藤原正彦 教養は世界を救えるか?

こんばんは。

  ここのところ広島で仕事が佳境に入ってきており、毎月出張しています。

  先月、広島で仲間と夜飲み会をしていました。そこは焼き鳥専門店で何十種類もの串焼きがリーズナブルな金額で出てきます。一串のお肉は小ぶりなのですが、一品5本セットになっていてお得感があります。たまたま集まったのが5人だったので、メニューの頭からすべてオーダーすることで、次々に注文しました。

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(広島と言えば「広島城」 travel.mynavi.jp)

  メンバーは、男2人、女性3人でしたが、東京から3人、地元2人、年齢層も20代から60代と幅広い構成です。ちょうど、全国の参議院選挙の直後だったので話題は選挙の話となりました。日頃、投票率の低さを嘆いていた私は、流れで「なんで皆、選挙に行かないんだろうね。」と話を振ったのですが、どうも反応が思わしくありません。まず、20代の女性に聞くと、笑いながら「忙しくて、行きそびれちゃった。」とのこと。さらに40代の女性、60代の女性に振ると、「なんだか行きそびれました。」と笑ってごまかします。

  飲み会の席なので、なごやかにその話題は終わって婚活話になりましたが、内心ちょっと驚きました。集まった人たちは、一緒に仕事をしている仲間で大いに教養ある人たちです。にもかかわらず、参議院選挙の投票率は、5人のうちの2人で40%だったのです。なるほど、全国の投票率が48.8%だったのも肯けます。10代の投票率や20代の投票率の低さが話題になりますが、そもそも世界の情勢、国の政治の在り方に対する興味が薄いことが大きな問題です。

  その興味はいったいどうすれば高まるのか。

  今週は、かつて「国家の品格」がベストセラーとなった数学者、藤原正彦氏の続編ともいえる評論を読んでいました。

「国家と教養」(藤原正彦著 新潮新書 2018年)

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(新潮新書「国家と教養」 amazon.co.jp)

【教養とは何か】

  「教養」という言葉で思い出すのは、「教養小説」です。私が持つイメージは、トーマス・マンの傑作である「魔の山」です。この小説は、ダボスにある結核のサナトリウムを舞台にしています。20世紀初頭、結核はいまだ不治の病で、結核と診断されてサナトリウム行を命ぜられた人間は、その限定された世界で人生を生きざるを得ないのです。主人公であるハンス・カストルプはいとこの見舞いに行ったときに自らも結核と診断され、そのままサナトリウムで7年にも及ぶ療養生活を生きることになるのです。

 ハンスは、このとき23歳。まだ無垢な青年といってもよい年代です。このサナトリウムには、様々な背景を持った様々な人々が称揚しており、食事の度にその人物たちがときには軽妙に、ときには深刻に、ときには滑稽にえがかれていくのです。例えば、ロシア人のショーシャ夫人はとても美しい女性でハンスは、彼女への思いに悩まされることになります。はたまた、サナトリウムでは、理性を重んじハンスの教育者を自認する啓蒙的な思想家セテムブリーニ、その対照的なイエズス会のナフタが登場します。ナフタは、テロリズム革命と独裁による神の国を説く、過激な思想家であり、ハンスを自らの陣営に引き込もうとします。

  サナトリウムは、まさに人生の縮図です。ハンス・カストルプは、こうした環境の中で、知識と体験を身に着けて成長していきます。7年間のサナトリウム生活は、無邪気なハンス・カストルプを一人前の成人に仕立てていきます。この小説の完成までにマンは12年の歳月を費やしています。その解釈は様々ですが、小説は、成長しサナトリウムを卒業したハンスが、兵士として第一次世界大戦の最前線に立つところで終了します。

  以前にご紹介しましたが、トーマス・マンはドイツを心から愛する市民として、第一次世界大戦においては、反戦主義者に対してドイツ民族とドイツ文化の擁護を説きました。しかし、戦後、ヒトラーが登場し、独裁政権を確立するや一転してヒトラーの政策を批判します。その結果、マンはスイスに亡命し、その地で終焉を迎えることとなります。ドイツ的教養によるナチス批判。それは歴史上の真実を物語ります。

