日記一覧

2024年 今年もよろしくお願いします。

令和六年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 今年は辰年です。天に駆け上る龍のごとく天空の星に向かって突き進みたいものです。地球上では、悲しいことに戦争と殺戮が続いています。為政者たちが生活する一人一人の苦しみと悲しみに気づき、”平和”の尊さに行動を起こすことを、切に願います。皆さん、平和に向かい心を一つにして一緒に歩み続けましょう。
 今年も「日々雑記」の発信を続けてまいります。いつもご訪問頂いている皆様には、感謝々々です。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 本日、北陸石川県能登地方で大きな地震が発生し、津波警報が発令されています。すべての皆様が安全に退避して無事でいらっしゃることを心よりお祈りいたします。どうぞ、ご無事でお大事にしてください。

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今年もライブをありがとう!

こんばんは。

  コロナ禍で音楽ライブがご法度となって3年。今年はそのライブが解禁となりました。今年の年忘れは、11月と12月に参加したライブパフォーマンスを振り返って1年の締めとしたいと思います。

  11月には小曽根真さんのビアノライブ。

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(小曽根真 ソロライブ ポスター)

  小曾根さんは今年も大活躍でした。特に注目だったのは”NO NAME HORSES”のニューアルバムとそれに伴う全国ツアーです。2月にかつしかシンフォニーホールで参加したライブは、大迫力のビックバンドで心の底から感動を味わいました。そして、11月のピアノソロは、まったく違ったソロピアノの魅力を満喫することができました。小曾根さんと言えば、ショパン生誕200周年で発売したショパンアルバムが思い出されます。あれ以来、小曾根さんの奏でるジャズ系クラシックもすっかり定番となりました。この日もコロナ禍の中で、外に出る夢を描いた作品”Need to Walk”をはじめジャズ曲も思う存分堪能しましたが、聴きものだったのは第一部で奏でたモスコフスキーのエチュード8番と第二部で奏でたラフマニノフのピアノコンチェルト第2番でした。原曲のロマンを内に秘めながらジャスの香りをちりばめた演奏にはすっかり心を動かされました。

  12月には、人気のチェロ奏者宮田大さんとピアニスト、ジュリアン・ジェルネさんのコンサート、今は亡きエマーソン・レイク&パーマーのライブ、佐渡裕指揮新日本フィルハーモニーのベートーベンの交響曲第9番合唱付、さらには孤高の名ピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンのソロピアノと素晴らしいライブを堪能できました。

  宮田さんのチェロの響きは唯一無二と言ってもよいのびやかで打ち震えるような低音が魅力です。この日には、今年亡くなった坂本龍一さんの”星になった少年”や久石譲さんの”Asian Dreem Song”をはじめ日本の名曲の数々をロマンあふれるチェロで奏でてくれました。そして、第一部の最後に演奏した”リベルタンゴ”は、チェロで奏でていたとは思えないノリを響かせていて思わず体が揺れてしましたした。その素晴らしい演奏に心が震える感動を味わうことができました。

  エマーソン・レイク&パーマーと言えば1970年代のプログレッシブロックをけん引したアイコンです。

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(EL&P来日 ポスター)

  今回、メンバーの唯一の生き残りであるドラマーのカール・パーマーが、今は亡きキース・エマーソン、グレック・レイクの映像と共演するとの趣向で、”最後のEL&P公演”という触れ込みのライブでした。EL&Pと言えば近年NHKの大河ドラマでもその傑作である”タルカス”が使われるなどそのパワフルな楽曲が見直されています。今回は、1992年のロイヤル・アルバート・ホールでのライブパフォーマンスにドラムのカール・パーマーのみがライブで共演するという前代未聞のライブ公演でした。

  その趣向に心配もありましたが、そのパーフォーマンスは素晴らしいものでした。グレック・レイクのラッキーマンから始まったライブは、フィルムとは思えない臨場感があり、全編素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられました。特に驚いたのは、同行したギタリスト、ポールとベーシストのサイモンのパフォーマンスです。”タルカス”の演奏は、映像ではなくギタリストとベーシストのトリオでのライブパフォーマンスが繰り広げられました。ギターシンセサイザーが奏でるあのタルカスのキーボード。これは、ライブで参加した人にしか味わうことができない唯一無二のアグレッシブな演奏でした。さらにベーシストは12弦ベースを駆使して、あの”石を取れ”をインプロビゼーションで聞かせます。そのリリカルなベースメロディはすべての聴衆を魅了しました。今回のライブはEL&Pファンの心をつかみ取る素晴らしいパフォーマンスでした。

  そして、年末と言えば”第九”です。

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(佐渡裕 新日フィル”第九”ポスター)

  今回は、新日本フィルの音楽監督に就任した佐渡裕さんが凱旋公演として満を持して指揮をした”第九”です。演奏の前に佐渡さん自身がマイクを持ってあいさつに登壇。第九の魅力を語ってくれました。その第一楽章は、前を向いて人生を突き抜ける情熱を表わしていると言います。人は皆、一度は人生を最高のパフォーマンスで突き抜ける瞬間を持っています。その情熱の人生を語るのです。そして第二楽章。第二楽章は、遮二無二突き抜けた情熱の人生を語る知性の疾走を表わしていると言います。その溌剌としたテーマは、まさに知的な失踪と言っても過言ではありません。そして、流麗に奏でられるたおやかな第三楽章。それは、人生の豊かさを朗々と歌う充実と生命力の静けさに満ち溢れた美しい旋律が我々の心を魅了します。そして、第四楽章。ベートーベンは、それまで奏でてきた三つの楽章を奏でた後で、そのすべてを否定します。”友よこの調べではない”、世界中の人々を兄弟と呼び、この地球(テラ)に生まれて生きることの歓びを互いに喜び歌い尽くそう。そして、兄弟たちよ喜び合うだけではなく抱き合おうではないか。素晴らしい”第九”に自らの人生が走馬灯のように心に巡ります。

  ウクライナに侵攻したロシア、ガザ地区を巡り殺戮を重ねるイスラエルとテロを重ねるパレスチナの為政をなす人々。その最も醜い人間の姿を目の当たりにすると、この”第九”に込められた人類への想いをすべての殺し合う人々に聞いてほしい、と心から願います。

  今年の最後に聴いたのは、クリスチャン・ツィメルマンのソロピアノです。

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(ツィメルマン ピアノリサイタル ポスター)

  ツィメルマンは、1975年に18歳でショパンコンクールで優勝して以来、世界中の名指揮者、名管弦楽団との演奏を重ねてきました。自らピアノの調律するほどピアノ愛する名ピアニストです。この日の公演は、聴いたことのない人のいないションパンのピアノソナタを披露してくれました。どの曲もピアノの発表会などで耳にするソナタばかりですが、ツィメルマンの指から奏でられる音は、知っているショパンのソナタとは異なるリリカルで静かな音でした。これこツィメルマン以外の人出は奏でることのできないショパンでした。心からその音に感動しました。さらにドビッシーの”版画”。その東洋的なメロディラインもドビッシーならではのリリカルな曲。ツィメルマンの繊細なタッチは、ドビッシーの作った音をさらに研ぎ澄ませて心に届けてくれたのです。

  コロナ禍を経験して、我々はコロナ以前よりもいっそう素晴らしい音楽を味わうことができています。皆さんも、今年1年を振り返れば心に触れた数々の出来事があったことと思います。そうしたできごとを心によみがえらせながら今年最後のときを迎えましょう。

  今年も、拙ブログにご訪問頂き本当にありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。

それでは皆さんお元気で、またお会いします。

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600回 本当にw ありがとうございます

こんばんは。

  皆さんのおかげで、人生楽しみのブログも無事に600回を迎えることができました。これも、ひとえに訪問を頂いている皆さんのおかげと心より感謝しております。本当にありがとうございます。

  と言っても、550回目から600回まで丸3年もかかっているのでその更新ペースの遅さには自分でもビックリです。この3年間と言えば、コロナ禍による行動制限の時期とピッタリ重なっています。本来、外出自粛の時期には読書が進むはずなのですが、私の場合には読書時間=通勤時間でしたので、通勤が無くなると自動的に読書の時間も無くなり、すっかりご無沙汰する結果となりました。退職を機会に、これからは読書に時間を割けるのではないかと思っています。

  ところで、先月、退職記念に連れ合いが四国旅行をプレゼントしてくれました。岡山から車で四国に渡り、徳島の鳴門の渦巻き、高松からフェリーで小豆島、高松の父母が浜(チチブガハマ)、愛媛の今治から「しまなみ海道」を北上して大島・大三島・因島をめぐって、福山から帰る、という45日の豪華な旅行でした。

  見所たっぷりの旅行でしたが、おすすめをひとつだけご紹介します。

  香川県の三豊市にある父母が浜は日本のユニ湖として最近映えスポットで有名ですが、そこで宿泊した「咄々々(トツトツトツ)」というペンションは最高のおもてなしをしてくれる、癒やされるお宿でした。古民家を改装した建物は立派な日本建築で、岐阜から移住してきたご夫婦がお客様をもてなしてくれます。予約は一日一組。一泊2食付きで夕食は和食か洋食を選ぶことができますが、どちらも奥様の手料理です。私たちは和食を選んだのですが、懐石風に地元の食材を使った料理が一品ずつ提供されてどれも豊かな味わいのおいしい料理でした。また、日本酒の飲み比べができ、その日は料理に合わせてご主人が仕入れた千葉、長野、香川の本当においしい純米酒を味わうことができました。

  ダイニングと純和室床の間付きのリビングはつながっていて、ゆっくりくつろげます。さらに、別の寝室は青一色に改装されていてアンティーク風にベッド式の洋室となっています。建物や内装もさることながら、食事を運んでいただく間、ご夫婦と、香川の観光情報や地の食材、お酒情報など、様々な会話でホッコリした時間を過ごすことができました。また、宿から車で20分ほど上ったところに「高屋神社」というお社があり、「天空の鳥居」があることで有名です。

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(天空の鳥居 「高屋神社」)

  宿のご主人が「天空の鳥居」の場所を教えてくれ、翌朝、朝食前に「天空の鳥居」を訪れて鳥居から眺める絶景を堪能できました。宿では、鳥居観光から戻る時間に合わせて朝食を用意してくれており、その心遣いもありがたいものでした。朝食は、地の野菜を中心としたクラブサンドイッチで、ご主人が焼いたパンの香ばしさとシットリ感に感激しました。宿は、昼には喫茶店を営んでいて、コーヒーのおいしさも格別でした。瀬戸内海の見所を満喫した旅行でしたが、皆さんも機会があればぜひこの宿を予約してみてはいかがでしょうか。旅が豊かになること間違いなしです。

