に自然の光を導きいれることによって、建物に生命力を与える設計で知られています。


  安藤さんは、この改修において、旧帝国図書館の建物をガラスの器によって覆うことで、旧建築のファサードを見事によみがえらせました。特に建物の裏側には、外壁をカラスによっておおわれた回廊が設置されており、ラウンジでは旧帝国図書館の外壁に直接触れることができる光あふれる設計がなされています。


  このリニューアルには、まさにレトロ建築を未来につなぐ心が満ち溢れています。


  さて、次なるレトロ建築の所在地は新潟県上越市高田地区となります。


  その建築は、なんと現役の映画館です。どのくらいレトロかと言えば、この建物が営業を開始したのは、1911年(明治44年)なのです。最初は劇場としてスタートした建物が映画館へと変わったのは1916年。なんと、105年を経て今もなお映画館として営業を続けているのです。その映画館の名前は「高田世界館」。


  この映画館は、地元のブランティア(というか映画と建物のファン)の方々が愛情を持って運営しており、その内部も客席も建築当時の面影を残しています。ホールの座席は1階席と2階席に分かれ、その雰囲気は「ニューシネマパラダイス」をほうふつとさせます。その体験は、「映画を見る」というよりも「映画館で映画を見る」ことではないかとある方が語っていました。


  そして、この映画館のお隣には、地区90年の古い町屋をリニューアルした「世界ノトナリ」というカフェが映画を楽しんだ皆さんの憩いの場となっています。


  この映画館は、経済産業省の近代化産業遺産にも認定された文化財ですが、レトロ建築は、現役で使われてこそ更なる価値が生まれ、未来へと引き継がれていくのです。


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(「高田世界館全景 takadasekaikan.comより)


【東京會舘を巡る感動の物語】


  大正11年にうぶ声を挙げた東京會舘は、昭和47年に建て替えが完了し、東京會舘新館として新たなスタートを切りました。


  「東京會舘とわたし」の下巻には、新たにスタートした新館での物語5編と文庫本に加えられた1編の物語が収められています。東京會舘は、2019年に2度目の建て替えを行い、近隣の富士ビルヂィング、東京商工会議所ビルと一体で地上30階建ての高層ビルに変貌しました。東京會舘は、その地下3階から地上4階まで、そして7階の宴会場が東京會舘となっており、そのエントランスや吹き抜けの宴会場は伝統と新しさを兼ね備えた建物となっています。


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(新新館に引継がれた初代シャンデリア kaikan.co.jp)


  この本の最終章は、竣工した三代目の東京會舘が紹介されています。


  下巻の短編は二代目東京會舘に込められた人々の想いがそれぞれの章に込められた秀作ぞろいです。


第六章 金環のお祝い(昭和51年)

第七章 星と虎の夕べ(昭和52年)

第八章 あの日の一夜に寄せて(平成23年)

第九章 煉瓦の壁を背に(平成24年)

第十章 また会う日まで(平成27年)

新 章 「おかえりなさい、東京會舘」(平成31年)


  この本を読むと、歴史的な建物に込められているのは、そこで繰り広げられる様々な出来事にかかわった人々の心の記憶なのだと気づきます。


  下巻でも辻村さんの描く人々の心象風景が我々の心に迫ってきます。


  この本にはひとりの作家の物語も含まれています。


  プロローグと第九章、そして最終章には小椋真護(おぐらまもる)という小説家が登場します。実は、この物語の作者はこの小椋真護なのです。第九章では、東京會舘のシルバールームにある煉瓦色の壁が登場します。その壁の前では、芥川賞と直木賞の受賞会見が行われます。それまで、4度直木賞の候補に上がり落選していた小椋が5度目に直木賞を受賞したその日がここに描かれているのです。


  この小説には小椋が持つ1本の万年筆が登場します。その万年筆のキャップには「M.Ogura」「2012.7.17」と刻まれています。小椋とその万年筆に秘められた長い年月の秘められた物語。そのカギとなったのが東京會舘そのものだったのです。


  その他にも、東京會舘にこよなきあこがれをもっていた夫を亡くし、金婚式のその日に一人で東京會舘を訪れた未亡人の物語、東京會舘で毎年ディナーショウを開いていた日本を代表するシャンソン歌手越路吹雪と岩谷時子。そのディナーショウのそでで付き添っていた若きフロアマンの姿を描く「星と虎の夕べ」。東日本大震災の夜、帰宅困難者であふれかえった東京で、東京會舘で一夜を過ごした女性の人生の絆を描く物語。


  どの作品をとっても心を動かされる名短編が我々の胸を熱くしてくれます。


  皆さんもこの本で辻村さんの描くムーヴメントを味わってください。殺伐としたコロナ禍の現代。まるでろうそくの灯を見るような癒しを感じること間違いありません。


  オリンピックと緊急事態宣言。一見相いれないように見える出来事ですが、これをむすびつけることは必ずしも正解とは思えません。手洗い、消毒、蜜の回避という自己の「責任」と日本のアスリートへの熱き声援。皆さん、その両方を大切に熱き戦いから勇気をもらいましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その2)

こんばんは。


  東京オリンピックが始まりました。


  世界中からアスリートたちが集い、平和と多様性の調和の下、これまで培ってきた自らの力を最大限発揮して競技に臨みます。


  スケートボードでの日本最年少金メダリストの誕生や13年ぶりのソフトボール女子の金メダル。はたまた卓球混合ダブルスで絶対王者中国を破っての初の金メダル、などなど、毎日が感動の連続でアスリートたちの姿に元気をもらう毎日です。


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(スケートボード日本最年少金メダル 西矢選手 cnn.co.jp)


  一方で、今回のオリンピックは、新型コロナウィルスとの闘いが続き中での開催となり、一部の地域を除いて、無観客での開催となりました。開会式をはじめほとんどの協議では、大会関係やと選手たちの拍手が響くのみですが、1年間延期となった不安を払しょくして日夜鍛えてきた選手たちには、一層の集中力を持って戦ってもらいたいと思っています。


  オリンピックの報道に隠れてしまったように感じるコロナ禍ですが、デルタ株などの変異型ウィルスは世界中で猛威を振るい、日本でもこれまで以上の勢いで第5波にさらされつつあります。


  高齢者へのワクチン接種も順調に進み、ワクチン効果が期待されましたが、今回の第5波は、その多くが20代から50代のまだワクチン接種に至っていない世代が新規感染しています。日本では、行動の自由が憲法により明確に定められており、強制的な行動制限を行うことはできません。さらに酒類を販売する飲食店を筆頭に自営業の方々やその従業員の方々は、自粛によって生活自体を脅かされる状況となっています。

