美術展 松方コレクションの絢爛と光芒

こんばんは。

  日本に近代西洋美術の美術館を設立したい。

  日本には油絵を描いている若者がたくさんいる。彼らに本物の西洋美術を見ることができるようにしてやりたい。あの松方正義の次男、松方幸次郎がこうした志を持ったのは、1914年に勃発した第一次世界大戦の最中でした。当時、川崎造船所の社長であった松方は、軍艦需要の拡大に乗って軍艦受注によって莫大な財を築き、その資金をもってヨーロッパで名画と呼ばれる絵画を大量に購入したのです。

  1916年にロンドンに渡った松方は、画家のフランク・プラングィンと意気投合し、ヨーロッパでの絵画収集に熱意を注ぎ、そのコレクションを麻布に建設する「共楽美術館」で展示するとの構想を企画したのです。その後、1927年までに松方は、8000点の浮世絵のコレクションの購入も含めて、約10000点の絵画を購入したといわれています。1921年にジヴェルニーに住んでいたモネのもとを訪れて意気投合し、誰にも譲らなかった「睡蓮」を手に入れたエピソードは世に知られています。

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(プラングィン画「松方幸次郎」 美術館所蔵品目録より)

  現在、国立西洋美術館で開催されている「松方コレクション展」では、このときに収集された絵画のうち代表的な絵画や彫刻が、150点以上にわたり展示されています。

  しかし、展示会でも紹介されている通り、松方コレクションは1927年の昭和恐慌のあおりを受けて悲惨な運命に翻弄されました。ワシントン条約による軍縮などによる造船不況、さらに世界恐慌による不況からその年、川崎造船所は倒産します。そして、日本にあった松方コレクションの西洋美術品は債務整理のために売り立てにかけられました。このときに、1000点に及ぶ作品が散逸したといわれています。

  そして、さらなる悲劇がコレクションを襲います。戦時中、日本では海外からの輸送貨物に同じ価値の関税をかける「10割関税」が適用されており、松方コレクションはロンドンとパリにも保管されていました。ロンドンには、約900点の作品が保管されていましたが、1939年に火災により焼失してしまいます。パリに保管されていた400点の作品は、当時ロダン美術館に寄託されていましたが、ナチス・ドイツの侵攻による没収を恐れた日置釘三郎が自宅のある郊外のアボンダンに疎開させました。

  疎開のおかげによりコレクションはナチス・ドイツによる略奪は免れたものの、ドイツの同盟国であった敵国資産として、フランス政府により没収されてしまったのです。戦後、日本政府は絵画の返還交渉を開始します。1951年サンフランシスコ講和が締結された際、首相であった吉田茂はフランスと返還を要求し、コレクションは返還されることとなります。フランス政府は、これらの絵画のうち重要なものはフランスに留め置き、残りを日本に「寄贈」すると語っており、その認識は擦りあいませんでした。フランスは、日本にコレクションを「寄贈返還」するにあたり、コレクションを展示する美術館を建造しそこに保管することを条件としたことから、1959年、国立西洋美術館が建造されて作品は無事に日本に帰ってきたのです。

  先日、連れ合いと一緒に念願の「松方コレクション展」に足を運びました。

【美術展はモネの「睡蓮」から】

  今回の美術展の特徴は、松方幸次郎が傑作絵画を収集したそのプロセスごとに絵画や彫像が展示されている点にあります。そして、そのプロローグは、最も有名なモネとの邂逅と彼が夢見た「共楽美術館」の構想からはじまります。はじめに目に飛び込んでくるのは、モネの「睡蓮」です。この連作はモネが生涯描き続けたモチーフですが、1916年のこの作品は湖畔を描きこんだ藍のような淡い青を基盤として、そこに可憐な睡蓮の花が点描され、様々な色の光が乱舞しています。モネの晩年の光への印象がよみがえるようで、松方の美術への思いがしのばれます。

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(モネ画「睡蓮」収蔵品目録より)

  さらに進むと、コレクションのきっかけとなった画家フランク・プラングィンが描いた松方幸次郎の瀟洒な肖像画が展示されています。松方は、とてもリラックスした表情でパイプをくわえています。その横には、同じくプラングインが描いた「共楽美術館」の絵が飾られています。回廊のような建物の中にはアトリュウムが広がっており、松方とブラグィンが思い描いた夢の美術館が現実のもののように想起されます。

  第1章は、1916年にロンドンに渡り、はじめて絵画の収集に本腰を入れた時期に獲得した作品が中心に展示されています。そのきっかけとなった画家ブラグィンの作品に続いて、制作年代の記載のない作品が並んでいます。15世紀ころの宗教画の技法で描かれた絵が続いていきます。

  その中で、目を引いたのはジョン・エヴァリット・ミレイの「あひるの子」と題された作品でした。端正な表情で真摯に前を見つめる幼い少女の全身が描写され、その筆致の繊細さが少女の生きる力を感じさせ、とても魅了されます。ちなみに、足元に「あひる」の人形が2体配されており、その題名が絶妙です。

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(ミレイ画「あひるの子」 所蔵品目録より)

