美術展 松方コレクションの絢爛と光芒

こんばんは。

  日本に近代西洋美術の美術館を設立したい。

  日本には油絵を描いている若者がたくさんいる。彼らに本物の西洋美術を見ることができるようにしてやりたい。あの松方正義の次男、松方幸次郎がこうした志を持ったのは、1914年に勃発した第一次世界大戦の最中でした。当時、川崎造船所の社長であった松方は、軍艦需要の拡大に乗って軍艦受注によって莫大な財を築き、その資金をもってヨーロッパで名画と呼ばれる絵画を大量に購入したのです。

  1916年にロンドンに渡った松方は、画家のフランク・プラングィンと意気投合し、ヨーロッパでの絵画収集に熱意を注ぎ、そのコレクションを麻布に建設する「共楽美術館」で展示するとの構想を企画したのです。その後、1927年までに松方は、8000点の浮世絵のコレクションの購入も含めて、約10000点の絵画を購入したといわれています。1921年にジヴェルニーに住んでいたモネのもとを訪れて意気投合し、誰にも譲らなかった「睡蓮」を手に入れたエピソードは世に知られています。

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(プラングィン画「松方幸次郎」 美術館所蔵品目録より)

  現在、国立西洋美術館で開催されている「松方コレクション展」では、このときに収集された絵画のうち代表的な絵画や彫刻が、150点以上にわたり展示されています。

  しかし、展示会でも紹介されている通り、松方コレクションは1927年の昭和恐慌のあおりを受けて悲惨な運命に翻弄されました。ワシントン条約による軍縮などによる造船不況、さらに世界恐慌による不況からその年、川崎造船所は倒産します。そして、日本にあった松方コレクションの西洋美術品は債務整理のために売り立てにかけられました。このときに、1000点に及ぶ作品が散逸したといわれています。

  そして、さらなる悲劇がコレクションを襲います。戦時中、日本では海外からの輸送貨物に同じ価値の関税をかける「10割関税」が適用されており、松方コレクションはロンドンとパリにも保管されていました。ロンドンには、約900点の作品が保管されていましたが、1939年に火災により焼失してしまいます。パリに保管されていた400点の作品は、当時ロダン美術館に寄託されていましたが、ナチス・ドイツの侵攻による没収を恐れた日置釘三郎が自宅のある郊外のアボンダンに疎開させました。

  疎開のおかげによりコレクションはナチス・ドイツによる略奪は免れたものの、ドイツの同盟国であった敵国資産として、フランス政府により没収されてしまったのです。戦後、日本政府は絵画の返還交渉を開始します。1951年サンフランシスコ講和が締結された際、首相であった吉田茂はフランスと返還を要求し、コレクションは返還されることとなります。フランス政府は、これらの絵画のうち重要なものはフランスに留め置き、残りを日本に「寄贈」すると語っており、その認識は擦りあいませんでした。フランスは、日本にコレクションを「寄贈返還」するにあたり、コレクションを展示する美術館を建造しそこに保管することを条件としたことから、1959年、国立西洋美術館が建造されて作品は無事に日本に帰ってきたのです。

  先日、連れ合いと一緒に念願の「松方コレクション展」に足を運びました。

【美術展はモネの「睡蓮」から】

  今回の美術展の特徴は、松方幸次郎が傑作絵画を収集したそのプロセスごとに絵画や彫像が展示されている点にあります。そして、そのプロローグは、最も有名なモネとの邂逅と彼が夢見た「共楽美術館」の構想からはじまります。はじめに目に飛び込んでくるのは、モネの「睡蓮」です。この連作はモネが生涯描き続けたモチーフですが、1916年のこの作品は湖畔を描きこんだ藍のような淡い青を基盤として、そこに可憐な睡蓮の花が点描され、様々な色の光が乱舞しています。モネの晩年の光への印象がよみがえるようで、松方の美術への思いがしのばれます。

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(モネ画「睡蓮」収蔵品目録より)

  さらに進むと、コレクションのきっかけとなった画家フランク・プラングィンが描いた松方幸次郎の瀟洒な肖像画が展示されています。松方は、とてもリラックスした表情でパイプをくわえています。その横には、同じくプラングインが描いた「共楽美術館」の絵が飾られています。回廊のような建物の中にはアトリュウムが広がっており、松方とブラグィンが思い描いた夢の美術館が現実のもののように想起されます。

  第1章は、1916年にロンドンに渡り、はじめて絵画の収集に本腰を入れた時期に獲得した作品が中心に展示されています。そのきっかけとなった画家ブラグィンの作品に続いて、制作年代の記載のない作品が並んでいます。15世紀ころの宗教画の技法で描かれた絵が続いていきます。

  その中で、目を引いたのはジョン・エヴァリット・ミレイの「あひるの子」と題された作品でした。端正な表情で真摯に前を見つめる幼い少女の全身が描写され、その筆致の繊細さが少女の生きる力を感じさせ、とても魅了されます。ちなみに、足元に「あひる」の人形が2体配されており、その題名が絶妙です。

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(ミレイ画「あひるの子」 所蔵品目録より)

  もうひとつ、こちらはとても大きなキャンパスに描かれた羊狩りの描写です。酪農家の夫婦の農作業を描写した1枚ですが、たくさんの羊がこの作業を見守り、広い納屋と、見つめる羊たちを表した構図が斬新です。風俗画になるのでしょうが、ミレイの落穂ひろいなどに通じる表現描写に目を見張ります。

  第2章は、幸次郎が集めたコレクションの中でも収集が佳境に入る第一次世界大戦を表現した絵画が集められています。スケッチのような小作品に凛々しい兵士の肖像や見送る民衆、近代戦の武器などがスケッチされています。心に響くのは、この章の最後に飾られた2点の絵でした。大きなカンヴァスに描かれていたのは、抱擁して唇を寄せ合う男女とそれを囲うように取り巻く人々です。男は、軍服にヘルメットをかぶっており、兵士であることがわかります。題名は「帰還」。

  その隣に掛けられた青い服を着た女性が墓石の前にひざまずいています。その横には、娘とその孫と思える少女が佇んでいます。その絵は、リュシアン・シモンの「墓地のブルタニュの女たち」。戦争で最愛の人を失った悲しみが絵から浮かび上がってくるようです。

  そして、展示は第3章「海と船」へと続きます。ここには、テーマに合わせるような大型の作品が展示されています。すぐに目に入ってきたのは、大きなカンヴァスいっぱいに描かれた明るい海と大きな戦艦です。絵の作者は、ウジェーヌ=ルイ・ジロー。題名は「裕仁殿下のル・アーブル港到着」。その絵のまばゆいような海の青は、このシーンを描くように依頼した松方の誇らしげな気持ちが絵に表れているようです。隣に展示された同じ大きさの「ヴィレルーヴィルの海岸、日没」がかもしだす落ち着いた海と夕暮れの風景がみごとなコントラストを演出しており、その素晴らしい展示に心を奪われました。

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(ルイ・ジロー画「裕仁殿下の~」所蔵品目録より)

  この章で展示されているのは6枚の絵画ですが、どの絵も人の背ほどもある大きなキャンヴァスに描かれており、その迫力に圧倒されます。

【ロダン、モネ、クールベそしてルノアール】

  ここから美術展は一挙に佳境を迎えます。第4章は松方が特に収集に情熱を燃やしたロダンの彫刻が一気に展示されています。「考える人」、「接吻」、「私は美しい」、「瞑想」、「フギット・アモール」と人の造形を流線形になぞらえて力強く彫刻した作品が、次々と我々に感動を与えてくれます。「考える人」は、あの有名な「地獄の門」の上部に形作られた座像ですが、部屋の奥には、「地獄の門」のマケット(第三構想)も展示されており、捜索のプロセスまでもが想像されるように展示されています。

  数々のロダンの造形に驚かされながら展示が過ぎていくと、第5章の展示には、さらなる感動が待っています。章題は「パリ 1921年~1922年」。この年、松方は美術評論家の矢代幸雄などと画廊を巡っていました。そこで松方はここに展示される素晴らしい絵画を購入したのです。最初に目に飛び込んでくるのは、アンソニー=ヴァンダイク・コプレー・フィールディングの筆による大きな風景画、「ターベット、スコットランド」です。まるで、印象派を思わせるような、山間の湖が美しく照らされる光景は雄大です。そして、モネの若き日の写生画「並木道」。深い緑の並木が続く道。その構図と色合いにモネの覚悟が垣間見られる一枚です。

  その隣には、心に染み入るようなルノアールの絵画が展示されていました。

  「帽子の女」。背景はカーテンなのでしょうか。青と黄色の淡い色彩を背にしてつばの広い帽子を優雅にかぶった白いドレスの女性がソファに座って右手を椅子の背にかけています。その表情は、ルノアールが得意とする柔らかく静かに微笑んでいるように見えます。見た瞬間にルノアールとわかる、その明るい筆遣いと絵の具の流れ。個人的にはこの展覧会の一番の感動を味わいました。さらに進んでいくと、その先には明るい向陽がまぶしいような「陽を浴びるポプラ並木」と美しい田舎の雪景色をとらえたモネの「雪のアルジャントゥイユ」の2枚が並んで展示されています。

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(ルノアール画「帽子の女」所蔵品目録より)

  やられました。「ポプラ並木」は連作で、以前の展覧会でもその明るい情景に心が躍るようでしたが、今回もモネが見出した光の表現が心をとらえたのです。ここから美術展は怒涛の展開を見せてくれます。クールベの「波」、モネが晩年にロンドン旅行中に描いた「ウォータールー橋」、「チャーリング・クロス橋」、ジヴェルニーで描いた傑作「波立つプールヴィルの海」、「舟遊び」などが次々と目の前に現れます。

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(モネ画「雪のアルジャントゥイユ」収蔵品目録より)

  さらに、松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたとき、フランスに留め置かれたゴッホがこの美術展のために上野に帰ってきたのです。その絵は名作「アルルの寝室」です。ガランとしたベッドと椅子が明るい黄土色の色彩で描かれた絵は、ゴーガンと二人で過ごしたアルルへの思いが込められているように感じられて、そこはかとない郷愁を感じます。この絵の先には、ちょうどゴッホと別れたころに描かれたゴーガンの「扇のある静物」が展示されており、二人の思いがしのばれる後世になっています。この2枚は、ともにオルセー美術館からこの展覧会のために送られた作品で、その意気な計らいに感謝です。

  そのゴッホの「アルルの寝室」と並んで展示されていたのは、同じ年の作品「ばら」です。幻想的な明るい緑の森を背景にして美しく咲くバラの花がいくつもちりばめられていて、今回の美術展の中では、一押しのゴッホです。とても強い印象が心に残り、ついポストカードを買ってしまいました。ちなみにオルセー美術館からは、セザンヌの「調理台の上のポットと瓶」も出品されており、今回の美術展を盛り上げてくれています。

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(ゴッホ画「ばら」所蔵品目録より)

【売り立ての絵画と戦後の寄贈返還】

  美術展は、いよいよ最終章へと向かっていきます。

  第6章では、1923年にコペンハーゲンの実業家ハンセンコレクションを購入した時の絵が展示されています。実は、このときに購入した絵は川崎造船の清算時にほとんどが散逸し、今回は様々な場所から出品された作品が展示されています。ドガの「マネとマネ婦人像」は北九州市立美術館から、珍しいマネの「自画像」とシスレーの「サン=マメス 六月の朝」はブリジストン美術館から、モネの「積みわら」は倉敷にある大原美術館からの出店。どの絵も印象派を語る中では欠かすことができない名作です。

  第7章は「北方への旅」と題されています。1921年にベルリン、スイスに「足を延ばした折に手に入れた北欧の画家の作品がここに展示されています。オランダ絵画として有名なフリューゲルやファン・ネン・デールの風俗画やドラクロアの作品が心に響きます。ここで最も目を引いたのは、あのムンクの「雪の中の労働者たち」です。縦223cm×横167cmの巨大なカンヴァスに描かれた労働者たちの姿は強い迫力をもって我々に迫ってきます。雪の中を歩く黒い服と帽子を身にまとった労働者の集団の描写は、何に突き動かされたものなのか、想像が膨らみます。

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(ムンク「雪の中の労働者たち」所蔵品目録より)

  美術展の最後は、コレクションが歩んだ運命を象徴する絵画で締めくくられます。1959年松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたときのニュース映像が会場に流されており、そのときを忍ばせる絵画が展示されています。マティスの「長椅子に座る女」やスーティンの「ページ・ボーイ」は作品の重要性からそれぞれフランスに止め置かれ、今回はバーゼル美術館、ポンピドー近代美術館から出品されました。ルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」は、政府の強い要請により現在は国立西洋美術館の所蔵となっている名作です。

  マネの「嵐の海」は、2012年にナチス・ドイツに強奪された絵画とともに画商のグルリットの自宅で発見され、彼の死後にベルン美術館に遺贈された作品だといいます。どの絵も傑作なのですが、コレクションの経緯を知るにつけ、絵画の運命にも思いをはせることとなり胸を突き動かされます。

  美術展のエピローグとして展示されるのは、松方幸次郎がモネから直接購入したという晩年の作品「睡蓮、柳の反映」です。この作品は、2016年に変わり果てた姿で発見されました。絵画の上部半分は老朽と痛みから逸失し、株半分も汚れで何が描かれているのかさえ判別できません。しかし、美術館のキュレーターは2年をかけてこの絵画を修復、その下半分がみごとによみがえったのです。それは、香川県直島の地中美術館に展示されている「睡蓮」を思い起こさせます。

  さらに、失われた上部も今回、様々な人々の尽力によって、デジタルコンテンツとして蘇りました。

  その経緯は、NHKスペシャルの「モネ 睡蓮(すいれん)~よみがえる“奇跡の一枚”~」で特集されたので、ご覧になった方も多いと思います。

  今回の美術展は、日本にもヨーロッパの絵画に胸を打たれ、その収集に奔走した人物が存在したことを改めて思い起こさせてくれる素晴らしい企画です。もちろん、印象派や点描画に象徴される西洋絵画の魅力も余すことなく伝えてくれ、改めて数々の名画の魅力を我々に教えてくれます。

  国立西洋美術館が松方コレクションのために建てられたものであることを、今回初めて知りましたが、当日は企画展とは別に1階、2階で繰り広げられる常設展も鑑賞してきました。こちらには、松方コレクション展には出展されなかった名画があふれんばかりに展示されています。1930年代の宗教画から始まり、印象派につながるクールベやシスレーの絵画、さらには20世紀に花開いたキョビズムや象徴絵画まで、その歴史をたどるがごとく名作が額を連ねています。

  上野での松方コレクション展は、今月の23日までです。まだ見ていない方はぜひ足を運んでみてください。絵画が好きな方には、名画の感動が待っています。また、歴史好きの方には日本の絵画史に残る出来事が詰まっています。絵画の魅力と知的興奮にあふれた美術展。人生が豊かになること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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朝日新聞が描くプーチン像とは?

