人生は感動であふれているよ

こんばんは。

  コロナウィルスのオミクロン株の猛威は、一時、日本の新規感染者の数を世界一にまで広げました。それまで日本はコロナ禍の優等生でしたので、免疫保有者の数が世界の中でも少なかったのだと思います。そこに、経済回復のための規制緩和が重なり、感染者が爆発的に増加しました。これまでの中で、7波が最も強烈です。

  オミクロン株は従来よりも重症化率が低く、感染力は高いとされていますが、大都市を中心とした新規感染者の増加には驚かされます。実際第6波までは身近に感染者はいませんでしたが、ここ3カ月ほどは職場でも前後左右の職員、また離れて暮らしている息子も感染するなど、身近な問題となりつつあります。幸いなことに仕事はテレワーク、息子は会社の独身寮にいて、接触を免れています。8月には4回目の接種を終え、少し安心しています。

  これだけの広がりを見せているコロナですが、世界ではすでに規制を取り払い、各自が感染予防を行いながら日常生活を行う状況に至っています。

 モデルナやファイザーは、オミクロン株専用のワクチンを開発するなど、シフトしつつありますが、日本の緩和措置は慎重です。日本の観光資源は世界のトップクラスであり、歴史、文化、グルメのどれをとっても世界中のあこがれとなっているようです。日本への渡航は、現在、ビザが必要、観光目的では個人は認められておらず、ツアーによる団体客のみを受け入れています。

  今や日本国内が世界の中でも最も感染者数が多くなりました。そうした意味では、受け入れに当たっては、これまで以上に公共交通機関や各宿泊施設、飲食店や商業施設、文化施設での、防疫体制、消毒体制をしっかりと日常化することで新規感染を防いでいくことこそ肝要なのではないでしょうか。

  我々がやるべきことは、具合が悪い時には外出しないこと。そして、消毒、手洗い、人ごみでのマスクを欠かさないことが、感染拡大を防ぐために必須であると思っています。

  コロナ禍の一方、独裁者プーチン大統領によるウクライナ侵略戦争ですが、その不毛な殺戮は7カ月を迎えようとしています。ロシアは、アメリカと対立している国々と連携することで、この侵略戦争への非難を少しでも弱めようとしていますが、主権国家に対して一方的に侵略を行い市民を殺戮する行為は絶対に許されることではありません。

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(ロシアのミサイル攻撃を受けた火力発電所 asahi.com)

  どれだけ時間がかかろうとも、我々はその絶対悪を許してはなりません。世界大戦を二度と引き起こしてはなりませんが、ロシア国民が戦役に疲弊し、経済的にも疲弊し、自らの首領が間違ったことをしていると認めるまで、我々は「否」を唱え続けなければなりません。人としての正義は貫かれなければなりません。

  そんな中ではありますが、今回のブログでは最近心を動かされたTV番組について綴りたいと思います。

【音楽と写真家を巡るドキュメンタリー】

  皆さんは、NHKBSプレミアムで午前9:00から毎日「BSプレニアムカフェ」と題してリクエストのあった過去のドキュメンタリー作品を放送していることをご存知でしょうか。

  この時間は仕事中ですので、もちろんリアルでは見ることができないのですが、あまりに面白いプログラムが多いので、ビデオ予約をしています。最近では、「写真家を見る」や「絵画ミステリー」、「作家を巡る謎」など、テーマを決めて何本かのドキュメンタリー作品を続けて放送しています。

  この中で、心を動かされた二つの番組を紹介します。

  まず、写真家特集の2つ目の作品「カメラで音楽を撃て 写真家・木之下晃」には引き込まれました。

  この作品は2007年に制作された番組ですが、2015年に亡くなられた写真家、木之下晃さんの貴重な記録です。木之下さんはクラシック音楽の演奏家を撮影し続けて数々の賞を受賞し、数々の音楽家からも演奏家の音楽が湧き出る瞬間をとらえた作品が絶賛されています。その写真家としての活動を捉えた素晴らしいドキュメンタリーなのです。

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(木之下晃写「マリア・カラス」 fujifilm.com)

  作品には、名だたる演奏家が名を連ねます。カラヤン、バーンスタイン、マゼール、メータ、その白黒の画面からは、躍動し、そこから音楽が聞こえてくるような演奏家たちの姿が湧きあがってきます。この番組に出演していたのは、今は亡きロリン・マゼール氏、レジェンド小澤征爾氏、リッカルド・ムーティ氏など、木之下さんの写真に心を動かされた人々です。

  そして、番組は、デビューのころから撮影を続けている指揮者佐渡裕氏の撮影現場に密着します。

  佐渡裕氏は、小澤征爾氏やレナード・バーンスタイン氏の師事し、バースタインのアシスタントとしてウィーンで活動、1989年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、プロデビューします。番組は、佐渡さんの「一万人の第九」公演のリハーサル、そしてコンサートを指揮する佐渡さんの撮影のため密着する木之下さんを映し出します。

