日記一覧

令和二年 明けましておめでとうございます。


令和二年 

 明けましておめでとうございます。

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新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

日々雑記も今年10年目を迎えました。
これもひとえに皆様方のご訪問のおかげです。
誠に有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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令和二年 明けましておめでとうございます。


令和二年 

 明けましておめでとうございます。

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新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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令和初めの年越しは第九ライブ

こんばんは。

  皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

  今年の漢字は「令」。今年は令和初めの年でした。天皇陛下が新たに即位され、日本の新たな歴史が元号とともにスタートしました。なんといっても盛り上がったのは、日本で開催されたラグビーワールドカップです4年前、イギリスで開催された大会で、日本は当時世界ランク3位の南アフリカ代表を逆転で破り「奇跡」と言われました。

  当時、日本代表を率いていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、この勝利の瞬間、「歴史は変わった」と語りました。プールBでは、南アフリカ戦の勝利に続いて強豪サモアも下した日本は、アメリカも撃破してなんと3勝を挙げる快挙をなし遂げたのです。ところが、3勝1敗の日本はなぜか予選リーグで敗退してしまったのです。ラグビーでは、勝ち点のカウントが独特であり、負けても4トライ以上を挙げるか、もしくは7点差以内であれば勝ち点1が加わるのです。この大会で日本は3勝を挙げたにもかかわらず、勝ち点差で3位となり、決勝進出を逃したのです。

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(日本代表ベスト8! spread-sports.jp)

  この悔しさを胸にラグビー日本代表はすべてをラグビーにささげて4年間を過ごしてきたのです。そして今年、日本で開催されたワールドカップ。日本代表は予選を全勝で勝ち抜いてみごとベスト8にコマを進めたのでした。対ロシア戦30対10、対アイルランド戦19対12、対サモア戦38対19、対スコットランド戦28対21。試合は、スクラムで打ち勝ち、ジャッカルでボールを奪い、オフロードパスで逆転のトライを奪うという、まさにワンチームで勝利した戦いでした。

  やはり今年のニュースNO.1は、ラグビー日本代表のベスト8への闘いでした。

【令和最初の1年は?】

  さて、個人的に今年はとても充実した1年でした。海外旅行はお休みしましたが、国内では様々な景色を味わいました。4月には、桜が満開の青森の弘前城と秋田の角館を楽しみました。生憎天気は雨で気温が10度前後と寒かったのですが、弘前城では人がまばらで、地元のボランティアの方の案内で2時間も弘前城内を案内してもらうことができました。満開の桜の間にハートが見えるインスタ名所があり、さすがにそこだけが写真待ちだったのが印象的でした。ただし、ボランティアのおじさんは「個人的にはここは案内したくない場所なんだけれど、ここに案内しないと怒られるんだよね。」と伝統とインスタの葛藤を間近に見て不謹慎ながら笑ってしまいました。

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(弘前城内 ハート桜 インスタ名所)

  5月にはブログにも書いた伊豆のジオパークめぐり。7月には立山アルペンルートを長野側から入って富山に抜け、黒部ダムの絶景を満喫。宇奈月温泉からトロッコ電車に乗って欅平の渓谷散策も味わいました。

  11月には、久しぶりに栃木県の奥日光から日光、さらに平家の落人で知られる湯西川温泉に行ってきました。例年、湯西川は360度、山が黄色く紅葉して絶景のパノラマを見ることができるのですが、残念ながら今年は長期の雨のせいで不作でした。それでも平家の里に植えられたもみじはみごとな紅葉をみせてくれ、美しさに心が洗われました。さらに帰りに通った那須のもみじライン(日光塩原有料道路)では、峠を越えて塩原側に入ってからの紅葉が素晴らしく、あざやかな赤と黄色のグラデーションを満喫しました。

  仕事では、広島には月に一度、その他では福岡、高松、静岡、金沢、岐阜と様々なところに出張しましたが、そのついでの寄った場所では、瀬戸内海の直島が素晴らしいところでした。直島は、安藤忠雄さんがそのコンセプトを担った美術の島です。ベネッセミュージアムを中心に地中美術館やリュウハン美術館などがあり、町全体がアートにあふれています。実は町役場も穴場で、知る人ぞ知る石川和紘氏の設計によるモダンでレトロな建物なのです。直島に渡ったのは朝早かったのですが、美術館の開館が10:00だったので、宮浦港から地中美術館までゆっくりと歩いて、海の景色を満喫しました。その素晴らしい景色とモネをはじめとした美術館のすばらしさは一生の思い出です。

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(直島 地中美術館までの道からの風景)

  他にも福岡出張の時に見学した古伊万里の里や岐阜に行ったときに見た関ケ原の合戦の古戦場や首塚など、日本の名所を味わうことができました。

【そして、令和元年の締めくくりは】

  さて、人生楽しみな話として、音楽話を外すわけにはいきません。

  年末と言えば、何といっても忘れてならないのは第九です。12月には日本中で数え切れないほどの第九が演奏されます。実を言うと、クラシックコンサートに目がない私ですが、ベートーベンの交響曲第九番は生まれてこの方、まだ生演奏で聞いたことがなかったのです。特に理由はないのですが、亡き父がクラシックの大ファンで我が家では物心ついた時から家でクラシックが鳴っていました。そして、第九と言えば、かのフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭楽団の演奏がいつも流れていたのです。

  この第九は、通常の第九の演奏時間が65分前後と言われる中で、74分の重厚長大な音楽世界なのです。フルヴェンの第九はデモーニッシュと言われますが、その人間の精神性を究極まで高めて表現する第九は確かに感動します。その後、いろいろな第九を聴いて、今ではピエール・モントゥーの第九が一番好きなのですが、海外のオーケストラの作品ばかりを聴いていたので、日本のオーケストラが演奏する第九を聴くのがつい億劫になってしまいます。

  第九のコンサートは、できればウィーンやベルリン、ザルツブルグに行って地元のオーケストラで聞きたい。いつの間にかそんなロマンを胸に秘めていたのです。ところが、ヨーロッパに行って有名オーケストラの第九を聴くには驚くほどの費用を用意する必要があるのです。チケットはネットで取ればなんとかなるのですが、日本と違い、ヨーロッパでベートーベンの第九は特別な時にしか演奏されません。そして、特別な時には往復の航空代金やホテル代が高額なのです。

  ここ2年程、その夢を胸に年末に第九を聴くことができるツアーを探したのですが、どれも法外な旅行代が組まれています。家族に相談すると、周到に計画してチケットを予約し、その日に合わせて旅を計画することが必要で今年は無理との話になりました。

  長年の夢であった生で聞く第九。今年は何としても生で聞きたいと本気になりました。12月に日本で第九を聴くのは簡単です。しかし、これまで永年第九の生演奏を我慢してきた身としては、いつでも聞くことができるオーケストラを聴きに行くことにためらいがあります。そこで、ネットを使い12月に来日するヨーロッパのオーケストラで第九の公演を検索しました。すると、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートが見つかったのです。

  ウクライナと言えば、近年ロシアのプーチン大統領とクリミヤの領土権について紛争中の国です。オーケストラの歴史を調べてみると、その歴史はそうそうたるもので、かのチャイコフスキーが指揮したのみならず、ラフマニノフやショスターコービッチも指揮したこともある伝統ある管弦楽団だったのです。これは聞きに行く価値が十分にあると思い、さっそくチケットを手に入れました。

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(ウクライナ国立歌劇場フィル第九 ポスター)

【年末はやっぱり第九が似合います】

  12月27日19:00。上野の東京文化会館大ホールは満員の聴衆で満たされていました。今回は、早い時期にチケットを手配したので座席は6列目真ん中の通路脇という絶好の席でした。目の前には、チェロ奏者が座る椅子。その左には、今回の指揮者ミコラ・ジャジューラ氏の指揮台が見えています。場内の照明が落ちてくると、劇場の右側からオーケストラの面々が登場します。最初の演目は「白鳥の湖」。このオーケストラの地元であるチャイコフスキーの名曲です。

  あの誰もが知る旋律が会場に響き始めます。コンサートマスターは、30代にも見える美しい女性ですが、そのヴァイオリンから流れ出る音色は美しく、これまでにない繊細で力強い響きが会場中を魅了していきます。指揮者もロマンあふれる指揮ぶりで、ロシアのオーケストラの伝統の音色はかくも美しいのかと感動します。

  その音色に聞きほれている間に組曲「白鳥の湖」は幕を閉じ、会場は休憩時間となります。

  そして、いよいよ第九がはじまります。会場に入ってきたのは、まず40人を超える合唱団の面々です。合唱は、日本の名門と言ってもよい晋友会合唱団です。合唱の指揮は清水敬一氏。期待に胸が膨らみます。その人数に驚いていると、管弦楽団のメンバーが拍手とともに入場してきます。そして、美貌のコンサートマスターの弓からチューニングがはじまり、その音が静まるといよいよ指揮者の登場です。

  弦とホルンの長い響きが流れ徐々に輻輳していくと、力強いアクセントで第1主題が響き渡ります。これぞ第九。感動に胸が打ち震えます。第1ヴァイオリンの引き締まった美しい音色は管弦楽の流れの中に溶け込んで、一段となった戦慄が、我々の心に響き渡ります。やはり、そのテンポは現代風の速さを保っています。早いながらもしっかりとしたコントラバスの音色に重く響き渡る木簡の音が重なっていきます。

  第1楽章は第1旋律の力強い響きと美しい第二旋律がまくるめくような変奏を繰り返しで終わります。そして、ティンパニィが軽快で印象的なリズムを刻む第2楽章がはじまります。ベートーベンは、リズムが大好きで現代で言えばドラムに当たるティンパニィを多用することで知られています。交響曲第7番は、クラシック界のロックンロールと言われるように、この第2楽章のリズムは本当に魅惑的です。そして、このオーケストラが醸し出す、その旋律とリズムは我々聴衆を第九の世界に引き込んで行きます。

  これまで数え切れないほど第九を聴いてきましたが、これほどみごとな第2楽章を聴いたことがありません。あまりの感動に思わず胸が熱くなりました。

  感動の激しいリズムが終わると、美しい調べに体が流れていくように優美な第3楽章がはじまります。第2楽章の早いスケルツォと第3楽章の緩やかなロンド、まさに計算されつくしたベートーベンの芸術世界に引き込まれていきます。美しい旋律とその変奏は我々を夢の中へと連れていってくれます。そこは、喜びに満ちた平和な世界のようです。

  癒しの旋律が終了し、息を整えた指揮者は一瞬のスキをついて腕を天に振り上げます。

  人類の歓喜を歌い上げる「歓喜の歌」の幕が切って落とされました。第3楽章が始まる前に登場したソリスト4人が大合唱団の前に座っています。第九をライブで聞いて初めて分かったのですが、ベートーベンは「歓喜の歌」の旋律をオーケストラで奏でるときに、感動的な重奏を語らせていました。はじめにコントラバスとチェロで奏でられる歓喜の旋律は、そこにビオラが重なることで重厚に響きます。さらに、木管と金管がそこに旋律を重ねていくことによって旋律は幾重にも重なっていきます。最後に加わるヴァイオリン。ここで、折り重なった旋律は絹のようなしなやかさを身にまとわせ、歓喜が完成するのです。

  そして、オーケストラが主題に戻った刹那、いきなりバスのソロが会場に響き渡ります。「おお友よ、この調べではない。」ここからはじまる、ソリストが奏でる歓喜の声と大合唱はまさに「自由と勇気こそが我々に喜びを生み出すのだ」というシラーとベートーベンの想いを我々に届けるのです。オーケストラが4重の弦と幾重にも重なる木管と金管の調べで変奏を醸し出せば、そこに連なる合唱が「生きる」ことの歓喜を謳いあげます。

