日記一覧

明けましておめでとうございます

令和四年 
 明けましておめでとうございます。


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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 今年も、新たなコロナウィルスとの生活が続いていきます。日本では、お辞儀とマスクの文化で感染対策が奏功しているように見えます。今年も皆さん心を一つにして、感染対策によって新しい世界が開けることをを目指しましょう。

 「日々雑記」も外出自粛の影響もあり、ご無沙汰する日々が多くなりましたにもかかわらず、ご訪問頂いている皆様にはただただ感謝々々です。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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気になる衆議院選挙と経済成長

こんばんは。

  菅総理大臣が自民党総裁選への出馬を取りやめ、事実上辞任を表明してから、総裁任期を迎えて自民党内での総裁選挙を経て、岸田文雄氏が100代目の内閣総理大臣に就任しました。

  戦後、長きにわたり総理大臣の最長任期を更新してきたのは自民党政権でした。

  その政治的戦略は、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘を経て安倍晋三へと引き継がれ、現在に至っています。その途中には、さきがけの村山さんが中心となった野党連合政権、社会党の村山さんを総理とした連立政権、そしてフィクサーである小沢さんが仕掛けた民主党政権がありましたが、日本の政治の本流は自由民主党によって形作られてきました。

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(岸田内閣の政策を語る総理 toyokeizai.net)

  しかし、エコノミーアニマルと世界から揶揄されつつも驚異の経済成長を遂げて、たった20年余りの間に世界第2位の経済大国へと登りつめた日本は、平成の始まりとともに成長することをやめてしまったのです。

  いったい何が日本を停滞させてきたのでしょうか。

【失われたのは30年もの年月】

  日本の停滞が始まったのは、バブル崩壊からでした。

  1990年代に始まったバブル崩壊後、金融機関の多くが大小にかかわらず破たんし、日本の担保物件である不動産は無価値となって、すべての債権(借金)は担保と価値の両方を失いました。担保のない債権が不良債権として回収不可能となり、日本経済は破たんの危機に直面したのです。

  このときに政治はどう対応したのか。

  1990年代の政治状況は惨憺たるものでした。1992年に佐川急便事件が起き、金丸信が議員辞職。小沢一郎が新生党を立ち上げて自民党政権が崩壊し、細川護熙政権が誕生しました。しかし、この内閣は迷走し、1994年には自社さきがけ連合が政権を取り、村山内閣が誕生します。この状況では効果的な経済政策の出動もできず、すべては後手に回ったのです。

  不良債権の処理は、1997年頃にはめどがついたのですが、その影響はすべての企業の先行投資を消極的にし、企業の活力の下である職員の新規採用さえも見送られ、日本経済の低迷は就職氷河期とともにその後、日本を長く苦しめることになります。

  バブル崩壊に端を発した経済の低迷は、その後30年を経た今でも尾を引いています。

  2000年代にはインターネットバブルで一時景気は持ち直しましたが、2009年にはリーマンショックが世界経済を不況に陥れ、その後、安倍政権によって安定を得た自民党政権がアベノミクスによって株価を押し上げましたが、それは成長経済とは程遠いものでした。

  確かにアベノミクスは三本の矢によって景気に刺激を与えました。とくに金融政策の発動は、株価を押し上げて一時日経平均は3万円の大台を回復したのです。しかし、30年前、バブル崩壊前夜には、日経平均は38915円をつけていました。

  アメリカ経済は、2009年にリーマンショックにより一時不況に突入しましたが、緊急経済対策が功を奏し、早くに危機を脱しました。

  株価を見てみると、日本の株価が30年前の日経平均の最高値をいまだに越えられないのに比べて、アメリカの株価指数(「S&P500」)は、この30年間で353.4から3230.89.14倍も成長しています。また、ヨーロッパの優等生と言われるドイツでは、株価指数が1989年の1790.37から2019年には13249.01へと7.4倍に成長しているのです。

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(好調を続けるNYダウ平均株価 yomiuri.co.jp) 

  一方で、世界経済内での日本の経済力のウエイトですが、1989年には15.3%であったものが、2018年には5.3%まで下がっています。ちなみにアメリカも28.3%から23.3%と下がっていますが、日本ほど凋落してはいないといえます。この間には、中国が2.3%から16.1%、さらに新興国、開発途上国全体で18.3&から40.1%へと飛躍的に高まっています。

  こうした低迷は、日本経済が世界の経済構造の変化についていけてないことが大きな要因です。

  この夏、2021年の世界企業ランキングがフォーチュンから発表されましたが、その1位はアメリカのスーパーチェーン、ウォルマート。第2位は中国の電力会社、第3位はアマゾンでした。第4位と第5位は中国の石油天然ガスの供給企業、そして、第6位はアップルです。

  日本企業では、世界のトヨタ自動車が第9位ですが、そこから日本企業を探すと大きく下って、第48位にホンダが入っています。このランキングは上位500位までが発表されるのですが、今年入った日本企業は52社でした。ちなみに1989年のランキングでは日本企業は111社が名を連ねていたのです。

  日本の技術やそれを支える技術者、職人のスキルは今だ世界トップレベルですが、世界ではIT企業が経済の成長を支えています。アマゾン、アップルを筆頭に、フェイスブックやグーグル、中国ではファーウェイ、アリババ、TikTokなど、ネット社会のインフラを支える企業がのきなみ高成長をあげているのです。

【日本では誰もが既得権と身の保身が第一】

  日本が世界の構造変化についていけていない理由は、その保守性にあります。かつて、日本は海外の工業製品の技術を学び、日本人独自のきめ細かさで世界の水準を上回る製品を作り上げ、その製品を輸出することで経済成長を遂げました。高度経済成長を経て、豊かになった日本はバブルの崩壊とともにその豊かさを守るため新しい分野に打って出ることをやめてしまったのです。

  かつては、日本の官僚たちも守るものはなにもなく、リスクを冒しても発展するために新しい製品の開発と輸出に主導的な役割を果たしました。自動車産業も電気産業も総合商社も、民と官が一体となって創造と販売に打って出ていました。ところが、今や官僚たちは豊かになった自らの権限を守り、不必要なまでの規制をかざし、そのためには政治家への忖度までもいとわない体質へと変わってしまいました。

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(官僚たちの熱き心を描いた名作 amazon.co.jp)

  政治家はどうでしょう。

  アベノミクスの第三の矢は、成長戦略でした。しかし、総理大臣が成長を促しても身の保身を第一に考える大企業は、人件費の増加を渋り、デジタル化や設備・研究への投資も行わず内部留保だけを着実に増やしていきました。その票をあてにする政治家たちもその姿勢におもねります。

  さらに官僚もIT技術を日本国内で経済に繋げようとは考えていません。例えば、携帯電話の通信を司る総務省では、これまでの権益を守ることばかりに熱心で、ITCの発展や新規研究開発を制限こそしても、発展、産業化させようとは毛頭考えていないように見えます。

  政治家は、豊かになった社会を守るため、赤字国債を垂れ流して借金を増やすばかりで、成長戦略を法制化して本気で新たな経済ネタ(税収)を創造しようとしてはいないのです。

  今回、岸田総理の就任直後解散によって、衆議院選挙が行われようとしています。岸田さんはコロナで疲弊した経済にカンフル剤を投入しようと、数十兆円規模の経済支援予算を公約しています。もちろん、国民の生活を守るための経済支援も大切ですが、それよりも頭の良い官僚たちが数十年をかけて築き上げてきた規制と権益の城を崩し、新たな産業の創出のために規制撤廃法の制定と資金の拠出を行わなければ、失われた30年は、失われた40年、50年になっていき、日本の未来は消えていくのです。

  今回の選挙で、野党は口をそろえて「改革」なき自公政権を交代させよう、と演説しますが、果たして立憲民主党に日本を成長させることができるのでしょうか。前民主党政権では、自民党を否定することに終始し、優秀である官僚に進むべき方向をしめすこともなく、事業仕分けなど、自己満足の政策に時間をかけていました。演説では、その経験を糧とすると語りますが、ぜひその言葉通りにお願いしたいものです。

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(大阪で選挙演説を行う枝野代表 asahi.com)

  日本の未来に危機感を持って臨む政治家はどこにいるのでしょうか。

【日曜日にはみんなで選挙に行こう!】

  選挙とは、民主主義国家の民度を図るバロメーターです。

  確かに、この衆議院選挙では、立候補者に本気で日本の国内に築かれた古い壁を打ち壊そうとする気概を感じることができません。近年の投票率の低さは、政治家たちの姿勢に身の保身を感じてしまい、自らの票をたくそうと思えないことが原因だと思えます。

  しかし、たとえ白紙でも構いません。選挙で投票することは、民主主義、自由主義の形態をとる限り、民意を表明するために必要な、根幹をなす行動なのです。投票率が50%前後であれば、信認か不信認かは不明ですが、投票率が80%でそのうち無効票が30%あったとすればどうでしょう。

  これは、日本の政治家への大いなる警鐘となるに違いありません。さらに、その無効票を獲得するために変革を巻き起こす候補者が出現するかもしれません。

  大阪大学の研究では、日本の経済が世界に比して活性化しにくいのは、日本人が成功者を「ねたむ」気質を持ち、成功者の足を引っ張っているためだ、とも言われています。確かに江戸時代から下を見ることを強いられてきた農耕民族では、出る杭を打って村八分にする文化が根付いたのかもしれません。しかし、昭和の高度成長を見れば、日本経済が停滞を続けているのは決してそれが理由ではないはずです。

  今回の選挙後の政治家には、コロナ禍で苦しんでいる経済弱者の救済とともに、失われた30年が継続しないための規制改革と冒険促進政策を推進してほしいと心から願います。それは、政権を担う政党が、自民党であって、も公明党であっても、立憲民主党であっても、維新の会であっても変わらない日本人の願いなのです。

  コロナウィルスの新規感染は落ち着きつつありますが、寒さが募る冬、再び感染拡大に急変するかもしれません。皆さん、油断なく感染対策を行い、安全に投票へと向かいましょう、

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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気になる衆議院選挙と経済成長

こんばんは。

  菅総理大臣が自民党総裁選への出馬を取りやめ、事実上辞任を表明してから、総裁任期を迎えて自民党内での総裁選挙を経て、岸田文雄氏が100代目の内閣総理大臣に就任しました。

  戦後、長きにわたり総理大臣の最長任期を更新してきたのは自民党政権でした。

  その政治的戦略は、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘を経て安倍晋三へと引き継がれ、現在に至っています。その途中には、さきがけの村山さんが中心となった野党連合政権、社会党の村山さんを総理とした連立政権、そしてフィクサーである小沢さんが仕掛けた民主党政権がありましたが、日本の政治の本流は自由民主党によって形作られてきました。

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(岸田内閣の政策を語る総理 toyokeizai.net)

  しかし、エコノミーアニマルと世界から揶揄されつつも驚異の経済成長を遂げて、たった20年余りの間に世界第2位の経済大国へと登りつめた日本は、平成の始まりとともに成長することをやめてしまったのです。

  いったい何が日本を停滞させてきたのでしょうか。

【失われたのは30年もの年月】

  日本の停滞が始まったのは、バブル崩壊からでした。

  1990年代に始まったバブル崩壊後、金融機関の多くが大小にかかわらず破たんし、日本の担保物件である不動産は無価値となって、すべての債権(借金)は担保と価値の両方を失いました。担保のない債権が不良債権として回収不可能となり、日本経済は破たんの危機に直面したのです。

  このときに政治はどう対応したのか。

  1990年代の政治状況は惨憺たるものでした。1992年に佐川急便事件が起き、金丸信が議員辞職。小沢一郎が新生党を立ち上げて自民党政権が崩壊し、細川護熙政権が誕生しました。しかし、この内閣は迷走し、1994年には自社さきがけ連合が政権を取り、村山内閣が誕生します。この状況では効果的な経済政策の出動もできず、すべては後手に回ったのです。

