評論(その他)一覧

小谷賢 日本のインテリジェンス組織を語る

こんばんは。

  突然ですが、皆さんヴァイオリニストの樫本大進さんをご存知でしょうか。

  2010年に日本人として2人目のベルリンフィル首席コンサートマスターに就任したヴァイオリンの名手です。ソリストとしても数々の賞を受賞している大進さんですが、いつもはドイツを拠点にしているものの、頻繁に来日し、日本での音楽の普及や若手ヴァイオリンニストの育成のために大活躍しています。

  これまでにもプラハフィルとの来日やベルリン・バロック・ゾリステンとの来日など数々の名演奏を聞かせてくれました。そのときに演奏されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ヴィヴァルディの四季での息詰まるような集中力と、素晴らしい音色には心から感動しました。そして、129日、2年ぶりに大進さんがソナタ演奏のために来日しました。今回は、盟友であるピアニスト、エリック・ル・サージュとの演奏ですが、なんと、シューマンのヴァイオリンソナタ、1番、3番とブラームスのヴァイオリンソナタ2番、3番が演奏されました。

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(樫本大進 ヴァイオリンソナタコンサート)

  シューマンとブラームスのヴァイオリンソナタ。皆さんご存知でしたか。

  恥ずかしながら、私は全く知りませんでした。パンフレットによれば、シューマンは、晩年に友人のヴァイオリニストの勧めで、初めてヴァイオリンソナタを作曲し、第3番の作曲には若きブラームスも加わり、亡くなる前年に完成したそうです。そして、ブラームスのソナタは、彼が最も多作だった時期に作曲されたそうです。

  ブラームスが、交響曲のために多くの習作を書き上げ、あるいは破棄し、あるいは他の楽曲に代わっていったことはよく知られていますが、ヴァイオリンソナタにもその構想の一部は使われていたに違いありません、ブラームスのヴァイオリンソナタは、2番も3番もそのモチーフは敬慕する女性にささげられた優美な旋律に溢れています。しかし、ブラームス特有の重厚な音も見え隠れしており、大進さんのヴァイオリンはその両方の音色をしっかりと表現し、我々の心を揺り動かしてくれました。本当に彼が奏でる音色は唯一無二の音色です。

  至福の時を過ごしました。

  さて、先週は、このブログでも数多く取り上げたインテリジェンスを描いた本を読んでいました。

「日本インテリジェンス史」(小谷賢著 2022年 中公新書)

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(「日本インテリジェンス史」amazon.co.jp)

【SNS時代のインテリジェンス】

  プーチン大統領によるウクライナ侵攻は、恐ろしいことに1年を迎えようとしています。

  21世紀はITの時代と言っても過言ではありませんが、インテリジェンスの世界もインターネットやSNSがその主役の地位を得ようとしています。例えば、イギリスの調査報道ウェブサイトである「ベリングキャット」は、SNS上に公開されているあらゆる映像から隠された真実を導き出すことで、数多くの成果を挙げています。

  彼らが有名になったのは、2014年、ロシアがウクライナのクリミヤ半島を併合したドンバス紛争時に民間機であるマレーシア航空17便が撃墜された事件でした。同年717日定期便であった同機がウクライナ上空を飛行中、何者かに撃墜され乗客283人と乗務員15人の全員が死亡した悲劇でした。

  当時、ロシアはこの民間機をウクライナの戦闘機が撃墜したと発表したものの、現地調査によってミサイルによる撃墜であったとされるや、ウクライナ軍のミサイルによる撃墜だと主張し、映像まで公開しました。ベリングキャットは、インターネットやSNS上に寄せられたあらゆる映像を解析、この撃墜がロシア製の地対空ミサイル「ブーク」によるものであったことを突き止め、さらにはロシアが公開した画像は改ざんされたものであることを発表しました。

  また、べリングキャットは、2018年の亡命ロシアスパイ、セルゲイ・スクリパリ暗殺(毒殺)未遂事件や、2020年、反体制派の上院議員であったアレクセイ・ナワリヌイ暗殺未遂事件において、当局の捜査に協力し、多くの画像解析の結果、容疑者がロシアの工作員チームのメンバーであることを発表しています。

  現在、ウクライナの各都市を占拠したロシア兵が、非人道的な戦争犯罪(捕虜や民間人の拷問や虐殺)にかかわった証拠をあらゆる画像の解析によって進めています。

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(筑摩書房「ベリングキャット」asahi.com)

  インテリジェンス(諜報)の世界では、公開されている情報を収集する手法を「オシント」、偵察衛星や偵察衛星によって撮影された画像から情報を得ることを「イミント」、通信や電子信号を傍受して情報を得る方法を「シギント」と言いますが、21世紀の現在では、こうしたカテゴリーもすべてが錯綜して「諜報」が行われています。

【インテリジェンスとは何か】

  このブログにご訪問の皆さんは、「インテリジェンス」をよくご存知かと思います。

  かつて、インテリジェンスといえば機密情報を得るためのスパイ合戦を思い浮かべました。冷戦時代には、まさにソ連のKGBとアメリカのCIAが丁々発止のスパイ合戦を行っていました。また、イギリスにはジェームズ・ボンドで有名なMI6が海外におけるインテリジェンスを司っていました。小説や映画では、国家の安全保障、世界の安全保障のために自国の国益を守るための諜報活動がアクションを伴って「スパイ映画」として大ヒットしたのです。

  日本のインテリジェンスについて、語ってくれるのは元外務省のインテリジェンスオフィサーだった佐藤優さんと元NHKのワシントン支局長だった手島龍一さんです。佐藤さんは、外務省のロシア駐在としてインテリジェンスに携わり、ソ連崩壊前夜、あのゴルバチョフ大統領が拉致されるという大事件の折、その豊富な人脈とコミュニケーションによってゴルバチョフ大統領の生存を世界の誰よりも早く日本に伝えた人物。

  そして、手島さんは、2001.09.11ワールドトレードセンターへの航空機テロ事件の時のワシントン支局長で、徹夜の同時中継を行った経歴を持ちます。そして、自らの人脈からのインテリジェンスに事づき、「ウルトラ・ダラー」、「スギハラ・ダラー」などのインテリジェンス小説を執筆し、我々にインテリジェンスとは何かを教えてくれました。

  お二人の対談は、いつもインテリジェンスを駆使した見立てで我々に知的刺激をもたらしてくれます。

  そして、前回ご紹介したのがお二人の対談「公安調査庁」です。この本には、日本のインテリジェンスコミニティの中で、いかに公安調査庁が世界のインテイジェンス機関から信頼を置かれているか、その歴史とともに記されていました。

  そして、今回ご紹介する本は、戦後の日本インテリジェンスコミニティの歴史を通史として語ってくれる、これまで書かれたことのないインテイジェンス本なのです。

【日本のインテイジェンスコミニティ】

  インテリジェンスコミニティとは、簡単に言えば「諜報組織」です。つまり、日本国の国益を守るために情報を収集し、集約し、分析する組織のことを言います。映画に出てくるように海外では、国内、対外に分かれ、最高権力者に直結している諜報組織が存在します。アメリカでは国内がFBI、対外がCIA。イギリスではMi5が国内、MI6が対外諜報を担って活動しています。

  ロシアでは、かつてKGBが諜報を一元的に扱っていましたが、ソ連崩壊後には国内をロシア連邦保安庁(FSB)、対外をロシア対外情報庁(SVR)が担当しています。

  翻って日本を見ると、基本的に対外的な諜報組織はありません。さらに官房長内に情報を一元化するために設置された内閣調査室があり、手足となる組織は、警察、自衛隊、外務省、そして、公安警察の各組織内にそれぞれ情報を収集する組織が存在しています。

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(国家安全保障局のある首相官邸 nhk.or.jp)

  これまで、なぜ日本に諜報のための専門組織がないのかを包括的に語ってくれる本は読んだことがありませんでした。今回手に取った本は、まさに日本のインテリジェンスコミニティの歴史を時代の変遷とともに語ってくれる本だったのです。

  その目次を見ると、

まえがき

序章 インテリジェンスとは何か

第1章 占領期の組織再編

第2章 中央情報機構の創設

第3章 冷戦期の攻防

第4章 冷戦後のコミュニティの再編

第5章 第二次安倍政権時代の改革

終 章 今後の課題

あとがき

  かつてこのブログでお話ししたように、確かに日本には保安、軍事、外事を総合的に諜報するとのミッションを担う組織はありません。しかし、この本を読むと、それが不要だと考えている政治家はまったくおらず、戦後75年、心ある人たちは日本に総括的な情報機関をつくろうと志を持って奔走していたのです。

  しかし、戦後、日本を占領したGHQは日本に諜報機関が必要とは考えていませんでした。むしろ、日本をアメリカ諜報の前線基地にして、アメリカ軍に諜報を担わせることを目標にしていたのです。もちろんそのためには日本の警察や警察予備隊にもその一翼を担わせました。

  さらに、戦後の日本国民も諜報機関、治安警察といえば、戦前に諜報統制を行った特別高等警察と情報統制の法的根拠ともなった治安維持法が想起され、国民は拒否反応を起こしてきました。そのため、日本の政府は、諜報組織の必要性を認識しながらも、日米安保条約によるアメリカの庇護のもと、諜報はアメリカにまかせており、総合的な諜報組織がなくてもなんとかなっていたのです。

  冷戦期、諜報に関していえばアメリカ万能の時代でしたが、ソ連が崩壊し、冷戦状況が崩れると世界はテロと多様化の時代に変化していきます。アメリカは、アルカイダを匿うアフガニスタンやイラクなどをならず者国家として敵とみなし、戦争をしかけ、同盟国である日本も海外での協力行動を求められることになります。

  インテリジェンスの世界では、皆さんもご存知のサードパーティルールがあります。それは、「他人から情報をもらった場合、その情報を第三者に提供するときには情報提供者の了解を取る。」というルールです。日本がかつてスパイ大国と呼ばれていた背景の一つには、日本には情報を第三者にわたすときのルールを定めた法律がない、ことでした。

  もちろん、国家公務員には情報漏えい禁止の規定はありましたが、基本的に日本に入ってきた情報は誰に、どこにわたってもおとがめなしだったのです。ここに登場したのが、特定秘密保護法だったのです。

  この本の読みどころは、第4章から第5章にかけてとなります。日本のインテリジェンスに大きな危機感を持っていたのは、各大臣を歴任し、内閣官房長官や衆議院議長を務めたあの町村信孝氏だったのです。さらに、1年前、参議院選挙の応援演説中、銃弾に倒れた安倍晋三元総理大臣が日本のインテリジェンスの一元化に最も貢献した政治家だったというのです。

  そして、日本にはないと言われ続けてきた対外情報機関が、ついに設立されることになります。その組織とはいったいは何なのか。


  これまで知ることのなかった日本のインテリジェンスコミニティの現実をこの本が教えてくれました。本当に面白い本でした。インテリジェンスに興味のある皆さん、ぜひこの本を手に取ってみて下さい。痛快なアクションこそ望めませんが、日本が歩んできたインテリジェンスへの挑戦の歴史を知ることができる貴重な機会になるはずです。

  それでな皆さんお元気で、またお会いします。


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佐高信 時代を撃つノンフィクション

こんばんは。

  ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻はついに3カ月を超えました。

  21世紀の幕開けとともに始まったロシアのプーチン政権。20年を超える権力はいったい世界に何をもたらしたのでしょうか。

  第二次世界大戦、そしてソビエト連邦の崩壊による冷戦の終結。我々人類は、多くのことを学んできたはずです。ソ連はヒトラーに蹂躙され、無垢の数千万人ともいわれる命を失いました。そして、中国も海外の侵略と清王朝の崩壊、そして内戦と日中戦争によって多くの命が失われました。

  国際連合は、過去、超大国の脱退により国際平和が維持されなかった歴史を繰り返さないために安全保障理事国に「拒否権」を認めました。

  それは、第一次世界大戦後、アメリカの提唱により発足した国際連盟の失敗から教訓を得た仕組みです。第一に国際連盟はアメリカが提唱したにもかかわらず、アメリカの国内世論がアメリカの不干渉主義を守るがために国際連盟への加盟に反対し、アメリカは不参加となりました。さらに、枢軸国と言われたドイツ、イタリア、日本は大国による領土不可侵主義や軍縮の強要に反対して相次いで国際連盟を脱退。世界は再び世界大戦へと突入していったのです。

  ウクライナ侵攻への非難決議は、当事国ロシアの拒否権発動により採択されず、国連安全保障理事会が機能しないことを世界に露呈することとなりました。また、これまで安保理によって採択されてきた北朝鮮のミサイル発射実験に対する制裁決議も、ついに先日、ロシアと中国の拒否権発動によって否決されました。

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(ロシア、中国による拒否権発動 asahi.com)

  その理由は、「経済制裁によって和平を求めることは有効ではない」とのことでした。

  「価値観」と言う点では、79億人を超えた人類はひとりひとりが別の人格なのであり、その多様性が否定されることは悲劇を生む大きな要因となります。しかし、すべての人類にとって決して味わいたくない不幸と言うものは存在します。それは、SDG’sでも謳われるとおり、抑圧、貧困、飢餓ですが、最も不幸なことは理由もなく家族を失うこと。さらには別の人間から殺害されることは誰にとっても悲劇、不幸なことに違いありません。

  21世紀の現在、地域の紛争や内戦で命を失う人々が後を絶たないことは事実ですが、ひとつの国の我がままによって他の国の国民を一方的に蹂躙し、殺害することは、そこにどんな理由があろうとも許されざる行為です。そうした意味で、今回のプーチン大統領の暴挙は、すべての人類にとって犯罪であり、報い、贖罪をすべき最悪の行いであることは明白な事実です。