こんばんは。

  アメリカにトランプ大統領が登場してから、国際社会は殺伐とした状況を呈しています。

  トランプ大統領の登場が世界に対立の構図を導き出しているのか、世界の煮詰まった状況がトランプ大統領を生み出したのかは、ニワトリが先か卵が先か、との議論と同様となりますが、世界の保守化、右傾化、独裁化は、相当に危機的な状態を生み出しています。アメリカとロシア、トルコやイラン、ベネゼイラや北朝鮮、そして韓国、中国、とリーダーが強い権力を手にして「独裁」に近いパワーを行使していることが、世界を軋轢と格差の世界へと導いています。

  第二次世界大戦によってこの地球、そして人類は大きな痛手を蒙りました。もちろん、アジアで侵略行為を行い、武力で帝国主義を敷衍しようとした日本は、その過ちを二度と繰り返すことのないように国際連合のルールや国際法を順守して平和国家を貫かならなければなりません。それは必要なことですが、世界の独善は日本を置きざりにして、どんどん深みに沈んでいきます。

  イランや中国VSアメリカ、ヨーロッパ連合(EU)VSイギリス、NATO諸国VSロシア、イランVSサウジアラビア、ウクライナVSロシア、日本VS韓国。どの対立も、お互いが自らの正当性を前面に押し出して、一歩も譲ろうとしません。特にアメリカのトランプ大統領は、オバマ前大統領が8年間で成し遂げてきた「平和」や「格差是正」、「自由と平等」への変革政策をことごとく否定しています。国内政策は独断と偏見に満ちており、すべての判断基準が自らの支持層が喜ぶか否かを中心として、成果を上げる取引(ディール)のために働いているとしか思えません。

  国際社会においてもその姿勢は変わらず、オバマ前大統領が交わした協定や条約を次々に否定しています。最も恐るべき破棄は、ロシアとの間で結ばれた中距離核兵器廃棄条約からの離脱を表明したことであり、さらにはイランの核保有を制限するために結ばれたイラン核合意からも離脱すると言う、世界を震撼させるような決断を下したのです。

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(核兵器廃棄条約破棄を語る asahi.com)

  国際法から言えば、条約や協定は国と国の約束であり、政権が変わったとしても国家が存続する限りその約束には拘束力があります。基本的には、相手との合意がなければ、離脱、破棄は行わないことがルールとなっています。しかし、国際社会とはそれぞれの国家の意志と主権が基本となっており、一国の判断を強制力を持ってやめさせることはできません。従ってトランプ大統領が行う意思表示は、アメリカの意思表示としては有効となってしまうわけです。

  こうした国際的な規範を飛び越えた意思表示は、韓国のムン大統領もトランプ大統領と同様に行っています。韓国では、政権が変わるたびに前政権を犯罪者扱いして落としめすことが通例になっています。そうした意味では、国内では前政権をすべて否定して新たな政策を行うことで国政が一新されます。しかし、どんな政権であっても、前政権が国際社会で行った約束は継続して守らなければなりません。過去、互いの国の政治家たちが両国の未来のために必死に考えて締結した約束を、様々な理屈をつけて無視することは国際的には許されません。

  国と国の信頼関係は、政権を超えて約束を守ることで築かれていきます。

  ところが、韓国のムン政権は1965年に両国で結ばれた「韓国と(日本)の請求権・経済協力協定」を無視しています。この協定は、過去からの様々な歴史的な課題を互いが認識し、歴史認識問題や竹島の領有権問題をあえて棚上げにして、互いの国の発展のために合意した協定です。さらに、パク前大統領は、慰安婦支援財団を日本の支援金で立ち上げ、日韓慰安婦問題を解決することに合意しましたが、ムン政権はこの合意もその効力を認めず、なんと財団の解散という国際社会では考えられない無謀な政策を実行しました。

  世界の国々は、韓国と日本の個別の問題については国際的な外交ルールからコメントを行わず、静観する姿勢を貫いています。

  日本は、国際社会においては国際連合のスキームを尊重するいわいる大人で優等生を貫いています。一度結ばれた協定は2国間では有効であるとの原則に基づき、韓国が元徴用工の問題で日本企業に賠償を請求し、その資産を差し押さえる判決が出ても、日本は、協定に基づいて二国間協議を要請。これを韓国が無視すると、さらに協定に基づいて、第三国の委員を含む仲裁委員会の設置を申し入れました。

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(日本をひたすら非難するムン大統領 sannkei.com)

  韓国は、こうした国際協定に基づいた要請をことごとく無視したにもかかわらず、日本が韓国を貿易「ホワイト国」からはずすと発表したとたん、「両国間の協議」を申し入れてきました。その国際法的に非常識な振る舞いは、国際的な規範をないがしろにする暴挙と言っても良い行動です。日本と韓国の不幸な過去に対する認識の違いはそれとして、少なくともルールに対しては何らかの答えを発信するべきです。都合の悪いことは無視して、都合の良い時には相手の不作為を非難する、これほど品位のない行動は、まるで19世紀の帝国主義時代の振る舞いです。

  国も人も、まず誠実な態度がなければ信頼を築くことができません。過去の約束に対して、韓国がすべて無視し続けるとすれば、韓国と日本の間では何も生み出すことが出来なくなるに違いありません。公式には無理でも、民間ベースでは水面下でお互いの肯首ができないものでしょうか。我々は草の根の国民として、それを求めています。

  さて、今の国際社会ではあまりに身勝手ばかりがまかり通っているので、思わず話が長くなってしまいました。しばらく、仕事が忙しくなってブログが更新できませんでしたが、まずは先週読んだ本をご紹介します。

「プーチンの実像 孤高の『皇帝』の知られざる真実」

2019年 朝日新聞国際報道部著 朝日文庫)

  この本の題名は大向こうをうなされる大袈裟なものですが、プーチンをして「孤高の『皇帝』」と呼ぶことはとても的を射たものと思えます。

  2018年318日。この日、ウラジミール・プーチン氏は第4代のロシア大統領を選ぶ選挙でなんと76%という驚異の得票率を獲得して当選しました。2012年の就任から第二期目の大統領を担うこととなり、その任期は2024年までとなります。2000年にロシア共和国の大統領に就任したプーチン氏は、3選を禁止する憲法の規定により2008年に大統領をメドヴェージェフ氏に譲ります。しかし、氏は目処ヴェージェフ大統領から首相の指名を受けると、影の大統領としてロシアに君臨しました。

  つまり、プーチン氏は2000年から実質24年間ロシアの国に君臨することになるわけです。

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(朝日文庫「プーチンの実像」 amazon.co.jp)

【プーチン氏は「皇帝」なのか】

  私のプーチン氏の印象は、長い間諜報機関KGBと不可分の一体でした。KGBは、泣く子も黙る旧ソ連の諜報機関で、アメリカのCIAと熾烈な諜報戦を繰り広げたことで有名です。その国家の存続までを懸けたインテリジェンスは、フリーマントルの小説に描かれたように手に汗を握る物語です。その裏の裏までを見抜いたヒューミントや非合法な手段による拉致や洗脳、さらには暗殺など、それは人間の体力と知能の究極曲を求める世界です。

  そのKGB出身のウラジミール・プーチン。得意の柔道も含めて、まるでスーパーマンのような印象でした。さらに2012年に大統領に再登板した後には、チェチェン問題やウクライナ問題で、メディアに対して徹底的な統制を強めたこともその神秘的な恐ろしさに拍車をかけていたのです。

  そうしてこの本の「実像」というワードに惹かれて、この本を手に取ったのです。

  この本は2015年にプーチン大統領が安倍総理大臣の求めに応じて、安倍さんの故郷である山口県の長門市を訪問するにあたって、朝日新聞紙上に連載された特集記事が基本になっています。ジャーナル(新聞記事)の特徴は即時性にあります。そうした意味で、この本はジャーナリスティックな記事としては古いものとなります。しかし、改めてノンフィクションとして上梓されたこの本には、ジャーナルを超えた普遍的な価値を持つ記述が数多く記されています。特に、プーチン氏を良く知る人々との多くのインタビューは、プーチン氏がリーダーとして国際社会に登場してから今日までの彼を様々な視点から描き出すことに成功しています。

  「知られざる」との言葉は少々大袈裟と感じますが、この本は現在ロシアの「皇帝」にも見えるプーチン氏の実像に、確かに近づいているように思えます。

【ウラジミール・プーチンの登場】

  この本は、全体を4つのテーマに分けています。

  第一部、第二部は、KGB職員からソビエト連邦崩壊を経て、エリツィン大統領の後を受けて新生ロシア共和国の大統領となるまでの経歴を、当時、周辺にいて彼を良く知る人々へのインタビューによって語っていくとの構成を取っています。さらに第三部は、大統領、首相としてロシアのステイタスをどのように高めてきたのかをコソボ、チェチェン、ウクライナの問題を軸に語っていきます。そこには、大統領に就任してからの理想と現実とのかい離の間でロシアのステイタスを高める道を選択したプーチン氏の姿が語られていきます。

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(平和条約締結の難しさを語る会見 mainichi.com)

  まず、意外であったのは「KGB」職員としてのプーチン氏の姿です。彼は、我々がイメージする諜報機関のインテリジェンスオフィサーではなく、どちらかと言えば有能な事務職員であったという事実です。もちろん、彼は少年時代からKGBに憧れて、その夢を実現したという意味で、KGBの中枢を担うべき人材であったのですが、ソビエト連邦のKGBに対しては様々な疑問を持っていた、というのです。

  そして、1989119日、歴史に残る「ベルリンの壁崩壊」が起こりました。

  崩壊の直接の引き金は、子の日東ドイツ政府が発表した西ドイツと東ドイツの旅行の自由化です。この発表に反応した群衆が、ベルリンの壁を破壊し、東ドイツの市民たちが東ドイツ政府の各機関に自由を求めて押し寄せることになったのです。東ドイツには、悪名高き秘密警察のシュタージがありました。125日、自由を求めてドイツ統一をめざす群衆がドレスデンのシュタージ支部を襲いました。

  このとき、プーチン氏はドレスデンのKGB支局に勤務していました。群衆はシュタージ支局に押し寄せた後、隣の敷地にあるKGB支局に迫ります。支局は極秘文書で満ち溢れています。その時に建物から群衆の前に現れたのが将校の制服に身を包んだプーチン氏だったのです。彼は、興奮する群衆を前にして静かにしかし毅然とした態度で彼らを説得しました。「ここに侵入することは断念しろ。武装した同僚にここを守るように指示した。もう一度言う、立ち去れ。」そこから放たれたオーラに熱気に満ちた群衆も冷静さを取り戻し、そこを去っていったと言います。

  この本の第1章は、このときに群衆のリーダー役を担っていたダナードグラプス氏の証言から始まります。さらにKGB時代にプーチン氏の同僚であったウラジミール・ウソリツェフ(仮名)のインタビューも交えて旧ソ連時代のプーチンの姿を浮き彫りにしていきます。

【プーチン大統領の誕生】

  ソ連崩壊の後、彼は何をしていたのか。ロシアは、新たに共和国となりエリツェン大統領が選挙に勝ち政府を打ち立てます。しかし、エリツェンは体調に大きな不安を抱えていました。彼に万が一のことがあったときにはだれを後継者にするべきなのか。意外なことに、エリツェン氏の後継候補にプーチン氏が上がったのは、彼が忠誠心の強い、しかも最も操りやすい人間だと周囲が見ていたからだというのです。

  その彼が、どうのようにしてその後にロシア共和国の中で権力を握り、2018年の選挙で76%もの支持を得るまでになったのか。ロシアを自由の国に変貌したかったその理想とそれを西側諸国に受け入れられなかった挫折。さらには、チェチェン紛争やウクライナ問題で変貌していった愛国者プーチンの姿。そして、柔道を介して日本を愛するプーチンの姿や「人」とのつながりをとても重視する人間プーチンの姿。この本は、様々なプーチン大統領の顔を余すところなく描いていきます。


  この本が上梓された2015年の時点では、北方領土問題と平和条約の問題は安倍総理の在任中には糸口が見えてくるのではないか、との淡い期待があったことがよくわかります。しかし、トランプ大統領や習金平総書記が対立の姿勢をあらわにし、ヨーロッパ対ロシアの図式が鮮明になる中、日本の置かれた状況は複雑さを増し、課題の解決は難しさを増しています。

  しかし、こんな時にこそ我々は正しくプーチン大統領のバックボーンを認識する必要があります。この本は、おそらくプーチンのある面から見た実像を明らかにしていると思います。そして、それは貴重な一面であることに間違いありません。みなさんもこの本で現代のキーマンの姿を知ってください。今後の外交の見立てに役立つこと間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その2)

こんばんは。

  面白い小説を読んでいると、いつまでも終わって欲しくないためにページをめくる手を押さえたくなる時があります。前回からご紹介しているこの小説は、まさにページをめくる手を止めたくなるほど緊張感にあふれる小説です。それもそのはず、そこに描かれているのは、12日間に渡って100人近いピアニストの中から1人の優勝者を決める芳ケ江国際ピアノコンクールのすべてなのです。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  ところで、コンクールと言えばこの本を読んでいる間にうれしいニュースが飛び込んできました。世界的にも有名なピアニストの登竜門、チャイコフスキー国際コンクール。先日行われた第16回コンクールのピアノ部門で日本人が27年ぶりに2位入賞の快挙を成し遂げたのです。その日本人とは、東京音楽大学3年生で20歳の藤田真央さんです。藤田さんは、2017年に18歳でクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝したとの経歴の持ち主。

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(コンクール第2位 藤田真央さん spice.eplusより)

  音楽の神に祝福されたピアニストの快挙に思わず拍手してしまいました。

【心憎い小説の演出】

  さて、前回、著者の恩田さんがこの著書に込めた様々な工夫についてお話ししましたが、それ以外にも著者の仕掛けはプロフェッショナルであり、数えきれません。

  普通、クラシック音楽のファンでなければ国際コンクールと言っても故中村紘子さんの本で有名になったチャイコフスキー国際コンクールや最近生誕200年として、各地で話題となった国際ショパンコンクールの名前をかろうじて知っている程度です。ましてや、日本で行われるコンクールがどんな日程で、どんなプログラムで実施されるのか、知る由もありません。

  著者は、小説を読むうちに素朴な疑問がいろいろ湧き上がることを考えて、小説が始まる前に事前知識を我々に開示してくれます。まず、コンクールがどのような曲で行われるのかとの情報です。それは、参加するコンテスタント(競技参加者)たちがエントリーするための課題の一覧です。

  第一次予選:①バッハ平均律クラヴィーア曲集より1曲。ただし、フーガが三声以上のものとする。②ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第1楽章または第1楽章を含む複数の楽章。③ロマン派の作曲家の作品より1曲。*演奏時間は合計で20分をこえてはならない。

  ちなみに超絶技法を持つ19歳のイケメン、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの第一次予選のエントリー曲は、①バッハ「平均律クラヴィーア曲集第一巻第六番」、②モーツァルト「ピアノソナタ第十三番第一楽章」、③リスト「メフィスト・ワルツ第一番 村の居酒屋の踊り」と記されています。