 その大円団は、ベートーベンが伝えたかった数十人による歌声が響き渡って完結します。

 第九の感動は、100人を超えようかという人々が心の限り奏でる歌声と旋律によって永遠の詩(うた)として我々の心に生き続けることになるのです。今年の年末は、ウクライナの第九で幸福な想いで終わることができそうです。

 年末の第九は本当に格別です。皆さんも、心豊かによいお年をお迎えください。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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令和初めの年越しは第九ライブ

こんばんは。

  皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

  今年の漢字は「令」。今年は令和初めの年でした。天皇陛下が新たに即位され、日本の新たな歴史が元号とともにスタートしました。なんといっても盛り上がったのは、日本で開催されたラグビーワールドカップです4年前、イギリスで開催された大会で、日本は当時世界ランク3位の南アフリカ代表を逆転で破り「奇跡」と言われました。

  当時、日本代表を率いていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、この勝利の瞬間、「歴史は変わった」と語りました。プールBでは、南アフリカ戦の勝利に続いて強豪サモアも下した日本は、アメリカも撃破してなんと3勝を挙げる快挙をなし遂げたのです。ところが、3勝1敗の日本はなぜか予選リーグで敗退してしまったのです。ラグビーでは、勝ち点のカウントが独特であり、負けても4トライ以上を挙げるか、もしくは7点差以内であれば負けても勝ち点1が加わるのです。この大会で日本は3勝を挙げたにもかかわらず、勝ち点差で3位となり、決勝進出を逃したのです。

  この悔しさを胸にラグビー日本代表はすべてをラグビーにささげて4年間を過ごしてきたのです。そして今年、日本で開催されたワールドカップ。日本代表は予選を全勝で勝ち抜いてみごとベスト8にコマを進めたのでした。対ロシア戦30対10、対アイルランド戦19対12、対サモア戦38対19、対スコットランド戦28対21。試合は、スクラムで打ち勝ち、ジャッカルでボールを奪い、オフロードパスで逆転のトライを奪うという、まさにワンチームで勝利した戦いでした。

  やはり今年のニュースNO.1は、ラグビー日本代表のベスト8への闘いでした。

【令和最初の1年は?】

  さて、個人的に今年はとても充実した1年でした。海外旅行はお休みしましたが、国内では様々な景色を味わいました。4月には、桜が満開の青森の弘前城と秋田の角館を楽しみました。生憎天気は雨で気温が10度前後と寒かったのですが、弘前城では人がまばらで、地元のボランティアの方の案内で2時間も弘前城内を案内してもらうことができました。満開の桜の間にハートが見えるインスタ名所があり、さすがにそこだけが写真待ちだったのが印象的でした。ただし、ボランティアのおじさんは「個人的にはここは案内したくない場所なんだけれど、ここに案内しないと怒られるんだよね。」と伝統とインスタの葛藤を間近に見て不謹慎ながら笑ってしまいました。

  5月にはブログにも書いた伊豆のジオパークめぐり。7月には立山アルペンルートを長野側から入って富山に抜け、黒部ダムの絶景を満喫。宇奈月温泉からトロッコ電車に乗って欅平の渓谷散策も味わいました。

  11月には、久しぶりに栃木県の奥日光から日光、さらに平家の落人で知られる湯西川温泉に行ってきました。例年、湯西川は360度、山が黄色く紅葉して絶景のパノラマを見ることができるのですが、残念ながら今年は長期の雨のせいで不作でした。それでも平家の里に植えられた紅葉はみごとな紅葉をみせてくれ、美しさに心が洗われました。さらに帰りに通った那須のもみじライン(日光塩原有料道路)では、峠を越えて塩原側に入ってからの紅葉が素晴らしく、あざやかな赤と黄色のグラデーションを満喫しました。

  仕事では、広島には月に一度、福岡、高松、静岡、金沢、岐阜と様々なところに出張しましたが、そのついでの寄った場所では、瀬戸内海の直島が素晴らしいところでした。直島は、安藤忠雄さんがそのコンセプトを担った美術の島でした。ベネッセミュージアムを中心に地中美術館やリュウハン美術館などがあり、町全体がアートにあふれています。実は町役場も穴場で、知る人ぞ知る石川和紘氏の設計によるモダンでレトロな建物なのです。直島に渡ったのは朝早かったのですが、美術館の開館が10:00だったので、宮浦港から地中美術館までゆっくりと歩いて、海の景色を満喫しました。その素晴らしい景色とモネをはじめとした美術館のすばらしさは一生の思い出です。

  他にも福岡出張の時に見学した古伊万里の里や岐阜に行ったときに見た関ケ原の合戦の古戦場や首塚など、日本のマイ所を味わうことができました。

【そして、令和元年の締めくくりは】

  さて、人生楽しみな話として、音楽話を外すわけにはいきません。

  年末と言えば、何といっても忘れてならないのは第九です。12月には日本中で数え切れないほどの第九が演奏されます。実を言うと、クラシックコンサートに目がない私ですが、ベートーベンの交響曲第九番は生まれてこの方、まだ生演奏で聞いたことがなかったのです。特に理由はないのですが、亡き父がクラィックの大ファンで我が家では物心ついた時から家でクラシックがなっていました。そして、第九と言えば、かのフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭楽団の演奏が流れていたのです。

  この第九は、通常の第九の演奏時間が65分前後と言われる中で、74分の重厚長大な音楽世界なのです。フルヴェンの第九はデモーニッシュと言われますが、その人間の精神性を究極まで高めて表現する第九は確かに感動します。その後、いろいろな第九を聴いて、今ではピエール・モントゥーの第九が一番好きなのですが、海外のオーケストラの作品ばかりを聴いていたので、日本のオーケストラが演奏する第九を聴くのがつい億劫になってしまいます。

  第九のコンサートは、できればウィーンやベルリン、ザルツブルグに行って地元のオーケストラで聞きたい。いつも間にかそんなロマンを胸に秘めていたのです。ところが、ヨーロッパに行って有名オーケストラの第九を聴くには驚くほどの金額を出す必要があるのです。チケットはネットで取ればなんとかなるのですが、日本と違い、ヨーロッパでバートーベンの第九は特別な時にしか演奏されません。そして、特別な時には往復の航空代金やホテル代が高額なのです。

  ここ2年程、その夢を胸に年末に第九を聴くことができるツアーを探したのですが、どれも法外な旅行代が組まれています。周囲に相談すると、周到に計画してチケットを予約し、その日に合わせて旅を計画することが必要で今年は無理との話になりました。

  長年の夢であった生で聞く第九。今年は何とか国内で聞きたいと本気になりました。12月に日本で第九を聴くのは簡単です。しかし、これまで永年第九の生演奏を我慢してきた身としては、いつでも聞くことができるオーケストラを聴きに行くことにためらいがあります。そこで、ネットを使い12月に来日するヨーロッパのオーケストラで第九の公演を検索しました。すると、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートを見つけたのです。

  ウクライナと言えば、近年ロシアのプーチン大統領とクリミヤの領土権について紛争中の国です。そのオーケストラの歴史を調べてみると、その歴史はそうそうたるもので、かのチャイコフスキーが指揮したのみならず、ラフマニノフやショスターコービッチも指揮したこともある伝統ある管弦楽団だったのです。これは危機に行く価値が十分にあると思い、さっそくチケットを手に入れました。

【年末はやっぱり第九が似合います】

  12月27日19:00。上野の東京文化会館大ホールは満員の聴衆で満たされていました。今回は、早い時期にチケットを手配したので座席は6列目真ん中の通路脇と言う絶好の席でした。目の前には、チェロ奏者が座る椅子。その左には、今回の指揮者ミコラ・ジャジューラ氏の指揮台が見えています。場内の照明が落ちてくると、劇場の右側からオーケストラの満々が登場します。最初の演目は「白鳥の湖」。このオーケストラの地元チャイコフスキーです。

  あの誰でもが知る旋律が会場に響き始めます。コンサートマスターは、30代にも見える美しい女性ですが、そのヴァイオリンから流れ出る音色は美しく、これまでにない繊細で力強い響きが会場中を魅了していきます。指揮者もロマンあふれる指揮ぶりで、ロシアのオーケストラの伝統の音色はかくも美しいのかと感動します。

  その音色に聞きほれている間に「白鳥の湖」は幕を閉じ、会場は休憩時間となります。

  そして、いよいよ第九がはじまります。会場に入ってきたのはまず40人を超える合唱団の面々です。




コートールド美術館は印象派の宝庫(その2)

こんばんは。

  コートールド美術館展、第二章の最後を飾るのは、この美術館展のアイコンと言ってもよい「フォリー=ベルジェールのバー」です。

  コートールド美術館は、美術研究を主務とするコートールド美術研究所に付随する美術館です。今回の美術展では、こうした美術館の特性を生かして、展示されている名画の特徴や芸術的な進取性などを解説しているところが大きな特徴となっています。

  マネ晩年の名作であるこの絵にも様々な解説がなされています。

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(マネ「フォリー=ベルジェールのバー」)

  マネはこの絵を再作するにあたって自らのアトリエに、当時大人気であったパリのミュージックホール「フォリー=ベルジェール」のバーを創り、そこに実際のバーメイドを連れてきてモデルとしたと言います。このバーメイドの後ろは前面鏡張りとなっており、その鏡には観客席が写っています。このバーメイドの物憂げな表情も魅惑的ですが、その後ろ姿は鏡に映っており、さらに鏡に映る紳士を見ると、メイドはこの紳士と会話していることが分かります。

  つまり、この絵を見ている我々はこの紳士の視線と同様の場面を目にしていることになります。しかし、この鏡の中は幻想的な世界です。まず、この角度から見るとメイドの後ろ姿や紳士の姿は非常に不自然な角度となっており、マネが故意に鏡の角度をゆがめていることが見て取れます。さらには、メイドの姿に焦点を合わせるために鏡に映る観客席の群衆はぼやかされていて、マネはそうすることで、この絵の効果を引き出そうとしていることがよくわかります。

  実際の絵は圧倒的な迫力を持って我々の心に当時のパリを映し出しますが、晩年のマネは尽きることなく新しい文化と新しい技法に挑戦していたのだと改めて感動します。

【印象派の奥深さを知る】

  数々の絵から得る感動で心を満たされながら美術展はいよいよ最終章へと向かっていきます。最後を飾る第三章は、「素材、技法から読み解く」と題されています。

  この章では、19世紀に発明されたチュ-ブ入りの絵の具やカメラの発明と普及などの技術革新を画家たちが自らの作画にどのように取り入れようとしたか、その痕跡に焦点を当てていくことになります。さらにこの章では、印象派の次の世代へと進んでいくとともに、タヒチに渡った画家ゴーガンの絵を見ることができます。

  まず目に飛び込んできたのは、くすんだ茶色の風景の中にぼんやりと描かれた馬上の主従の姿です。タイトルは、「ドンキホーテとサンチョ・パンサ」。作家はオノレ・ドーミネ。ドンキホーテは、御姫様であるドルシネアを守る騎士として、幻想の中の怪物に挑んでいく奇態な男ですが、凛々しく描かれたドンキホーテは、表情こそ描かれていないものの理想に向かう姿が象徴的に描かれていました。

  この絵も未完の作品でしたが、ここからしばらく絵画展は未完の作品を紹介していきます。

  ドガの未完作品は、窓辺の椅子に座る真っ暗な女性が描かれた「窓辺の女」、そして傘をさしてうつむく女性をななめ上の視点から描いた「傘をさす女」です。前作は、新しい絵の具を自ら調合して描こうとした作品でただ暗い印象ですが、傘をさす女は、貴婦人が傘をさしてうつむいている姿が習作的に描かれていて、ドガのセンスが光っている作品です。

