池内紀 ドイツ文学者最後の仕事

こんばんは。


  このブログで敬愛する池内紀さんを礼讃する記事を書いてから10年以上がたちました。


  その池内紀さんが20198月に亡くなったことを知ったのは、2020年に入って本屋さんを巡っているときに「池内紀 追悼」というポップを見つけた時でした。最後に上梓された新書はそのときに購入したのですが、池内さんの言葉を読むことができなくなったと思うと、その本を手に取ることができずに1年以上が過ぎてしまいました。


  前回、亡くなった半藤一利さんの対談本を読んで、ふとその隣に並べてあった池内さんの本に目が留まりました。そして、この本を読もうと思ったのです。


「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」

(池内紀著 中公新書 2019年)


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(新書「ヒトラーの時代」 amazon.co.jp)


【この本が書かれたわけ】


  ドイツ文学と言えば、個人的にはトーマス・マン、ヘッセ、カフカが思い浮かびます。


  最も近くに読んだ池内さんの本は、「戦う文豪とナチス・ドイツ」というスイスに亡命したトーマス・マンが記した日記を解読したエッセイです。トーマス・マンはドイツ文化をこよなく愛し、第一次世界大戦の時にはそのドイツの戦争を擁護し、ドイツ文化のために「非政治的人間の省察」というドイツ独自の体制の在り方を擁護する著作を発表しています。


  しかし、敗戦後には新たに立ち上げられたワイマール共和国を礼讃し、その民主主義をたたえました。ドイツは、第一次世界大戦での敗戦によりヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課せられ、さらに未曾有の世界恐慌のあおりも受け、想像を絶するインフレに見舞われます。1921年には、1ドル=350マルクであったレートが、アッという間に下落を重ね、1923年の11月には1ドル=10億マルクという想像すらできない金額に下落しました。


  こうした混乱の最中、ワイマール共和国では政権を担うべき与党が脆弱であり、小党乱立の状態でまともな政治を行う状況ではありませんでした。ナチス(国民社会主義労働党)の前身であるドイツ労働党もそのなかの一つでしたが、1919年ヒトラーは30歳にしてこの党に入党したのです。


  ヒトラーは、ナチス党の公開討論会でみごとな演説を重ねに重ね、徐々に頭角を現していきます。


  民主主義の根幹をなすのは選挙制度です。ワイマール共和国では議会議員を総選挙で選出し、過半数の議員の票によって大統領が選出される仕組みでした。寄せ集めで立ち上げられた内閣は確固たる政策を打つことはできず、内閣は解散を繰り返します。19307月の解散総選挙のとき、それまで12議席に過ぎなかったナチスは、107議席と大躍進を果たし第二党へと躍り出ます。


  さらに総選挙後に発足した内閣は19326月、組閣3日後に解散し、またしても選挙が行われます。ここで、ナチスは230議席を獲得し第一党となり、内閣の総辞職が重なる中で、大統領ヒンデンブルグは、第一党の党首ヒトラーに首相を要請したのです。


  ここから、民主主義の仕組みを巧妙に利用し独裁を実現していくヒトラーとナチスの謀略がはじまったのです。


  トーマス・マンは、かねてから国家社会主義を標榜し国民をあおるナチスに悲観を繰り返していましたが、19332月にスイスに夫婦で講演旅行に出かけている最中、ドイツでひとつの事件が起こります。それがベルリン国会議事堂炎上事件です。この事件は共産党の若者が議事堂に放火し、全焼した事件ですが、ヒトラーはこの事件を最大限利用します。テロ防止のために、言論の自由や結社の自由などの権利を制限し、権限を首相に集めていくのです。当時、共産党は81の議席を保有していましたが、ヒトラーはその議席を廃止。これにより、288議席を持つナチスが議席の過半数を占めることとなったのです。


  長男からこの状況を聴いたトーマス・マンは、そのままスイスに亡命します。


  ナチスとヒトラーは、こうして独裁の道をひた走り、反体制分子をすべて粛清し、領土を拡大。第二次世界大戦を勃発させ、世界中で4000万人もの民間人と2000万人以上の軍人が命を落としました。あまつさえ、ユダヤ人に対する殺戮(ホロコースト)によって570万人もの命が奪われたと言われています。


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(虐殺施設 アウシュビッツ収容所 jiji.com)


  それにしても、池内紀さんはなぜ最後にヒットラーの時代を描く仕事を成したのでしょうか。


  この本の「あとがき」にこの本を書いたわけが記されていました。


  自らのドイツ文学者の仕事をしながら常に意識にあったとのくだり。「いずれの場合にも、背後に一人の人物がいた。独裁者ヒトラーとして極悪人の名を歴史にとどめた。だが、その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私が様々なことを学んだドイツの人々である。こういったことを、どう考えたらいいのだろう。ついては『ドイツ文学者』をなのるかぎり、『ヒトラーの時代』を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか。誰に課せられたというのでもない。自分が選んだ生き方の必然の成り行きなのだ。」


  そして、文章はこう続きます。「そう思いながら、とりかかるのを先送りにしてきた。気がつくと、自分の能力の有効期間が尽きかけている。もう猶予ができない。」


  池内さんの文章は、常に変わらず、淡々と、しかし瀟洒につむがれていきます。


  この遺作ともいえる最後の本を読んで、改めてこれまで数々の著作で池内紀さんが教えてくれた様々な楽しみと教訓が思い出されてなりません。本当に感謝です。そして、改めて、ご冥福をお祈りします。


【独裁者に成り上がることができた理由】


  話は変わりますが、皆さんは望月三起也という漫画家を覚えているでしょうか。


  そうです、かつて「少年キング」で連載されていた「ワイルド7」の作者です。バイクにまたがって走ることが三度の飯より好きな荒くれ男7人が、警視庁の特別警官隊として無法を持って無法をつぶしていく物語です。毎回、バイオレンスな世界が描かれながらも内側に隠れた正義感をニヒルににおわせて最後にはホロリとさせられる展開がたまらなく面白い名作でした。


  その望月三起也さんが描いた作品に「ジャパッシュ」という名作があります。


  この物語は、ある日本人考古学者がメキシコのマヤ文明の遺跡である石碑を発見する場面から始まります。その石碑には、良く知られた名前が彫り込まれていました。アレキサンダー、アッチラ、ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーと掘られた横には、彼らの生年月日と没年が刻まれていたのです。そして、その最後に刻まれていたのが「ジャパッシュ」。その生年は読み取れますが、没年はかすれており読み取ることができません。


  果たして、この石碑は未来を予言したものなのか。


  翻って、場面は現代日本へとは展開します。主人公である日向光は、生まれながらに「悪」の化身でした。生まれたとき、その目力のまがまがしさに思わず首を絞めてしまおうとする産婆を、逆に殺してしまう恐るべきエピソード。そして、小学生のときに日向は、石碑を発見した考古学者の孫、石狩五郎と同級生となり、その家に遊びに行きます。老学者は日向の生年月日を知って、彼こそが石碑にかかれた「ジャパッシュ」であることを確信し、彼を絞め殺そうとします。しかし、最後の際に慈悲心を感じ、逆に日向に返り討ちにされ、家ごと燃やされてしまいます。


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(望月三起也「ジャパッシュ」 amazon.co.jp)


  日向光は、その後長じると自らの美貌とその弁舌の魅力により、周囲の人間を魅了して親衛隊を組織していきます。その親衛隊は、徐々に拡大していき、「正義」の集団へと拡大していきます。しかし、その「正義」は隠れ蓑にしかすぎません。日向は、とある海運業者に取り入って、そこにはびこる悪をつぶすことにより、会社の経営にまで入り込んで財力を手にします。


  さらに、その「悪」を否定するアジテーションによって日本の民衆を味方につけ、暴力集団テロに対抗する自衛組織「ジャパッシュ」の首領へと駆け上ります。そして、大規模な騒擾を鎮圧するとの名目からついに警察権を手にすることに成功します。