  こうして、コンクールの予選本選のエントリー課題曲の条件と小説で描かれる4人のコンテスタントのエントリーした実際の課題曲が一覧表で示されているのです。これを見るだけで、我々はこのコンクールの奥深さと、高島明石、栄伝亜夜。マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵がこの12日間にどんな曲で演奏に挑んでいくのか、その姿が浮かび上がってくるのです。

  一次予選は20分の演奏ですが、第二次予選は40分未満、第三次予選は60分以内、と予選が進むに従ってその力量を問われることとなり、さらに本戦は、小野寺昌幸指揮、新東都フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を共演し、ソリストとしての存在感を問われることになります。特に第二次予選では興味深い課題が仕組まれています。それは、このコンクールのために作曲された新作のピアノ曲を演奏するとの課題です。

  今回お題となる曲は、菱沼忠明作曲の「春と修羅」。

  皆さんこの題名からピンとくるものがあると思います。そう、この曲はみちのくの作家宮沢賢治が書き記した詩集の題名です。このブログでもご紹介した「ビブリア古書堂の事件手帖」にもその初版本が登場しましたが、この作品には24歳で亡くなった妹トシとの別れを謳った「詠訣の朝」やトシとの交流を描いた作品など、その壮絶な心象風景が謳われています。この曲をどのように解釈し、その息吹を表現するのか、それが第二次予選のハイライトとなるのです。

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(「春と修羅」初版本 中古本サイトより)

  小説で丁寧に描かれていく主人公たちの優勝を目指す演奏は、読者に提示されたそれぞれのエントリー曲が次々と登場し、我々をコンクールの世界へといざなってくれるのです。そして、高島明石、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵。4人のコンテスタントがそれぞれの個性と人生を振り返りながら、音楽の表現者として驚くほどの成長を遂げていきます。その姿に我々は手に汗を握って小説世界に没頭します。

【伏線、そして第三の視点】

  この文庫本には、下巻の最後に、この小説が雑誌に連載されていた当時の裏話を編集者が描いた解説が掲載されています。それを読むと、まず恩田さんの「国際ピアノコンクールを最初から最後まで小説にしてみたい。」との執筆の動機が語られています。小説を読み終わると、まさに著者の言う通りのことがこの小説に描かれていることが分かります。

  しかし、日本で行われるピアノコンクールをその最初から最後まで描いた小説が、なぜこれほど面白いのでしょうか。そして、なぜこの小説が恩田陸さん待望の直木賞を受賞し、さらに2度の受賞はないと言われていた二度目の本屋大賞を受賞したのでしょうか。

  もちろん、前回お話しした多彩の登場人物たちの視点をちりばめて、たくさんの個性豊かな登場人物がそれぞれの言葉でコンクールや演奏を語ることが、この小説の大きな魅力となっていることに間違いはありません。それにしても、だれでも親しめるわかりやすい言葉で語られているこの小説。恩田さんがこの作品の中にいかに数々のドラマを練りこんでいるのか、それを語っていきましょう。(以下、かなりのネタばれあり)

  ここまで、この小説の主人公であるコンテスタント4人についてご紹介しましたが、この小説は、それだけでは語れないほど多層的です。前回、高島明石の奥さんの語りを紹介しましたが、この小説ではピアニストの家族や師匠のほかにも大切な語り部が存在しているのです。それは、コンテストの行方を左右する神のような審査員の存在です。

  この小説が面白いのは、小説が一つの謎解きのような構造を持っていることです。

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(文庫「蜜蜂と遠雷」下巻 amazon.co.jp)

【仕掛けられた謎とは?】

  この小説に仕掛けられた最も大きな謎は、16歳のコンテスタント「風間塵」そのものです。彼は、プロローグにも、エピローグにも登場するのですが、彼の存在そのものがこの小説の謎そのものとなっているのです。謎には、それを解き明かす探偵が必要です。この小説では、コンクールの審査員たちが謎を解く探偵としての役割を果たしているのです。

  最近のハリウッド映画では、エンドロールに撮影ユニットのスタッフが数多く紹介されます。例えば、ロケ地によって、ロンドンユニット、ニューヨークユニット、トウキョウユニットなどと撮影班やクリエーターたちがそれぞれ映像を作り上げていきます。それと同様にこの魅力あふれる小説では、審査員ユニットがそれぞれの予選において、小説の謎解きを担っているのです。

  審査員を代表するのは、嵯峨三枝子という国際的な一流ピアニストです。小説の冒頭、「エントリー」の章では、フランスのパリで行われたコンクールのオーディションの光景が描かれます。このオーディションの審査員である三枝子、セルゲイ・スミノフ、アラン・シモンの3人は、若き謎のピアニストを目の当たりにするのです。

  その名は、「ジン・カザマ」。

  三枝子は、エントリーシートでこの名前を見た時、そのエピソードに目を奪われます。そこには、「師事した人」としてユウジ=フォン=ホフマンの名前が記されていたのです。ホフマンは、最近鬼籍に入った世界的なピアニストであり、その演奏はすでに伝説と化していたのです。さらに、そこには推薦状ありと記されています。5歳からホフマンに師事。伝説のホフマンは弟子を取らないことでも有名です。いったい「ジン・カザマ」はどんな演奏を聞かせるのか、その演奏を前に三枝子の鼓動は高まっていきます。

  「ジン・カザマ」は、最後の演奏者。ところが、時間になっても本人は登場してきません。会場が戸惑う中、しばらくすると本人が息せき切って現れます。現れたのは、子供と見違えるような少年でした。その幼い笑顔に驚く三枝子ですが、ピアノの前に座り鍵盤に指を置いた途端、三枝子はその演奏に心をえぐられるような衝撃を覚えたのです。

  オーディションの審査員3人は健啖家であると同時に無類の酒好きで、その審査も保守本流から遠く離れた破天荒な評価をすることで名が知れていました。その3人は、「シン・カザマ」の衝撃的な演奏を聴いた後、伝説のピアニスト、ホフマンの推薦状の内容について語り合います。その内容は・・・。

「皆さんに、カザマ・シンをお贈りする。

 文字通り、彼は『ギフト』である。おそらくは、天から我々への。

 だが、勘違いしてはいけない。試されているのは、彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。仲には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。

 彼を本物の『ギフト』にするか、それとも『厄災』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。」

  「ジン・カザマ」の弾く、モーツァルト、ベートーヴェンを聴いて三枝子は怒りに身を震わせます。「こんな音楽を私は認めない。」 三枝子は、審査に当たって彼の演奏を0点としますが、他の審査員が満点に近い点をつけたことで、彼はオーディションに合格。本番の芳ケ江国際ピアノコンクールにコンテスタントとして登場することになったのです。

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(浜松国際ピアノコンクール 大ホール actcity.jpより) 

  いったい「ジン・カザマ」とは何者なのか。彼は、コンクールでどんな演奏を聞かせてくれるのか。その謎は、最後まで我々にこの小説を楽しませてくれるのです。

【音楽の魅力を描く】

  素晴らしい語り部は、物語を魅力的にしてくれます。

  恩田さんは、この小説にこれまで培ってきたすべてを注ぎ込んでいます。そのプロットももちろんですが、その中にちりばめられる音楽にかかわる様々なエピソードにも心を奪われます。

  審査員の一人である高名なピアニスト、ナサニエル・シルヴァーバーグは、イギリス人でありながらアメリカのジュリアード音楽院で教授を務めています。彼は、三枝子の元夫であると同時に、コンテスタントであるマサル・カルロス・レヴィ・アナトールの師匠でもあります。彼は、かつて伝説のピアニスト、ホフマンの押しかけの弟子でした。「シン・カザマ」はそのホフマンの弟弟子。しかし、自らの弟子マサルの強力なライバルでもあるのです。彼の存在が、ジンとマサルの対決をさらに盛り上げてくれます。

  また、本選でピアノコンチェルトが演奏される場面では、新東都フィルハーモニー管弦楽団を指揮する小野田昌幸のこんな述懐も披露されます。以前のコンクールでは、4人のコンテスタントが全員ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」をエントリーしたことがあり、4人のコンテスタントに対して同じテンションで演奏をしなければいけないと分かっていても、4回目には緊張感を維持することが大変だったと語ります。コンクールを担当する指揮者は、人知れぬ苦労があるのだ、と思わず同情してしまいました。

  そして、この小説で最も重要な役割を担っているのは、音楽の神様です。音楽の神様は、いったいコンテスタントたちに何をもたらすのか。この小説のテーマは、そこに尽きるのです。そして、小説の題名にもそのテーマが通底しています。「蜜蜂と遠雷」、それは音楽以前の音そのものを表わしているのです。


  音楽が好きな方もそうでない方も、ぜひこの小説で「音楽と人」のすばらしい関係を味わってください。興奮と感動を味わうことができること請け合いです。ただし、夜に読み始めると、必ず徹夜になってしまうのでお気を付けください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その1)

こんばんは。

  恩田陸さんは、これまで様々なアプローチで、吉川英治新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞など数々の賞を受賞しています。その恩田さんが2017年、ついに直木賞を受賞しました。その作品は、「蜜蜂と遠雷」。この作品は、直木賞と共に恩田さんとしては2回目の本屋大賞をも受賞しました。いったいどれほど面白い本なのでしょうか。その「蜜蜂と遠雷」がついに文庫で発売されたのです。

  いつも本の話題で盛り上がる本好きの先輩も単行本で読んで、大推薦。ずっと推薦本リストに載っていました。本屋さんで文庫本を見て、すぐに購入したのは当然でした。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

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(文庫「蜜蜂と遠雷 上巻」 amazon.co.jp)

【クラシック音楽の素晴らしさ】

  音楽を文章にすることは難しい。

  クラシックは、再現芸術です。まず、楽譜を書いた作曲家がおり、演奏家はその楽譜に従って自らの解釈や想いをその音に乗せて音楽を奏でます。さらにオーケストラが奏でる音楽の場合には、そこに指揮者による楽譜の解釈が加わることになるのです。そのために、同じ作曲家の音楽でも演奏家や楽団、指揮者によって時には全く別の音楽に変身してしまう場合もあるのです。

  例えば、最も好きなブラームスの交響曲第一番にしても、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルの交響曲全集は知られていますが、イギリス人らしい軽快なブラームスはあまり趣味に合いません。ダニエル・バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団のブラームスは、低音域を響かせようとする解釈が曲の美しさをとどめているところに難があり、先日亡くなった大御所ロリン・マゼール指揮、クリーブランドファイルのブラームスは、華やかに歌い過ぎていて納得できません。

  やっぱり、1959年にカール・ベームがベルリン・フィルを指揮したグラムフォン録音のブラームが最高でした。ブラームスは、ベートーヴェンの交響曲の偉大さにプレッシャーを感じて作曲家として名を成したのちにもなかなか交響曲を書くことができませんでした。若き日に交響曲のために書いたスコアは、ピアノ協奏曲やレクイエムに転用され、第1番が完成したのは構想から21年を経た43歳のときだったのです。そこに込められたベートーヴェンを継承しつつ新たな交響曲を創るとの思いは、粘着質なブラームスの中では、濃淡と起伏にとんだこの第1番にいかんなくあらわされています。

  もう何十年もこのベームの盤を超えるブラームスを聴くことが出来なかったのですが、先日、ついにベームを超えるブラームスを耳にしたのです。それは、ライブで味わったドイツ・カンマーフィルのブラームスでした。指揮者はパーヴォ・ヤルヴ。その解釈は、出だしの荘厳な弦楽器から魂に響くかのような張りと深みを備えた重層音から始まり、その戦慄が唄うような管楽器に見事に引き継がれ、古典とロマンを繰り返しあざやかな音を届けてくれました。音楽に最も心を動かされた瞬間でした。

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(「ヤルヴィ指揮 ブラームス1番」 amazon.co.jp)

  話は横道にそれてしまいましたが、指揮者によってオーケストラが奏でる音がまったく異なるように楽器の場合には演奏家によって曲は全く別の顔を持つようになります。先日、ファジル・サイのベートーヴェン「熱情」を聴きましたが、彼の心の底からわき出るような荒けづりなピアノの音は、ベートーヴェンのスコアを超えて、演奏家の情念を我々に聞かせてくれました。アルゲリッチ、ポリーニ、内田光子、アシュケナージ、ツィマーマンとすべてのピアニストが名ピアニストですが、同じ「熱情」は一つとしてありません。

  一人の演奏者が、作曲家が残した楽譜をどのように解釈、消化して音として表現するのか。それは、その演奏を聴けば分かります。しかし、こうした再現芸術の素晴らしさを言葉や文章で伝えるにはどうしたらよいのでしょう。かつて、文豪トーマス・マンは、「ファウスト博士」を執筆するときに、主人公であるアドリアン・レーヴァーキューンのピアノ演奏を表現するために、音を文章にする訓練を積んだと言います。ノーベル賞作家にして、音楽を文章や言葉に翻訳することは非常に難しい仕事だったのです。

【音楽と人のための小説】

  今回の小説は、国際ピアノコンクールにおけるピアニストたちの闘い?を描いた大作です。そのコンクールは日本国内で最も有名な「芳ケ江国際ピアノコンクール」です。3年に1度芳ケ江市で開催されるコンクールは、そのオーディションが世界各国で行われ、そこで選ばれた90人のピアニストが優勝を勝ち取るために芳ケ江市に集い、その演奏を競うイベントです。恩田さんは、ここに参加する4人の若者たちの活躍を中心に、「エントリー」、「一予選」、「二次予選」、「本選」と4つの章に渡って描いていくのです。

  それにしても、演奏家のタマゴたちが競い合う国際ピアノコンクールを描いた小説が、直木賞や本屋大賞を受賞できるのか。とても不思議です。この作品の執筆量は半端ではありません。文庫本では、上巻454ページ、下巻491ページというボリュームですが、その物語の面白さに一気に読み進んでしまいます。その面白さに読み始めるともう止まらないのです。

  最初に読み始めたときに、思わず表紙を見直して著者の名前を確認してしまいました。著者は、確かに恩田陸さんです。見返してしまったのは、これまで読んだ恩田さんの文章と、全く異なる筆運びだったからです。小説は、ピアノコンクールへの「エントリー」と題された章からはじまります。描かれるのは、16歳の少年です。名前は明かされません。見知らぬ外国の街で、時間に遅れないように急ぐ少年の描写。

  そうです。小説はコンクールに参加する若い音楽家たちを描くことを中心に進行していきます。コンクールの参加者は、一番年上の若者が28歳、最も若いコンテスタント(参加者)は15歳。その世代の闘いが描かれます。そこに審査員や参加者の師匠もからんできます。こうした小説には、それにあった文体が必要です。恩田さんは、これまで築き上げてきた小説作法や文体の中で、この小説のための文章を紡ぎ出したのです。それは、これまでの小説にはない、平易でリズミカルな文章だったのです。

  さらに、恩田さんはこの小説を面白くするために様々な技法を駆使しています。各章にはエピソードごとに小見出しが創られています。その見出しが、また見事に音楽を描く小説らしい見出しとなっています。例えば、「第二次予選」と題された章のエピソード見出しは、「魔法使いの弟子」、「黒鍵のエチュード」、「ロンド・カプリチオーソ」、「音の絵」、「ワルキューレへの騎行」、「月の光」、「虹の向こうに」、「春の祭典」、「鬼火」、「天国と地獄」、と音楽ファンならば、思わずほくそ笑んでしまう題名が続いています。

