007(ゼロゼロセブン)は殺しの番号

こんばんは。

  公開後、全作品をオープニングからエンディングまで鑑賞した映画シリーズは、007シリーズとスターウォーズシリーズのみです。

  007はすべて映画館で見た、と言いたいところですが、第1作 ドクターNO(邦題「007は殺しの番号」)が日本で公開されたのは、1963年です。東京オリンピックの開催は、1964年ですから私はまだ5歳でした。ちょうどそのころにはじめて映画を見ましたが、それは東宝映画「わんぱく王子の大蛇退治」でした。まあ、両方ともアクション映画ではありますが、中身はだいぶん違います。

  初代ジェームズ・ボンドは、言わずと知れたジョーン・コネリー。今年89歳になるといいますが、お元気なのでしょうか。私が映画の魅力にはまったのは中学2年生の時でしたが、その頃に封切られた007は、ショーン・コネリーが主演した最後の作品、「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)でした。このシリーズでは、主題歌も大きな話題となりますが、シャーリー・バッシーが歌ったこの映画の主題歌もソウルフルでスマッシュヒットとなりました。

  正式な007映画としては、この作品がジョーン・コネリー最後の作品なのですが、実はその後、ファンや本人の希望があり、1983年に「ネバーセイ、ネバーアゲイン」という映画で、カムバックして007を演じました。題名は、「(007を)もうやらないなんて言わないで」という意味です。この映画は、「007 サンダーボール作戦」のリメイクですが、当時、007シリーズの映画化権はすべてアルバート・R・ブロッコリの手にあり、この作品だけが映画化可能なものだったそうです。この映画は、まさに007へのオマージュに満ち溢れていて、何度見ても楽しい映画でした。

007トリガー01.jpg

(映画「NEVER SAY NEVER AGAIN」ポスター)

  ショーン・コネリーは、あまりにジェームズ・ボンドのイメージと重なっていたために制作サイドは、後継者選びに苦労したと思われます。事実、「007 ダイヤモンドは永遠に」の前作「女王陛下の007」では、007をジョージ・レーセンビーが演じたのですが、興行成績が振るわず次作でショーン・コネリーが復帰するとの事態が起きたのです。その後、イケメン俳優のロバート・ワーグナーが候補に挙がりましたが、彼は、自分はあまりにアメリカ的でイギリス人のジェームズ・ボンドにはふさわしくない、と辞退し、ロジャー・ムーアを推薦したといいます。

  現在、007を演じているのは、6代目のダニエル・グレイグとなり渋いジェームズ・ボンドを演じています。最近のハリウッド映画のはやりですが、人生を背負う側面を醸し出すために背負っている過去に焦点を当てた脚本が映画を盛り上げます。ダイエル・グレイグの007もその路線を走っていますが、007に過去の足かせはそぐわないと思っています。確かに人間ですから様々なしがらみを背負うのは当たり前ですが、それが暗くて重いものとなると「007」とは異質に変容してしまう気がするのは私だけでしょうか。

  今週は、古き良き007を描いた小説の最新版を読んでいました。

「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

007トリガー02.jpg

(文庫「逆襲のトリガー」amazom.co.jp)

007シリーズの魅力】

  007シリーズの原作は、イアン・フレミングの大人気小説です。かのケネディ大統領もこのシリーズの愛読者だったのは有名なお話です。はじめてジェームズ・ボンドが登場したのは、1953年に上梓された「カジノ・ロワイヤル」でした。イギリスの諜報機関を題材とすること自体も当時としては斬新でしたが、それもそのはず、イアン・フレミングは第二次世界大戦中にイギリス諜報機関で働いていた本ものの諜報部員だったのです。

  諜報機関を退職後、ジャマイカの別荘に移り住んだ彼が、諜報機関時代の経験をもとに執筆したのが007シリーズだったのです。

  実をいうと、恥ずかしながら映画のフリークでありながらこれまでイアン・フレミングの小説は一度も読んだことがありません。特に理由はないのですが、映画があまりにも面白かったため、小説を読むと全く別のジェームズ・ボンドが出てきそうで億劫だったという感じです。考えてみれば、ハリー・ポッターも映画は見ても本は読んでいないし、スター・ウォーズも本を読もうとは思いません。

  それが、この本を読もうと思ったのは、いつもの本屋巡りで「007」という文字にひっかかったことがきっかけです。原作者のイアン・フレミングは、1965年に心臓麻痺で亡くなり、その後007シリーズは書かれることがありませんでした。しかし、イアン・フレミング財団なる団体はこれまでにも何度か007シリーズ新作の執筆を有望な作家に依頼していました。一度007を読んでみたいと思っていたところに新作です。思わず手に取ってしまいました。

  今回、白羽の矢が立ったのはシャーロック・ホームズの続編を執筆したイギリスの作家、アンソニー・ホロビッツ氏でした。シリーズの大ファンであった著者は、財団からの執筆依頼を受けてアイデアを練ります。氏は、生前イアン・フレミングがテレビ映画のための脚本を何篇か執筆していたことを知り、その草稿を手にします。今回のボンドの活躍は、イアン・フレミングのアイデアに基づく内容となりました。

  007の魅力は、何といっても男のロマンをくすぐる設定の数々です。

  まず、ジェームズ・ボンドのダンディな生き方。「男」に限定するのは今様ではありませんが、そのこだわりは、衣食住にとどまらず、生き方、女性観、車、小物まで徹底しています。ボンドは、常にスーツとネクタイに身を包んでいますが、愛用の銃にワルサーPPKを選んでいる理由もホルスターに収めたときにスーツが型崩れしないから(外から見て銃がわからないから)と言われています。さらにスーツに合わせる革靴は、紐靴というのもこだわりです。ボンドといえば、マティーニですが、「マティーニを。ステアせずシャエイクして。」とのセリフは映画史にも残る名セリフです。

  次なる魅力は、彼の職業です。男が憧れる職業といえば、大統領と指揮者と言われていますが、スパイもその最たる職業です。常に命の危険にさらされていますが、紙一重のところで国や人を救うというアドレナリン全開の職業です。「神々が打ち滅ぼさんとしたまいしもの、退屈なり。」とは、ボンドがささやいた独り言ですが、常に「退屈」を嫌って新たなミッションへと挑んでいく姿は、ほれぼれとする生き様です。そこに絡んで登場するメカニックも大きな魅力です。シリーズには、諜報機関でメカニックを担当するQが登場し、常に新たな武器をボンドに渡します。ナイフや金貨が仕込まれたアタッシュケース。機関銃や巻き菱を内蔵したアストンマーチンなど、血沸き肉踊ります。

007トリガー03.jpg

(アストンマーチンとジェームズ・ボンド)

  そして、何といってもボンドを取り囲む美しい女性たちは極めつけです。

  007の映画監督は、皆、ボンドガールのキャスティングに頭を悩ましたことと思います。小説では、その魅力が言葉で表現されますが、それが視覚化されたときに言葉のイメージが目の前に実現することが求められるからです。それでも映画のボンドガールは、皆、魅惑的です。第1作では、ジャマイカ沖の絶海の孤島に出現する妖艶な女性ハニーをウルスラ・アンドレスが演じ、観客の目をスクリーンに釘付けにすることに成功しました。真っ白いビキニに小刀を携えたグラマラスな容姿は見事でしたが、さすがに小説に忠実には描くことができませんでした。

  なぜなら、小説で登場するハニーは、腰の小刀以外は一糸もまとわぬ全裸だったからです。

  映画第2作となった「007 ロシアより愛をこめて」で暗号機とともにロシアから亡命するタチアナ・ロマノヴァを演じたダニエラ・ビランキは、美しさももちろんですが、そこに知的な魅力も加わり、シリーズのヒットを決定的なものにしました。タチアナがボンドの泊まるホテルのベッドルームに全裸で忍び込むシーンは、一瞬の影ではありましたが、妖艶な色香を醸し出していて思わず息をのみました。すべてを見せないことがいかに人の想像力を掻き立てるかを知らされたシーンでもありました。

  本当に007シリーズの魅力は語りつくすことができません。

007の新作 ボンド復活】

  007映画の定番は、プロローグにあります。オープニング、ボンドは必ず遂行不可能と思えるミッションを完遂する場面から始まります。そして、一仕事を終えたのちイギリス情報部、上司のMのもとを訪れます。そこでボンドは帽子をコートハンガーに投げ上げて、帽子はみごとにハンガーのトップへと収まります。その横には、Mの秘書であるミス、マニー・ペニーがボンドを待っていて、必ずボンドに嫉妬をまじえたひとことを投げかけます。

  今回の小説では、映画でプロローグにあたるエピソードが第一章で語られていきます。

  小説が描き出すジェームズ・ボンドの舞台は、何と冷戦まっただ中の1960年ころ。ボンドの敵は、当時のソビエト連邦の秘密組織であるスメルシュです。ボンドファンが喜びに震えるのは、なんと小説があの「ゴールドフィンガー」の後日談にあたっているからです。「ゴールドフィンガー」で、最後のどんでん返しを演出したのは、ゴールドフィンガーの部下である最強の下士官のごときプッシー・ガロアでした。

