映画はドキュメンタリーが面白い!

こんばんは。

  新型コロナウィルスは、我々人類に様々な試練を与えています。

  元官房長官であった菅さんが総理大臣となった要因にも、新型ウィルス感染症への対応とそのため冷え込んでしまった経済活動再開の両立という課題が横たわっていることが挙げられます。近年の政治家は2世、3世が幅を利かせており、本当に我々国民のことを身に染みて感じている政治家はなかなか表舞台に出てくることがありません。

  そうした意味で、秋田の農家出身で多くの苦労と努力の末に総理大臣となった菅氏の政策には大いに期待が持てます。一国のトップとしてその外交手腕に不安を感じることはありますが、安倍政権の前は、半年ごとに総理大臣が変わってきたわけですから、それに比べれば7年間安倍政権の外交姿勢を経験してきた菅さんならば、外交も無難にこなすに違いありません。

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(菅 新内閣発足 asahi.com)

  今、一番心配なのは財政問題です。消費税を10%としてもなお財政再建はめどがつかない中、経済活動の維持を最大のテーマとしてコロナ対策のために何兆円もの借金で日本を救おうとしています。もちろん、優先すべきはコロナ対策と経済の再生ですが、そこに費やす税金がすべて借金というのはいかがなものかと思います。

  あまつさえ、来年度の概算要求では、これまで予算を抑えるために先送りされてきた政策を、コロナ対策の名のもとにここぞとばかりラベルを張り替えて提出する各省庁の姿勢には、本来日本の未来を憂うべき政治家と官僚のメンタリティがいかに低いかを物語っている気がしてなりません。

  コロナ対策はコロナ対策、財政規律は財政規律と、「省益を忘れ、国益を思え。」という故後藤田さんの言葉は今こそ思い出されるべきだと強く思います。

  さて、思わず話が政治の話に行ってしまいましたが、コロナ対策と言えば、「映画」も最も大きな被害を受けた業界のひとつです。考えてみれば、ライブの最後も2月でしたが、映画館に最後に足を運んだのも2月でした。

  そして、先月、半年ぶりに映画館に足を運んだのです。久しぶりの映画は本当に面白かった。

【ハリウッド映画の音響はこうして生まれた】

  先月ですが、例の王様のブランチの映画コーナーを見ているとシアター映画の特集をやっていました。そこで紹介されていたのが、「ようこそ映画音響の世界へ」という一作でした。その紹介では、「スター・ウォーズ」のチューバッカやR22の声?や「トップ・ガン」のジェット機音がどのように創られたのか、クイズ形式で語られていましたが、その音響がライオンやサルの声を多重録音したものだったというのは驚きでした。

  たしかに近年のハリウッド映画では、あらゆる映画に音響が大活躍しています。「スター・ウォーズ」フリークとしては、映画の音響の秘密を描いたこの作品を見逃すわけにはいきません。上映館を探すと、勤務先である新宿のシネマカリテで上映していました。(今日現在、まだ上映中です。)土日は混むようなので、仕事を休んで見に行くことにしました。

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(「ようこそ映画音響の世界へ」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「ようこそ映画音響の世界へ」(2019年米・94分)

 (原題:「Making Waves」)

・スタッフ  監督:ミッジ・スコティン

        脚本:ボベット・バスター

・キャスト  ウォルター・マーチ ベン・ハート

       ゲイリー・ライドストローム

       ジョージ・ルーカス アン・リー

       スティーブン・スピルバーグ

       デヴィッド・リンチ 

(以下、ネタばれありです。)

  さて、映画はその歴史から語られていきます。音の録音は発明王エジソンの手で発明されましたが、エジソンの夢は、人が動く映像に同時に音をつけることでした。しかし、その技術は実用化されることなく、映画は音声のないトーキーの時代からはじまったのです。劇場では、オーケストラや役者、弁士などを使って映画の上映時に生音をつけることによって映画を楽しんでいたのです。そこに革命が起きたのは、フィルムの横に音の波を記録するサウンドトラックの発明でした。

  映画に音が組み込まれて以来、音響がどのような歴史をだどってきたのか。

  映画は、その音響に革命を起こしてきた人々へのインタビューで。めくるめくような映画の音響世界を我々に語ってくれるのです。

  映画の音響は、「VOICE(声)」「SOUND EFFECT(効果音)」「MUSIC(音楽)」と大きく3つのジャンルに分かれますが、それぞれの分野でおきた革命的なできごとが語られていきます。

  本作で革命を起こした映画として語られる作品を挙げてみると、特撮映画の草分け「キングコング」(1933年)、オーソン・ウェルズの名作「市民ケーン」(1941年)、ヒッチコック監督の名作「鳥」(1963年)、コッポラ監督のアカデミー賞受賞作「ゴッドファーザー」(1972年)、バーブラ・ストライザンド主演の名作「スター誕生」(1976年)、ジョージ・ルーカスの大ヒット作「スター・ウォーズ」(1977年)、当時いち早くベトナム戦争を題材とした「地獄の黙示録」(1979年)などなど、197年代までの歴史はまさに音響革命が次々と起きた奇跡の時代でした。

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(映画「地獄の黙示録」ポスター)

【コッポラとルーカスが作った会社?】

  それぞれのエピソードがワンダーで、本当に面白いのですが、何と言っても最も盛り上がったのはコッポラ、ルーカス、スピルバーグによる「音」へのこだわりです。映画の音響について、3度のアカデミー賞を受賞した巨匠アン・リー監督は、「映画は映像と音に2つでできている。」と語っていますが、映画の中で、ルーカスは、「音は感情を伝える。映画体験の半分は音だ。」と語り、スピルバーグは、「音が瞬間を永遠にする。」と語っています。

  実は、この映画で初めて知った事実があります。それは、コップラとルーカスが映画に対する夢を実現するために映画スタジオを設立していたという事実です。その会社の名は、アメリカン・ゾエトロープ社と言います。若きコッポラとルーカスは、自らの夢をかなえる映画制作の場としてこの会社を設立しました。しかし、会社はルーカスのデビュー作品であるあまりに実験的な作品がヒットせず、破産の危機に見舞われます。しかい、設立にかかわったメンバーの中に「音響部門」を手掛けるウォルター・マーチがいたのです。

  彼が手掛けた作品がコッポラの大ヒット作「地獄の黙示録」でした。映画では、「地獄の黙示録」の音響がどのように作られていたのか、マーチ自らがぁ立ってくれており、ここが映画音響のひとつの分岐点となりました。現在では当たり前のように使われている5.1サラウンドシステムが初めて採用されたのもこの作品だったのです。この作品のおかげで、ゾエトロープ社は破産を免れたと語られています。

  ルーカスは「スター・ウォーズ」を企画したときに音響は、ウォルター・マーチを希望し指名しました。しかし、彼はコッポラ作品を一手に任されており、他の作品を引き受ける時間がありませんでした。そして、マーチは一人のプロフェッショナルな若者をルーカスに紹介します。それが、のちにこの作品でアカデミー賞を受賞する音響デザイナーのベン・バートです。

  映画では、ルーカスとバートが「スター・ウォーズ」の音響をどのように創っていったか、インタビューで明らかにしていきます。

  ルーカスが音響のためにバートをスカウトしたのは、映画の撮影が始まる1年も前のことでした。それほどルーカスは音響の重要さを認識していたのです。確かに「スター・ウォーズ」では、印象に残る音響が数え切れないほど盛り込まれています。ライトセーバーの震えるような電子音、宇宙人たちの話声、ワープの時のエンジン音、R22の機械音、そしてチューバッカの雄たけび、ありとあらゆる音響が「スター・ウォーズ」の世界を彩っているのです。

  そうした数々の音響がいかに作られたか、ルーカスとバートは我々に語ってくれるのです。

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(ルーカス「映画音響」を語る screenonline.jp)

  一つご紹介すると、バートは当時チューバッカの声を作るのに世界中のあらゆる動物たちの声を録音し続けたそうです。どの声を聴いてもルーカスとバートのもつチューバッカのイメージには重なりません。録音の泰美を続けること約1年、バートはその声と出会います。あのチューイの声は・・・。それは映画を見てのお楽しみです。

【音響革命は続いていく】

  新たな音響の世界へと足を踏み入れたハリウッド。

  映画の後半は、1980年代から現代までの「声」「効果音」「音楽」におけるめくるめくような革命の数々を、それを手掛けた監督や音響デザイナーたちが語っていきます。

  ここで新たな音響デザイナーとして登場するのがルーカスフィルムで働いていたゲイリー・ライドストロームです。彼が手掛けた映画を聴けばその音響のすばらしさに驚くに違いありません。「ターミネーター」「ターミネーター2」「バックドラフト」「ジュラシック・パーク」「タイタニック」「プライベート・ライアン」「トイ・ストーリー」「ファイティング・ニモ」などなど、とにかく参画した映画は枚挙にいとまがありません。

  映画のオープニングで語られていたのは、「プライベート・ライアン」で描かれたノルマンディー上陸作戦の戦場を経験した主人公の映像とそこで使われた音響効果です。その音響の使い方を監督であるスピルバーグが語ってくれます。それは、まるで観客が線上にいるような錯覚を覚える銃弾、砲撃、爆弾、機関銃の音、音、音の嵐です。それは、決して音の大きさだけではなく、一つ一つの音が、独立して鮮明に聞こえること、映像とともに音響がサラウンドし、流れていくことへのワンダーなのです。

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(スピルバーグ「映画音響」を語る benger.jp)

  ライドストロームは、「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」に続いてこの「プライベート・ライアン」で3度目のアカデミー賞のダブル受賞(音響効果賞・録音賞)に輝いているのです。映画では、彼が少年のころからいかにして音響に興味を持ち、あらゆる音の挑戦に身を投じてきたかが語られていきます。

  さらに紹介される音響の世界は、「マトリックス」(1999年)、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(2003)、「インセプション」(2010年)、「アルゴ」(2012年)、「ワンダー・ウーマン」(2017年)、「ブラック・パンサー」(2018年)、「ROMA/ローマ」(2018年)と現代まで続く音響の革命を語り続けてくれます。


  この映画は、これまで我々が感動してきた映画の中で音響が創りだしてきた、映像と双璧を成す音が果たしてきた役割を教えてくれるのです。

  本当に面白いドキュメンタリー作品でした。まだ見ていないあなた。映画に興味があるのならぜひご覧ください。これから味わう映画の感動が倍増するに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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辻惟雄 よみがえる天才 伊藤若冲

こんばんは。

  美術史家の辻惟雄(のぶお)さんが1935年生まれと知って驚きました。

  時のたつのは早いもので、「生誕300年記念 若冲」と題された展覧会を東京都美術館で鑑賞し、そのあまりにも精緻な絵画に心から感動したのは2016年のことでした。

  辻惟雄さんは、そのときの図録の巻頭に「『若冲』という不思議な現象」という一文を寄せて、その人生の軌跡と主要な作品の美術的な意味を解説していました。当時すでに80歳を超えていらっしゃったわけです。

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(「若冲展」チラシ heritager.com)

  若冲の名は知っていましたが、その絵に初めて触れて、江戸時代にここまで緻密な色彩と現代的なデザインを描き印した画家が日本に存在していたこと自体が驚きでした。それよりも、その筆致のすばらしさと構図の斬新さに感動し、ことあるごとに図録を見返してはその感動を思い起こしていたのです。

  先日、本屋さんを歩いていると新書の棚に「よみがえる天才1 伊藤若冲」との題名が目に入りました。そして、著者の名前を見ると、図録の文章を寄せていた辻惟雄さんではありませんか。何はともあれその本を持ってカウンターに急いだのはいうまでもありません。

「よみがえる天才1 伊藤若冲」

(辻惟雄著 ちくまプリマー新書 2020年)

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(辻 惟雄著「伊藤若冲」 amazon.co.jp)

【伊藤若冲とは何者か】

  2016年の展覧会の目玉は、3幅の「釈迦三尊像」と30幅の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」でした。

  東京と美術案での壮観な展示は、今でも忘れることができません。円形の会場には、360度ガラスショーケースがしつらえられており、その中央に「釈迦三尊像」が配置されてその両側をはるかに囲んで「動植綵絵」30幅が囲んでいるのです。まるでその空間は異次元のようで、若冲が心血を注ぎ描きあげた動植物の数々が我々の目に飛び込んでくる趣向となっているのです。

  その迫力はすさまじく、この絵が200年以上も前に描かれたという事実に衝撃を受けました。

  その極彩色の中にも繊細な変化を秘めた彩の万華鏡のような色彩。そして、動植物の造形のすばらしさ。そして、縦140cm、横80cmの大きさから大きくはみ出るような画像は、まるで現代アートのデザインのような斬新さにあふれていたのです。

  伊藤若冲は、とても長生きでした。若冲の30年後に生まれて江戸でその浮世絵の才能を開花させた葛飾北斎も88歳という長寿の天才でしたが、生涯を京都で過ごした若冲も亡くなったのは85歳の時でした。展覧会では、30代で描いた美しい鳳凰図や後の「群鶏図」を思わせる「雪中雄鶏図」や「「旭日鳳凰図」をはじめ、初期の絵画から墨絵や版画、フラスコ画など次々と新たな技法に挑んだ晩年の傑作まで傑作が続き、めくるめく若冲の世界を堪能することができました。

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(「動植綵絵 群鶏図」 wikipediaより)

  さて、展覧会では実際に若冲の作品を前にただただ感動するばかりでしたが、若冲はどのようにして世界にも稀に見る写実性の高い彩色日あふれる絵を描いたのか、それを系統だって知りたくてこの本を手に取ったのです。

  この本の前書きは、まるで自らの絵の未来を予言するような若冲の言葉で幕を開けます。

  それは若冲の元を訪れた川井桂山という医者によって記録された言葉です。「私は理解されるまで1000年の時を待つ。」それは、どんな気持ちから出た言葉なのでしょうか。

  若冲は、代表作「動植綵絵」を半ばまで進めたところでこの言葉を語ったのですが、それはまるで自らを予言するような言葉だったと著者は語ります。なぜなら、生前には世にその名声がとどろいていた若冲は、明治以降、日本ではまったく取り上げられることはなくほとんど無名の画家になったというのです。そして、戦後、若冲を見出したのは日本人ではなく、アメリカのエンジニアであったジョー・プライスというアメリカ人でした。

