コートールド美術館は印象派の宝庫

こんばんは。

  マネの絵画、「フォリー=ベルジェールのバー」にピンとくる方はどれくらいいるのでしょうか。

  9月10日から東京上野の東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展 魅惑の印象派」もいよいよ1215日(日)に最終日を迎えます。開催期間が長いのでついつい油断していましたが、12月に入ればアッという間ですので、意を決して師走初日に上野の美術館に足を運びました。

  この美術展は、開催前から評判が高く。これまで目にすることがなかったモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールの名画が日本にやってくるということで、印象派が大好きの日本人が待ちに待った美術展でした。かくゆう私も印象派といえば、矢も楯もたまらずに見に行きたいと思っていました。幸いにしてお天気も良く、上野公園は寒くもなく紅葉もだいぶん進み、散歩日和です。美術館についたのがちょうどお昼前ということもあり、美術館は珍しく人が少ない状況でした。

  ところで、コートールド美術館とは聞きなれない美術館です。場所を見ると、まさにロンドンのシティの西側テンプル教会の近くにあります。美術館の発祥は、人工絹糸の製造で巨万の富を築いたサミュエル・コートルドの絵画コレクションに寄るものです。彼は収集のみでなく、美術史や美術保存を探求するためにコートールド美術研究所を設立。美術館は研究所に付属する施設として1932年に開館したといいます。

  コートールド氏は、保守的なイギリスでは受け入れられなかったフランスの印象派絵画の価値に早くから心を寄せ、自らの審美眼を信じて奥様と一緒に絵画を買い集めたといいます。そのコレクションは、印象派、ポスト印象派の名だたる画家の作品に及んでいます。コートールド美術館は、現在リニューアル工事が進められており、その間、門外不出の名画たちが日本を訪れているのです。東京都美術館は入り口が地下になりますが、入口を入り、正面にミュージアップショップを見て、左に向かうと、企画展の入り口が見えてきます。

  入り口の横には、いつも長蛇の列が幾重にもつながっているのですが、この日はガランとしており、今回の美術展の顔ともいえるマネの「フォリー=ベルジェールのバー」がその威容を見せてくれています。何人かの人たちがその前で記念撮影をしており、我々も写真を撮ってからいよいよ美術展に入場しました。

【作家が絵を描くのはなぜ?】

  受付を過ぎて展示室に進むと、第一章は「画家の言葉から読み解く」と題された展示となります。さすが、コートールド美術館は美術研究所に付随する施設であるだけあって、美術史を踏まえた展示に興味をそそられます。画家は、それおれ想いを持って自らの絵画を完成させます。その想いを知ることはできませんが、この章では、画家たちが残した手紙や手記からその想いを紐解いていくのです。

  展示会はホッスラーの「少女と桜」からはじまりますが、その次には早くもゴッホの「花咲く桃の木々」が登場します。ゴッホは1888年、画題の風景を求めてアルルに移り住みますが、この絵はそのアルルの風景を映し出します。ここでは、ゴッホがポール・シニャックに宛てた手紙が紹介されます。「この地のすべては小さく、庭、畑、庭、山々でさえ、まるで日本の風景のようだ。だから、私はこの主題に惹かれたのだ。」この絵は、桃の果樹園とそのはるか向こうの山々、そして広く輝く空を湛えていて、とても明るいタッチで描かれています。

  ゴッホは、本当に浮世絵にあこがれていたのですね。

  晩年のタッチの片鱗を感じながら進むと、いきなりモネが登場します。画題は「アンティーブ」。モネといえばノルマンディーの海岸で描いた「エトルテ」は名画ですが、こちらの絵は地中海に面するリゾト地アンティーブから見た美しい海と空を描いていいます。画面の左中央には華奢な幹の松がアクセントを加えており、モネ独特の青い空と青い海、そしてはるかに連なる山脈が見て取れます。本当にモネの絵には心が洗われます。

  「アンティーブ」に続いては、大きな花瓶に生けられた美しい花が画面いっぱいに描かれた絵に目を奪われます。この作品は1881年に着手されたそうですが、長年秘蔵され晩年に筆を入れたうえで売却したといいます。確かに全体としては淡く明るい印象ですが、華やかな花々の中に複雑な陰影が見え隠れしており、晩年のモネの手が入っていると聞くと確かにそう思えます。

