元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

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(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

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(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

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(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

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(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

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(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベンチでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、との嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりが醸成されるのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

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(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

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(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

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(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

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(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

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(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベントでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、の嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりを醸成していくのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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