評論(その他)一覧

日本はどのように誕生したのか?

こんばんは。

  ここ数年、桜の開花がどんどん早くなり、今年も桜が散り始めています。お花見も今週末が最後となりそうです。とはいえ、日本の桜は本当に美しく、毎年桜の美しい姿を見るにつけ、この国に生まれたことの幸せを味わっています。

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(散歩中に味わった満開のソメイヨシノ)

  さて、その日本の話です。

  すべての物事の起源を知ることには、大きなワンダーを覚えます。それは、人類が「知る」ことを追求することで進化してきたことの証ではないでしょうか。宇宙の起源、地球の起源、生命の起源、人類の起源、細胞の起源、日本人の起源。我々人類は、すべての起源を探求してここまで歩んできました。その最新地点を知ることは、人生の楽しみ、そのものでもあります。

  このブログでも、日本人の起源や歴史の本を読むたびに、その楽しみを紹介してきました。特に、謎に包まれた日本の古代史は、本屋めぐりのテーマの一つです。先日、目にとまった本はNHK出版から上梓された仁尾本の古代史を取材した一冊でした。

「新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト政権」

NHKスペシャル取材班著 NHK出版新書 2025年)

【邪馬台国はどのように成立したのか】

  邪馬台国といえば、これまで何度もご紹介してきたように、その所在地について九州説と近畿説が古くから唱えられており、未だに決着を見ていません。直近では、大分の別府温泉付近がその所在地であり、阿蘇山の噴火によって埋もれてしまったとの説を読みました。

  その説は、これまで基本となった新井白石の説に疑問を投げかけるところから始まっています。それは、有名な「魏志倭人伝東夷伝」に記載された邪馬台国に至る各地の名称を日本の地名と比定することで、邪馬台国の場所を特定する説です。これまで、この地名特定式の方法で邪馬台国の場所は、九州説と近畿説に分かれてきました。

  別府温泉説は、「倭人伝」に記載された「1里」をこれまでの説とは異なる77mとすることによって、読み解くといおう新たな考え方で唱えられていますが、とても新鮮な仮説でした。

  この本は、日本の古代史の最前線を取材し、「邪馬台国」が記載された3世紀中盤からヤマト王権が日本を統合していく6世紀までの「謎」に迫っていくことを目的にしています。

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(NHK出版「新・古代史」 amazon.co.jp)

  ここで、この本の目次に目を通しておきましょう。

1章 邪馬台国と古代中国 

2章 最新研究で迫る邪馬台国連合 

3章 漢王朝の崩壊と「倭国大乱」   

4章 卑弥呼×三国志──知られざるグローバル戦略

5章 卑弥呼の最期と歴史の断絶

6章 「空白の四世紀」に何が起きたのか

7章 ヤマト王権と朝鮮半島情勢

8章 激動の東アジアと倭の五王

9章 「日本」はいかに誕生したか

  目次を読むと、その謎の解明がどこまで進んでいるのか、期待に胸が膨らみます。

  さて、「邪馬台国」です。我々はともすると、「邪馬台国」が九州にあったのか、近畿にあったのか、その結論に興味を持ちますが、この本は、そのどちらに与するのではなく、「考古学」の視点からその謎がどこまで解明されつつあるのかに焦点を当てて取材しているのです。

  古代史ファンならば、「吉野ヶ里遺跡」と「纏向遺跡」の発見に胸を躍らせたことを覚えているのではないでしょうか。

  九州説を唱える人々にとって、1986年、工業団地開発の事前調査時に発見された佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まさに邪馬台国の遺跡だと躍り上がるような発見でした。この遺跡からは、外敵からの防御のための環壕や複数の櫓跡が発見され、大規模集落が存在したことが明らかになります。さらに出入り口に当たる門跡からは、戦国時代の中国を発祥とする防御のための角方の道路が備えられていたことも解明され、中国との接点となりました。

  最新の研究では、弥生時代の墓地が発見され、2023年にはそこから「石棺墓」が出土、当時の有力なリーダーの墓であることが想定されました。さらに、遺跡の近郊には、いくつもの墓墳も発見されており、そこからは剣や鏡が副葬品として発掘されており、大規模集落のリーダーの墓であることが推定されています。

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(佐賀の吉野ヶ里遺跡 yomiuri.co.jpより)

  一方、近畿説を唱える人々にとっても弥生時代の大規模集落の遺跡が発見されています。それは、奈良の桜井市にある「纏向遺跡」です。この遺跡は三輪山近くにあり、奈良時代までに様々な遺跡が積み重なっています。その遺跡調査で、弥生時代の地層から最古のベニバナ栽培の痕跡や桃の種が発見されました。卑弥呼は鬼道をよく使うと「倭人伝」に記されていますが、当時の鬼道と言われる道教では、桃が重要な役割を果たしたとされており、この遺跡で鬼道が行われた者と考えられています。

  第2章では、邪馬台国が複数の集団群がひとつの勢力を形作るために卑弥呼をりーだーとして祭り上げたのではないか、との説を九州説、近畿説の双方から紐解いていきます。

  近年の歴史史観にグローバルヒストリーという考え方がありますが、NHK はこの考え方で様々な特集番組を制作してきました。この本でも東アジア全体の視点、中国からの視点、朝鮮半島からの視点から捉えた「日本古代」との切り口で歴史を読み解いています。

  その中で、ワンダーを感じたのは、世界最古の地図のひとつと言われる「混一きょ理歴代国都之図」という東アジアを描いた世界地図です。この地図は、李氏朝鮮によって15世紀初頭に作られたとされていますが、この地図で日本は北から南に延びる細長い列島として描かれています。「邪馬台国近畿説」では、「倭人伝」の邪馬台国までの行程で「南」と書かれた方角は「東」の間違いだ、との仮説によって近畿説を主張しますが、この地図の概念が古代と同じとすれば、「南」のままでも近畿説は成り立つことになります。

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(李氏朝鮮「歴代国都の図」 wikipediaより)

  ワンダーでした。

【「空白の四世紀」を埋めるピ-ス】

  歴史で最も雄弁であるのは文献資料ですが、日本の古代が記されている同時代文献は中国にしかありません。それは、中国の歴代王朝は王朝の歴史を史書として記し残していくことを文化として持っていい他ことに由来します。

  初めて日本が文献に登場する「魏志倭人伝」は、三国志の魏が残した史書。それは、三世紀の中頃ですが、この後に「日本」が中国の史書に登場するのは、同じく三世紀の「後漢書」。そして、その後、登場するのは五世紀。南朝の宋の史書に倭の5人の王の名が登場するのを待たなければなりません。つまり、邪馬台国と狗奴国が争いを起こし、卑弥呼が亡くなってからヤマト王権が成立して天皇が国を治めるまでの歴史は、中国の史書に登場していないのです。

  このため、日本の古代史ではこの間を「空白の四世紀」と呼んでいるのです。

  現代の我々から見れば「空白」ですが、卑弥呼亡き後、日本の歴史がダイナミックな変遷を遂げていたのが四世紀であり、その意味ではまったく「空白」とはかけ離れた世界であることは間違いありません。そして、この時代を現代の我々は、「古墳時代」と呼んでいます。逆に言えば、古墳を調べることが「四世紀」を明らかにする最も確実な手段だということです。

  以前、古墳の本をご紹介したときに、古墳は天皇の墓であり、すべてを宮内庁が管轄して調査どころか敷地に入ることさえ宮内庁の許可がいることをお話しました。

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(卑弥呼の墓か? 箸墓古墳 asahi.comより)

  確かに、戦時中にはやむを得なかったのでしょうが、現代でも宮内庁が立ち入りを許さないというのは前時代的な発想ではないのかと疑います。その一方で、天皇墓として認定されている以外の古墳では、様々な研究成果が上がっています。この本では、こうした発見から見えてくる「四世紀」のワンダーを語ってくれるのです。

  古墳には、円墳・前方後円墳・前方後方墳などの種類がありますが、以前ご紹介したように日本の関東以北に数が多いのは前方後方墳で、西に多いのは前方後円墳です。前方後円墳が天皇墓中心とすれば、前方後円墳の多い地域は邪馬台国の末裔のヤマト王権、前方後方墳の多い地域は、もともと邪馬台国と闘いを繰り広げた狗奴国の領地だったのではないかとも考えられます。

  この本の古墳を巡るワンダーは、まさにグローバルです。

  皆さんは、韓国の海岸沿いの地域にたくさんの前方後円墳が発見されているのをご存じでしょうか。朝鮮半島の前方後円墳は、1980年代からその存在が語られるようになり、以降多くの前方後円墳が発見されてきました。2022年には、韓国羅州(ナジュ)市で15基目の前方後円墳が発見されて話題となりました。

  一時期には、前方後円墳が朝鮮半島から日本にもたらされたのではないか、との仮説も唱えられましたが、発見された古墳がすべて五世紀末から六世紀にかけて築かれていることから、前方後円墳は日本固有の形態で、何らかの理由で日本から朝鮮半島に渡ったのだと考えられるようになったのです。

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(朝鮮半島南部の前方後円墳 wikipediaより)

  邪馬台国からヤマト王権へと日本が移行していく過程で、王権が最も重視したものは何だったのか。それは、「鉄」でした。「鉄」は、農耕機具、武器として飛躍的な強度を誇り、大量生産の要であると同時に、争いでは決定的な力を発揮したのです。当時、「鉄」は日本国内では手に入らず、もっぱら朝鮮半島からの輸入に頼っていました。

  しかも三世紀から四世紀にかけて、朝鮮半島で日本と交易を行ったのは半島の南端にある百済国に他なりませんでした。邪馬台国からヤマト王権へとゆっくりと全国をまとめ上げていく過程で、鉄は各地の豪族たちに王権のパワーを見せつけるための重要な文物だったのです。百済との絆を強固にすることは、イコール自らの存在感を高めることに他なりませんでした。

  朝鮮半島に築かれた数々の前方後円墳は、利害が一致した当時のやまと王権と百済国が文武で親密な交流を続けていた証ではないのでしょうか。

  当時、中国は三国時代から南北朝時代への変換期であり、朝鮮半島への支配はゆるやかになりました。そこで、力で半島の制覇を狙ったのが高句麗国です。高句麗国は、当時朝鮮半島を3分割していた新羅国と百済国へと攻め入りました。百済国と同盟とも言える関係を結んでいたヤマト王権は、利権を守り、絆を深めるために百済とともに高句麗と戦ったことが想像されます。

  ちなみに、韓国には、この高句麗の広開土王の功績を記した石碑が414年に建立され、その中には当時「倭」が百済とともに連合軍を打ち立て、王は打ち破ったと記されていることが紹介されています。「空白の四世紀」を埋める碑文。ワンダーです。詳しくは、ぜひこの本で。

  さらに、高句麗国は騎馬民族で、騎馬軍団がおり、この流れの中で馬も百済を通じて日本にもたらされた、ということが考古学からもわかってきているそうです。

  時代は日進月歩で進んでいきます。皆さんもこの本で最新の日本古代史に思いをはせてはいかがでしょうか。こうした研究が実を結び、近い将来、古代日本の真の姿が語られることを楽しみにしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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日本はどのように誕生したのか?

こんばんは。

  ここ数年、桜の開花がどんどん早くなり、今年も桜が散り始めています。お花見も今週末が最後となりそうです。とはいえ、日本の桜は本当に美しく、毎年桜の美しい姿を見るにつけ、この国に生まれたことの幸せを味わっています。

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(散歩中に味わった満開のソメイヨシノ)

  さて、その日本の話です。

  すべての物事の起源を知ることには、大きなワンダーを覚えます。それは、人類が「知る」ことを追求することで進化してきたことの証ではないでしょうか。宇宙の起源、地球の起源、生命の起源、人類の起源、細胞の起源、日本人の起源。我々人類は、すべての起源を探求してここまで歩んできました。その最新地点を知ることは、人生の楽しみ、そのものでもあります。

  このブログでも、日本人の起源や歴史の本を読むたびに、その楽しみを紹介してきました。特に、謎に包まれた日本の古代史は、本屋めぐりのテーマの一つです。先日、目にとまった本はNHK出版から上梓された仁尾本の古代史を取材した一冊でした。

「新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト政権」

NHKスペシャル取材班著 NHK出版新書 2025年)

【邪馬台国はどのように成立したのか】

  邪馬台国といえば、これまで何度もご紹介してきたように、その所在地について九州説と近畿説が古くから唱えられており、未だに決着を見ていません。直近では、大分の別府温泉付近がその所在地であり、阿蘇山の噴火によって埋もれてしまったとの説を読みました。

  その説は、これまで基本となった新井白石の説に疑問を投げかけるところから始まっています。それは、有名な「魏志倭人伝東夷伝」に記載された邪馬台国に至る各地の名称を日本の地名と比定することで、邪馬台国の場所を特定する説です。これまで、この地名特定式の方法で邪馬台国の場所は、九州説と近畿説に分かれてきました。

  別府温泉説は、「倭人伝」に記載された「1里」をこれまでの説とは異なる77mとすることによって、読み解くといおう新たな考え方で唱えられていますが、とても新鮮な仮説でした。

  この本は、日本の古代史の最前線を取材し、「邪馬台国」が記載された3世紀中盤からヤマト王権が日本を統合していく6世紀までの「謎」に迫っていくことを目的にしています。

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(NHK出版「新・古代史」 amazon.co.jp)

  ここで、この本の目次に目を通しておきましょう。

1章 邪馬台国と古代中国 

2章 最新研究で迫る邪馬台国連合 

3章 漢王朝の崩壊と「倭国大乱」   

4章 卑弥呼×三国志──知られざるグローバル戦略

5章 卑弥呼の最期と歴史の断絶

6章 「空白の四世紀」に何が起きたのか

7章 ヤマト王権と朝鮮半島情勢

8章 激動の東アジアと倭の五王

9章 「日本」はいかに誕生したか

  目次を読むと、その謎の解明がどこまで進んでいるのか、期待に胸が膨らみます。

  さて、「邪馬台国」です。我々はともすると、「邪馬台国」が九州にあったのか、近畿にあったのか、その結論に興味を持ちますが、この本は、そのどちらに与するのではなく、「考古学」の視点からその謎がどこまで解明されつつあるのかに焦点を当てて取材しているのです。

