更科功 絶滅の次は残酷な進化!?

こんばんは。

  ひところ、「人類の進化」が流行っていた時期がありました。それは、ネアンデルタール人よりも小さな脳を持つ我々ホモ・サピエンスは、なぜ唯一の人類として生き残ったのか、との疑問をNHKの特集「人類誕生」が取り上げたことがきっかけのひとつです。そのときに読んだのが、更科功氏の本「人類の絶滅史」でした。

  この本のワンダーは、700万年前、我々ホモ・サピエンスがこの世に誕生するまでに、地球上には25種類以上も人類がいることが確認されていたという事実。さらには、そのすべてがネアンデルタール人を最後に絶滅し、1万年前に共存していたネアンデルタール人が絶滅してからは、我々ホモ・サピエンスが唯一の人類だ、という事実でした。

  我々が生き残り、この地球ですべての生命の頂点に君臨すると思っているのはなぜなのか。その理由が食料を調達するため、また、子供を育てるため、であったことが分かり易い語り口と意外な例示で示されていき、本当に面白い本でした。それ以前に読んだ「化石の分子生物学」は、講談社科学出版賞も受賞しており、その語り口はとてもなめらかです。

  先日本屋さんで新書の棚を眺めていると、またまた「更科功」の文字が目に入りました。いったい今回は何を語ってくれるのか。楽しみにレジへと向かいました。

「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」

(更科功著 NHK出版新書 2019年)

sinka01.jpg

(更科功「残酷な進化論」amazon.co.jp)

【ワンダーを紡ぐ語り口】

  この本を読んでいて思い出したのは、福岡伸一ハカセです。今やその著作がスッカリ有名になりましたが、ベストセラーとなった「生物と無生物の間」はハカセの郷愁を感じる描写とこれまでの生物学の発見と進歩を解き明かすワンダーが相まって、最後まで一気に読み終わってしまう素晴らしい著作でした。思い出したのは、どちらも分子生物学の研究者であるところが共通だからです。

  もっともその専門分野は異なっており、福岡ハカセが現在の分子生物学を研究し、我々は新陳代謝によって毎日生まれ変わることで生きている、といってもよい「動的平衡」との概念を我々に教えてくれます。一方の更科功氏は化石や古生物の分子を研究してまさに進化の謎を解き明かそうとする研究者です。

  福岡ハカセが研究の道を志したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。片や更科功氏が探求しているのはかのチャールズ・ダーウィン。とその研究対象には違いがありますが、生命の分子的研究によって「生命」とは何か、「生きる」とは何か、を究明するとの姿勢はまったく変わりがありません。

  「動的平衡」によれば、我々生命は、自らのすべての細胞を日々新たな細胞に更新することによって生命を維持するのであり、人は1週間もすればすべての細胞が更新されて、まったく新しい命になっていると言います。

  子供のころ姉と一緒にふろに入ると、姉がいつも「あかすり競争」を仕掛けてきました。それは、体を洗うときに体を洗ったタオルをゆすいだ時に、どちらがたくさん「アカ」が落とせたかを競う遊びです。当然、いつも私が勝つわけですが、今思えば、お風呂が大嫌いだった私をふろに入れる作戦だったわけで、姉の戦略には今更ながら脱帽です。

  シェーンハイマーのたんぱく質入れ替え理論や「動的平衡」と聞くと、いつも昔懐かしい「あかすり競争」を思い出します。

sinka05.jpg

(福岡伸一「動的平衡」amazon.co.jp)

  福岡ハカセは置いておいて、今回は「進化」の話です。

  更科さんの語り口は、分かり易く、なめらかです。なぜ分かり易いのかといえば、話の枕がとても興味深い例示や質問になっていることが大きな特徴です。プロローグで、氏は語ります。仮に遥かなる未来、地球が消滅する前に地球生物は地球を脱出し、様々な星に避難民として移民します。ある星には、人間と松の木とミミズが移住しました。

  最初のうちこそ異星人たちもその境遇に同情して優しく接してくれますが、時がたつにつれて居候に嫌気がさしてきます。何か役に立ちたいと思っていた松の木は、光合成という能力を発揮して、その星の二酸化炭素を酸素に換えて空気の浄化に役立ちました。異星人は、なかなかよく働く木だと見直します。それを見ていたミミズは、私もと、その星の土壌を耕して滋養豊富な土に換え、異星人たちに豊作をもたらします。異星人たちは、ミミズの働きに感謝しました。

