小説(日本)一覧

三上延 ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ

こんばんは。

  SNSの世界では、動画が最も熱いアイコンとなっています。

  デジタルの世界での中国の存在感は今や際立つものとなっています。14億の人口(この間まで13億だったのですが、今や13.9億人)ですから、そこから吸い上げられる富は底なしの井戸のようなものです。自由経済を取り込み、人民が富を蓄えることが可能となり、携帯のファーウェイ、電子決済のアリババ、動画配信のTikTok など、バーチャルプラットホームの世界では国境を越えて世界を席巻しているといっても過言ではありません。

  もちろん、中国が共産主義であることも事実であり、自由主義圏である我々は国防の問題もおろそかにはできません。

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(世界を席巻するTikTok nikkei.comより)

  それにしても、動画という直観的なコンテンツに慣れてしまうと、瞬間的な会館の連鎖がエスカレートして、立ち止まって考えるという習慣が失われてしまうことが危惧されます。ヨーロッパの教育現場では、幼いころから自ら考え自ら行動し、自らの責任を自覚する、との教育が過程においてもなされており、思考を深めることが求められています。残念ながら日本では、複数の答えのある設問に対して相対的な回答を導き出す力が鍛えられていない、との現実があります。

  大学入試などにおいても、採点の問題もあり、思考なくして回答する設問がほとんどです。

  逆に企業ではグローバリゼーションに対応できなければ生き残れません。そこでは、職員一人一人が自ら考え、自ら学び、自ら行動することが常に求められています。そうした環境では、瞬間的な動画や映像への反応だけでは、仕事を効果的に進めることは難しいと言わざるを得ません。そこに必要なのは、思考やコミュニケーションの手段となる言葉です。

  合理的な思考は、言葉によって語られることで共有化が可能です。我々が創造してきた弁証法や演繹法による理論付けや科学を探求する前提となる仮説(課題)の形成には、積み重ねていく言葉が必要不可欠です。そして、そのために必要なのは、自国語を操る能力です。国際的なコミュニケーションのためにはバイリンガルであることが求められますが、自国語に精通していなければ多国語を効果的に使うことができません。

  そして、自国語である言葉に精通するためには、言葉を知ることが必要不可欠です。

  言葉による思考の深みを身に付けるには、本を読むことが重要です。

  かつては、新聞のコラムや社説を読むことが、言葉による利起承転結を学ぶには最も有効と言われましたが、いまや若い人たちには「新聞」は死語に近いのではないでしょうか。今は、「検索」すればすべてが数秒のもとに簡略に表現されて出現します。こうした中で、「本」が手に取られるためには、本を読むことが面白くなければいけません。

  「本が面白い」これが、言葉を深めるための原点です。

  と、前ぶりがやたらと長くなりましたが、「本」への感動とリスペクトを題材にした物語が再び始動しました。さっそく読みましたが、あの面白さが帰ってきました。

「ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ ~扉子と空白の時~」  

(三上延著 メディアワークス文庫 2020年)

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(三上延「ビブリア古書堂 Ⅱ」amazon.co.jp)

【篠川栞子さんは今!】

  北鎌倉駅かプラットホームから見える古書店の名前は、「ビブリア古書堂」。そこの若き女性店主、篠川栞子の物語は、2010年に始まりました。ちょうどこのブログを始めた時期と重なるので、とてもよく覚えています。

  就職浪人をしていた時にアルバイトとしてこの古書店で働くようになった五浦大輔。物語は、その始まりから我々を魅了しました。五浦大輔くんがまだ高校生のころ、この古書店でみかけた美しい女性。アルバイト先に来てみると、何とその美少女がこの店の主人だったのです。ところが、この女主人は、その美しいプロポーションや容貌とは似合わない、強度の人見知り体質だったのです。

  しかし、ほとんど人と話すことができない栞子さんが「本」のかかわるとき、彼女はスーパーウーマンへと一瞬にして変身します。彼女は部類の本好きで、こと本のことに関しては古今東西知らないことがないほどの博識。さらには、「本」の話になると人見知りであることも忘れて、いつまでも話し続けるのです。

  そして、その本好きがいつのまにか本に関する謎を呼び寄せることになるのです。

  初めての事件は、自らが巻き込まれた太宰治の初版本にかかわる犯罪でしたが、「本」にかかわる謎を次々に解き明かすうちに、人が人を呼び、いつしか本にかかわる事件が起きると、その相談が「ビブリア古書堂」に舞い込むことになったのです。

  このシリーズは、みごとな舞台設定とひとつひとつの物語のプロットが秀逸で、テレビドラマにもなり、映画化もなされました。最初のシリーズは、栞子さんと大輔くんが知り合ってから2年間に起きた数々の事件をもの語り、二人の家族にまつわる謎を含めて展開。その謎が解き明かされるにしたがって二人の中も進展し、最終話で二人はみごとにゴールインしたのです。

  主人公は、女店主である栞子さんですが、このもの語りの語り部は、基本的に五浦大輔くんでした。大輔くんは、不思議な体質で「本」が好きなのにもかかわらず、長時間本を読むと気分が悪くなり目が回ってしまう、という体質です。しかし、本の話を聴くのは大好きで、栞子さんが本の話を始めるといくらでも身を乗り出して聞き入るので、栞子さんも嬉しそうに話をいつまでもし続けるのです。その二人は、まるでシャーロック・ホームズとワトソン医師との関係の様でもあります。

  このシリーズは、数々の謎を我々に解き明かしつつ、第7巻を持って2017年に終了しました。

  今回、そのシリーズが再び始動したのです。

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(文庫本のおまけカードの栞子さん)

  その舞台は、2021年。まさに現在なのですが、著者の三上さんのプロットは一筋縄ではいきません。この第二シリーズには、二人の間に生まれた一人娘、篠川扉子(五浦くんは、篠川家に婿に入ったのです。)が登場します。実は、プロローグで登場する扉子はなんと高校生なのです。

  あれ、おかしくない?2012年に結婚したのなら、扉子が生まれたのは2013年のはず。高校生ならば、15歳。とすると、プロローグの年は、2028年でなければおかしいのです。そうです。ここが、著者の時間をあやつるワンダーなプロットとなるのです。そのタネあかしは、この本を読んでのお楽しみです。

【横溝正史は、家庭小説作家?】

  今回の謎解きの題材は、江戸川乱歩と並んで日本のミステリーの扉を開いた立役者、横溝正史です。

  横溝正史と言えば金田一耕助が即座に思い浮かびますが、私の中では、角川映画でシリーズ化された石坂浩二演じる金田一耕助が横溝正史のイメージそのものとなっています。残念ながら、横溝作品は一冊も読んだことがありません。

  市川崑監督の「犬神家の一族」が制作されたのは1976年ですが、この年に私は高校生でした。その頃は、SF小説にはまっていて小松左京、筒井康隆、星新一、平井和正などの作品やホーガン、フレドリック・ブラウン、アシモフ、ハインラインなどを読みさっていました。実は、ミステリーにも手を伸ばし始めていたのですが、そのヒーローはアルセーヌ・ルパンでした。なぜアルセーヌ・ルパンかといえば、彼が殺人を犯さないことをポリシーとしていたことがとても魅力的だったからです。いわいる義賊で人を傷つけることなく、人を苦しめる人間から意表を突く方法で盗み取る、なんとも格好良いヒーローでした。

  横溝正史の金田一ものは、殺人事件が盛大に起きるという印象が強く、あまり読む気がしなかったのです。映画を見ても確かに連続殺人事件が起こるのですが、市川崑監督は主演を石川浩二とすることにより作品から血なまぐささを消し去りました。さらに、金田一耕助の推理は犯人の人としての悲しい生きざまへの理解を前提としており、その意外性も相まって本当に面白い作品でした。

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(映画「犬神家の一族」ポスター)

  今回、著者が取り上げた横溝正史は、映画ですっかり日本人におなじみとなった作家であり、作品は成功しています。

  この物語で取り上げられる横溝の作品は、最もメジャーな金田一ものとは異なります。それは、「雪割草」という横溝正史らしくない「家庭小説」なのです。さらに今回の作品にはいくつものワンダーが仕掛けられています。

  この作品の構造として、4つの時間軸が内包されているところが読みどころとなります。まず、プロローグとエピローグで語られる扉子が高校生の世界(2028年?)、そして、最初の事件が起きるのは、前のシリーズが終了した直後の2012年。さらには、2021年の10月には扉子は小学生になっています。そして、2012年に起きた事件の続きとなる第4の時制は、2021年の11月。

  横溝正史の作品にまつわる3つの章は、前回シリーズに勝るとも劣らない構成でその面白さは抜群です。

  ネタバレとはなりますが、その面白さの一端をご紹介すると、第一話と第三話は、同じ本を題材とした物語となっています。今回の事件の依頼者は、鎌倉に住む旧家の娘です。上島家は古くから続く華族の家のようです。当主は未亡人であった女主人ですが、彼女には双子の妹がいました。双子の妹のうちのひとりは、生まれてすぐに親戚である井浦家に養子として出され井浦姓となりましたが、戦後には井浦家と上島家は同じ鎌倉の屋敷に住んでいたのです。

  上島家は、戦争で男たちが亡くなり、戦後には長姉の秋世と双子の妹春子と井浦初子が残りました。今回の依頼人はその井浦初子の娘、井浦清美です。そして、その依頼とは盗まれた横溝正史の本を探してほしい、というものだったのです。その本の名前は「雪割草」。ところが、横溝正史の著作の中に「雪割草」という本はないというのです。いったいどういうことなのか。しかも、その本を盗んだのは、依頼人の母親である井浦初子だというのです。

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(横溝正史 幻の「雪割草」)

  いったいどういうことなのか。その「雪割草」は長姉の秋世がとても大事にして蔵の保管庫に大切にしまっていたもので、秋世が亡くなって初七日の日に盗まれたのです。いったい、出版されていない幻の「雪割草」とはどのような本なのか。その本はどのように蔵から持ち出されたのか。真犯人は本当に井浦初子なのか。謎は尽きません。

  第一話は謎を残して終わります。そして、その謎は2021年に第三話で解き明かされることになるのです。

  今回の第二シリーズは一段と趣向を凝らしたワンダーな展開が楽しめます。

  実は、2年程前に「ビブリア古書堂」のスピンオフ作品が上梓されました。その本には二人の子供である扉子が初登場するのですが、スピンオフのためか語り部がこれまでの大輔くんではありませんでした。そのためとは言いませんが、残念ながらシリーズほどの切れ味がなく、とてもがっかりしたのです。

  それが、今回の再始動では大輔くんの語りが戻ってきたのです。

  今回の「ビブリア古書堂」は、シリーズの中でも上位にあがる面白さにあふれています。少々難点があるとすれば、登場人物の心の機微の描き方が少し浅い気がするのですが、この点を差し引いてもその面白さは抜群です。

  過去からのファンも、初めての方も今回の「ビブリア古書堂」に触れてみて下さい。今回も栞子さんの名推理に舌を巻くこと間違いなしです。

  首都圏には2度目の緊急事態宣言が発出されました。我々にできることはこれまでと変わりありません。手洗い、消毒を常に行い、家族以外の密を回避することに尽きます。みんなで心を一つにし、この感染拡大に歯止めをかけましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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宮城谷昌光 後漢王朝統一の大司馬を描く

