ロングセラー 「京都の謎」

こんばんは。

  昨年、紅葉の時期には早いと思いつつ訪れた古都、京都。その訪問記は、昨年末に一日目のワンダーをお知らせしたまま、途切れていました。その後、名古屋に長期出張したり、桜の季節には弘前城、角館を訪ねて雨の桜いかだに感動し、伊豆のジオパークを巡り、黒部立山アルペンルートで立山の星空を眺めたり、とワンダーを重ねて、ついつい京都のことを報告せずにここまで来てしまいました。

  500回を迎えたときに「しばらく京都の話をします。」と書いておきながら、まったくお話しできず内心忸怩たるものがありました。京都旅行は、昨年(2018年)114日から34日の工程でした。事前に紅葉の状況を確認していたのですが、どの情報を見ても「まだ青い」マークが並んでいました。しかし、京都は盆地。東西南北の山々は高台になっているので山沿いにある名刹の紅葉は燃えているのではないか、そう思って旅に出たのです。

  ところで、先日、本屋さんで文庫棚を眺めていると、「京都の謎」という本の表紙が目に飛び込んできました。著者に日本史では有名な奈良本辰也氏の名前が高野澄氏と並んで記されています。思わず手に取ると、昭和47年に上梓された本の再販でした。京都の思い出も冷めやらぬ中、それほどのロングセラーならば読むにしかず、と思い、購入しました。さすがに面白い。

「京都の謎」

(祥伝社黄金文庫 奈良本辰也 高野澄著 2019年)

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(祥伝社黄金文庫「京都の謎」 amazon.co.jp)

  本を読んでいて、まず思い出したのは京都旅行のことでした。

【京都の紅葉は格別です】

  旅の1日目は、以前にブログでご紹介した通りですが、2日目には私が40年来夢に見たお稲荷さんの総本山である伏見稲荷を訪れました。そこでは、奈良線の伏見稲荷駅からすぐのふもとから頂上の一の峰まで数千本の朱色の鳥居が並んでおり、そこを歩いていくのは荘厳な体験です。今は、外国人が多い観光スポットとなっていますが、1000年以上も前に清少納言がここを上ったのかと思うと歴史ロマンに心が躍ります。

  伏見山は標高233mなので、それほどの行程ではないと思っていましたが、実際に一の峰まで登るのは運動不足の体には結構キツイ行程です。入口にある本殿から右手に進むと、まず有名な千本鳥居が始まります。ここから奥社奉拝所までは人・人・人。英語とフランス語とイタリア語とスペイン語、さらには中国語と韓国語。まるで万国博覧会の様相を見せます。写真を撮ると人の間に顔が出ているので、その混雑度合いがよくわかります。

  それでも奥社奉拝所から熊鷹社に至ると徐々に観光客は減っていき、四ツ辻から先は、写真も人が入らずに撮影することができるようになりました。しかし、人の数に反比例して登り坂は急になり登るのがしんどくなるのは当然なのかもしれません。それでも、はるかに見渡せる朱色の鳥居のトンネルと、展望台から見える京都の遠望は見事で、自然に清新な気持ちが沸き上がってきます。

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(伏見稲荷大社の延々と続く朱稲荷)

  伏見稲荷を満喫したために時間は午後3時を過ぎてしまいました。この日のもう一つの目的が醍醐寺です。時間短縮のため、駅前からタクシーを奮発しました。閲覧時間終了直前に駆け込み、誰もいない境内で、かなり色づいた紅葉と有名な五重塔を見ることができました。

  11月5日は紅葉には早く、こちらはまだいろづいたばかりという状況でした。さて、翌日ですが、6日は紅葉を期待して北山方向を歩きました。地下鉄の終点である国際会館の駅からバスで修学院へと向かいます。

  修学院離宮よりも北に行くと赤山禅院というお寺があるというので、まずはそちらに足を延ばしました。少し山間にあるためか、赤山禅院の紅葉は満開一歩手前。そのもみじの美しさに息をのみました。実はこのお寺は神社と一体になっており、最も古い七福神の神様が祭られており、その由緒に思わずほっこりでした。ガイドブックでは、赤山禅院から修学院離宮はそれほどの距離ではないと書かれていましたが、実際に歩くとかなりの時間がかかります。

  修学院離宮は、天皇陛下にゆかりの離宮なので、その管轄は宮内庁となります。その入り口に行くと、1400から宮内庁による離宮の案内があるとのことで、まだ数人の空きがあるのでぜひとのお誘いを受けました。有難く申し込むと、見学には身分証明書が必要とのこと。さもありなん。実は離宮に入場するためには事前の予約が必要だったのです。ラッキーでした。1時間30分ほどでしたが、紅葉も7分ほどで美しく、枯山水も本山水も備えた情緒あふれる離宮内を堪能できたのです。皆さんも訪問の際には事前の予約をお忘れなく。

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(宮内庁管理 修学院離宮の紅葉)

  ところで、京都での旅情報ですが、京都には地下鉄とバスの乗り放題乗車券があるのをご存じでしょうか。観光名所や紅葉名所はこの件があればほとんど訪問が可能です。券には、1日券と二日券があり、観光するにはとても経済的です。我々は、3日目と4日目にこの2日券を利用し、便利でお得を実感しました。京都最後の日程は、南禅寺と禅林寺です。

  地下鉄の東西線、蹴上駅で降り、歩くこと7分~10分の距離にあります。こちらからは南禅寺の三門手前の参道の横に出る道なのですが、そこに至るまでがなかなか見どころにあふれています。まずは、「ねじりまんぼ」と呼ばれるレンガでできたトンネルを抜けると近道です。この日は様々な施設の特別拝観日が重なり、途中にある「大寧軒」、「金地院」などの施設が公開されており、その癒しの庭に感動します。

  そして、南禅寺。三門の手前から参道に出て南禅寺を望むと、その荘厳な三門と本堂に圧倒されます。そして、その背景にはみごとな紅葉を見ることができ、これぞ京都という景色に目を見張ります。三門をはじめ見どころは満載ですが、その奥にある疎水のアーチは、壮大で見事です。この近代建築が、京都古来の南禅寺となじんでいる風景が新たな京都を表現していると思うと感慨もひとしおでした。

  11月7日。あらゆるサイトで紅葉には早いと書かれていたにもかかわらず、南禅寺と次に訪れた禅林寺の紅葉は満開一歩手前の華やかな色付きを誇っていました。禅林寺の参道を歩く時からすでに寺院内の紅葉が塀の上に広がっており、それほど多くはない観光客がまぶしげに紅葉を見やっています。そして、敷地内に入るとみごとな紅葉が我々を迎えてくれます。永観堂は中への拝観が可能ですが、永観堂自体もその建築と広大なお堂が見事なのですが、中からはるかに眺める紅葉にひときわ風情を感じました。

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(ほぼ満開に近い禅林寺の紅葉)

  早い時期で期待が薄かった京都の紅葉でしたが、修学院離宮と禅林寺の紅葉は、それは鮮やかな色合いを見せてくれ、感動しました。この時期、どこもほどほどの人出で、どこの学芸員の方もゆったりとした時間の中で話を聞かせてくれ、ゆっくり京都を楽しむことができました。京都に行くなら、少し早めの時期がお勧めです。

【そして、「京都の謎」】

  本の紹介のつもりが、すっかり京都の旅の報告となってしまいましたが、初めて読んだロングセラー「京都の旅」は、著者の名調子もあいまってさすが古典的な面白さに舌を巻きました。基本的には、歴史の沿ってその謎を提起していくわけですが、その「謎」は、著者が読者に提起する問いかけにほかなりません。

  奈良本辰也氏といえば、明治維新前後の歴史的人物を語れば右に出る方のいない京都派の歴史学者です。吉田松陰、高杉晋作などを新書で著し、林家辰三郎と並んで有名です。かといって、この本が歴史学者の書いた難しい本かといえば、そうではありません。むしろ、よき相棒の高野澄氏とともに、京都のことをこよなく愛する著者たちが、ユーモアを込めてわが町のことを語る、という体で本当に楽しく読むことができます。