  いきなりのゴッホとモネで感動した後に目に入ってきたのはセザンヌでした。作品は「アヌシー湖」。緑にぬり込められた湖に映るモリト城を描いたこの作品は、絵画の可能性を独自に追求したセザンヌらしい作品です。この絵について、セザンヌは「若い女性の旅行アルバムのような風景」といいながらこの絵を描いたとのこと。描く自らを楽しんでいたのか、自虐的に見ていたのか、想像が膨らみます。

  そして、驚くことにここから9枚ものセザンヌの名作が続くのです。その作品は、「レ・スール池、オスニー」、「ノルマンディーの農場、夏」、「ジャス・ド・ブッファンの高い木々」、「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」、「鉢植えの花と果実」、「カード遊びをする人々」、「パイプをくわえた男」、「キューピッドの石膏像のある静物」と続きます。

  風景画では、セザンヌが織りなす緑の豊かな表現に目を見張りましたが、展覧会で焦点を当てていたのは、「カード遊びをする人々」です。セザンヌは、1892年からこの題材に臨んでいたそうですが、何枚もの同じ作品が各地の美術館に保管されているといいます。今回の絵は、「パイプをくわえた男」に描かれた農夫が別の男と二人で向かい合ってカードをしている姿が描かれています。

  セザンヌは、一見何気ない風景に見える構図でも人間の目が持つ特性をよく理解して、ことのほか自然に見えるように工夫を重ねているのです。二人がカードに興じているテーブルは、水平ではなく左に傾いていますし、カードを持つ男の胴はよく見ると不自然に長くなっています。さらに腰かけている椅子も言われてみれば不自然に短く描かれています。セザンヌは、絵を描くにあたり、目の前の対象を写生するのではなく、複眼を使って自らが納得できるように見える構図を創造して作品を描いていたのです。

  「キューピッドの石膏像のある静物」でも石膏像の隣に置かれたリンゴを載せた皿は水平に描かれているものの、バックに描かれた静物?が異様に傾いて見えます。セザンヌは、「リンゴ1つで、パリを驚かせたい」と語ったといいますが、彼にとってリンゴは、ただのリンゴではないようです。

  この美術展は、様々な工夫がなされており、作家の手紙やコートールド氏が絵を買ったときの領収書、コートールド美術研究所の本などが展示の合間に紹介されています。その中には、作家と作品のつながりを動画で紹介するコーナーがあります。ここでは、セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」が紹介されていました。この山はセザンヌの故郷に聳え立つ神に近い山であり、セザンヌはこの山の姿を何度も描いています。動画では、セザンヌの絵と全く同じアングルでヴィクトワール山を映していますが、それを見ると彼の心に映った大和の対比が浮き出て、彼の描いた絵の個性が際立つ思いがしました。

印象派を感じる審美眼

  展覧会は第二章「時代背景から読み解く」へと進んでいきます。

  19世紀末から20世紀。フランスでも近代化が進み、人々は都市から汽車に乗って近郊の緑地や川辺、そして海へと移動して様々な楽しみに身を投じるようになりました。そうした変化をこの章では絵画から読み解いていきます。

  第一章でも印象派の大家の絵に魅了されたのですが、第二章でも我々は次々に感動と出会うことになるのです。ブーダン、マネ、モネ、ピサロ、シスレー、ルソー、ルノワールと名前を聞くだけでうっとりしてしまうような名画が一歩進むごとに登場するのです。

  モネの師でもあった風景画の大家ブーダンの「ドーヴィル」はいきなり我々の心を射抜きます。この絵は、ドーヴィルの砂浜と山、海と空を、画面いっぱい使って描きあげているのですが、絵の上半分以上を占める雲が沸き上がる空の描写は、我々の心を空へと誘うようです。ブーダンは、絵画の世界で「空の王者」と呼ばれているそうですが、その面目躍如です。その絵に並ぶ弟子モネの「秋の効果、アンジャントゥイユ」。モネがアトリエ舟によって川面の上から描いた絵画ですが、モネが感じた秋の光がみごとな効果を上げており、引き込まれます。