  第二次世界大戦は、ヒトラーに対して「国家同士の殺戮行為」を避けるためにヨーロッパ各国が譲歩を選択した隙をついて、始まりました。

  バイデン大統領は、核戦争だけは決して起こしてはならないとの決意から、直接ロシアに参戦する口実を与えることになる、自国兵の派遣や、ロシア領土を侵すことになる戦略兵器の貸与を明確に否定しています。この理性は非常に合理的ですが、プーチン大統領が帝国主義的独裁者だとすると、その理性的判断を利用しようとすることも考えられます。

  そうであっても、ウクライナでの市民の殺戮はなんとしても止めなければなりません。

  それには、プーチン大統領の権力内で権力を振るう一部の人たち以外のすべての人間が、ロシアの国民も含めて、自らが数百万人もの不幸や死を見過ごすことに否を宣言することが必要です。

  先日、指揮者の佐渡裕氏が久しぶりに新日本フィルハーモニーの音楽監督に就任し、そのコンサートへと足を運びました。そのアンコール。佐渡さんはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」を演奏しました。この曲は、チャイコフスキーがウクライナの民謡の美しさに感動し、そのメロディを変奏し、作曲した素晴らしい旋律の曲です。平和を願うアンコール曲。胸を撃たれましたが、隣の男性が涙を流し、「平和だよ、平和だ。」と声を枯らせていたのが忘れられません。

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(佐渡裕指揮 新日本フィル公演 ポスター)

  すべての人々がこの戦争を止めることを心に定めて、「否」を告げることが必要です。

  さて、本の話です。

  今日ご紹介する本は、日本のノンフィクション100冊が語られる佐高信さんの新書です。 

「時代を撃つノンフクション100」

(佐高信著 岩波新書 2021年)

【政治と時代の評論家が選ぶノンフィクション】

  佐高さんは、テレビへの露出も多くあり、その論評はユニークです。その発言は過激で常に批判的ですが、よく聞いていると保守系のアウトローとの印象があります。自民党の小泉さんや安倍晋三首相への批判は、政権の政策への批判もさることながら強く右傾化した思考や行動に対して嫌悪感を持っているように聞こえます。また、共産党批判の急先鋒にも立っており、護憲派にもかかわらず、ある護憲の会に共産党がかかわってると知ると参加を拒否する、など徹底した批判精神の持ち主に見えます。

  その批判精神とアウトローぶりは徹底していますが、今一つ実態は判然としません。

  その佐高さんが、日本のノンフィクションから100冊を選んで紹介するのが本作です。1冊に見開き2ページで紹介されているのですが、そのユニークさは評論と同じです。なんと、一冊としてその内容を解説したページがないのです。ほとんどは、佐高さん自らが接した著者の姿勢や印象、さらにはその作家がノンフィクションを描くときの背景や動機の紹介に費やされているのです。

  そのため、紹介された本に何が書かれているのかは、想像力でおぎなっていくことになります。

  しかし、佐高さんは、その文章の中に100冊に選んだ理由だけは明確に語っています。

  まずは、どんな思いでノンフィクションが選ばれているのか、目次を見てみましょう。

  まず、「Ⅰ.現代に向き合う」では40冊の本が紹介されます。ここでは6つのカテゴリーで作品が分類されています。

  ■格差社会 ■経済の深層 ■アウトローの世界 

  ■宗教のゆくえ ■現代アジアと日本 ■科学と市民

  そして、「Ⅱ.メディアへの問いかけ」。佐高さんが最も利用したメディアを媒体として26冊の本を挙げていきます。カテゴリーは、2つ。

  ■格闘するメディア ■メディアの中の個性たち

  最後の「Ⅲ.歴史を掘り下げる」では、日本が突入した戦争から近代史を3つのカテゴリーに分類し、34冊の本を挙げています。

  ■戦争を考える ■朝鮮・中国の歴史と日本社会 

  ■近代史を学ぶ

  題名のとおり現代の日本を生きる我々にとって忘れてはならない出来事を、人間を描くことで記録したノンフィクション。興味は尽きません。

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(「時代を撃つノンフィクション100 amzson.co.jp)

【ノンフィクション選定の目線】

  本を選ぶとは、選者の生き方やポリシーがそこに反映される行為です。

  佐高さんの場合には、その紹介の仕方も型破りですが、何と言ってもその本の選び方がまさにアウトロー的なのです。

  このブログでもノンフィクションは大好物で、これまでもカテゴリーを設けて取り上げてきましたが、その紹介数は57冊にしかすぎません。それでもここで書かれている100冊にはよく知った著者名がたくさん出てきます。ところが、その著者の本は、一冊たりとも私の読書歴と重なっていないのです。

  例えば、元ジャーナリストで壮絶無頼なノンフィクション作家であった本田靖春氏。

  氏の代表作はと言えば、金字塔とも呼ばれた「誘拐」です。この本は、昭和38年に起きた誘拐殺人事件を題材としたノンフィクションであり、当時4歳の吉展ちゃんが誘拐され、身代金を失い、未解決のまま23か月後、犯人逮捕に至って解決されるまでの顛末が記されています。この本では、事件の稠密な取材だけではなく、犯人、翻弄され捜査する刑事たち、さらには被害にあった家族など人間そのものの姿が描かれ、時代とは何か、社会とは何か、日本人とは何かが問われる、傑作ノンフィクションでした。しかし、佐高さんはこの本で、「誘拐」ではなく、次の作品である「私戦」を取り上げています。

  「私戦」で取り上げられているのは、「金嬉老事件」です。この事件は昭和432月にライフルを持った金嬉老が金貸しの暴力団員2名を射殺し、その後、静岡県寸又峡温泉の旅館にて、13人を人質として立てこもった事件を指します。事件の特殊性は、籠城した金がかつて警察から受けた韓国人差別への謝罪を要求したことにあります。金は、マスコミを呼び何度も記者会見を開き、これまで受けた差別を語り、警察からの謝罪を求めたためにこの事件は、民族差別事件として報道されることとなります。加熱する報道合戦。果たして事件の本質は何だったのか。

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(本田靖春著「私戦」 amazon.co.jp)

  この本は、ヘイトスピーチが巷間に溢れる現代、在日朝鮮の人々への差別を問いかけた、との文脈で梁英姫氏の「ディア・ピョンチャン」や辺見庸氏の「1937」とともに紹介されています。

  佐高さんの視点は極めて個性的でどの紹介文も楽しめます。そして、まだ読まぬ著名人たちの名作がこの本には詰まっています。

  大下栄治氏の「電通の深層」、辻野晃一郎氏の「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」、野坂昭如氏の「赫奕(かくやく)たる逆光」、吉村昭氏の「ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎」、城山三郎氏の「鼠」、鴻上尚史氏の「不死身の特攻兵」、西木正明氏の「ルーズベルトの刺客」、石光真人氏の「ある明治人の記録」などなど

  これまで作家の名前こそよく知り、何冊かはその著書も読んだ作家たちの渾身のノンフィクションの名前がここに紹介されています。ぜひ、こうした本を手に取ってこれからの豊かな人生の糧にしたいと思っています。

  皆さんも、この本の中から読みたいノンフィクションを探し当てて下さい。人生が豊かになること間違いなしです。

  そういえば、月曜日のNHK「映像の世紀 バタフライエフクト」は「我が心のテレサ・テン」と題して、台湾出身の歌姫テレサ・テンが中国、香港の若者たちにどれほどの影響を与え、天安門事件に至る歴史の中でどのようなインパクトをもたらしたのか、台湾、香港、中国のチャイニーズとは何なのか、を描き出して感動的でした。奇しくもこの本では、テレサ・テンも歌った「何日君再来」の謎を追った中薗英輔氏のノンフィクション「何日君再来物語」が紹介されています。興味のある方はぜひ、手に取ってみて下さい。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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茂木健一郎 偶然と必然のシンギュラリティ

こんばんは。

  世界中を席巻した新型コロナウィルスは、人類の繰り出すワクチンに対抗してその姿を次々に変化させ、現在はオミクロン株のXE系という新たなフェイズへと変化しています。人類は、巧みな知恵と対応力で対抗し、インフルエンザと同様の共存可能な状況への移行を試みています。

  ヨーロッパやアメリカなどではすでに法的、行政的な規制などは徐々に撤廃され、個人による防衛とそれを基礎とした経済の活性化へとかじを切ろうとしています。

  我々日本も、徐々に海外からの入国規制を緩和し、国内での経済活動の制限も少なくして一人一人の感染防止意識に裁量をゆだねる方向に移行しつつあります。我々がコロナウィルスと共存していくには、すべての年代、あらゆる生活様式において感染対策と防疫消毒行動を理解して日常生活を送ることが求められます。コロナによって死亡、重症化、そして後遺症発症が起きることを踏まえて、自らの命や周囲の大切な人たちの命を守っていくことが必要です。

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(新オミクロン株 XE mainichi.com)

  一日も早く、旅行、会食、交流、イベントができるよう努力を重ねていきましょう。

  一方で、ロシアがウクライナに一方的に軍事侵攻し、戦争を始めてからすでに2カ月がたとうとしています。ウクライナではすでの数万の市井の人々が犠牲となり、あまつさえ、ロシア軍が占領した地域では、市民の虐殺が行われていたことが明らかになりました。

  ウクライナの人々は、劣勢な軍事装備にもかかわらず、ゼレンスキー大統領の下で驚くほどの結束力を堅持して、ついにロシア軍を首都キ-ウ(キエフ)から撤退させました。プーチン大統領は当初首都を制圧し、ゼレンスキー大統領を拘束のうえで罷免し、親ロシア政権を打ち立てようともくろんでいたと思います。しかし、大統領のリーダーシップと欧米各国からの支援、さらにはウクライナ国民の自由への熱い想いは、ロシア軍を首都から撤退させたのです。

  しかし、侵攻したロシア軍は体勢を立て直し、2014年に併合したクリミア半島に陸地から移動できる街道を確保する目的で、東部のドネツク人州をドネツク民共和国、ルガンスク州をルガンスク人民共和国として独立させる目的で趙具地区の制圧へと方針を切り替えたのです。

  ロシアの各都市へのミサイル攻撃は容赦なく罪なき市民を襲い、クリミア半島への交通の要所マリウポリでは、街そのものを壊滅させ、数万人にも上る市民を殺戮しようとしています。我々人類は21世紀に入り、戦争がいかに無益で人類の未来を閉ざすものなのかを学んできたはずです。しかし、長く権力の座に君臨する独裁者には「ロシア帝国」の復活以外のことは目に入らないというのでしょうか。

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(最後の砦 マリウポリアゾフスターリ製鉄所 asahi.com)

  独裁的権力による仮想民主主義者たちは、自らの政権と国家を強くするために領土への野心をとめようとはしません。そして、利害が一致する限り、プーチン大統領の非道に反対することなく、そこへの一体感さえも漂わせているのです。

  欧米各国は、この非道な戦争に対してなんとか地域紛争として世界戦争への広がりを麻恵洋としています。プーチン翁はそれをいいことに「核兵器」をちらつかせて欧米をけん制しています。プーチン翁はこの殺戮である戦争が自らに襲い掛かってきた過去を正しくみつめなければなりません。不毛な侵略によってどれだけのロシア国民が死んでいるのか。一人の権力者の我がままによって何万人もの人々が死んでいくのを見るのは耐えがたいことです。

  我々は、そのことの非道さに決して目をそらせてはなりません。そして、このことの過ちをあらゆる場面で糾弾していかなければなりません。

  さて、本の話です。

  先日、本屋巡りをしているときに新書の棚に「茂木健一郎」という名前をみつけました。一時期、この名前が記されている本はすべて読んでいましたが、途切れていました。久しぶりに見た名前から本の表題を見るとそこに書かれていたのは、「クオリア」という一言。胸を躍らせて手に入れたのはいうまでもありません。

「クオリアと人工意識」

(茂木健一郎著 講談社現代新書 2020年)

【人工知能と人間の脳】

  この本では人工知能における「シンギュラリティ」が語られています。

  茂木さんは脳科学者ですが、もともとは物理学を専攻していました。物理とはこの宇宙を司る法則とその根源を研究する科学です。その研究は、相対性理論を生み出し、すべての物質、宇宙は原子、電子、素粒子によってできていることを解き明かしました。その結果、我々の宇宙はその95%が未知の物質であるダークマターによって満たされていることが分かっています。

  その宇宙の存在と双璧をなすワンダーが生命です。

  ことにこの地球上では究極の脳を持つ人類はどのような存在なのか。人間とは何なのか、人間の脳とはどのようにして人間を人間として存在せしめているのか。

  茂木さんの提唱した「クオリア」の謎を解明すべきとの命題は、きわめて新鮮な問いかけでした。

  我々は生きていくうえで自分の身の回りを五感によって認識しています。例えば、目の前に白い犬がいて、しっぽを振っています。かわいいなあ、と思いつつ、その犬が突然襲い掛かってきたらどうしようかなどと考えます。基本的にはその犬が目で見えていること、その声や息が耳に聞こえていることによって、それが目の前にある事実であることを認識します。我々が認識するその犬に関する質感が「クオリア」と呼ばれるものです。

  現実として目の前に白い犬がいる場合、人がその「クオリア」を感じていることはとてもわかりやすい事象です。人間の不思議さは、白い犬が目の前にいたくてもその白い犬を想い感じることができることです。我々は目をつぶって犬を思い浮かべ、その白い色や毛並みの質感までをも感じることができます。それは我々(の脳)が「クオリア」を創りだしているからだというのです。

  つまり、クオリアのワンダーとは、我々人間が思うことのすべては「脳内現象」であって、外の世界はそこには存在していないという事実なのです。

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(新書「クオリアと人工意識」 amazon.co.jp)

