真山仁 民主主義 選挙で勝利するには

こんばんは。

  選挙制度は民主主義の根幹となる重要な仕組みに違いありません。

  早いもので選挙権が認められる年齢が20歳から18歳に引き下げられてから2年が経とうとしています。この間、高校や大学で18歳になる若者たちに選挙の意味を考えてもらうための動機付けや模擬投票などが行われ、投票を通じて政治に参加することの意義を醸成していました。

  ちなみに、最近選挙のたびに納得感がないのは日本の投票率の低さです。

  先日の統一地方選挙でも投票率は過去最低を記録し、その平均は50%前後だと報じられています。そのとき、大阪府知事と大阪市長選挙において、大阪維新の会が松井知事と吉村市長の辞任、入れ替え立候補で、県民、市民に大阪都構想の信を問うという手段に打って出ました。結果、大阪維新の会はこの選挙に勝利したのですが、松井さんはこの勝利の後投票率に触れ、「約半分の方の意見は反映されていないので、都構想については引き続き丁寧に説明していきたい。」と述べていました。良識のある発言に納得です。

  近いところでは、安倍政権の信を問うた2017年の衆議院選挙でも全体の投票率は53.68%と、選挙によって安倍政権が全国民に支持されたとはとても語れないような投票率でした。

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(2017年記者会見に向かう安倍首相 sankei.com)

  この選挙における世代別の投票率は、10代が40.49%、20代が33.84%、30代が44.75%、40代が53.52%、50代が63.32%、60代が72.04%、70代以上が60.94%となっています。これを見ると「未来志向の明るい日本」といくら叫んでも、未来を担う若者は投票に来ないという矛盾がうかがわれます。逆に言えば、そろそろ定年が見えてくる50才代から年金支給が見えてくる60才代以降の票を取り込んだ候補が当選すると言う、極めて皮肉な結果が見えてくるのです。

  総務省の統計を見ると、昭和61年以前の総選挙で投票率は70%前後と極めて高い民度を示していたのですが、平成2年の73.31%をピークとして投票率は下落の一途をたどります。特に安倍政権となってからは60%を切り投票率の低下は歯止めがかかりません。安倍首相は長期政権と胸を張りますが、国民の半分の支持しかない内閣が日本国民を代表してすべての政策を是として良いのでしょうか。日本人の民度の低さに危機感を感じます。

  現実的な解決策として、投票しない有権者からは罰金税を徴収する、投票率が50%未満となった選挙は無効としそれに必要な税金を別途徴収する、など多少の荒業を使ってでも日本国民の民度を上げることを検討しても良いのではないでしょうか。もちろん、そんなことをしなくとも投票率が70%以上にもどり、それが当たり前になって欲しいのですが・・・。

  さて、民主社会において政治家は選挙によって市民や県民、国民に選ばれることになるのですが、この選挙が小説に描かれるとすればどのように描かれると思いますか。

  今週は、選挙の内幕を描いた小説を読んでいました。

「当確師」(真山仁著 中公文庫 2018年)

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(単行本「当確師」真山仁 amazon.co.jp)

【選挙コンサルタントとは?】

  真山さんの小説は、フィクションをリアルに描くために取材に基づいた事実が基礎となって描かれています。その小説によって描かれる対象は異なりますが、それぞれがリアリィティを持って読者に迫ってくるのは、そうした理由に拠ります。

  これまで、「ハゲタカ」から始まるゴールデン・イーグルと呼ばれる鷲津政彦を主人公とした経済小説シリーズ、中国を舞台に原子力発電所の安全性を描いた「ベイジン」、メディアの裏側を描いた「虚構の砦」、エネルギー問題を鋭く抉る「マグマ」、日本の農業問題に一石を投じた「沈黙」と多彩な小説を発表し続けている真山仁氏ですが、今回は政治をテーマにした作品です。

  氏の政治をテーマとした小説と言えば、日本の総理大臣を描いた「コラプティオ」が思い出されます。本来、政治とは権謀術策が飛び交う権力をめぐる巣窟との印象がありますが、その本質は国と国民の幸せを実現するために理想を掲げて政策を進める人物が政治を目指すことにあると思います。この小説は、日本の国の行く末を自ら切り開こうとの志を持った政治家が首相の地位に就き政治を仕切る物語です。

  真山氏は、小説のテーマに「正義」をいろいろな形で忍ばせているのですが、この小説は珍しく正義を正面から描こうとしています。しかし、権力とは魔物であり、どれほど理想を掲げようとも権力は腐敗していきます。理想を掲げた政治家が、最後にカタストロフを迎えるところで、改めてこの小説の面白さが浮き立ちました。

  その真山さんが再び政治の世界に挑んだのがこの「当確師」です。

  今回の作品の帯には、「政治版『ハゲタカ』」との文字が躍っていますが、この言葉はいたずらにベストセラーにあやかろうと書かれているわけではありません。氏は、この小説が上梓されたときのインタビューで、作品の作り方には二通りのやり方があり、ひとつはテーマから入って登場人物を配置してストーリーを創っていく方法。もうひとつは、個性豊かな主人公がいて、その主人公が動き出してストーリーが創られていくとの方法です。

