堺屋太一 「楽しい日本」を創造する

こんばんは。

  堺屋太一さんが亡くなったとの報を受けたときに、我々は時代を照らす光を失った、との思いに打たれました。

  昨年、2025年の大阪万博の開催が決まりましたが、1970年の大阪万博では、当時通産省の官僚であった堺屋氏がプロデューサーの役割を務め、みごとに大成功を収めました。その後、1975年、官僚時代にエネルギー問題を中心に据えた小説「油断」で作家デビュー。さらに近未来小説「団塊の世代」を上梓し、日本のすべてを左右する、団塊の人口分布による未来予測を小説とし、日本の行く末に警鐘を鳴らしたのです。今や団塊の世代は年金世代となり、日本の財政経済に大きな影響力を発揮しています。

  1985年に上梓された「知価革命」は、第三次産業の次に来る価値観を予言した書として当時大ベストセラーとなり、多くの識者の目を開きました。私もこの本によって堺屋フリークになりました。さらに2004年(平成16年)には平成時代の未来を予測した「平成三十年」を上梓するなど、常に日本を見通す小説を上梓し続けました。

  また、現在の経済目線で書かれた歴史小説「峠の群像」は、日本の年末の風物詩「忠臣蔵」を経済的な側面から描き出し、歴史に新たな光を当てることになりました。この小説は、1982年、NHKの大河ドラマとなり、日本の忠臣蔵に新たなページを加えたのです。また、1996年には、氏の「豊臣秀長-ある補佐役の生涯」、「鬼と人~信長と光秀~」、「秀吉 夢を超えた男」の3部作を原作とした「秀吉」が大河ドラマとなり、堺屋さんの名前はすっかり有名になりました。

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(歴史小説「峠の群像」 amazon.co.jp)

  個人的には、関ヶ原の合戦を描いた「大いなる企て」が一押しです。この小説は、成り上がった小大名でありながら、秀吉の懐刀として活躍した石田三成が主人公ですが、彼がプロジェクトリーダーとして如何に徳川家康を向こうに回して、関ヶ原の戦いを構築したのかを描いています。それは、様々な博覧会、とくに大阪万博を成功させた堺屋さんならではのプロジェクト成功ノウハウが詰まったみごとな歴史小説でした。

  堺屋さんは、小渕内閣で民間登用として3代に渡り経済企画庁長官を務め、現在でも続いている市井の人々に景気の状態をインタビューする「景気ウォッチャー調査」を導入しました。このブログでも紹介した「世界を創った男 チンギス・ハン」は、堺屋歴史小説の集大成で、世界の半分を支配する体制を築いたチンギス・ハンの生涯を描いた渾身の小説でした。

  今年の2月、氏の訃報に接したときに一瞬にこうした記憶がかけめぐり、寂しさが心に染み入りました。1月には梅原猛さんが93才で亡くなり、今回、改めて人の寿命には限りがある事を感じました。世代が変わる中で、こうした先人たちが書き残した様々な知恵を次の世代が引き継いでいくことが必要ですね。

  今週は、本屋さんで見つけた堺屋太一さんの最後の著作を読んでいました。

「三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて」

(堺屋太一著 祥伝社新書 2019年)

【堺屋太一が残した日本への警鐘】

  堺屋太一さんは、小説という手法で近未来の日本に起きる危険な兆候を提示してきました。また、同時に日本がたどってきた近世以降の歴史をひも解き、現在の視点で分析することによって近未来を予測し、日本に数々の提言を行う書も上梓しています。後者の代表的な著作が「知価革命」でした。

  この書は、これまで我々が経験してきた産業革命・近代工業化の過程を分析し、これから来る時代は「知価」による産業革命が起きる、と語ったのです。このときの日本の経済発展史への分析は氏のその後の著作の基本となっています。そして、最後の提言となった本作にもその分析は存分に生かされています。