   

  経済活動の維持と人流抑制は二律背反の課題です。


  しかし、新型コロナウィルスと人類の闘いは死ぬか生きるかの戦争と言っても過言ではありません。我々は「自由」と「責任」について、ここでじっくり考えてみるべきではないでしょうか。これまで感染していない方々は、マスク、手洗い、消毒が十分なのか、不要不急の外出を自粛しているのか、改めて真剣に考えてみるべきだと思います。


  オリンピックに人生をかけて戦うアスリートの姿を見るにつけ、我々も毎日を、緊張感を持って過ごしていく必要があると身が引き締まる思いがします。


  さて、今回は前回に引き続き、東京會舘を描いた辻村さんの本を紹介します。


「東京會舘とわたし(下 新館)」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(文庫「東京會舘とわたし 下巻」 amazon.co.jp)


  東京會舘は、東京日比谷の皇居に面した場所に帝国劇場と並んで大正11年に建設されました。


  そのコンセプトは、「民間初の社交場」。それは、貴族のためでも富裕階級のためでもない、誰もが集うことができる建物をめざした建物だったのです。


  大正11年(1922年)に建築された旧館は、大正時代末期の大賞デモクラシーも相まって、様々な市民によってにぎわっていました。上巻(旧館)での短編を見ると、


第一章 クライスラーの演奏(大正12年)

第二章 最後のお客様(昭和15年)

第三章 灯火管制の下で(昭和19年)

第四章 グッドモーニング、フィズ(昭和24年)

第五章 しあわせな味の記憶(昭和39年)


と、日本の激動の時代に東京會舘とそこにかかわる人々が織りなす世界を描きます。


  旧館は、建築後1年もたたずして関東大震災に見舞われ、1階部分は大きく破損し、外壁が崩れ落ちて鉄骨がむき出しになりました。周囲にあった帝国劇場や警視庁は火災によって焼失しましたが、東京會舘は火災からは免れて建物は大きな被害を受けながらも生き残りました。しかし、その復旧には19カ月の歳月を要し、その間休業を余儀なくされたのです。


  上巻、第二章には、その歴史と、そしてさらに日中戦争下で国に徴収された東京會舘の従業員たちの想いが描かれます。


【レトロ建築に刻まれた人々の想い】


  前回、NHKEテレ「美の壺」のスペシャル版で紹介された「レトロ建築」のすばらしさを語りましたが、最後の「ツボ」を語るところで紙面が尽きてしまいました。


■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ

  上野駅からほど近い上野公園は、近代レトロ建築の宝庫です。


  まず、上野駅から正面に位置するのは、前川國男が設計した東京文化会館です。この建物は1961年の竣工ですが、そのエントランスは、コンクリートの大きな庇の下に大きなガラス張りの入り口がそびえ公園の入り口にふさわしい建物となっています。建物に入ると一面に敷き詰められた茶系のタイルが秋の落ち葉を思わせ、公園の一部であることを感じさせます。


  そして、そこから公園に進んでいくとフランス近代建築の巨匠ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館が見えてきます。ここで開催される数々の美術展は目を離せないのですが、毎回訪れるたびにこの建築のエントランスとファサードには感慨を抱きます。この建物は、2016年に世界遺産に登録されています。


  さらに上野公園には、東京国立博物館という近代建築の代表が存在します。表慶館は1908年に建てられた丸い屋根を持つモダン建築。本館は銀座和光を設計した渡辺仁による古典主義の荘厳な建築。東洋館の建築は1968年谷口吉郎の作品。法隆寺宝物殿は1999年に谷口吉生による近代的建築。ここでは、明治、昭和、平成の建物をみることができるのです。


と、前置きが長くなりましたが、「美の壺」で取り上げられたレトロ建築は、その先にあります。


  その建物の名前は、「国際こども図書館」。名前を聴くとレトロ建築とは結びつきませんが、その前身は「旧帝国図書館」だったのです。その建物が建てられたのは、1906年(明治39年)。まるで、パリやベルリンを思わせるヨーロッパ風石造りの瀟洒な建物です。


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(国際こども図書館全景 kodomo.go.jpより)


  この建物が「レトロを未来へ」として取り上げられたのは、この建物が2000年からのリニューアル工事によって改修されたにもかかわらず、旧帝国図書館の建物が見事に保存されているところにあります。この保存のために設計にかかわったのは国際的にも有名な安藤忠雄さんです。安藤さんは、建物内に自然の光を導きいれることによって、建物に生命力を与える設計で知られています。


  安藤さんは、この改修において、旧帝国図書館の建物をガラスの器によって覆うことで、旧建築のファサードを見事によみがえらせました。特に建物の裏側には、外壁をカラスによっておおわれた回廊が設置されており、ラウンジでは旧帝国図書館の外壁に直接触れることができる光あふれる設計がなされています。


  このリニューアルには、まさにレトロ建築を未来につなぐ心が満ち溢れています。


  さて、次なるレトロ建築の所在地は新潟県上越市高田地区となります。


  その建築は、なんと現役の映画館です。どのくらいレトロかと言えば、この建物が営業を開始したのは、1911年(明治44年)なのです。最初は劇場としてスタートした建物が映画館へと変わったのは1916年。なんと、105年を経て今もなお映画館として営業を続けているのです。その映画館の名前は「高田世界館」。


  この映画館は、地元のブランティア(というか映画と建物のファン)の方々が愛情を持って運営しており、その内部も客席も建築当時の面影を残しています。ホールの座席は1階席と2階席に分かれ、その雰囲気は「ニューシネマパラダイス」をほうふつとさせます。その体験は、「映画を見る」というよりも「映画館で映画を見る」ことではないかとある方が語っていました。


  そして、この映画館のお隣には、地区90年の古い町屋をリニューアルした「世界ノトナリ」というカフェが映画を楽しんだ皆さんの憩いの場となっています。


  この映画館は、経済産業省の近代化産業遺産にも認定された文化財ですが、レトロ建築は、現役で使われてこそ更なる価値が生まれ、未来へと引き継がれていくのです。


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(「高田世界館全景 takadasekaikan.comより)


【東京會舘を巡る感動の物語】


  大正11年にうぶ声を挙げた東京會舘は、昭和47年に建て替えが完了し、東京會舘新館として新たなスタートを切りました。


  「東京會舘とわたし」の下巻には、新たにスタートした新館での物語5編と文庫本に加えられた1編の物語が収められています。東京會舘は、2019年に2度目の建て替えを行い、近隣の富士ビルヂィング、東京商工会議所ビルと一体で地上30階建ての高層ビルに変貌しました。東京會舘は、その地下3階から地上4階まで、そして7階の宴会場が東京會舘となっており、そのエントランスや吹き抜けの宴会場は伝統と新しさを兼ね備えた建物となっています。


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(新新館に引継がれた初代シャンデリア kaikan.co.jp)


  この本の最終章は、竣工した三代目の東京會舘が紹介されています。


  下巻の短編は二代目東京會舘に込められた人々の想いがそれぞれの章に込められた秀作ぞろいです。


第六章 金環のお祝い(昭和51年)

第七章 星と虎の夕べ(昭和52年)

第八章 あの日の一夜に寄せて(平成23年)

第九章 煉瓦の壁を背に(平成24年)

第十章 また会う日まで(平成27年)

新 章 「おかえりなさい、東京會舘」(平成31年)


  この本を読むと、歴史的な建物に込められているのは、そこで繰り広げられる様々な出来事にかかわった人々の心の記憶なのだと気づきます。


  下巻でも辻村さんの描く人々の心象風景が我々の心に迫ってきます。


  この本にはひとりの作家の物語も含まれています。


  プロローグと第九章、そして最終章には小椋真護(おぐらまもる)という小説家が登場します。実は、この物語の作者はこの小椋真護なのです。第九章では、東京會舘のシルバールームにある煉瓦色の壁が登場します。その壁の前では、芥川賞と直木賞の受賞会見が行われます。それまで、4度直木賞の候補に上がり落選していた小椋が5度目に直木賞を受賞したその日がここに描かれているのです。


  この小説には小椋が持つ1本の万年筆が登場します。その万年筆のキャップには「M.Ogura」「2012.7.17」と刻まれています。小椋とその万年筆に秘められた長い年月の秘められた物語。そのカギとなったのが東京會舘そのものだったのです。


  その他にも、東京會舘にこよなきあこがれをもっていた夫を亡くし、金婚式のその日に一人で東京會舘を訪れた未亡人の物語、東京會舘で毎年ディナーショウを開いていた日本を代表するシャンソン歌手越路吹雪と岩谷時子。そのディナーショウのそでで付き添っていた若きフロアマンの姿を描く「星と虎の夕べ」。東日本大震災の夜、帰宅困難者であふれかえった東京で、東京會舘で一夜を過ごした女性の人生の絆を描く物語。


  どの作品をとっても心を動かされる名短編が我々の胸を熱くしてくれます。


  皆さんもこの本で辻村さんの描くムーヴメントを味わってください。殺伐としたコロナ禍の現代。まるでろうそくの灯を見るような癒しを感じること間違いありません。


  オリンピックと緊急事態宣言。一見相いれないように見える出来事ですが、これをむすびつけることは必ずしも正解とは思えません。手洗い、消毒、蜜の回避という自己の「責任」と日本のアスリートへの熱き声援。皆さん、その両方を大切に熱き戦いから勇気をもらいましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻村深月 建物に刻まれた人々の記憶(その1)

こんばんは。


  今年、定年を迎えた友人は、仕事を辞めて悠々自適の生活に入りました。


  最後の出勤日、今後の悠々自適生活について語りましたが、彼にはいくつかの人生計画がありました。その中の一つに、「歴史的建物の徒歩による探訪」が含まれていました。


  友人は、一級建築士の資格を持ち、かつて某ゼネコン(総合建設業)に籍を置いていましたが、30年前にわが金融業界へと転職してきたのです。その建物への造形の深さはもちろんなのですが、彼には、高血糖値の持病があり、糖尿病予備軍として体調管理を医師から言い渡されているのです。つまり、取得するカロリーを抑えて、消費するカロリーを増やすことを課せられているわけです。


  そのために最も適しているのがウォーキングです。生活習慣病予備軍にとって、一日一万歩は健康への道標です。しかし、我々は何の目的もなく歩くのには忍耐力を要します。最近はPokemon GOのような歩くこと自体で報酬をもらえるスマホゲームが人気を呼んでおり、街にはスマホを片手に歩き回る高齢者たちをよく見かけるようになりました。


  話は逸れましたが、その友人は退職後、ウォーキングを継続的に行う目的として歴史的建造物を巡り、街を歩くことにしたわけです。確かに、東京近県には様々な歴史を包含した名建築が数多く残されています。東京では、東京駅や丸の内の三菱一号館美術館、上野に行けば東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館など、数え切れないほどの名建築がひしめいています。それを巡るウォーキングは、人生の楽しみと健康の両方を満喫する一石二鳥の計画と言えるのではないでしょうか。


  こんなことを思い出したのも先週から読んでいるある小説のワンダーのためです。


「東京會舘とわたし(上)旧館」(辻村深月著 文春文庫 2019年)


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(「東京會舘とわたし(上 旧館)」 amazon.co.jp)


【レトロ建築に秘められたワンダー】


  東京會舘と言えば、現在はリニューアルにより最新の建物に生まれ変わりましたが、建物の中には1920年(大正11年)の初代東京會舘から継承された様々な内装や造作が今も残されており、我々にその歴史に秘められた記憶を呼び起こしてくれるのです。


  閑話休題


  最近は、NHKの番組を見ることが多く、家族からはNHKオタクと呼ばれてあきれられています。特に動物写真家岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」とEテレの「クラシック音楽館」は面白い。そのNHK Eテレに「美の壺」という番組があることをご存知でしょうか。この番組はあらゆる美術の鑑賞マニュアルとの副題のとおり、毎回様々なアートを取り上げてその鑑賞ノウハウを伝えてくれます。


  その番組で「レトロ建築」が取り上げられました。しかも90分のスペシャル版。見ごたえがありました。この番組では、レトロ建築を味わうための5つのツボを紹介してくれます。


■レトロ建築のツボ その1:建物で味わう世界旅行

  まず紹介されるのは、新宿区にある木造建築「小笠原伯爵邸」です。この建物は旧小倉藩主で伯爵であった小笠原当主が1927年に建築した歴史的建造物であり、東京都選定歴史的建造物にも認定されています。旧小倉藩と聞くと木造数寄屋造りの建物が想像されますが、さにあらず。この建物は、鉄筋コンクリート2階建て、スパニッシュ様式で建てられたヨーロッパが香るようなファサード、そして優雅な内装に魅了されます。さらに応接間の内装にはアラビアを思わせる装飾が施され、異国情緒に満ち溢れています。