  不良債権の処理は、1997年頃にはめどがついたのですが、その影響はすべての企業の先行投資を消極的にし、企業の活力の下である職員の新規採用さえも見送られ、日本経済の低迷は就職氷河期とともにその後、日本を長く苦しめることになります。

  バブル崩壊に端を発した経済の低迷は、その後30年を経た今でも尾を引いています。

  2000年代にはインターネットバブルで一時景気は持ち直しましたが、2009年にはリーマンショックが世界経済を不況に陥れ、その後、安倍政権によって安定を得た自民党政権がアベノミクスによって株価を押し上げましたが、それは成長経済とは程遠いものでした。

  確かにアベノミクスは三本の矢によって景気に刺激を与えました。とくに金融政策の発動は、株価を押し上げて一時日経平均は3万円の大台を回復したのです。しかし、30年前、バブル崩壊前夜には、日経平均は38915円をつけていました。

  アメリカ経済は、2009年にリーマンショックにより一時不況に突入しましたが、緊急経済対策が功を奏し、早くに危機を脱しました。

  株価を見てみると、日本の株価が30年前の日経平均の最高値をいまだに越えられないのに比べて、アメリカの株価指数(「S&P500」)は、この30年間で353.4から3230.89.14倍も成長しています。また、ヨーロッパの優等生と言われるドイツでは、株価指数が1989年の1790.37から2019年には13249.01へと7.4倍に成長しているのです。

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(好調を続けるNYダウ平均株価 yomiuri.co.jp) 

  一方で、世界経済内での日本の経済力のウエイトですが、1989年には15.3%であったものが、2018年には5.3%まで下がっています。ちなみにアメリカも28.3%から23.3%と下がっていますが、日本ほど凋落してはいないといえます。この間には、中国が2.3%から16.1%、さらに新興国、開発途上国全体で18.3&から40.1%へと飛躍的に高まっています。

  こうした低迷は、日本経済が世界の経済構造の変化についていけてないことが大きな要因です。

  この夏、2021年の世界企業ランキングがフォーチュンから発表されましたが、その1位はアメリカのスーパーチェーン、ウォルマート。第2位は中国の電力会社、第3位はアマゾンでした。第4位と第5位は中国の石油天然ガスの供給企業、そして、第6位はアップルです。

  日本企業では、世界のトヨタ自動車が第9位ですが、そこから日本企業を探すと大きく下って、第48位にホンダが入っています。このランキングは上位500位までが発表されるのですが、今年入った日本企業は52社でした。ちなみに1989年のランキングでは日本企業は111社が名を連ねていたのです。

  日本の技術やそれを支える技術者、職人のスキルは今だ世界トップレベルですが、世界ではIT企業が経済の成長を支えています。アマゾン、アップルを筆頭に、フェイスブックやグーグル、中国ではファーウェイ、アリババ、TikTokなど、ネット社会のインフラを支える企業がのきなみ高成長をあげているのです。

【日本では誰もが既得権と身の保身が第一】

  日本が世界の構造変化についていけていない理由は、その保守性にあります。かつて、日本は海外の工業製品の技術を学び、日本人独自のきめ細かさで世界の水準を上回る製品を作り上げ、その製品を輸出することで経済成長を遂げました。高度経済成長を経て、豊かになった日本はバブルの崩壊とともにその豊かさを守るため新しい分野に打って出ることをやめてしまったのです。

  かつては、日本の官僚たちも守るものはなにもなく、リスクを冒しても発展するために新しい製品の開発と輸出に主導的な役割を果たしました。自動車産業も電気産業も総合商社も、民と官が一体となって創造と販売に打って出ていました。ところが、今や官僚たちは豊かになった自らの権限を守り、不必要なまでの規制をかざし、そのためには政治家への忖度までもいとわない体質へと変わってしまいました。

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(官僚たちの熱き心を描いた名作 amazon.co.jp)

  政治家はどうでしょう。

  アベノミクスの第三の矢は、成長戦略でした。しかし、総理大臣が成長を促しても身の保身を第一に考える大企業は、人件費の増加を渋り、デジタル化や設備・研究への投資も行わず内部留保だけを着実に増やしていきました。その票をあてにする政治家たちもその姿勢におもねります。

  さらに官僚もIT技術を日本国内で経済に繋げようとは考えていません。例えば、携帯電話の通信を司る総務省では、これまでの権益を守ることばかりに熱心で、ITCの発展や新規研究開発を制限こそしても、発展、産業化させようとは毛頭考えていないように見えます。

  政治家は、豊かになった社会を守るため、赤字国債を垂れ流して借金を増やすばかりで、成長戦略を法制化して本気で新たな経済ネタ(税収)を創造しようとしてはいないのです。

  今回、岸田総理の就任直後解散によって、衆議院選挙が行われようとしています。岸田さんはコロナで疲弊した経済にカンフル剤を投入しようと、数十兆円規模の経済支援予算を公約しています。もちろん、国民の生活を守るための経済支援も大切ですが、それよりも頭の良い官僚たちが数十年をかけて築き上げてきた規制と権益の城を崩し、新たな産業の創出のために規制撤廃法の制定と資金の拠出を行わなければ、失われた30年は、失われた40年、50年になっていき、日本の未来は消えていくのです。

  今回の選挙で、野党は口をそろえて「改革」なき自公政権を交代させよう、と演説しますが、果たして立憲民主党に日本を成長させることができるのでしょうか。前民主党政権では、自民党を否定することに終始し、優秀である官僚に進むべき方向をしめすこともなく、事業仕分けなど、自己満足の政策に時間をかけていました。演説では、その経験を糧とすると語りますが、ぜひその言葉通りにお願いしたいものです。

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(大阪で選挙演説を行う枝野代表 asahi.com)

  日本の未来に危機感を持って臨む政治家はどこにいるのでしょうか。

【日曜日にはみんなで選挙に行こう!】

  選挙とは、民主主義国家の民度を図るバロメーターです。

  確かに、この衆議院選挙では、立候補者に本気で日本の国内に築かれた古い壁を打ち壊そうとする気概を感じることができません。近年の投票率の低さは、政治家たちの姿勢に身の保身を感じてしまい、自らの票をたくそうと思えないことが原因だと思えます。

  しかし、たとえ白紙でも構いません。選挙で投票することは、民主主義、自由主義の形態をとる限り、民意を表明するために必要な、根幹をなす行動なのです。投票率が50%前後であれば、信認か不信認かは不明ですが、投票率が80%でそのうち無効票が30%あったとすればどうでしょう。

  これは、日本の政治家への大いなる警鐘となるに違いありません。さらに、その無効票を獲得するために変革を巻き起こす候補者が出現するかもしれません。

  大阪大学の研究では、日本の経済が世界に比して活性化しにくいのは、日本人が成功者を「ねたむ」気質を持ち、成功者の足を引っ張っているためだ、とも言われています。確かに江戸時代から下を見ることを強いられてきた農耕民族では、出る杭を打って村八分にする文化が根付いたのかもしれません。しかし、昭和の高度成長を見れば、日本経済が停滞を続けているのは決してそれが理由ではないはずです。

  今回の選挙後の政治家には、コロナ禍で苦しんでいる経済弱者の救済とともに、失われた30年が継続しないための規制改革と冒険促進政策を推進してほしいと心から願います。それは、政権を担う政党が、自民党であって、も公明党であっても、立憲民主党であっても、維新の会であっても変わらない日本人の願いなのです。

  コロナウィルスの新規感染は落ち着きつつありますが、寒さが募る冬、再び感染拡大に急変するかもしれません。皆さん、油断なく感染対策を行い、安全に投票へと向かいましょう、

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明けましておめでとうございます

 
令和三年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 昨年は、コロナウィルスとの闘いに誰もが厳しい毎日を味わいました。今年は、皆さん心を一つにして明るい世界を目指しましょう。

 「日々雑記」も人やイベントとのつながりがなくなり、月一ブログとなっていました。にもかかわらず、ご訪問頂いた皆様にはただただ感謝です。

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ベートーベン生誕250年にちなんで

こんばんは。

  コロナ禍は、第2波がピークを過ぎ、落ち着くかに見えましたが一転またも猛威を振るい、第3波の拡大が懸念される様相を呈してきました。

  ウィルスの感染防止と経済再生を両立させるのは本当に難しい。

  ところで、近年最も残念だったことのひとつに12月のベートーベン生誕250年にちなんだコンサートがキャンセルになったことがあります。

  今や日本ではファンが増えた指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏が、自ら育て上げたドイツ・カンマーフィルを率いて来日。12月の9日(水)から13日(日)にかけて東京オペラシティにて、ベートーベンの交響曲9曲をすべて演奏する、という夢のようなコンサートだったのです。その情報を知ったときには、すでに抽選が終了を迎える寸前で、木曜日の4番と5番は何とか手に入れましたが、3番「英雄」や6番「田園」、7番や第九はすべて売り切れだったのです。

  残るは一般発売。発売開始にはネット販売がパンクするのが通例なので、日曜日の第九ワンチャンスに賭けることに決めて、連れ合いと二人で予約サイトにアクセスしました。案の定開始直後にはアクセス不能となり、購入はできないのかと落胆しました。ところが、連れ合いのスマホが奇跡的につながります。なんと、日曜日の交響曲第8番と第九のチケットを手にすることができたのです。

  今年一番の暁光と手に手を取って喜び合いました。

  ところがです。喜びもつかの間、10月14日、運命のメールがパソコンに届きました。なんと、カーマンフィルコンサートキャンセルと払い戻しの連絡だったのです。この連絡は残念と言うよりもショックでした。環境から見て、ドイツの交響楽団が来日することができないことは頭では理解できますが、あのパッシブで流麗な響きで聞くベートーベンがかなわぬ夢となったことは、納得できることではありません。

  心の傷が和らぎ、チケットを払い戻すまでには1カ月ほどかかりました。

  ところで、残念なこともあれば、うれしいこともありました。

  今年の2月に最後のライブに足を運んで以来、ライブはのきなみキャンセルとなっていましたが、久しぶりにライブに参加することができました。そのライブは、日本のボサノヴァの第一人者、小野リサさんの「2020 Love joy and Bossa Nova」コンサートです。小野リサさんのライブは、6年ぶりですが、その変わらないボサボヴァのセンスと優しい歌声にすっかり癒されました。

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(小野リサさん コンサートの会場チラシ)

  ライブのパフォーマーは、ピアノの林正樹さん、ベースの織原良次さん、ドラムスの斉藤良さんです。コロナ禍の中、優しさと癒しを意識したライブは、メロディアスなバラードを意識したセットリストで、「愛の賛歌」、「街の灯り」、「コーヒールンバ」、「テイクファイブ」などおなじみの名曲が並びました。ピアノの林さんは名バイプレーヤーで、その楽しそうにインプロヴィゼーションを繰り広げる姿が印象的でした。

  優しさと癒しとはいえ、ボサノヴァとサンバではノリの良さで会場を盛り上げていました。前半最後には、「テイクファイブ」がアップテンポなリズムで会場を盛り上げ、最後のプレスリーナンバー「GIブルース」では、みごとなブサノヴァアレンジで会場は大いに盛り上がりました。さらには、第2部の最後は、とどめの「マシケナダ」。やっぱり、サンバは盛り上がります。

