小説(海外)一覧

007(ゼロゼロセブン)は殺しの番号

こんばんは。

  公開後、全作品をオープニングからエンディングまで鑑賞した映画シリーズは、007シリーズとスターウォーズシリーズのみです。

  007はすべて映画館で見た、と言いたいところですが、第1作 ドクターNO(邦題「007は殺しの番号」)が日本で公開されたのは、1963年です。東京オリンピックの開催は、1964年ですから私はまだ5歳でした。ちょうどそのころにはじめて映画を見ましたが、それは東宝映画「わんぱく王子の大蛇退治」でした。まあ、両方ともアクション映画ではありますが、中身はだいぶん違います。

  初代ジェームズ・ボンドは、言わずと知れたジョーン・コネリー。今年89歳になるといいますが、お元気なのでしょうか。私が映画の魅力にはまったのは中学2年生の時でしたが、その頃に封切られた007は、ショーン・コネリーが主演した最後の作品、「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)でした。このシリーズでは、主題歌も大きな話題となりますが、シャーリー・バッシーが歌ったこの映画の主題歌もソウルフルでスマッシュヒットとなりました。

  正式な007映画としては、この作品がジョーン・コネリー最後の作品なのですが、実はその後、ファンや本人の希望があり、1983年に「ネバーセイ、ネバーアゲイン」という映画で、カムバックして007を演じました。題名は、「(007を)もうやらないなんて言わないで」という意味です。この映画は、「007 サンダーボール作戦」のリメイクですが、当時、007シリーズの映画化権はすべてアルバート・R・ブロッコリの手にあり、この作品だけが映画化可能なものだったそうです。この映画は、まさに007へのオマージュに満ち溢れていて、何度見ても楽しい映画でした。

007トリガー01.jpg

(映画「NEVER SAY NEVER AGAIN」ポスター)

  ショーン・コネリーは、あまりにジェームズ・ボンドのイメージと重なっていたために制作サイドは、後継者選びに苦労したと思われます。事実、「007 ダイヤモンドは永遠に」の前作「女王陛下の007」では、007をジョージ・レーセンビーが演じたのですが、興行成績が振るわず次作でショーン・コネリーが復帰するとの事態が起きたのです。その後、イケメン俳優のロバート・ワーグナーが候補に挙がりましたが、彼は、自分はあまりにアメリカ的でイギリス人のジェームズ・ボンドにはふさわしくない、と辞退し、ロジャー・ムーアを推薦したといいます。

  現在、007を演じているのは、6代目のダニエル・グレイグとなり渋いジェームズ・ボンドを演じています。最近のハリウッド映画のはやりですが、人生を背負う側面を醸し出すために背負っている過去に焦点を当てた脚本が映画を盛り上げます。ダイエル・グレイグの007もその路線を走っていますが、007に過去の足かせはそぐわないと思っています。確かに人間ですから様々なしがらみを背負うのは当たり前ですが、それが暗くて重いものとなると「007」とは異質に変容してしまう気がするのは私だけでしょうか。

  今週は、古き良き007を描いた小説の最新版を読んでいました。

「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

007トリガー02.jpg

(文庫「逆襲のトリガー」amazom.co.jp)

007シリーズの魅力】

  007シリーズの原作は、イアン・フレミングの大人気小説です。かのケネディ大統領もこのシリーズの愛読者だったのは有名なお話です。はじめてジェームズ・ボンドが登場したのは、1953年に上梓された「カジノ・ロワイヤル」でした。イギリスの諜報機関を題材とすること自体も当時としては斬新でしたが、それもそのはず、イアン・フレミングは第二次世界大戦中にイギリス諜報機関で働いていた本ものの諜報部員だったのです。

  諜報機関を退職後、ジャマイカの別荘に移り住んだ彼が、諜報機関時代の経験をもとに執筆したのが007シリーズだったのです。

  実をいうと、恥ずかしながら映画のフリークでありながらこれまでイアン・フレミングの小説は一度も読んだことがありません。特に理由はないのですが、映画があまりにも面白かったため、小説を読むと全く別のジェームズ・ボンドが出てきそうで億劫だったという感じです。考えてみれば、ハリー・ポッターも映画は見ても本は読んでいないし、スター・ウォーズも本を読もうとは思いません。

  それが、この本を読もうと思ったのは、いつもの本屋巡りで「007」という文字にひっかかったことがきっかけです。原作者のイアン・フレミングは、1965年に心臓麻痺で亡くなり、その後007シリーズは書かれることがありませんでした。しかし、イアン・フレミング財団なる団体はこれまでにも何度か007シリーズ新作の執筆を有望な作家に依頼していました。一度007を読んでみたいと思っていたところに新作です。思わず手に取ってしまいました。