  レトロ建物めぐりが大好きという女優内田有紀さんの案内で建物の中で世界旅行気分を味わいます。その他にもレンガ造りの旧事務所、三菱1号館美術館、ギリシャ様式の柱を配置した明治生命ビル、白金にあるアールデコ様式の旧朝香宮邸と見どころ満載の建物が紹介されます。


■レトロ建築のツボ その2:時代を映す、店の顔

  日本には多くの外国人がいますが、あの大ヒットアニメ「君の名は」の背景を描いたアーティストがポーランドの方とは知りませんでした。その名もマテウシュ・ウルバノヴィッチさん。現在、ウルバノヴィッチさんは東京の古き良き商店の建物をデッサンし独自のイラストを制作しているのだそうです。イラストは、「東京店構え」との題名で本にもなっているといいます。


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(書籍「東京店構え」 amazon.co.jp)


  番組では、築地にある築地木村家というサンドイッチ専門店の店構えに魅せられたウルバノヴィッチさんが、木村家の4代当主を訪ね、その店構えを独特のタッチでイラストに仕上げるまでを紹介してくれます。その古さに風情がある看板は秀逸な出来です。


  さらに番組は、東京小金井市にある「江戸東京たてもの園」を訪問します。その中には、実際に使われていた商店6件を移築した一角があり、どれも個性あふれる建物です。


■レトロ建築のツボ その3:時が重ねた心地よさ

  次に番組が訪れたのは、なんと「銭湯」です。今や家庭には必ず内風呂がある時代。銭湯はもはや一部のファンの楽しみとなりましたが、昭和30年代には「内風呂」があっても広く大きなお風呂屋さんの湯舟を味わいたくて家族でお風呂屋さんを訪れました。驚いたことに都内には、総木造り、宮構えのお風呂屋さんが現役で営業しているのです。


  かつて、家族ドラマとして「時間ですよ」というTV番組が放映されていました。その舞台は銭湯。そこの住込みの使用人堺正章が、冒頭に「おかみさーん。時間ですよー。」と声を挙げて始まる番組は、一世を風靡し、皮肉なことに番組が始まると銭湯から人がいなくなると言われるほどでした。(「戦後すぐのラジオ番組「君の名は」みたいですが・・・。」


  ともあれ、この昭和32年に建築されたという銭湯は、吹き抜けを見上げれば、織り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)が広く施され、昔、パーマ屋さんにあった、座ってドームをかぶる方式のドライヤーまで設置されてレトロ感満載です。


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(大田区のレトロ銭湯 Tokyosentou.com)


  いつもはナレーションを務める木村多江さんが、あこがれだったと語る番台に座って、男湯も女湯も見渡し、その建築のすばらしさを紹介してくれました。続いて、木村さんが訪れるのはフランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新が設計した名建築「自由学園明日館」です。


  この建築は、大正10年(1910年)に建てられたといいます。すでに100年以上を経ているのですが、驚くことにこの建物は「動態保存」という保存方法を用いており、現在も現役として利用されつつ保存されているのです。もともと学園ですので、子供たちの教育の場なのですが、光がふんだんに入る講堂やすべての人々が対面して食事をとる食堂は、まるでハリーポッターに出てくるフォグワースを思わせる様々な工夫に溢れています。


  番組では、この建物の中で開催されているオカリナの市民講座の様子を映しており、高齢の受講者たちがここに通ってくることを楽しみにしながら、永年オカリナを葺いている姿に感動しました。


  いよいよ番組も佳境に入っていきます。次なるレトロ兼特は、こだわりの職人技が光る建築物となります。


■レトロ建築のツボ その4:手仕事が生み出す華やぎ

  京都に銭湯?その意外な銭湯は北区所在の「船岡温泉」です。こちらの銭湯もレトロと言えば負けていません。大正昭和の香りをまとった内装はなつかしさでいっぱいで、京都らしく木船医師のある露天風呂や脱衣所を囲むように彫り込まれた京の祭りの欄干など見どころに溢れています。しかし、番組で紹介するのは、職人技と言えるマジョリカタイルの美しさです。


  マジョリカ焼とは、イタリアのマヨリカ焼が発祥の彩色タイルのことですが、19世紀半ばにイギリスのミルトン社、ウエッジウッド社が制作したマジョリカタイルが世界に流行しました。日本でも輸入されましたが、その値段が硬化であることから和製摩距離方いるが開発され、大正から昭和10年代にかけて多く生産されました。大半は輸出されましたが、2から3割は国内の建築に利用されました。そのレトロな美しさは、我々の心を捉えて離しません。


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(船岡温泉のマジョリカタイル funaokaonnsen.net)


  そして、もう一つの職人技。これこそフランク・ロイド・ライトによって図面が起こされた旧帝国ホテルのテラコッタです。テラコッタとは粘土を素焼きにしたものをさし、彫刻や土器などに利用されますが、建築に使う装飾としても使われます。


  旧帝国ホテルの本館では、ライトが作図したテラコッタが450万個も使われるため、このテラコッタ製造のために常滑市に「帝国ホテルレンガ製作所」という会社を作り、テラコッタの制作に当たったのです。実は、この会社が現在のINAX社(旧伊那製陶社)に変わったというのはワンダーでした。さらに驚いたことに、この製作所の職人たちの気質は求道的で、実際に焼きあがったテラコッタはライトの作図したものよりも複雑で合理的な造形だったというのです。


  そういえば、人気番組テレ東の「開運 なんでも鑑定団」に旧帝国ホテルのテラコッタが出品され、本人評価額20万円のところ、鑑定結果が250万円となり、本物であることも驚きでしたが、その金額にも驚きました。


  このテラコッタと旧帝国ホテル本館のファサードは現在愛知県犬山市の明治村に移築され、いつでも見ることができます。


  さて、最後のツボは、「■レトロ建築のツボ その5:レトロを未来へ」なのですが、本の紹介に至る前に紙面が尽きてしまいました。最後のツボのご紹介は次回に繋げたいと思います。