  ボンドは、命の恩人でもある金髪の美女プッシー・ガロアと一夜を共にしただけではなく、彼女をイギリスへと連れて帰り、一緒に住んでいたのです。一筋縄ではいかない女性を見ると口説き落とさずにはいられないボンドですが、なぜ。アメリカでは居場所のない彼女を救うべくイギリスに連れてきたのか。一風変わった展開に興味は尽きません。

007トリガー04.jpg

(ガロアを演じたオナー・ブラックマン)

  しかし、そこはボンド。イギリス紳士らしくガロアに気遣いながらも、すでに彼女と一緒にいることに後悔を感じ始めていました。そこにMからの呼び出しがあり、早くも次の事件が幕を開けることになるのです。今回、007に降りたミッションは、ソ連の秘密結社スメルシュに狙われたイギリス人を守ることでした。そのイギリス人は、世界一のF1レーサー。その場所は、ドイツ、ニュルブルクリンクの世界で最も過酷と言われるサーキットです。

  実は、ホロビッツ氏が発見したイアン・フレミングの草稿とは、007のテレビシリーズ用の草稿で、なんとボンドはそこでレーサーに身を投じることになるのです。この小説で描かれるボンドはその草稿通りにレーサーとして大活躍を演じるのです。

  小説の第一部、「空高く」は、こうして幕を開けることになります。レーサーとなるためにボンドにレースのすべてを教えるレーサーもほれぼれするような美女。さらにボンド好みの一流の腕を持つ利かん気の強いグラマラスな美人なのです。ハラハラとドキドキが次々に展開される粋なジェームズ・ボンドの活躍。007の魅力満載で小説は息もつかせず進んでいきます。

007対悪の対決】

  007と言えば、登場する悪役もそのスケールの大きさに唖然とさせられます。今回、ボンドを危機に陥れる悪役も半端ではありません。詳しくはぜひ小説で味わってほしいのですが、舞台となるのはアメリカとソ連が技術開発で先んじようと競い合う宇宙衛星の打ち上げです。今回の悪役の名前は、ジェイソン・シン。

  アメリカの大富豪ですが、驚くなかれ彼の本名は、シン・ジェソン。韓国からアメリカに渡ってきたシンは、アメリカで人材会社を立ち上げて大富豪に成り上がったのです。思い出すのは、「007 美しき獲物たち」で、敵となったゾ-リン産業を率いる大金持ちのマックス・ゾーリンです。彼は、アメリカの象徴であるシリコン・バレーをこの世から消し去るために空前絶後の大犯罪を計画するのですが、ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケンの冷静で酷薄な悪役には背筋がゾッとしました。

007トリガー05.jpg

(ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケン)

  今回登場するジェイソン・シンもゾーリンに勝るとも劣らない冷静で酷薄な名悪役です。

  第二部「地下深く」では、ボンドがまたまた知的な美女である謎の女ジェパディ・レーンとともに大活躍を演じます。もちろん、お約束の命の危機に何度も何度も遭遇し、からくも脱出、そしてタイムリミットが刻一刻と近づく中、ボンドは完全なる破滅を防ぐべくジェイソン・シンに挑んでいくのです。

  久しぶりの本格ボンド小説。皆さんもぜひお楽しみください。あの007の緊張とカタストロフが皆さんを襲うこと間違いなしです。最後の一行まで、目を離せません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




007(ゼロゼロセブン)は殺しの番号

こんばんは。

  公開後、全作品をオープニングからエンディングまで鑑賞した映画シリーズは、007シリーズとスターウォーズシリーズのみです。

  007はすべて映画館で見た、と言いたいところですが、第1作 ドクターNO(邦題「007は殺しの番号」)が日本で公開されたのは、1963年です。東京オリンピックの開催は、1964年ですから私はまだ5歳でした。ちょうどそのころにはじめて映画を見ましたが、それは東宝映画「わんぱく王子の大蛇退治」でした。まあ、両方ともアクション映画ではありますが、中身はだいぶん違います。

  初代ジェームズ・ボンドは、言わずと知れたジョーン・コネリー。今年89歳になるといいますが、お元気なのでしょうか。私が映画の魅力にはまったのは中学2年生の時でしたが、その頃に封切られた007は、ショーン・コネリーが主演した最後の作品、「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)でした。このシリーズでは、主題歌も大きな話題となりますが、シャーリー・バッシーが歌ったこの映画の主題歌もソウルフルでスマッシュヒットとなりました。

  正式な007映画としては、この作品がジョーン・コネリー最後の作品なのですが、実はその後、ファンや本人の希望があり、1983年に「ネバーセイ、ネバーアゲイン」という映画で、カムバックして007を演じました。題名は、「(007を)もうやらないなんて言わないで」という意味です。この映画は、「007 サンダーボール作戦」のリメイクですが、当時、007シリーズの映画化権はすべてアルバート・R・ブロッコリの手にあり、この作品だけが映画化可能なものだったそうです。この映画は、まさに007へのオマージュに満ち溢れていて、何度見ても楽しい映画でした。

007トリガー01.jpg

(映画「NEVER SAY NEVER AGAIN」ポスター)

  ショーン・コネリーは、あまりにジェームズ・ボンドのイメージと重なっていたために制作サイドは、後継者選びに苦労したと思われます。事実、「007 ダイヤモンドは永遠に」の前作「女王陛下の007」では、007をジョージ・レーセンビーが演じたのですが、興行成績が振るわず次作でショーン・コネリーが復帰するとの事態が起きたのです。その後、イケメン俳優のロバート・ワーグナーが候補に挙がりましたが、彼は、自分はあまりにアメリカ的でイギリス人のジェームズ・ボンドにはふさわしくない、と辞退し、ロジャー・ムーアを推薦したといいます。

  現在、007を演じているのは、6代目のダニエル・グレイグとなり渋いジェームズ・ボンドを演じています。最近のハリウッド映画のはやりですが、人生を背負う側面を醸し出すために背負っている過去に焦点を当てた脚本が映画を盛り上げます。ダイエル・グレイグの007もその路線を走っていますが、007に過去の足かせはそぐわないと思っています。確かに人間ですから様々なしがらみを背負うのは当たり前ですが、それが暗くて重いものとなると「007」とは異質に変容してしまう気がするのは私だけでしょうか。

  今週は、古き良き007を描いた小説の最新版を読んでいました。

「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

007トリガー02.jpg

(文庫「逆襲のトリガー」amazom.co.jp)

007シリーズの魅力】

  007シリーズの原作は、イアン・フレミングの大人気小説です。かのケネディ大統領もこのシリーズの愛読者だったのは有名なお話です。はじめてジェームズ・ボンドが登場したのは、1953年に上梓された「カジノ・ロワイヤル」でした。イギリスの諜報機関を題材とすること自体も当時としては斬新でしたが、それもそのはず、イアン・フレミングは第二次世界大戦中にイギリス諜報機関で働いていた本ものの諜報部員だったのです。

  諜報機関を退職後、ジャマイカの別荘に移り住んだ彼が、諜報機関時代の経験をもとに執筆したのが007シリーズだったのです。

  実をいうと、恥ずかしながら映画のフリークでありながらこれまでイアン・フレミングの小説は一度も読んだことがありません。特に理由はないのですが、映画があまりにも面白かったため、小説を読むと全く別のジェームズ・ボンドが出てきそうで億劫だったという感じです。考えてみれば、ハリー・ポッターも映画は見ても本は読んでいないし、スター・ウォーズも本を読もうとは思いません。

  それが、この本を読もうと思ったのは、いつもの本屋巡りで「007」という文字にひっかかったことがきっかけです。原作者のイアン・フレミングは、1965年に心臓麻痺で亡くなり、その後007シリーズは書かれることがありませんでした。しかし、イアン・フレミング財団なる団体はこれまでにも何度か007シリーズ新作の執筆を有望な作家に依頼していました。一度007を読んでみたいと思っていたところに新作です。思わず手に取ってしまいました。

  今回、白羽の矢が立ったのはシャーロック・ホームズの続編を執筆したイギリスの作家、アンソニー・ホロビッツ氏でした。シリーズの大ファンであった著者は、財団からの執筆依頼を受けてアイデアを練ります。氏は、生前イアン・フレミングがテレビ映画のための脚本を何篇か執筆していた知り、その草稿を手にします。今回のボンドの活躍は、イアン・フレミングのアイデアに基づく内容となりました。

  007の魅力は、何といっても男のロマンをくすぐる設定の数々です。

  まず、ジェームズ・ボンドのダンディな生き方。「男」に限定するのは今様ではありませんが、そのこだわりは、衣食住にとどまらず、生き方、女性観、車、小物まで徹底しています。ボンドは、常にスーツとネクタイに身を包んでいますが、愛用の銃にワルサーPPKを選んでいる理由もホルスターに収めたときにスーツが型崩れしないから(外から見て銃がわからないから)と言われています。さらにスーツに合わせる革靴は、紐靴というのもこだわりです。ボンドといえば、マティーニですが、「マティーニを。ステアせずシャエイクして。」とのセリフは映画史にも残る名セリフです。

  次なる魅力は、彼の職業です。男が憧れる職業といえば、大統領と指揮者と言われていますが、スパイもその最たる職業です。常に命の危険にさらされていますが、紙一重のところで国や人を救うというアドレナリン全開の職業です。「神々が打ち滅ぼさんとしたまいしもの、退屈なり。」とは、ボンドがささやいた独り言ですが、常に「退屈」を嫌って新たなミッションへと挑んでいく姿は、ほれぼれとする生き様です。そこに絡んで登場するメカニックも大きな魅力です。シリーズには、諜報機関でメカニックを担当するQが登場し、常に新たな武器をボンドに渡します。ナイフや金貨が仕込まれたアタッシュケース。機関銃や巻き菱を内蔵したアストンマーチンなど、血沸き肉踊ります。