  今回、白羽の矢が立ったのはシャーロック・ホームズの続編を執筆したイギリスの作家、アンソニー・ホロビッツ氏でした。シリーズの大ファンであった著者は、財団からの執筆依頼を受けてアイデアを練ります。氏は、生前イアン・フレミングがテレビ映画のための脚本を何篇か執筆していたことを知り、その草稿を手にします。今回のボンドの活躍は、イアン・フレミングのアイデアに基づく内容となりました。

  007の魅力は、何といっても男のロマンをくすぐる設定の数々です。

  まず、ジェームズ・ボンドのダンディな生き方。「男」に限定するのは今様ではありませんが、そのこだわりは、衣食住にとどまらず、生き方、女性観、車、小物まで徹底しています。ボンドは、常にスーツとネクタイに身を包んでいますが、愛用の銃にワルサーPPKを選んでいる理由もホルスターに収めたときにスーツが型崩れしないから(外から見て銃がわからないから)と言われています。さらにスーツに合わせる革靴は、紐靴というのもこだわりです。ボンドといえば、マティーニですが、「マティーニを。ステアせずシャエイクして。」とのセリフは映画史にも残る名セリフです。

  次なる魅力は、彼の職業です。男が憧れる職業といえば、大統領と指揮者と言われていますが、スパイもその最たる職業です。常に命の危険にさらされていますが、紙一重のところで国や人を救うというアドレナリン全開の職業です。「神々が打ち滅ぼさんとしたまいしもの、退屈なり。」とは、ボンドがささやいた独り言ですが、常に「退屈」を嫌って新たなミッションへと挑んでいく姿は、ほれぼれとする生き様です。そこに絡んで登場するメカニックも大きな魅力です。シリーズには、諜報機関でメカニックを担当するQが登場し、常に新たな武器をボンドに渡します。ナイフや金貨が仕込まれたアタッシュケース。機関銃や巻き菱を内蔵したアストンマーチンなど、血沸き肉踊ります。

007トリガー03.jpg

(アストンマーチンとジェームズ・ボンド)

  そして、何といってもボンドを取り囲む美しい女性たちは極めつけです。

  007の映画監督は、皆、ボンドガールのキャスティングに頭を悩ましたことと思います。小説では、その魅力が言葉で表現されますが、それが視覚化されたときに言葉のイメージが目の前に実現することが求められるからです。それでも映画のボンドガールは、皆、魅惑的です。第1作では、ジャマイカ沖の絶海の孤島に出現する妖艶な女性ハニーをウルスラ・アンドレスが演じ、観客の目をスクリーンに釘付けにすることに成功しました。真っ白いビキニに小刀を携えたグラマラスな容姿は見事でしたが、さすがに小説に忠実には描くことができませんでした。

  なぜなら、小説で登場するハニーは、腰の小刀以外は一糸もまとわぬ全裸だったからです。

  映画第2作となった「007 ロシアより愛をこめて」で暗号機とともにロシアから亡命するタチアナ・ロマノヴァを演じたダニエラ・ビランキは、美しさももちろんですが、そこに知的な魅力も加わり、シリーズのヒットを決定的なものにしました。タチアナがボンドの泊まるホテルのベッドルームに全裸で忍び込むシーンは、一瞬の影ではありましたが、妖艶な色香を醸し出していて思わず息をのみました。すべてを見せないことがいかに人の想像力を掻き立てるかを知らされたシーンでもありました。

  本当に007シリーズの魅力は語りつくすことができません。

007の新作 ボンド復活】

  007映画の定番は、プロローグにあります。オープニング、ボンドは必ず遂行不可能と思えるミッションを完遂する場面から始まります。そして、一仕事を終えたのちイギリス情報部、上司のMのもとを訪れます。そこでボンドは帽子をコートハンガーに投げ上げて、帽子はみごとにハンガーのトップへと収まります。その横には、Mの秘書であるミス、マニー・ペニーがボンドを待っていて、必ずボンドに嫉妬をまじえたひとことを投げかけます。

  今回の小説では、映画でプロローグにあたるエピソードが第一章で語られていきます。

  小説が描き出すジェームズ・ボンドの舞台は、何と冷戦まっただ中の1960年ころ。ボンドの敵は、当時のソビエト連邦の秘密組織であるスメルシュです。ボンドファンが喜びに震えるのは、なんと小説があの「ゴールドフィンガー」の後日談にあたっているからです。「ゴールドフィンガー」で、最後のどんでん返しを演出したのは、ゴールドフィンガーの部下である最強の下士官のごときプッシー・ガロアでした。

  ボンドは、命の恩人でもある金髪の美女プッシー・ガロアと一夜を共にしただけではなく、彼女をイギリスへと連れて帰り、一緒に住んでいたのです。一筋縄ではいかない女性を見ると口説き落とさずにはいられないボンドですが、なぜ。アメリカでは居場所のない彼女を救うべくイギリスに連れてきたのか。一風変わった展開に興味は尽きません。