  この章の絢爛さは格別です。シスレーやピサロ、そしてルソーの絵に感動していると、その流れに登場するのがルノアールです。まず、「春、シャトゥー」。ルノアールの風景画は淡く明るく心がすがすがしくなるのですが、この絵はまた格別な感動を味わうことができます。濃淡様々な緑と白があふれかえるように広がっている中に、麦わら帽子の人物がまるで花弁のように佇む構図。その向こうにはセーヌ河がわずかにのぞいています。素晴らしい。

  さらにルノワールは、秋を描く「ポン・ダヴェンの郊外」、「アンプロワーズ・ヴォラールの肖像」、「靴紐を結ぶ女」、「洗濯する女」(ブロンズ像)、「桟敷席」と続きます。ルノアールの創ったブロンズ像にも驚きましたが、何といっても圧巻は「桟敷席」。当時、パリの劇場で桟敷席は貴婦人たちのファッションショーの現場のようです。本来、遠景でしか見えないはずの桟敷席にいる貴婦人を超アップでとらえたこの作品は、ルノアールにとっても冒険であったに違いありません。そして、それは単なる冒険ではなく、夫人の上品な美しさを描いて画家の個性を際立たせています。

  ルノアールに魅せられた次には、踊り子が印象的なドガの絵が登場します。「舞台上の二人の踊り子」は、中心に広い舞台空間を描き構図の右手に登場したところでしょうか、つま先台をしてまさに踊り始めたバレリーナが描かれます。その緊張感と美しさが見事なバランスを醸し出していて、引き込まれます。そして、展示室の中には、そのドガが造形したブロンズ像「踊り始めようとする踊り子」が展示されています。まさに美術研究所的な展示に興味をそそられます。

  ドガに感動し、歩みを進めるとロートレックが登場します。ロートレックと言えばムーラン・ルージュですが、今回はムーラン・ルージュの踊り子やレストラン「ラ・モール」の個室にいる娼婦の素顔を描いており、いつものロートレックとは違う表現を味わうことができます。

  そして、第二章のハイライトは、この展覧会と言えば登場する絵画です。

  その前に、意外な絵が目に飛び込んできます。それはマネの「草上の昼食」です。この絵は森の中で昼食を取る男女が描かれていますが、物議を醸しだしたのは、描かれた女性が一糸も纏わぬ姿だったからです。なぜ、この絵がここにあるのか。近づいてみると、その解説にこの絵が2点あることが書かれていました。以前に見た「草上の昼食」は、オルセー美術館が所有する作品だったのです。言われてみれば、描かれた女性や紳士たちの表情がなんとなくのっぺりしています。どうやらこの作品は、オルセーの作品を描くにあたって、背景となる森の木々をどのように構成するかを確定するための習作だということです。

  それにしてもこの有名な作品に習作が存在するとは、コートールド氏の収集心が偲ばれるようなコレクションです。

  そして、我々の目に飛び込んでくるのは、マネ晩年の大作、「フリー・ベルジェールのバー」です。さすが、作品の前は黒山の人だかりです。それでも、少し並べば絵を目の前で鑑賞することができる程度の人ごみでした。絵は、縦96cm、横130cmという大きさですが、作家の力量と迫力から実際の大きさ以上に迫力がありました。絵画では、バーのカウンターに佇んで男性の相手をしているバーメイドが我々をじっと見つめています。


  さて、美術展ではこの絵を様々な角度から分析してくれており、その魅力をぞんぶんに解説してくれているのですが、残念ながら紙面が尽きてしましました。この続きは次回(以降)にお届けしたいと思います。

  今回の美術館展は、門外不出の作品を一堂に会した貴重な美術展です。東京都美術館での開催は今月15日で終了しますが、その後、愛知県美術館、神戸市立博物館で開催の予定です。絵画好きの方もそうでない方もぜひ一度足を運んでください。絵画の魅力に心を奪われること間違いなしです。

  美術はやっぱり実物を見なければ本当の感動に行きつくことができません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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コートールド美術館は印象派の宝庫

