こんばんは。
今年の冬季オリンピックは、東京オリンピックに引き続いてコロナ禍の中での開催となりました。
中国は一党支配の国であり、共産党の威信にかけてこのオリンピックを成功させようと万全の体制を敷いてきました。そのバブル政策は徹底していて、選手はもちろん取材陣もその滞在力は一歩も外に出られない隔離を行っています。その徹底ぶりはすさまじく、民主国家ではとてもマネできない強制的な仕組みです。
そのおかげもあり、一部のスタッフに入国後の検査で陽性者も出ましたが、それぞれの会場は安全が保たれ、出場選手たちは思う存分実力を発揮できたのではないでしょうか。
その政治的思惑はともかく、北京オリンピックもこれまでのオリンピック以上に我々の心に熱い感動を生んでくれました。
【心に刻まれた日本選手たち】
フィギアスケートでは、初の団体銅メダルという快挙もありましたが、なんといっても注目は、男子フィギアの面々です。
今回のオリンピックで、日本は過去最多のメダルを獲得しました。そのうち4つのメダルはフィギアスケートで獲得。日本選手の層の厚さが際立ちました。男子フィギア陣は2つのメダルに輝きました。銀メダルに輝いた新星、鍵山優真選手と銅メダルを獲得した宇野昌磨選手です。メダル獲得のカギを握ったのはやはり4回転ジャンプでした。もちろん、前提としては芸術点につながる全身を使った大きな演技やステップ、そしてスピンなどのしなやかさや正確性が求められるわけですが、最後にポイントとなったのはやはり4回転ジャンプでした。
宇野昌磨千選手は前回大会に銀メダルを取得し、その後一時期、完璧なジャンプが飛べない時期もありました。しかし、自らの迷いを振り切り、前回大会のリベンジに燃えるアメリカのネイサン・チェン選手の演技や元オリンピアンの父親がコーチのつく鍵山選手の躍進を肌で感じながら、自らの技に磨きをかけ、納得のいく演技を目指しました。そして、新たなコーチ、ステファン・アンビエールしとの出会いが自らを覚醒させたと語って言います。
そのフリーのプログラムは、4回転ジャンプが5本入るという超高難度。まさに自ら高い目標を掲げて果敢に挑戦する姿勢に感動します。
そして、今回新たにオリンピックに登場した18歳の鍵山優真選手。そのジャンプは高さも回転スピードも美しく、その技のすばらしさは特別です。
そんな鍵山選手にも大きな課題がありました。
それは、演技を魅せる力の不足です。オリンピアンの解説者たちは、大きく伸びやかな演技、世界観を表わす表現、華麗なステップなど、様々な表現で語りますが、オリンピアンは確かにその演技に表現すべき世界観を持っています。フリーの演技に独自の世界が必要と考えた鍵山親子は、浅田真央選手の振り付けも担当したロシアの振付師、ローリー・ニコルさんに振り付けを依頼します。その振り付けは、「アバター」でした。そう、ジェイムス・キャメロン監督の傑作SF映画の世界観を表現した振り付けです。
NHKBSの「スポーツ&ヒューマン」の中に鍵山優真選手親子に密着したドキュメンラリーがありました。その題名は「殻をやぶるなら、いま フィギアスケート 鍵山優真」。厳しい練習、厳しいアリンピアンスケーターだった父の指導。そして、覚醒。この番組の中で、はじめは鍵山の演技に細かすぎるほどの注文を付け続け、限りないダメ出しを続けるローリー・ニコルさんが、覚醒しつつある景山選手の演技の変化を、リモートの画面で観ながら、「まるでリンクの横で見ているような素晴らしい演技をみせてくれた。」と感動したのです。
そして、初出場のオリンピックでみごと齗メダルに輝いたのです。
さらに、メダルには届きませんでしたが、メダルとは別の感動を我々に届けてくれたのが、フィギアスケートの象徴ともいえる羽生弓弦選手でした。
羽生選手がはじめてオリンピックで金メダルに輝いたのは2014年のソチオリンピック。このとき19歳だった羽生選手は、アジア男子初の金メダル、そして、史上二人目の十代での金メダリストとなったのです。そして、2018年のピョンチャンオリンピックでは、右足にけがをかかえながらも完ぺきな4回転ジャンプと演技を見せてオリンピック連覇を成し遂げました。
北京オリンピックでは3連覇かと期待が高まる中、彼が挑んだのは新たなる挑戦への道でした。
それは、フィギアスケート界で前人未到の4回転アクセルへの挑戦です。
オリンピックといえば、すべてのアスリートたちが目標とするのは金メダルです。それ故に大会ではどの国がどれだけのメダルを獲得したかが話題となります。しかし、羽生選手は違いました。それは、9歳のころから自らの夢であった「アクセルジャンプを極める」ことの実現だったのです。その挑戦がどれほど険しいものだったのか。それは、オリンピック演技後の羽生選手のコメントからもうかがい知ることができます。