  それでは、550回から600回までにご紹介した本のベスト10へと話を進めましょう。

  まずは、第10位から第6位までを一気に振り返りましょう。

10位 「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」(更科功著 NHK出版新書 2019年)

09位 「一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい」

    (高津臣吾著 光文社新書 2022年)

08位 「よみがえる天才1 伊藤若冲」

    (辻惟雄著 ちくまプリマー新書 2020年)

07 「時代を撃つノンフクション100」

    (佐高信著 岩波新書 2021年)

06位 「天才の思考 高畑薫と宮崎駿」

     (鈴木敏夫著 文春新書 2019年)

   いつも思いますが、読んだ本を見ると自分の興味がどこにあるのかがよくわかります。

   更科功さんは、分子古生物学者という変わった職業についていますが、その専門は遺伝子構造を研究することで、生命の進化を解き明かしていくことです。今回の本は、われわれホモ・サピエンスという種がどのように進化してきたのかを解き明かしていくのですが、今の我々の遺伝子の中にすでに絶滅した人類であるネアンデルタール人の遺伝子が混ざっているという事実に驚きました。さらに、ホモ・サピエンス以外の人類がたくさん存在しており、偶然と必然の連鎖によってホモ・サピエンスのみが生き残ったというワンダーが秀逸です。やっぱり、最新科学は面白い。

  そして、忘れてならないのはスポーツ本です。野球といえば、ワールドベースボールクラシックの感動は忘れることができませんが、この本はヤクルトスワローズを優勝に導いた高津監督が優勝への道筋を書き綴った面白い本でした。今年は、ラグビーそしてバスケットのワールドカップイヤーになります。日本代表の活躍から目が離せない年になりますね。みんなで応援しましょう!

  「伊藤若冲」は、近代日本画のさきがけとなる江戸期の日本画家です。彼が追求したリアリズムはまさに天才ならでは、といえます。作品のリアリティのために画材や技法を究極まで追求し、さらにそこに遊び心までを的確に表現し、見る者の心を動かしていきます。まさに絵画好きの心を射貫く本でした。

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(京都 錦市場 若冲の生家)

  佐高信さんの本は、時代を代表するノンフィクション作品の紹介ですが、心を打つのんふぃくしょんの中心にいるのは一人の人間であり、その人間とそれ以外の人々との関わり合いの真実です。この本は「人」への興味を改めて沸き起こしてくれました。

  スタジオジブリが制作した数々のアニメーション映画は、日本の観客はもちろん、世界中の観客にワンダーと感動を与えてくれました。そこで異彩を放った作家お二人はいったいその才能をどのように発揮していったのか。この本はスタジオジプリで、すべての作品のプロデューサーを務めた鈴木敏夫さんが、戦友でライバルでもあった高畑薫と宮崎駿の軌跡を語ったノンフィクションです。人々の心を動かす映画はどのように生まれるのか、その秘密に興味は尽きません。

  さて、ここからはベスト5の紹介です。

5位  「クオリアと人工意識」

    (茂木健一郎著 講談社現代新書 2020年)

  現在、AIとして最も話題となっているのは、まるで人間のように文章を作成してくれるAI、「Chat GPT」です。これまでのAIは、文章として不完全なものが多く、読めば人間が書いた文章でないことがすぐにわかりましたが、このAIが作成した文章は人が書いた文章と遜色がないのが大きな特徴です。たとえば、ラブレターの代筆や感想文、さらには大学の研究論文や卒業論文など、へたな人間が書くよりも自然な文章となっています。

  大学では、このAIで研究論文や卒業論文を制作することを禁止していますが、基本的には人間が創ったツールに過ぎませんので、問題はAI側にあるのではなく使う人間側にあると思います。そうはいっても、その文章が、見分けがつかないほど洗練されたものなのであれば、一定のルールのもとに利用されることが合理的だといえます。

  画像作成AIも現在人間のお株を奪うほどに洗練されてきていますので、法的に考えれば創作物に対する著作権の問題をきちんと整理し、判例に頼るのではなく、法整備を行うべきなのではないでしょうか。

  イーロン・マスク氏は、様々な危険性が内在していることを理由に、当面の利用を禁止すべきとの見解を公表して話題となっていますが、自らも開発を表明しており、「別次元の発想による開発」と語っていますが、そのうさんくささは天下一品ですね。

  この本は、こうしたAIと人間の問題を脳科学の観点から語ります。著者が語る「クオリア」はいまだに解明されていない、脳が認識する質感のことですが、その仕組みは果たしてAIでも同じように形成されることができるのか、実に興味が尽きない議論が展開されています。

4位 「日本インテリジェンス史」

    (小谷賢著 2022年 中公新書)

  このブログで最も興味深い関心を持っているのは、「インテリジェンス」です。それは、国家の安全、存続に直結する「諜報」のことを意味します。戦前、日本には政府や軍部の垣根を越えてインテリジェンスオフィサーを育成するための「陸軍中野学校」がインテリジェンスの核となる人材を育成していました。しかし、戦後にはすべてが解体され、日本のインテリジェンスはすべてをアメリカにゆだねることとなったのです。それ以来、日本には政府や各省庁、官僚組織を横断するインテリジェンス組織は存在していなかったのです。しかし、この本は、戦後の日本には本気で「インテリジェンス組織」を設立しようとの高い志を持っていた人々がおり、尽力していたのです。

  ブログを始めて12年、日本のインテリジェンスに対して様々にグチをこぼしてきましたが、この本を読んではじめて自らの不明を恥じることとなりました。しかし、現在の日本ではまだまだインテリジェンスが生かされているとは思えません。これからも、このブログではインテリジェンス本を取り上げていきたいと思っています。

3位 「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」(池内紀著 中公新書 2019年)

  この本は、ドイツ文学の研究者であり、同時にエッセイストでもあった池内紀さんの遺作です。現代の世界は、分断の時代を迎えています。さらには、冷戦が終了したにもかかわらず、世界の各国内では民主勢力と軍事勢力の内戦やクーデターが巻き起こり、多くの難民が発生するだけではなく、多くの無垢な命が奪われています。それでも、国家間での戦争は世界大戦に至らずに令和の時代を迎えました。

  ところが、2022223日、ロシアのプーチン大統領はウクライナの国境を越えてウクライナ国内に攻め入ったのです。ロシアはウクライナ国内東部に位置するロシア人地域ないロシア人が虐殺されており、解放する必要があったと述べていますが、いきなりウクライナの首都キーウを攻撃し、傀儡政権を打ち立てようとしたことは、まさに宣戦布告に他なりません。

  いったいプーチン大統領は何を考えて戦争を開始したのか、まさに時代はヒトラーの時代を彷彿とさせる事態にまで及んでいます。この本はそうした時代のエポックを我々に教えてくれるのです。

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(池内紀著「ヒトラーの時代」)

2位 「呉越春秋 湖底の城 九」

   (宮城谷昌光著 講談社文庫 2020年)

  宮城谷昌光さんの古代中国歴史小説は人と人の数奇なつながりと国家の戦略を描いてあますところがありません。これまで春秋時代、戦国時代を描いて数々の名作を上梓してきましたが、その時代を締めくくる大作がこの「呉越春秋 湖底の城」です。全9巻の内容については、それぞれの巻を紹介したブログに譲りますが、この呉越の戦いは宮城谷さんが長年暖めに暖めてきた題材で、あまりに知られすぎている歴史であり、なかなか書き出せなかったと語っています。

  しかし、楚の国王に父と兄を殺された伍子胥の復讐劇を中心に「呉」の国の隆盛を描くとの構想に至ったときにこの小説がはじまりました。そして、伍子胥が素晴らしい仲間に出会い、互いに確固たる団結を作り上げる語りは、まさに宮城谷節が炸裂した氏の真骨頂です。歴史小説の醍醐味を味わいたい方には必読の書に間違いありません。

1位 「たゆたえども沈まず」

   (原田マハ著 幻冬舎文庫 2020年)

  今回、もっとも面白かった本は、このブログでは常連となった原田マハさんのアート小説でした。「たゆたえども沈まず」は、ゴッホを描いた小説ではありますが、これまでとはプロットが異なっており、物語の主人公はゴッホの弟であるテオとゴッホ、そしてテオと同じくパリで美術商を営む日本人の林忠正とその部下の加納重吉なのです。さらに、この小説にはもう一人の主人公がいます。それは、すべての人々が恋い焦がれたパリ。「たゆたえども沈まず」とは、決して沈んでしまうことのないパリとゴッホのことを語っているのです。本作は、人の生み出す絵画とパリを描いた見事なアート小説です。

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(パリで出版された日本美術特集雑誌)

  ちなみに、マハさんの小説が初めてベスト10に顔を出したのは第150回のときに第5位だった「キネマの神様」でした。そして、第250回のときにはルソーを描いたアート小説第1作目の「楽園のカンヴァス」が第1位となっています。その後も第300回に「ジヴェルニーの食卓」が第2位。第400回には「翼をください」が第5位。第500回では「暗幕のゲルニカ」が第3位。前回550回では「モダン」が第9位でした。久々に第1位となった作品をぜひお楽しみください。


  おかげさまで、601回目も無事にお開きとなりました。本は人生の伴侶です。これからもこのブログで人生が楽しくなる本を紹介していきますので、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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明けましておめでとうございます

令和五年 
 明けましておめでとうございます。

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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 うさぎ年の今年、飛躍の一年に向かってジャンプしていきたいものです。見回せば、「戦争」そして「コロナ」と世界を苦悩が覆っています。しかし、信じればすべてが明るい明日につながるはずです。心を一つに歩み続けましょう。
 「日々雑記」の発信もご無沙汰する日々が多くなりました。それでも継続することが原点です。いつもご訪問頂いている皆様には、ただただ感謝々々です。もうすぐ600回を迎えます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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森保ジャパンが導いた新たな地平

こんばんは。

  すっかりご無沙汰しましたが、今年もいよいよ最後の週へと突入しました。

  今年の漢字は「戦」。2月に始まったロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻は、ロシアの一方的な領土の略奪であり、力によって国際的に認められた国家の国土を軍事によって奪おうとする「戦争」は絶対に許されるものではありません。

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(今年の漢字「戦」mainichi.com)

