佐藤優 ドストエフスキー5大長編を語る

こんばんは。

  ロシアは、侵略国家へとなりさがりました。

  ロシアと言えば、あの東ローマ帝国の正当な後継者として独自の文化をはぐくんできました。キリスト教正教会を継承しながらも絵画では、シーシキンやレービンなどの巨匠を生み出し、音楽ではチャイコフスキーやストラビンスキー、文学ではトルストイやドストエフスキー、と我々人類のレガシーがきら星のように輝いています。

  2年前に起きたウクライナへの侵略殺戮以前、ロシアは最も訪れたい国の一つでした。

  もう5年も前ですが、社会人となった娘が海外旅行フリークとなっていて、ロシアのサンクトペテルブルクとモスクワに出かけました。その街並みの美しさもさることながらエルミタージュ美術館に収められた人類の至宝と言っても良い美術品の数々。そこを訪れた話を聞いたときには、次に訪れるのはロシアしかないと連れ合いと話していたものです。

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(エルミタージュ美術館の容姿 wikipediaより)

  ところが、コロナ禍による外出自粛で旅行ができなくなり、さらにはウクライナへの侵略戦争の勃発によってロシアへの旅行はテーマにも上がらなくなってしまいました。

  ウクライナではすでに、戦争とは何の関係もない市民や子供たちが1万人以上も亡くなっています。ロシアは、ウクライナの人々を殺戮し、精神的にも追い詰めることを目的として、ミサイルや無人機で主要都市を攻撃しています。ロシアの文化をはぐくんできた芸術家たちは、ロシアが受けてきた侵略や自らの国民に対して行われた殺戮に対して多くのニエットを唱えてきました。にもかかわらず、ロシアはウクライナに侵略し、他国の国民を殺戮する、という人間の尊厳を根本から否定する忌むべき犯罪を行いつつあります。

  我々人間が持つ最も優先すべき美徳は“ヒューマニズム”です。これは人道主義と訳されるのですが、言葉で定義されるよりも根源的で、普遍的な根本原理と言っても過言ではありません。それは、自分以外の人間が人として存在していることを肯定するという、もっとも基本的な規範なのです。

  元旦に能登地方をおそった大地震によって、多くの方々が一瞬にして肉親を目の前で失うという悲劇に見舞われました。この報道に本当にたくさんの人たちが胸を痛め、支援の行動を起こしてくれました。世界中の国々、人々も心を寄せ、北朝鮮さえも岸田首相宛にお見舞いのコメントをよせてくれたのです。

  災害によって人の命が突然失われることと、一方的な殺戮によって人の命が奪われることに何の差異もありません。ガザ地区におけるパレスチナの人々への殺戮もウクライナの人々の殺戮も、地震やハリケーンによる殺傷もなにも変ることはありません。ヒューマニズムとは、人が人で亡くなることを悼み、人の尊厳を敬愛する心を言います。プーチン大統領やネタニヤフ首相は、自ら手を下すことなく、数万人の人々の命と尊厳を消し去っています。自国民が災害で命を失いそうなとき、お二人はたとえ一人の命であっても必死の救出を命じるはずです。それは、政治家の役割からではなく、ヒューマニズムからだと信じています。人の命を奪う行為は一人でも、一万人でも、決して許されない犯罪です。人は誰もがヒューマニストであることを、今こそ思い返す必要があります。

  始まりからロシアの話題になったのは、今回読んでいた本が、ロシアの文豪ドストエフスキーの長編を語る本だったからです。

「生き抜くためのドストエフスキー入門-「五大長編」集中講義-」(佐藤優著 新潮文庫 2021年)

【ドストエフスキーは語り継がれる】

  2021年は、ドストエフスキー生誕200年に当たる年で、世界中でドストエフスキーに関するイベントが開催されました。ドストエフスキーの作り上げた世界は、未だに色あせることなく我々の心と知性に響き続けています。

  生誕200年の節目に日本で注目されたのは亀山郁夫さんと佐藤優さんのお二人です。

  亀山さんは、ロシア語の研究者が本業ですが、そのドフトエフスキーへの思い入れは大きく、2007年に「カラマーゾフの兄弟」の新訳を上梓しました。その後もトエフスキーに関する著作を多く上梓し、2021年にはドストエフスキーの長編小説「未成年」の新訳を上梓しています。(本ブログでも亀山さんのドストエフスキー本は何度か紹介していますので、ご参照ください。)

  一方の佐藤優さんは、この年に「ドストエフスキーの預言」という単行本を文藝春秋社から上梓しています。佐藤優さんと言えば、現代日本の知性派であるとともに元インテリジェンスオフィサーとして、世界のインテリジェンスを語ることができる論客です。佐藤さんはソビエト連邦が崩壊し、ロシア共和国が成立したときにモスクワの日本大使館に勤務する外交官で、その後は外務省で分析官を務めており、まさにインテリジェンスオフィサーそのものだったのです。

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(「ドストエフスキーの預言」 amazon.co.jp)

  この本は、そんな佐藤優さんが生誕200年に当たって新潮社主催の新潮講座のひとつに登場した際の講義記録をまとめたものとなっています。

  佐藤さんは、この本のあとがきで、自分にはドストエフスキーを語るときに他の論者とは異なる3つの体験があると語っています。その一つは、自分の基礎教育がキリスト教神学であること。(氏は、同志社大学大学院の神学研究科を修業しています。)二つ目には、自分が78ヶ月外交官としてモスクワで生活しており、ロシア気質を肌感覚で知っていること。さらに、氏は2002年に公安警察に逮捕され、東京拘置所に512日間拘留された体験があります。のみならず、氏は外務省にてモスクワ大学に語学留学の機会を提供された経験も持ちます。三つ目の体験とは、国家の恐ろしさと国家からの恩恵の両方を身をもって知った点だと言います。

  確かにドストエフスキーも作家となってからしばらくして、当時社会主義者であったペトラシェフスキーが主催する会に出席してある手紙を朗読したことで秘密警察に逮捕され、死刑判決を下されました。しかし、まさに死刑執行のその直前に恩赦が出され、4年間のシベリア流刑へと減刑される、という想像を絶する体験を味わったのです。

  お二人がそろって語るのは、21世紀の現在の状況がドストエフスキーが描いた19世紀後半のロシアの状況と極めて似ているという認識です。19世紀後半のロシアは、帝政時代が終焉を迎える時代です。そこでは、ヨーロッパでの民主革命や資本主義の思想が国民の間に広まり、帝国は国家の引き締めに躍起になっています。一方で、流入する民主主義、資本主義の流れの中で、帝国も資本を認め、農奴を解放するなど近代化にも取り組みます。

  こうした時代、ロシアには混沌とした社会情勢が蔓延していきます。それまで、官吏が最も収入が高かった社会に金持ちの資本家が現れ、職を求める解放された農奴たちも貧困層に流入し、社会には大きな格差が生れます。さらには、国王を暗殺し、国家転覆を企てる社会主義者も世にはびこり、社会は混沌につつまれていきます。

  こうした、時代を深く、鋭く洞察し小説へと昇華させたドストエフスキーの作品は、現代社会に通底する問題が様々な場面やエピソードで語られているのです。

  例えば、佐藤さんは講演のプロローグで「罪の罰」の主人公ラスコーリニコフが見た夢の描写を紹介しています。その夢では、アジアの奥地から新たな微生物が発生し、ヨーロッパのほとんどの人々を死亡させるというのです。さらに、その微生物に感染した病人は自分がすべて正しいとする狂信的な人間となり、互いに殺し合うのです。この夢は、まさにコロナ禍とウクライナやガザでの殺戮が思い起こされます。

  ドストエフスキーが語り継がれる理由はまさにここにあるのではないでしょうか。

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(「ドストエフスキー入門」amazon.co..jp)

【ドストエフスキー5大長編を語る】

  この入門編で語られる5大長編とは、「罪と罰」(186645歳)、「白痴」(186948歳)、「悪霊」(187150歳)、「未成年」(187554)、「カラマーゾフの兄弟」(187958歳)を指しています。どれも非常に長い小説ですが、ドストエフスキーの特徴は、小説の中で濃密な時間が流れているところです。それは、登場人物たちの会話が小説の大きな部分を占めるところから生じていると言っても良いと想います。