007トリガー03.jpg

(アストンマーチンとジェームズ・ボンド)

  そして、何といってもボンドを取り囲む美しい女性たちは極めつけです。

  007の映画監督は、皆、ボンドガールのキャスティングに頭を悩ましたことと思います。小説では、その魅力が言葉で表現されますが、それが視覚化されたときに言葉のイメージが目の前に実現することが求められるからです。それでも映画のボンドガールは、皆、魅惑的です。第1作では、ジャマイカ沖の絶海の孤島に出現する妖艶な女性ハニーをウルスラ・アンドレスが演じ、観客の目をスクリーンに釘付けにすることに成功しました。真っ白いビキニに小刀を携えたグラマラスな容姿は見事でしたが、さすがに小説に忠実には描くことができませんでした。

  なぜなら、小説で登場するハニーは、腰の小刀以外は一糸もまとわぬ全裸だったからです。

  映画第2作となった「007 ロシアより愛をこめて」で暗号機とともにロシアから亡命するタチアナ・ロマノヴァを演じたダニエラ・ビランキは、美しさももちろんですが、そこに知的な魅力も加わり、シリーズのヒットを決定的なものにしました。タチアナがボンドの泊まるホテルのベッドルームに全裸で忍び込むシーンは、一瞬の影ではありましたが、妖艶な色香を醸し出していて思わず息をのみました。すべてを見せないことがいかに人の想像力を掻き立てるかを知らされたシーンでもありました。

  本当に007シリーズの魅力は語りつくすことができません。

007の新作 ボンド復活】

  007映画の定番は、プロローグにあります。オープニング、ボンドは必ず遂行不可能と思えるミッションを完遂する場面から始まります。そして、一仕事を終えたのちイギリス情報部、上司のMのもとを訪れます。そこでボンドは帽子をコートハンガーに投げ上げて、帽子はみごとにハンガーのトップへと収まります。その横には、Mの秘書であるミス、マニー・ペニーがボンドを待っていて、必ずボンドに嫉妬をまじえたひとことを投げかけます。

  今回の小説では、映画でプロローグにあたるエピソードが第一章で語られていきます。

  小説が描き出すジェームズ・ボンドの舞台は、何と冷戦まっただ中の1960年ころ。ボンドの敵は、当時のソビエト連邦の秘密組織であるスメルシュです。ボンドファンが喜びに震えるのは、なんと小説があの「ゴールドフィンガー」の後日談にあたっているからです。「ゴールドフィンガー」で、最後のどんでん返しを演出したのは、ゴールドフィンガーの部下である最強の下士官のごときプッシー・ガロアでした。

  ボンドは、命の恩人でもある金髪の美女プッシー・ガロアと一夜を共にしただけではなく、彼女をイギリスへと連れて帰り、一緒に住んでいたのです。一筋縄ではいかない女性を見ると口説き落とさずにはいられないボンドですが、なぜ。アメリカでは居場所のない彼女を救うべくイギリスに連れてきたのか。一風変わった展開に興味は尽きません。

007トリガー04.jpg

(ガロアを演じたオナー・ブラックマン)

  しかし、そこはボンド。イギリス紳士らしくガロアに気遣いながらも、すでに彼女と一緒にいることに後悔を感じ始めていました。そこにMからの呼び出しがあり、早くも次の事件が幕を開けることになるのです。今回、007に降りたミッションは、ソ連の秘密結社スメルシュに狙われたイギリス人を守ることでした。そのイギリス人は、世界一のF1レーサー。その場所は、ドイツ、ニュルブルクリンクの世界で最も過酷と言われるサーキットです。

  実は、ホロビッツ氏が発見したイアン・フレミングの草稿とは、007のテレビシリーズ用の草稿で、なんとボンドはそこでレーサーに身を投じることになるのです。この小説で描かれるボンドはその草稿通りにレーサーとして大活躍を演じるのです。

  小説の第一部、「空高く」は、こうして幕を開けることになります。レーサーとなるためにボンドにレースのすべてを教えるレーサーもほれぼれするような美女。さらにボンド好みの一流の腕を持つ利かん気の強いグラマラスな美人なのです。ハラハラとドキドキが次々に展開される粋なジェームズ・ボンドの活躍。007の魅力満載で小説は息もつかせず進んでいきます。

007対悪の対決】

  007と言えば、登場する悪役もそのスケールの大きさに唖然とさせられます。今回、ボンドを危機に陥れる悪役も半端ではありません。詳しくはぜひ小説で味わってほしいのですが、舞台となるのはアメリカとソ連が技術開発で先んじようと競い合う宇宙衛星の打ち上げです。今回の悪役の名前は、ジェイソン・シン。

  アメリカの大富豪ですが、驚くなかれ彼の本名は、シン・ジェソン。韓国からアメリカに渡ってきたシンは、アメリカで人材会社を立ち上げて大富豪に成り上がったのです。思い出すのは、「007 美しき獲物たち」で、敵となったゾ-リン産業を率いる大金持ちのマックス・ゾーリンです。彼は、アメリカの象徴であるシリコン・バレーをこの世から消し去れた目に空前絶後の第犯罪を計画するのですが、ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケンの冷静で酷薄な悪役には背筋がゾッとしました。

007トリガー05.jpg

(ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケン)

  今回登場するジェイソン・シンもゾーリンに勝るとも劣らない冷静で酷薄な名悪役です。

  第二部「地下深く」では、ボンドがまたまた知的な美女である謎の女ジェパディ・レーンとともに大活躍を演じます。もちろん、お約束の命の危機に何度も何度も遭遇し、からくも脱出、そしてタイムリミットが刻一刻と近づく中、ボンドは完全なる破滅を防ぐべくジェイソン・シンに挑んでいくのです。

  久しぶりの本格ボンド小説。皆さんもぜひお楽しみください。あの007の緊張とカタストロフが皆さんを襲うこと間違いましです。最後の一行まで、間を離せません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




人類の起源=宗教の起源?ですか

こんばんは。

  先日、いつもの本屋さん巡りをしているとき、おもわず表題にひかれた本がありました。その題名は、「人類の起源、宗教の誕生」です。

  ブログに訪れていただいている方はご存じですが、「人類の起源」にまつわる本をみると読まずにいられない性分です。それが考古学でも歴史学でも社会学でも解剖学でも化学でも、なぜ人類が生まれたのか、との謎ほどスリリングでワンダーな謎はありません。近年は、DNA研究によってアフリカで最初の人類が立ち上がり、その後、世界中へとグレートジャーニーによって広がっていったとの説が強く支持されているようですが、それだけが真実なのではありません。

  我々ホモ・サピエンスは唯一の人類でないことも事実のようです。

  猿から猿人、類人猿、人類への進化。そこからホモ・サピエンスまでの道のりは絶滅の歴史である、と言われています。定説では、700万年前に霊長類は、人とチンパンジーに分かれたといいます。そして、700万年の間に人は人として進化し、チンパンジーはチンパンジーとして進化したと考えられています。チンパンジーは、よく人と比較されていて同じ仲間なのになぜこんなに違うのか、と語られますが、700万年前の別れたときに比較するのならまだしも、700万年進化した後の生物を並べてみてもその比較自体がナンセンスと言われても仕方がありません。

jinruisyuukyo01.jpg

(有名チンパンジー「プリンちゃん」asahi.com)

  現在、考古学的研究ではホモ・サピエンスと同じ枝にいた人類は、少なくとも25種はいたと考えられています。ところが、我々、ホモ・サピエンスのみがこの地球上に生き残り、他の種族たちはことごとく絶滅してしまったというのです。我々と最も近い兄弟といわれるネアンデルタール人は、最も近年まで生きていた人類です。ホモ属がこの2種になったのは約5万年前、さらにネアンデルタール人が絶滅したのは、約4万年前といわれています。

  ネアンデルタール人は、我々よりも大きな脳を備えており、その大きさもホモ・サピエンスより大きく力もあったようです。なぜ、我々は生き残り、彼らは絶滅したのか。やっぱり、「人類の起源」は最もワンダーな話題なのです。

  さて、そんなことで今週は京都大学の総長である人類学者と同志社大学神学部の宗教学者による最新の対談本を読んでいました。

「人類の起源、宗教の誕生‐ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」

(山極寿一 小原克博著 平凡社新書 2019年)

【宗教は人間独自のものなのか】

  宗教とは何か。あまりにも広大な設問ですが、私にはまったく答えを見つけることができません。日本人の場合には、「鰯の頭も信心から」といわれるように八百万(やおよろず)の神をすべて神と崇めている多神教で、この世のものにはことごとく神様がいるわけですから、これを宗教と呼べば、ますます得たいが知れなくなります。ただ、どんな神であろうと、信じることが原点であり「ありがたや、ありがたや」との言葉そのものが宗教ではないか、とも思います。