  ロシアも核兵器による世界戦争を望んでいるわけではありません。しかし、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦を顧みると、独裁者の抱く野心は止まるところを知らず、世界の人々に「死」や「不幸」をもたらすことに躊躇はありません。ロシアは反米、反ヨーロッパという価値観を共有する国々との外交によって孤立化を避けようとしていますが、この世界に生きる人々の「生きる権利」を奪う行為に賛同するような国は、必ず衰退をまねくことになります。

  ロシアやその他の国がどのようなバリアをはっても、「戦争」が人類にもたらす「惨禍」は、生命の歴史の中で、人類という種の汚点そのものです。

  世界中の人々が、ロシアの蛮行を止めるために力を尽くし行動を起こすことが必要です。

  さて、「戦」といえば、今年はサッカーワールドカップがカタールで開催されました。中東での開催ははじめてであり、我が森保ジャパンは、これまでの歴史で超えることがかなわなかったベスト8の壁を超えるべく、ドーハへと向かいました。

【Eグループは死の組か?】

  ワールドカップの予選大会。日本は抽選でグループEとなりました。グループEに選ばれたのは、世界ランキング7位のスペイン、12位のドイツ、23位の日本、そして31位のコスタリカでした。特に我々がゾッとしたのは、スペインもドイツもかつてワールドカップで優勝したことのある実力あるチームだったことです。

  そして、1123日、日本はついにドイツと対決します。

  今回のワールドカップメンバーは、これまでとはかなり異なるメンバーが名前を連ねていました。前回ロシア大会では、西野監督が大会開始の2カ月前に急遽監督に就任し、香川選手、乾選手、本田選手、岡崎選手など、過去のワールドカップで活躍した選手たちを本戦メンバーに選んだのです。そのときにコーチだった森保監督は、西野ジャパンがベスト16を勝ち取った大会のすぐ後、オリンピック世代の監督と、ワールドカップ日本代表の監督を兼務する形で代表監督に就任しました。

  カタール大会に選ばれたメンバーは、26名中、ワ-ルドカップ経験者は7名というとても若いメンバーでした。そのうち海外経験者は23名。日本国内のJリーグ組はたったの3名となりました。ちなみに攻撃陣は全員がワールドカップ初体験です。

  メンバー発表で森保監督が語っていたのは、メンバー選考では経験よりも未経験者のより「成功したいという野心」を選択した、という言葉でした。確かに、ワールドカップで求められるのは延長戦も含めれば120分間フルに走れる体力だけではなく、世界に通用する個人技、当たり負けしないデュエルの強さ、そして、何よりもチームのためにプレーする強靭さ、です。

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(メンバー発表の記者会見 mainichi.com)

  日本の実力者たちは、みな世界に通用する力を身に着けるために次々と海外、特にヨーロッパのクラブへと移籍していきました。そうして、海外で、世界に通用するための経験を積んできたのです。ヨーロッパでのサッカーが365日、あたりまえのように生活している選手たちが見せるサッカーはどのようなものなのか。

  その力は、まさにそのドイツ戦でためされたのです。

【壮絶なドイツとの闘い】

  ドイツ戦の前半。日本は守備的な体制「4-3-2-1」、フォーバックで守りつつ、高い位置でボールを奪って攻めていく布陣を取りました。しかし、ドイツは日本を十分に研究してきており、スピードスターの伊東選手や久保選手は徹底的にマークされ、思う様にボールをキープすることができません。ボール支配率はドイツが7割以上となり、日本は守りに多くの時間を費やします。そんな中、前半33分、ドイツのミッドフィルダーのギュンドアン選手がノーマークでパスを受け、ペナルティエリアへと飛び込んできます。ボールを抑えようと飛び込んだキーパー権田選手の腕がギュンドアン選手の足を引っかける形となり、不運にも反則を取られ、PKを与えてしまったのです。

  こうして前半は、ドイツに押され先制点を与えてしまいました。

  1対0で後半戦を迎えた日本は果敢に戦術を変更してきます。守備的な「4-3-2-1」からより前に重点を置く、「3-4-2-1」に戦術変更を行ったのです。さらに森保監督は、後半に入るやすぐに久保選手に変えて冨安選手を投入、さらにその10分後には長友選手に変えて三苫選手を、ワントップの前田選手に変えて浅野選手をピッチに送り込んだのです。

  この采配は日本に活を注入しました。「3-4-2-1」は、ドイツの布陣とピッタリと呼応して、攻守においてマンツーマンが明確になり、見事に機能します。日本が前からプレッシャーをかけてドイツの攻め手を封じていきます。ドイツも後半20分にはミッドフィルダーを2名後退し、日本に対抗します。

  ドイツは、交代したミッドフィルダーが機能し、日本のゴールに襲いかかります。続けざまにこぼれ球のシュートを含め、4本のシュートが日本のゴールに放たれたのです。しかし、ここで日本の守護神、権田選手がスーパーセーブを見せ、この4つのシュートを見事に跳ね返したのです。

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(日本の守護神 権田選手 yomiuri.co.jp)

  それまで、スタジアムではドイツサポーターの歓声がめだっていたのですが、ここから地元サポーターが日本に声援を送っているのか、日本への歓声が高くなり、ドイツへのブーイングまでが巻き起こり、スタジアムも日本の色に変わったのです。

  そして、呼応するように、その5分後、森保監督は田中選手に変えて堂安選手を、足を痛めた酒井宏樹選手に変えて南野選手を投入します。そして、後半30分、三苫選手のパスをゴール前に走りこんだ南野選手が受けシュートを放ちます。さらに、そのこぼれ球を堂安選手が得意の左足で合わせます。同点ゴール!日本とスタジアムが喜びに沸きあがりました。

  ドイツはこの直後、同点を死守し勝越しのゴールを狙って、フォワードの選手とミッドフィルダーの選手を交代し、新たな戦力を投入します。しかし、その4分後、前半38分でした。右サイドの板倉選手が放ったロングパスにワントップの浅野選手が反応します。走りに走る浅野選手、そしてドイツのデイフェンダーも全力で並走します。並んだ2人。しかし、浅野選手の右足がわずかに勝り、一瞬の閃光のようにボールはゴールに吸い込まれました。

  オフサイドはなく、見事な勝ち越しゴールが決まったのです。日本はこのまま勢いを守備にもつなげて見事な逆転勝利を収めたのです。

【そして、日本代表は新たな高みへ】

  ワールドカップでの戦いは唯一無二です。第2戦のコスタリカ戦はいかにワールドカップの闘いが予想どおりに行かないかを物語ります。ランク下のコスタリカに勝てば、日本は勝ち点6となり、予選突破をほぼ手中にすることができたはずでした。ところが、日本は0対1でコスタリカに敗れました。そして、ベスト16に残るためには最後のスペイン戦の勝利がそのカギを握るのです。

  12月1日(日本時間122日午前0時)、日本対スペインの闘いの幕が切って落とされました。本大会のスペインはヨーロッパ予選を1位で通過し、乗りに乗っています。初戦のコスタリカ戦では、なんと70で勝利を飾っているのです。

  日本は、この試合も本戦で機能を高めている「3-4-2-1」のフォーメーションで臨みます。しかし、スペインは得意とする早いパス交換を駆使して日本ゴールへとじわじわと攻め寄せてきます。日本も負けずに前線にボールを送り、開始そうそう久保選手が相手ゴールエリアにボールを送り込み、さらに日本ゴール前で奪ったボールをつないで田中選手のパスから伊東選手が果敢にシュートを打ちます。ボールは枠を外れました。

  そして、開始から11分。スペインは得意のパス回しからゴール前で左サイドバックがクロスボールをあげ、フォワードのモラタ選手がみごとなヘディングで合わせます。ボールはそのまま日本ゴールへと吸い込まれました。またしても、日本は先制点を許します。しかし、今の日本は、失点1は想定内。これ以上の失点を抑えれば、必ずチャンスは回ってきます。しかし、スペインはかさにかかって攻めてきます。前半のボール保持率は、何と82%。日本は前線からのプレッシャー、高い位置からの守備、そして最終ディフンスラインでゴ-ルを守ります。

  23分には再びモラタ選手のシュートが日本ゴールを襲いますが、ここはキーパー権田選手がみごとにキャッチして失点を防ぎます。日本は前半戦を決死の守備を見せ、最終ラインの板倉選手、谷口選手、吉田選手と3人にイエローカードが出されました。

  前半を1失点に抑えた日本。後半、森保監督が動きます。

  それは、ドイツ戦で逆転を実現したときと同じオフェンシブな選手交代でした。ミッドフィルダーの久保選手を堂安選手に交代、そして、ディファンダ―の長友選手に代えて三苫選手を投入したのです。この交代がボールをスペインゴールへと押し上げたのです。後半開始直後、3分。中盤でボールを奪いゴール前にけり出されたボールを堂安選手の左足が振り抜き、高速のシュートはキーパーの掌をはじいてゴールへと吸い込まれたのです。

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(堂安選手の黄金の左足 tokyoheadline.com)

  堂安選手の見事な同点ゴールでした。さらにその5分後、右サイドでボールを持った堂安選手がゴール前にボールを転がすと、前田選手が左サイドからボールに向かって猛然と走ります。しかし、ボールはそのままゴール脇に抜けていきます。そのとき、ボールが抜ける左のゴールラインに向かって猛然と走りこんだ選手がいます。三苫選手です。三苫選手の左足は、ゴールラインを割ったかに見えるボールをゴール前へと蹴り上げます。そこに待ち構えていたのは、後ろから走りこんでいた田中選手でした。田中選手は、体ごとボールにぶつかるようにしてゴールに飛び込みます。

  はたして、ボールはゴールラインを割っていたのか。

  今年から公式に導入されたVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)。スタジアムに備えられたたホークアイと呼ばれるカメラとボールに内蔵されたセンサーチップがボールがラインを割っていたのかどうかを判定するのです。その結果は・・・。サッカーでは上から見た時にラインにボールがかかっているかどうかで、インかアウトかを判定します。なんと、ボールは、1.88mm、ラインにかかっていたのです。

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(三苫選手の1mm  nipponwadai.com)

  あまりに劇的な逆転ゴール。日本は、この後、すべてを尽くしたディフェンスで7分間のアディッショナルタイムを含めた44分間、自らのゴールを守り抜き、スペインに勝利しました。日本は、Eグループ1位で予選通過を果たしたのです。