こんばんは。

  菅内閣が仕事を始めてから「行政改革」がひとつのキーワードになっています。

  行政改革担当大臣の河野さんのキャラクターもひと役かって、発足初期に特有の「何かやるぞ」感を漂わせています。そんな中、日本学術会議の次期構成員を巡って議論が巻き起こっています。これまで日本学術会議のメンバーは、会議から推薦された内定者を総理大臣が任命することと規定されおり、総理大臣は推薦者をそのまま任命する形を続けてきました。

  ところが、菅総理は推薦された内定者のうち6名を任命しなかったのです。

  日本学術会議とは、日本の学者の集まりで210名の会員と約2000名の連携会員によって運営される国家組織です。そもそもは、戦後の日本において、科学は文化国家の基礎との認識から、行政、産業及び国民生活に科学を浸透させることを目的として、国の予算をもって設立された団体です。この会議の在り方については、これまで何度となく論議が行われてきた経緯があるようですが、近年ではその活動が形骸化しているのではないか、とも言われているようです。

  総理が推薦者の任命を行わないことが、政府の考え方の変更だ、とか、法令違反に値する、とか、様々な議論が行われています。総理大臣が日本学術会議の内定者を任命することには、「科学」を国家の指針、さらに財産とする強い決意があったのだと思いますが、戦後75年が過ぎて「科学」への取り組みから自体が変化しているのではないでしょうか。

  憲法では、宗教、学問、職業など国民が自ら選択できる自由への国家の介入を否定しています。しかし、日本学術会議のメンバーが国家公務員である以上、憲法の保障する自由の枠外であることは明らかです。そうした意味で、総理が推薦者の任命を認めないこと自体に問題はないと思います。問題は、日本学術会議の構成員に何を求めるか、ではないでしょうか。

  このブログでも近代史への新たな視点からの教育を本にした「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の著者である加藤陽子氏は、「科学技術基本法」が改訂され、「人文科学」が法的に科学技術として謳われたタイミングで、日本学術会議のメンバー選定から「人文科学分野」の6名がはずされたことに追記如何を感じる、と述べています。

  確かに、政府が民間の科学分野や研究に介入したのであれば言語道断ですが、個人的には70年以上も続いている、税金を使う組織において、その構成員を「科学者たち」だけで決めるのはいかがなものか、と感じます。人間は、数が増えれば増えるほど、良貨が駆逐されていくとの原則があります。そうした意味で、日本学術会議の人選手段も見直す時期に来ているのではないでしょうか。

  さらに、日本の行政機関が、既得権益を守ることによって存続している事実です。確かに行政機関で働く人たちも消費者の一員であり、日本経済に貢献をしているわけですが、一度、成立した外郭団体が行政機関の退職後の受け皿となり延々と存続したり、名前を変えて生き残ったり、と国の組織ではあまりにも税金が惰性で使われていると思われてなりません。

  日本学術会議が無駄とは言いませんが、今回の議論を機会に日本学術会議は一度、各大学や企業の拠出制にし、民営化する、という案は非現実的なのでしょうか。かつて、日本は敗戦国で学問の徒はなかなか地位を維持することが難しく、会議には国として経済的にも支援すべき、という側面もあったかもしれません。しかし、現代は産学協同によって、企業からノーベル賞学者が排出される時代になっています。科学アカデミーが国の機関であることは逆にナンセンスなのかもしれません。

  もちろん、その存在が国民に貢献するのであれば、税金から補助金を払えばよいではありませんか。今回任命から外れた方々は、加藤陽子先生をはじめ、皆さん素晴らしい実績をお持ちと拝察します。そうした方々は、国家公務員にこだわる必要があるのでしょうか。総理が任命する、しないをあげつらうよりも、これを機に科学アカデミーのあるべき姿を徹底討論してはいかがでしょうか。

  さて、またしても世間話になってしまいましたが、今週は愛読書でもある宮城谷昌光さんの本を読んでいました。やはり、宮城谷さんの中国古代史小説は面白かった。

「呉漢」 (宮城谷昌光著 中公文庫上下巻 2020年)

【劉邦から劉秀に引き継がれた漢王朝】

  昔、人生50年と言われましたが、いまでも人の命は長くても100年程度です。世の中、なかなか200年生きた人はいません。

  人間の寿命は短いのか、長いのか。

  本来哺乳類の一員として人間の寿命は30年程度と聞いたことがあります。確かに、物理的な人の成長は18歳で止まり、あとはすべての機能が衰えていくばかり、というのは事実のようです。しかし、歴史を見ると一つに時代を作った英雄は、人生が50年もあれば十分と言う生き様を示しています。アレキサンダー大王にしても、ナポレオンにしても英雄は若くして頂点に君臨しました。

  中国の王朝を建てた英雄たちも人間であることに変わりはありません。人は、寿命があるからその業績の偉大さをなおさら感じるのかもしれません。

  宮城谷さんは、これまで中国の春秋戦国時代の英雄たちを描いてきましたが、ここ数年は「漢」の時代に焦点を当ててその英雄たちの姿を描いてきました。一つの王朝が倒れ、新しい国が生まれるときに、そこには必ず英雄が現れます。王朝が倒れるときには、腐った王権に反旗を翻す反乱が全土に広がっていきます、

  全国を統一して王朝を建てた秦は、始皇帝が亡くなるとすぐに混乱し、陳勝・呉広の乱が勃発します。乱は全国に及び、その混乱に乗じて西楚王を名乗った項羽が反乱を起こします。陳勝・呉広の乱は秦の将軍、章邯によって鎮圧されますが、章邯は項羽に敗れ、項羽はいよいよ秦に攻め入ります。ここで項羽軍から離脱し、反旗を翻したのは劉邦でした。

  項羽と劉邦の闘いは、楚漢戦争とも呼ばれ、紀元前209年に勃発した陳勝・呉広の乱から数えて6年にわたって中国全土の闘いが続いたのです。そして、最後に漢王朝を建てたのは劉邦でした。時に紀元前202年、劉邦は高祖として漢王朝を開いたのです。

  以前にブログでも紹介した宮城谷さんの「劉邦」は、司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」とは異なる史観で見事な小説世界を我々に味合わせてくれました。

  宮城谷さんは、「劉邦」を執筆する以前、劉邦の前漢の後に後漢の祖となる光武帝を主人公とする小説を上梓しています。小説の名は、「草原の風」。2011年の作品です。劉邦が建国した漢は約200年続きましたが、劉秀が再統一を果たした後漢も約200年続きました。漢王朝は約400年続いたわけですから劉邦と劉秀の築いた礎は英雄の所作と言ってもよいと思います。

  ちなみに単独王朝では7世紀に始まった唐は289年続き、最長の王朝と考えられます。

  さて、宮城谷さんの「漢」をめぐる物語は、どうやら「三国志」に端を発しているようです。というのも宮城谷三国志は、「三国志演義」とは異なり、史書である三国志を基本としており、その始まりは後漢の退廃からはじまっているからです。「前漢」から続く「漢王朝」は、三国志の「魏」によって最後の王が廃されて「漢」は滅亡します。

  宮城谷さんが「草原の風」を描こうと考えた動機は「三国志」にあったのではないでしょうか。後漢の最後を描いた宮城谷さんには、その始まりである劉秀(光武帝)を描くことが必然と感じられたに違いありません。そして、後漢の始まりを描くうちに劉秀の祖である劉邦を描くことが必然だと感じたのだと思います。

【光武帝の武を担った呉漢の物語】

  宮城谷さんの最新作「呉漢」を本屋さんで見つけた時には小躍りしました。その帯には、次の文字が刻まれています。「作家生活30周年記念 光武帝・劉秀が行った中国全土統一、後漢建国事業。天下の平定と、光武帝のためにすべてを捧げた武将の闘いを描く。」

  すでに「草原の風」で光武帝の天下統一を描いた宮城谷さんが、いったいどのような視点で光武帝の将軍であった呉漢という人物を描いていくのか、興味が尽きません。

  最後の行を読み終えての感想は、宮城谷さんの小説に終わりはない、という感慨でした。

  司馬遼太郎さんから歴史作家のバトンを引き継いだと言われる宮城谷さんですが、司馬さんが1987年の「韃靼疾風録」以降、64歳で小説を卒業し、以後はもっぱらエッセイでその史観を語ったこととは異なり、70歳を超えてなお、旺盛に小説を描き続けています。もちろん、司馬さんはもともとジャーナリストであり、そこから小説家になったという経歴の違いもありますが、はじめから小説家としてスタートした宮城谷さんが、今もなお尽きずに物語を語り続けてくれていることにうれしさを感じるのは私だけでしょうか。

  今回の「後漢」は、宮城谷さんらしく、登場人物や時代の背景をしっかりとした史観で支えつつも小作農家出身の後漢がどのようにして光武帝の右腕として王朝の軍事部門を司る大司馬まで登りつめたのか、をあますことなく描きだしています。

  それにしても今や宮城谷さんの物語は名人の域に達しています。

  その物語は、人と人の出会いと時と、そして人とのつながりを語ることによって次々とワンダーが深まっていき、我々はその世界へとのめりこんでいくのです。

  今回、物語のはじまりは小作農の次男である呉漢が、自作農では食べていけず出稼ぎで農地を耕す仕事をしている場面です。呉漢は、無口で黙々と仕事をこなすどこにでもいる、雇われ農民でした。しかし、自然からの賜りものである土地に真摯に向き合い、まじめに仕事をこなしていました。そんな呉漢に声をかけてきた人物がいます。潘臨と名乗った男は、まじめに働く呉漢に目を止め、夜になったら話をしたいと声をかけました。

  もちろん、呉漢には初めてあった男に心を開くような余裕はありません。そのこぎれいな男につっけんどんな態度をしめします。しかし、夜、呉漢を月が照らす外へと誘い、男はこんな言葉を告げたのです。

「農場で働いている者の中で、あなただけが天に背をむけつづけていた。それほど休まずに働いていたともいえますが、あなたには希望がまったくない、とも見えました。たまには天を仰ぐべきです。といっても、あなたはそうしないでしょうから、それならそれで、地をうがつほどみつめることです。ぼんやりながめていてはいけません。人が念(おも)う力とは小石を黄金に変えるのです。」

  この言葉が、その後呉漢の生涯の道しるべとなります。

  このときに呉漢が働いていた農地の地主は、郡の太守を勤めている彭宏です。潘臨は、その息子である彭寵の学友でした。潘臨は、学友の将来のためにその農地で働く者の中に彭寵を助けるような人材がいないか、探していたのです。そこで、目を付けたのが呉漢の懸命で真摯な働きぶりだったのです。

  呉漢は、この後、隣の州で募集している割の良い墾拓の仕事に応募しますが、そこで、二人の男と出会うことになります。ひとりは、その開墾仕事の裏側を知る郵解という男。彼は今回の仕事が新たな王朝・新を建てる王莽からの仕事だと語ります。そして、もう一人が祇登(きとう)と名乗る胡散臭い男。祇登は、呉漢に今回の開墾話のさらなる背景と王莽の世界を語りかけてきます。

  さて、宮城谷さんのファンならすぐにピンとくるはずです。

  そうです、この彭寵、郵解、祇登はこれから17年後の光武帝即位、そして天下統一まで呉漢とともにこの歴史物語におおきくかかわっていくことになるのです。

  呉漢の徳とは、土地を知ること、そして常に周りから知を学び取ること、にあります。そして、土を知ることは、終生仕えることになる光武帝との共通の「徳」となるのです。

  この物語は、宮城谷中国の中でも一段と練達な語りが際立ちます。皆さんもぜひお読みください。やはり、物語は人が創るものだと、改めて感動すること請け合いです。

  まだまだコロナ禍は続きそうです。手洗い、消毒、3密の回避に励みましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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原田マハ 魔性の女「サロメ」とは何者か?