  会話で構成される小説というと我々は読みやすい小説を思い浮かべますが、ドストエフスキーの小説の登場人物たちは、「天気と健康」のような会話は交わしません。誰もが、自らの独自の主張と考え方を持ち、それぞれの主人公の性格は描写よりもむしろその発言や会話で表されているからです。

  今回の講演は、3日間にわたって行われましたが、1回の時間は限られていて、一つの作品に費やされているのは文庫本にして35ページ程度の分量です。この分量で名作のエッセンスを語るわけですから、テーマは絞られています。この本の面白さは、佐藤優さんの目の付け所とそこにひそむ意味を現代の我々にあざやかに描き出してくれるところなのです。

  少しさわりをご紹介しましょう。

  まず、「罪と罰」ですが、このミステリーと言っても良い小説で佐藤さんは現代ロシアに通じる文化ともいえる「土壌主義」に言及します。それは、2つの殺人を犯したラスコーリニコフが、家族の窮状を救うために自ら娼婦へと身を落としたソーニャとの会話の意味をつまびらかにしていくことで明らかにされていきます。

  ラスコーリニコフがサンクトペテルブルクの広場で激情に駆られて涙を流し、広場の石畳に顔をすり寄せて大地に口づける場面は小説のクライマックスですが、その意味がここで明かされます。

  「白痴」でもキリスト教正教が他のキリスト教徒の相違点に基づいて小説を解説していきますが、この章で面白いのは翻訳者解説です。新潮文庫におけるドストエフスキーの翻訳者には、江川卓さん、原卓也さん、工藤精一郎さん、木村浩さんがいますが、この小説の題名のロシア語の解釈が微妙に異なります。江川さんに対する木村さんの指摘になるほど感を覚えます。

  「悪霊」は、実在のアナーキーな革命家に題材を取ったピカレスクロマンなのですが、そこでのポイントは「人」と「神」の関係と、そこにからんでくる「死」をどのようにとらえるか、という問題です。佐藤さんは、キリスト教からその問題を解き明かすとともに、高橋和巳さんの小説「日本の悪霊」を紹介することによって、よりわかりやすく論点を説明してくれます。

  「未成年」は私も読もうとして、読みにくさに放棄してしまった作品なのですが、佐藤さんの解題は、本当に面白く読むことができました。この小説を身近に感ずるように、佐藤さんはホリエモンや村上春樹さんを引用してこの作品を解説してくれます。また、余談で語られるトルストイへの嫉妬や当てこすりも、なるほど感があります。

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(亀山郁夫訳「未成年1」 amazon.co.jp)

  そして、本好きの誰もが一度は洗礼を受ける「カラマーゾフの兄弟」です。

  この小説は以前にもご紹介したとおり、続編が想定されて執筆された「第一の小説」です。つまり、そのことも踏まえて読み解かなければ見方を誤る可能性があると言います。小説は、ドミートリー、イワン、アリョーシャの3兄弟と父フョードルが別の女性に産ませた(と思われる)スメルジャコフが織りなすドラマですが、その面白さは父親のフョードルが殺害され、その犯人が誰なのかが主題となっている点がその源泉となっています。

  この小説をたったの40ページで語るところが佐藤優さんのすごさなのですが、そのテーマは有名な「大審問官」となります。無神論者であるイワンが、敬虔なキリスト教徒である弟アリョーシャに向かってイワンが創作した「大審問官」という物語を語る、というのがその内容ですが、この中には小説のテーマのひとつが集約されているとも言われています。

  はたして「大審問官」はどのように読み解かれるのか。その面白さはぜひこの本で味わってください。もう一度、小説を読みたくなるに違いありません。


  能登ではまだ行方不明の方がおり、避難されている方々も長いストレスでお疲れのこととお見舞いを申し上げます。日本中の皆さんが寄り添っています。心も体もご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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