  ベスト8をかけたクロアチアとの1戦、日本は前田選手が見事に初ゴールを挙げましたが、その後同点にされ、延長戦、PK戦の結果、惜しくも敗れてしまいました。クロアチアは、次にブラジル戦にも勝利し、アルゼンチンにこそ敗れましたが、堂々の3位となりました。日本の実力も推して知るべしですね。

  今年の日本代表は、ヨーロッパ、南米のサッカーと互角以上に渡り合う素晴らしい試合を戦い、勝ち切ってくれました。今後の日本サッカーが楽しみで仕方ありません。


  さて、今年も残すところわずかとなりました。1年の終わりにこれほどの感動を味合わせてくれた森保監督と日本代表の皆さんに本当に感謝です。「戦争」や「コロナ」という暗い出来事もありますが、やっぱり人間は捨てたものではありません。明るい明日に向かって走りだしましょう。

  皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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人生は感動であふれているよ

こんばんは。

  コロナウィルスのオミクロン株の猛威は、一時、日本の新規感染者の数を世界一にまで広げました。それまで日本はコロナ禍の優等生でしたので、免疫保有者の数が世界の中でも少なかったのだと思います。そこに、経済回復のための規制緩和が重なり、感染者が爆発的に増加しました。これまでの中で、7波が最も強烈です。

  オミクロン株は従来よりも重症化率が低く、感染力は高いとされていますが、大都市を中心とした新規感染者の増加には驚かされます。実際第6波までは身近に感染者はいませんでしたが、ここ3カ月ほどは職場でも前後左右の職員、また離れて暮らしている息子も感染するなど、身近な問題となりつつあります。幸いなことに仕事はテレワーク、息子は会社の独身寮にいて、接触を免れています。8月には4回目の接種を終え、少し安心しています。

  これだけの広がりを見せているコロナですが、世界ではすでに規制を取り払い、各自が感染予防を行いながら日常生活を行う状況に至っています。

 モデルナやファイザーは、オミクロン株専用のワクチンを開発するなど、シフトしつつありますが、日本の緩和措置は慎重です。日本の観光資源は世界のトップクラスであり、歴史、文化、グルメのどれをとっても世界中のあこがれとなっているようです。日本への渡航は、現在、ビザが必要、観光目的では個人は認められておらず、ツアーによる団体客のみを受け入れています。

  今や日本国内が世界の中でも最も感染者数が多くなりました。そうした意味では、受け入れに当たっては、これまで以上に公共交通機関や各宿泊施設、飲食店や商業施設、文化施設での、防疫体制、消毒体制をしっかりと日常化することで新規感染を防いでいくことこそ肝要なのではないでしょうか。

  我々がやるべきことは、具合が悪い時には外出しないこと。そして、消毒、手洗い、人ごみでのマスクを欠かさないことが、感染拡大を防ぐために必須であると思っています。

  コロナ禍の一方、独裁者プーチン大統領によるウクライナ侵略戦争ですが、その不毛な殺戮は7カ月を迎えようとしています。ロシアは、アメリカと対立している国々と連携することで、この侵略戦争への非難を少しでも弱めようとしていますが、主権国家に対して一方的に侵略を行い市民を殺戮する行為は絶対に許されることではありません。

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(ロシアのミサイル攻撃を受けた火力発電所 asahi.com)

  どれだけ時間がかかろうとも、我々はその絶対悪を許してはなりません。世界大戦を二度と引き起こしてはなりませんが、ロシア国民が戦役に疲弊し、経済的にも疲弊し、自らの首領が間違ったことをしていると認めるまで、我々は「否」を唱え続けなければなりません。人としての正義は貫かれなければなりません。

  そんな中ではありますが、今回のブログでは最近心を動かされたTV番組について綴りたいと思います。

【音楽と写真家を巡るドキュメンタリー】

  皆さんは、NHKBSプレミアムで午前9:00から毎日「BSプレニアムカフェ」と題してリクエストのあった過去のドキュメンタリー作品を放送していることをご存知でしょうか。

  この時間は仕事中ですので、もちろんリアルでは見ることができないのですが、あまりに面白いプログラムが多いので、ビデオ予約をしています。最近では、「写真家を見る」や「絵画ミステリー」、「作家を巡る謎」など、テーマを決めて何本かのドキュメンタリー作品を続けて放送しています。

  この中で、心を動かされた二つの番組を紹介します。

  まず、写真家特集の2つ目の作品「カメラで音楽を撃て 写真家・木之下晃」には引き込まれました。

  この作品は2007年に制作された番組ですが、2015年に亡くなられた写真家、木之下晃さんの貴重な記録です。木之下さんはクラシック音楽の演奏家を撮影し続けて数々の賞を受賞し、数々の音楽家からも演奏家の音楽が湧き出る瞬間をとらえた作品が絶賛されています。その写真家としての活動を捉えた素晴らしいドキュメンタリーなのです。

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(木之下晃写「マリア・カラス」 fujifilm.com)

  作品には、名だたる演奏家が名を連ねます。カラヤン、バーンスタイン、マゼール、メータ、その白黒の画面からは、躍動し、そこから音楽が聞こえてくるような演奏家たちの姿が湧きあがってきます。この番組に出演していたのは、今は亡きロリン・マゼール氏、レジェンド小澤征爾氏、リッカルド・ムーティ氏など、木之下さんの写真に心を動かされた人々です。

  そして、番組は、デビューのころから撮影を続けている指揮者佐渡裕氏の撮影現場に密着します。

  佐渡裕氏は、小澤征爾氏やレナード・バーンスタイン氏の師事し、バースタインのアシスタントとしてウィーンで活動、1989年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、プロデビューします。番組は、佐渡さんの「一万人の第九」公演のリハーサル、そしてコンサートを指揮する佐渡さんの撮影のため密着する木之下さんを映し出します。

  なぜ、木之下さんは佐渡さんに密着できるのか。

  佐渡さんは、木之下さんとの忘れられない1枚を紹介してくれます。それは、コンクールで優勝し、プロデビュー間もない佐渡さんが演奏指揮を終えた瞬間をとらえた写真です。白黒の画面には、指揮台に立ち指揮棒を大きく振り上げた若き佐渡さんが写っています。まるでスポットライトが当たったように白く浮かび上がる佐渡さんの姿。そこからは演奏が終わった瞬間の緊迫感と開放感がみごとに写りこんでいて、思わず見入ってしまいます。

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(木之下さんと佐渡さんの対談 fukushi-sinnsyo.com)

  佐渡さんは、この写真をみたときから木之下さんの芸術に魅了され、それ以来音楽仲間と言ってもよいほどの親近感を感じていると言います。そして、木之下さんの写真からは音楽が聞こえてくると語るのです。

  佐渡さんは、今年新日本ファイルハーモニー楽団のミュージックアドバイザーに就任し、来年は音楽監督に就任予定ですが、5月に、新日本ファイルを指揮したベートーヴェンの交響曲第7番はその重厚さと歯切れのよいテンポで会場中を魅了しました。その佐渡さんの音を捉えた写真。素晴らしい、の一言です。

  皆さんも機会があればぜひ一度、この貴重な記録をご覧ください。その人生に魅了されます。

【絵画を巡るミステリー】

  さて、「音楽と写真」の次は、「絵画ミステリー シリーズ」です。

  このシリーズでは3回に渡り、絵画にまつわるドキュメンタリー作品が放送されました。まず、2010年に制作された「贋作の迷宮~闇にひそむ名画」。そして、2017年の「4人のモナリザ“謎の微笑”モデルの真実」、最後に2004年の「スリーパー・眠れる名画を探せ」です。どの作品も絵画好きにはたまらない作品ですが、その中でも「4人のモナリザ」はミステリー・ドキュメンタリーとしては傑作でした。

  そもそもの発端は、現代技術を駆使して行われた「モナリザ」の絵画分析です。

  その仕掛けは、24千万画素という途方もない精密さを持つ「マルチスペクトルカメラ」による画像分析です。絵具の色にはそれぞれ異なる波長があり、このカメラで撮影すると、表面に見えている絵具だけではなく、その下にかくれている絵具や下書きまでをみつけることができる、というものです。

  最近のフェルメール研究などでは、X船調査などにより、現在我々に見えていない絵が裏に隠されていることが判明しています。その代表的な例が、傑作「窓辺で手紙を読む女」の背景に広がる白い壁の裏に隠された大きなキューピットの絵画です。キューピットの絵は、完成時にフェルメールが塗りつぶしたものと考えられていましたが、日に第三者に上塗りされたものと判明し、修復作業によって、キューピットの絵画が復活したのです。

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(修復されたフェルメ-ル作品 daily.co.jp)

  今回の解析は、より高度な高額スペクトルによる解析となります。この解析を行ったのは、フランスの絵画分析士であるパスカル・コット氏です。氏の分析によると、レオナルドの描いた「モナリザ」には、4人のモナリザが描かれており、その4人は最初の絵から次々に上塗りされていったと考えられる、というのです。

  なんと、ワンダーな。

  番組は、この4人のモナリザはいったい誰なのかを求め、フィレンツェ、ローマ、そしてパリを巡る旅に出るのです。

  まず、一人目のモナリザ。この絵の痕跡は一部しか残っておらず、レオナルドがデッサンとして描いたものだと言います。その女性像は今のモナリザよりも少し高い位置に顔が描かれており、さらにその手の指は4本しか描かれていません。つまり、レオナルドは女性をデッサンしている途中で描くのをやめてしまったと推定されます。

  そして、二人目のモナリザです。二人目の女性像の頭部には装飾が描かれた痕跡が見られました。その痕跡の正体を求めて、番組はフィレンツェの装飾文化に詳しい学芸員を尋ねます。絵画の歴史は、そこに描かれている人物の服飾品をみれば年代や描かれている人物を特定することができると言います。2人目の頭部に描かれている装飾をみせたところ、ルネッサンス期に描かれた髪飾りと同じものであることが判明します。

  その髪飾り、実は聖母の実に描かれる髪飾りなのです。つまり、2人目の女性像は聖母像であったことが分かります。レオナルドは、1人目の女性のデッサンを消して、そのうえに聖母マリア像を描こうとしていたのです。

  さらに、番組は3人目のモナリザを追いかけます。

  3人目のモナリザは、今のモナリザとは異なりやや左を向いており、服装も現在と異なっています。この3人目のモナリザこそ、当時の美術研究者ジョルジュ・ヴァザーが「ダ・ビンチは除根だの依頼でリザの肖像を描いた。」と書き残した「リザ」だったのです。この絵に描かれたフィレンツェ風の服装は、1500年~1505年に着られていた服で、そのころ、レオナルドはパトロンを失い、フィレンツェの父の下で居候をしていたのです。そして、この絵を依頼した豪商ジョコンドはレオナルドの父親の向かいに住んでいた父の親しい知り合いだったのです。さらに、最近、1503年にレオナルドがリザの肖像画を描いている、との知人の目もが見つかっており、この「モナリザ」が描かれていたことは間違いないようです。しかし、この絵は依頼者に引き渡されることはなかったのです。