007トリガー04.jpg

(ガロアを演じたオナー・ブラックマン)

  しかし、そこはボンド。イギリス紳士らしくガロアに気遣いながらも、すでに彼女と一緒にいることに後悔を感じ始めていました。そこにMからの呼び出しがあり、早くも次の事件が幕を開けることになるのです。今回、007に降りたミッションは、ソ連の秘密結社スメルシュに狙われたイギリス人を守ることでした。そのイギリス人は、世界一のF1レーサー。その場所は、ドイツ、ニュルブルクリンクの世界で最も過酷と言われるサーキットです。

  実は、ホロビッツ氏が発見したイアン・フレミングの草稿とは、007のテレビシリーズ用の草稿で、なんとボンドはそこでレーサーに身を投じることになるのです。この小説で描かれるボンドはその草稿通りにレーサーとして大活躍を演じるのです。

  小説の第一部、「空高く」は、こうして幕を開けることになります。レーサーとなるためにボンドにレースのすべてを教えるレーサーもほれぼれするような美女。さらにボンド好みの一流の腕を持つ利かん気の強いグラマラスな美人なのです。ハラハラとドキドキが次々に展開される粋なジェームズ・ボンドの活躍。007の魅力満載で小説は息もつかせず進んでいきます。

007対悪の対決】

  007と言えば、登場する悪役もそのスケールの大きさに唖然とさせられます。今回、ボンドを危機に陥れる悪役も半端ではありません。詳しくはぜひ小説で味わってほしいのですが、舞台となるのはアメリカとソ連が技術開発で先んじようと競い合う宇宙衛星の打ち上げです。今回の悪役の名前は、ジェイソン・シン。

  アメリカの大富豪ですが、驚くなかれ彼の本名は、シン・ジェソン。韓国からアメリカに渡ってきたシンは、アメリカで人材会社を立ち上げて大富豪に成り上がったのです。思い出すのは、「007 美しき獲物たち」で、敵となったゾ-リン産業を率いる大金持ちのマックス・ゾーリンです。彼は、アメリカの象徴であるシリコン・バレーをこの世から消し去るために空前絶後の大犯罪を計画するのですが、ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケンの冷静で酷薄な悪役には背筋がゾッとしました。

007トリガー05.jpg

(ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケン)

  今回登場するジェイソン・シンもゾーリンに勝るとも劣らない冷静で酷薄な名悪役です。

  第二部「地下深く」では、ボンドがまたまた知的な美女である謎の女ジェパディ・レーンとともに大活躍を演じます。もちろん、お約束の命の危機に何度も何度も遭遇し、からくも脱出、そしてタイムリミットが刻一刻と近づく中、ボンドは完全なる破滅を防ぐべくジェイソン・シンに挑んでいくのです。

  久しぶりの本格ボンド小説。皆さんもぜひお楽しみください。あの007の緊張とカタストロフが皆さんを襲うこと間違いなしです。最後の一行まで、目を離せません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




007(ゼロゼロセブン)は殺しの番号

こんばんは。

  公開後、全作品をオープニングからエンディングまで鑑賞した映画シリーズは、007シリーズとスターウォーズシリーズのみです。

  007はすべて映画館で見た、と言いたいところですが、第1作 ドクターNO(邦題「007は殺しの番号」)が日本で公開されたのは、1963年です。東京オリンピックの開催は、1964年ですから私はまだ5歳でした。ちょうどそのころにはじめて映画を見ましたが、それは東宝映画「わんぱく王子の大蛇退治」でした。まあ、両方ともアクション映画ではありますが、中身はだいぶん違います。

  初代ジェームズ・ボンドは、言わずと知れたジョーン・コネリー。今年89歳になるといいますが、お元気なのでしょうか。私が映画の魅力にはまったのは中学2年生の時でしたが、その頃に封切られた007は、ショーン・コネリーが主演した最後の作品、「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)でした。このシリーズでは、主題歌も大きな話題となりますが、シャーリー・バッシーが歌ったこの映画の主題歌もソウルフルでスマッシュヒットとなりました。

  正式な007映画としては、この作品がジョーン・コネリー最後の作品なのですが、実はその後、ファンや本人の希望があり、1983年に「ネバーセイ、ネバーアゲイン」という映画で、カムバックして007を演じました。題名は、「(007を)もうやらないなんて言わないで」という意味です。この映画は、「007 サンダーボール作戦」のリメイクですが、当時、007シリーズの映画化権はすべてアルバート・R・ブロッコリの手にあり、この作品だけが映画化可能なものだったそうです。この映画は、まさに007へのオマージュに満ち溢れていて、何度見ても楽しい映画でした。