  はたして人間は何をしてくれるのか。人間は、「バカにするな。我々は地球でもっとも繁栄した生物で、特別だったんだ。松の木やミミズと一緒するな。」と腹を立てます。それでは、いったい何ができるのか、と聞かれて、「我々は足し算ができる。」と答えました。しかし、足し算はその星の住民でもできることなので、役には立たなかったのです。

  こんな話から始まる本は、それで次は?と先を読みたくなるわけです。確かに人間は、自分たちを進化の最高位にいる生物だと思い込んでいるフシがあります。果たしてそうなのでしょうか。我々は、ダチョウのように地上を高速で走ることもできなければ、カラスのように空を飛ぶこともできません。昔は仲間であった猿のように木登りもできません。にもかかわらず、我々は、他の生物より優れていると思っています。

  それは、「進化」という言葉を正しく理解していないからなのではないか。では、進化とは何なのか。それは、我々の細胞が毎日入れ替わっていく「動的平衡」の先にある「自然淘汰」によってもたらされる生命行動そのものなのです。この本は、我々にそのことを教えてくれます。

【ダーウィンと進化論の間】

  さて、この本の目次を覗いてみましょう。

序章 なぜ私たちは生きているのか

第1部 ヒトは進化の頂点ではない

 第1章 心臓病になるように進化した

 第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

 第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

 第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係

 第5章 いまも胃腸は進化している

 第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か

第2部 人類はいかにヒトになったか

 第7章 腰痛は人類の宿命だけれど

 第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か

 第9章 自然淘汰と直立二足歩行

 第10章 人類が難産になった理由とは

 第11章 生存闘争か、絶滅か

 第12章 一夫一妻制は絶対ではない

 終章 なぜ私たちは死ぬのか

  面白そうですね。この本には、これまで著者が研究し、様々な場所で発表してきた内容がギッシリと、しかも分かり易く詰まっています。そして、すべての章がたとえ話と想定問答、それに対する意外な答えによってワンダーを感じながら進んでいきます。

  皆さんの中には、牛乳が苦手な方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の友人たちにも牛乳が苦手で、飲むとおなかがゴロゴロ言っておなかを壊すとか、おならが止まらなくなるとか、飲めない人がたくさんいます。この本を読んでびっくりしたのですが、人類はもともと大人になると牛乳が飲めなくなるようにできている、というのです。

sinka04.jpg

(ピンクフロイド「原子心母」amazon.co.jp)

  母親は子供が生まれる前からお乳が張って、ミルクが出るようになります。最初の子供ができたときに連れ合いが、子供が母乳をのまないと胸が張って痛くなると苦労して搾乳していたことを思い出します。母乳や牛乳は、子供に必要な糖分が乳糖としてたくさん含まれているそうです。この乳糖はラクターゼという酵素によって分解され、吸収されます。

  生まれたての赤ちゃんは、乳糖を栄養に換えるためにこのラクターゼを体内で作り出すのですが、成長して母乳を飲まなくなるとラクターゼは不要となるため無駄な生産を取りやめるというのです。つまり、母乳を飲まなくなると人間はラクターゼを分泌しなくなるので、牛乳が消化できなくなるのです。ということは、牛乳を飲んでおなかを壊すのは、人として当たり前のことだったのです。

  ところが、紀元前6000年ころに人間に「ラクターゼ活性持続症」なる症状が発症しました。牛乳を飲んでそれが栄養となる人は、この「ラクターゼ活性持続症」を発症した病人?だそうなのです。この病気は北欧で特に多いようですが、仮説としては酪農によって人間が動物のお乳をのむようになってこの症状が発症するようになったのでは、といわれています。(ただ、アジアに住む人は10%程度の人しかラクターゼを持たないが、モンゴル人は昔から家畜の乳を飲んでいるとの事実もあるようです。こちらは、腸内細菌の活躍によるのかな?)