  無節操な日本人に比べて、一神教は壮絶であり、残酷です。同じキリストを信じる宗教でも、カトリックとプロテスタントに分かれ、争いを起こして何年にもわたりあまたの人を殺してしまいます。キリスト教とイスラム教に至っては、十字軍やヨーロッパ侵略、インドのムガール帝国まで、まるで世界を奪い合うような長い歴史を持っています。どちらの神が正しいのか、が戦争に至る文化は日本人には永久に理解できないのかもしれません。

  ただ、宗教に政治が絡んでくると殺し合いが起きることはうなずけます。日本でも信長や秀吉ははじめのうち、異質で珍しい文化が交易として有効だとの考えからキリスト教を受容していましたが、キリスト教徒が為政者に逆らったとたん、キリスト教徒を弾圧し、鎖国にまで至ったのです。さらに、仏教の歴史としても信長は一向一揆を禁止し、盾突く一向宗を根こそぎ焼き殺すという暴挙までを起こしています。仏教は神を信じるわけではありませんが、自らが悟ることで極楽浄土が開けるとの信仰は、特異な位置づけにある宗教だと思います。

  さて、宗教の定義は不明ですが、ますは「信じる」ことが宗教の要件であることは間違いないようです。よくわからないのは、「信じる」とは苦悩から救われる、とか幸せが訪れる、とか願いが叶うとか、なにか現世的なものが伴うから信じるのではないのでしょうか。無償の祈りや信心というのは現代人にはわかりにくいものです。一神教の場合には、神はどうやら絶対のもののようで、そのことが現世のご利益とは関係のない「信心」を生み出すようです。

  ただ、「幸せになる」ことが現世の利益であるとすれば、すべての宗教はそこに行きつくことを目的にしているのかもしれません。

  この本を読もうと思った動機は、人類の起源への好奇心もさることながら、定義不明の宗教のことが少しは理解できるかもしれないとの思いもあったのです。

jinruisyuukyo02.jpg

(「人類と宗教対談」amazon.co.jpより)

  この本の目次を紐解いてみましょう。

1章 人類は「物語」を生み出した

2章 暴力はなぜ生まれたか

3章 暴走するAIの世界

4章 ゴリラに学べ!

5章 大学はジャングルだ

(補論)

◎人間、言葉、自然――我々はどこへ向かうのか  山極寿一

◎宗教が迎える新しい時代  小原克博

  大学の研究者の対談というと、堅い話を想像しますが、このお二人の対談は一味違って最新の知見に基づいた自由な語り合いが繰り広げられます。第1章は、題名そのままにホモ・サピエンスがなぜ唯一の人類として生き残ったのか。そこに宗教はあったのか、が語られます。

  皆さんは、渋谷の駅前に鎮座する忠犬ハチ公の物語をよくご存じだと思います。人が何者かを信じ、祭り、祈ることが宗教のはじまりとすれば、犬は何かを信じることがあるのでしょうか。ハチは、毎日夕方になると大学から帰宅するご主人、上野教授を待って渋谷駅に通っていました。ところが、ある日上野教授は大学での講義中に脳溢血で帰らぬ人となってしまいました。そのことを知らないハチは、毎日渋谷駅で上野教授の帰りを約10年に渡って待ち続けました。

  果たして、犬は何かを信じて渋谷駅で約10年もの間ご主人を待ち続けたのでしょうか。

jinruisyuukyo04.jpg

(東京大学のハチと上野教授 asahi.com)

  我々人類は、その昔長らく狩猟生活を続けていました。その中で、子供を育てるために相互に協力し、集団生活を始めたことが生き残りの大きな分岐点であったといわれています。集団は、洞窟を住処として生活していましたが、彼らは洞窟に素晴らしい壁画を残していました。先史時代の洞窟壁画は世界各地で発見されていますが、最も有名なものは2万年前に描かれたとされるラスコーの洞窟画です。その中には、みごとな写実画もあれば、デフォルメされた象徴画にみえる画もあるのです。

  象徴的な画は、そこにはアミニズムやシャーマニズムの匂いが漂います。アミニズムは、動物に霊魂を見出して祭るものであり、シャーマニズムは、巫女が霊的なものに祈り憑依することによって儀式を行い、祈りをささげるものです。宗教のはじまりを明確にすることは難しいようですが、お二人は少なくとも人類は狩猟時代には宗教的な意識を持っていたのではないか、と語ります。

【宗教のもたらすもの】

  ホモ・サピエンスが集団化していく過程で、宗教は共同体の倫理として形作られたと言います。最初は、集団の狩猟により移動生活していた我々も、農作物を育てる生活がはじまると、集団で定住するようになります。すると、共同体の人数は倍々ゲームで増えていくことになり、大集団を統率するための規範が必要となります。人が共同体をうまく統率できるのは、150人が限界だそうです。それを超える集団になると、何らかの規範が必要で、宗教はその1つになったのです。お二人は、それを「共同体のエシックス(倫理)」と語りますが、それは確かです。

  人が農耕牧畜により大集団で定住すると、そこには境界が生まれます。境界が生まれ、農作物による蓄財がはじまると、その富を狙って境界を越え強奪する行為が生まれます。狩猟時代、ホモ・サピエンスは槍や弓などの武器を使って狩猟を行っていましたが、武器を同じ人間に向けるようになったのは、農耕牧畜による定住以降のことだそうです。

  宗教が共同体のエシックスだとしても、そこに争いを戒める教えがあるにもかかわらず、なぜ宗教が戦争を引き起こすのでしょうか。対談では、明確な答えが用意されています。それは、宗教が政治や権力に使われたときに争いが起きるとの答えです。もともと宗教は、時の権力者の通年とは異なる教えを説いてきました。ところが、権力が宗教の力を利用しようとしたときに、そこには争いが勃発するのです。なるほど、宗教自体に戦いの要素があるのではなく、宗教が手段となったときに人は争うということです。なるほど納得です。

jinruisyuukyo03.jpg

(ベラスケス作「ブレダの開城」80年戦争より)

  この対談に面白い話がありました。それは、サルの話です。サルは、群れで生活しており、ボスが異なる群れ同志では、なわばりや食べ物を巡って争いが勃発する場合も多くあります。いがみあう2つの群れが争っていた時に、その間を年寄りのおばあさんザルが通過をしました。闘争中の群れは、おばあさんザルに手を出さないばかりか、おばあさんザルが通ると争いが止んだというのです。

  人間の場合でもいさかいの原因となった出来事について、年寄りは過去に同様の原因で争いが起きたことを経験しています。その年寄りが、経験に基づいて争いの仲介を行うと、当事者はそのことが過去に解決していたことを知り、争いが収まるというのです。含蓄のある話だと思っていたら、そのおばあさんザルは、喧嘩をしていたボスザル、両方の祖母だったのかも、とのオチで思わず笑ってしまいました。

  さて、人類学と宗教学の、汲めども尽きぬ対話は縦横無尽の広がりを見せて進んでいきます。人は、科学によって驚くべきスピードで進歩を重ねてきました。科学は、あらゆる現象の原理を明らかにし、すべてを見える化していきます。お二人の話題は、宗教が担っていた共同体のエシックス(倫理)は、科学の見える化と資本主義によるグローバル化によってその役割と意義を失いつつある、との方向に進んでいきます。

【人類と宗教はどこに行くのか】

  そして、お二人の話はAI社会となっていく我々の未来へと進んでいきます。

  対談の終盤でキーとなるのは、西田幾多郎の哲学、「善の研究」です。人間は、言葉を編み出した時からものごとを抽象化することを覚え、抽象化した言葉を語り伝えていくことであらゆる事象を共有化する術を身に付けて発展してきました。抽象化するとは、言い換えれば仮想化すること、つまりヴァーチャル化することです。

  科学の発展は、実証できない仮説を信じない世界を生み出しました。つまり、科学的に証明されないような事象を我々は不信感をもって見るようになります。人工知能は、我々が言葉で著わすものについて、それを膨大なデータとして蓄積し、分析することによって、これまで人間にはできなかったシミュレーションや未来予測を可能にしました。しかし、人工知能には我々が肉体で感じる意識を持つことはありません。そして、お二人の対談は、今、ホモ・サピエンスが直面している言葉による抽象概念の極大化というとてつもなく大きな危機へと進んでいくのです。

  この対談は、最後に「大学」という場が持つ可能性についての話に至り、読み物的に終了してしまうのですが、最後に用意されたお二人の論考が拡散された対談をもとの場所に引き戻してくれます。そして、そもそも命は何を求めてきたのか、との深遠な話に向かっていくのです。


  今年は、台風や豪雨のせいで日光の紅葉も元気がありません。被災した地域の皆さんも、まだまだ復興には程遠いと思います。世界じゅうのたくさんの人々はいつも被災している皆さんを応援しています。一日も早く生活が戻ることを心よりお祈りしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




人類の起源=宗教の起源?ですか

こんばんは。

  先日、いつもの本屋さん巡りをしているとき、おもわず表題にひかれた本がありました。その題名は、「人類の起源、宗教の誕生」です。

  ブログに訪れていただいている方はご存じですが、「人類の起源」にまつわる本をみると読まずにいられない性分です。それが考古学でも歴史学でも社会学でも解剖学でも化学でも、なぜ人類が生まれたのか、との謎ほどスリリングでワンダーな謎はありません。近年は、DNA研究によってアフリカで最初の人類が立ち上がり、その後、世界中へとグレートジャーニーによって広がっていったとの説が強く支持されているようですが、それだけが真実なのではありません。