  一方、人工知能における「シンギュラリティ」とは、人工知能が2045年に人の脳の性能を超える状態となり、人類では想定できないことが起きる、ことを指しています。もともと数学の世界では無限大になる「特異点」を意味しますが、その言葉を人工知能に転用したものです。

  具体的には、コンピューターが人間を超えることを意味します。

  我々の脳は、微弱な電気信号を使って神経才能間でのやり取りにより人間の体を動かしています。その電気信号は、シナプスと呼ばれる数億にも上る神経細胞から発せられますが、シナプスとシナプスの間にはニューロンと呼ばれる極小の隙間(空間)があり、ニューロンの数は数兆に上るとも言われています。そして、コンピューター内でやり取りされる電子信号が、我々の脳内のシナプスとニューロンの数を超えるとき、人間以上の人工知能が生まれ、そこで何が起きるかはまったくわからない、というのです。

  果たして「シンギュラリティ」により人工知能は人間を超えるのでしょうか。

【人工知能はクオリアを生み出すのか?】

  茂木さんは、脳科学者としてその命題に挑んでいきます。

  この本で茂木さんは、人間の脳と人工知能の間にどんな課題があるのかを科学的に紐解いていきます。それには、我々の存在を人間として成立させている諸条件を分析することが必要です。

  この本のワンダーはそのプロセスに宿っています。

  まず、重要な認識は、「人間」や「人類」という言葉はあくまでも言葉であって、実際には一人一人の身体性から発せられる意識や知性が「人」であるという考え方です。我々の持っている「意識」、「知性」、「認識」は一つの個体の内側で起きていることであり、外界とは切り離されていると言うことです。

  人工知能が我々人間と同じ次元で成立するためには、人工知能が内側の世界を自ら自律的に確立していることが求められます。

  人工知能には、自ら意識を持った自律的な能力を備えた「強い人工知能」と特定の能力に特化して能力を発揮する「弱い人工知能」があります。皆さんは気づいていると思いますが、この本の題名にあるのは、「人工知能」ではなく「人工意識」です。囲碁や将棋、気象予想やDNA解析、特定の力仕事、短銃作業の連続などなど、「弱い人工知能」はすでに我々人間をはるかに凌駕する能力を備えつつあります。

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(AIで再現された美空ひばりさん sankei.com)

  一方、人工意識を持った自ら認識し、判断する「強い人工知能」はまさに発展途上です。

  「クオリア」の重要性を説く茂木さんは、この本の各章で人工知能に必要な「知性」、「意識」、「意志」について考察を加えていき、人工知能が「人工意識」を身に着け、クオリアにたどり着くことができるのかについて、最新の脳科学による分析を試みていくのです。人工知能が人工意識を持つためには、我々一人一人が持っている意識とは何か、が解き明かされなければ、人工意識の規範を作ることができません。

  しかし、意識とは不可思議な現象なのです。例えば、我々が眠りについた時、「意識」はまるで消えたかのようになくなります。そして、朝起きた時、意識はよみがえります。ところで、寝た時の自分と起きた時の自分が同じ人間であることはなぜ分かるのでしょう。それは、我々の脳が状況証拠を積み重ねて判断できるからなのです。それは、起きた時の状況を認識し、意識を失った時と同じ状況、同じ状態であることを記憶から取り出して初めて連続した自分であることが認識されるのです。

  この本でワンダーだったのは、「意志」とは何かという認識です。

  科学的に考えると、この宇宙はアインシュタインをはじめとした物理学者たちが解き明かしたように、すべて物理的なものから生まれ出されています。つまり、対称性のズレからビッグバンが起こり、素粒子を基とした数々の元素が生まれ出されます。もともと無機的であった元素は、100億年をかけて様々な元素に生まれ変わり、地球という稀有な環境の中で有機的な生命が生まれました。そして、有機的な元素は、驚くべき進化を経て、我々ホモサピエンスが生まれました。

  科学的に言えば、こうしたプロセスはすべて必然であり、なるべくしてなっている、というのです。

  しかし、我々人間はひとりひとり「意志」を持ち、環境の中で自由な意思で選択を行い、自分の今を選択と努力によって勝ち取ってきたと認識しています。それは、偶然が満ち満ちた世界の中で意志による選択があったからだと信じています。

  しかし、本当にそうなのでしょうか。それは単なる思い込みであり、客観的に見ればすべては物理学の方程式、ニューロンとシナプスによって導き出された必然の出来事なのです。

  しかし、茂木さんは、一人一人が自らの意志で生き、努力を重ねることこそが人間の身体性であり、いまだ解き明かせない世界なのだ、といいます。


  はたして、「シンギュラリティ」は出現するのか。皆さんも、この本で最新の人工知能の課題を読み解いてください。ワンダーを感じること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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手島龍一 佐藤優 公安調査庁とは何か

こんばんは。

  菅総理が総裁選挙に不出馬を表明したことには少なからず驚きました。

  総理は、自ら差配できる戦略である解散総選挙がコロナ禍の中で選択できないとして、最後の手段として自民党の党内人事の改革を打ち出しました。しかし、自民党内からの様々な声を受け止めた総理は、解散も人事も取りやめて満期を迎える自民党の総裁選挙に出馬しないとの選択をし、総理を辞任する道を選んだのです。

  菅総理は、日本の憲政史上最長の任期を務めた安倍総理のもとで7年以上も官房長官をつとめ、安倍総理の突然の辞任を受けて第99代目の内閣総理大臣の座に就きました。菅さんは、官房長官として新型コロナ対策に当たり、その継続を第一義として総理に就任しました。その意味で、菅さんの内閣はまさに実務内閣であり、コロナウィルスが終息すれば、その功績により総理の株も上がって自民党総裁の椅子は引き続き菅さんのものであったと思います。

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(総裁選不出馬を表明する菅総理 asahi.com)

  しかし、コロナウィルスもさるもの、次々に新たな遺伝子を獲得し、インド発のデルタ株はその威力を増して、こともあろうに2020東京オリ・パラ開催を襲ったのです。1年延期をしたにもかかわらず、大会は第5派の最中に行われることとなりました。

  もともと菅さんは、安倍さんの後継として立候補することさえためらっていたのですから、権力に対する妄執は持っていないのではないでしょうか。もちろん、政治家になったからにはその頂点に立ちたい、との人としての志はあったに違いありません。しかし、ワクチン接種によって一定の道筋ができたことによって、菅さんは自らの引き際を潔く判断したのだと思います。

  菅内閣は、携帯電話料金の引き下げ、デジタル庁の発足、東京オリンピック・パラリンピック開催とたった1年間の間に驚くほどの成果を挙げました。望むべくはその先までも先導して成果を挙げることなのですが、政治とは摩訶不思議なもので国民感情、自民党事情は菅さんの継続を望んでいないようです。

  2世議員ばかりが闊歩する中で、庶民宰相として腕を振るった菅総理に心からの拍手を送りたいと思います。

  次期総裁についてはいろいろと思うところがありますが、野球と政治の話は営業マンにはご法度ですので、今回はここまでといたします。

  さて、緊急事態宣言の行方も気になる中、今週は久々に日本のインテリジェンスを語る対談本を読んでいました

「公安調査庁 情報コミュニティの新たな地殻変動」

(手島龍一 佐藤優著 2020年 中公新書ラクレ)

【インテリジェンスのワンダーとは】

  このブログをフォロー頂いている皆さんは、「インテリジェンス」のラベルに34の記事が連なっていることをご存知かと思います。

  最初に「インテリジェンス」と出会ったのは、国際スパイ小説です。

  「インテリジェンス」は「諜報」と訳されることが最も多いので、すぐにスパイを思い浮かべてしまいます。もちろん、そのワンダーは「諜報小説」によるところが大きいのは間違いありません。その手に汗握る面白さはエンターテイメントにうってつけですが、本来の「インテリジェンス」は、その国の存続を左右する最重要の情報を取得することを意味するのです。

  「国の存亡を左右する」と言えば、その最たるものは戦争です。

  例えば、第二次世界大戦における「諜報」は、各国の存亡にストレートに結びついていました。例えば、真珠湾攻撃をめぐる「諜報合戦」は人間ドラマまでも内包した手に汗握るストーリーとして、様々に描かれています。

  代表的な小説は、佐々木襄さんの「エトロフ発緊急電」(新潮文庫 1994年)です。この小説は、スパイ小説というよりも、戦線で友を殺さなければならなくなった日系アメリカ人の若者ケニー・ケンイチロウ・斉藤が、アメリカ海軍によってスパイに仕立て上げられ、真珠湾奇襲の情報を入手し本国へと送るとの密命を遂行する物語です。その物語には幾重もの人間関係が刻まれて、まさに愛憎の中で人々が身もだえる姿が描かれた傑作です。

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(文庫「エトロフ発緊急電」 amazon.co.jp)

  さらに、逢坂剛さんのイベリアシリーズ第2作の「遠ざかる祖国」(講談社文庫 2005年)にも真珠湾奇襲の情報が登場します。このシリーズは、日中戦争中の日本から中立国スペインに送り込まれたスパイ、北都昭平の活躍を描いたエスピオナージです。当時のマドリードは、第二次世界大戦における中軸国と連合国の諜報合戦の中枢でした。そこには、イギリスのMI6、アメリカのOSS、ドイツのアブヴェーアが諜報員を送り込み、丁々発止の諜報戦を演じます。

  日本から送り込まれた北都昭平は、日本の現状で日米開戦に突入すれば日本に勝ち目がないことを見抜き、なんとかアメリカに参戦させたいチャーチルの思惑を背景に日本に開戦を止まらせようと奔走します。その中で、真珠湾攻撃の諜報合戦が繰り広げられるのです。

  真珠湾攻撃と言えば、少し変わったインテリジェンス小説もあります。

  それは、西木明さんのインテリジェンス小説「ウェルカム トゥー パールハーハー」(2011年 角川文庫)です。

  「真珠湾奇襲による日米開戦」は、日本にとっても国の存続を決定づける最重要情報ですが、第二次世界大戦で劣勢に立たされていたイギリス、対ドイツ戦で国土と体制を守らなければならないソ連、国内の世論から中立を貫くことを求められているアメリカ、どの国にとっても国の存亡にかかわるインテリジェンスに間違いありません。

  この小説は、その題名の通りニューヨークに送り込まれた二人の日本人諜報員を主人公に、各国の諜報機関が「日米開戦」をめぐり、スパイ合戦を繰り広げる、本当に面白い小説です。モデルには実在した日本の諜報員が存在しており、そのリアリティが小筒に厚みを加えています。

  話は長くなりましたが、「インテリジェンス」とは一国の存続にかかわる諜報のことを指すのです。

  さて、現代の国際情勢の中でも各国は、インテリジェンスの取得に力を入れています。その代表はパレスチナとの戦闘が常に隣り合わせのイスラエルです。その諜報機関である「モサド」では、イスラエル存続のためにあらゆる諜報に日夜奔走しています。その実態は、「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」(早川ノンフィクション文庫 2014年)や元モサド長官だったハレヴィ氏が著した「イスラエル秘密外交:モサドを率いた男の告白」(新潮文庫 2015年)を読めばその一端にふれることができます。

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(文庫「モサド・ファイル」 amazon.co.jp)

  ところで、日本のインテリジェンスはどうなっているのか。

  現在の日本で、インテリジェンスを語らせれば右に出る者がいないと言ってもよいのは手島龍一氏と佐藤優氏です。お二人は、これまで最新の国際情勢をインテリジェンスの観点から語る本を対談で上梓してきました。

  そのお二人が日本のインテリジェンス機関を語ったのが今回の対談本です。

【時代は公安調査庁に光を当てた】

  さて、日本のインテリジェンス機関と言えば、内閣情報調査室が思い浮かびますが、日本で各省庁に必要な調査機関が存在します。例えば、外務省では国際情報統括官、防衛省では統括情報局のもとに陸上・海上航空それぞれの情報隊、警察庁では警備企画課、海上保安庁にも警備情報課があります。

  省庁それぞれの情報は、内閣情報調査室にあげられて内閣情報会議、合同情報会議へと送られます。そして、最終的には官邸や国家安全保障会議に伝えられることになります。

  内閣情報調査室には、実際に諜報自体を行う人材は配置されておらす、基本的には各省庁から送られてくる情報を取りまとめる組織なのです。日本のインテイジェンス体制の弱点は、ここにあります。つまり、アメリカのFBICIA,、イギリスのMI5MI6、イスラエルのモサドなどのように意思決定者に直接インテリジェンスを伝える組織とは基本的に異なっているのです。

  そんな中で、少し変わった位置づけにあるのが、公安調査庁です。「公安」というからには、公安警察に連なる組織化と思いきや、公安調査庁は法務省に属する情報組織なのです。いったいなぜ法務省が諜報組織を司っているのでしょうか。実は公安調査庁だけが戦前の諜報機関からの歴史を継承する組織だからなのです。

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(煉瓦造の法務省旧本館 moj.go.jp)

  この本では、公安調査庁がかかわった驚くべきインテリジェンスとその成り立ちが語られているのです。

  まず語られるのは、2017年にクアラルンプール空港で暗殺された北朝鮮の最高指導者、金正恩の兄、金正男にかかわる情報です。暗殺から遡ること16年。2001年、金正男が日本の成田空港で拘束されるという事件が起きました。このとき、北朝鮮は金正恩の父、金正日が思考権力者として君臨していました。つまり、この時点で日本が拘束した金正男は最高指導者の長男であり、最右翼の継承者のひとりだったのです。

  拘束された理由は、偽造パスポートによる入国容疑でした。この事件の顛末は、本書に詳しいので読んでいただくとして、日本の入国管理者はなぜ偽造パスポートをみやぶることができたのでしょうか。超優秀だったから?いえ、違います。