こんばんは。

  マネの絵画、「フォリー=ベルジェールのバー」にピンとくる方はどれくらいいるのでしょうか。

  9月10日から東京上野の東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展 魅惑の印象派」もいよいよ1215日(日)に最終日を迎えます。開催期間が長いのでついつい油断していましたが、12月に入ればアッという間ですので、意を決して師走初日に上野の美術館に足を運びました。

  この美術展は、開催前から評判が高く。これまで目にすることがなかったモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールの名画が日本にやってくるということで、印象派が大好きの日本人が待ちに待った美術展でした。かくゆう私も印象派といえば、矢も楯もたまらずに見に行きたいと思っていました。幸いにしてお天気も良く、上野公園は寒くもなく紅葉もだいぶん進み、散歩日和です。美術館についたのがちょうどお昼前ということもあり、美術館は珍しく人が少ない状況でした。

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(マネ「フォリー=ベルジュールのバー」)

  ところで、コートールド美術館とは聞きなれない美術館です。場所を見ると、まさにロンドンのシティの西側テンプル教会の近くにあります。美術館の発祥は、人工絹糸の製造で巨万の富を築いたサミュエル・コートルドの絵画コレクションに寄るものです。彼は収集のみでなく、美術史や美術保存を探求するためにコートールド美術研究所を設立。美術館は研究所に付属する施設として1932年に開館したといいます。

  コートールド氏は、保守的なイギリスでは受け入れられなかったフランスの印象派絵画の価値に早くから心を寄せ、自らの審美眼を信じて奥様と一緒に絵画を買い集めたといいます。そのコレクションは、印象派、ポスト印象派の名だたる画家の作品に及んでいます。コートールド美術館は、現在リニューアル工事が進められており、その間、門外不出の名画たちが日本を訪れているのです。東京都美術館は入り口が地下になりますが、入口を入り、正面にミュージアップショップを見て、左に向かうと、企画展の入り口が見えてきます。

  入り口の横には、いつも長蛇の列が幾重にもつながっているのですが、この日はガランとしており、今回の美術展の顔ともいえるマネの「フォリー=ベルジェールのバー」がその威容を見せてくれています。何人かの人たちがその前で記念撮影をしており、我々も写真を撮ってからいよいよ美術展に入場しました。

【作家が絵を描くのはなぜ?】

  受付を過ぎて展示室に進むと、第一章は「画家の言葉から読み解く」と題された展示となります。さすが、コートールド美術館は美術研究所に付随する施設であるだけあって、美術史を踏まえた展示に興味をそそられます。画家は、それおれ想いを持って自らの絵画を完成させます。その想いを知ることはできませんが、この章では、画家たちが残した手紙や手記からその想いを紐解いていくのです。

  展示会はホッスラーの「少女と桜」からはじまりますが、その次には早くもゴッホの「花咲く桃の木々」が登場します。ゴッホは1888年、画題の風景を求めてアルルに移り住みますが、この絵はそのアルルの風景を映し出します。ここでは、ゴッホがポール・シニャックに宛てた手紙が紹介されます。「この地のすべては小さく、庭、畑、庭、山々でさえ、まるで日本の風景のようだ。だから、私はこの主題に惹かれたのだ。」この絵は、桃の果樹園とそのはるか向こうの山々、そして広く輝く空を湛えていて、とても明るいタッチで描かれています。

  ゴッホは、本当に浮世絵にあこがれていたのですね。

  晩年のタッチの片鱗を感じながら進むと、いきなりモネが登場します。画題は「アンティーブ」。モネといえばノルマンディーの海岸で描いた「エトルテ」は名画ですが、こちらの絵は地中海に面するリゾト地アンティーブから見た美しい海と空を描いていいます。画面の左中央には華奢な幹の松がアクセントを加えており、モネ独特の青い空と青い海、そしてはるかに連なる山脈が見て取れます。本当にモネの絵には心が洗われます。

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(モネ「アンティーブ」)

  「アンティーブ」に続いては、大きな花瓶に生けられた美しい花が画面いっぱいに描かれた絵に目を奪われます。この作品は1881年に着手されたそうですが、長年秘蔵され晩年に筆を入れたうえで売却したといいます。確かに全体としては淡く明るい印象ですが、華やかな花々の中に複雑な陰影が見え隠れしており、晩年のモネの手が入っていると聞くと確かにそう思えます。