  展覧会にプライスコレクションと呼ばれる若冲の名画が惜しげもなく出展されていました。そうプライス氏は、若冲の絵を収集しましたが、決して個人で秘蔵するつもりはなく、逆に「里帰り展」や東日本大震災時には日本での若冲展を企画するなど、若冲の故郷を非常に愛してくれていたのです。辻さんは、若いころに日本の古美術商を回って若冲の絵を収集するプライスさんと出会っています。そして、若冲を通じてプライス氏と友情をはぐくみます。

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(プライスコレクション「紫陽花双鶏図」wikipedia)

  そのいきさつは、この本にもちゃんと記録されています。

  ところで、1000年を待つといった若冲ですが、その画は1000年待つことなく日本人に再発見されることになります。それは、21世紀になってからのことですが、若冲がこの予言を発してから250年後が現在です。若冲の予言は、思った以上に早く実現することになったのです。

【伊藤若冲の謎を解く】

  この本の著者は、半世紀にわたって若冲を研究してきた若冲の第一人者です。若冲の名前が埋もれていた時代に、「奇想の系譜」という著作の中でいち早く若冲の天才を取り上げ、20世紀末から21世紀にかけて様々な若冲の展覧会にもかかわり、若冲の絵画の魅力を我々に紹介してくれた美術史家です。

  この本で描かれる若冲にはいくつかの謎があります。

  ひとつは、その人生の全貌。そして、もうひとつは我々を引きつけて止まない若冲絵画に隠された謎です。

  辻氏は、その二つの謎を時代の背景、若冲85年の人生を追いながら、その時々の作品を紐解いていくことで2つの謎を並行して紐解いていきます。

  話は変わりますが、この5年ほど仕事で京都地区を担当しています。いつも仕事で寄る事務所は南北に走る烏丸通に面しています。すぐ南には東西に走る四条通があり、まさに京都の繁華街と言ってもよい場所にあります。この四条通には、大丸デパートがありますがその北側の路地を東に進んでいくと、そこに昔の面影を残す錦市場があります。

  2016年、若冲生誕300年を迎えた年にたまたまお昼ご飯を食べに烏丸方向へと向かったところ、地元職員が「この先に錦市場があるから見に行きましょう。」と誘ってくれました。四条通の路地を歩いていくと正面に「錦市場」との看板を掲げたアーケードが見えてきます。

  錦通りは、雑然としたまさに市場ですが、乾物屋あり、八百屋あり、魚屋あり、雑貨屋あり、味噌屋あり、喫茶店ありと、とにかく騒然としていて、外国人や観光客でごった返していました。驚いたことに、そのアーケードの真下に、「若冲生誕の地」という鶏が描かれた独立看板が立っているではありませんか。それもそのはず、その入り口の角は若冲が生まれた青物問屋「桝源」があった場所だったのです。

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(錦市場入口 若冲生誕の表示塔)

  そうです、今や観光地として常ににぎわっている錦市場。こここそが若冲由来の街だったのです。

  青物問屋とは、野菜を作る農家と庶民に野菜を売る八百屋さんをつなぐ問屋です。若冲は、1716年に「桝源」の四代目として生まれました。「桝源」は、本業としても栄えていて、本業の他にも不動産の賃貸業などで比較的裕福だったそうです。おそらく、少年のころから若冲は絵画に興味を持ち、絵画が大好きであったに違いありません。

  ところが、若冲が23歳のとき、父親である3代目伊藤源左衛門が42歳で亡くなります。長男であった若冲は、4代目伊藤源左衛門として跡を継ぐことになったのです。

  若冲と言えば、その師とも友人とも語られる同世代の禅僧である大典顕常の名が必ず登場します。大典は、歴史ある相国寺で修業し、そこに庵をかまえていましたが、若冲の「動植綵絵」は、「釈迦三尊像」とともに相国寺に寄進された絵画だったのです。

  その大典の残した文章によれば、若冲は、「勉強が嫌いで、字も下手で、世の中に技芸はいろいろあるけれど何一つ身につけることがなかった。」と記されています。それでよく青物問屋の主が勤まったなと思いますが、考えてみれば、今もこんなサラリーマンはざらにいます。若冲のすごさは、別の文章に記されています。曰く、「丹青に沈潜すること三十年一日のごときなり。」つまり、絵を熱心に描いて30年になる、というのです。

  若冲の絵画好きは、「好き」の域をはるかに超えていたのです。

  若冲の絵を見ると、たぐいまれなその表現と細部にまでこだわる緻密さに、とても常人ではないと思われますが、常識がなければ青物問屋の主人はとうてい勤まりません。若冲は確かに天才に間違いありませんが、決して我々と異なる奇人ではなかったのです。

  若冲は17年間「桝源」を切り盛りした後、40歳にして家督を弟に譲り、念願の絵画専念の生活に入ることになります。人の寿命が50年と言われた時代を考えれば、今のサラリーマンが60歳で定年となり、自分のやりたいことに専念するところと変わりがないと思うと、この天才にわずかに親近感を覚えます。

  さて、実は若冲には謎の4年間が存在します。

  「釈迦三尊像」と「動植綵絵」を完成させ、相国寺に寄進した55歳から、その絵筆がピタリと止んでいるのです。60歳からは再び名画の数々を世に送っているので、いったいこの期間何があったのか、なぜ筆を折っていたのかが分からなかったのです。しかし、20世紀の末、ある文章が発見されたことにより、この4年間の空白の謎が解き明かされました。その真実はこの本でお楽しみください。

  若冲への親しみがより深まること間違いなしです。

  さて、いよいよ若冲の素晴らしい絵画群の謎について。この本ではその奥深い謎をあらゆる角度から問い詰めていくのですが、その謎解きの数々はぜひこの本を読んで確かめてみて下さい。

  ひとつだけお話しすると、それは「裏色彩」の謎です。

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(裏色彩の波「群魚図」wikipediaより)

  「動植綵絵」はある事情で相国寺から宮内庁へと献上されましたが、宮内庁では1999年から5年間をかけて大規模な解体修復が行われ、その際に絵の裏面の調査研究が行われました。その中で判明したのは、作品に合わせて数多くの部分で膨大な裏色彩による色絵付けを施していたことでした。例えば、空や地面、波などの背景を描く中で、若冲は赤や青や緑、黄色などの色を裏色彩によって塗り分けることで、淡い濃淡を表現していたことが分かったのです。

  最も裏色彩が効果的に使われていたのは、「白」でした。「動植綵絵」では、「老松白鳳図」や「牡丹小禽図」など鮮やかな城に目を見張る作品が多くあります。「白鳳図」では真っ白な翼に黄金色の色彩がまぶされており、その輝きに目を見張ります。その輝きは裏側から黄土を塗り、表の白い色の厚さを変えることにより、黄金が透けて見えるという技法が使われていたのです。

  若冲は、その絵画において高度な技法を自家薬籠のものとして、その絵画世界を作り上げていたのです。それ以外にも、自らの絵画にすべてを注ぎ込んだ若冲の絵画の謎は、この本の中で次々と解き明かされていくことになるのです。


  この本を読んでいる間、まるで若冲展を再び鑑賞している気持ちになり、時間を忘れてそのワンダーに引き込まれました。

  皆さんもぜひ「若冲」の世界を味わってみて下さい。日本人に生まれた幸せを味わえること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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明日へのアンサンブルと伝説の名指揮者たち

こんばんは。

  28日金曜日、安倍総理大臣の辞任会見には驚きました。

  第一次内閣の時にも同じ病で辞任に至りましたが、憲政史上最も長い在位を記録した総理大臣の辞任。来年の9月まで自民党総裁の任期を残しての辞任には、非常に悔しい想いがあるものと思います。それまで半年ごとに交代し、世界中からあきれられていた日本の政治でしたが、久しぶりに腰を据えて日本の政治を行った功績は大変大きなものがあったと敬意を表するばかりです。

  個人的には、やはり70年余り政権の座にあった自民党の人材の厚さに野党はかなわないのかな、と思いつつ、日本の未来に明るい指針を与える総理大臣が誕生することを切に願っています。それには、まず選挙の投票率を80%程度にすることが国民の責務だと痛感します。

  ところで、今年の223日、サックスフォン四重奏のクワチュオール・ザイールと日本の女性サックス四重奏のルミエ・サックスフォンカルテットの素晴らしい8重奏を味わって以来、予約したすべてのコンサートとライブがキャンセルとなりました。思い出すほどに無念です。

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(クワチュオール・ザイールコンサート チラシ)

  新型コロナウィルスの猛威を考えれば当たり前なのですが、さすがに東京JAZZをはじめ楽しみにしていたライブがすべてなくなってしまうと悲しくなります。人がその心を表現する演奏を味わうのは、歌にせよ楽器にせよ、奏でる人と聞く人のコラボレーションに他なりません。奏でる人のムーブメントが聞く人に語りかけ、聞く人がそれを受け止めて自らのムーブメントとして感動する。そして、演奏が終わった後にはその感動を大きな拍手と歓声で答えるのです。

  確かにチケット代はキャンセルによって帰ってくるわけですが、お金ではこの心の穴を埋めることはできません。

  一日も早く音楽ライブが再開することを願う中で、先日心を動かされる音楽番組を目にしました。

【孤独と明日へのアンサンブル】

  その番組は、NHKで放送された「明日へのアンサンブル」と題した音楽番組でした。

  緊急事態宣言のさなか、日本フィルを始めとして日本中の交響楽団の演奏者は人前での演奏を封じられ、自粛する中で自宅で練習を重ねる以外に演奏の場を持つことがありませんでした。いったい彼らは何を思い、何を糧にして自粛期間を過ごしたのでしょうか。

  NHKでは、首都圏の名だたる交響楽団の団員たちが自宅で演奏する様子を2度にわたって放送しました。その番組が「孤独のアンサンブル」と題された番組です。出演者は名だたるプロフェッショナルたちです。楽団は、NHK交響楽団をはじめとして、東京都交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団。日本フィルハーモニー管弦楽団などのコンサートマスターや首席演奏者たちがリモート演奏を聞かせてくれました。

  2回にわたった番組では、ヴァイオリン、チェロ、ホルン、トランペット、フルート、オーボエ、クラリネット、など管弦楽を構成する一流のプレイヤーたちがソロで演奏する楽曲に、ひとりひとりの様々な思いが込められており、どの演奏からもあふれる心の旋律が響いていました。

  そして、自粛期間中に一人一人で演奏してきた孤独のプレイヤーたちが、緊急事態宣言の解除を受けて、感染対策を万全に取りながら一堂に会することとなったのです。その番組名は「明日へのアンサンブル」。アンサンブルを構成するのは、「孤独のアンサンブル」を彩った13名の管弦楽奏者です。

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(13人の演奏者が集結 NHKondemanndoより)

  ヴァイオリンでは、N響の第一コンサートマスターの篠崎さん、神奈川フィルの首席ソロ・コンサートマスターの石田さん、東京都響のソロ・コンサートマスターの矢部さん。チェロでは日本フィルから菊池さん。フルートは、東京フィルの神田さんとN響の梶川さん(お二人はご夫婦です。)、ファゴットは東京フィルの石井さん、ホルンは読売響の日橋さん、トランペットはN響の長谷川さん、などなど、その一流のメンバーに驚嘆します。

  「明日へのアンサンブル」は、他のメンバーと音と息を合わせながら演奏ができない長い孤独な時間の果てにたどりついたアンサンブルの世界です。番組は、演奏家たちそれぞれの対談、そして、「孤独のアンサンブル」で演奏したソロの想いを紹介し、続けてアンサンブルでの演奏が奏でられます。舞台の上で13名が和になって一つの曲を演奏する。そして、その演奏の間には、人々が三々五々に歩く街や公園の風景がバックに流れていくのです。

  例えば、エルガーの「威風堂々」。バッティングセンターで打撃に興じる演奏家が映し出されます。彼は野球の大ファン。しかし、コロナ禍でプロ野球の開幕は延期され、ファンとして観客で応援することがかないません。選手や監督と一体となって野球に熱狂する。そんな夢を乗せて、黙々と「威風堂々」を練習するホルン奏者。その紹介を受けて13人で一体となって演奏する「威風堂々」が流れていきます。まさにその演奏が彼の想いを我々に届けてくれるのです。

  クラリネットの吉野さんは、「孤独のアンサンブル」でくるみ割り人形から「花のワルツ」を演奏しました。くるみ割り人形は、バレエ音楽ですが、その演奏はオーケストラでなされます。オーケストラで主旋律を奏でるのはヴァイオリンやホルンです。クラリネットも重要な役割を担いアンサンブルに欠かすことはできませんが、オーケストラではけっして主役ではありません。

  「花のワルツ」は、チャイコフスキーの魅惑的な主旋律が様々な楽器で次々と引き継がれ、変奏されていき、すべての楽器がひとつになってその世界を創造していきます。吉野さんは、クラリネットで他の楽器が奏でる主旋律を変奏しながら奏で、たった一人で「アンサンブルの音を再現したのです。その演奏には、一日も早く皆で演奏がしたいとの思いが詰まっていたのです。

  アンサンブル演奏の当日、この演奏をテレビで見ていた他のメンバーが、いよいよ「花のワルツ」をみんなで演奏できることとなったことを心から楽しみにしている、と声をかけて吉野さんの笑顔を誘っていました。13人が心を一つに合わせた「花のワルツ」は心から感動を覚える見事な演奏でした。

 その他にもフルートの神田さん、梶川さんが変奏する「ケ・セラ・セラ」やエンリオ・モリコーネの名曲「ニュー・シネマ・パラダイス」、3人のコンサートマスターがトリオで奏でる「エニグマ変奏曲」など、それぞれの演奏家の思いがこもったみごとなアンサンブルが披露されました。そして、最後の曲は、オーケストラで壮大に奏でられる「展覧会の絵」の終曲「キエフの大門」です。13人の心からアンサンブルを楽しむ思いは決してオーケストラに勝るとも劣らず、我々の心に勇気と癒しを運んでくれたのです。

