日記一覧

人は音楽なしでは生きていけない

こんばんは。

  今年のゴールデンウイークは、「家にいよう」が合言葉です。

  日本人という民族は、本当にオリジナルな存在だと思います。鎖国をしている間でも江戸を世界一の年にしてしまうし、江戸末期には和算学の関孝和はすでに微分積分を使っていたし、渋川春海は天文学を極め、星の動きから日本1300年にわたる暦をすでに紐解いていました。ところが、文明開化によって西洋文化こそが人類発展の礎とばかりに、すべての文化を西洋の土台で取り入れて競争社会を作り上げたのです。

  今回の新型コロナ拡散では、図らずも日本の特異性が明らかになりました。

  例えば、日本では世界に比べて人口に占める感染者数や脂肪事例は圧倒的に低い水準を保っています。これは、もともと日本人が人に迷惑をかける行為を避けようとする民族であることが大きな要因なのではないでしょうか。

  日本人社会は、農業中心の経済体系を永年にわたって築き上げてきており、そこには村八分文化が根付いています。そこでは、公民的な意味での他人を思いやることとは別に、人に迷惑をかけると村からのけ者にされるため、できるだけ人様に後ろ指をさされないようにしようとの心理が働きます。そのため、疫病などに備えて触れ合わない文化がはぐくまれたのではないでしょうか。

  くしゃみや咳は人に向かってしない、挨拶は触れ合うのではなくお辞儀でする。できれば、座って距離を置いて頭を下げる。目上の人に対しては、距離を取って頭を下げたまま目を挙げない。こうした、村八分にならないための文化が接触を避ける文化となり、結果としてウィルス感染を未然に防ぐことになっているのではないでしょうか。

  そうは言っても今回のウィルスは感染力が異常に強いので、日本の文化だけでは対抗できません。また、村八分社会では負の連鎖が起きる可能性もあります。今は科学の時代です。根拠のある感染症予防(手洗い励行、マスク着用)を行い、対人接触8割減を実現し、一日も早い緊急事態宣言からの脱却を目指しましょう。

【家にいて何をやろうか】

  我々人類のために身を粉にして働いて頂いている医療従事者の方々(うちにも一人います。)には本当に感謝なのですが、それに反し私は4月にはほとんどテレワークで自宅にいました。人との接触は、家族を除けば限りなくゼロに近いのですが、いつもの日課がこなせずにイライラしてくることに間違いはありません。例えば、大好きなライブやコンサートは(当たり前ですが)すべてキャンセルとなり、テナーサックスのレッスンも(これまた当たり前ですが)すべて中止。さらには映画館も休業、本屋さんもやっていません。

  人間は社会的な生き物なので、こうした人が生み出したものへの接触を制限されるとストレスがたまりまくります。日頃からあまり運動はしていないので、その点は特に痛痒を感じないのですが、文化的接触がないのは本当に苦痛です。

  もちろん、ライブやコンサートはキャンセルなので、チケット代はもどってくるのですが、個人的にはライブやコンサートはお金に代えがたい感動を生んでくれます。最も憂うのはパフォーマーたちの収入が途絶えて、音楽活動が続けられなくなるリスクが出てくることです。もちろん、ライブハウスの経営者も生活していけず、出演者も生活の糧をえることができなくなるのです。

  イギリス、ドイツ、フランスでは、ミュージシャンを含めたパフォーマー達には都市封鎖などによって収入がなくなることへの補償があると報道されています。しかもそれは申請すれば即座にもらえるようです。日本には文部科学省がありますが、こちらの官僚たちには芸術を愛する人は数少ないのかもしれません。人間はパンなしでは生きていくことができません。さらに音楽や文学がなくても生きていけません。政治を司る人たちにはぜひそのことを理解してほしいと心から願います。

【音楽こそが我々をつなぐ】

  さて、話を戻すと、ライブやコンサートで生音を堪能することはできませんが、テレビや動画で、音楽はオンタイムで発信されています。

  コロナ以降、感動した音楽番組をいくつかご紹介します。

  まず、ポップスでは、薬師丸ひろ子さんのライブです。こちらは、NHKBSプレミアムの番組なのですが、2018年に行われた「歌がくれた出会い」と題されたライブの映像です。

  薬師丸ひろ子と言えば、70年代から80年代に青春時代を送ったお父さんたちには懐かしくて涙がチョチョ切れるのではないかと思います。そのデビューは1978年、14歳の時です。当時、角川春樹さんが角川文庫から映画製作へとすそ野を広げ、文庫本とのコラボレーションで一世を風靡しました。その第一作は、横溝正史さんの「犬神家の一読」。この映画は大ヒットし、第二作目は森村誠一さんの「人間の照明」。こちらもジョー山中が謳った主題歌とともに、大ヒットとなりました。

  そして、その第三作目が高倉健さんを主人公に描いた作品「野生の照明」だったのです。

  この「野生の照明」でデビューしたのが、薬師丸ひろ子さんでした。

  ライブのすばらしさは、その題名通り、彼女がこれまで接してきた様々な人々とのエピソードを課の儒自身が振り返るというインタビューが挿入されるところです。ライブは、これまで35年間歌われてきた数々の楽曲が網羅されていますが、それぞれの曲にまつわるエピソードが本人の口から語られる趣向は素晴らしいものでした。

  「野生の照明」のテーマ曲は、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。」とのフィリップ・マーロウの言葉がキャッチコピーの「戦士の休息」。画占め手の映画出演だった彼女に気遣ってくれる高倉健のエピソードはもちろんですが、この曲を歌うたびに高倉健さんがどこか近くにいる気がする、との言葉はデビュー当時の想いが湧き上がってくるようです。

  私が彼女のファンになったのは、1983年公開の松田優作さんと共演した映画「探偵物語」。以前からその大きな目に魅力を感じていましたが、若い女性を描いて一流の赤川次郎さんが書き下ろした原作のおもしろさもさることながら、松田優作さん延ずる駄目刑事がおませでお嬢な女子大生の魅力をふんだんに引き立てており、素敵な映画でした。

  ちょうど会社に入った年に発売されたアルバム「A LONG VACATION」は、日本のJPOPSの草分けであった大瀧詠一さんの大ヒットアルバムです。このアルバムでブレイクした大瀧さんはその後様々な楽曲をメジャー歌手に提供することになりますが、この映画の主題歌はまさに作曲家として絶好調の大瀧詠一がはなったスマッシュヒットでした。(作詞は盟友松本隆さん)この映画は、当時TV放映をビデオにとり、擦り切れるくらいに何度も見たことを覚えています。この曲もラうぶでは、大瀧詠一さんの思い出とともに歌われていました。

  そして、もう1本忘れられない映画が、夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」です。この映画は薬師丸ひろ子さんがはじめて本格的な演技に挑戦し、女優として評価された記念すべき作品です。ラストの衝撃もさることながら、この作品も主題歌が秀逸でした。薬師丸ひろ子さんの歌う「Woman”Wの悲劇より」と題された曲は、「愛」を歌いながらもスタイリッシュで見事な抑揚が心をゆさぶります。作詞は前作に続き松本隆さん、作曲は呉田軽穂です。え?クレタカルホ?かつてグレタ・ガルボという伝説の女優がいましたが、この名前は?

  実はこの人こそあの松任谷由実さんなのです。薬師丸ひろ子さんは女優生活に悩み、何度となく女優を辞めたいと思ったと言います。しかし、ある時、苗場に遊びに行き松任谷由実さんのライブを見た時に、そうなんだ、自分も自由に生きればよいのだと目の覚めるような気がした、と語っています。お二人の間には人にわからない強いきずながあったのです。この曲も名曲でした。

  薬師丸ひろ子さんの歌は本当に様々な人たちが創り、彼女との絆を作り上げてきました。薬師丸さんは中島みゆきさんの名曲「時代」もカバーしています。インタビューでは、この曲の録音の時にスタジオにみゆきさんご本人が来てくれてアドバイスを受けたと言います。ひろ子さんはこの曲を声量を持って歌おうと息を吐き出して歌っていたそうなのですが、みゆきさんがその歌を聴いて、あなたにはもっと声量があるはず、思い切って声を出して、と言われたそうです。あの中島さんが、驚きです。

  彼女がこれまで歌ってきた数々の歌には、その歌にまつわる人との出会いがあったのです。ご紹介した以外でも、彼女には竹内まりあさん、井上陽水さん、坂本龍一さんなどなど日本の音楽界を代表する作曲家たちが曲を書いています。その素晴らしい音楽を味わいながら、それぞれの人たちの出会いを語る。このライブはテレビで見るからこその感動がある素晴らしい番組でした。機会があれば、皆さんもぜひ味わってください。心が癒されること間違いなしです。

Stay Homeを実践する音楽家たち】

  さて、話は変わりクラシックの番組です。

  新日本フィルハーモニー管弦楽団は、日本を代表するオーケストラのひとつです。しかし、今回のコロナウィルスのためにすべてのコンサートは中止となりました。オーケストラにはスタッフを含めれば100人以上の人たちが仕事をしています。そこに収入の道が閉ざされればどんなことが起きるのでしょうか。それは楽団の存続にも影響する一大事です。

  オーケストラはすみたトリフォニーホールを本拠地としていますが、今はホールも閉鎖されており集まっての練習も、遠隔公演もできません。そこでトロンボーン奏者の山口さんがネットで合わせて音楽を届けようと楽団のメンバーに呼びかけたのです。曲は「パプリカ」。62名ものメンバーがそれぞれ自宅からのアクセスで一つの曲を作り上げるとの快挙に感動しました。

  ところで、NHKEテレでは毎週日曜日の2100から「クラシック音楽館」という番組を放送しています。いつもは、N響の定期演奏会の模様を放送するのですが、ときどき驚きのプログラムが放送されます。先日は、「いま届けたい音楽~音楽家からのメッセージ~」と題して、今最も才能を発揮している人々のメッセージとともに過去の素晴らしい演奏を振り返る番組を放送していました。

  92歳になる世界的指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットさんのベートーベン交響曲7番は、年齢を全く感じさせないテンポの名演奏。そのはつらつとした演奏に大きな元気をもらいました。そのメッセージは「今、ルツェルンの自宅で日本の皆さんを思い浮かべている。いつか皆さんのためにコンサートホールで演奏したい。こうしたときだからこそ、私たちは音楽を渇望する。」。心が熱くなりました。さらには、ベルリンフィルでコンサートマスターを務めるヴァイオリニスト樫本大進の演奏にも時間を忘れて聞き入りました。

  曲は、サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。大進さんの「この曲の第2楽章の美しさに心をいやしてもらえれば・・・」とのメッセージとともに演奏が始まります。サン・サーンスと言えば、さだまさしの曲にも使われた「動物の謝肉祭」の「白鳥」は知らない人はいないほど有名ですが、この曲のヴァイオリンの美しさは、さすがサン・サーンスと唸らせる本当に美しい旋律が心地よい名曲でした。指揮者、パーヴォ・ヤルヴィさんも相変わらずの流麗な演奏でここ画尾から感動しました。

  今、全国の緊急事態宣言も延長を迎えて、我々は「Stay Home」という、さらなる忍耐を強いられますが、こんな時こそ笑顔を忘れずに豊かな音楽を心の糧に穏やかに毎日を過ごしていきましょう。

  今、私は毎日テレワークで仕事をしていますが、幸せなことに子供も巣立ち音楽を聴きながら仕事に勤しんでいます。今のお気に入りはエリック・アレキサンダー(T.Sax)、2016年のアルバム「Second Impression」です。やんちゃなエリックから変貌し、ストレートでアグレッシブながらも大人の魅力を醸しだす彼のSAXがひときわ響き渡る名作です。ジャズがお好きな方は、一度お聴き下さい。お気に入りの1枚になると思います。

  それでは皆さん、いつもに増してお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



ついに完結!「スター・ウォーズ」シリーズ

こんばんは。

  いきなり閑話休題なのですが、戦後プロ野球の歴史を長嶋さん、王さんとともに作り上げてきたレジェンド、野村克也氏が亡くなりました。

  このブログでも野村さんの著書は数えきれないほど紹介してきましたが、日本のプロ野球に数々の新たなページを書き加えてきた氏の功績は何物にも代えがたいものだと思います。ニュースでは、その教え子たちのコメントが次々に述べられていましたが、同時代に切磋琢磨してきた人々の語りもさることながら、監督時代にその教えを学んだ高津監督や島選手の涙は我々の心を打ちました。