  いきなりのゴッホとモネで感動した後に目に入ってきたのはセザンヌでした。作品は「アヌシー湖」。緑にぬり込められた湖に映るモリト城を描いたこの作品は、絵画の可能性を独自に追求したセザンヌらしい作品です。この絵について、セザンヌは「若い女性の旅行アルバムのような風景」といいながらこの絵を描いたとのこと。描く自らを楽しんでいたのか、自虐的に見ていたのか、想像が膨らみます。

  そして、驚くことにここから9枚ものセザンヌの名作が続くのです。その作品は、「レ・スール池、オスニー」、「ノルマンディーの農場、夏」、「ジャス・ド・ブッファンの高い木々」、「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」、「鉢植えの花と果実」、「カード遊びをする人々」、「パイプをくわえた男」、「キューピッドの石膏像のある静物」と続きます。

  風景画では、セザンヌが織りなす緑の豊かな表現に目を見張りましたが、展覧会で焦点を当てていたのは、「カード遊びをする人々」です。セザンヌは、1892年からこの題材に臨んでいたそうですが、何枚もの同じ作品が各地の美術館に保管されているといいます。今回の絵は、「パイプをくわえた男」に描かれた農夫が別の男と二人で向かい合ってカードをしている姿が描かれています。

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(セザンヌ「カード遊びをする人々」)

  セザンヌは、一見何気ない風景に見える構図でも人間の目が持つ特性をよく理解して、ことのほか自然に見えるように工夫を重ねているのです。二人がカードに興じているテーブルは、水平ではなく左に傾いていますし、カードを持つ男の胴はよく見ると不自然に長くなっています。さらに腰かけている椅子も言われてみれば不自然に短く描かれています。セザンヌは、絵を描くにあたり、目の前の対象を写生するのではなく、複眼を使って自らが納得できるように見える構図を創造して作品を描いていたのです。

  「キューピッドの石膏像のある静物」でも石膏像の隣に置かれたリンゴを載せた皿は水平に描かれているものの、バックに描かれた静物?が異様に傾いて見えます。セザンヌは、「リンゴ1つで、パリを驚かせたい」と語ったといいますが、彼にとってリンゴは、ただのリンゴではないようです。

  この美術展は、様々な工夫がなされており、作家の手紙やコートールド氏が絵を買ったときの領収書、コートールド美術研究所の本などが展示の合間に紹介されています。その中には、作家と作品のつながりを動画で紹介するコーナーがあります。ここでは、セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」が紹介されていました。この山はセザンヌの故郷に聳え立つ神に近い山であり、セザンヌはこの山の姿を何度も描いています。動画では、セザンヌの絵と全く同じアングルでヴィクトワール山を映していますが、それを見ると彼の心に映った山と実際の山の対比が浮き出て、彼の描いた絵の個性が際立つ思いがしました。

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(セザンヌ「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」)

印象派を感じる審美眼

  展覧会は第二章「時代背景から読み解く」へと進んでいきます。

  19世紀末から20世紀。フランスでも近代化が進み、人々は都市から汽車に乗って近郊の緑地や川辺、そして海へと移動して様々な楽しみに身を投じるようになりました。そうした変化をこの章では絵画から読み解いていきます。

  第一章でも印象派の大家の絵に魅了されたのですが、第二章でも我々は次々に感動と出会うことになるのです。ブーダン、マネ、モネ、ピサロ、シスレー、ルソー、ルノワールと名前を聞くだけでうっとりしてしまうような名画が一歩進むごとに登場するのです。

  モネの師でもあった風景画の大家ブーダンの「ドーヴィル」はいきなり我々の心を射抜きます。この絵は、ドーヴィルの砂浜と山、海と空を、画面いっぱい使って描きあげているのですが、絵の上半分以上を占める雲が沸き上がる空の描写は、我々の心を空へと誘うようです。ブーダンは、絵画の世界で「空の王者」と呼ばれているそうですが、その面目躍如です。その絵に並ぶ弟子モネの「秋の効果、アンジャントゥイユ」。モネがアトリエ舟によって川面の上から描いた絵画ですが、モネが感じた秋の光がみごとな効果を上げており、引き込まれます。