こんばんは。

  皆さんは、「魔性」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。

  この小説を読んで思い出したのは、シューベルトの歌曲「魔王」です。

  低音のピアノのリフで始まる「魔王」は、4つの異なる登場人物によって謳われます。もちろん、通常は一人のテノール歌手によって謳われるのですが、その詩には4つの視点から語られるのです。その主人公は「魔王」。

  ある晩高熱を出した息子を医者に診せるために父は夜の闇の中、息子を抱いて馬を走らせます。疾走する暗闇の中、魔王は熱にうなされる息子をいざなうように語りかけます。「かわいい坊や、一緒においで、楽しくに遊ぼう。綺麗な花も咲いて、黄金の衣装もあるよ。」

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(楽譜「魔王」の挿絵 wikipediaより)

  息子は、父親に「魔王が見えないの?魔王がささやきかけてくるよ。」と訴えます。疾走する父は、「息子よ、あれはただの霧だよ。」と諭して安心させようとします。しかし、魔王は執拗に息子を誘います。「素敵な少年よ。一緒においで、私の娘が君の面倒を見よう。歌や踊りを披露させよう。」息子は救いを求めます。「お父さん、お父さん。見えないの?暗がりにいる魔王の娘たちが。」父「息子よ。確かに見えるよ。あれは灰色の古い柳だ。」

  歌曲は、おどろおどろしいピアノと4つのテノールによって、緊迫の中をカタストロフへと突き進んでいきます。魔王ついに本性をさらけ出します。「お前が大好きだ。いやがるのなら、力づくで連れていくぞ。」息子は抗います。「お父さん、お父さん!魔王が僕をつかんでくるよ。魔王が僕を連れていくよ。」恐ろしくなった父親は、息子を抱える腕に力を込めて一層速度を上げて闇の中を突き進みます。

  たどり着いた時に息子は息絶えていたのです。

  この魔王の持つ蠱惑的な言葉と破滅に導く力こそ、我々が「魔性」とよぶものです。

  今週は、文庫化された原田マハさんの新たな絵画小説を読んでいました。

「サロメ」(原田マハ著 文春文庫 2020年)

【原田マハの新たな絵画小説とは?】

  「サロメ」と言えば、旧約聖書の物語ですが、過去からあまたの画家が「サロメ」の姿を描いてきました。古くは、宗教改革のルターの盟友であったドイツ画家の巨匠クラーナハが描いたサロメが有名ですが、近年では象徴主義の大家である、ギュスターヴ・モローも「サロメ」を題材とした名画の数々を世に送り出しています。特に1876年に発表された「出現」は、宙に浮かぶ預言者ヨハネの首を指し示す妖婦サロメが描かれた傑作です。

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(ギュスターヴ・モロー「出現」wikipediaより)

  しかし、今回原田マハさんが描いたのは、「サロメ」を描いた画家オーブリー・ビアズリーのエピソードでした。あえてエピソードとしたのは、この小説が物語ではなく「魔性」が出現したその瞬間を描くために執筆された小説だからです。

  皆さんも、オーブリー・ビアズリーの絵を一度は目にしたことがあると思います。あえて「画家」と書きましたが、彼の職業は挿絵画家でした。その最初の仕事は、トマス・マロリーが描いた「アーサー王の死」と題された本の挿絵画家としてでした。しかし、もっとも有名な絵は、オスカー・ワイルドが書いた戯曲「サロメ」の挿絵です。

  この本の表現を借りるならば、その挿絵は。「女はまるで亡霊さながら、おどろおどろしい横顔をしてぽっかりと宙に浮かんでいる。そしてその両手に掲げられているのは、麗しき髪と秀でた眉、永遠に瞼を閉じた男の生首。/女は男の首をかき抱き、たったいま、暗い池の中から空中に飛び出してきたかに見える。いや、池に見えるのは生首からしたたり落ちる黒い血だまり。女は血の池に浮かび上がる妖艶なのだろうか。」

  それは、魔性の美女「サロメ」そのものを蘇らせる魔力を備えた絵だったのです。

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(オーブリー・ビアズリー「サロメ」挿絵)

  白と黒だけを使ったペン画にこれほどの魅力が備わっているとは、オーブリー・ビアズリーの天才はいったいどこから生まれ出たのか。その進化の秘密がこの小説に託されたひとつのテーマなのです。

  今回の小説はこえまでのマハさんの絵画小説とは一線を画した趣向にあふれています。

【ビアズリーとオスカー・ワイルド】

  オスカー・ワイルドは19世紀末のイギリスの作家。その代表作は、「ドリアン・グレイの肖像」です。昔から肖像画はそのモデルとなった人間が乗り移るものだと言われていましたが、この小説は不気味な小説です。ある日、画家のバジルは、友人のドリアン・グレイから肖像画を依頼され、その美貌あふれる姿を絵に収めました。この絵の美しさを見たドリアンの友人ヘンリー卿はその美しさをほめるとともに、ドリアンにこの世の常識にとらわれることなく、その美貌に似つかわしい自由奔放な生き方を強く勧めます。その誘惑に乗ったドリアンは、自分の代わりに肖像画に描かれた自分が年を取ればよいと宣言しました。

  このヘンリー卿は明らかにオスカー・ワイルド自らの生き方を語る本人の傀儡です。その言葉にそそのかされたドリアンは、その後、純粋な愛を求める美しき恋人を死の淵へと追いやり、さらそれをなじる画家バジルをも殺してしまいます。しかし、その後も乱れた、奔放な暮らしを続けるドリアン。20年を経てもドリアンは全く老いることなく、その美貌は衰えることを知りません。

  しかし、ドリアンがまったく変わらぬ美貌を保ち続けている間、バジルが描いた彼の肖像画は醜く変貌し、ドリアンに代わって年を取り続けていくのです。

  その結末はこの小説を読むにしかず、ですが、オスカー・ワイルドはこんな猟奇的な小説を描くだけのことはあり、自らが世の常識に従わない自由奔放な男だったのです。

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(オスカー・ワイルド「サロメ」 books.rakutenより)

  イギリスと言えば、ジェントルマンの国です。

  その一方で、長い間、伝統と階級を重んじてきた社会でした。ピューリタン革命の時代から、貴族階級と労働者階級は完全に分かれており、貴族たちは支配階級として帝国に君臨していました。その世界観は特に保守的で厳格。階級が異なれば会って話をすることさえままならない世界が長く続いていたのです。19世紀末は、イギリス帝国の最盛期であり、こうした保守性と厳格さは彼らの誇りでもありました。

  同じころ、ドーバー海峡を渡った先のフランスでは、パリを代表される大敗を賛美し、自由を愛する人々が奔放な芸術活動を続けていました。印象派はもちろんのこと、パリでの芸術的成功を求めて、ピカソやゴーギャン、アポリネールなど若い芸術家たちがやがて来る新時代を前に芸術を語りあかしていました。保守的で厳格なイギリスでもこうした荒廃した世界にあこがれる人々もいました。オスカー・ワイルドは、こうした中、イギリスに颯爽と登場し、その自由奔放な行動と退廃的な芸術性で人気を博していたのです。

  イギリスで生まれたオーブリー・ビアズリーは、こうした退廃的奔放とは無縁な生活を送っていました。彼は、1898年に25歳と言う若さで夭折しますが、その原因は結核でした。彼が初めて結核と診断されたのは、7歳の時です。彼は、母親の収入でとても大切に育てられましたが、早くから芸術に才能を見せていたと言います。ピアノがうまく、文才もあり、絵がうまい。彼の画才はとびぬけていました。

  彼には、細やかな愛情そそいでくれた母と彼を守ることが当たり前のように育ってきた姉がいました。姉の名前はメイベル・ビアズリー。弟の画才を埋もれさせたくなかったメイベルは弟の絵を見せるために、オーブリーを連れて当時イギリスの画壇で名のあったエドワード・バーン・ジョーンズのもとを訪れます。

  このくだりは、この小説のひとつのハイライトですが、ネタバレとなるので小説を楽しみにしておいてください。そのときに、オーブリー・ビアズリーの画才は初めて世に認められることとなるのですが、この場に居合わせたのが、かのオスカー・ワイルドその人だったのです。

  この出会いからオーブリーの運命は大きく転換していくこととなるのです。

【原田マハが描く「魔性」とは】

  「あゝ、あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。」

  クライマックスの「サロメ」のセリフは衝撃的です。サロメは、ヘロデ王の前で「七つのヴェールの踊り」という世にもあでやかで妖艶な舞を踊ったほうびに、ヘロデ王にとらわれていた預言者ヨカナーンの生首を所望したのです。地下の監獄に繋がれたヨカナーンを一目見て恋に落ちてしまったサロメは、ヨカナーンに触れたくて千々に乱れる想いから逃れることができません。しかし、預言者はその思いをきっぱりと拒絶します。

  サロメは、自らの想いを遂げるためにヨカナーンの生首を求めたのです。

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(原田マハ「サロメ」 amason.co.jp)

  この反道徳的で、しかも欲望に満ちた蠱惑は、人の欲望、想いに忠実であろうとするオスカー・ワイルドの想いそのものでした。そして、その桁外れな芸術を全く同じ感性で表現したのが、オーブリー・ビアズリーだったのです。二人は、余人には理解しえない魔性を共有します。

  今でこそ「LGBT」や「ジェンダ-」などの言葉で、同性愛の存在は知性ある人々に受け入れられつつありますが、19世紀末のイギリスでボーイズラブが受け入れられるわけもありません。オスカー・ワイルドは、劇場やアトリエ、さらには社交場に若くて美しい男性を数多く引き連れて訪問していました。それは、言外にボーイズラブを公言している行動です。

  そして、畢生の芸術である「サロメ」をめぐって、男たちの三角関係が繰り広げられていきます。それは禁断の世界であるとともに、芸術としてはまさに「魔性」の世界です。オーブリー・ビアズリーもその才能ゆえにその渦中へと巻き込まれていくのです。

  しかし、このボーイズラブの世界がこの小説の新機軸なのではありません。確かに、原田マハさんと「魔性」の世界はこれまで融合することはない世界でした。ところが、この小説はそれほど単純ではありません。

  これまで、マハさんは常に女性の視点に立って自立した女性の物語を語ってきました。絵画小説においても主人公のひとりは必ず颯爽とした女性でした。そう、今回の小説も例外ではありません。オーブリー・ビアズリーに最も近い女性は誰でしょうか。

  それは、結核の患う弟を守り、その絵画の才能を世に出し、自らも女優としての道を歩もうとするオーブリーの姉、メイベル・ビアズリーその人です。

  そして、今回描かれる「魔性」とは、これまで語られてきたオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーの間に生まれた禁断の魔性以上に「人間の性(さが)」そのものに肉薄するような「魔性」なのです。

  小説「サロメ」には、これまでの絵画小説のような謎解きやワンダーなプロットは使われていません。そうしたものはなくても、ラストのどんでん返しに皆さんは衝撃を受けるに違いありません。そして、その衝撃の伏線は、プロローグから周到に用意されているのです。

 皆さんも、この「サロメ」で、これまでとは一線を画す新たな原田マハの魅力に触れて下さい。その「魔性」に背筋がゾッとするに違いありません。


  世の中では、首都圏のコロナ新規感染者の数が急増しています。首都圏の皆さん、3密を避け、ソーシャルディスタンスを保ちましょう。感染対策が万全のお店で飲むときでも、声高に飛沫を飛ばすことなく、穏やかな会話を楽しみましょう。ここが我々の踏ん張りどころです。私も含め、皆さんの一つ一つの行動が日本と世界を救うのです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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真山仁 東京地検特捜部検事富永 再び!