  周囲の大人たちは、日向の立ち振る舞いの胡散臭さを知りながらも、その力を利用して自らの権力を強めようとし、逆に日向に利用され、日向はその人気を不動のものにしていきます。さらに過激派グループの武装集団との対決のために日向は自衛隊の武力さえも操るまでの力を手に入れます。ついには、国民投票によって日本のトップへと登りつめるのです。独裁者の誕生です。


  その徹底して人を利用し尽し、合法的な「悪」を繰り返してすべての権力を手にしていく過程は、まるでヒトラーを描いているようです。


  望月三起也さんは、当初、祖父を殺害された石狩五郎の復讐劇をメインにしたストーリーを構想していたそうですが、日向光の極悪な魅力が読者をとらえてしまい、意図とは異なって「悪」のプロセスを描く物語として人気が出てしまいました。その悪影響を考慮し、自ら連載を打ち切ったといわれています。


  いったいなぜジャパッシュは、独裁者となったのか。


  この本を読みながら望月三起也さんの「ジャパュシュ」を思い出しました。


  さて、話を戻します。今回の本は、フィクションではありません。そこには、歴史的事実が記されているのですが、その視点は本当に池内さんらしい、ウィットにとんだ題材が取り上げられています。


  描かれているのは、ナチス(国民社会主義ドイツ労働党)ができた(改名)1920年からヒトラーがポーランドに侵攻した1939年までの出来事です。編年体の歴史、もしくは歴史小説であれば、ヒトラーが生活保護を受けていた街角の画家からナチスの党首となり、ナチスが国会で第一党に躍り出て首相、そして完全な独裁者となるまでの時代をまるで教養小説の様に描いたかもしれません。


  しかし、池内さんは時系列にヒトラーが権力を手にしていく過程をわかりやすく示しながら、歴史家がスポットをあてていない人々のエピソードを連ねていくという手法をとっています。それは、これまでの池内エッセイの手法の集大成と言えるかもしれません。


  「ナチス式選挙」の章では、南ドイツ、ボ―デン湖の北にあるメスキルヒにおけるナチスのやり方が描かれています。この街の人口は4500人。この町の名前はドイツ語でミサ教会と言う意味であり、古来カトリック中央党の基盤でした。この地では、ナチス党への得票率は1933年のナチス統制下における選挙でさえ、34.7%であり、中央党の得票率は44.4%で議会は中央党に握られていました。


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(ハイデッガーの生地 メスキルヒ wikipedia)


  まず起きたのは、地元新聞への弾圧です。中央党の新聞「ホイベルグ民衆新聞」は、ナチスを批判した報復を受け発行禁止処分にあい、新聞社にはカギ十字が掲げられました。この地区では他に「メスキルヒ民衆新聞」、「メスキルヒ新聞」が発行されていましたが、1935年には廃刊され、残ったのはナチス党の「ボーデンゼー評論」のみとなりました。


  議会でも弾圧がひどくなります。ナチスは1933年、親衛隊などの組織を使って地区の組織の役職者を排除し、親ナチス派の幹部にすり替えます。そして、その年の6月には社会民主党が禁止され、市議会の社会民主党議員もすべて辞職。その後、中央党も解散させられることになり、その年のうちに市議会はナチス一党支配となったのです。


  皆さん、これを読んで今起きている出来事とダブらないでしょうか。そうです。今、香港で起きていることが約90年前にドイツで起きていたのです。読んでいて背筋がゾッとしました。


  今、世界では独裁的な政権が大きな力を得つつあります。独裁政権は自らの基盤となる一部の国民の幸せのために強力な政策を打ち出し、政権基盤を固めます。しかし、自らに盾突く者は容赦なく封殺します。独裁者の世界はいかに効率的な社会であったとしても、「最大多数の幸福」とは程遠い世界なのではないでしょうか。


  池内さんは、文学者人生の最後に我々に強い警鐘を鳴らしてくれました。皆さんもぜひこの本を手に取って、改めてジェンダー(多様性)の重要性に思いをはせてみて下さい。


  それでは今日はこのへんで。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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