  未完の作品の中では、セザンヌの作品に目を奪われました。

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(セザンヌ「曲がり道(未完)」)

  「曲がり道」と題された絵は、72cm×92cmの大きなキャンバスに尖塔のある田舎の遠景が描かれています。この作品が感動を生むのは、描かれたすべての事物の輪郭がぼやけていることです。さらに色使いも田畑や森や草原と思われる風景の緑や青と画面の上部半分以上を占める空の淡い青で満たされており、尖塔である教会へと続く道が白と黄土色であがかれています。それは、まるで心の中の色をカンヴァスに映し出したようで、その淡さに心が洗われるような気がします。ピカソなどキュビズムの画家たちがセザンヌに影響を受けたと言われる所以が分かるような気がしました。

  そして、次に現れるのはポスト印象派の代表ともいえる点描画の世界です。

  点描画と言えば、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」が思い出されますが、コートールド氏が手に入れたのは、「クールブヴォアの橋」と題された作品です。この絵は、スーラが点描手法を全画面に用いた初めての作品と言われているそうです。この作品には豊かな水をたたえるセーヌ川河畔の風景が点描によって淡く描かれているのですが、その景色があの名画、グランド・ジャット島からの眺めだと知ると一層の感慨がわいてきます。

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(スーラ「クールブヴォアの橋」)

  この作品に続いて、小さなカンヴァスに描かれた点描画以前のスーラの作品が展示されています。「釣り人」、「船を塗装する男」、「水に入る馬」は、前作と同様にセーヌ川の河畔で描かれた作品と思われますが、画法はまさに印象派の油絵そのものであり、点描画以前のスーラのタッチを知ることができ、興味深い展示でした。スーラでは、小さいながらもさらなる点描画の意欲的な作品「グラブリームの夜明け」と題された美しい作品を見ることができました。

【ゴーガン その絵画の魅力】

  スーラの次に現れたのは、ポスト印象派を代表するポール・ゴーガンの作品でした。

  最初に展示されているのは、なんと絵画ではなく彫刻です。真っ白い大理石でできた彫刻は人の頭像です。凛とした若く魅惑的な表情の頭像は、なんとゴーガンの妻、メット=ソフィー・ガッドの姿を映したものでした。この作品は、ゴーガンが30歳ころの作品で、このころ彼は株式仲介人の仕事をしており、その傍らで芸術作品を作っていたと言います。その作品は、とても丁寧で美しく造形されており、ゴーガンの志がほの見える作品でした。

  ゴーガンの最初の作品は、ゴッホとのアルルでの生活と決別したゴーガンがフランスのブルターニュ地方を描いた「干し草」です。この作品は、一面黄色で塗られた干し草を積む多くの人々がえがかれていますが、そこにはゴッホに似たタッチが感じられ、まだ印象派の影響が強いゴーガンの筆致を見ることができます。

  ゴーガンといえば、南太平洋のタヒチ島で描かれた絵画が思い出されます。次の作品は、130cmのおおきなカンヴァスに描かれたタヒチ島の「テ・レリオア」です。この絵に描かれているのは、部屋の中に座る二人の女性とその横に猫。画面の左下には、幼い子供がうつぶせに眠っています。女性の奥にはタヒチ等の風景が描かれていますが、それが窓からの風景なのか画中画なのかは判然としません。

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(ゴーガン「テ・レリオア」)

  この絵の題名は、タヒチ語で「夢」をあらわしているそうです。描かれている女性二人も猫も全く別の方向を向いており、左右に掛けられたタペストリーに描かれる絵も民族的であり、その非現実性は題名そのものともいえます。ここの絵にはゴーガンが紡ぎ出した個性が前面に表出しており、心を動かされるのです。

  そして、その画の衝撃は、次の絵に引き継がれていきます。その画は「ネヴァーモア」。

  縦60cm×横116cm。横に長いカンヴァスには、横たわる全裸の女性が描かれます。ベッドに横たわる若い女性は左半身を下にして左手を頬に当てて両足をそろえて横たわっています。その表情は、タヒチ島の住民であり、何かを思案しているようです。ベッドの後ろには部屋の外で話をしている二人の女性の後ろ姿。さらに左の窓枠には、カラスのようなぶきみな鳥がとまっているのです。そのアンバランスな世界は、この世の不安を独自の映像と筆致で表現しており、その題名とも相まって妙に心をざわつかせます。

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(ゴーガン「ネヴァーモア」)

  この絵を見ると、ここにゴーガンの個性が極まっていると思いが強く感じられ、心が揺さぶられるような感動が沸き起こりました。

【印象派に続く作家たち】

  ゴーガンの筆致に魅入られたまま歩を進めると目に入ってくるのは、ボナールの絵画です。

  ボナールの作品は、フランスのヴェルノンに購入した家とそこから見た景色を描いた「青いバルコニー」、椅子に座る恋人の姿を描いた「室内の若い女」、課題のとおりの題名の「オリーヴの記と教会のある風景」の3点が続いて展示されています。中でも「青いバルコニー」に描かれた緑の木々の美しさは、ボナールの筆遣いをよく表わして心に残る作品でした。

  ボナールに続いて展示されるのは、スーティンの「白いブラウスを着た若い女」。そして、その先に待っていたのは、一目でその作家とわかる「裸婦」でした。

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(モディリアーニ「裸婦」)

  その作家はモディリアーニ。モディリアーニと言えば、個性的な輪郭を持つ女性の肖像画がすぐに頭に浮かびますが、ここで展示されていたのは、一糸まとわぬ女性の半身像です。このときに描かれた5点の裸婦のうち2点はショウウィンドウに飾られたと言いますが、1917年当時、この絵は公序良俗に反するとして、警察から撤去を求められたそうです。なるほど、それほどこの作品が女性の裸体の魅力を的確に表現していたということか、と納得しました。この絵は、顔と体でまったく筆遣いが異なることが分かっており、モディリアーニの絵画の秘密の一端が込められた絵だということがよくわかります。

  この章では、こうしたポスト印象派の絵画に囲まれるようにして、展示室の中心に多くのブロンズ像が展示されていました。なんといっても感動するのは、ロダンの作品たちです。

  ロダンの作品は「静」と「動」をみごとに創り分けていますが、ここに展示された5作品を見るとそのどちらもが素晴らしい作品です。「叫び」と言う作品は、青年が不安そうな表情で大きく叫ぶ顔が描かれた造形ですが、そこにはリアルを超えた真実が表現されています。さらに「ムーヴマン」呼ばれるダンスを造形した3作品の躍動感は人間が瞬発する瞬間を切り取った造形美にあふれる作品です。ヨーロッパで活躍したという日本の女優「花子」を描いた作品は、不可思議な表情が魅力的な「静」の作品です。

  そして、ブロンズ像の最後には、ドガの作品が展示されています。ドガは、たくさんの踊り子を描いた作品で有名ですが、このブロンズ像も踊り子を描いた作品です。この作品の踊り子は、とても変わった姿勢を取っています。その題名は、「右の足裏を見る踊り子」。題名の通り、右足を背中の方に持ち上げて、振り返って自分の右の足の裏を見ている踊り子。このポーズを描くのにドガ゙は10年以上の歳月を費やしたといいますが、やはり人の造形は美しいと改めて感じられる作品でした。

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(ドガ「右の足裏を見る踊り子」)

  こうして、すっかり魅入られる作品に出会うことができた美術展は終了しました。

  今回のコートールド美術館展は、はじめてみる名画が次々に現れて、感動の連続に心が震えた美術展でした。あまりにも多くの名画に出会ったので展示室から出たあとにはしばし放心状態となっていました。この素晴らしい美術展を企画した多くの皆さんに心から感謝します。ロンドンには大英博物館やターナー美術館が有名ですが、これほど豊かな美術館があったとは、うれしい驚きです。


  この美術展は、上野での展示を終了し、これから愛知、神戸で展示が行われます。名古屋、関西の皆さん。ぜひコートールド美術館展に足を運んでください。芳醇な芸術の世界にひたれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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コートールド美術館は印象派の宝庫(その2)

こんばんは。

  コートールド美術館展、第二章の最後を飾るのは、この美術館展のアイコンと言ってもよい「フォリー=ベルジェールのバー」です。

  コートールド美術館は、美術研究を主務とするコートールド美術研究所に付随する美術館です。今回の美術展では、こうした美術館の特性を生かして、展示されている名画の特徴や芸術的な進取性などを解説しているところが大きな特徴となっています。

  マネ晩年の名作であるこの絵にも様々な解説がなされています。

  マネはこの絵を再作するにあたって自らのアトリエに、当時大人気であったパリのミュージックホール「フォリー=ベルジェール」のバーを創り、そこに実際のバーメイドを連れてきてモデルとしたと言います。このバーメイドの後ろは前面鏡張りとなっており、その鏡には観客席が写っています。このバーメイドの物憂げな表情も魅惑的ですが、その後ろ姿は鏡に映っており、さらに鏡に映る紳士を見ると、メイドはこの紳士と会話していることが分かります。

  つまり、この絵を見ている我々はこの紳士の視線と同郷の場面を目にしていることになります。そかし、この鏡の中は幻想的な世界です。まず、この角度から見るとメイドの後ろ姿や紳士の姿は非常に不自然な角度となっており、マネが故意に鏡の角度をゆがめていることが見て取れます。さらには、メイドの姿に焦点を合わせるために鏡に映る観客席の群衆はぼやかされていて、マネはそうすることで、この絵の効果を引き出そうとしていることがよくわかります。

  実際の絵は圧倒的な迫力を持って我々の心に当時のパリを映し出しますが、晩年のマネは尽きることなく新しい文化と新しい技法に挑戦していたのだと改めて感動します。

【印象派の奥深さを知る】

  数々の絵から得る感動で心を満たされながら美術展はいよいよ最終章へと向かっていきます。最後を飾る第三章は、「素材、技法から読み解く」と題されています。

  この章では、19世紀に発明されたチュ-ブ入りの絵の具やカメラの発明と普及などの技術革新を画家たちが自らの作画にどのように取り入れようとしたか、その痕跡に焦点を当てていくことになります。さらにこの章では、印象派の次の世代へと進んでいくとともに、タヒチに渡った画家ゴーガンの絵を見ることができます。

  まず目に飛び込んできたのは、くすんだ茶色の風景の中にぼんやりと描かれた馬上の主従の姿です。タイトルは、「ドンキホーテとサンチョ・パンサ」。作家はオノレ・ドーミネ。ドンキホーテは、御姫様であるドルシネアを守る騎士として、幻想の中の怪物に挑んでいく奇態な男ですが、凛々しく描かれたドンキホーテは、表情こそ描かれていないものの理想に向かう姿が象徴的に描かれていました。

  この絵も未完の作品でしたが、ここからしばらく絵画展は未完の作品を紹介していきます。

  ドガの未完作品は、窓辺の椅子に座る真っ暗な女性ウェがいた「窓辺の女」、そして傘をさしてうつむく女性をななめ上の視点から描いた「傘をさす女」です。前作は、新しい絵の具を自ら調合して描こうとした作品でただ暗い印象ですが、傘をさす女は、貴婦人が傘をさしてうつむいている姿が習作的に描かれていて、ドガのセンスが光っている作品です。

  未完の作品の中では、セザンヌの作品に目を奪われました。

  「曲がり道」と題された絵は、72cm×92cmの大きなキャンバスに尖塔のある田舎の遠景が描かれています。この作品が感動を生むのは、描かれたすべての事物の輪郭がぼやけていることです。さらに色使いも田畑や森や草原と思われる風景の緑や青と画面の上部半分以上を占める空の淡い青で満たされており、尖塔である教会へと続く道が白と黄土色であがかれています。それは、まるで心の中の色をカンヴァスに映し出したようで、その淡さに心が現れるような気がします。ピカソなどキュビズムの画家たちがセザンヌに永虚を受けたと言われる所以が分かるような気がしました。