こんばんは。

  4月16日に宣言された全国の緊急事態宣言が解除されました。

  5月25日。北海道および首都圏が残されていた緊急事態宣言がすべて解除されました。あれから1週間がたち、飲食店やフィットネスクラブ、そして映画館、商業施設などが感染対策を徹底したうえで再開され始めました。

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(宣言解除翌日の渋谷駅前 asahi.com)

  これからの合言葉は「With Corona」ですが、この言葉の意味をキチンと咀嚼する必要があります。これまでの世界の感染者数は560万人を超え、死者は36万人を超えています。その感染力の強さは驚異的であり、高齢者や既往症のある方の死亡率は非常に高くなっています。

  その事実を踏まえると、職場や施設内で感染者が発生した場合に、感染者と感染源の特定を可能な状態にするにはどうすればよいのか、発見すればすぐに休業ができる体制になっているのか。こうしたことを十分に準備して日常活動を再開することが必須要件だと思います。

  それよりも大切なのは、我々一人一人が感染しない、させないことを意識した生活を送ることです。仕事や飲食、健康維持の体力づくりなどをしていく中で、いかに感染を意識して生活をしていくことができるのか、が新型コロナとの共生なのだと確信します。それには、習慣を見直すことが大切です。マスクをすることが当たり前、公共の場所でもトイレがあれば手洗いする。施設に入るときには両手を消毒する。匿名で訪れたいような場所には行かない。

  こうしたことが習慣になれば、少なくとも市中での感染は著しく少なくなり、万一感染した場合でも感染源を特定できる確率が高くなります。この日常を守るためにも、ワクチンが開発され、それが廉価にいきわたるようになるまでは新たな習慣を大切にしましょう。

  さて、そんな中で読んでいた本は、真山仁さんが描く東京地検特捜部、富永検事の活躍を描くシリーズ第2弾を読んでいました。

「標的」(真山仁著 文春文庫 2019年)

【検察庁のフリーランス部隊とは】

  このシリーズは、産経新聞に連載されたシリーズ小説です。真山さんと言えば「ハゲタカシリーズ」がつとに有名ですが、意外なことにシリーズものはこれ1作だけだそうです。そして、作家10周年に至って何か新たなシリーズを書き始めたいと考えたのが、富永検事の小説だったといいます。真山さんと言えば、綿密な取材に基づいて現実以上にリアルに小説世界を描き出しますが、政治の世界も得意分野のひとつです。

  真山仁さんが政治を描いた小説では、日本の総理大臣の理想と腐敗を描きあげた「コラプティオ」が思い浮かびますが、政治と密接に関係している検察庁の物語は、真山ワールドに非常に親和性の高いテーマだと思います。

  かつて、日本の文学では「社会性」を描くことは普遍性を保つことができないという意味で、ある種、際物的に取り扱われていました。今でも「芥川賞」では、文学表現の独自性と斬新さが重視されており、社会的事象を取り扱うことは不似合だといえます。しかし、かつてのソビエト連邦でソルジェニーツィン氏が告発したような政治世界は、文学の先進性を見事に表現していました。イギリスやフランスから発し、アメリカに大きな繁栄をもたらした民主主義と自由主義経済の体制は、かのクロムウェルから数えれば300年にも及ぶ歴史を有しており、すでに普遍的な理念と言ってもよいのではないでしょうか。

  真山仁さんは、綿密な取材と真実性を兼ね備える小説を描くという意味で、あの山崎豊子さんを目標にしていると言います。

  今回、奇しくも安倍内閣が次期検事総長候補の検察検事長の黒川氏の定年の延長を、検察庁法を無視して閣議決定し、あまつさえ今国会で後出しジャンケンのごとく検察庁法の改正案を提出してその正当化を図りました。この法律改正案は、識者の猛反発を惹起して、SNSは大炎上。さらには、もと検察庁OBたちの反対直訴にまで及びました。

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(反対意見書を提出した元検事総長 manichi.com)

  この出来事は、黒川氏が自粛期間中にもかかわらず、某所で複数回の賭けマージャンに教師でいた事実が暴露され、検事長を自任するというお粗末な結果となり、法案改正も取り下げられましたが、政治家とは実に執念深い人種であり、検察庁人事への恣意性を条文に盛り込んだ改正はまた国会に提出されるに違いありません。

  こうしたことがなし崩し的に重ならないように我々はキチンとアンテナを立てておく必要があるのではないでしょうか。

  さて、検察官はたった一人でも犯罪者を起訴できるという権限を持っています。もちろん、起訴とは裁判を起こすための要件ですが、刑事裁判の場合、もしも無実であれば事件の被告となった人間は、被疑者として社会的に大きな痛手を被り、大きな損害賠償を請求されることになります。

  ですので、検察官は犯罪者が間違いなく有罪であることを客観的な証拠によって明確に立件できるだけの裏図家調査を求められることになります。もちろん、このことは警察官にも言えるわけですが、警察は逮捕権をもっていますが、訴訟を提起することはできません。起訴ができるのは、あくまでも検察官なのです。

  真山仁さんが描く富永検事は、一人でも捜査、起訴ができる検察官の代表なのです。

【「巨悪を眠らせない」検事】

  巨悪とは何か、それは東京地検特捜部にとっては大きな権力を持つ政治家の巨額の贈収賄事件、横領事件の摘発のことをさします。

  政治家は、逮捕や起訴に対して法令によって守られています。総理大臣は、法務大臣を通じて逮捕への拒否権を発動することができますし、国会議員は国会開催中に逮捕されることはありません。それは、彼らが日本の国益を代表する、行政と立法の代表者だからなのです。

  日本では、権力を持つ行政機関である自衛隊、警察官、検事官は、すべてシビリアンコントロール(文官統治)の下に置かれています。それは、全体主義国家による世界征服に代表されるように国の権力が全体主義に統治されれば、国民の虐殺や他国への侵略が行われることになることが、歴史的に証明されているからです。

  つまり、巨大な権力を有している組織では、その統治者に政治家である行政大臣が置かれているということです。彼らは、政治家であり常に国民のため、国益のために正義の徒であることが前提となっています。しかし、人間である限り、そこには権力欲や物欲、虚栄心があることを否定するわけにはいきません。とくに大臣や総理大臣は大きな権力を有しており、その権力の見返りに巨額の富を築くことも不可能ではありません。

  そのことを止められるのは誰なのか。

  それが、検察庁の中でも特別捜査を行う組織である各行政区にある特別捜査部なのです。特に東京地検特捜部は、その地域内に総理官邸や各省庁舎、国会議事堂を有し、過去にも政治家の利権に絡む数々の事件を捜査、起訴してきました。

  かの「ロッキード事件」では、ピーナッツに摸された巨額の現金が授受されて、時の総理大臣であった田中角栄が起訴され、有罪となりました。また、「リクルート事件」でも株の無償譲渡に関して贈収賄の疑惑が持ち上がり、複数の国会議員や元大臣が逮捕され、時の竹下内閣は総辞職に追い込まれました。

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(田中角栄元首相逮捕の報道紙面ー朝日新聞)

  前回の「売国」は、日本の宇宙開発技術に関する利権に絡んだ諜報的な漏えい疑惑を描いた手に汗を握る小説であり、テレビドラマにもなりましたが、今回のテーマは、次期総理大臣を目指す女性議員、越村みやびの疑惑に富永検事が対峙していくという、聞いただけでその展開に胸が躍るものです。

  実は、今回の小説の中には、前作がテレビドラマ化されたときの題名である「巨悪を眠らせない」との言葉がちょっとしたシャレで登場します。そのネタは後半に登場しますが、ぜひこの面白い小説を読んで確かめて下さい。

【次期総理大臣VS富永検事】

  真山仁さんの小説は、本当によく練られて面白い。

  今回の面白さは、主人公とわき役たちの生き生きとした動きと、それに伴い明らかになっていく事実の緊迫感あふれるワンダーです。

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(文庫版「標的」文春文庫)

  まず、主人公富永検事の陣営ですが、とことん「証拠」にこだわる富永検事の相棒を務めるのは、まだ若いが「割り屋」との異名を取るバイタリティ溢れる女性検事、藤山あゆみです。さらに二人の上司となるのは、強面の副部長である羽瀬検事。羽瀬は、ひと睨みするだけで嫌疑者が口を割るとさえ言われるやり手の検事ですが、やはり上司からの命令には従うという柔軟性も身に着けています。

  そして、迎え撃つ越村みやびは、48歳の国会議員。金沢の老舗酒造家の娘ですが、その人気と手腕はすべての議員が認めるところ。黛総理の懐刀として厚生労働大臣を務め、次期総理の有力候補として名をはせています。もしも、民自党の総裁選で勝てば、日本憲政史上初の女性総理大臣になると、話題となっているのです。

  さらに、東京地検特捜部と言えば欠かすことができないのはマスコミです。今回、ジャーナリストとして登場するのは名門新聞社である「暁光新聞」の記者、神林裕太です。元経済部の記者だった神林は、これまで数々のスクープをものにしてきたやり手記者の東條部長にみこまれて、遊軍ともいえるクロスボーダー部に呼びこまれています。

  さて、小説の中心となるのは、高齢化社会への政策として肝いりで制定された「サービス付き高齢者向け住宅」いわいる「サ高住」です。

  「サ高住」は、老人ホームや介護施設とは異なり、言葉の通りサービスを付加した高齢者向けの住宅のことです。つまり、高齢者向けの住居でありながらそこに医療サービスや介護サービスが付帯されているのです。この政策は、これからの超高齢化社会に向けて高齢者自身がサービスを選択し、自らの住居を選択するという理想的な政策として期待されてきました。

  しかし、補助金を伴う「サ高住」には、利権を求める人々が群がっていました。「サ高住」は、「高齢者の住居の安定確保に関する法律」に定められた住居で、リーマンショック後の不動産業界では、空き地と言えば「サ高住」と言われるほどの大ブームとなり、その補助金を目当てにして新築ブームが出現しました。

  そこには、新たな利権の構造が出来上がり、「サ高住」によって成り上がった勝ち組の業者がたくさん生じました。世の中では、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われますが、この制度にも悪徳業者が輩出し、与野社会問題となっています。

  ここに登場したのが、高齢者を食い物にする悪徳業者を駆逐する法律の制定に乗り出した越村みやびだったのです。兼ねてからこの問題に焦点を当てていた越村は、黛総理大臣の庇護のもと厚生労働大臣に任命され、この問題の解決に自ら乗り出したのです。しかし、そこは利権渦巻く世界でした。

  ある日、上司の羽瀬から呼び出された富永と藤山は、羽瀬から越村みやびの捜査を命じられます。そこには、「サ高住」問題解決の法案成立のためにある「サ高住」団体から越村みやびが多額の資金を受け取っている、贈収賄の告発があったのです。越村は、「清廉潔白」がトレードマークの政治家。それは次期総理大臣候補の越村みやびからは最も遠い世界の告発でした。

  ここから、我々は手練の真山節の世界へと引き込まれていきます。業師である現職の黛総理の姿がバックに垣間見える中、富永検事の手に汗握る戦いの火ぶたが切って落とされるのです。


  このシリーズは、真山さんにとっても思い入れあふれる作品です。その面白さは天下一品。真山ファンならずともその面白さには時間を忘れます。ぜひ皆さんもお楽しみください。このシリーズが末永く続くこと願ってやみません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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黒木亮 ヘッジファンド対国家の闘い