  進化というと、100万年単位で突然変異によって起きるとのイメージがありますが、大人になってもラクターゼが活性しているという進化は、数千年単位で起きたものであり、進化は常に起きつつあるとの証左であるとわかります。

【進化のすごさとダーウィンの誤謬】

  ダーウィンの進化論は、人間の優位性や唯一性を信じる19世紀の人々には受け入れがたい説でしたが、今でも宗教的な理由や信念として進化論を拒む人たちもいるようです。そうした人々の一つの論拠として人間の目のような完全な機能は進化では作り上げようがなく、目はもともと備わっていた器官であり、進化論では説明できない、との主張をこの本では取り上げています。その語りは本当にワンダーですが、その楽しさはぜひご自身で味わってください。

sinka03.jpg

(ダーウィン「種の起源」amazon.co.jp)

  ところで、更科氏はこの本とは別にダーウィンの進化論に関する本も上梓していますが、この本でも分かり易くダーウィンの誤謬についても触れています。ダーウィンの進化論での主張は、生命は自然淘汰によって環境に適用するように進化を遂げる、としており、その進化は常により環境に適用するように進んでいくように理解されています。

  しかし、進化が常に前に進むものだとすれば、生きている化石と呼ばれるシーラカンスやカブトガニ、オウムガイなどが数億年前と同様な姿で現在も生きているのはなぜなのでしょうか。この本では、そのことも教えてくれています。生きている化石のみならず、地球上に住む最小の菌たちは、分裂することによって死ぬことなく生命誕生以来40億年も生きながらえていると言います。

  ここで興味深いのは、「進化」には2種類あるとの指摘です。ひとつは「方向性選択」による進化。もうひとつは「安定化選択」という進化です。我々がダーウィンによって知らされた進化は「方向性選択」による進化です。自然淘汰が働いて突然変異が起きたとき、その変異が生きていくのに有効な変異であれば、進化はその方向に進んでいきます。いわいる進化のアクセルが踏まれます。

  一方、自然淘汰による突然変異が生きるために不利に働いたとすればどうでしょう。その変異はすぐに取り除かれて進化はそのまま止まります。つまり、「安定的選択」とは進化しない進化と言えます。このように進化は、アクセルとブレーキを使いながら進んでいくので、ゆっくりと進むように見えますが、牛乳が飲める「ラクターゼ活性持続症」という進化にはブレーキを聞かせる必要がなかったので数千年と言うアクセル全開のスピードで進化したと言います。


  さて、進化とは生きることと同義なのですが、生命が死ぬことは進化の結果だと言います。それは果たして本当なのでしょうか。その答えは、ぜひこの本で解明してください。この本は科学を探求する本なのですが、なんだか宗教の本のようにも思えるから不思議です。ワンダーに楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

更科功 絶滅の次は残酷な進化!?

こんばんは。

  ひところ、「人類の進化」が流行っていた時期がありました。それは、ネアンデルタール人よりも小さな脳を持つ我々ホモ・サピエンスは、なぜ唯一の人類として生き残ったのか、との疑問をNHKの特集「人類誕生」が取り上げたことがきっかけのひとつです。そのときに読んだのが、更科功氏の本「人類の絶滅史」でした。

  この本のワンダーは、700万年前、我々ホモ・サピエンスがこの世に誕生するまでに、地球上には25種類以上も人類がいることが確認されていたという事実。さらには、そのすべてがネアンデルタール人を最後に絶滅し、1万年前に共存していたネアンデルタール人が絶滅してからは、我々ホモ・サピエンスが唯一の人類だ、という事実でした。

  我々が生き残り、この地球ですべての生命の頂点に君臨すると思っているのはなぜなのか。その理由が食料を調達するため、また、子供を育てるため、であったことが分かり易い語り口と意外な例示で示されていき、本当に面白い本でした。それ以前に読んだ「化石の分子生物学」は、講談社科学出版賞も受賞しており、その語り口はとてもなめらかです。

  先日本屋さんで新書の棚を眺めていると、またまた「更科功」の文字が目に入りました。いったい今回は何を語ってくれるのか。楽しみにレジへと向かいました。

「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」

(更科功著 NHK出版新書 2019年)

sinka01.jpg

(更科功「残酷な進化論」amazon.co.jp)

【ワンダーを紡ぐ語り口】

  この本を読んでいて思い出したのは、福岡伸一ハカセです。今やその著作がスッカリ有名になりましたが、ベストセラーとなった「生物と無生物の間」はハカセの郷愁を感じる描写とこれまでの生物学の発見と進歩を解き明かすワンダーが相まって、最後まで一気に読み終わってしまう素晴らしい著作でした。思い出したのは、どちらも分子生物学の研究者であるところが共通だからです。

  もっともその専門分野は異なっており、福岡ハカセが現在の分子生物学を研究し、我々は新陳代謝によって毎日生まれ変わることで生きている、といってもよい「動的平衡」との概念を我々に教えてくれます。一方の更科功氏は化石や古生物の分子を研究してまさに進化の謎を解き明かそうとする研究者です。