  3年前に奥さまを亡くしてからすっかり元気がなくなりましたが、同じ病状で亡くなったその仲睦まじさをそのまま天国でも続けていくものと、心からのご冥福をお祈りしています。

  野村さんの選手晩年と監督時代の活躍を同時代に味わうことができ、野球ファンとしてこれほどの幸せはありません。西武での生涯現役捕手時代、その後のID解説者時代、ヤクルトの黄金時代を築いたヤクルト監督時代、阪神監督時代、マーくんを育てた楽天監督時代、とすべての時代で我々に野球の奥深さを教えてくれました。その人間観察の確かさと弱者が勝つためのマネジメントは、これからも我々の指針として役に立つことに間違いありません。本当にありがとうございました。感謝です。

starwars01.jpg

(1995年 日本一のトロフィーを掲げる野村氏)

  さて、野村さんの話は一度おいて、今回は「スター・ウォーズ」の話です。

  ジョージ・ルーカス氏が壮大なサーガを構築し、そのサーガをもとに最も面白いエピソードを画像化するとのコンセプトで制作された映画「スター・ウォーズ」シリーズ。その大ヒットシリーズが、40年の時を超えてついに完結しました。

  「スター・ウォーズ」シリーズは、1977年から1983年にかけて制作公開された3部作が「オリジナル・トリロジー」。1999年から2005年にかけて作られた3部作が「プリクエル・トリロジー」。2015年から2019年まで作成され、ついに昨年末に最終作「スカイウォーカーの夜明け」が公開された3部作は「シークエル・トリロジー」と呼ばれています。「プリクエル」とは本編に対する前編を意味しており、「シークエル」とは後編を意味しています。

  つまり、最初の3部作は「オリジナルストーリー」であり、ルーカスが作成したアナキン・スカイウォ―カー(ダーズベイダー)の物語が「オリジナル」の前日譚であり、ディズニーが制作した直近の3部作が「オリジナル」の後日譚となるわけです。

  「オリジナル」からのスター・ウォーズファンとしては、年末に公開された完結編を見逃すわけにはいきません。先日、満を持してついに11回の上映となってしまった「スター・ウォーズ」最終完結編を見に行きました。

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(2019年米・142分)

(原題:「Star Wars The Rise of Skywalker」)

・スタッフ  監督:J.J.エイブラムス

       脚本:J.J.エイブラムス

          クリス・テリオ

・キャスト  レイ:デイジー・リドリー

       カイロ・レン(ベン):アダム・ドライバー

       フィン:ジョン・ボイエガ

       ポー・ダメロン:オスカー・アイザック

       ランド・カルリシアン:ビリー・ディー・ウィリアムス

starwars02.jpg
(「スカイウォーカーの夜明け」ポスター)

【オールスターキャストの豪華さ】

  今回の「シークエル・シリーズ」の題名を見てみましょう。

  第1作目が「フォースの覚醒」、第2作目が「最後のジェダイ」、最終作は「スカイウォ-カーの夜明け」となっています。参考にこれまでの題名も見てみましょう。「オリジナル・トリロジー」は、1作目が「新たなり希望」、2作目は「帝国の逆襲」、3作目が「ジェダイの帰還」です。「プリクエル・トリロジー」は、第1作が「ファントム・メナス」、第2作が「クローンの攻撃」、第3作が「シスの復讐」となっています。

  題名を追っていくとよくわかりますが、銀河世界をすべて手中に収めようするシス一族とそれぞれの民族の自由独立を守ろうとする共和国軍の闘いという大きな流れの中で、「フォース」という精神力(気)を持つジェダイという共和国の騎士団がシス一族と相対する物語が紡がれていくことになります。ここで非常に重要な要素は、ジェダイの騎士が操る「フォース」は、暗黒面としての側面も有しており、シス一族も暗黒面の「フォース」を操ることができるという点です。

  「オリジナル」では、ジェダイの騎士の最後の生き残りは2人いて、その一人オビ・ワン・ケノービーであり、もう一人がヨーダでした。一方、シス一族の帝国軍ではダース・ベイダー卿という将軍が暗黒面の「フォース」を操ります。「オリジナル・トリロジー」では、様々な謎が、物語の進行につれて我々に明かされていくことになります。まず、2作目で主人公であるルーク・スカイウォーカーの実の父親がダース・ベイダー卿であることが明かされ、我々に衝撃を与えました。

  いったい敵と味方に分かれて争う「フォース」の持ち主たちが親と子であるとはどうゆうことなのか。その驚きが継続されたまま、作品は第3作目へと突入します。さらに第3作目ではそれ以上に驚きの事実が明かされることになります。それは、共和国軍の王女であるレイア・オーガナ姫が、ルーク・スカイウォーカーの双子の兄妹であるという、これまた衝撃の事実です。次々と明かされる謎に我々は驚くのですが、これこそがジョージ・ルーカスが作品に仕掛けたワンダーのひとつだったのです。

  そして、「オリジナル」で明かされた衝撃の事実がなぜ生まれたのか。それを解き明かしたのが21世紀の幕開けに制作された「プリクエル・トリロジー」だったのです。

starwars03.jpg

(エピソード1「ファントムメナス」ポスター)

  こうした物語を踏まえて、その後を描こうとする「シークエル・トリロジー」の構想は、物語の構成からして非常にハードルが高かっただろうと想像されます。まず、驚いたのは新たな主人公の創出です。ファミリーネームを持たないレイという女性。第1作目は、彼女にリアリティと存在感を与えるために作られたといっても過言ではありません。そのリアリティは、フィン問「帝国軍からの脱走兵によって強調されています。この二人を創出したことで、「シークエル・トリロジー」はやっと動き出すことができたのではないでしょうか。

  レイにはなぜか「フォース」が宿っているようです。その存在は、第2作目に進んで彼女は世捨て人であったルーク・スカイウォ-カーを発見し、ジェダイの修業を受けるようになっても、依然謎のまま最終作へと突入します。一方で、「オリジナル・トリロジー」の人々の人生もレイと同時並行で進んでいきます。

  「シークエル」では、ルーク・スカイウォ―カーもレイア・オーガナ姫もハン・ソロもそれぞれ年齢を重ねて登場します。レイア姫は、シス一族の流れをくむ「ファースト・オーダー」となのる新帝国軍に対抗し、今や共和国軍を率いる将軍となっています。ハン・ソロとは別れていますが、その間にはベンという一人息子を設けました。ところが、ベンはまるでダース・ベイダーのように暗黒面の「フォース」の力に取り込まれ、何と帝国軍の将軍となっているのです。

  ここで、「シークエル」に過去の歴史が繰り返されることになります。ベンは、カイロ・レンと名を変えて、シスの手先となって母親であるレイア姫率いる共和国軍と対峙することになります。こうして、1作目ではハン・ソロが殺され、第2作ではルーク・スカイウォーカーが渾身のエネルギーを使い果たして地上からは消え失せ、レイア姫も第3作で帰らぬ人となります。そして、物語はシス一族対レイの闘いをクライマックスとして壮絶な最後が描かれることとなるのです。ここに至って、最後に残されたレイの出生の秘密が明かされることになるのです。

starwars05.jpg

(帝国軍の戦艦 スターデストロイヤー buzz-plus.com)

  今回は、「アロジナル」の2作目でハン・ソロやルークに力を貸したランド・カルリシアン将軍も登場し、まさにオールスターキャストの映画となりました。完結編には、亡くなったハン・ソロやルーク・スカイウォーカーも登場し、物語で重要な役割を演じることになるのです。

【ディズニー・スター・ウォーズとは?】

  これまでも、「フォースの覚醒」、「最後のジェダイ」をご紹介した回でディズニー映画となった「スター・ウォーズ」がいかにノスタルジー映画になっているかを語ってきました。今回の最終話もやはり「壮大なノスタルジー映画」であることに変わりがありません。

  これ以上深入りすると、第3作目の最終映画のネタばれとなってせっかくのワンダーを削ぐことになってしまうので、具体的なシチュエーションは語らずに話を進めます。

  この物語の進行から言えば、当然ラストは「シークエル・トリロジー」の主人公であるレイと帝国軍を率いるシス一族の首領との対決となります。シスの本拠地はこれまで謎に包まれていましたが、今回、ついに銀河の奥深くに隠されたシスの本拠地が判明し、帝国軍の数万に及ぶ大編隊に共和国軍が全兵力を動員して最後の決戦を挑みます。帝国軍では、これまでも惑星を吹き飛ばすパワーをもつスーパーレーザー砲が惑星基地「デススター」に搭載されて登場しましたが、今回はそのスーパーレーザー砲が装備された戦艦が登場します。

  今回描かれる最後の決戦は、これまでとは比較にならないスケールで描かれます。数万の艦隊である帝国軍に対して、共和国軍の艦隊は数えるほどの艦隊でしかありません。敵の弱点に対してワンポイント攻撃を試みるのですが、多勢に無勢。少数精鋭の舞台で帝国軍の帰還に乗り込んだフィンたち一隊も苦戦を強いられます。

  「オリジナル」でデススターに追い詰められたルークたちにはエンドア星の住人であるイウォーク族の加勢があり、民族を超えた連帯の力強さが描かれていました。その連帯が我々に大きな感動を生んだのですが、今回も最後の決戦に臨んで生命の大きな連携がカギを握ります。しかし、その連携の描かれ方に今ひとつリアリティがないのです。

  もちろん、リアリティを出すための工夫が随所でなされていることに間違いはありません。シス族が潜む星を見つけるためにレイとフィン達は部隊を編成して、ヒントとなるシスの言葉を解読するためにキジーミという星に潜入します。そこは、共和国軍のポー大佐が昔悪事を働いていた星で、昔なじみのゾーリ・ブリスという女性が仲間として登場します。そこのやり取りは泣かせるエピソードなのですが、このエピソードが最後の決戦のにくい伏線となっており、リアリティのための工夫の一つなのです。

  ポー大佐が世話になったキジーミ星は、帝国軍が新たに建造した旗艦船に備えられたスーパーレーザー砲によって木端微塵となり、宇宙の藻屑と消えてしまうのです。

starwars04.jpg

(究極の兵器 デス・スター wired.jpより)

  しかし、こうした周到に用意されたエピソードでリアリティを醸し出そうとする演出にもかかわらず、ラストシーンが終わったときに涙が出るような感動は湧き出てきませんでした。なぜなのでしょうか。それは、映画の展開があまりにも忙しすぎたせいだと思います。この映画は、レイという新たなジェダイの後継者とルークたち(カイロ・レンを含む)の物語の2本だてとなっています。しかし、その伏線の描き方が丁寧ではありません。これまで、ファンが知っている「オリジナル」を意識するあまり、あまりに多くのエピソードが詰め込まれて、エピソードのリアリティが希薄になっていると思えるのです。

  映像としてのワンダーも黒沢映画のワンダーを踏襲したジョージ・ルーカスのような驚きを醸し出すこともなく、脚本も破綻のない物語展開を意識するあまり、オリジナルのワンダーを出し切れていないという印象でした。

  さすが、ハリウッド映画として最高のエンターテイメントになってはいるのですが、「スター・ウォーズ」としては、前作以上に「壮大な二番煎じ」との印象は鑑賞後に湧き出てきた感想です。

  この「シークエル・トリロジー」は、独立したシリーズとして3本をまとめて見れば新たな感動を感じることができるのかもしれません。いつか、時間があれば味わってみたいものです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



550回を迎えてますます感謝です!