  この章の絢爛さは格別です。シスレーやピサロ、そしてルソーの絵に感動していると、その流れに登場するのがルノアールです。まず、「春、シャトゥー」。ルノアールの風景画は淡く明るく心がすがすがしくなるのですが、この絵はまた格別な感動を味わうことができます。濃淡様々な緑と白があふれかえるように広がっている中に、麦わら帽子の人物がまるで花弁のように佇む構図。その向こうにはセーヌ河がわずかにのぞいています。素晴らしい。

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(ルノワール「春、シャトゥー」)

  さらにルノワールは、秋を描く「ポン・ダヴェンの郊外」、「アンプロワーズ・ヴォラールの肖像」、「靴紐を結ぶ女」、「洗濯する女」(ブロンズ像)、「桟敷席」と続きます。ルノアールの創ったブロンズ像にも驚きましたが、何といっても圧巻は「桟敷席」。当時、パリの劇場で桟敷席は貴婦人たちのファッションショーの現場のようです。本来、遠景でしか見えないはずの桟敷席にいる貴婦人を超アップでとらえたこの作品は、ルノアールにとっても冒険であったに違いありません。そして、それは単なる冒険ではなく、夫人の上品な美しさを描いて画家の個性を際立たせています。

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(ルノワール「桟敷席」)

  ルノアールに魅せられた次には、踊り子が印象的なドガの絵が登場します。「舞台上の二人の踊り子」は、中心に広い舞台空間を描き構図の右手に登場したところでしょうか、つま先台をしてまさに踊り始めたバレリーナが描かれます。その緊張感と美しさが見事なバランスを醸し出していて、引き込まれます。そして、展示室の中には、そのドガが造形したブロンズ像「踊り始めようとする踊り子」が展示されています。まさに美術研究所的な展示に興味をそそられます。

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(ドガ「舞台上の二人の踊り子」)

  ドガに感動し、歩みを進めるとロートレックが登場します。ロートレックと言えばムーラン・ルージュですが、今回はムーラン・ルージュの踊り子やレストラン「ラ・モール」の個室にいる娼婦の素顔を描いており、いつものロートレックとは違う表現を味わうことができます。

  そして、第二章のハイライトは、この展覧会と言えば登場する絵画です。

  その前に、意外な絵が目に飛び込んできます。それはマネの「草上の昼食」です。この絵は森の中で昼食を取る男女が描かれていますが、物議を醸しだしたのは、描かれた女性が一糸も纏わぬ姿だったからです。なぜ、この絵がここにあるのか。近づいてみると、その解説にこの絵が2点あることが書かれていました。以前に見た「草上の昼食」は、オルセー美術館が所有する作品だったのです。言われてみれば、描かれた女性や紳士たちの表情がなんとなくのっぺりしています。どうやらこの作品は、オルセーの作品を描くにあたって、背景となる森の木々をどのように構成するかを確定するための習作だということです。

  それにしてもこの有名な作品に習作が存在するとは、コートールド氏の収集心が偲ばれるようなコレクションです。

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(マネ「草上の昼食」)

  そして、我々の目に飛び込んでくるのは、マネ晩年の大作、「フリー・ベルジェールのバー」です。さすが、作品の前は黒山の人だかりです。それでも、少し並べば絵を目の前で鑑賞することができる程度の人ごみでした。絵は、縦96cm、横130cmという大きさですが、作家の力量と迫力から実際の大きさ以上に迫力がありました。絵画では、バーのカウンターに佇んで男性の相手をしているバーメイドが我々をじっと見つめています。


  さて、美術展ではこの絵を様々な角度から分析してくれており、その魅力をぞんぶんに解説してくれているのですが、残念ながら紙面が尽きてしましました。この続きは次回(以降)にお届けしたいと思います。

  今回の美術館展は、門外不出の作品を一堂に会した貴重な美術展です。東京都美術館での開催は今月15日で終了しますが、その後、愛知県美術館、神戸市立博物館で開催の予定です。絵画好きの方もそうでない方もぜひ一度足を運んでください。絵画の魅力に心を奪われること間違いなしです。

  美術はやっぱり実物を見なければ本当の感動に行きつくことができません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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