  「ハゲタカ」は、後者の作品。イヌワシ(ゴールデン・イーグル)のあだ名を持つ投資ファンドの雄、鷲津政彦という個性的なキャラクターがあってあの面白い小説が出来上がったと言います。

  確かに、鷲津は登場したときから悪役を演じ続けています。しかし、内に秘めているのは「今の日本に喝を入れる。」との信念に貫かれています。自ら勝者となることによって結果として日本の伝統を救い、日本の技術立国であるステイタス企業を救い、弱者を助けます。ジャズピアノにまつわる様々なエピソードは、このシリーズの大きな魅力となっています。(ピアニストとして渡米するキャリアのはじまりが、「スパイラル」で見事に描かれています。)

  今回の「当確師」について、真山氏は、「ハゲタカ」と同様にこの小説は個性的な主人公から物語が創りだされたと述べています。その主人公の名前は、聖達磨。職業は選挙コンサルタントです。彼のモットーは、「選挙は戦争だ。」というものです。その手腕は確かなもので、彼が手がけた選挙ではクライアントが必ず勝利を収めるのです。あれ?

  法律に明るい方は、その職業が公職選挙法に抵触するのでは、と疑問に思うのではないでしょうか。確かに選挙期間中に候補者からコンサルタント料をもらえば公職選挙法違反となることは間違いありません。そこはコンサルタント業。聖達磨は、選挙候補者の公示日にはすでに仕事を完了しています。つまり、選挙の結果は候補者の公示日にはすべて決まっているということです。小説では、コンサルタントフィーに関するノウハウもキチンと語られており、リアルにコンサルタント業の内幕を語ってくれるのです。

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(2019 大阪知事・大阪市長選挙に勝利 news.livedoor)

  「当確師」とは、確実に選挙で当選させることを仕事とする選挙コンサルタントのことを言うのです。

【選挙に勝つためのノウハウ】

  真山仁氏の小説は基本的に緻密な表現力に支えられた重厚な作品です。それでも最近は、ハードボイルド、ミステリー風味の作品が発表されています。この「当確師」は、どちらかと言えば重厚な作品というよりもサスペンス風味がただようエンターテイメント系の小説となります。選挙での勝利を依頼された聖が、様々な人脈や戦略を講じることによって劣勢が明らかな候補者に逆転勝利を呼び込む醍醐味が小説を面白くしています。

  今回描かれる選挙はある都市の市長選です。

  真山氏の小説作法はすでにベテランの味がします。ピカレスク的な主人公、聖達磨という名前も、選挙コンサルタントという職業も、読者にははじめて耳にする名前です。今回、真山氏は第一章でいきなり「選挙」の現場を描写します。(以下、ネタバレあり)

  第一章の舞台は、市長選が繰り広げられている平成市です。平成市の市長選挙は現職の市長が圧倒的な強さを誇り、聖がコンサルタントを引き受けている対抗候補は票読み段階では当選が覚束ない状態で、苦戦を強いられています。対抗候補を恩師と慕っている若きボランティア関口健司は恩師の選挙戦を手伝っています。

  健司の兄は現職の市長に将来を約束されており、その権力にすり寄り、現職市長に張り付き選挙の応援要員となっています。健司はかつて事業に失敗して多大な借金にあえいだことがあり、そのときに兄に借金を肩代わりしてもらった過去がありました。そして、今回の選挙戦では兄から対抗候補側をスパイするように脅されていました。気の弱い健司は恩師の応援に本気で取り組んでいましたが、面と向かって兄に脅されるとどうしても恩師側の情報を兄に漏らしてしまいます。

  現職市長はその権力に物を言わせて市内の有力者たちをその陣営に取り込んでいます。選挙告示がなされる前にコンサルタントの聖はこの選挙に勝利を得るだけの票読みを完成させなければなりません。

  聖は健司を自らの運転手に指名して、車を預けます。そして、平成市で老舗の料亭へと車を向かわせます。その料亭で聖は、翌日に現市長側についている有力者たちとの会合について、女将と打ち合わせていました。その動きを健司から聞いた市長側は、料亭に盗聴器を仕掛けるように健司に命令します。市長側のプレッシャーに負けた健司は言われたとおりに盗聴器を仕掛けます。

  聖は、有力者たちと何を話したのか。盗聴器から聞こえてくる話は、当たり障りのない世間話ばかりです。しかし、料理が終わると聖はお客を庭園へと誘い出し、何かを離しました。その会話を聞くことはできません。すべてが終わった帰り、聖は料亭の出口で客をお送りしますが、その時に風呂敷に包んだ土産を手渡して何かを囁きました。

  聖はいったい市長側の組織票を握る有力者に何を話し、何を渡したのか。

  そして、平成市の市長選挙は聖がコンサルタントを務めた候補が大逆転で勝利し、現職候補は敗れ去りました。いったい何が起きたのか。それは、本書を読んでのお楽しみです。結果として市長側に踊らされた健司でしたが、聖は「おれは正直者がすきなんだ。」と言ってそのまま健司を運転手として雇うことにしました。そして、小説はいよいよ政令指定都市における本題の選挙へと突入していくのです。

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(2017年 横浜市長選挙に勝利した林市長)