 まずは、今回の本の目次です。

はじめに

1章「二度目の日本」は、こうして行き詰まった

―私たちは今、ここにいる

2章第一の敗戦

―「天下泰平」の江戸時代から「明治」へ

3章富国強兵と殖産興業が正義だった

―「一度目の日本」の誕生と終幕

4章敗戦と経済成長と官僚主導

―「二度目の日本」の支配構造を解剖する

5章「三度目の日本」を創ろう

―二〇二〇年代の危機を乗り越えるために

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(最後の著作「三度目の日本」amazon.co.jp)

  この本で、堺屋さんは近代日本は今日までに二度の敗戦を経験し、間近には三度目の敗戦が迫っていると警鐘を鳴らします。ここでいう「敗戦」とは、「一国の国民または住民集団が、それまで信じてきた美意識と倫理観が否定されること」と氏は定義します。つまり、「敗戦」とはそれまで信じていた価値観が大転換を迎えることを指すのです。そして、日本にとっての三度目の「敗戦」は、東京オリンピックの後の景気の大きな減速によってもたらされる、と予測します。

  2020年、目の前に迫っている価値観の大転換とは、具体的に何を示すのでしょうか。

  それは、第二の日本を形作ってきた価値観が通用しなくなることとイコールです。堺屋さんは最後の提言を我々の今の価値観がどのように創られてきたのかをひも解くことから始めます。

  1970年に開催された大阪万博では、そのテーマ「人類の進歩と調和」が思い出されます。そのとき私は小学校6年生で東京に住んでいたため、万博に行くことはできませんでしたが、岡本太郎氏の太陽の塔に象徴される、盛大なお祭りのことは良く覚えています。万博(EXPO70)には、その開期180日間に、6420万人以上の人々が来場しました。一日平均35万人もの人が会場に訪れたこととなり、その盛況ぶりには驚くばかりです。ちなみにディズニーランドとディズニーシーの一日の入場者数は平均8万人と言いますので、その盛況ぶりが良くわかります。

  堺屋さんは、この日本万国博覧会の仕掛け人であり実質的なプロジェクトリーダーでした。第二の日本の価値観(美意識と倫理観)はこの万国博覧会をキッカケに日本の隅々までいきわたったのです。この本の第1章は、日本万国博覧会からはじまります。それは、当時の価値観の中心であった「規格大量生産時代」の始まりだったのです。

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(EXPO70の象徴「太陽の塔」kano-cd.jp)

【日本は「豊かさ」を実現したが、】

  元官僚の堺屋さんですが、「知価革命」も含めて日本の官僚の功罪については手厳しく批判を重ねています。第1章では、工業社会の実現にむけて日本の官僚がいかにヴィジョンをたて、その基本方針を組立てて日本に敷衍させていったが語られていきます。

  今の日本は、「平和に、豊かに、安全に」暮らせる天国だ、と堺屋氏は語ります。そして、ここに至るまでの昭和、平成のプロセスを分析します。それは、終戦によって「一億玉砕」から「平和国家、民主国家」へと価値観が一変した日本がどのように第二の日本を創ってきたかとの歴史になります。堺屋氏ももともと通産省の官僚ですが、昭和の時代、官僚の会話は変化した、と言います。

  マッカーサー率いるGHQの占領統治のもとで、日本は価値観の変換によってあらゆる場面で判断を求められました。「民主主義」への変換のための教育、企業統治、戦犯の取り扱い、独立、朝鮮戦争への立ち位置、GNPの拡大。日本のかじ取りのための決断は官僚では下すことができません。こうした時代、官僚の会話は、「俺はすぐに官邸に行ける。」、「官邸の秘書官と知り合いだ。」など官邸との近さを自慢する話題がほとんどだったと振り返ります。

  しかし、高度成長経済への方向性がハッキリし、田中角栄首相の「日本列島改造論」の頃には官僚たちが交わす会話の内容は変わっていったと言います。それは、「大臣の意見はそれとして、本当のところどうする?」、などという会話が交わされて、日本の政策は我々が決めるのだ、との自負が当たり前のようになったことを意味していました。