  古代史ファンならば、「吉野ヶ里遺跡」と「纏向遺跡」の発見に胸を躍らせたことを覚えているのではないでしょうか。

  九州説を唱える人々にとって、1986年、工業団地開発の事前調査時に発見された佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、まさに邪馬台国の遺跡だと躍り上がるような発見でした。この遺跡からは、外敵からの防御のための環壕や複数の櫓跡が発見され、大規模集落が存在したことが明らかになります。さらに出入り口に当たる門跡からは、戦国時代の中国を発祥とする防御のための角方の道路が備えられていたことも解明され、中国との接点となりました。

  最新の研究では、弥生時代の墓地が発見され、2023年にはそこから「石棺墓」が出土、当時の有力なリーダーの墓であることが想定されました。さらに、遺跡の近郊には、いくつもの墓墳も発見されており、そこからは剣や鏡が副葬品として発掘されており、大規模集落のリーダーの墓であることが推定されています。

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(佐賀の吉野ヶ里遺跡 yomiuri.co.jpより)

  一方、近畿説を唱える人々にとっても弥生時代の大規模集落の遺跡が発見されています。それは、奈良の桜井市にある「纏向遺跡」です。この遺跡は三輪山近くにあり、奈良時代までに様々な遺跡が積み重なっています。その遺跡調査で、弥生時代の地層から最古のベニバナ栽培の痕跡や桃の種が発見されました。卑弥呼は鬼道をよく使うと「倭人伝」に記されていますが、当時の鬼道と言われる道教では、桃が重要な役割を果たしたとされており、この遺跡で鬼道が行われた者と考えられています。

  第2章では、邪馬台国が複数の集団群がひとつの勢力を形作るために卑弥呼をりーだーとして祭り上げたのではないか、との説を九州説、近畿説の双方から紐解いていきます。

  近年の歴史史観にグローバルヒストリーという考え方がありますが、NHK はこの考え方で様々な特集番組を制作してきました。この本でも東アジア全体の視点、中国からの視点、朝鮮半島からの視点から捉えた「日本古代」との切り口で歴史を読み解いています。

  その中で、ワンダーを感じたのは、世界最古の地図のひとつと言われる「混一きょ理歴代国都之図」という東アジアを描いた世界地図です。この地図は、李氏朝鮮によって15世紀初頭に作られたとされていますが、この地図で日本は北から南に延びる細長い列島として描かれています。「邪馬台国近畿説」では、「倭人伝」の邪馬台国までの行程で「南」と書かれた方角は「東」の間違いだ、との仮説によって近畿説を主張しますが、この地図の概念が古代と同じとすれば、「南」のままでも近畿説は成り立つことになります。

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(李氏朝鮮「歴代国都の図」 wikipediaより)

  ワンダーでした。

【「空白の四世紀」を埋めるピ-ス】

  歴史で最も雄弁であるのは文献資料ですが、日本の古代が記されている同時代文献は中国にしかありません。それは、中国の歴代王朝は王朝の歴史を史書として記し残していくことを文化として持っていい他ことに由来します。

  初めて日本が文献に登場する「魏志倭人伝」は、三国志の魏が残した史書。それは、三世紀の中頃ですが、この後に「日本」が中国の史書に登場するのは、同じく三世紀の「後漢書」。そして、その後、登場するのは五世紀。南朝の宋の史書に倭の5人の王の名が登場するのを待たなければなりません。つまり、邪馬台国と狗奴国が争いを起こし、卑弥呼が亡くなってからヤマト王権が成立して天皇が国を治めるまでの歴史は、中国の史書に登場していないのです。

  このため、日本の古代史ではこの間を「空白の四世紀」と呼んでいるのです。

  現代の我々から見れば「空白」ですが、卑弥呼亡き後、日本の歴史がダイナミックな変遷を遂げていたのが四世紀であり、その意味ではまったく「空白」とはかけ離れた世界であることは間違いありません。そして、この時代を現代の我々は、「古墳時代」と呼んでいます。逆に言えば、古墳を調べることが「四世紀」を明らかにする最も確実な手段だということです。

  以前、古墳の本をご紹介したときに、古墳は天皇の墓であり、すべてを宮内庁が管轄して調査どころか敷地に入ることさえ宮内庁の許可がいることをお話しました。

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(卑弥呼の墓か? 箸墓古墳 asahi.comより)

  確かに、戦時中にはやむを得なかったのでしょうが、現代でも宮内庁が立ち入りを許さないというのは前時代的な発想ではないのかと疑います。その一方で、天皇墓として認定されている以外の古墳では、様々な研究成果が上がっています。この本では、こうした発見から見えてくる「四世紀」のワンダーを語ってくれるのです。

  古墳には、円墳・前方後円墳・前方後方墳などの種類がありますが、以前ご紹介したように日本の関東以北に数が多いのは前方後方墳で、西に多いのは前方後円墳です。前方後円墳が天皇墓中心とすれば、前方後円墳の多い地域は邪馬台国の末裔のヤマト王権、前方後方墳の多い地域は、もともと邪馬台国と闘いを繰り広げた狗奴国の領地だったのではないかとも考えられます。

  この本の古墳を巡るワンダーは、まさにグローバルです。

  皆さんは、韓国の海岸沿いの地域にたくさんの前方後円墳が発見されているのをご存じでしょうか。朝鮮半島の前方後円墳は、1980年代からその存在が語られるようになり、以降多くの前方後円墳が発見されてきました。2022年には、韓国羅州(ナジュ)市で15基目の前方後円墳が発見されて話題となりました。

  一時期には、前方後円墳が朝鮮半島から日本にもたらされたのではないか、との仮説も唱えられましたが、発見された古墳がすべて五世紀末から六世紀にかけて築かれていることから、前方後円墳は日本固有の形態で、何らかの理由で日本から朝鮮半島に渡ったのだと考えられるようになったのです。

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(朝鮮半島南部の前方後円墳 wikipediaより)

  邪馬台国からヤマト王権へと日本が移行していく過程で、王権が最も重視したものは何だったのか。それは、「鉄」でした。「鉄」は、農耕機具、武器として飛躍的な強度を誇り、大量生産の要であると同時に、争いでは決定的な力を発揮したのです。当時、「鉄」は日本国内では手に入らず、もっぱら朝鮮半島からの輸入に頼っていました。

  しかも三世紀から四世紀にかけて、朝鮮半島で日本と交易を行ったのは半島の南端にある百済国に他なりませんでした。邪馬台国からヤマト王権へとゆっくりと全国をまとめ上げていく過程で、鉄は各地の豪族たちに王権のパワーを見せつけるための重要な文物だったのです。百済との絆を強固にすることは、イコール自らの存在感を高めることに他なりませんでした。

  朝鮮半島に築かれた数々の前方後円墳は、利害が一致した当時のやまと王権と百済国が文武で親密な交流を続けていた証ではないのでしょうか。

  当時、中国は三国時代から南北朝時代への変換期であり、朝鮮半島への支配はゆるやかになりました。そこで、力で半島の制覇を狙ったのが高句麗国です。高句麗国は、当時朝鮮半島を3分割していた新羅国と百済国へと攻め入りました。百済国と同盟とも言える関係を結んでいたヤマト王権は、利権を守り、絆を深めるために百済とともに高句麗と戦ったことが想像されます。

  ちなみに、韓国には、この高句麗の広開土王の功績を記した石碑が414年に建立され、その中には当時「倭」が百済とともに連合軍を打ち立て、王は打ち破ったと記されていることが紹介されています。「空白の四世紀」を埋める碑文。ワンダーです。詳しくは、ぜひこの本で。

  さらに、高句麗国は騎馬民族で、騎馬軍団がおり、この流れの中で馬も百済を通じて日本にもたらされた、ということが考古学からもわかってきているそうです。

  時代は日進月歩で進んでいきます。皆さんもこの本で最新の日本古代史に思いをはせてはいかがでしょうか。こうした研究が実を結び、近い将来、古代日本の真の姿が語られることを楽しみにしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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青山和夫 マヤ・アステカ・インカの今

こんばんは

  我々はなぜ古代の文明に惹かれるのでしょうか。

  我々が習った「世界史」の教科書は、4大文明の発祥から始まりました。それは、メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4つの文明です。この4大文明は、いずれもチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河という大河の恩恵を受けていました。人類は、石器時代に入り、狩猟中心の生活から食物の栽培中心の生活へ変化し、放浪の時代から定住の時代へと移りました。定住の生活は集落を生み、長を生み、王を生み、文明へと発展していきます。

  という歴史は半世紀前に一般的な人類史でした。

  しかし、4大文明以外にも文明は生まれていたのです。

  今年はテレビ放送が始まって100年に当たります。NHKをはじめテレビ各局は様々な記念番組を創って放映しています。当たり前の話ですが、50年前の1975年は放送開始50年の節目の年に当たっていました。そのとき、私は高校生でしたが、この50周年記念番組として制作されたのが、「未来への遺産」という特集番組です。

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(「未来への遺産DVD」 bookoffHPより)

  この番組は、当時最新の考古学や歴史学の情報をもとに、世界中にちらばる人類の古代文明を取材して「未来への遺産」としてまとめあげた力作でした。現在、すっかりメジャーとなったユネスコの世界遺産。世界遺産条約の発効が1975年。その第1回遺産が発表されたのが、1978年ですから、この番組は時宜を得た作品に他なりません。

  番組が、160分。各回にテーマが設定されており、15回にわたって世界中に点在する遺跡を紹介してくれました。その第1回は、「プロローグ 失われた時への旅」よ題して、まさに4大文明の遺跡を巡る番組でした。そして、番組は4大文明のみならず、古代アメリカ文明も巡りました。当時、この番組に啓発されて古代のロマンを知り、毎週楽しみに見ていたのは忘れられません。この放映に会わせて、NHK出版から同名の写真集も発売され、なけなしのお小遣いを使って、全巻そろえたのも良い思い出です。

  その第1回の放送で紹介されたのが、メソアメリカ文明と言われるアステカの遺跡とマヤ文明のテオティワカンの遺跡でした、その密林の中にそびえる壮大なピラミッドは、エジプトのピラミッドに勝るとも劣らない壮大さを備え、階段状にしつらえられたピラミッドの頂上は平らかに整えられ、そこに生け贄をまつる祭壇が置かれています。

  この番組に心を躍らせ、ここから、中南米のマヤ・アステカ文明、そしてアンデス地域のナスカ・インカ文明に心をときめかせるようになったのです。

  今週は、メソアメリカとアンデスの古代文明最新研究を語る本を読んでいました。

「古代アメリカ文明-マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像」

(青山和夫編 講談社現代新書 2023年)

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(新書「古代アメリカ文明」 amazon.co.jp)

【誤解されてきた古代アメリカ】

  マヤ文明というと思い出すのは、手塚治虫が少年チャンピオンに連載していた「クレーター」という作品です。この作品は、一話ごとの完結で、毎回、不可思議な物語が展開していく面白い作品で毎週楽しみにしていました。この「クレーター」の中に「生けにえ」という不思議な物語があります。

  時は2000年前。場所はメキシコのとある古代ピラミッドの頂上の神殿の前に今まさに神の生け贄にならんとする美しい女性が首を捧げて祭壇に横たわっていました。彼女は心の中で神に訴ったえます。「私の望みを聞いてほしい。」すると、神が彼女に答えます。「おまえの望みとは何か。」

  彼女の望みとは、あと10年生きて平和な家庭と子供を持って暮らしたい、との想いでした。神は、その望みを叶えてやる、ただし、10年後のこの日にはここに戻ってくることになる。と語ります。彼女は頷きました。

  気がついたとき、彼女は一糸まとわぬ姿でとある島の砂浜に現れます。彼女は記憶を失っていました。そして、偶然、島に遊びに来ていた少年が彼女を助けます。二人は島で逢瀬を重ねて恋に落ちました。時は昭和の日本。帰ってきた二人は日本の大都市で結婚します。結婚してしばらくしたとき、夫は会社からリストラに会います。帰って妻に「首を切られた。」と言ったとき、彼女はショックで気を失ってしまいます。

  そんなことがありながらも二人には子供も生まれ、夫は新しい会社でエンジニアとして腕を磨いていきます。そして、島で出会ってから10年が経ったとき、彼はその腕を買われメキシコの建築を任されて現地に赴任することになったのです。小躍りしながら帰って妻に報告すると、妻も我が事のように喜んでくれた後、ふとつぶやいたのです。

  「ねぇ、メキシコに行ったらね、マヤ族インディアンの祭壇があるの。そこで毎年少女が生けにえにされたのよ。そこへ行くことがあったら、チクワナという生けにえの少女のためにお祈りしてくださる?」

  「なんで、そんなことを言い出したの?」といぶかる夫に「ふっ、と思いついたの・・・。」と答えると、妻は「お茶でも入れるわね。」といって台所へと向かいます。そして、その後ろ姿がかき消えてしまうのです。夫はパニックになって探します。

  そして、少女はメキシコの祭壇へと帰りました。

  マヤ文明というと、まず最初に思い浮かぶのが密林の中にそびえ立つピラミッドとそこで行われたいけにえの儀式です。

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(メキシコ チチェン・イッア遺跡 wikipedia)

  この本の編者で、マヤ文明の研究の第一人者である青木和夫氏は、この本の序章で古代アメリカ文明がいかにゆがめられて人々の中に伝えられているのかを語ります。そこで語られるのは、大衆受けする「謎と神秘の古代アメリカ文明」の姿です。「生けにえ」は確かに行われていたのですが、アメリカ大陸を征服し、植民地としたスペインの人々は、勝者として先住民の野蛮さをことさら強調します。その文書には、「4日間で80,400人を生けにえにした。」などと記されていますが、物理的に不可能なことは明白です。