  聖は、かつて選挙を手伝った大物衆議院議員ら呼び出されます。

  大物議員は聖に意外な仕事を依頼してきたのです。それは、1年後に行われる政令指定都市、高天市の市長選挙で2期市長を続けた鏑木次郎市長を追い落としてほしいとの依頼でした。その議員はかつて鏑木を応援し当選させた張本人です。鏑木市長は、前市長に勝利してから前市長の癒着政治を浄化し、数々の改革を行って高天市の発展に貢献してきた実績があり、市長選に出馬さえすれば圧倒的な勝利間違いなしと言われています。

  あまつさえ、その依頼には市長の対立候補さえ決まっておらず、候補者選びの段階から聖にコンサルタントを依頼したいと言うのです。果たして、聖はこの不可能とも思える依頼を引き受け、ゼロから鏑木市長に挑戦するのでしょうか。


  小説は始まりからワンダーの連続で、息を切らせぬ展開が我々を小説世界へと引き込んでいきます。高天市で最も有力な財閥である小早川一族。その当主の娘、瑞穂は市長の配偶者であり、二人の仲は睦まじいものです。さらに聖のかつての妻、三枝操が鏑木次郎の選挙コンサルタントを務めているのです。そこに高天市民の組織票を牛耳るカトリック系、仏教系の宗教団体も加わり、小説は予期せぬ展開が続いていきます。

  この小説は、政治をテーマとしていますが間違いのないエンターテイメント小説です。真山さんのファンの中には、その小説に深さを求める方もいると思いますが、この小説にはそれを求めるべきではないかもしれません。面白い小説が読みたい方は、ぜひこの本を手に取ってください。ページをめくる手がもどかしくなること間違いなしです。

  日がすっかり長くなりました。短い夜にはぜひ面白い小説をお楽しみください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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令和元年 伊豆ジオパークの絶景 その2

こんばんは。

  令和元年の初日、我々は「伊豆ジオパーク」の旅へと出発しました。1日目はあいにくの天気ではありましたが、伊豆急下田の駅からレンタカーで訪れたジオパークの名所は素晴らしく、ハプニングもありましたが感動のうちに終わりました。堂ヶ島温泉まで車を走らせて、オーシャンビューの部屋に案内され、その日は、美味しい料理に舌鼓を打ち、広い大浴場と露天風呂を備えた温泉を満喫しました。

  朝、部屋で目覚めてカーテンを開けると、部屋からは広大な海とそこに点在する三四郎島をパノラマで眺めることができます。青空が映える美しく青い海と水平線。地球の息吹を感じさせてくれる凛々しい岩肌を見せてくれる島々。昨日とは打って変わった青い空と白い雲が自然の絵画を引き立たせてくれます。

  温泉と言えば朝風呂です。

  昨夜はすでに夜も更けていて、せっかくの露天風呂も真っ暗で何も見えず、ただ波の音だけが静かに響いていました。この日の朝は青い空と白い雲。露天風呂に入ると目の前に三四郎島が点在し、青い海が水平線まで続いています。温泉のお湯加減も絶妙で、至福の時間を過ごすことが出来ました。

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(露天風呂から見える三四郎島の景色)

【三四郎島のトンボロ現象とは】

  さて、朝食を済ませてフロントで堂ヶ島での過ごし方を聴きました。

  お勧めは、堂ヶ島遊覧船で島の洞窟内に入る航路だそうですが、この日は波が高く遊覧船は欠航だとのこと。次なるプランは、「トンボロ」です。トンボロとは、イタリアの言葉で陸繋島の砂州の事を意味するとのことですが、島と島の間をつなぐ砂州が潮が引くことで現れる現象をトンボロ現象というそうです。堂ヶ島の三四郎島はこの現象が有名で、引き潮のときには砂地が現れて岸辺から島へと渡れるのです。

  この日、最も潮が引くのは午前1016分。その前後1時間くらいが砂州の現れる時間だということでした。ただ、引き潮時の潮位は季節によって変わるため、この日にどの程度の砂州になるかは微妙なところだそうです。トンボロ現象がみられるのは、堂ヶ島の瀬浜海岸でこの海岸は堂ヶ島温泉ホテルの敷地に面しており、宿からは歩いて15分ほどのところにあります。

  我々は、930にチェックアウト。車を宿に預けて瀬浜海岸に向かいました。道路を下っていく間も右手には三四郎島と海の景色が続いています。天気は上々。船が欠航となったのが不思議なくらいです。昨日までは、薄手のセーターが欲しい天候でしたが、今日は上着もいらない天候です。

  堂ヶ島温泉ホテルの脇をさらに降りていくと、いよいよ瀬浜海岸へと繋がります。浜は岸辺が石で覆われていて海水浴には向きませんが、はるか先には水平線が続いて、手前には島々が、そして象島にむかって砂地が続いており、左右から波に洗われています。天気が良いこともあり、海岸はたくさんの人でにぎわっていました。島への道が現れると言うと、モーセの十戎を思い出す人がいるかもしれませんが、こちらは海が割れるわけではありません。

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(象島へと続くトンボロの砂州)

  かなり広い砂州が島に向かって伸びています。確かに波はたゆたうように道を洗っているので、はだしでひざ上までパンツを上げれば島に渡ることは出来そうです。トンボロ現象を味わおうと、多くの親子連れがはだしになって砂州を渡っていました。我々は、昨日の恵比寿島でのトラウマがあり、波に洗われている砂州を渡る勇気がでません。もう少し潮が引けば、と思い、最大の引き潮である1016分を待ちます。