  その答えは、事前に偽造パスポートによる金正男の入国を当局が知っていたからなのです。そして、この情報を入手したのが、公安調査庁だったというのです。いったい公安調査庁はどうやってこのインテリジェンスを手に入れたのでしょうか。それは、海外のインテリジェンス機関からのタレこみ情報だったのです。

  そして、情報をもたらしたのはどの国の機関だったのか。

  インテリジェンスの世界では、情報の入手もとは秘匿することが絶対的なルールです。なぜなら、それを漏らした組織は、信用を失い二度とこの世界では活動できなくなるからです。つまり、この情報がどこからもたらされたのかは、永遠の謎です。しかし、著者であるお二人は、得意の見立てによってそのもたらした組織を特定していきます。それは、なんとイギリスのインテリジェンス組織だというのです。

  この事件を語ったのち、お二人は公安調査庁がなぜ、海外のインテリジェンス組織から大きな信用を勝ち得ているのかを、日本のインテリジェンスの実態と合わせて語っていくのです。

  もうひとつだけネタばれです。2014年。シリアでは「イスラム国」がその勢力を拡大し、世界中の若者をテリリストとしてスカウトしていました。そして、日本でも衝撃的なニュースが報道されました。それは、当時の北大生が「イスラム国」と連絡を取り合い外人戦闘員として、イスラム国に渡航するために九空権を入手していた、という事件です。この事件は、事前に警視庁公安部が私戦予備・陰謀の容疑で学生から旅券を押収していたため未遂に終わりました。

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(対談「公安調査庁」 amazon.co.jp)

  この事件を抑えたのも公安調査庁がさまざまな諜報によって日頃から活動し、イスラム国の連絡所となっていた古書店をマークしていたことが功を奏したからでした。

  公安調査庁は、日本のインテリジェンスを担うべき組織なのか。

  答えは、お二人の本で読み解いてください。久々にインテリジェンス話題にのめりこみました。皆さんもこの本で、ぜひ日本のインテイrジェンスに思いをはせて下さい。


  さて、コロナ禍も新規感染者数は減少し、緊急事態宣言も解除されそうな雲行きです。しかし、ワクチンを打っていても感染リウクはあると言います。さらにウィルスは変異します。我々も油断することなく、感染対策を万全にして毎日を過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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こんばんは。

  菅総理が総裁選挙に不出馬を表明したことには少なからず驚きました。

  総理は、自ら差配できる戦略である解散総選挙がコロナ禍の中で選択できないとして、最後の手段として自民党の党内人事の改革を打ち出しました。しかし、自民党内からの様々な声を受け止めた総理は、解散も人事も取りやめて満期を迎える自民党の総裁選挙に出馬しないとの選択をし、総理を辞任する道を選んだのです。

  菅総理は、日本の憲政史上最長の任期を務めた安倍総理のもとで7年以上も官房長官をつとめ、安倍総理の突然の辞任を受けて第99代目の内閣総理大臣の座に就きました。菅さんは、官房長官として新型コロナ対策に当たり、その継続を第一義として総理に就任しました。その意味で、菅さんの内閣はまさに実務内閣であり、コロナウィルスが終息すれば、その功績により総理の株も上がって自民党総裁の椅子は引き続き菅さんのものであったと思います。

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(総裁選不出馬を表明する菅総理 asahi.com)

  しかし、コロナウィルスもさるもの、次々に新たな遺伝子を獲得し、インド発のデルタ株はその威力を増して、こともあろうに2020東京オリ・パラ開催を襲ったのです。1年延期をしたにもかかわらず、大会は第5派の最中に行われることとなりました。

  もともと菅さんは、安倍さんの後継として立候補することさえためらっていたのですから、権力に対する妄執は持っていないのではないでしょうか。もちろん、政治家になったからにはその頂点に立ちたい、との人としての志はあったに違いありません。しかし、ワクチン接種によって一定の道筋ができたことによって、菅さんは自らの引き際を潔く判断したのだと思います。

  菅内閣は、携帯電話料金の引き下げ、デジタル庁の発足、東京オリンピック・パラリンピック開催とたった1年間の間に驚くほどの成果を挙げました。望むべくはその先までも先導して成果を挙げることなのですが、政治とは摩訶不思議なもので国民感情、自民党事情は菅さんの継続を望んでいないようです。

  2世議員ばかりが闊歩する中で、庶民宰相として腕を振るった菅総理に心からの拍手を送りたいと思います。

  次期総裁についてはいろいろと思うところがありますが、野球と政治の話は営業マンにはご法度ですので、今回はここまでといたします。

  さて、緊急事態宣言の行方も気になる中、今週は久々に日本のインテリジェンスを語る対談本を読んでいました

「公安調査庁 情報コミュニティの新たな地殻変動」

(手島龍一 佐藤優著 2020年 中公新書ラクレ)

【インテリジェンスのワンダーとは】

  このブログをフォロー頂いている皆さんは、「インテリジェンス」のラベルに34の記事が連なっていることをご存知かと思います。

  最初に「インテリジェンス」と出会ったのは、国際スパイ小説です。

  「インテリジェンス」は「諜報」と訳されることが最も多いので、すぐにスパイを思い浮かべてしまいます。もちろん、そのワンダーは「諜報小説」によるところが大きいのは間違いありません。その手に汗握る面白さはエンターテイメントにうってつけですが、本来の「インテリジェンス」は、その国の存続を左右する最重要の情報を取得することを意味するのです。

  「国の存亡を左右する」と言えば、その最たるものは戦争です。

  例えば、第二次世界大戦における「諜報」は、各国の存亡にストレートに結びついていました。例えば、真珠湾攻撃をめぐる「諜報合戦」は人間ドラマまでも内包した手に汗握るストーリーとして、様々に描かれています。

  代表的な小説は、佐々木襄さんの「エトロフ発緊急電」(新潮文庫 1994年)です。この小説は、スパイ小説というよりも、戦線で友を殺さなければならなくなった日系アメリカ人の若者ケニー・ケンイチロウ・斉藤が、アメリカ海軍によってスパイに仕立て上げられ、真珠湾奇襲の情報を入手し本国へと送るとの密命を遂行する物語です。その物語には幾重もの人間関係が刻まれて、まさに愛憎の中で人々が身もだえる姿が描かれた傑作です。

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(文庫「エトロフ発緊急電」 amazon.co.jp)

  さらに、逢坂剛さんのイベリアシリーズ第2作の「遠ざかる祖国」(講談社文庫 2005年)にも真珠湾奇襲の情報が登場します。このシリーズは、日中戦争中の日本から中立国スペインに送り込まれたスパイ、北都昭平の活躍を描いたエスピオナージです。当時のマドリードは、第二次世界大戦における中軸国と連合国の諜報合戦の中枢でした。そこには、イギリスのMI6、アメリカのOSS、ドイツのアブヴェーアが諜報員を送り込み、丁々発止の諜報戦を演じます。

  日本から送り込まれた北都昭平は、日本の現状で日米開戦に突入すれば日本に勝ち目がないことを見抜き、なんとかアメリカに参戦させたいチャーチルの思惑を背景に日本に開戦を止まらせようと奔走します。その中で、真珠湾攻撃の諜報合戦が繰り広げられるのです。

  真珠湾攻撃と言えば、少し変わったインテリジェンス小説もあります。

  それは、西木明さんのインテリジェンス小説「ウェルカム トゥー パールハーハー」(2011年 角川文庫)です。

  「真珠湾奇襲による日米開戦」は、日本にとっても国の存続を決定づける最重要情報ですが、第二次世界大戦で劣勢に立たされていたイギリス、対ドイツ戦で国土と体制を守らなければならないソ連、国内の世論から中立を貫くことを求められているアメリカ、どの国にとっても国の存亡にかかわるインテリジェンスに間違いありません。

  この小説は、その題名の通りニューヨークに送り込まれた二人の日本人諜報員を主人公に、各国の諜報機関が「日米開戦」をめぐり、スパイ合戦を繰り広げる、本当に面白い小説です。モデルには実在した日本の諜報員が存在しており、そのリアリティが小筒に厚みを加えています。

  話は長くなりましたが、「インテリジェンス」とは一国の存続にかかわる諜報のことを指すのです。

  さて、現代の国際情勢の中でも各国は、インテリジェンスの取得に力を入れています。その代表はパレスチナとの戦闘が常に隣り合わせのイスラエルです。その諜報機関である「モサド」では、イスラエル存続のためにあらゆる諜報に日夜奔走しています。その実態は、「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」(早川ノンフィクション文庫 2014年)や元モサド長官だったハレヴィ氏が著した「イスラエル秘密外交:モサドを率いた男の告白」(新潮文庫 2015年)を読めばその一端にふれることができます。

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(文庫「モサド・ファイル」 amazon.co.jp)

  ところで、日本のインテリジェンスはどうなっているのか。

  現在の日本で、インテリジェンスを語らせれば右に出る者がいないと言ってもよいのは手島龍一氏と佐藤優氏です。お二人は、これまで最新の国際情勢をインテリジェンスの観点から語る本を対談で上梓してきました。

  そのお二人が日本のインテリジェンス機関を語ったのが今回の対談本です。

【時代は公安調査庁に光を当てた】

  さて、日本のインテリジェンス機関と言えば、内閣情報調査室が思い浮かびますが、日本で各省庁に必要な調査機関が存在します。例えば、外務省では国際情報統括官、防衛省では統括情報局のもとに陸上・海上航空それぞれの情報隊、警察庁では警備企画課、海上保安庁にも警備情報課があります。

  省庁それぞれの情報は、内閣情報調査室にあげられて内閣情報会議、合同情報会議へと送られます。そして、最終的には官邸や国家安全保障会議に伝えられることになります。

  内閣情報調査室には、実際に諜報自体を行う人材は配置されておらす、基本的には各省庁から送られてくる情報を取りまとめる組織なのです。日本のインテイジェンス体制の弱点は、ここにあります。つまり、アメリカのFBICIA,、イギリスのMI5MI6、イスラエルのモサドなどのように意思決定者に直接インテリジェンスを伝える組織とは基本的に異なっているのです。

  そんな中で、少し変わった位置づけにあるのが、公安調査庁です。「公安」というからには、公安警察に連なる組織化と思いきや、公安調査庁は法務省に属する情報組織なのです。いったいなぜ法務省が諜報組織を司っているのでしょうか。実は公安調査庁だけが戦前の諜報機関からの歴史を継承する組織だからなのです。

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(煉瓦造の法務省旧本館 moj.go.jp)

  この本では、公安調査庁がかかわった驚くべきインテリジェンスとその成り立ちが語られているのです。

  まず語られるのは、2017年にクアラルンプール空港で暗殺された北朝鮮の最高指導者、金正恩の兄、金正男にかかわる情報です。暗殺から遡ること16年。2001年、金正男が日本の成田空港で拘束されるという事件が起きました。このとき、北朝鮮は金正恩の父、金正日が思考権力者として君臨していました。つまり、この時点で日本が拘束した金正男は最高指導者の長男であり、最右翼の継承者のひとりだったのです。

  拘束された理由は、偽造パスポートによる入国容疑でした。この事件の顛末は、本書に詳しいので読んでいただくとして、日本の入国管理者はなぜ偽造パスポートをみやぶることができたのでしょうか。超優秀だったから?いえ、違います。

  その答えは、事前に偽造パスポートによる金正男の入国を当局が知っていたからなのです。そして、この情報を入手したのが、公安調査庁だったというのです。いったい公安調査庁はどうやってこのインテリジェンスを手に入れたのでしょうか。それは、海外のインテリジェンス機関からのタレこみ情報だったのです。

  そして、情報をもたらしたのはどの国の機関だったのか。

  インテリジェンスの世界では、情報の入手もとは秘匿することが絶対的なルールです。なぜなら、それを漏らした組織は、信用を失い二度とこの世界では活動できなくなるからです。つまり、この情報がどこからもたらされたのかは、永遠の謎です。しかし、著者であるお二人は、得意の見立てによってそのもたらした組織を特定していきます。それは、なんとイギリスのインテリジェンス組織だというのです。

  この事件を語ったのち、お二人は公安調査庁がなぜ、海外のインテリジェンス組織から大きな信用を勝ち得ているのかを、日本のインテリジェンスの実態と合わせて語っていくのです。

  もうひとつだけネタばれです。2014年。シリアでは「イスラム国」がその勢力を拡大し、世界中の若者をテリリストとしてスカウトしていました。そして、日本でも衝撃的なニュースが報道されました。それは、当時の北大生が「イスラム国」と連絡を取り合い外人戦闘員として、イスラム国に渡航するために九空権を入手していた、という事件です。この事件は、事前に警視庁公安部が私戦予備・陰謀の容疑で学生から旅券を押収していたため未遂に終わりました。

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(対談「公安調査庁」 amazon.co.jp)

  この事件を抑えたのも公安調査庁がさまざまな諜報によって日頃から活動し、イスラム国の連絡所となっていた古書店をマークしていたことが功を奏したからでした。

  公安調査庁は、日本のインテリジェンスを担うべき組織なのか。

  答えは、お二人の本で読み解いてください。久々にインテリジェンス話題にのめりこみました。皆さんもこの本で、ぜひ日本のインテイrジェンスに思いをはせて下さい。


  さて、コロナ禍も新規感染者数は減少し、緊急事態宣言も解除されそうな雲行きです。しかし、ワクチンを打っていても感染リウクはあると言います。さらにウィルスは変異します。我々も油断することなく、感染対策を万全にして毎日を過ごしましょう。

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渋沢栄一 めざすのはすべての人々の幸せ

こんばんは。

  今年の大河ドラマの主人公は渋沢栄一です。

  また、今年は1年延期された東京オリンピック、東京パラリンピックが開催されています。新型コロナウィルスの第5波の襲来によって、その開催に対して反対する意見も多くみられますが、かかわる人たちの献身的な感染対策の展開と徹底には頭が下がります。様々な意見はありますが、選手たちの活躍が、我々にコロナに正しく立ち向かう勇気を与えてくれているのは間違いのない事実です。