  さて、キャンセル続きの昨今ですが、今、NHKで放映されている「ベートーベン250プロジェクト」は、クラシックファンならずとも心が躍るなかなか素晴らしい企画です。

【ベートーベンって何が凄いの?】

  10月18日日曜日に放送された「ベートーベン250プロジェクト 第2回」をご覧になったでしょうか。以前にもご紹介した日曜クラシック音楽館の一環なのですが、この番組が本当に素晴らしかったのです。この番組のナビゲーターは、元?SMAPの稲垣吾郎さんです。不覚にも知らなかったのですが、稲垣さんは「NO.9 不滅の旋律」と題された舞台で、ベートーベンを演じていたというのです。まさに主役。そうした意味で、このプロジェクトのナビゲーターとして白羽の矢が立ったのもうなずけます。

  第2回目のお題は、「革命家・ベートーベン」です。

  革命家、といえば確かにフランス革命後、自由・平等・友愛をかかげて市民革命の反動に対し、フランス軍を率いて戦ったナポレオン・ブナパルトに感銘を受けて交響曲第3番「英雄」を作曲したベートーベンですが、そのこととは異なります。ここれの「革命」は、それまでのクラシック音楽に「革命」を起こしたベートーベンンがテーマであることを示しています。

  今回の解説は、指揮者の高関健さんです。高関健さんは、カラヤン最後の弟子と言われ、カラヤンの薫陶を受けた名指揮者ですが、その語り口はとてもわかりやすく、聞き手の吾郎さんとのやりとりも軽妙で楚お話しに引き込まれます。高関さんは、ベートーベンが音楽に巻き起こした3つの革命について、実際にオーケストラを指揮しながら解説してくれるのです。

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(NHK 250プロジェクト twitter.com)

  まず、第一の革命。それは、あの交響曲第5番「運命」の冒頭に象徴されていたという話。世界で最も有名な交響曲と言っても過言ではない「運命」その冒頭は「ジャジャジャジャーン」というたった4つの音です。この交響曲はベートーベンをして最高の交響曲を創るとの思いから捜索されましたが、それはこの4つの音からどれだけの交響曲を作曲することができるか、という課題への挑戦だったのです。

  それを象徴しているのがこの「ジャジャジャジャーン」でした。

  これまで、「運命」の楽譜をまじまじと見たことがありませんでしたが、その最初にかかれているのは音符ではなく、休符だというのです。なぜ休符が最初にかかれているのか。それは、音楽が始まる前に一拍のタメがあるということです。あの「ジャジャジャジャーン」は、正確には「(ン)ジャジャジャジャーン」だということです。

  高関さんは、その(ン)がどれだけ指揮者にとって難題なのかを、実際の指揮によって教えてくれます。その(ン)によって、ベートーベンはこの交響曲の始まりを4つの音から進化させて渾身の響きへと進化させようとしたのです。実際の指揮では、高関さんの解説に合わせて、吾郎さんもオーケストラの指揮に挑戦します。この流れで、我々はベートーベンがどれほど「凄い」ことを考えていたのかを身を持って体験します。

  この(ン)から始まり、その変奏のすばらしさを知った後に聞かせてくれた「運命」は。な・な・なんと、ドイツ・カーマンフィルと指揮者パーヴ・ヤルヴィによる交響曲第5番だったのです。ヤルヴィ氏の緊迫感と高揚感にあふれる「(ン)ジャジャジャジャーン」は、我々の心を射抜きます。東京オペラシティでのベートーメンがコロナ禍のために聞けなくなったことは残念でしたが、この番組がその感動を補ってくれたのです。本当に涙ものの「運命」でした。

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(ヤルヴィ氏 交響曲全集 amazon.co.jp)

  さて、皆さんはベートーベンが起こした革命のあとの二つがきになりますよね。ここから番組は、改めて我々にワンダーを感じさせてくれるのです。

  「感情を音楽で表現する。」

  第二の革命はこれです。今でこそ、J-POPSでも歌謡曲でもジャズでも音楽は我々の感情を表現し、我々の心とのキャッチボールを創りだします。しかし、ベートーベン以前の音楽は、貴族たちスポンサーのために作られたバックグラウンドミュージックでした。そこに大げさな感情がはいることは、スポンサーである貴族たちのサロンでは邪魔臭いものだったのです。しかし、ベートーベンは音楽をサロンから解放し、市民のもとへと取り戻したのです。

  交響曲第5番「運命」と同時に作曲された第6番「田園」。この曲は各章に彼自身が表題をつけています。例えば第一楽章は「田舎に到着したときの愉快な感情のめざめ」と記されています。高関さんは、オーケストラを指揮しながらバート―版がどのようにしてこの曲で感情を表現したかを語ってくれます。木々のささやきや小鳥のさえずりをおなじみの楽器を響かせ合いながら表現し、我々はベートーベンとともに、田舎の田園を散策するすがすがしさを感じることができるのです。

  ことに田舎が夕立に襲われる情景の表現。高関さんはその予兆から雷がとどろくまでを、それぞれの楽器で雷や豪雨にひとビオが逃げ惑う様までがみごとに描かれていることを我々に教えてくれ、我々にさらなるワンダーを味合わせてくれるのです。

  そして、第5番はヤルヴィ氏の名演でしたが、「田園」の指揮者はあのブロムシュテット氏でした。この94歳のマエストロの「田園」は、「感情を音楽で表現する」という言葉を体現する素晴らし演奏です。この日のプログラムは心躍る素晴らしいものです。

  さて、革命その3は「楽章をつなげる。」ことです。

  高関さんは、あの名作ピアノソナタ23番「熱情」の第2楽章の最後の章を奏でます。第2楽章の最後の音は、そのまま第3楽章へとつながり、そこに切れ目を感じることがありません。この音楽を途切れさせることなく、さらなる高みへとつなげていく手法が、ベートーベンの革命であったのです。この手法は、あの「運命」の第3楽章から第4楽章にも使われており、我々は、「運命が戸を叩く」と呼ばれるあの感動を予感から味わうことができるのです。

  番組では、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章から第3楽章への間のこのつながりを、ブオrムシュテット氏の指揮、ピアノ、ルドルフ・ブフビンダー氏の名演で聞かせてくれるのです。ブフビンダー氏は、時には感動し、ときにはうれし気に旋律を指から醸し出し、心からこの曲を奏でることが好きであることが伝わってきます。

  この番組が示してくれたベートーベンの「革命」は、大いなる感動をもたらしてくれました。

【ベートーベンはいつまでも続く】

  この番組ののちにも「クラシック音楽館では、ベートーベン特集が続いています。

  「オーケストラでつなぐ希望のシンフニー」と題されたシリーズは、日本各地のオーケストラによるベート-ベン交響曲の演奏をつないでいきます。

  11月15日には、群馬交響楽団と指揮者高関健氏による交響曲第3番「英雄」と九州交響楽団と指揮者小泉和裕氏による交響曲第4番が放映されました。特に九州フィルが奏でた4番は、緊張感あふれる緩急をみごとに表現して、心から感動しました。

  また、23日には名古屋フィルハーモニー管弦楽団と若手の雄、川瀬健太郎氏の指揮による交響曲第7番。番組では、各地のオケの特長を紹介するとともにリハーサル風景も紹介してくれるのですが、川瀬氏のリハは本当に面白かった。第7番はクレッシェンドが何度も繰り返されることが特長ですが、川瀬氏はそのひとつひとつにいかに緊張感を持たせるかを何度も語っています。そして、本番では、その言葉の通り、緊迫感あふれるクレッシェンドが繰り返されるのです。

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(名古屋フィル 交響曲第7番 twitter.com)

 さらに札幌交響楽団とマエストロ秋山和慶氏のよる北海道のようにおおらかな交響曲第8番。そして、広島交響楽団と指揮者下野竜也氏による劇音楽「エグモント」が披露されました。下野さんがインタビューで、「ベートーベンの音楽は、当たり前のことを力強く、感動を持って語る音楽だ」という言葉は至言でした。確かにとてもわかりやすい音階で感動を呼ぶベートーベンの音楽は「当たり前のことを感動的に奏でる」唯一無二の音楽に違いありません。

 さて、すっかりベートーベン話で盛り上がりましたが、紙面も尽きましたので今夜はこの辺で失礼します。

 それでは皆さんお元気で、感染防止対策を万全に、またお会いします。


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映画はドキュメンタリーが面白い!

こんばんは。

  新型コロナウィルスは、我々人類に様々な試練を与えています。

  元官房長官であった菅さんが総理大臣となった要因にも、新型ウィルス感染症への対応とそのため冷え込んでしまった経済活動再開の両立という課題が横たわっていることが挙げられます。近年の政治家は2世、3世が幅を利かせており、本当に我々国民のことを身に染みて感じている政治家はなかなか表舞台に出てくることがありません。

  そうした意味で、秋田の農家出身で多くの苦労と努力の末に総理大臣となった菅氏の政策には大いに期待が持てます。一国のトップとしてその外交手腕に不安を感じることはありますが、安倍政権の前は、半年ごとに総理大臣が変わってきたわけですから、それに比べれば7年間安倍政権の外交姿勢を経験してきた菅さんならば、外交も無難にこなすに違いありません。

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(菅 新内閣発足 asahi.com)

  今、一番心配なのは財政問題です。消費税を10%としてもなお財政再建はめどがつかない中、経済活動の維持を最大のテーマとしてコロナ対策のために何兆円もの借金で日本を救おうとしています。もちろん、優先すべきはコロナ対策と経済の再生ですが、そこに費やす税金がすべて借金というのはいかがなものかと思います。

  あまつさえ、来年度の概算要求では、これまで予算を抑えるために先送りされてきた政策を、コロナ対策の名のもとにここぞとばかりラベルを張り替えて提出する各省庁の姿勢には、本来日本の未来を憂うべき政治家と官僚のメンタリティがいかに低いかを物語っている気がしてなりません。

  コロナ対策はコロナ対策、財政規律は財政規律と、「省益を忘れ、国益を思え。」という故後藤田さんの言葉は今こそ思い出されるべきだと強く思います。

  さて、思わず話が政治の話に行ってしまいましたが、コロナ対策と言えば、「映画」も最も大きな被害を受けた業界のひとつです。考えてみれば、ライブの最後も2月でしたが、映画館に最後に足を運んだのも2月でした。

  そして、先月、半年ぶりに映画館に足を運んだのです。久しぶりの映画は本当に面白かった。

【ハリウッド映画の音響はこうして生まれた】

  先月ですが、例の王様のブランチの映画コーナーを見ているとシアター映画の特集をやっていました。そこで紹介されていたのが、「ようこそ映画音響の世界へ」という一作でした。その紹介では、「スター・ウォーズ」のチューバッカやR22の声?や「トップ・ガン」のジェット機音がどのように創られたのか、クイズ形式で語られていましたが、その音響がライオンやサルの声を多重録音したものだったというのは驚きでした。

  たしかに近年のハリウッド映画では、あらゆる映画に音響が大活躍しています。「スター・ウォーズ」フリークとしては、映画の音響の秘密を描いたこの作品を見逃すわけにはいきません。上映館を探すと、勤務先である新宿のシネマカリテで上映していました。(今日現在、まだ上映中です。)土日は混むようなので、仕事を休んで見に行くことにしました。

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(「ようこそ映画音響の世界へ」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「ようこそ映画音響の世界へ」(2019年米・94分)

 (原題:「Making Waves」)

・スタッフ  監督:ミッジ・スコティン

        脚本:ボベット・バスター

・キャスト  ウォルター・マーチ ベン・ハート

       ゲイリー・ライドストローム

       ジョージ・ルーカス アン・リー

       スティーブン・スピルバーグ

       デヴィッド・リンチ 

(以下、ネタばれありです。)

  さて、映画はその歴史から語られていきます。音の録音は発明王エジソンの手で発明されましたが、エジソンの夢は、人が動く映像に同時に音をつけることでした。しかし、その技術は実用化されることなく、映画は音声のないトーキーの時代からはじまったのです。劇場では、オーケストラや役者、弁士などを使って映画の上映時に生音をつけることによって映画を楽しんでいたのです。そこに革命が起きたのは、フィルムの横に音の波を記録するサウンドトラックの発明でした。