  時刻は1016分を回りました。残念ながら島への道は波に洗われたままで、完全な砂州はついに現れませんでした。島には渡ることは叶いませんでしたが、三四郎島の景観や海岸の周囲にそびえる奇岩たちは荘厳な姿を見せていて、ジオパークの雄大さを十二分に味わうことが出来ました。遊覧船とトンボロ現象はまた次回のお楽しみです。

【黄金崎のはるかなる絶景】

  さて、宿に戻り預けていた車を受け取りました。その旨を告げると、驚いたことに、フロントマンが鍵を手に駐車場に向かい玄関まで車を運んでくると、数人のフロントマンがやってきて車を拭いてくれるではありませんか。さらに車を掃除してくれている間、玄関わきで風に当たっていると、「お写真をお撮りしましょうか。」と声をかけてもらいました。二人で並んでの写真はなかなか取れないので、写真をお願いし、旅の記念を残すことが出来ました。

  さらに車に乗り込んで宿を後にすると、フロントマンの二人が深々とお辞儀をした後に車が見えなくなるまで両手を高く上げて振り続けてくれるのです。宿のサービスには様々あるわけですが、この宿は心からおもてなしします、との気持ちが表れていて、人は心持が大切だと改めて感じました。

  車は、136号線を北上し、この旅の所期の目的であった「黄金崎」をめざします。天気は上々、上り坂を走ると車は長いトンネルへと進みます。トンネルを抜けると、左に黄金崎クリスタルパークが現れます。ここは、ガラス工芸の美術館であり大きな駐車場を備えています。観光バスも駐車できます。

  このパークの手前の道を左折すると、道は「黄金崎」へと向かいます。まず見えてくるのは有料駐車場の表示。11000円と書かれています。この日は車も少なく、駐車場もガラガラだったので、そこを無視して「黄金崎」に向かいます。すると、坂を上った先に「黄金崎」がありました。確かに駐車場は少なく、12台ほどしか止めることができません。ラッキーなことに1台がすぐに出発し、そこに駐車することが出来ました。

  この地は三島由紀夫の小説「獣の戯れ」の舞台となった場所で、そこには三島由紀夫の碑が建っています。そこで記念撮影をしてから展望台へと向かうと、展望台に上がる木製の階段から黄金崎の絶景が飛び込んできました。そのアーチ型の断崖は、海に向かって切り立っていて、その姿はモネの描いたエトルタの風景をほうふつとさせるものでした。アーチ型の岩間に砕け散る白い波しぶきは、まるで生きているようにその大きさと勢いを変えて打ち寄せます。しばし、時間を忘れて見とれました。

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(エトルタを思わせる「黄金崎」馬ロック)

  展望台には、「黄金崎」の写真の横に「馬ロック」と書かれています。確かに「黄金崎」の形は馬の背にみえて、絶妙な命名に思わずうなります。展望台からは馬ロックの対岸の断崖の波のような地形をみることができ、別の絶景も楽しめます。そして、展望台を降りると黄金崎の横を通る道へと進んでくことになります。その道は、絶景の撮影スポットで三脚を持った一眼レフの写真マニアが打ち寄せる波を撮影していました。

  この道は、横から馬ロックを見る角度となる場所があり、柵の横に馬の手綱を引く格好をして立つとまるで馬ロックに乗っているような写真が撮影できます。連れ合いは、みごと馬ロックに騎乗していました。

  黄金崎の断崖に下りることができないのが残念でしたが、その道は馬ロックの脇を通り黄金崎の裏側に抜けるように続いています。15分ほど進んでいくと木製の高い階段が現れて眼下に絶壁を見ることができます。階段を上がっていくと日の入りの場所を示す標識が展望台に現れます。さらに階段は続き、その上は「富士見の丘」と呼ばれる展望スペースになっています。

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(「富士見の丘」への階段から見た絶景)

  遥かなる海原に半島が峰となり、その峰に浮かんだはるかな富士はまさに絶景です。

【石廊崎は波高し】

  念願の「黄金崎」の絶景を満喫した我々は、これ以上北上するのを控えて帰りの駅である伊豆急下田に向かう道を引き返すことにしました。

  実は、昨日伊豆急下田駅の観光案内所でジオパークの情報を聴き込んだ時に1枚のチラシを手に入れていました。それは、「石廊崎オーシャンパーク」です。この施設は先月、41日にオープンした施設で、中では伊豆ジオパークの紹介がなされていると書かれていました。石廊崎と言えば灯台ですが、石廊崎はちょうど136号線で伊豆急下田へと向かう途中にあるのでそこをめざすことにしたのです。

  136号線は昨日の夕方に悪天候の中進んできた道路ですが、この日は晴天でまるで別の道路のような光景を味わいました。道は相変わらずのつづら折りで高低差とカーブは激しいのですが、車窓から眺められる景色は海沿いの遠景が素晴らしいものです。その屹立する断崖とはるかに遠い海の光景は、変幻自在に表れては隠れ、美しい風家を見せてくれます。あまりにきれいなので、途中の駐車場に車を止めてしばし写真撮影に興じました。