  我々ホモ・サピエンスは唯一の人類でないことも事実のようです。

  猿から猿人、類人猿、人類への進化。そこからホモ・サピエンスまでの道のりは絶滅の歴史である、と言われています。定説では、700万年前に霊長類は、人とチンパンジーに分かれたといいます。そして、700万年の間に人は人として進化し、チンパンジーはチンパンジーとして進化したと考えられています。チンパンジーは、よく人と比較されていて同じ仲間なのになぜこんなに違うのか、と語られますが、700万年前の別れたときに比較するのならまだしも、700万年進化した後の生物を並べてみてもその比較自体がナンセンスと言われても仕方がありません。

jinruisyuukyo01.jpg

(有名チンパンジー「プリンちゃん」asahi.com)

  現在、考古学的研究ではホモ・サピエンスと同じ枝にいた人類は、少なくとも25種はいたと考えられています。ところが、我々、ホモ・サピエンスのみがこの地球上に生き残り、他の種族たちはことごとく絶滅してしまったというのです。我々と最も近い兄弟といわれるネアンデルタール人は、最も近年まで生きていた人類です。ホモ属がこの2種になったのは約5万年前、さらにネアンデルタール人が絶滅したのは、約4万年前といわれています。

  ネアンデルタール人は、我々よりも大きな脳を備えており、その大きさもホモ・サピエンスより大きく力もあったようです。なぜ、我々は生き残り、彼らは絶滅したのか。やっぱり、「人類の起源」は最もワンダーな話題なのです。

  さて、そんなことで今週は京都大学の総長である人類学者と同志社大学神学部の宗教学者による最新の対談本を読んでいました。

「人類の起源、宗教の誕生‐ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」

(山極寿一 小原克博著 平凡社新書 2019年)

【宗教は人間独自のものなのか】

  宗教とは何か。あまりにも広大な設問ですが、私にはまったく答えを見つけることができません。日本人の場合には、「鰯の頭も信心から」といわれるように八百万(やおよろず)の神をすべて神と崇めている多神教で、この世のものにはことごとく神様がいるわけですから、これを宗教と呼べば、ますます得たいが知れなくなります。ただ、どんな神であろうと、信じることが原点であり「ありがたや、ありがたや」との言葉そのものが宗教ではないか、とも思います。

  無節操な日本人に比べて、一神教は壮絶であり、残酷です。同じキリストを信じる宗教でも、カトリックとプロテスタントに分かれ、争いを起こして何年にもわたりあまたの人を殺してしまいます。キリスト教とイスラム教に至っては、十字軍やヨーロッパ侵略、インドのムガール帝国まで、まるで世界を奪い合うような長い歴史を持っています。どちらの神が正しいのか、が戦争に至る文化は日本人には永久に理解できないのかもしれません。

  ただ、宗教に政治が絡んでくると殺し合いが起きることはうなずけます。日本でも信長や秀吉ははじめのうち、異質で珍しい文化が交易として有効だとの考えからキリスト教を受容していましたが、キリスト教徒が為政者に逆らったとたん、キリスト教徒を弾圧し、鎖国にまで至ったのです。さらに、仏教の歴史としても信長は一向一揆を禁止し、盾突く一向宗を根こそぎ焼き殺すという暴挙までを起こしています。仏教は神を信じるわけではありませんが、自らが悟ることで極楽浄土が開けるとの信仰は、特異な位置づけにある宗教だと思います。

  さて、宗教の定義は不明ですが、ますは「信じる」ことが宗教の要件であることは間違いないようです。よくわからないのは、「信じる」とは苦悩から救われる、とか幸せが訪れる、とか願いが叶うとか、なにか現世的なものが伴うから信じるのではないのでしょうか。無償の祈りや信心というのは現代人にはわかりにくいものです。一神教の場合には、神はどうやら絶対のもののようで、そのことが現世のご利益とは関係のない「信心」を生み出すようです。

  ただ、「幸せになる」ことが現世の利益であるとすれば、すべての宗教はそこに行きつくことを目的にしているのかもしれません。

  この本を読もうと思った動機は、人類の起源への好奇心もさることながら、定義不明の宗教のことが少しは理解できるかもしれないとの思いもあったのです。

jinruisyuukyo02.jpg

(「人類と宗教対談」amazon.co.jpより)

  この本の目次を紐解いてみましょう。

1章 人類は「物語」を生み出した

2章 暴力はなぜ生まれたか

3章 暴走するAIの世界

4章 ゴリラに学べ!

5章 大学はジャングルだ

(補論)

◎人間、言葉、自然――我々はどこへ向かうのか  山極寿一

◎宗教が迎える新しい時代  小原克博

  大学の研究者の対談というと、堅い話を想像しますが、このお二人の対談は一味違って最新の知見に基づいた自由な語り合いが繰り広げられます。第1章は、題名そのままにホモ・サピエンスがなぜ唯一の人類として生き残ったのか。そこに宗教はあったのか、が語られます。

  皆さんは、渋谷の駅前に鎮座する忠犬ハチ公の物語をよくご存じだと思います。人が何者かを信じ、祭り、祈ることが宗教のはじまりとすれば、犬は何かを信じることがあるのでしょうか。ハチは、毎日夕方になると大学から帰宅するご主人、上野教授を待って渋谷駅に通っていました。ところが、ある日上野教授は大学での講義中に脳溢血で帰らぬ人となってしまいました。そのことを知らないハチは、毎日渋谷駅で上野教授の帰りを約10年に渡って待ち続けました。

  果たして、犬は何かを信じて渋谷駅で約10年もの間ご主人を待ち続けたのでしょうか。

jinruisyuukyo04.jpg

(東京大学のハチと上野教授 asahi.com)

  我々人類は、その昔長らく狩猟生活を続けていました。その中で、子供を育てるために相互に協力し、集団生活を始めたことが生き残りの大きな分岐点であったといわれています。集団は、洞窟を住処として生活していましたが、彼らは洞窟に素晴らしい壁画を残していました。先史時代の洞窟壁画は世界各地で発見されていますが、最も有名なものは2万年前に描かれたとされるラスコーの洞窟画です。その中には、みごとな写実画もあれば、デフォルメされた象徴画にみえる画もあるのです。

  象徴的な画は、そこにはアミニズムやシャーマニズムの匂いが漂います。アミニズムは、動物に霊魂を見出して祭るものであり、シャーマニズムは、巫女が霊的なものに祈り憑依することによって儀式を行い、祈りをささげるものです。宗教のはじまりを明確にすることは難しいようですが、お二人は少なくとも人類は狩猟時代には宗教的な意識を持っていたのではないか、と語ります。

【宗教のもたらすもの】

  ホモ・サピエンスが集団化していく過程で、宗教は共同体の倫理として形作られたと言います。最初は、集団の狩猟により移動生活していた我々も、農作物を育てる生活がはじまると、集団で定住するようになります。すると、共同体の人数は倍々ゲームで増えていくことになり、大集団を統率するための規範が必要となります。人が共同体をうまく統率できるのは、150人が限界だそうです。それを超える集団になると、何らかの規範が必要で、宗教はその1つになったのです。お二人は、それを「共同体のエシックス(倫理)」と語りますが、それは確かです。

  人が農耕牧畜により大集団で定住すると、そこには境界が生まれます。境界が生まれ、農作物による蓄財がはじまると、その富を狙って境界を越え強奪する行為が生まれます。狩猟時代、ホモ・サピエンスは槍や弓などの武器を使って狩猟を行っていましたが、武器を同じ人間に向けるようになったのは、農耕牧畜による定住以降のことだそうです。

  宗教が共同体のエシックスだとしても、そこに争いを戒める教えがあるにもかかわらず、なぜ宗教が戦争を引き起こすのでしょうか。対談では、明確な答えが用意されています。それは、宗教が政治や権力に使われたときに争いが起きるとの答えです。もともと宗教は、時の権力者の通年とは異なる教えを説いてきました。ところが、権力が宗教の力を利用しようとしたときに、そこには争いが勃発するのです。なるほど、宗教自体に戦いの要素があるのではなく、宗教が手段となったときに人は争うということです。なるほど納得です。

jinruisyuukyo03.jpg

(ベラスケス作「ブレダの開城」80年戦争より)

  この対談に面白い話がありました。それは、サルの話です。サルは、群れで生活しており、ボスが異なる群れ同志では、なわばりや食べ物を巡って争いが勃発する場合も多くあります。いがみあう2つの群れが争っていた時に、その間を年寄りのおばあさんザルが通過をしました。闘争中の群れは、おばあさんザルに手を出さないばかりか、おばあさんザルが通ると争いが止んだというのです。

  人間の場合でもいさかいの原因となった出来事について、年寄りは過去に同様の原因で争いが起きたことを経験しています。その年寄りが、経験に基づいて争いの仲介を行うと、当事者はそのことが過去に解決していたことを知り、争いが収まるというのです。含蓄のある話だと思っていたら、そのおばあさんザルは、喧嘩をしていたボスザル、両方の祖母だったのかも、とのオチで思わず笑ってしまいました。