こんばんは。

  先日、500回のご挨拶をしたばかりですが、皆々様のおかげで「日々雑記」も550回を迎えました。

  こうして毎回、新たな気持ちでブログが続けられるのも、いつもご訪問していただく皆様のおかげです。回を重ねるごとに、皆さんのご訪問に改めて感謝する今日この頃です。

  本当に、いつもありがとうございます。

  この50回を振り返ると、最近の「日々雑記」は日記の登場が多くなり、相対的に本の紹介が減っているというのが印象です。自分で記事を書いていて言うのもなんですが、この50回で「日記」として書いた記事は15回を数えます。それは、「人生楽しみ」の時間の塩梅(あんばい)が思ったようにいかないことの証左ですね。

  というのも、最近人生の楽しみが増えたせいもあり、なかなか時間の配分がうまくいきません。本を読むことは今でも一番の楽しみなのですが、昨年はそれに加えて見に行きたい美術展が目白押し。さらに連れ合いと二人の旅行も行きたい場所だらけ。大好きな音楽ライブやコンサートもネタが尽きません。そのせいで、あおりをうけているのは映画です。今年は、映画を見る機会が減りました。特に、シアター系の映画はこちらから情報を得て上映館を探して見に行く必要があり、どうしても機会が減ってしまします。

【テナーサックス奮闘記】

  さらに還暦を機に新たな取り組みに手を染めたいと考えて、テナーサックスを習い始めました。学生時代にはギターをたしなんでいて、しろうとバンドで楽しんでいたのですが、あくまで遊びで、五線譜や音符とは無縁でした。その意味で、新たな楽器を演奏することはまさにチャレンジです。

  なぜ、テナーサックスがと言えば理由は簡単です。私の最も好きなアーティストがマイケル・ブレッカーだからです。テナーサックスは最も人間の声に近い音を奏でる楽器、と言われていますが、はじめてレッスンでドミソを吹いた時、その音色のすばらしさに心から感動しました。この話を始めると、またいくら紙面があっても足らなくなるのでほどほどにしますが、習い始めて4か月でヤマハのYTS-82Zを手に入れたときには、その体全体に響き渡る低音に、大袈裟なようですが「生きていてよかった。」と心が震えました。

  テナーサックスは、ピアノやギターなどのハ調(C)を基本にした楽器と異なり、ロ調(B♭)で作られた楽器なので、移調楽器と呼ばれます。そのため、ジャズなどでは半音階が多用されてすべての指を瞬時に動かす必要が生じ、フラットとシャープに翻弄されます。ピアノの黒鍵でおなじみですが、音階は全音と半音で成り立ちます。例えば、ドの上はレですが、その間にド♯の音が入り込むわけです。そこで、楽譜を読むときに恐ろしいことが起きます。それは、ドの半音階上の音は、レの半音階下の音と同じ音であるという当たり前のことです。

  つまり、ド♯とレ♭は、表記は異なるにもかかわらず音符では同じに書かれ、鳴らす音も(当たり前ですが、)同じなのです。楽譜が読める方には「だから何なんだ。」としかられそうなのですが、楽譜が読めない人間は、サックスを吹くときに音符の下にカタカナで音を表記し、それを見て曲の練習を行います。すると曲が変調するとド♯と書かれていた音符表記が、レ♭に変わるのです。

  サックスを抑える指使いは、ド♯もレ♭も同じであり鳴らす音も同じなのですが、人の生業からして表記が変われば指使いも変わるのが当たり前、と脳は理解しています。ドとレだけならば、まだ脳みそもうまく対応してくれますが、この現象は、ミにもファにもソもラにもシにも生じる現象なのです。今取り組んでいる課題曲は、「煙が目にしみる」と「いつか王子様が」なのですが、前者ではソ♭と表記されている音が、後者ではファ♯と表記されているのです。

  曲が変わると「アレッ」と考えてしまい、息が止まります。

  そのたびに先生はニヤニヤして、「難しいですよね。」と言ってはくれますが、その目は明らかに「これが普通に吹けないと曲は吹けません。」と語っています。バンドでテナーサックスを吹いていた友人にそのことを話すと、「確かにサックスを吹くと、なんでこんなに♯と♭ばっかり出てくるんだ、と嫌になるね。」となぐさめてくれますが、♯や♭と仲良くなるまでには、もう少し時間が必要なようです。

500回以降のベスト10は?】

  さて、話を戻すと、最も大きな悩みはどうやって時間をやりくりするかです。突発的な出来事に対応するのであれば、寝る時間を減らすとか、食事を抜くとか、やりくりがきくのですが、日常的なことなので、なかなか妙案が浮かびません。あまつさえ、エリック・アレキサンダーやダイアナ・クラール、キング・クリムゾン、プラハ管弦楽団、樫本大進などが来日すると最優先でチケットを確保するわけですから、ますます時間は無くなります。

  という具合で、なかなか1週間に2度ブログを更新するのが難しい状況が続いているのです。早く仕事をリタイヤして「人生楽しみ」に専念したいのですが、とかくこの世は住みにくい。しばらくサックスは仕事がお休みの日に通うしかありません。週休4日の暮らしをしてみたいものです。

  550回記念が嘆きのブログで申し訳ありません。気を取り直して、550回のまとめに入りたいと思います。読書の方は、もともとが本屋巡りとセットとなった楽しみですので、読む本はアドリブ的に多様なジャンルの本となります。今年も、野球、映画、音楽と面白い本もありましたが、こうした分野の本は趣味が偏りがちです。

  読んだ本のすすめベスト10を語ろうとすると、どうしてもスポーツ本、音楽本は圏外となってしまいます。今年も同様となりますが、前置きはこのくらいにして本題に戻りましょう。(いつものように「題名」をクリックするとブログにリンクします。)

10位 「下山事件完全版-最後の証言」(柴田哲孝著 祥伝社文庫 2007年)

  ノンフィクション分野は、これまでにも沢木幸太郎さんや佐野眞一さんなど素晴らしいライターの本をご紹介してきましたが、この本もまたノンフィクションのワンダーを我々に教えてくれる面白い一冊です。下山事件といえば、GHQ占領下の19467月、東京で起きた国鉄総裁下山定則の拉致殺害事件です。この事件は犯人を特定することができず、迷宮入りとなったのですが、そこにまつわる戦後を彩った様々な人間模様から何者かの指示により暗殺されたとの憶測がまことしやかに流され続けてきました。

著者はノンフィクションライターですが、実はこの事件の実行犯の一人として疑いがあった人物の孫だったのです。自らの祖父は犯人だったのか。幼いころの祖父の印象は、殺人者からは程遠いものでした。この本は、自らの出生から端を発した迫真のルポルタージュです。ぜひお読みください。

9位 「モダン」(原田マハ著 文春文庫 2018年)

  原田マハさんの美術小説は、すべて傑作ぞろいです。この作品は、マハさんの美術の原点といってもよいニューヨーク近代美術館を舞台に繰り広げられる物語です。マハさんの絵画にまつわる物語は、その絵画にかかわる人間ドラマが描かれて感動的なのですが、ここに収められた5編の主人公たちもみな美術館と美術を愛する人々です。ぜひさわやかな読後を味わってください。

8位 「須賀敦子の旅路」(大竹昭子著 文春文庫 2018年)

  この本は、2つの物語が同時に並行して進む小説のような趣を持っています。それは、美しく流れる文章で我々を読むたびに魅了してくれる須賀敦子さんの描く世界とその須賀さんが描いた世界を自らの足でたどっていく大竹昭子さんの気持ちが寄り添うように描かれていくからです。大竹さんの文章は須賀さんの言葉に呼応するように記されており、その想いが重なるようで心を動かされます。

7位 「生死(しょうじ)の覚悟」

   (高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年) 

  現代の日本では、立ち止まって自らを考えることがとても少ないのではないでしょうか。本来、人と人が共鳴するのは、互いが自らのことを認識し、自らの情報を確認し、その情報を分かち合うことからはじまるからです。SNSが本来の共鳴と異なるのは、分かち合うことをしないことが大きな要因なのではないでしょうか。分かち合うとは相互作用ですが、SNSは自己満足の連続が場を支配していく世界です。

  この対談は、文学や宗教を通じて自らの異質さを認識してきたお二人が、その認識を相互に確認し合うことで対話の価値を高めていきます。この本の中には、間違いなく現代社会が失いつつある共鳴が鳴り響いており、我々に今を考えさせてくれます。良書でした。

6位 「日本問答」(田中優子 松岡正剛著 岩波新書 2017年)

  皆さんは、「日本」が何からできているのか、考えたことがありますか。この本は、「日本」を様々な視点から考え続けてきた知のマイスターお二人が、日本を徹底的に問答する対談です。最高の対談は、ネットサーフィンのように関連する話題が次々に繋がっていき、広がると同時にテーマの掘り下げがどんどん深まっていく会話が連なります。お二人の対談はまさにそれで、ボーッと読んでいると、チコちゃんに叱られること間違いなしです。ぜひ、お楽しみください。

5位 「ドナルド・キーン自伝-増補新版」(ドナルド・キーン著 角地幸男訳 中公文庫 20193月)

  「碧い目の日本人」というと、キーンさんは私の目は碧くないよ、と返されるに違いありません。いったい日本とは何なのか。「源氏物語」に魅せられて、1953年から65年にわたってにほんをあいしつづけてくれたキーンさん。その愛情が、この本にギッシリとつまっています。軽妙な語り口、時に見せるウィットとアイロニーは、我々日本人も見習いたいニューヨーカーです。これほど日本に魅せられた人物は、日本人にも稀有なのではないでしょうか。今、テレビのコメンテイターは、日本語を話す外国人で連日盛り上がっていますが、その草分けがキーンさんだと思うと感慨もひとしおです。

4位 「呉越春秋 湖底の城 八」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2018年)

  文庫好きの宮城谷ファンに昨年は嬉しい年でした。この50回のなかでも久しぶりに秦による中華統一後を描いた小説が文庫となり、また、呉越春秋も伍子胥編の後を受けて始まった范蠡編、第7巻。さらにその続編である第8巻と宮城谷ワールドを満喫しました。宮城谷さんの小説は、どれを読んでも面白いのですが、今回はいよいよ范蠡がその才能を発揮しはじめる第8巻としました。こうして振り返ってみると、小説「劉邦」と「呉越春秋」には不思議な共通点があります。それは、主人公の背景に250年の時を超えて大きな「楚」の国が横たわっているということです。紀元前450年を描いた呉越でいえば、呉の宰相として越を迎え撃つ伍子胥は、もともと「楚」の宰相の息子でした。そのライバルである越の宰相范蠡は「楚」の賈(商人)の出身なのです。「劉邦」で描かれた項羽は、言わずと知れた「楚王」の子孫で新への復讐のために立ち上がったのです。皆さんもこうした観点で、宮城谷さんの本を読むと、一味違った楽しみが湧き出てくるのではないでしょうか。

3位 「オリジン」(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

  ダン・ブラウン氏の作品は前作「インフェルノ」がとても面白く、また映画化された作品もフィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールとその世界遺産そのものの映像も含めてエンターテイメントとして一流の作品でした。まさか、それを超える面白さの作品が登場しようとは思いませんでした。今回ラングドン教授が活躍する舞台は、あこがれのスペインです。そこには、ダン・ブラウン氏らしく、最新のスペイン近代美術館から世界遺産のガウディまで、スペインの名所が次々に登場します。さらにテーマが「神はいるのか」ですから、その小説がつまらないはずはありません。これまで、イタリア以外を描いた小説は映画化されていませんが、スペインを舞台としたこの小説は映画化されるでしょうか。ぜひ、映画化を期待したいものです。

2位 「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

  これまで、海外小説がベスト32冊も入ることはありませんでしたが、やっぱり007の魅力には偉大なものがあります。確かに1960年代が舞台の小説を第2位とするのは単なるノスタルジーなのでは、との疑問もごもっともです。しかし、エンターテイイメントとスパイ小説が合体するときに007の力は絶大でした。この小説は舞台から言っても年代から言っても映画化されたときには、ショーン・コネリーしか演ずることができないと思います。それほど、当時の007小説に男のロマンがやどっていたといってもいいと思います。ここに登場する007は、女性から見てもアイドルではないでしょうか。皆さん、だまされたと思って一度この小説を手に取ってください。第2位の理由に納得すると思います。

1位 「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  今回のダントツ第1位はこの小説です。その分厚さも第1位なのですが、読み始めてから読み終わるまでの時間は最も短いに違いありません。それほど、恩田さんのプロット、キャラクター、舞台設定が素晴らしく、読み始めれば一気に最後まで読み続けてしまうのです。この小説は、ある年のピアノコンクールの模様を4人のコンテスタントの人生と重ねて描いていくのですが、その4人のコンテスタントの造形が見事です。スポーツものならいざ知らず、普通、芸術系のコンクールは羨望と嫉妬と中傷のるつぼとなることが想像されます。しかし、恩田さんの世界は違います。なぜならば、ここに登場する4人は皆、音楽の神様に祝福されており、世俗と人知を超えてピアノを弾いているからです。そうはいっても、この4人にはヒエラルキーがあります。