  映画に音が組み込まれて以来、音響がどのような歴史をだどってきたのか。

  映画は、その音響に革命を起こしてきた人々へのインタビューで。めくるめくような映画の音響世界を我々に語ってくれるのです。

  映画の音響は、「VOICE(声)」「SOUND EFFECT(効果音)」「MUSIC(音楽)」と大きく3つのジャンルに分かれますが、それぞれの分野でおきた革命的なできごとが語られていきます。

  本作で革命を起こした映画として語られる作品を挙げてみると、特撮映画の草分け「キングコング」(1933年)、オーソン・ウェルズの名作「市民ケーン」(1941年)、ヒッチコック監督の名作「鳥」(1963年)、コッポラ監督のアカデミー賞受賞作「ゴッドファーザー」(1972年)、バーブラ・ストライザンド主演の名作「スター誕生」(1976年)、ジョージ・ルーカスの大ヒット作「スター・ウォーズ」(1977年)、当時いち早くベトナム戦争を題材とした「地獄の黙示録」(1979年)などなど、197年代までの歴史はまさに音響革命が次々と起きた奇跡の時代でした。

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(映画「地獄の黙示録」ポスター)

【コッポラとルーカスが作った会社?】

  それぞれのエピソードがワンダーで、本当に面白いのですが、何と言っても最も盛り上がったのはコッポラ、ルーカス、スピルバーグによる「音」へのこだわりです。映画の音響について、3度のアカデミー賞を受賞した巨匠アン・リー監督は、「映画は映像と音に2つでできている。」と語っていますが、映画の中で、ルーカスは、「音は感情を伝える。映画体験の半分は音だ。」と語り、スピルバーグは、「音が瞬間を永遠にする。」と語っています。

  実は、この映画で初めて知った事実があります。それは、コップラとルーカスが映画に対する夢を実現するために映画スタジオを設立していたという事実です。その会社の名は、アメリカン・ゾエトロープ社と言います。若きコッポラとルーカスは、自らの夢をかなえる映画制作の場としてこの会社を設立しました。しかし、会社はルーカスのデビュー作品であるあまりに実験的な作品がヒットせず、破産の危機に見舞われます。しかい、設立にかかわったメンバーの中に「音響部門」を手掛けるウォルター・マーチがいたのです。

  彼が手掛けた作品がコッポラの大ヒット作「地獄の黙示録」でした。映画では、「地獄の黙示録」の音響がどのように作られていたのか、マーチ自らがぁ立ってくれており、ここが映画音響のひとつの分岐点となりました。現在では当たり前のように使われている5.1サラウンドシステムが初めて採用されたのもこの作品だったのです。この作品のおかげで、ゾエトロープ社は破産を免れたと語られています。

  ルーカスは「スター・ウォーズ」を企画したときに音響は、ウォルター・マーチを希望し指名しました。しかし、彼はコッポラ作品を一手に任されており、他の作品を引き受ける時間がありませんでした。そして、マーチは一人のプロフェッショナルな若者をルーカスに紹介します。それが、のちにこの作品でアカデミー賞を受賞する音響デザイナーのベン・バートです。

  映画では、ルーカスとバートが「スター・ウォーズ」の音響をどのように創っていったか、インタビューで明らかにしていきます。

  ルーカスが音響のためにバートをスカウトしたのは、映画の撮影が始まる1年も前のことでした。それほどルーカスは音響の重要さを認識していたのです。確かに「スター・ウォーズ」では、印象に残る音響が数え切れないほど盛り込まれています。ライトセーバーの震えるような電子音、宇宙人たちの話声、ワープの時のエンジン音、R22の機械音、そしてチューバッカの雄たけび、ありとあらゆる音響が「スター・ウォーズ」の世界を彩っているのです。

  そうした数々の音響がいかに作られたか、ルーカスとバートは我々に語ってくれるのです。

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(ルーカス「映画音響」を語る screenonline.jp)

  一つご紹介すると、バートは当時チューバッカの声を作るのに世界中のあらゆる動物たちの声を録音し続けたそうです。どの声を聴いてもルーカスとバートのもつチューバッカのイメージには重なりません。録音の泰美を続けること約1年、バートはその声と出会います。あのチューイの声は・・・。それは映画を見てのお楽しみです。

【音響革命は続いていく】

  新たな音響の世界へと足を踏み入れたハリウッド。

  映画の後半は、1980年代から現代までの「声」「効果音」「音楽」におけるめくるめくような革命の数々を、それを手掛けた監督や音響デザイナーたちが語っていきます。

  ここで新たな音響デザイナーとして登場するのがルーカスフィルムで働いていたゲイリー・ライドストロームです。彼が手掛けた映画を聴けばその音響のすばらしさに驚くに違いありません。「ターミネーター」「ターミネーター2」「バックドラフト」「ジュラシック・パーク」「タイタニック」「プライベート・ライアン」「トイ・ストーリー」「ファイティング・ニモ」などなど、とにかく参画した映画は枚挙にいとまがありません。

  映画のオープニングで語られていたのは、「プライベート・ライアン」で描かれたノルマンディー上陸作戦の戦場を経験した主人公の映像とそこで使われた音響効果です。その音響の使い方を監督であるスピルバーグが語ってくれます。それは、まるで観客が線上にいるような錯覚を覚える銃弾、砲撃、爆弾、機関銃の音、音、音の嵐です。それは、決して音の大きさだけではなく、一つ一つの音が、独立して鮮明に聞こえること、映像とともに音響がサラウンドし、流れていくことへのワンダーなのです。

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(スピルバーグ「映画音響」を語る benger.jp)

  ライドストロームは、「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」に続いてこの「プライベート・ライアン」で3度目のアカデミー賞のダブル受賞(音響効果賞・録音賞)に輝いているのです。映画では、彼が少年のころからいかにして音響に興味を持ち、あらゆる音の挑戦に身を投じてきたかが語られていきます。

  さらに紹介される音響の世界は、「マトリックス」(1999年)、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(2003)、「インセプション」(2010年)、「アルゴ」(2012年)、「ワンダー・ウーマン」(2017年)、「ブラック・パンサー」(2018年)、「ROMA/ローマ」(2018年)と現代まで続く音響の革命を語り続けてくれます。


  この映画は、これまで我々が感動してきた映画の中で音響が創りだしてきた、映像と双璧を成す音が果たしてきた役割を教えてくれるのです。

  本当に面白いドキュメンタリー作品でした。まだ見ていないあなた。映画に興味があるのならぜひご覧ください。これから味わう映画の感動が倍増するに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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明日へのアンサンブルと伝説の名指揮者たち

こんばんは。

  28日金曜日、安倍総理大臣の辞任会見には驚きました。

  第一次内閣の時にも同じ病で辞任に至りましたが、憲政史上最も長い在位を記録した総理大臣の辞任。来年の9月まで自民党総裁の任期を残しての辞任には、非常に悔しい想いがあるものと思います。それまで半年ごとに交代し、世界中からあきれられていた日本の政治でしたが、久しぶりに腰を据えて日本の政治を行った功績は大変大きなものがあったと敬意を表するばかりです。

  個人的には、やはり70年余り政権の座にあった自民党の人材の厚さに野党はかなわないのかな、と思いつつ、日本の未来に明るい指針を与える総理大臣が誕生することを切に願っています。それには、まず選挙の投票率を80%程度にすることが国民の責務だと痛感します。

  ところで、今年の223日、サックスフォン四重奏のクワチュオール・ザイールと日本の女性サックス四重奏のルミエ・サックスフォンカルテットの素晴らしい8重奏を味わって以来、予約したすべてのコンサートとライブがキャンセルとなりました。思い出すほどに無念です。

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(クワチュオール・ザイールコンサート チラシ)

  新型コロナウィルスの猛威を考えれば当たり前なのですが、さすがに東京JAZZをはじめ楽しみにしていたライブがすべてなくなってしまうと悲しくなります。人がその心を表現する演奏を味わうのは、歌にせよ楽器にせよ、奏でる人と聞く人のコラボレーションに他なりません。奏でる人のムーブメントが聞く人に語りかけ、聞く人がそれを受け止めて自らのムーブメントとして感動する。そして、演奏が終わった後にはその感動を大きな拍手と歓声で答えるのです。

  確かにチケット代はキャンセルによって帰ってくるわけですが、お金ではこの心の穴を埋めることはできません。

  一日も早く音楽ライブが再開することを願う中で、先日心を動かされる音楽番組を目にしました。

【孤独と明日へのアンサンブル】

  その番組は、NHKで放送された「明日へのアンサンブル」と題した音楽番組でした。

  緊急事態宣言のさなか、日本フィルを始めとして日本中の交響楽団の演奏者は人前での演奏を封じられ、自粛する中で自宅で練習を重ねる以外に演奏の場を持つことがありませんでした。いったい彼らは何を思い、何を糧にして自粛期間を過ごしたのでしょうか。

  NHKでは、首都圏の名だたる交響楽団の団員たちが自宅で演奏する様子を2度にわたって放送しました。その番組が「孤独のアンサンブル」と題された番組です。出演者は名だたるプロフェッショナルたちです。楽団は、NHK交響楽団をはじめとして、東京都交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団。日本フィルハーモニー管弦楽団などのコンサートマスターや首席演奏者たちがリモート演奏を聞かせてくれました。

  2回にわたった番組では、ヴァイオリン、チェロ、ホルン、トランペット、フルート、オーボエ、クラリネット、など管弦楽を構成する一流のプレイヤーたちがソロで演奏する楽曲に、ひとりひとりの様々な思いが込められており、どの演奏からもあふれる心の旋律が響いていました。

  そして、自粛期間中に一人一人で演奏してきた孤独のプレイヤーたちが、緊急事態宣言の解除を受けて、感染対策を万全に取りながら一堂に会することとなったのです。その番組名は「明日へのアンサンブル」。アンサンブルを構成するのは、「孤独のアンサンブル」を彩った13名の管弦楽奏者です。

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(13人の演奏者が集結 NHKondemanndoより)

  ヴァイオリンでは、N響の第一コンサートマスターの篠崎さん、神奈川フィルの首席ソロ・コンサートマスターの石田さん、東京都響のソロ・コンサートマスターの矢部さん。チェロでは日本フィルから菊池さん。フルートは、東京フィルの神田さんとN響の梶川さん(お二人はご夫婦です。)、ファゴットは東京フィルの石井さん、ホルンは読売響の日橋さん、トランペットはN響の長谷川さん、などなど、その一流のメンバーに驚嘆します。

  「明日へのアンサンブル」は、他のメンバーと音と息を合わせながら演奏ができない長い孤独な時間の果てにたどりついたアンサンブルの世界です。番組は、演奏家たちそれぞれの対談、そして、「孤独のアンサンブル」で演奏したソロの想いを紹介し、続けてアンサンブルでの演奏が奏でられます。舞台の上で13名が和になって一つの曲を演奏する。そして、その演奏の間には、人々が三々五々に歩く街や公園の風景がバックに流れていくのです。

  例えば、エルガーの「威風堂々」。バッティングセンターで打撃に興じる演奏家が映し出されます。彼は野球の大ファン。しかし、コロナ禍でプロ野球の開幕は延期され、ファンとして観客で応援することがかないません。選手や監督と一体となって野球に熱狂する。そんな夢を乗せて、黙々と「威風堂々」を練習するホルン奏者。その紹介を受けて13人で一体となって演奏する「威風堂々」が流れていきます。まさにその演奏が彼の想いを我々に届けてくれるのです。