  さて、人類学と宗教学の、汲めども尽きぬ対話は縦横無尽の広がりを見せて進んでいきます。人は、科学によって驚くべきスピードで進歩を重ねてきました。科学は、あらゆる現象の原理を明らかにし、すべてを見える化していきます。お二人の話題は、宗教が担っていた共同体のエシックス(倫理)は、科学の見える化と資本主義によるグローバル化によってその役割と意義を失いつつある、との方向に進んでいきます。

【人類と宗教はどこに行くのか】

  そして、お二人の話はAI社会となっていく我々の未来へと進んでいきます。

  対談の終盤でキーとなるのは、西田幾多郎の哲学、「善の研究」です。人間は、言葉を編み出した時からものごとを抽象化することを覚え、抽象化した言葉を語り伝えていくことであらゆる事象を共有化する術を身に付けて発展してきました。抽象化するとは、言い換えれば仮想化すること、つまりヴァーチャル化することです。

  科学の発展は、実証できない仮説を信じない世界を生み出しました。つまり、科学的に証明されないような事象を我々は不信感をもって見るようになります。人工知能は、我々が言葉で著わすものについて、それを膨大なデータとして蓄積し、分析することによって、これまで人間にはできなかったシミュレーションや未来予測を可能にしました。しかし、人工知能には我々が肉体で感じる意識を持つことはありません。そして、お二人の対談は、今、ホモ・サピエンスが直面している言葉による抽象概念の極大化というとてつもなく大きな危機へと進んでいくのです。

  この対談は、最後に「大学」という場が持つ可能性についての話に至り、読み物的に終了してしまうのですが、最後に用意されたお二人の論考が拡散された対談をもとの場所に引き戻してくれます。そして、そもそも命は何を求めてきたのか、との深遠な話に向かっていくのです。


  今年は、台風や豪雨のせいで日光の紅葉も元気がありません。被災した地域の皆さんも、まだまだ復興には程遠いと思います。世界樹のたくさんの人々はいつも被災している皆さんを応援しています。一日も早く生活が戻ることを心よりお祈りしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




宮城谷昌光 呉越宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに冠水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

goetu802.jpg

(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

goetu801.jpg

(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

goetu803.jpg

(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越の闘いの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、呉王の不在を守る闔閭の弟、夫概に呉王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との闘いはここからが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はその戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

goetu804.jpg

(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも小説の中で丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




宮城谷昌光 呉越の宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに寒水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

goetu802.jpg

(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

goetu801.jpg

(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

goetu803.jpg

(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越のたたきの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、王の不在を守る闔閭の弟、夫概にご王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との戦いはここが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はせおの戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

goetu804.jpg

(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも第八巻では丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

nagashimag01.jpg

(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

nagashimag02.jpg

(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

nagashimag03.jpg

(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

nagashimag04.jpg

(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

nagashimag05.jpg

(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベンチでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、との嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりが醸成されるのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

nagashimag01.jpg

(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

nagashimag02.jpg

(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

nagashimag03.jpg

(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

nagashimag04.jpg

(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

nagashimag05.jpg

(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベントでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、の嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりを醸成していくのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



日本古代史は塗り変わるのか?

こんばんは。

  我々日本人のメンタリティはいったいどこに源流があるのでしょうか。

  先週は悲喜こもごもの1週間でした。リチュウム電池の開発に不可欠な研究を行った吉野彰氏のノーベル化学賞受賞に感動したのもつかの間、日本のはるか南に発生した台風19号が海水温の高さから勢力を拡大し、60年ぶりの凶暴な台風として日本を襲ったのです。関東、東北では37河川、51か所で堤防が決壊し、たくさんの尊い命が失われました。改めて、ご冥福をお祈りいたします。

  まだ天気は不安定で、被災した多くの方々も安心できる状態ではなく、被災したすべての皆さんにお見舞い申し上げます。我々もいつも心を寄せています。皆さん、くれぐれもご自愛ください。

  そうした中、横浜ではラグビーワールドカップ1次予選最終戦となる日本対スコットランド戦が開催されました。試合開始に当たっては今回の台風で亡くなった人々への黙とうがささげられ、日本代表は今回の被災地の人々への想いを胸に戦かったのです。日本代表は、前回大会で敗れたスコットランドにみごと雪辱を果たし、2821で勝利してベスト8を勝ち取ったのです。FWの重さと強さ、オフロードパスのスピード、チームとしての一体感、どれをとっても日本の強さが本物であることが実証されました。

kodaik02.jpg

(オフロードパス 稲垣選手のトライ asahi.com)

  ところで、今回のワールドカップのおかげで、我々日本の持つ様々な文化が世界中に発信されています。

  9月21日(土)、ニュージーランド対南アフリカ戦で勝利を収めたニュージーランド代表の「オールブラックス」が、観客への熱烈な応援に対する感謝の表現として全員で「おじぎ」したことがことの発端でした。その後、各代表チームが次々とお辞儀を繰り広げ、今回のワールドカップは「お辞儀大会」と呼ばれているそうです。海外では、握手が文化となっていますが、握手は自分が武器を持っていないという表明にもなっているそうです。握手は、近づいて手を合わせなければ成立しませんが、「お辞儀」はどんなに離れていても交わすことが可能な礼儀です。「お辞儀」が日本の文化として世界に認識されることは、とてもうれしいことです。

  また、今回のワールドカップでは、選手のロッカールームが試合後みなきれいに整っている、と言われています。以前、なでしこジャパンがサッカーのワールドカップでどのスタジアムでも試合後のロッカールームが美しいことで話題となりました。ラグビーの選手は紳士的と言われますが、日本に来た時には日本の清潔な文化を見習おうとしているのかもしれません。サポーターが試合終了後、スタジアムの観覧席を清掃して帰る文化と同じく、日本の礼儀は世界で称賛を浴びているようです。

  日本を訪れる外国人は、日本の安全を得難い文化として驚いているといいます。

  以前、大阪の部門が社長賞を受賞し、役職員に対する表彰状を3本筒に入れて東京から大阪に運ばなければなりませんでした。その日はあいにくの大雪で、自宅から歩いて駅に着くまでに雪ですっかり濡れてしまいました。悪いことは重なるもので、東京駅までの電車は大雪で遅れが出たために立錐の余地がないほどの超満員だったのです。不用意にも表彰状の筒を紙袋に入れて持っていたことが事件のきっかけでした。両手に荷物をもって満員電車で右に揺られ、左に揺られ。さらに途中の駅では降りる人を優先して、一度駅に降りてから再び乗り込みます。何駅目までかは、表彰状を気にして、荷物の無事を確認していました。

  そして、超満員電車は、東京駅へと到着します。降車する大勢の人ともに電車から駅に出てほっとして階段へと向かいます。ふと気が付くと右手に下げた紙袋が妙に軽いのです。手元見ると、紙袋は確かに手に持っています。ところが紙袋は濡れて底が抜けており、手に残っているのは紙袋の残骸だけだったのです。そこにあったはずの表彰状の筒は影も形もありませんでした。おそらく、満員電車の中か、どこかの駅で一度降りたときに落としたか、いずれにしてもショックでした。

  筒に入っているとはいえ、あの超満員電車ですから何人もの人に踏まれて表彰状は原形をとどめていないに違いありません。ショックに打ちひしがれました。しかし、3日ほどたったころ、会社にJRから電話がかかってきたのです。相手先は遺失物の保管係でした。表彰状が3本届いているが、落とし主はだれかとの問い合わせだったのです。係員の方は、表彰状に書かれた社名と職員名を見て、わざわざ連絡先を調べて連絡してくれたのです。

  そのときほど日本人に生まれてよかったと思ったことはありませんでした。

  日本を訪れる外国人が一様に驚くのは、忘れ物が手元に戻ってくることだそうです。皆さんにも経験があるかもしれませんが、定期券パス、携帯電話、文庫本などなど、ホテルや飲食店での忘れ物や落とし物は、届け出さえしていれば相当の確率で手元に戻ります。時にはお財布までも中身までが無事に戻ってくるほどです。昔から日本では、水と安全はただ、と言われてきましたが、これも日本人であるが故の素晴らしい文化とメンタリティなのだと思います。

  日本の古代にロマンを感じるのは、こうしたメンタリティを持った日本の国がどのようにして出来上がってきたのか、そのはるかなプロセスを知りたいと思うからなのかもしれません。こんなことを想いながら今週は日本の古代史を語る本を読んでいました。

「古代史講義【戦乱編】」

(佐藤信編 ちくま新書 2019年)

kodaik01.jpg

(ちくま新書 古代史講義シリーズ amazon.co.jp)

【歴史の教科書は正しくない?】

  最近、本屋さんの棚にちくま新書の歴史講義シリーズをみかけるようになりました。昨年は、古代史講義と昭和史講義が上梓され、漠然と興味をひかれていましたが、先日新刊が発売されたのを発見しました。今回は「戦乱編」とのこと。ふと中身を見れば、15の講義が並んでいます。思わず引き込まれたのは、見慣れない戦乱の名称が並んでいる点と、著者が15人いることでした。つまり、それぞれの戦いについて別々の研究者が新たな視点で古代の戦乱を語っているということです。もともと日本の古代史好きとしては興味があるところを「戦乱」と限定されるとますます興味をそそられます。思わず購入してしまいました。