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(コンサートマスター3人が集う spice.eplus.jp)

  インタビューの中で、「自粛期間中一人で演奏しているといろいろな思いが湧き出ます。音楽よりもおにぎりひとつの方が大切なのかもしれない、とか、でもこの音楽を心から待っていてくれる人もいるとも思えます。」とある演奏家が語っていましたが、音楽は間違いなくコロナ禍で委縮してしまった我々の心を解きほぐして、明日に向かう心を取り戻してくれました。

20世紀を彩った名指揮者たち】

  さて、「明日へのアンサンブル」が放送された前の週、毎週日曜日に放送されるEテレの「クラシック音楽館」をご覧になった方はいるでしょうか。

  驚いたことに番組は、ドイツの映像プロダクションの保管庫から始まりました。そのプロダクションでは、昔の貴重な35mmフィルムをマイナス4℃で冷凍保管しているというのです。どうやらNHKが今力を入れている「8K」放送の目玉とする目的で、この貴重なコレクションから「伝説の名演奏」を借り出してきたようなのです。そのフィルムには驚きの映像が保存されていました。

  皆さんもご存知のまさに伝説の指揮者たちの演奏です。

  永くベルリンフィルの首席指揮者を務め「クラシックの帝王」とまで称されたヘルベルト・フォン・カラヤン。ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」を作曲し、世界を股に掛けた指揮者レナード・バーンスタイン。最後の巨匠と称されウィーンフィルを率いて来日を果たしたカール・ベーム。はたまた、完全主義者の名をほしいままにし、その演奏回数の少なさから「伝説の指揮者」と呼ばれたカルロス・クライバー。

  この名前を聴いただけで、その映像と演奏に限りない期待で胸がいっぱいになりませんか。

  いすれも1970年から1991年までの脂がのっていたころの演奏です。カラヤンが指揮するのはチャイコフスキーの交響曲第4番。残念ながらEテレでは第一楽章だけでしたが、その華麗な音は「ベルリンフィルの帝王」の名にふさわしい華麗な演奏でした。番組ではカラヤンの最後の弟子となった指揮者の高関健さんが解説をしてくれ、その映像に対するカラヤンのこだわりが半端ないことを語ってくれワンダーでした。

  さて、次に登場するのはバーンスタインのベートーベン交響曲第9番合唱付です。これは感動しました。映像は1979年にウィーンフィルを指揮した演奏ですが、そのエネルギッシュな姿は、ウィーンフィルとウィーン国立歌劇合唱団を一体にまとめあげ「喜びの歌」を歌い上げる素晴らしい演奏です。残念ながら第四楽章のみの放送でしたが、最も脂がのっていたころのバーンスタインのすごみがそのえんそうに凝縮されていて、終わった瞬間に思わず拍手してしまいました。ブラヴォー!

  バーンスタインは1989年にベルリンの壁が崩壊したときに、その「自由」を記念してベルリンで特別公演を行い、その際に第九を演奏しています。第九の歌詞である“Freude(歓喜)”を“Freiheit(自由)”に変えて歌い上げたとのエピソードでも知られていますが、このとき、バーンスタインはゆっくりとしたテンポで壮大な第九として表現しており、その演奏は78分に及びました。このときの演奏はその場にいればその荘厳さに心を打たれると思うのですが、CDで聞くとそのテンポの遅さが気になってしまいます。

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(第九を振るバーンスタイン mainichi.com)

  しかし、今回発見された1979年の映像では、そのテンポの良さは明らかです。確かに演奏時間も70分と8分も短く、その歯切れの良さと緩急の妙が本当に素晴らしく、思わず演奏に引き込まれてしまいました。

  ベームの指揮は、巨匠ならではの安定した美しさが際立ちます。演奏されたモーツアルトの40番は彼のオハコですが、その解説がワンダーでした。ベームはその飄々とし指揮ぶりで有名なのですが、が演奏する楽団員にとっては油断できないのだそうです。そのわけは、鋭いひと睨みです。ベームは淡々と指揮を続ける最中に、ここぞというポイントでは要となる演奏す兄するどいひと睨みを聴かせる、というのです。番組ではその証拠とばかりにベームがひと睨みする瞬間を映像で確認していました。確かにストップモーションの瞬間、彼は楽団員をひと睨みしています。

  このひと睨みは、「そうそうちゃんと演奏がまとまるだろう。」と言っているというのですが、確かに演奏中にひと睨みを浴びた演奏者は、おもわず背筋が伸びでベストパフォーマンスを演じるに違いありません。なるほど納得でした。

  今回のハイライトは、何と言ってもカルロス・クライバーのブラームスの交響曲第2番の全曲演奏でした。カルロス・クライバ-と言えば、ベートーベンの交響曲第7番の演奏は伝説となっており、そのしなやかでタイトな名演は、7番と言えばクライバーと言われるほど完璧奏です。今回のブラームスは1991年の映像ですが、驚きました。

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(伝説の指揮者クライバー wikipedeiaより)

  彼の演奏会はめったに開かれることがなく幻とまで呼ばれていましたが、その指揮ぶりを映像で見るのはこれが初めてでした。その姿には、「華麗で壮観」との言葉がピッタリです。指揮者は、先の未来を示している、とは先日チコちゃんが述べた言葉ですが、彼の示す未来は華やかです。その量腕の振りは鮮やかで、まるで指揮台のうえでダンスを演じているようにも見えます。その演奏たるや一部の隙もないほど一音一音に緊迫感があるのですが、映像では彼の指揮ぶりに目を奪われてしまいます。

  なるほど、完璧な音作りには完璧な演技も必要なのかと改めて感動しました。


  感染対策に自粛は欠かせませんが、素晴らしい音楽は我々に明るい未来と希望を提示してくれます。人数制限やソーシャルディスタンスなど、感染対策のスタンダードを確立して、一日も早くライブコンサートが日常として楽しめることを心から待ち望んでいます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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倉谷滋 恐竜は怪獣へと進化したのか

こんばんは。

  今年のお盆はこれまでと違ったお盆になりました。

  夏休みと言えば、子供が小さい家庭では夏休み中の子供との交流が一大イベントになります。ところが今年は新型コロナ感染に伴う感染防止により学校が閉鎖される事態が相次ぎました。その影響で授業時間が足りなくなり、公立の小中学校では、のきなみ夏休み期間が短縮される事態に陥っています。

  神奈川県で小学校の教諭をしている息子がお盆休みに家にやってきて語るには、今年の夏休みは8/18/23までに短縮され、あまりゆっくりと休む暇はないそうです。あまつさえお隣の市では夏休みの終わりがさらに早い8/16ということでたった2週間しかありません。今時は働き方改革でサラリーマンでも2週間の夏休みは当たり前になっています。

  もちろん子供たちもガッカリですが、親の方もどのように子供と交流していくのか難しい年になっています。なぜなら新型ウィルス感染の拡大のために、せっかくの「GO TO トラベル」も集団での移動が制限され、高齢者への感染を考えると田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに子供の顔を見せに行くことがはばかられ、旅行に行くにも感染防止を徹底する必要があります。子供も親もすっかり意気消沈してしまいます。

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(閑散とした那覇空港  琉球新報HPより)

  せっかくのお盆ですが、今年は皆さん自粛して、手洗い、うがい、マスクをつけて3密を避けて、住まいのある地域でお盆を過ごす方々でショッピングセンターが満ち溢れています。しかし、自粛が半年に及ぶとどうしても心が塞ぐことをさ避けることができません。

  こんなときこそ、心が最も揚がることを心に思い浮かべて、明るい気持ちを盛り上げましょう。

  さて、小学生から中学生にかけて、我々の世代で最もワクワクしたのは他でもない特撮画像を駆使して制作された怪獣たちの姿です。ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、ガメラ、バルゴン、ギャオスなどの銀幕を彩った怪獣たちはもちろん、ガラモン、マンモスフラワー、カネゴンなどの「ウルトラQ」の怪獣たち、そして永遠のウルトラマンシリースの要となったバルタン星人、レッドキング、ゼットンなどのテレビで放映された怪獣たちです。

  お盆前に本屋さんの新書コーナーを眺めていると、帯広告に「シン・ゴジラの乱杭歯(らんぐいば)、その理由は、」という文字とともにシン・ゴジラの雄姿が写っているではありませんか。怪獣好きには目を離すことができませんでした。

  今週は、怪獣愛にあふれた形態進化生物学者の本を読んでいました。

「怪獣生物学入門」

(倉谷滋著 インターナショナル新書 2019年)

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(「怪獣生物学入門」amazon.co.jp)

【怪獣は何から進化したのか】

  恐竜と怪獣の関係は複雑です。

  「ゴジラ」は、もともと古代の恐竜が現代の水爆実験によって突然変異を起こした怪獣です。そこから考えると、怪獣を遡れば恐竜に行きつきそうに思えます。実際、小学生のころ、上野の国立科学博物館に行くのが大好きで、親も私の機嫌が悪かったり、甘えてうるさくねだったりしたときにはとりあえず国立科学博物館に連れていってくれました。

  博物館の入り口を入るとそこには恐竜の骨格が天井までそびえていました。現在、ブロントザウルスという恐竜は実在しなかったと言われていますが、当時は巨大な草食恐竜の代表格はブロントザウルスでした。凶悪な肉食恐竜の代表は言わずと知れたティラノザウルス。人気が高かったのは剣竜と呼ばれていたステゴザウルス。今のサイのように角を伸ばしていたトリケラトプスでした。

  この本でも語られていますが、近年の恐竜はあのころに比べると格段に進化しています。

  化石で見つかる恐竜が進化しているわけはないのですが、進化しているのは研究です。ゴジラはご存知の通り直立不動で日本の街に上陸し、我々の世界を蹂躙していきます。その行動は重厚で力強く、何物にも止めることはできずにゆっくりと前へと進んでいくのです。かつて、国立科学博物館で観たティラノザウルスの骨格は確かに直立していました。

  しかし、ジェラシックパークに登場するティラノザウルスは、直立していません。その超前かがみの姿はとてもゴジラの先祖とは思えません。さらに驚くのは、その脅威のスピードです。車に乗り全速力で逃げる主人公たち。時速80km以上で走る車にティラノザウルスは決して引けを取らないのです。恐竜研究は、この半世紀に大きく進化しました。

  今や恐竜の生き残りが現在の鳥類であることは科学的事実とされており、かのティラノザウルスは羽毛につつまれていたと考えられています。ゴジラの肌は黒くて岩の様であることが常識ですが、もしも1950年代に恐竜の実態が分かっていればゴジラは羽毛に包まれていたかもしれません。(放射能の影響で羽毛は抜け落ちていたかもしれませんが。)

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(再生細胞を持つミレニアムゴジラ amazon.co.jp)

  この本の著者は、現在理化学研究所で生物学のグループデレクターを勤めているそうですが、第一線で研修している生物学者が空想科学ドラマの怪獣たちを分析しようとするわけですからワクワク感が止まりません。

  そもそも特撮怪獣は空想の産物ですから進化や生物学とは無縁の存在に思えます。

  この本の著者の場合、小学生から中学生の多感な時期がちょうど円谷監督の特撮映画の最盛期であったことが幸運(不幸?)でした。私も同じとしなので全く同じなのですが、形態進化生物学なる学問を身に着ける以前に特撮怪獣映画のワンダーの洗礼を受けていたのです。

  怪獣のワンダー体験を内に抱えたまま形態生物学の最先端を探求すると、怪獣自体を科学の目で探求してみたくなるのかもしれません。

【キングギドラの形態生物学】

  宇宙怪獣として最強と言われているのはキングギドラです。金色のうろこに包まれ、3つの竜のような頭と3つのしっぽを持ち、2つの翼によって宇宙や空中を駆け巡る姿は、ハリウッドのゴジラ映画にもゴジラのライバルとして登場します。

  実は、日本映画に登場するキングギドラとハリウッドのキングギドラは異なっていると言います。

  日本映画に登場する元祖キングギドラの翼には、条と呼ばれる筋を見ることができます。この筋が脊椎動物の手や指が進化して生まれたものであれば、翼竜やコウモリの翼と似た生態をしているといえます。しかし、キングギドラの翼の筋は、手や指というよりも魚類の胸鰭(むなびれ)に似ているそうです。

  キングギドラが脊椎動物の系に属しているのであれば、その翼は我々の腕、手、指の相当する部分が異なる進化を遂げたこととなりますが、もしもこの条がシーラカンスやウミテングのような魚類の胸鰭に相当するものなのであれば、キングギドラは魚類の系につらなることになります。どうも見た目は魚系の条に見えるのです。

  さらにやっかいなのは、現在の形態生物学では脊椎動物の腕や手指にあたる条と魚類の胸鰭にあたる条が同じ遺伝子から派生しているのではないか、との研究があるそうです。

  そして、ハリウッド版のキングギドラでは、さらに話は複雑になります。

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(ハリウッド版 ゴジラ対キングギドラ)

  翼の条については、ハリウッドのキングギドラにも同じように見ることができますが、問題はその翼の位置にあります。日本版のように翼が肩から始まっていると、その翼は腕や手指の延長にあるので脊椎動物や魚類に系譜を見ることができます。ところが、ハリウッド版キングギドラの翼は方から直接生えていないように見えるのです。

  その形態は、魚類よりもむしろコウモリと似ています。コウモリは、方から腕に当たる条が伸びており、そこに連なるように翼となる幕が張られています。さらにその翼は腹から出た条により支えられており、トビトカゲ(爬虫類)のように肋骨部分から派生しているとも考えられるのです。