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(撮影された4人のモナリザ cardian.exblog.jp)

  その絵は、どのようにして現在の「モナリザ」となったのか。最後の謎は、ローマに隠されていました。その鍵となるのは当時、ローマの超有力者であったジュリアーノ・デ・メディチ公です。彼は、レオナルドのパトロンであり、彼に一枚の肖像画を依頼しました。

  ジュリアーノにはそれはたくさんの恋人がいましたが、彼の子供を生んだ女性はただ一人でした。そして、其母親はその子供を産み落とした時に亡くなってしまったのです。その子供イーポリットは教会経由でジュリアーノの養子となりました。その母の名前はパチフィカ。ジュリアーノはイーポリットのために亡き母の肖像を描くようレオナルドに依頼したというのです。

  それゆえ、モナリザはすべての人の母親のように永遠の微笑みをうかべている。

  4人のモナリザの話は途方もないミステリーとその結末を我々に教えてくれたのです。


  さて、心を動かされる、と言う意味では先日行ったライブハウスでの演奏や、習っているテナーサックスの発表会に向けたレッスン、さらには大人買いしたジャズとクラシックのCDの話など、尽きない話もいろいろあるのですが、紙面が尽きました。続きはまたお話しします。

  今年はまだまだ残暑が続きそうですが、コロナと体調には気を付けて楽しく過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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ロシア プーチン翁の老いの妄執

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music.jp

こんばんは。

 平和と調和、そして多様性の祭典である北京オリンピックが閉会し、第2幕である北京パラリンピックの開会式が待たれる間隙の合間を縫って、ロシア軍が隣国ウクライナに侵攻し、事実上の戦争を仕掛けました。今もウクライナでは罪なき市民がロシアの攻撃によって殺戮され、死の恐怖に直面しています。

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(ミサイル攻撃を受けたハリコフの住宅 jiji.com)

 我々人類は、ここまで4000年の歴史の中で常に闘いに明け暮れていました。しかし、産業革命以降、我々は大いなる技術力を身に着け、一度に大量の命を奪うことができる兵器を手にしてしまいました。銃弾による殺戮、戦車や装甲車による衣食住や命の殲滅、航空機による空からの爆撃、海上では戦艦や空母による地上への砲撃、さらにはミサイルやICBMによる遠距離殺戮。

 20世紀の戦争は、まさにそうした大量殺りく兵器によって世界が分断され、ある統計資料によれば、第一次大戦で亡くなった人は約852万人、第二次世界大戦では約912万人もの人々が戦争によって命を落としたといいます。

 一口に912万人と言えば、それは単なる数値に聞こえますが、そこには亡くなった一人一人の人生、物語があります。我々は、コロナや災害で亡くなった方々には父親や母親、愛する娘や息子、そしていとおしい孫がいることを知っています。そして、人が生きている限り、そこに関わるたくさんの友人たちが取り巻いてくれているのです。

 人はいくら生きても200年は生きられません。命は必ず尽きますが、命が続く間、我々は大勢の人々とかかわりながらなすべきことをなし、最後の瞬間まで命を燃やします。ところが、戦争は自らの意志、もっと言えば自然から授かっている寿命と関係なく、人の命を奪っていくのです。それは、そこに関わるすべての人の幸福を奪い、悲しみと苦しみのどん底へと叩き落す残酷な行為に他なりません。

 理不尽な殺戮で大量の幸福を奪い、大量の不幸と絶望を生み出す人類の冒す最大の罪、それが戦争なのです。

【20世紀 我々は何を学んだのか】

 第二次世界大戦で生み出された最終兵器は核兵器です。

 科学は、この宇宙が創りだした物質の謎を次々に解き明かし、ついに原子をつなぎとめている途方もないパワーを引き出す技を手に入れました。実際に核爆弾は第二次大戦で我々の国、日本に投下され、広島では一瞬にして9万人以上の命が一瞬にして消え去りました。さらに、原爆の放射能により、その後、56万人もの人々が放射線に苦しんだとも言われています。さらに長崎にも原爆が投下され、7万人もの人々が亡くなりました。そして、被爆した方々は16万人以上に及んでいます。

 核兵器は、一つの都市を地上から消し去るだけではなく、放射能により世界を不毛の大地と化してしまう恐ろしい兵器です。現在、核兵器を保有する国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、そして北朝鮮であり、その数は13,000発と言われており、その90%をアメリカとロシアが保有しています。この数は、地球上の人類を35回以上殺戮できる数だとの計算もあります。

 かつて、アメリカとソ連の冷戦下では、ソ連がキューバに核を持ち込むとの事件が持ち上がり、当時のケネディ大統領は核の使用さえも覚悟し、あわや核戦争にいたる一歩手前まで、事態は進みました。しかし、ソ連のフルシチョフ第一書記が最後の最後にキューバへのミサイル配備を取りやめるという理性ある判断に至たり核戦争は回避されました。

 このときにアメリカ大統領とソ連書記長の間に直通のホットラインが敷かれたのは有名な話です。

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(キューバ危機後のフルシチョフケネディ会談)

 こうして核兵器は世界大戦の抑止力となりました。

 しかし、核兵器が抑止力となった後も、世界では地域紛争が絶えることはありません。

 1991年にゴルバチョフソ連大統領が辞任し、ソビエト連邦は崩壊しました。ソ連に変わりロシアが復活しましたが、それは共産主義ではなく共和国でした。アメリカとソ連の2極化した世界で繰り広げられた冷戦は終焉を迎え、世界にはアメリカ主導の平和が訪れると期待した人もいます。

 アメリカは、冷戦終了後も戦争と紛争に明け暮れていました。

 クウェートに侵攻したフセイン大統領の野望をくだくべく国連公認のもと連合軍を率いて行った湾岸戦争。21世紀に入ってからは、アルカイダによって仕掛けられた同時多発テロへの報復として、アフガニスタンへと攻め入り、タリバン政権を崩壊させ、民主政権を樹立させました。それに続いて、イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を隠し持っている証拠があるとの理由で、イラクに攻め入るや嵐のような空爆でフセイン大統領を逮捕し、死刑に処したのです。

 21世紀のアメリカの戦争は、まさに「報復」ですが、アフガニスタンでは民主政権がイスラム国やタリバンの反抗、反撃に耐えられず、長くアメリカ軍が駐留し政権を支えてきました。しかし、昨年、バイデン政権がアメリカ軍を撤退するや否や、アッという間にアルカイダが各都市を占領。結局、アフガニスタンではアルカイダの政権が返り咲いたのです。

 さらに、イラク戦争では、攻め入って勝利を得たアメリカ連合軍ですが、実はイラクに大量破壊兵器は存在していなかったというお粗末な結果が公表されました。

 アメリカだけではなく、新たな共和国を立ち上げたロシアもアメリカに負けず劣らず紛争に明け暮れています。

 崩壊後のソ連では、ロシア共和国を巡って権力の座に就いたエリツイン大統領は、自らの健康不安のために、後継者にプーチン氏を指名し、2000年5月にプーチン大統領が誕生しました。皮肉なことに後継者を指名した理由が、プーチン氏が民族主義者であると同時にエリツイン大統領の言うことに素直に従いそうだ、というものでした。しかし、元KGBのプーチン大統領は、まれにみる切れものだったのです。

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(大統領就任式のプーチン氏 wikipediaより)

 プーチン大統領は「強いロシアの復活」をかかげ、まず、国内で独立のために兵を挙げたチェチェン紛争に対し、徹底的な戦闘による力での解決で臨みました。チェチェンでは、多くの市民がこの内戦に巻き込まれ亡くなりましたが、ロシア政府軍は強大な軍事力でチェチェン独立派に『打ち勝ち、チェチェン紛争を抑え込んだのです。

 さらに、エネルギー政策により経済力を回復させたプーチン大統領は、反民主主義へと大きく舵を切り始めます。アサド政権が強権を発動するシリアでは、イスラミックステイツや反政府軍の攻勢などが複雑に絡み合い、欧米が反政府軍を支援しましたが、プーチン大統領はアサド政権の政府軍を支援し、シリアでの空爆を遂行しました。

 はたして我々人類は、二つの世界大戦を経験した20世紀の間に何を学んできたのでしょうか。

【侵略戦争はあってはならない暴挙】

 今回のウクライナ侵攻の下地は、2014年にロシアがクリミア半島を併合しようとしたことがことの始まりのように見えます。

 クリミア半島は、ロシア帝国の時代からロシアの貴重な不凍港のひとつとして、重要な戦略的役割を果たしてきました。しかし、ロシア帝国とオスマントルコ帝国の争いでクリミア戦争が起こり、その帰属はめまぐるしく変わり、さらには第一次世界大戦、そしてロシア革命を経て旧ソ連共和国の自治区の一つとしてウクライナの一部となりました。ところが、ソ連が崩壊したのち、2004年の選挙で親ロシア政権の大統領が当選しましたが、ウクライナ国民はその選挙に不正があったとして、再選挙を求めました。この運動はオレンジ革命とも呼ばれますが、再選挙によってロシアに距離を置く政権が発足しました。これ以降、ウクライナの大統領はあるときには西側の支援を受け、あるときには親ロシアの政策をかかげることを繰り返してきました。

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(オレンジ革命時の首都キエフ wikipediaより)

 クリミア半島はと言えば、歴史的に多くのロシア人が流入して居住していましたが、ソ連時代の1954年、ウクライナ出身のフルシチョフ書記長が主導し、当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の州としてウクライナに帰属することとしたのです。これ以降、クリミア半島はウクライナ領とされてきましたが、そこに住むロシア人たちは、ソ連崩壊後、西側に揺れ動いていくウクライナの政権に反感を覚えていたことは想像に難くありません。

 そして、2014年、クリミア州はクリミア自治共和国としてセヴァストプリ特別区とともに自らロシア連邦と一員となるとする条約に調印し、ロシアへの併合が行われました。

 さらに今回、ロシアのプーチン大統領は軍事侵攻の前々日、ウクライナ国内のロシア人居住地であるドネツク州を「ドネツク人民共和国」、ルガンスク州を「ルガンスク人民共和国」として独立承認することを閣議決定し、独立を承認する大統領令に署名しました。

 そして、2月24日、ウクライナがロシア人に対してジェノサイド(大量虐殺)を行っており、ロシア人の命を守るためにウクライナに侵攻する、と宣言しベラルーシ国境近くの北側とクリミア半島から、そして、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国からの軍事派遣要請に従って東側からウクライナ国内に侵攻を行ったのです。

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(独立承認を発表するプーチン大統領 mainichi.com)

 それは、ロシアの一方的な宣言によって行われ、首都キエフにはロシア軍が迫り、南部や東部の中核都市が一斉にロシア軍に侵略されるという事態に至りました。

 ウクライナとロシアの間には歴史的にも近年にも領土をめぐる紛争があったことは事実ですが、ドネツクやルガンスクの東部では紛争停戦のため、2015年にミンスク合意が締結されました。にもかかわらず、ロシアはこれを無視して一方的にウクライナに攻め入ったのです。

 ウクライナという国際的にもその主権が認められた国家に理由はともあれ、一方的に軍事浸入を行い、国家、国民を殺戮することは国際ルールを無視した一方的な宣戦布告に他なりません。これは、これまでの国際法に照らしても国際ルールをすべて無視する暴挙、国家侵略としか言いようがありません。

【一日も早く市民の殺戮をとめなくては】

 ウクライナの市民は、突然蹂躙された国家がロシアに征服されないために高齢者や子供とその母親を除いてすべての国民がロシアと闘う決意を固めています。そして、欧米からの軍事支援も効果を挙げて、ウクライナはロシアのキエフ侵攻を強い抵抗によって食い止めている状況です。

 恐らく侵攻後、数日でキエフを制圧し、ロシアの傀儡政権を打ち立てようともくろんだプーチン大統領の戦略は、ウクライナ国民の予想外の頑強な抵抗により侵攻後1カ月以上も遅れ、破たんしつつあります。このため、ロシアはロシア国内黒海に進出した戦艦から数百発ものミサイルを発射し、ウクライナの主要都市を空爆しています。その初期には、軍事施設を攻撃していたミサイル郡ですが、思わぬ抵抗へのイラダチと停戦をできる限り優位すすめるとの目的で、学校や病院、避難先である劇場など、市民が避難している施設への無残な攻撃を続けています。

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(ミサイル攻撃を受けた避難先の劇場 news.yahooより)

 ソ連崩壊後にロシア共和国の大統領に就任して以来22年間、プーチン大統領は極めて冷静で的確な政策を強力に推し進めることにより、ロシアをエネルギー大国に押し上げてその経済を立て直し、チェチェン独立に対しても強権を発動して軍事力で制圧して国内をまとめてきました。しかし、旧ソ連時代の衛星国が次々に革命のために民主主義政権へと移行し、その最後の砦がベラルーシであり、ジョージアやモルドヴァなども独立し、確かにウクライナはクリミアも含めてロシアにとっては死守すべき砦となったとき、プーチン大統領はその戦略を誤ったとしか思えません。

 市民を狙い、無差別殺戮を行うプーチン大統領は、もはやかつてロシアを侵略したナポレオンやヒトラーと何ら変わらない犯罪人、殺戮者に成り下がりました。

 心ある国際社会の国々とその市民は、あらゆる手段を使ってロシアの暴挙を止めることが必要です。東部の都市マリウポリでは、40万人の住民が避難もできず、電気、ガス、水道も止まり、食料さえもなくなっていると言います。あまつさえ、ロシアはマリウポリに降伏を申し入れ、さらなるミサイル攻撃を続けています。ウクライナ市民は降伏を拒否しましたが、この都市の市民を救うためにもプーチン大統領に不毛な戦争の停止を選択させる必要があります。

 皆さん、ウクライナ市民のためにも、我々の未来のためにも、心を一つにしてこの戦争にNOを言い続けましょう。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。

 

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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ロシア プーチン翁の老いの妄執

こんばんは。

 平和と調和、そして多様性の祭典である北京オリンピックが閉会し、第2幕である北京パラリンピックの開会式が待たれる間隙の合間を縫って、ロシア軍が隣国ウクライナに侵攻し、事実上の戦争を仕掛けました。今もウクライナでは罪なき市民がロシアの攻撃によって殺戮され、死の恐怖に直面しています。

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(ミサイル攻撃を受けたハリコフの住宅 jiji.com)

 我々人類は、ここまで4000年の歴史の中で常に闘いに明け暮れていました。しかし、産業革命以降、我々は大いなる技術力を身に着け、一度に大量の命を奪うことができる兵器を手にしてしまいました。銃弾による殺戮、戦車や装甲車による衣食住や命の殲滅、航空機による空からの爆撃、海上では戦艦や空母による地上への砲撃、さらにはミサイルやICBMによる遠距離殺戮。

 20世紀の戦争は、まさにそうした大量殺りく兵器によって世界が分断され、ある統計資料によれば、第一次大戦で亡くなった人は約852万人、第二次世界大戦では約912万人もの人々が戦争によって命を落としたといいます。

 一口に912万人と言えば、それは単なる数値に聞こえますが、そこには亡くなった一人一人の人生、物語があります。我々は、コロナや災害で亡くなった方々には父親や母親、愛する娘や息子、そしていとおしい孫がいることを知っています。そして、人が生きている限り、そこに関わるたくさんの友人たちが取り巻いてくれているのです。

 人はいくら生きても200年は生きられません。命は必ず尽きますが、命が続く間、我々は大勢の人々とかかわりながらなすべきことをなし、最後の瞬間まで命を燃やします。ところが、戦争は自らの意志、もっと言えば自然から授かっている寿命と関係なく、人の命を奪っていくのです。それは、そこに関わるすべての人の幸福を奪い、悲しみと苦しみのどん底へと叩き落す残酷な行為に他なりません。

 理不尽な殺戮で大量の幸福を奪い、大量の不幸と絶望を生み出す人類の冒す最大の罪、それが戦争なのです。

20世紀 我々は何を学んだのか】

 第二次世界大戦で生み出された最終兵器は核兵器です。

 科学は、この宇宙が創りだした物質の謎を次々に解き明かし、ついに原子をつなぎとめている途方もないパワーを引き出す技を手に入れました。実際に核爆弾は第二次大戦で我々の国、日本に投下され、広島では一瞬にして9万人以上の命が一瞬にして消え去りました。さらに、原爆の放射能により、その後、56万人もの人々が放射線に苦しんだとも言われています。さらに長崎にも原爆が投下され、7万人もの人々が亡くなりました。そして、被爆した方々は16万人以上に及んでいます。

 核兵器は、一つの都市を地上から消し去るだけではなく、放射能により世界を不毛の大地と化してしまう恐ろしい兵器です。現在、核兵器を保有する国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、そして北朝鮮であり、その数は13,000発と言われており、その90%をアメリカとロシアが保有しています。この数は、地球上の人類を35回以上殺戮できる数だとの計算もあります。

 かつて、アメリカとソ連の冷戦下では、ソ連がキューバに核を持ち込むとの事件が持ち上がり、当時のケネディ大統領は核の使用さえも覚悟し、あわや核戦争にいたる一歩手前まで、事態は進みました。しかし、ソ連のフルシチョフ第一書記が最後の最後にキューバへのミサイル配備を取りやめるという理性ある判断に至たり核戦争は回避されました。

 このときにアメリカ大統領とソ連書記長の間に直通のホットラインが敷かれたのは有名な話です。

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(キューバ危機後のフルシチョフケネディ会談)

 こうして核兵器は世界大戦の抑止力となりました。

 しかし、核兵器が抑止力となった後も、世界では地域紛争が絶えることはありません。

 1991年にゴルバチョフソ連大統領が辞任し、ソビエト連邦は崩壊しました。ソ連に変わりロシアが復活しましたが、それは共産主義ではなく共和国でした。アメリカとソ連の2極化した世界で繰り広げられた冷戦は終焉を迎え、世界にはアメリカ主導の平和が訪れると期待した人もいます。

 アメリカは、冷戦終了後も戦争と紛争に明け暮れていました。

 クウェートに侵攻したフセイン大統領の野望をくだくべく国連公認のもと連合軍を率いて行った湾岸戦争。21世紀に入ってからは、アルカイダによって仕掛けられた同時多発テロへの報復として、アフガニスタンへと攻め入り、タリバン政権を崩壊させ、民主政権を樹立させました。それに続いて、イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を隠し持っている証拠があるとの理由で、イラクに攻め入るや嵐のような空爆でフセイン大統領を逮捕し、死刑に処したのです。

 21世紀のアメリカの戦争は、まさに「報復」ですが、アフガニスタンでは民主政権がイスラム国やタリバンの反抗、反撃に耐えられず、長くアメリカ軍が駐留し政権を支えてきました。しかし、昨年、バイデン政権がアメリカ軍を撤退するや否や、アッという間にアルカイダが各都市を占領。結局、アフガニスタンではアルカイダの政権が返り咲いたのです。

 さらに、イラク戦争では、攻め入って勝利を得たアメリカ連合軍ですが、実はイラクに大量破壊兵器は存在していなかったというお粗末な結果が公表されました。

 アメリカだけではなく、新たな共和国を立ち上げたロシアもアメリカに負けず劣らず紛争に明け暮れています。

 崩壊後のソ連では、ロシア共和国を巡って権力の座に就いたエリツイン大統領は、自らの健康不安のために、後継者にプーチン氏を指名し、20005月にプーチン大統領が誕生しました。皮肉なことに後継者を指名した理由が、プーチン氏が民族主義者であると同時にエリツイン大統領の言うことに素直に従いそうだ、というものでした。しかし、元KGBのプーチン大統領は、まれにみる切れものだったのです。

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(大統領就任式のプーチン氏 wikipediaより)

 プーチン大統領は「強いロシアの復活」をかかげ、まず、国内で独立のために兵を挙げたチェチェン紛争に対し、徹底的な戦闘による力での解決で臨みました。チェチェンでは、多くの市民がこの内戦に巻き込まれ亡くなりましたが、ロシア政府軍は強大な軍事力でチェチェン独立派に『打ち勝ち、チェチェン紛争を抑え込んだのです。

 さらに、エネルギー政策により経済力を回復させたプーチン大統領は、反民主主義へと大きく舵を切り始めます。アサド政権が強権を発動するシリアでは、イスラミックステイツや反政府軍の攻勢などが複雑に絡み合い、欧米が反政府軍を支援しましたが、プーチン大統領はアサド政権の政府軍を支援し、シリアでの空爆を遂行しました。

 はたして我々人類は、二つの世界大戦を経験した20世紀の間に何を学んできたのでしょうか。

【侵略戦争はあってはならない暴挙】

 今回のウクライナ侵攻の下地は、2014年にロシアがクリミア半島を併合しようとしたことがことの始まりのように見えます。

 クリミア半島は、ロシア帝国の時代からロシアの貴重な不凍港のひとつとして、重要な戦略的役割を果たしてきました。しかし、ロシア帝国とオスマントルコ帝国の争いでクリミア戦争が起こり、その帰属はめまぐるしく変わり、さらには第一次世界大戦、そしてロシア革命を経て旧ソ連共和国の自治区の一つとしてウクライナの一部となりました。ところが、ソ連が崩壊したのち、2004年の選挙で親ロシア政権の大統領が当選しましたが、ウクライナ国民はその選挙に不正があったとして、再選挙を求めました。この運動はオレンジ革命とも呼ばれますが、再選挙によってロシアに距離を置く政権が発足しました。これ以降、ウクライナの大統領はあるときには西側の支援を受け、あるときには親ロシアの政策をかかげることを繰り返してきました。

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(オレンジ革命時の首都キエフ wikipediaより)

 クリミア半島はと言えば、歴史的に多くのロシア人が流入して居住していましたが、ソ連時代の1954年、ウクライナ出身のフルシチョフ書記長が主導し、当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の州としてウクライナに帰属することとしたのです。これ以降、クリミア半島はウクライナ領とされてきましたが、そこに住むロシア人たちは、ソ連崩壊後、西側に揺れ動いていくウクライナの政権に反感を覚えていたことは想像に難くありません。

 そして、2014年、クリミア州はクリミア自治共和国としてセヴァストプリ特別区とともに自らロシア連邦と一員となるとする条約に調印し、ロシアへの併合が行われました。

 さらに今回、ロシアのプーチン大統領は軍事侵攻の前々日、ウクライナ国内のロシア人居住地であるドネツク州を「ドネツク人民共和国」、ルガンスク州を「ルガンスク人民共和国」として独立承認することを閣議決定し、独立を承認する大統領令に署名しました。

 そして、224日、ウクライナがロシア人に対してジェノサイド(大量虐殺)を行っており、ロシア人の命を守るためにウクライナに侵攻する、と宣言しベラルーシ国境近くの北側とクリミア半島から、そして、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国からの軍事派遣要請に従って東側からウクライナ国内に侵攻を行ったのです。

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(独立承認を発表するプーチン大統領 mainichi.com)

 それは、ロシアの一方的な宣言によって行われ、首都キエフにはロシア軍が迫り、南部や東部の中核都市が一斉にロシア軍に侵略されるという事態に至りました。

 ウクライナとロシアの間には歴史的にも近年にも領土をめぐる紛争があったことは事実ですが、ドネツクやルガンスクの東部では紛争停戦のため、2015年にミンスク合意が締結されました。にもかかわらず、ロシアはこれを無視して一方的にウクライナに攻め入ったのです。

 ウクライナという国際的にもその主権が認められた国家に理由はともあれ、一方的に軍事浸入を行い、国家、国民を殺戮することは国際ルールを無視した一方的な宣戦布告に他なりません。これは、これまでの国際法に照らしても国際ルールをすべて無視する暴挙、国家侵略としか言いようがありません。

【一日も早く市民の殺戮をとめなくては】

 ウクライナの市民は、突然蹂躙された国家がロシアに征服されないために高齢者や子供とその母親を除いてすべての国民がロシアと闘う決意を固めています。そして、欧米からの軍事支援も効果を挙げて、ウクライナはロシアのキエフ侵攻を強い抵抗によって食い止めている状況です。

 恐らく侵攻後、数日でキエフを制圧し、ロシアの傀儡政権を打ち立てようともくろんだプーチン大統領の戦略は、ウクライナ国民の予想外の頑強な抵抗により侵攻後1カ月以上も遅れ、破たんしつつあります。このため、ロシアはロシア国内黒海に進出した戦艦から数百発ものミサイルを発射し、ウクライナの主要都市を空爆しています。その初期には、軍事施設を攻撃していたミサイル郡ですが、思わぬ抵抗へのイラダチと停戦をできる限り優位すすめるとの目的で、学校や病院、避難先である劇場など、市民が避難している施設への無残な攻撃を続けています。

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(ミサイル攻撃を受けた避難先の劇場 news.yahooより)

 ソ連崩壊後にロシア共和国の大統領に就任して以来22年間、プーチン大統領は極めて冷静で的確な政策を強力に推し進めることにより、ロシアをエネルギー大国に押し上げてその経済を立て直し、チェチェン独立に対しても強権を発動して軍事力で制圧して国内をまとめてきました。しかし、旧ソ連時代の衛星国が次々に革命のために民主主義政権へと移行し、その最後の砦がベラルーシであり、ジョージアやモルドヴァなども独立し、確かにウクライナはクリミアも含めてロシアにとっては死守すべき砦となったとき、プーチン大統領はその戦略を誤ったとしか思えません。

 市民を狙い、無差別殺戮を行うプーチン大統領は、もはやかつてロシアを侵略したナポレオンやヒトラーと何ら変わらない犯罪人、殺戮者に成り下がりました。

 心ある国際社会の国々とその市民は、あらゆる手段を使ってロシアの暴挙を止めることが必要です。東部の都市マリウポリでは、40万人の住民が避難もできず、電気、ガス、水道も止まり、食料さえもなくなっていると言います。あまつさえ、ロシアはマリウポリに降伏を申し入れ、さらなるミサイル攻撃を続けています。ウクライナ市民は降伏を拒否しましたが、この都市の市民を救うためにもプーチン大統領に不毛な戦争の停止を選択させる必要があります。

 皆さん、ウクライナ市民のためにも、我々の未来のためにも、心を一つにしてこの戦争にNOを言い続けましょう。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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北京オリンピック 心からの感動

こんばんは。

 今年の冬季オリンピックは、東京オリンピックに引き続いてコロナ禍の中での開催となりました。

 中国は一党支配の国であり、共産党の威信にかけてこのオリンピックを成功させようと万全の体制を敷いてきました。そのバブル政策は徹底していて、選手はもちろん取材陣もその滞在力は一歩も外に出られない隔離を行っています。その徹底ぶりはすさまじく、民主国家ではとてもマネできない強制的な仕組みです。

 そのおかげもあり、一部のスタッフに入国後の検査で陽性者も出ましたが、それぞれの会場は安全が保たれ、出場選手たちは思う存分実力を発揮できたのではないでしょうか。

 その政治的思惑はともかく、北京オリンピックもこれまでのオリンピック以上に我々の心に熱い感動を生んでくれました。

【心に刻まれた日本選手たち】

 フィギアスケートでは、初の団体銅メダルという快挙もありましたが、なんといっても注目は、男子フィギアの面々です。

 今回のオリンピックで、日本は過去最多のメダルを獲得しました。そのうち4つのメダルはフィギアスケートで獲得。日本選手の層の厚さが際立ちました。男子フィギア陣は2つのメダルに輝きました。銀メダルに輝いた新星、鍵山優真選手と銅メダルを獲得した宇野昌磨選手です。メダル獲得のカギを握ったのはやはり4回転ジャンプでした。もちろん、前提としては芸術点につながる全身を使った大きな演技やステップ、そしてスピンなどのしなやかさや正確性が求められるわけですが、最後にポイントとなったのはやはり4回転ジャンプでした。

 宇野昌磨千選手は前回大会に銀メダルを取得し、その後一時期、完璧なジャンプが飛べない時期もありました。しかし、自らの迷いを振り切り、前回大会のリベンジに燃えるアメリカのネイサン・チェン選手の演技や元オリンピアンの父親がコーチのつく鍵山選手の躍進を肌で感じながら、自らの技に磨きをかけ、納得のいく演技を目指しました。そして、新たなコーチ、ステファン・アンビエールしとの出会いが自らを覚醒させたと語って言います。

 そのフリーのプログラムは、4回転ジャンプが5本入るという超高難度。まさに自ら高い目標を掲げて果敢に挑戦する姿勢に感動します。

 そして、今回新たにオリンピックに登場した18歳の鍵山優真選手。そのジャンプは高さも回転スピードも美しく、その技のすばらしさは特別です。

 そんな鍵山選手にも大きな課題がありました。

 それは、演技を魅せる力の不足です。オリンピアンの解説者たちは、大きく伸びやかな演技、世界観を表わす表現、華麗なステップなど、様々な表現で語りますが、オリンピアンは確かにその演技に表現すべき世界観を持っています。フリーの演技に独自の世界が必要と考えた鍵山親子は、浅田真央選手の振り付けも担当したロシアの振付師、ローリー・ニコルさんに振り付けを依頼します。その振り付けは、「アバター」でした。そう、ジェイムス・キャメロン監督の傑作SF映画の世界観を表現した振り付けです。

 NHKBSの「スポーツ&ヒューマン」の中に鍵山優真選手親子に密着したドキュメンラリーがありました。その題名は「殻をやぶるなら、いま フィギアスケート 鍵山優真」。厳しい練習、厳しいアリンピアンスケーターだった父の指導。そして、覚醒。この番組の中で、はじめは鍵山の演技に細かすぎるほどの注文を付け続け、限りないダメ出しを続けるローリー・ニコルさんが、覚醒しつつある景山選手の演技の変化を、リモートの画面で観ながら、「まるでリンクの横で見ているような素晴らしい演技をみせてくれた。」と感動したのです。

 そして、初出場のオリンピックでみごと齗メダルに輝いたのです。

 さらに、メダルには届きませんでしたが、メダルとは別の感動を我々に届けてくれたのが、フィギアスケートの象徴ともいえる羽生弓弦選手でした。

 羽生選手がはじめてオリンピックで金メダルに輝いたのは2014年のソチオリンピック。このとき19歳だった羽生選手は、アジア男子初の金メダル、そして、史上二人目の十代での金メダリストとなったのです。そして、2018年のピョンチャンオリンピックでは、右足にけがをかかえながらも完ぺきな4回転ジャンプと演技を見せてオリンピック連覇を成し遂げました。