  最初からその目次をたどると、第1章は「磐井の乱」、第2章は「蘇我・物部戦争」、第3章は「乙巳の変」と続きます。572年に起きたとされる「磐井の乱」も大和朝廷が中央集権化される以前の戦いであり、巻頭から興味深い題材が取り上げられています。神様系の催事を取り仕切った物部氏が仏教を推進していた蘇我氏に敗れ、物部守屋が殺された事件は、丁未の乱と呼ばれますが、この章の著者はあえて「蘇我・物部戦争」と語ります。

  皆さんは、「乙巳の変」と言われてピンときますか。

  私は何のことやら全くわかりませんでした。そんな戦いは日本史で習った記憶がありません。この題名を見たときに、「これ以上立ち読みするよりも、買って読んだ方が落ち着くなあ。」と感じたのが、この本を「今月の1冊」に入れた動機です。この変の読み方は、「いっしのへん」または「いつしのへん」だそうです。読むこともかなわない戦乱です。

  これが日本で最も有名な戦いであったのは驚きでした。実は、この変は「大化の改新」として習った政変のことだったのです。645年。皇極天皇の治世。聖徳太子亡き後権力の中枢を担っていた蘇我氏は、自らの一族内の古人大兄皇子を跡継ぎにしようと聖徳太子の息子である山背大兄皇子を殺害し、その血を絶やしてしまいます。その横暴と権力を恐れた中大兄皇子は、反蘇我氏である中臣鎌足(のちの藤原鎌足)などと共謀し、蘇我入鹿の暗殺を企てます。時は朝鮮からの使者が来日し、その儀式が執り行われる当日でした。

  皇極天皇の御前には、剣を身に付けていない蘇我入鹿が座しています。入鹿の暗殺の合図は、石川麻呂が天皇への上表文を読み上げたときでしたが、剣をもって入鹿を惨殺すべき佐伯子麻呂は事の恐ろしさに身が縮んでしまい、現れません。さらには、上表文を読む石川麻呂もあまりの緊張に汗が出て声が震えてしまいます。不審に感じた入鹿が、どうしたのかと尋ねます。「大王の前で緊張しているのです。」と答えたその刹那、槍をもって潜んでいた中大兄皇子が飛び出ました。同時に小麻呂も飛び出し入鹿を切りつけ殺害します。

kodaik03.jpg

(蘇我入鹿斬殺 乙巳の変 wikipediaより)

  切りつけられた入鹿は皇極天皇のもとに逃れながら「私に何の罪があるか。お裁きください。」と訴えたといいます。中大兄皇子が天皇に向かって「入鹿は後続を滅ぼして、皇位を奪おうとしたのです。」と告げると、天皇は立ち上がり、部屋を出ていったと伝えられています。

  その後、中大兄皇子は暗殺された入鹿の父親である蘇我蝦夷を急襲し、自宅を包囲すると蘇我蝦夷は自刃し、蘇我一族は滅亡しました。

  「大化の改新」とは、この暗殺事件ののちに中大兄皇子は天皇を中心とした中央集権制度を確立するために様々な施策を実行し、改新の詔を発布するなどの一連の改革のことを指していたのです。この「大化の改新」のスタートとなった事件が、すなわち「乙巳の変」だったのです。

  この本は各章を気鋭の研究者が担当し記述しているところに特色があります。「乙巳の変」の執筆は成蹊大学の教授である有富純一さんです。これまでこの事件は、皇太子擁立を巡る蘇我氏と藤原氏の権力争いとして描かれてきましたが、今回は日本から離れて国際的時代背景の中に位置づけられます。当時の日本は、朝鮮半島と強いつながりがありました。

  かの有名な白村江の戦いが行われたのは663年。この事件が起きたのは、その18年前。そもそもこの事件の舞台となった朝鮮半島からの使者も三韓の使者だったのです。三韓とは、当時、朝鮮半島を治めていた新羅・百済・高句麗の三国を指しています。白村江の戦いは、新羅が百済との戦いにおいて唐に支援を頼み、百済からの救援要請を受けた日本が援軍を送った戦いです。

  当時の朝鮮半島では、百済でも新羅でもクーデターが起きており、日本の権力争いもそうした朝鮮半島の不安定な争いが大きな影響をもたらしており、当時の日本はそれだけ朝鮮半島との絆が太かったといえます。特に古人大兄皇子を跡継ぎとするために画策していた蘇我氏は、新羅型の統治を目指しており、敵対していた中大兄皇子は高句麗型の統治体制を目標としていたというのです。この本の面白さは、こうした最新の支店をふんだんに取り入れた解説が次々と展開されるところにあります。

【塗り変わっていく古代の歴史】

  「大化の改新」のみならず、この本ではこれまでの日本史の常識に次々と疑問が投げかけられます。587年、蘇我馬子が物部守屋率いる物部氏を滅ぼした戦い。我々の世代はこの戦いを仏教を広めようとした蘇我氏が神道を司る物部氏を滅ぼした宗教戦争だと習いましたが、事実は全く異なっていたようです。また、810年。兄太上天皇と弟嵯峨天皇が皇位を争った政争。平城太上天皇が平城京に遷都した嵯峨天皇と争いになった有名な変ですが、これは「薬子の変」と学校で習いました。それは、太上天皇の寵愛を受けた藤原薬子が太上天皇をそそのかしたためにそう呼ばれているわけですが、今は「平城太上天皇の変」と呼ばれていると言います。

  その理由はぜひこの「古代史講義」で確かめて下さい。さらに大河ドラマにもなった平将門の変と、同時に起きた藤原純友の変。この変は、彼らの政権への反乱が931年から937年の承平年間に始まり、次の天慶年間まで続いたことから承平天慶の乱と呼ばれています。ところが、実は単なる天慶の乱だというのです。思わずその記述に没入してしまいました。すると、驚いたことに明治時代にこの乱は天慶の乱と呼ばれていたのです。驚きでした。

kodaik04.jpg

(平将門を描く大河ドラマ amazon.co.jp)

  この古代史戦乱の中で個人的に最も面白かったのは、平安京政権対東北蝦夷の闘いです。このブログでもご紹介していますが、私は高橋克彦氏の東北古代歴史小説の大ファンだからです。その3部作は、大河ドラマにもなった「炎立つ」、蝦夷の英雄アテルイの半生を描いた「火怨」、豊臣秀吉に盾突いた東北の武将を描いた「天を衝く」。さらにその前史となる「風の陣」を加えれば4部作となります。

  この本には、まさにアテルイの時代となる対蝦夷(えみし)38年戦争、そして奥州藤原3代の礎となった前九年合戦・後三年合戦が解説されています。小説の基礎となった歴史的事実。改めて高橋克彦氏が描いた小説世界が思い出されて感慨がひとしおでした。

  日本の古代史に興味のある皆さん。ぜひこの本を紐解いてください。学校の日本史で習った歴史が塗り変わること間違いなしです。

  改めて、台風19号で被災した方々。本当にお大事にお過ごしください。心からお見舞いとそして応援を申し上げます。

  それでは皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



濱嘉之 黒田情報官 北との闘い

こんばんは。

  2010年に登場した警視庁を舞台にした情報官の活躍を描く濱嘉之氏の「警視庁情報官」シリーズも7冊目を数えました。前作で、警視正に昇進し情報分析室の室長となった黒田純一。その新作が2年ぶりに登場しました。これまでのファンとしては「買わないという選択はないやろう。」とのCMどおり、見つけたその日に手に入れました。

「警視庁情報官 ノースブリザード」

(濱嘉之著 講談社文庫 2019年)

northb01.jpg

(「警視庁情報官 ノースブリザード」amazon.com)

  前回のブログ(2017年)で、主人公の黒田純一がマネジメント職となり、この先、小説としての語り方が変わるのでは、とご紹介しました。その通り、黒田情報室長は、部下200人のうちキャリア職の警部補6名を手足のように使い、彼らを、次世代を担うインテリジェンスオフィサーとして育てていきます。一方で、自らは、これまで培ってきた人脈をフルに活用して、日本を取り巻く東アジアの情勢を諜報していきます。

  今回の作品は、スリリングなエンタメ小説を期待する読者にとっては、チョット退屈な小説かもしれません。

【習中華人民共和国の台頭】

  インテリジェンスといえば、今、香港では「自由」を守ろうとする住民たちが中国を強く意識する政府に対して、毎週のように大規模なデモを行っています。ことの発端は、現香港政府が逮捕した犯罪者を本国に引き渡す条例を施行しようとしたことでした。

  香港がイギリスから中国に返還されたのは、199771日のことです。返還のもととなったのは、1984年の英中共同宣言でした。共同宣言では、1)外交、安全保障を除いて大幅な自治権を認める。2)資本主義制度と生活様式も50年間変えない、という「一国二制度」が合意されました。その宣言に基づいて、1990年には、香港特別行政区の憲法ともいえる香港基本法が中国の全国人民代表大会で採択されました。

  この年の前年に中国では悪名高き天安門事件が発生しています。香港基本法の採択は、天安門事件を契機に香港からの移民希望者が急増したことや国際社会からの非難を踏まえてのものとも考えられます。返還までの間、中国政府と香港行政庁(長官はイギリスから派遣)間では返還後の自治権により二制度をどのように維持するかで協議が続けられました。そんな中1991年には、香港立法評議会(国会)の選挙が実施され、結果は民主派勢力の圧倒的な勝利となります。