  日本版は魚類系、ハリウッド版は哺乳類系または爬虫類系。同じキンギギドラでも異なる系統図に位置付けられるのかもしれません。

  キングギドラの他にもゴジラ、ガメラ、ギャオスなど、著者の形態生物学によって次々と仕分けられていく怪獣たちの分析はとてもワンダーです。

【人間に寄生する怪獣とは】

  この本の第三章では、不定形型モンスターに関する考察が繰り広げられます。

  不定形型モンスターには、繁殖時に様々なヤドリギに寄生してその個体を乗っ取っていくモンスターも含まれます。

  まず取り上げられるのは、東宝映画のホラー的な映画として特撮を駆使して造られた「マタンゴ」と言う作品です。「マタンゴ」とはキノコの名称なのですが、このキノコが非常に厄介なモンスターなのです。このキノコを食べると人格が変化し、やたらと人好きで社交的な人格となります。それだけではなく、その人格を利用して他の人間にもマタンゴを食べるように勧めて回るようになるのです。さらに恐ろしいのは、人格変化の実ではなく、徐々に人としての意識は消えてゆき、最後には移動可能なマタンゴへと変身してしまうのです。

  映画は、この「マタンゴ」が生息する無人島に漂流した7人の物語です。そこにうずめく人の本姓がマタンゴを仲介モンスターとして恐ろしい人間関係を出現させていく物語です。

  著者は、マタンゴというキノコが形態生物学から見た場合にどのように分析できるのかを語っていきます。

  生きとし生けるものは、すべて繁殖することで種の継続と繁栄をめざします。普通のキノコは胞子を飛ばすことで種を増やしますが、マタンゴはもっと能動的な繁殖形態を持っています。食べるとマタンゴに変身してしまう。その寄生的な繁殖はどのようなプロセスをたどって成就されるのか。

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(映画「マタンゴ」スティール ciamovienews.com)

  その一部を紹介すると、「・・・マタンゴ人間の体は動物性の細胞からなる組織ではなく、そのほとんどがキノコを作る菌糸の束に置き換わっていて、そのうちあるものは神経的な機能に二分化し、またあるものは筋線維のように伸縮する機能を得、またあるものは硬化して骨格のような機能を果たすようになってしまっている・・・」のではないかと記載されています。

  さらに氏は次の項で、マタンゴの菌糸が人間の精神構造までもコピーできるのか、人間の解剖生理学的機能まで再構築できるのか、までを考察していくのです。

  そして、その分析は宇宙からパラサイトとして降臨する「寄生獣」へと続いていきます。

  人のモンスターやSFを創造する力は止まるところを知りません。この本は、科学者から見れば非現実と言われる空想のワンダーについて書かれています。そこには、汲めども尽きぬワンダーが脈々と流れています。ぜひ、続編を期待したいものです。


  お盆も終わり、いよいよ「with コロナ」の日常が戻ってきます。皆さん、手洗い、マスク、消毒、脱3密を徹底し、感染することも、人に移すことも防ぐよう、油断なく毎日を送りましょう。熱中症も防ぎつつ、明るさを忘れず毎日を過ごしたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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倉谷滋 恐竜は怪獣へと進化したのか

こんばんは。

  今年のお盆はこれまでと違ったお盆になりました。

  夏休みと言えば、子供が小さい家庭では夏休み中の子供との交流が一大イベントになります。ところが今年は新型コロナ感染に伴う感染防止により学校が閉鎖される事態が相次ぎました。その影響で授業時間が足りなくなり、公立の小中学校では、のきなみ夏休み期間が短縮される事態に陥っています。

  神奈川県で小学校の教諭をしている息子がお盆休みに家にやってきて語るには、今年の夏休みは8/18/23までに短縮され、あまりゆっくりと休む暇はないそうです。あまつさえお隣の市では夏休みの終わりがさらに早い8/16ということでたった2週間しかありません。今時は働き方改革でサラリーマンでも2週間の夏休みは当たり前になっています。

  もちろん子供たちもガッカリですが、親の方もどのように子供と交流していくのか難しい年になっています。なぜなら新型ウィルス感染の拡大のために、せっかくの「GO TO トラベル」も集団での移動が制限され、高齢者への感染を考えると田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに子供の顔を見せに行くことがはばかられ、旅行に行くにも感染防止を徹底する必要があります。子供も親もすっかり意気消沈してしまいます。

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(閑散とした那覇空港  琉球新報HPより)

  せっかくのお盆ですが、今年は皆さん自粛して、手洗い、うがい、マスクをつけて3密を避けて、住まいのある地域でお盆を過ごす方々でショッピングセンターが満ち溢れています。しかし、自粛が半年に及ぶとどうしても心が塞ぐことをさ避けることができません。

  こんなときこそ、心が最も揚がることを心に思い浮かべて、明るい気持ちを盛り上げましょう。

  さて、小学生から中学生にかけて、我々の世代で最もワクワクしたのは他でもない特撮画像を駆使して制作された怪獣たちの姿です。ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、ガメラ、バルゴン、ギャオスなどの銀幕を彩った怪獣たちはもちろん、ガラモン、マンモスフラワー、カネゴンなどの「ウルトラQ」の怪獣たち、そして永遠のウルトラマンシリースの要となったバルタン星人、レッドキング、ゼットンなどのテレビで放映された怪獣たちです。

  お盆前に本屋さんの新書コーナーを眺めていると、帯広告に「シン・ゴジラの乱杭歯(らんぐいば)、その理由は、」という文字とともにシン・ゴジラの雄姿が写っているではありませんか。怪獣好きには目を離すことができませんでした。

  今週は、怪獣愛にあふれた形態進化生物学者の本を読んでいました。

「怪獣生物学入門」

(倉谷滋著 インターナショナル新書 2019年)

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(「怪獣生物学入門」amazon.co.jp)

【怪獣は何から進化したのか】

  恐竜と怪獣の関係は複雑です。

  「ゴジラ」は、もともと古代の恐竜が現代の水爆実験によって突然変異を起こした怪獣です。そこから考えると、怪獣を遡れば恐竜に行きつきそうに思えます。実際、小学生のころ、上野の国立科学博物館に行くのが大好きで、親も私の機嫌が悪かったり、甘えてうるさくねだったりしたときにはとりあえず国立科学博物館に連れていってくれました。

  博物館の入り口を入るとそこには恐竜の骨格が天井までそびえていました。現在、ブロントザウルスという恐竜は実在しなかったと言われていますが、当時は巨大な草食恐竜の代表格はブロントザウルスでした。凶悪な肉食恐竜の代表は言わずと知れたティラノザウルス。人気が高かったのは剣竜と呼ばれていたステゴザウルス。今のサイのように角を伸ばしていたトリケラトプスでした。

  この本でも語られていますが、近年の恐竜はあのころに比べると格段に進化しています。

  化石で見つかる恐竜が進化しているわけはないのですが、進化しているのは研究です。ゴジラはご存知の通り直立不動で日本の街に上陸し、我々の世界を蹂躙していきます。その行動は重厚で力強く、何物にも止めることはできずにゆっくりと前へと進んでいくのです。かつて、国立科学博物館で観たティラノザウルスの骨格は確かに直立していました。

  しかし、ジェラシックパークに登場するティラノザウルスは、直立していません。その超前かがみの姿はとてもゴジラの先祖とは思えません。さらに驚くのは、その脅威のスピードです。車に乗り全速力で逃げる主人公たち。時速80km以上で走る車にティラノザウルスは決して引けを取らないのです。恐竜研究は、この半世紀に大きく進化しました。

  今や恐竜の生き残りが現在の鳥類であることは科学的事実とされており、かのティラノザウルスは羽毛につつまれていたと考えられています。ゴジラの肌は黒くて岩の様であることが常識ですが、もしも1950年代に恐竜の実態が分かっていればゴジラは羽毛に包まれていたかもしれません。(放射能の影響で羽毛は抜け落ちていたかもしれませんが。)

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(再生細胞を持つミレニアムゴジラ amazon.co.jp)

  この本の著者は、現在理化学研究所で生物学のグループデレクターを勤めているそうですが、第一線で研修している生物学者が空想科学ドラマの怪獣たちを分析しようとするわけですからワクワク感が止まりません。

  そもそも特撮怪獣は空想の産物ですから進化や生物学とは無縁の存在に思えます。

  この本の著者の場合、小学生から中学生の多感な時期がちょうど円谷監督の特撮映画の最盛期であったことが幸運(不幸?)でした。私も同じとしなので全く同じなのですが、形態進化生物学なる学問を身に着ける以前に特撮怪獣映画のワンダーの洗礼を受けていたのです。

  怪獣のワンダー体験を内に抱えたまま形態生物学の最先端を探求すると、怪獣自体を科学の目で探求してみたくなるのかもしれません。

【キングギドラの形態生物学】

  宇宙怪獣として最強と言われているのはキングギドラです。金色のうろこに包まれ、3つの竜のような頭と3つのしっぽを持ち、2つの翼によって宇宙や空中を駆け巡る姿は、ハリウッドのゴジラ映画にもゴジラのライバルとして登場します。

  実は、日本映画に登場するキングギドラとハリウッドのキングギドラは異なっていると言います。

  日本映画に登場する元祖キングギドラの翼には、条と呼ばれる筋を見ることができます。この筋が脊椎動物の手や指が進化して生まれたものであれば、翼竜やコウモリの翼と似た生態をしているといえます。しかし、キングギドラの翼の筋は、手や指というよりも魚類の胸鰭(むなびれ)に似ているそうです。

  キングギドラが脊椎動物の系に属しているのであれば、その翼は我々の腕、手、指の相当する部分が異なる進化を遂げたこととなりますが、もしもこの条がシーラカンスやウミテングのような魚類の胸鰭に相当するものなのであれば、キングギドラは魚類の系につらなることになります。どうも見た目は魚系の条に見えるのです。

  さらにやっかいなのは、現在の形態生物学では脊椎動物の腕や手指にあたる条と魚類の胸鰭にあたる条が同じ遺伝子から派生しているのではないか、との研究があるそうです。

  そして、ハリウッド版のキングギドラでは、さらに話は複雑になります。

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(ハリウッド版 ゴジラ対キングギドラ)

  翼の条については、ハリウッドのキングギドラにも同じように見ることができますが、問題はその翼の位置にあります。日本版のように翼が肩から始まっていると、その翼は腕や手指の延長にあるので脊椎動物や魚類に系譜を見ることができます。ところが、ハリウッド版キングギドラの翼は方から直接生えていないように見えるのです。

  その形態は、魚類よりもむしろコウモリと似ています。コウモリは、方から腕に当たる条が伸びており、そこに連なるように翼となる幕が張られています。さらにその翼は腹から出た条により支えられており、トビトカゲ(爬虫類)のように肋骨部分から派生しているとも考えられるのです。

  日本版は魚類系、ハリウッド版は哺乳類系または爬虫類系。同じキンギギドラでも異なる系統図に位置付けられるのかもしれません。

  キングギドラの他にもゴジラ、ガメラ、ギャオスなど、著者の形態生物学によって次々と仕分けられていく怪獣たちの分析はとてもワンダーです。

【人間に寄生する怪獣とは】

  この本の第三章では、不定形型モンスターに関する考察が繰り広げられます。

  不定形型モンスターには、繁殖時に様々なヤドリギに寄生してその個体を乗っ取っていくモンスターも含まれます。

  まず取り上げられるのは、東宝映画のホラー的な映画として特撮を駆使して造られた「マタンゴ」と言う作品です。「マタンゴ」とはキノコの名称なのですが、このキノコが非常に厄介なモンスターなのです。このキノコを食べると人格が変化し、やたらと人好きで社交的な人格となります。それだけではなく、その人格を利用して他の人間にもマタンゴを食べるように勧めて回るようになるのです。さらに恐ろしいのは、人格変化の実ではなく、徐々に人としての意識は消えてゆき、最後には移動可能なマタンゴへと変身してしまうのです。

  映画は、この「マタンゴ」が生息する無人島に漂流した7人の物語です。そこにうずめく人の本姓がマタンゴを仲介モンスターとして恐ろしい人間関係を出現させていく物語です。

  著者は、マタンゴというキノコが形態生物学から見た場合にどのように分析できるのかを語っていきます。

  生きとし生けるものは、すべて繁殖することで種の継続と繁栄をめざします。普通のキノコは胞子を飛ばすことで種を増やしますが、マタンゴはもっと能動的な繁殖形態を持っています。食べるとマタンゴに変身してしまう。その寄生的な繁殖はどのようなプロセスをたどって成就されるのか。

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(映画「マタンゴ」スティール ciamovienews.com)

  その一部を紹介すると、「・・・マタンゴ人間の体は動物性の細胞からなる組織ではなく、そのほとんどがキノコを作る菌糸の束に置き換わっていて、そのうちあるものは神経的な機能に二分化し、またあるものは筋線維のように伸縮する機能を得、またあるものは硬化して骨格のような機能を果たすようになってしまっている・・・」のではないかと記載されています。

  さらに氏は次の項で、マタンゴの菌糸が人間の精神構造までもコピーできるのか、人間の解剖生理学的機能まで再構築できるのか、までを考察していくのです。

  そして、その分析は宇宙からパラサイトとして降臨する「寄生獣」へと続いていきます。

  人のモンスターやSFを創造する力は止まるところを知りません。この本は、科学者から見れば非現実と言われる空想のワンダーについて書かれています。そこには、汲めども尽きぬワンダーが脈々と流れています。ぜひ、続編を期待したいものです。


  お盆も終わり、いよいよ「with コロナ」の日常が戻ってきます。皆さん、手洗い、マスク、消毒、脱3密を徹底し、感染することも、人に移すことも防ぐよう、油断なく毎日を送りましょう。熱中症も防ぎつつ、明るさを忘れず毎日を過ごしたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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後藤健生 日本代表監督から見えてくるもの

こんばんは。

  新型コロナの感染者数が首都圏で拡大しています。

  そのことの心配の最中、日本を「令和27月集中豪雨」が日本を襲っています。特に九州の熊本、宮崎の方々には先週の球磨川の決壊で大きな被害にあわれたのち、復旧作業もままならぬあいだにさらなる豪雨が引き続き、休まるときがありません。

  被災地の皆様に心から寄り添うとともに、心からのお見舞いを申し上げます。

  この雨はまだ19日の日曜日までは予断を許さないようです。皆さん、一番大切なのは命であることに間違いありません。命を大切に、気持ちも大切に日々を送りましょう。応援しています。

  新型コロナ感染の拡大では、東京でコロナ禍始まって以来最大の感染者数が記録されました。その人数は243人。82%は若者で重症化の可能性は低い。入院者数は少なく医療体制はひっ迫していない。検査数が多いことが要因。など、経済優先のためか、楽観視する要素ばかりが独り歩きしているように思えます。

  最大の感染者数を出したその日、政府はイベント開催の自粛を緩和しました。

  プロ野球、そしてJリーグも無観客で行っていた試合に、感染対策を行ったうえで観客を入れることを決断しました。その人数は、会場の半分か5000人のどちらか少ない数。との制限を設けていますが、そこでの市中感染が判明したときにどう対処していくのか、その対応策がよく見えてきません。潜伏期間を考えれば、発祥は10日後になります。はたして、感染拡大はどこまで広がるのか。全く予断を許さず、不安は続きます。

  熱烈なファンの方々は、やはり球場で選手を応援してその感動のプレーを自らの目でみたい、に違いありません。また、選手の皆さんもファンの応援を肌で感じることによって、より感動を呼ぶプレーができるに違いありません。その結果、テレビ観戦ファンである私も楽しめることは間違いありません。何事もなく時が過ぎるとは到底思えませんが、一刻も早くその予兆を把握して、適切な対策が打てるよう、緊張感を忘れないようにしたいものです。

  さて、サッカーと言えばJリーグ再開の後に日本代表はどのような日程を迎えるのかが心配です。

  2018年のロシアワールドカップで、日本代表は開催の2カ月前に急遽就任した西野朗監督が、Jリーグ発足以降ワールドカップ出場2人目の日本人監督として指導力を発揮し、そのたぐいまれなる勝負強さと決断力を発揮して、日本代表をみごとベスト16へと導きました。

  そこで、次期監督に選ばれたのが、森保監督です。

  森保監督と言えば、広島サンフレッテの監督時代には、4期の監督就任中に3度リーグ優勝を果たすという快挙を成し遂げた監督として知られています。その森保さんは、2017年にオリンピック日本代表に就任しました。そして、西野監督の後任として日本のA代表の監督も兼任することとなったのです。

  2019年は自国開催だったラグビーワールドカップにおける日本代表の活躍が我々を熱中させてくれ、森保ジャパンの話題は忘れられた感がありましたが、ラグビーの次は、東京オリンピックでのサッカー日本代表の金メダルが期待されていました。オリンピックは2021年夏に延期が決まりましたが、東京オリンピックの延期が日本代表のU23チームにどのような影響を及ぼすのかがとても心配です。同時に2022年のワールドカップが控えているA代表。兼務する森保監督がどのような結果をもたらしてくれるのか、本当に気になるところです。

  そんな中、本屋さんで見つけたのが今週読んだ一冊です。

「森保ジャパン 世界で勝つための条件 日本代表監督論」

(後藤健生著 NHK出版新書 2019年)

【日本代表監督の歴史を振り返る】

  本屋さんで手に取ったときには森保監督率いる日本代表のことを分析した本なのかと思いましたが、ページを開いてびっくり。なんと、この本の第一部は、Jリーグが日本に発足して以降、すべての日本代表監督11人について評論し、あまつさえ100点満点で採点までしているのです。

  こんなすごい本を書いてしまう後藤さんとはどんな人なのか興味がわいてきます。

  その肩書は、サッカージャーナリスト。なんと1964年の東京オリンピックからサッカー観戦を開始し、これまで見た試合の数は6000以上。1978年以降、ワールドカップは12大会連続で現地取材を行っているというサッカーマニアです。その経歴からいえば、まだ60代ではありますが、サッカーの歴史に精通したプロフェッショナルと言えます。

  第二部では、これからの森保ジャパンの展望を述べているのですが、驚いたことに最後の付録でJリーグ発足以前、戦前の極東選手権と呼ばれていた国際試合から日本代表を勤めたすべての監督を紹介しているのです。聞けば、後藤氏は、「日本サッカー史 日本代表の90年」なる著作も上梓しているそうで、その見識には驚かされます。

  さて、ここで採点されている11人の日本代表監督。皆さんはすべて言えるでしょうか。

  まず、ハンス・オフト氏(19921993)。以降、パウロ・ロベルト・ファルカン氏(1994)、加茂周氏(19941997)、岡田武史氏(第一次:19971998)、フィリップ・トルシエ(19982002)、ジーコ氏(20022006)、イビチャ・オシム氏(20062007)、岡田武史氏(第二次:20072010)、アルベルト・ザッケローニ氏(20102014)、ハビエル・アギーレ氏(20142015)、ヴァイッド・ハリルホジッチ氏(20152018)、西野朗氏(2018)と続きます。

  そして、その後森保一氏が代表監督に就任して現在に至るわけです。

  皆さんの中では、どの代表監督が一番印象に残っているでしょうか。

  後藤さんは、名だたる監督たちの評価を8つのポイントで採点しています。そのポイントは。まず、「①戦績(15)」、「②チーム作り(15)」、「③戦術・采配(15)」、「④決断力(15)」の4つを15点満点で採点します。そして、「5カリスマ性(10)」、「⑥発信力(10)」、「⑦新世代育成(10)」、「⑧特別加算点(10)」の4つは10点満点。総合計で100点満点となります。

  後藤氏は、この得点を編集者からの提案で加えたものと決して重視しているわけではありませんが、それぞれの監督に関する記述は、実際に取材したジャーナリストならではの視点に基づくとても興味深い話が盛りだくさんです。

  こうしてすべての代表監督を一気に俯瞰すると、代表監督なるものがいかに過酷な職業かがよくわかります。日本が初めてワールドカップのアジア予選を突破して本戦に出場したのは、1998年に開催されたフランスワールドカップでした。それ以来日本が本戦へとコマを進めたのは、自国開催であった2002年のフィリップ・トルシエ監督を除けば、3大会にとどまります。

  その監督は、岡田武史監督(第二次) 南アフリカ大会、ザッケローニ監督 ブラジル大会、西野朗監督 ロシア大会でした。さらに、この中で第一次予選を見事に突破してベスト16に勝ち残ったのは、トルシエ監督、第二次岡田監督、西野監督の3人のみなのです。この3人の船籍の得点は、トルシエ監督14/15、第二次岡田監督12/15、西野監督12/15となっています。

【個性あふれる監督たちのサッカー】

  それぞれの監督の採点は、ぜひこの本で楽しんでください。

  このブログでも紹介しましたが、代表監督の中で私が最も思い入れを持つのは、オシム監督です。そのサッカーとサッカーを志す人々に対する愛情は、何よりも深い。そして、その愛するサッカーの発展のためには、自らのポジションでできることは徹底的にやる、この生き方はまさに見習うべきものがあります。

  後藤さんがオシム氏の項で冠した言葉は、「未完に終わった『日本サッカーの日本化』史上最も尊敬された日本代表監督」というものです。「水を運ぶ選手」はオシム氏を象徴する言葉となりました。それは、試合の中でチームのために必要な水を労力を惜しむことなく運び続ける選手のことを意味します。とにかく、90分間常に走り続けることができる選手。オシム氏は、そのために毎日のトレーニングを欠かしませんでした。すべての戦術は、「走る」ことを前提に成立すると考えていたのです。

  オシム氏は、この方針を徹底することでジェフ千葉(旧ジェフ市原)を監督就任3年目でみごとヤマザキナビスコカップの優勝へと導いたのです。

  オシム氏の語る「日本サッカーの日本化」の最終形はどのような状態だったのか。後藤さんは、それはわからない、と言いながら、次のように想定しています。「日本人選手が持つテクニックや俊敏性、持久力を生かして戦うこと。選手間の距離を短くして集団的に戦うこと。」この前提には、徹底して「走る」ことが前提となるのです。

  取材に基づいた記事には迫力があります。オシム監督は、ワールドカップ予選の前哨戦ともいえるアジアカップで、4位に終わっています(前回大会は優勝)。その原因はチームの疲労感だったと語ります。なぜなら、オシム監督はアジアカップの試合前でもいつもと全く同じか、それ以上の練習量を選手たちに課していたというのです。

  後藤さんは、この練習量を見て、オシム監督はアジアカップを、ワールドカップのための「東南アジア合宿」と位置付けていたのではないか、と書いています。さらに、オシム氏との取材、インタビュー時のエピソードも書いているのですが、なんともホッと心が和むような場面です。その場面はぜひ本書でお楽しみください。

  この本の第一部は、サッカー日本代表のこれまでを見つめ続けてきたファンには時間を忘れて読みふける素晴らしい評論です。

  歴代監督の中では、やはり日本人監督として選手を世界のベスト16へと導いた二人の監督の試合に掛ける決断力はピカいちです。1997年のワールドカップフランス大会に向けたアジア予選。第一次の岡田監督は、4試合が終わった直後、突然コーチから監督に昇格し、日本代表の指揮をとることになりました。にもかかわらず、岡田監督は予選を見事突破し、「ジョホールバルの歓喜」を成し遂げたのです。

  さらに第2次岡田監督は、突然倒れたオシム監督の後を受け、またもや突然の登板となったわけです。しかし、第2次の岡田監督は、若手起用に手腕を発揮します。GKの川島永嗣選手、長友佑都選手、香川真司選手、本田圭佑選手など日本代表の骨格となる選手を起用しています。さらに長谷部誠選手にキャプテンを任せたのも岡田監督だったのです。

  突然ハリルホジッチ監督の後を受け、2か月後のワールドカップで結果を出した西野監督の活躍は皆さんご存知の通りです。

  さて、この本の第2部、森保ジャパンの今後について語る紙面はなくなりました。その期待は、ぜひこの本でお楽しみください。

  この本は日本代表監督のこれまでの軌跡を語ることから、森保監督の今後を語るという、大技で本をまとめていますが、その面白さは間違いなく本物です。東京オリンピックも、ワールドカップアジア予選もコロナの影響によって延期となりました。皆さん、その延期を利用してこの本でサッカー日本代表のおさらいをしておきましょう。これからのサッカーがより楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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原田マハ 魔性の女「サロメ」とは何者か?

こんばんは。

  皆さんは、「魔性」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。

  この小説を読んで思い出したのは、シューベルトの歌曲「魔王」です。

  低音のピアノのリフで始まる「魔王」は、4つの異なる登場人物によって謳われます。もちろん、通常は一人のテノール歌手によって謳われるのですが、その詩には4つの視点から語られるのです。その主人公は「魔王」。

  ある晩高熱を出した息子を医者に診せるために父は夜の闇の中、息子を抱いて馬を走らせます。疾走する暗闇の中、魔王は熱にうなされる息子をいざなうように語りかけます。「かわいい坊や、一緒においで、楽しくに遊ぼう。綺麗な花も咲いて、黄金の衣装もあるよ。」

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(楽譜「魔王」の挿絵 wikipediaより)

  息子は、父親に「魔王が見えないの?魔王がささやきかけてくるよ。」と訴えます。疾走する父は、「息子よ、あれはただの霧だよ。」と諭して安心させようとします。しかし、魔王は執拗に息子を誘います。「素敵な少年よ。一緒においで、私の娘が君の面倒を見よう。歌や踊りを披露させよう。」息子は救いを求めます。「お父さん、お父さん。見えないの?暗がりにいる魔王の娘たちが。」父「息子よ。確かに見えるよ。あれは灰色の古い柳だ。」

  歌曲は、おどろおどろしいピアノと4つのテノールによって、緊迫の中をカタストロフへと突き進んでいきます。魔王ついに本性をさらけ出します。「お前が大好きだ。いやがるのなら、力づくで連れていくぞ。」息子は抗います。「お父さん、お父さん!魔王が僕をつかんでくるよ。魔王が僕を連れていくよ。」恐ろしくなった父親は、息子を抱える腕に力を込めて一層速度を上げて闇の中を突き進みます。

  たどり着いた時に息子は息絶えていたのです。

  この魔王の持つ蠱惑的な言葉と破滅に導く力こそ、我々が「魔性」とよぶものです。

  今週は、文庫化された原田マハさんの新たな絵画小説を読んでいました。

「サロメ」(原田マハ著 文春文庫 2020年)

【原田マハの新たな絵画小説とは?】

  「サロメ」と言えば、旧約聖書の物語ですが、過去からあまたの画家が「サロメ」の姿を描いてきました。古くは、宗教改革のルターの盟友であったドイツ画家の巨匠クラーナハが描いたサロメが有名ですが、近年では象徴主義の大家である、ギュスターヴ・モローも「サロメ」を題材とした名画の数々を世に送り出しています。特に1876年に発表された「出現」は、宙に浮かぶ預言者ヨハネの首を指し示す妖婦サロメが描かれた傑作です。

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(ギュスターヴ・モロー「出現」wikipediaより)

  しかし、今回原田マハさんが描いたのは、「サロメ」を描いた画家オーブリー・ビアズリーのエピソードでした。あえてエピソードとしたのは、この小説が物語ではなく「魔性」が出現したその瞬間を描くために執筆された小説だからです。

  皆さんも、オーブリー・ビアズリーの絵を一度は目にしたことがあると思います。あえて「画家」と書きましたが、彼の職業は挿絵画家でした。その最初の仕事は、トマス・マロリーが描いた「アーサー王の死」と題された本の挿絵画家としてでした。しかし、もっとも有名な絵は、オスカー・ワイルドが書いた戯曲「サロメ」の挿絵です。

  この本の表現を借りるならば、その挿絵は。「女はまるで亡霊さながら、おどろおどろしい横顔をしてぽっかりと宙に浮かんでいる。そしてその両手に掲げられているのは、麗しき髪と秀でた眉、永遠に瞼を閉じた男の生首。/女は男の首をかき抱き、たったいま、暗い池の中から空中に飛び出してきたかに見える。いや、池に見えるのは生首からしたたり落ちる黒い血だまり。女は血の池に浮かび上がる妖艶なのだろうか。」