こんばんは。

    日本の政治家たちの危機管理能力には大きな疑問を持たざるを得ません。

  新型コロナウィルスへの対応について、中国から始まり韓国、日本へと広がってきていた感染の波は、いきなりヨーロッパに飛び火、さらにアメリカで拡大の一途をたどり、今や「オーバーシュート」を起こした国々では、外出自粛要請などという生易しい対応ではなく、首都における都市封鎖「ロックダウン」が宣言されています。イタリア、スペイン、フランス、そしてアメリカでは、都市封鎖を行っていますが、時すでに遅く医療崩壊が起きつつあります。

  日本では、まだ「オーバーシュート」(感染爆発)にはかろうじて至っておらず、今が踏ん張りどころ、との認識から夜の街を含めて外出自粛要請にとどまっています。日本の政治では、責任をうやむやにすることが状態となっています。今回、非常事態宣言から都市封鎖に至る決断は、責任を背負う覚悟が明確に必要な判断です。最も恐れるのは、オーバーシュートが起きてからの非常事態宣言と都市封鎖です。

  中小企業や個人事業主の皆さんも真綿で首を絞めていくようなじり貧の破綻は望んでいないはずです。借金まみれで102兆円もの予算を計上するくらいならば、その借金を使っての支援をしっかりと構築したうえで、2週間程度の都市封鎖が現状で最も効果があり、責任感のある政策だと思います。日本の政治家の先送り体質が思わぬ悲劇を起こすことがないように祈るばかりです。専門家委員会の答申を受けた政策がマスク2枚の配布とは、株価が下がるのも当たり前だとあきれます。

  さて、話は変わりますが、債権とは、簡単に言えば借金のことです。

  個人でも、企業でも、国家でも借金をすれば返済しなければなりません。通常、個人や企業は借金が膨らんで消せなくなった場合、法律によって債務の無効が宣告されることがあります。個人でいえば「自己破産」を申告し、借金をチャラにすることが可能です。企業の場合、会社法や会社更生法、民事再生法などによって、借金を軽減(放棄)して再建することができます。

  それでは、国の場合はどうなるのでしょう。

  国家財政も借金が膨らみ返せなくなると破綻することになります。

  今週は、国家の不良債権を食い物とする投資ファンドの小説を読んでいました。

「国家とハイエナ」(黒木亮著 幻冬舎文庫 上下巻 2019年)

500%リターンの投資とは?】

  大量の資金を運用して利ザヤを稼ぐ。これが投資ファンドの仕事です。

  真山仁さんが一躍その名をはせた小説「ハゲタカ」では、バブル崩壊によって日本国内に生じた倒産企業の不良債権や破綻寸前の企業を買いたたく「ハゲタカファンド」の暗躍を描いて大ヒットしました。その真山さんはその後、様々な分野の小説を上梓していますが、当時、まったく違う視点から投資ファンドを見事に描いた小説がありました。

  それが、黒木亮氏の「トップ・レフト」でした。

  この小説が上梓されたのは2000年の3月ですが、この時、黒木氏はロンドンの商社で金融部長を務めるバリバリの現役金融マンでした。「トップ・レフト」とは、海外の巨大投資案件で主幹事を取った企業に冠される栄冠です。国際投資シンジケートの主幹事の座を巡り、収益第一主義のアメリカの投資銀行マン龍花と日本の都銀で海外融資を担う銀行マン今西。世界を舞台に繰り広げられる戦いは息もつかせぬ展開で、時間を忘れて読みふけりました。

  この小説は、投資銀行と金融投資にまつわる専門用語が数多く登場し、難解といえば難解ですが、黒木氏が現実に身を置いている国際投資の世界をリアルに描いており、その迫力には目を見張りました。この作品を契機に黒木氏は専業作家に転身し、多くの作品を上梓してきました。

  このブログが始まってからも黒木氏の投資ファンド小説をたびたびご紹介してきましたが、作品を追うごとに小説はスケールアップしており、近年の作品はみな大河小説的なスケールで小説世界が描かれています。そのテーマは、格付け会社であったり、石油・天然ガスなどのエネルギーであったり、二酸化炭素の排出権であったり、とにかくディールにかかわるあらゆる物語へと及んでいるのです。

  その黒木氏が今回描くのは、国家予算規模のディールです。

  デフォルトという言葉をご存じでしょうか。国家破綻という言葉がリアルとなったのは、2010年、ギリシャの財政危機が報じられた時でした。そのときの報道は「ギリシャ、デフォルトの危機」と大騒ぎとなりました。デフォルトとは、債務不履行という意味です。ギリシャ危機の発端は、ギリシャ政府の財政赤字隠蔽でした。

  財政赤字とは、持っている資産よりも支出の方が大きいということで、その支出の赤字は借金(債務)によって支えられているということです。EUでは、加盟国の財政赤字幅をGDP3%以内と定めていました。ギリシャは、その割合を5%と公表し是正を求められていたのですが、実は赤字が12.7%となっていたことが発覚したのです。ここからギリシャの財政は債務不履行となる、と言われたのです。

  この危機は、EU諸国が資金を負担して3690億ドルの財政支援を行うことで回避され、2018年にはこの支援金も終了し、財政も黒字を保っています。3690億ドルとは、日本円にしていったいいくらなのでしょうか。なんと約413280億円となります。そこに発生する負債や債券の金額は、桁違いと言えます。

  今回の小説で描かれる投資ファンド、シェイコブスアソシエイツは、デフォルト国家の債権を二束三文で購入し、世界中で訴訟を起こしてその債権の元金と金利を回収する、との手法で強大なリターンを確保する投資ファンドです。デフォルト国家はもちろん資金不測の国ですから、その国民の経済も破綻しており、国民は失業して収入もなく、香港で不衛生な生活を強いられています。そうした国の債権を買い取り、元利すべてをむしり取ろうとする投資ファンドは、ハイエナファンドと呼ばれています。

  ジェイコブスは、このギリシャの財政危機に際して、ギリシャの借金である国債を徹底的に買いまくります。ギリシャはEUからの金融支援を受けるためにデフォルトを宣言するわけにはいきません。財政の悪化によって回収不安が増した国債の価格はアッという間に値段を下げていきます。二束三文となったギリシャの債権を安価で買いまくり、額面で回収できればその差額は莫大な利益となるわけです。しかし、一投資ファンドがギリシャを相手に不良債権の返済を求めても、デフォルトとなったギリシャから債権を回収できるわけではありません。

  そこで、ジェイコプスが行うのはギリシャが持つ資産の差し押さえです。

【“ハイエナ”ファンドとは?】

  国家の不良債権を狙った投資ファンドは、実際には「ハゲタカ」と呼ばれていますが、黒木氏は真山さんの小説ですっかり有名になった「ハゲタカファンド」と一線を画する意味で、こうしたファンドを「ハイエナ」と名付けました。ハイエナは、他の動物が仮で仕留めた死肉を横から盗み食いをすることで生きています。国家の債権を食い物にするハイエナファンドとは。

  黒木氏は、最初はこの小説を、アフリカ諸国をめぐるハイエナファンドとの争いを描く物語として構想したと語っています。

  物語の始まりは、アフリカのコンゴ共和国です。ハイエナファンドと呼ばれるサミュエル・ジェイコブスは1997年にコンゴ共和国に対する、すでに債務不履行となった債権を800万ドル(88千万円)で購入します。その債権の額面は7000万ドルですが、債権には利息が加算されます。この債券はもともとベルギー政府が融資した債券でしたが、コンゴ政府がデフォルト状態となったためにコゲついていました。ジェイコブスは、800万ドルで手に入れた債権で、7000万ドル(77億円)+数年分の利息(10%×5年とすれば、約47億円)を返済してもらう、というわけです。

  いったいジェイコブスは債務不履行に陥った債権をどのようにして回収するのでしょうか。

  金銭賃貸借契約には、必ず紛争が起きた場合の管轄裁判所が定められています。例えば、コンゴ共和国の場合にはベルギーの首都であるブリュッセルの裁判所が管轄裁判所となっています。債権を購入したジェイコブスは、ブリュッセルの裁判所でコンゴ政府を相手に自らの債権の償還の訴状を提訴することになります。さらに、債権を持つということは、債権の返済が行われない場合には、債務者の資産を差し押さえることができます。

  コンゴ共和国の主な財源は石油の輸出による収入です。ベルギーの裁判で債権への返済義務が認められれば、ジェイコブスは、債権者として石油を差し押さえることができます。コンゴ政府では、石油の輸出による収入を巧みにカモフラージュし、本来政府に入るべき収入を政府首脳が個人の収入にしている実態がありました。この石油の輸出は、税制優遇国に設立された複数のペーパーカンパニーを抜け道として、公に知られることがないように仕組まれていたのです。

  その巧みに構築されたスキームには、資金調達のための国策銀行も一役買っていました。

  黒木ファンなら、ニューヨークのカラ売りファンドである、パンゲアの北川靖の名前はおなじみだと思います。パンゲアは、この小説でも登場します。パンゲアは、コンゴ共和国の密輸出に絡む子国策銀行の株を空売りしようと、銀行が絡むコンゴの石油輸出スキームを探っていたのです。石油タンカーの動きを追うために北川は、アフリカ大陸の東側に浮かぶマダガスカル島に上陸します。この島から船を出し、石油タンカーの船籍がコンゴ共和国であることを暴こうというのです。

  敵の敵は味方。との言葉通り、コンゴ共和国の国策銀行株の下落を狙うパンゲアとコンゴ共和国の資産を差し押さえたいジェイコブスの思惑は、見事に一致するのです。その活躍は、ぜひともこの小説でお楽しみください。

【ハイエナファンドVS NGO

  国家が債務過多によって債務不履行状態になると、国の財政が破綻するだけではなく、国際的な経済活動が制限されます。ただでさえ経済的に不遇な発展途上国では、国民の一人当たりの収入が減り、子供に食事がいきわたらなくなり、貧困層が増大します。ハイエナファンドに訴訟を起こされ、資産を差し押さえられた国は財政不足と政治の腐敗から貧困にあえぐ国民を見殺しにします。国に保護されず、収入の道もない人々は子供に満足な食事を与えることもできず、次々に亡くなっていきます。

  そんな途上国の悲惨な状況に声を挙げる国際的なNGOが存在します。

  その幹部の一人は、何と日本人、沢木容子という情熱を内に秘めた女性です。

  このNGOは、世界各国に事務所を備え、世界中で過大な途上国の負債を減免させる運動を展開しています。例えば、「ジュビリー2000」は、貧困にあえぐアフリカ途上国の国際債務を帳消しにしようとする運動です。黒木さんは、実際に日本でこの運動の旗振り役出会った女性にインタビューを行い、迫真に迫る描写を実現しています。

  小説の読みどころは、ハイエナファンドと破たん国家の元首たちとの闘いですが、そこに正義をめざすNGOが登場し三つ巴の闘いが展開されるのです。1996年から20年にわたるハイエナファンドの闘いを描くこの小説は、黒木氏の新たな投資サーガの幕開けを告げるワンダーな物語です。お楽しみください。

  今、コロナウィルスとの闘いが正念場を迎えています。その勝利のためにも皆が人との接触8割減を目標に一人一人が努力を重ねるときが来ています。頑張りましょう!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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鳴神響一 脳科学と心理学の関係とは?