  教養小説といえばゲーテの「ウィルヘルムマイスター」が最も有名ですが、人が人格を形成していく中で「教養」が重要な役割を果たしていくという意味で「教養小説」というカテゴリーは極めて象徴的である、と言えます。

  この本のテーマである「教養」とはいったい何を意味するのでしょうか。

【日本人にとっての教養】

  本書の著者である藤原正彦氏の本業は数学者ですが、今年76歳になる碩学です。ご両親は小説家の新田次郎氏、作家の藤原てい氏であり、1977年にはアメリカ留学中の生活を記したエッセイ「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。その後も数学教授を続けながら数々のエッセイを上梓し、2005年に上梓した「国家の品格」は270万部を超えるベストセラーとなりました。数学者による大和魂と武士道、日本語の大切さを説く提言に驚いたことをよく覚えています。

  13年ぶりに見たその続編ともいえる題名に、喜びを隠せずにすぐに手に取りました。

  今回のテーマは、人間、そして国にとって「教養」がどれだけ大切なものかを歴史を俯瞰しながら説いていく藤原正彦氏ならではの提言的評論となっています。

  その第一章は、今の日本の状況を憂う過激な状況認識から始まります。かつて、日本のGNPを世界第2位まで上昇させた高度経済成長は日本の勤勉さと終身雇用制度から生まれたといわれました。日本は、トヨタの看板方式に代表される品質向上運動で「KAIZEN」との言葉を世界にとどろかせ、「JAPN AS NO.1」とまで言われたのです。

  その頂点は、バブル絶頂期と重なります。バブルとバブル崩壊を生み出したのは、自由主義経済が実体経済を超えて土地を評価し、過剰な高金利への貸し出しに躍った架空経済そのものだったのです。バブルがはじけ、過剰な不動産価格が暴落、それを担保とした過剰な貸付金は、すべてが不良債権と化したのです。

  バブル崩壊であえいだ日本経済に目を付けたのは同盟国アメリカでした。

  日本に蔓延した不良債権には、外資系のファンドがハゲタカのように群がり、二束三文となった不良資産をその担保となった土地や企業価値がマイナスとなった企業とともに買い漁っていきました。それは、自由主義経済においては当然の出来事でしたが、その後、日本の企業は日本の文化に根差した企業経営を放棄しました。

  アメリカでは、金融工学に基づいた投資ファンドが経済のイニシアティブを握り、サブプライムローンを売りまくることになります。そして、アメリカは日本の金融経済を自由化するよう政府に圧力をかけてきました。この本の見立ては、当時の小泉首相が竹中平蔵金融担当大臣とダッグを組んでアメリカの要求を受け入れて、郵政民営化を推進した、と語ります。金融自由化と郵政民営化は、日本経済に変換をもたらしました。

  企業は、徹底的な効率化を進め、これまでの終身雇用を見直して正社員には能力と成果で処遇を決める年棒制へと移行します。さらに人件費による経費圧迫を軽減するため、正社員の雇用を非正規社員の雇用に切り替えていきました。その結果、世の中には福利厚生の枠外であり、なおかつ退職金などの一時金とは無縁の雇用者層が形成されました。それは、格差の拡大に他なりません。かつて、日本はウサギ小屋に住む総中流化社会と揶揄されましたが、現在の非正規労働者層の増大は中流を消し去り、持つものと持たざる者の格差社会を出現させたのです。

  我々は、政治を司る者も経済を司る者も、目の前の危機への対応、組織の生き残りに必死になり、アメリカの経済至上主義に迎合するあまり、日本にとって真に大切なものを見失っているのではないか。人としての確かな教養が希薄になり、数千年をかけて培ってきた日本人のアイデンティティを保つことができなくなっているのではないか。

  藤原さんの危機感はそこにあります。

【人類が培ってきた教養とは】

  「教養」を構成する要素とは何か。

  藤原さんは、そのモデルを西洋の文化に求めていきます。地球上で歴史的に最も早く「教養」が培われていったのはギリシャ文明かもしれません。そこには、プラトンやアリストテレス、ピタゴラスなど、教養としての文化が百花繚乱、花開きました。そこには、「哲学」というコンセプトの中に、詩や歌劇、物語などの文学、物理学、天文学、数学などの自然科学が包含されていました。それは、まさ「教養」にふさわしいものとして紹介されます。

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(ギリシャ神ゼウス「ファンタジア」 asahi.com)

  ギリシャの教養は、そのままの形でローマに引き継がれ、それは神聖ローマ帝国を経てイスラム教文化へと継承されていきました。ヨーロッパでは中世という停滞の時代を迎え、科学的な進歩は滞りました。それを打ち破ったのは、フィレンツェのメヂチ家によってもたらされたルネッサンスでした。そこでは、文学、音楽、建築、そして自然科学と「教養」となるすべての事柄が復活することとなるのです。

  こうして歴史の中で培われてきた「教養」ですが、「教養」が持つパワーとは何なのでしょうか。海外での経験が多くある著者は、ヨーロッパにおける教養が国によって異なることを、事例をもって教えてくれます。ドイツでは、ゲーテやトーマス・マンをはじめとして、多くの教養小説がつくられましたが、ドイツの教養とはどのようなものなのか。

  この本は、「教養」の大切さを教えてくれますが、第三章で語られるのはドイツの教養です。日本は、教育制度や軍隊制度、政治形態など多くを19世紀のドイツ帝国に学んできました。しかし、ドイツは、最初の地球規模の殺戮ともいえる第一次世界大戦を引き起こしました。ドイツは敗北し、未曽有の戦争を抑止するために国際連盟が発足します。ところが、ワイマール共和国となったドイツには、ヒトラーが登場し、ナチス・ドイツが政権を取る事態となりました。独裁者ヒトラーは、ヨーロッパを巻き込む戦略戦争を開始し、再び世界は殺戮が蔓延する第二次世界大戦へと巻き込んでいったのです。果たして、「教養」は無力だったのか。

  一方、アジアの片隅でドイツと同盟を組み、中国大陸に侵略したのは日本でした。著者は、日本が太平洋戦争に突入したのは、アメリカの大きな戦略の一環に陥れられたとの見解を語っていますが、果たしてそれは真実なのか。ドイツから「教養」を学んだ日本も「教養」によって戦乱を回避することができませんでした。なぜ?その理由はぜひこの本で紐解いてください。

  前回、日本語と日本の文化を覚醒させるべく熱い想いを語った藤原さんですが、今回は「教養」をキーワードに日本人に警鐘を鳴らします。それは、「教養」の持つパワーです。皆さんもこの本で「教養」の持つ歴史とパワーを味わってください。明日からの心の持ち方が変わるかもしれません。

  やっぱり投票率向上に必要なのは、「教養」なのでしょうか。


  閑話休題

  9月28日のラグビーワールドカップ、日本代表対アイルランド戦。すごかった。トライを防いだ二人タックルの連続守備。本来スクラムからのペナルティを狙ってくるアイルランド相手にスクラムで互角に渡り合い、さらにペナルティを勝ち取る力強さは脱帽でした。長距離で角度のあるペナルティキックを連発した田村優選手、逆転トライを決めた俊足の福岡堅樹選手。すべての選手がひとつになった本当に素晴らしい試合でした。

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(逆転トライ!福岡選手 nishinippon.co.jp)

  でも何と言っても最年長、浪花のトンプソンルーク選手と連続してキャプテンを務めたリーチ・マイケル主将の貢献が大きかったと、勝手に感動していました。この勢いで、次の強敵サモアも撃破して、決勝トーナメントへの切符を手にすることを心から願うばかりです。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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