4回転アクセルは、前を向いた状態からジャンプに踏み切るために回転数は実際には4回転半となります。キチンと着氷し、演技を連続させるためにはこれまでよりも半回転多く飛ぶ必要があるのです。そして、この挑戦は5回転にもつながる挑戦ともいえるのです。それゆえに女子フィギア界でも3回転アクセル(トリプルアクセル)が選手の代名詞となる大技と呼ばれるのです。
羽生選手は、9歳のころに手ほどきを受けていた都築さんが語っていた「アクセルジャンプは王者のジャンプだ」との言葉を胸に、競技を続けてきました。そして、会見では、「僕の中にいる9歳の自分が4回転アクセルと飛べとずっと言っている。」とも語っています。しかし、前人未到の4回転半は、羽生選手をしてもはるかに高みの目標だったのです。
様々なインタビューでも、「練習でもまるで壁に向かって飛んでいるようなもの。」、「まぜこんなに苦しい思いをするのか、初めてスケートをやめたいとまで思った。」、「やっと壁にほんの少しのとっかかりを見つけつあります。」など体を酷使し、血のにじむような努力を続けていたことをうかがい知ることができます。そして、北京オリンピック後のインタビューでは、「努力が報われないことがあると思った。」とまで語っています。
今回、ショートプログラムでは氷についた傷穴にエッジがはまり、最初の4回転が1回転になってしまいショートプログラムは8位。さらにフリーの練習で足をくじき、痛み止めの注射で感覚を麻痺させてフリーに臨んだと言います。それでも羽生選手は、フリーの演技で4回転アクセルを飛びました。そのジャンプは着氷できず、転倒という結果となりましたが、その後の演技を完璧にやり遂げ、4位となりました。最後まで滑り切ったその姿に、羽生選手の覚悟と生き方を見ることができました。そして、心から感動しました。
その4回転アクセルは、国際スケート連盟主催の大会ではじめて「4回転アクセル」として認定され、歴史のその名を刻みました。
世界から注目を集めた羽生選手は、その後の合同記者会見で、「みんな生活の中で何かしら挑戦していると思います。それが生きることだと思いますし、守ることだって挑戦です。何一つ朝鮮じゃないことは存在していないと思うから、」と語りました。いったい世界中のどれだけの人々がこの言葉に勇気づけられたことでしょうか。まさに生きる力を思い出させてくれる一言でした。
今回のオリンピックでは、目標に届かなかった人たちの姿にも心を動かされました。
スノーボードでは、アメリカのレジェンド、ジョーン・ホワイト選手が引退を表明した最後のオリンピックになりました。これまで2大会、彼の姿を追いかけて2度金メダルを阻まれて連続齗メダルとなっていた平野歩選手が、人類最強の技を携えてハーフパープに挑戦し、みごとな金メダルに輝きました。2回目の演技で前人未到の技を成功させたにもかかわらず、2位の得点であった歩選手が、「怒り」を力に変えて3回目の演技で最高得点をたたき出した姿は涙ものでした。
さらに感動したのは、この決勝の部舞台に日本人選手が4人もいたことです。歩夢選手の弟の海祝選手、戸塚優斗選手、平野流佳選手。すべての選手が果敢におおきなトリックに挑戦しました。これまで、ショーン選手と平野歩選手の間で行われていた切磋琢磨が日本人の中で行われるのかと思うと、より大きな感動が呼び起こされます。
スノ-ボードと言えば、スノーホード女子ビッグエアでは村瀬心椛選手が最年少で銅メダルに輝きました。もちろん、1回目、2回目と素晴らしいトリックを成功させた姿に心を動かされましたが、同じく決勝に残った岩淵麗楽選手、そして鬼塚雅選手の演技には感動しました。岩淵選手は、村瀬選手と同じく1回目、2回目で得点を確保するトリックを手堅く決めましたが、3回目に繰り出したのは、大技「トリプルアンダーフリップ(後方3回宙返り)でした。技はおしくも着地に失敗しましたが、演技を終えた岩淵選手の下に各国の選手が駆け寄って、大技に挑戦した岩淵選手を抱き合い、たたえる姿には本当に心を動かされました。
そして、鬼塚雅選手です。彼女は19歳の時にピョンチャン大会の日本代表に選抜され、はじめてのオリンピックでは思うような成果は上げられませんでした。そのくやしさをバネにすべてを費やして練習を重ね、2020年のXゲームでは「キャブダブルコーク1260」(縦2回転横3回転半)を決めて優勝していました。前回のリベンジを期した鬼塚選手は、守りに入ることなく、1回目から果敢にこの技に挑戦してきました。
しかし、北京のビッグエア着地点は角度が急激で着地点を見極められずに転倒し、斜面に頭から突っ込みました。ふつう、頭からの転倒を味わうと怖さが出てしましますが、彼女は、第2回、第3階と果敢にこの技に挑戦したのです。その姿は、順位や結果を超えて我々に大きな感動を感じさせてくれました。