こんばんは。

  本屋巡りをしていると、時々サスペンスものや犯罪小説を読みたくなる時があります。本来は、インテリジェンスものが好きなのですが、著者の力量さえあれば警察物は面白い小説があふれている分野です。先日、本屋さんでサスペンス系を思い描いて本を眺めていると、文庫本の棚に「脳科学捜査官」という文字をみつめました。どうやらシリーズ化されており、4冊目が上梓されたようです。シリーズ化されるということは重版されるということで、売れているということ。

  しかも名前が女性なので、これまで読んだ乃南アサさんの音道貴子や深町秋生さんの八神瑛子をイメージしてしまいます。その題名に思わず魅かれて手に取ってしまいました。

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(角川文庫「脳科学捜査官 真田夏希」amazoncojp)

「脳科学捜査官 真田夏希」

(鳴神響一著 角川文庫 2017年)

【現代版 女性警察官小説】

  警察小説といえば、一時期直木賞の常連でしたが、警察官と犯罪者それぞれの人生が交錯し、生きることの難しさと人の心の不思議さを描き出して、感動とワンダーを醸し出すことが期待されます。かつて、名作とは思い小説でした。しかし、SNSが世の中を席巻し、誰もがチョー短い文章で一発ウケを演出するような世の中では、重厚な小説が若い人たちの心をとらえるのは難しくなっていることは確かです。何といっても、アメリカの大統領をはじめ、世界の指導者たちからして、自ら言いたいことだけを一方的に表明して終わってしまうのですから、世の中あきれてしまう短絡さが蔓延するわけです。

  しかし、いくら昔はよかったと嘆いても、それは単なる愚痴に過ぎず、なぜこれだけたくさんの人間がSNSを便利に使いこなしているかに思いをいたす必要があると思います。

  この小説の主人公、真田夏希は31歳。これまで、心理医療を専門に研究し脳科学の学位も含めてカウンセラーや精神医療を仕事としていました。しかし、ある出来事をきっかけに臨床医療の現場を去り、神奈川県の心理分析官募集に応募し警察官になったという女性です。この著者の筆致はとても軽やかで、小説はサクサクと進んでいきます。

  最初の章は、初登場となる夏希の紹介となりますが、なんと彼女の婚活から物語が始まるのです。確かに31歳という年齢は適齢期には違いないのですが、女性警察官がどんなデートをするのか、興味が尽きない滑り出しとなります。彼女は容姿端麗といってもよい美人と自分で語っていますが、本当にそうなのかはよくわかりません。デートの席、友人の紹介で会うこととなった織田という男と横浜で食事をする場面からはじまります。語り部は、基本的に夏希自身ですので、夏希から見た織田の印象が続いていきます。織田は落ち着いたイケメンで、そのおだやかな語り口や教養あふれる語りも申し分ありません。

  二人は、ホテルの上層階にあるラウンジで改めて酒を飲むことにしますが、織田の隠れ家というバーで美しい夜景を見て、互いの仕事へと話が及ぼうとしたとき、はるか下界で爆発が起きるのです。しばらくすると、そのバーにも警察官が聞き込みに回ってきました。そして、その警察官は同じ神奈川県警。かつて、一緒に研修を受けた警察官だったのです。聞き込みが終わるや二人の警察官のうちひとりが、夏希に敬礼をして去っていきました。夏希の素性は、織田にバレてしまいます。

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(横浜みなとみらいの夜景 travel-notedjp)

  その軽い展開は、まさに現代のエンターテイメント小説そのものです。

  真田夏希の婚活紹介はひとまずおいて、夏希は翌日から心理分析官としてこの爆破事件の捜査本部に派遣されることになるのです。

【脳科学捜査官とは何者】

  さて、警察の心理分析官とはいったい何をするのでしょうか。

  実は、神奈川県警本部において、心理分析官は夏希が初めての採用となります。近年の犯罪はあらゆる意味で複雑化した社会のゆがみが人の心に様々なストレスを与え、その結果、人の心が変容して発生します。犯罪心理学とは心理学の一分野ですが、脳科学から犯罪に切り込むというのは斬新です。人間の脳は、1千億の神経細胞(ニューロン)の間を数兆もの電気信号(シナプス)が行きかうことで体と心の活動を成立させています。

  我々の脳は、大脳と小脳が活動野をなしていますが、どの活動野がどんな活動を担っているのかが様々な研究から明らかになってきています。それと同時に脳内で分泌される各種神経伝達物質の働きも注目されています。

  最近よく話題となるのは、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質です。人間の感情がどこから湧いてくるのか、かつては心理学や文学がそれを分析するための手段でしたが、今では、ニューロンとシナプスの活動の中で生じる神経伝達物質が我々の感情と密接なつながりがあることがわかってきています。

  ドーパミンは、脳内の報酬系と呼ばれる神経系統と関わっており、喜びや快楽などを感じさせる神経伝達物質です。そして、ノルアドレナリンは、交感神経と密接に関係しており、人が精神的、肉体的にストレスを感じたときに分泌され、交感神経を刺激して血圧を高くして脈拍は早くなります。セロトニンは、脳内の視床下部や大脳基底核と呼ばれる場所に分布しているそうですが、この物質にはわれわれの精神を安定させる働きがあります。セロトニンは、日常、ドーパミンやニルアドレナリンの分泌を適度に抑制して制震を安定させています。この物質の分泌が乱れると、ドーパミンやノルアドレナリンが不足したり、過剰となることにより、不安症になったり、パニック症、総うつ症などが引き起こされることがあるのです。

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(体内に行交う体内分泌物質 nhk-ondemand.jp)

  一方で、脳には扁桃体と呼ばれるとても古くからある1対の神経群があります。扁桃とはアーモンドのことで、その形がアーモンドに似ているのでこの名前となったそうです。偏桃体は原始的な脳神経で、感情を司ります。つまり、扁桃体によって人は感情をもってものごとを評価します。「好ましいもの」か「不快なものか」の判断を我々は扁桃体で行っているのです。しかし、扁桃体が嫌悪の評価をしたときにすべてがそのまま反射してしまうと生活に大きな支障が生じることになります。我々は、嫌だと思う人とでもいっしょに仕事をしなければならないこともあります。(その方が多いかも。)そのときに扁桃体の評価を抑える役目を果たすのが「前頭前野」です。

  「前頭前野」は、我々の脳の前にある領域で前頭葉の一部分です。人はこの分野で理性的な思考や感情のコントロール、判断、記憶などを行っています。扁桃体の発する評価(感情)をコントロールしているのがこの領域なのです。感情の抑制は、自動的に行われる場合と意図的に行われる場合があります。我々が嫌な人を見かけても、その人をすぐに殴らないのは自動的抑制のおかげなのかもしれません。

  今回登場する心理分析官である真田夏希は、こうした脳科学や心理学で犯罪者と闘っていくのです。小説では、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる大脳の状態が描写されています。それは、脳が静かにアイドリングしている状態を言います。つまり、脳に何の情報も入ってこない状態で、覚醒しているにもかかわらず働いていない状態を言います。天才たちのひらめきはこの状態で生まれると言われています。犯罪現場で、夏希は自らこの状態を創って、ひらめきに備えるのです。

  また夏希は、毎日、その日のストレスをその日のうちに解消し、いつでも脳が疲れのない状態で稼働できるように生活を規律しています。その意味で、彼女は脳科学捜査官として、自らの思考を意図的にコントロール(抑制)しているのです。その脳科学と心理学のスキルは、犯罪者のプロファイリングを行うときに、プロとしての力を発揮することになるのです。

【正体不明の爆破予告】

  この小説は、とても軽いタッチで描かれており、サクサクと読み進められるのですが、キャラクターとプロットはよく練られています。

  横浜の新高島駅近くにある神奈川県警高島署。その5階に「西区商業地域爆破事件捜査本部」が設けられ、夏希は、婚活デートの翌日にこの捜査本部に特別捜査官として派遣されることとなります。その使命は犯人のプロファイリングなのですが、爆破の翌日の捜査本部では、まだ何の材料も集まっているわけではありません。

  犯人は、今回の爆破について神奈川県警のホームページにメールで爆破の予告を行っていました。「2100、みなとみらい地区で爆発を起こす。マシュマロボーイ」、SNSでなされた予告に基づき、県警は爆発物の捜索を開始しますが、爆発までの時間はわずか15分。さらにみなとみらい地区はあまりに捜査範囲が広く、突き止められないまま爆破が実行されたのです。

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(映画「ゴ-ストバスターズ」マシュマロマン)

  県警の警備部には、デジタル環境に対応するカウンター部門が設置されています。そこから派遣されている小早川警部補は、犯人のメールの送られてきたアドレスのIPプロトコルがスペインのバスク解放同盟のものであることを突き止めました。しかし、それは犯人の証拠隠滅と捜査かく乱のためのわなだったのです。

  捜査本部では、周辺地域の聞き込みと爆発物製造の経路、そして、メールの足跡を追うことで捜査を開始します。いつたいマシュマロボーイとは何者なのか。幸い爆発は、再開発地域の空き地で起きたので人身被害はありませんでしたが、この予告はこれから始まる犯人の本格的な爆破事件の幕開けにしか過ぎなかったのです。

  この小説には、魅力あるキャラクターが数多く登場します。

  夏希は心理分析官として初動の現場捜査に同行します。ところが、指定された車で待っていたのは、不愛想でぶっきらぼうな小川と後部座席に座っている警察犬だったのです。夏希は幼児時代に犬にかまれた体験から、犬が大の苦手です。後部座席を指定された夏希は高層ビルから飛び降りるような気持ちで後部座席に乗り込みます。

  警察犬の名前は、アリシア。鑑識課の小川はこのアリシアを使って現場で爆発物に連なる証拠を捜索していきます。このアリシアが警察犬として採用されたのには、一つの物語がありました。その物語は涙を誘いますが、それはこの本で味わってください。

  この小説は、筆致こそ軽快で気持ちよく読み進めますが、その登場人物の設定とプロットにはただならぬものがあります。捜査本部をあざ笑うようにマシュマロボーイが第二の予告を送り付けてきます。「今日の21時に横浜市内でふたたび爆発を起こす。」。あまりにも広い地域での予告に警察はただただ右往左往するばかりです。

  犯人の自己顕示欲に直接接触を試みるため、夏希は「かもめ★百合」というハンドルネームのメールで犯人に呼びかけを行います。そのメールに不敵にも回答してきたマシュマロボーイ。夏希対マシュマロボーイの闘いの火ぶたが切って落とされます。そして、心理分析官の夏希は、「マシュマロボーイ」に秘められた意味に行きあたります。それは、「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン・・・、とは関係なく、ある心理実験につながっていたのです。そして、マシュマロボーイは夏希に横浜を舞台とした爆破予告ゲームを仕掛けてくるのです。


  この小説は、魅力的なキャラクターと脳科学、というよりも心理学という捜査手法が秀逸で気が付くと小説世界に引き込まれています。犯人のキャラクターの掘り下げがもうひとつだったり、登場人物の名字がすべて戦国武将だったりと、ものたりなさやお遊びもありますが、夏希と犯人との対決には手に汗を握ります。すでに小説はシリーズ化されていますが、次の作品を読むのが楽しみです。

  ライトノベルが気にならない方、ぜひ夏希の婚活にもご注目ください。なかなか楽しめます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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鳴神響一 脳科学と心理学の関係とは?