  そうして走る事小1時間、車は「石廊崎オーシャンパーク」に到着しました。ここでも駐車場は有料で、金額は500円です。さすがにオープンから1カ月の施設は真新しく、駐車場も建物も新鮮です。「パーク」では、石廊崎の灯台と石室神社へのウォーキングツアーがありますが、この日はすでに終了していました。建物内には、ジオの説明ブース、お土産店、軽食レストランがあり、灯台と石室神社への中継点となっています。

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(石廊崎灯台から見える波しぶき)

  せっかくここまで足を延ばしたので、もうひと歩き灯台に向かいます。石廊崎は、伊豆半島の突端となっており、左右に断崖と海を堪能することができます。「パーク」からは左側の切り立った断崖と寄せうつ波を見ることができます。灯台への道はよく整備されていて舗装道路が続きます。灯台へは10分も可からずに到着、その意外な小ささに驚きます。

  それもそのはず、この灯台は日本で唯一の木造2階建ての灯台だそうです。

  灯台の横の高台に上がると、目の前に幌がる絶景に目を見張ります。午後になって風が強くなり、午前の遊覧船の欠航も無辺なるかなと思われます。左右に広がる海原と水平線。そして、そこに横たわる絶壁と島。あらためて伊豆半島が火山と大陸プレートの移動によって形作られたのだと感動します。

  灯台の右側は、半島の反対側に当たります。こちらにははるかに太平洋が横たわります。下を見ると陸地の岸壁が横たわっており、その間に白波が打ち下ろされて大きな音を立てて砕けていきます。下を見ると高いところが大好きな私でも足がすくむ思いがします。遥か遠い水平線と足元の激しい息吹。いつまで見ていても飽きることがありません。

  その半島の突端に石室神社がましましています。

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(石室神社から見える先端の岩室)

  突端に近づくに従って道は狭くなり、人と人がすれ違えない狭さとなります。風は徐々に強くなり、写真を撮るスマホが飛ばされそうになります。風景はさらにはるかになり、目の前に木製の階段が現れ、その狭い階段を上る人と下る人が譲り合いながら通ることになります。ゆっくりと階段をさがりきったところには神主さんがいました。連れ合いは「令和元年」の御朱印をもらって大感激。私はおみくじで大吉を引き当てて狂喜乱舞です。

  そして、その小さな社務所から先がまさに石室神社のご本体です。先端の岩を登っていくと石畳があり、そこに小さな木造の祠がおかれていました。思わず拝んで大吉のおみくじを祠の扉にくくりつけます。祠から振り向けば、そこははるかなる太平洋が横たわっています。視界はすべて海です。その壮大さに息をのむようでした。

  この大自然に抱かれた半島の突端に神様がましますことに首肯です。


  こうして令和元日からの伊豆ジオパークの旅は大円団を迎えました。地球の息吹を随所に感じて、何度も心からの感動を味わうことが出来ました。数億年にまたがる地球の営みと限られた人の生涯。皆さんは、そこにどんな意味を見出すでしょうか。私は、地球に生きる意味を感じました。

  皆さんも機会があれば、是非ともジオの素晴らしさを味わってください。明日を生きる勇気が湧いてきます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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令和元年 伊豆ジオパークの絶景 その1

こんばんは。

  全国的に10連休となった今年のゴールデンウィークも瞬く間に終わり、日常の暮らしが戻ってきました。今年の5月は、新しい年の始まりとなりましたが、皆さんは「令和元年」をどこで迎えたでしょうか。私は、静岡県の西伊豆で令和初日を過ごしました。

【新しい伊豆の魅力とは?】

  ゴールデンウィーク。いつもは、高いお金をかけて人ごみの中へと移動するのは抵抗があり、家でおとなしくしていることに決めているのですが、今年は例年とは違うパターンとなりました。というのも、今回は最近JR東日本が行っているキャンペーンに反応してしまったのが事の始まりでした。

  それは、「大人の休日倶楽部」のキャンペーンでした。イメージキャラクターは、大人の休日にふさわしい吉永小百合さんです。今年は「伊豆半島ジオパーク編」と題して西伊豆の海岸沿いに点在する岸壁の絶景を特集しました。小百合さんが訪れるジオパークは、海と絶壁が織りなす地球規模の命の鼓動そのものです。テレビのコマーシャルからも駅のポスターからもその絶景が目に飛び込んできます。

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(大人の休日倶楽部ポスター jreast.co.jp)

  このポスターを見て思い出したのは、クロード・モネの描いた「エトルタ」です。エトルタは、フランスノルマンディー地方の海岸で、石灰質の断崖が続く海岸でモネをはじめとして印象派の画家たちがこぞって描いた光景でした。また、この海岸の先端には針の岩と呼ばれる塔のような岩がたっており、針岩はアルセーヌ・ルパンの「奇岩城」の舞台となったのです。モネの「エトルタ」には、何枚ものスケッチがあり、針岩が描かれたもののあれば、断崖が描かれたものもあります。

  私が美術展で観た「エトルタ」は、アーチ型の岩石が海に佇んで美しい景色を形作っていました。その画は、まさに今回のポスターで吉永小百合さんが佇んでいた伊豆ジオパークの断崖と全く同じ景色だったのです。エトルタに行くことはかなわないのですが、伊豆ならば行くことができる。こうして、今年のゴールデンウィークには伊豆に行くことと相なったのでした。