  いったいどんな謎が語られるのでしょうか。ここで一気に目次をみてみましょう。

  「なぜ桓武帝は平安遷都を急いだか」、「なぜ東寺が栄え、西寺は消えたか」、「なぜ天神様が学問の神様になったか」、「なぜ白河上皇は賭博を禁止したか」、「なぜ『平家物語』は清盛ご落胤を説くか」、「なぜ鞍馬山は天狗の巣になったか」、「なぜ義仲は六十日天下で終わったか」、「後白河法皇は本当に建礼門院を訪ねたか」、「西芳寺の“枯山水”は古墳の跡だ」、「銀閣寺は義政の妻のへそくりで建った」、「大文字送り火は誰が始めたか」、「なぜ秀吉は聚楽第を破壊したか」、「なぜ“京おんな”は心中が嫌いか」、「井伊直弼は愛人をスパイに仕立てた?」、「志士はどこから活動資金を得たか」、「孝明天皇ははたして毒殺されたのか」、「なぜ明治幼帝は倒幕を決意したか」、「なぜ京都に日本初の市電が走ったか」。

  さすが、京都を愛するお二人が選んだ謎です。平安遷都1200年といわれたのはついこの間でしたが、この本は、平安時代から始まって平家による武士の時代の幕開け、室町時代の銀閣寺から豊臣秀吉、さらには大政奉還を経て明治時代まで、18の謎が京都の土地を中心に論ぜられることになります。そこには、うんちく有り、ロマン有り、事件有り、サスペンス有り、と様々な要素が絡まりあって楽しめる記事となっています。

  また、それぞれの章には、ゆかりの寺社や碑などが地図とともに紹介され、そこに登場する人物たちも示されます。今年の春、東寺の講堂に収められた国宝の仏像曼荼羅が上野にやってきて展覧会が開催されました。昨年、11月に訪れたライトアップ公開時も講堂に安置された21体の立体曼荼羅仏像を見ることができましたが、その圧倒的な迫力に魅了されました。

  東寺は、794年に平安京が誕生したときに西寺とともに建立されました。ところが、今、新幹線から五重塔を眺めることができる東寺はその名を知られていますが、西寺はすでにその姿を見ることはできません。第2章では、その謎が語られますが、まずは京都駅を中心とした洛内の地図が登場します。地図には、東寺は当たり前として、「羅生門跡」、「西寺跡」、「将軍塚」、「神泉苑」、「船岡山石碑」の場所が記されています。さらにこの章の登場人物、弘法大師(空海)、守敏大徳、嵯峨天皇、淳和天皇の4人の名前が紹介されます。

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(美しい東寺のライトアップ)

  東寺と西寺、そこをまかされたカリスマ大師の処世術はどんなものだったのか、2人の天皇と2つの寺の因縁は何だったのか。その謎が名調子とともに語られていくのです。

【京おんなとスパイ、そして明治維新】

  今年は、平成から令和へと年号が変わり、新しい時代に突入しましたが、令和にちなんで太宰府の天神様が大盛況となったようです。この本でも天神様の謎が語られます。日本人には絶大な人気を誇る「平家物語」を題材とした謎が4つも取り上げられているのは、必然でしょうか。平家物語フリークの私には、うれしい限りです。さらに、悪女といわれる日野富子は悪女までは言い過ぎだ、との話。そして、豊臣秀吉と京都の話など、興味が尽きることはありません。

  しかし、この本で本当に面白かったのは、幕末から明治維新に至る謎です。

  まず、京おんなの話。皆さんは、吉野太夫という京都で有名な女性をご存じでしょうか。「太夫」というくらいですから、花魁です。その名称は、花魁中の花魁で舞踊、箏・三味線もよくし、教養溢れる花魁のみに許される名称です。特に二代目吉野太夫はその美しさとともに伝説となっている花魁です。その面白さは、いきなり同じ江戸期に有名であった女性と並べたところです。

  江戸代表は火事と喧嘩は江戸の花といわれる中で恋のために火付けをした八百屋お七、難波の代表は曽根崎心中のモデルとなった天満屋お初。江戸と大阪と京都。江戸時代の3人の女性からひも解く京おんなの謎は、この本の中でも白眉の章でした。

  最後の章は、明治維新で天皇陛下を失った京都がどのようにそれを乗り越えたのかが語られます。ここで語られるのは、琵琶湖から京都に新たな水路を構築し、京都を再生する遠大なプロジェクトにかけた男たちの物語です。その名は、京都疎水。京都旅行の時に南禅寺で見た壮大な上水道施設、疎水の記憶がよみがえり、その謎ときに感動でした。

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(南禅寺境内に凛と立つ疎水の流水路)

  ロングセラーの本には、それだけの魅力があることを知らされた面白い本でした。皆さんも一度京都のロマンに浸ってみてはいかがでしょうか。改めて、京都に行きたくなること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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