  福岡ハカセが研究の道を志したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。片や更科功氏が探求しているのはかのチャールズ・ダーウィン。とその研究対象には違いがありますが、生命の分子的研究によって「生命」とは何か、「生きる」とは何か、を究明するとの姿勢はまったく変わりがありません。

  「動的平衡」によれば、我々生命は、自らのすべての細胞を日々新たな細胞に更新することによって生命を維持するのであり、人は1週間もすればすべての細胞が更新されて、まったく新しい命になっていると言います。

  子供のころ姉と一緒にふろに入ると、姉がいつも「あかすり競争」を仕掛けてきました。それは、体を洗うときに体を洗ったタオルをゆすいだ時に、どちらがたくさん「アカ」が落とせたかを競う遊びです。当然、いつも私が勝つわけですが、今思えば、お風呂が大嫌いだった私をふろに入れる作戦だったわけで、姉の戦略には今更ながら脱帽です。

  シェーンハイマーのたんぱく質入れ替え理論や「動的平衡」と聞くと、いつも昔懐かしい「あかすり競争」を思い出します。

sinka05.jpg

(福岡伸一「動的平衡」amazon.co.jp)

  福岡ハカセは置いておいて、今回は「進化」の話です。

  更科さんの語り口は、分かり易く、なめらかです。なぜ分かり易いのかといえば、話の枕がとても興味深い例示や質問になっていることが大きな特徴です。プロローグで、氏は語ります。仮に遥かなる未来、地球が消滅する前に地球生物は地球を脱出し、様々な星に避難民として移民します。ある星には、人間と松の木とミミズが移住しました。

  最初のうちこそ異星人たちもその境遇に同情して優しく接してくれますが、時がたつにつれて居候に嫌気がさしてきます。何か役に立ちたいと思っていた松の木は、光合成という能力を発揮して、その星の二酸化炭素を酸素に換えて空気の浄化に役立ちました。異星人は、なかなかよく働く木だと見直します。それを見ていたミミズは、私もと、その星の土壌を耕して滋養豊富な土に換え、異星人たちに豊作をもたらします。異星人たちは、ミミズの働きに感謝しました。

  はたして人間は何をしてくれるのか。人間は、「バカにするな。我々は地球でもっとも繁栄した生物で、特別だったんだ。松の木やミミズと一緒するな。」と腹を立てます。それでは、いったい何ができるのか、と聞かれて、「我々は足し算ができる。」と答えました。しかし、足し算はその星の住民でもできることなので、役には立たなかったのです。

  こんな話から始まる本は、それで次は?と先を読みたくなるわけです。確かに人間は、自分たちを進化の最高位にいる生物だと思い込んでいるフシがあります。果たしてそうなのでしょうか。我々は、ダチョウのように地上を高速で走ることもできなければ、カラスのように空を飛ぶこともできません。昔は仲間であった猿のように木登りもできません。にもかかわらず、我々は、他の生物より優れていると思っています。

  それは、「進化」という言葉を正しく理解していないからなのではないか。では、進化とは何なのか。それは、我々の細胞が毎日入れ替わっていく「動的平衡」の先にある「自然淘汰」によってもたらされる生命行動そのものなのです。この本は、我々にそのことを教えてくれます。

【ダーウィンと進化論の間】

  さて、この本の目次を覗いてみましょう。

序章 なぜ私たちは生きているのか

第1部 ヒトは進化の頂点ではない

 第1章 心臓病になるように進化した

 第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

 第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

 第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係

 第5章 いまも胃腸は進化している

 第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か

第2部 人類はいかにヒトになったか

 第7章 腰痛は人類の宿命だけれど

 第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か

 第9章 自然淘汰と直立二足歩行

 第10章 人類が難産になった理由とは

 第11章 生存闘争か、絶滅か

 第12章 一夫一妻制は絶対ではない

 終章 なぜ私たちは死ぬのか

  面白そうですね。この本には、これまで著者が研究し、様々な場所で発表してきた内容がギッシリと、しかも分かり易く詰まっています。そして、すべての章がたとえ話と想定問答、それに対する意外な答えによってワンダーを感じながら進んでいきます。