【リベンジを目指したオリンピアン】
今年の日本代表には、前回から引き続いて出場した選手たちが多くいました。
コロナ禍の中、この北京オリンピックをめざして費やしてきた4年と言う歳月。それを背負った彼らの闘いは、我々に勇気と希望を与えてくれました。
スキージャンプでは、ピョンチャンオリンピックで7位だった小林陵侑選手が、この4年間で培ってきた技術力と体力をみごとに表現し、ノーマルヒルで金メダル、ラージヒルでの銀メダルの2冠に輝きました。
女子では、前回銅メダルを獲得した日本のエース高梨沙羅選手が北京に臨みます。
高梨選手は、ピョンチャンオリンピックでこれまで作り上げてきた自分のスキージャンプではこれ以上の飛躍にはつながらない、と冷静に判断し、オリンピック終了後に自らのジャンプをゼロベースで見直す取り組みに着手しました。にもかかわらず、ワールドカップではしっかりと優勝回数を更新し、昨年は通算優勝60勝の記録を打ち立てました。しかし、今回のオリンピックでは高梨選手を不運が襲います。
女子スキージャンプの第2回目では、3位の選手にわずか0.3ポイント差で4位となりメダルを逃しました。3位の選手の飛距離は94m、高梨選手の飛距離は100mでしたが、高梨選手の時にはわずかに向かい風なっており、風補正と飛型点の得点差によって4位となってしまったのです。さらに団体戦。高梨選手は103mの大ジャンプを決めて首位になりましたが、スーツ規定にひっかかり失格となってしまったのです。今までの努力を知る我々にはなんとも納得のいかない判定でした。
審判やジャッジは絶対、ルールは守ることがフェアなプレーの基本ですが、そこには透明性が必要と考えるのは私だけでしょうか。
しかし、高梨選手はその時こそ『涙にくれていましたが、オリンピック後に気持ちを切り替えて、次のワールドカップへと転戦しています。その姿に我々も再び心を動かされます。
スピ-ドスケートでは、前回大会でも活躍した高木美帆選手の4つのメダル獲得には胸が躍りました。中でも、世界記録保持者でもある1500mが齗メダルで悔しい思いをした後の1000m。オリンピック記録をたたき出す会心のレースでみごと金メダルを勝ち取った姿は、やりきった明るい表情が素晴らしく、心が晴れやかになりました。
ここでもメダルの画下に不運が潜んでいました。高木美帆選手の姉で3大会出場を果たした高木菜那選手を襲った出来事です。前回大会、高木兄弟と佐藤綾乃選手は女子スピードスケート団体パシュートでみごと世界新記録をたたき出し、金メダルを獲得しています。また、高木菜那選手はマススタートで金メダルを獲得し、2種目を制覇しました。
ところが、今年のパシュートでは、決勝でカナダと対戦、最終コーナー残り100mまで日本はトップを走っている、まさに2連覇が目の前でした。ところが、最終のカーブをまわるときに最後を走る高木菜那選手のエッジが氷面からはずれ、痛恨の転倒となってしまったのです。菜那選手にとってはまさに悲しみの齗メダルでした。しかし、涙にくれる七選手に無言で寄り添い方を抱き合っていた高木美帆選手と佐藤綾乃選手。そして、その3人を囲むように静かに見守るチーム日本の面々。そこにこれまで築き上げてきた努力を共有してきた人々の温かい想いを感じて、胸が熱くなりました。
驚くことに高木菜那選手は、その後の2連覇がかかるマススタートの予選でも、パシュートと同じカーブにさしかかったとき同じように転倒し、予選敗退となりました。しかし、高木菜那選手は、今回の大会で今まで気づかなかった大切なものに気づかされたと語りました。それこそが、支えてきてくれたチームの人々の心の絆だったのです。
さて、北京オリンピックの感動を語りだすとキリがありませんが、最後に前回大会に続き日本代表として出場し、涙と笑顔と元気で見事に銀メダルを獲得した女子カーリングの「ロコ・ソラーレ」が今回の大会の有終の美を飾ってくれました。ロコ・ソラーレは、本大会、予選で9チームと総当たりの試合で5勝4敗。予選敗退と思ったところが、予選最終戦で韓国がスウェーデンに敗退、奇跡のように決勝にコマを進めました。決勝でのスイスとの闘いは、まさに氷を読み切りすべてのショットがはまった会心の試合でした。
今回のオリンピックで、最も長時間観戦したのがカーリングでした。すべての試合で興奮と感動を呼ぶ素晴らしい時間を過ごすことができ、ロコ・ソラーレの皆さんに感謝しています。
オリンピックには参加した選手の数だけドラマが秘められています。
それでは皆さんお元気で、またお会いします。
〓今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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