  そして、次に現れるのはポスト印象派の代表ともいえる点描画の世界です。

  点描画と言えば、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」が思い出されますが、コートールド氏が手に入れたのは、「クールブヴォアの橋」と題された作品です。この絵は、スーラが点描手法を全画面に用いた初めての作品と言われているそうです。この作品には豊かな水をたたえるセーヌ川河畔の風景が点描によって淡く描かれているのですが、その景色があの名画、グランド・ジャット島からの眺めだと知ると一層の感慨がわいてきます。

  この作品に続いて、小さなカンヴァスに描かれた点描画以前のスーラの作品が展示されています。「釣り人」、「船を塗装する男」、「水に入る馬」は、前作と同様にセーヌ川の河畔で描かれた作品と思われますが、画法はまさに印象派の油絵そのものであり、点描画以前のスーラのタッチを知ることができ、興味深い展示でした。スーラでは、小さいながらもさらなる点描画の意欲的な作品「グラブリームの夜明け」と題された美しい作品を見ることができました。

【ゴーガン その絵画の魅力】

  スーラの次に現れたのは、ポスト印象派を代表するポール・ゴーガンの作品でした。

  最初に展示されているのは、なんと絵画ではなく彫刻です。真っ白い大理石でできた彫刻は人の頭像です。凛とした若く魅惑的な表情の頭像は、なんとゴーガンの妻、メット=ソフィー・ガッドの姿を映したものでした。この作品は、ゴーガンが30歳ころの作品で、このころ彼は株式仲介人の仕事をしており、その傍らで芸術作品を作っていたと言います。その作品は、とても丁寧で美しく造形されており、ホーガンの志がほの見える作品でした。

  ゴーガンの最初の作品は、ゴッホとのアルルでの生活と決別したゴーガンがフランスのブルターニュ地方を描いた「干し草」です。この作品は、一面黄色で塗られた干し草を積む多くの人々がえがかれていますが、そこにはゴッホに似たタッチが感じられ、まだ印象派の影響が強いゴーガンの筆致を見ることができます。

  ゴーガンといえば、南太平洋のタヒチ島で描かれた絵画が思い出されます。次の作品は、130cmのおおきなカンヴァスに描かれたタヒチ島の「テ・レリオア」です。この絵に描かれているのは、部屋の中に座る二人の女性とその横に猫。画面の左下には、幼い子供がうつぶせに眠っています。女性の奥にはタヒチ等の風景が描かれていますが、それが窓からの風景なのか画中画なのかは判然としません。

  この絵の題名は、タヒチ語で「夢」をあらわしているそうです。描かれている女性二人も猫も全く別の方向を向いており、左右に掛けられたタペストリーに描かれる絵も民族的であり、その非現実性は題名そのものともいえます。ここの絵にはゴーガンが紡ぎ出した個性が前面に表出しており、心を動かされるのです。

  そして、その画の衝撃は、次の絵に引き継がれていきます。その画は「ネヴァーモア」。

  縦60cm×横116cm。横に長いカンヴァスには、横たわる全裸の女性が描かれます。ベッドに横たわる若い女性は左半身を下にして左手を頬に当てて両足をそろえて横たわっています。その表情は、タヒチ島の住民であり、何かを思案しているようです。ベッドの後ろには部屋の外で話をしている二人の女性の後ろ姿。さらに左の窓枠には、カラスのようなぶきみな鳥がとまっているのです。そのアンバランスな世界は、この世の不安を独自の映像と筆致で表現しており、その題名とも相まって妙に心をざわつかせます。

  この絵を見ると、ここにゴーガンの個性が極まっていると思いが強く感じられ、こk路が揺さぶられるような感動が沸き起こりました。

【印象派に続く作家たち】

  ゴーガンの筆致に魅入られたまま歩を進めると目に入ってくるのは、ボナールの絵画です。

  ボナールの作品は、フランスのヴェルノンに購入した家とそこから見た景色を描いた「青いバルコニー」、椅子に座る恋人の姿を描いた「室内の若い女」、課題のとおりの題名の「オリーヴの記と教会のある風景」の3点が続いて展示されています。中でも「青いバルコニー」に描かれた緑の木々の美しさは、ボナールの筆遣いをよく表わして心に残る作品でした。

  ボナールに続いて展示されるのは、スーティンの「白いブラウスを着た若い女」。そして、その先に待っていたのは、一目でその作家とわかる「裸婦」が現れます。

  その作家はモディリアーニ。モディリアーニと言えば、個性的な輪郭を持つ女性の肖像画がすぐに頭に浮かびますが、ここで展示されていたのは、一糸まとわぬ女性の半身像です。このときに描かれた5点の裸婦のうち2点はショウウィンドウに飾られたと言いますが、1917年当時、この絵は公序良俗に反するとして、警察から撤去を求められたそうです。なるほど、それほどこの作品が女性の裸体の魅力を的確に表現していたということか、と納得しました。この絵は、顔と体でまったく筆遣いが異なることが分かっており、モディリアーニの絵画の秘密の一端が込められた絵だということがよくわかります。

  この章では、こうしたポスト印象派の絵画に囲まれるようにして、展示室の中心に多くのブロンズ像が展示されていました。なんといっても感動するのは、ロダンの作品たちです。

  ロダンの作品は「静」と「動」をみごとに創り分けていますが、ここに展示された5作品を見るとそのどちらもが素晴らしい作品です。「叫び」と言う作品は、青年が不安そうな表情で大きく叫ぶ顔が描かれた造形ですが、そこにはリアルを超えた真実が表現されています。さらに「ムーヴマン」呼ばれるダンスを造形した3作品の躍動感は人間が瞬発する瞬間を切り取った造形美にあふれる作品です。ヨーロッパで活躍したという日本の女優「花子」を描いた作品は、不可思議な表情が魅力的な「静」の作品です。

  そして、ブロンズ像の最後には、ドガの作品が展示されています。ドガは、たくさんの踊り子を描いた作品で有名ですが、このブロンズ像も踊り子を描いた作品です。この作品の踊り子は、とても変わった姿勢を取っています。その題名は、「右の足裏を見る踊り子」。題名の通り、右足を背中の方に持ち上げて、振り返って自分の右の足の裏を見ている踊り子。このポーズを描くのにドガ゙は10年以上の歳月を費やしたといいますが、やはり人の造形は美しいと改めて感じられる作品でした。

  こうして、すっかり魅入られる作品に出会うことができた美術展は終了しました。

  今回のコートールド美術館展は、はじめてみる名画が次々に現れて、感動の連続に心が震えた美術展でした。あまりにも多くの名画に出会ったので展示室から出たあとにはしばし放心状態となっていました。この素晴らしい美術展を企画した多くの皆さんに心から感謝します。ロンドンには大英博物館やターナー美術館が有名ですが、これほど豊かな美術館があったとは、うれしい驚きです。


  この美術展は、上野での展示を終了し、これから愛知、神戸で展示が行われます。名古屋、関西の皆さん。ぜひコートールド美術館展に足を運んでください。芳醇な芸術の世界にひたれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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コートールド美術館は印象派の宝庫

こんばんは。

  マネの絵画、「フォリー=ベルジェールのバー」にピンとくる方はどれくらいいるのでしょうか。

  9月10日から東京上野の東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展 魅惑の印象派」もいよいよ1215日(日)に最終日を迎えます。開催期間が長いのでついつい油断していましたが、12月に入ればアッという間ですので、意を決して師走初日に上野の美術館に足を運びました。

  この美術展は、開催前から評判が高く。これまで目にすることがなかったモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールの名画が日本にやってくるということで、印象派が大好きの日本人が待ちに待った美術展でした。かくゆう私も印象派といえば、矢も楯もたまらずに見に行きたいと思っていました。幸いにしてお天気も良く、上野公園は寒くもなく紅葉もだいぶん進み、散歩日和です。美術館についたのがちょうどお昼前ということもあり、美術館は珍しく人が少ない状況でした。

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(マネ「フォリー=ベルジュールのバー」)

  ところで、コートールド美術館とは聞きなれない美術館です。場所を見ると、まさにロンドンのシティの西側テンプル教会の近くにあります。美術館の発祥は、人工絹糸の製造で巨万の富を築いたサミュエル・コートルドの絵画コレクションに寄るものです。彼は収集のみでなく、美術史や美術保存を探求するためにコートールド美術研究所を設立。美術館は研究所に付属する施設として1932年に開館したといいます。

  コートールド氏は、保守的なイギリスでは受け入れられなかったフランスの印象派絵画の価値に早くから心を寄せ、自らの審美眼を信じて奥様と一緒に絵画を買い集めたといいます。そのコレクションは、印象派、ポスト印象派の名だたる画家の作品に及んでいます。コートールド美術館は、現在リニューアル工事が進められており、その間、門外不出の名画たちが日本を訪れているのです。東京都美術館は入り口が地下になりますが、入口を入り、正面にミュージアップショップを見て、左に向かうと、企画展の入り口が見えてきます。

  入り口の横には、いつも長蛇の列が幾重にもつながっているのですが、この日はガランとしており、今回の美術展の顔ともいえるマネの「フォリー=ベルジェールのバー」がその威容を見せてくれています。何人かの人たちがその前で記念撮影をしており、我々も写真を撮ってからいよいよ美術展に入場しました。

【作家が絵を描くのはなぜ?】

  受付を過ぎて展示室に進むと、第一章は「画家の言葉から読み解く」と題された展示となります。さすが、コートールド美術館は美術研究所に付随する施設であるだけあって、美術史を踏まえた展示に興味をそそられます。画家は、それおれ想いを持って自らの絵画を完成させます。その想いを知ることはできませんが、この章では、画家たちが残した手紙や手記からその想いを紐解いていくのです。

  展示会はホッスラーの「少女と桜」からはじまりますが、その次には早くもゴッホの「花咲く桃の木々」が登場します。ゴッホは1888年、画題の風景を求めてアルルに移り住みますが、この絵はそのアルルの風景を映し出します。ここでは、ゴッホがポール・シニャックに宛てた手紙が紹介されます。「この地のすべては小さく、庭、畑、庭、山々でさえ、まるで日本の風景のようだ。だから、私はこの主題に惹かれたのだ。」この絵は、桃の果樹園とそのはるか向こうの山々、そして広く輝く空を湛えていて、とても明るいタッチで描かれています。

  ゴッホは、本当に浮世絵にあこがれていたのですね。

  晩年のタッチの片鱗を感じながら進むと、いきなりモネが登場します。画題は「アンティーブ」。モネといえばノルマンディーの海岸で描いた「エトルテ」は名画ですが、こちらの絵は地中海に面するリゾト地アンティーブから見た美しい海と空を描いていいます。画面の左中央には華奢な幹の松がアクセントを加えており、モネ独特の青い空と青い海、そしてはるかに連なる山脈が見て取れます。本当にモネの絵には心が洗われます。

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(モネ「アンティーブ」)

  「アンティーブ」に続いては、大きな花瓶に生けられた美しい花が画面いっぱいに描かれた絵に目を奪われます。この作品は1881年に着手されたそうですが、長年秘蔵され晩年に筆を入れたうえで売却したといいます。確かに全体としては淡く明るい印象ですが、華やかな花々の中に複雑な陰影が見え隠れしており、晩年のモネの手が入っていると聞くと確かにそう思えます。

  いきなりのゴッホとモネで感動した後に目に入ってきたのはセザンヌでした。作品は「アヌシー湖」。緑にぬり込められた湖に映るモリト城を描いたこの作品は、絵画の可能性を独自に追求したセザンヌらしい作品です。この絵について、セザンヌは「若い女性の旅行アルバムのような風景」といいながらこの絵を描いたとのこと。描く自らを楽しんでいたのか、自虐的に見ていたのか、想像が膨らみます。