  音楽の神から最も祝福されているのは、風間塵。ピアノという楽器の落とし子のような塵は、自らの中にあふれる、風のような音をそのままピアノの音として鳴らしてしまうのです。そのあまりの才能に、聴く側は驚いてしまい、この才能を持て余してしまうのです。しかし、他の3人は音楽の神に近い塵を同じ演奏家として受け入れていきます。塵は第3位となります。

  風間塵の次に神に近いのは、天からいくつもの贈り物をあたえられているようなマサル・カルロス・レヴィ・アナトールです。マサルは、現代のピアニストが演奏に特化してしまったことに疑問を持っており、作曲家としても一流のピアニストをめざす青年です。幼馴染の亜夜との再会と一流の恩師の教えを受けて彼は、人知の及ぶ最高の音を奏でて、みごとコンクールに優勝します。

  そして、マサルと紙一重のところで我々に近いのは、唯一の女性主人公、栄伝亜夜です。彼女は幼い時からピアニストとしての技量に恵まれていましたが、その心の糧であった母親を失って、演奏することの意味を見失ってしまいます。亜夜は、このコンクールで自らの原点を探ろうとしてコンクールに参加します。彼女が、3人のピアニストの狭間で自らを取り戻し、コンクールに挑む姿はこの小説のハイライトのひとつです。順位は、第2位です。

  もう一人の主人公、高島明石は楽器店の従業員でありながらピアニストでもあり、自らの夢をつらぬこうと「生活者のピアノ」を掲げて、コンクールに挑戦しています。このコンクールではオリジナル曲として作曲家、菱沼忠明の作品「春と修羅」を演奏することが二次予選の課題曲となっています。高島は、宮沢賢治の詩を深く解釈して楽譜を自らの音楽として展開します。そして、コンクールでこの曲のために設定された賞、菱沼賞を受賞します。

  この4人の造形は見事です。ところで、実は今ここに書いたコンクールの順位や個人賞は、小説では語られていません。小説の終了後、結果は記事として子掲載されているだけなのです。この小説のすごさは、音楽の神様と我々人間のせめぎ合いを全編で示すことによって、結果に対しての興味を感じさせないところにあります。我々読者は、恩田さんの仕掛けと筆の力によって、4人の人生に引き込まれ、結果は二の次になるのです。小説が終わった後に「ああ、そうだったのか。」とホッとするところが、この小説のすばらしさといってもよいと思います。

  ぜひ、この素晴らしい小説を楽しんでください。


  それでは、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



550回を迎えてますます感謝です!

こんばんは。

  先日、500回のご挨拶をしたばかりですが、皆々様のおかげで「日々雑記」も550回を迎えました。

  こうして毎回、新たな気持ちでブログが続けられるのも、いつもご訪問していただく皆様のおかげです。回を重ねるごとに、皆さんのご訪問に改めて感謝する今日この頃です。

  本当に、いつもありがとうございます。

  この50回を振り返ると、最近の「日々雑記」は日記の登場が多くなり、相対的に本の紹介が減っているというのが印象です。自分で記事を書いていて言うのもなんですが、この50回で「日記」として書いた記事は15回を数えます。それは、「人生楽しみ」の時間の塩梅(あんばい)が思ったようにいかないことの証左ですね。

  というのも、最近人生の楽しみが増えたせいもあり、なかなか時間の配分がうまくいきません。本を読むことは今でも一番の楽しみなのですが、昨年はそれに加えて見に行きたい美術展が目白押し。さらに連れ合いと二人の旅行も行きたい場所だらけ。大好きな音楽ライブやコンサートもネタが尽きません。そのせいで、あおりをうけているのは映画です。今年は、映画を見る機会が減りました。特に、シアター系の映画はこちらから情報を得て上映館を探して見に行く必要があり、どうしても機会が減ってしまします。

【テナーサックス奮闘記】

  さらに還暦を機に新たな取り組みに手を染めたいと考えて、テナーサックスを習い始めました。学生時代にはギターをたしなんでいて、しろうとバンドで楽しんでいたのですが、あくまで遊びで、五線譜や音符とは無縁でした。その意味で、新たな楽器を演奏することはまさにチャレンジです。

  なぜ、テナーサックスがと言えば理由は簡単です。私の最も好きなアーティストがマイケル・ブレッカーだからです。テナーサックスは最も人間の声に近い音を奏でる楽器、と言われていますが、はじめてレッスンでドミソを吹いた時、その音色のすばらしさに心から感動しました。この話を始めると、またいくら紙面があっても足らなくなるのでほどほどにしますが、習い始めて4か月でヤマハのYTS-82Zを手に入れたときには、その体全体に響き渡る低音に、大袈裟なようですが「生きていてよかった。」と心が震えました。

550回02.jpg

(マイケル・ブレッカー LIVE  amazon.co.jp)

  テナーサックスは、ピアノやギターなどのハ調(C)を基本にした楽器と異なり、ロ調(B♭)で作られた楽器なので、移調楽器と呼ばれます。そのため、ジャズなどでは半音階が多用されてすべての指を瞬時に動かす必要が生じ、フラットとシャープに翻弄されます。ピアノの黒鍵でおなじみですが、音階は全音と半音で成り立ちます。例えば、ドの上はレですが、その間にド♯の音が入り込むわけです。そこで、楽譜を読むときに恐ろしいことが起きます。それは、ドの半音階上の音は、レの半音階下の音と同じ音であるという当たり前のことです。

  つまり、ド♯とレ♭は、表記は異なるにもかかわらず音符では同じに書かれ、鳴らす音も(当たり前ですが、)同じなのです。楽譜が読める方には「だから何なんだ。」としかられそうなのですが、楽譜が読めない人間は、サックスを吹くときに音符の下にカタカナで音を表記し、それを見て曲の練習を行います。すると曲が変調するとド♯と書かれていた音符表記が、レ♭に変わるのです。

  サックスを抑える指使いは、ド♯もレ♭も同じであり鳴らす音も同じなのですが、人の生業からして表記が変われば指使いも変わるのが当たり前、と脳は理解しています。ドとレだけならば、まだ脳みそもうまく対応してくれますが、この現象は、ミにもファにもソもラにもシにも生じる現象なのです。今取り組んでいる課題曲は、「煙が目にしみる」と「いつか王子様が」なのですが、前者ではソ♭と表記されている音が、後者ではファ♯と表記されているのです。

550回03.jpg

(低音器 YAMAHA YTS-82Z)

  曲が変わると「アレッ」と考えてしまい、息が止まります。

  そのたびに先生はニヤニヤして、「難しいですよね。」と言ってはくれますが、その目は明らかに「これが普通に吹けないと曲は吹けません。」と語っています。バンドでテナーサックスを吹いていた友人にそのことを話すと、「確かにサックスを吹くと、なんでこんなに♯と♭ばっかり出てくるんだ、と嫌になるね。」となぐさめてくれますが、♯や♭と仲良くなるまでには、もう少し時間が必要なようです。

500回以降のベスト10は?】

  さて、話を戻すと、最も大きな悩みはどうやって時間をやりくりするかです。突発的な出来事に対応するのであれば、寝る時間を減らすとか、食事を抜くとか、やりくりがきくのですが、日常的なことなので、なかなか妙案が浮かびません。あまつさえ、エリック・アレキサンダーやダイアナ・クラール、キング・クリムゾン、プラハ管弦楽団、樫本大進などが来日すると最優先でチケットを確保するわけですから、ますます時間は無くなります。

  という具合で、なかなか1週間に2度ブログを更新するのが難しい状況が続いているのです。早く仕事をリタイヤして「人生楽しみ」に専念したいのですが、とかくこの世は住みにくい。しばらくサックスは仕事がお休みの日に通うしかありません。週休4日の暮らしをしてみたいものです。

  550回記念が嘆きのブログで申し訳ありません。気を取り直して、550回のまとめに入りたいと思います。読書の方は、もともとが本屋巡りとセットとなった楽しみですので、読む本はアドリブ的に多様なジャンルの本となります。今年も、野球、映画、音楽と面白い本もありましたが、こうした分野の本は趣味が偏りがちです。

  読んだ本のすすめベスト10を語ろうとすると、どうしてもスポーツ本、音楽本は圏外となってしまいます。今年も同様となりますが、前置きはこのくらいにして本題に戻りましょう。(いつものように「題名」をクリックするとブログにリンクします。)

10位 「下山事件完全版-最後の証言」(柴田哲孝著 祥伝社文庫 2007年)

  ノンフィクション分野は、これまでにも沢木耕太郎さんや佐野眞一さんなど素晴らしいライターの本をご紹介してきましたが、この本もまたノンフィクションのワンダーを我々に教えてくれる面白い一冊です。下山事件といえば、GHQ占領下の19467月、東京で起きた国鉄総裁下山定則の拉致殺害事件です。この事件は犯人を特定することができず、迷宮入りとなったのですが、そこにまつわる戦後を彩った様々な人間模様から何者かの指示により暗殺されたとの憶測がまことしやかに流され続けてきました。

       著者はノンフィクションライターですが、実はこの事件の実行犯の一人として疑いがあった人物の孫だったのです。自らの祖父は犯人だったのか。幼いころの祖父の印象は、殺人者からは程遠いものでした。この本は、自らの出生から端を発した迫真のルポルタージュです。ぜひお読みください。

9位 「モダン」(原田マハ著 文春文庫 2018年)

モダン01.jpg

(原田マハ「モダン」amazon.co.jp)

  原田マハさんの美術小説は、すべて傑作ぞろいです。この作品は、マハさんの美術の原点といってもよいニューヨーク近代美術館を舞台に繰り広げられる物語です。マハさんの絵画にまつわる物語は、その絵画にかかわる人間ドラマが描かれて感動的なのですが、ここに収められた5編の主人公たちもみな美術館と美術を愛する人々です。ぜひさわやかな読後を味わってください。

8位 「須賀敦子の旅路」(大竹昭子著 文春文庫 2018年)

  この本は、2つの物語が同時に並行して進む小説のような趣を持っています。それは、美しく流れる文章で我々を読むたびに魅了してくれる須賀敦子さんの描く世界とその須賀さんが描いた世界を自らの足でたどっていく大竹昭子さんの気持ちが寄り添うように描かれていくからです。大竹さんの文章は須賀さんの言葉に呼応するように記されており、その想いが重なるようで心を動かされます。

7位 「生死(しょうじ)の覚悟」

   (高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年) 

  現代の日本では、立ち止まって自らを考えることがとても少ないのではないでしょうか。本来、人と人が共鳴するのは、互いが自らのことを認識し、自らの情報を確認し、その情報を分かち合うことからはじまるからです。SNSが本来の共鳴と異なるのは、分かち合うことをしないことが大きな要因なのではないでしょうか。分かち合うとは相互作用ですが、SNSは自己満足の連続が場を支配していく世界です。

  この対談は、文学や宗教を通じて自らの異質さを認識してきたお二人が、その認識を相互に確認し合うことで対話の価値を高めていきます。この本の中には、間違いなく現代社会が失いつつある共鳴が鳴り響いており、我々に今を考えさせてくれます。良書でした。

6位 「日本問答」(田中優子 松岡正剛著 岩波新書 2017年)

  皆さんは、「日本」が何からできているのか、考えたことがありますか。この本は、「日本」を様々な視点から考え続けてきた知のマイスターお二人が、日本を徹底的に問答する対談です。最高の対談は、ネットサーフィンのように関連する話題が次々に繋がっていき、広がると同時にテーマの掘り下げがどんどん深まっていく会話が連なります。お二人の対談はまさにそれで、ボーッと読んでいると、チコちゃんに叱られること間違いなしです。ぜひ、お楽しみください。

5位 「ドナルド・キーン自伝-増補新版」(ドナルド・キーン著 角地幸男訳 中公文庫 20193月)