  また、「マヤの人類絶滅の預言」や「ナスカの地上絵は、宇宙人の目印のために書かれた」、「マヤの石版には宇宙船に乗る宇宙飛行士の姿が描かれている」など、科学的には全く根拠のない都市伝説が面白おかしく語られ、一人歩きしています。

  また、メキシコやグアテマラに築かれたマヤ文明、アステカ文明。ペルーの海に近い大地に描かれたナスカの地上絵。そして、アンデス山脈の高地に築かれたインカ文明。この本には、ともすれば、混同してしまいそうな古代アメリカ文明の最新研究をわかりやすく語ってくれるのです。

  それは、ワンダーな体験です。

【古代アメリカ文明は人類史の鉱脈】

  我々が世界史で習った古代文明は、すべて大河の近くで生まれ、反映しました。そして、文字の発明がその文明をさらに発展させ、青銅器から鉄器の道具への応用がその生産性を飛躍的に高めることになったのだ、と教わってきました。

  しかし、メキシコやペルーの地で発祥した古代アメリカ文明の近くには大きな河はありませんでした。さらにインカ文明は文字を持たない文明にもかかわらず、大都市を形成し広大な地域にナットワーク型の国家を作り上げたのです。そして、古代アメリカ文明は青銅器も鉄器も使っていません。彼らは石器と土器の文化を発展させて巨大な文明を気づいていきました。驚くことに、彼らは「車輪」という概念も持たず、山道や密林での運搬には人力と動物を利用してその文明を高めていったのです。

  これまで、我々がヨーロッパの人々の目から分析してきた文明の要素は、必ずしも文明に必要不可欠な要素ではなかったのです。そして、そうした常識から外れた古代アメリカ文明を理解しようとせず、キリスト教的な文化の中で抑圧してきたのです。

  この本の著者たちは、それぞれがマヤ、アステカ、ナスカ、インカを30年以上も現地で発掘研究してきた研究者です。その地に足のついた発掘と研究は、これまでの常識をはるかに越えるワンダーを我々に教えてくれます。

  例えば、マヤ文字。ピラミッドの壁面や石版に描かれたマヤの文字は長年の謎でしたが、近年の研究ではその一端が解読されています。文字にはアルファベットのような表音文字と感じのような表象文字がありますが、表音文字が26文字と閉鎖的なのに比べ、漢字のような表象文字は開放的で無限に文字を作り出せるそうです。

  マヤの文字はまさに表象文字で、発見されているだけで4万から5万の文字があると言います。その文字では、すでにどう発音したかまでを解読しつつある、と言います。もっとも、文字を使っていたのは神との交流をする上層部の人々だけで、大規模神殿を中心に集まる民衆たちは文字を使うことはなかったようです。

  また、マヤ、アステカのメソアメリカ文明では、暦や数は両手両足の指をを使って数える20進法が利用され、アンデス文明では手の指を使って数える10進法が使われたとの話もワンダーです。これが暦にもつながります。

  第三章で坂井正人氏によって語られるナスカ地上絵の研究はさらにワンダーです。

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(ナスカ一筆書地上絵「ハチドリ」 wikipedia)

  ナスカの地上絵は、その大きさが数キロに及ぶ絵もありとても地上からは識別できず、観光ガイドもヘリコプターやセスナ機で地上絵を見に行くほどです。例えば、有名なハチドリの絵は全長が96mに及びます。また猿の絵は、110mに及ぶのです。

  坂井正人氏は、山形大学において2004年からナスカの地上絵を分析しています。そこに利用された技術は、人工衛星による画像解析でした。人工衛星画像による解析と航空写真とドローンを利用した詳細画像で、ナスカの地上絵の全貌を分析しようというわけです。

  さらに2018年からは人工知能を利用して、人の眼では判別できない地上絵を見つける研究も行ってきました。その結果、新たな地上絵を含めて350点もの地上絵を発見することに成功したのです。このニュースは世界中を驚かせました。

  地上絵には、線で描いたものと面で描かれたものに分類され、その図柄も動物、植物、人と様々です。研究の目的は、地上絵を分析することにもありますが、最終的にはこうした多数の絵を何の目的で古代ナスカの人々が描いたのかとの謎を解き明かすことにあります。

  氏は、350点以上の地上絵の分布を詳細に分析、さらにフィールドワークで実際に地上絵と地上絵の配置を足し家馬手言ったのです。その結果、氏は驚くべき仮説にたどり着いたのです。さて、そのワンダーはぜひともこの本で確かめてください。ワンダーです。


  この本を読むと、我々が毎日食べている多くの野菜の6割は古代アメリカ文明が発祥の野菜だと言います。トウモロコシやジャガイモを筆頭にトマトやズッキーニ、カボチャやトウガラシ等々、数え上げればきりがありません。皆さんもぜひこの本で、知られざる古代アメリカ文明のワンダーを味わってください。楽しめること間違いなしです。

  今年は9月になっても酷暑はおさまりそうにありません。皆さんもご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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蔦屋重三郎 花街から躍り出たメディア王

こんばんは。

  皆さんは、タイムスリップするとすれば、どの時代に行きたいと思いますか。

  いくとするなら江戸時代です。江戸時代は言葉も通じるでしょうし、江戸は17世紀には世界で最も人口が多く、文化的にも栄えた都市だと言われています。さらに、江戸時代には交通も経済も発達しており、江戸、大坂、京都の3大都市を擁する日本は、当時の世界では先進国だったのではないでしょうか。

  しかし、江戸時代は265年も続いた時代です。一世代を30年と考えるとすれば、8代にもまたがるわけですから、その間のどの世代に降り立つかによって境遇はずいぶん違うのではないかと想像します。一方で、世界的に見ても、人類史上これだけ長い間平和が続いた政権はまれなのではないでしょうか。そう考えれば、江戸時代の何処にに降り立ってもすぐに殺されることはなさそうです。

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(江戸時代 交通網の起点 広重の日本橋)

  時代の幸せ感から考えると、江戸時代は戦後の日本とよく似て平穏で平和な気がします。

  確かに265年と戦後の80年が同じというのもおかしな話ではありますが、現代の進化速度を考えれば、当時の265年を80年と比較することは必ずしも不合理とは思えません。

  徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いたのは1603年です。戦国時代から群雄割拠によって日本全国で戦いが続き、その結果、天下を統一した豊臣秀吉は、せっかく実現した平和にもかかわらず、あろうことか朝鮮に出兵し日本全国を疲弊させました。徳川家康が、大河ドラマのように「平和」を希求して天下を収めたとは思えませんが、家康が日本の繁栄を目指したことは間違いなさそうです。

  戦後80年を江戸時代の年月に換算すると、現代の1年間は江戸時代の33ヶ月と考えることが出来ます。戦後の復興期は約10年。昭和30年代には高度成長期に入り、「もはや戦後ではない」と言われました。東京オリンピックの開催は昭和36年でした。その後、高度成長期は続き、その15年後には、バブル景気を招くことになります。

  昭和の高度成長は、江戸時代、第5代将軍徳川綱吉の時代に好景気に沸いた元禄時代になぞらえられます。元禄が始まったのは、1688年。ここから1704年まで続きますが、この間に元禄文化が花開きます。読み物では、「好色一代男」の井原西鶴、俳句では「奥の細道」の松尾芭蕉、浄瑠璃で一世を風靡した近松門左衛門などキラ星のような才能が輝きます。

  江戸幕府から元禄文化までは約100年。終戦から戦後復興を経てバブル景気まで約40年。江戸時代と現代は、よく似ていると思えてなりません。元禄時代には、様々な事件も起きています。元禄期には、かの有名な「赤穂浪士事件」が起きています。また、江戸も現代と同様に様々な災害に見舞われています。1682年には、八百屋お七で知られる天和の大火で大きな被害を受け、1703年には、元禄地震、元号が変った翌年には、浅間山の大噴火。さらに2年後には富士山の噴火、そして宝永地震と立て続けに災害に見舞われているのです。

  これは、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災と大きな災害に見舞われた現在と重なるように思えます。

  現代の日本は、幸いなことに「平和」が続いていますが、江戸時代と同様にこの平和が永く続くことを願います。

  さて、江戸時代と言えば今年の大河ドラマでは、江戸の出版文化の新たなページを切り開いた粋な男、蔦屋重三郎が主役。あまり我々にはなじみのない名前ですが、なぜ彼が大河ドラマの主役となるのか、それを知るために一冊の本を読みました。

「面白すぎて誰かに話したくなる 蔦屋重三郎」

(伊藤賀一著 リベラル新書 2024年)

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(伊藤賀一著 新書「蔦重」amazon.co.jp)

【蔦屋重三郎とは何者なのか】

  蔦屋重三郎は、1750年に江戸の吉原で生まれました。バブルになぞらえられる元禄時代から下ること約50年、江戸幕府から公認されていた花街である吉原。そこで生まれ、そこで育った重三郎はいったい何をした男なのでしょう。

  皆さんは、フランスで花開いた印象派の絵画はお好きですか。印象派と言えば、モネの睡蓮、ルノワールの少女、ドガの踊り子、それに続くゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンなどなど、日本人には大人気の絵画群が思い起こされます。

  こうした印象派の画家たちが大きな影響を受けたのが日本の浮世絵です。

  葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽などなど、モネのジュベルニーのある自宅の食堂は浮世絵で満たされていました。また、ゴッホは、自らの絵画に生かすために多くの浮世絵を模写していました。また、ルノワールもジャポニズムを背景とした少女の絵を残しています。そして、皆さんもこうした浮世絵師たちの名前はよくご存じだと思います。

  実は、世界に冠たる浮世絵師たちを世に出したプロデューサーが蔦屋重三郎だったのです。彼は、閉鎖的な江戸の出版文化に風穴を開け、江戸に新たな文化を根付かせることに成功しました。それは、アカデミックなものではなく、自らが江戸の大衆に受けると信じた黄表紙本や浮世絵、はたまた狂歌本を次から次へと世に出して、メディア王と言ってもよい活躍をしたのです。

  驚きなのは、彼の生涯が47年に過ぎなかったという事実です。

  江戸時代には、乳児の死亡率が高く、平均寿命は40歳前後と言われていますが、まさに「人生50年」を地で行ったといえるかもしれません。それにしても、70歳まで現役で働いている現代人から見れば短かすぎる人生ですが、彼の死に際は、その生き方同様に見事です。

  江戸っ子と言えば、野暮を嫌い「粋」でけんかっ早く、人情に厚いとの印象ですが、蔦屋重三郎(以下、蔦重と言います。)も江戸っ子そのものだったようです。その経歴を見ると、蔦重は何事にもめげずにひたすら前進する、「前向き」の塊のように見えますが、実はその出自には悲しさが伴っています。

  吉原で生まれた蔦重は、幼くして両親が離別するという悲しみを味わったうえ、その両親がどちらも引き取りを拒否したことから7歳にして、吉原の引手茶屋である喜多川家に養子として引き取られることになります。そして、吉原の引手茶屋の仕事を手伝いながら、義兄が開いていた引手茶屋「蔦屋」の軒先を間借りして、小さな書店を開きます。このとき蔦重は22歳でした。

【江戸文化を変えるまでの成長】

  蔦重がなぜ書店を営もうと思ったのかは、想像するしかありません。

  江戸の吉原と言えば、頂点に立つ花魁から、鼓楼の中に顔見せする数百人の遊女たちがその美しさを競いあう花街です。当時、この花街の遊女を紹介するガイドブックが販売されていました。その本は、俗に「吉原細見」と呼ばれます。この本の版元は日本橋の地本問屋「鶴鱗堂」で、ほぼ独占状態でした。蔦重は、吉原に培った人脈の力で、この本の販売代理店になることに成功したのです。つまり、「吉原細見」を仕入れて販売する商売を始めたわけです。

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(歌麿が描いた吉原花魁の浮世絵)

  ところが、小売りを初めて2年後、版元の「鶴鱗堂」の手代が上方の版元と同じ本を重版するという罪を犯し、「鶴鱗堂」では一時期「吉原細見」を出版することが出来なくなったのです。これをチャンスととらえたのが蔦重でした。

  蔦重は、自ら吉原の内外に築いた人脈をフルに利用して、「吉原細見」に変る新たな吉原のガイド本を出版したのです。それは、吉原にある遊郭各店にいる花魁を花に見立てて紹介する遊女紹介本「一目千本」というガイド本でした。蔦重は、従来の単なる紹介本から花魁の絵図をふんだんに使って視覚に訴える小冊子を自ら出版したのです。

  彼が巧妙だったのは、このガイドブックを有料で販売せず、吉原で最も裕福な客のみを相手する花魁にもたせて、無料で客たちに配布したのです。この本は、富裕層の顧客(上級武士や豪商)たちの間で評判となり、蔦重の本も順調に販売数を伸ばしたのです。

  こうして順調に売り上げを伸ばした蔦重は、10年後には従来の「吉原細見」の版権を次々に買い取って、吉原ガイド本をすべて独占するまでに大きくなったのです。蔦重が統一して出版した「吉原細見」には、当時マルチな才能で人気者だった平賀源内が序文を書いたことから、大いに評判をとることになりました。

  いま、大河ドラマではこのあたりが進行していますね。

  「吉原細見」の独占までにも蔦重は、「貸本行」の株を手に入れ、さらに売り上げを伸ばし、義兄の軒先から独立し、「耕書堂」という店舗を立ち上げます。そして、寺子屋の教科書の出版、当時の小説の新ジャンルである黄表紙の出版にも手を広げます。

  当時の江戸には、参勤交代で江戸つめとなっていた全国各藩の武士たちが集まり、さらには商家の次男、三男など、様々な人材が才能を発揮し、小説本を執筆していました。蔦重は、人脈作りに精を出し、信用と信頼を勝ち取り、老舗で黄表紙を書いていた恋川春町などの著者を引き抜きます。武家であった山東京伝も蔦重で黄表紙を執筆して大当たりします。