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(「魔法使いの弟子」のミッキー YouTubeより)

  そして、恩田さんが小説家としてのプロの技を発揮しているのは、その表現です。この小説には、本当に多くの登場人物が登場するのですが、著者は数多くのエピソードを別々の登場人物の視点から描いていくのです。当然、語り部によってその文体も変わっていきます。

  この小説の主人公の一人、高島明石は26歳の会社員です。彼は、ピアニストでもありますが、結婚し子供が出来てある楽器メーカーに就職して日々の仕事に励んでいます。しかし、芳ケ江国際コンクールエントリーの記事を見た時に、これまで抑えてきた音楽への探求心が頭をもたげます。ピアニスト、音楽家としてもう一度だけコンクールに挑戦してみたい。その想いを周囲の人々に打ちあけ、奥さんの協力も得て、芳ケ江国際ピアノコンクールにエントリーしたのです。

  彼を取り巻くエピソードの多彩さに我々は思わず小説世界に引き込まれていきます。彼がピアノの世界へと導かれたのは、世の中の音に俊敏な耳を持つ田舎のおばあさんでした。蚕小屋を営むおばあさんは、蚕の葉をかむ音の中で良質の繭を養蚕していました。家にあったピアノを弾き始めた明石は、ピアノを弾いた時の自分の心の中を見抜くおばあさんの耳の良さに驚きます。そして、明石の音楽への熱意を知ったおばあさんは、貯金をはたいて明石にグランドピアノを買い与えてくれたのです。

  さらに明石を取り巻く人々も描かれます。高校時代の様々なエピソード。明石の高校時代の同級生である雅美は、いまテレビ局で仕事をしています。彼女は、良く知る明石がピアノコンクールにエントリーしたことを知り、取材を申し入れます。その申し出とは、エントリー後、実際にコンクールで競い合う姿をドキュメンタリー番組にしたいので、映像も含めて取材させてほしいと言うものでした。かつての同級生の願いを快く聞き入れた明石。そこから雅美の取材が始まります。

  コンクールに挑む明石の姿は、いくつもの視点から描写されていきます。本人の視点、同級生であり取材者でもある雅美の視点、審査員の視点、明石の奥さんである満智子の視点、そして作者の視点。こうした多彩な視点と多彩な文体が我々をコンクールの世界へと導いてくれるのです。特に心を動かされたのは、満智子の視点です。

  「第一次予選」。明石のエントリーナンバーは22番でした。コンクールの初日は日曜日でしたが、一日16名が演奏するコンクールで、明石の演奏は2日目の月曜日に予定されていました。ところが、数名の辞退者がでたために明石の演奏日は初日に繰り上がったのです。教師をしている妻の満智子は平日には演奏を聴きに来ることができませんが、日曜日であればホールに足を運ぶことができます。コンサートの初日、満智子は息子を実家に預けて会場を訪れます。

  高島明石の第一次予選の演奏曲は、バッハの「平均律クラヴィーヤ第一巻第二番」、ベートーヴェン「ピアノソナタ第三番第一楽章」、ショパン「バラード第二番」の3曲です。会場に時間に追われながら到着した満智子は、久しぶりに夫の音楽家、演奏者としての姿を目の当たりにします。そして、その演奏が始まるやその旋律に乗って、満智子の心に様々な思い出が駆け巡ります。明石との結婚に関して女友達からあびせられた心ない皮肉。眠る時間を削って練習を続け、それでも不安になる夫の姿。子供に本を読んでやるときの優しさのこもった声。様々な思いが音楽によって浮かび上がり思わず涙ぐみます。そして、その演奏が終わった時にある言葉が湧き出てきます。「あたしは音楽家の妻だ。あたしの夫は、音楽家なんだ。」

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(「浜松国際ピアノコンクールCD」タワーレコードHPより)

  我々は、音楽家明石のエピソードに引き込まれ、小説世界の虜になるのです。

【音楽の神様と人間の物語】

  恩田さんは、コンクールに参加する若者たちの中の4人の参加者を主人公にしています。一人は高島明石。その他の3人にも素晴らしいエピソードの数々が用意されています。まず、20歳の女性ピアニスト栄伝亜夜。そして、アメリカのジュリアード音楽院の学生である19歳のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。彼は、日本、ラテン、フランス人の血を引く混血児ですが、眉目秀麗を絵にかいたような長身のイケメンです。そして、今回のコンクールの台風の目になるであろう16歳の少年、風間塵。

  この他にも、なんと初日の1番の札を引いてしまったロシアのピアニスト、アレクセイ・ザカーエフ、マサルと同じくジュリアード音楽院に在籍し、常にマサルをライバルとして見ている超絶パワーの女性ピアニスト、ジェニファ・チャンなど、多彩な登場人物がコンクールを盛り上げていきます。

  上巻では、このコンクールの第二次予選の中盤戦までが描かれますが、音楽の神様は果たしてどのコンテスタント(コンクール挑戦者)に微笑むのか。第二次予選がはじまってからの二日目、音楽の神様が我々の前に出現します。

  本当にこの小説はみごとに音楽の姿を描き出しています。

  本題に入る前に紙面が尽きてしまいました。続きは次回に持ち越しです。

  それでは皆さん元気で、またお会いします。


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二人の異才が語る生死(しょうじ)とは?

こんばんは。

  皆さんは、「生死(しょうじ)」という言葉をご存知でしょうか。

  漢字としては当然知っているのですが、「しょうじ」という仏教の言葉としては、全く知りませんでした。今週読んだ対談本は、いきなりこの言葉の説明から始まります。

「生死(しょうじ)の覚悟」

(高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年)

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(新潮新書「生死の覚悟」 amazon.co.jp)

  本屋さんでこの新書を見つけたときに、やっとお二人の対談が上梓されたか、と感激しました。というのも、お二人ともにファンであることもさることながら、以前にブログでご紹介した通り、このお二人の間には不思議な因縁があるからなのです。それは、高村薫氏の上梓した小説に登場する曹洞宗の禅僧が南直哉さんに瓜二つに描かれたことにあります。南直哉さんの禅房内でのあだ名は「ダース・ベーダー」でした。驚いたことに小説の登場する禅僧のあだ名も同じ「ダース・ベーダー」だったのです。

【はじめに言葉ありき】

  高村薫さんは「マークスの山」で直木賞を受賞して以来、合田警部補シリーズを上梓し続けており、その稠密な人物描写と迫力のある情景描写、卓越したプロットはますます冴えわたっています。直哉僧のそっくりさんが登場するのは、シリーズ3作目の「太陽を曳く馬」です。この本が上梓されたのは2009年ですので、そこからがお二人の出会いと言っても良いのかもしれません。この小説が上梓されてから、直哉さんは、あまりにその設定がリアルであったため、禅房内で情報漏えい者の疑いを持たれたそうです。

  対談は、まずその疑いを払しょくするため、その確認から始まります。直哉さんは、失礼ながらと前置きをして重ねて取材の有無を問いただしますが、この小説の設定はすべて高村さんの脳内から想像されたものだと言うことが判明します。直哉さんは、プロの小説家の想像力のすさまじさに脱帽でした。

  南直哉さんは、現在、福井県の霊泉寺住職、青森県の恐山菩提寺院代を務められており、多忙な生活を送られています。氏は、「言葉」を、仏教を考え、伝えるために非常に重要な手段ととらえています。それ故、これまでに自らが考えて考え抜いてきた様々の事を、ときにはエッセイ風にときには論文風に世に問うてきました。

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(福井県 霊泉寺 fuku-e.comより)

  この本には、2011年の初めての対談、2018年の7年ぶりの対談、そして、その間にお二人が執筆した道元禅師に関わる文章と、お二人の書評が掲載されています。

  高村薫さんはもちろん言葉のプロフェッショナルですが、お二人の文章を読んでいると言葉の持つ意味の大きさを改めて思い起こします。「はじめに言葉ありき」とは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」における最初の一言ですが、言葉は神様とともに存在したほど根源的なアイテムです。人間(ホモ・サピエンス)は200万年前に誕生したと言われます。

  類人猿から派生した第3のチンパンジーが我々人類ですが、地球上のすべての生きもののなかで我々が生き残ったのは、我々の祖先がグループ内のコミュニケーションによって協働することを覚えたことによるものだそうです。コミュニケーションは、最初表情や声であったはずですが、それが言葉として通じ合ったときに最強の協働が生み出されたのだと思います。

  言葉は、あらゆるものを共有化する名前であるとともに表現そのものです。それは、人の気持ちを表すこともできれば、環境を共有化することができ、人の姿や美しい風景をも表すことができます。さらに、ものごとの理や哲学、科学までをも深めることができるのです。人類の進歩と調和は言葉によってなされたと言っても過言ではありません。

  この本では、仏教を巡って言葉のプロフェッショナルである高村薫さんと異色の禅僧である南直哉さんが、「死と(表裏一体の)生」について、語り合い、道元と互いの上梓した本を評論するというコラボレーションが実現します。

【言葉はどこまで語れるのか】

  ところで、題名にもなっている「生死(しょうじ)」ですが、この本の中表紙にはこの言葉の定義が記されています。

  「生死(しょうじ)」 生まれることと死ぬこと。また、いのちあるものが生まれることと死を繰り返すこと。(略)仏典においても、生死の連続は苦と捉えられており、さらに、仏教においては、生死の繰り返しは、我々人間の煩悩に起因すると考えられたため、煩悩を滅失することにより、生死の連続からの解放が可能になるとされた。このように生死は、迷いのただなかにある我々自身のあり様を比喩的に表現したものである。生死の超克は苦の終焉であり、それは涅槃と等値となり、仏教の目指すべき目標とされる。(岩波仏教辞典  第二版)

  さすが辞典だけのことはあり、迷いなく説明がなされています。

  最初に掲載されたこの説明とはうらはらに、お二人の語る「生きることと死ぬこと。」と仏教の関わり方は、一筋縄ではいきません。そもそも高村薫さんは、「自分には信心がない。」と言い切ります。曹洞宗の禅僧の前で、いきなりこんなことを語ることにも驚きますが、もっと驚くのは、直哉さんが「私も同じです。」と答える所です。

  読み進むにつれて、この対談の奥深さが見えてきます。

  このお二人は、立場は異なれど、これまでの生き方の中で、常に懐疑と共に生きてきました。その懐疑とは、「なぜ」と問うことです。直哉さんが出家して曹洞宗永平寺の門をたたいたのは、「自分はどうして生まれてきたのか」、「自分とは何なのか」という心からの疑問に行き詰まったことがその理由だと言います。その答えは住職となった今も出ないと言います。

  一方の高村薫さんは、物心ついた時から「信心」が身につかず、人が仏様や神様に両手の平を合わせている姿を見て、その心持を理解することができないので、今でも自分は「信心」のない悪人(宗教的な)であることが常に心に引っかかっていると言います。そんな高村さんにとって「死」をつきつけられたのは阪神淡路大震災でした。あるとき、突然数千人もの命が奪われる大災害。命を失った人、家族を失った人とそうでなかった人を何が分けたのか。

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(小説「太陽を曳く馬」上巻 amazon.co.jp)

  その答えがあるはずのない問を目の前にして、高村さんは仏教に近づいたと言います。

  明治維新以降、日本は近代化による富国強兵を国是としてきました。その中で、脈々と根付いてきた思想は科学的合理主義でした。つまり、すべての事を合理的な行動(実験)や論理的分析によって解明し、真理(またはそこに至る仮設)を言葉で説明するとの考え方でした。高村薫さんは対談の中で、みずから疑問に感じたことを理性で分析・分解して言葉で言い表すことが身についていると語ります。しかし、「信心」やそのきっかけとなる「死」について語る言葉を持てないことに引っかかっていたのです。

  直哉さんもその話を受けて、同意します。

  出家して禅僧になることは、自分にとって「賭け」だったと言います。その意味は意外です。曹洞宗の教えは仏教の基本となるもので、殺生を禁止しています。直哉さんは、出家前に自らの生きる意味を見いだせない、死とは何かが分からないときに最後には自殺という選択肢があった、と語ります。ところが、自殺は殺生となります。つまり、出家して禅僧となることは自殺という選択肢を捨てることになるのです。

  みずからの疑問を根底まで問い続けたときに「生きる」という選択肢しかありえない世界は、直哉さんにとって「賭け」だったわけです。直哉さんが出家したのは1984年ですので、それ以来35年間、その「賭け」は続いているわけです。今のところ、その疑問の答えは言葉として語ることはできないのです。最初の対談の終わりの部分に至って、やっと「生死の覚悟」という題名の必然性が匂ってきたように思えました。

【「生死の覚悟」とは?】

  対談の間に挟まれた断章も2つの対談に結びついていきます。

  まず、曹洞宗の開祖である道元禅師にかかわる話が相互に登場します。私は無調法で、道元の著作である「正法眼蔵」を読んだことがありません。高村薫さんの言によれば、この本は75巻本と12巻本にわかれており、75巻本は難解そのもの、12巻本は分かりやすいと言います。しかし、その難解さはただならぬものがあるようです。

  高村氏曰く、「さてそれでは、どこがどう難題なのかと言えば、まさに無いと言い、有ると言い考えるなと言い、考えろと言い、考えないことを考えろと言う、自己にとらわれない心身のありよう自体を言語化している点である。」、「そもそも『正法眼蔵』は、道元自身が禅定の果てに達した身心脱落の非言語的宇宙そのものに、今度は自覚的に近接し、その全容を言い当てんとする言葉の集まりである。つまり、言語以前・存在以前を言語化し、『空』から諸々の事物を現成させる営みであるが、それにしても、言葉で言い当てられないものを言い当てる言葉とは、実際にはどんな言葉だろうか。」

  東日本大震災の傷跡が人々の心に重くのしかかる中で、高村さんは道元の言葉に思いをはせるのです。そして、それに呼応するように直哉さんの「正法眼蔵」解説が続きます。

  我々が仏教や禅に対していつも疑問に思う「悟り」。いったい「悟る」とはどうゆうことなのか。道元禅師が「正法眼蔵」の中で語る、「悟り」とは何か。直哉さんは、「悟り」を「人の実在」に例えて道元禅師のパラドックスのような文章を読み解いてくれるのです。

  そして、いよいよ2018年のお二人の対談が始まります。この間に高村薫さんは、「空海」という作品と「土の記」という大作を上梓しています。そして、直哉さんは「超越と実存 『無常』をめぐる仏教史」という氏独自の視点から描いた仏教の歴史本を上梓しています。加えていえば、この本は、昨年度の小林秀雄賞を受賞しています。

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(南直哉著「超越と実存」 amazon.co.jp)

  対談の前の断章には、南直哉さんが書いた「空海」の書評が掲載されており、さらに、高村薫さんの「超越と実存」の書評が続いています。これが枕となり、お二人の対談はその著書に対する深堀から始まります。

  後半の対談は、現代社会が抱えている危殆を互いの考えと体験から分析していくことになります。

  お二人は、前半の対談で語られた通り、「生死」への懐疑と「宗教」への懐疑の深さを確認していくことから対話を深めていきます。

  平成最後の年に地下鉄サリン事件など最悪の犯罪人を生み出した宗教集団「オウム真理教で数々の犯罪に手を染めた幹部たちの死刑が執行されました。それは、まるで「オウム真理教事件」を平成とともに幕引きをしてしまおうとするかのような刑の執行でした。お二人は、なぜこのような団体が宗教を語り、なぜ多くの若者たちがその教えに心酔し洗脳されてしまったのか、を解き明かさずに事件を終えてしまったことを痛烈に批判しています。

  令和の時代は、深く物事を問うことを忘れつつあります。人々は、インスタグラムやYou Tubeなどの視覚的な情報への反応に偏重し、文章もツイッターやフェイスブック、ラインなどの短絡的な短いセンテンスが世界中を席巻しています。すべてが瞬間芸や一発芸のような世界の中で、物事を深く問い、考察することが薄れてきたことに間違いありません。

  お二人の対談は、「生死」や「宗教」を語りながら、こうした社会に警鐘を鳴らしています。今、児童虐待やいじめ、衝動に任せた無差別殺傷事件など、自らに理由を深く問うこともなく発生する事件が多発しています。この本は、人はなぜ生きるのかを問うとともに、現代に欠けている何かをみごとに語ってくれます。

  皆さん、ぜひお読みください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

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長岡弘樹 警察学校は過酷な世界!?