  それは、魔性の美女「サロメ」そのものを蘇らせる魔力を備えた絵だったのです。

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(オーブリー・ビアズリー「サロメ」挿絵)

  白と黒だけを使ったペン画にこれほどの魅力が備わっているとは、オーブリー・ビアズリーの天才はいったいどこから生まれ出たのか。その進化の秘密がこの小説に託されたひとつのテーマなのです。

  今回の小説はこえまでのマハさんの絵画小説とは一線を画した趣向にあふれています。

【ビアズリーとオスカー・ワイルド】

  オスカー・ワイルドは19世紀末のイギリスの作家。その代表作は、「ドリアン・グレイの肖像」です。昔から肖像画はそのモデルとなった人間が乗り移るものだと言われていましたが、この小説は不気味な小説です。ある日、画家のバジルは、友人のドリアン・グレイから肖像画を依頼され、その美貌あふれる姿を絵に収めました。この絵の美しさを見たドリアンの友人ヘンリー卿はその美しさをほめるとともに、ドリアンにこの世の常識にとらわれることなく、その美貌に似つかわしい自由奔放な生き方を強く勧めます。その誘惑に乗ったドリアンは、自分の代わりに肖像画に描かれた自分が年を取ればよいと宣言しました。

  このヘンリー卿は明らかにオスカー・ワイルド自らの生き方を語る本人の傀儡です。その言葉にそそのかされたドリアンは、その後、純粋な愛を求める美しき恋人を死の淵へと追いやり、さらそれをなじる画家バジルをも殺してしまいます。しかし、その後も乱れた、奔放な暮らしを続けるドリアン。20年を経てもドリアンは全く老いることなく、その美貌は衰えることを知りません。

  しかし、ドリアンがまったく変わらぬ美貌を保ち続けている間、バジルが描いた彼の肖像画は醜く変貌し、ドリアンに代わって年を取り続けていくのです。

  その結末はこの小説を読むにしかず、ですが、オスカー・ワイルドはこんな猟奇的な小説を描くだけのことはあり、自らが世の常識に従わない自由奔放な男だったのです。

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(オスカー・ワイルド「サロメ」 books.rakutenより)

  イギリスと言えば、ジェントルマンの国です。

  その一方で、長い間、伝統と階級を重んじてきた社会でした。ピューリタン革命の時代から、貴族階級と労働者階級は完全に分かれており、貴族たちは支配階級として帝国に君臨していました。その世界観は特に保守的で厳格。階級が異なれば会って話をすることさえままならない世界が長く続いていたのです。19世紀末は、イギリス帝国の最盛期であり、こうした保守性と厳格さは彼らの誇りでもありました。

  同じころ、ドーバー海峡を渡った先のフランスでは、パリを代表される大敗を賛美し、自由を愛する人々が奔放な芸術活動を続けていました。印象派はもちろんのこと、パリでの芸術的成功を求めて、ピカソやゴーギャン、アポリネールなど若い芸術家たちがやがて来る新時代を前に芸術を語りあかしていました。保守的で厳格なイギリスでもこうした荒廃した世界にあこがれる人々もいました。オスカー・ワイルドは、こうした中、イギリスに颯爽と登場し、その自由奔放な行動と退廃的な芸術性で人気を博していたのです。

  イギリスで生まれたオーブリー・ビアズリーは、こうした退廃的奔放とは無縁な生活を送っていました。彼は、1898年に25歳と言う若さで夭折しますが、その原因は結核でした。彼が初めて結核と診断されたのは、7歳の時です。彼は、母親の収入でとても大切に育てられましたが、早くから芸術に才能を見せていたと言います。ピアノがうまく、文才もあり、絵がうまい。彼の画才はとびぬけていました。

  彼には、細やかな愛情そそいでくれた母と彼を守ることが当たり前のように育ってきた姉がいました。姉の名前はメイベル・ビアズリー。弟の画才を埋もれさせたくなかったメイベルは弟の絵を見せるために、オーブリーを連れて当時イギリスの画壇で名のあったエドワード・バーン・ジョーンズのもとを訪れます。

  このくだりは、この小説のひとつのハイライトですが、ネタバレとなるので小説を楽しみにしておいてください。そのときに、オーブリー・ビアズリーの画才は初めて世に認められることとなるのですが、この場に居合わせたのが、かのオスカー・ワイルドその人だったのです。

  この出会いからオーブリーの運命は大きく転換していくこととなるのです。

【原田マハが描く「魔性」とは】

  「あゝ、あたしはとうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。」

  クライマックスの「サロメ」のセリフは衝撃的です。サロメは、ヘロデ王の前で「七つのヴェールの踊り」という世にもあでやかで妖艶な舞を踊ったほうびに、ヘロデ王にとらわれていた預言者ヨカナーンの生首を所望したのです。地下の監獄に繋がれたヨカナーンを一目見て恋に落ちてしまったサロメは、ヨカナーンに触れたくて千々に乱れる想いから逃れることができません。しかし、預言者はその思いをきっぱりと拒絶します。

  サロメは、自らの想いを遂げるためにヨカナーンの生首を求めたのです。

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(原田マハ「サロメ」 amason.co.jp)

  この反道徳的で、しかも欲望に満ちた蠱惑は、人の欲望、想いに忠実であろうとするオスカー・ワイルドの想いそのものでした。そして、その桁外れな芸術を全く同じ感性で表現したのが、オーブリー・ビアズリーだったのです。二人は、余人には理解しえない魔性を共有します。

  今でこそ「LGBT」や「ジェンダ-」などの言葉で、同性愛の存在は知性ある人々に受け入れられつつありますが、19世紀末のイギリスでボーイズラブが受け入れられるわけもありません。オスカー・ワイルドは、劇場やアトリエ、さらには社交場に若くて美しい男性を数多く引き連れて訪問していました。それは、言外にボーイズラブを公言している行動です。

  そして、畢生の芸術である「サロメ」をめぐって、男たちの三角関係が繰り広げられていきます。それは禁断の世界であるとともに、芸術としてはまさに「魔性」の世界です。オーブリー・ビアズリーもその才能ゆえにその渦中へと巻き込まれていくのです。

  しかし、このボーイズラブの世界がこの小説の新機軸なのではありません。確かに、原田マハさんと「魔性」の世界はこれまで融合することはない世界でした。ところが、この小説はそれほど単純ではありません。

  これまで、マハさんは常に女性の視点に立って自立した女性の物語を語ってきました。絵画小説においても主人公のひとりは必ず颯爽とした女性でした。そう、今回の小説も例外ではありません。オーブリー・ビアズリーに最も近い女性は誰でしょうか。

  それは、結核の患う弟を守り、その絵画の才能を世に出し、自らも女優としての道を歩もうとするオーブリーの姉、メイベル・ビアズリーその人です。

  そして、今回描かれる「魔性」とは、これまで語られてきたオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーの間に生まれた禁断の魔性以上に「人間の性(さが)」そのものに肉薄するような「魔性」なのです。

  小説「サロメ」には、これまでの絵画小説のような謎解きやワンダーなプロットは使われていません。そうしたものはなくても、ラストのどんでん返しに皆さんは衝撃を受けるに違いありません。そして、その衝撃の伏線は、プロローグから周到に用意されているのです。

 皆さんも、この「サロメ」で、これまでとは一線を画す新たな原田マハの魅力に触れて下さい。その「魔性」に背筋がゾッとするに違いありません。


  世の中では、首都圏のコロナ新規感染者の数が急増しています。首都圏の皆さん、3密を避け、ソーシャルディスタンスを保ちましょう。感染対策が万全のお店で飲むときでも、声高に飛沫を飛ばすことなく、穏やかな会話を楽しみましょう。ここが我々の踏ん張りどころです。私も含め、皆さんの一つ一つの行動が日本と世界を救うのです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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鈴木敏夫 ジブリ映画の秘密を語る

こんばんは。

  新型コロナの感染リスクを管理しつつ、街は日常を取り返しつつあります。

  日本では、人口に対する感染者数、死亡者数は圧倒的に少なく、新規感染者も北海道、首都圏、福岡以外ではほとんど発生していません。しかし、世界に目を向けると南米やアフリカではまだまだ感染者は斧鉞どけており、パンデミック第二波が起きるのか否か予断を許しません。

  世界中で徐々に経済活動が再開され、日本でも612日から東京でも夜の街での自粛が緩和され、19日には都道府県をまたぐ移動も解禁されると言われています。自粛初期のころ、東京から沖縄などに遊びに行って暗線した芸能人が顰蹙を買いましたが、我々も新規感染者が出ている地域から都道府県外に出かける場合には、感染防止に十分留意して、節度を持って立ち振る舞うことを心掛けなければありません。

  いつもよりも緊張感を持った行動を心がけましょう。

  話は変わりますが、皆さんはスタジオジブリの映画と聞いて、どの作品を思い出しますか?

  「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」「紅の豚」「となりのトトロ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」などなどすぐに思い起こすだけでも名作の数々が並びます。

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(「天空の城ラピュタ」prcm.jpより)

  今週は、スタジオジブリの要ともいえるプロデューサー鈴木敏夫さんが語るジプリ本を読んでいました。この本は、スタジオジブリが世に送ったすべての作品を鈴木敏夫さんが語る、という作品のエピソードがギッシリ詰まった面白い本です。

「天才の思考 高畑薫と宮崎駿」

(鈴木敏夫著 文春新書 2019年)

【鈴木敏夫氏は何者?】

  スタジオジブリの作品と言えば、何と言っても宮崎駿さんとその先輩に当たる高畑薫さんという2人の名アニメーターが創りだしてきた世界です。しかし、いつからかスタジオジブリのプロデューサーとして鈴木敏夫さんがマスコミに登場するようになりました。「この人はいったい何をする人なのだろう。」、登場するたびにその謎は深まりました。

  「プロデュース」とは、英語で「生み出す」という意味ですが、日本のプロデューサーは「生み出す人」と言う意味とは異なります。それは、作品を制作する上での総括責任者としての役割を果たす人間のことをさすようです。

  いったい、なぜ鈴木敏夫さんはスタジオジブリのプロデューサーになったのでしょうか。

  この本を読めば、鈴木さんが数々のスタジジブリ作品を世に出すために何をなしてきたのかが分かります。もちろん、ジブリの作品は高畑薫さんと宮崎駿さんというクリエーターがいなければ存在することはありませんでした。しかし、映画は一人のクリエーターで制作することは不可能です。そこにはスポンサーはもちろん、脚本、美術、音楽、映像、アニメーター、声優、そして監督が必要です。さらに言えば、上映する映画館への配給、集客のための宣伝がなければ、映画は我々の目に触れることがないのです。

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(文春新書「天才の思考」amazon.co.jp)

  皆さんは、アニメーション専門の「アニメージュ」なる雑誌をご存知でしょうか。

  今もアニメ雑誌の御三家と言われる「アニメージュ」は、1978年に産声を上げました。その頃は、松本零士さんの「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」が絶大の人気を誇り、その創刊号は7万部を売り上げました。編集販売は、徳間書店。今やスタジオジブリの顔ともいえる鈴木敏夫さんは、何とこの「アニメージュ」の初代編集担当者だったのです。

  この本は、スタジオジブリの映画を製作年代別に語るとの体裁を取っていますが、その最初の作品は当時のアニメーション界に衝撃を与えた「風の谷のナウシカ」です。そして、この映画の製作、そして公開を後押ししたのが当時、徳間書店の社長であった徳間康快その人だったのです。

  人間たちの起こした最終戦争「火の7の日間」によって破壊された後、1000年後の世界。破壊された自然は自らを守るために、地球は世界を「腐海」と呼ばれる毒素に満ちた空間で覆い尽くしました。しかし、戦いをやめることのない人間は、「腐海」に侵されていないわずかな大地に国を建て、勢力争いに明け暮れていました、

  「風の谷」は、そんな中で平和を愛する人々が集う小さな村でした。ナウシカは、「風の谷」の族長の娘。このファンタジックな世界観と登場するメカニカルな「メーヴェ」(一人用軽飛行機)や「ガンシップ」(小型飛行機)は、まさに宮崎駿さんの世界観全開の傑作でした。

  しかし、この名作はその後のスタジオジブリ作品の序章にしか過ぎなかったのです。

  鈴木敏夫さんは、徳間書店の「アニメージュ」編集者として、「ナウシカ」の制作、公開に奔走しました。そのいきさつは、この本でたっぷりご堪能ください。

  ここで少し「ネタばれ」です。皆さんは「チンチロリン」という遊びをご存知でしょうか。サイコロ3個をドンブリに投げ入れて、その賽の目によって勝ち負けが決まる賭け事です。「ナウシカ」を映画化するにあたって、鈴木さんは何とか徳間書店に映画制作を認めてもらうように働きかけます。しかし、当時の「アニメージュ」の発行部数では、社内で到底映画化の賛同が得られません。

  そこで、鈴木さんは一計を案じます。当時、社内でも発言力を持っていたのは宣伝部長でした。そして、この宣伝部長は賭け事に目がなかったのです。そこで鈴木さんは同僚とつるんで宣伝部長を「チンチロリン」に誘います。もちろん、鈴木さんと同僚は勝つわけにはいきません。二人で特訓をして5万円ずつ負けようと決めていました。そして、「チンチロリン」の間中、「ナウシカ」映画化の話をし続けたのです。

  そして、その努力?が「ナウシカ」の制作決定に繋がったのです。

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(ナウシカ愛用の「メーヴェ」)

  この本は、スタジオジブリの作品に鈴木敏夫プロデューサーがどんな役割を果たしたのかをご本人の語りで教えてくれるのです。

【二人の天才のあいだで】

  「千と千尋の神隠し」でアカデミー賞にも輝いた宮崎駿。「かぐや姫の物語」で日本の動画に新たな「線」を創造した高畑薫。スタジオジブリは、この二人の天才とその天才に才能を発揮する場所を創り続けた鈴木敏夫さんが三位一体で作り上げた会社だったと言っても過言ではありません。

  この本のもう一つの楽しみは、それぞれの作品を作り上げていく過程で、このお二人がどのように作品を作り上げていったのかが垣間見えるところです。

  スタジオジブリ誕生のいきさつは意外でした。

  「ナウシカ」は、宮崎駿さんが「アニメージュ」に連載していた漫画を原作としていますが、漫画とは異なり一作品で物語が完結しています。この作品のプロデューサーは、ジブリのもう一人の天才高畑勲さんでした。宮崎駿さんは、高畑さんが創ったテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」をはじめとした一連の作品でアニメーターを務めていたのです。

  もともとアニメーターとして優れた技術を持っていた宮崎駿さんです。アニメーションは、漫画と違って一人で作れる作品ではありません。美術、背景、作画、色塗り、演出など多くの腕の良いスタッフたちが必要となります。宮崎さんは、こうしたプロセスのすべてに対して非常に高い技術や表現を要求します。良い作品を作るためには、一片の妥協もありません。

  宮崎さんの厳しさを知っている東映や東京ムービーなど名だたる制作会社は、ことごとく「ナウシカ」の作画制作を断ったのです。それは、宮崎さんのクオリティに対する姿勢があまりに厳しいがために、人がついていけないことが理由でした。「ナウシカ」のプロデューサーであった高畑さんと徳間の担当であった鈴木さんは、ほとほと困って阿佐ヶ谷にある制作会社トップクラフトに相談します。その社長はかつて高畑映画のプロデューサーを務めていた人物で、「ナウシカ」の制作を引き受けてくれたのです。

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(高畑監督遺作「かぐや姫の物語」ポスター)

  そして、その製作期間は8カ月に及びますが、みごとに「風の谷のナウシカ」は完成し、世に出ることとなりました。

  しかし、「ナウシカ」の後、宮崎さんは「二度と監督はやりたくない。」と鈴木さんに語ります。その理由は、これ以上仲間が自分から離れていくことに耐えられない、というものでした。宮崎さんのアニメーション創りには、宮崎基準の高いクオリティが求められます。そこに到達しない仕事に宮崎さんは容赦なくダメ出しを続けます。すべてのスタッフとクオリティの闘いを演ずるわけですから、普通の才能の持ち主は付いていけず辞めていってしまうのです。

  もう二度と監督はしない、との言葉は本音でした。一方、高畑さんは「ナウシカ」の後、自らの監督作品を作ることになります。しかし、高畑さんは映画に常に新たな創造を求めていくタイプの天才です。そこには、世間のしがらみは関係なく、とにかく良いものを創ることしか目に入らないのです。映画は、高畑さんのそうした想いをつぎ込んだおかげで大幅な予算不足となり、制作の見通しが立たなくなりました。

  その姿を見かねた宮崎駿さんは、「ナウシカ」の収入をその映画に出資します。しかし、まだまだ資金は足りません。困った宮崎さんは鈴木さんに相談します。そのときの回答は、「もう一本映画を創ればよい。」という一言でした。「ラピュタ」の構想は、この一言から始まったのです。

  「ラピュタ」は、構想から絵コンテまでアッという間に宮崎さんが紡ぎ出しました。しかし、困ったことにアニメーションを制作する会社がありません。「ナウシカ」を創ったトップクラフトは、宮崎さんと仕事をした優秀なスタッフがほとんど辞めてしまい、開店休業状態です。そこで、「ラピュタ」制作のために、借金だらけで立ち上げたのがスタジオジブリだったのです。

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(スタジオジブリの壁紙  hypebeast.com)

  この本には、こうした本当に面白い話が満載されています。

【名作たちのメイキングエピソード】

  「ジブリ」という名前の発案は宮崎駿さんだそうですが、ここにも楽しいエピソードがあります。

  宮崎さんは、「紅の豚」や「風立ちぬ」で知られる通り戦闘機に対して一方ならぬ思い入れがあります。スタジオの名前を考えるときに宮崎さんはイタリアの軍用偵察機「GHIBLI」が良いと言いだしました。高畑さんは、これはイタリア語で読むとギブリと読むのではないか、と疑問を投げ掛けますが、宮崎さんはイタリアの友人がジブリと読むと言っていると言い、結局この名前になるのです。

  ところが、のちにイタリア語ではギブリと読むことが判明します。ことは後の祭り。日本では「スタジオジブリ」なのですが、世界では「スタジオギブリ」と呼ばれているそうです。

  さて、皆さんがジブリ映画と言えばどの作品を思い出すか、答えは出ましたか?

  この本には、スタジオジブリすべての作品の制作エピソードが語られています。スタジオジブリが創りだしたのは映画だけではありません。ジブリの森には美術館もあれば託児所もあります。そして、日本のアニメ界をけん引していくアニメーターたちもスタジオジブリで育ちました。庵野さんも押井さんも、高畑さんと宮崎さんのアニメスタッフで多くのことを学んだのです。

  ジブリ映画のファンの方もそうではない方も一度この本を読んでみて下さい。日本に一つの時代を築いたクリエーターたちの仕事を垣間見ることができるに違いありません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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真山仁 東京地検特捜部検事富永 再び!

こんばんは。

  4月16日に宣言された全国の緊急事態宣言が解除されました。

  5月25日。北海道および首都圏が残されていた緊急事態宣言がすべて解除されました。あれから1週間がたち、飲食店やフィットネスクラブ、そして映画館、商業施設などが感染対策を徹底したうえで再開され始めました。

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(宣言解除翌日の渋谷駅前 asahi.com)

  これからの合言葉は「With Corona」ですが、この言葉の意味をキチンと咀嚼する必要があります。これまでの世界の感染者数は560万人を超え、死者は36万人を超えています。その感染力の強さは驚異的であり、高齢者や既往症のある方の死亡率は非常に高くなっています。

  その事実を踏まえると、職場や施設内で感染者が発生した場合に、感染者と感染源の特定を可能な状態にするにはどうすればよいのか、発見すればすぐに休業ができる体制になっているのか。こうしたことを十分に準備して日常活動を再開することが必須要件だと思います。

  それよりも大切なのは、我々一人一人が感染しない、させないことを意識した生活を送ることです。仕事や飲食、健康維持の体力づくりなどをしていく中で、いかに感染を意識して生活をしていくことができるのか、が新型コロナとの共生なのだと確信します。それには、習慣を見直すことが大切です。マスクをすることが当たり前、公共の場所でもトイレがあれば手洗いする。施設に入るときには両手を消毒する。匿名で訪れたいような場所には行かない。

  こうしたことが習慣になれば、少なくとも市中での感染は著しく少なくなり、万一感染した場合でも感染源を特定できる確率が高くなります。この日常を守るためにも、ワクチンが開発され、それが廉価にいきわたるようになるまでは新たな習慣を大切にしましょう。

  さて、そんな中で読んでいた本は、真山仁さんが描く東京地検特捜部、富永検事の活躍を描くシリーズ第2弾を読んでいました。

「標的」(真山仁著 文春文庫 2019年)

【検察庁のフリーランス部隊とは】

  このシリーズは、産経新聞に連載されたシリーズ小説です。真山さんと言えば「ハゲタカシリーズ」がつとに有名ですが、意外なことにシリーズものはこれ1作だけだそうです。そして、作家10周年に至って何か新たなシリーズを書き始めたいと考えたのが、富永検事の小説だったといいます。真山さんと言えば、綿密な取材に基づいて現実以上にリアルに小説世界を描き出しますが、政治の世界も得意分野のひとつです。

  真山仁さんが政治を描いた小説では、日本の総理大臣の理想と腐敗を描きあげた「コラプティオ」が思い浮かびますが、政治と密接に関係している検察庁の物語は、真山ワールドに非常に親和性の高いテーマだと思います。

  かつて、日本の文学では「社会性」を描くことは普遍性を保つことができないという意味で、ある種、際物的に取り扱われていました。今でも「芥川賞」では、文学表現の独自性と斬新さが重視されており、社会的事象を取り扱うことは不似合だといえます。しかし、かつてのソビエト連邦でソルジェニーツィン氏が告発したような政治世界は、文学の先進性を見事に表現していました。イギリスやフランスから発し、アメリカに大きな繁栄をもたらした民主主義と自由主義経済の体制は、かのクロムウェルから数えれば300年にも及ぶ歴史を有しており、すでに普遍的な理念と言ってもよいのではないでしょうか。

  真山仁さんは、綿密な取材と真実性を兼ね備える小説を描くという意味で、あの山崎豊子さんを目標にしていると言います。

  今回、奇しくも安倍内閣が次期検事総長候補の検察検事長の黒川氏の定年の延長を、検察庁法を無視して閣議決定し、あまつさえ今国会で後出しジャンケンのごとく検察庁法の改正案を提出してその正当化を図りました。この法律改正案は、識者の猛反発を惹起して、SNSは大炎上。さらには、もと検察庁OBたちの反対直訴にまで及びました。

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(反対意見書を提出した元検事総長 manichi.com)

  この出来事は、黒川氏が自粛期間中にもかかわらず、某所で複数回の賭けマージャンに教師でいた事実が暴露され、検事長を自任するというお粗末な結果となり、法案改正も取り下げられましたが、政治家とは実に執念深い人種であり、検察庁人事への恣意性を条文に盛り込んだ改正はまた国会に提出されるに違いありません。

  こうしたことがなし崩し的に重ならないように我々はキチンとアンテナを立てておく必要があるのではないでしょうか。

  さて、検察官はたった一人でも犯罪者を起訴できるという権限を持っています。もちろん、起訴とは裁判を起こすための要件ですが、刑事裁判の場合、もしも無実であれば事件の被告となった人間は、被疑者として社会的に大きな痛手を被り、大きな損害賠償を請求されることになります。

  ですので、検察官は犯罪者が間違いなく有罪であることを客観的な証拠によって明確に立件できるだけの裏図家調査を求められることになります。もちろん、このことは警察官にも言えるわけですが、警察は逮捕権をもっていますが、訴訟を提起することはできません。起訴ができるのは、あくまでも検察官なのです。

  真山仁さんが描く富永検事は、一人でも捜査、起訴ができる検察官の代表なのです。

【「巨悪を眠らせない」検事】

  巨悪とは何か、それは東京地検特捜部にとっては大きな権力を持つ政治家の巨額の贈収賄事件、横領事件の摘発のことをさします。

  政治家は、逮捕や起訴に対して法令によって守られています。総理大臣は、法務大臣を通じて逮捕への拒否権を発動することができますし、国会議員は国会開催中に逮捕されることはありません。それは、彼らが日本の国益を代表する、行政と立法の代表者だからなのです。

  日本では、権力を持つ行政機関である自衛隊、警察官、検事官は、すべてシビリアンコントロール(文官統治)の下に置かれています。それは、全体主義国家による世界征服に代表されるように国の権力が全体主義に統治されれば、国民の虐殺や他国への侵略が行われることになることが、歴史的に証明されているからです。

  つまり、巨大な権力を有している組織では、その統治者に政治家である行政大臣が置かれているということです。彼らは、政治家であり常に国民のため、国益のために正義の徒であることが前提となっています。しかし、人間である限り、そこには権力欲や物欲、虚栄心があることを否定するわけにはいきません。とくに大臣や総理大臣は大きな権力を有しており、その権力の見返りに巨額の富を築くことも不可能ではありません。

  そのことを止められるのは誰なのか。

  それが、検察庁の中でも特別捜査を行う組織である各行政区にある特別捜査部なのです。特に東京地検特捜部は、その地域内に総理官邸や各省庁舎、国会議事堂を有し、過去にも政治家の利権に絡む数々の事件を捜査、起訴してきました。

  かの「ロッキード事件」では、ピーナッツに摸された巨額の現金が授受されて、時の総理大臣であった田中角栄が起訴され、有罪となりました。また、「リクルート事件」でも株の無償譲渡に関して贈収賄の疑惑が持ち上がり、複数の国会議員や元大臣が逮捕され、時の竹下内閣は総辞職に追い込まれました。

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(田中角栄元首相逮捕の報道紙面ー朝日新聞)

  前回の「売国」は、日本の宇宙開発技術に関する利権に絡んだ諜報的な漏えい疑惑を描いた手に汗を握る小説であり、テレビドラマにもなりましたが、今回のテーマは、次期総理大臣を目指す女性議員、越村みやびの疑惑に富永検事が対峙していくという、聞いただけでその展開に胸が躍るものです。

  実は、今回の小説の中には、前作がテレビドラマ化されたときの題名である「巨悪を眠らせない」との言葉がちょっとしたシャレで登場します。そのネタは後半に登場しますが、ぜひこの面白い小説を読んで確かめて下さい。

【次期総理大臣VS富永検事】

  真山仁さんの小説は、本当によく練られて面白い。

  今回の面白さは、主人公とわき役たちの生き生きとした動きと、それに伴い明らかになっていく事実の緊迫感あふれるワンダーです。

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(文庫版「標的」文春文庫)

  まず、主人公富永検事の陣営ですが、とことん「証拠」にこだわる富永検事の相棒を務めるのは、まだ若いが「割り屋」との異名を取るバイタリティ溢れる女性検事、藤山あゆみです。さらに二人の上司となるのは、強面の副部長である羽瀬検事。羽瀬は、ひと睨みするだけで嫌疑者が口を割るとさえ言われるやり手の検事ですが、やはり上司からの命令には従うという柔軟性も身に着けています。

  そして、迎え撃つ越村みやびは、48歳の国会議員。金沢の老舗酒造家の娘ですが、その人気と手腕はすべての議員が認めるところ。黛総理の懐刀として厚生労働大臣を務め、次期総理の有力候補として名をはせています。もしも、民自党の総裁選で勝てば、日本憲政史上初の女性総理大臣になると、話題となっているのです。

  さらに、東京地検特捜部と言えば欠かすことができないのはマスコミです。今回、ジャーナリストとして登場するのは名門新聞社である「暁光新聞」の記者、神林裕太です。元経済部の記者だった神林は、これまで数々のスクープをものにしてきたやり手記者の東條部長にみこまれて、遊軍ともいえるクロスボーダー部に呼びこまれています。