  ここから勢いを増す蔦重は、当時、流行していた狂歌に目をつけます。狂歌とは、上の句、下の句で世の中を粋にニヤリとさせる短歌のことです。川柳は俳句と同じ五七五ですが、その短歌版が狂歌というわけです。狂歌の流行はすさまじく、蔦重は自ら号を持って狂歌の集まりである「連」を主催して、それを扱う狂歌本を出版。大いに売り上げを伸ばします。

  蔦重は、こうした躍進を背景に、吉原から出て大手版元が集まる日本橋に出店することになるのです。

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(葛飾北斎が描いた蔦重の「耕書堂」)

【試練をも糧にして進む蔦重】

  昔から、「好事魔多し」と言いますが、順調すぎるときには割ることが起きるものです。

  蔦重37歳のとき、江戸幕府では第11代将軍に徳川家斉が就きました。そして、その老中首座に松平定信が就任したのです。松平定信は、「寛政の改革」に着手し、倹約令を発布、世相の風紀引き締めを徹底したのです。

  当時は流行していた黄表紙や狂歌絵本は、世の中を面白おかしく風刺することで人気を得ていました。幕府への批判と受け取られるような内容はすべて取り締まりの対象となり、蔦重の「耕書堂」も著者共々、お上から咎めを受けることとなるのです。

  しかし、蔦重の超ポジティブな人生は、そんなことではめげることがありませんでした。幕府から資産没収の憂き目に遭った後、蔦重は喜多川歌麿、東洲斎写楽などの浮世絵の大流行の火付け役となるのです。


  と、すべてのネタをばらすのは、「粋」ではありません。蔦重の人生の面白さは、ぜひ皆さんそれぞれで味わってください。その生き方を見れば、つまらない日常も楽しい人生に見えてくるかもしれません。

  桜も散って、季節は夏へと向かいますが、まだまだ寒暖差は激しそうです。どうぞご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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Y・N・ハラリ サピエンスが生み出した虚構たち

こんばんは。

  今回は、前回に引き続いてイスラエルの歴史学者の世界的ベストセラー「サピエンス全史」の下巻を紹介します。

  閑話休題

  人は誰もが死を迎えます。つい先日、グラミー賞6度の受賞を誇る名サックスプレイヤー、デビッド・サンボーン氏が亡くなりました。78歳。まだまだ早い死と残念ですが、彼は前立腺がんと戦っており、死の直前までみごとなライブパフォーマンスを披露していたと言います。

  彼はジャズ・フュージョンのプレイヤーでしたが、なんと言ってもその名前が広まったのは、1979年に発表したフュージョンアルバムの名作「ハイダウェイ」でした。ファンキーでなおかつ、ソフト&メロウな響きには一撃で心を打ち抜かれ、そのアルバム以来、ずっと彼のアルバムを聞き続けてきました。特に1980年代は大ヒットアルバムを連発し、86年の「ストレイト・トゥー・ザ・ハート」から89年の「クローズ・アップ」まで4年連続でグラミー賞を受賞しています。

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(グラミー賞受賞「ダブル・ビジョン」 amazon.co.jp)

  私が結婚したのは1988年でしたが、披露宴のBGMとして、「ささやくシルエット」、「ア・チェンジ・オブ・ハート」、「クローズ・アップ」の3枚のアルバムから厳選したバラードを流してもらい、心に残る披露宴となったのは忘れられない思い出です。

  2018年にブルーノートでのライブに参加しましたが、このときにはかなり容体が悪かったようで、舞台に上がるのにも支えられて、ステージでも机に寄りかかって演奏していました。にもかかわらず、その演奏は往時と全く変らず、ブルースが中心のセットリストの中で、なつかしい曲も交えて素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれたのは驚きました。さすがでした。

  数あるアルバムの中でも、今でもよく聴いているのはマルチピアニストのボブ・ジェームスとコラボした「ダブル・ビジョン」です。オープニングの「マプート」は、ベーシストのマーカスミラーが送った曲で、ボブ・ジェームスとデビッド・サンボーンのリリカルな演奏が心に響く名曲です。2011年、東京ジャズにこの二人が登場し、そこで二人が奏でた「マプート」を聴いたときには心が揺り動かされる感動の時間を味わうことができました。

  近年のブルースアルバムも含めて、しばらくはサンボーンの音色に浸りたいと思います。

【農業革命のもたらしたもの】

  さて、余談が長くなりましたが、「サピエンス全史」の名調子もいよいよ後半に向かい、中世から近世へと時代は動いていきます。

  上巻では、サピエンスをサピエンスたらしめた「認知革命」が最初のワンダーを我々に見せてくれました。ハラリ氏は、サピエンスという単なる一種にすぎない生物の躍進は、我々が噂話と虚構を表現する能力を得たことによって、他の生物たちとの差別化が現実となったのだと語ります。人類最初の洞窟壁画にはその革命が現れていると言います。

  例えば、たくさんの手のひらが描かれているものは自らの存在を次に残そうとする次世代の認知、動物や地図は仲間にその存在や位置を伝えようとする「認知」「虚構」の象徴的なものだといえます。それは、「アニミズム」、「言葉」、「音楽」などでコミュニティを形作っていく大きな基礎となったのです。

  そして、石器時代と呼ばれる狩猟採集時代は、必要なものを自ら栽培し、畜産する農業革命によって農耕畜産時代へと変っていきました。「農業革命」の出現です。サピエンスは、250万年続いた移動しながらの狩猟採集生活から、1万年ほど前にひと所で栽培、畜産を行う新たな生活様式へと変っていきました。しかし、この革命はサピエンスにとって何一つ良いことはなかったと言います。

  この歴史書の特徴は、年号と出来事を並べないところにあります。

  「農業革命」以降、サピエンスは有史の時代を迎えます。我々が習う世界史の教科書は、時系列でいつ何が起きて、次につながったのかを並べていきます。この本は、歴史を我々が持つ生物学的制約とその制約を超えてその種を増やしていった要因にスポットを当てて語っていきます。

  「農業革命」は、サピエンスに何をもたらしたのか。第二部の各章ではそのことが実証的に語られていきます。誤解を恐れずに端的に表せば、「繁栄」、「神話の誕生」、「言葉を記録する(書記)」、そして、「生れた差別」です。例えば、「神話」の章で、著者は有名なハムラビ法典とアメリカの独立宣言を取り上げます。そこでは、我々サピエンスがどのように「虚構を作り上げて、共有化する」能力を発揮して「神話」を構築し、歴史をすすめてきたのかがみごとに語られます。

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(「サピエンス全史 上巻」 amazon.co.jp)

  そして、歴史はいよいよ第3部に当たる「人類の統一」へと向かっていきます。

【そして統一へ】

  上巻の最後では、どのように人類が構築された規範を集積して統合し、地域ごとの部族や民族をつくりあげていったのか。そして、統一を促していった要因はいったい何だったのかが語られていきます。

  ハラリ氏は、人は生れた瞬間から死ぬまでの間、その地域で創られた規範を刷り込まれながら生きていくと言います。そこで形作られる規範を「人工的な本能」と呼びます。そして、それぞれの部族や民族で共有される「文化」を人工的な本能によるネットワークと定義します。かつて、文化とはそれぞれの部族や民族特有のものであり変化しない、と考える時代もあったものの、現在では様々な文化がまじりあうことで、文化は常に変っていくと考えられています。

  歴史は一つの方向性を持っており、文化は絶えず干渉し合うことで変化を続け、大きな固まりへと統合されていくと言います。

  事実、我々の世界は石器時代から古代、中世、近世と統合と統一を積み重ねてきました。

  第3部 人類の統一で、著者はサピエンスの文化が統合されていく最も本質的な要素を語っていきます。それは、「貨幣」、「帝国」、そして「宗教」です。上巻では「帝国」までが語られますが、その最後の皮肉に満ちた言葉を前回の最後に紹介しました。その鋭い視点は上巻で我々の目からうろこを落として、そのままの勢いで下巻へと向かっていきます。

  まずは、下巻の目次に目を通しましょう

第3部 人類の統一

 第12章 宗教という超人間的秩序

 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命

 第14章 無知の発見と近代科学の成立

 第15章 科学と帝国の融合

 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 第17章 産業の推進力

 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 第19章 文明は人間を幸福にしたのか

 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

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(「サピエンス全史 下巻」amazon.co.jp)

【受験には絶対出てこない世界史】

  さて、中世から近世、そして近代から現代まで、まさに世界史では封建制国家の時代からルネッサンスを経て市民の時代に変っていく歴史となるわけですが、この本では、かつて「一夜国見たコロンブス」と覚えた、1492年のコロンブスの西インド諸島への到着も全く新たな観点から語られることとなるのです。

  ハタリ氏は、サピエンスの超飛躍的な進歩の要因は「科学革命」にあると思考し、第4部を「科学革命」と位置づけたのです。

  では、「科学革命」はどのように起きたのか。それは、無知の発見です。

  未知のことがあれば、知りたい。知らない場所に行ってみたい。今日から明日に進んでいこう。今では当たり前となっているこの考え方は、「科学革命」の原点。それが、ハタリ氏が語る「科学革命」なのです。

  「無知であることを知らない」、今の我々には言われてもよくわからない言葉です。しかし、中世という時代、人は知らないことがなかったというのです。神は全知全能であり、すべては神が知っているので我々は何も知らないことが当たり前でした。この世界は、地上と天空で構成されており、地上の果てがあることは誰でも知っていました。月と太陽は果てのある地上の上を規則正しく動いており、それは当たり前のことだったのです。

  近代科学の発端は、我々はすべてを知っているわけではないという前提に立つと同時に、知っていると思っていることについても、さらなる知識を獲得するうちに誤りがあると判明する場合がある、と考えることから始まります。科学は、観察や実験に基づいて仮説を立てることから始まります。「科学」で重要なのは、仮説を証明するために数学を利用するという点だと言います。

  それは、木から落ちるリンゴから重力があることに気づき、それを数式で表したニュートンを祖とする物理学。ベンジャミン・フランクリンは雷の正体が電気であるとの仮説を立て、たこによる実験によりその仮説を裏付けて避雷針を発明し、神からの天罰の正体を明らかにしました。ハラリ氏が語る第14章は、現代に続くサピエンスの爆発的な増殖の要因をあますことなく解析してくれます。

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(ニュートン著「プリンシピア」 amazon.co.jp)

  そして、科学の力は帝国や資本主義と見事に結びつき、この地球を席捲していきます。

  昔、世界史を専攻していたときに近世ヨーロッパ大航海時代の覇権について、長い長い戦争の末に、ポルトガルからスペイン、スペインからオランダ、オランダからイギリスへと世界の覇権が交代していく様を学びました。そして、受験のためにそれぞれの海戦の名前と年代を暗記しましたが、なぜ覇権を握る国が次々に変っていくのかがずっと謎でした。

  50年を経た今、この本によってその答えを知ることになるとは思いませんでした。それぞれの国が科学革命によって新たな世界を知ったことはもちろん理由の一つなのですが、その科学が資本主義や帝国の規範と結びついた時に新たなスパイラルが次々と生まれ出ていたのです。そのスパイラルの大きさこそが、覇権国家が次々と変遷したことの大きな要因だったのです。まさに目から鱗が落ちました。

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(オランダ勝利 べラスケス「ブレダの開城」wikipedia)

【現在の世界はどこに向かっていくのか】

  ハタリ氏は、第二次大戦後に国家間で起きた戦争は、それ以前の歴史に比して劇的に減少したと言います。確かに、近年では国家間の戦争が、イランイラク戦争、湾岸戦争、9.11以降のアフガン戦争と本当に数えるほどにしか行われていません。

  氏はその要因を4つに集約しています。

  • 核兵器により、超大国間の戦争は人類の集団自殺にも等しくなった。
  • 戦争の代償が高コスト(急騰)となったと同時に、戦争により得られる利益が少なくなった。
  • 一方で、平和からこれまでには比較にならないほどの利益があがるようになった。
  • グローバルな政治文化に構造的な転換が起きた、すなわち、世界のエリート層が「平和」をスローガン挙げるようになった。

  この本が世に出たのは2014年。著者は、これからの未来を新たなサピエンスの時代と語ります。それは、サピエンスが遺伝子操作やサイボーグ化、はたまたコンピューターのシンギュラリティによって進化していくために新しい価値観、規範が生れてくるからだといいます。さらに、文庫化のあとがきでは、チャットGPTをはじめとするAIの進化がその進化をさらに加速させています。

  その一方で、4つの要因による戦争の減少の中、ウクライナに侵攻したロシアやそれに対峙しようとしない中国や北朝鮮をはじめとする諸国の権威主義が、欧米への対立路線を際立たせています。さらにイスラエルとパレスチナの戦争は、すでに罪もない市民を3万人以上も殺戮するという戦争犯罪にも当たる悲劇を出現させています。そこには、AIを組み込んだ新たな殺戮兵器の開発までが現実のものになっています。

  はたして、我々サピエンスは幸福に向かう進化を成し遂げることができるのか。この本は、それを考える上では、最適な一冊であることに間違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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Y・N・ハラリ サピエンスが生み出した虚構たち

こんばんは。

  今回は、前回に引き続いてイスラエルの歴史学者の世界的ベストセラー「サピエンス全史」の下巻を紹介します。

  閑話休題

  人は誰もが死を迎えます。つい先日、グラミー賞6度の受賞を誇る名サックスプレイヤー、デビッド・サンボーン氏が亡くなりました。78歳。まだまだ早い死と残念ですが、彼は前立腺がんと戦っており、死の直前までみごとなライブパフォーマンスを披露していたと言います。

  彼はジャズ・フュージョンのプレイヤーでしたが、なんと言ってもその名前が広まったのは、1979年に発表したフュージョンアルバムの名作「ハイダウェイ」でした。ファンキーでなおかつ、ソフト&メロウな響きには一撃で心を打ち抜かれ、そのアルバム以来、ずっと彼のアルバムを聞き続けてきました。特に1980年代は大ヒットアルバムを連発し、86年の「ストレイト・トゥー・ザ・ハート」から89年の「クローズ・アップ」まで4年連続でグラミー賞を受賞しています。