  つまり、官僚主導の政策が日本の方向を決めていたのです。堺屋さんは第1章で、日本の官僚が推進してきた5つの基本方針を紹介します。それは、「東京一極集中」、「流通の無言化」、「小住宅持ち家主義」、「職場単属人間の徹底」、「全日本人の人生の規格化」です。

  この本の第1章は、日本の優秀な官僚たちが日本経済を発展させて如何に規格化された「豊かさや安全」を作り上げてきたかが語られています。例えば、「流通の無言化」とはどのような政策だったのでしょうか。工業化社会の一つの目標は商品の「規格大量生産」です。そのためには、生産=供給のみならず、消費も大量規格化しなければなりません。官僚の発想として、消費が大量規格化されていない状況は「第三次産業の生産性が低い」と語られます。

  「生産性が低い」とは何かというと、消費の現場で商品が売れていくスピードが遅いということです。それは、買い物に行った主婦が店員とおしゃべりをしてなかなか消費が進まない状況をさしています。そこで、官僚が行ったのは、大量消費型の流通=世間話なしで商品が売れていく無言の流通を実現することだったのです。つまり、スーパーマーケットの普及です。スーパーでの買い物は、商品を選んでカゴに入れ、レジに並んで精算します。この間、店員とお客さまの間で世間話が交わされることはなく、効率的に消費が進んでいきます。

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(規格消費スーパーマーケット wikipediaより)

  堺屋さんの筆は、高度成長期以降、どのようにして官僚が主導権を握り、「大量規格型工業化社会」を実現してきたかを語っていきます。企業に関して言えば、東京一極集中を実現するために、各業界の団体について東京に本部を置くことを義務付けるなどの政策を規制によってすすめてきた事実には驚かされます。そうした政策の積み重ねは、令和となった日本に様々な弊害をもたらしました。

  安定成長・低成長の時代、こうした官僚の発想は害悪と化します。「東京一極集中」によって、地方都市はことごとく人口減少に見舞われ画一化されてしまいました。「流通の無言化」によって地域の商店街はシャッター通りと化し、無人化が進みました。日本には、「小住宅」があふれ核家族化が進み「人の知恵」は継承されなくなります。少子化はこの政策がもたらした副作用です。職場単属人間が世の中に蔓延して、家庭を顧みない仕事人間ばかりが世間を闊歩しています。さらに人の人生までもが規格化されて、人は決められた道を歩むことを是とするように変わりました。

  我々は今や行き詰ってしまった第二の日本を変えて、楽しい未来を目指す第三の日本を創造する必要があるのです。堺屋さんはそれを語るためにこの本を上梓しました。

  平和による静かなる社会が200年以上も続いた江戸期の日本は、外国からの圧力によって新たな時代を知り、明治維新によって一度目の価値観の転換を迎えました。第2章と第3章で、堺屋さんは第一の価値観の大転換(敗戦)とその後に起きた第一の日本の発展を語ります。そして、太平洋戦争での第二の敗戦。そこから復活してきた第二の日本も第4章で語られるように第三の価値観の大転換を求められています。


  この本の第5章では、今や帰らぬ人となった堺屋太一さんが三番目の日本で指針とすべき価値観を語っていきます。そこはこれまで官僚たちが創ってきた数々の規制を打ち壊し、日本人一人一人が人生を生き生きと楽しんで生きることが必要な価値観なのだ、と語るのです。

  堺屋太一さんの著作は、これまで我々の目を大きく啓いてくれました。氏の遺言となった本作品ですが、最後の提言はタイムアップとなってしまったようです。しかし、その予見はこれまでにも増して鋭いものとなっています。果たして日本は「地獄」を見ることになるのか。

  その後をつないでいくのは、今を生きる我々の使命となります。皆さんもこの本を読んで、これからの生き方を考えてみてはいかがでしょうか。日本の未来を見ることができるかもしれません。

  改めて堺屋太一さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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