  この結果に警戒感を強めた中国は、1995年、150人からなる香港返還準備委員会を発足させ、民主化派が多くを占める香港立法評議会に変わる臨時立法会の設置と400名からなる推薦委員会の設置を定めました。ちなみに英中共同宣言では、「香港の最高責任者である香港特別行政区長官は、選挙または協議によって選出され、中央人民政府が任命する」とされています。

  香港返還20周年を機に長官に選出された林鄭氏。香港特別行政区の長官は、定数1200人からなる選挙委員会によって選出されますが、この選挙委員会はそのメンバーの3/4が新中国派で占められており、今回の選挙でも林鄭氏は、新中国派から777票を獲得して長官となりました。この選挙でリベラル派の曽氏が獲得した票は365票です。ちなみに世論調査では、曽氏の支持率は56%、林鄭氏の支持率は30%でした。

northb02.jpg

(1997年の香港返還式典 news.line.me)

  犯罪者引渡条例に反対する市民デモは、日に日にその参加者が増大。数万人規模のデモは、6月には200万人にまで拡大しました。中国は、人民解放軍を隣の杭州市に配置し、訓練を行うなど香港市民への圧力を強めていますが、今のところ香港行政府によるデモの鎮静化を第一義としています。デモの拡大と混乱(空港の占拠など)に苦慮した林鄭氏は政府として犯人引渡条例の撤廃を表明しましたが、時すでに遅く、デモの要求は民主化に向けてさらにエスカレートしています。

  先日、ついに香港自治政府の警察官がデモ参加の若者に対して拳銃を発砲し重傷を負わせました。さらに昨日は続いて私服警官がデモ隊に発砲し市民にけがを負わせたのです。デモ市民の一部が暴徒化し、最初の銃撃も警官が鉄パイプを持った若者に襲われたことから身を守るために発砲した正当防衛である、と香港政府は発表しています。しかし、拳銃を使った銃撃は明らかに弱者への脅迫であり、殺人未遂です。拳銃が素手の暴力に対する正当防衛であるはずはありません。

northb03.jpg

(若者に発砲する警察官 sankei.com)

  中国は、自らが自国内と宣言している地域が香港以外にもあります。それは、中華民国と呼ばれている台湾です。呼ばれているというのは、台湾は、アメリカが現在の中国と国交を樹立し、1971年公式に国連を脱退したことから、国際社会では「中国」と認識されなくなったことを指しています。台湾は、現在、15か国との間で国交を保っていますが、日本もアメリカに倣いすでに国交は断絶しています。

  台湾は当然ながら中国からは独立していると主張していますが、中華人民共和国である中国は、台湾を自国の一地域と考えています。問題は、台湾がそれを受け入れるか否かです。以前、中国の経済力が弱かったころに、台湾は中国の数倍の経済力を有していました。ところが、鄧小平氏の政策により経済特区が設定されるや中国は驚くほどの経済成長を実現し、アッという間に世界第2位の経済大国となったのです。

  台湾にとって、よりどころであった経済的優位を失ったとき、中国は本物の脅威として目前に立ちはだかることとなったのです。民主主義、資本主義を根本とする台湾。50年間の資本主義制度を保証された香港。香港で自由が保障されるか否か、は台湾に直結する問題となったのです。中国がこの二つの地域をどのように自らの中に取り込んでいくのか。戦争を仕掛けるわけにはいかない同胞に対して、中国はどのような姿勢で臨むのか。民主主義、自由主義を標榜する自由な国、日本にとって中国のメンタリティと方針は、もっともインテリジェンスセンスが問われる問題なのです。

【日本のインテリジェンス】

  さて、現在の日本にとって東アジアでの課題は、朝鮮半島と中国との距離です。

  朝鮮半島では、今、日本は北朝鮮も韓国も敵に回した状況となっています。良い悪いの問題はおいておくとして、徴用工問題に端を発した日韓の問題は今や泥沼といってもよい状態に陥っています。政府同士が不仲でも民間同士で交流が途切れなければまだ救いがあります。韓国では、日本製品の不買運動が蔓延し日本製品を買うには相当な勇気が必要なようです。人気が高い日本製ビールの輸出量は、対前年比で97%減と壊滅的です。さらに日本への韓国旅行者の数も7月には7.6%減少しています。

  北朝鮮との間には日本人拉致問題が横たわっており、この問題で解を見つけられないがぎり、日本は北朝鮮と関係を持つことはできません。北朝鮮は、今や核実験を何度も行い、単距離長距離ロケットの発射も行った結果、核兵器を使用する能力を獲得したと思われます。北朝鮮と韓国の間は、現在休戦中であり、朝鮮戦争はいまだに続いている状態は解決されていません。韓国の文政権はさかんに南北統一を口にしていますが、北朝鮮にしてみれば絵にかいた餅ほどの実現性も感じていないというのが現実ではないでしょうか。

  核兵器を開発した時点で、北朝鮮は対話の相手をアメリカに絞りました。アメリカとの対話のためにピョンチャンオリンピックと韓国を利用して、みごと仲介者として味方にすることに成功し、今や韓国を全く無視して、アメリカと3度の首脳会談を行うことに成功しています。その北朝鮮のバックにいるのは、今や世界に2国となった共産主義国の中国です。北朝鮮は、一時期、親中国派の高官を粛正するなど独裁化段階で中国の不興を買いましたが、アメリカとの交渉の過程で中国側の顔を大いに立てて、その関係を修復しました。

  現在、中国はその数千年の知恵から、敵対するアメリカの同盟国である日本を自らの陣営に近づけようと親日外交を繰り広げていますが、経済的利益の連帯以外で日本とは相いれるものではありません。その意味で、日本の外交は、常にアメリカの掌の中にあるといっても過言ではありません。では、日本はアメリカと同じ穴の中にいれば安泰なのでしょうか。

  そんなわけはありません。

  よく言われることですが、トランプ大統領は北朝鮮のロケットがアメリカ本土に届かなければ、単距離ミサイルが何度打ち上げられようが痛くもかゆくもないといえます。しかし、日本は単距離ミサイルであっても本土を攻撃される距離に存在しているのです。しかも、韓国はこともあろうに日本との防衛協定であるGSOMIAの継続を拒絶しました。日本は、原発施設を攻撃されれば壊滅的被害を受けます。(もちろん、人為的に選挙される恐れもありますが・・・)

northb04.jpg

(大統領府のGSOMIA破棄発表 tokyo.np.co.jp)

  中国や朝鮮半島は、地政学的に日本とつながっています。そうした意味で、日本は国を守るためのインテリジェンスを磨いていく必要があるのです。

  日本は、戦後、民主主義を標榜する国へと転換しました。その転換は同時に権力による国民への監視を弱める変化をもたらします。国民への監視を弱めることは、イコール外国人への監視を弱めることにもつながります。平成に日本では一度も武力を使った紛争、戦争が起こりませんでした。しかし、日本は本当に安全なのでしょうか。そこでは、大震災が起き、地下鉄サリン事件が起き、国民の危機が発生しています。

  そうした危機が、人為的に起こされる危険はないのか。日本が平和利用を目的として開発した技術が盗まれて軍事転用されるリスクはないのか。世界中が日本の原子力技術やロケット技術、はたまたAI技術、遺伝子技術をのどから手が出るほど欲しがっているのです。

  日本は、冷戦のさなかからスパイ天国と揶揄されます。現在のテロリストたちが徘徊する世界を認識したとき、日本に接待に必要なのはカウンターインテリジェンスをになう情報機関です。今回の本は、改めて私たちのその危機感を思い起こさせてくれます。

【ノースブリザードとは?】

  今回の小説を小説と呼ぶかどうか、議論が分かれるところかと思います。というのも、第3章くらいまで、小説にはほとんど展開がないからです。黒田情報官は室長と言う立場もあって、今回は北海道やアメリカに諜報のために出張します。そこで、ロシアのエージェントやイスラエルのエージェントに北朝鮮情勢をヒアリングします。そこで交わされる会話は、現在の東アジア情勢の最前線に他なりません。

  そこでは、ほとんど見立てと諜報へのうんちくが延々と語られます。私のようなインテリジェンスオタクには思わずのめりこむような話なのですが、面白い小説ファンにとっては何の展開もなく、まったくワクワクしない語りだと思います。

  しかし、第4章から物語は動き始めます。北朝鮮の諜報員が日本に潜入していることが黒田情報官の活躍で判明します。ここからの展開は、これまでのシリーズをほうふつとさせる展開が待っています。やはりこのシリーズは、日本のインテリジェンス小説としては秀逸なのではないでしょうか。インテリジェンスに対するうんちくに興味のある方は手に取ってみることをお勧めします。

  スパイ小説に意外性や意外な展開を求める方には、第3作目あたりがおすすめです。


  ところで、またまたラグビーワールドカップの話です。サモア戦、迫力満点でしたね。この勝利を見ると日本の強さが本物であることがよくわかります。フィジカルが強く、ペナルティねらいのサモアに対して、日本は本当に冷静かつ力強い戦いを繰り広げました。後半13分頃まで、26対19。日本とサモアの点差は7点差。ワントライで同点です。それでも日本は4トライによる勝ち点1までも狙っていたのです。最後の連続スクラムからの松島選手のトライには、体が震えるほど感動しました。

northb05.jpg

(松島選手のラストトライ asahi.com)

  「ONE TEAM」の合言葉通りの闘いに熱烈喝采です。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。