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(グラミー賞受賞「ダブル・ビジョン」 amazon.co.jp)

  私が結婚したのは1988年でしたが、披露宴のBGMとして、「ささやくシルエット」、「ア・チェンジ・オブ・ハート」、「クローズ・アップ」の3枚のアルバムから厳選したバラードを流してもらい、心に残る披露宴となったのは忘れられない思い出です。

  2018年にブルーノートでのライブに参加しましたが、このときにはかなり容体が悪かったようで、舞台に上がるのにも支えられて、ステージでも机に寄りかかって演奏していました。にもかかわらず、その演奏は往時と全く変らず、ブルースが中心のセットリストの中で、なつかしい曲も交えて素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれたのは驚きました。さすがでした。

  数あるアルバムの中でも、今でもよく聴いているのはマルチピアニストのボブ・ジェームスとコラボした「ダブル・ビジョン」です。オープニングの「マプート」は、ベーシストのマーカスミラーが送った曲で、ボブ・ジェームスとデビッド・サンボーンのリリカルな演奏が心に響く名曲です。2011年、東京ジャズにこの二人が登場し、そこで二人が奏でた「マプート」を聴いたときには心が揺り動かされる感動の時間を味わうことができました。

  近年のブルースアルバムも含めて、しばらくはサンボーンの音色に浸りたいと思います。

【農業革命のもたらしたもの】

  さて、余談が長くなりましたが、「サピエンス全史」の名調子もいよいよ後半に向かい、中世から近世へと時代は動いていきます。

  上巻では、サピエンスをサピエンスたらしめた「認知革命」が最初のワンダーを我々に見せてくれました。ハラリ氏は、サピエンスという単なる一種にすぎない生物の躍進は、我々が噂話と虚構を表現する能力を得たことによって、他の生物たちとの差別化が現実となったのだと語ります。人類最初の洞窟壁画にはその革命が現れていると言います。

  例えば、たくさんの手のひらが描かれているものは自らの存在を次に残そうとする次世代の認知、動物や地図は仲間にその存在や位置を伝えようとする「認知」「虚構」の象徴的なものだといえます。それは、「アニミズム」、「言葉」、「音楽」などでコミュニティを形作っていく大きな基礎となったのです。

  そして、石器時代と呼ばれる狩猟採集時代は、必要なものを自ら栽培し、畜産する農業革命によって農耕畜産時代へと変っていきました。「農業革命」の出現です。サピエンスは、250万年続いた移動しながらの狩猟採集生活から、1万年ほど前にひと所で栽培、畜産を行う新たな生活様式へと変っていきました。しかし、この革命はサピエンスにとって何一つ良いことはなかったと言います。

  この歴史書の特徴は、年号と出来事を並べないところにあります。

  「農業革命」以降、サピエンスは有史の時代を迎えます。我々が習う世界史の教科書は、時系列でいつ何が起きて、次につながったのかを並べていきます。この本は、歴史を我々が持つ生物学的制約とその制約を超えてその種を増やしていった要因にスポットを当てて語っていきます。

  「農業革命」は、サピエンスに何をもたらしたのか。第二部の各章ではそのことが実証的に語られていきます。誤解を恐れずに端的に表せば、「繁栄」、「神話の誕生」、「言葉を記録する(書記)」、そして、「生れた差別」です。例えば、「神話」の章で、著者は有名なハムラビ法典とアメリカの独立宣言を取り上げます。そこでは、我々サピエンスがどのように「虚構を作り上げて、共有化する」能力を発揮して「神話」を構築し、歴史をすすめてきたのかがみごとに語られます。

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(「サピエンス全史 上巻」 amazon.co.jp)

  そして、歴史はいよいよ第3部に当たる「人類の統一」へと向かっていきます。

【そして統一へ】

  上巻の最後では、どのように人類が構築された規範を集積して統合し、地域ごとの部族や民族をつくりあげていったのか。そして、統一を促していった要因はいったい何だったのかが語られていきます。

  ハラリ氏は、人は生れた瞬間から死ぬまでの間、その地域で創られた規範を刷り込まれながら生きていくと言います。そこで形作られる規範を「人工的な本能」と呼びます。そして、それぞれの部族や民族で共有される「文化」を人工的な本能によるネットワークと定義します。かつて、文化とはそれぞれの部族や民族特有のものであり変化しない、と考える時代もあったものの、現在では様々な文化がまじりあうことで、文化は常に変っていくと考えられています。

  歴史は一つの方向性を持っており、文化は絶えず干渉し合うことで変化を続け、大きな固まりへと統合されていくと言います。

  事実、我々の世界は石器時代から古代、中世、近世と統合と統一を積み重ねてきました。

  第3部 人類の統一で、著者はサピエンスの文化が統合されていく最も本質的な要素を語っていきます。それは、「貨幣」、「帝国」、そして「宗教」です。上巻では「帝国」までが語られますが、その最後の皮肉に満ちた言葉を前回の最後に紹介しました。その鋭い視点は上巻で我々の目からうろこを落として、そのままの勢いで下巻へと向かっていきます。

  まずは、下巻の目次に目を通しましょう

第3部 人類の統一

 第12章 宗教という超人間的秩序

 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命

 第14章 無知の発見と近代科学の成立

 第15章 科学と帝国の融合

 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 第17章 産業の推進力

 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 第19章 文明は人間を幸福にしたのか

 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

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(「サピエンス全史 下巻」amazon.co.jp)

【受験には絶対出てこない世界史】

  さて、中世から近世、そして近代から現代まで、まさに世界史では封建制国家の時代からルネッサンスを経て市民の時代に変っていく歴史となるわけですが、この本では、かつて「一夜国見たコロンブス」と覚えた、1492年のコロンブスの西インド諸島への到着も全く新たな観点から語られることとなるのです。

  ハタリ氏は、サピエンスの超飛躍的な進歩の要因は「科学革命」にあると思考し、第4部を「科学革命」と位置づけたのです。

  では、「科学革命」はどのように起きたのか。それは、無知の発見です。

  未知のことがあれば、知りたい。知らない場所に行ってみたい。今日から明日に進んでいこう。今では当たり前となっているこの考え方は、「科学革命」の原点。それが、ハタリ氏が語る「科学革命」なのです。

  「無知であることを知らない」、今の我々には言われてもよくわからない言葉です。しかし、中世という時代、人は知らないことがなかったというのです。神は全知全能であり、すべては神が知っているので我々は何も知らないことが当たり前でした。この世界は、地上と天空で構成されており、地上の果てがあることは誰でも知っていました。月と太陽は果てのある地上の上を規則正しく動いており、それは当たり前のことだったのです。

  近代科学の発端は、我々はすべてを知っているわけではないという前提に立つと同時に、知っていると思っていることについても、さらなる知識を獲得するうちに誤りがあると判明する場合がある、と考えることから始まります。科学は、観察や実験に基づいて仮説を立てることから始まります。「科学」で重要なのは、仮説を証明するために数学を利用するという点だと言います。

  それは、木から落ちるリンゴから重力があることに気づき、それを数式で表したニュートンを祖とする物理学。ベンジャミン・フランクリンは雷の正体が電気であるとの仮説を立て、たこによる実験によりその仮説を裏付けて避雷針を発明し、神からの天罰の正体を明らかにしました。ハラリ氏が語る第14章は、現代に続くサピエンスの爆発的な増殖の要因をあますことなく解析してくれます。

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(ニュートン著「プリンシピア」 amazon.co.jp)

  そして、科学の力は帝国や資本主義と見事に結びつき、この地球を席捲していきます。

  昔、世界史を専攻していたときに近世ヨーロッパ大航海時代の覇権について、長い長い戦争の末に、ポルトガルからスペイン、スペインからオランダ、オランダからイギリスへと世界の覇権が交代していく様を学びました。そして、受験のためにそれぞれの海戦の名前と年代を暗記しましたが、なぜ覇権を握る国が次々に変っていくのかがずっと謎でした。

  50年を経た今、この本によってその答えを知ることになるとは思いませんでした。それぞれの国が科学革命によって新たな世界を知ったことはもちろん理由の一つなのですが、その科学が資本主義や帝国の規範と結びついた時に新たなスパイラルが次々と生まれ出ていたのです。そのスパイラルの大きさこそが、覇権国家が次々と変遷したことの大きな要因だったのです。まさに目から鱗が落ちました。

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(オランダ勝利 べラスケス「ブレダの開城」wikipedia)

【現在の世界はどこに向かっていくのか】

  ハタリ氏は、第二次大戦後に国家間で起きた戦争は、それ以前の歴史に比して劇的に減少したと言います。確かに、近年では国家間の戦争が、イランイラク戦争、湾岸戦争、9.11以降のアフガン戦争と本当に数えるほどにしか行われていません。

  氏はその要因を4つに集約しています。

  • 核兵器により、超大国間の戦争は人類の集団自殺にも等しくなった。
  • 戦争の代償が高コスト(急騰)となったと同時に、戦争により得られる利益が少なくなった。
  • 一方で、平和からこれまでには比較にならないほどの利益があがるようになった。
  • グローバルな政治文化に構造的な転換が起きた、すなわち、世界のエリート層が「平和」をスローガン挙げるようになった。

  この本が世に出たのは2014年。著者は、これからの未来を新たなサピエンスの時代と語ります。それは、サピエンスが遺伝子操作やサイボーグ化、はたまたコンピューターのシンギュラリティによって進化していくために新しい価値観、規範が生れてくるからだといいます。さらに、文庫化のあとがきでは、チャットGPTをはじめとするAIの進化がその進化をさらに加速させています。

  その一方で、4つの要因による戦争の減少の中、ウクライナに侵攻したロシアやそれに対峙しようとしない中国や北朝鮮をはじめとする諸国の権威主義が、欧米への対立路線を際立たせています。さらにイスラエルとパレスチナの戦争は、すでに罪もない市民を3万人以上も殺戮するという戦争犯罪にも当たる悲劇を出現させています。そこには、AIを組み込んだ新たな殺戮兵器の開発までが現実のものになっています。

  はたして、我々サピエンスは幸福に向かう進化を成し遂げることができるのか。この本は、それを考える上では、最適な一冊であることに間違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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Y・N・ハラリ ホモ・サピエンスとは何者なのか

こんばんは。

  ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」の日本語訳が出版されたのは2016年。かれこれ8年前になりますが、当時、ビジネス書として大きな話題となり、本屋さんでは最も目立つ場所に展示されていました。

  この本は、各界で絶賛され、ビジネス書大賞など多くの賞を受賞しました。

  ハラリ氏は、イスラエルの歴史学者、哲学者です。略歴によると1976年生まれとなっていますので、現在は40代後半と最も活躍する世代のひとりです。この本がヘブライ語で上梓されたのは2011年ですので、この本の執筆時、氏は30代であり、まさに時代を引っ張るオピニオンリーダーを担う世代でした。この本は、66カ国で出版され、世界では2500万部を超える大ベストセラーになっているといいます。

  そして、ついにこの著作が文庫本で発売されたのです。これを読まないわけにはいきません。

  イスラエルといえば、昨年の10月にパレスチナの武装組織ハマスがガザ地区から国境を越えてイスラエルに侵入し、多くのイスラエル人を殺し、200人以上の人質を奪っていきました。そして、イスラエルは、このテロの報復としてパレスチナのガザ地区に、ハマスの武装解除を目的として侵攻しました。その結果、何万人ものパレスチナの市民が殺され、何百万人もの人々が非難を強いられています。ウクライナに続いて、ガザ地区においても何の罪もない市民たちが苦悩と死の恐怖にさらされているのです。

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(瓦礫の山と化したガザ地区 asahiデジタルより)

  こうした中、ハラリ氏はイスラエル人の歴史学者として世界中の様々なメディアに起稿して、世界中の人々に発信しています。

  昨年の1020日には、テレビ朝日の報道ステーションにリモートで出演し、30分以上にわたるインタビューに答えていました。

  インタビューでハラリ氏は、自分は当事者であり、友人や家族のことを思うと客観的になることはできない、と語りながらも、歴史学者として多くの示唆に富んだ発言を述べていました。その中で、心に残ったのは、歴史が語ってくれている人類の愚かさと知恵についての言葉です。ホモ・サピエンスの歴史を見れば、戦争は「絶対的正義」という価値観を持つことによって引き起こされてきた、といいます。戦いは、友人や家族を失うという悲しみによってさらにエスカレートし、ついには核兵器までが使用されることとなり、地球の壊滅にもつながります。そして、「和平」とは、当事者が「絶対的正義」から譲歩することでしか生れないといいます。

  憎悪の連鎖を生む戦争は、短い期間で和平に至ることは難しいのですが、長期的に見ればイスラエルとドイツの歴史が示すとおり和平を超えて友好的な関係を築くことが狩野なのだと言います。我々人類は「愚かさ」を持ち、性懲りも無く戦争を繰り返します。しかし、一方で人類には「知恵」があり、平和な時代も築いてきました。いまこそ、我々は人類が持つ「家族への愛情」、「友情」、「平和を愛する心」、「働くことの喜び」などといった共有できる価値観を大切にして、グローバルな秩序の構築をまざすべきなのだ。本当に力強いメッセージでした。

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(報道ステーション インタビュー AMEBAHPより)

  ということで、今週はハラリ氏のベストセラーとなった著作を読んでいました。

「サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福」

Y・N・ハラリ著 柴田弘幸訳 河出文庫 2023年)

【なぜ「ホモ・サピエンス」なのか】

  この本の面白さは、ハラリ氏の人類観にあります。

  20世紀までの人類は、この宇宙の中(地球上)で、最も優れた存在だと自負し続けてきました。科学の心がめばえ、生命がこの宇宙の中で偶然生れたことが判明し、生命が進化の歴史を経て人間が生れ、人間はすべての生命の頂点に立っているという認識です。「人類の進歩と調和」という1970年の万国博覧会のテーマは、まさに我々人類の達成した成果への参加に他なりません。

