小谷賢 日本のインテリジェンス組織を語る

こんばんは。

  突然ですが、皆さんヴァイオリニストの樫本大進さんをご存知でしょうか。

  2010年に日本人として2人目のベルリンフィル首席コンサートマスターに就任したヴァイオリンの名手です。ソリストとしても数々の賞を受賞している大進さんですが、いつもはドイツを拠点にしているものの、頻繁に来日し、日本での音楽の普及や若手ヴァイオリンニストの育成のために大活躍しています。

  これまでにもプラハフィルとの来日やベルリン・バロック・ゾリステンとの来日など数々の名演奏を聞かせてくれました。そのときに演奏されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ヴィヴァルディの四季での息詰まるような集中力と、素晴らしい音色には心から感動しました。そして、129日、2年ぶりに大進さんがソナタ演奏のために来日しました。今回は、盟友であるピアニスト、エリック・ル・サージュとの演奏ですが、なんと、シューマンのヴァイオリンソナタ、1番、3番とブラームスのヴァイオリンソナタ2番、3番が演奏されました。

intelligence02.jpg

(樫本大進 ヴァイオリンソナタコンサート)

  シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ。皆さんご存知でしたか。

  恥ずかしながら、私は全く知りませんでした。パンフレットによれば、シューマンは、晩年に友人のヴァイオリニストの勧めで、初めてヴァイオリンソナタを作曲し、第3番の作曲には若きブラームスも加わり、亡くなる前年に完成したそうです。そして、ブラームスのソナタは、彼が最も多作だった時期に作曲されたそうです。

  ブラームスが、交響曲のために多くの習作を書き上げ、あるいは破棄し、あるいは他の楽曲に代わっていったことはよく知られていますが、ヴァイオリンソナタにもその構想の一部は使われていたに違いありません、ブラームスのヴァイオリンソナタは、2番も3番もそのモチーフは敬慕する女性にささげられた優美な旋律に溢れています。しかし、ブラームス特有の重厚な音も見え隠れしており、大進さんのヴァイオリンはその両方の音色をしっかりと表現し、我々の心を揺り動かしてくれました。本当に彼が奏でる音色は唯一無二の音色です。

  至福の時を過ごしました。

  さて、先週は、このブログでも数多く取り上げたインテリジェンスを描いた本を読んでいました。

「日本インテリジェンス史」(小谷賢著 2022年 中公新書)

intelligence01.jpg

(「日本インテリジェンス史」amazon.co.jp)

【SNS時代のインテリジェンス】

  プーチン大統領によるウクライナ侵攻は、恐ろしいことに1年を迎えようとしています。

  21世紀はITの時代と言っても過言ではありませんが、インテリジェンスの世界もインターネットやSNSがその主役の地位を得ようとしています。例えば、イギリスの調査報道ウェブサイトである「ベリングキャット」は、SNS上に公開されているあらゆる映像から隠された真実を導き出すことで、数多くの成果を挙げています。

  彼らが有名になったのは、2014年、ロシアがウクライナのクリミヤ半島を併合したドンバス紛争時に民間機であるマレーシア航空17便が撃墜された事件でした。同年717日定期便であった同機がウクライナ上空を飛行中、何者かに撃墜され乗客283人と乗務員15人の全員が死亡した悲劇でした。

  当時、ロシアはこの民間機をウクライナの戦闘機が撃墜したと発表したものの、現地調査によってミサイルによる撃墜であったとされるや、ウクライナ軍のミサイルによる撃墜だと主張し、映像まで公開しました。ベリングキャットは、インターネットやSNS上に寄せられたあらゆる映像を解析、この撃墜がロシア製の地対空ミサイル「ブーク」によるものであったことを突き止め、さらにはロシアが公開した画像は改ざんされたものであることを発表しました。

  また、べリングキャットは、2018年の亡命ロシアスパイ、セルゲイ・スクリパリ暗殺(毒殺)未遂事件や、2020年、反体制派の上院議員であったアレクセイ・ナワリヌイ暗殺未遂事件において、当局の捜査に協力し、多くの画像解析の結果、容疑者がロシアの工作員チームのメンバーであることを発表しています。

  現在、ウクライナの各都市を占拠したロシア兵が、非人道的な戦争犯罪(捕虜や民間人の拷問や虐殺)にかかわった証拠をあらゆる画像の解析によって進めています。

intelligence03.jpg

(筑摩書房「ベリングキャット」asahi.com)

  インテリジェンス(諜報)の世界では、公開されている情報を収集する手法を「オシント」、偵察衛星や偵察衛星によって撮影された画像から情報を得ることを「イミント」、通信や電子信号を傍受して情報を得る方法を「シギント」と言いますが、21世紀の現在では、こうしたカテゴリーもすべてが錯綜して「諜報」が行われています。

【インテリジェンスとは何か】

  このブログにご訪問の皆さんは、「インテリジェンス」をよくご存知かと思います。

  かつて、インテリジェンスといえば機密情報を得るためのスパイ合戦を思い浮かべました。冷戦時代には、まさにソ連のKGBとアメリカのCIAが丁々発止のスパイ合戦を行っていました。また、イギリスにはジェームズ・ボンドで有名なMI6が海外におけるインテリジェンスを司っていました。小説や映画では、国家の安全保障、世界の安全保障のために自国の国益を守るための諜報活動がアクションを伴って「スパイ映画」として大ヒットしたのです。

  日本のインテリジェンスについて、語ってくれるのは元外務省のインテリジェンスオフィサーだった佐藤優さんと元NHKのワシントン支局長だった手島龍一さんです。佐藤さんは、外務省のロシア駐在としてインテリジェンスに携わり、ソ連崩壊前夜、あのゴルバチョフ大統領が拉致されるという大事件の折、その豊富な人脈とコミュニケーションによってゴルバチョフ大統領の生存を世界の誰よりも早く日本に伝えた人物。