  もうひとつ、こちらはとても大きなキャンパスに描かれた羊狩りの描写です。酪農家の夫婦の農作業を描写した1枚ですが、たくさんの羊がこの作業を見守り、広い納屋と、見つめる羊たちを表した構図が斬新です。風俗画になるのでしょうが、ミレイの落穂ひろいなどに通じる表現描写に目を見張ります。

  第2章は、幸次郎が集めたコレクションの中でも収集が佳境に入る第一次世界大戦を表現した絵画が集められています。スケッチのような小作品に凛々しい兵士の肖像や見送る民衆、近代戦の武器などがスケッチされています。心に響くのは、この章の最後に飾られた2点の絵でした。大きなカンヴァスに描かれていたのは、抱擁して唇を寄せ合う男女とそれを囲うように取り巻く人々です。男は、軍服にヘルメットをかぶっており、兵士であることがわかります。題名は「帰還」。

  その隣に掛けられた青い服を着た女性が墓石の前にひざまずいています。その横には、娘とその孫と思える少女が佇んでいます。その絵は、リュシアン・シモンの「墓地のブルタニュの女たち」。戦争で最愛の人を失った悲しみが絵から浮かび上がってくるようです。

  そして、展示は第3章「海と船」へと続きます。ここには、テーマに合わせるような大型の作品が展示されています。すぐに目に入ってきたのは、大きなカンヴァスいっぱいに描かれた明るい海と大きな戦艦です。絵の作者は、ウジェーヌ=ルイ・ジロー。題名は「裕仁殿下のル・アーブル港到着」。その絵のまばゆいような海の青は、このシーンを描くように依頼した松方の誇らしげな気持ちが絵に表れているようです。隣に展示された同じ大きさの「ヴィレルーヴィルの海岸、日没」がかもしだす落ち着いた海と夕暮れの風景がみごとなコントラストを演出しており、その素晴らしい展示に心を奪われました。

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(ルイ・ジロー画「裕仁殿下の~」所蔵品目録より)

  この章で展示されているのは6枚の絵画ですが、どの絵も人の背ほどもある大きなキャンヴァスに描かれており、その迫力に圧倒されます。

【ロダン、モネ、クールベそしてルノアール】

  ここから美術展は一挙に佳境を迎えます。第4章は松方が特に収集に情熱を燃やしたロダンの彫刻が一気に展示されています。「考える人」、「接吻」、「私は美しい」、「瞑想」、「フギット・アモール」と人の造形を流線形になぞらえて力強く彫刻した作品が、次々と我々に感動を与えてくれます。「考える人」は、あの有名な「地獄の門」の上部に形作られた座像ですが、部屋の奥には、「地獄の門」のマケット(第三構想)も展示されており、捜索のプロセスまでもが想像されるように展示されています。

  数々のロダンの造形に驚かされながら展示が過ぎていくと、第5章の展示には、さらなる感動が待っています。章題は「パリ 1921年~1922年」。この年、松方は美術評論家の矢代幸雄などと画廊を巡っていました。そこで松方はここに展示される素晴らしい絵画を購入したのです。最初に目に飛び込んでくるのは、アンソニー=ヴァンダイク・コプレー・フィールディングの筆による大きな風景画、「ターベット、スコットランド」です。まるで、印象派を思わせるような、山間の湖が美しく照らされる光景は雄大です。そして、モネの若き日の写生画「並木道」。深い緑の並木が続く道。その構図と色合いにモネの覚悟が垣間見られる一枚です。

  その隣には、心に染み入るようなルノアールの絵画が展示されていました。

  「帽子の女」。背景はカーテンなのでしょうか。青と黄色の淡い色彩を背にしてつばの広い帽子を優雅にかぶった白いドレスの女性がソファに座って右手を椅子の背にかけています。その表情は、ルノアールが得意とする柔らかく静かに微笑んでいるように見えます。見た瞬間にルノアールとわかる、その明るい筆遣いと絵の具の流れ。個人的にはこの展覧会の一番の感動を味わいました。さらに進んでいくと、その先には明るい向陽がまぶしいような「陽を浴びるポプラ並木」と美しい田舎の雪景色をとらえたモネの「雪のアルジャントゥイユ」の2枚が並んで展示されています。

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(ルノアール画「帽子の女」所蔵品目録より)

  やられました。「ポプラ並木」は連作で、以前の展覧会でもその明るい情景に心が躍るようでしたが、今回もモネが見出した光の表現が心をとらえたのです。ここから美術展は怒涛の展開を見せてくれます。クールベの「波」、モネが晩年にロンドン旅行中に描いた「ウォータールー橋」、「チャーリング・クロス橋」、ジヴェルニーで描いた傑作「波立つプールヴィルの海」、「舟遊び」などが次々と目の前に現れます。

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(モネ画「雪のアルジャントゥイユ」収蔵品目録より)