こんばんは。

  皆さんは電車で手持無沙汰のときにどうしていますか。

  今やスマホをいじっている人が圧倒的に多く、情報系の検索、ゲーム、テレビドラマの視聴、音楽鑑賞とあらゆるものをスマホで楽しんでいます。最近は、スマホでマンガを読んだり、本を読んだりしている人も珍しくなくなりました。都心の鉄道では、ドアのうえに液晶画面が備えられており、ニュースや気象情報、広告など様々な動画が乗客を楽しませてくれます。

  それと同時にひまつぶしになるのが、車内広告です。

  社内に吊られている広告は満員電車の中でも良く見えますし、毎朝人に押しつぶされながらもドアの窓に張られている広告には目が行ってしまいます。マンションなどの不動産、商業施設やお店のバーゲン情報、週刊誌の中刷り広告が多いようですが、ときどき変わった広告を見ることもあります。そうした中で、本の広告も見受けられます。本の広告は、大手の出版社よりも話題の実用書などを出版している個性的な版元の方が多いようです。

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(週刊文春 中吊広告 syukanbunsyun.jp)

  もう6年ほど前になりますが、JR東日本の京浜東北線に小学館が広告を出していたことに気づきました。広告は、車両端の座席(優先席になっていることが多い)のわきの壁に透明なプラスチックケースに入って掲載されていました。そこには、紺色の色彩の中を歩くバックを下げた男が描かれた本が掲載されていました。本の題名は「教場」。著者は、長岡弘樹と書かれています。「異色の警察小説」、「ベストセラー」、「週刊文春ミステリーベスト10 第1位」との文字が躍っています。どうやら警察学校を舞台としたミステリーのようでしたが、その怪しいイメージが気になって、いつか読んでみたいと思ったのです。

  それからは、通勤電車で見るたびに気になって、本屋めぐりのときにも平置き棚に積まれた「教場」がいつも気になっていましたが、まずは文庫になるまで我慢しようと素通りしていました。そして、2015年にはついに文庫化がなされます。はじめて文庫本を見てから本屋さんに行くたびに手に取っていたのですが、いつも優先したい本があって、ついつい日延べしてきたのです。

  そして、今週、ついに読みました。

「教場」(長岡弘樹著 小学館文庫 2015年)

【小説の舞台は警察学校】

  まず、「教場」とは何か。それは、普通の学校でいえばクラスの事を意味します。1組、2組などのあのクラスのことです。「教場」とは警察学校におけるクラスの名称。例えば、この小説には植松という教官が登場しますが、彼が担任を務めるクラスは、植松教場と呼ばれるのです。

  警察学校というと、まるで公立の高校や大学のように聞こえますが、誰もが入れるわけではありません。この学校の生徒は、警察官の採用試験に合格した人間です。彼らは、この学校で警察官として必要な技能や知識、法律などを半年間に渡り身に着けて警察官としてデビューするのです。学校であるからには、入学して卒業するわけですが、この小説で描かれるのは、警察官になるための厳しい教練の場です。

  舞台も警察小説と言ってもきわめて斬新な場所であり、人間を描くにも多様な人生、そして人間関係が渦巻いています。ミステリーと言えば謎解きのワンダーが肝になりますが、この舞台ではあらゆるところに謎を創りだすことが可能です。しかも警察学校は閉鎖的な空間であることが一層の効果を引き立てます。

  この小説は、短編連作の形を取っています。

目次を追うと

1話 職質、第2話 牢問、第3話 蟻穴

4話 調達、第5話 遺物、第6話 背水

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(文庫版「教場」 amazon.co.jp)

  小説の奥深さは作者によって周到に用意されています。まず、登場人物の背景が多種多様。警察学校の生徒は、警察官登用試験に合格した人間です。つまり、そこには様々な職業を経験した人物が集まっているのです。元学校の教諭、元インテリアデザイナー、元ボクサー、などこれぞれが個性にあふれています。そして、学校は寄宿舎となっており、携帯電話や免許書は日常生活の中で取り上げられて、所持することは許されません。また、外出も許されておらず、課題宿題が常に課されています。

  こうした環境で様々な謎が提示され、ワンダーが醸し出されるのです。

  そして、各話に共通する人物がいます。それがこの教場を担任する風間公親です。白髪で義眼を入れたような目つき、温厚でありながら絶対的な迫力を持つ警務官です。実は、2020年の初めにこの小説はフジテレビでテレビドラマとして放映されるとのことです。各話で謎解き役を担う風間を演じるのは、あのキムタク(木村拓哉)だそうです。原作からはイメージがわきませんが、どんなドラマになるのか、楽しみです。

【一味違ったミステリー】

  このミステリーは設定自体も変わっていますが、その語り方もまた一味違います。

  著者の長岡さんは、著作のインタビューで自らのスタイルを「書きすぎない」ことと語っています。というのは、あまり説明はしないということです。廊下を歩いている時に後ろに人の気配がしたとします。後ろにいるのは誰なのか。作者は当然誰かを知っているので語ろうと思えば語れるわけですが、あえて語りません。さらに、振り向けばそれが誰なのかはすぐに分かるわけですが、この著者はなかなか振り向かせないのです。

  この小説では、ミステリーらしく、心理的な圧迫や物理的な暴力がところどころに描かれます。

  担任の風間公親は温厚で暴力を振るいませんが、副担任である須賀は武道専任教官であり、柔道6段という猛者です。警察学校にはさまざまな規則があり、課題も多いので罰則は枚挙にいとまがありません。校庭10周の駆け足や腕立て伏せなどは、日常茶飯事です。例えば、4歩以上の距離を移動するときに生徒は必ず駆け足をすることが義務付けられています。須賀は、その違反者を見つけると柔道場に呼び出して、何本も投げ技を懸けて生徒をあざだらけにしてしまいます。

  第1話で宮坂定は毎日の授業で味方になっていた同級生に恨まれて、自殺の道連れに命を失う恐怖にさらされます。また、第2話で元インテリアコーディネーターの楠本しのぶは、駐車場施設に呼び出されて設備の間に足を挟まれ、骨を折られてしまいます。しかし、長岡さんはその結果、最後に彼らがどうなったのかを描きません。

  我々は、「エッ、いったいどうなったんだ。」と戸惑いを覚えます。

  そこが作者の狙いです。短編連作の面白さを創るために長岡さんはわざと謎を残して短編を終了します。短編は、それぞれ1話完結なのですが、この小説では同じ学校、同じ教場での出来事が連なっていますので、次の話を読んでいくと前話で残された謎が、さりげなく語られていくことになるのです。しかし、風間教官にまつわる謎はどこまでも続いていきます。

  さらに作者は風間教場の生徒たちに様々な恐怖を語らせます。

  特に象徴的なのは、第1章で語られる問答です。風間教官が宮坂に対して、「警察学校とはどんなところだと思うか」と問いかけます。その答えは「篩(ふるい)」。つまり、警察学校とは、警官になるための厳しい課題に耐えられない人間を振るい落とすために存在する、ということです。確かに第1章では、41人いた第98期入学者は、5月の時点ですでに37名になっていることが語られているのです。

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(警視庁警察学校 wikipediaより)

【エンタメとリアリティの間】

  警察と諜報機関。そこに求められる技術と能力は似たものがあります。もちろん、警察官にずば抜けた語学力や変装能力は求められませんが、職務質問や追跡術、射撃術などは警察官にも必要な技術となります。柳広司氏の小説「ジョーカーゲーム」に描かれる陸軍中野学校の様子と相通ずるものがあるのかもしれません。

  この小説に登場するのは、職務質問、取り調べ技術、交番勤務、水難救助、パトカーの運転技術、射撃技術など警察官が持つプロの技術がさりげなく書き込まれています。

  例えば、警察官が街で不審な人物をみつけたときの職務質問。「すみません、ちょっといいですか。」と話しかけてから、相手の名前を聞き出し、その間にも相手からの攻撃を未然に防ぐような職務質問のテクニック。なるほどと読んでいると、前提として警察官の姿を不意に見せるなど、驚かせて最初の相手の反応を的確にとらえることが最も重要だ、との奥深い話も語られています。

  交通機動隊の所属する神林警部補が登場するパトカーの運転技術講習会でのエピソードもワンダーです。そのパトカーには覚せい剤が隠されているとの設定で、覚せい剤の在りかを探すことが課題として課せられます。意外なほど簡単なところに隠されている、との教官のヒントから、ありとあらゆる場所を探しますが、覚せい剤はみつかりません。果たしてどこに隠されているのか、その答えは本書で確かめてください。

  小説はフィクションではありますが、こうしたリテイルの描写が小説に臨場感や迫力を醸し出します。

  第4章には、風間教場の生徒の中で調達屋が登場します。閉鎖社会の中で、本来手に入らないものを調達する男。この話を読んで思い出したのは、戦争映画の傑作「大脱走」です。

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(映画「大脱走」1963年 ポスター)

  第二次世界大戦下のドイツ。ドイツは連合国軍の捕虜が各地で脱走を企てることに手を焼き、脱走常習者を一所に集めて鉄壁の監視体制を引くことにしました。スタラグ・ルフト北捕虜収容所。しかし、「敵後方のかく乱」を職務とする連合軍の捕虜たちは、前代未聞250名の脱走計画を企て、収容所を脱走するのです。

  この映画は、史実をもとにした映画で、その登場人物たちに当時のスターを振り分けて、その練りに練った脚本で大ヒットを記録しました。スティーブ・マックィーン、ジェームス・ガーナー、チャールス・ブロンソン、ジェームス・コバーン、デビッド・マッカラムなど、それぞれが大活躍した見事な作品でした。

  収容所の脱走計画は、収容所内から3本のトンネルを掘り、250名を脱走させるものでしたが、脱走後に全員が国境を超えるためには周到な準備が必要です。まず、脱出後に着る衣服、偽造の身分証明書、さらに近隣の詳細な地図、完ぺきなドイツ語。そうした綿密な脱走計画の中で、必要な物資の調達を担ったのは仕入れや屋と呼ばれるアンソニー・ヘンドリー(ジェームス・ガーナー)だったのです。

  ダバコから始まり、様々な衣服となる生地からトンネルを掘るために必要なフイゴなどの道具の材料に至るまで、あらゆるものを調達します。そこには、詐欺師まがいのコミュニケーションテクニックと駆け引きが必要です。偽造身分証明書作成のために人の良いドイツ軍の看守を自室に誘い込み、身分証の入った財布をみごとに手に入れる場面では、思わず喝さいを送りました。

  この小説に出てくる調達屋は、映画と違い「調達」と引き換えに恫喝のような行為を続けますが、最後にはそれによって墓穴を掘ることになります。


  この小説は、謎の教官風間公親による教育小説と見られたり、生徒たちの成長を物語る学園小説、などとも呼ばれているようですが、基本的にはこれまでになかったユニークなミステリー小説です。警察学校を描くという意味でもこれまでなかったワンダーを味わうことができます。警察小説に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。その怖さも含めて楽しめること間違いなしです。

  豪雨と暑さが交互に襲ってきます。災害対策と体調管理にはくれぐれもお気づかい下さい。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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堺屋太一 「楽しい日本」を創造する

こんばんは。

  堺屋太一さんが亡くなったとの報を受けたときに、我々は時代を照らす光を失った、との思いに打たれました。

  昨年、2025年の大阪万博の開催が決まりましたが、1970年の大阪万博では、当時通産省の官僚であった堺屋氏がプロデューサーの役割を務め、みごとに大成功を収めました。その後、1975年、官僚時代にエネルギー問題を中心に据えた小説「油断」で作家デビュー。さらに近未来小説「団塊の世代」を上梓し、日本のすべてを左右する、団塊の人口分布による未来予測を小説とし、日本の行く末に警鐘を鳴らしたのです。今や団塊の世代は年金世代となり、日本の財政経済に大きな影響力を発揮しています。

  1985年に上梓された「知価革命」は、第三次産業の次に来る価値観を予言した書として当時大ベストセラーとなり、多くの識者の目を開きました。私もこの本によって堺屋フリークになりました。さらに2004年(平成16年)には平成時代の未来を予測した「平成三十年」を上梓するなど、常に日本を見通す小説を上梓し続けました。

  また、現在の経済目線で書かれた歴史小説「峠の群像」は、日本の年末の風物詩「忠臣蔵」を経済的な側面から描き出し、歴史に新たな光を当てることになりました。この小説は、1982年、NHKの大河ドラマとなり、日本の忠臣蔵に新たなページを加えたのです。また、1996年には、氏の「豊臣秀長-ある補佐役の生涯」、「鬼と人~信長と光秀~」、「秀吉 夢を超えた男」の3部作を原作とした「秀吉」が大河ドラマとなり、堺屋さんの名前はすっかり有名になりました。

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(歴史小説「峠の群像」 amazon.co.jp)

  個人的には、関ヶ原の合戦を描いた「大いなる企て」が一押しです。この小説は、成り上がった小大名でありながら、秀吉の懐刀として活躍した石田三成が主人公ですが、彼がプロジェクトリーダーとして如何に徳川家康を向こうに回して、関ヶ原の戦いを構築したのかを描いています。それは、様々な博覧会、とくに大阪万博を成功させた堺屋さんならではのプロジェクト成功ノウハウが詰まったみごとな歴史小説でした。

  堺屋さんは、小渕内閣で民間登用として3代に渡り経済企画庁長官を務め、現在でも続いている市井の人々に景気の状態をインタビューする「景気ウォッチャー調査」を導入しました。このブログでも紹介した「世界を創った男 チンギス・ハン」は、堺屋歴史小説の集大成で、世界の半分を支配する体制を築いたチンギス・ハンの生涯を描いた渾身の小説でした。