こんばんは。

  本屋巡りをしていると、時々サスペンスものや犯罪小説を読みたくなる時があります。本来は、インテリジェンスものが好きなのですが、著者の力量さえあれば警察物は面白い小説があふれている分野です。先日、本屋さんでサスペンス系を思い描いて本を眺めていると、文庫本の棚に「脳科学捜査官」という文字をみつめました。どうやらシリーズ化されており、4冊目が上梓されたようです。シリーズ化されるということは重版されるということで、売れているということ。

  しかも名前が女性なので、これまで読んだ乃南アサさんの音道貴子や深町秋生さんの八神瑛子をイメージしてしまいます。その題名に思わず魅かれて手に取ってしまいました。

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(角川文庫「脳科学捜査官 真田夏希」amazoncojp)

「脳科学捜査官 真田夏希」

(鳴神響一著 角川文庫 2017年)

【現代版 女性警察官小説】

  警察小説といえば、一時期直木賞の常連でしたが、警察官と犯罪者それぞれの人生が交錯し、生きることの難しさと人の心の不思議さを描き出して、感動とワンダーを醸し出すことが期待されます。かつて、名作とは思い小説でした。しかし、SNSが世の中を席巻し、誰もがチョー短い文章で一発ウケを演出するような世の中では、重厚な小説が若い人たちの心をとらえるのは難しくなっていることは確かです。何といっても、アメリカの大統領をはじめ、世界の指導者たちからして、自ら言いたいことだけを一方的に表明して終わってしまうのですから、世の中あきれてしまう短絡さが蔓延するわけです。

  しかし、いくら昔はよかったと嘆いても、それは単なる愚痴に過ぎず、なぜこれだけたくさんの人間がSNSを便利に使いこなしているかに思いをいたす必要があると思います。

  この小説の主人公、真田夏希は31歳。これまで、心理医療を専門に研究し脳科学の学位も含めてカウンセラーや精神医療を仕事としていました。しかし、ある出来事をきっかけに臨床医療の現場を去り、神奈川県の心理分析官募集に応募し警察官になったという女性です。この著者の筆致はとても軽やかで、小説はサクサクと進んでいきます。

  最初の章は、初登場となる夏希の紹介となりますが、なんと彼女の婚活から物語が始まるのです。確かに31歳という年齢は適齢期には違いないのですが、女性警察官がどんなデートをするのか、興味が尽きない滑り出しとなります。彼女は容姿端麗といってもよい美人と自分で語っていますが、本当にそうなのかはよくわかりません。デートの席、友人の紹介で会うこととなった織田という男と横浜で食事をする場面からはじまります。語り部は、基本的に夏希自身ですので、夏希から見た織田の印象が続いていきます。織田は落ち着いたイケメンで、そのおだやかな語り口や教養あふれる語りも申し分ありません。

  二人は、ホテルの上層階にあるラウンジで改めて酒を飲むことにしますが、織田の隠れ家というバーで美しい夜景を見て、互いの仕事へと話が及ぼうとしたとき、はるか下界で爆発が起きるのです。しばらくすると、そのバーにも警察官が聞き込みに回ってきました。そして、その警察官は同じ神奈川県警。かつて、一緒に研修を受けた警察官だったのです。聞き込みが終わるや二人の警察官のうちひとりが、夏希に敬礼をして去っていきました。夏希の素性は、織田にバレてしまいます。

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(横浜みなとみらいの夜景 travel-notedjp)

  その軽い展開は、まさに現代のエンターテイメント小説そのものです。

  真田夏希の婚活紹介はひとまずおいて、夏希は翌日から心理分析官としてこの爆破事件の捜査本部に派遣されることになるのです。

【脳科学捜査官とは何者】

  さて、警察の心理分析官とはいったい何をするのでしょうか。

  実は、神奈川県警本部において、心理分析官は夏希が初めての採用となります。近年の犯罪はあらゆる意味で複雑化した社会のゆがみが人の心に様々なストレスを与え、その結果、人の心が変容して発生します。犯罪心理学とは心理学の一分野ですが、脳科学から犯罪に切り込むというのは斬新です。人間の脳は、1千億の神経細胞(ニューロン)の間を数兆もの電気信号(シナプス)が行きかうことで体と心の活動を成立させています。

  我々の脳は、大脳と小脳が活動野をなしていますが、どの活動野がどんな活動を担っているのかが様々な研究から明らかになってきています。それと同時に脳内で分泌される各種神経伝達物質の働きも注目されています。

  最近よく話題となるのは、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質です。人間の感情がどこから湧いてくるのか、かつては心理学や文学がそれを分析するための手段でしたが、今では、ニューロンとシナプスの活動の中で生じる神経伝達物質が我々の感情と密接なつながりがあることがわかってきています。

  ドーパミンは、脳内の報酬系と呼ばれる神経系統と関わっており、喜びや快楽などを感じさせる神経伝達物質です。そして、ノルアドレナリンは、交感神経と密接に関係しており、人が精神的、肉体的にストレスを感じたときに分泌され、交感神経を刺激して血圧を高くして脈拍は早くなります。セロトニンは、脳内の視床下部や大脳基底核と呼ばれる場所に分布しているそうですが、この物質にはわれわれの精神を安定させる働きがあります。セロトニンは、日常、ドーパミンやニルアドレナリンの分泌を適度に抑制して精神を安定させています。この物質の分泌が乱れると、ドーパミンやノルアドレナリンが不足したり、過剰となることにより、不安症になったり、パニック症、総うつ症などが引き起こされることがあるのです。

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(体内に行交う体内分泌物質 nhk-ondemand.jp)

  一方で、脳には扁桃体と呼ばれるとても古くからある1対の神経群があります。扁桃とはアーモンドのことで、その形がアーモンドに似ているのでこの名前となったそうです。偏桃体は原始的な脳神経で、感情を司ります。つまり、扁桃体によって人は感情をもってものごとを評価します。「好ましいもの」か「不快なものか」の判断を我々は扁桃体で行っているのです。しかし、扁桃体が嫌悪の評価をしたときにすべてがそのまま反射してしまうと生活に大きな支障が生じることになります。我々は、嫌だと思う人とでもいっしょに仕事をしなければならないこともあります。(その方が多いかも。)そのときに扁桃体の評価を抑える役目を果たすのが「前頭前野」です。

  「前頭前野」は、我々の脳の前にある領域で前頭葉の一部分です。人はこの分野で理性的な思考や感情のコントロール、判断、記憶などを行っています。扁桃体の発する評価(感情)をコントロールしているのがこの領域なのです。感情の抑制は、自動的に行われる場合と意図的に行われる場合があります。我々が嫌な人を見かけても、その人をすぐに殴らないのは自動的抑制のおかげなのかもしれません。

  今回登場する心理分析官である真田夏希は、こうした脳科学や心理学で犯罪者と闘っていくのです。小説では、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる大脳の状態が描写されています。それは、脳が静かにアイドリングしている状態を言います。つまり、脳に何の情報も入ってこない状態で、覚醒しているにもかかわらず働いていない状態を言います。天才たちのひらめきはこの状態で生まれると言われています。犯罪現場で、夏希は自らこの状態を創って、ひらめきに備えるのです。

  また夏希は、毎日、その日のストレスをその日のうちに解消し、いつでも脳が疲れのない状態で稼働できるように生活を規律しています。その意味で、彼女は脳科学捜査官として、自らの思考を意図的にコントロール(抑制)しているのです。その脳科学と心理学のスキルは、犯罪者のプロファイリングを行うときに、プロとしての力を発揮することになるのです。

【正体不明の爆破予告】

  この小説は、とても軽いタッチで描かれており、サクサクと読み進められるのですが、キャラクターとプロットはよく練られています。

  横浜の新高島駅近くにある神奈川県警高島署。その5階に「西区商業地域爆破事件捜査本部」が設けられ、夏希は、婚活デートの翌日にこの捜査本部に特別捜査官として派遣されることとなります。その使命は犯人のプロファイリングなのですが、爆破の翌日の捜査本部では、まだ何の材料も集まっているわけではありません。

  犯人は、今回の爆破について神奈川県警のホームページにメールで爆破の予告を行っていました。「2100、みなとみらい地区で爆発を起こす。マシュマロボーイ」、SNSでなされた予告に基づき、県警は爆発物の捜索を開始しますが、爆発までの時間はわずか15分。さらにみなとみらい地区はあまりに捜査範囲が広く、突き止められないまま爆破が実行されたのです。

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(映画「ゴ-ストバスターズ」マシュマロマン)

  県警の警備部には、デジタル環境に対応するカウンター部門が設置されています。そこから派遣されている小早川警部補は、犯人のメールの送られてきたアドレスのIPプロトコルがスペインのバスク解放同盟のものであることを突き止めました。しかし、それは犯人の証拠隠滅と捜査かく乱のためのわなだったのです。

  捜査本部では、周辺地域の聞き込みと爆発物製造の経路、そして、メールの足跡を追うことで捜査を開始します。いつたいマシュマロボーイとは何者なのか。幸い爆発は、再開発地域の空き地で起きたので人身被害はありませんでしたが、この予告はこれから始まる犯人の本格的な爆破事件の幕開けにしか過ぎなかったのです。

  この小説には、魅力あるキャラクターが数多く登場します。

  夏希は心理分析官として初動の現場捜査に同行します。ところが、指定された車で待っていたのは、不愛想でぶっきらぼうな小川と後部座席に座っている警察犬だったのです。夏希は幼児時代に犬にかまれた体験から、犬が大の苦手です。後部座席を指定された夏希は高層ビルから飛び降りるような気持ちで後部座席に乗り込みます。

  警察犬の名前は、アリシア。鑑識課の小川はこのアリシアを使って現場で爆発物に連なる証拠を捜索していきます。このアリシアが警察犬として採用されたのには、一つの物語がありました。その物語は涙を誘いますが、それはこの本で味わってください。

  この小説は、筆致こそ軽快で気持ちよく読み進めますが、その登場人物の設定とプロットにはただならぬものがあります。捜査本部をあざ笑うようにマシュマロボーイが第二の予告を送り付けてきます。「今日の21時に横浜市内でふたたび爆発を起こす。」。あまりにも広い地域での予告に警察はただただ右往左往するばかりです。

  犯人の自己顕示欲に直接接触を試みるため、夏希は「かもめ★百合」というハンドルネームのメールで犯人に呼びかけを行います。そのメールに不敵にも回答してきたマシュマロボーイ。夏希対マシュマロボーイの闘いの火ぶたが切って落とされます。そして、心理分析官の夏希は、「マシュマロボーイ」に秘められた意味に行きあたります。それは、「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン・・・、とは関係なく、ある心理実験につながっていたのです。そして、マシュマロボーイは夏希に横浜を舞台とした爆破予告ゲームを仕掛けてくるのです。


  この小説は、魅力的なキャラクターと脳科学、というよりも心理学という捜査手法が秀逸で気が付くと小説世界に引き込まれています。犯人のキャラクターの掘り下げがもうひとつだったり、登場人物の名字がすべて戦国武将だったりと、ものたりなさやお遊びもありますが、夏希と犯人との対決には手に汗を握ります。すでに小説はシリーズ化されていますが、次の作品を読むのが楽しみです。

  ライトノベルが気にならない方、ぜひ夏希の婚活にもご注目ください。なかなか楽しめます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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宮城谷昌光 呉越の宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに寒水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

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(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

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(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

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(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越のたたきの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、王の不在を守る闔閭の弟、夫概にご王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との戦いはここが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はせおの戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

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(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも第八巻では丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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宮城谷昌光 呉越宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに冠水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

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(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

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(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

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(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越の闘いの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、呉王の不在を守る闔閭の弟、夫概に呉王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との闘いはここからが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はその戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

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(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも小説の中で丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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濱嘉之 黒田情報官 北との闘い