【建物の歴史は人が紡いでいく】


  さて、今回の小説は、辻村さんが「東京會舘」が大正11年に創業されてから現在に至るまでの物語です。


  東京會舘の建物は、その間に2度の建て替えを行っています。大正11年、創業時の本館はルネサンス様式の洋館で、帝国劇場と並んでモダンで壮麗な建築でした。「民間初の社交場」とのコンセプトで創業された東京會舘は、ホテルの認可が下りずに宿泊施設こそありませんが、バンケットホール、バー、レストランを兼ね備えただれでも利用できる會舘として、長きにわたり日本人に愛されてきた會舘です。しかし、新築1年もたたないうちに會舘は関東大震災に襲われます。未曾有の地震に建物は耐えられたのか。その結末はこの小説でお楽しみください。


  この本館が老朽化のために建て替えられたのは、昭和47年のこと。(ちなみに2度目の建て替えは平成27年(2015年)からはじまり、この文庫本が上梓された平成31年(2019年)に地上30階建てのビルとして竣工しました。)


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(竣工当時の東京會舘と帝国劇場 wikipediaより)


  上巻には、創業時から昭和39年までの5つの短編小説が収められています。


  辻村さんの筆は、人の心の動くさまを見事なタッチで描きだします。東京會舘の歴史を創ってきたのは、この會舘にかかわったすべての人々です。辻村さんは、その時代の會舘の出来事とそこにかかわる人たちのエピソードを語るのですが、それぞれの時代、人の心が動く瞬間を見逃しません。


  第一話。大正1254日、帝国劇場で素晴らしい演奏会が催されました。当時、世界で最も有名な演奏家、ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーが来日し、5日間の公演を行ったのです。作家志望の寺井は、この公演を聴くために都落ちした故郷の金沢から東京へと夜行列車に乗ってやってきます。そして、様々な想いが交錯する中で、寺井はクライスラーのヴァイオリンが奏でる音に心の底から感動します。


  いったい帝国劇場で聞いた奇跡のような音楽は、どこで東京會舘と交わるのか。寺井は、そのクライスラーの演奏に勝るとも劣らない感動を東京會舘で味わうことになるのです。そのワンダー。皆さんぜひこの小説で味わってください。


  他にも「民間の社交場」が戦争激化の中で、東京會舘が政府に徴用されることの無念。戦時下の東京會舘で結婚式を挙げた花嫁はどのように戦争を終えたのか。東京會舘で伝説となったバーテンダーはどのように生まれたのか。高度成長期に新たなスウィーツの開発に尽力した東京會舘の事業部長と菓子職人の意地と信念のぶつかり合い。この小説には、東京會舘と言う建物の中で繰り広げられた人々の心の様々なムーヴメントが詰まっています。


  辻村さんの確かな筆致に感動です。


  新型コロナウィルスは新たなデルタ株の侵攻で四度目の感染拡大フェイズに進んでいます。我々にできることは、手洗い、消毒、そして密の回避です。皆さん、一致団結してこの危機を乗り越えましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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宮城谷昌光 呉越春秋ついに最終巻!

こんばんは。

  宮城谷昌光さんが描く中国の春秋時代。その魅力は尽きることがありません。

  今週は、ついに最終巻を迎えた文庫版「呉越春秋」を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 九」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2020年)

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(文庫版「呉越春秋 第9巻」 amazon.co.jp.)

【ライフワークともいえる大作】

  宮城谷さんと言えば、12年の歳月をかけて書き上げた「三国志」はまさにライフワークと言ってもよい作品ではありますが、この「呉越春秋」も匹敵する面白い作品です。

  「小説現代」に作品の連載がはじまったのは、2009年7月号のこと。そこから単行本を経て最初の文庫本が発売されたのが、2013年のことでした。雑誌への連載は、営々と書き進められていき、最終回を迎えたのは2018年8月号のことでした。実に書き続けられたのは、9年間。まさにライフワークと言っても過言ではありません。

  さらなる驚きは、その奥深さと面白さです。

  9巻に渡る文庫本の発売は、完結までに7年を費やしました。呉の宰相であった伍子胥(ごししょ)を描く巻が6冊、越の宰相である范蠡(はんれい)を描いた巻が3冊。その壮大な物語には、宮城谷さんのエッセンスがすべて盛り込まれています。

  宮城谷さんは、生きた物語を描くことを信条にされています。この「呉越春秋」もはじめには「范蠡」を主人公に物語を開始するはずでした。物語の「あとがき」には、この小説の開始に当たってなかなか書き出しを定められなかったご苦労が語られています。

  「・・・ひとつのイメージにこだわった。少年の范蠡が、のちに暗殺者となる呉の鱄設諸(せんせつしょ)と会うシーンからはじめたい。だが、このシーンには暗さがつきまとっている。冒頭が暗ければ、小説全体が暗くなってします。それがわかるので筆が竦んでしまうのである。」

  宮城谷さんの小説は、常に凛とした颯爽とした気分が全体を支配しています。今回の「呉越春秋」は水を意識して書いている、と著者が語っていますが、その水は濁っているものではなく、常に淡い透明度を保ちながら、しなやかに時には激しい潮流を生み出しているように思えます。そうした意味で、あとがきにかかれているこのご苦労のおかげで、この小説はこれだけ長きにわたり語られることになったのです。この面白さを導き出してくれた伍子胥に感謝です。

  ここで語られる幼い范蠡と鱄設諸が会うシーンとは、小説の第4巻に描かれているのですが、確かにそこには、そこはかとない暗さがつきまといます。しかし、このシーンはこの物語に范蠡が初めて登場する重要な場面となるのです。以前のブログを読んだ方はご存知ですが、鱄設諸は伍子胥を腹心とする呉王闔閭が前王を暗殺する、まさにその暗殺者となる人物なのです。

  そして、その鱄設諸が訪れるのは、楚の国で大きな力を持つ商人(賈人)である范氏の屋敷です。伍子胥の命を受けた鱄設諸は、范氏に黄金の盾の制作を依頼するために楚の国まで赴いたのです。そして、このエピソードがはるか後、范蠡が越の国の宰相となり、越が最後の復讐を成し遂げる場面への伏線へとつながっていくのです。

  その伏線の妙はぜひ最終巻で存分に味わってください。

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(「呉越春秋」の登場人物関係図  文庫本付録より)

  全巻を読み終えてみると、1巻から6巻までの伍子胥編、7巻から9巻までの范蠡編、それぞれの宰相の徳と個性の違いを味わうことができる長い物語でした。

  伍子胥は、一族が代々楚国の王室を助ける役目を担ってきた中では、最も大きな徳を備えた宰相でした。楚への復讐という目的はありましたが、呉の王、闔閭の側近として政治と軍事を支え、楚を滅ぼすほどの国力を実現しました。一方。呉への復讐をなすために越の政治と軍事を支えた范蠡は、代々商家を営んできた一族の末裔であり、政治家や官僚、軍人たちよりもその視野は広く、さらに懐が大きな人物として描かれています。