  今年の2月、氏の訃報に接したときに一瞬にこうした記憶がかけめぐり、寂しさが心に染み入りました。1月には梅原猛さんが93才で亡くなり、今回、改めて人の寿命には限りがある事を感じました。世代が変わる中で、こうした先人たちが書き残した様々な知恵を次の世代が引き継いでいくことが必要ですね。

  今週は、本屋さんで見つけた堺屋太一さんの最後の著作を読んでいました。

「三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて」

(堺屋太一著 祥伝社新書 2019年)

【堺屋太一が残した日本への警鐘】

  堺屋太一さんは、小説という手法で近未来の日本に起きる危険な兆候を提示してきました。また、同時に日本がたどってきた近世以降の歴史をひも解き、現在の視点で分析することによって近未来を予測し、日本に数々の提言を行う書も上梓しています。後者の代表的な著作が「知価革命」でした。

  この書は、これまで我々が経験してきた産業革命・近代工業化の過程を分析し、これから来る時代は「知価」による産業革命が起きる、と語ったのです。このときの日本の経済発展史への分析は氏のその後の著作の基本となっています。そして、最後の提言となった本作にもその分析は存分に生かされています。

 まずは、今回の本の目次です。

はじめに

1章「二度目の日本」は、こうして行き詰まった

―私たちは今、ここにいる

2章第一の敗戦

―「天下泰平」の江戸時代から「明治」へ

3章富国強兵と殖産興業が正義だった

―「一度目の日本」の誕生と終幕

4章敗戦と経済成長と官僚主導

―「二度目の日本」の支配構造を解剖する

5章「三度目の日本」を創ろう

―二〇二〇年代の危機を乗り越えるために

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(最後の著作「三度目の日本」amazon.co.jp)

  この本で、堺屋さんは近代日本は今日までに二度の敗戦を経験し、間近には三度目の敗戦が迫っていると警鐘を鳴らします。ここでいう「敗戦」とは、「一国の国民または住民集団が、それまで信じてきた美意識と倫理観が否定されること」と氏は定義します。つまり、「敗戦」とはそれまで信じていた価値観が大転換を迎えることを指すのです。そして、日本にとっての三度目の「敗戦」は、東京オリンピックの後の景気の大きな減速によってもたらされる、と予測します。

  2020年、目の前に迫っている価値観の大転換とは、具体的に何を示すのでしょうか。

  それは、第二の日本を形作ってきた価値観が通用しなくなることとイコールです。堺屋さんは最後の提言を我々の今の価値観がどのように創られてきたのかをひも解くことから始めます。

  1970年に開催された大阪万博では、そのテーマ「人類の進歩と調和」が思い出されます。そのとき私は小学校6年生で東京に住んでいたため、万博に行くことはできませんでしたが、岡本太郎氏の太陽の塔に象徴される、盛大なお祭りのことは良く覚えています。万博(EXPO70)には、その開期180日間に、6420万人以上の人々が来場しました。一日平均35万人もの人が会場に訪れたこととなり、その盛況ぶりには驚くばかりです。ちなみにディズニーランドとディズニーシーの一日の入場者数は平均8万人と言いますので、その盛況ぶりが良くわかります。

  堺屋さんは、この日本万国博覧会の仕掛け人であり実質的なプロジェクトリーダーでした。第二の日本の価値観(美意識と倫理観)はこの万国博覧会をキッカケに日本の隅々までいきわたったのです。この本の第1章は、日本万国博覧会からはじまります。それは、当時の価値観の中心であった「規格大量生産時代」の始まりだったのです。

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(EXPO70の象徴「太陽の塔」kano-cd.jp)

【日本は「豊かさ」を実現したが、】

  元官僚の堺屋さんですが、「知価革命」も含めて日本の官僚の功罪については手厳しく批判を重ねています。第1章では、工業社会の実現にむけて日本の官僚がいかにヴィジョンをたて、その基本方針を組立てて日本に敷衍させていったが語られていきます。

  今の日本は、「平和に、豊かに、安全に」暮らせる天国だ、と堺屋氏は語ります。そして、ここに至るまでの昭和、平成のプロセスを分析します。それは、終戦によって「一億玉砕」から「平和国家、民主国家」へと価値観が一変した日本がどのように第二の日本を創ってきたかとの歴史になります。堺屋氏ももともと通産省の官僚ですが、昭和の時代、官僚の会話は変化した、と言います。

  マッカーサー率いるGHQの占領統治のもとで、日本は価値観の変換によってあらゆる場面で判断を求められました。「民主主義」への変換のための教育、企業統治、戦犯の取り扱い、独立、朝鮮戦争への立ち位置、GNPの拡大。日本のかじ取りのための決断は官僚では下すことができません。こうした時代、官僚の会話は、「俺はすぐに官邸に行ける。」、「官邸の秘書官と知り合いだ。」など官邸との近さを自慢する話題がほとんどだったと振り返ります。

  しかし、高度成長経済への方向性がハッキリし、田中角栄首相の「日本列島改造論」の頃には官僚たちが交わす会話の内容は変わっていったと言います。それは、「大臣の意見はそれとして、本当のところどうする?」、などという会話が交わされて、日本の政策は我々が決めるのだ、との自負が当たり前のようになったことを意味していました。

  つまり、官僚主導の政策が日本の方向を決めていたのです。堺屋さんは第1章で、日本の官僚が推進してきた5つの基本方針を紹介します。それは、「東京一極集中」、「流通の無言化」、「小住宅持ち家主義」、「職場単属人間の徹底」、「全日本人の人生の規格化」です。

  この本の第1章は、日本の優秀な官僚たちが日本経済を発展させて如何に規格化された「豊かさや安全」を作り上げてきたかが語られています。例えば、「流通の無言化」とはどのような政策だったのでしょうか。工業化社会の一つの目標は商品の「規格大量生産」です。そのためには、生産=供給のみならず、消費も大量規格化しなければなりません。官僚の発想として、消費が大量規格化されていない状況は「第三次産業の生産性が低い」と語られます。

  「生産性が低い」とは何かというと、消費の現場で商品が売れていくスピードが遅いということです。それは、買い物に行った主婦が店員とおしゃべりをしてなかなか消費が進まない状況をさしています。そこで、官僚が行ったのは、大量消費型の流通=世間話なしで商品が売れていく無言の流通を実現することだったのです。つまり、スーパーマーケットの普及です。スーパーでの買い物は、商品を選んでカゴに入れ、レジに並んで精算します。この間、店員とお客さまの間で世間話が交わされることはなく、効率的に消費が進んでいきます。

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(規格消費スーパーマーケット wikipediaより)

  堺屋さんの筆は、高度成長期以降、どのようにして官僚が主導権を握り、「大量規格型工業化社会」を実現してきたかを語っていきます。企業に関して言えば、東京一極集中を実現するために、各業界の団体について東京に本部を置くことを義務付けるなどの政策を規制によってすすめてきた事実には驚かされます。そうした政策の積み重ねは、令和となった日本に様々な弊害をもたらしました。

  安定成長・低成長の時代、こうした官僚の発想は害悪と化します。「東京一極集中」によって、地方都市はことごとく人口減少に見舞われ画一化されてしまいました。「流通の無言化」によって地域の商店街はシャッター通りと化し、無人化が進みました。日本には、「小住宅」があふれ核家族化が進み「人の知恵」は継承されなくなります。少子化はこの政策がもたらした副作用です。職場単属人間が世の中に蔓延して、家庭を顧みない仕事人間ばかりが世間を闊歩しています。さらに人の人生までもが規格化されて、人は決められた道を歩むことを是とするように変わりました。

  我々は今や行き詰ってしまった第二の日本を変えて、楽しい未来を目指す第三の日本を創造する必要があるのです。堺屋さんはそれを語るためにこの本を上梓しました。

  平和による静かなる社会が200年以上も続いた江戸期の日本は、外国からの圧力によって新たな時代を知り、明治維新によって一度目の価値観の転換を迎えました。第2章と第3章で、堺屋さんは第一の価値観の大転換(敗戦)とその後に起きた第一の日本の発展を語ります。そして、太平洋戦争での第二の敗戦。そこから復活してきた第二の日本も第4章で語られるように第三の価値観の大転換を求められています。


  この本の第5章では、今や帰らぬ人となった堺屋太一さんが三番目の日本で指針とすべき価値観を語っていきます。そこはこれまで官僚たちが創ってきた数々の規制を打ち壊し、日本人一人一人が人生を生き生きと楽しんで生きることが必要な価値観なのだ、と語るのです。

  堺屋太一さんの著作は、これまで我々の目を大きく啓いてくれました。氏の遺言となった本作品ですが、最後の提言はタイムアップとなってしまったようです。しかし、その予見はこれまでにも増して鋭いものとなっています。果たして日本は「地獄」を見ることになるのか。

  その後をつないでいくのは、今を生きる我々の使命となります。皆さんもこの本を読んで、これからの生き方を考えてみてはいかがでしょうか。日本の未来を見ることができるかもしれません。

  改めて堺屋太一さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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小路幸也 「東京バンドワゴン」番外編

こんばんは。

  令和となってから1カ月がたちました。

  令和天皇が即位されてから、初めての国賓はアメリカのトランプ大統領。そして、初めての地方でのご公務は愛知県での植樹祭へのご参加でした。日本にとって、平成天皇の時代は戦争のない平和な時代でした。しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件などのテロ、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などの地震災害、さらには台風や豪雨による災害など、数々の大災害に見舞われて、平成天皇はその都度、被災地の人々をご訪問されて心を寄せて、新しい天皇の姿を形作られて見えました。

  令和天皇徳仁陛下は、日本100名山をすべて闊歩した健脚でその名を知られています。随行の方が置いていかれるほどの健脚で、日本の未来を導いていただければ幸いです。平成天皇も国民に親しまれるような平易なお言葉をたくさんご発信されていましたが、徳仁陛下はさらに我々の心に響くお言葉をご発信になられています。陛下が令和の時代、我々日本人の心の支えとなっていただけることに間違いはありません。

  話は変わりますが、皆さんは、「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ。」という献辞を覚えているでしょうか。以前にこの本をご紹介したのは、2012年の12月でした。早いものでもう7年もまえのことになります。このシリーズは、2006年に最初の単行本が上梓され、毎年4月には新刊が発売されており、さらに、2年遅れて文庫化されているのです。はじめてこのブログでご紹介した文庫版は2008年の発売でした。

  その小説の題名は「東京バンドワゴン」。先週は、久しぶりに大家族が巻き起こす様々な出来事を書き綴った連作小説を読んでいました。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」

(小路幸也著 集英社文庫 2015年)

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(「フロム・ミー・ツゥ・ユー」文庫版 amazon.co.jp)

【うるわしの大家族物語】

  昔、テレビドラマと言えば「大家族」が織りなす涙と笑いの物語と相場が決まっていました。昭和の時代、日本の家には三世代が同居しているのが当たり前でした。しかし、高度成長によって団塊の世代が家族を持つようになると、団地やマンションの建築によって次々と親から独立して生活するようになりました。「核家族」が時代のキーワードとなり、大都市、地方都市を問わず大家族の時代は終わりを告げたのです。

  「核家族」化は、様々な弊害を日本にもたらしています。

  まず考えられるのは、人の知恵が引き継がれていかないことです。

  自分のことを考えると、今は亡き父の実家は日本橋の馬喰町という場所にあり、そこには父親のお父さん、つまりおじいちゃん夫婦が住んでいました。私の父親は6人兄弟の次男で、馬喰町には祖父夫婦と長男夫婦、その子供の二人兄弟、父の姉の7人が同居していました。お正月になると、その家に6人兄弟とその子供たちが全員勢ぞろいするため、まさに大家族が出現します。

  いとこだけで、長女の子供が2人、長男の子供が2人、私のところが3人、その下の兄弟たちの子供が5人。なんといとこだけで12人が集まるのです。まあ、にぎやかなことこの上なく、父の兄のところの男の子とは年子だったので、当時始まったばかりの「ウルトラマン」の話で、盛り上がり「ウルトラQ」に登場した怪獣たちのストーリーを巡って大喧嘩をしていたことを思い出します。

  東京の下町は、誰もがおせっかいです。我が家に「電話」が登場したのは小学生のときでしたが、それまでは御近所の電話をお借りしていました。電話を引いた途端、6人の兄弟たちが入れ代わり立ち代わり電話をしてきて、電話と言えば、いつも叔父叔母と話をしている父親の姿を思い出します。当時は、6人の兄弟がお互いの子供たちの心配までも共有して何かあれば全員で助け合う(愚痴を言い合う?)ということが当たり前になっていたのです。

  先日ご紹介した田中優子さんと松岡正剛さんの対談で、日本では「家」がキーワードだと語られていましたが、ルイス・ベネディクトさんを持ち出すまでもなく、日本では「家」と「外」の区別が大きな文化を形成していたと言われています。「外面がいい。」とか「体面を重んじる。」とか「人前で恥をかかせる。」、「内弁慶」など、日本では家のなかのことと、外の事を強く区別してきたのです。

  「外の世界」とはどんなところなのか、外にいるのは「他人」です。人にはメンツがあり、外でメンツを保つために日本人は「家」の中で様々な知恵をつなげてきました。大家族のメリットは、「家」が培ってきた知恵を教えてくれる人の数が多いことです。多ければ、伝わる確率は高くなります。身近な例では、「家」の味があります。大家族は、毎日毎日家で3回の食事をします。大家族では、朝も晩もたくさんの人が食事作りに関わります。男女を問わず、お味噌汁の味は家族の味として引き継がれていくのです。

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(TVドラマ「東京バンドワゴン」 ポスター)

  しかし、核家族となるとそうはいきません。例えば、味噌汁の味はおばあさんから娘へ娘から孫へ孫からひ孫へと引き継がれていきますが、大家族でいれば引き継がれる確率が格段に高くなりますが、核家族で一人息子の家庭では、その子が料理に興味を持たなければ味噌汁の味はそこで途絶えてしまいます。

  近年、無差別に人を殺して自ら命を絶つ、または恨みや逆恨みで人を殺して自分も死ぬ、という「人」とは思えないような行為を起こす事件が頻繁に起きています。個人的には、「殺人」とは何らかの病気の発露であると思っています。中にはドストエフスキーの「罪と罰」のような理性的な殺人もあるのかもしれませんが、それは極めてレアなケースです。もともと生命とは、生きて命をつなぐために存在しています。それが、理由はともあれ命をつなぐことを阻害することは明らかに異常であり、生命体にとって正常ではない状態は病気と言えます。

  病気には必ず原因があります。それは、ウィルスだったり、細菌であったり、免疫不全であったり、老朽化であったり、遺伝子の欠落であったり、突然変異であったり、様々です。病気を治す(正常な状態にする)ためには、原因を突き止めて、原因を取り除く必要があります。