  「碧い目の日本人」というと、キーンさんは私の目は碧くないよ、と返されるに違いありません。いったい日本とは何なのか。「源氏物語」に魅せられて、1953年から65年間にわたって日本を愛しつづけてくれたキーンさん。その愛情が、この本にギッシリとつまっています。軽妙な語り口、時に見せるウィットとアイロニーは、我々日本人も見習いたいニューヨーカーです。これほど日本に魅せられた人物は、日本人にも稀有なのではないでしょうか。今、テレビのコメンテイターは、日本語を話す外国人で連日盛り上がっていますが、その草分けがキーンさんだと思うと感慨もひとしおです。

4位 「呉越春秋 湖底の城 八」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2018年)

goetu801.jpg

(宮城谷昌光「湖底の城八」amazon.co.jp)

  文庫好きの宮城谷ファンに昨年は嬉しい年でした。この50回のなかでも久しぶりに秦による中華統一後を描いた小説が文庫となり、また、呉越春秋も伍子胥編の後を受けて始まった范蠡編、第7巻。さらにその続編である第8巻と宮城谷ワールドを満喫しました。宮城谷さんの小説は、どれを読んでも面白いのですが、今回はいよいよ范蠡がその才能を発揮しはじめる第8巻としました。こうして振り返ってみると、小説「劉邦」と「呉越春秋」には不思議な共通点があります。それは、主人公の背景に250年の時を超えて大きな「楚」の国が横たわっているということです。紀元前450年を描いた呉越でいえば、呉の宰相として越を迎え撃つ伍子胥は、もともと「楚」の宰相の息子でした。そのライバルである越の宰相范蠡は「楚」の賈(商人)の出身なのです。「劉邦」で描かれた項羽は、言わずと知れた「楚王」の子孫で秦への復讐のために立ち上がったのです。皆さんもこうした観点で、宮城谷さんの本を読んでみると、一味違った楽しみが湧き出てくるかもしれません。

3位 「オリジン」(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

  ダン・ブラウン氏の作品は前作「インフェルノ」がとても面白く、また映画化された作品もフィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールとその世界遺産そのものの映像も含めてエンターテイメントとして一流の作品でした。まさか、それを超える面白さの作品が登場しようとは思いませんでした。今回ラングドン教授が活躍する舞台は、あこがれのスペインです。そこには、ダン・ブラウン氏らしく、最新のスペイン近代美術館から世界遺産のガウディまで、スペインの名所が次々に登場します。さらにテーマが「神はいるのか」ですから、その小説がつまらないはずはありません。これまで、イタリア以外を描いた小説は映画化されていませんが、スペインを舞台としたこの小説は映画化されるでしょうか。ぜひ、映画化を期待したいものです。

2位 「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

  これまで、海外小説がベスト32冊も入ることはありませんでしたが、やっぱり007の魅力には偉大なものがあります。確かに1960年代が舞台の小説を第2位とするのは単なるノスタルジーなのでは、との疑問もごもっともです。しかし、エンターテイイメントとスパイ小説が合体するときに007の力は絶大でした。この小説は舞台から言っても年代から言っても映画化されたときには、ショーン・コネリーしか演ずることができないと思います。それほど、当時の007小説に男のロマンがやどっていたといってもいいと思います。ここに登場する007は、女性から見てもアイドルではないでしょうか。皆さん、だまされたと思って一度この小説を手に取ってください。第2位の理由に納得すると思います。

1位 「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  今回のダントツ第1位はこの小説です。その分厚さも第1位なのですが、読み始めてから読み終わるまでの時間は最も短いに違いありません。それほど、恩田さんのプロット、キャラクター、舞台設定が素晴らしく、読み始めれば一気に最後まで読み続けてしまうのです。この小説は、ある年のピアノコンクールの模様を4人のコンテスタントの人生と重ねて描いていくのですが、その4人のコンテスタントの造形が見事です。スポーツものならいざ知らず、普通、芸術系のコンクールは羨望と嫉妬と中傷のるつぼとなることが想像されます。しかし、恩田さんの世界は違います。なぜならば、ここに登場する4人は皆、音楽の神様に祝福されており、世俗と人知を超えてピアノを弾いているからです。そうはいっても、この4人にはヒエラルキーがあります。

550回04.jpg

(映画「蜜蜂と遠雷」ポスター)

  音楽の神から最も祝福されているのは、風間塵。ピアノという楽器の落とし子のような塵は、自らの中にあふれる、風のような音をそのままピアノの音として鳴らしてしまうのです。そのあまりの才能に、聴く側は驚いてしまい、この才能を持て余してしまうのです。しかし、他の3人は音楽の神に近い塵を同じ演奏家として受け入れていきます。塵はコンクール第3位となります。

  風間塵の次に神に近いのは、天からいくつもの贈り物をあたえられているようなマサル・カルロス・レヴィ・アナトールです。マサルは、現代のピアニストが演奏に特化してしまったことに疑問を持っており、作曲家としても一流のピアニストをめざす青年です。幼馴染の亜夜との再会と一流の恩師の教えを受けて彼は、人知の及ぶ最高の音を奏でて、みごとコンクールに優勝します。

  そして、マサルと紙一重のところで我々に近いのは、唯一の女性主人公、栄伝亜夜です。彼女は幼い時からピアニストとしての技量に恵まれていましたが、その心の糧であった母親を失って、演奏することの意味を見失ってしまいます。亜夜は、このコンクールで自らの原点を探ろうとしてコンクールに参加します。彼女が、3人のピアニストの狭間で自らを取り戻し、コンクールに挑む姿はこの小説のハイライトのひとつです。コンクールでの順位は、第2位です。

  もう一人の主人公、高島明石は楽器店の従業員でありながらピアニストでもあり、自らの夢をつらぬこうと「生活者のピアノ」を掲げて、コンクールに挑戦しています。このコンクールではオリジナル曲として作曲家、菱沼忠明の作品「春と修羅」を演奏することが二次予選の課題曲となっています。高島は、宮沢賢治の詩を深く解釈して楽譜を自らの音楽として展開します。そして、コンクールでこの曲のために設定された賞、菱沼賞を受賞します。

  この4人の造形は見事です。ところで、実は今ここに書いたコンクールの順位や個人賞は、小説では語られていません。小説の終了後、結果は記事として掲載されているだけなのです。この小説のすごさは、音楽の神様と我々人間のせめぎ合いを全編で示すことによって、結果に対しての興味を感じさせないところにあります。我々読者は、恩田さんの仕掛けと筆の力によって、4人の人生に引き込まれ、結果は二の次になるのです。小説が終わった後に「ああ、そうだったのか。」とホッとするところが、この小説のすばらしさといってもよいと思います。

  ぜひ、この素晴らしい小説を楽しんでください。


  それでは、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



令和二年 明けましておめでとうございます。


令和二年 

 明けましておめでとうございます。

2020akeome.jpg


新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

日々雑記も今年10年目を迎えました。
これもひとえに皆様方のご訪問のおかげです。
誠に有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。


令和二年 明けましておめでとうございます。


令和二年 

 明けましておめでとうございます。

2020akeome.jpg


新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

日々雑記も今年10年目を迎えました。
これもひとえに皆様方のご訪問のおかげです。
誠に有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。


令和初めの年越しは第九ライブ

こんばんは。

  皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

  今年の漢字は「令」。今年は令和初めの年でした。天皇陛下が新たに即位され、日本の新たな歴史が元号とともにスタートしました。なんといっても盛り上がったのは、日本で開催されたラグビーワールドカップです4年前、イギリスで開催された大会で、日本は当時世界ランク3位の南アフリカ代表を逆転で破り「奇跡」と言われました。

  当時、日本代表を率いていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、この勝利の瞬間、「歴史は変わった」と語りました。プールBでは、南アフリカ戦の勝利に続いて強豪サモアも下した日本は、アメリカも撃破してなんと3勝を挙げる快挙をなし遂げたのです。ところが、3勝1敗の日本はなぜか予選リーグで敗退してしまったのです。ラグビーでは、勝ち点のカウントが独特であり、負けても4トライ以上を挙げるか、もしくは7点差以内であれば勝ち点1が加わるのです。この大会で日本は3勝を挙げたにもかかわらず、勝ち点差で3位となり、決勝進出を逃したのです。

reitosikosi04.JPG

(日本代表ベスト8! spread-sports.jp)

  この悔しさを胸にラグビー日本代表はすべてをラグビーにささげて4年間を過ごしてきたのです。そして今年、日本で開催されたワールドカップ。日本代表は予選を全勝で勝ち抜いてみごとベスト8にコマを進めたのでした。対ロシア戦30対10、対アイルランド戦19対12、対サモア戦38対19、対スコットランド戦28対21。試合は、スクラムで打ち勝ち、ジャッカルでボールを奪い、オフロードパスで逆転のトライを奪うという、まさにワンチームで勝利した戦いでした。

  やはり今年のニュースNO.1は、ラグビー日本代表のベスト8への闘いでした。

【令和最初の1年は?】

  さて、個人的に今年はとても充実した1年でした。海外旅行はお休みしましたが、国内では様々な景色を味わいました。4月には、桜が満開の青森の弘前城と秋田の角館を楽しみました。生憎天気は雨で気温が10度前後と寒かったのですが、弘前城では人がまばらで、地元のボランティアの方の案内で2時間も弘前城内を案内してもらうことができました。満開の桜の間にハートが見えるインスタ名所があり、さすがにそこだけが写真待ちだったのが印象的でした。ただし、ボランティアのおじさんは「個人的にはここは案内したくない場所なんだけれど、ここに案内しないと怒られるんだよね。」と伝統とインスタの葛藤を間近に見て不謹慎ながら笑ってしまいました。

reitosikosi02.JPG

(弘前城内 ハート桜 インスタ名所)

  5月にはブログにも書いた伊豆のジオパークめぐり。7月には立山アルペンルートを長野側から入って富山に抜け、黒部ダムの絶景を満喫。宇奈月温泉からトロッコ電車に乗って欅平の渓谷散策も味わいました。

  11月には、久しぶりに栃木県の奥日光から日光、さらに平家の落人で知られる湯西川温泉に行ってきました。例年、湯西川は360度、山が黄色く紅葉して絶景のパノラマを見ることができるのですが、残念ながら今年は長期の雨のせいで不作でした。それでも平家の里に植えられたもみじはみごとな紅葉をみせてくれ、美しさに心が洗われました。さらに帰りに通った那須のもみじライン(日光塩原有料道路)では、峠を越えて塩原側に入ってからの紅葉が素晴らしく、あざやかな赤と黄色のグラデーションを満喫しました。

  仕事では、広島には月に一度、その他では福岡、高松、静岡、金沢、岐阜と様々なところに出張しましたが、そのついでの寄った場所では、瀬戸内海の直島が素晴らしいところでした。直島は、安藤忠雄さんがそのコンセプトを担った美術の島です。ベネッセミュージアムを中心に地中美術館やリュウハン美術館などがあり、町全体がアートにあふれています。実は町役場も穴場で、知る人ぞ知る石川和紘氏の設計によるモダンでレトロな建物なのです。直島に渡ったのは朝早かったのですが、美術館の開館が10:00だったので、宮浦港から地中美術館までゆっくりと歩いて、海の景色を満喫しました。その素晴らしい景色とモネをはじめとした美術館のすばらしさは一生の思い出です。

reitosikosi03.JPG

(直島 地中美術館までの道からの風景)

  他にも福岡出張の時に見学した古伊万里の里や岐阜に行ったときに見た関ケ原の合戦の古戦場や首塚など、日本の名所を味わうことができました。

【そして、令和元年の締めくくりは】

  さて、人生楽しみな話として、音楽話を外すわけにはいきません。

  年末と言えば、何といっても忘れてならないのは第九です。12月には日本中で数え切れないほどの第九が演奏されます。実を言うと、クラシックコンサートに目がない私ですが、ベートーベンの交響曲第九番は生まれてこの方、まだ生演奏で聞いたことがなかったのです。特に理由はないのですが、亡き父がクラシックの大ファンで我が家では物心ついた時から家でクラシックが鳴っていました。そして、第九と言えば、かのフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭楽団の演奏がいつも流れていたのです。

  この第九は、通常の第九の演奏時間が65分前後と言われる中で、74分の重厚長大な音楽世界なのです。フルヴェンの第九はデモーニッシュと言われますが、その人間の精神性を究極まで高めて表現する第九は確かに感動します。その後、いろいろな第九を聴いて、今ではピエール・モントゥーの第九が一番好きなのですが、海外のオーケストラの作品ばかりを聴いていたので、日本のオーケストラが演奏する第九を聴くのがつい億劫になってしまいます。