  しかし、21世紀の現在、マスコミは「SDGs」というメッセージ一色に染まっています。

  「SDGs」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。これは、国連によって提唱された人類が今後、生き延びていくための17の目標です。その中には、地球環境の改善や地球にはぐくまれた生命の維持保全、我々人類内での課題解決など、我々がこれからも持続的に生きていくための目標が掲げられています。キーワードにひとつは、「多様性」です。

  端的に言えば、人類の位置づけを「征服者」から「加害者」へと転換する目標ではないでしょうか。

  人類は、決して「選ばれた生物」でも「生命の頂点」でもありません。ハラリ氏の人類観は、人類をこれまでの価値観から解放し、地球上に生じたたんなる一生命としてとらえることから始まっています。

  生物学では、生物の分類ルールが定められています。

  人類の始まりを語りはじめる箇所。著者は生命学者が、進化の樹木に従って生物を「科」、「属」、「種」に分類することを述べていきます。例えば、ネコ科には、ライオン、チータ、イエネコなどが存在します。科のもとには、属があります。例えば、ライオンやヒョウ、トラなどヒョウ属の仲間です。さらに分類は種へと分かれていきます。ライオンは、ヒョウ属の中のひとつの種なのです。

  そして、生物学では、学名を属と種をラテン語で表した言葉で名付けます。ライオンであれば、ヒョウ属のラテン語「パンテラ」とライオンの「レオ」をつなげて、「パンテラ・レオ」と呼ぶことになります。我々人類と言えば、ホモ(ヒト)科、ホモ(ヒト)属、サピエンス(賢い)種に位置づけられるので、我々は「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。

  さて、「人類」とは実を言うとホモ属全般をさす言葉です。以前、ブログで紹介した「絶滅の人類史」という本を紹介しましたが、人類と呼ばれるホモ属には、我々現生人類であるサピエンス種の他にもたくさんのホモ属が存在していたのです。それは我々とも混血したことがわかっているネアンデルターレンシス種やルドルフェンシス種、エレクトス種、デニソワ種などなど多くの人類が存在していました。

  ところが、驚くことにホモ属の人類たちは、我々ホモ・サピエンス(現生人類)を除いてすべて絶滅してしまったのです。ハラリ氏は、現生人類を語るときにはサピエンスとよび、サピエンス以外の種も含めて語るときには人類とよぶとこの本の冒頭でことわっています。そして、サピエンスを語るときには、我々を生命全体の中の単なるひとつの「種」にすぎないとの認識を貫いているのです。

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(「サピエンス全史(上巻)」amazon.co.jp)

【サピエンスの飛躍はどう起きたのか】

  さて、さっそくこのユニークな歴史書の目次を見てみましょう。

第1部 認知革命
 第1章 唯一生き延びた人類種
 第2章 虚構が協力を可能にした
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
 第4章 史上最も危険な種
第2部 農業革命
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
 第6章 神話による社会の拡大
 第7章 書記体系の発明
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界
 第10章 最強の征服者
 第11章 貨幣;グローバル化を進める帝国のビジョン

  この目次をみれば、我々が知っている歴史教科書とかけ離れた独自の視点にワクワクします。

  イギリスの文化は、チャーチルやディケンズが体現しているように常にアイロニーにあふれています。ハラリ氏は、イギリスのオクスフォード大学で歴史学を学びました。その影響かどうかはわかりませんが、この本を貫く皮肉にあふれる語り口はまさに独自のものです。

  目次の第2章には「虚構」との言葉が使われています。この歴史書を貫く認識は、サピエンスは「認知革命」によって地球を制するような進化を遂げたとの考え方です。それは、多くの人類の中で唯一生き残った要因といっても過言ではありません。道具や言葉はサピエンスを大きく躍進させた要因に他なりませんが、道具も言葉も火も他の人類も使用していました。では、他の人類のすべてが絶滅する中で、唯一生き残ったサピエンスが持っていたものは何なのでしょうか。それこそが「虚構」を作り出す能力だったのです。

  「言葉」はコミュニケーションに必要な道具ですが、それは単なる音声に過ぎません。サピエンスはそこに「虚構」を付加することで、「認知革命」を引き起こしたのです。この進化はどのように起きたのか。これには2つの説があります。

  ひとつは、柔軟で複雑に言葉を操る能力。例えば、「ライオンに気をつけろ!」だけであれば、鳥でも猿でも音を送ることで表現します。しかし、サピエンスは、「あそこの川の上流にライオンがいるので避けて通れ。」と柔軟で複雑な情報を共有できるように進化した、という説です。

  もうひとつの説は、「噂話」が進化を生んだというものです。我々が毎日使っているSNSや電子メール、手紙でのやりとりの内容は、そのほとんどが噂話です。特に、共通の知人に関する噂話ほど盛り上がる話題はありません。お隣の子供のお兄さんが東京大学に入って、妹は東京女子大にはいったという事実は、いつの間にか町内会で知れ渡ります。いったいどの塾に通って一流大学に合格したのか、はたまた生れながらに頭脳明晰なDNAを備えていたのか、噂話はつきることがありません。

  いずれにしても我々サピエンスは、「認知革命」によって、「虚構」を創り、「虚構」を信じることにとよって、全人類の中で突出した存在となり、他の人類を駆逐し、ときには他の生物たちも駆逐して生き残り、繁栄への糧を手にすることとなったのです。

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(3万2000年前の象牙ライオン人間像 wikipedia)

  そして、サピエンスの物語は、「狩猟」から「農業」への革命を迎えることになります。そして、さらなる「統一」へと向かっていくのです。

  「農業革命」で、ハタリ氏が描く世界はアイロニーに充ち満ちています。我々は、穀物を育てて定期的な収穫を得、さらに牧畜によって食料を蓄えることによって1カ所に定住して、コミュニティを生み出すことになります。しかし、この「農業革命」は、サピエンスに何一つ幸福を招かなかったというのです。

  我々は、食料を蓄えコミュニティを創ることによってヒエラルキーを生み出します。支配者と被支配者、資産家と労働者、富裕層と貧困層、男と女、あらゆる差別のはじまりは、農業革命を景気としているという説があります。また、より肥沃な地域や蓄えた食料を奪う目的で、コミュニティ間での争いはエスカレートしていき、戦争へと発展していきます。農業革命で唯一サピエンスに有利に働いたことは、この革命によりサピエンスの数がまたたく間に増大し、地球上を席捲し地球の支配者になったことだったのです。

  この本の上巻の最後のフレーズは、まさにチャーチルの有名な言葉と響き合います。

  サピエンスは、人類を統合していく過程でいくつもの帝国を生み出しました。最後にハタリ氏は言います。「キュロス大王以来の2500年間に、無数の帝国が全人類のために普遍的な政治秩序を打ち立てることを約束した。だが、それはすべて口先だけのことで、残らず失敗に終わった。真に普遍的な帝国は1つもなく、全人類のために本当に尽くした帝国も、皆無だった。未来の帝国は、果たしてそれよりはましだろうか?」


  なるほど、読んでみればこの本がベストセラーになる訳がよくわかります。これほど、皮肉に満ち、これほど示唆に富んだ歴史書は読んだことがありません。皆さんもぜひこの本を読んで、我々サピエンスがどれだけ皮肉な存在かを味わってみてください。明日からの生き方が少し変るかもしれません。次回は、この本の下巻を語りたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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大黒達也 音楽と脳の幸せな関係

こんばんは。

  人類は常に未知の世界を探求し続けています。

  未知の世界は無限に広がっています。宇宙の果てはあるのか。そこには未知のエネルギーやダークマターが存在し、その謎には素粒子が大きく関わっています。さらには生命の起源はどこにあるのか、それには未知の深海の探求が欠かせません。さらに人や生命の謎はゲノムの世界からさらに未知の領域が広がっています。その中でも、我々人類の英知すべてを司ると言っても良い脳は未だに謎多き存在に他なりません。

  一方で、人生において音楽から得た恩恵は言い尽くすことができないほどに大きなものです。それは、生れた頃から身近にありました。物心つく頃からテレビから流れてきた数々の番組のテーマ曲。アニメ「鉄腕アトム」や「鉄人28号のテーマ」は、いつまでも忘れられません。また、休みの日になると、寝床で聞こえたクラシックの心躍るメロディ。「くるみ割り人形」、「田園」、「アルルの女」、どれも心を明るくしてくれました。また、思春期にはビートルズから始まるロックやポップス、そして歌謡曲やフォークソング。すべての音楽に勇気づけられて生きてきたことに間違いはありません。

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(名盤クリュタンス指揮「アルルの女」 amazon.co.jp)

  そんな中、先日いつもの本屋巡りをしていると、興味深い題名の本に目がとまりました。手にとって開けてみると、「はじめに」の一文からその世界に引き込まれてしまいました。その本を持って、カウンターへと急いだのは言うまでもありません。

「音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学」

(大黒達也著 朝日新書 2022年)

【人と音楽の不可分な関係】

  確かに音楽は私たちにとってなくてはならない存在ですが、改めてなぜ音楽が我々の心を動かすのか、と問われると、ふと言葉を失います。

  かつて、人間のすべての存在は脳が司っていると考えられてきましたが、近年の研究では、人間の各部位、例えば骨や筋肉、大腸や胃などの器官が、それぞれ様々な伝達物質を発生させて他の部位や脳と連携してひとを生かしていることがわかってきました。しかし、こと視覚や聴覚に関する限り、それを司るのはやはり脳だと考えられます。

  つまり、音楽を聴いて心が動かされるのは、聴覚に関する脳の働きだと思い当たります。

  この本を読む動機の一つは著者の経歴です。

  1986年、青森県生まれ。医学博士。東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。オックスフォード大学、ケンブリッジ大学勤務などを経て現職。専門は音楽の神経科学と計算論。現代音楽の制作にも取り組む。

  まさに音楽と脳の科学における最先端の研究者の著作なのです。

  目次を見ると、さらにワクワク感が増大します。

はじめに

1章 音楽と数学の不思議な関係

2章 宇宙の音楽、脳の音楽

3章 創造的な音楽はいかにして作られるか

4章 演奏家たちの超絶技巧の秘密

5章 音楽を聴くと頭がよくなる?

あとがき

  音楽は我々ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前から我々の身近に存在しました。人類の飛躍的な進化は言葉によってなされたことがよく語られますが、この本は言葉以前にコミュニケーションの手段であり、言葉の原型となったと想定されることが語られています。

  今や我々にとってなくてはならない音楽。この本はその音楽と脳の関係を語ってくれるのです。

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(朝日新書「音楽する脳」 amazon.co.jp)

【音楽は脳とともに進化した?】

   音楽は、我々にとって親しい友人ではありますが、気むずかしくもあります。

  ビートルズに代表されるロックバンドには解散がつきものです。解散の理由として最も多く語られるのは、「めざす音楽の方向性の違い」。恋人同士や夫婦は、「性格の不一致」で分かれますが、我々の脳は、何を持って音楽や性格の違いを認識するのでしょうか。

  この本は、まず人の脳にとって「音楽」とは何なのかを語ります。

  5年前、退職を機にテナーサックスを始めました。ブログでもおわかりの通り、音楽には目がなく、クラシックをはじめロックもジャズもフュージョンも、人が作り奏でる音楽とそのパフォーマンスが何よりも好きで、ライブで味わうグルーブと湧き出るミュージシャンの情念に心からの感動を覚えます。学生時代にはアマチュアバンドでサイドギターを弾いていたので、演奏にも多少の自信がありました。

  ところが、聴くと吹くとは大違い。ことにテナーサックスは、楽譜を読むと同時に腹式呼吸でリードを振るわせて音をコントロールし、さらにはすべての指を使って12の音を縦横無尽に押さえる必要があります。ゆっくりとした童謡ならばともかく、少し複雑でスピード感のある音楽を演奏しようとすると、リズムに併せてサックスをよく響かせるのは至難の業です。

  サックスの先生も、いつも「聴くのと吹くのは違う。」と話していました。はじめて「私のお気に入り」を必死に練習していたとき、早いアドリブについていけず、何日も何日も同じ箇所を吹いていて、あまりのできの悪さについ弱音を吐きました。すると、「私も厳しい練習を毎日毎日やっていて、しまいには大好きだった曲が、聴くのもいやになったことがあるので、練習もほどほどにした方がいいでしょうね。」と諭されました。

  確かに、趣味で音楽をやっているのに好きな曲を嫌いになったら本末転倒です。

  幸い、いまでも「私のお気に入りは」マイベストソングではありますが、練習していたアドリブパートフレーズは未だに苦い思い出になっています。

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(愛器 漆黒のテナー 「Canonnball T5-M」)

  音楽を認識して理解し、心が動かされる。さらに、音楽を創る、そして、確かな技術で演奏する。当たり前のように思っていますが、考えてみれば不思議なことです。「音楽」と「雑音」はどこが違うのか。バッハやモーツアルト、ジョン・レノンやマイルス・デイビスはどうして我々が感動する音楽を創り出せるのか。小曽根真やハービー・ハンコック、ラファウ・プレハッチはなぜ素晴らしい技術で音楽を奏でることができるのか。

  「音楽」に関わるすべては、我々の脳が司っているのです。そして、「音楽」は人間と脳の進化とおおきく関わっています。この本は、そのことを脳科学の見地から語ってくれるのです。

【音が音楽となる歴史とは?】

  皆さん、カラオケは好きですか。

  人はそれぞれ歌うことができるキーが異なります。その点、カラオケは便利で、ボタンひとつで歌のキーを変えることができます。この当たり前と思える移調ですが、実は人類の画期的な発明だったのです。移調したときに同じメロディが維持されるのは、我々の音楽が「平均律」という音律でできているからです。平均律とは、あのバッハの鍵盤楽器用の作品「平均律クラヴィーア曲集」の平均律です。