  そして、驚くことにここから9枚ものセザンヌの名作が続くのです。その作品は、「レ・スール池、オスニー」、「ノルマンディーの農場、夏」、「ジャス・ド・ブッファンの高い木々」、「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」、「鉢植えの花と果実」、「カード遊びをする人々」、「パイプをくわえた男」、「キューピッドの石膏像のある静物」と続きます。

  風景画では、セザンヌが織りなす緑の豊かな表現に目を見張りましたが、展覧会で焦点を当てていたのは、「カード遊びをする人々」です。セザンヌは、1892年からこの題材に臨んでいたそうですが、何枚もの同じ作品が各地の美術館に保管されているといいます。今回の絵は、「パイプをくわえた男」に描かれた農夫が別の男と二人で向かい合ってカードをしている姿が描かれています。

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(セザンヌ「カード遊びをする人々」)

  セザンヌは、一見何気ない風景に見える構図でも人間の目が持つ特性をよく理解して、ことのほか自然に見えるように工夫を重ねているのです。二人がカードに興じているテーブルは、水平ではなく左に傾いていますし、カードを持つ男の胴はよく見ると不自然に長くなっています。さらに腰かけている椅子も言われてみれば不自然に短く描かれています。セザンヌは、絵を描くにあたり、目の前の対象を写生するのではなく、複眼を使って自らが納得できるように見える構図を創造して作品を描いていたのです。

  「キューピッドの石膏像のある静物」でも石膏像の隣に置かれたリンゴを載せた皿は水平に描かれているものの、バックに描かれた静物?が異様に傾いて見えます。セザンヌは、「リンゴ1つで、パリを驚かせたい」と語ったといいますが、彼にとってリンゴは、ただのリンゴではないようです。

  この美術展は、様々な工夫がなされており、作家の手紙やコートールド氏が絵を買ったときの領収書、コートールド美術研究所の本などが展示の合間に紹介されています。その中には、作家と作品のつながりを動画で紹介するコーナーがあります。ここでは、セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」が紹介されていました。この山はセザンヌの故郷に聳え立つ神に近い山であり、セザンヌはこの山の姿を何度も描いています。動画では、セザンヌの絵と全く同じアングルでヴィクトワール山を映していますが、それを見ると彼の心に映った山と実際の山の対比が浮き出て、彼の描いた絵の個性が際立つ思いがしました。

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(セザンヌ「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」)

印象派を感じる審美眼

  展覧会は第二章「時代背景から読み解く」へと進んでいきます。

  19世紀末から20世紀。フランスでも近代化が進み、人々は都市から汽車に乗って近郊の緑地や川辺、そして海へと移動して様々な楽しみに身を投じるようになりました。そうした変化をこの章では絵画から読み解いていきます。

  第一章でも印象派の大家の絵に魅了されたのですが、第二章でも我々は次々に感動と出会うことになるのです。ブーダン、マネ、モネ、ピサロ、シスレー、ルソー、ルノワールと名前を聞くだけでうっとりしてしまうような名画が一歩進むごとに登場するのです。

  モネの師でもあった風景画の大家ブーダンの「ドーヴィル」はいきなり我々の心を射抜きます。この絵は、ドーヴィルの砂浜と山、海と空を、画面いっぱい使って描きあげているのですが、絵の上半分以上を占める雲が沸き上がる空の描写は、我々の心を空へと誘うようです。ブーダンは、絵画の世界で「空の王者」と呼ばれているそうですが、その面目躍如です。その絵に並ぶ弟子モネの「秋の効果、アンジャントゥイユ」。モネがアトリエ舟によって川面の上から描いた絵画ですが、モネが感じた秋の光がみごとな効果を上げており、引き込まれます。

  この章の絢爛さは格別です。シスレーやピサロ、そしてルソーの絵に感動していると、その流れに登場するのがルノアールです。まず、「春、シャトゥー」。ルノアールの風景画は淡く明るく心がすがすがしくなるのですが、この絵はまた格別な感動を味わうことができます。濃淡様々な緑と白があふれかえるように広がっている中に、麦わら帽子の人物がまるで花弁のように佇む構図。その向こうにはセーヌ河がわずかにのぞいています。素晴らしい。

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(ルノワール「春、シャトゥー」)

  さらにルノワールは、秋を描く「ポン・ダヴェンの郊外」、「アンプロワーズ・ヴォラールの肖像」、「靴紐を結ぶ女」、「洗濯する女」(ブロンズ像)、「桟敷席」と続きます。ルノアールの創ったブロンズ像にも驚きましたが、何といっても圧巻は「桟敷席」。当時、パリの劇場で桟敷席は貴婦人たちのファッションショーの現場のようです。本来、遠景でしか見えないはずの桟敷席にいる貴婦人を超アップでとらえたこの作品は、ルノアールにとっても冒険であったに違いありません。そして、それは単なる冒険ではなく、夫人の上品な美しさを描いて画家の個性を際立たせています。

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(ルノワール「桟敷席」)

  ルノアールに魅せられた次には、踊り子が印象的なドガの絵が登場します。「舞台上の二人の踊り子」は、中心に広い舞台空間を描き構図の右手に登場したところでしょうか、つま先台をしてまさに踊り始めたバレリーナが描かれます。その緊張感と美しさが見事なバランスを醸し出していて、引き込まれます。そして、展示室の中には、そのドガが造形したブロンズ像「踊り始めようとする踊り子」が展示されています。まさに美術研究所的な展示に興味をそそられます。

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(ドガ「舞台上の二人の踊り子」)

  ドガに感動し、歩みを進めるとロートレックが登場します。ロートレックと言えばムーラン・ルージュですが、今回はムーラン・ルージュの踊り子やレストラン「ラ・モール」の個室にいる娼婦の素顔を描いており、いつものロートレックとは違う表現を味わうことができます。

  そして、第二章のハイライトは、この展覧会と言えば登場する絵画です。

  その前に、意外な絵が目に飛び込んできます。それはマネの「草上の昼食」です。この絵は森の中で昼食を取る男女が描かれていますが、物議を醸しだしたのは、描かれた女性が一糸も纏わぬ姿だったからです。なぜ、この絵がここにあるのか。近づいてみると、その解説にこの絵が2点あることが書かれていました。以前に見た「草上の昼食」は、オルセー美術館が所有する作品だったのです。言われてみれば、描かれた女性や紳士たちの表情がなんとなくのっぺりしています。どうやらこの作品は、オルセーの作品を描くにあたって、背景となる森の木々をどのように構成するかを確定するための習作だということです。

  それにしてもこの有名な作品に習作が存在するとは、コートールド氏の収集心が偲ばれるようなコレクションです。

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(マネ「草上の昼食」)

  そして、我々の目に飛び込んでくるのは、マネ晩年の大作、「フリー・ベルジェールのバー」です。さすが、作品の前は黒山の人だかりです。それでも、少し並べば絵を目の前で鑑賞することができる程度の人ごみでした。絵は、縦96cm、横130cmという大きさですが、作家の力量と迫力から実際の大きさ以上に迫力がありました。絵画では、バーのカウンターに佇んで男性の相手をしているバーメイドが我々をじっと見つめています。


  さて、美術展ではこの絵を様々な角度から分析してくれており、その魅力をぞんぶんに解説してくれているのですが、残念ながら紙面が尽きてしましました。この続きは次回(以降)にお届けしたいと思います。

  今回の美術館展は、門外不出の作品を一堂に会した貴重な美術展です。東京都美術館での開催は今月15日で終了しますが、その後、愛知県美術館、神戸市立博物館で開催の予定です。絵画好きの方もそうでない方もぜひ一度足を運んでください。絵画の魅力に心を奪われること間違いなしです。

  美術はやっぱり実物を見なければ本当の感動に行きつくことができません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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コートールド美術館は印象派の宝庫

こんばんは。

  マネの絵画、「フォリー=ベルジェールのバー」にピンとくる方はどれくらいいるのでしょうか。

  9月10日から東京上野の東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展 魅惑の印象派」もいよいよ1215日(日)に最終日を迎えます。開催期間が長いのでついつい油断していましたが、12月に入ればアッという間ですので、意を決して師走初日に上野の美術館に足を運びました。

  この美術展は、開催前から評判が高く。これまで目にすることがなかったモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールの名画が日本にやってくるということで、印象派が大好きの日本人が待ちに待った美術展でした。かくゆう私も印象派といえば、矢も楯もたまらずに見に行きたいと思っていました。幸いにしてお天気も良く、上野公園は寒くもなく紅葉もだいぶん進み、散歩日和です。美術館についたのがちょうどお昼前ということもあり、美術館は珍しく人が少ない状況でした。

  ところで、コートールド美術館とは聞きなれない美術館です。場所を見ると、まさにロンドンのシティの西側テンプル教会の近くにあります。美術館の発祥は、人工絹糸の製造で巨万の富を築いたサミュエル・コートルドの絵画コレクションに寄るものです。彼は収集のみでなく、美術史や美術保存を探求するためにコートールド美術研究所を設立。美術館は研究所に付属する施設として1932年に開館したといいます。

  コートールド氏は、保守的なイギリスでは受け入れられなかったフランスの印象派絵画の価値に早くから心を寄せ、自らの審美眼を信じて奥様と一緒に絵画を買い集めたといいます。そのコレクションは、印象派、ポスト印象派の名だたる画家の作品に及んでいます。コートールド美術館は、現在リニューアル工事が進められており、その間、門外不出の名画たちが日本を訪れているのです。東京都美術館は入り口が地下になりますが、入口を入り、正面にミュージアップショップを見て、左に向かうと、企画展の入り口が見えてきます。

  入り口の横には、いつも長蛇の列が幾重にもつながっているのですが、この日はガランとしており、今回の美術展の顔ともいえるマネの「フォリー=ベルジェールのバー」がその威容を見せてくれています。何人かの人たちがその前で記念撮影をしており、我々も写真を撮ってからいよいよ美術展に入場しました。

【作家が絵を描くのはなぜ?】

  受付を過ぎて展示室に進むと、第一章は「画家の言葉から読み解く」と題された展示となります。さすが、コートールド美術館は美術研究所に付随する施設であるだけあって、美術史を踏まえた展示に興味をそそられます。画家は、それおれ想いを持って自らの絵画を完成させます。その想いを知ることはできませんが、この章では、画家たちが残した手紙や手記からその想いを紐解いていくのです。

  展示会はホッスラーの「少女と桜」からはじまりますが、その次には早くもゴッホの「花咲く桃の木々」が登場します。ゴッホは1888年、画題の風景を求めてアルルに移り住みますが、この絵はそのアルルの風景を映し出します。ここでは、ゴッホがポール・シニャックに宛てた手紙が紹介されます。「この地のすべては小さく、庭、畑、庭、山々でさえ、まるで日本の風景のようだ。だから、私はこの主題に惹かれたのだ。」この絵は、桃の果樹園とそのはるか向こうの山々、そして広く輝く空を湛えていて、とても明るいタッチで描かれています。

  ゴッホは、本当に浮世絵にあこがれていたのですね。

  晩年のタッチの片鱗を感じながら進むと、いきなりモネが登場します。画題は「アンティーブ」。モネといえばノルマンディーの海岸で描いた「エトルテ」は名画ですが、こちらの絵は地中海に面するリゾト地アンティーブから見た美しい海と空を描いていいます。画面の左中央には華奢な幹の松がアクセントを加えており、モネ独特の青い空と青い海、そしてはるかに連なる山脈が見て取れます。本当にモネの絵には心が洗われます。

  「アンティーブ」に続いては、大きな花瓶に生けられた美しい花が画面いっぱいに描かれた絵に目を奪われます。この作品は1881年に着手されたそうですが、長年秘蔵され晩年に筆を入れたうえで売却したといいます。確かに全体としては淡く明るい印象ですが、華やかな花々の中に複雑な陰影が見え隠れしており、晩年のモネの手が入っていると聞くと確かにそう思えます。

  いきなりのゴッホとモネで感動した後に目に入ってきたのはセザンヌでした。作品は「アヌシー湖」。緑にぬり込められた湖に映るモリト城を描いたこの作品は、絵画の可能性を独自に追求したセザンヌらしい作品です。この絵について、セザンヌは「若い女性の旅行アルバムのような風景」といいながらこの絵を描いたとのこと。描く自らを楽しんでいたのか、自虐的に見ていたのか、想像が膨らみます。

  そして、驚くことにここから9枚ものセザンヌの名作が続くのです。その作品は、「レ・スール池、オスニー」、「ノルマンディーの農場、夏」、「ジャス・ド・ブッファンの高い木々」、「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」、「鉢植えの花と果実」、「カード遊びをする人々」、「パイプをくわえた男」、「キューピッドの石膏像のある静物」と続きます。

  風景画では、セザンヌが織りなす緑の豊かな表現に目を見張りましたが、展覧会で焦点を当てていたのは、「カード遊びをする人々」です。セザンヌは、1892年からこの題材に臨んでいたそうですが、何枚もの同じ作品が各地の美術館に保管されているといいます。今回の絵は、「パイプをくわえた男」に描かれた農夫が別の男と二人で向かい合ってカードをしている姿が描かれています。

  セザンヌは、一見何気ない風景に見える構図でも人間の目が持つ特性をよく理解して、ことのほか自然に見えるように工夫を重ねているのです。二人がカードに興じているテーブルは、水平ではなく左に傾いていますし、カードを持つ男の胴はよく見ると不自然に長くなっています。さらに腰かけている椅子も言われてみれば不自然に短く描かれています。セザンヌは、絵を描くにあたり、目の前の対象を写生するのではなく、複眼を使って自らが納得できるように見える構図を創造して作品を描いていたのです。

  「キューピッドの石膏像のある静物」でも石膏像の隣に置かれたリンゴを載せた皿は水平に描かれているものの、バックに描かれた静物?が異様に傾いて見えます。セザンヌは、「リンゴ1つで、パリを驚かせたい」と語ったといいますが、彼にとってリンゴは、ただのリンゴではないようです。

  この美術展は、様々な工夫がなされており、作家の手紙やコートールド氏が絵を買ったときの領収書、コートールド美術研究所の本などが展示の合間に紹介されています。その中には、作家と作品のつながりを動画で紹介するコーナーがあります。ここでは、セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」が紹介されていました。この山はセザンヌの故郷に聳え立つ神に近い山であり、セザンヌはこの山の姿を何度も描いています。動画では、セザンヌの絵と全く同じアングルでヴィクトワール山を映していますが、それを見ると彼の心に映った大和の対比が浮き出て、彼の描いた絵の個性が際立つ思いがしました。

印象派を感じる審美眼

  展覧会は第二章「時代背景から読み解く」へと進んでいきます。

  19世紀末から20世紀。フランスでも近代化が進み、人々は都市から汽車に乗って近郊の緑地や川辺、そして海へと移動して様々な楽しみに身を投じるようになりました。そうした変化をこの章では絵画から読み解いていきます。

  第一章でも印象派の大家の絵に魅了されたのですが、第二章でも我々は次々に感動と出会うことになるのです。ブーダン、マネ、モネ、ピサロ、シスレー、ルソー、ルノワールと名前を聞くだけでうっとりしてしまうような名画が一歩進むごとに登場するのです。

  モネの師でもあった風景画の大家ブーダンの「ドーヴィル」はいきなり我々の心を射抜きます。この絵は、ドーヴィルの砂浜と山、海と空を、画面いっぱい使って描きあげているのですが、絵の上半分以上を占める雲が沸き上がる空の描写は、我々の心を空へと誘うようです。ブーダンは、絵画の世界で「空の王者」と呼ばれているそうですが、その面目躍如です。その絵に並ぶ弟子モネの「秋の効果、アンジャントゥイユ」。モネがアトリエ舟によって川面の上から描いた絵画ですが、モネが感じた秋の光がみごとな効果を上げており、引き込まれます。

  この章の絢爛さは格別です。シスレーやピサロ、そしてルソーの絵に感動していると、その流れに登場するのがルノアールです。まず、「春、シャトゥー」。ルノアールの風景画は淡く明るく心がすがすがしくなるのですが、この絵はまた格別な感動を味わうことができます。濃淡様々な緑と白があふれかえるように広がっている中に、麦わら帽子の人物がまるで花弁のように佇む構図。その向こうにはセーヌ河がわずかにのぞいています。素晴らしい。

  さらにルノワールは、秋を描く「ポン・ダヴェンの郊外」、「アンプロワーズ・ヴォラールの肖像」、「靴紐を結ぶ女」、「洗濯する女」(ブロンズ像)、「桟敷席」と続きます。ルノアールの創ったブロンズ像にも驚きましたが、何といっても圧巻は「桟敷席」。当時、パリの劇場で桟敷席は貴婦人たちのファッションショーの現場のようです。本来、遠景でしか見えないはずの桟敷席にいる貴婦人を超アップでとらえたこの作品は、ルノアールにとっても冒険であったに違いありません。そして、それは単なる冒険ではなく、夫人の上品な美しさを描いて画家の個性を際立たせています。

  ルノアールに魅せられた次には、踊り子が印象的なドガの絵が登場します。「舞台上の二人の踊り子」は、中心に広い舞台空間を描き構図の右手に登場したところでしょうか、つま先台をしてまさに踊り始めたバレリーナが描かれます。その緊張感と美しさが見事なバランスを醸し出していて、引き込まれます。そして、展示室の中には、そのドガが造形したブロンズ像「踊り始めようとする踊り子」が展示されています。まさに美術研究所的な展示に興味をそそられます。

  ドガに感動し、歩みを進めるとロートレックが登場します。ロートレックと言えばムーラン・ルージュですが、今回はムーラン・ルージュの踊り子やレストラン「ラ・モール」の個室にいる娼婦の素顔を描いており、いつものロートレックとは違う表現を味わうことができます。

  そして、第二章のハイライトは、この展覧会と言えば登場する絵画です。

  その前に、意外な絵が目に飛び込んできます。それはマネの「草上の昼食」です。この絵は森の中で昼食を取る男女が描かれていますが、物議を醸しだしたのは、描かれた女性が一糸も纏わぬ姿だったからです。なぜ、この絵がここにあるのか。近づいてみると、その解説にこの絵が2点あることが書かれていました。以前に見た「草上の昼食」は、オルセー美術館が所有する作品だったのです。言われてみれば、描かれた女性や紳士たちの表情がなんとなくのっぺりしています。どうやらこの作品は、オルセーの作品を描くにあたって、背景となる森の木々をどのように構成するかを確定するための習作だということです。

  それにしてもこの有名な作品に習作が存在するとは、コートールド氏の収集心が偲ばれるようなコレクションです。

  そして、我々の目に飛び込んでくるのは、マネ晩年の大作、「フリー・ベルジェールのバー」です。さすが、作品の前は黒山の人だかりです。それでも、少し並べば絵を目の前で鑑賞することができる程度の人ごみでした。絵は、縦96cm、横130cmという大きさですが、作家の力量と迫力から実際の大きさ以上に迫力がありました。絵画では、バーのカウンターに佇んで男性の相手をしているバーメイドが我々をじっと見つめています。


  さて、美術展ではこの絵を様々な角度から分析してくれており、その魅力をぞんぶんに解説してくれているのですが、残念ながら紙面が尽きてしましました。この続きは次回(以降)にお届けしたいと思います。

  今回の美術館展は、門外不出の作品を一堂に会した貴重な美術展です。東京都美術館での開催は今月15日で終了しますが、その後、愛知県美術館、神戸市立博物館で開催の予定です。絵画好きの方もそうでない方もぜひ一度足を運んでください。絵画の魅力に心を奪われること間違いなしです。

  美術はやっぱり実物を見なければ本当の感動に行きつくことができません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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美術展 松方コレクションの絢爛と光芒

こんばんは。

  日本に近代西洋美術の美術館を設立したい。

  日本には油絵を描いている若者がたくさんいる。彼らに本物の西洋美術を見ることができるようにしてやりたい。あの松方正義の次男、松方幸次郎がこうした志を持ったのは、1914年に勃発した第一次世界大戦の最中でした。当時、川崎造船所の社長であった松方は、軍艦需要の拡大に乗って軍艦受注によって莫大な財を築き、その資金をもってヨーロッパで名画と呼ばれる絵画を大量に購入したのです。

  1916年にロンドンに渡った松方は、画家のフランク・プラングィンと意気投合し、ヨーロッパでの絵画収集に熱意を注ぎ、そのコレクションを麻布に建設する「共楽美術館」で展示するとの構想を企画したのです。その後、1927年までに松方は、8000点の浮世絵のコレクションの購入も含めて、約10000点の絵画を購入したといわれています。1921年にジヴェルニーに住んでいたモネのもとを訪れて意気投合し、誰にも譲らなかった「睡蓮」を手に入れたエピソードは世に知られています。

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(プラングィン画「松方幸次郎」 美術館所蔵品目録より)

  現在、国立西洋美術館で開催されている「松方コレクション展」では、このときに収集された絵画のうち代表的な絵画や彫刻が、150点以上にわたり展示されています。

  しかし、展示会でも紹介されている通り、松方コレクションは1927年の昭和恐慌のあおりを受けて悲惨な運命に翻弄されました。ワシントン条約による軍縮などによる造船不況、さらに世界恐慌による不況からその年、川崎造船所は倒産します。そして、日本にあった松方コレクションの西洋美術品は債務整理のために売り立てにかけられました。このときに、1000点に及ぶ作品が散逸したといわれています。

  そして、さらなる悲劇がコレクションを襲います。戦時中、日本では海外からの輸送貨物に同じ価値の関税をかける「10割関税」が適用されており、松方コレクションはロンドンとパリにも保管されていました。ロンドンには、約900点の作品が保管されていましたが、1939年に火災により焼失してしまいます。パリに保管されていた400点の作品は、当時ロダン美術館に寄託されていましたが、ナチス・ドイツの侵攻による没収を恐れた日置釘三郎が自宅のある郊外のアボンダンに疎開させました。

  疎開のおかげによりコレクションはナチス・ドイツによる略奪は免れたものの、ドイツの同盟国であった敵国資産として、フランス政府により没収されてしまったのです。戦後、日本政府は絵画の返還交渉を開始します。1951年サンフランシスコ講和が締結された際、首相であった吉田茂はフランスと返還を要求し、コレクションは返還されることとなります。フランス政府は、これらの絵画のうち重要なものはフランスに留め置き、残りを日本に「寄贈」すると語っており、その認識は擦りあいませんでした。フランスは、日本にコレクションを「寄贈返還」するにあたり、コレクションを展示する美術館を建造しそこに保管することを条件としたことから、1959年、国立西洋美術館が建造されて作品は無事に日本に帰ってきたのです。

  先日、連れ合いと一緒に念願の「松方コレクション展」に足を運びました。

【美術展はモネの「睡蓮」から】

  今回の美術展の特徴は、松方幸次郎が傑作絵画を収集したそのプロセスごとに絵画や彫像が展示されている点にあります。そして、そのプロローグは、最も有名なモネとの邂逅と彼が夢見た「共楽美術館」の構想からはじまります。はじめに目に飛び込んでくるのは、モネの「睡蓮」です。この連作はモネが生涯描き続けたモチーフですが、1916年のこの作品は湖畔を描きこんだ藍のような淡い青を基盤として、そこに可憐な睡蓮の花が点描され、様々な色の光が乱舞しています。モネの晩年の光への印象がよみがえるようで、松方の美術への思いがしのばれます。

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(モネ画「睡蓮」収蔵品目録より)

  さらに進むと、コレクションのきっかけとなった画家フランク・プラングィンが描いた松方幸次郎の瀟洒な肖像画が展示されています。松方は、とてもリラックスした表情でパイプをくわえています。その横には、同じくプラングインが描いた「共楽美術館」の絵が飾られています。回廊のような建物の中にはアトリュウムが広がっており、松方とブラグィンが思い描いた夢の美術館が現実のもののように想起されます。

  第1章は、1916年にロンドンに渡り、はじめて絵画の収集に本腰を入れた時期に獲得した作品が中心に展示されています。そのきっかけとなった画家ブラグィンの作品に続いて、制作年代の記載のない作品が並んでいます。15世紀ころの宗教画の技法で描かれた絵が続いていきます。

  その中で、目を引いたのはジョン・エヴァリット・ミレイの「あひるの子」と題された作品でした。端正な表情で真摯に前を見つめる幼い少女の全身が描写され、その筆致の繊細さが少女の生きる力を感じさせ、とても魅了されます。ちなみに、足元に「あひる」の人形が2体配されており、その題名が絶妙です。

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(ミレイ画「あひるの子」 所蔵品目録より)

  もうひとつ、こちらはとても大きなキャンパスに描かれた羊狩りの描写です。酪農家の夫婦の農作業を描写した1枚ですが、たくさんの羊がこの作業を見守り、広い納屋と、見つめる羊たちを表した構図が斬新です。風俗画になるのでしょうが、ミレイの落穂ひろいなどに通じる表現描写に目を見張ります。

  第2章は、幸次郎が集めたコレクションの中でも収集が佳境に入る第一次世界大戦を表現した絵画が集められています。スケッチのような小作品に凛々しい兵士の肖像や見送る民衆、近代戦の武器などがスケッチされています。心に響くのは、この章の最後に飾られた2点の絵でした。大きなカンヴァスに描かれていたのは、抱擁して唇を寄せ合う男女とそれを囲うように取り巻く人々です。男は、軍服にヘルメットをかぶっており、兵士であることがわかります。題名は「帰還」。

  その隣に掛けられた青い服を着た女性が墓石の前にひざまずいています。その横には、娘とその孫と思える少女が佇んでいます。その絵は、リュシアン・シモンの「墓地のブルタニュの女たち」。戦争で最愛の人を失った悲しみが絵から浮かび上がってくるようです。

  そして、展示は第3章「海と船」へと続きます。ここには、テーマに合わせるような大型の作品が展示されています。すぐに目に入ってきたのは、大きなカンヴァスいっぱいに描かれた明るい海と大きな戦艦です。絵の作者は、ウジェーヌ=ルイ・ジロー。題名は「裕仁殿下のル・アーブル港到着」。その絵のまばゆいような海の青は、このシーンを描くように依頼した松方の誇らしげな気持ちが絵に表れているようです。隣に展示された同じ大きさの「ヴィレルーヴィルの海岸、日没」がかもしだす落ち着いた海と夕暮れの風景がみごとなコントラストを演出しており、その素晴らしい展示に心を奪われました。

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(ルイ・ジロー画「裕仁殿下の~」所蔵品目録より)

  この章で展示されているのは6枚の絵画ですが、どの絵も人の背ほどもある大きなキャンヴァスに描かれており、その迫力に圧倒されます。

【ロダン、モネ、クールベそしてルノアール】

  ここから美術展は一挙に佳境を迎えます。第4章は松方が特に収集に情熱を燃やしたロダンの彫刻が一気に展示されています。「考える人」、「接吻」、「私は美しい」、「瞑想」、「フギット・アモール」と人の造形を流線形になぞらえて力強く彫刻した作品が、次々と我々に感動を与えてくれます。「考える人」は、あの有名な「地獄の門」の上部に形作られた座像ですが、部屋の奥には、「地獄の門」のマケット(第三構想)も展示されており、捜索のプロセスまでもが想像されるように展示されています。

  数々のロダンの造形に驚かされながら展示が過ぎていくと、第5章の展示には、さらなる感動が待っています。章題は「パリ 1921年~1922年」。この年、松方は美術評論家の矢代幸雄などと画廊を巡っていました。そこで松方はここに展示される素晴らしい絵画を購入したのです。最初に目に飛び込んでくるのは、アンソニー=ヴァンダイク・コプレー・フィールディングの筆による大きな風景画、「ターベット、スコットランド」です。まるで、印象派を思わせるような、山間の湖が美しく照らされる光景は雄大です。そして、モネの若き日の写生画「並木道」。深い緑の並木が続く道。その構図と色合いにモネの覚悟が垣間見られる一枚です。

  その隣には、心に染み入るようなルノアールの絵画が展示されていました。

  「帽子の女」。背景はカーテンなのでしょうか。青と黄色の淡い色彩を背にしてつばの広い帽子を優雅にかぶった白いドレスの女性がソファに座って右手を椅子の背にかけています。その表情は、ルノアールが得意とする柔らかく静かに微笑んでいるように見えます。見た瞬間にルノアールとわかる、その明るい筆遣いと絵の具の流れ。個人的にはこの展覧会の一番の感動を味わいました。さらに進んでいくと、その先には明るい向陽がまぶしいような「陽を浴びるポプラ並木」と美しい田舎の雪景色をとらえたモネの「雪のアルジャントゥイユ」の2枚が並んで展示されています。

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(ルノアール画「帽子の女」所蔵品目録より)

  やられました。「ポプラ並木」は連作で、以前の展覧会でもその明るい情景に心が躍るようでしたが、今回もモネが見出した光の表現が心をとらえたのです。ここから美術展は怒涛の展開を見せてくれます。クールベの「波」、モネが晩年にロンドン旅行中に描いた「ウォータールー橋」、「チャーリング・クロス橋」、ジヴェルニーで描いた傑作「波立つプールヴィルの海」、「舟遊び」などが次々と目の前に現れます。

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(モネ画「雪のアルジャントゥイユ」収蔵品目録より)

  さらに、松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたとき、フランスに留め置かれたゴッホがこの美術展のために上野に帰ってきたのです。その絵は名作「アルルの寝室」です。ガランとしたベッドと椅子が明るい黄土色の色彩で描かれた絵は、ゴーガンと二人で過ごしたアルルへの思いが込められているように感じられて、そこはかとない郷愁を感じます。この絵の先には、ちょうどゴッホと別れたころに描かれたゴーガンの「扇のある静物」が展示されており、二人の思いがしのばれる後世になっています。この2枚は、ともにオルセー美術館からこの展覧会のために送られた作品で、その意気な計らいに感謝です。

  そのゴッホの「アルルの寝室」と並んで展示されていたのは、同じ年の作品「ばら」です。幻想的な明るい緑の森を背景にして美しく咲くバラの花がいくつもちりばめられていて、今回の美術展の中では、一押しのゴッホです。とても強い印象が心に残り、ついポストカードを買ってしまいました。ちなみにオルセー美術館からは、セザンヌの「調理台の上のポットと瓶」も出品されており、今回の美術展を盛り上げてくれています。

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(ゴッホ画「ばら」所蔵品目録より)

【売り立ての絵画と戦後の寄贈返還】

  美術展は、いよいよ最終章へと向かっていきます。

  第6章では、1923年にコペンハーゲンの実業家ハンセンコレクションを購入した時の絵が展示されています。実は、このときに購入した絵は川崎造船の清算時にほとんどが散逸し、今回は様々な場所から出品された作品が展示されています。ドガの「マネとマネ婦人像」は北九州市立美術館から、珍しいマネの「自画像」とシスレーの「サン=マメス 六月の朝」はブリジストン美術館から、モネの「積みわら」は倉敷にある大原美術館からの出店。どの絵も印象派を語る中では欠かすことができない名作です。

  第7章は「北方への旅」と題されています。1921年にベルリン、スイスに「足を延ばした折に手に入れた北欧の画家の作品がここに展示されています。オランダ絵画として有名なフリューゲルやファン・ネン・デールの風俗画やドラクロアの作品が心に響きます。ここで最も目を引いたのは、あのムンクの「雪の中の労働者たち」です。縦223cm×横167cmの巨大なカンヴァスに描かれた労働者たちの姿は強い迫力をもって我々に迫ってきます。雪の中を歩く黒い服と帽子を身にまとった労働者の集団の描写は、何に突き動かされたものなのか、想像が膨らみます。

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(ムンク「雪の中の労働者たち」所蔵品目録より)

  美術展の最後は、コレクションが歩んだ運命を象徴する絵画で締めくくられます。1959年松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたときのニュース映像が会場に流されており、そのときを忍ばせる絵画が展示されています。マティスの「長椅子に座る女」やスーティンの「ページ・ボーイ」は作品の重要性からそれぞれフランスに止め置かれ、今回はバーゼル美術館、ポンピドー近代美術館から出品されました。ルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」は、政府の強い要請により現在は国立西洋美術館の所蔵となっている名作です。

  マネの「嵐の海」は、2012年にナチス・ドイツに強奪された絵画とともに画商のグルリットの自宅で発見され、彼の死後にベルン美術館に遺贈された作品だといいます。どの絵も傑作なのですが、コレクションの経緯を知るにつけ、絵画の運命にも思いをはせることとなり胸を突き動かされます。

  美術展のエピローグとして展示されるのは、松方幸次郎がモネから直接購入したという晩年の作品「睡蓮、柳の反映」です。この作品は、2016年に変わり果てた姿で発見されました。絵画の上部半分は老朽と痛みから逸失し、株半分も汚れで何が描かれているのかさえ判別できません。しかし、美術館のキュレーターは2年をかけてこの絵画を修復、その下半分がみごとによみがえったのです。それは、香川県直島の地中美術館に展示されている「睡蓮」を思い起こさせます。

  さらに、失われた上部も今回、様々な人々の尽力によって、デジタルコンテンツとして蘇りました。

  その経緯は、NHKスペシャルの「モネ 睡蓮(すいれん)~よみがえる“奇跡の一枚”~」で特集されたので、ご覧になった方も多いと思います。

  今回の美術展は、日本にもヨーロッパの絵画に胸を打たれ、その収集に奔走した人物が存在したことを改めて思い起こさせてくれる素晴らしい企画です。もちろん、印象派や点描画に象徴される西洋絵画の魅力も余すことなく伝えてくれ、改めて数々の名画の魅力を我々に教えてくれます。

  国立西洋美術館が松方コレクションのために建てられたものであることを、今回初めて知りましたが、当日は企画展とは別に1階、2階で繰り広げられる常設展も鑑賞してきました。こちらには、松方コレクション展には出展されなかった名画があふれんばかりに展示されています。1930年代の宗教画から始まり、印象派につながるクールベやシスレーの絵画、さらには20世紀に花開いたキョビズムや象徴絵画まで、その歴史をたどるがごとく名作が額を連ねています。

  上野での松方コレクション展は、今月の23日までです。まだ見ていない方はぜひ足を運んでみてください。絵画が好きな方には、名画の感動が待っています。また、歴史好きの方には日本の絵画史に残る出来事が詰まっています。絵画の魅力と知的興奮にあふれた美術展。人生が豊かになること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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マーベル映画 「アベンジャーズ」完結!