  第九のコンサートは、できればウィーンやベルリン、ザルツブルグに行って地元のオーケストラで聞きたい。いつの間にかそんなロマンを胸に秘めていたのです。ところが、ヨーロッパに行って有名オーケストラの第九を聴くには驚くほどの費用を用意する必要があるのです。チケットはネットで取ればなんとかなるのですが、日本と違い、ヨーロッパでベートーベンの第九は特別な時にしか演奏されません。そして、特別な時には往復の航空代金やホテル代が高額なのです。

  ここ2年程、その夢を胸に年末に第九を聴くことができるツアーを探したのですが、どれも法外な旅行代が組まれています。家族に相談すると、周到に計画してチケットを予約し、その日に合わせて旅を計画することが必要で今年は無理との話になりました。

  長年の夢であった生で聞く第九。今年は何としても生で聞きたいと本気になりました。12月に日本で第九を聴くのは簡単です。しかし、これまで永年第九の生演奏を我慢してきた身としては、いつでも聞くことができるオーケストラを聴きに行くことにためらいがあります。そこで、ネットを使い12月に来日するヨーロッパのオーケストラで第九の公演を検索しました。すると、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートが見つかったのです。

  ウクライナと言えば、近年ロシアのプーチン大統領とクリミヤの領土権について紛争中の国です。オーケストラの歴史を調べてみると、その歴史はそうそうたるもので、かのチャイコフスキーが指揮したのみならず、ラフマニノフやショスターコービッチも指揮したこともある伝統ある管弦楽団だったのです。これは聞きに行く価値が十分にあると思い、さっそくチケットを手に入れました。

reitosikosi01.jpg

(ウクライナ国立歌劇場フィル第九 ポスター)

【年末はやっぱり第九が似合います】

  12月27日19:00。上野の東京文化会館大ホールは満員の聴衆で満たされていました。今回は、早い時期にチケットを手配したので座席は6列目真ん中の通路脇という絶好の席でした。目の前には、チェロ奏者が座る椅子。その左には、今回の指揮者ミコラ・ジャジューラ氏の指揮台が見えています。場内の照明が落ちてくると、劇場の右側からオーケストラの面々が登場します。最初の演目は「白鳥の湖」。このオーケストラの地元であるチャイコフスキーの名曲です。

  あの誰もが知る旋律が会場に響き始めます。コンサートマスターは、30代にも見える美しい女性ですが、そのヴァイオリンから流れ出る音色は美しく、これまでにない繊細で力強い響きが会場中を魅了していきます。指揮者もロマンあふれる指揮ぶりで、ロシアのオーケストラの伝統の音色はかくも美しいのかと感動します。

  その音色に聞きほれている間に組曲「白鳥の湖」は幕を閉じ、会場は休憩時間となります。

  そして、いよいよ第九がはじまります。会場に入ってきたのは、まず40人を超える合唱団の面々です。合唱は、日本の名門と言ってもよい晋友会合唱団です。合唱の指揮は清水敬一氏。期待に胸が膨らみます。その人数に驚いていると、管弦楽団のメンバーが拍手とともに入場してきます。そして、美貌のコンサートマスターの弓からチューニングがはじまり、その音が静まるといよいよ指揮者の登場です。

  弦とホルンの長い響きが流れ徐々に輻輳していくと、力強いアクセントで第1主題が響き渡ります。これぞ第九。感動に胸が打ち震えます。第1ヴァイオリンの引き締まった美しい音色は管弦楽の流れの中に溶け込んで、一段となった戦慄が、我々の心に響き渡ります。やはり、そのテンポは現代風の速さを保っています。早いながらもしっかりとしたコントラバスの音色に重く響き渡る木簡の音が重なっていきます。

  第1楽章は第1旋律の力強い響きと美しい第二旋律がまくるめくような変奏を繰り返しで終わります。そして、ティンパニィが軽快で印象的なリズムを刻む第2楽章がはじまります。ベートーベンは、リズムが大好きで現代で言えばドラムに当たるティンパニィを多用することで知られています。交響曲第7番は、クラシック界のロックンロールと言われるように、この第2楽章のリズムは本当に魅惑的です。そして、このオーケストラが醸し出す、その旋律とリズムは我々聴衆を第九の世界に引き込んで行きます。

  これまで数え切れないほど第九を聴いてきましたが、これほどみごとな第2楽章を聴いたことがありません。あまりの感動に思わず胸が熱くなりました。

  感動の激しいリズムが終わると、美しい調べに体が流れていくように優美な第3楽章がはじまります。第2楽章の早いスケルツォと第3楽章の緩やかなロンド、まさに計算されつくしたベートーベンの芸術世界に引き込まれていきます。美しい旋律とその変奏は我々を夢の中へと連れていってくれます。そこは、喜びに満ちた平和な世界のようです。

  癒しの旋律が終了し、息を整えた指揮者は一瞬のスキをついて腕を天に振り上げます。

  人類の歓喜を歌い上げる「歓喜の歌」の幕が切って落とされました。第3楽章が始まる前に登場したソリスト4人が大合唱団の前に座っています。第九をライブで聞いて初めて分かったのですが、ベートーベンは「歓喜の歌」の旋律をオーケストラで奏でるときに、感動的な重奏を語らせていました。はじめにコントラバスとチェロで奏でられる歓喜の旋律は、そこにビオラが重なることで重厚に響きます。さらに、木管と金管がそこに旋律を重ねていくことによって旋律は幾重にも重なっていきます。最後に加わるヴァイオリン。ここで、折り重なった旋律は絹のようなしなやかさを身にまとわせ、歓喜が完成するのです。

  そして、オーケストラが主題に戻った刹那、いきなりバスのソロが会場に響き渡ります。「おお友よ、この調べではない。」ここからはじまる、ソリストが奏でる歓喜の声と大合唱はまさに「自由と勇気こそが我々に喜びを生み出すのだ」というシラーとベートーベンの想いを我々に届けるのです。オーケストラが4重の弦と幾重にも重なる木管と金管の調べで変奏を醸し出せば、そこに連なる合唱が「生きる」ことの歓喜を謳いあげます。

 その大円団は、ベートーベンが伝えたかった数十人による歌声が響き渡って完結します。

 第九の感動は、100人を超えようかという人々が心の限り奏でる歌声と旋律によって永遠の詩(うた)として我々の心に生き続けることになるのです。今年の年末は、ウクライナの第九で幸福な想いで終わることができそうです。

 年末の第九は本当に格別です。皆さんも、心豊かによいお年をお迎えください。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



令和初めの年越しは第九ライブ

こんばんは。

  皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

  今年の漢字は「令」。今年は令和初めの年でした。天皇陛下が新たに即位され、日本の新たな歴史が元号とともにスタートしました。なんといっても盛り上がったのは、日本で開催されたラグビーワールドカップです4年前、イギリスで開催された大会で、日本は当時世界ランク3位の南アフリカ代表を逆転で破り「奇跡」と言われました。

  当時、日本代表を率いていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、この勝利の瞬間、「歴史は変わった」と語りました。プールBでは、南アフリカ戦の勝利に続いて強豪サモアも下した日本は、アメリカも撃破してなんと3勝を挙げる快挙をなし遂げたのです。ところが、3勝1敗の日本はなぜか予選リーグで敗退してしまったのです。ラグビーでは、勝ち点のカウントが独特であり、負けても4トライ以上を挙げるか、もしくは7点差以内であれば負けても勝ち点1が加わるのです。この大会で日本は3勝を挙げたにもかかわらず、勝ち点差で3位となり、決勝進出を逃したのです。

  この悔しさを胸にラグビー日本代表はすべてをラグビーにささげて4年間を過ごしてきたのです。そして今年、日本で開催されたワールドカップ。日本代表は予選を全勝で勝ち抜いてみごとベスト8にコマを進めたのでした。対ロシア戦30対10、対アイルランド戦19対12、対サモア戦38対19、対スコットランド戦28対21。試合は、スクラムで打ち勝ち、ジャッカルでボールを奪い、オフロードパスで逆転のトライを奪うという、まさにワンチームで勝利した戦いでした。

  やはり今年のニュースNO.1は、ラグビー日本代表のベスト8への闘いでした。

【令和最初の1年は?】

  さて、個人的に今年はとても充実した1年でした。海外旅行はお休みしましたが、国内では様々な景色を味わいました。4月には、桜が満開の青森の弘前城と秋田の角館を楽しみました。生憎天気は雨で気温が10度前後と寒かったのですが、弘前城では人がまばらで、地元のボランティアの方の案内で2時間も弘前城内を案内してもらうことができました。満開の桜の間にハートが見えるインスタ名所があり、さすがにそこだけが写真待ちだったのが印象的でした。ただし、ボランティアのおじさんは「個人的にはここは案内したくない場所なんだけれど、ここに案内しないと怒られるんだよね。」と伝統とインスタの葛藤を間近に見て不謹慎ながら笑ってしまいました。

  5月にはブログにも書いた伊豆のジオパークめぐり。7月には立山アルペンルートを長野側から入って富山に抜け、黒部ダムの絶景を満喫。宇奈月温泉からトロッコ電車に乗って欅平の渓谷散策も味わいました。

  11月には、久しぶりに栃木県の奥日光から日光、さらに平家の落人で知られる湯西川温泉に行ってきました。例年、湯西川は360度、山が黄色く紅葉して絶景のパノラマを見ることができるのですが、残念ながら今年は長期の雨のせいで不作でした。それでも平家の里に植えられた紅葉はみごとな紅葉をみせてくれ、美しさに心が洗われました。さらに帰りに通った那須のもみじライン(日光塩原有料道路)では、峠を越えて塩原側に入ってからの紅葉が素晴らしく、あざやかな赤と黄色のグラデーションを満喫しました。

  仕事では、広島には月に一度、福岡、高松、静岡、金沢、岐阜と様々なところに出張しましたが、そのついでの寄った場所では、瀬戸内海の直島が素晴らしいところでした。直島は、安藤忠雄さんがそのコンセプトを担った美術の島でした。ベネッセミュージアムを中心に地中美術館やリュウハン美術館などがあり、町全体がアートにあふれています。実は町役場も穴場で、知る人ぞ知る石川和紘氏の設計によるモダンでレトロな建物なのです。直島に渡ったのは朝早かったのですが、美術館の開館が10:00だったので、宮浦港から地中美術館までゆっくりと歩いて、海の景色を満喫しました。その素晴らしい景色とモネをはじめとした美術館のすばらしさは一生の思い出です。

  他にも福岡出張の時に見学した古伊万里の里や岐阜に行ったときに見た関ケ原の合戦の古戦場や首塚など、日本のマイ所を味わうことができました。

【そして、令和元年の締めくくりは】

  さて、人生楽しみな話として、音楽話を外すわけにはいきません。

  年末と言えば、何といっても忘れてならないのは第九です。12月には日本中で数え切れないほどの第九が演奏されます。実を言うと、クラシックコンサートに目がない私ですが、ベートーベンの交響曲第九番は生まれてこの方、まだ生演奏で聞いたことがなかったのです。特に理由はないのですが、亡き父がクラィックの大ファンで我が家では物心ついた時から家でクラシックがなっていました。そして、第九と言えば、かのフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭楽団の演奏が流れていたのです。

  この第九は、通常の第九の演奏時間が65分前後と言われる中で、74分の重厚長大な音楽世界なのです。フルヴェンの第九はデモーニッシュと言われますが、その人間の精神性を究極まで高めて表現する第九は確かに感動します。その後、いろいろな第九を聴いて、今ではピエール・モントゥーの第九が一番好きなのですが、海外のオーケストラの作品ばかりを聴いていたので、日本のオーケストラが演奏する第九を聴くのがつい億劫になってしまいます。

  第九のコンサートは、できればウィーンやベルリン、ザルツブルグに行って地元のオーケストラで聞きたい。いつも間にかそんなロマンを胸に秘めていたのです。ところが、ヨーロッパに行って有名オーケストラの第九を聴くには驚くほどの金額を出す必要があるのです。チケットはネットで取ればなんとかなるのですが、日本と違い、ヨーロッパでバートーベンの第九は特別な時にしか演奏されません。そして、特別な時には往復の航空代金やホテル代が高額なのです。