  呉と越の長年にわたる抗争もついに終わりの時を迎えます。その2国を支えた伍子胥と范蠡の物語も。この第9巻でいよいよ最後を迎えます。

【復讐するは我にあり】

  今回の大長編作は、一言でいってしまえば壮大な復讐の物語です。

  復讐と言えば、「復讐するは我にあり」という題名が有名ですが、この言葉は新訳聖書からの引用だそうです。言葉から受ける印象は、復讐を成すべく、決意を披露したように受け止められますが、この言葉は、神が人に向かって語った言葉なのです。それは、復讐は神に任せなさい、と諭したことに神が答えた台詞です。つまり、悪人への「復讐(報復)」は神がおこなう、という意味なのです。

  人は心に負った深い傷を、それを負わせた相手に復讐することで晴らそうとします。

  これまで、呉越春秋の物語で壮大な復讐劇を演じるのは、呉の王と越の王でした。「臥薪嘗胆」とはこの物語から発せられた言葉。それは、恨みを忘れないために薪の上に寝て痛みを思い出し、苦い肝をなめてその苦さで恨みを思い出す、という意味です。

  楚の国から亡命した伍子胥は、流浪の末、呉の国の公子光の右腕として仕えましたが、公子光は時の王をクーデターで暗殺し王となり、闔閭と名乗りました。闔閭は参謀の伍子胥と孫武とともに楚に攻め込み、滅亡の淵に追い詰めます。しかし、その都を制圧し楚王を追撃する最中、本国が越に攻め込まれたとの急報に接します。急ぎ引き返した闔閭は、越の王、允常率いる軍を追い払うことに成功します。

  このことを恨みに思った闔閭は、10年後、允常の跡を継いだ勾践が王となった越へと攻め込みます。しかし、待ち構えていた勾践の策略にはまり、敗退。撤退時に負った弓矢の傷によって闔閭は亡くなります。闔閭は死に際に跡継ぎの夫差を呼び、必ず越の勾践に復讐せよ、と遺言したのです。夫差は父親の恨みを忘れることがないよう薪のうえで寝たということです。

  夫差は、国力を蓄えちゃくちゃくと復讐の準備を整えます。このままでは、富国強兵の呉に攻め込まれると考えた勾践は、先手を取って呉に攻め込もうと計画します。しかし、情報収集にも疎漏のない伍子胥は、この計画を事前に察知します。そして、準備万端整えた呉軍は、攻め込んできた越を迎え討ち、見事勝利を収めました。降伏した勾践は、命乞いをします。処刑を主張する伍子胥の言を夫差は受け入れず、勾践の命を救いました。

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(「呉越春秋」時代の中華 文庫本付録より)

  勾践は、捕虜となって呉の国に幽閉され、奴隷同様の生活を送ります。しかし、その苦難を飲み込んで、表向きは呉への忠誠を誓い、復讐の心をひた隠しにしてすべてを耐え忍びます。勾践は、その恨みを忘れることがないよう、幽閉を解かれ越に帰還してからも自らは倹約に倹約を重ね、越の民を富ませ、兵力を増強することに全力を注ぎます。そして、苦い肝をなめてこの恨みを忘れないように肝に銘じたのです。

  この長編、呉越春秋は臥薪嘗胆の物語なのですが、宮城谷さんが描いたのは、決して夫差と勾践の復讐の物語ではありません。

  そこに描かれたのは、伍子胥が実現したあまりにも巨大な復讐劇と范蠡の復讐を超えた身の処し方なのです。

【伍子胥と范蠡の壮大な復讐劇】

  宮城谷さんは、これまでも数々の古代中国を描く小説で、人の志の大きさと人が織りなす世の不思議さを描いてきましたが、今回の「呉越春秋」も伍子胥と范蠡を中心に据えて、様々な人々の心の在り方とその交流を描いています。

  曰く、「伍子胥を楚都の津(みなと)に立たせることに決めると、小説世界がむりなくひらけた。」と語っています。楚の名門、連尹家の次男として生まれた伍子胥には、人を魅了するパワーに満ち溢れています。

  小説の伍子胥編は、最初から最後まで伍子胥の人としての大きさと、その魅力にほれ込んだ多くの人々によってその小説世界が構築されています。

  小説の始まりは、楚の国で大臣を務め王子の教育係をまかされる父、五奢と兄の五尚のもとで過ごす伍子胥の旅姿からはじまります。そして、父のライバルである費無極の陰謀と讒言によって、父と兄は平王から死を賜ることになります。伍子胥は、旅の中で慕ってきた仲間たちとともに、処刑場に連行された父と兄の救出を試みますが、その分厚い警護に阻まれて、寸でのところで救出に失敗します。

  こうして、伍子胥は慟哭し、楚の平王に対する復讐劇がはじまるのです。

  第1巻から第6巻までに語られる伍子胥の物語は、復讐が目的ではありながら、一人の人間が人々の間で成長を遂げ、ついには一国の宰相までに押し上げられていく姿が語られています。その姿は、かつて宮城谷さんが描いた流浪の王、際の重耳(ちょうじ)の姿に重なります。そして、その戦略のみごとな様は、これまた名作である、中山国を守り抜いた名将楽毅の姿を彷彿とさせます。それは、復讐と言うよりも人生そのものと言ってもよいのではないでしょうか。

  そして、今回の最終巻では、伍子胥のライバルともいえる越の宰相である范蠡の物語も完結することになるのですが、そこでは悲しい伍子胥の最後も描かれます。。

  さて、范蠡の復讐とはどのようなものでしょうか。

  范蠡は楚の国で商家を営む范家の出身です。しかし、范家はある日何者かによって襲撃を受け、蓄えた財産をすべて奪われてしまします。そのときに伍子胥が政策を依頼した黄金の盾も行方が分からなくなってしまったのです。さらに、親族はすべて殺され、范蠡は天涯孤独の身となるのです。范蠡には幼くして婚約した相手がいました。その名は西施。後に絶世の美女といわれた彼女は幼き日に范蠡と言い名付けだったのです。

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(越の国へと引き渡される西施 文庫本挿絵より)

  ところが、運命は二人を引き裂きます。その後西施は、その美貌から越王の側室となりますが、越王が呉の夫差に敗れたとき、人質の一人として夫差のもとに入ります。范蠡は、元の婚約者の存在を心に留めながらも、なすすべなく過ごすしかありませんでした。