  さらに、松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたとき、フランスに留め置かれたゴッホがこの美術展のために上野に帰ってきたのです。その絵は名作「アルルの寝室」です。ガランとしたベッドと椅子が明るい黄土色の色彩で描かれた絵は、ゴーガンと二人で過ごしたアルルへの思いが込められているように感じられて、そこはかとない郷愁を感じます。この絵の先には、ちょうどゴッホと別れたころに描かれたゴーガンの「扇のある静物」が展示されており、二人の思いがしのばれる後世になっています。この2枚は、ともにオルセー美術館からこの展覧会のために送られた作品で、その意気な計らいに感謝です。

  そのゴッホの「アルルの寝室」と並んで展示されていたのは、同じ年の作品「ばら」です。幻想的な明るい緑の森を背景にして美しく咲くバラの花がいくつもちりばめられていて、今回の美術展の中では、一押しのゴッホです。とても強い印象が心に残り、ついポストカードを買ってしまいました。ちなみにオルセー美術館からは、セザンヌの「調理台の上のポットと瓶」も出品されており、今回の美術展を盛り上げてくれています。

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(ゴッホ画「ばら」所蔵品目録より)

【売り立ての絵画と戦後の寄贈返還】

  美術展は、いよいよ最終章へと向かっていきます。

  第6章では、1923年にコペンハーゲンの実業家ハンセンコレクションを購入した時の絵が展示されています。実は、このときに購入した絵は川崎造船の清算時にほとんどが散逸し、今回は様々な場所から出品された作品が展示されています。ドガの「マネとマネ婦人像」は北九州市立美術館から、珍しいマネの「自画像」とシスレーの「サン=マメス 六月の朝」はブリジストン美術館から、モネの「積みわら」は倉敷にある大原美術館からの出店。どの絵も印象派を語る中では欠かすことができない名作です。

  第7章は「北方への旅」と題されています。1921年にベルリン、スイスに「足を延ばした折に手に入れた北欧の画家の作品がここに展示されています。オランダ絵画として有名なフリューゲルやファン・ネン・デールの風俗画やドラクロアの作品が心に響きます。ここで最も目を引いたのは、あのムンクの「雪の中の労働者たち」です。縦223cm×横167cmの巨大なカンヴァスに描かれた労働者たちの姿は強い迫力をもって我々に迫ってきます。雪の中を歩く黒い服と帽子を身にまとった労働者の集団の描写は、何に突き動かされたものなのか、想像が膨らみます。

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(ムンク「雪の中の労働者たち」所蔵品目録より)

  美術展の最後は、コレクションが歩んだ運命を象徴する絵画で締めくくられます。1959年松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたときのニュース映像が会場に流されており、そのときを忍ばせる絵画が展示されています。マティスの「長椅子に座る女」やスーティンの「ページ・ボーイ」は作品の重要性からそれぞれフランスに止め置かれ、今回はバーゼル美術館、ポンピドー近代美術館から出品されました。ルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」は、政府の強い要請により現在は国立西洋美術館の所蔵となっている名作です。

  マネの「嵐の海」は、2012年にナチス・ドイツに強奪された絵画とともに画商のグルリットの自宅で発見され、彼の死後にベルン美術館に遺贈された作品だといいます。どの絵も傑作なのですが、コレクションの経緯を知るにつけ、絵画の運命にも思いをはせることとなり胸を突き動かされます。

  美術展のエピローグとして展示されるのは、松方幸次郎がモネから直接購入したという晩年の作品「睡蓮、柳の反映」です。この作品は、2016年に変わり果てた姿で発見されました。絵画の上部半分は老朽と痛みから逸失し、株半分も汚れで何が描かれているのかさえ判別できません。しかし、美術館のキュレーターは2年をかけてこの絵画を修復、その下半分がみごとによみがえったのです。それは、香川県直島の地中美術館に展示されている「睡蓮」を思い起こさせます。

  さらに、失われた上部も今回、様々な人々の尽力によって、デジタルコンテンツとして蘇りました。

  その経緯は、NHKスペシャルの「モネ 睡蓮(すいれん)~よみがえる“奇跡の一枚”~」で特集されたので、ご覧になった方も多いと思います。

  今回の美術展は、日本にもヨーロッパの絵画に胸を打たれ、その収集に奔走した人物が存在したことを改めて思い起こさせてくれる素晴らしい企画です。もちろん、印象派や点描画に象徴される西洋絵画の魅力も余すことなく伝えてくれ、改めて数々の名画の魅力を我々に教えてくれます。

  国立西洋美術館が松方コレクションのために建てられたものであることを、今回初めて知りましたが、当日は企画展とは別に1階、2階で繰り広げられる常設展も鑑賞してきました。こちらには、松方コレクション展には出展されなかった名画があふれんばかりに展示されています。1930年代の宗教画から始まり、印象派につながるクールベやシスレーの絵画、さらには20世紀に花開いたキョビズムや象徴絵画まで、その歴史をたどるがごとく名作が額を連ねています。

  上野での松方コレクション展は、今月の23日までです。まだ見ていない方はぜひ足を運んでみてください。絵画が好きな方には、名画の感動が待っています。また、歴史好きの方には日本の絵画史に残る出来事が詰まっています。絵画の魅力と知的興奮にあふれた美術展。人生が豊かになること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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