  皆さんの中には、牛乳が苦手な方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の友人たちにも牛乳が苦手で、飲むとおなかがゴロゴロ言っておなかを壊すとか、おならが止まらなくなるとか、飲めない人がたくさんいます。この本を読んでびっくりしたのですが、人類はもともと大人になると牛乳が飲めなくなるようにできている、というのです。

sinka04.jpg

(ピンクフロイド「原子心母」amazon.co.jp)

  母親は子供が生まれる前からお乳が張って、ミルクが出るようになります。最初の子供ができたときに連れ合いが、子供が母乳をのまないと胸が張って痛くなると苦労して搾乳していたことを思い出します。母乳や牛乳は、子供に必要な糖分が乳糖としてたくさん含まれているそうです。この乳糖はラクターゼという酵素によって分解され、吸収されます。

  生まれたての赤ちゃんは、乳糖を栄養に換えるためにこのラクターゼを体内で作り出すのですが、成長して母乳を飲まなくなるとラクターゼは不要となるため無駄な生産を取りやめるというのです。つまり、母乳を飲まなくなると人間はラクターゼを分泌しなくなるので、牛乳が消化できなくなるのです。ということは、牛乳を飲んでおなかを壊すのは、人として当たり前のことだったのです。

  ところが、紀元前6000年ころに人間に「ラクターゼ活性持続症」なる症状が発症しました。牛乳を飲んでそれが栄養となる人は、この「ラクターゼ活性持続症」を発症した病人?だそうなのです。この病気は北欧で特に多いようですが、仮説としては酪農によって人間が動物のお乳をのむようになってこの症状が発症するようになったのでは、といわれています。(ただ、アジアに住む人は10%程度の人しかラクターゼを持たないが、モンゴル人は昔から家畜の乳を飲んでいるとの事実もあるようです。こちらは、腸内細菌の活躍によるのかな?)

  進化というと、100万年単位で突然変異によって起きるとのイメージがありますが、大人になってもラクターゼが活性しているという進化は、数千年単位で起きたものであり、進化は常に起きつつあるとの証左であるとわかります。

【進化のすごさとダーウィンの誤謬】

  ダーウィンの進化論は、人間の優位性や唯一性を信じる19世紀の人々には受け入れがたい説でしたが、今でも宗教的な理由や信念として進化論を拒む人たちもいるようです。そうした人々の一つの論拠として人間の目のような完全な機能は進化では作り上げようがなく、目はもともと備わっていた器官であり、進化論では説明できない、との主張をこの本では取り上げています。その語りは本当にワンダーですが、その楽しさはぜひご自身で味わってください。

sinka03.jpg

(ダーウィン「種の起源」amazon.co.jp)

  ところで、更科氏はこの本とは別にダーウィンの進化論に関する本も上梓していますが、この本でも分かり易くダーウィンの誤謬についても触れています。ダーウィンの進化論での主張は、生命は自然淘汰によって環境に適用するように進化を遂げる、としており、その進化は常により環境に適用するように進んでいくように理解されています。

  しかし、進化が常に前に進むものだとすれば、生きている化石と呼ばれるシーラカンスやカブトガニ、オウムガイなどが数億年前と同様な姿で現在も生きているのはなぜなのでしょうか。この本では、そのことも教えてくれています。生きている化石のみならず、地球上に住む最小の菌たちは、分裂することによって死ぬことなく生命誕生以来40億年も生きながらえていると言います。

  ここで興味深いのは、「進化」には2種類あるとの指摘です。ひとつは「方向性選択」による進化。もうひとつは「安定化選択」という進化です。我々がダーウィンによって知らされた進化は「方向性選択」による進化です。自然淘汰が働いて突然変異が起きたとき、その変異が生きていくのに有効な変異であれば、進化はその方向に進んでいきます。いわいる進化のアクセルが踏まれます。

  一方、自然淘汰による突然変異が生きるために不利に働いたとすればどうでしょう。その変異はすぐに取り除かれて進化はそのまま止まります。つまり、「安定的選択」とは進化しない進化と言えます。このように進化は、アクセルとブレーキを使いながら進んでいくので、ゆっくりと進むように見えますが、牛乳が飲める「ラクターゼ活性持続症」という進化にはブレーキを聞かせる必要がなかったので数千年と言うアクセル全開のスピードで進化したと言います。


  さて、進化とは生きることと同義なのですが、生命が死ぬことは進化の結果だと言います。それは果たして本当なのでしょうか。その答えは、ぜひこの本で解明してください。この本は科学を探求する本なのですが、なんだか宗教の本のようにも思えるから不思議です。ワンダーに楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする