ついに完結!「スター・ウォーズ」シリーズ

こんばんは。

  いきなり閑話休題なのですが、戦後プロ野球の歴史を長嶋さん、王さんとともに作り上げてきたレジェンド、野村克也氏が亡くなりました。

  このブログでも野村さんの著書は数えきれないほど紹介してきましたが、日本のプロ野球に数々の新たなページを書き加えてきた氏の功績は何物にも代えがたいものだと思います。ニュースでは、その教え子たちのコメントが次々に述べられていましたが、同時代に切磋琢磨してきた人々の語りもさることながら、監督時代にその教えを学んだ高津監督や島選手の涙は我々の心を打ちました。

  3年前に奥さまを亡くしてからすっかり元気がなくなりましたが、同じ病状で亡くなったその仲睦まじさをそのまま天国でも続けていくものと、心からのご冥福をお祈りしています。

  野村さんの選手晩年と監督時代の活躍を同時代に味わうことができ、野球ファンとしてこれほどの幸せはありません。西武での生涯現役捕手時代、その後のID解説者時代、ヤクルトの黄金時代を築いたヤクルト監督時代、阪神監督時代、マーくんを育てた楽天監督時代、とすべての時代で我々に野球の奥深さを教えてくれました。その人間観察の確かさと弱者が勝つためのマネジメントは、これからも我々の指針として役に立つことに間違いありません。本当にありがとうございました。感謝です。

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(1995年 日本一のトロフィーを掲げる野村氏)

  さて、野村さんの話は一度おいて、今回は「スター・ウォーズ」の話です。

  ジョージ・ルーカス氏が壮大なサーガを構築し、そのサーガをもとに最も面白いエピソードを画像化するとのコンセプトで制作された映画「スター・ウォーズ」シリーズ。その大ヒットシリーズが、40年の時を超えてついに完結しました。

  「スター・ウォーズ」シリーズは、1977年から1983年にかけて制作公開された3部作が「オリジナル・トリロジー」。1999年から2005年にかけて作られた3部作が「プリクエル・トリロジー」。2015年から2019年まで作成され、ついに昨年末に最終作「スカイウォーカーの夜明け」が公開された3部作は「シークエル・トリロジー」と呼ばれています。「プリクエル」とは本編に対する前編を意味しており、「シークエル」とは後編を意味しています。

  つまり、最初の3部作は「オリジナルストーリー」であり、ルーカスが作成したアナキン・スカイウォ―カー(ダーズベイダー)の物語が「オリジナル」の前日譚であり、ディズニーが制作した直近の3部作が「オリジナル」の後日譚となるわけです。

  「オリジナル」からのスター・ウォーズファンとしては、年末に公開された完結編を見逃すわけにはいきません。先日、満を持してついに11回の上映となってしまった「スター・ウォーズ」最終完結編を見に行きました。

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(2019年米・142分)

(原題:「Star Wars The Rise of Skywalker」)

・スタッフ  監督:J.J.エイブラムス

       脚本:J.J.エイブラムス

          クリス・テリオ

・キャスト  レイ:デイジー・リドリー

       カイロ・レン(ベン):アダム・ドライバー

       フィン:ジョン・ボイエガ

       ポー・ダメロン:オスカー・アイザック

       ランド・カルリシアン:ビリー・ディー・ウィリアムス

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(「スカイウォーカーの夜明け」ポスター)

【オールスターキャストの豪華さ】

  今回の「シークエル・シリーズ」の題名を見てみましょう。

  第1作目が「フォースの覚醒」、第2作目が「最後のジェダイ」、最終作は「スカイウォ-カーの夜明け」となっています。参考にこれまでの題名も見てみましょう。「オリジナル・トリロジー」は、1作目が「新たなり希望」、2作目は「帝国の逆襲」、3作目が「ジェダイの帰還」です。「プリクエル・トリロジー」は、第1作が「ファントム・メナス」、第2作が「クローンの攻撃」、第3作が「シスの復讐」となっています。

  題名を追っていくとよくわかりますが、銀河世界をすべて手中に収めようするシス一族とそれぞれの民族の自由独立を守ろうとする共和国軍の闘いという大きな流れの中で、「フォース」という精神力(気)を持つジェダイという共和国の騎士団がシス一族と相対する物語が紡がれていくことになります。ここで非常に重要な要素は、ジェダイの騎士が操る「フォース」は、暗黒面としての側面も有しており、シス一族も暗黒面の「フォース」を操ることができるという点です。

  「オリジナル」では、ジェダイの騎士の最後の生き残りは2人いて、その一人オビ・ワン・ケノービーであり、もう一人がヨーダでした。一方、シス一族の帝国軍ではダース・ベイダー卿という将軍が暗黒面の「フォース」を操ります。「オリジナル・トリロジー」では、様々な謎が、物語の進行につれて我々に明かされていくことになります。まず、2作目で主人公であるルーク・スカイウォーカーの実の父親がダース・ベイダー卿であることが明かされ、我々に衝撃を与えました。

  いったい敵と味方に分かれて争う「フォース」の持ち主たちが親と子であるとはどうゆうことなのか。その驚きが継続されたまま、作品は第3作目へと突入します。さらに第3作目ではそれ以上に驚きの事実が明かされることになります。それは、共和国軍の王女であるレイア・オーガナ姫が、ルーク・スカイウォーカーの双子の兄妹であるという、これまた衝撃の事実です。次々と明かされる謎に我々は驚くのですが、これこそがジョージ・ルーカスが作品に仕掛けたワンダーのひとつだったのです。

  そして、「オリジナル」で明かされた衝撃の事実がなぜ生まれたのか。それを解き明かしたのが21世紀の幕開けに制作された「プリクエル・トリロジー」だったのです。

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(エピソード1「ファントムメナス」ポスター)

  こうした物語を踏まえて、その後を描こうとする「シークエル・トリロジー」の構想は、物語の構成からして非常にハードルが高かっただろうと想像されます。まず、驚いたのは新たな主人公の創出です。ファミリーネームを持たないレイという女性。第1作目は、彼女にリアリティと存在感を与えるために作られたといっても過言ではありません。そのリアリティは、フィン問「帝国軍からの脱走兵によって強調されています。この二人を創出したことで、「シークエル・トリロジー」はやっと動き出すことができたのではないでしょうか。

  レイにはなぜか「フォース」が宿っているようです。その存在は、第2作目に進んで彼女は世捨て人であったルーク・スカイウォ-カーを発見し、ジェダイの修業を受けるようになっても、依然謎のまま最終作へと突入します。一方で、「オリジナル・トリロジー」の人々の人生もレイと同時並行で進んでいきます。

  「シークエル」では、ルーク・スカイウォ―カーもレイア・オーガナ姫もハン・ソロもそれぞれ年齢を重ねて登場します。レイア姫は、シス一族の流れをくむ「ファースト・オーダー」となのる新帝国軍に対抗し、今や共和国軍を率いる将軍となっています。ハン・ソロとは別れていますが、その間にはベンという一人息子を設けました。ところが、ベンはまるでダース・ベイダーのように暗黒面の「フォース」の力に取り込まれ、何と帝国軍の将軍となっているのです。

  ここで、「シークエル」に過去の歴史が繰り返されることになります。ベンは、カイロ・レンと名を変えて、シスの手先となって母親であるレイア姫率いる共和国軍と対峙することになります。こうして、1作目ではハン・ソロが殺され、第2作ではルーク・スカイウォーカーが渾身のエネルギーを使い果たして地上からは消え失せ、レイア姫も第3作で帰らぬ人となります。そして、物語はシス一族対レイの闘いをクライマックスとして壮絶な最後が描かれることとなるのです。ここに至って、最後に残されたレイの出生の秘密が明かされることになるのです。

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(帝国軍の戦艦 スターデストロイヤー buzz-plus.com)

  今回は、「アロジナル」の2作目でハン・ソロやルークに力を貸したランド・カルリシアン将軍も登場し、まさにオールスターキャストの映画となりました。完結編には、亡くなったハン・ソロやルーク・スカイウォーカーも登場し、物語で重要な役割を演じることになるのです。