  そして、手島さんは、2001.09.11ワールドトレードセンターへの航空機テロ事件の時のワシントン支局長で、徹夜の同時中継を行った経歴を持ちます。そして、自らの人脈からのインテリジェンスに事づき、「ウルトラ・ダラー」、「スギハラ・ダラー」などのインテリジェンス小説を執筆し、我々にインテリジェンスとは何かを教えてくれました。

  お二人の対談は、いつもインテリジェンスを駆使した見立てで我々に知的刺激をもたらしてくれます。

  そして、前回ご紹介したのがお二人の対談「公安調査庁」です。この本には、日本のインテリジェンスコミニティの中で、いかに公安調査庁が世界のインテイジェンス機関から信頼を置かれているか、その歴史とともに記されていました。

  そして、今回ご紹介する本は、戦後の日本インテリジェンスコミニティの歴史を通史として語ってくれる、これまで書かれたことのないインテイジェンス本なのです。

【日本のインテイジェンスコミニティ】

  インテリジェンスコミニティとは、簡単に言えば「諜報組織」です。つまり、日本国の国益を守るために情報を収集し、集約し、分析する組織のことを言います。映画に出てくるように海外では、国内、対外に分かれ、最高権力者に直結している諜報組織が存在します。アメリカでは国内がFBI、対外がCIA。イギリスではMi5が国内、MI6が対外諜報を担って活動しています。

  ロシアでは、かつてKGBが諜報を一元的に扱っていましたが、ソ連崩壊後には国内をロシア連邦保安庁(FSB)、対外をロシア対外情報庁(SVR)が担当しています。

  翻って日本を見ると、基本的に対外的な諜報組織はありません。さらに官房長内に情報を一元化するために設置された内閣調査室があり、手足となる組織は、警察、自衛隊、外務省、そして、公安警察の各組織内にそれぞれ情報を収集する組織が存在しています。

intelligence04.jpg

(国家安全保障局のある首相官邸 nhk.or.jp)

  これまで、なぜ日本に諜報のための専門組織がないのかを包括的に語ってくれる本は読んだことがありませんでした。今回手に取った本は、まさに日本のインテリジェンスコミニティの歴史を時代の変遷とともに語ってくれる本だったのです。

  その目次を見ると、

まえがき

序章 インテリジェンスとは何か

第1章 占領期の組織再編

第2章 中央情報機構の創設

第3章 冷戦期の攻防

第4章 冷戦後のコミュニティの再編

第5章 第二次安倍政権時代の改革

終 章 今後の課題

あとがき

  かつてこのブログでお話ししたように、確かに日本には保安、軍事、外事を総合的に諜報するとのミッションを担う組織はありません。しかし、この本を読むと、それが不要だと考えている政治家はまったくおらず、戦後75年、心ある人たちは日本に総括的な情報機関をつくろうと志を持って奔走していたのです。

  しかし、戦後、日本を占領したGHQは日本に諜報機関が必要とは考えていませんでした。むしろ、日本をアメリカ諜報の前線基地にして、アメリカ軍に諜報を担わせることを目標にしていたのです。もちろんそのためには日本の警察や警察予備隊にもその一翼を担わせました。

  さらに、戦後の日本国民も諜報機関、治安警察といえば、戦前に諜報統制を行った特別高等警察と情報統制の法的根拠ともなった治安維持法が想起され、国民は拒否反応を起こしてきました。そのため、日本の政府は、諜報組織の必要性を認識しながらも、日米安保条約によるアメリカの庇護のもと、諜報はアメリカにまかせており、総合的な諜報組織がなくてもなんとかなっていたのです。

  冷戦期、諜報に関していえばアメリカ万能の時代でしたが、ソ連が崩壊し、冷戦状況が崩れると世界はテロと多様化の時代に変化していきます。アメリカは、アルカイダを匿うアフガニスタンやイラクなどをならず者国家として敵とみなし、戦争をしかけ、同盟国である日本も海外での協力行動を求められることになります。

  インテリジェンスの世界では、皆さんもご存知のサードパーティルールがあります。それは、「他人から情報をもらった場合、その情報を第三者に提供するときには情報提供者の了解を取る。」というルールです。日本がかつてスパイ大国と呼ばれていた背景の一つには、日本には情報を第三者にわたすときのルールを定めた法律がない、ことでした。

  もちろん、国家公務員には情報漏えい禁止の規定はありましたが、基本的に日本に入ってきた情報は誰に、どこにわたってもおとがめなしだったのです。ここに登場したのが、特定秘密保護法だったのです。

  この本の読みどころは、第4章から第5章にかけてとなります。日本のインテリジェンスに大きな危機感を持っていたのは、各大臣を歴任し、内閣官房長官や衆議院議長を務めたあの町村信孝氏だったのです。さらに、1年前、参議院選挙の応援演説中、銃弾に倒れた安倍晋三元総理大臣が日本のインテリジェンスの一元化に最も貢献した政治家だったというのです。

  そして、日本にはないと言われ続けてきた対外情報機関が、ついに設立されることになります。その組織とはいったいは何なのか。


  これまで知ることのなかった日本のインテリジェンスコミニティの現実をこの本が教えてくれました。本当に面白い本でした。インテリジェンスに興味のある皆さん、ぜひこの本を手に取ってみて下さい。痛快なアクションこそ望めませんが、日本が歩んできたインテリジェンスへの挑戦の歴史を知ることができる貴重な機会になるはずです。

  それでな皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする