スポーツ本一覧

だからプロ野球から目が離せない!

こんばんは。

  行動規制のないコロナ禍での生活もあたりまえになってきました。

  一時、世界一の感染者数を記録していたオミクロン株によるコロナ禍でしたが、一人一人の感染対策が功を奏しているのか、日本全土で猛威を振るっていたオミクロン株もやっと落ち着きつつあるのかと思わせます。

  引き続き、油断することなく、常に感染対策を心がけましょう。

  ウクライナでは、非道のプーチン大統領が侵略によって略奪した地域をロシア国土に編入するために、国民投票をねつ造し、占領地域の既成事実化を図っています。ロシア国内では、兵力不足による予備兵の徴兵や戦争の長期化によってプーチン大統領の支持率も下がってきつつあるようですが、それでも77%というから驚きです。

  ウクライナの反撃は成功しつつあり、併合が画策されているドネツク州の要衝、リマンをウクライナが奪還したニュースが世界中に配信されました。現地の親ロシア派兵力はロシア軍の撤退に異を唱えており、戦略的核兵器を使用すべき、などという言語道断な発言も飛び出しています。また、クリミア半島につながる唯一の道路をウクライナが破壊したとして、報復と称しウクライナの主要都市に数十発のミサイルを撃ち込み多くの無垢な命を奪っています。

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(爆破されたクリミア橋 nittkei.com)

  侵略者であり独裁者でもあるプーチン大統領ですが、人類と地球に不幸をもたらすだけの愚かな決定を次々に実行しています。政治的な思惑が人の命を平気で奪うことの愚かさをあきらめることなく訴え続けることこそが大切です。

  さて、今日は久しぶりに大好きな野球の話をしましょう。

  メジャーリーグでは、エンジェルスの大谷翔平選手が投手と打者の二刀流でまるで漫画の主人公のような活躍をリアルの続け、我々に生きる勇気を与えてくれています。最終戦の登板で、規定打数とともに規定投球回数を上回り、みごと歴史にその名を刻んでくれました。

  日本のプロ野球。昨年は、セパともに前年最下位であったチームが優勝し、大いに盛り上がりました。野村時代からのスワローズファンとしては、その後継者ともいえる(野村さんの後継者は数え切れないのですが、)高津臣吾監督が初のリーグ優勝をかざり、さらには日本一に輝いてくれたことが何よりの喜びでした。

  今年のプロ野球は本当にハラハラドキドキ、素晴らしい試合が続きました。

  セリーグでは、嬉しいことにヤクルトスワローズが交流戦をはさんでぶっちぎりの首位を独走し、終盤に濱の番長、三浦監督率いる横浜ベイスターズに追い上げられましたが、それを振り切って2年連続の優勝を果たしました。さらには、主砲の村神宗隆もとい村上宗隆選手が、日本人最多の56号ホームランを放ち、令和最初の三冠王を獲得しました。最終戦で決めるという劇的なホームランは我々の心を躍らせてくれました。

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(56号をはなった村上選手 asahi.com)

  一方、パリーグでは記録的な熱戦が繰り広げられ、ファンは最後までハラハラドキドキ楽しみました。一時は楽天も交えて、西武、ソフトバンク、オリックスが1ゲーム差の中にひしめき、最終戦でソフトバンクが西武に敗れ、オリックスが楽天に勝利したことによりオリックスが奇跡的な逆転優勝を飾ったのです。同率首位でしたが、直接対決で勝利数が多いオリックスに軍配が上がるという劇的な優勝でした。さらにソフトバンクは、クライマックスシリーズで、最終戦で敗れた西武と対決し、みごとにファイナルステージへと勝ち上がりました。

  クライマックスファイナルは、セリーグがヤクルト対阪神、パリーグはオリックス対ソフトバンクとなり、その行方は混とんとしています。プロ野球ファンにとって今シーズンの熱き戦いはいつまでも記憶に残る素晴らしい戦いとなりました。

  さて、そんな中、今週はヤクルトスワローズ高津臣吾監督の本を読んでいました。

「一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい」

(高津臣吾著 光文社新書 2022年)

【スワローズ・ウェイって何?】

  この本の著者高津臣吾さんは、言わずと知れたヤクルトスワローズの監督です。

  2022年のシーズンは監督就任から3年目となりますが、1年目の2020年シーズンは416910分けという記録で、ダントツの最下位を記録しています。皆さん覚えていると思いますが、昨年、セリーグでヤクルト、パリーグでオリックスが優勝したときに、セパともに前年度最下位球団の優勝、と騒がれました。

  いったい、どうやって最下位のチームを一気に優勝まで押し上げたのか。

  その秘密を知りたくて、この本を手に取ったのです。

  高津監督と言えば、忘れもしない、ヤクルト黄金時代に試合の最後には必ず登場して試合を勝利に導いた最強のリリーフ投手でした。野村克也さんが監督として指揮を執っていた1990年代、ヤクルトスワローズは黄金時代を迎えており、4度の優勝と3度の日本一に輝いています。

  その経歴を見ると、野球に対するその情熱に驚きます。日本では1993年から、りりーフ救援投手に転向し、四度最優秀救援投手に輝いています。その後は、MLBホワイトソックスに移籍、通算で300セーブを記録しまいた。しかい、そのすごさは最後まで現役投手にこだわったことです。MLBの後には、韓国のプロリーグ、台湾プロリーグで活躍、その後、日本の独立リーグに戻り、新潟アルビレックスでは、選手兼任監督として日本一に輝いているのです。

  指導者としても、2014年にはヤクルトの一軍投手コーチに就任。翌年には、真中監督の下で、セリーグ優勝を果たしました。2017年からは二軍監督に就任。一軍に育てた選手を送り込むことに専念し、2018年には、「二軍監督の仕事」という著作を上梓しています。

  高津監督が就任した2020年。これでヤクルトは復活する、との思いがあり応援しました。

  この本のプロローグは、2020年監督に就任した年、シーズン最下位となった最終戦からはじまります。まずは目次を確認しましょう。

プロローグ

1章 2021年かく戦えり
2章 日本シリーズかく戦えり
3章 運命の第6戦、涙の日本一へ
4章 2021年を戦い終えて
5章 スワローズのV戦士たち
6章 育てながら勝とうじゃないか
7章 スワローズ・ウェイと、野村監督の遺伝子
8章 スワローズ・ウェイの完成に向けて

エピローグ

(付録:2021年全試合戦績)

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(「一軍監督の仕事」 amazon.co.jp)

  この本では昨年の高津監督初制覇の内容が記されていますが、2022年のヤクルトは、この本の延長線上にあります。昨年ブレイクした村上選手は、昨年度不動の4番打者に座り、ホームラン39本を打って本塁打王に輝きました。さらに打率は278厘、出塁率4割、長打率は566厘を記録しています。さらには、盗塁も12をマークし、攻守走ともに大活躍したのです。ところが、今年はさらにその上を行きました。

  今年の成績は、ホームラン56本。打率318厘、出塁率458厘、長打率は、なんと71分を記録しているのです。ちなみに打点は昨年の112打点から大きく飛躍し134打点を挙げました。三冠王も納得です。ホームランに注目すると、8月には日本プロ野球記録となる5打席連続ホームランを放ち、5月には2試合連続満塁ホームランの最年少記録も塗り替えています。

  まさに、神様、村神さまですね。

【野村野球の継承者】

  高津監督はどのようにして勝つチームを作り上げたのか。

  この本にはその秘密がギッシリとつまっています。

  昨年度の合言葉は、「絶対大丈夫」でしたが、その言葉はシーズンを通して戦った高津監督の戦略のうえに成り立っていた言葉でした。野球は、ついつい打撃陣と得点に目が向くのですが、高津監督は元世界のリリーフエースでした。その野球は、基本的に最少得点でも守り勝つことのできるチームを作ることです。

  昨年度の投手成績を見ると、若手の台頭が素晴らしく、奥川9勝、今野7勝、田口5勝、高橋4勝と新たなスターが生まれています。ここにベテランの小川が9勝、石川が4勝、サイスニードが6勝を挙げています。

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(スワローズの要ライアン小川投手 asahi.com)

  今年の成績を見ると今年は昨年ブレイクした奥川投手が不調でどうなるかと思いましたが、新生木澤が9勝、原樹里、高橋が8勝、若手は主役が変わりましたが、さらに9年目の高梨が7勝。ここにベテランの小川が8勝、石川が6勝、サイスニードも9勝と計算できる成績を残しています。

  注目されるのは、この本のサブタイトルにもなっている「育った彼らを勝たせたい」というマネジメントです。さすが抑えで一流の成績を残した高津監督ならではの投手采配が際立ちます。投手と言えば、リリーフエースのマクガフです。

  昨年の日本シリーズ第1戦、この試合はオリックス山本由投手と、奥川投手の投げ合い、1対1で迎えた8回表村上選手の2ランホームランで31と勝ち越します。もちろん9回裏はヤクルトの守護神マクガフが登場です。ところが、どうしたことか、マクガフはヒットとフォアボール、そしてぼてぼてのピッチャーゴロを三塁に送球してセーフ。ノーアウト満塁のピンチを迎えたのです。オリックスの打者は3番吉田正選手。結果は逆転のさよなら負けでした。

  マクガフの想いはいかほどでしょう。しかし、高津監督は、マクガフの気持ちを我がことのように理解していたのです。その後のマクガフの活躍はご存知の通りです。その守る野球の妙は、ぜひともこの本でお楽しみください。

  さて、高津監督はチームを勝たせるマネジメントをどうやって学んできたのでしょうか。その答えは、この本の最後2章に記されています。それは、名将野村克也監督のDNAなのです。

  野村さんと言えば、解説者時代に考案したストライクゾーンを9つのマスに分けて配給を解説する野村スコープが有名で、MLBでも野村スコープによる解説が当たり前になっています。しかし、野村さんは監督として10倍以上も高度なスコープを使用していたのです。それは、投手の配球のストライクゾーン9マスを36マスに分解。さらには、その外側のボールゾーンにふた回り、28マスと36マスを加えて、合計99マスの配給スコープで投球を分析していた、というのです。

  「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」とは、野村さんの名言ですが、高津スワローズには、この野村監督のDNAが脈々と流れていたのです。


  今年もいよいよクライマックスシリーズ、そして日本シリーズが始まります。どの試合からも目が離せません。ダッグアウトではどのような闘いが繰り広げられるのか。この本は、その一端を我々に教えてくれるのです。今年も盛り上がりましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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中村俊輔 サッカーをより楽しむ視点

こんばんは。

 今年は新年早々、オミクロン株による感染拡大が急激に広がり、予断を許さない状況を呈しています。各国とも長引くコロナウィルス対応で、感染の予防、制圧と経済力の維持との間で、その政策に苦戦していますが、オミクロン株の感染力には驚異的なものがあります。岸田総理も早くから水際対策を徹底して入国制限を厳しくしましたが、残念ながらウィルスの進化がまさっていたと言わざるを得ない状況です。

 我々にできることは、日頃の生活で感染対策を徹底することです。

 さて、話は変わりますが、今年はいよいよカタールで、サッカーワールドカップが開催されます。

 そして、我がサムライブルー日本代表の本選出場をかけたアジア最終予選も正念場を迎えます。日本代表は一時、9月のホームで戦ったオマーン戦、10月アウェーでもサウジアラビア戦に敗れ、自力での本戦出場が危ぶまれる展開へと追い込まれていました。しかし、同じく10月に埼玉スタジアムで行われた強敵オーストラリア戦に勝利し、現在、Aグループ第2位の勝ち点を獲得しています。

 オーストラリア戦では、新たに招集された川崎フロンターレからドイツのデュセルドルフに移籍した田中碧選手の先制ゴールによって試合を優位に進め、後半一時同点に追いつかれたものの、最終81分に浅野選手のシュートが相手のオウンゴールを誘い、みごと勝ち点3を手に入れたのです。ここからサムライブルーは息を吹き返し、あと一歩で最終予選を自力で突破派できる位置まで登ってきたのです。

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(オーストラリア戦 田中選手の先制打 sannkei.com)

 最終予選はのこり4試合。ホーム戦での中国、サウジアラビア、アウェイセンでのオーストラリア、ベトナムといずれも予断を許さない戦いとなりますが、これまでの『勢いを維持して本戦へと勝ち進んでもらいたいものです。

 実は、つい先日、日本代表キャプテンの吉田麻也選手がケガをし、ホーム戦の中国船、サウジアラビア戦に欠場するとの心配なニュースが飛び込んできました。守備の要であり、チームの主柱を欠いての闘いは厳しいものになることは間違いありませんが、その選手層の厚さと全員の結束により勝利を手繰り寄せてくれるものと信じています。

 そんな中、新春最初に手にした本は、かのファンタジスタが著したサッカー本です。

「中村俊輔式サッカー観戦術」

(中村俊輔著 ワニブックス新書 2019年)

【究極のワンプレーとは】

 サッカーと言えば、皆さんはNHKのBSで放映されている「サッカーの園」をご存知でしょうか。番組のMCはお笑いコンビ「アンタッチャブル」の柴田さんと元Jリーガーの前園真聖さんですが、毎回テーマを掲げて、そのテーマにマッチするサッカーの「究極のワンプレー」を決定するというサッカーバラエティ番組です。

 前園さんと言えば、「マイヤミの奇跡」を思い出します。

 前回ロシアワールドカップで日本代表を決勝トーナメント(ベスト16)に導いた西野朗監督。1994年。96年開催のアトランタオリンピック出場を目指していたU-21の監督はその西野さんでした。そして、このチームはみごとオリンピック本戦にコマを進めましたが、その予選リーグの初戦に当たったのが金メダル候補であったブラジルでした。日本代表は、このときに初めてブラジルから勝利を挙げたのです。このときに日本代表のキャプテンを務めていたのが前園さんでした。

 一方で、中村俊輔選手と言えば、チームの司令塔として攻撃の要となり、その鮮やかなパス、そして華麗なフリーキックによって「ファンタジスタ」と呼ばれた名選手です。在籍した横浜Fマリノスでの背番号は、チームの代表である「10」番でした。

 今年のお正月。見るともなくNHKBSを見ていると、日付が変わるころに「サッカーの園」がはじまりました。面白いのでそのままみていると、最初のテーマである「PK」が終わると、なぜかまた「サッカーの園」が始まりました。どうやら連続で過去の放送を再度放映しているようです。そのbヴァン組の面白さに引き込まれ、寝るのを忘れてみてしまいました。

 そして、次のテーマは「背番号10」。この回にリモートの取材で登場したのが中村俊輔選手でした。背番号で試合をしているという中村選手。攻守の戦況を見極め、敵を引き寄せ見方へのスペースを見極めると、そこをめがけてゴールにつながるキラーパスをつなげます。そして、ゴールへ。その司令塔としての働きが背番号10なのだ、と言います。

 この日の「究極のワンプレー」には、中村俊輔選手の他、元なでしこジャパンの背番号10澤穂希さん、そして、ジュビロ磐田黄金期の10番、藤田俊哉さんなど、5人がエントリー。それぞれの究極のワンプレーが披露され、その中からこの日の「究極」が選出されます。

 中村俊輔選手が選んだのは、1999年、シドニーオリンピック予選リーグ、カザフスタン戦で放ったワンプレーでした。試合は、前半にカザフスタンの先制ゴールを決められ、後半の70分、日本代表は掘らせ選手のヘディングゴールで同点に追いつきます。しかし、カザフスタンは守備専制の布陣で引き分けを狙いに来たのです。

 固い守りの中後半86分、中村選手のキラーパスがカザフスタンのわずかなスペースめざしてけり出されます。すでにそこに向かっていた平瀬選手が勝越し弾を打ち抜きます。さらにその後中村選手があざやかなFKを決め、みごと31で勝利しました。日本はこの勝利により予選リーグ全勝でシドニーオリンピックの出場権を獲得したのです。

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(1999年 カザフスタン戦の中村選手 youtube.com)

 まさにファンタジスタ!

 ところで、この日のテーマ「背番号10」の究極のワンプレーは誰のプレーだったのか。中村俊輔選手?それとも、その答えは来たるべき再放送をお楽しみください。

【サッカーはこうして観れば面白い!】

 いつもながら前置きが長くて恐縮です。

 ところで皆さんはサッカーを見るときに何を意識してみているでしょうか。

 そう、何と言ってもサッカーの醍醐味と言えば劇的なゴールです。サッカーは人数が多いスポーツなので、全員が自陣に弾いて守備を固めると容易に得点は入りません。事実、ワールドカップの日本代表も強敵に対しては守備に徹し、カウンターでの得点を狙って予選を突破してきました。逆に、Jリーグや海外チームでの経験で豊富な人材が育ってきた日本に対して、格下の国々は手堅く引いて守備固めをし、引き分けを狙ったうえでカウンター攻撃を仕掛けてきました。

 つまり、感動のゴールシーンは極めて数が少なく、一試合で目にすることが少ないのです。

 では、サッカーの試合はスポーツニュースのダイジェストで観れば事足りるのでしょうか。

 決してそういうわけではありません。11人の選手たちはキックオフから前半45分、後半45分、自らのゴールを守り、敵陣のゴールネットを揺らすために常に集中し続けているのです。90分間の試合中、何をよりどころに観戦すればサッカーを楽しめるのか。

 この本は、22年間トップ下でゴールを演出し続けたファンタジスタがサッカーの楽しみ方を我々に語ってくれるという、なんとも贅沢な一冊なのです。

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(ファンタジスタが語るサッカーの視点 amazon.co.jp)

 それでは、この本の構成からご紹介しましょう。

1章 中盤を制すものがゲームを制す。「トップ下」の観戦術

2章 戦術からサッカーを読み解く。「戦術」的な観戦術

3章 ピッチを彩る個の力。「個」の観戦術

4章 セットプレーはパッケージで楽しむ。「セットプレー」の観戦術

5章 感染方法についての考察。「スタジアム」&「映像」での観戦術

(巻末得点) 記憶に残る5つのゲーム

 どの章をとってもそこには中村俊輔選手独自の視点に彩られており、サッカーファンにはたまらない内容です。

 この本が他のサッカー本と異なるのは、まさに現役のトッププロの視点から書かれている点です。例えば、中村選手がこれまでこだわってきた「トップ下」。トップ下とは、FWのすぐ後ろでゲームの司令塔として全体と闘いの流れを把握し、あらゆる戦術を駆使して試合の流れを、決定づけるパスを供給するポジションです。

 トップ下の「トップ」とは、言わずと知れたFWのことを指しますが、皆さんはトップ下が最も効果的に機能するのは2トップのフォーメーションであることをご存知でしたか?2トップのフォーメーションは「442」または「352」となるわけで、鹿島アントラーズはこの「442」のフォーメーションを伝統的に守っていることは有名です。

 トップ下が守備と攻撃の中盤での要の役割を果たし、攻守の局面を切り替え、スペースに飛び込むFWに効果的なパスを供給し決定機を創りだす。この戦術は長くサッカー界で採用されてきました。しかし、現在は1トップのフォーメーションを取るチームが増えてきたと言うのです。

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(セルティックにてFKを打つ中村選手 sportive.co.jp)

 1トップは2トップへの対策として講じられたフォーメーションから始まります。2トップへの対応、それは、守備陣の4バックから3バックへの移行です。2トップで攻めてくるFW3バックで守る利点は、2トップに対してマンツーマンを敷いてマークし、さらに友軍となる一人が2トップに供給されるパスを阻止できることです。そして、スリーバックとなったためにその体制が前線にも影響し、「3421」のフォーメーションが出来上がるのです。

 これまで、テレビなどで解説者が1トップを攻撃的な陣形と話すことに違和感を覚えていました。なぜFWが二人よりも一人の方が攻撃的なのか。この本を読んで、進化の過程で、1トップがその後ろの二人のMFと合わせ、3人で攻撃する体制となることで、より攻撃に厚みが増すということ、だと知ることができたのです。

 そして、「3421」となったとき、これまで中村俊輔選手が担ってきた「トップ下」とおうポジションは機能しなくなってきたと言います。なぜならば、2トップの体制では後ろのMFが直接攻撃に参加せずキラーパスを出す陣形構築、そしてパスの供給に特化しても攻撃が成り立ちますが、1トップの場合には、MFも一緒に攻撃に参加しなければ得点の確率が上がらないためです。

 1トップの時代である現在、中村選手がめざす「トップ下」は、その出番が少なくなったのです。

 この認識は驚きでしたが、同時にサッカーを見る目が変わりました。

 この本には、その他にもをより深くサッカーを楽しめる視点が満載されています。ワールドカップイヤーの今年、日本代表の試合をより楽しむためにもぜひこの本を手に取ってみて下さい。試合の見方が変わること間違いなしです。


 この数日、オミクロン株によるコロナウィルスの感染拡大が爆発的に増加しています。我々もこれまで同様の感染対策をより徹底していくことが必要です。マスクの常時着用とこまめな手洗いと消毒。そして、家族以外の人との飲食をできるだけ控えること。毎日の習慣を続けることが、感染拡大に歯止めをかけることにつながります。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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野村克也 宮本慎也 引継がれる思考

こんばんは。

 野村克也氏が亡くなってから早くも1年が過ぎました。

 しかし、野村さんが育てた人々がその精神を受け継いで、さらに次の世代へと野村野球を伝えていこうとしています。

  今年、東日本を襲った震災から10年の節目の年に、あの田中マー君が楽天に戻ってきました。マー君と言えば、星野監督が指揮を執った楽天が優勝した都市のエースです。震災から2シーズン目、2013年のシーズン。仙台を本拠地とする東北楽天イーグルスは、リーグ優勝。さらにクライマックスシリーズにも勝利。巨人との日本シリーズも制して日本一に輝きました。

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(田中マー君入団会見 sanspo.com)

  震災で苦しんでいる人々に勇気をあたえたい。監督選手はもちろん、楽天イーグルスにかかわるすべての人の悲願がここにかなったのです。もちろん闘将、星野仙一監督の統率力も大きな要因ではありましたが、何と言ってもそのシーズン無敗で24連勝を挙げたマー君は、捕手と務めた嶋選手とともに大きな要因であったことに間違いありません。

  この年のマー君は、神がかっていたと言っても過言ではありません。シーズン28試合に登板して無敗はもちろん日本プロ野球界では初めてですし、シーズン24連勝も初の偉業です。さらに、通産での連勝記録は28連勝。(翌年は大リーグに移籍)。また、この年は、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率と3冠に輝くとともに、沢村賞も受賞しています。

  日本シリーズの日本一を決める瞬間に、連投にもかかわらず最後の一人を打ち取った時の鬼気迫る形相は忘れることができません。最後に起用した星野監督の心意気もさることながら、それにこたえて、登板したときの感動は今思い起こしても胸が熱くなります。

  そんなマー君ですが、プロ野球の世界に入った時の監督が野村克也氏でした。野村さんは2006年から2009年まで4年間楽天イーグルスの指揮を執り、2009年にはリーグ2位となり球団初となるクライマックスシリーズ進出を果たしました。2007年のドラフトで野村監督は田中将大投手の交渉権を引き当て、マー君は楽天イーグルス入団したのです。

  マー君は、野村監督について、「プロ野球の世界で生きていくために必要なすべてのことを野村監督に教えてもらいました。」と言っています。

  野村監督は、長い監督人生で「再生工場」と呼ばれ、他の球団でトレードや契約外通告で出された選手を一流選手へと再生することで有名です。その極意は、気づかせる言葉と語っています。例えば、開幕戦で3打席連続ホームランを放った小早川選手、楽天でホームラン王に輝いた山崎武司選手、リリーフに転向しセーブ王となった江夏豊投手など、その手腕には枚挙のいとまがありません。

  マー君の場合には、バリバリの新人ですので直接指導することは少なかったと思いますが、楽天監督時代には、新人捕手の嶋選手を常に横に置き、常に教育していたので、嶋捕手を通じてマー君にも様々な教えが伝わったのではないでしょうか。一つ覚えているのは、ルーキーの年、いきなり一軍で先発を任されて、3試合続けて打ち込まれていた時に、野村監督の一言がマー君を救ったというエピソードです。

  3試合で打ち込まれ、その悔しさに悩みに悩んでいるとき野村監督は、「マウンドで声を出してみろ。」とアドバイスしたそうです。それは、マー君に「気持ち」が最も大切であることを気づかせる言葉でした。その後、マー君はマウンドで雄たけびを挙げ、ルーキー年度から二ケタ勝利、11勝を挙げる活躍を見せたのです。

  野村さんが亡くなって1年。様々なメディアで野村さんをしのぶ特集が組まれています。先日、本屋さん巡りをしていると、文庫本の棚に宮本慎也さんとの共著本をみつけました。お二人の師弟関係は有名ですが、お二人の本は本当に面白く、気がついた時には読み終わっていました。

「師弟」(野村克也 宮本慎也著 講談社文庫 2020年)

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(「師弟」講談社文庫 amazon.co.jpより)

【宮本慎也選手 2000本安打の偉業】

  日本の国語辞典と言えば「広辞苑」の名がすぐに思い浮かびますが、野球の国語辞典といえば「球辞苑」と言われているのをご存知でしょうか。

  野球のコアなファンならその名は有名ですが、この辞典はNHKBSで放送されている番組のタイトルなのです。番組のナビゲーターはお笑いコンビのナイツですが、毎回、野球にまつわる「キーワード」を取り上げて、まるで「広辞苑」のようにそのキーワードの意味や歴史を解明していく番組です。毎週土曜日の夜11時から放送され、月曜日の午後8時からは再放送がなされています。

  この番組では、元ロッテマリーンズの名キャッチャーであった里崎さんがご意見番を務め、さらにはその回の「キーワード」に沿ったゲストが招かれます。先日のお題は「DH(指名打者)」でしたが、ゲストは元ソフトバンクホークスのスラッガー、松中信彦さん。松中さんは膝の故障からDHで活躍したスラッッガーですが、ナイツの塙さんが松中さんの登場時に「三冠王」の会にお招きしないといけなかったのに、と話していたのには敬服しました。松中さんは、2004年に三冠王を獲得しており、平成唯一の三冠王として有名なのです。塙さんは本当に野球好きなのですね。

  さて、話は逸れましたが、この「球辞苑」の「ヒットエンドラン」の回にゲスト出演していたのが宮本慎也さんでした。宮本さんと言えば、19年間の現役時代をすべてヤクルトスワローズで過ごし、守備の名手でありながら2000本安打を達成。名球会に入った選手として有名です。番組では、ヒットエンドランのサインが出た時、何を思いましたか、と聞かれて「気が楽でしたね。」と答えて、メンバーを不思議がらせていました。

  その心は、サインを出したのはベンチなので、失敗してもベンチの責任と割り切れたので気楽だったということです。宮本さんと言えば、ヤクルト時代の野村監督の教え子で、全日本の稲葉監督と並んで野村克也さんとの師弟関係はよく知られています。宮本さんは、常にチームの勝利を第一に考える選手であり、名球会のメンバーで2000本安打とともに400犠打も記録している唯一の会員として有名です。そんな宮本さんだからこそ、ベンチからヒットエンドランのサインがでるとホッとするという心境に至ったのではないか、と妙に納得してしまいました。

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(球辞苑「ヒットエンドラン」の回 nhk.jp)

  ヒットエンドランに関しては、ヤクルト時代の野村監督の教え子として有名な橋上秀樹さんが登場しました。橋上さんはヤクルトに捕手として入団しましたが、そこに古田敦也捕手がいたため外野手に転向、その後手堅い打撃でファンを沸かせた選手でした。引退後には、野村野球を理解するコーチとして、楽天、巨人、西武の強化に貢献したのです。