  この本によれば、「平均律」を最初に考案したのは、あのガリレオ・ガリレイの父でリュート奏者だったヴィンチェンツォ・ガリレイだそうです。彼は、リュートの制作に当たって音のピッチが平均となるようなフレットを作るために1581年に平均律を考案しました。そして、その後、平均律を現代のピッチにしたのが数学者のシモン・ステヴィンという人だそうです。

  第1章で語られる音律の歴史と人間の脳との関係はワンダーでした。

  そもそも音律(全音と半音の12音階)を考案したのは、紀元前ギリシャ時代の数学者ピタゴラスでした。ピタゴラスが発見したのは、音の中にある音律と音程です。それは、「ピタゴラス音律」と呼ばれ、現在の音律の基礎となっています。音律とは、低いドと高いドの間、1オクターブに存在するドレミファソラシドのことで、音程はその音の高さの程度を言います。

  ピタゴラス音律は、張った糸の長さによって響く音で考案されたため、一音がアバウトな周波数で定められており、ドミソを和音にしたときには美しい和音になりません。そこで、和音を美しく鳴るようにしようと、周波数の比率を整数倍となる音であらわそうとする「純正律」が考案されました。「純正律」は、ひとつの音階がもつ自然倍音列という周波数比率が整った音を定めることで、和音の響きをより美しくすることができます。バッハやモーツアルトはこの「純正律」で作曲したそうです。

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(ギリシャの数学者ピタゴラス  wikipediaより)

  ところが、この「純正律」には困った点がありました。一つ一つの音は周波数を整えたことで和音が調和するのですが、移調したときにはそれぞれの音の周波数がばらけてしまうため、全く違うメロディになってしまうのです。そこで考案されたのが、現在我々が使っている「平均律」です。我々は「平均律」のおかげで、カラオケで好きなキーを設定しても同じメロディを歌うことができるのです。

  一方、我々の脳は数百年にわたってこの「平均律」を当たり前の音として認識してきました。例えば、現代の耳で「純正律」で作曲されたバッハの曲を聴いたときには、別の音楽が聞こえてくると著者は書いています。さらに、石器時代の人類が今の音楽を聴いても感動するどころか、まったく訳のわからない音に困惑することになると言うのです。

  つまり、現代の音楽はその音に慣らされた現代人の脳ならではの音楽なのです。

【脳は音楽をどう認知しているのか。】

  そして、この後、著者はいよいよ我々の脳と音楽の関係を科学的知見によって語っていきます。

  我々の脳はどのように音楽を聴いているのでしょうか。

  脳は様々な部位の知覚が連動して動くことによって、我々に顕在的な認識を生み出します。音楽の場合には、まず耳から入った音を一時聴覚野が認識して音の大きさや高さなどを知覚します。その後、シナプスにより情報は後方側と横則側に回っていきます。脳を巡る中で、音は空間情報(音程や和音)と時間情報(リズム)として認識されて、音楽として情動や記憶と結びついていくと考えられています。

  ここで、ワンダーなのは、脳の持つ「統計学習」と呼ばれる自動計算機能です。人の脳は、よりよく「生きる」ために学習していきますが、そのプロセスにおいて、自動的に次に起きることの確率を無意識のうちに計算するという機能を備えているというのです。

  例えば、階段を上がるときにつまずいたとすると脳はその要因を認識し、次にそれが起きるであろう確率を自動的に計算して整理します。この脳の働きは普遍的な能力で、起きているときも寝ているときも常にあらゆる事象に対して確率計算と整理を繰り返していると言われています。

  この機能は「音楽」とどのような関係があるのでしょうか。

  それは、我々が感動する音楽が、時代とともにクラシック、ジャズ、ロック、ラップ、ダンスミュージックと変化していくことにも大きく関わっているようなのです。さらには、偉大な作曲家の能力や超絶技巧の演奏家にもこの能力がおおきく影響しているというのです。

  そのワンダーは、ぜひこの本で味わってください。音楽が大好きな人もそうでない人も、この本が語る人の脳と音楽の関係にワンダーを感じること間違いなしです。我々の脳にモーツアルトの音楽が大きなプラス効果を生み出すとは、本当なのでしょうか。その答えも記されています。


  季節はいよいよ春を迎えますが、能登地震の被災地ではまだまだ厳しい避難生活を強いられている方々がたくさんいらっしゃいます。心から寄り添いたいと思います。皆で応援していきましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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宮脇淳子 「元寇」と「蒙古襲来」の違いとは

こんばんは。

  初めて感じた興味や関心は、年齢に関係なくちょっとしたきっかけでよみがえります。

  日本は周囲を海に囲まれているおかげで、国内での争いはともかく、外敵から攻められるということがきわめてまれな国家です。

  ヨーロッパやユーラシア大陸において、国家はすべて陸地でつながっており、強力な軍事を備えれば容易に隣国に攻め入ることができます。そのために、何百年にもおよぶ戦争が国家間で続くこともまれではありませんでした。

  すでに1年半にも及んでいる、ロシアによるウクライナへの侵略戦争もその地政学的な歴史が大きな要因となっています。その歴史は、有史以前までさかのぼるといっても過言ではなく、両国の歴史はまさに併合と独立運動の繰り返しに他なりません。ウクライナの独立戦争は帝政ロシアの時代から繰り返されており、陸続きであるための悲劇ともいえるのではないでしょうか。

  歴史的な背景とウクライナの東南部に住むロシア人への弾圧がロシアの言い訳ですが、無垢の市民や子供、学校や病院、教会や住宅をミサイルで殺戮するロシアの攻撃は、人類の歴史を100年近くも昔に引き戻す蛮行以外のなにものでもありません。ロシア国内はまるで独裁国家のような情報統制がなされ、「戦争」と口に出す人間を次々と拘束しています。反抗したワグネル代表のブリゴジンが搭乗した自家用飛行機を墜落させ、その命を奪うなどの行為は、まさに独裁政権の本性を現している悪魔のような所行です。反欧米という基軸で中国や北朝鮮はロシアの孤立を阻んでいますが、その殺戮に対して目をつぶるのは、独裁者ヒトラーと手を組もうとした世界観と同じ卑劣な行動に他なりません。

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(ブリゴジン氏の葬儀  nhk.or.jp)

  ウクライナの話になると話がエスカレートしてしまいますね。

  話を戻すと、日本は海に囲まれているおかげで、安全と平和を保つことができたことは歴史的な事実です。それでも、長い歴史の中では他国家からの侵略を受けたことがあります。それは、鎌倉時代末期に起きた「元寇」です。それは「蒙古襲来」と呼ばれ、13世紀に中国を支配した「元」のフビライ・ハンによって企図された日本侵略戦争だったのです。

  今週は、この「元寇」を東アジア側からの視点で解析した本を読んでいました。

「世界史の中の蒙古襲来」

(宮脇淳子著 扶桑社新書 2022年)

【蒙古襲来とは何だったのか】

  以前、250回記念のブログに堺屋太一氏の著した「世界を創った男 チンギス・ハン」を紹介したときに話しましたが、私がはじめて「元寇」に興味を持ったのは、中学校の図書館で「竹崎季長」の本を読んだときでした。皆さんも日本史の教科書で、「蒙古襲来絵詞」という当時記された絵巻物の写真を見たことがあると思います。

  1274年旧暦の10月、元軍は兵船900艘に23000人の兵を率いて日本を侵略します。その軍は、対馬、壱岐の両島を攻め落とし、博多湾へと押し寄せます。日本では、鎌倉幕府の奉行であった少弐家、大友家、松浦党などが迎え撃ちました。そして、その中で御家人として死力を尽くして戦った武士の一人が竹崎季長だったのです。

  当時、武士は一所懸命と言われるとおり、手柄を立て土地を得るために懸命に戦いました。季長も第1回目の元寇、文永の役で博多を守り抜く成果を上げました。彼は自らあげた戦果をみとめてもらうために奉行に申し立てますが、鎌倉では季長に対して何の報償もありません。一族総出で戦った季長は、納得できずに自ら鎌倉に出向き、自らの戦いをアピールしました。その結果、報償の対象となったのです。

  季長は、その7年後に起きた2度目の襲来である弘安の役にも出陣し、元を日本から撃退します。二度の戦役を戦い抜いた季長は、この戦いを絵師に描かせ、自ら詞書きを書き入れました。そして完成したのが、この元寇を今に伝える「蒙古襲来絵詞」なのです。

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(「蒙古襲来絵詞 竹崎季長」)

  それまで日本史では日本は閉じられた世界で、独自の歴史を刻んできたとの印象が強かったのですが、あのチンギス・ハンが創ったモンゴル帝国が日本にも版図拡大の手を伸ばしていたというスケールの大きな歴史に心を動かされました。それ以来、「元寇」、「蒙古襲来」という言葉を聞くたびに反応してしまうのです。

  日本側から見ると、当時の政府は北条氏が執権を振るっていた鎌倉幕府でした。そのときに執権の座についていたのは、「鉢の木」などのエピソードでも有名な北条時頼の息子、北条時宗でした。2001年にはNHKの大河ドラマになりましたが、北条時宗は「元寇」を退けるために生れてきたのか、と思わせる人生を歩みました。

  1268年、はじめて元のフビライ・ハンからの詔書が日本に届きます。そのとき、18歳になっていた時宗は、第8代の幕府執権の座につきます。それから何度かフビライからの詔書が届きますが、時宗はそのすべてを無視します。そして、24歳にして最初の戦い、文永の役が勃発します。そこで元軍を退けた後、再来に備えて九州の防備を固めました。その7年後、時宗31歳の時に元軍は再び日本に攻め入って来るのです(弘安の役)。時宗は、二度の元からの大軍を退けた3年後、病を得て亡くなりました。まさに天が元軍の侵略に立ち向かわせるために時宗を日本に降臨させたと思うような人生です。

  我々の知る「元寇」はまさに「蒙古襲来」そのものであり、日本史から見た海外からの侵略戦争なのですが、この本はそんな我々の常識に異なる視点を与えてくれます。

【東アジア史の中での元寇とは】

  それでは、まずこの本の目次を見てみましょう。

まえがき

第1章 日本人のモンゴル観

第2章 モンゴルとは

第3章 高麗とは

第4章 蒙古襲来前夜

第5章 大陸から見た元寇

第6章 「元寇」後の日本と世界

終  章 国境の島と「元寇」

あとがき

  宮脇さんは、中国、チベット、モンゴル、朝鮮の歴史と言語の研究者で、まさに「蒙古襲来」を語るのには適任です。この本の第一章は、まず日本人のモンゴル感はどこから生れているのか、を解説していきます。

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(「世界史の中の蒙古襲来」 amazon.co.jp)

   はじまりは「義経チンギス・ハン伝説」。駐日モンゴル大使館の方々は、訪問してくる日本人のほとんどが必ず「チンギス・ハン義経伝説」を語るそうで、辟易としているとの話が語られています。モンゴルの人々にとって、チンギス・ハンは世界にその名をとどろかせた英雄のひとりです。その英雄が日本人であるはずもありません。その心中は察するに余りあるといえます。

  そして、チンギス・ハンを描いた井上靖の作品「蒼き狼」。著者は、日本人にチンギス・ハンとモンゴル人のイメージを定着させた作品として紹介しますが、その認識の誤りを次々と指摘していきます。その女々しさは、モンゴル人ではなく日本人そのものだというのです。さらに著者は、北方謙三の「チンギス紀(1)火眼」、浅田次郎の「蒼穹の昴」、司馬遼太郎最後の小説「韃靼疾風録」を取り上げて、そこに描かれるモンゴル、女真族、満州人が間違った印象を我々に与えていることを語ります。

  その語りのいきおいに我々も思わず身を乗り出してしまいます。

  しかし、第一章はこの本の「つかみ」の部分であり、本論ではありません。

  第二章からはじまる13世紀のモンゴル、中国、朝鮮の歴史は、日本史で語られる「元寇」からは想像もできない、東アジアの歴史を踏まえた奥深いものです。

【浮かび上がる「元」と「高麗」】

  この本のワンダーは随所にちりばめられています。

  その一つに中国王朝の歴史があります。皆さんも中国の王朝が、古代から北方にいる騎馬民族に侵略を受ける歴史をご存じと思います。「匈奴」、「鮮卑」、「柔然」、「突厥」、「契丹」など、様々な騎馬民族が中国の王朝に攻め込んでいます。秦の始皇帝からはじまる世界遺産、万里の長城は、こうした北方の騎馬民族の侵入を防ぐために築かれた防壁だったのです。

  この本のモンゴルの歴史を読んで驚いたのは、「隋」や「唐」の皇帝は漢人ではなく、騎馬民族である鮮卑の出身だったという事実です。すると、「晋」以降、漢民族の建てた王朝は「元」の前にあった「宋」だけであり、その前後はすべて騎馬民族の血を引く王朝だったということです。驚きですね。

  ハンガリーからベトナム、朝鮮にまで及んだモンゴル帝国はチンギス・ハン亡き後、5代目のフビライの時代には4つのハン国へと分裂します。そこで、「宋」を南へと追いやって中華を治めたのが「元」を興したフビライ・ハンでした。フビライ・ハンは「南宋」を攻めると同時に、ベトナムにも遠征、さらには朝鮮にあった高麗国を属国とし、日本への遠征を計画します。

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(モンゴル帝国の最大版図  wikipediaより)

  フビライは、日本が黄金の国であるとの情報や火薬の原料となる硫黄が豊富にあることから日本侵攻を決断したといわれていますが、どうもモンゴルに服従した一部の高麗の人々がフビライの意向を忖度して日本への侵攻を積極的に進めた節があるといいます。

  というのも元は支配地を統治するために各地域に「省」という行政組織を立ち上げて、属国となった国にその組織を任せたのです。北部朝鮮地区には「遼陽行省」という組織がありました。フビライは日本を侵略するに当たり、朝鮮半島に新たな組織「征東行省」を新設し、そこに日本への遠征計画をまかせました。ところが、第二次遠征(弘安の役)が日本の反撃と台風のために失敗した後、「征東行省」は廃止されました。しかし、フビライは第三次日本遠征を企て、その計画を「遼陽行省」に任せます。「遼陽行省」ではモンゴル側におもねった高麗の人々が仕事を任されていたのです。その人々は、自らの存在意義をフビライに示すために第三次日本遠征の計画を積極的にすすめたと考えられるのです。