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(モネ「エトルタ」 wikipediaより)

  しかし、伊豆のエトルタはどこにあるのか。

  まずは、吉永小百合さんのCMのロケ地はどこだったのか。それを検索するところから計画は始まります。伊豆ジオパークは、西伊豆の様々な場所に散在しており、特定することは容易ではありません。どうやらその断崖の上部は馬の背のかたちをしており、馬ロックと呼ばれているようだ、との情報からその場所は「黄金崎」ではないか、とあたりを付けました。

  「黄金崎」の場所は、西伊豆の堂ヶ島温泉と土肥温泉の間に位置する宇久須という地区にあります。どうやらそこに行くにはバスか車しか足がないようです。バスでは時間が決まっており、待ち時間が長くなります。すると、足はレンタカー。であれば、堂ヶ島温泉に泊まるのが良いようです。

  堂ヶ島温泉には三四郎島があり、見る角度によって島が3つにも4つにも見えるとのことでした。さすがに還暦を迎えて埼玉県から車で行くのは無謀に思え、電車で伊豆急下田に向かい、レンタカーを借りて堂ヶ島温泉に行くのが得策との結論に至りました。であれば、結局JR東日本のビューカードを利用して予約するのが良いとのことで、そのセットで無事予約に至ったのでした。

【いざ、日本のエトルタに出発】

  5月1日、令和の幕開けとともに私と連れ合いは二人で、踊り子号に乗って一路伊豆急下田を目指しました。踊り子号は900東京発、伊豆急下田1146着の臨時特急105号。この日の予報は、午前中は曇りで午後は雨。車窓から見える景色には晴れ間も見えて、旅行日和となりました。臨時列車だけあって、車両は昭和の香りがプンプンするなつかしさで、トイレはなんと和式。さすがにこれは改善してほしい。連れ合いは、グリーン車のトイレに緊急避難して、洋式があったのでホッとしていました。

  伊豆急下田は、駅前にペリーの黒船が停泊していて、黒船饅頭がある歴史の街です。我々の目的はジオパークなので、駅の観光案内にてどこがジオパークなのかを確認しに行きました。エトルタにそっくりの場所ですが、私は堂ヶ島の先の「黄金崎」を想定していたのですが、連れ合いが調べてくれたところどうやらそこは下田近くの「龍宮窟」らしいというのです。半信半疑でしたが、観光案内で確認すると担当の女性は丁寧に地図を出して解説してくれました。

  下田から行けるジオパークは、「爪木崎」、「恵比寿島」、「龍宮窟」の3か所でした。心配だったのは駐車場です。お姉さん曰く「爪木崎」は有料駐車場があり安心ですが、「恵比寿島」は4台程度、「龍宮窟」には10台程度の駐車場しかないので、駐車場待ちの車で道路が大渋滞するというのです。バスはと言えば、1時間に12本。「不便ですね~。」というと、「以前には一日1本だったので便利になったんですよ~。」だそうです。ジオパークを目玉にするならば、市をあげて駐車場くらいは整備してお客様をお迎えしてはいかがでしょうか。

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(爪木﨑の壮大な柱状節理に感動)

  さて、まずは3か所巡りです。この日は天気が優れず、「爪木崎」を出るころから空から雨が落ち始めましたが、これがラッキーで駐車場のないジオパークに人が少なく、駐車場が止め放題だったことです。「爪木崎」では、海岸線に入るところに有料駐車場があり、おじさんが車を止めて500円を徴収されました。

  「この先は?」と質問すると「行き止まりだよ。」との答え。選択の余地はないのかとあきらめて500円を支払うと、中から目つきの鋭い茶色の猫がのっそりと姿を見せます。そのブチさ加減がとてもカワイク、この猫のエサ台ならしょうがないかと納得です。しかし、海岸に向かって丘を下っていくと、海岸沿いには別に駐車スペースがあってそこには無料で止まられるのです。やられた!

  しかし、爪木崎から見る断崖の奇岩は素晴らしい。そこには、柱状節理と呼ばれる5角形の岩の柱が無数に立ち上がっていて、岩の群れを形成しているのです。タモリさんが見たら泣いて喜ぶような地形が広大な海を背景に繰り広げられているのです。また、入り口から灯台まで、いくつものハートが恋人たちの撮影用に用意されていて、太平洋を見下ろす撮影スポットが用意されていました。

  その絶景は言葉通りのジオパークで、地球の息吹を味わうことができました。

  我々は、爪木崎でお弁当を食べてから次のジオへと出発します。少し下田駅の方の戻り南下していくと、次の目的地「恵比寿島」に到着です。「恵比寿島」は、ガイドにも載らない1km四方にも満たない小さな岩山ですが、四方を海に囲まれていて海を眺めながら島を1周することができ絶景が味わえます。

  生憎の天気でしたが、4台しかない駐車場は、ラッキーなことにガラガラで車はすぐに止めることができました。ほとんどだれもいなかったので、我々二人は傘を差しつつ、橋を渡って島に着き、1周しようと島周りの遊歩道を歩き始めたのです。

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(誰もいない恵比寿島は独り占め)

  そこに恐ろしい出来事が待っていようとは想像もできませんでした。

  我々は島に巡らされた海を見渡すことができる狭い舗装路を断崖の写真を撮りながらゆっくりと歩いていました。周囲にはだれもおらず、島の南側に差し掛かり外海に出てしばらくすると、突然波が襲ってきたのです。大きな波が一閃すると目の前の道は波の下に消えてしまい、引いていく波が1.5m程度の道を洗っていくのです。

  大きな波が来れば、足を取られて海に引き込まれてしまいそうです。汐が満ちていたのでしょう。波はひと波ごとに大きくなり、前も後ろも波間に消えています。このまま進めば、道路は海の下に消えてしまいそうです。我々は意を決してもと来た道を戻ることにしました。このときに私は波間の間隔を読み間違えて、膝から下に大きな波しぶきを浴びてしまいました。靴の中もビッチョリ。

  恵比寿島は小高い山になっており、頂には恵比寿神社があります。神社を超えると島の反対側に出ることができ、そこから見える外海と断崖は絶景でした。少し回って、先ほど波に消えた道の方を見てみると、島沿いの道は大きな波に洗われていて、改めて先ほどの恐怖がよみがえりました。道には「落石注意」の看板はありましたが、「満潮時、波に注意」との標識も必要だと、心から思いました。

  「恵比寿島」から伊豆急下田駅に戻ってから車で15分程度のところに「龍宮窟」があります。駐車場が少なく渋滞すると言われていましたが、午後4時に近かったことと、雨だったことが幸いして駐車場にはすんなり止めることができました。

  「龍宮窟」の景色はすばらしいものでした。

  ぬかるんだ山道には閉口しましたが、小高い丘の上に上がると展望台からは天空の穴から断崖を潜り抜けて岸に寄せるやわらかい波を見ることができます。そして、その穴はみごとなハート型をあらわしているのです。それは心に響く景色でした。丘を一周して駐車場に戻ると、脇には龍宮窟に降りる石の階段が設置されています。階段を下りるとそこには、先ほど上から眺めた龍宮窟を見上げることができます。

ジオパーク04.JPG

(上から見るとハートが現れる「龍宮窟」)

  その岸辺から目を落すと、正面には大きくアーチ型にくりぬかれた断崖が迫ってきて、その向こうに海原が見えます。この場所こそ、ジオパークのポスターに写された場所だったのです。エトルタの景色に比べると小ぶりな風景ではありますが、真近に見るその形と岩肌はまさに自然の息吹と海とを感じさせられるジオそのものでした。

ジオパーク05.JPG

(「龍宮窟」はまさに日本のエトルタ?)

【タイヤよあれが松崎の灯だ】

  さて、「龍宮窟」の景色に魅せられて、時刻は1700近くになってしまいました。今日の宿がある堂ヶ島温泉までは、小1時間はかかります。ナビで見ると、一度下田方向に戻って半島の中を突っ切る道が近いと出ます。せっかく海岸にいるので、ルート検索で海岸沿いの道を探し、そちらで堂ヶ島に向かうことにしました。こちらの道は15分ほど遠いのですが、湘南道のイメージでは海沿いの道が綺麗ではないかと期待したのです。

  ところが、これは大きな誤算でした。確かに海沿いの道ではありのですが、西伊豆の海岸線はほとんどが切り立った崖であり、国道136号線はその崖のうえを行く道だったのです。しかも道路の高低差は半端ではなく、道はほとんど日光いろは坂のようなつづれ折りの国道です。しかも山の天気は変わり易く、つづれ折りのカーブに加えて道は濃いもやが降りてきて、視界が良くありません。

  海岸沿いの道路のはずですが、なぜか周囲は崖と木々にかこまれていて上り下りの激しい連続カーブに必死にハンドルを握ります。まるで山の中を走るような風景が続き、ナビを見ると、そろそろ左側に海岸線が見えてくるはずです。しかし、つづら折りの道に余裕がないことと雨のために視界が悪いことが重なり、景色を見る余裕は全くありませんでした。そうこうするうちに、車は松崎という港へと差し掛かり、断崖を抜けて街並みが見えてきました。

  車の数も増え、信号も見えてきて乗り合いバスも走っています。信号とバスを見てこんなにホッとしたのは久しぶりでした。

  堂ヶ島温泉は三四郎島を望む温泉地で、入り江にいくつもの旅館やホテルが立ち並んでいます。今回宿泊したのは、南側に位置する「堂ヶ島 ニュー銀水」です。宿の入り口に車が入ると玄関には多くの従業員の方が出迎えに出ていてくれて、丁寧に案内をしてくれます。宿のつくりは面白く、フロントがあるのは7階。真ん中には、ガラス張りの吹抜けがはるかに上下に貫かれており、フロントの奥は入り江に面していて、大きな全面窓から美しい三四郎島が海に浮かんでいるのが見えます。

  夕飯のはし袋に書かれた「令和元年おめでとうございます。」の文字が嬉しく思えました。

  さて、宿に着いたところで紙面が尽きました。明日は天気の上々だそうです。この続きは、また次回にお送りいたします。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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「令和元年」から明るい未来へ

こんばんは。

  いよいよ日本に「令和」の時代がやってきました。

  「令和」には、日本の人口減少、超高齢化社会、労働人口の減少など、克服すべき課題がたくさんあります。一方で、こうした課題はすでに認識されており我々は官民を挙げて対応していかなければなりません。