  ここ2年程、その夢を胸に年末に第九を聴くことができるツアーを探したのですが、どれも法外な旅行代が組まれています。周囲に相談すると、周到に計画してチケットを予約し、その日に合わせて旅を計画することが必要で今年は無理との話になりました。

  長年の夢であった生で聞く第九。今年は何とか国内で聞きたいと本気になりました。12月に日本で第九を聴くのは簡単です。しかし、これまで永年第九の生演奏を我慢してきた身としては、いつでも聞くことができるオーケストラを聴きに行くことにためらいがあります。そこで、ネットを使い12月に来日するヨーロッパのオーケストラで第九の公演を検索しました。すると、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートを見つけたのです。

  ウクライナと言えば、近年ロシアのプーチン大統領とクリミヤの領土権について紛争中の国です。そのオーケストラの歴史を調べてみると、その歴史はそうそうたるもので、かのチャイコフスキーが指揮したのみならず、ラフマニノフやショスターコービッチも指揮したこともある伝統ある管弦楽団だったのです。これは危機に行く価値が十分にあると思い、さっそくチケットを手に入れました。

【年末はやっぱり第九が似合います】

  12月27日19:00。上野の東京文化会館大ホールは満員の聴衆で満たされていました。今回は、早い時期にチケットを手配したので座席は6列目真ん中の通路脇と言う絶好の席でした。目の前には、チェロ奏者が座る椅子。その左には、今回の指揮者ミコラ・ジャジューラ氏の指揮台が見えています。場内の照明が落ちてくると、劇場の右側からオーケストラの満々が登場します。最初の演目は「白鳥の湖」。このオーケストラの地元チャイコフスキーです。

  あの誰でもが知る旋律が会場に響き始めます。コンサートマスターは、30代にも見える美しい女性ですが、そのヴァイオリンから流れ出る音色は美しく、これまでにない繊細で力強い響きが会場中を魅了していきます。指揮者もロマンあふれる指揮ぶりで、ロシアのオーケストラの伝統の音色はかくも美しいのかと感動します。

  その音色に聞きほれている間に「白鳥の湖」は幕を閉じ、会場は休憩時間となります。

  そして、いよいよ第九がはじまります。会場に入ってきたのはまず40人を超える合唱団の面々です。




コートールド美術館は印象派の宝庫(その2)

こんばんは。

  コートールド美術館展、第二章の最後を飾るのは、この美術館展のアイコンと言ってもよい「フォリー=ベルジェールのバー」です。

  コートールド美術館は、美術研究を主務とするコートールド美術研究所に付随する美術館です。今回の美術展では、こうした美術館の特性を生かして、展示されている名画の特徴や芸術的な進取性などを解説しているところが大きな特徴となっています。

  マネ晩年の名作であるこの絵にも様々な解説がなされています。

courtauld01.jpg

(マネ「フォリー=ベルジェールのバー」)

  マネはこの絵を再作するにあたって自らのアトリエに、当時大人気であったパリのミュージックホール「フォリー=ベルジェール」のバーを創り、そこに実際のバーメイドを連れてきてモデルとしたと言います。このバーメイドの後ろは前面鏡張りとなっており、その鏡には観客席が写っています。このバーメイドの物憂げな表情も魅惑的ですが、その後ろ姿は鏡に映っており、さらに鏡に映る紳士を見ると、メイドはこの紳士と会話していることが分かります。

  つまり、この絵を見ている我々はこの紳士の視線と同様の場面を目にしていることになります。しかし、この鏡の中は幻想的な世界です。まず、この角度から見るとメイドの後ろ姿や紳士の姿は非常に不自然な角度となっており、マネが故意に鏡の角度をゆがめていることが見て取れます。さらには、メイドの姿に焦点を合わせるために鏡に映る観客席の群衆はぼやかされていて、マネはそうすることで、この絵の効果を引き出そうとしていることがよくわかります。

  実際の絵は圧倒的な迫力を持って我々の心に当時のパリを映し出しますが、晩年のマネは尽きることなく新しい文化と新しい技法に挑戦していたのだと改めて感動します。

【印象派の奥深さを知る】

  数々の絵から得る感動で心を満たされながら美術展はいよいよ最終章へと向かっていきます。最後を飾る第三章は、「素材、技法から読み解く」と題されています。

  この章では、19世紀に発明されたチュ-ブ入りの絵の具やカメラの発明と普及などの技術革新を画家たちが自らの作画にどのように取り入れようとしたか、その痕跡に焦点を当てていくことになります。さらにこの章では、印象派の次の世代へと進んでいくとともに、タヒチに渡った画家ゴーガンの絵を見ることができます。

  まず目に飛び込んできたのは、くすんだ茶色の風景の中にぼんやりと描かれた馬上の主従の姿です。タイトルは、「ドンキホーテとサンチョ・パンサ」。作家はオノレ・ドーミネ。ドンキホーテは、御姫様であるドルシネアを守る騎士として、幻想の中の怪物に挑んでいく奇態な男ですが、凛々しく描かれたドンキホーテは、表情こそ描かれていないものの理想に向かう姿が象徴的に描かれていました。

  この絵も未完の作品でしたが、ここからしばらく絵画展は未完の作品を紹介していきます。

  ドガの未完作品は、窓辺の椅子に座る真っ暗な女性が描かれた「窓辺の女」、そして傘をさしてうつむく女性をななめ上の視点から描いた「傘をさす女」です。前作は、新しい絵の具を自ら調合して描こうとした作品でただ暗い印象ですが、傘をさす女は、貴婦人が傘をさしてうつむいている姿が習作的に描かれていて、ドガのセンスが光っている作品です。

  未完の作品の中では、セザンヌの作品に目を奪われました。

courtauld10.jpg

(セザンヌ「曲がり道(未完)」)

  「曲がり道」と題された絵は、72cm×92cmの大きなキャンバスに尖塔のある田舎の遠景が描かれています。この作品が感動を生むのは、描かれたすべての事物の輪郭がぼやけていることです。さらに色使いも田畑や森や草原と思われる風景の緑や青と画面の上部半分以上を占める空の淡い青で満たされており、尖塔である教会へと続く道が白と黄土色であがかれています。それは、まるで心の中の色をカンヴァスに映し出したようで、その淡さに心が洗われるような気がします。ピカソなどキュビズムの画家たちがセザンヌに影響を受けたと言われる所以が分かるような気がしました。

  そして、次に現れるのはポスト印象派の代表ともいえる点描画の世界です。

  点描画と言えば、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」が思い出されますが、コートールド氏が手に入れたのは、「クールブヴォアの橋」と題された作品です。この絵は、スーラが点描手法を全画面に用いた初めての作品と言われているそうです。この作品には豊かな水をたたえるセーヌ川河畔の風景が点描によって淡く描かれているのですが、その景色があの名画、グランド・ジャット島からの眺めだと知ると一層の感慨がわいてきます。

courtauld11.jpg

(スーラ「クールブヴォアの橋」)

  この作品に続いて、小さなカンヴァスに描かれた点描画以前のスーラの作品が展示されています。「釣り人」、「船を塗装する男」、「水に入る馬」は、前作と同様にセーヌ川の河畔で描かれた作品と思われますが、画法はまさに印象派の油絵そのものであり、点描画以前のスーラのタッチを知ることができ、興味深い展示でした。スーラでは、小さいながらもさらなる点描画の意欲的な作品「グラブリームの夜明け」と題された美しい作品を見ることができました。

【ゴーガン その絵画の魅力】

  スーラの次に現れたのは、ポスト印象派を代表するポール・ゴーガンの作品でした。

  最初に展示されているのは、なんと絵画ではなく彫刻です。真っ白い大理石でできた彫刻は人の頭像です。凛とした若く魅惑的な表情の頭像は、なんとゴーガンの妻、メット=ソフィー・ガッドの姿を映したものでした。この作品は、ゴーガンが30歳ころの作品で、このころ彼は株式仲介人の仕事をしており、その傍らで芸術作品を作っていたと言います。その作品は、とても丁寧で美しく造形されており、ゴーガンの志がほの見える作品でした。

  ゴーガンの最初の作品は、ゴッホとのアルルでの生活と決別したゴーガンがフランスのブルターニュ地方を描いた「干し草」です。この作品は、一面黄色で塗られた干し草を積む多くの人々がえがかれていますが、そこにはゴッホに似たタッチが感じられ、まだ印象派の影響が強いゴーガンの筆致を見ることができます。

  ゴーガンといえば、南太平洋のタヒチ島で描かれた絵画が思い出されます。次の作品は、130cmのおおきなカンヴァスに描かれたタヒチ島の「テ・レリオア」です。この絵に描かれているのは、部屋の中に座る二人の女性とその横に猫。画面の左下には、幼い子供がうつぶせに眠っています。女性の奥にはタヒチ等の風景が描かれていますが、それが窓からの風景なのか画中画なのかは判然としません。

courtauld12.jpg

(ゴーガン「テ・レリオア」)

  この絵の題名は、タヒチ語で「夢」をあらわしているそうです。描かれている女性二人も猫も全く別の方向を向いており、左右に掛けられたタペストリーに描かれる絵も民族的であり、その非現実性は題名そのものともいえます。ここの絵にはゴーガンが紡ぎ出した個性が前面に表出しており、心を動かされるのです。

  そして、その画の衝撃は、次の絵に引き継がれていきます。その画は「ネヴァーモア」。

  縦60cm×横116cm。横に長いカンヴァスには、横たわる全裸の女性が描かれます。ベッドに横たわる若い女性は左半身を下にして左手を頬に当てて両足をそろえて横たわっています。その表情は、タヒチ島の住民であり、何かを思案しているようです。ベッドの後ろには部屋の外で話をしている二人の女性の後ろ姿。さらに左の窓枠には、カラスのようなぶきみな鳥がとまっているのです。そのアンバランスな世界は、この世の不安を独自の映像と筆致で表現しており、その題名とも相まって妙に心をざわつかせます。

courtauld13.jpg

(ゴーガン「ネヴァーモア」)

  この絵を見ると、ここにゴーガンの個性が極まっていると思いが強く感じられ、心が揺さぶられるような感動が沸き起こりました。

【印象派に続く作家たち】

  ゴーガンの筆致に魅入られたまま歩を進めると目に入ってくるのは、ボナールの絵画です。

  ボナールの作品は、フランスのヴェルノンに購入した家とそこから見た景色を描いた「青いバルコニー」、椅子に座る恋人の姿を描いた「室内の若い女」、課題のとおりの題名の「オリーヴの記と教会のある風景」の3点が続いて展示されています。中でも「青いバルコニー」に描かれた緑の木々の美しさは、ボナールの筆遣いをよく表わして心に残る作品でした。

  ボナールに続いて展示されるのは、スーティンの「白いブラウスを着た若い女」。そして、その先に待っていたのは、一目でその作家とわかる「裸婦」でした。

courtauld14.jpg

(モディリアーニ「裸婦」)

  その作家はモディリアーニ。モディリアーニと言えば、個性的な輪郭を持つ女性の肖像画がすぐに頭に浮かびますが、ここで展示されていたのは、一糸まとわぬ女性の半身像です。このときに描かれた5点の裸婦のうち2点はショウウィンドウに飾られたと言いますが、1917年当時、この絵は公序良俗に反するとして、警察から撤去を求められたそうです。なるほど、それほどこの作品が女性の裸体の魅力を的確に表現していたということか、と納得しました。この絵は、顔と体でまったく筆遣いが異なることが分かっており、モディリアーニの絵画の秘密の一端が込められた絵だということがよくわかります。

  この章では、こうしたポスト印象派の絵画に囲まれるようにして、展示室の中心に多くのブロンズ像が展示されていました。なんといっても感動するのは、ロダンの作品たちです。

  ロダンの作品は「静」と「動」をみごとに創り分けていますが、ここに展示された5作品を見るとそのどちらもが素晴らしい作品です。「叫び」と言う作品は、青年が不安そうな表情で大きく叫ぶ顔が描かれた造形ですが、そこにはリアルを超えた真実が表現されています。さらに「ムーヴマン」呼ばれるダンスを造形した3作品の躍動感は人間が瞬発する瞬間を切り取った造形美にあふれる作品です。ヨーロッパで活躍したという日本の女優「花子」を描いた作品は、不可思議な表情が魅力的な「静」の作品です。