  さて、小説の中心となるのは、高齢化社会への政策として肝いりで制定された「サービス付き高齢者向け住宅」いわいる「サ高住」です。

  「サ高住」は、老人ホームや介護施設とは異なり、言葉の通りサービスを付加した高齢者向けの住宅のことです。つまり、高齢者向けの住居でありながらそこに医療サービスや介護サービスが付帯されているのです。この政策は、これからの超高齢化社会に向けて高齢者自身がサービスを選択し、自らの住居を選択するという理想的な政策として期待されてきました。

  しかし、補助金を伴う「サ高住」には、利権を求める人々が群がっていました。「サ高住」は、「高齢者の住居の安定確保に関する法律」に定められた住居で、リーマンショック後の不動産業界では、空き地と言えば「サ高住」と言われるほどの大ブームとなり、その補助金を目当てにして新築ブームが出現しました。

  そこには、新たな利権の構造が出来上がり、「サ高住」によって成り上がった勝ち組の業者がたくさん生じました。世の中では、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われますが、この制度にも悪徳業者が輩出し、与野社会問題となっています。

  ここに登場したのが、高齢者を食い物にする悪徳業者を駆逐する法律の制定に乗り出した越村みやびだったのです。兼ねてからこの問題に焦点を当てていた越村は、黛総理大臣の庇護のもと厚生労働大臣に任命され、この問題の解決に自ら乗り出したのです。しかし、そこは利権渦巻く世界でした。

  ある日、上司の羽瀬から呼び出された富永と藤山は、羽瀬から越村みやびの捜査を命じられます。そこには、「サ高住」問題解決の法案成立のためにある「サ高住」団体から越村みやびが多額の資金を受け取っている、贈収賄の告発があったのです。越村は、「清廉潔白」がトレードマークの政治家。それは次期総理大臣候補の越村みやびからは最も遠い世界の告発でした。

  ここから、我々は手練の真山節の世界へと引き込まれていきます。業師である現職の黛総理の姿がバックに垣間見える中、富永検事の手に汗握る戦いの火ぶたが切って落とされるのです。


  このシリーズは、真山さんにとっても思い入れあふれる作品です。その面白さは天下一品。真山ファンならずともその面白さには時間を忘れます。ぜひ皆さんもお楽しみください。このシリーズが末永く続くこと願ってやみません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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人は音楽なしでは生きていけない

こんばんは。

  今年のゴールデンウイークは、「家にいよう」が合言葉です。

  日本人という民族は、本当にオリジナルな存在だと思います。鎖国をしている間でも江戸を世界一の年にしてしまうし、江戸末期には和算学の関孝和はすでに微分積分を使っていたし、渋川春海は天文学を極め、星の動きから日本1300年にわたる暦をすでに紐解いていました。ところが、文明開化によって西洋文化こそが人類発展の礎とばかりに、すべての文化を西洋の土台で取り入れて競争社会を作り上げたのです。

  今回の新型コロナ拡散では、図らずも日本の特異性が明らかになりました。

  例えば、日本では世界に比べて人口に占める感染者数や脂肪事例は圧倒的に低い水準を保っています。これは、もともと日本人が人に迷惑をかける行為を避けようとする民族であることが大きな要因なのではないでしょうか。

  日本人社会は、農業中心の経済体系を永年にわたって築き上げてきており、そこには村八分文化が根付いています。そこでは、公民的な意味での他人を思いやることとは別に、人に迷惑をかけると村からのけ者にされるため、できるだけ人様に後ろ指をさされないようにしようとの心理が働きます。そのため、疫病などに備えて触れ合わない文化がはぐくまれたのではないでしょうか。

  くしゃみや咳は人に向かってしない、挨拶は触れ合うのではなくお辞儀でする。できれば、座って距離を置いて頭を下げる。目上の人に対しては、距離を取って頭を下げたまま目を挙げない。こうした、村八分にならないための文化が接触を避ける文化となり、結果としてウィルス感染を未然に防ぐことになっているのではないでしょうか。

  そうは言っても今回のウィルスは感染力が異常に強いので、日本の文化だけでは対抗できません。また、村八分社会では負の連鎖が起きる可能性もあります。今は科学の時代です。根拠のある感染症予防(手洗い励行、マスク着用)を行い、対人接触8割減を実現し、一日も早い緊急事態宣言からの脱却を目指しましょう。

【家にいて何をやろうか】

  我々人類のために身を粉にして働いて頂いている医療従事者の方々(うちにも一人います。)には本当に感謝なのですが、それに反し私は4月にはほとんどテレワークで自宅にいました。人との接触は、家族を除けば限りなくゼロに近いのですが、いつもの日課がこなせずにイライラしてくることに間違いはありません。例えば、大好きなライブやコンサートは(当たり前ですが)すべてキャンセルとなり、テナーサックスのレッスンも(これまた当たり前ですが)すべて中止。さらには映画館も休業、本屋さんもやっていません。

  人間は社会的な生き物なので、こうした人が生み出したものへの接触を制限されるとストレスがたまりまくります。日頃からあまり運動はしていないので、その点は特に痛痒を感じないのですが、文化的接触がないのは本当に苦痛です。

  もちろん、ライブやコンサートはキャンセルなので、チケット代はもどってくるのですが、個人的にはライブやコンサートはお金に代えがたい感動を生んでくれます。最も憂うのはパフォーマーたちの収入が途絶えて、音楽活動が続けられなくなるリスクが出てくることです。もちろん、ライブハウスの経営者も生活していけず、出演者も生活の糧をえることができなくなるのです。

  イギリス、ドイツ、フランスでは、ミュージシャンを含めたパフォーマー達には都市封鎖などによって収入がなくなることへの補償があると報道されています。しかもそれは申請すれば即座にもらえるようです。日本には文部科学省がありますが、こちらの官僚たちには芸術を愛する人は数少ないのかもしれません。人間はパンなしでは生きていくことができません。さらに音楽や文学がなくても生きていけません。政治を司る人たちにはぜひそのことを理解してほしいと心から願います。

【音楽こそが我々をつなぐ】

  さて、話を戻すと、ライブやコンサートで生音を堪能することはできませんが、テレビや動画で、音楽はオンタイムで発信されています。

  コロナ以降、感動した音楽番組をいくつかご紹介します。

  まず、ポップスでは、薬師丸ひろ子さんのライブです。こちらは、NHKBSプレミアムの番組なのですが、2018年に行われた「歌がくれた出会い」と題されたライブの映像です。

  薬師丸ひろ子と言えば、70年代から80年代に青春時代を送ったお父さんたちには懐かしくて涙がチョチョ切れるのではないかと思います。そのデビューは1978年、14歳の時です。当時、角川春樹さんが角川文庫から映画製作へとすそ野を広げ、文庫本とのコラボレーションで一世を風靡しました。その第一作は、横溝正史さんの「犬神家の一読」。この映画は大ヒットし、第二作目は森村誠一さんの「人間の照明」。こちらもジョー山中が謳った主題歌とともに、大ヒットとなりました。

  そして、その第三作目が高倉健さんを主人公に描いた作品「野生の照明」だったのです。

  この「野生の照明」でデビューしたのが、薬師丸ひろ子さんでした。

  ライブのすばらしさは、その題名通り、彼女がこれまで接してきた様々な人々とのエピソードを課の儒自身が振り返るというインタビューが挿入されるところです。ライブは、これまで35年間歌われてきた数々の楽曲が網羅されていますが、それぞれの曲にまつわるエピソードが本人の口から語られる趣向は素晴らしいものでした。

  「野生の照明」のテーマ曲は、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。」とのフィリップ・マーロウの言葉がキャッチコピーの「戦士の休息」。画占め手の映画出演だった彼女に気遣ってくれる高倉健のエピソードはもちろんですが、この曲を歌うたびに高倉健さんがどこか近くにいる気がする、との言葉はデビュー当時の想いが湧き上がってくるようです。

  私が彼女のファンになったのは、1983年公開の松田優作さんと共演した映画「探偵物語」。以前からその大きな目に魅力を感じていましたが、若い女性を描いて一流の赤川次郎さんが書き下ろした原作のおもしろさもさることながら、松田優作さん延ずる駄目刑事がおませでお嬢な女子大生の魅力をふんだんに引き立てており、素敵な映画でした。

  ちょうど会社に入った年に発売されたアルバム「A LONG VACATION」は、日本のJPOPSの草分けであった大瀧詠一さんの大ヒットアルバムです。このアルバムでブレイクした大瀧さんはその後様々な楽曲をメジャー歌手に提供することになりますが、この映画の主題歌はまさに作曲家として絶好調の大瀧詠一がはなったスマッシュヒットでした。(作詞は盟友松本隆さん)この映画は、当時TV放映をビデオにとり、擦り切れるくらいに何度も見たことを覚えています。この曲もラうぶでは、大瀧詠一さんの思い出とともに歌われていました。

  そして、もう1本忘れられない映画が、夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」です。この映画は薬師丸ひろ子さんがはじめて本格的な演技に挑戦し、女優として評価された記念すべき作品です。ラストの衝撃もさることながら、この作品も主題歌が秀逸でした。薬師丸ひろ子さんの歌う「Woman”Wの悲劇より」と題された曲は、「愛」を歌いながらもスタイリッシュで見事な抑揚が心をゆさぶります。作詞は前作に続き松本隆さん、作曲は呉田軽穂です。え?クレタカルホ?かつてグレタ・ガルボという伝説の女優がいましたが、この名前は?

  実はこの人こそあの松任谷由実さんなのです。薬師丸ひろ子さんは女優生活に悩み、何度となく女優を辞めたいと思ったと言います。しかし、ある時、苗場に遊びに行き松任谷由実さんのライブを見た時に、そうなんだ、自分も自由に生きればよいのだと目の覚めるような気がした、と語っています。お二人の間には人にわからない強いきずながあったのです。この曲も名曲でした。

  薬師丸ひろ子さんの歌は本当に様々な人たちが創り、彼女との絆を作り上げてきました。薬師丸さんは中島みゆきさんの名曲「時代」もカバーしています。インタビューでは、この曲の録音の時にスタジオにみゆきさんご本人が来てくれてアドバイスを受けたと言います。ひろ子さんはこの曲を声量を持って歌おうと息を吐き出して歌っていたそうなのですが、みゆきさんがその歌を聴いて、あなたにはもっと声量があるはず、思い切って声を出して、と言われたそうです。あの中島さんが、驚きです。

  彼女がこれまで歌ってきた数々の歌には、その歌にまつわる人との出会いがあったのです。ご紹介した以外でも、彼女には竹内まりあさん、井上陽水さん、坂本龍一さんなどなど日本の音楽界を代表する作曲家たちが曲を書いています。その素晴らしい音楽を味わいながら、それぞれの人たちの出会いを語る。このライブはテレビで見るからこその感動がある素晴らしい番組でした。機会があれば、皆さんもぜひ味わってください。心が癒されること間違いなしです。

Stay Homeを実践する音楽家たち】

  さて、話は変わりクラシックの番組です。

  新日本フィルハーモニー管弦楽団は、日本を代表するオーケストラのひとつです。しかし、今回のコロナウィルスのためにすべてのコンサートは中止となりました。オーケストラにはスタッフを含めれば100人以上の人たちが仕事をしています。そこに収入の道が閉ざされればどんなことが起きるのでしょうか。それは楽団の存続にも影響する一大事です。

  オーケストラはすみたトリフォニーホールを本拠地としていますが、今はホールも閉鎖されており集まっての練習も、遠隔公演もできません。そこでトロンボーン奏者の山口さんがネットで合わせて音楽を届けようと楽団のメンバーに呼びかけたのです。曲は「パプリカ」。62名ものメンバーがそれぞれ自宅からのアクセスで一つの曲を作り上げるとの快挙に感動しました。

  ところで、NHKEテレでは毎週日曜日の2100から「クラシック音楽館」という番組を放送しています。いつもは、N響の定期演奏会の模様を放送するのですが、ときどき驚きのプログラムが放送されます。先日は、「いま届けたい音楽~音楽家からのメッセージ~」と題して、今最も才能を発揮している人々のメッセージとともに過去の素晴らしい演奏を振り返る番組を放送していました。

  92歳になる世界的指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんのベートーベン交響曲7番は、年齢を全く感じさせないテンポの名演奏。そのはつらつとした演奏に大きな元気をもらいました。そのメッセージは「今、ルツェルンの自宅で日本の皆さんを思い浮かべている。いつか皆さんのためにコンサートホールで演奏したい。こうしたときだからこそ、私たちは音楽を渇望する。」。心が熱くなりました。さらには、ベルリンフィルでコンサートマスターを務めるヴァイオリニスト樫本大進の演奏にも時間を忘れて聞き入りました。

  曲は、サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。大進さんの「この曲の第2楽章の美しさに心をいやしてもらえれば・・・」とのメッセージとともに演奏が始まります。サン・サーンスと言えば、さだまさしの曲にも使われた「動物の謝肉祭」の「白鳥」は知らない人はいないほど有名ですが、この曲のヴァイオリンの美しさは、さすがサン・サーンスと唸らせる本当に美しい旋律が心地よい名曲でした。指揮者、パーヴォ・ヤルヴィさんも相変わらずの流麗な演奏でここ画尾から感動しました。

  今、全国の緊急事態宣言も延長を迎えて、我々は「Stay Home」という、さらなる忍耐を強いられますが、こんな時こそ笑顔を忘れずに豊かな音楽を心の糧に穏やかに毎日を過ごしていきましょう。

  今、私は毎日テレワークで仕事をしていますが、幸せなことに子供も巣立ち音楽を聴きながら仕事に勤しんでいます。今のお気に入りはエリック・アレキサンダー(T.Sax)、2016年のアルバム「Second Impression」です。やんちゃなエリックから変貌し、ストレートでアグレッシブながらも大人の魅力を醸しだす彼のSAXがひときわ響き渡る名作です。ジャズがお好きな方は、一度お聴き下さい。お気に入りの1枚になると思います。

  それでは皆さん、いつもに増してお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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