  心に大きな傷を負った范蠡ですが、越王 勾践が嘗胆の末に呉に勝利し、夫差が自死した後には、その復讐を成し遂げるチャンスが巡ってくるのです。しかし、呉から戻ってきた西施は、一度呉王のものとなったために越王から疎まれ、越に帰国するや幽閉され、あまつさえ、邪魔な存在として湖に沈められることになるのです。

  生死と父親の敵。范蠡の復讐劇がどのような形で終わるのか、その顛末が最終巻では語られることになるのです。

  そして、そのあざやかな身の処し方は感動的です。

  宮城谷さんの本を語ると話はいつまでも続きますが、紙面もつきました。本日はここでお開きとします。皆さん、どうぞ最終巻をお楽しみに。

 

  昨年に続き、今年のゴールデンウィークもコロナウィルスに翻弄され、外出もままなりません。しかし、ワクチン確保もめどが立ち、まさに、ここが我慢のしどころです。皆さん、手洗い、消毒、マスク、密回避を徹底し、ウィルスに打ち勝ちましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

 

 

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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原田マハ たゆたえども沈まず、とは?

こんばんは。

  原田マハさんの書いたゴッホ小説をついに読みました。

「たゆたえども沈まず」

(原田マハ著 幻冬舎文庫 2020年)

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(原田マハ 「たゆたえども沈まず」amazonより)

【アート小説とフィクションの妙】

  マハさんの小説の魅力は何度となくこのブログで紹介してきましたが、またまたアートの世界を描く素晴らしい小説が上梓されました。今回、マハさんが挑んだのはあのフィンセント・ファン・ゴッホです。その「ひまわり」の絵が数十億と言う金額で取引され、なんどとなく美術展が開催される孤高の画家ゴッホ。そのゴッホを原田さんはどのように描くのか。興味は尽きません。

  マハさんのアート小説は、変幻自在です。

  初めてのアート小説である「楽園のカンヴァス」は、本格的な謎解きを織り込んだ素晴らしいミステリー小説でしたが、そこに描かれていたのはアンリ・ルソーの作品に対する限りない愛情とリスペクトでした。かの有名なルソーの「夢」に描かれた女性、その名前はヤドヴィガです。いったいルソーはどのように宿ヴィかと出会い、彼女を描いたのか。そして、ルソーの絵に新たな絵画の力を感じ取った若き日のピカソ。ピカソはルソーを応援するために自ら選択戦と呼ばれたアトリエに仲間を呼んで「夜会」を催しました。

  かの有名な夜会も題材とした謎解きの小説はアート小説に新境地を切り開きましたが、それはその後の序章にしか過ぎなかったのです。

  その後、マハさんは次々とアート小説の傑作を世に問うて行きます。画家たちにかかわりのある女性たちの視点から印象派の巨匠たちを描いた中短編集「ジュヴェルニーの食卓」では、印象派の絵にも通ずる抒情と感性を作品に昇華しました。さらにニューヨーク近代美術館を舞台とした短編集「モダン」でのコント。スペイン内戦の時代から第二次世界大戦までのパリ時代のピカソを描いた「暗幕のゲルニカ」では、ピカソの愛人を語り部としながらピカソの「ゲルニカ」の作品としての変遷を語りました。

  若くして夭折した天才オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルドの邂逅を描き、最後には読者の背筋をぞっとさせるスリラータッチの作品「サロメ」は、記憶に新しいところです。

  そんなマハさんがこの作品ではどんなワンダーを味合わせてくれるのか、本当に文庫本になるのが待ち遠しい作品でした。

  そして、期待をたがえることなく、今回も新たな手法で我々を驚きと感動の世界に導いてくれました。それは、大胆な着想によるゴッホと日本の物語だったのです。

【炎の人 ゴッホとは?】

  皆さんは、ゴッホと聞いて何を思うでしょうか。

  「炎の人ゴッホ」との名称は、映画の題名です。ゴッホの伝記映画としては昨年制作された「永遠の門 ゴッホの見た未来」が話題になったのは記憶に新しいですが、この題名は1956年に名匠ヴィンセンt・ミネリ監督が撮った映画の邦題となります。この映画は牧師であった父親の後を継ごうと聖職者を目指した青年時代から亡くなる37歳までを描いた力作で、ゴッホを演じたのはカーク・ダグラス。ゴーギャンを演じたアンソニー・クインはこの映画でアカデミー助演女優賞を受賞しています。

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(「炎の人ゴッホ」DVD  amazonより)

  この映画は、かつて日曜映画劇場で観て感動した映画で、私の中ではゴッホといえば「炎の人」という印象が定着略してしまいました。実は原題は「Lust For Life」との題名で、これは「生への渇望」を意味しています。原題通りであれば、ゴッホへの印象も大きく変わったと思われます。

  映画の題名はともかく、ゴッホの絵は確かに我々を魅了してやみません。鮮やかで現職のようなエキゾチックな色使いもさることながら、油絵の具をまるで3Dのように画布に盛り上げて表現する技法は独自のもので、見る者に強烈な迫力を持って迫ってきます。

  これまで、美術展では数多くのゴッホを見てきました。

  いったいなぜゴッホの絵はこれほど我々を魅了するのでしょうか。印象派の絵が我々を魅了するのは、描かれている対象が単なる風景なのではなく、作家の目や心に映った光や事象であり画家の心がそこに反映されているからに違いありません。ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンなどの作品は、ポスト印象派と呼ばれています。それは、シスレーやピサロ、マネなどの印象派をもう一歩進めた作品を描いたという意味でもあります。

  印象派が「眼」に映った光のうつろいをカンヴァスに写し取るのに対して、ゴッホは「眼」よりも「心」に作り上げた事象をカンヴァスに焼き付けようとしています。花瓶に生けられたひまわりを何度も何度もカンヴァスに描くには、自らの心にあるひまわりと、カンヴァスに焼き付けたひまわりにギャップがあるからに違いありません。

  マハさんがこの小説で究極のゴッホとして描いているのは「星月夜」と言う作品です。晩年、アルル北東にあるサン=レミ・ド・プロヴァンス村のサン=ポール・ド・モゾル療養所で生活していたゴッホがその部屋から見える糸杉をモチーフに数々の作品を書き残しました。「星月夜」は、明け方のまだ三日月が残る夜空を背景に黒い糸杉が夜空に身かって伸び、渦巻く夜に向かって佇む姿を描いています。その迫力は唯一無二の作品です。