  クラリネットの吉野さんは、「孤独のアンサンブル」でくるみ割り人形から「花のワルツ」を演奏しました。くるみ割り人形は、バレエ音楽ですが、その演奏はオーケストラでなされます。オーケストラで主旋律を奏でるのはヴァイオリンやホルンです。クラリネットも重要な役割を担いアンサンブルに欠かすことはできませんが、オーケストラではけっして主役ではありません。

  「花のワルツ」は、チャイコフスキーの魅惑的な主旋律が様々な楽器で次々と引き継がれ、変奏されていき、すべての楽器がひとつになってその世界を創造していきます。吉野さんは、クラリネットで他の楽器が奏でる主旋律を変奏しながら奏で、たった一人で「アンサンブルの音を再現したのです。その演奏には、一日も早く皆で演奏がしたいとの思いが詰まっていたのです。

  アンサンブル演奏の当日、この演奏をテレビで見ていた他のメンバーが、いよいよ「花のワルツ」をみんなで演奏できることとなったことを心から楽しみにしている、と声をかけて吉野さんの笑顔を誘っていました。13人が心を一つに合わせた「花のワルツ」は心から感動を覚える見事な演奏でした。

 その他にもフルートの神田さん、梶川さんが変奏する「ケ・セラ・セラ」やエンリオ・モリコーネの名曲「ニュー・シネマ・パラダイス」、3人のコンサートマスターがトリオで奏でる「エニグマ変奏曲」など、それぞれの演奏家の思いがこもったみごとなアンサンブルが披露されました。そして、最後の曲は、オーケストラで壮大に奏でられる「展覧会の絵」の終曲「キエフの大門」です。13人の心からアンサンブルを楽しむ思いは決してオーケストラに勝るとも劣らず、我々の心に勇気と癒しを運んでくれたのです。

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(コンサートマスター3人が集う spice.eplus.jp)

  インタビューの中で、「自粛期間中一人で演奏しているといろいろな思いが湧き出ます。音楽よりもおにぎりひとつの方が大切なのかもしれない、とか、でもこの音楽を心から待っていてくれる人もいるとも思えます。」とある演奏家が語っていましたが、音楽は間違いなくコロナ禍で委縮してしまった我々の心を解きほぐして、明日に向かう心を取り戻してくれました。

20世紀を彩った名指揮者たち】

  さて、「明日へのアンサンブル」が放送された前の週、毎週日曜日に放送されるEテレの「クラシック音楽館」をご覧になった方はいるでしょうか。

  驚いたことに番組は、ドイツの映像プロダクションの保管庫から始まりました。そのプロダクションでは、昔の貴重な35mmフィルムをマイナス4℃で冷凍保管しているというのです。どうやらNHKが今力を入れている「8K」放送の目玉とする目的で、この貴重なコレクションから「伝説の名演奏」を借り出してきたようなのです。そのフィルムには驚きの映像が保存されていました。

  皆さんもご存知のまさに伝説の指揮者たちの演奏です。

  永くベルリンフィルの首席指揮者を務め「クラシックの帝王」とまで称されたヘルベルト・フォン・カラヤン。ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」を作曲し、世界を股に掛けた指揮者レナード・バーンスタイン。最後の巨匠と称されウィーンフィルを率いて来日を果たしたカール・ベーム。はたまた、完全主義者の名をほしいままにし、その演奏回数の少なさから「伝説の指揮者」と呼ばれたカルロス・クライバー。

  この名前を聴いただけで、その映像と演奏に限りない期待で胸がいっぱいになりませんか。

  いすれも1970年から1991年までの脂がのっていたころの演奏です。カラヤンが指揮するのはチャイコフスキーの交響曲第4番。残念ながらEテレでは第一楽章だけでしたが、その華麗な音は「ベルリンフィルの帝王」の名にふさわしい華麗な演奏でした。番組ではカラヤンの最後の弟子となった指揮者の高関健さんが解説をしてくれ、その映像に対するカラヤンのこだわりが半端ないことを語ってくれワンダーでした。

  さて、次に登場するのはバーンスタインのベートーベン交響曲第9番合唱付です。これは感動しました。映像は1979年にウィーンフィルを指揮した演奏ですが、そのエネルギッシュな姿は、ウィーンフィルとウィーン国立歌劇合唱団を一体にまとめあげ「喜びの歌」を歌い上げる素晴らしい演奏です。残念ながら第四楽章のみの放送でしたが、最も脂がのっていたころのバーンスタインのすごみがそのえんそうに凝縮されていて、終わった瞬間に思わず拍手してしまいました。ブラヴォー!

  バーンスタインは1989年にベルリンの壁が崩壊したときに、その「自由」を記念してベルリンで特別公演を行い、その際に第九を演奏しています。第九の歌詞である“Freude(歓喜)”を“Freiheit(自由)”に変えて歌い上げたとのエピソードでも知られていますが、このとき、バーンスタインはゆっくりとしたテンポで壮大な第九として表現しており、その演奏は78分に及びました。このときの演奏はその場にいればその荘厳さに心を打たれると思うのですが、CDで聞くとそのテンポの遅さが気になってしまいます。

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(第九を振るバーンスタイン mainichi.com)

  しかし、今回発見された1979年の映像では、そのテンポの良さは明らかです。確かに演奏時間も70分と8分も短く、その歯切れの良さと緩急の妙が本当に素晴らしく、思わず演奏に引き込まれてしまいました。

  ベームの指揮は、巨匠ならではの安定した美しさが際立ちます。演奏されたモーツアルトの40番は彼のオハコですが、その解説がワンダーでした。ベームはその飄々とし指揮ぶりで有名なのですが、が演奏する楽団員にとっては油断できないのだそうです。そのわけは、鋭いひと睨みです。ベームは淡々と指揮を続ける最中に、ここぞというポイントでは要となる演奏す兄するどいひと睨みを聴かせる、というのです。番組ではその証拠とばかりにベームがひと睨みする瞬間を映像で確認していました。確かにストップモーションの瞬間、彼は楽団員をひと睨みしています。

  このひと睨みは、「そうそうちゃんと演奏がまとまるだろう。」と言っているというのですが、確かに演奏中にひと睨みを浴びた演奏者は、おもわず背筋が伸びでベストパフォーマンスを演じるに違いありません。なるほど納得でした。

  今回のハイライトは、何と言ってもカルロス・クライバーのブラームスの交響曲第2番の全曲演奏でした。カルロス・クライバ-と言えば、ベートーベンの交響曲第7番の演奏は伝説となっており、そのしなやかでタイトな名演は、7番と言えばクライバーと言われるほど完璧奏です。今回のブラームスは1991年の映像ですが、驚きました。

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(伝説の指揮者クライバー wikipedeiaより)

  彼の演奏会はめったに開かれることがなく幻とまで呼ばれていましたが、その指揮ぶりを映像で見るのはこれが初めてでした。その姿には、「華麗で壮観」との言葉がピッタリです。指揮者は、先の未来を示している、とは先日チコちゃんが述べた言葉ですが、彼の示す未来は華やかです。その量腕の振りは鮮やかで、まるで指揮台のうえでダンスを演じているようにも見えます。その演奏たるや一部の隙もないほど一音一音に緊迫感があるのですが、映像では彼の指揮ぶりに目を奪われてしまいます。

  なるほど、完璧な音作りには完璧な演技も必要なのかと改めて感動しました。


  感染対策に自粛は欠かせませんが、素晴らしい音楽は我々に明るい未来と希望を提示してくれます。人数制限やソーシャルディスタンスなど、感染対策のスタンダードを確立して、一日も早くライブコンサートが日常として楽しめることを心から待ち望んでいます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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人は音楽なしでは生きていけない

こんばんは。

  今年のゴールデンウイークは、「家にいよう」が合言葉です。

  日本人という民族は、本当にオリジナルな存在だと思います。鎖国をしている間でも江戸を世界一の年にしてしまうし、江戸末期には和算学の関孝和はすでに微分積分を使っていたし、渋川春海は天文学を極め、星の動きから日本1300年にわたる暦をすでに紐解いていました。ところが、文明開化によって西洋文化こそが人類発展の礎とばかりに、すべての文化を西洋の土台で取り入れて競争社会を作り上げたのです。

  今回の新型コロナ拡散では、図らずも日本の特異性が明らかになりました。

  例えば、日本では世界に比べて人口に占める感染者数や脂肪事例は圧倒的に低い水準を保っています。これは、もともと日本人が人に迷惑をかける行為を避けようとする民族であることが大きな要因なのではないでしょうか。

  日本人社会は、農業中心の経済体系を永年にわたって築き上げてきており、そこには村八分文化が根付いています。そこでは、公民的な意味での他人を思いやることとは別に、人に迷惑をかけると村からのけ者にされるため、できるだけ人様に後ろ指をさされないようにしようとの心理が働きます。そのため、疫病などに備えて触れ合わない文化がはぐくまれたのではないでしょうか。

  くしゃみや咳は人に向かってしない、挨拶は触れ合うのではなくお辞儀でする。できれば、座って距離を置いて頭を下げる。目上の人に対しては、距離を取って頭を下げたまま目を挙げない。こうした、村八分にならないための文化が接触を避ける文化となり、結果としてウィルス感染を未然に防ぐことになっているのではないでしょうか。

  そうは言っても今回のウィルスは感染力が異常に強いので、日本の文化だけでは対抗できません。また、村八分社会では負の連鎖が起きる可能性もあります。今は科学の時代です。根拠のある感染症予防(手洗い励行、マスク着用)を行い、対人接触8割減を実現し、一日も早い緊急事態宣言からの脱却を目指しましょう。

【家にいて何をやろうか】

  我々人類のために身を粉にして働いて頂いている医療従事者の方々(うちにも一人います。)には本当に感謝なのですが、それに反し私は4月にはほとんどテレワークで自宅にいました。人との接触は、家族を除けば限りなくゼロに近いのですが、いつもの日課がこなせずにイライラしてくることに間違いはありません。例えば、大好きなライブやコンサートは(当たり前ですが)すべてキャンセルとなり、テナーサックスのレッスンも(これまた当たり前ですが)すべて中止。さらには映画館も休業、本屋さんもやっていません。

  人間は社会的な生き物なので、こうした人が生み出したものへの接触を制限されるとストレスがたまりまくります。日頃からあまり運動はしていないので、その点は特に痛痒を感じないのですが、文化的接触がないのは本当に苦痛です。

  もちろん、ライブやコンサートはキャンセルなので、チケット代はもどってくるのですが、個人的にはライブやコンサートはお金に代えがたい感動を生んでくれます。最も憂うのはパフォーマーたちの収入が途絶えて、音楽活動が続けられなくなるリスクが出てくることです。もちろん、ライブハウスの経営者も生活していけず、出演者も生活の糧をえることができなくなるのです。

  イギリス、ドイツ、フランスでは、ミュージシャンを含めたパフォーマー達には都市封鎖などによって収入がなくなることへの補償があると報道されています。しかもそれは申請すれば即座にもらえるようです。日本には文部科学省がありますが、こちらの官僚たちには芸術を愛する人は数少ないのかもしれません。人間はパンなしでは生きていくことができません。さらに音楽や文学がなくても生きていけません。政治を司る人たちにはぜひそのことを理解してほしいと心から願います。

【音楽こそが我々をつなぐ】

  さて、話を戻すと、ライブやコンサートで生音を堪能することはできませんが、テレビや動画で、音楽はオンタイムで発信されています。

  コロナ以降、感動した音楽番組をいくつかご紹介します。

  まず、ポップスでは、薬師丸ひろ子さんのライブです。こちらは、NHKBSプレミアムの番組なのですが、2018年に行われた「歌がくれた出会い」と題されたライブの映像です。