こんばんは。

  2012年に大ヒットを記録した「アベンジャーズ」がついに最終話?を迎えました。

  アメリカ漫画を代表するマーベルコミックのヒーローたちがオールスターキャストで登場し息もつかせぬ物語を展開しますが、昨年公開された第3作「インフィニティー・ウォー」、今年公開された第4弾「エンドゲーム」は続編となっています。「インフィニティー・ウォー」から1年間待たされたファンにとって、最新作は待ちに待った作品です。

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(映画「アベンジャーズ エンドゲーム」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「アベンジャーズ:エンドゲーム」

2019年米・182分)(原題:「Avenngers Endgame」)

・スタッフ  監督:アンソニー・ルッソ  

           ジョー・ルッソ

       脚本:クリストファー・マルクス

          スティーブン・マクフィーリー

・キャスト  トニー・スターク:ロバート・ダウニー・Jr

       スティーブ・ロジャース:クリス・エバンス

       ブルース・バナー:マーク・ラファロ

       クリス・ヘムズワース:ソー

       ナターシャ・ロマノフ:

                    スカーレット・ヨハンソン

              クリント・バートン:ジェレミー・レナー

       スコット・ラング:ポール・ラッド

       キャロル・ダンヴァース:ブリー・ラーソン

  ちなみに、キャストのヒーロー名を順に記載すると、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ハルク、マイティ・ソー、ブラックウィドウ、ホークアイ、アントマン、キャプテン・マーベルとなります。今回はこの他にもドクター・ストレンジ、スパイダーマン、ブラックパンサー、ウォーマシン、ワスプなどなど、とにかくオールスターでマーベルヒーローが登場し、よく破綻せずに脚本を収めたものだと感心します。

  家族の中では子供がマーベル映画の大ファンで、前作の最後を見て新作を待ち望んでいました。1年間耐えた結果、426日の公開が決まり、その日に映画館に足を運んでいました。その映画の出来には家族全員が興味津々で、翌日には子供は質問攻めにあうことになります。さすがにネタバレは御法度なので、深くは語らず、「とにかく絶対面白いので、必ずIMAXで見てね。」とのオススメで感想が締めくくられました。

  実は、私と連れ合いはなんとなく気乗りがせずに前作を見ていなかったのですが、「今回は絶対に前作を見ていないと楽しめないよ。」とのアドバイス。それを受けて、土曜日にレンタル屋さんで前作DVDを借りて見たうえで日曜日に新作を見に行こう、と考えました。どうやら皆さん同じことを考えているようで、1店目の店舗ではすべて貸し出し中。2店目の店舗でやっと見つけ出したのです。ホッとしました。

  いやはや、見て良かった。

  「インフィニティー・ウォー」と「エンドゲーム」は完全なセットで、前作を見ずに映画館に行くと作品の30%程度しか楽しむことができません。皆さんもぜひ前作を見てから映画館にお越しください。

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(映画「アベンジャーズ インフィニティーウォー」)

【ハリウッドの定番脚本】

  さて、以前にも映画紹介でお話ししましたが、今のハリウッドの脚本は登場人物たちの心を描くために効果的なエピソードを語るのが本当に上手です。例えば、今回の敵役は最強ともいえるエイリアン、「サノス」です。彼は、ハルク以上の巨漢で自らの信念に従って全宇宙に秩序をもたらそうとしています。一方、マーベルのヒット作である「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で船長のスター・ロードと恋に落ちる宇宙人ガモーラとその妹のアンドロイドであるネビュラは、暗殺者の姉妹。姉妹の仲は敵愾心と嫉妬心からネビュラは常にガモーラに挑んでいます。

  そして、この二人は今回の絶対者であるサノスの血の繋がらない娘なのです。そこに巻き起こる愛憎劇がこの映画に驚くほどの厚みを醸し出しています。また、これまで「アベンジャーズシリーズ」、「アイアンマン」、「キャプテン・アメリカ」、「マイティ・ソー」で描かれてきた愛憎劇、エピソードもしっかりとこの作品に生かされています。

  今回のアベンジャーズの闘いは、最強のエイリアン「サノス」との決戦を描いています。そして、「インフィニティー・ウォー」の中に書き込まれたエピソードが「エンドゲーム」に繋がっていくのです。

(以下、ネタばれあり)

  「インフィニティー・ウォー」は、サノスがソーたちのアスガルドの人々が地球に向かう避難船を襲い、「石」を奪い取るシーンからはじまります。ロキ兄弟はなんとか「石」を守ろうと抵抗し、ロキは得意のだまし討ちでサノスに立ち向かいますが、まったく歯が立たずロキはなすすべもなく殺されてしまい、サノスは「石」を手に入れることになります。

  避難船に乗っていたハルクは、瀕死の仲間によって地球へと投げ出されソーたちは全滅してしまいます。ハルクは、タイムストーンという「石」を持つドクター・ストレンジのもとに落下し、サノスが「石」を狙って地球にもやってくることを警告します。ストレンジとハルクはアベンジャーズのメンバーである「アイアンマン/トニー・スターク」にサノスの野望を伝え、団結して「石」を守るよう要請したのです。

  ここで、ドクター・ストレンジによって6つの「石」が世界を司っていることが明かされます。その石とは「インフィニティストーン」と呼ばれる石。その種類は、「スペースストーン」、「パワーストーン」、「タイムストーン」、「リアリティストーン」、「マインドストーン」、「ソウルストーン」です。これら6つの「石」を手に入れれば望む未来を実現することが可能となるのです。

  サノスは、これまで宇宙の様々な惑星を侵略し、そこに住む宇宙民族の半数を殺害し、半数を生存させるという殺戮を繰り返してきました。すべての宇宙の住人達の半分を殺戮することで人々は幸福に生きることができるはずだ。それが全宇宙に対するサノスの信念であり、哲学なのです。(ちなみに、このテーマは、ダン・ブラウン氏のラングトン教授シリーズ「インフェルノ」と共通しています。)人類の半数が無差別に殺戮される。この虐殺行為を阻止するため、アベンジャーズが立ち上がります。彼らは勝利することができるのか、それが本作のテーマなのです。

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(アベンジャーズのヒーローたちは生き残るのか?)

  本テーマを考えると、前作「インフィニティー・ウォー」は確かに完結した作品ということができます。しかし、この作品を見ている間、どうも説明的な場面が多いところが気になりました。アベンジャーズでは、第2作までにそのあまりのパワーから彼らを国連の管理下に置く「ソコビィア協定」が交わされています。この協定に反対するキャプテン・アメリカが離反したことから、アベンジャーズはバラバラになっていました。サノスの襲撃に相対するためにバラバラとなっていたアベンジャーズを集結させるためにいくつかのエピソードが必要で、そこにかなりの時間を割いています。

  さらに「タイムストーン」はドクター・ストレンジが所有し、「マインドストーン」はアイアンマンの執事であったAIのビジョンが身に着けることでアンドロイドとなっています。また、「リアリティストーン」はノーホエアという惑星にあり、「ソウルストーン」はヴォーミアという惑星に存在します。それぞれの「石」を手に入れるためにエピソードが頻繁に入れ変わっていくのです。

  確かに説明的なのですが、これだけの悪条件を考えると、数々の戦闘シーンを練り上げて、それぞれのヒーローたちのエピソードを語り、さらにストーリーを創っていく脚本が破たんせずに面白いのは、まさに脚本を練る力のたまものだと感服します。そんな中で、ソーとアライグマのロケット(ソー曰く「ウサギ」)とのやり取りはお遊びの中でも一級品です。

【エンドゲームは本当にエンド?】

  アベンジャーズ第4作に当たるエンドゲームは、これまでの集大成ともいえる作品です。

  ネタばれとなりますが、前作のクライマックスで敵役の「サノス」は何度もアベンジャーズに敗れる直前まで追い詰められます。彼の口癖は、「俺は絶対だ。」ですが、まさにその言葉のとおりに彼は劣勢になりながらも必ず勝利します。6つの「石」を手に入れ、その「石」を装着した超合金の手鎧で指を鳴らそうとした瞬間、マイティ・ソーが虚空から飛び込んできてソノスの体を斧で串刺しにします。

  ソノスを倒したか。そう思われた瞬間、ソノスがにやりと笑い「頭をつぶすべきだったな。」とつぶやくと指を鳴らします。その瞬間。全宇宙の生命体の半分が死滅します。ソノスは、自らの命も再生してどこかにワープしていきます。

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(宿敵 「絶対者 ソノス」)

  「エンドゲーム」の予告編で映し出される、消えゆく人々の映像は、前作のラストシーンだったのです。地球に住む人々も全世界の半数の人々が粉々になって風の中に消えていきます。スパイダーマンのピーターをはじめ、ドクター・ストレンジ、サイコキネシスのワンダ、ブラックパンサーなど、アベンジャーズの面々も粒子となって消えていきました。

  こうして敗れ去ったアベンジャーズ。しかし、物語はこれで終わりではなかったのです。

  最新作「エンドゲーム」はここから物語が始まります。

  「インフィニティー・ウォー」の脚本はあまりに条件が重なったために、少し冗長な感を免れなかったのですが、「エンドゲーム」の脚本はみごとでした。もちろんマーベル映画ですから荒唐無稽感は当たり前なのですが、それをもワンダーに変え、さらに前作を伏線として挿入されるエピソードが涙を誘います。

  今回、アベンジャーズの卒業を表明していたのは、「アイアンマン/トニー・スターク」を演じるロバート・ダウニィ・Jr、「キャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャース」のクリス・エバンス、「ブラックウィドウ/ナターシャ・ロマノフ」のスカーレット・ヨハンソンの3人だと言います。それを聞いて新作を見ると、主役級の3人が素晴らしい役を演じていました。そこに至るエピソードも申し分ありません。まさに有終の美とはこのことです。

  その脚本の妙はおみごととしか言いようがありません。

  また、「インフィニティー・ウォー」では登場しなかったマーベルヒーローも効果的なワンダーを醸しだします。「エンドゲーム」の脚本は2つのフェイズから成り立っています。一つは前作の続き、もう一つは敗北から5年後の物語です。第一フェイズで重要な役割を演じるのは、まず、ジェレミー・レナー演じる「ホークアイ/クリント・バートン」です。彼はアベンジャーズが国連の管理下となったときに引退し、郊外の自宅で愛する奥さんと二人の子供にかこまれて穏やかな日々を送っています。ところが、サノスが指を鳴らしたとき、恐ろしいことが起こりました。

  二人目の登場人物は、つい先日映画が公開されていた「キャプテン・マーベル/キャロル・ダンヴァース」です。彼女の活躍を紹介してしまうと、ダブルネタばれになってしまうので控えますが、彼女が登場しなければ「アイアンマン/トニー・スターク」は宇宙の藻屑と消えてしまうことになるのです。ぜひ、映画をお楽しみに。

  そして、敗北から5年後の世界で重要な役割を演じるのは、ポール・ラッド演じる「アントマン/スコット・ラング」です。2015年に公開された「アントマン」は、本当に面白い映画でした。彼は、ビム粒子によって物を自由に収縮できる技術を発明したビム博士に従って、身体収縮自在のスーツを着て活躍します。今回は、「アントマ&ワスプ」から続くエピソードから彼が重大な役割を担うこととなるのです。

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(物語の行方を握る「アントマン&アプス」)


  「エンドゲーム」は、これまでのアベンジャーズの最後を飾るにふさわしい面白い作品です。映画の中で、アイアンマンとキャプテン・アメリカはタッグを組んであるミッションに挑みます。その中で、アイアンマンは、今は亡き実の父親に出会い心の通う時間を過ごします。また、キャプテン・アメリカもかつての恋人であるシャロン・カーターに出会い、想いを新たにすることとなります。

  こうした緻密なエピソードがすべて心に響き、映画は最後に大きな感動を呼び起こして、ラストを迎えるのです。

  3時間にも及ぶ大作ですが、あっという間の3時間です。この映画はぜひ迫力のIMAXでご覧ください。観終わった瞬間、しばし、作品世界の余韻に浸って感動が続くこと間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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