  「人」を殺めるという異常な行為は、いったい何が原因で起きるのでしょうか。それは、人が本来持つ「生きるための知恵」が途切れるからではないでしょうか。人はコミュニケーションを身に着けて共同化することによってこの地球上に君臨してきましたが、そこには数百万年に渡って引き継がれてきた知恵があったはずです。孤独に陥らないためには何が必要なのか。馬の合わない人間とはどのように付き合っていけばよいのか。自らの感情はどのようにコントロールすればよいのか。人の気持ちを逆立てないためにはどのようにすればよいのか。

  大家族の中では、毎日そうした知恵が飛び交っているのです。その知恵の継承がとぎれたとき、人は病気になり、人を傷つけることになってしまうのです。

  話は長くなりましたが、久しぶりに4世代の堀田家、11人(第1巻ではまだ9人)が織りなす「東京バンドワゴン」を読んで、そんなことを考えました。(11人と言えば、昔、村山聡さん主役のテレビドラマ「ただいま11人」という11人家族が織りなす名作を思い出します。)

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(東京バンドワゴンシリーズ facebookより)

【「東京バンドワゴン」番外編】

  「東京バンドワゴン」と言えば、毎年上梓されるシリーズは、どの巻も春夏秋冬4編の物語からなる短編集です。4世代に渡る家族関係はちょっと複雑です。まずは、80歳を超える古書店「東京バンドワゴン」を仕切る大旦那は堀田勘一です。東京下町の有名古書店は古色ゆかしい日本家屋で、店の帳場にデンと構えています。その息子は、堀田我南人(がなと)。すでに60歳をこえていますが、日本では有名なロックンローラーです。古いロッククファンには神のような存在で、たくさんのファンを従えています。その口癖は「LOVEだねぇ~」。

  我南人には、子どもが3人います。長女は藍子、長男は紺、そして次男は青のブルー三兄妹です。藍子はシングルマザーで、同じ家屋に併設されているカフェを切り盛りしています。紺のお嫁さんは亜美。藍子のお嬢さんは花陽(かよ)、紺夫妻の息子は研人と言い、同級生です。第1巻では次男の青がすずみという女性と結婚します。

  数えるのも大変なのですが、これで9人。ここに紺夫妻の長女かんな、青夫妻の長女鈴花が生まれて家族は11人となるのです。そこに加えなければならないのが、4匹のネコ(玉三郎・ノラ・ポコ・ベンジャミン)と2匹の犬(アキ・サチ)です。そして、さらにこの物語の語り部が加わることになります。

  それは、物語の始まる2年前に亡くなった堀田勘一の妻サチです。サチは、亡くなった後も不思議なことにこの家に居ついていて、家と家族を温かく見守っているのです。そのサチさんが「東京バンドワゴン」で巻き起こる様々な事件を語ってくれます。実は、勘一の孫である紺は時々サチの声が聞こえると同時に会話を交わすことができます。また、サチが気を緩めた時や慌てた時には、紺の息子である研人にはその姿が見えてしまうのです。

  この大家族ドラマは、その楽しさからサザエさん一家を思い出します。異なる点は、サザエさんがサラリーマン一家というところですが、もう一つ決定的に異なることがあります。それは、サザエさん一家では時が止まっていることです。タラちゃんは何年たっても幼稚園に行かず、カツオもワカメも永久に小学生です。この「東京バンドワゴン」では、大家族の面々は毎年必ず年を取っていきます。我々は、シリーズ発売のたびに、変化していく堀田家とともに歩むことができるのです。

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(家族ドラマの定番「サザエさん」 prtimes.jp)

  そんな中で、今回読んだ「フロム・ミー・ツゥ・ユー」は、他のシリーズとは一味違う番外編です。まず、異なる点は収められた短編が、春夏秋冬の4編ではなく11編となっている点です。さらには、いつもはサチさんによって語られる物語が、11人の異なる人々によって語られていきます。今回の題名は、おなじみビートルズの曲名ですが、この題名は11人の語り部が読者にそれぞれの物語を語ってくれることを表現しているのです。

  また、シリーズはそれぞれの短編が「謎解き」の形になっていて、我々にワンダーをもたらしてくれます。この番外編は、事件が起きてその謎を解くと言う形式とは異なり、11のエピソードが語られていきます。そのすべてに共通しているのは、皆、「東京バンドワゴン」シリーズの主要なキャストであり、それぞれの意外なエピソードが語られている点です。ワンダーという点では、この小説のファンにとっては「謎解き」よりも嬉しい驚きを味わうことができるのです。

  それぞれの短編の語り部はヴァラエティに富んでいて、その文体も語り部によって異なります。

  その題名と語り部を紹介すると、

  「紺に交われば青くなる」(語り部-以下省略:堀田紺)、「散歩進んで意気上がる」(堀田すずみ)、「忘れじのその面影かな」(木島主水)、「愛の花咲くこともある」(脇坂亜美)、「縁もたけなわ味なもの」(藤島直哉)、「野良猫ロックンロール」(鈴木秋実)、「会うのは同居のはじめかな」(堀田青)、「研人とメリーの愛の歌」(堀田研人)、「言わぬも花の娘ごころ」(千葉真奈美)、「包丁いっぽん相身互い」(甲幸光)、「忘れ物はなんですか」(堀田サチ)

  ファンの方は、これを見ると期待に心が震えるのではないでしょうか。

  短編の題名もさることながら、それぞれの語り部の名前を見て、すべての人物が特定できる人は本物の「東京バンドワゴン」フリークに違いありません。例えば、堀田すずみはツアーコンダクターである青の奥様ですが、名前が堀田となっていることからそのエピソードが結婚後の話であることが分かります。逆に脇坂亜美、鈴木秋実の名前を見れば、亜美は古書店を手伝っている紺と結婚する前、秋実に至っては60過ぎのロックンローラー我南人の今は亡き奥様の若いころの話だと思い当たります。

  そして気になるのは、最後の堀田サチ。今や紺のみが語ることができ、研人だけがその姿を見ることができるサチさんは、どんなエピソードを語るのか。実は、ここにサチさんの姿を見た第三の若者が存在していたのです。

  どのエピソードも「東京バンドワゴン」そのもの。ほのぼのとして心温まる、癒し系のエピソードが並んでいます。今は失われつつある、人と人の会話と思いやりから生まれる物語。大家族は、我々が忘れつつある人の心を伝えてくれます。「LOVEだねぇ~。」

  皆さんもこの本で癒されてみてはいかがでしょう。おすすめです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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大竹昭子 須賀敦子、心の軌跡

こんばんは。

  本屋さんで「須賀敦子」という文字を見ると、自然に反応してしまいます。

  3年ほど前に文庫化された湯川豊氏の「須賀敦子を読む」を本屋さんでみつけたときにも、その場で手に入れてアッと言う間に読んでしまいました。湯川さんは生前の須賀さんと編集者として二人三脚で歩んでいた方で、須賀敦子文学の卓越した評論者であるだけではなく、心から須賀さんに寄り添った愛情あふれる著書を上梓したのでした。

  この本を読むと、須賀さんの文学に対する意志は物心つくころからすでに形成されていて、自らを生きることに常に真剣であり、様々な変遷を経て生き抜く間にも常に「書く」ことを意識していたことが良く理解できます。須賀さんが60歳近くに自らの文章を練り上げて、読む人の心に限りない郷愁とはかなさを感じさせることができたのも、それまでの「書く」ことに対する鍛錬が実を結んだからに他ならないのだと思います。

  語られるエピソードと語る言葉が一体となって、人の心に潜む様々な思いをいつも感じさせてくれるのです。

  そんな中で先日本屋さんを巡っていると、またしても「須賀敦子」という言葉が目に飛び込んできました。すぐに購入したのは言うまでもありません。

「須賀敦子の旅路」(大竹昭子著 文春文庫 2018年)

  この本は、2001年から2002年にかけて3冊に渡って上梓された単行本を底本としています。それは「須賀敦子のミラノ」、「須賀敦子のヴェネツィア」、「須賀敦子のローマ」と題された随筆です。須賀敦子さんは19983月に惜しまれつつ帰らぬ人となりましたが、その理知的でありながら心に染み入る美しい文章は、60歳でデビューするや文学界に衝撃をもたらしたと言います。

  大竹さんも須賀敦子さんの文章に魅せられた一人で、須賀さんの生前から親交を深めたと言います。昨年は没後20年という節目の年となり、過去に上梓した文章に新たに「須賀敦子の東京」ともいえる「東京編」を加えて文庫本として上梓したものが本書となります。

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(文庫「須賀敦子の旅路」 amazon.co.jp)

【旅路は原点 ミラノから】

  須賀さんのデビュー作は「ミラノ 霧の風景」です。

  このデビュー作には、須賀敦子さんの12のエッセイが重ねられています。相当に悩みつつ作品を選んだと思われますが、選ばれているのは長く暮らしたミラノから仕事や旅で訪れたイタリアの各都市でのエピソードや想いを書き綴っています。そこに記された都市は、ジェノワ、トリエステ、ヴェネツィア、ナポリ、ベルージャ、など多彩です。

  この作品は、講談社エッセイ賞、女流文学賞を受賞していますが、上梓された当時には「ミラノ 霧の風景」のような随筆のあり方はなかったのではないかと思います。随筆と言えば、有名作家が日常を綴ったり、交遊録を記したり、趣味や食べ物の話をする文章を思い起こします。また、都市を訪れるのであれば、旅行記としてその地を紹介する文章を思い起こします。

  須賀敦子さんのエッセイは、それ自体が文学作品であり、文章そのものが我々に様々な思いを語りかけてきて、我々の心を動かしていきます。例えば、デビュー作の題名となっている「霧」ですが、エッセイでは次のように記されています。それは、一片の詩のように響いてきます。

  「乾燥した東京の冬には一年に一度あるかないかだけれど、ほんとうにまれに霧が出ることがある。夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知っている、と思う。十年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に「霧」とこたえるだろう。」

  須賀敦子さんは、13年間暮らしたミラノでの生活の中で、日本文学をイタリア語に翻訳したり、イタリアの文学を日本語に翻訳することを仕事としていました。彼女はその中で、書き手が文章を書くと言う行為、想いを言葉にする方法、を客観的に見る術を身に着けたのだろうと想像します。なので、須賀さんの文章は、自分を外から見てその内側にある感情や感性を豊かに語る文章となっているのだと思います。

  竹内昭子さんは、この「須賀敦子の旅路」をまずミラノの旅からはじめています。

  なぜならば、「ミラノの霧」の言葉に込められているように、「ミラノ」を生きた須賀敦子さんこそが、その後の人生の原点であったと言っても過言ではないからなのです。竹内さんは、須賀敦子さんの透徹した文章はなぜその文章なのか。そのことを知るためにミラノ、ヴェネツィア、ローマを訪問し、そこで感じた須賀敦子さんを記憶と文章にとどめています。それは、結果として須賀敦子さんの文学の魅力を改めて解き明かす旅となりました。

  例えば、「ミラノ 霧の風景」に収められたエッセイに「鉄道員の家」という1篇があります。

  須賀敦子さんは、195829歳のときに2度目の留学先としてイタリアに渡ります。須賀さんはもともとキリスト教カトリックの考え方に強い想いをもっていましたが、ミラノの教会内にあるコルシア書店を知って、そこでの触れあい、議論、会話に魅入られます。そのテーマは宗教における思想と行動、との狭間にある何かでした。そして、そこで書店の運営に協力していたベッピーノォと知り合って1960年に結婚するのです。

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(書店のあったサン・カルロ教会 4travel.jp)

  結婚とは、ベッピーノォだけではなく、その家族と一緒になるということです。ベッピーノォの父親はミラノ・ローマ線の鉄道員であり、その住まいは鉄道員官舎だったのです。このエッセイは自分が嫁いだ実家の家を描いていました。竹内さんはミラノの旅で須賀さんの住んだアパート、毎日通っていたコルシカ書店、などゆかりの地を巡っていますが、このご両親の実家にも訪れています。

  須賀さんが暮らしたころからは、すでに40年のときが過ぎていたのですが、その鉄道員宿舎は当時のとおりその場所に建っていたのです。そこから見える裏の原っぱも全く変わらず、あまつさえ、線路を切り替える装置のある鉄道小屋も当時のまま残っており、その係員が声をかけてくれて、わざわざ鉄道小屋の中にまで招き入れてくれます。

  そうした中で、大竹さんは、須賀さんの両親の実家のベットの中で、寒い夜に線路のうえで汽車の車輪が軋む音が長い時間続き、その音で異文化の中にいる日本人である自分を感じていたとの文章を思い出して、その孤独に想いを馳せることになります。

【ヴェネツィア、そしてローマ】

  ミラノは、須賀さんがイタリアでの13年間のほぼすべてを過ごした地でしたが、ヴェネツィアとローマは少し趣が異なる地となります。

  1967年、結婚の6年後に須賀さんの夫ベッピーノォは病気によって急逝しました。そして、その傷をいやす暇もなく、母親の病気が悪化し日本に一時帰国。母親の病気は小康を得ましたが、祖母が亡くなり、さらに父親はがんに侵されます。ミラノにベッピーノォの家族を残してきた須賀さんは、その父親を日本に残してミラノへと戻ります。

  イタリアの人たちは、ヴァカンスの時期になると誰もが休暇を取り避暑地へと出かけてしまいます。避暑に出かけないのは、家族がいないか、よほどお金のない貧乏人だけであり、ミラノはその時期には人っ子一人いなくなります。長く過ごしたミラノの友人たちは、傷心の須賀敦子さんに心を寄せて避暑に誘ってくれますが、彼女自身は同情を寄せられているような気がしてすべて断ってしまいます。

  そんな中、昔からの友人であるドイツ人のインゲからヴェネツィアのリド島で部屋をシェアして過ごそうと誘われます。他の友人たちは自分をなぐさめようと誘ってくれるのに比べて、インゲは他の友人と割り勘で、とフラットに誘ってくれたので、須賀敦子さんは心を解いてヴェネツィアへと出かけるのです。著者の竹内さんは、須賀さんの後を追うように30年後にリド島を訪れます。

  須賀さんがヴェネツィアを訪れた経緯は、亡くなった後に上梓された「地図のない道」に載った作品に記されています。その旅は、須賀さんが日本に帰国した後に大学で日本文学の研究のために再びヴェネツィアを訪れた旅へとつながっていきます。須賀さんが大好きだったと言うザッテレ河岸の描写はまるで竹内さんが須賀さんと想いを一つにして語り合っているように思えて、心が温かくなりました。

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(須賀敦子さんが愛したザッテレ河岸 4travel.jp)

  あらためて、「地図のない旅」を読みたいと心を新たにします。

  さらにローマの旅は、1958年に須賀さんが29歳にて一度帰国した日本から再びイタリアへの留学へと踏み切った新たな人生がスタートを切ります。巻末に掲載されている須賀さんへのロングインタビューで、竹下さんの「カトリックに関してお話ししてください。」との質問に「その話はあまりに長い話になるので、ここではやめておきます。」と答えていますが、ローマには、キリスト教カトリックの総本山バチカン公国があり、その中心には聖ピエトロ教会の荘厳な建物がそびえています。