  薬師丸ひろ子と言えば、70年代から80年代に青春時代を送ったお父さんたちには懐かしくて涙がチョチョ切れるのではないかと思います。そのデビューは1978年、14歳の時です。当時、角川春樹さんが角川文庫から映画製作へとすそ野を広げ、文庫本とのコラボレーションで一世を風靡しました。その第一作は、横溝正史さんの「犬神家の一読」。この映画は大ヒットし、第二作目は森村誠一さんの「人間の照明」。こちらもジョー山中が謳った主題歌とともに、大ヒットとなりました。

  そして、その第三作目が高倉健さんを主人公に描いた作品「野生の照明」だったのです。

  この「野生の照明」でデビューしたのが、薬師丸ひろ子さんでした。

  ライブのすばらしさは、その題名通り、彼女がこれまで接してきた様々な人々とのエピソードを課の儒自身が振り返るというインタビューが挿入されるところです。ライブは、これまで35年間歌われてきた数々の楽曲が網羅されていますが、それぞれの曲にまつわるエピソードが本人の口から語られる趣向は素晴らしいものでした。

  「野生の照明」のテーマ曲は、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。」とのフィリップ・マーロウの言葉がキャッチコピーの「戦士の休息」。画占め手の映画出演だった彼女に気遣ってくれる高倉健のエピソードはもちろんですが、この曲を歌うたびに高倉健さんがどこか近くにいる気がする、との言葉はデビュー当時の想いが湧き上がってくるようです。

  私が彼女のファンになったのは、1983年公開の松田優作さんと共演した映画「探偵物語」。以前からその大きな目に魅力を感じていましたが、若い女性を描いて一流の赤川次郎さんが書き下ろした原作のおもしろさもさることながら、松田優作さん延ずる駄目刑事がおませでお嬢な女子大生の魅力をふんだんに引き立てており、素敵な映画でした。

  ちょうど会社に入った年に発売されたアルバム「A LONG VACATION」は、日本のJPOPSの草分けであった大瀧詠一さんの大ヒットアルバムです。このアルバムでブレイクした大瀧さんはその後様々な楽曲をメジャー歌手に提供することになりますが、この映画の主題歌はまさに作曲家として絶好調の大瀧詠一がはなったスマッシュヒットでした。(作詞は盟友松本隆さん)この映画は、当時TV放映をビデオにとり、擦り切れるくらいに何度も見たことを覚えています。この曲もラうぶでは、大瀧詠一さんの思い出とともに歌われていました。

  そして、もう1本忘れられない映画が、夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」です。この映画は薬師丸ひろ子さんがはじめて本格的な演技に挑戦し、女優として評価された記念すべき作品です。ラストの衝撃もさることながら、この作品も主題歌が秀逸でした。薬師丸ひろ子さんの歌う「Woman”Wの悲劇より」と題された曲は、「愛」を歌いながらもスタイリッシュで見事な抑揚が心をゆさぶります。作詞は前作に続き松本隆さん、作曲は呉田軽穂です。え?クレタカルホ?かつてグレタ・ガルボという伝説の女優がいましたが、この名前は?

  実はこの人こそあの松任谷由実さんなのです。薬師丸ひろ子さんは女優生活に悩み、何度となく女優を辞めたいと思ったと言います。しかし、ある時、苗場に遊びに行き松任谷由実さんのライブを見た時に、そうなんだ、自分も自由に生きればよいのだと目の覚めるような気がした、と語っています。お二人の間には人にわからない強いきずながあったのです。この曲も名曲でした。

  薬師丸ひろ子さんの歌は本当に様々な人たちが創り、彼女との絆を作り上げてきました。薬師丸さんは中島みゆきさんの名曲「時代」もカバーしています。インタビューでは、この曲の録音の時にスタジオにみゆきさんご本人が来てくれてアドバイスを受けたと言います。ひろ子さんはこの曲を声量を持って歌おうと息を吐き出して歌っていたそうなのですが、みゆきさんがその歌を聴いて、あなたにはもっと声量があるはず、思い切って声を出して、と言われたそうです。あの中島さんが、驚きです。

  彼女がこれまで歌ってきた数々の歌には、その歌にまつわる人との出会いがあったのです。ご紹介した以外でも、彼女には竹内まりあさん、井上陽水さん、坂本龍一さんなどなど日本の音楽界を代表する作曲家たちが曲を書いています。その素晴らしい音楽を味わいながら、それぞれの人たちの出会いを語る。このライブはテレビで見るからこその感動がある素晴らしい番組でした。機会があれば、皆さんもぜひ味わってください。心が癒されること間違いなしです。

Stay Homeを実践する音楽家たち】

  さて、話は変わりクラシックの番組です。

  新日本フィルハーモニー管弦楽団は、日本を代表するオーケストラのひとつです。しかし、今回のコロナウィルスのためにすべてのコンサートは中止となりました。オーケストラにはスタッフを含めれば100人以上の人たちが仕事をしています。そこに収入の道が閉ざされればどんなことが起きるのでしょうか。それは楽団の存続にも影響する一大事です。

  オーケストラはすみたトリフォニーホールを本拠地としていますが、今はホールも閉鎖されており集まっての練習も、遠隔公演もできません。そこでトロンボーン奏者の山口さんがネットで合わせて音楽を届けようと楽団のメンバーに呼びかけたのです。曲は「パプリカ」。62名ものメンバーがそれぞれ自宅からのアクセスで一つの曲を作り上げるとの快挙に感動しました。

  ところで、NHKEテレでは毎週日曜日の2100から「クラシック音楽館」という番組を放送しています。いつもは、N響の定期演奏会の模様を放送するのですが、ときどき驚きのプログラムが放送されます。先日は、「いま届けたい音楽~音楽家からのメッセージ~」と題して、今最も才能を発揮している人々のメッセージとともに過去の素晴らしい演奏を振り返る番組を放送していました。

  92歳になる世界的指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんのベートーベン交響曲7番は、年齢を全く感じさせないテンポの名演奏。そのはつらつとした演奏に大きな元気をもらいました。そのメッセージは「今、ルツェルンの自宅で日本の皆さんを思い浮かべている。いつか皆さんのためにコンサートホールで演奏したい。こうしたときだからこそ、私たちは音楽を渇望する。」。心が熱くなりました。さらには、ベルリンフィルでコンサートマスターを務めるヴァイオリニスト樫本大進の演奏にも時間を忘れて聞き入りました。

  曲は、サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。大進さんの「この曲の第2楽章の美しさに心をいやしてもらえれば・・・」とのメッセージとともに演奏が始まります。サン・サーンスと言えば、さだまさしの曲にも使われた「動物の謝肉祭」の「白鳥」は知らない人はいないほど有名ですが、この曲のヴァイオリンの美しさは、さすがサン・サーンスと唸らせる本当に美しい旋律が心地よい名曲でした。指揮者、パーヴォ・ヤルヴィさんも相変わらずの流麗な演奏でここ画尾から感動しました。

  今、全国の緊急事態宣言も延長を迎えて、我々は「Stay Home」という、さらなる忍耐を強いられますが、こんな時こそ笑顔を忘れずに豊かな音楽を心の糧に穏やかに毎日を過ごしていきましょう。

  今、私は毎日テレワークで仕事をしていますが、幸せなことに子供も巣立ち音楽を聴きながら仕事に勤しんでいます。今のお気に入りはエリック・アレキサンダー(T.Sax)、2016年のアルバム「Second Impression」です。やんちゃなエリックから変貌し、ストレートでアグレッシブながらも大人の魅力を醸しだす彼のSAXがひときわ響き渡る名作です。ジャズがお好きな方は、一度お聴き下さい。お気に入りの1枚になると思います。

  それでは皆さん、いつもに増してお元気で、またお会いします。


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ついに完結!「スター・ウォーズ」シリーズ

こんばんは。

  いきなり閑話休題なのですが、戦後プロ野球の歴史を長嶋さん、王さんとともに作り上げてきたレジェンド、野村克也氏が亡くなりました。

  このブログでも野村さんの著書は数えきれないほど紹介してきましたが、日本のプロ野球に数々の新たなページを書き加えてきた氏の功績は何物にも代えがたいものだと思います。ニュースでは、その教え子たちのコメントが次々に述べられていましたが、同時代に切磋琢磨してきた人々の語りもさることながら、監督時代にその教えを学んだ高津監督や島選手の涙は我々の心を打ちました。

  3年前に奥さまを亡くしてからすっかり元気がなくなりましたが、同じ病状で亡くなったその仲睦まじさをそのまま天国でも続けていくものと、心からのご冥福をお祈りしています。

  野村さんの選手晩年と監督時代の活躍を同時代に味わうことができ、野球ファンとしてこれほどの幸せはありません。西武での生涯現役捕手時代、その後のID解説者時代、ヤクルトの黄金時代を築いたヤクルト監督時代、阪神監督時代、マーくんを育てた楽天監督時代、とすべての時代で我々に野球の奥深さを教えてくれました。その人間観察の確かさと弱者が勝つためのマネジメントは、これからも我々の指針として役に立つことに間違いありません。本当にありがとうございました。感謝です。

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(1995年 日本一のトロフィーを掲げる野村氏)

  さて、野村さんの話は一度おいて、今回は「スター・ウォーズ」の話です。

  ジョージ・ルーカス氏が壮大なサーガを構築し、そのサーガをもとに最も面白いエピソードを画像化するとのコンセプトで制作された映画「スター・ウォーズ」シリーズ。その大ヒットシリーズが、40年の時を超えてついに完結しました。

  「スター・ウォーズ」シリーズは、1977年から1983年にかけて制作公開された3部作が「オリジナル・トリロジー」。1999年から2005年にかけて作られた3部作が「プリクエル・トリロジー」。2015年から2019年まで作成され、ついに昨年末に最終作「スカイウォーカーの夜明け」が公開された3部作は「シークエル・トリロジー」と呼ばれています。「プリクエル」とは本編に対する前編を意味しており、「シークエル」とは後編を意味しています。

  つまり、最初の3部作は「オリジナルストーリー」であり、ルーカスが作成したアナキン・スカイウォ―カー(ダーズベイダー)の物語が「オリジナル」の前日譚であり、ディズニーが制作した直近の3部作が「オリジナル」の後日譚となるわけです。

  「オリジナル」からのスター・ウォーズファンとしては、年末に公開された完結編を見逃すわけにはいきません。先日、満を持してついに11回の上映となってしまった「スター・ウォーズ」最終完結編を見に行きました。

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(2019年米・142分)

(原題:「Star Wars The Rise of Skywalker」)

・スタッフ  監督:J.J.エイブラムス

       脚本:J.J.エイブラムス

          クリス・テリオ

・キャスト  レイ:デイジー・リドリー

       カイロ・レン(ベン):アダム・ドライバー

       フィン:ジョン・ボイエガ

       ポー・ダメロン:オスカー・アイザック

       ランド・カルリシアン:ビリー・ディー・ウィリアムス

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(「スカイウォーカーの夜明け」ポスター)

【オールスターキャストの豪華さ】

  今回の「シークエル・シリーズ」の題名を見てみましょう。

  第1作目が「フォースの覚醒」、第2作目が「最後のジェダイ」、最終作は「スカイウォ-カーの夜明け」となっています。参考にこれまでの題名も見てみましょう。「オリジナル・トリロジー」は、1作目が「新たなり希望」、2作目は「帝国の逆襲」、3作目が「ジェダイの帰還」です。「プリクエル・トリロジー」は、第1作が「ファントム・メナス」、第2作が「クローンの攻撃」、第3作が「シスの復讐」となっています。

  題名を追っていくとよくわかりますが、銀河世界をすべて手中に収めようするシス一族とそれぞれの民族の自由独立を守ろうとする共和国軍の闘いという大きな流れの中で、「フォース」という精神力(気)を持つジェダイという共和国の騎士団がシス一族と相対する物語が紡がれていくことになります。ここで非常に重要な要素は、ジェダイの騎士が操る「フォース」は、暗黒面としての側面も有しており、シス一族も暗黒面の「フォース」を操ることができるという点です。