  ここしばらく、大河ドラマは面白さに欠けていて我が家ではすっかりごぶさたをしていました。ところが、今回は地元埼玉県出身の偉人が主人公と言うことで、毎回かかさず見ています。渋沢栄一は、その青年期を維新の時代に過ごしました。200年以上続いた江戸幕府から新明治政府に180度の大転回を果たす。まさに日本の歴史の中で、最も価値観の大転換が起きた時代でした。

  これまで、大河ドラマでは明治維新の主役たちが数多く主人公となりましたが、明治維新ではわき役であった人物が主役となったのははじめてではないでしょうか。しかし、誰もがこの歴史の転換点のただ中にいたことは間違いなく、「志」を貫こうとした渋沢栄一も時代に翻弄された人物の一人です。

  その生涯は波乱に富んでおり、その面白さは無類です。

  先週は、その渋沢栄一が100年以上前に著した「よりよく生きるための羅針盤」と言ってもよい著作を読んでいました。

「現代語訳 論語と算盤」

(渋沢栄一著 守屋淳訳 2010年 ちくま新書)

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(新版「論語と算盤」 amazon.co.jp)

  さて、その「青天を衝け」も、オリ・パラの威力には勝てず、その開催期間には放送されません。

閑話休題

  今回の東京オリンピックでは、わが日本が過去最大の58個のメダルを獲得しました。しかも金メダルは27個。オリンピックは参加することに意義がある、とは言いながら、やはり自国の選手がメダルを獲得することは、日本国籍を持つものとして大いに誇りに思います。とくに柔道や体操は、日本のお家芸としてみごとな世代交代を成し遂げて、世界にその強さを見せつけてくれました。

  その陰では、金メダルを期待されながら成果が出なかった競技種目もありました。

  いったい何が違ったのでしょうか。

  それは、これまでの歴史において培われてきた指導者と選手の心技体の鍛錬の違いではないかと思います。世界ランカーが何人もいながら決勝まで進めなかったバトミントンは、ケガによる要因もありましたが、なぜか全員が何者かに魅入られたかのように予選敗退となりました。その中で、混合ダブルスの東野有紗選手と渡辺勇大選手は、見事な戦いぶりで香港チームを下し、銅メダルを獲得しました。

  例えば、バトミントン勢の不調は、自国開催のオリンピックに対する大きな期待へのプレッシャーや1年間の延期期間の圧迫などのメンタル面での影響とも言われています。確かに、柔道や体操、野球、水泳などと異なり、これまでのオリンピックでの実績は、ロンドンでの初のメダル、前回大会の女子シングルス、の銅メダル、女子ダブルスの金メダルのみです。

  どの競技においても、過去には不遇の時期がありました。しかし、今大会の柔道競技のように、指導者層と選手が一丸となって、これまでの成果と課題を分析し、着実なトレーニングを継続して続けたこと、さらに全員で他業種競技を体験するなどのメンタルトレーニングも行ったことがメダルラッシュにつながったとの大きな成果もあります。体操におけるすそ野の広い選手育成システムも大いに参考になるのではないでしょうか。

  今回、無念の涙をのんだ選手たちの一層の奮起に大いに期待しています。

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(みごと銅メダル ワタガシペア nikkansports.jp)

  一方、東京パラリンピックは、今回多様性の調和を大きな理念として掲げ、連日その言葉通りの多様な選手たちの闘いが胸を熱くしてくれます。

  パラアスリートたちには、一人一人異なる克服してきた過去があります。その過去をプラスに転じたパワーとそれを支えてきた家族や仲間たちの想いが、連日の感動の源になっていることは間違いありません。その熱い戦いには目が離せません。

  皆さん、パラアスリートたちの闘いを応援しましょう!

【渋沢栄一って誰でしょう】

  さて、渋沢栄一とは何者のでしょうか。

  彼が生まれたのは江戸時代の末期、1840年(天保14年)です。日本が幕末の動乱を経て、明治維新を迎えたのが1868年(明治元年)。そのとき栄一は28歳でした。そして、幕末から維新、そしてその後には、波乱万丈の人生を送り、1931年(昭和6年)にその生涯を閉じました。

  その生まれは、埼玉県深谷市の血洗島。

  大河ドラマを見るまで、恥ずかしながらその人生と功績はあまりよく知りませんでした。

  それでも日本で初めて銀行を設立し、それが第一銀行と言う名称で、第一勧業銀行からみずほ銀行となったこと。産業振興に努め、地元深谷にレンガ工場を設立。東京駅にみごとな日本製のレンガを提供し、深谷駅にも同様のレンガが使用されてレトロ建築として有名であること。王子駅に近い飛鳥山公園にその邸宅があったことは知っていました。

  その渋沢栄一は、2024年度から新1万円札の顔になることが決まっています。聖徳太子、福沢諭吉と並んで1万円札になるとは、本当に日本の発展に尽くした人なのですね。

  そんなこんなで、今年の大河ドラマは毎回欠かさずに見ているのですが、今年の大河ドラマは異例ずくめです。まず、昨年からのコロナ禍で、前の「麒麟がくる」の撮影が中断。その放送が延びたことから本来12月末で終了するところが、2月まで放送が延長されました。さらに今年は東京オリンピック・パラリンピックがあり、大河ドラマの放映回数が縮小。「青天を衝く」も延長されるのかと思いきや、こちらはいつもどおり12月で終了するようです。

  こうした逆境の中でも「青天を衝け」は近年になかった面白い大河ドラマに間違いありません。

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(「青天を衝け」ガイドブック amazon.co.jp)

  その面白さは、現実の渋沢栄一の生涯が奇想天外であったことが大きな要因です。栄一の実家は血洗島で藍を取り扱う豪農でした。そこで、父親から藍の育成から仕入れ、藍染め屋への卸まで農業と商売のノウハウを学んでいきます。ところが、17歳の時、父親の名代で地元の代官から税の徴収を申し付けられるとの場を経験します。そのとき、農家が汗水たらして稼いだ銭を、武士が言葉一つで貢がせることの理不尽を味わい、その理不尽な仕組みを覆すためには、自分も武士になるしかないと決意するのです。

  このドラマの脚本はよく書かれていて、渋沢栄一が将来実業家になり、第一銀行をはじめとして480社もの会社を設立し、日本資本主義の父と呼ばれることとなる、その根本の思想がどのように形成されたのかを、その幼少期に求めています。それは、栄一の母、ゑいが諭すように語る言葉です。それは、「みんなが幸せなのが一番なんだ」という一言。この言葉が栄一の将来を象徴する一言となるのです。

  そして、武士になるために父親の家を出て、江戸に出た栄一が出会ったのが、平岡円四郎でした。円四郎は栄一の向こう見ずで志豊かな人柄が好きでたまりません。その円四郎は、なんと徳川慶喜の第一の家臣だったのです。血洗島では尊王思想から討幕のために高崎城乗っ取りまで計画していた栄一は、その徳川の家臣である円四郎から仕官を勧められます。栄一は、その変節に悩みますが、世の中を変えるために徳川慶喜への仕官の道を選びます。

  その仕官に至る栄一の行動が、このドラマのオープニングを飾るみごとな場面です。

【栄一が語る「論語と算盤」とは?】

  さて、そうした渋谷栄一が100年以上前に出版したのが、今回ご紹介する「論語と算盤」です。

  この本は、渋沢栄一を慕う人々が、彼の講演会での話を毎回雑誌に掲載し、その後に項目別に編集したものを出版した本です。つまり、渋沢栄一の講演録ですが、その内容は渋沢の生きる指針が語られていると同時に、ところどころ自らのル-ツにも触れている素晴らしい内容となっています。

  その目次を紐解くと、第一章 処世と信条、第二章 立志と学問、第三章 常識と習慣、第四章 仁義と富貴、第五章 理想と迷信、第六章 人格と修養、第七章 算盤と権利、第八章 実業と士道、第九章 教育と情誼、第十章 成敗と運命。その章も面白く、とても100年以上前に語られた言葉とは思えません。もちろん、訳者、守屋淳氏に負うところも大きく、きわめて読みやすい書体となっています。

  ところで、この本の題名ですが、「論語」は孔子の教えが記されたあの「論語」のことです。そして、「算盤」は、今でいえばコンピューターもしくはタブレットと言い換えることができるのではないでしょうか。渋沢は、大蔵省に入る以前から日本の国力を高まるためには、国が経済的に豊かに名たなければならないと考えていました。そのために必要なのは、民間での商業の発展です。

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(渋沢栄一翁肖像画  kof.or.jpより)

  そのためには、銀行が出資し、市中に資金を潤沢に供給し、その資金を集めて株式会社を設立し、その利益金が積み重なれば、国民も政府も豊かになるとの信念です。

  そのためには、株式を上場するための証券取引所も必要です。渋沢は、第一銀行と同時に東京証券取引所の開設にもかかわっていました。そして、その豊かさ創出のための経済的な営みを象徴するのが、「算盤」です。しかし、バブル経済の崩壊やサブプライムに端を発したリーマンショックを見れば、知恵や哲学のない「算盤」の暴走は、人類を、豊かさとは対極の不幸へと導いてしまいます。

  渋沢は、商売や仕事に不可欠なものは、「商売道徳」であると語ります。日本では、「論語」から出た儒教をルーツとする朱子学に基づいた武士道が発達しましたが、その中で人格者に必要とされるものは、「仁」「義」「孝」「弟」「忠」「信」とされています。商売において利益を追求する場合でも、士道に通ずるこうした「商売道徳」がなければその商売は決して長続きはせず、豊かさには通じないのだというのです。

  この本には実業に必要な様々なことが書かれていますが、ときに面白いエピソードも差し込まれています。渋沢が大蔵省にて財政改革に奔走していたときに渋沢の自宅に当時、政府の参与を勤めていた西郷隆盛がやってきたと言います。果たして、西郷は何の目的で渋沢栄一の下を訪れたのか。そのエピソードは、ぜひこの本の第六章で味わってください。

  これまで、企業統治と言えば、京セラの稲盛さんやソニーの井深さん、はたまたユニクロの棚井さんの本に心を動かされてきましたが、100年以上前の日本にすでに企業統治の基本的理念を持った人物の本が出版されていたとは驚きです。

  この本は、プロ野球パリーグ、日本ハムの栗山英樹監督が新たに入団した選手たちに毎年配っているそうです。プロ野球選手は、野球人である前に一人の社会人としての人格が必要との考えは、野村克也さんが常に口にしていた言葉でした。栗山さんもヤクルト時代にそうした薫陶を受けた野球人の一人です。

  たしかにこの本にはそれだけの価値があります。


  世間ではまだまだコロナウィルスの新規感染者の数が高止まりを続けています。皆さん、ぜひともマスク、手洗い、消毒、密回避を実践し、コロナに打ち勝ちましょう。ワクチン接種も忘れずに!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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池内紀 ドイツ文学者最後の仕事

こんばんは。


  このブログで敬愛する池内紀さんを礼讃する記事を書いてから10年以上がたちました。


  その池内紀さんが20198月に亡くなったことを知ったのは、2020年に入って本屋さんを巡っているときに「池内紀 追悼」というポップを見つけた時でした。最後に上梓された新書はそのときに購入したのですが、池内さんの言葉を読むことができなくなったと思うと、その本を手に取ることができずに1年以上が過ぎてしまいました。


  前回、亡くなった半藤一利さんの対談本を読んで、ふとその隣に並べてあった池内さんの本に目が留まりました。そして、この本を読もうと思ったのです。


「ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」

(池内紀著 中公新書 2019年)


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(新書「ヒトラーの時代」 amazon.co.jp)


【この本が書かれたわけ】


  ドイツ文学と言えば、個人的にはトーマス・マン、ヘッセ、カフカが思い浮かびます。


  最も近くに読んだ池内さんの本は、「戦う文豪とナチス・ドイツ」というスイスに亡命したトーマス・マンが記した日記を解読したエッセイです。トーマス・マンはドイツ文化をこよなく愛し、第一次世界大戦の時にはそのドイツの戦争を擁護し、ドイツ文化のために「非政治的人間の省察」というドイツ独自の体制の在り方を擁護する著作を発表しています。


  しかし、敗戦後には新たに立ち上げられたワイマール共和国を礼讃し、その民主主義をたたえました。ドイツは、第一次世界大戦での敗戦によりヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課せられ、さらに未曾有の世界恐慌のあおりも受け、想像を絶するインフレに見舞われます。1921年には、1ドル=350マルクであったレートが、アッという間に下落を重ね、1923年の11月には1ドル=10億マルクという想像すらできない金額に下落しました。


  こうした混乱の最中、ワイマール共和国では政権を担うべき与党が脆弱であり、小党乱立の状態でまともな政治を行う状況ではありませんでした。ナチス(国民社会主義労働党)の前身であるドイツ労働党もそのなかの一つでしたが、1919年ヒトラーは30歳にしてこの党に入党したのです。


  ヒトラーは、ナチス党の公開討論会でみごとな演説を重ねに重ね、徐々に頭角を現していきます。


  民主主義の根幹をなすのは選挙制度です。ワイマール共和国では議会議員を総選挙で選出し、過半数の議員の票によって大統領が選出される仕組みでした。寄せ集めで立ち上げられた内閣は確固たる政策を打つことはできず、内閣は解散を繰り返します。19307月の解散総選挙のとき、それまで12議席に過ぎなかったナチスは、107議席と大躍進を果たし第二党へと躍り出ます。