こんばんは。

  2010年に登場した警視庁を舞台にした情報官の活躍を描く濱嘉之氏の「警視庁情報官」シリーズも7冊目を数えました。前作で、警視正に昇進し情報分析室の室長となった黒田純一。その新作が2年ぶりに登場しました。これまでのファンとしては「買わないという選択はないやろう。」とのCMどおり、見つけたその日に手に入れました。

「警視庁情報官 ノースブリザード」

(濱嘉之著 講談社文庫 2019年)

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(「警視庁情報官 ノースブリザード」amazon.com)

  前回のブログ(2017年)で、主人公の黒田純一がマネジメント職となり、この先、小説としての語り方が変わるのでは、とご紹介しました。その通り、黒田情報室長は、部下200人のうちキャリア職の警部補6名を手足のように使い、彼らを、次世代を担うインテリジェンスオフィサーとして育てていきます。一方で、自らは、これまで培ってきた人脈をフルに活用して、日本を取り巻く東アジアの情勢を諜報していきます。

  今回の作品は、スリリングなエンタメ小説を期待する読者にとっては、チョット退屈な小説かもしれません。

【習中華人民共和国の台頭】

  インテリジェンスといえば、今、香港では「自由」を守ろうとする住民たちが中国を強く意識する政府に対して、毎週のように大規模なデモを行っています。ことの発端は、現香港政府が逮捕した犯罪者を本国に引き渡す条例を施行しようとしたことでした。

  香港がイギリスから中国に返還されたのは、199771日のことです。返還のもととなったのは、1984年の英中共同宣言でした。共同宣言では、1)外交、安全保障を除いて大幅な自治権を認める。2)資本主義制度と生活様式も50年間変えない、という「一国二制度」が合意されました。その宣言に基づいて、1990年には、香港特別行政区の憲法ともいえる香港基本法が中国の全国人民代表大会で採択されました。

  この年の前年に中国では悪名高き天安門事件が発生しています。香港基本法の採択は、天安門事件を契機に香港からの移民希望者が急増したことや国際社会からの非難を踏まえてのものとも考えられます。返還までの間、中国政府と香港行政庁(長官はイギリスから派遣)間では返還後の自治権により二制度をどのように維持するかで協議が続けられました。そんな中1991年には、香港立法評議会(国会)の選挙が実施され、結果は民主派勢力の圧倒的な勝利となります。

  この結果に警戒感を強めた中国は、1995年、150人からなる香港返還準備委員会を発足させ、民主化派が多くを占める香港立法評議会に変わる臨時立法会の設置と400名からなる推薦委員会の設置を定めました。ちなみに英中共同宣言では、「香港の最高責任者である香港特別行政区長官は、選挙または協議によって選出され、中央人民政府が任命する」とされています。

  香港返還20周年を機に長官に選出された林鄭氏。香港特別行政区の長官は、定数1200人からなる選挙委員会によって選出されますが、この選挙委員会はそのメンバーの3/4が新中国派で占められており、今回の選挙でも林鄭氏は、新中国派から777票を獲得して長官となりました。この選挙でリベラル派の曽氏が獲得した票は365票です。ちなみに世論調査では、曽氏の支持率は56%、林鄭氏の支持率は30%でした。

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(1997年の香港返還式典 news.line.me)

  犯罪者引渡条例に反対する市民デモは、日に日にその参加者が増大。数万人規模のデモは、6月には200万人にまで拡大しました。中国は、人民解放軍を隣の杭州市に配置し、訓練を行うなど香港市民への圧力を強めていますが、今のところ香港行政府によるデモの鎮静化を第一義としています。デモの拡大と混乱(空港の占拠など)に苦慮した林鄭氏は政府として犯人引渡条例の撤廃を表明しましたが、時すでに遅く、デモの要求は民主化に向けてさらにエスカレートしています。

  先日、ついに香港自治政府の警察官がデモ参加の若者に対して拳銃を発砲し重傷を負わせました。さらに昨日は続いて私服警官がデモ隊に発砲し市民にけがを負わせたのです。デモ市民の一部が暴徒化し、最初の銃撃も警官が鉄パイプを持った若者に襲われたことから身を守るために発砲した正当防衛である、と香港政府は発表しています。しかし、拳銃を使った銃撃は明らかに弱者への脅迫であり、殺人未遂です。拳銃が素手の暴力に対する正当防衛であるはずはありません。

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(若者に発砲する警察官 sankei.com)

  中国は、自らが自国内と宣言している地域が香港以外にもあります。それは、中華民国と呼ばれている台湾です。呼ばれているというのは、台湾は、アメリカが現在の中国と国交を樹立し、1971年公式に国連を脱退したことから、国際社会では「中国」と認識されなくなったことを指しています。台湾は、現在、15か国との間で国交を保っていますが、日本もアメリカに倣いすでに国交は断絶しています。

  台湾は当然ながら中国からは独立していると主張していますが、中華人民共和国である中国は、台湾を自国の一地域と考えています。問題は、台湾がそれを受け入れるか否かです。以前、中国の経済力が弱かったころに、台湾は中国の数倍の経済力を有していました。ところが、鄧小平氏の政策により経済特区が設定されるや中国は驚くほどの経済成長を実現し、アッという間に世界第2位の経済大国となったのです。

  台湾にとって、よりどころであった経済的優位を失ったとき、中国は本物の脅威として目前に立ちはだかることとなったのです。民主主義、資本主義を根本とする台湾。50年間の資本主義制度を保証された香港。香港で自由が保障されるか否か、は台湾に直結する問題となったのです。中国がこの二つの地域をどのように自らの中に取り込んでいくのか。戦争を仕掛けるわけにはいかない同胞に対して、中国はどのような姿勢で臨むのか。民主主義、自由主義を標榜する自由な国、日本にとって中国のメンタリティと方針は、もっともインテリジェンスセンスが問われる問題なのです。

【日本のインテリジェンス】

  さて、現在の日本にとって東アジアでの課題は、朝鮮半島と中国との距離です。

  朝鮮半島では、今、日本は北朝鮮も韓国も敵に回した状況となっています。良い悪いの問題はおいておくとして、徴用工問題に端を発した日韓の問題は今や泥沼といってもよい状態に陥っています。政府同士が不仲でも民間同士で交流が途切れなければまだ救いがあります。韓国では、日本製品の不買運動が蔓延し日本製品を買うには相当な勇気が必要なようです。人気が高い日本製ビールの輸出量は、対前年比で97%減と壊滅的です。さらに日本への韓国旅行者の数も7月には7.6%減少しています。

  北朝鮮との間には日本人拉致問題が横たわっており、この問題で解を見つけられないがぎり、日本は北朝鮮と関係を持つことはできません。北朝鮮は、今や核実験を何度も行い、単距離長距離ロケットの発射も行った結果、核兵器を使用する能力を獲得したと思われます。北朝鮮と韓国の間は、現在休戦中であり、朝鮮戦争はいまだに続いている状態は解決されていません。韓国の文政権はさかんに南北統一を口にしていますが、北朝鮮にしてみれば絵にかいた餅ほどの実現性も感じていないというのが現実ではないでしょうか。

  核兵器を開発した時点で、北朝鮮は対話の相手をアメリカに絞りました。アメリカとの対話のためにピョンチャンオリンピックと韓国を利用して、みごと仲介者として味方にすることに成功し、今や韓国を全く無視して、アメリカと3度の首脳会談を行うことに成功しています。その北朝鮮のバックにいるのは、今や世界に2国となった共産主義国の中国です。北朝鮮は、一時期、親中国派の高官を粛正するなど独裁化段階で中国の不興を買いましたが、アメリカとの交渉の過程で中国側の顔を大いに立てて、その関係を修復しました。

  現在、中国はその数千年の知恵から、敵対するアメリカの同盟国である日本を自らの陣営に近づけようと親日外交を繰り広げていますが、経済的利益の連帯以外で日本とは相いれるものではありません。その意味で、日本の外交は、常にアメリカの掌の中にあるといっても過言ではありません。では、日本はアメリカと同じ穴の中にいれば安泰なのでしょうか。

  そんなわけはありません。

  よく言われることですが、トランプ大統領は北朝鮮のロケットがアメリカ本土に届かなければ、単距離ミサイルが何度打ち上げられようが痛くもかゆくもないといえます。しかし、日本は単距離ミサイルであっても本土を攻撃される距離に存在しているのです。しかも、韓国はこともあろうに日本との防衛協定であるGSOMIAの継続を拒絶しました。日本は、原発施設を攻撃されれば壊滅的被害を受けます。(もちろん、人為的に選挙される恐れもありますが・・・)

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(大統領府のGSOMIA破棄発表 tokyo.np.co.jp)

  中国や朝鮮半島は、地政学的に日本とつながっています。そうした意味で、日本は国を守るためのインテリジェンスを磨いていく必要があるのです。

  日本は、戦後、民主主義を標榜する国へと転換しました。その転換は同時に権力による国民への監視を弱める変化をもたらします。国民への監視を弱めることは、イコール外国人への監視を弱めることにもつながります。平成に日本では一度も武力を使った紛争、戦争が起こりませんでした。しかし、日本は本当に安全なのでしょうか。そこでは、大震災が起き、地下鉄サリン事件が起き、国民の危機が発生しています。

  そうした危機が、人為的に起こされる危険はないのか。日本が平和利用を目的として開発した技術が盗まれて軍事転用されるリスクはないのか。世界中が日本の原子力技術やロケット技術、はたまたAI技術、遺伝子技術をのどから手が出るほど欲しがっているのです。

  日本は、冷戦のさなかからスパイ天国と揶揄されます。現在のテロリストたちが徘徊する世界を認識したとき、日本に接待に必要なのはカウンターインテリジェンスをになう情報機関です。今回の本は、改めて私たちのその危機感を思い起こさせてくれます。

【ノースブリザードとは?】

  今回の小説を小説と呼ぶかどうか、議論が分かれるところかと思います。というのも、第3章くらいまで、小説にはほとんど展開がないからです。黒田情報官は室長と言う立場もあって、今回は北海道やアメリカに諜報のために出張します。そこで、ロシアのエージェントやイスラエルのエージェントに北朝鮮情勢をヒアリングします。そこで交わされる会話は、現在の東アジア情勢の最前線に他なりません。

  そこでは、ほとんど見立てと諜報へのうんちくが延々と語られます。私のようなインテリジェンスオタクには思わずのめりこむような話なのですが、面白い小説ファンにとっては何の展開もなく、まったくワクワクしない語りだと思います。

  しかし、第4章から物語は動き始めます。北朝鮮の諜報員が日本に潜入していることが黒田情報官の活躍で判明します。ここからの展開は、これまでのシリーズをほうふつとさせる展開が待っています。やはりこのシリーズは、日本のインテリジェンス小説としては秀逸なのではないでしょうか。インテリジェンスに対するうんちくに興味のある方は手に取ってみることをお勧めします。

  スパイ小説に意外性や意外な展開を求める方には、第3作目あたりがおすすめです。


  ところで、またまたラグビーワールドカップの話です。サモア戦、迫力満点でしたね。この勝利を見ると日本の強さが本物であることがよくわかります。フィジカルが強く、ペナルティねらいのサモアに対して、日本は本当に冷静かつ力強い戦いを繰り広げました。後半13分頃まで、26対19。日本とサモアの点差は7点差。ワントライで同点です。それでも日本は4トライによる勝ち点1までも狙っていたのです。最後の連続スクラムからの松島選手のトライには、体が震えるほど感動しました。

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(松島選手のラストトライ asahi.com)

  「ONE TEAM」の合言葉通りの闘いに熱烈喝采です。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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