  「オリジナル」では、ジェダイの騎士の最後の生き残りは2人いて、その一人オビ・ワン・ケノービーであり、もう一人がヨーダでした。一方、シス一族の帝国軍ではダース・ベイダー卿という将軍が暗黒面の「フォース」を操ります。「オリジナル・トリロジー」では、様々な謎が、物語の進行につれて我々に明かされていくことになります。まず、2作目で主人公であるルーク・スカイウォーカーの実の父親がダース・ベイダー卿であることが明かされ、我々に衝撃を与えました。

  いったい敵と味方に分かれて争う「フォース」の持ち主たちが親と子であるとはどうゆうことなのか。その驚きが継続されたまま、作品は第3作目へと突入します。さらに第3作目ではそれ以上に驚きの事実が明かされることになります。それは、共和国軍の王女であるレイア・オーガナ姫が、ルーク・スカイウォーカーの双子の兄妹であるという、これまた衝撃の事実です。次々と明かされる謎に我々は驚くのですが、これこそがジョージ・ルーカスが作品に仕掛けたワンダーのひとつだったのです。

  そして、「オリジナル」で明かされた衝撃の事実がなぜ生まれたのか。それを解き明かしたのが21世紀の幕開けに制作された「プリクエル・トリロジー」だったのです。

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(エピソード1「ファントムメナス」ポスター)

  こうした物語を踏まえて、その後を描こうとする「シークエル・トリロジー」の構想は、物語の構成からして非常にハードルが高かっただろうと想像されます。まず、驚いたのは新たな主人公の創出です。ファミリーネームを持たないレイという女性。第1作目は、彼女にリアリティと存在感を与えるために作られたといっても過言ではありません。そのリアリティは、フィン問「帝国軍からの脱走兵によって強調されています。この二人を創出したことで、「シークエル・トリロジー」はやっと動き出すことができたのではないでしょうか。

  レイにはなぜか「フォース」が宿っているようです。その存在は、第2作目に進んで彼女は世捨て人であったルーク・スカイウォ-カーを発見し、ジェダイの修業を受けるようになっても、依然謎のまま最終作へと突入します。一方で、「オリジナル・トリロジー」の人々の人生もレイと同時並行で進んでいきます。

  「シークエル」では、ルーク・スカイウォ―カーもレイア・オーガナ姫もハン・ソロもそれぞれ年齢を重ねて登場します。レイア姫は、シス一族の流れをくむ「ファースト・オーダー」となのる新帝国軍に対抗し、今や共和国軍を率いる将軍となっています。ハン・ソロとは別れていますが、その間にはベンという一人息子を設けました。ところが、ベンはまるでダース・ベイダーのように暗黒面の「フォース」の力に取り込まれ、何と帝国軍の将軍となっているのです。

  ここで、「シークエル」に過去の歴史が繰り返されることになります。ベンは、カイロ・レンと名を変えて、シスの手先となって母親であるレイア姫率いる共和国軍と対峙することになります。こうして、1作目ではハン・ソロが殺され、第2作ではルーク・スカイウォーカーが渾身のエネルギーを使い果たして地上からは消え失せ、レイア姫も第3作で帰らぬ人となります。そして、物語はシス一族対レイの闘いをクライマックスとして壮絶な最後が描かれることとなるのです。ここに至って、最後に残されたレイの出生の秘密が明かされることになるのです。

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(帝国軍の戦艦 スターデストロイヤー buzz-plus.com)

  今回は、「アロジナル」の2作目でハン・ソロやルークに力を貸したランド・カルリシアン将軍も登場し、まさにオールスターキャストの映画となりました。完結編には、亡くなったハン・ソロやルーク・スカイウォーカーも登場し、物語で重要な役割を演じることになるのです。

【ディズニー・スター・ウォーズとは?】

  これまでも、「フォースの覚醒」、「最後のジェダイ」をご紹介した回でディズニー映画となった「スター・ウォーズ」がいかにノスタルジー映画になっているかを語ってきました。今回の最終話もやはり「壮大なノスタルジー映画」であることに変わりがありません。

  これ以上深入りすると、第3作目の最終映画のネタばれとなってせっかくのワンダーを削ぐことになってしまうので、具体的なシチュエーションは語らずに話を進めます。

  この物語の進行から言えば、当然ラストは「シークエル・トリロジー」の主人公であるレイと帝国軍を率いるシス一族の首領との対決となります。シスの本拠地はこれまで謎に包まれていましたが、今回、ついに銀河の奥深くに隠されたシスの本拠地が判明し、帝国軍の数万に及ぶ大編隊に共和国軍が全兵力を動員して最後の決戦を挑みます。帝国軍では、これまでも惑星を吹き飛ばすパワーをもつスーパーレーザー砲が惑星基地「デススター」に搭載されて登場しましたが、今回はそのスーパーレーザー砲が装備された戦艦が登場します。

  今回描かれる最後の決戦は、これまでとは比較にならないスケールで描かれます。数万の艦隊である帝国軍に対して、共和国軍の艦隊は数えるほどの艦隊でしかありません。敵の弱点に対してワンポイント攻撃を試みるのですが、多勢に無勢。少数精鋭の舞台で帝国軍の帰還に乗り込んだフィンたち一隊も苦戦を強いられます。

  「オリジナル」でデススターに追い詰められたルークたちにはエンドア星の住人であるイウォーク族の加勢があり、民族を超えた連帯の力強さが描かれていました。その連帯が我々に大きな感動を生んだのですが、今回も最後の決戦に臨んで生命の大きな連携がカギを握ります。しかし、その連携の描かれ方に今ひとつリアリティがないのです。

  もちろん、リアリティを出すための工夫が随所でなされていることに間違いはありません。シス族が潜む星を見つけるためにレイとフィン達は部隊を編成して、ヒントとなるシスの言葉を解読するためにキジーミという星に潜入します。そこは、共和国軍のポー大佐が昔悪事を働いていた星で、昔なじみのゾーリ・ブリスという女性が仲間として登場します。そこのやり取りは泣かせるエピソードなのですが、このエピソードが最後の決戦のにくい伏線となっており、リアリティのための工夫の一つなのです。

  ポー大佐が世話になったキジーミ星は、帝国軍が新たに建造した旗艦船に備えられたスーパーレーザー砲によって木端微塵となり、宇宙の藻屑と消えてしまうのです。

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(究極の兵器 デス・スター wired.jpより)

  しかし、こうした周到に用意されたエピソードでリアリティを醸し出そうとする演出にもかかわらず、ラストシーンが終わったときに涙が出るような感動は湧き出てきませんでした。なぜなのでしょうか。それは、映画の展開があまりにも忙しすぎたせいだと思います。この映画は、レイという新たなジェダイの後継者とルークたち(カイロ・レンを含む)の物語の2本だてとなっています。しかし、その伏線の描き方が丁寧ではありません。これまで、ファンが知っている「オリジナル」を意識するあまり、あまりに多くのエピソードが詰め込まれて、エピソードのリアリティが希薄になっていると思えるのです。

  映像としてのワンダーも黒沢映画のワンダーを踏襲したジョージ・ルーカスのような驚きを醸し出すこともなく、脚本も破綻のない物語展開を意識するあまり、オリジナルのワンダーを出し切れていないという印象でした。

  さすが、ハリウッド映画として最高のエンターテイメントになってはいるのですが、「スター・ウォーズ」としては、前作以上に「壮大な二番煎じ」との印象は鑑賞後に湧き出てきた感想です。

  この「シークエル・トリロジー」は、独立したシリーズとして3本をまとめて見れば新たな感動を感じることができるのかもしれません。いつか、時間があれば味わってみたいものです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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550回を迎えてますます感謝です!

こんばんは。

  先日、500回のご挨拶をしたばかりですが、皆々様のおかげで「日々雑記」も550回を迎えました。

  こうして毎回、新たな気持ちでブログが続けられるのも、いつもご訪問していただく皆様のおかげです。回を重ねるごとに、皆さんのご訪問に改めて感謝する今日この頃です。

  本当に、いつもありがとうございます。

  この50回を振り返ると、最近の「日々雑記」は日記の登場が多くなり、相対的に本の紹介が減っているというのが印象です。自分で記事を書いていて言うのもなんですが、この50回で「日記」として書いた記事は15回を数えます。それは、「人生楽しみ」の時間の塩梅(あんばい)が思ったようにいかないことの証左ですね。

  というのも、最近人生の楽しみが増えたせいもあり、なかなか時間の配分がうまくいきません。本を読むことは今でも一番の楽しみなのですが、昨年はそれに加えて見に行きたい美術展が目白押し。さらに連れ合いと二人の旅行も行きたい場所だらけ。大好きな音楽ライブやコンサートもネタが尽きません。そのせいで、あおりをうけているのは映画です。今年は、映画を見る機会が減りました。特に、シアター系の映画はこちらから情報を得て上映館を探して見に行く必要があり、どうしても機会が減ってしまします。

【テナーサックス奮闘記】

  さらに還暦を機に新たな取り組みに手を染めたいと考えて、テナーサックスを習い始めました。学生時代にはギターをたしなんでいて、しろうとバンドで楽しんでいたのですが、あくまで遊びで、五線譜や音符とは無縁でした。その意味で、新たな楽器を演奏することはまさにチャレンジです。

  なぜ、テナーサックスがと言えば理由は簡単です。私の最も好きなアーティストがマイケル・ブレッカーだからです。テナーサックスは最も人間の声に近い音を奏でる楽器、と言われていますが、はじめてレッスンでドミソを吹いた時、その音色のすばらしさに心から感動しました。この話を始めると、またいくら紙面があっても足らなくなるのでほどほどにしますが、習い始めて4か月でヤマハのYTS-82Zを手に入れたときには、その体全体に響き渡る低音に、大袈裟なようですが「生きていてよかった。」と心が震えました。

  テナーサックスは、ピアノやギターなどのハ調(C)を基本にした楽器と異なり、ロ調(B♭)で作られた楽器なので、移調楽器と呼ばれます。そのため、ジャズなどでは半音階が多用されてすべての指を瞬時に動かす必要が生じ、フラットとシャープに翻弄されます。ピアノの黒鍵でおなじみですが、音階は全音と半音で成り立ちます。例えば、ドの上はレですが、その間にド♯の音が入り込むわけです。そこで、楽譜を読むときに恐ろしいことが起きます。それは、ドの半音階上の音は、レの半音階下の音と同じ音であるという当たり前のことです。

  つまり、ド♯とレ♭は、表記は異なるにもかかわらず音符では同じに書かれ、鳴らす音も(当たり前ですが、)同じなのです。楽譜が読める方には「だから何なんだ。」としかられそうなのですが、楽譜が読めない人間は、サックスを吹くときに音符の下にカタカナで音を表記し、それを見て曲の練習を行います。すると曲が変調するとド♯と書かれていた音符表記が、レ♭に変わるのです。

  サックスを抑える指使いは、ド♯もレ♭も同じであり鳴らす音も同じなのですが、人の生業からして表記が変われば指使いも変わるのが当たり前、と脳は理解しています。ドとレだけならば、まだ脳みそもうまく対応してくれますが、この現象は、ミにもファにもソもラにもシにも生じる現象なのです。今取り組んでいる課題曲は、「煙が目にしみる」と「いつか王子様が」なのですが、前者ではソ♭と表記されている音が、後者ではファ♯と表記されているのです。