  さらに総選挙後に発足した内閣は19326月、組閣3日後に解散し、またしても選挙が行われます。ここで、ナチスは230議席を獲得し第一党となり、内閣の総辞職が重なる中で、大統領ヒンデンブルグは、第一党の党首ヒトラーに首相を要請したのです。


  ここから、民主主義の仕組みを巧妙に利用し独裁を実現していくヒトラーとナチスの謀略がはじまったのです。


  トーマス・マンは、かねてから国家社会主義を標榜し国民をあおるナチスに悲観を繰り返していましたが、19332月にスイスに夫婦で講演旅行に出かけている最中、ドイツでひとつの事件が起こります。それがベルリン国会議事堂炎上事件です。この事件は共産党の若者が議事堂に放火し、全焼した事件ですが、ヒトラーはこの事件を最大限利用します。テロ防止のために、言論の自由や結社の自由などの権利を制限し、権限を首相に集めていくのです。当時、共産党は81の議席を保有していましたが、ヒトラーはその議席を廃止。これにより、288議席を持つナチスが議席の過半数を占めることとなったのです。


  長男からこの状況を聴いたトーマス・マンは、そのままスイスに亡命します。


  ナチスとヒトラーは、こうして独裁の道をひた走り、反体制分子をすべて粛清し、領土を拡大。第二次世界大戦を勃発させ、世界中で4000万人もの民間人と2000万人以上の軍人が命を落としました。あまつさえ、ユダヤ人に対する殺戮(ホロコースト)によって570万人もの命が奪われたと言われています。


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(虐殺施設 アウシュビッツ収容所 jiji.com)


  それにしても、池内紀さんはなぜ最後にヒットラーの時代を描く仕事を成したのでしょうか。


  この本の「あとがき」にこの本を書いたわけが記されていました。


  自らのドイツ文学者の仕事をしながら常に意識にあったとのくだり。「いずれの場合にも、背後に一人の人物がいた。独裁者ヒトラーとして極悪人の名を歴史にとどめた。だが、その男に歓呼して手を振り、熱狂的に迎え、いそいそと権力の座に押し上げた国民がいた。私が様々なことを学んだドイツの人々である。こういったことを、どう考えたらいいのだろう。ついては『ドイツ文学者』をなのるかぎり、『ヒトラーの時代』を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか。誰に課せられたというのでもない。自分が選んだ生き方の必然の成り行きなのだ。」


  そして、文章はこう続きます。「そう思いながら、とりかかるのを先送りにしてきた。気がつくと、自分の能力の有効期間が尽きかけている。もう猶予ができない。」


  池内さんの文章は、常に変わらず、淡々と、しかし瀟洒につむがれていきます。


  この遺作ともいえる最後の本を読んで、改めてこれまで数々の著作で池内紀さんが教えてくれた様々な楽しみと教訓が思い出されてなりません。本当に感謝です。そして、改めて、ご冥福をお祈りします。


【独裁者に成り上がることができた理由】


  話は変わりますが、皆さんは望月三起也という漫画家を覚えているでしょうか。


  そうです、かつて「少年キング」で連載されていた「ワイルド7」の作者です。バイクにまたがって走ることが三度の飯より好きな荒くれ男7人が、警視庁の特別警官隊として無法を持って無法をつぶしていく物語です。毎回、バイオレンスな世界が描かれながらも内側に隠れた正義感をニヒルににおわせて最後にはホロリとさせられる展開がたまらなく面白い名作でした。


  その望月三起也さんが描いた作品に「ジャパッシュ」という名作があります。


  この物語は、ある日本人考古学者がメキシコのマヤ文明の遺跡である石碑を発見する場面から始まります。その石碑には、良く知られた名前が彫り込まれていました。アレキサンダー、アッチラ、ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーと掘られた横には、彼らの生年月日と没年が刻まれていたのです。そして、その最後に刻まれていたのが「ジャパッシュ」。その生年は読み取れますが、没年はかすれており読み取ることができません。


  果たして、この石碑は未来を予言したものなのか。


  翻って、場面は現代日本へとは展開します。主人公である日向光は、生まれながらに「悪」の化身でした。生まれたとき、その目力のまがまがしさに思わず首を絞めてしまおうとする産婆を、逆に殺してしまう恐るべきエピソード。そして、小学生のときに日向は、石碑を発見した考古学者の孫、石狩五郎と同級生となり、その家に遊びに行きます。老学者は日向の生年月日を知って、彼こそが石碑にかかれた「ジャパッシュ」であることを確信し、彼を絞め殺そうとします。しかし、最後の際に慈悲心を感じ、逆に日向に返り討ちにされ、家ごと燃やされてしまいます。


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(望月三起也「ジャパッシュ」 amazon.co.jp)


  日向光は、その後長じると自らの美貌とその弁舌の魅力により、周囲の人間を魅了して親衛隊を組織していきます。その親衛隊は、徐々に拡大していき、「正義」の集団へと拡大していきます。しかし、その「正義」は隠れ蓑にしかすぎません。日向は、とある海運業者に取り入って、そこにはびこる悪をつぶすことにより、会社の経営にまで入り込んで財力を手にします。


  さらに、その「悪」を否定するアジテーションによって日本の民衆を味方につけ、暴力集団テロに対抗する自衛組織「ジャパッシュ」の首領へと駆け上ります。そして、大規模な騒擾を鎮圧するとの名目からついに警察権を手にすることに成功します。


  周囲の大人たちは、日向の立ち振る舞いの胡散臭さを知りながらも、その力を利用して自らの権力を強めようとし、逆に日向に利用され、日向はその人気を不動のものにしていきます。さらに過激派グループの武装集団との対決のために日向は自衛隊の武力さえも操るまでの力を手に入れます。ついには、国民投票によって日本のトップへと登りつめるのです。独裁者の誕生です。


  その徹底して人を利用し尽し、合法的な「悪」を繰り返してすべての権力を手にしていく過程は、まるでヒトラーを描いているようです。


  望月三起也さんは、当初、祖父を殺害された石狩五郎の復讐劇をメインにしたストーリーを構想していたそうですが、日向光の極悪な魅力が読者をとらえてしまい、意図とは異なって「悪」のプロセスを描く物語として人気が出てしまいました。その悪影響を考慮し、自ら連載を打ち切ったといわれています。


  いったいなぜジャパッシュは、独裁者となったのか。


  この本を読みながら望月三起也さんの「ジャパュシュ」を思い出しました。


  さて、話を戻します。今回の本は、フィクションではありません。そこには、歴史的事実が記されているのですが、その視点は本当に池内さんらしい、ウィットにとんだ題材が取り上げられています。


  描かれているのは、ナチス(国民社会主義ドイツ労働党)ができた(改名)1920年からヒトラーがポーランドに侵攻した1939年までの出来事です。編年体の歴史、もしくは歴史小説であれば、ヒトラーが生活保護を受けていた街角の画家からナチスの党首となり、ナチスが国会で第一党に躍り出て首相、そして完全な独裁者となるまでの時代をまるで教養小説の様に描いたかもしれません。


  しかし、池内さんは時系列にヒトラーが権力を手にしていく過程をわかりやすく示しながら、歴史家がスポットをあてていない人々のエピソードを連ねていくという手法をとっています。それは、これまでの池内エッセイの手法の集大成と言えるかもしれません。


  「ナチス式選挙」の章では、南ドイツ、ボ―デン湖の北にあるメスキルヒにおけるナチスのやり方が描かれています。この街の人口は4500人。この町の名前はドイツ語でミサ教会と言う意味であり、古来カトリック中央党の基盤でした。この地では、ナチス党への得票率は1933年のナチス統制下における選挙でさえ、34.7%であり、中央党の得票率は44.4%で議会は中央党に握られていました。


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(ハイデッガーの生地 メスキルヒ wikipedia)


  まず起きたのは、地元新聞への弾圧です。中央党の新聞「ホイベルグ民衆新聞」は、ナチスを批判した報復を受け発行禁止処分にあい、新聞社にはカギ十字が掲げられました。この地区では他に「メスキルヒ民衆新聞」、「メスキルヒ新聞」が発行されていましたが、1935年には廃刊され、残ったのはナチス党の「ボーデンゼー評論」のみとなりました。


  議会でも弾圧がひどくなります。ナチスは1933年、親衛隊などの組織を使って地区の組織の役職者を排除し、親ナチス派の幹部にすり替えます。そして、その年の6月には社会民主党が禁止され、市議会の社会民主党議員もすべて辞職。その後、中央党も解散させられることになり、その年のうちに市議会はナチス一党支配となったのです。


  皆さん、これを読んで今起きている出来事とダブらないでしょうか。そうです。今、香港で起きていることが約90年前にドイツで起きていたのです。読んでいて背筋がゾッとしました。


  今、世界では独裁的な政権が大きな力を得つつあります。独裁政権は自らの基盤となる一部の国民の幸せのために強力な政策を打ち出し、政権基盤を固めます。しかし、自らに盾突く者は容赦なく封殺します。独裁者の世界はいかに効率的な社会であったとしても、「最大多数の幸福」とは程遠い世界なのではないでしょうか。


  池内さんは、文学者人生の最後に我々に強い警鐘を鳴らしてくれました。皆さんもぜひこの本を手に取って、改めてジェンダー(多様性)の重要性に思いをはせてみて下さい。


  それでは今日はこのへんで。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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釈徹宗 なにわの天才富永仲基を読む

こんばんは。

  富永仲基とは、いったい誰なのでしょうか。

  この本を手に取ったのは、著者が釈徹宗さんだったからです。釈さんは、自らも浄土真宗の寺の住職でありながら、宗教学や思想史を研究する学者でもあります。以前ブログでも紹介した新書、「法然親鸞一遍」があまりにも面白い分析本であったので、その名を覚えていたのです。今週は、久しぶりに釈さんが語る本を読んでいました。

「天才 富永仲基 独創の町人学者」

(釈徹宗著 新潮新書 2020年)

  さて、釈さんの本ですから当然仏教を語る本になるわけですが、今回は著者が仏教を語るのではなく、富永仲基という人物が仏教典をどう分析し、語ったかを紐解く本なのです。しかし、そのユニークな点はこの人物が江戸時代中頃の大阪の町民であり、さらには31歳と言う若さで夭折した天才であったという事実なのです。

【恐るべき仏教の経典体系】

  富永仲基が生まれたのは、1715年の大阪です。醤油醸造家の三男と言いますから、裕福な家の生まれです。彼が天才といわれるのは、江戸時代の中期、今だ封建時代の最中でありながら、仏教経典を研究し、儒教、道教、神教との客観的な比較分析を行い、現代の思想史にもつながる大乗非仏説を唱えた点にあります。

  確かに江戸時代には、和算の関孝和、エレキテルの平賀源内、天文学から新たな暦を生み出した渋川晴海など、きらめくような才能が開花したことはよく知られています。しかし、文献学や思想史において、近代社会学の発想をいち早く切り開いた冨中仲基の名はまったく知りませんでした。しかも、彼は病弱で32歳で夭折していますが、その偉業ともいえる著作は彼が20代の時にはすでに構想されていたというのです。

  彼の功績とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

  日本人にとってお寺とは今や、檀家以外の方にとってはパワースポツトとして、また御朱印をもらう場所として認識される場所になりました。日本に神代からある神様を祭る神社と仏さま(ご先祖様)が眠っているお寺ですが、パワースポットや御朱印帖の観点から見るとその差異がわからなくなっています。そもそも語れば、蘇我氏と物部氏の世界に至ってしまいますが、神教と仏教は政治的な変遷のおかげで混在していることが混乱のもととなっています。

  神様系は、もともと「日本」が認識されたときに大和系の支配者が自らを正当化するために日本独自の神話を日本の歴史書に作り上げたところから記録された歴史として始まります。そして、神社には八百万の神のうちの神々が祭られています。一方、仏教は中国から朝鮮を経由してもたらされた宗教であり、奈良王朝の支配者が当時最先端の仏教を日本に浸透させることによって日本を最先端の国として統一しようと、その手段に選んだ宗教です。仏教には神様はいないのです。

  以来、平安、鎌倉とこの仏教の奥深さに魅入られた人々が、脈々と仏教の教えを日本に広め、さまざまな宗派が日本各地にいきわたることになったのです。

  日本の国策として導入された仏教ですが、その普及には多くの仏僧たちの命を懸けた歴史が折り重なってできています。初期には遣隋使や遣唐使として命がけで中国に渡りその経典を日本にもたらした先陣たちが日本仏教の礎となりました。奈良時代には、唐から鑑真が招かれ、日本に帰化し「律(戒)」による仏教を日本に根付かせます。

  その後、平安時代から鎌倉時代にかけて日本では絢爛たる仏教の広がりが展開します。平安時代には、遣唐使として空海、最澄が唐に派遣され、帰国後にはそれまでの律宗や華厳宗に対抗して、密教の流れをくむ真言宗(高野山)、天台宗(比叡山)を開きます。

  さらに鎌倉時代に至ると、念仏思想が広まり、法然が「南無阿弥陀仏」を唱える浄土宗を開き、浄土宗をさらに進めた親鸞が浄土真宗を開きます。さらに念仏思想があまり拡大したことに対し、日蓮が「南無妙法連華経」を唱える日蓮宗を立ち上げました。庶民への普遍とともに、幕府を構える武士たちにも禅宗に連なる臨済宗や曹洞宗も中国からもたらされました。

  江戸時代には、禅宗の一つとして黄檗宗(おうばくしゅう)も開かれます。

  仏教の宗派は、ここで紹介した以外でも数多くの宗派が乱立し、そのすべての宗派において部週ごとの仏教経典が作られていきます。日本の神教は伝説や説話によって形作られていますが、仏教は仏様(コーダマ・シッダルタ)の教えを教義として構築・系統づける膨大な経典に基づく教えによって形作られているのです。

  と、こう書いてくると、この本の主人公、富永仲基は難しい経典の解説をしているのかと思われる方がいると思いますがさにあらず。彼は、これまでの膨大な仏教典を俯瞰して、彼以前には誰も持ちえなかった視点から仏教典のあるべき読み方を語っているのです。

【「出定後語」は何を語るのか】

  私事になりますが、父が亡くなって早いもので四半世紀が経とうとしています。父は歴史と仏教が好きで、家には仏教全集のための書庫があり、晩年はいつもクラシック音楽を聴きながらリクライニングチェアで仏教の本を読んでいました。専用の書庫を持つほど仏教の本を集めていましたが、宗派を決めて読んでいたわけではなく、仏教とは何なのかを自問していたのかもしれません。

  仏教と言えば、本を読んでいる父親の姿が目に浮かびます。

  富永仲基が世に残ったのは、一冊の著作が刊行されたことによります。その本の名は「出定後語(しゅつじょうこうご)」と言います。

  この題名には仲基の並々ならぬ自信がみなぎっています。「出定」とは仏陀が悟りを開いた(禅定というそうです。)後に俗世に戻ることを言います。つまり題名は、仏陀は悟りを開いた後に世俗に戻って語る、との意味なのですが、語っているのは仲基自身なわけですから、この題名は自らを仏陀に模していることになります。つまり、仲基は自らを仏陀に見立てて仏陀の悟り以後の言葉をこの本を記す、との決意を題名にしているのです。

  釈徹宗氏は、この本で富永仲基がどのように江戸期に現代に通じる思考を語ったのかを我々に教えてくれるのです。その現代性と天才にはなるほど驚かされます。

  「出定後語」は、「序」から始まり全25章に渡って仏教のあらゆる経典とその考え方に対する考察を重ねていく著作です。そこには、それまでの歴史では出てこない、新しい発想(客観性)がちりばめられています。

  その語られるところは、この本を読んで味わって欲しいのですが、ここではその「さわり」の部分をご紹介します。

  まず、仲基の経歴ですが、彼は当時大阪で幕府から私塾として認められていた懐徳堂で、15歳の時まで儒教を学んでいました。その頃よりものごとの本質へのこだわりがあり、儒教の教えに対してもその考え方には批判的でした。現在は実在しない「説蔽」という書を著したといわれていますが、釈さんはこの頃からの思考がのちの「出定後語」につながるものと分析しています。

  儒教は、ご存じの通り孔子の教えからはじまっているわけですが、その教えは弟子によって継承され、孟子の「性善説」や荀子の「性悪説」などその教えは深みを加えて進化しています。

  仲基が記した「説蔽」は残っていませんが、彼はその後、24歳のころに「翁の文」という著作を書いており、この本でもその本の内容が紹介されています。釈さんは、「翁の文」の中で仲基が儒教について述べている文章に注目し、儒教に対する批判がその後の思考につながっていると分析しています。

  その考え方は、「加上」です。江戸時代の文章は、漢字のみで書かれている場合が多く、レ点をつけて読むのは漢文で習うとおりです。そのように読めば、「加上」は上に加えると読むことができます。つまり、今学んでいる儒教は、本質である孔子の思想のうえにその弟子たちの主張が載せられたものであり、それを知ったうえで解釈するべきだというのです。つまり、「性善説」や「性悪説」は、孟子や荀子が自らの説を強めるために孔子の教えの上に「加上」したものであり、孔子の教えではない、というのです。

  仲基は、この批判書のために懐徳堂から追い出された、とする説もあるそうですが、当時、儒教も含めて尊い教えに対する批判は頭から否定されたであろうことは想像に難くありません。

  その後、仲基は田中洞江のもとで詩文を学び、さらに宇治の萬福寺で仏教経典を研究したといわれています。その中で、「出定後語」で分析、批評されている合理性に富んだ思考がはぐくまれていったものです。今でこそ、その考え方には何の違和感もありませんが、当時の封建社会の中ではあまりにも突飛な考え方で、受け入れられる土壌はなかったのでしょう。

【すべてから自由な発想】

  富永仲基の現代性は、その思考の基本的な考え方に顕著に現れます。

  例えば、儒教や仏教、道教などの教えを紐解くときには、それが語られた国の民族性を考慮することが必要と語ります。仏教が生まれたインドでは民族的に「幻説」が修飾として必要とされ、それは空想的、神秘的になるといいます。また、中国の民族性は「文飾」にあり、誇張された修辞が用いられます。そして、日本の文化は「清介質直」を好み、要点簡潔で素を良しとするといいます。

  また、経典を読む中で、言葉に潜む落とし穴?にも言及しています。

  文献の中に語られる「言葉」には、気を付けなければいけない点があるといいます。まず、言葉は

  語る人によってその意味が異なるという特徴です。同じ言葉でも、その意味は経典を語る人、それを書いた部派によって異なるのでそれを踏まえることが必要となります。次に、言葉はそれが語られた時代や世代によって意味が異なる点です。確かに同じ言葉であっても使われる時代によってその意味は違ってきます。古典の時間に習った「いと、おかし」も当時は面白いものではありませんでした。

  仲基は、言葉に対するこうしたポリシーを、「出定後語」の中に一章を設け、自らのオリジナルな考え方として語っています。この章の題名は、「言に三物あり」となります。それは、前出の「言は人なり」、「言は世なり」と記されていますが、さて、三物の3つめはいったい何でしょうか。

  それは、仲基自身によって、「言は類なり」と語られています。「類」とは養蜂のことなのですが、それには5種類の用法区分があるというのです。実は、この類については、なんでも編集してしまう知の巨人、松岡正剛さんもその著書「遊学」の中で取り上げているのですが、その「類」はぜひこの本で確かめて下さい。


  この本には確かに仏教経典を合理的な目で批判した江戸期の天才が描かれていますが、その曇りのない目は、明らかに物事の本質をつきつめる哲学的な姿勢に貫かれています。若冲と言い、仲基といい、江戸時代は天才に満ち溢れていることに驚きます。

  明日からまた新年度を迎えますが、コロナウィルスとの闘いはまだまだ続いています。皆さん、気を緩ませることなく、マスク、消毒、3密回避を徹底し、みんなで命を守りましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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酒井正士 別府温泉に眠る邪馬台国

こんばんは。

  ここのところ、コロナ感染者の最多人数が毎日更新されています。

  2月頃、クルーズ船でのクラスターが世界中の注目を集めていました。未知のウィルスへの対応は人類VSウィルスの闘いの様相を呈しており、予想通りその戦いは長期戦に突入しています。その頃に、インフルエンザにかかった顛末は以前にもブログでお話ししましたが、新型ウィルスの猛威に対抗するには、やはりワクチン接種が決め手になるに違いありません。

  日本でも早い時期の緊急事態宣言で、一時は感染拡大が落ち着いたように見えましたが、経済活動再開によって夏には第二波に見舞われ、第三波は今やとどまることがないように見えます。

  この年末は、会食や移動を控えて静かに過ごすことが望まれます。

  とても不思議に思うのは、大人数での会食の自粛、お酒を出す飲食店の営業時間の制限、移動の自粛を同じように呼びかけながら、地域によって効果に差が生じている点です。北海道や大阪では、11月の下旬から呼びかけられた自粛により、繁華街での人手が減少し、それに比例して新規感染者の数が減りました。ところが、東京では一向に減少する気配が見えません。

  報道によれば、東京では自粛の呼びかけにもかかわらず、人出が減っていないというのです。確かにウィルスによる自粛が半年を超えて、職を失って収入が亡くなる人や売り上げがなくなり店を閉めるお店が増え、生活が立ち行かなる人々が増加しています。そこでさらに経済活動を自粛すれば、生活に困る人が続出します。しかし、大阪や北海道では減少した人出がなぜ東京では減らないのでしょうか。

  大阪や北海道の人々は自粛してもお金に困らないのでしょうか。

  東京には、世界中の人々が集中しています。そのために大阪や北海道に比べて、知事の呼びかけに対して「他人事感」が強いのかもしれません。経済的な厳しさは、大阪でも北海道でも同じですし、例えば期間を限定する限り、自粛によって生きていけなくなることにまで追い込まれる場合には、行政や福祉によって援助する仕組みを作ることは可能です。

  神奈川、埼玉、千葉などを含めた首都圏では、新規感染者の増加によって医療機関が機能不全になる直前まで追い詰められています。このままでは、コロナ以外の疾患が悪化した人を受け入れる病院がなくなり、救えなくなる命が生じるリスクがどんどん増加していきます。首都圏には、外国人や多様な地域の人たちが集中し、隣にだれが住んでいるのかさえ分からないような日常があたりまえになっています。そうした中では、なかなか首長たちの呼びかけや危機感が届きにくいことは当然です。しかし、今年の年末年始に感染者が減少しなければ、首都圏の経済活動が新型ウィルスのために停止してしまう事態までが想定されます。

  自らの命や生活を守るために皆さん、改めてマスク、手洗い、消毒は当たり前、外出を自粛し、大人数での会食や会話は控えるという「密」をさける行動を徹底しましょう。

  さて、話は変わりますが、10年前の今日、皆さんは何をしていたか覚えていますか。

  実は、10年前、このブログはすでに始まっていて、ちょうど10年前に読んでいた本がちくま新書の「倭人伝を読みなおす」という邪馬台国に関する本だったのです。この本は、考古学者として有名な森浩一博士の書いた本でしたが、氏は2013年に85歳で亡くなりました。時のたつのは早いものですが、そのときから邪馬台国と書かれた本は読まずにはいられません。

  先日、本屋さんで久しぶりに邪馬台国を題名にした本に出合いました。

「邪馬台国は別府温泉だった!」(酒井正士著 小学館新書 2020年)

【邪馬台国は永遠の謎なのか】

  昔から、「邪馬台国」、「魏志倭人伝」という文字を読むとロマンを感じてしまいます。

  古代とは、古今東西を問わず我々人類が歴史を刻む最も早い時期を示します。そこにはまだ言葉は少なく、我々人類はその初期のころ、何を考え、どのように行動し現在の姿を作り上げてきたのか。そのことに想いを寄せると、自らが人として生まれてきたことの意味に少しでも近づけるような気がして、たまらないワンダーを感じるのです。

  ブログでも人類の起源や文明の起源に関する本をたくさん紹介してきました。

  日本においては、日本書記や古事記の世界、古墳の世界、木簡の世界など、日本人の起源にかかわる本は数え切れないほどたくさん上梓されています。しかし、書き残された資料以前の世界は、考古学によって解き明かしていくしかありません。それは、古代遺跡の発掘による遺物からわかる歴史に他なりません。

  日本書記や古事記には、神話の世界が記されていますが、日本という国が大和朝廷によって統合される以前、日本列島にはどのような人々が住み、どのような暮らしをしていたのか。それは、様々な遺跡の発掘によってしか解明されないのです。

  しかし、日本では有史以前でも朝鮮半島をはさんだ西には4000年の歴史を持つ中国が存在していました。中国では殷(商)が3000年も前に漢字を発明し、紀元前1300年ころには記録を残しているのです。「史記」をはじめとした紀元前後の中国の歴史書は、人類最古の歴史書といっても過言ではありません。

  そして、そこに記された中国の東の果ての記録の中に当時の日本の姿が語られているのです。

  その最も古いものが正史である「三国志」の「魏志」に記されていた東夷伝のなかに倭人の条があり、それが「魏志倭人伝」と呼ばれているのです。そこに登場する邪馬台国は3世紀の日本において中国に朝見の使者を送るほどの勢力を持っており、当時の日本では最も権力を有していたと想像することができます。

  魏志倭人伝には、当時の魏の勢力範囲内であった朝鮮半島にある帯方郡(ソウル近郊らしい)から対馬、壱岐を渡って邪馬台国に至る道程が記されているのです。そこに費やされている文字数は1986文字もあり、東夷伝の中では最も多くの文字数が割かれています。さらには、邪馬台国周辺の国々の名前や邪馬台国の風俗生活、卑弥呼の記載など、おおくの情報が盛り込まれているのです。

  これまで、数え切れないほどの歴史学者、考古学者、作家などが、邪馬台国が日本のどこにあったのかを推理し、その仮説を書き残してきました。ご存知の方には煩わしいと思いますが、邪馬台国の場所は大きく近畿説と九州説に分かれています。いったい方向と距離が記されている歴史書に従って進んでいくのに近畿説と九州説が両方成り立ちうるのでしょうか。不思議です。

  それは、倭人伝の記述を素直に解釈すると、邪馬台国は太平洋上にあることになってしまうからです。

  帯方郡は今のソウル近くですので、韓国から日本に渡るには、対馬、壱岐を経由して海路で至るしか方法はありません。倭人伝で、壱岐の島は「一大国」と記されます。ここまでは、約9000余里と記載され、異論はありません。問題は日本に到着してからの記述です。日本到着の国は、「末蘆国」であり、ここから東南に陸行500里で「伊都国」に、さらに東南に100里で「奴国」、さらに東へ100里いくと「不彌国」に至ります。

  ここまでは、記述の通りに進んでいけばよいのですが、ここから不彌国から先の書きぶりが変わってしまうのです。このさきの記載は、「南至投馬国 水行二十日」、「南至邪馬台国 女王之所都 水行十日陸行一月」となっているのです。いくらなんでも十日も二十日も船で海を南に渡れば、日本をはるかに突き抜けて太平洋上に至ってしまいます。

  これまでの近畿説は、南というのが実は南東のことで近畿地方への方角を言っているとして経路を仮定します。九州説では、この水行を「帯方郡」から「投馬国」、「邪馬台国」への道のりを語っていると仮定して場所の推定を行っています。

  つまり、邪馬台国の場所を特定するためには、「魏志倭人伝」に記載された地名の謎と「方角と距離」の謎を解き明かす必要があるわけです。

【謎を解くために必要なことは?】

  この本の著者は、歴史学とは何の関係のない職業に就いています。それは、生命科学、生物工学です。氏は、かの有名なバイオ飲料に会社の研究員として、人に有用な細菌や代謝の研究を行ってきた専門家なのです。人文科学の分野、とりわけ文献学や考古学などの歴史を扱う世界と自然科学の世界では、そのアプローチや発想はかなり異なります。著者は、現在、全国邪馬台国連絡協議会の会員にも名を連ねており、この著書は、協議会で行われた長年の研究成果の発表をもとにしているそうです。

  氏は、科学者らしく、まず、これまでの邪馬台国論争の前提となっている一つの推論に疑問を持ちます。それは、江戸時代に最初に「倭人伝」に注目した新井白石の仮説です。白石は、一行が日本に上陸した「末慮国」を地名の類似から唐津市の松浦郡に否定し、そこから各地域を地名の類似に従って特定していきました。

  驚くべきことにその後の長年にわたる研究は、ほぼこの説によって推定を重ねてきているのです。著者は、まずこの前提に疑問を投げかけます。では、その前提に代わる考え方とは何か。それは、「方角と距離」の関係です。近畿説は、方角、九州説は距離について仮説を立ち上げることで、邪馬台国の場所を推定しています。「魏志倭人伝」を著した陳寿の時代、その方角と距離はどのように理解されていたのでしょうか。

  著者はその特定から論を進めていきます。

  現代の日本に暮らす我々は、現代の科学水準は秀でており2000年近くも前の人間は科学的な見識では我々に及ばないとの考えにとらわれがちです。しかし、古代における方向と距離への見識は、彼らの軍事的な必要性や移動の重要性を考えれば現代と何の遜色もないといえます。

  氏は、三国時代の数学書「九章算術」からその測量に関する後代に「海島算経」呼ばれた測量法を解説してくれます。さらに航海時にはすでに三角測量の技術も発達しており、海上での距離はすでに直線距離での正確なり距離を把握することができたとして、「魏志倭人伝」に記される「方角と距離」は正確である、との前提を解き明かします。

  氏は、当時の数学書「九章算術」と同じく当時の天文数学書である「周髀算経」からそこに記されている「1里=約77m」との距離を採用します。里には様々な解釈があり、1里は438m、1里は140m、などいくつかの考え方がありますが、氏は自然科学者の強みを発揮してその約77mの合理性を次々に説明していきます。

  その「方向と距離」から導かれる結論とは?

  皆さんも邪馬台国を巡る鮮やかな謎解きをご堪能ください。別府温泉の扇状地の火山灰の下には、纒向(まきむく)遺跡に匹敵する弥生時代の遺跡が埋まっているのかもしれません。

  今年も残るところわずかとなりました。コロナウィルスに翻弄された年ではありましたが、まさに我々人類の英知が試された1年でもありました。皆さん、感染対策に万全を尽くしてよいお年をお迎えください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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倉谷滋 恐竜は怪獣へと進化したのか

こんばんは。

  今年のお盆はこれまでと違ったお盆になりました。

  夏休みと言えば、子供が小さい家庭では夏休み中の子供との交流が一大イベントになります。ところが今年は新型コロナ感染に伴う感染防止により学校が閉鎖される事態が相次ぎました。その影響で授業時間が足りなくなり、公立の小中学校では、のきなみ夏休み期間が短縮される事態に陥っています。

  神奈川県で小学校の教諭をしている息子がお盆休みに家にやってきて語るには、今年の夏休みは8/18/23までに短縮され、あまりゆっくりと休む暇はないそうです。あまつさえお隣の市では夏休みの終わりがさらに早い8/16ということでたった2週間しかありません。今時は働き方改革でサラリーマンでも2週間の夏休みは当たり前になっています。

  もちろん子供たちもガッカリですが、親の方もどのように子供と交流していくのか難しい年になっています。なぜなら新型ウィルス感染の拡大のために、せっかくの「GO TO トラベル」も集団での移動が制限され、高齢者への感染を考えると田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに子供の顔を見せに行くことがはばかられ、旅行に行くにも感染防止を徹底する必要があります。子供も親もすっかり意気消沈してしまいます。

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(閑散とした那覇空港  琉球新報HPより)

  せっかくのお盆ですが、今年は皆さん自粛して、手洗い、うがい、マスクをつけて3密を避けて、住まいのある地域でお盆を過ごす方々でショッピングセンターが満ち溢れています。しかし、自粛が半年に及ぶとどうしても心が塞ぐことをさ避けることができません。

  こんなときこそ、心が最も揚がることを心に思い浮かべて、明るい気持ちを盛り上げましょう。

  さて、小学生から中学生にかけて、我々の世代で最もワクワクしたのは他でもない特撮画像を駆使して制作された怪獣たちの姿です。ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、ガメラ、バルゴン、ギャオスなどの銀幕を彩った怪獣たちはもちろん、ガラモン、マンモスフラワー、カネゴンなどの「ウルトラQ」の怪獣たち、そして永遠のウルトラマンシリースの要となったバルタン星人、レッドキング、ゼットンなどのテレビで放映された怪獣たちです。

  お盆前に本屋さんの新書コーナーを眺めていると、帯広告に「シン・ゴジラの乱杭歯(らんぐいば)、その理由は、」という文字とともにシン・ゴジラの雄姿が写っているではありませんか。怪獣好きには目を離すことができませんでした。

  今週は、怪獣愛にあふれた形態進化生物学者の本を読んでいました。

「怪獣生物学入門」

(倉谷滋著 インターナショナル新書 2019年)

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(「怪獣生物学入門」amazon.co.jp)

【怪獣は何から進化したのか】

  恐竜と怪獣の関係は複雑です。

  「ゴジラ」は、もともと古代の恐竜が現代の水爆実験によって突然変異を起こした怪獣です。そこから考えると、怪獣を遡れば恐竜に行きつきそうに思えます。実際、小学生のころ、上野の国立科学博物館に行くのが大好きで、親も私の機嫌が悪かったり、甘えてうるさくねだったりしたときにはとりあえず国立科学博物館に連れていってくれました。

  博物館の入り口を入るとそこには恐竜の骨格が天井までそびえていました。現在、ブロントザウルスという恐竜は実在しなかったと言われていますが、当時は巨大な草食恐竜の代表格はブロントザウルスでした。凶悪な肉食恐竜の代表は言わずと知れたティラノザウルス。人気が高かったのは剣竜と呼ばれていたステゴザウルス。今のサイのように角を伸ばしていたトリケラトプスでした。

  この本でも語られていますが、近年の恐竜はあのころに比べると格段に進化しています。

  化石で見つかる恐竜が進化しているわけはないのですが、進化しているのは研究です。ゴジラはご存知の通り直立不動で日本の街に上陸し、我々の世界を蹂躙していきます。その行動は重厚で力強く、何物にも止めることはできずにゆっくりと前へと進んでいくのです。かつて、国立科学博物館で観たティラノザウルスの骨格は確かに直立していました。

  しかし、ジェラシックパークに登場するティラノザウルスは、直立していません。その超前かがみの姿はとてもゴジラの先祖とは思えません。さらに驚くのは、その脅威のスピードです。車に乗り全速力で逃げる主人公たち。時速80km以上で走る車にティラノザウルスは決して引けを取らないのです。恐竜研究は、この半世紀に大きく進化しました。

  今や恐竜の生き残りが現在の鳥類であることは科学的事実とされており、かのティラノザウルスは羽毛につつまれていたと考えられています。ゴジラの肌は黒くて岩の様であることが常識ですが、もしも1950年代に恐竜の実態が分かっていればゴジラは羽毛に包まれていたかもしれません。(放射能の影響で羽毛は抜け落ちていたかもしれませんが。)

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(再生細胞を持つミレニアムゴジラ amazon.co.jp)

  この本の著者は、現在理化学研究所で生物学のグループデレクターを勤めているそうですが、第一線で研修している生物学者が空想科学ドラマの怪獣たちを分析しようとするわけですからワクワク感が止まりません。

  そもそも特撮怪獣は空想の産物ですから進化や生物学とは無縁の存在に思えます。

  この本の著者の場合、小学生から中学生の多感な時期がちょうど円谷監督の特撮映画の最盛期であったことが幸運(不幸?)でした。私も同じとしなので全く同じなのですが、形態進化生物学なる学問を身に着ける以前に特撮怪獣映画のワンダーの洗礼を受けていたのです。

  怪獣のワンダー体験を内に抱えたまま形態生物学の最先端を探求すると、怪獣自体を科学の目で探求してみたくなるのかもしれません。

【キングギドラの形態生物学】

  宇宙怪獣として最強と言われているのはキングギドラです。金色のうろこに包まれ、3つの竜のような頭と3つのしっぽを持ち、2つの翼によって宇宙や空中を駆け巡る姿は、ハリウッドのゴジラ映画にもゴジラのライバルとして登場します。

  実は、日本映画に登場するキングギドラとハリウッドのキングギドラは異なっていると言います。

  日本映画に登場する元祖キングギドラの翼には、条と呼ばれる筋を見ることができます。この筋が脊椎動物の手や指が進化して生まれたものであれば、翼竜やコウモリの翼と似た生態をしているといえます。しかし、キングギドラの翼の筋は、手や指というよりも魚類の胸鰭(むなびれ)に似ているそうです。

  キングギドラが脊椎動物の系に属しているのであれば、その翼は我々の腕、手、指の相当する部分が異なる進化を遂げたこととなりますが、もしもこの条がシーラカンスやウミテングのような魚類の胸鰭に相当するものなのであれば、キングギドラは魚類の系につらなることになります。どうも見た目は魚系の条に見えるのです。

  さらにやっかいなのは、現在の形態生物学では脊椎動物の腕や手指にあたる条と魚類の胸鰭にあたる条が同じ遺伝子から派生しているのではないか、との研究があるそうです。

  そして、ハリウッド版のキングギドラでは、さらに話は複雑になります。

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(ハリウッド版 ゴジラ対キングギドラ)

  翼の条については、ハリウッドのキングギドラにも同じように見ることができますが、問題はその翼の位置にあります。日本版のように翼が肩から始まっていると、その翼は腕や手指の延長にあるので脊椎動物や魚類に系譜を見ることができます。ところが、ハリウッド版キングギドラの翼は方から直接生えていないように見えるのです。

  その形態は、魚類よりもむしろコウモリと似ています。コウモリは、方から腕に当たる条が伸びており、そこに連なるように翼となる幕が張られています。さらにその翼は腹から出た条により支えられており、トビトカゲ(爬虫類)のように肋骨部分から派生しているとも考えられるのです。

  日本版は魚類系、ハリウッド版は哺乳類系または爬虫類系。同じキンギギドラでも異なる系統図に位置付けられるのかもしれません。

  キングギドラの他にもゴジラ、ガメラ、ギャオスなど、著者の形態生物学によって次々と仕分けられていく怪獣たちの分析はとてもワンダーです。

【人間に寄生する怪獣とは】

  この本の第三章では、不定形型モンスターに関する考察が繰り広げられます。

  不定形型モンスターには、繁殖時に様々なヤドリギに寄生してその個体を乗っ取っていくモンスターも含まれます。

  まず取り上げられるのは、東宝映画のホラー的な映画として特撮を駆使して造られた「マタンゴ」と言う作品です。「マタンゴ」とはキノコの名称なのですが、このキノコが非常に厄介なモンスターなのです。このキノコを食べると人格が変化し、やたらと人好きで社交的な人格となります。それだけではなく、その人格を利用して他の人間にもマタンゴを食べるように勧めて回るようになるのです。さらに恐ろしいのは、人格変化の実ではなく、徐々に人としての意識は消えてゆき、最後には移動可能なマタンゴへと変身してしまうのです。

  映画は、この「マタンゴ」が生息する無人島に漂流した7人の物語です。そこにうずめく人の本姓がマタンゴを仲介モンスターとして恐ろしい人間関係を出現させていく物語です。

  著者は、マタンゴというキノコが形態生物学から見た場合にどのように分析できるのかを語っていきます。

  生きとし生けるものは、すべて繁殖することで種の継続と繁栄をめざします。普通のキノコは胞子を飛ばすことで種を増やしますが、マタンゴはもっと能動的な繁殖形態を持っています。食べるとマタンゴに変身してしまう。その寄生的な繁殖はどのようなプロセスをたどって成就されるのか。

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(映画「マタンゴ」スティール ciamovienews.com)

  その一部を紹介すると、「・・・マタンゴ人間の体は動物性の細胞からなる組織ではなく、そのほとんどがキノコを作る菌糸の束に置き換わっていて、そのうちあるものは神経的な機能に二分化し、またあるものは筋線維のように伸縮する機能を得、またあるものは硬化して骨格のような機能を果たすようになってしまっている・・・」のではないかと記載されています。

  さらに氏は次の項で、マタンゴの菌糸が人間の精神構造までもコピーできるのか、人間の解剖生理学的機能まで再構築できるのか、までを考察していくのです。

  そして、その分析は宇宙からパラサイトとして降臨する「寄生獣」へと続いていきます。

  人のモンスターやSFを創造する力は止まるところを知りません。この本は、科学者から見れば非現実と言われる空想のワンダーについて書かれています。そこには、汲めども尽きぬワンダーが脈々と流れています。ぜひ、続編を期待したいものです。


  お盆も終わり、いよいよ「with コロナ」の日常が戻ってきます。皆さん、手洗い、マスク、消毒、脱3密を徹底し、感染することも、人に移すことも防ぐよう、油断なく毎日を送りましょう。熱中症も防ぎつつ、明るさを忘れず毎日を過ごしたいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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