  コーチ時代、橋上さんはヒットエンドランのサインを任されていたと言います。ヒットエンドランは、一塁に走者がいる場合に走者にはスタート、打者にはヒットを同時に求める戦術で、成功すればランナー一塁三塁となり、圧倒的な得点チャンスを実現することができます。この作戦はアウトカウントにもよるのですが、華々しい反面、はずされれば一塁走者が飛び出しており簡単に一塁で刺されてしまします。また、打者が内野ゴロを打てば、ダブルプレーとなり一瞬にしてチャンスは潰えます。

  それでは、ヒットエンドランへの心構えとは何か。

  橋上さんは、ヒットエンドランについて野村監督が何度も口にしていた言葉を紹介します。「ヒットエンドランは奇襲であり慢心してはいけない。」ヒットエンドランのサインが成功したときに、人はその気持ちよさに酔ってしまい、また成功するのではないかとの慢心してしまうが、ヒットエンドランはよほどのことがなければ使う戦術ではない、ということだそうです。

  確かに近年は得点の確立を挙げるため、一塁ランナーが出るとバントで送ることが常道となっています。勝つための確率としてヒットエンドランは賭けのようなものなのかもしれません。しかし、それを十分にしっていれば、場面によってヒットエンドランは勝利を導く見事な作戦となる可能性があるわけです。

  話を戻せば、野村克也さんのプロ野球における実践的理論は、その教え子である橋上さん、宮本さん、稲葉さん、古田さんに脈々と受け継がれていることに間違いはありません。

  今回読んだ「師弟」は、野村さんが野球漬けの60年以上の生活の中で培ってきた野村野球論とその愛弟子である宮本慎也さんが野球に対する考え方の集大成なのです。

【名将 野村監督が語る8項目】

  今回の本は、野村さんが野球戦略の柱と考える8つの項目を掲げ、それを野村さんと宮本さんの二人が語っていく、という野球ファンにとってはこたえられない内容となっています。

  まずは、野村さんが掲げる8つの項目を見てみましょう。

  「第一章 プロセス重視」、「第二章 頭脳は無限」、「第三章 鈍感は最大の罪」、「第四章 適材適所」、「第五章 弱者の兵法」、「第六章 組織」、「第七章 人心掌握術」、「第八章 一流とは」

  ここにかかれた各章のみだしを見ただけで、お二人が何を語るのか、読むのが待ち遠しくなります。

  野村さんは監督時代にミーティングによって優勝を争うことができるチームを育ててきました。特に専業監督として初めて指揮を執ったヤクルト時代、キャンプでは毎日の野村塾ともいえるミーティングがおこなわれました。その内容が野球の技術戦術よりも、人生をいかに生きるかとの話であったことは有名な話です。この本を読むと、野村さんが選手に、まず人間として優勝にふさわしい人間になることが大切であることを教えたかったということがよくわかります。

  一方、宮本さんは、その野村さんの6年目のシーズンに稲葉選手とともにヤクルトに入団しました。宮本さんは、そのミーティングの内容を毎年ノートに記録し、それを実践してきたのです。

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(1995年 ヤクルトの入団会見 nikkansports)

  この本には、題名の通り「師弟」と言える野村さんと宮本さんが、人生と野球に何を基軸に打ち込んできたのかが描かれています。その面白さは無類です。

  例えば、「頭脳は無限」の項では、野村さんが現役時代に3割を打ち、ホームラン王になったのちのことを語っています。それは4年目のシーズンでしたが、その後の2年間、成績が低迷しました。そのわけは、各球団のバッテリーが野村さんのバッティングを徹底的に研究してきたことにありました。そのことに野村さんは気づかなかったのですが、先輩のとある一言でそれを理解しました。そのときから野村さんの頭脳戦が始まります。

  それは、相手の配給とくせを徹底的に研究し、次に来る球を読むことでした。これが、ID野球の始まりだったのです。広島から小早川選手を獲得し、開幕第一線で当時の巨人のエース斎藤投手から三打席連青くホームランという成果で「再生工場」といわれたわけもここにあったのです。

  野村さんには、「とは理論」と提唱している考え方があります。それは、ものを考える原点として、まず「○○とは?」と考えて答えを探すというプロセスのことです。野村さんは、良く選手に「野球とは?」と質問してその人の思考を観察していたと言います。楽天時代でも、その質問に答えのない選手が多かったと言います。たぶん、野村さんが怖くて答えられなかったというのが真相と思いますが、宮本さんは、「野球とは頭のスポーツです。」と即座に答えたと言います。

  さすが優秀な教え子。

  この項目の宮本さんの話も興味津々です。ここでは、ヤクルトの優勝監督だった真中さんが1番、宮本さんが2番を打っていた時のエピソードが語られていますが、その話はみごとなまでに野村さんの話と重なっています。

  そのワンダーはぜひ、この本でお楽しみください。


  コロナウィルスとの付き合いも早1年を超えました。我々の心がけることは変わりません。手洗い、消毒、蜜を避ける、会話の時にはマスクを外さない、その基本が守られれば感染者数の再拡大は起きることはありません。みんなで、今を乗り越えましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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後藤健生 日本代表監督から見えてくるもの

こんばんは。

  新型コロナの感染者数が首都圏で拡大しています。

  そのことの心配の最中、日本を「令和27月集中豪雨」が日本を襲っています。特に九州の熊本、宮崎の方々には先週の球磨川の決壊で大きな被害にあわれたのち、復旧作業もままならぬあいだにさらなる豪雨が引き続き、休まるときがありません。

  被災地の皆様に心から寄り添うとともに、心からのお見舞いを申し上げます。

  この雨はまだ19日の日曜日までは予断を許さないようです。皆さん、一番大切なのは命であることに間違いありません。命を大切に、気持ちも大切に日々を送りましょう。応援しています。

  新型コロナ感染の拡大では、東京でコロナ禍始まって以来最大の感染者数が記録されました。その人数は243人。82%は若者で重症化の可能性は低い。入院者数は少なく医療体制はひっ迫していない。検査数が多いことが要因。など、経済優先のためか、楽観視する要素ばかりが独り歩きしているように思えます。

  最大の感染者数を出したその日、政府はイベント開催の自粛を緩和しました。

  プロ野球、そしてJリーグも無観客で行っていた試合に、感染対策を行ったうえで観客を入れることを決断しました。その人数は、会場の半分か5000人のどちらか少ない数。との制限を設けていますが、そこでの市中感染が判明したときにどう対処していくのか、その対応策がよく見えてきません。潜伏期間を考えれば、発祥は10日後になります。はたして、感染拡大はどこまで広がるのか。全く予断を許さず、不安は続きます。

  熱烈なファンの方々は、やはり球場で選手を応援してその感動のプレーを自らの目でみたい、に違いありません。また、選手の皆さんもファンの応援を肌で感じることによって、より感動を呼ぶプレーができるに違いありません。その結果、テレビ観戦ファンである私も楽しめることは間違いありません。何事もなく時が過ぎるとは到底思えませんが、一刻も早くその予兆を把握して、適切な対策が打てるよう、緊張感を忘れないようにしたいものです。

  さて、サッカーと言えばJリーグ再開の後に日本代表はどのような日程を迎えるのかが心配です。

  2018年のロシアワールドカップで、日本代表は開催の2カ月前に急遽就任した西野朗監督が、Jリーグ発足以降ワールドカップ出場2人目の日本人監督として指導力を発揮し、そのたぐいまれなる勝負強さと決断力を発揮して、日本代表をみごとベスト16へと導きました。

  そこで、次期監督に選ばれたのが、森保監督です。

  森保監督と言えば、広島サンフレッテの監督時代には、4期の監督就任中に3度リーグ優勝を果たすという快挙を成し遂げた監督として知られています。その森保さんは、2017年にオリンピック日本代表に就任しました。そして、西野監督の後任として日本のA代表の監督も兼任することとなったのです。

  2019年は自国開催だったラグビーワールドカップにおける日本代表の活躍が我々を熱中させてくれ、森保ジャパンの話題は忘れられた感がありましたが、ラグビーの次は、東京オリンピックでのサッカー日本代表の金メダルが期待されていました。オリンピックは2021年夏に延期が決まりましたが、東京オリンピックの延期が日本代表のU23チームにどのような影響を及ぼすのかがとても心配です。同時に2022年のワールドカップが控えているA代表。兼務する森保監督がどのような結果をもたらしてくれるのか、本当に気になるところです。

  そんな中、本屋さんで見つけたのが今週読んだ一冊です。

「森保ジャパン 世界で勝つための条件 日本代表監督論」

(後藤健生著 NHK出版新書 2019年)

【日本代表監督の歴史を振り返る】

  本屋さんで手に取ったときには森保監督率いる日本代表のことを分析した本なのかと思いましたが、ページを開いてびっくり。なんと、この本の第一部は、Jリーグが日本に発足して以降、すべての日本代表監督11人について評論し、あまつさえ100点満点で採点までしているのです。

  こんなすごい本を書いてしまう後藤さんとはどんな人なのか興味がわいてきます。

  その肩書は、サッカージャーナリスト。なんと1964年の東京オリンピックからサッカー観戦を開始し、これまで見た試合の数は6000以上。1978年以降、ワールドカップは12大会連続で現地取材を行っているというサッカーマニアです。その経歴からいえば、まだ60代ではありますが、サッカーの歴史に精通したプロフェッショナルと言えます。

  第二部では、これからの森保ジャパンの展望を述べているのですが、驚いたことに最後の付録でJリーグ発足以前、戦前の極東選手権と呼ばれていた国際試合から日本代表を勤めたすべての監督を紹介しているのです。聞けば、後藤氏は、「日本サッカー史 日本代表の90年」なる著作も上梓しているそうで、その見識には驚かされます。

  さて、ここで採点されている11人の日本代表監督。皆さんはすべて言えるでしょうか。

  まず、ハンス・オフト氏(19921993)。以降、パウロ・ロベルト・ファルカン氏(1994)、加茂周氏(19941997)、岡田武史氏(第一次:19971998)、フィリップ・トルシエ(19982002)、ジーコ氏(20022006)、イビチャ・オシム氏(20062007)、岡田武史氏(第二次:20072010)、アルベルト・ザッケローニ氏(20102014)、ハビエル・アギーレ氏(20142015)、ヴァイッド・ハリルホジッチ氏(20152018)、西野朗氏(2018)と続きます。

  そして、その後森保一氏が代表監督に就任して現在に至るわけです。

  皆さんの中では、どの代表監督が一番印象に残っているでしょうか。

  後藤さんは、名だたる監督たちの評価を8つのポイントで採点しています。そのポイントは。まず、「①戦績(15)」、「②チーム作り(15)」、「③戦術・采配(15)」、「④決断力(15)」の4つを15点満点で採点します。そして、「5カリスマ性(10)」、「⑥発信力(10)」、「⑦新世代育成(10)」、「⑧特別加算点(10)」の4つは10点満点。総合計で100点満点となります。

  後藤氏は、この得点を編集者からの提案で加えたものと決して重視しているわけではありませんが、それぞれの監督に関する記述は、実際に取材したジャーナリストならではの視点に基づくとても興味深い話が盛りだくさんです。

  こうしてすべての代表監督を一気に俯瞰すると、代表監督なるものがいかに過酷な職業かがよくわかります。日本が初めてワールドカップのアジア予選を突破して本戦に出場したのは、1998年に開催されたフランスワールドカップでした。それ以来日本が本戦へとコマを進めたのは、自国開催であった2002年のフィリップ・トルシエ監督を除けば、3大会にとどまります。

  その監督は、岡田武史監督(第二次) 南アフリカ大会、ザッケローニ監督 ブラジル大会、西野朗監督 ロシア大会でした。さらに、この中で第一次予選を見事に突破してベスト16に勝ち残ったのは、トルシエ監督、第二次岡田監督、西野監督の3人のみなのです。この3人の船籍の得点は、トルシエ監督14/15、第二次岡田監督12/15、西野監督12/15となっています。

【個性あふれる監督たちのサッカー】

  それぞれの監督の採点は、ぜひこの本で楽しんでください。

  このブログでも紹介しましたが、代表監督の中で私が最も思い入れを持つのは、オシム監督です。そのサッカーとサッカーを志す人々に対する愛情は、何よりも深い。そして、その愛するサッカーの発展のためには、自らのポジションでできることは徹底的にやる、この生き方はまさに見習うべきものがあります。

  後藤さんがオシム氏の項で冠した言葉は、「未完に終わった『日本サッカーの日本化』史上最も尊敬された日本代表監督」というものです。「水を運ぶ選手」はオシム氏を象徴する言葉となりました。それは、試合の中でチームのために必要な水を労力を惜しむことなく運び続ける選手のことを意味します。とにかく、90分間常に走り続けることができる選手。オシム氏は、そのために毎日のトレーニングを欠かしませんでした。すべての戦術は、「走る」ことを前提に成立すると考えていたのです。

  オシム氏は、この方針を徹底することでジェフ千葉(旧ジェフ市原)を監督就任3年目でみごとヤマザキナビスコカップの優勝へと導いたのです。

  オシム氏の語る「日本サッカーの日本化」の最終形はどのような状態だったのか。後藤さんは、それはわからない、と言いながら、次のように想定しています。「日本人選手が持つテクニックや俊敏性、持久力を生かして戦うこと。選手間の距離を短くして集団的に戦うこと。」この前提には、徹底して「走る」ことが前提となるのです。

  取材に基づいた記事には迫力があります。オシム監督は、ワールドカップ予選の前哨戦ともいえるアジアカップで、4位に終わっています(前回大会は優勝)。その原因はチームの疲労感だったと語ります。なぜなら、オシム監督はアジアカップの試合前でもいつもと全く同じか、それ以上の練習量を選手たちに課していたというのです。

  後藤さんは、この練習量を見て、オシム監督はアジアカップを、ワールドカップのための「東南アジア合宿」と位置付けていたのではないか、と書いています。さらに、オシム氏との取材、インタビュー時のエピソードも書いているのですが、なんともホッと心が和むような場面です。その場面はぜひ本書でお楽しみください。

  この本の第一部は、サッカー日本代表のこれまでを見つめ続けてきたファンには時間を忘れて読みふける素晴らしい評論です。

  歴代監督の中では、やはり日本人監督として選手を世界のベスト16へと導いた二人の監督の試合に掛ける決断力はピカいちです。1997年のワールドカップフランス大会に向けたアジア予選。第一次の岡田監督は、4試合が終わった直後、突然コーチから監督に昇格し、日本代表の指揮をとることになりました。にもかかわらず、岡田監督は予選を見事突破し、「ジョホールバルの歓喜」を成し遂げたのです。

  さらに第2次岡田監督は、突然倒れたオシム監督の後を受け、またもや突然の登板となったわけです。しかし、第2次の岡田監督は、若手起用に手腕を発揮します。GKの川島永嗣選手、長友佑都選手、香川真司選手、本田圭佑選手など日本代表の骨格となる選手を起用しています。さらに長谷部誠選手にキャプテンを任せたのも岡田監督だったのです。

  突然ハリルホジッチ監督の後を受け、2か月後のワールドカップで結果を出した西野監督の活躍は皆さんご存知の通りです。

  さて、この本の第2部、森保ジャパンの今後について語る紙面はなくなりました。その期待は、ぜひこの本でお楽しみください。

  この本は日本代表監督のこれまでの軌跡を語ることから、森保監督の今後を語るという、大技で本をまとめていますが、その面白さは間違いなく本物です。東京オリンピックも、ワールドカップアジア予選もコロナの影響によって延期となりました。皆さん、その延期を利用してこの本でサッカー日本代表のおさらいをしておきましょう。これからのサッカーがより楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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権藤博 二宮清純 投げ勝つか、打ち勝つか

こんばんは。

  今年もいよいよ各球団が国内でのキャンプインへと動き出しました。

  最近はサッカーやラグビーとスポーツ人気も多様化しています。おまけに今年は東京オリンピック、パラリンピックの開催を夏に控えて、プロ野球もシーズンを中断することが決まっています。野球人気は衰えるのか、との危機感もあるようですが、日本人の野球好きは変わりません。

  この時期は、巨人ファンもヤクルトファンも阪神ファンも広島ファンも横浜ファンも中日ファンも、日本ハムファンも西武ファンもソフトバンクファンも楽天ファンもロッテファンもオリックスファンも、同じ気持ちでキャンプインを迎えています。シーズンが始まると、ペナントレースの勝敗に一喜一憂し始めるのですが、今は、どの球団にも優勝、日本一の可能性があり、いくらでも期待を語ることができるからです。

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(西武キャンプに入る松坂投手 sankei.com)

  セリーグでは昨年巨人に原監督が戻ってきて、3年ぶりのリーグ優勝が期待されました。このブログでもこれまでの実績から言って百戦錬磨の原監督の手腕は期待できると語りました。シーズン終盤に一時苦戦したこともありましたが、さすがは名監督。キチンと勝どきをわきまえて勢いを復活させリーグ優勝を果たしました。

  本当に残念だったのは、広島カープでした。昨年引退した新井兄貴、そして、FA宣言により巨人に移籍した丸選手の穴は容易に埋められるものではありませんでした。夏には一時、巨人に1ゲーム差にまで迫り、セリーグを大いに盛り上げましたが、失墜。終盤に奇跡の逆転劇を演じた阪神に追い上げられ、最後にはBクラス、第4位でシーズンを終了しました。緒方監督は引き際もみごと。今シーズンが楽しみです。

  私が好きなヤクルトでは、大リーグから復帰した青木宣親選手の大車輪の活躍がすべての試合を盛り上げたことに間違いありません。個人的には山田哲人選手の4度目のトリプルスリーを期待していたのですが、わずかに及ばず悔しい思いをしました。しかし、19歳の新鋭村上宗隆選手が36本塁打を放ち、高卒2年目の新記録を打ち立てた活躍には心が躍りました。今年は、村上選手も20歳となり、優勝のビールかけで初めてのビールを味わいたい、との頼もしいコメントを表明し、今年の活躍も楽しみです。何といっても今年は、野村ヤクルトで大活躍した抑えのエース、高津臣吾氏が監督に就任するので、快進撃を期待しています。

  野球の話になると止まりませんが、こんな話になったのは、今週読んでいた本当に面白い野球対談本のせいなのです。

「打者が嫌がる投手論 投手が嫌がる打撃論」

(権藤博 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

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(権藤博野球対談第二弾 amazon.co.jp)

【野球は奥の深いスポーツだ】

  権藤さんと言えば、1998年にハマの大魔神を擁して横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導いた監督として有名ですが、1960年代には最多勝投手として一世を風靡した投手だったのです。近年では、日本代表サムライジャパンの投手コーチや中日の投手コーチに返り咲くなど、日本一の投手コーチと呼ばれています。すでに今年82歳となりますが、この対談を読むとまだまだその野球頭脳は健在で頼もしい限りです。あの野村克也氏も85歳にしてまだまだお元気ですので、このお二人の野球談議には目が離せません。

  実は、この本には前作があります。ブログでもご紹介しましたが、その対談本の名前は「継投論」。権藤さんは、横浜ベイスターズ時代に佐々木主浩投手をクローザーに抜擢し、先発、中継ぎ、クローザーという現代野球を作り上げたことで日本一となりました。なぜ、分業制を取り入れたのか。この本はその戦略の「心」を語りつくした本で、スポーツジャーナリスト二宮清純氏のみごとなリードと相まって、野球の面白さをふんだんに味併せてくれる名対談でした。

  本屋でこの本を目にしたときに、「継投論」の面白さが胸によみがえり、即座に手に取ってレジに向かいました。

  そもそも皆さんもこの題名に目を引かれませんか。野球はピッチャーが投げた球をバッターが打ち返して、得点を取ることでゲームが成立します。前作は、大投手であり、日本一の投手コーチであった権藤氏がピッチャー目線で野球の「勝つ戦略」を語ったわけですが、今回は投打にうんちくが広がっていきます。対談のはじまりから、権藤節がさく裂します。

  考えてみれば、野球においてピッチャーほど打者のことをよく見ている選手はいません。ことに権藤氏が現役の時代。投手は先発完投型ですから、完投したとすれば一試合で最低でも27回バッターを見ています。さらに選手交代があれば、30回以上のバッターを見ているわけです。それが、5球団を相手にするわけですから、単純に計算しても150回、さらに交流戦があれば330回バッターをみていることになります。

  とすれば、ピッチャーは投手のことを語ることができるのは当選として、それ以上に打者のことを語る資格があることになります。今回の対談では、二宮さんがこうした観点で権藤氏の打者論を引き出していきことになるのです。

  さて、先ほど昨年のセリーグについて語りましたが、昨年のパリーグは複雑でした。パリーグでは、工藤監督率いるソフトバンクホークスが日本シリーズに勝利し、3年連続日本一という快挙を成し遂げました。しかし、ペナントレースでは2年連続でリーグ2位と後塵を拝しました。この2年、パリーグを制したのは辻監督が率いる西武ライオンズです。辻監督は、ライオンズ黄金時代の名手。打順は1番の巧打者との印象が強く、日本シリーズでは相手を翻弄する巧打を何度も目にしました。辻監督は、明るく楽しくがモットーで、山川選手、中村選手、森選手など、常に華々しく打ち勝って2年連続リーグ優勝を勝ち取った野球はとても魅力的です。

  埼玉ライオンズのファンとしては、打の強さはそのままにピッチャー陣の防御率や被安打数を抑えることでリーグ優勝のみならず日本一に輝いてほしいと期待しています。

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(辻西武パリーグ二連覇  yahoo.co.jp)

【目からうろこの権藤野球】

  前作の「継投論」でも目からウロコがたくさん落ちましたが、今回の対談も引き続きウロコは落ち続きます。権藤氏は、投手コーチの仕事を「いかにバッターに打たれずに試合に勝つか」を考えることだと言い切ります。バッターに打たれないためには、バッターのことをよく知らなければなりません。その意味では、投手コーチほどバッターを観察し、バッターを考え続ける仕事は他にないわけです。ましてや権藤氏は日本一と言われた投手コーチです。つまり、打者を語るのに氏ほどふさわしい人はいないということなのです。

  まず、冒頭からユニークな野球論が切り広げられます。キーワードは、3割。野球のバッターは、打率が3割を超えれば超一流です。つまり、ピッチャーの投げる球を10回受けて、そのうちの3回ヒットを打てば目標達成です。それではピッチャーはどうでしょうか。ピッチャーは、逆に7割以上打者を抑えなければその仕事がなりたたないことになります。3割打ちたいバッターと7割抑えたいピッチャーと比べてみればピッチャーの方がバッターのことを四六時中考えていなければ抑えられないということになる、というのです。なるほど。

  さらに権藤氏は、これまで日本野球で常識であった考え方に大きな疑問を呈します。

  我々は、少年野球から始まって高校大学まで、ずっと野球に親しんできました。その中で、「低めの球は打ちにくい。」とは常識でした。プロ野球の解説でも「ピッチャーが低めに球を抑えることができたのがよかったですね。」とか「球を低めに集めたのが勝因」だとか日常的に語られています。ところが、氏は、現代野球では「低めに投げろ」は大間違いだというのです。

  それは、今や時代が違うということなのです。皆さんは、「フライボール革命」という言葉をご存じでしょうか。これは、統計的な話に基づきます。大リーグで、一定のバットスピードである角度のフライを打つと、安打率は5割、長打率は1.5倍に増加することがわかりました。このことにより、適正な角度(26度~30度)を意識してフライを打てば、安打、ホームランが増加することが証明され、大リーグではどの打者もフライを打つことに専念するようになったのです。

  かつて、野球では「ボールを転がす」ことが安打の秘訣と教わってきました。ランナーがいてもボールを転がしさえすれば、イレギュラーや捕球動作の時間によってランナーもバッターも生きる可能性が高い、とされていたのです。であれば、打者はダウンスウィングを徹底してボールをたたくことに専念することになります。ところが、フライボール革命後、フライをあげるために打者はアッパースウィングを心掛けるようになります。

  そうすると何が起きるのか。低めの球は救い上げることによってホームランになる確率が高い球となったのです。逆に胸元の速球は浮き上がることによってアッパースウィングではとらえにくい球となったのです。

  昨年、西武の菊池雄星投手が、イチローがプレーしていたシアトル・マリナーズに入団し、大リーガーを相手に先発投手として活躍しました。しかし、入団してしばらく菊池投手はなかなか勝ち星を挙げられず、初勝利を挙げたのは6試合目の登板でした。権藤氏は、この不振の原因を「低め文化」のなせる業だといいます。フライボール革命後の第リーグ選手は、低めをホームランすることを得意としている。菊池投手は、「困ったときは低めに投げる。」という昔ながらの教えが身についており、そこをやられた、というのです。

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(菊池雄星投手 大リーグデビュー bunshun.jp)

  80歳を過ぎて、時代の最先端を見る目は確か。その見識には脱帽です。

【ピッチャーにとって嫌な打者とは】

  この本は、どこを読んでもプロ野球を見る目が変わる情報が満載されています。

  その中でも、昔からの野球ファンにとっては「嫌なバッター」といして名前が挙がる第4章は思わずうなずきながら読める、楽しい1章です。西部の黄金時代、権藤氏は近鉄バッファローズや福岡ダイエーホークスのピッチングコーチを務めており、西武とは真剣勝負を演じていました。このときには、石毛選手が3番バッターとして活躍していたのですが、この石毛選手のエピソードは本当に面白い。それは、石毛の三打席目には苦労した、という話です。

  それは、一打席目、二打席目、石毛は普通のバッターだが、三打席目には恐ろしいバッターに変身するというのです。それには2つの意味があります。ひとつは、打率的に言って、石毛選手は3打席目には安打を打つためにその形相が全く変わります。そのため、集中力が高くなり、勝負師となり必ず塁に出るのです。もうひとつは、石毛選手の三打席目には決まってチャンスが訪れる、ということです。

  権藤氏いわく、強いチームというのは勝負強い打者の前に必ず得点につながる場面が回ってくるものだ。またいわく、弱いチームは逆にその日に調子の悪いバッターのところに得点チャンスの場面が回ってくる、そうです。つまり、当時の西武は石毛選手の三打席目に必ず得点につながる場面が回ってきたということなのです。そのときの石毛選手は最も嫌なバッターだったといいます。

  ネタばれ、となりましたがご安心ください。石毛選手以外にも、嫌な打者は次から次へと語られていきます。石毛選手と同じ時期にプレーしていた、今や監督である辻選手。巨人では伝説だった篠塚選手。今やベテランとなったソフトバンクの内川選手。ベイスターズ優勝時にマシンガン打線の一角を担った石井琢朗選手、今や巨人の顔となった坂本勇人選手。なぜ、彼らがピッチャーにとってそれほど嫌な選手なのか。その理由はぜひこの本でお楽しみください。

  バッターの話も面白いのですが、ピッチャーの話はもっと楽しめます。先日亡くなったレジェンド金田投手から大リーグで日本人第一号であった野茂英雄投手、かみそりシュートの平松投手。ベイスターズの現在のストッパー、山崎投手。今や日本のエースといってもよい菅野の投手、etc。そこで飛び出す権藤節はみごとです。

  野球の話は本当に楽しいですね。皆さんもぜひこの本で野球の今を味わってください。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。ああ、開幕が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

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(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

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(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

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(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

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(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

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(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベンチでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、との嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりが醸成されるのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

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(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

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(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

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(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

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(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

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(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベントでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、の嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりを醸成していくのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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