  曲が変わると「アレッ」と考えてしまい、息が止まります。

  そのたびに先生はニヤニヤして、「難しいですよね。」と言ってはくれますが、その目は明らかに「これが普通に吹けないと曲は吹けません。」と語っています。バンドでテナーサックスを吹いていた友人にそのことを話すと、「確かにサックスを吹くと、なんでこんなに♯と♭ばっかり出てくるんだ、と嫌になるね。」となぐさめてくれますが、♯や♭と仲良くなるまでには、もう少し時間が必要なようです。

500回以降のベスト10は?】

  さて、話を戻すと、最も大きな悩みはどうやって時間をやりくりするかです。突発的な出来事に対応するのであれば、寝る時間を減らすとか、食事を抜くとか、やりくりがきくのですが、日常的なことなので、なかなか妙案が浮かびません。あまつさえ、エリック・アレキサンダーやダイアナ・クラール、キング・クリムゾン、プラハ管弦楽団、樫本大進などが来日すると最優先でチケットを確保するわけですから、ますます時間は無くなります。

  という具合で、なかなか1週間に2度ブログを更新するのが難しい状況が続いているのです。早く仕事をリタイヤして「人生楽しみ」に専念したいのですが、とかくこの世は住みにくい。しばらくサックスは仕事がお休みの日に通うしかありません。週休4日の暮らしをしてみたいものです。

  550回記念が嘆きのブログで申し訳ありません。気を取り直して、550回のまとめに入りたいと思います。読書の方は、もともとが本屋巡りとセットとなった楽しみですので、読む本はアドリブ的に多様なジャンルの本となります。今年も、野球、映画、音楽と面白い本もありましたが、こうした分野の本は趣味が偏りがちです。

  読んだ本のすすめベスト10を語ろうとすると、どうしてもスポーツ本、音楽本は圏外となってしまいます。今年も同様となりますが、前置きはこのくらいにして本題に戻りましょう。(いつものように「題名」をクリックするとブログにリンクします。)

10位 「下山事件完全版-最後の証言」(柴田哲孝著 祥伝社文庫 2007年)

  ノンフィクション分野は、これまでにも沢木幸太郎さんや佐野眞一さんなど素晴らしいライターの本をご紹介してきましたが、この本もまたノンフィクションのワンダーを我々に教えてくれる面白い一冊です。下山事件といえば、GHQ占領下の19467月、東京で起きた国鉄総裁下山定則の拉致殺害事件です。この事件は犯人を特定することができず、迷宮入りとなったのですが、そこにまつわる戦後を彩った様々な人間模様から何者かの指示により暗殺されたとの憶測がまことしやかに流され続けてきました。

著者はノンフィクションライターですが、実はこの事件の実行犯の一人として疑いがあった人物の孫だったのです。自らの祖父は犯人だったのか。幼いころの祖父の印象は、殺人者からは程遠いものでした。この本は、自らの出生から端を発した迫真のルポルタージュです。ぜひお読みください。

9位 「モダン」(原田マハ著 文春文庫 2018年)

  原田マハさんの美術小説は、すべて傑作ぞろいです。この作品は、マハさんの美術の原点といってもよいニューヨーク近代美術館を舞台に繰り広げられる物語です。マハさんの絵画にまつわる物語は、その絵画にかかわる人間ドラマが描かれて感動的なのですが、ここに収められた5編の主人公たちもみな美術館と美術を愛する人々です。ぜひさわやかな読後を味わってください。

8位 「須賀敦子の旅路」(大竹昭子著 文春文庫 2018年)

  この本は、2つの物語が同時に並行して進む小説のような趣を持っています。それは、美しく流れる文章で我々を読むたびに魅了してくれる須賀敦子さんの描く世界とその須賀さんが描いた世界を自らの足でたどっていく大竹昭子さんの気持ちが寄り添うように描かれていくからです。大竹さんの文章は須賀さんの言葉に呼応するように記されており、その想いが重なるようで心を動かされます。

7位 「生死(しょうじ)の覚悟」

   (高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年) 

  現代の日本では、立ち止まって自らを考えることがとても少ないのではないでしょうか。本来、人と人が共鳴するのは、互いが自らのことを認識し、自らの情報を確認し、その情報を分かち合うことからはじまるからです。SNSが本来の共鳴と異なるのは、分かち合うことをしないことが大きな要因なのではないでしょうか。分かち合うとは相互作用ですが、SNSは自己満足の連続が場を支配していく世界です。

  この対談は、文学や宗教を通じて自らの異質さを認識してきたお二人が、その認識を相互に確認し合うことで対話の価値を高めていきます。この本の中には、間違いなく現代社会が失いつつある共鳴が鳴り響いており、我々に今を考えさせてくれます。良書でした。

6位 「日本問答」(田中優子 松岡正剛著 岩波新書 2017年)

  皆さんは、「日本」が何からできているのか、考えたことがありますか。この本は、「日本」を様々な視点から考え続けてきた知のマイスターお二人が、日本を徹底的に問答する対談です。最高の対談は、ネットサーフィンのように関連する話題が次々に繋がっていき、広がると同時にテーマの掘り下げがどんどん深まっていく会話が連なります。お二人の対談はまさにそれで、ボーッと読んでいると、チコちゃんに叱られること間違いなしです。ぜひ、お楽しみください。

5位 「ドナルド・キーン自伝-増補新版」(ドナルド・キーン著 角地幸男訳 中公文庫 20193月)

  「碧い目の日本人」というと、キーンさんは私の目は碧くないよ、と返されるに違いありません。いったい日本とは何なのか。「源氏物語」に魅せられて、1953年から65年にわたってにほんをあいしつづけてくれたキーンさん。その愛情が、この本にギッシリとつまっています。軽妙な語り口、時に見せるウィットとアイロニーは、我々日本人も見習いたいニューヨーカーです。これほど日本に魅せられた人物は、日本人にも稀有なのではないでしょうか。今、テレビのコメンテイターは、日本語を話す外国人で連日盛り上がっていますが、その草分けがキーンさんだと思うと感慨もひとしおです。

4位 「呉越春秋 湖底の城 八」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2018年)

  文庫好きの宮城谷ファンに昨年は嬉しい年でした。この50回のなかでも久しぶりに秦による中華統一後を描いた小説が文庫となり、また、呉越春秋も伍子胥編の後を受けて始まった范蠡編、第7巻。さらにその続編である第8巻と宮城谷ワールドを満喫しました。宮城谷さんの小説は、どれを読んでも面白いのですが、今回はいよいよ范蠡がその才能を発揮しはじめる第8巻としました。こうして振り返ってみると、小説「劉邦」と「呉越春秋」には不思議な共通点があります。それは、主人公の背景に250年の時を超えて大きな「楚」の国が横たわっているということです。紀元前450年を描いた呉越でいえば、呉の宰相として越を迎え撃つ伍子胥は、もともと「楚」の宰相の息子でした。そのライバルである越の宰相范蠡は「楚」の賈(商人)の出身なのです。「劉邦」で描かれた項羽は、言わずと知れた「楚王」の子孫で新への復讐のために立ち上がったのです。皆さんもこうした観点で、宮城谷さんの本を読むと、一味違った楽しみが湧き出てくるのではないでしょうか。

3位 「オリジン」(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

  ダン・ブラウン氏の作品は前作「インフェルノ」がとても面白く、また映画化された作品もフィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールとその世界遺産そのものの映像も含めてエンターテイメントとして一流の作品でした。まさか、それを超える面白さの作品が登場しようとは思いませんでした。今回ラングドン教授が活躍する舞台は、あこがれのスペインです。そこには、ダン・ブラウン氏らしく、最新のスペイン近代美術館から世界遺産のガウディまで、スペインの名所が次々に登場します。さらにテーマが「神はいるのか」ですから、その小説がつまらないはずはありません。これまで、イタリア以外を描いた小説は映画化されていませんが、スペインを舞台としたこの小説は映画化されるでしょうか。ぜひ、映画化を期待したいものです。

2位 「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

  これまで、海外小説がベスト32冊も入ることはありませんでしたが、やっぱり007の魅力には偉大なものがあります。確かに1960年代が舞台の小説を第2位とするのは単なるノスタルジーなのでは、との疑問もごもっともです。しかし、エンターテイイメントとスパイ小説が合体するときに007の力は絶大でした。この小説は舞台から言っても年代から言っても映画化されたときには、ショーン・コネリーしか演ずることができないと思います。それほど、当時の007小説に男のロマンがやどっていたといってもいいと思います。ここに登場する007は、女性から見てもアイドルではないでしょうか。皆さん、だまされたと思って一度この小説を手に取ってください。第2位の理由に納得すると思います。

1位 「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  今回のダントツ第1位はこの小説です。その分厚さも第1位なのですが、読み始めてから読み終わるまでの時間は最も短いに違いありません。それほど、恩田さんのプロット、キャラクター、舞台設定が素晴らしく、読み始めれば一気に最後まで読み続けてしまうのです。この小説は、ある年のピアノコンクールの模様を4人のコンテスタントの人生と重ねて描いていくのですが、その4人のコンテスタントの造形が見事です。スポーツものならいざ知らず、普通、芸術系のコンクールは羨望と嫉妬と中傷のるつぼとなることが想像されます。しかし、恩田さんの世界は違います。なぜならば、ここに登場する4人は皆、音楽の神様に祝福されており、世俗と人知を超えてピアノを弾いているからです。そうはいっても、この4人にはヒエラルキーがあります。

  音楽の神から最も祝福されているのは、風間塵。ピアノという楽器の落とし子のような塵は、自らの中にあふれる、風のような音をそのままピアノの音として鳴らしてしまうのです。そのあまりの才能に、聴く側は驚いてしまい、この才能を持て余してしまうのです。しかし、他の3人は音楽の神に近い塵を同じ演奏家として受け入れていきます。塵は第3位となります。

  風間塵の次に神に近いのは、天からいくつもの贈り物をあたえられているようなマサル・カルロス・レヴィ・アナトールです。マサルは、現代のピアニストが演奏に特化してしまったことに疑問を持っており、作曲家としても一流のピアニストをめざす青年です。幼馴染の亜夜との再会と一流の恩師の教えを受けて彼は、人知の及ぶ最高の音を奏でて、みごとコンクールに優勝します。

  そして、マサルと紙一重のところで我々に近いのは、唯一の女性主人公、栄伝亜夜です。彼女は幼い時からピアニストとしての技量に恵まれていましたが、その心の糧であった母親を失って、演奏することの意味を見失ってしまいます。亜夜は、このコンクールで自らの原点を探ろうとしてコンクールに参加します。彼女が、3人のピアニストの狭間で自らを取り戻し、コンクールに挑む姿はこの小説のハイライトのひとつです。順位は、第2位です。

  もう一人の主人公、高島明石は楽器店の従業員でありながらピアニストでもあり、自らの夢をつらぬこうと「生活者のピアノ」を掲げて、コンクールに挑戦しています。このコンクールではオリジナル曲として作曲家、菱沼忠明の作品「春と修羅」を演奏することが二次予選の課題曲となっています。高島は、宮沢賢治の詩を深く解釈して楽譜を自らの音楽として展開します。そして、コンクールでこの曲のために設定された賞、菱沼賞を受賞します。

  この4人の造形は見事です。ところで、実は今ここに書いたコンクールの順位や個人賞は、小説では語られていません。小説の終了後、結果は記事として子掲載されているだけなのです。この小説のすごさは、音楽の神様と我々人間のせめぎ合いを全編で示すことによって、結果に対しての興味を感じさせないところにあります。我々読者は、恩田さんの仕掛けと筆の力によって、4人の人生に引き込まれ、結果は二の次になるのです。小説が終わった後に「ああ、そうだったのか。」とホッとするところが、この小説のすばらしさといってもよいと思います。

  ぜひ、この素晴らしい小説を楽しんでください。


  それでは、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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