【ディズニー・スター・ウォーズとは?】

  これまでも、「フォースの覚醒」、「最後のジェダイ」をご紹介した回でディズニー映画となった「スター・ウォーズ」がいかにノスタルジー映画になっているかを語ってきました。今回の最終話もやはり「壮大なノスタルジー映画」であることに変わりがありません。

  これ以上深入りすると、第3作目の最終映画のネタばれとなってせっかくのワンダーを削ぐことになってしまうので、具体的なシチュエーションは語らずに話を進めます。

  この物語の進行から言えば、当然ラストは「シークエル・トリロジー」の主人公であるレイと帝国軍を率いるシス一族の首領との対決となります。シスの本拠地はこれまで謎に包まれていましたが、今回、ついに銀河の奥深くに隠されたシスの本拠地が判明し、帝国軍の数万に及ぶ大編隊に共和国軍が全兵力を動員して最後の決戦を挑みます。帝国軍では、これまでも惑星を吹き飛ばすパワーをもつスーパーレーザー砲が惑星基地「デススター」に搭載されて登場しましたが、今回はそのスーパーレーザー砲が装備された戦艦が登場します。

  今回描かれる最後の決戦は、これまでとは比較にならないスケールで描かれます。数万の艦隊である帝国軍に対して、共和国軍の艦隊は数えるほどの艦隊でしかありません。敵の弱点に対してワンポイント攻撃を試みるのですが、多勢に無勢。少数精鋭の舞台で帝国軍の帰還に乗り込んだフィンたち一隊も苦戦を強いられます。

  「オリジナル」でデススターに追い詰められたルークたちにはエンドア星の住人であるイウォーク族の加勢があり、民族を超えた連帯の力強さが描かれていました。その連帯が我々に大きな感動を生んだのですが、今回も最後の決戦に臨んで生命の大きな連携がカギを握ります。しかし、その連携の描かれ方に今ひとつリアリティがないのです。

  もちろん、リアリティを出すための工夫が随所でなされていることに間違いはありません。シス族が潜む星を見つけるためにレイとフィン達は部隊を編成して、ヒントとなるシスの言葉を解読するためにキジーミという星に潜入します。そこは、共和国軍のポー大佐が昔悪事を働いていた星で、昔なじみのゾーリ・ブリスという女性が仲間として登場します。そこのやり取りは泣かせるエピソードなのですが、このエピソードが最後の決戦のにくい伏線となっており、リアリティのための工夫の一つなのです。

  ポー大佐が世話になったキジーミ星は、帝国軍が新たに建造した旗艦船に備えられたスーパーレーザー砲によって木端微塵となり、宇宙の藻屑と消えてしまうのです。

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(究極の兵器 デス・スター wired.jpより)

  しかし、こうした周到に用意されたエピソードでリアリティを醸し出そうとする演出にもかかわらず、ラストシーンが終わったときに涙が出るような感動は湧き出てきませんでした。なぜなのでしょうか。それは、映画の展開があまりにも忙しすぎたせいだと思います。この映画は、レイという新たなジェダイの後継者とルークたち(カイロ・レンを含む)の物語の2本だてとなっています。しかし、その伏線の描き方が丁寧ではありません。これまで、ファンが知っている「オリジナル」を意識するあまり、あまりに多くのエピソードが詰め込まれて、エピソードのリアリティが希薄になっていると思えるのです。

  映像としてのワンダーも黒沢映画のワンダーを踏襲したジョージ・ルーカスのような驚きを醸し出すこともなく、脚本も破綻のない物語展開を意識するあまり、オリジナルのワンダーを出し切れていないという印象でした。

  さすが、ハリウッド映画として最高のエンターテイメントになってはいるのですが、「スター・ウォーズ」としては、前作以上に「壮大な二番煎じ」との印象は鑑賞後に湧き出てきた感想です。

  この「シークエル・トリロジー」は、独立したシリーズとして3本をまとめて見れば新たな感動を感じることができるのかもしれません。いつか、時間があれば味わってみたいものです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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