  幸いなことに高齢のフビライが亡くなったため、第三次日本遠征は行われませんでした。

  とはいえ高麗にとってモンゴルはあまりにも無慈悲な征服者でした。

  モンゴル軍が高麗に第一次遠征を行ったのは、2代目オゴタイ・ハンの1231年ですが、その後は1235年から1259年に渡り6回もの征伐軍を迎えることとなり、国内は完全に蹂躙されました。しかし、高麗国の王とその一族はモンゴル軍が侵入してくると迎え撃つことなく、江華島と呼ばれる島に逃げ込み籠城してしまうのです。一般市民はモンゴル軍に好きなように蹂躙され、国内は完全に荒廃したのです。

  モンゴル軍の二度にわたる日本への遠征は、鎌倉時代から長らく「蒙古襲来」と呼ばれてきました。しかし、江戸時代から明治時代にかけて、日本は東アジアの諸国から、日本の「倭冦」によって国が侵害された、とのクレームを受け続けます。それにに対して、日本だって「元寇」に苦しんだのだ、と言い訳するために「元寇」が正式な呼称となったと言います。

  宮脇さんは、高麗国や南宋などモンゴル軍に征服された国を使って行った日本への侵略では、モンゴル人は司令官などほんの一握りの人員が随行したのみで、兵士のほとんどは被征服民だったのではないか、と推定しています。であれば、この遠征は「蒙古(モンゴル)襲来」というよりも、「元」が行った侵略という意味で「元寇」との名称が適切なのではないか、と語るのです。


  この本は、「元寇」について、日本遠征を行った側の歴史や時代の情勢を踏まえた視点から語り尽くしており、これまでにないワンダーを感じることができました。「元寇」に興味のある方もない方も、ぜひ一度この本を手に取ってみてください。日本は決して孤高の国として存在しているわけではないことを改めて感じるに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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篠田謙一 遺伝子が語るグレートジャーニー

こんばんは。

  「好奇心」は、我々人類にとって不可欠な要素です。

  2013年に制作された「人類20万年 遙かな旅路」から10年が経ちました。この番組はイギリスBBCが制作したドキュメンタリー番組。医師で解剖学者であり、古代病理学者でもあるジュリア・ロバーツ博士が、アフリカで一人のイヴから生まれたホモ・サピエンスが6万年以上前にアフリカから全世界へと拡散していった足取りを実際にたどっていく、素晴らしい番組でした。

  その旅路は2016年に本となり、その文庫版をブログでも2回にわたって紹介しました。

  当時、ゲノム情報から遺伝子情報を解析して先祖をたどっていく研究が始まっており、世代を経る中でもミトコンドリア内に引き継がれるミトコンドリアDNAは、子々孫々の女性に変わることなく引き継がれていくことがわかっていました。そして、現代人の持つミトコンドリアDNAから起源をさかのぼっていった結果、我々ホモ・サピエンスは人属唯一の種であること、そして我々は20万年前にたった一人のイヴから生まれたことが突き止められたのです。

  そして、世界中へと拡散していったホモ・サピエンスの軌跡を当時最新の考古学の知見を駆使して紹介してくれたのがこの本でした。

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(文庫版「人類20万年 遙かなる旅路」amazon.co.jp)

  あれから10年。科学の世界は人類の「好奇心」を武器に新たな知見を重ねています。

  今週は、人類の起源とグレートジャーニーを、DNAを駆使して解明する最新研究本を読んでいました。

「人類の起源ーDNAが語るホモ・サピエンスの『大いなる旅』」

(篠田謙一著 中公新書 2022年)

【着々と進化する古代DNA解析の現場】

  この本のDNAワンダーは、第一章から第二章にかけて語られます。

  古代人類の歴史と進化は、これまで考古学としての化石の発見によって紡がれてきました。

  我々の学名「ホモ・サピエンス」とは、「賢い人」という意味だそうです。(クロアチア侵攻を考えると学名には大いなる疑問がありますが・・・)学名は、前半が属名、後半が種名となるので、ホモ(人)は属名で、サピエンス(賢い)は種名となります。現在、地球上でこの属名をもつ人類は我々だけとなっています。ホモ(人)属には、ホモ・ネアンデルタレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・エレクトスなどが知られていますが、すべて絶滅し現存していません。

  また、700万年前、チンパンジーから変異した我々は、その後、猿人、原人、旧人、新人という段階を経て進化してきたといいます。

  化石の発掘と解析による古代人類史は、150年に渡る歴史を持ち人類の歴史を解き明かしてきました。化石の発掘と解析に基づいた仮説は、様々に展開され、長い間、ネアンデルタール人や北京原人、ジャワ原人などは我々の祖先であり、ホモ・サピエンスはここから進化してきたと考えられてきました。

  そこに登場してきたのが、遺伝子DNAを利用した古代研究です。

  かつて、ゲノム解析にはとてつもない時間と費用がかかりました。ヒトのゲノムは30億個の塩基を持ちますが、かつてその解析には、13年、4300億円の費用がかかったといわれています。ところが、解析技術は驚くほどの進歩を遂げ、次世代シーケンサーの飛躍的な進化により、現在は数時間、費用も140万円くらいで30億個の塩基の解析が可能となりました。

  かつては、化石の復元や比較などによって行ってきた解析ですが、現在では化石として見つかった骨のゲノム解析を行うことで、様々な仮説を導き出すことが可能になったといいます。しかし、難しいのは古代の化石自体の発見が難しいことと、化石には多くの別のゲノムが混入しているため、解析の正確性を保つことが必要となることです。

  古代DNA解析は、人類の起源解明に新たな光をもたらしています。たとえば、我々とは異なる種であるネアンデルタール人について、デニソワ洞窟の発掘から新たな発見がありました。この洞窟は、ロシアと中国とモンゴルの国境近くアルタイ地方にありますが、ここから2010年に発掘された化石の解析により新たな旧人が発見されたのです。

  発掘されたのは、指の骨と臼歯でしたが、そのDNAを解析した結果、その骨はホモ・サピエンスともネアンデルタール人とも異なる未知の人類の骨だったのです。その人類は洞窟の名を取ってデニソワ人と名付けられました。この洞窟は、ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・サピエンスの3つの人類によって利用されていたのです。

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(デニソワ人とホモ・サピエンスの関係 nikkeibp.co.jp)

  そして、ネアンデルタール人もデニソワ人も絶滅しているのですが、彼らはホモ・サピエンス以前にグレートジャーニーを行っていたことがわかっています。さらには絶滅前にはホモ・サピエンスとも交雑しており、デニソワ人のDNAはパプアニューギニアの人々に受け継がれているというのです。すでに絶滅した旧人たちの遺伝子は、我々ホモ・サピエンスに引き継がれているのです。

【誕生の地アフリカでのホモ・サピエンス】

  第三章では、アフリカにおける人類の歴史が語られます。

  我々ホモ・サピエンスがアフリカで最初のイヴによってこの世に誕生したことはミトコンドリアDNAの解析から間違いがなさそうですが、その時期については明確にはなっていません。

  というのも、ゲノムデータの解析が進むと、ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人など、絶滅してしまったホモ属との交雑を続けていることが明らかになり、さらにはホモ・サピエンス同士の結婚でも数10万年を経るうちに環境によって遺伝子の変異が起こっておるため、現代人のゲノムのみから解析できる事実には限界があるためです。

  現在、アフリカで発見されているホモ・サピエンスの最古の化石は30万年前のものですが、それ以前の化石はアフリカでは発見されていないのです。しかも、アフリカは熱帯であり砂漠が多く存在しており、化石人骨にDNAが残りにくいため、古代DNAの解析が進んでおらず、最古のDNA15000年前の人骨からのものといいます。

  現代人のゲノムデータの解析からホモ・サピエンスの世界展開は6万年前以降ということがわかっていますが、アフリカからイスラエル近くまでのアジアではもっと古い化石も発見されており、出アフリカと世界展開とは必ずしもい一致するものではないようです。

  DNA解析によるワンダーは、変異を続けてきたホモ・サピエンスのミトコンドリアDNA(女系継承)とミトコンドリアY染色体(男系継承)をたどることによって、ハブロタイプと呼ばれる特徴を持つ配列を特定してさかのぼることによってその祖先を知ることができるという解析です。

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(篠田謙一著「人類の起源」amazon.co.jp)

  現在、我々ホモ・サピエンスは、世界中を席巻していますが、住む地域によって言語も違えば見た目も異なります。それは、環境や食べ物、生活形態によって遺伝子が変異することで違いが発現するのですが、実は現存するホモ・サピエンスは、すべてが同じ属と同じ種に分類される生き物なのです。

  ホモ・サピエンスが出アフリカを果たすまでには少なくとも10万年以上が経過しており、我々がアフリカ(またはその周辺)で過ごした時間は、世界に展開した時間に比べれば気が遠くなるほど長いのです。その証拠にアフリカの人々は、我々ホモ・サピエンスの持つ遺伝子の多様性のうち85%を備えていることがゲノム解析で判明しているのです。

  このことは、世界の言語のうちアフリカの人々の使う言語は2000種類にのぼり、その種類は世界中の言語の1/3に当たる、という言語学的な数値とも整合しています。こうした事実を知ると、改めてアフリカの人々を奴隷として売り買いし、長きに渡り差別してきた歴史がいかに恥ずべき事実だったのかを思い知らされます。

  この本は、我々が最も長い時間を過ごしたアフリカにおけるホモ・サピエンスのワンダーを分析した後、いよいよ世界へと展開していった我々ホモ・サピエンスの歴史をDNAデータから語っていくことになるのです。

【グレートジャーニーのワンダー】

  これまでの考古学的な研究(遺跡や石器、はたまた化石や骨格)から、我々ホモ・サピエンスは6万年前頃にアフリカを出て、その後数万年を費やして地球上のすべての大陸、そこに連なる島々にまで進出していったことが判明しています。一言で6万年といいますが、「歴史」と言われるホモ・サピエンスの営みはほんの数千年分しか記録されていません。

  我々がアフリカを脱出してグレートジャーニーの旅に出てから、ホモ・サピエンスは旧石器時代、中石器時代、新石器時代、狩猟採集時代、農耕牧畜時代へと進化してきました。そして、その長い時間の間に我々は、様々な交配を繰り返して変異を続けて現代のホモ・サピエンスに変貌してきたのです。地球は、誕生からの長い歴史の中で氷河期と氷間期を繰り返してきたと言われます。直近の氷河期は20万年前から12万年前まで続き、そこを乗り越えてきた我々は、現在、氷間期を生きてきました。しかし、氷間期の間にも寒暖は繰り返されます。たとえば、最終氷期極大期は2万年ほど前に全世界を覆い、地表の25%が氷で覆われ、海面は現在よりも125mも低かったといわれています。

  こうした中で行われたグレートジャーニー。この本では、古代DNA研究によって明らかになった事実を次々と語っていきます。第四章ではヨーロッパへの進出、第五章ではユーラシア大陸から東アジアへの進出、第六章では我々の日本列島への進出、そして第七章ではアメリカ大陸への長い旅をひもといてくれるのです。これまでの考古学で提唱された様々な仮説は、古代DNA解析によって新たな展開を迎えることになったのです。

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(1万年前のイギリス人チェダーマン復元 realsound.jp)

  これまでの考古学的な仮説は、より古い年代のホモ・サピエンスの化石が発見されるたびに新たな仮説へと進化してきました。古代DNA解析も古い時代の遺跡発掘によるDNAが発見されることで新たな発見を加えていくことになります。その発見はまさにワンダーです。

  たとえば、アメリカ大陸におけるホモ・サピエンスの旅は古代DNA解析によって新たな展開を迎えてきました。

  コロンブスがアメリカ大陸を「発見」するまで、アメリカにはアジア人そっくりのインディアンたちが暮らしてきました。彼らは、発掘された遺跡の年代とその骨格研究などから13千年ほど前にベーリング陸橋を渡ってアメリカ大陸へと移動したと考えられていました。彼らは5000人ほどの集団から瞬く間に北アメリカから南アメリカへと移動し、最南端へとたどりついたのです。

  その祖先はどこからやってきたのか。古代DNA解析は驚きの事実を我々に教えてくれるのです。

  北アメリカやアジア側のシベリアの遺跡から発見された古代DNAを解析し、アメリカ先住民の最初の分岐までさかのぼると、祖先は、アフリカから東アジアへと移動してきた集団がさらに北上し、シベリアで24千年前に生まれたことがわかりました。これまでも考古学的な研究からアメリカに移動したとされる13千年という年代とシベリア側で発見された遺跡の24千年前との年代の齟齬は議論されてきましたが、DNA解析により明確となったのです。

  1万年もの間、アメリカ先住民の祖先はシベリアで何をしていたのか。氷で閉ざされたベーリング陸橋。彼らは陸橋が渡れるようになるまでどこかで待っていたのでしょうか。そのなぞは、この本で解読してください。古代DNA解析によってわかる最大のワンダーは、アメリカ文明を「発見」し、古代文明を破壊して彼らを駆逐した15世紀のヨーロッパの人々とアメリカ大陸の先住民は同じDNAを持つホモ・サピエンスであったという事実です。

  我々の歴史は殺戮の歴史です。しかし、この本を読んでわかるのは、殺戮を生んでいるのはたった0.1%のゲノムの違いなのです。それ以外の99.9%は全く同じホモ・サピエンスが0.1%のために殺し合う。その不条理な事実に愕然とします。

  現在侵略戦争をおこなっているロシア人と、無垢な命を奪われているウクライナ人は兄弟だと言われます。それ以上に、我々人類は兄弟をも超えてさらにそのDNAは濃く、同じホモ・サピエンスなのです。我々は、一刻も早くそのことに心を寄せなければならないのです。

  それは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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