007トリガー01.jpg

(映画「NEVER SAY NEVER AGAIN」ポスター)

  ショーン・コネリーは、あまりにジェームズ・ボンドのイメージと重なっていたために制作サイドは、後継者選びに苦労したと思われます。事実、「007 ダイヤモンドは永遠に」の前作「女王陛下の007」では、007をジョージ・レーセンビーが演じたのですが、興行成績が振るわず次作でショーン・コネリーが復帰するとの事態が起きたのです。その後、イケメン俳優のロバート・ワーグナーが候補に挙がりましたが、彼は、自分はあまりにアメリカ的でイギリス人のジェームズ・ボンドにはふさわしくない、と辞退し、ロジャー・ムーアを推薦したといいます。

  現在、007を演じているのは、6代目のダニエル・グレイグとなり渋いジェームズ・ボンドを演じています。最近のハリウッド映画のはやりですが、人生を背負う側面を醸し出すために背負っている過去に焦点を当てた脚本が映画を盛り上げます。ダイエル・グレイグの007もその路線を走っていますが、007に過去の足かせはそぐわないと思っています。確かに人間ですから様々なしがらみを背負うのは当たり前ですが、それが暗くて重いものとなると「007」とは異質に変容してしまう気がするのは私だけでしょうか。

  今週は、古き良き007を描いた小説の最新版を読んでいました。

「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

007トリガー02.jpg

(文庫「逆襲のトリガー」amazom.co.jp)

007シリーズの魅力】

  007シリーズの原作は、イアン・フレミングの大人気小説です。かのケネディ大統領もこのシリーズの愛読者だったのは有名なお話です。はじめてジェームズ・ボンドが登場したのは、1953年に上梓された「カジノ・ロワイヤル」でした。イギリスの諜報機関を題材とすること自体も当時としては斬新でしたが、それもそのはず、イアン・フレミングは第二次世界大戦中にイギリス諜報機関で働いていた本ものの諜報部員だったのです。

  諜報機関を退職後、ジャマイカの別荘に移り住んだ彼が、諜報機関時代の経験をもとに執筆したのが007シリーズだったのです。

  実をいうと、恥ずかしながら映画のフリークでありながらこれまでイアン・フレミングの小説は一度も読んだことがありません。特に理由はないのですが、映画があまりにも面白かったため、小説を読むと全く別のジェームズ・ボンドが出てきそうで億劫だったという感じです。考えてみれば、ハリー・ポッターも映画は見ても本は読んでいないし、スター・ウォーズも本を読もうとは思いません。

  それが、この本を読もうと思ったのは、いつもの本屋巡りで「007」という文字にひっかかったことがきっかけです。原作者のイアン・フレミングは、1965年に心臓麻痺で亡くなり、その後007シリーズは書かれることがありませんでした。しかし、イアン・フレミング財団なる団体はこれまでにも何度か007シリーズ新作の執筆を有望な作家に依頼していました。一度007を読んでみたいと思っていたところに新作です。思わず手に取ってしまいました。

  今回、白羽の矢が立ったのはシャーロック・ホームズの続編を執筆したイギリスの作家、アンソニー・ホロビッツ氏でした。シリーズの大ファンであった著者は、財団からの執筆依頼を受けてアイデアを練ります。氏は、生前イアン・フレミングがテレビ映画のための脚本を何篇か執筆していた知り、その草稿を手にします。今回のボンドの活躍は、イアン・フレミングのアイデアに基づく内容となりました。

  007の魅力は、何といっても男のロマンをくすぐる設定の数々です。

  まず、ジェームズ・ボンドのダンディな生き方。「男」に限定するのは今様ではありませんが、そのこだわりは、衣食住にとどまらず、生き方、女性観、車、小物まで徹底しています。ボンドは、常にスーツとネクタイに身を包んでいますが、愛用の銃にワルサーPPKを選んでいる理由もホルスターに収めたときにスーツが型崩れしないから(外から見て銃がわからないから)と言われています。さらにスーツに合わせる革靴は、紐靴というのもこだわりです。ボンドといえば、マティーニですが、「マティーニを。ステアせずシャエイクして。」とのセリフは映画史にも残る名セリフです。

  次なる魅力は、彼の職業です。男が憧れる職業といえば、大統領と指揮者と言われていますが、スパイもその最たる職業です。常に命の危険にさらされていますが、紙一重のところで国や人を救うというアドレナリン全開の職業です。「神々が打ち滅ぼさんとしたまいしもの、退屈なり。」とは、ボンドがささやいた独り言ですが、常に「退屈」を嫌って新たなミッションへと挑んでいく姿は、ほれぼれとする生き様です。そこに絡んで登場するメカニックも大きな魅力です。シリーズには、諜報機関でメカニックを担当するQが登場し、常に新たな武器をボンドに渡します。ナイフや金貨が仕込まれたアタッシュケース。機関銃や巻き菱を内蔵したアストンマーチンなど、血沸き肉踊ります。

007トリガー03.jpg

(アストンマーチンとジェームズ・ボンド)

  そして、何といってもボンドを取り囲む美しい女性たちは極めつけです。

  007の映画監督は、皆、ボンドガールのキャスティングに頭を悩ましたことと思います。小説では、その魅力が言葉で表現されますが、それが視覚化されたときに言葉のイメージが目の前に実現することが求められるからです。それでも映画のボンドガールは、皆、魅惑的です。第1作では、ジャマイカ沖の絶海の孤島に出現する妖艶な女性ハニーをウルスラ・アンドレスが演じ、観客の目をスクリーンに釘付けにすることに成功しました。真っ白いビキニに小刀を携えたグラマラスな容姿は見事でしたが、さすがに小説に忠実には描くことができませんでした。

  なぜなら、小説で登場するハニーは、腰の小刀以外は一糸もまとわぬ全裸だったからです。

  映画第2作となった「007 ロシアより愛をこめて」で暗号機とともにロシアから亡命するタチアナ・ロマノヴァを演じたダニエラ・ビランキは、美しさももちろんですが、そこに知的な魅力も加わり、シリーズのヒットを決定的なものにしました。タチアナがボンドの泊まるホテルのベッドルームに全裸で忍び込むシーンは、一瞬の影ではありましたが、妖艶な色香を醸し出していて思わず息をのみました。すべてを見せないことがいかに人の想像力を掻き立てるかを知らされたシーンでもありました。

  本当に007シリーズの魅力は語りつくすことができません。

007の新作 ボンド復活】

  007映画の定番は、プロローグにあります。オープニング、ボンドは必ず遂行不可能と思えるミッションを完遂する場面から始まります。そして、一仕事を終えたのちイギリス情報部、上司のMのもとを訪れます。そこでボンドは帽子をコートハンガーに投げ上げて、帽子はみごとにハンガーのトップへと収まります。その横には、Mの秘書であるミス、マニー・ペニーがボンドを待っていて、必ずボンドに嫉妬をまじえたひとことを投げかけます。

  今回の小説では、映画でプロローグにあたるエピソードが第一章で語られていきます。

  小説が描き出すジェームズ・ボンドの舞台は、何と冷戦まっただ中の1960年ころ。ボンドの敵は、当時のソビエト連邦の秘密組織であるスメルシュです。ボンドファンが喜びに震えるのは、なんと小説があの「ゴールドフィンガー」の後日談にあたっているからです。「ゴールドフィンガー」で、最後のどんでん返しを演出したのは、ゴールドフィンガーの部下である最強の下士官のごときプッシー・ガロアでした。

  ボンドは、命の恩人でもある金髪の美女プッシー・ガロアと一夜を共にしただけではなく、彼女をイギリスへと連れて帰り、一緒に住んでいたのです。一筋縄ではいかない女性を見ると口説き落とさずにはいられないボンドですが、なぜ。アメリカでは居場所のない彼女を救うべくイギリスに連れてきたのか。一風変わった展開に興味は尽きません。

007トリガー04.jpg

(ガロアを演じたオナー・ブラックマン)

  しかし、そこはボンド。イギリス紳士らしくガロアに気遣いながらも、すでに彼女と一緒にいることに後悔を感じ始めていました。そこにMからの呼び出しがあり、早くも次の事件が幕を開けることになるのです。今回、007に降りたミッションは、ソ連の秘密結社スメルシュに狙われたイギリス人を守ることでした。そのイギリス人は、世界一のF1レーサー。その場所は、ドイツ、ニュルブルクリンクの世界で最も過酷と言われるサーキットです。

  実は、ホロビッツ氏が発見したイアン・フレミングの草稿とは、007のテレビシリーズ用の草稿で、なんとボンドはそこでレーサーに身を投じることになるのです。この小説で描かれるボンドはその草稿通りにレーサーとして大活躍を演じるのです。

  小説の第一部、「空高く」は、こうして幕を開けることになります。レーサーとなるためにボンドにレースのすべてを教えるレーサーもほれぼれするような美女。さらにボンド好みの一流の腕を持つ利かん気の強いグラマラスな美人なのです。ハラハラとドキドキが次々に展開される粋なジェームズ・ボンドの活躍。007の魅力満載で小説は息もつかせず進んでいきます。

007対悪の対決】

  007と言えば、登場する悪役もそのスケールの大きさに唖然とさせられます。今回、ボンドを危機に陥れる悪役も半端ではありません。詳しくはぜひ小説で味わってほしいのですが、舞台となるのはアメリカとソ連が技術開発で先んじようと競い合う宇宙衛星の打ち上げです。今回の悪役の名前は、ジェイソン・シン。

  アメリカの大富豪ですが、驚くなかれ彼の本名は、シン・ジェソン。韓国からアメリカに渡ってきたシンは、アメリカで人材会社を立ち上げて大富豪に成り上がったのです。思い出すのは、「007 美しき獲物たち」で、敵となったゾ-リン産業を率いる大金持ちのマックス・ゾーリンです。彼は、アメリカの象徴であるシリコン・バレーをこの世から消し去れた目に空前絶後の第犯罪を計画するのですが、ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケンの冷静で酷薄な悪役には背筋がゾッとしました。

007トリガー05.jpg

(ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケン)

  今回登場するジェイソン・シンもゾーリンに勝るとも劣らない冷静で酷薄な名悪役です。

  第二部「地下深く」では、ボンドがまたまた知的な美女である謎の女ジェパディ・レーンとともに大活躍を演じます。もちろん、お約束の命の危機に何度も何度も遭遇し、からくも脱出、そしてタイムリミットが刻一刻と近づく中、ボンドは完全なる破滅を防ぐべくジェイソン・シンに挑んでいくのです。

  久しぶりの本格ボンド小説。皆さんもぜひお楽しみください。あの007の緊張とカタストロフが皆さんを襲うこと間違いましです。最後の一行まで、間を離せません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。




ダン・ブラウン AIとシンギュラリティを描く

こんばんは。

  ダン・ブラウン氏が描く宗教象徴学者、ラングドン教授シリーズもついに第5作目を迎えました。そのうち3作品はトム・ハンクスがラングドン教授を演じて映画化され、大ヒット作品になっています。前作「インフェルノ」では、フェシリティ・ジョーンズが知的な美女、シエナを演じてすっかり魅了されたことは記憶に新しいところです。今回の作品もこれまでの作品に勝るとも劣らず、素晴らしい謎解きとサスペンスを詰め込んだジェットコースター小説で、一気に読み終わりました。

「オリジン」

(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

【我々生命はどのように生まれたのか】

  今回、ラングトン教授が巻き込まれる事件は、ハーヴァード大学での教え子であり友人の科学者エドモンド・カーシュの大発見に起因します。その大発見は、かつてコペルニクスが「それでも地球は回っている。」と唱えた地動説やチャ-ルズ・ダーウィンに「この説が受け入れられるのには種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ。」と言わしめた進化論に匹敵するほどの衝撃を我々に与える発見だといいます。それは、まさにパラダイムの変換をもたらすレベルの発見です。

  ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズの大きなテーマのひとつは、宗教と科学の葛藤です。我々日本人は、昔から八百万(やおよろず)の神になれており、科学の数だけ神様がいるのでは、程度の認識しかありませんが、一神教を信じる人々には神と科学の葛藤は何よりも重大な問題をはらんでいます。それは、唯一神はいるのか、いないのか、との究極のクエスチョンです。

  現在、日本が誇る小惑星探査機はやぶさ2が、小惑星「りゅうぐう」に到達。小惑星の表層に金属級を打ち込み、内部の岩石流を採取するという世界初の試みが実行されています。タッチダウンと呼ばれる2回の着陸によって、はやぶさ2は小惑星の表層の岩石だけではなく、地中にある深層の岩石までを採取するという快挙に成功したのです。この技術は、世界唯一のものなのです。

  まもなくはやぶさ2は、小惑星を離れ日本への帰路につきます。予定では2020年の年末にはと急に帰還する予定ですが、帰路はまた3億kmの宇宙をたった一人で航行するわけですが、JAXAのプロジェクトメンバーの力を結集して、ぜひとも無事に帰還してほしいと思います。

  さて、このはやぶさ2は、「太陽系の生命の秘密に迫る」ことができるといわれています。我々の地球では、現在数えきれないほどの命が青く美しい星に息づいています。しかし、そもそもこの地球で命はどのように生まれたのか、その謎は解けていません。無機物からなぜ有機物が生まれたのか。科学によるアプローチは行き詰まり、現在では地球で最初の命につながる物質は地球外から隕石によってもたらされたのではないか、との仮説が唱えられています。

  この仮説は何によって実証されるのか。「りゅうぐう」が軌道を回る宇宙の環境は、地球に生命が生まれたと考えられる46億年前と同じ状態にあります。地球の最初の命に隕石がかかわっていたとすれば、その時代と同じ環境にある「りゅうぐう」の岩石には、生命につながる物質が含まれているかもしれない。そして、実際の岩石を研究することで、我々生命誕生の秘密が明かされるかもしれないのです。

  人間を創造したのは、宇宙から飛来した物質なのか、それとも神なのか。それは、宗教と科学が争う最も深遠な問題なのです。我々は、いったいどこから来たのか。今回の「オリジン」の主人公エドモンド・カーシュの発見は、この質問に答えを出すものだったのです。

【AIとシンギュラリティ】

  皆さんはNHKのEテレで、「人間ってなんだ。超AI入門」というプログラムがあるのをご存じでしょうか。この番組は、毎回テーマを設けてテーマに対して現在AIがどこまで技術的に進んでいるのか、を語っていく番組です。例えば「会話する」という場合、相手の言葉を理解して返事をすることができるAIは、人の会話に含まれる「共感」という感性を理解できるのか。会話の中で重要な「共感」とはそもそもどんなものか、AIにその意味が理解できるのか、そのひとつひとつを分析しながら解説していきます。この番組は、すでに3シリーズ目に突入しています。

  この番組のナビゲーターを務めているのが、東京大学大学院教授の松尾豊氏です。松尾氏は、現在のAI開発の最前線にいる最先端の研究者です。その解説はとてもスリリングで、ディープ・ラーニングというAIの開発技術もわかりやすく解説してくれます。AIは、もともとコンピューター技術がその礎となっています。ヒトの脳と同じことをコンピューターでできないか。それがAIの出発点だったのです。

  人間の脳内では、1千億個と言われるニューロンという神経細胞が需要細胞との間でシナプスと呼ばれる電気信号を発することで、様々な活動を行っています。このシナプスという電気信号は数兆という桁で信号の発信を行っていることがわかっています。AIの技術では、脳内の信号のやり取りをコンピューターによって人工的に作り出そうとする試みです。それには、人間の右脳の動きと人間の感情や行動を分析し、シナプスそのものを解析することが必要となります。

  コンピューターを使ったAIでは、数量的に人間の脳に追いつくために爆発的な技術進歩が必要となります。そして、その技術の進歩は、恐ろしいスピードで進んでいます。私の世代は、社会人になるころには携帯電話どころか、パソコンさえ実用的ではありませんでした。職場で使うのは、せいぜいワープロで、よく企画書をワープロで作りました。しかし、1990年代に入るとパソコンが職場に登場し、ウィンドウズ95がOSデビューを果たすや、パソコンは当たり前のように日常に入り込んできました。

  携帯電話も平成の初期にはまだ普及しておらず、もっぱら駅の伝言板で待ち合わせ時の連絡を取っていました。ところが、パソコンと気を同じくしてポケベルに変わって携帯電話が一世を風靡し、携帯電話は10年もたたないうちにジョブスのiPhonにとってかわられたのです。今や世の中はスマホの時代です。発売当初のパソコンでは、ハードディスクの容量もメガバイトの時代でしたが、アッという間にギガバイトの時代へと進化したのです。

  電子機器の進化は倍々ゲームのように速度を速め、パソコンやスマホに使われる集積回路の発展は、20年間で1万倍という拓的進化を遂げるといわれます。(ムーアの法則)。この法則から、未来学者のレイ・カーツワイル氏は「シンギュラリティ」が2045年に出現する、と主張しました。「シンギュラリティ」は数学の用語で「特異点」のことを言います。つまり、その先のことは人知を超えており不明、ということです。なぜ、2045年なのかといえば、そのときにコンピューターの能力が、人間のニューロンが発するシナプスの発信数を上回ることになるからです。

  つまり、コンピューター(AI)が人間の脳を超えたときに何が起きるかは誰にもわからないということなのです。いったい、シンギュラリティを迎えた人類は、その先どこへ行くのでしょうか。この本の主人公エドモンド・カーシュは、新たな発見でこの重要な問いにも答えを出したのです。

  ラングドン教授シリーズ第5弾「オリジン」の主人公、エドモンド・カーシュはラングドン教授の教え子ですが、未来学者、実業家として天才的な発想と技術によって世紀の発見を成し遂げます。それは、「我々はどこから来たのか。そして、どこに向かうのか。」この根源的な疑問に明確な答えをもたらす発見だったのです。

【ラングドン教授の舞台はスペイン】

  ラングドン教授シリーズの魅力は、「宗教と科学」とともに様々な芸術と芸術都市です。その舞台はバチカン、パリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールなど、ヨーロッパの歴史と文化を司った都市となります。ラングドン教授はそうした都市を追われながらもまさに飛んで歩くのですが、今回、舞台となったのはスペインです。スペインは、共和国政府との内戦にフランコ将軍が勝利し、1939年に独裁国となりました。

  フランコ将軍が支配した独裁政権は、1975年、フランコの死まで続きます。そして、フランコの死後、ファン・カルロス1世が国王に即位し、現在のスペイン王国が成立します。新憲法の下で総選挙が行われ、2院生の議会政治が行われていますが、バスク地方やカタルーニァ地方は歴史的に異なる文化を持っており、自治権を持っていますが常に分裂のリスクを抱えています。2014年、ファン・カルロス1世は王位継承に署名して息子のフェリペ6世が王位につきました。

  このシリーズの巻頭には、毎回「事実:この小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体は、すべて現実のものである。」との言葉が掲載されていますが、今回もスペインの現代が余すことなく描かれています。

  スペインのビルバオという街をご存じでしょうか。今回、ラングドン教授が招待されたのはビルバオにあるビルバオ・グッゲンハイム美術館です。グッゲンハイム美術館といえば、ニューヨークにある美術館を思い浮かべますが、美術館を運営するソロモン・R・グッゲンハイム財団は、世界各地に分館を開設しているのです。ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、ビルバオの再開発と軌を一にして街の再生の目玉として計画されました。1997年に開設されるや、建築家フランク・オー・ゲイリー氏による斬新な建築が大きな話題となり、年間100万人の観光客が世界中から押し寄せているといいます。

  このシリーズに登場する建物は、どれも小説の舞台として大いなるワンダーをもたらす舞台装置として働きます。このビルバオ・グッゲンハイム美術館もその例にもれませんが、ダン・ブラウン氏はさらに驚きのシチュエーションを作り出します。この美術館の館長となっているのは、美貌かつ才能豊かな美女、アンブラ・ビダルです。アンブラは、次期スペイン国王となるフリアン王子の婚約者なのです。

  ラングドン教授を招待したのは、世界を変える発見をしたエドモンド・カーシュでした。カーシュは、自らが発見した世紀の科学的新事実をこの美術館から全世界に発表しようと企画していたのです。ネタばれはここまでですが、今回もラングドン教授は警察をはじめ、あらゆる組織から追われることになるのですが、この逃避呼応を共にするのがスペインを代表する美女アンブラ・ビダル嬢なのです。

  スペインといえばもっとも有名な芸術家といってもよいのはアントニ・ガウディです。そして、その集大成ともいえる作品が、サクラダ・ファミリア。今回の作品で焦点となる芸術家はガウディです。カーシュが発見した人類最大の謎は、カーシュが敬愛していたガウディにその秘密が隠されているのです。ガウディの有名な建築に現在観覧が可能な住宅、カサ・ミラがあります。この建物は、世界遺産でありながら賃貸住宅であるという変わった建物なのですが、エドモンド・カーシュは、なんとこのカサ・ミラの2フロアを期間限定で賃借し、自宅として利用していたのです。

  このシリーズの例にもれず、ラングドン教授とアンブラはあらゆる組織から追われることになるのですが、このカサ・ミラの居室を探索するシーンは、まるでガウディの部屋の訪問記のようで緊張とワンダーがみごとに融合しています。さらに、カーシュの秘密はサクラダ・ファミリアに眠っていることがわかり、二人は今だ建築中の巨大な教会へと向かいます。

  サクラダ・ファミリアはガウディの思想が凝縮された傑作です。かつて、逢坂剛は、名作「カディスの赤い星」で工事中のサクラダ・ファミリア内での追跡劇を描いており、その緊迫感にページをめくる手に思わず塚らが入りました。あれから30年を経て、ラングドン教授がこの教会のはるかに伸びる階段で刺客と戦うことになるのです。手に汗を握るシーンは、ぜひ本編でお楽しみください。

【そして謎はどこに向かうのか】

  さて、このブログではネタばれを最小限とすることをポリシィーとしていますが、この小説の面白さを損なわない範囲で最も大きな謎を2つお話しします。

  世界にパラダイムの変換をもたらす発見を成し遂げたエドモント・カーシュ。この人物のモデルはスティーブ・ジョブスとも、シンギュラリティの生みの親レイ・カーツワイルとも言われていますが、その有り余る才能は、ある人々に大きな危機感を抱かせます。そして、晴れの舞台、多くの招待者の前で一世一代のプレゼンテーション開催の最中に一発の銃弾によって命を失うことになります。暗殺者は明示されていますが、彼を操っている黒幕は誰なのか。この謎が、小説の全編を貫いています。

  そして、もう一つの謎は、カーシュの発見そのものです。世界を震撼させる世紀の発見とは何なのか。その発見は、我々がどこから来て、どこに向かうのか、という永遠の謎に解を与えるというのです。

  二つの謎と「宗教と組織と芸術」。ラングドン教授シリーズは、汲めども尽きぬ面白さです。また、この文庫版の解説は、あの「超AI入門」でナビゲーターを務める東大大学院教授の松尾豊教授です。その解説もこの小説の楽しみを倍増させてくれます。皆さんお楽しみに。

  ダン・ブラウンの小説は、文句なく面白い!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。