 北京オリンピックでは3連覇かと期待が高まる中、彼が挑んだのは新たなる挑戦への道でした。

 それは、フィギアスケート界で前人未到の4回転アクセルへの挑戦です。

 オリンピックといえば、すべてのアスリートたちが目標とするのは金メダルです。それ故に大会ではどの国がどれだけのメダルを獲得したかが話題となります。しかし、羽生選手は違いました。それは、9歳のころから自らの夢であった「アクセルジャンプを極める」ことの実現だったのです。その挑戦がどれほど険しいものだったのか。それは、オリンピック演技後の羽生選手のコメントからもうかがい知ることができます。

 4回転アクセルは、前を向いた状態からジャンプに踏み切るために回転数は実際には4回転半となります。キチンと着氷し、演技を連続させるためにはこれまでよりも半回転多く飛ぶ必要があるのです。そして、この挑戦は5回転にもつながる挑戦ともいえるのです。それゆえに女子フィギア界でも3回転アクセル(トリプルアクセル)が選手の代名詞となる大技と呼ばれるのです。

 羽生選手は、9歳のころに手ほどきを受けていた都築さんが語っていた「アクセルジャンプは王者のジャンプだ」との言葉を胸に、競技を続けてきました。そして、会見では、「僕の中にいる9歳の自分が4回転アクセルと飛べとずっと言っている。」とも語っています。しかし、前人未到の4回転半は、羽生選手をしてもはるかに高みの目標だったのです。

 様々なインタビューでも、「練習でもまるで壁に向かって飛んでいるようなもの。」、「まぜこんなに苦しい思いをするのか、初めてスケートをやめたいとまで思った。」、「やっと壁にほんの少しのとっかかりを見つけつあります。」など体を酷使し、血のにじむような努力を続けていたことをうかがい知ることができます。そして、北京オリンピック後のインタビューでは、「努力が報われないことがあると思った。」とまで語っています。

 今回、ショートプログラムでは氷についた傷穴にエッジがはまり、最初の4回転が1回転になってしまいショートプログラムは8位。さらにフリーの練習で足をくじき、痛み止めの注射で感覚を麻痺させてフリーに臨んだと言います。それでも羽生選手は、フリーの演技で4回転アクセルを飛びました。そのジャンプは着氷できず、転倒という結果となりましたが、その後の演技を完璧にやり遂げ、4位となりました。最後まで滑り切ったその姿に、羽生選手の覚悟と生き方を見ることができました。そして、心から感動しました。

 その4回転アクセルは、国際スケート連盟主催の大会ではじめて「4回転アクセル」として認定され、歴史のその名を刻みました。

 世界から注目を集めた羽生選手は、その後の合同記者会見で、「みんな生活の中で何かしら挑戦していると思います。それが生きることだと思いますし、守ることだって挑戦です。何一つ朝鮮じゃないことは存在していないと思うから、」と語りました。いったい世界中のどれだけの人々がこの言葉に勇気づけられたことでしょうか。まさに生きる力を思い出させてくれる一言でした。

 今回のオリンピックでは、目標に届かなかった人たちの姿にも心を動かされました。

 スノーボードでは、アメリカのレジェンド、ジョーン・ホワイト選手が引退を表明した最後のオリンピックになりました。これまで2大会、彼の姿を追いかけて2度金メダルを阻まれて連続齗メダルとなっていた平野歩選手が、人類最強の技を携えてハーフパープに挑戦し、みごとな金メダルに輝きました。2回目の演技で前人未到の技を成功させたにもかかわらず、2位の得点であった歩選手が、「怒り」を力に変えて3回目の演技で最高得点をたたき出した姿は涙ものでした。

 さらに感動したのは、この決勝の部舞台に日本人選手が4人もいたことです。歩夢選手の弟の海祝選手、戸塚優斗選手、平野流佳選手。すべての選手が果敢におおきなトリックに挑戦しました。これまで、ショーン選手と平野歩選手の間で行われていた切磋琢磨が日本人の中で行われるのかと思うと、より大きな感動が呼び起こされます。

 スノ-ボードと言えば、スノーホード女子ビッグエアでは村瀬心椛選手が最年少で銅メダルに輝きました。もちろん、1回目、2回目と素晴らしいトリックを成功させた姿に心を動かされましたが、同じく決勝に残った岩淵麗楽選手、そして鬼塚雅選手の演技には感動しました。岩淵選手は、村瀬選手と同じく1回目、2回目で得点を確保するトリックを手堅く決めましたが、3回目に繰り出したのは、大技「トリプルアンダーフリップ(後方3回宙返り)でした。技はおしくも着地に失敗しましたが、演技を終えた岩淵選手の下に各国の選手が駆け寄って、大技に挑戦した岩淵選手を抱き合い、たたえる姿には本当に心を動かされました。

 そして、鬼塚雅選手です。彼女は19歳の時にピョンチャン大会の日本代表に選抜され、はじめてのオリンピックでは思うような成果は上げられませんでした。そのくやしさをバネにすべてを費やして練習を重ね、2020年のXゲームでは「キャブダブルコーク1260」(縦2回転横3回転半)を決めて優勝していました。前回のリベンジを期した鬼塚選手は、守りに入ることなく、1回目から果敢にこの技に挑戦してきました。

 しかし、北京のビッグエア着地点は角度が急激で着地点を見極められずに転倒し、斜面に頭から突っ込みました。ふつう、頭からの転倒を味わうと怖さが出てしましますが、彼女は、第2回、第3階と果敢にこの技に挑戦したのです。その姿は、順位や結果を超えて我々に大きな感動を感じさせてくれました。

【リベンジを目指したオリンピアン】

 今年の日本代表には、前回から引き続いて出場した選手たちが多くいました。

 コロナ禍の中、この北京オリンピックをめざして費やしてきた4年と言う歳月。それを背負った彼らの闘いは、我々に勇気と希望を与えてくれました。

 スキージャンプでは、ピョンチャンオリンピックで7位だった小林陵侑選手が、この4年間で培ってきた技術力と体力をみごとに表現し、ノーマルヒルで金メダル、ラージヒルでの銀メダルの2冠に輝きました。

 女子では、前回銅メダルを獲得した日本のエース高梨沙羅選手が北京に臨みます。

 高梨選手は、ピョンチャンオリンピックでこれまで作り上げてきた自分のスキージャンプではこれ以上の飛躍にはつながらない、と冷静に判断し、オリンピック終了後に自らのジャンプをゼロベースで見直す取り組みに着手しました。にもかかわらず、ワールドカップではしっかりと優勝回数を更新し、昨年は通算優勝60勝の記録を打ち立てました。しかし、今回のオリンピックでは高梨選手を不運が襲います。

 女子スキージャンプの第2回目では、3位の選手にわずか0.3ポイント差で4位となりメダルを逃しました。3位の選手の飛距離は94m、高梨選手の飛距離は100mでしたが、高梨選手の時にはわずかに向かい風なっており、風補正と飛型点の得点差によって4位となってしまったのです。さらに団体戦。高梨選手は103mの大ジャンプを決めて首位になりましたが、スーツ規定にひっかかり失格となってしまったのです。今までの努力を知る我々にはなんとも納得のいかない判定でした。

 審判やジャッジは絶対、ルールは守ることがフェアなプレーの基本ですが、そこには透明性が必要と考えるのは私だけでしょうか。

 しかし、高梨選手はその時こそ『涙にくれていましたが、オリンピック後に気持ちを切り替えて、次のワールドカップへと転戦しています。その姿に我々も再び心を動かされます。

 スピ-ドスケートでは、前回大会でも活躍した高木美帆選手の4つのメダル獲得には胸が躍りました。中でも、世界記録保持者でもある1500mが齗メダルで悔しい思いをした後の1000m。オリンピック記録をたたき出す会心のレースでみごと金メダルを勝ち取った姿は、やりきった明るい表情が素晴らしく、心が晴れやかになりました。

 ここでもメダルの画下に不運が潜んでいました。高木美帆選手の姉で3大会出場を果たした高木菜那選手を襲った出来事です。前回大会、高木兄弟と佐藤綾乃選手は女子スピードスケート団体パシュートでみごと世界新記録をたたき出し、金メダルを獲得しています。また、高木菜那選手はマススタートで金メダルを獲得し、2種目を制覇しました。

 ところが、今年のパシュートでは、決勝でカナダと対戦、最終コーナー残り100mまで日本はトップを走っている、まさに2連覇が目の前でした。ところが、最終のカーブをまわるときに最後を走る高木菜那選手のエッジが氷面からはずれ、痛恨の転倒となってしまったのです。菜那選手にとってはまさに悲しみの齗メダルでした。しかし、涙にくれる七選手に無言で寄り添い方を抱き合っていた高木美帆選手と佐藤綾乃選手。そして、その3人を囲むように静かに見守るチーム日本の面々。そこにこれまで築き上げてきた努力を共有してきた人々の温かい想いを感じて、胸が熱くなりました。

 驚くことに高木菜那選手は、その後の2連覇がかかるマススタートの予選でも、パシュートと同じカーブにさしかかったとき同じように転倒し、予選敗退となりました。しかし、高木菜那選手は、今回の大会で今まで気づかなかった大切なものに気づかされたと語りました。それこそが、支えてきてくれたチームの人々の心の絆だったのです。

 さて、北京オリンピックの感動を語りだすとキリがありませんが、最後に前回大会に続き日本代表として出場し、涙と笑顔と元気で見事に銀メダルを獲得した女子カーリングの「ロコ・ソラーレ」が今回の大会の有終の美を飾ってくれました。ロコ・ソラーレは、本大会、予選で9チームと総当たりの試合で54敗。予選敗退と思ったところが、予選最終戦で韓国がスウェーデンに敗退、奇跡のように決勝にコマを進めました。決勝でのスイスとの闘いは、まさに氷を読み切りすべてのショットがはまった会心の試合でした。

 今回のオリンピックで、最も長時間観戦したのがカーリングでした。すべての試合で興奮と感動を呼ぶ素晴らしい時間を過ごすことができ、ロコ・ソラーレの皆さんに感謝しています。

 オリンピックには参加した選手の数だけドラマが秘められています。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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明けましておめでとうございます

令和四年 
 明けましておめでとうございます。


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 新春を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 今年も、新たなコロナウィルスとの生活が続いていきます。日本では、お辞儀とマスクの文化で感染対策が奏功しているように見えます。今年も皆さん心を一つにして、感染対策によって新しい世界が開けることをを目指しましょう。

 「日々雑記」も外出自粛の影響もあり、ご無沙汰する日々が多くなりましたにもかかわらず、ご訪問頂いている皆様にはただただ感謝々々です。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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