  須賀さんが二度目の留学でローマの寄宿舎に入った年、聖ピエトロ教会では教皇ピウス12世が亡くなり、コンクラーヴェが行われました。新たな教皇には76歳のロンカッリ枢機卿が選ばれ、ヨハネ23世となりました。ヨハネ23世は約5年間教皇を務めて亡くなりましたが、その遺体は腐ることがなく、ヨハネ・パウロ2世によって祝福されました。大竹さんの旅は、ちょうどこのヨハネ23世の復活祭の日と重なっていました。

  須賀さんのローマには、氏の人生にとって重大なテーマが埋められています。

  カトリック教会の教皇ももちろんですが、須賀さんが文学の方法に導かれたイタリアの作家ナタリア・キンズブルグやローマの街角で偶然に出会った彫刻家ファッツィーニとその弟子の日本人Oさんとの邂逅。さらには、「ハドリアヌス帝の回想」を記したユルスナールを追った「ユルスナールの靴」にも通じています。第二の留学先をイタリアとした須賀さんにとって、ローマはカトリックと芸術、そして文学と深く交わった地だったのです。

  大竹さんは、「私」として語られる「須賀敦子」の足跡を追ってローマを巡っていきます。

【須賀敦子さんの東京】

  ミラノ、ヴァネツィア、ローマで「須賀敦子」の心を追った旅は、須賀敦子さんが亡くなったのちに、その人生と文学を改めて問い直すために行われたものでした。今回、3分冊で語られた旅が一冊の本にまとまられたわけですが、この文庫には新たな「須賀敦子」への旅が記されています。

  それは、東京編です。

  須賀さんは、1967年夫のベッピーノォ氏を突然の病気で失ってからも家族を支えてミラノに留まっていましたが、1971年意を決して日本に帰国しました。氏が最初の作品を上梓したのは1990年ですから、帰国からデビューまで20年近い歳月を日本で過ごしていたことになります。その作品は、まるで昨日までイタリアに住んでいたような新鮮で繊細な筆致で穏やかに記されています。いったいなぜ、作品を上梓するまでにそれだけの歳月が必要だったのか。

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(須賀敦子全集 第1巻 amazon.co.jp)

  竹内さんは、「ローマ編」の最後の「ノマッッドのように」で、イタリアから帰国してから自らの文学を創造するまでの間、須賀敦子の中でどのような葛藤があり、何が自らの作品の執筆のきっかけとなったのか。そのことに想いを致し、なんとか謎を解消しようと言葉を重ねています。しかし、それはひとつの仮説を述べたにすぎないのです。

  それから18年の年月を経て、今、改めて東京において須賀敦子さんがどのような生を生きたのか。そのことに再び挑んだのです。

  その旅は、これまで知ることのなかった日本での遍歴の中で城あった人々への取材と須賀さんの足跡を追いかけることで成し遂げられます。これまで知られていなかった人々との深い交流。その証言によって、須賀敦子さんの生きることにかけた想い、そして文学に託した思いが解き明かされていくのです。

  その美しい文体を手に入れるまでの変遷、その文体で我々に届けたかった想いとは何か。須賀敦子さんが思い描いていた「文学」とはなにか。

  皆さんもこの本で、その謎を解き明かす旅を味わってください。生きることの深みを知ることができるに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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マーベル映画 「アベンジャーズ」完結!

こんばんは。

  2012年に大ヒットを記録した「アベンジャーズ」がついに最終話?を迎えました。

  アメリカ漫画を代表するマーベルコミックのヒーローたちがオールスターキャストで登場し息もつかせぬ物語を展開しますが、昨年公開された第3作「インフィニティー・ウォー」、今年公開された第4弾「エンドゲーム」は続編となっています。「インフィニティー・ウォー」から1年間待たされたファンにとって、最新作は待ちに待った作品です。

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(映画「アベンジャーズ エンドゲーム」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「アベンジャーズ:エンドゲーム」

2019年米・182分)(原題:「Avenngers Endgame」)

・スタッフ  監督:アンソニー・ルッソ  

           ジョー・ルッソ

       脚本:クリストファー・マルクス

          スティーブン・マクフィーリー

・キャスト  トニー・スターク:ロバート・ダウニー・Jr

       スティーブ・ロジャース:クリス・エバンス

       ブルース・バナー:マーク・ラファロ

       クリス・ヘムズワース:ソー

       ナターシャ・ロマノフ:

                    スカーレット・ヨハンソン

              クリント・バートン:ジェレミー・レナー

       スコット・ラング:ポール・ラッド

       キャロル・ダンヴァース:ブリー・ラーソン

  ちなみに、キャストのヒーロー名を順に記載すると、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ハルク、マイティ・ソー、ブラックウィドウ、ホークアイ、アントマン、キャプテン・マーベルとなります。今回はこの他にもドクター・ストレンジ、スパイダーマン、ブラックパンサー、ウォーマシン、ワスプなどなど、とにかくオールスターでマーベルヒーローが登場し、よく破綻せずに脚本を収めたものだと感心します。

  家族の中では子供がマーベル映画の大ファンで、前作の最後を見て新作を待ち望んでいました。1年間耐えた結果、426日の公開が決まり、その日に映画館に足を運んでいました。その映画の出来には家族全員が興味津々で、翌日には子供は質問攻めにあうことになります。さすがにネタバレは御法度なので、深くは語らず、「とにかく絶対面白いので、必ずIMAXで見てね。」とのオススメで感想が締めくくられました。

  実は、私と連れ合いはなんとなく気乗りがせずに前作を見ていなかったのですが、「今回は絶対に前作を見ていないと楽しめないよ。」とのアドバイス。それを受けて、土曜日にレンタル屋さんで前作DVDを借りて見たうえで日曜日に新作を見に行こう、と考えました。どうやら皆さん同じことを考えているようで、1店目の店舗ではすべて貸し出し中。2店目の店舗でやっと見つけ出したのです。ホッとしました。

  いやはや、見て良かった。

  「インフィニティー・ウォー」と「エンドゲーム」は完全なセットで、前作を見ずに映画館に行くと作品の30%程度しか楽しむことができません。皆さんもぜひ前作を見てから映画館にお越しください。

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(映画「アベンジャーズ インフィニティーウォー」)

【ハリウッドの定番脚本】

  さて、以前にも映画紹介でお話ししましたが、今のハリウッドの脚本は登場人物たちの心を描くために効果的なエピソードを語るのが本当に上手です。例えば、今回の敵役は最強ともいえるエイリアン、「サノス」です。彼は、ハルク以上の巨漢で自らの信念に従って全宇宙に秩序をもたらそうとしています。一方、マーベルのヒット作である「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で船長のスター・ロードと恋に落ちる宇宙人ガモーラとその妹のアンドロイドであるネビュラは、暗殺者の姉妹。姉妹の仲は敵愾心と嫉妬心からネビュラは常にガモーラに挑んでいます。

  そして、この二人は今回の絶対者であるサノスの血の繋がらない娘なのです。そこに巻き起こる愛憎劇がこの映画に驚くほどの厚みを醸し出しています。また、これまで「アベンジャーズシリーズ」、「アイアンマン」、「キャプテン・アメリカ」、「マイティ・ソー」で描かれてきた愛憎劇、エピソードもしっかりとこの作品に生かされています。

  今回のアベンジャーズの闘いは、最強のエイリアン「サノス」との決戦を描いています。そして、「インフィニティー・ウォー」の中に書き込まれたエピソードが「エンドゲーム」に繋がっていくのです。

(以下、ネタばれあり)

  「インフィニティー・ウォー」は、サノスがソーたちのアスガルドの人々が地球に向かう避難船を襲い、「石」を奪い取るシーンからはじまります。ロキ兄弟はなんとか「石」を守ろうと抵抗し、ロキは得意のだまし討ちでサノスに立ち向かいますが、まったく歯が立たずロキはなすすべもなく殺されてしまい、サノスは「石」を手に入れることになります。

  避難船に乗っていたハルクは、瀕死の仲間によって地球へと投げ出されソーたちは全滅してしまいます。ハルクは、タイムストーンという「石」を持つドクター・ストレンジのもとに落下し、サノスが「石」を狙って地球にもやってくることを警告します。ストレンジとハルクはアベンジャーズのメンバーである「アイアンマン/トニー・スターク」にサノスの野望を伝え、団結して「石」を守るよう要請したのです。

  ここで、ドクター・ストレンジによって6つの「石」が世界を司っていることが明かされます。その石とは「インフィニティストーン」と呼ばれる石。その種類は、「スペースストーン」、「パワーストーン」、「タイムストーン」、「リアリティストーン」、「マインドストーン」、「ソウルストーン」です。これら6つの「石」を手に入れれば望む未来を実現することが可能となるのです。

  サノスは、これまで宇宙の様々な惑星を侵略し、そこに住む宇宙民族の半数を殺害し、半数を生存させるという殺戮を繰り返してきました。すべての宇宙の住人達の半分を殺戮することで人々は幸福に生きることができるはずだ。それが全宇宙に対するサノスの信念であり、哲学なのです。(ちなみに、このテーマは、ダン・ブラウン氏のラングトン教授シリーズ「インフェルノ」と共通しています。)人類の半数が無差別に殺戮される。この虐殺行為を阻止するため、アベンジャーズが立ち上がります。彼らは勝利することができるのか、それが本作のテーマなのです。

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(アベンジャーズのヒーローたちは生き残るのか?)

  本テーマを考えると、前作「インフィニティー・ウォー」は確かに完結した作品ということができます。しかし、この作品を見ている間、どうも説明的な場面が多いところが気になりました。アベンジャーズでは、第2作までにそのあまりのパワーから彼らを国連の管理下に置く「ソコビィア協定」が交わされています。この協定に反対するキャプテン・アメリカが離反したことから、アベンジャーズはバラバラになっていました。サノスの襲撃に相対するためにバラバラとなっていたアベンジャーズを集結させるためにいくつかのエピソードが必要で、そこにかなりの時間を割いています。

  さらに「タイムストーン」はドクター・ストレンジが所有し、「マインドストーン」はアイアンマンの執事であったAIのビジョンが身に着けることでアンドロイドとなっています。また、「リアリティストーン」はノーホエアという惑星にあり、「ソウルストーン」はヴォーミアという惑星に存在します。それぞれの「石」を手に入れるためにエピソードが頻繁に入れ変わっていくのです。

  確かに説明的なのですが、これだけの悪条件を考えると、数々の戦闘シーンを練り上げて、それぞれのヒーローたちのエピソードを語り、さらにストーリーを創っていく脚本が破たんせずに面白いのは、まさに脚本を練る力のたまものだと感服します。そんな中で、ソーとアライグマのロケット(ソー曰く「ウサギ」)とのやり取りはお遊びの中でも一級品です。

【エンドゲームは本当にエンド?】

  アベンジャーズ第4作に当たるエンドゲームは、これまでの集大成ともいえる作品です。

  ネタばれとなりますが、前作のクライマックスで敵役の「サノス」は何度もアベンジャーズに敗れる直前まで追い詰められます。彼の口癖は、「俺は絶対だ。」ですが、まさにその言葉のとおりに彼は劣勢になりながらも必ず勝利します。6つの「石」を手に入れ、その「石」を装着した超合金の手鎧で指を鳴らそうとした瞬間、マイティ・ソーが虚空から飛び込んできてソノスの体を斧で串刺しにします。

  ソノスを倒したか。そう思われた瞬間、ソノスがにやりと笑い「頭をつぶすべきだったな。」とつぶやくと指を鳴らします。その瞬間。全宇宙の生命体の半分が死滅します。ソノスは、自らの命も再生してどこかにワープしていきます。

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(宿敵 「絶対者 ソノス」)

  「エンドゲーム」の予告編で映し出される、消えゆく人々の映像は、前作のラストシーンだったのです。地球に住む人々も全世界の半数の人々が粉々になって風の中に消えていきます。スパイダーマンのピーターをはじめ、ドクター・ストレンジ、サイコキネシスのワンダ、ブラックパンサーなど、アベンジャーズの面々も粒子となって消えていきました。

  こうして敗れ去ったアベンジャーズ。しかし、物語はこれで終わりではなかったのです。

  最新作「エンドゲーム」はここから物語が始まります。

  「インフィニティー・ウォー」の脚本はあまりに条件が重なったために、少し冗長な感を免れなかったのですが、「エンドゲーム」の脚本はみごとでした。もちろんマーベル映画ですから荒唐無稽感は当たり前なのですが、それをもワンダーに変え、さらに前作を伏線として挿入されるエピソードが涙を誘います。

  今回、アベンジャーズの卒業を表明していたのは、「アイアンマン/トニー・スターク」を演じるロバート・ダウニィ・Jr、「キャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャース」のクリス・エバンス、「ブラックウィドウ/ナターシャ・ロマノフ」のスカーレット・ヨハンソンの3人だと言います。それを聞いて新作を見ると、主役級の3人が素晴らしい役を演じていました。そこに至るエピソードも申し分ありません。まさに有終の美とはこのことです。

  その脚本の妙はおみごととしか言いようがありません。

  また、「インフィニティー・ウォー」では登場しなかったマーベルヒーローも効果的なワンダーを醸しだします。「エンドゲーム」の脚本は2つのフェイズから成り立っています。一つは前作の続き、もう一つは敗北から5年後の物語です。第一フェイズで重要な役割を演じるのは、まず、ジェレミー・レナー演じる「ホークアイ/クリント・バートン」です。彼はアベンジャーズが国連の管理下となったときに引退し、郊外の自宅で愛する奥さんと二人の子供にかこまれて穏やかな日々を送っています。ところが、サノスが指を鳴らしたとき、恐ろしいことが起こりました。

  二人目の登場人物は、つい先日映画が公開されていた「キャプテン・マーベル/キャロル・ダンヴァース」です。彼女の活躍を紹介してしまうと、ダブルネタばれになってしまうので控えますが、彼女が登場しなければ「アイアンマン/トニー・スターク」は宇宙の藻屑と消えてしまうことになるのです。ぜひ、映画をお楽しみに。

  そして、敗北から5年後の世界で重要な役割を演じるのは、ポール・ラッド演じる「アントマン/スコット・ラング」です。2015年に公開された「アントマン」は、本当に面白い映画でした。彼は、ビム粒子によって物を自由に収縮できる技術を発明したビム博士に従って、身体収縮自在のスーツを着て活躍します。今回は、「アントマ&ワスプ」から続くエピソードから彼が重大な役割を担うこととなるのです。

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(物語の行方を握る「アントマン&アプス」)


  「エンドゲーム」は、これまでのアベンジャーズの最後を飾るにふさわしい面白い作品です。映画の中で、アイアンマンとキャプテン・アメリカはタッグを組んであるミッションに挑みます。その中で、アイアンマンは、今は亡き実の父親に出会い心の通う時間を過ごします。また、キャプテン・アメリカもかつての恋人であるシャロン・カーターに出会い、想いを新たにすることとなります。

  こうした緻密なエピソードがすべて心に響き、映画は最後に大きな感動を呼び起こして、ラストを迎えるのです。

  3時間にも及ぶ大作ですが、あっという間の3時間です。この映画はぜひ迫力のIMAXでご覧ください。観終わった瞬間、しばし、作品世界の余韻に浸って感動が続くこと間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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