  そして、ブロンズ像の最後には、ドガの作品が展示されています。ドガは、たくさんの踊り子を描いた作品で有名ですが、このブロンズ像も踊り子を描いた作品です。この作品の踊り子は、とても変わった姿勢を取っています。その題名は、「右の足裏を見る踊り子」。題名の通り、右足を背中の方に持ち上げて、振り返って自分の右の足の裏を見ている踊り子。このポーズを描くのにドガ゙は10年以上の歳月を費やしたといいますが、やはり人の造形は美しいと改めて感じられる作品でした。

courtauld15.jpg

(ドガ「右の足裏を見る踊り子」)

  こうして、すっかり魅入られる作品に出会うことができた美術展は終了しました。

  今回のコートールド美術館展は、はじめてみる名画が次々に現れて、感動の連続に心が震えた美術展でした。あまりにも多くの名画に出会ったので展示室から出たあとにはしばし放心状態となっていました。この素晴らしい美術展を企画した多くの皆さんに心から感謝します。ロンドンには大英博物館やターナー美術館が有名ですが、これほど豊かな美術館があったとは、うれしい驚きです。


  この美術展は、上野での展示を終了し、これから愛知、神戸で展示が行われます。名古屋、関西の皆さん。ぜひコートールド美術館展に足を運んでください。芳醇な芸術の世界にひたれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。



コートールド美術館は印象派の宝庫(その2)

こんばんは。

  コートールド美術館展、第二章の最後を飾るのは、この美術館展のアイコンと言ってもよい「フォリー=ベルジェールのバー」です。

  コートールド美術館は、美術研究を主務とするコートールド美術研究所に付随する美術館です。今回の美術展では、こうした美術館の特性を生かして、展示されている名画の特徴や芸術的な進取性などを解説しているところが大きな特徴となっています。

  マネ晩年の名作であるこの絵にも様々な解説がなされています。

  マネはこの絵を再作するにあたって自らのアトリエに、当時大人気であったパリのミュージックホール「フォリー=ベルジェール」のバーを創り、そこに実際のバーメイドを連れてきてモデルとしたと言います。このバーメイドの後ろは前面鏡張りとなっており、その鏡には観客席が写っています。このバーメイドの物憂げな表情も魅惑的ですが、その後ろ姿は鏡に映っており、さらに鏡に映る紳士を見ると、メイドはこの紳士と会話していることが分かります。

  つまり、この絵を見ている我々はこの紳士の視線と同郷の場面を目にしていることになります。そかし、この鏡の中は幻想的な世界です。まず、この角度から見るとメイドの後ろ姿や紳士の姿は非常に不自然な角度となっており、マネが故意に鏡の角度をゆがめていることが見て取れます。さらには、メイドの姿に焦点を合わせるために鏡に映る観客席の群衆はぼやかされていて、マネはそうすることで、この絵の効果を引き出そうとしていることがよくわかります。

  実際の絵は圧倒的な迫力を持って我々の心に当時のパリを映し出しますが、晩年のマネは尽きることなく新しい文化と新しい技法に挑戦していたのだと改めて感動します。

【印象派の奥深さを知る】

  数々の絵から得る感動で心を満たされながら美術展はいよいよ最終章へと向かっていきます。最後を飾る第三章は、「素材、技法から読み解く」と題されています。

  この章では、19世紀に発明されたチュ-ブ入りの絵の具やカメラの発明と普及などの技術革新を画家たちが自らの作画にどのように取り入れようとしたか、その痕跡に焦点を当てていくことになります。さらにこの章では、印象派の次の世代へと進んでいくとともに、タヒチに渡った画家ゴーガンの絵を見ることができます。

  まず目に飛び込んできたのは、くすんだ茶色の風景の中にぼんやりと描かれた馬上の主従の姿です。タイトルは、「ドンキホーテとサンチョ・パンサ」。作家はオノレ・ドーミネ。ドンキホーテは、御姫様であるドルシネアを守る騎士として、幻想の中の怪物に挑んでいく奇態な男ですが、凛々しく描かれたドンキホーテは、表情こそ描かれていないものの理想に向かう姿が象徴的に描かれていました。

  この絵も未完の作品でしたが、ここからしばらく絵画展は未完の作品を紹介していきます。

  ドガの未完作品は、窓辺の椅子に座る真っ暗な女性ウェがいた「窓辺の女」、そして傘をさしてうつむく女性をななめ上の視点から描いた「傘をさす女」です。前作は、新しい絵の具を自ら調合して描こうとした作品でただ暗い印象ですが、傘をさす女は、貴婦人が傘をさしてうつむいている姿が習作的に描かれていて、ドガのセンスが光っている作品です。

  未完の作品の中では、セザンヌの作品に目を奪われました。

  「曲がり道」と題された絵は、72cm×92cmの大きなキャンバスに尖塔のある田舎の遠景が描かれています。この作品が感動を生むのは、描かれたすべての事物の輪郭がぼやけていることです。さらに色使いも田畑や森や草原と思われる風景の緑や青と画面の上部半分以上を占める空の淡い青で満たされており、尖塔である教会へと続く道が白と黄土色であがかれています。それは、まるで心の中の色をカンヴァスに映し出したようで、その淡さに心が現れるような気がします。ピカソなどキュビズムの画家たちがセザンヌに永虚を受けたと言われる所以が分かるような気がしました。

  そして、次に現れるのはポスト印象派の代表ともいえる点描画の世界です。

  点描画と言えば、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」が思い出されますが、コートールド氏が手に入れたのは、「クールブヴォアの橋」と題された作品です。この絵は、スーラが点描手法を全画面に用いた初めての作品と言われているそうです。この作品には豊かな水をたたえるセーヌ川河畔の風景が点描によって淡く描かれているのですが、その景色があの名画、グランド・ジャット島からの眺めだと知ると一層の感慨がわいてきます。

  この作品に続いて、小さなカンヴァスに描かれた点描画以前のスーラの作品が展示されています。「釣り人」、「船を塗装する男」、「水に入る馬」は、前作と同様にセーヌ川の河畔で描かれた作品と思われますが、画法はまさに印象派の油絵そのものであり、点描画以前のスーラのタッチを知ることができ、興味深い展示でした。スーラでは、小さいながらもさらなる点描画の意欲的な作品「グラブリームの夜明け」と題された美しい作品を見ることができました。

【ゴーガン その絵画の魅力】

  スーラの次に現れたのは、ポスト印象派を代表するポール・ゴーガンの作品でした。

  最初に展示されているのは、なんと絵画ではなく彫刻です。真っ白い大理石でできた彫刻は人の頭像です。凛とした若く魅惑的な表情の頭像は、なんとゴーガンの妻、メット=ソフィー・ガッドの姿を映したものでした。この作品は、ゴーガンが30歳ころの作品で、このころ彼は株式仲介人の仕事をしており、その傍らで芸術作品を作っていたと言います。その作品は、とても丁寧で美しく造形されており、ホーガンの志がほの見える作品でした。

  ゴーガンの最初の作品は、ゴッホとのアルルでの生活と決別したゴーガンがフランスのブルターニュ地方を描いた「干し草」です。この作品は、一面黄色で塗られた干し草を積む多くの人々がえがかれていますが、そこにはゴッホに似たタッチが感じられ、まだ印象派の影響が強いゴーガンの筆致を見ることができます。

  ゴーガンといえば、南太平洋のタヒチ島で描かれた絵画が思い出されます。次の作品は、130cmのおおきなカンヴァスに描かれたタヒチ島の「テ・レリオア」です。この絵に描かれているのは、部屋の中に座る二人の女性とその横に猫。画面の左下には、幼い子供がうつぶせに眠っています。女性の奥にはタヒチ等の風景が描かれていますが、それが窓からの風景なのか画中画なのかは判然としません。

  この絵の題名は、タヒチ語で「夢」をあらわしているそうです。描かれている女性二人も猫も全く別の方向を向いており、左右に掛けられたタペストリーに描かれる絵も民族的であり、その非現実性は題名そのものともいえます。ここの絵にはゴーガンが紡ぎ出した個性が前面に表出しており、心を動かされるのです。

  そして、その画の衝撃は、次の絵に引き継がれていきます。その画は「ネヴァーモア」。

  縦60cm×横116cm。横に長いカンヴァスには、横たわる全裸の女性が描かれます。ベッドに横たわる若い女性は左半身を下にして左手を頬に当てて両足をそろえて横たわっています。その表情は、タヒチ島の住民であり、何かを思案しているようです。ベッドの後ろには部屋の外で話をしている二人の女性の後ろ姿。さらに左の窓枠には、カラスのようなぶきみな鳥がとまっているのです。そのアンバランスな世界は、この世の不安を独自の映像と筆致で表現しており、その題名とも相まって妙に心をざわつかせます。

  この絵を見ると、ここにゴーガンの個性が極まっていると思いが強く感じられ、こk路が揺さぶられるような感動が沸き起こりました。

【印象派に続く作家たち】

  ゴーガンの筆致に魅入られたまま歩を進めると目に入ってくるのは、ボナールの絵画です。

  ボナールの作品は、フランスのヴェルノンに購入した家とそこから見た景色を描いた「青いバルコニー」、椅子に座る恋人の姿を描いた「室内の若い女」、課題のとおりの題名の「オリーヴの記と教会のある風景」の3点が続いて展示されています。中でも「青いバルコニー」に描かれた緑の木々の美しさは、ボナールの筆遣いをよく表わして心に残る作品でした。

  ボナールに続いて展示されるのは、スーティンの「白いブラウスを着た若い女」。そして、その先に待っていたのは、一目でその作家とわかる「裸婦」が現れます。

  その作家はモディリアーニ。モディリアーニと言えば、個性的な輪郭を持つ女性の肖像画がすぐに頭に浮かびますが、ここで展示されていたのは、一糸まとわぬ女性の半身像です。このときに描かれた5点の裸婦のうち2点はショウウィンドウに飾られたと言いますが、1917年当時、この絵は公序良俗に反するとして、警察から撤去を求められたそうです。なるほど、それほどこの作品が女性の裸体の魅力を的確に表現していたということか、と納得しました。この絵は、顔と体でまったく筆遣いが異なることが分かっており、モディリアーニの絵画の秘密の一端が込められた絵だということがよくわかります。

  この章では、こうしたポスト印象派の絵画に囲まれるようにして、展示室の中心に多くのブロンズ像が展示されていました。なんといっても感動するのは、ロダンの作品たちです。

  ロダンの作品は「静」と「動」をみごとに創り分けていますが、ここに展示された5作品を見るとそのどちらもが素晴らしい作品です。「叫び」と言う作品は、青年が不安そうな表情で大きく叫ぶ顔が描かれた造形ですが、そこにはリアルを超えた真実が表現されています。さらに「ムーヴマン」呼ばれるダンスを造形した3作品の躍動感は人間が瞬発する瞬間を切り取った造形美にあふれる作品です。ヨーロッパで活躍したという日本の女優「花子」を描いた作品は、不可思議な表情が魅力的な「静」の作品です。

  そして、ブロンズ像の最後には、ドガの作品が展示されています。ドガは、たくさんの踊り子を描いた作品で有名ですが、このブロンズ像も踊り子を描いた作品です。この作品の踊り子は、とても変わった姿勢を取っています。その題名は、「右の足裏を見る踊り子」。題名の通り、右足を背中の方に持ち上げて、振り返って自分の右の足の裏を見ている踊り子。このポーズを描くのにドガ゙は10年以上の歳月を費やしたといいますが、やはり人の造形は美しいと改めて感じられる作品でした。

  こうして、すっかり魅入られる作品に出会うことができた美術展は終了しました。

  今回のコートールド美術館展は、はじめてみる名画が次々に現れて、感動の連続に心が震えた美術展でした。あまりにも多くの名画に出会ったので展示室から出たあとにはしばし放心状態となっていました。この素晴らしい美術展を企画した多くの皆さんに心から感謝します。ロンドンには大英博物館やターナー美術館が有名ですが、これほど豊かな美術館があったとは、うれしい驚きです。


  この美術展は、上野での展示を終了し、これから愛知、神戸で展示が行われます。名古屋、関西の皆さん。ぜひコートールド美術館展に足を運んでください。芳醇な芸術の世界にひたれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。