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(ゴッホ「星月夜」wikipediaより)

  これまで、様々な場面で見たゴッホの絵は、いかにして自分の心をそこに映し出そうかと苦悩しているように思えます。コスモポリタン美術館展で観た「糸杉」は、昼の淡い青空に黒く大きな糸杉が屹立していて、糸杉の命に自らを託しているように見えました。また、最晩年に麦畑に種まきを飛び交うカラスを描いた作品では、暗い夕日を背景に飛ぶカラスが黒く描かれており、ゴッホが自らを塗りつぶしてしまいたいと思っている心が見えてくるようでした。

  ゴッホと言えば病的なまでにつきつめた精神性と緊迫感を思い出しますが、これまで見たゴッホの中で一番好きな作品は、松方コレクションの一枚で、現在では上野の国立西洋美術館に収蔵されている「ばら」という作品です。

  この小説には、アルルでゴーギャンとの共同生活が破たんして耳の一部を切り落とす事件の後、「星月夜」を描いた療養所からパリに一時帰った時のゴッホの姿が描かれています。結婚して、優しい奥さんと子供(子供の名前は、ゴッホの名と同じフィンセントです。)に恵まれた弟テオのもとを訪れたゴッホは、本当に穏やかで幸せな3日間を過ごします。この「ばら」を見ると、その静謐な筆致の中にテオの新居を訪れて幸福感の中にいるゴッホが思い起こされます。

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(ゴッホ「ばら」国立西洋美術館HPより)

  37年の間に素描も含めて2100もの作品を残し、最後は自らを銃で打ち抜いたエキセントリックな生涯。マハさんがその絵画と生涯をどのように描いたのか、読み逃すわけにはいきません。

【ゴッホと日本と浮世絵と】

  マハさんの中短編集「ジヴェルニーの食卓」に「タンギー親父さん」を描いた作品が収められています。タンギー親父さんはパリの画装具店の店主です。彼は若き芸術家が大好きで、その店には絵具代を払えない画家たちが後払いで絵具を買っていき、支払の代わりに作品を置いていくのでまるでギャラリーのようになっていたのです。

  ゴッホも絵具代の代わりに「タンギー親父」の肖像画を描いているのですが、その背景にはたくさんの浮世絵が飾られており、ゴッホはその浮世絵を描いています。ゴッホを始めとする印象派やポスト印象派の画家たちは、当時「ジャポニズム」が流行するパリにいて、日本の浮世絵の手法に大きな影響を受けていたのです。当時、パリには熱狂的な日本の美術収集家がおり、その人たちは「ジャポニザン」と呼ばれていました。

  1986年の3月、ゴッホは当時「グーピル商会」という画商のパリ支店の支配人であった弟のテオを頼ってパリにやってきます。そこで、ゴッホは浮世絵に出あいその技法の虜となります。丁度その年の5月、流行の絵入り雑誌「パリ・イリュストレ」で日本特集が組まれ、発売されました。その特集の表紙を飾ったのは渓斎英泉の浮世絵「雲龍打掛の花魁」だったのです。この浮世絵は、「タンギー親父さんの肖像」の背景に描かれたのはもちろんですが、ゴッホはこの絵を模写しているのです。

  実は、この「パリ・イリュストレ」の日本美術の特集記事は日本人によって書かれた記事が掲載されています。その記事の執筆者は林忠正。この雑誌が発売された19865月、林忠正はパリで美術商を営んでいたのです。その美術勝の名は、「若井・林商会」。林忠正は、その美術勝の社長としてパリの美術界で辣腕をふるっていたのです。

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(雑誌「パリ・イリュストレ」wikipediaより)

  丁度この時期、フィンセント・ファン・ゴッホの弟であるテオは、当時ヨーロッパ屈指の美術商である「グーピル商会」のモンマルトル大通り支店の支配人を務めていたのです。そして、テオは、画家を志す兄フィンセントに仕送りを行い、兄の画業をささえていました。フィンセントは、テオの仕送りによってまったく売れるあてのない絵を好きなだけ描くことができたのです。しかし、一家の長兄であるフィンセントは無一文で稼ぎのない厄介者である自分を常に苛んでいたのも事実でした。

  マハさんが描くゴッホは、同じ時代にパリの空の下にいた日本美術を扱う美術商林忠正とその下で働く加納重吉、フィンセントとテオドールたちの間で繰り広げられる絵画の物語なのです。果たして、ゴッホはどのようにして日本の浮世絵と出会ったのか。フィンセントとテオの兄弟は、パリでどのように過ごしていたのか。現在、我々が知るゴッホの絵のほとんどは、この浮世絵との出会い以降に描かれた絵となります。マハさんはこの小説で、ゴッホが自らの絵画に目覚めた理由を我々に提示してくれるのです。

【ゴッホにかかわる数々の謎】

  ゴッホは周囲の人たちにたくさんの手紙を書いており、多くの手紙が現代に残されています。とりわけゴッホの生活費のほとんどを仕送りによって賄っていた弟テオとの間で交わされた手紙は、「ゴッホの手紙」として上梓されており、多くの研究者がゴッホの人生を追っています。

  にもかかわらず、ゴッホには多くの謎が残されています。

  特に、死の直接の原因となった行為、リボルバーによって自らの腹を打ち抜いたとされる行為は謎につつまれています。そこには目撃者はおらず、真実は藪の中にあります。そもそも、彼が手にしていたリボルバーはどこから現れたものなのか。果たして、その日にゴッホは本当に一人だったのか。研究者の中には、それは自殺なのではなく他殺だったとの説を唱える人さえいるほどです。

  さらに、ゴッホが最後まで追求してやまなかった絵画。彼が目指した絵はどんな絵だったのか。

  今回の小説は、ミステリー小説ではありません。しかし、この小説ではその謎がみごとに解き明かされています。そして、セーヌ川に囲まれ、そのセーヌ川に翻弄されたパリ。「たゆたえども沈まず」とはパリを表わす言葉ですが、マハさんは、そこに人が生きていく想いを幾重にも重ね合わせてこの小説を完成させています。

  絵画が好きな方もそうでない方も、一度この本を手に取ってみて下さい。ゴッホの秘密の一端が皆さんの心を開いてくれるに違いありません。

  新型コロナウィルス封じ込めのための緊急事態宣言が続いています。皆さん、くれぐれも手洗い消毒、マスク着用、脱3密を心がけ、脱コロナ禍を実現しましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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