  ポイントは二つ。一つは2045年にはシンギュラリティを迎えると言われているAIの爆発的進化です。

  AIは、ディープラーニングによる自らの進化とシナプスに当たるネットワークの進化の相乗効果によって、すでに人間の脳を凌駕しつつあります。AIの発展には楽観論と悲観論が混在しています。悲観論の筆頭は、現在人間が担っている労働がAIにとってかわられることによって、我々の仕事がなくなり収入の道が閉ざされるのではないかとの脅威です。

  しかし、日本に代表されるように少子化による労働人口の減少は日本経済そのものの進化を阻みます。ここで、解決の糸口となるのは外国人労働者とAIです。もちろん高齢者の労働力や女性の仕事の拡充も重要ですが、AIも含めた労働力確保の仕組みを新たに創造し、日本の福祉制度を変革することで、北欧やベネルクス国のような幸福度の高い社会を作り上げることが可能なのではないでしょうか。

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(幸福度NO.1 フィンランドの首都 tabinaka.co.jp)

  基本的に楽観論になってしまいますが、AIはあくまでの人間がオペレイトする手段であり、人間が愚かであれば悪魔の機械となりますが、我々の良心と共生の精神がはぐくまれさえすれば、AIは我々の幸福な道具になるに違いありません。シンギュラリティを超えたAIも良心と共生の精神に目覚めるのです。

  「令和」に意識すべきもう一つのポイントは、日本のさらなるグローバル化です。

  日本は、昭和の時代に高度成長を成し遂げて、アジアの国々の中ではいち早くGDP(国内総生産)で世界第2位となりました。その経済力から日本は国際社会において、ものごとを金で解決してきたと言っても言い過ぎではありません。国連への出資金や政府開発援助はトップクラスであり、世界の国々に貢献してきました。もちろん、こうした姿勢は1989年の湾岸戦争の時のように「日本は金だけ出して人は出さない。」との国際的な批判を浴びてきました。それでも日本マネーが世界に貢献してきたことは誇りに思うべきことでした。

  しかし、中国がGDPで世界第2位に躍進するや、中国は「一帯一路」をスローガンにシルクロードの周辺国に大きな援助を行います。中国は、資金とともに中国人労働力と開発に必要な資材をすべて提供し、援助金をすべて自分たちの国内成長につなげるという新たなモデルを作り出したのです。

  日本は、江戸時代には世界で有数な文化経済都市「エド」を作り出し、日本独自の平和と持続可能な社会を生きていましたが、欧米社会の軍事化に目を開かれて、明治維新以来、軍拡競争によって欧米社会に追いつこうとすべてを欧米風に改革してきました。そして、勤勉な日本人は世界でもその力を示しましたが、欧米のルールの下ではアジアの片隅の国として生き抜くことができませんでした。

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(歌川広重「永代橋深川新地」の図)

  そして、力対力による国際社会での勝ち残り思想は、日本を誤った方向へと誘導していきます。日本は、国民を挙げて不幸な世界へと突入していき、結果としてアジア世界を敵にまわし、アメリカの沖縄上陸を招き、2つの原子爆弾の投下までもを誘引し壊滅的被害をこうむることになりました。日本では、憲法改正論議がかまびすしくなされていますが、すでに20163月に施行された安全保障関連法案によって憲法解釈は集団的自衛権の考え方が大きく変更され、すでに解釈上の改憲が行われたと言ってもよい状態です。

  政府は、国際社会の抑止力を盾として自衛権解釈を梃に憲法改正を是としていますが、国際社会においては必ず作用反作用の法則が動き出すことは間違いありません。これは、まさに明治以来進んでいた富国強兵政策による国際社会での地位創出方針となんら変わるところはありません。

  昨年の5月、マレーシアの総選挙において93歳となるマハティール氏が首相に返り咲きを果たしました。軍事政権によって支配された国のリーダーとなり、その年齢からは想像もできないパワーを発揮しています。国内では前政権の汚職政治を告発し自国の浄化を図り、国際的にも自らの信念に基づいた平和外交を繰り広げています。大国となった中国にも訪問し、言いなりの投資を受け入れるのではなく、条件を白紙へと戻し、マレーシアの国益の即した投資を引き出すことに成功しています。

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(インタビューを受けるマハティール首相 asahi.com)

  マハティール氏は、日本の憲法第9条を高く評価しており、国際間の問題はすべて粘り強い話し合いによって解決できると力強よく語っています。お互いの立場を十二分に理解すれば、必ず両国にとって利益のある合意を形成できる、との言葉はこれまでの氏の実績を見ると、本当に説得力のあるものです。日本も深い相互理解とウィンウィンの関係を築くことで、豊かな人材交流と相互の経済発展を築き、東アジアで共存すべきとの存在感を確立することができると信じています。日本が目指すべきグローバル化は、数千年にわたって培ってきた日本の持つ日本独自の文化によって成し遂げられるべきだと強く思います。


  いよいよ「令和」も本格稼働を迎えます。すべての人々と一緒に明るい日本と明るい世界を創造していきたいものです。皆さん、明るい未来に元気で臨みましょう。

  今回は「令和」新天皇ご即位記念の日記となりました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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