  なぜ、木之下さんは佐渡さんに密着できるのか。

  佐渡さんは、木之下さんとの忘れられない1枚を紹介してくれます。それは、コンクールで優勝し、プロデビュー間もない佐渡さんが演奏指揮を終えた瞬間をとらえた写真です。白黒の画面には、指揮台に立ち指揮棒を大きく振り上げた若き佐渡さんが写っています。まるでスポットライトが当たったように白く浮かび上がる佐渡さんの姿。そこからは演奏が終わった瞬間の緊迫感と開放感がみごとに写りこんでいて、思わず見入ってしまいます。

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(木之下さんと佐渡さんの対談 fukushi-sinnsyo.com)

  佐渡さんは、この写真をみたときから木之下さんの芸術に魅了され、それ以来音楽仲間と言ってもよいほどの親近感を感じていると言います。そして、木之下さんの写真からは音楽が聞こえてくると語るのです。

  佐渡さんは、今年新日本ファイルハーモニー楽団のミュージックアドバイザーに就任し、来年は音楽監督に就任予定ですが、5月に、新日本ファイルを指揮したベートーヴェンの交響曲第7番はその重厚さと歯切れのよいテンポで会場中を魅了しました。その佐渡さんの音を捉えた写真。素晴らしい、の一言です。

  皆さんも機会があればぜひ一度、この貴重な記録をご覧ください。その人生に魅了されます。

【絵画を巡るミステリー】

  さて、「音楽と写真」の次は、「絵画ミステリー シリーズ」です。

  このシリーズでは3回に渡り、絵画にまつわるドキュメンタリー作品が放送されました。まず、2010年に制作された「贋作の迷宮~闇にひそむ名画」。そして、2017年の「4人のモナリザ“謎の微笑”モデルの真実」、最後に2004年の「スリーパー・眠れる名画を探せ」です。どの作品も絵画好きにはたまらない作品ですが、その中でも「4人のモナリザ」はミステリー・ドキュメンタリーとしては傑作でした。

  そもそもの発端は、現代技術を駆使して行われた「モナリザ」の絵画分析です。

  その仕掛けは、24千万画素という途方もない精密さを持つ「マルチスペクトルカメラ」による画像分析です。絵具の色にはそれぞれ異なる波長があり、このカメラで撮影すると、表面に見えている絵具だけではなく、その下にかくれている絵具や下書きまでをみつけることができる、というものです。

  最近のフェルメール研究などでは、X船調査などにより、現在我々に見えていない絵が裏に隠されていることが判明しています。その代表的な例が、傑作「窓辺で手紙を読む女」の背景に広がる白い壁の裏に隠された大きなキューピットの絵画です。キューピットの絵は、完成時にフェルメールが塗りつぶしたものと考えられていましたが、日に第三者に上塗りされたものと判明し、修復作業によって、キューピットの絵画が復活したのです。

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(修復されたフェルメ-ル作品 daily.co.jp)

  今回の解析は、より高度な高額スペクトルによる解析となります。この解析を行ったのは、フランスの絵画分析士であるパスカル・コット氏です。氏の分析によると、レオナルドの描いた「モナリザ」には、4人のモナリザが描かれており、その4人は最初の絵から次々に上塗りされていったと考えられる、というのです。

  なんと、ワンダーな。

  番組は、この4人のモナリザはいったい誰なのかを求め、フィレンツェ、ローマ、そしてパリを巡る旅に出るのです。

  まず、一人目のモナリザ。この絵の痕跡は一部しか残っておらず、レオナルドがデッサンとして描いたものだと言います。その女性像は今のモナリザよりも少し高い位置に顔が描かれており、さらにその手の指は4本しか描かれていません。つまり、レオナルドは女性をデッサンしている途中で描くのをやめてしまったと推定されます。

  そして、二人目のモナリザです。二人目の女性像の頭部には装飾が描かれた痕跡が見られました。その痕跡の正体を求めて、番組はフィレンツェの装飾文化に詳しい学芸員を尋ねます。絵画の歴史は、そこに描かれている人物の服飾品をみれば年代や描かれている人物を特定することができると言います。2人目の頭部に描かれている装飾をみせたところ、ルネッサンス期に描かれた髪飾りと同じものであることが判明します。

  その髪飾り、実は聖母の実に描かれる髪飾りなのです。つまり、2人目の女性像は聖母像であったことが分かります。レオナルドは、1人目の女性のデッサンを消して、そのうえに聖母マリア像を描こうとしていたのです。

  さらに、番組は3人目のモナリザを追いかけます。

  3人目のモナリザは、今のモナリザとは異なりやや左を向いており、服装も現在と異なっています。この3人目のモナリザこそ、当時の美術研究者ジョルジュ・ヴァザーが「ダ・ビンチは除根だの依頼でリザの肖像を描いた。」と書き残した「リザ」だったのです。この絵に描かれたフィレンツェ風の服装は、1500年~1505年に着られていた服で、そのころ、レオナルドはパトロンを失い、フィレンツェの父の下で居候をしていたのです。そして、この絵を依頼した豪商ジョコンドはレオナルドの父親の向かいに住んでいた父の親しい知り合いだったのです。さらに、最近、1503年にレオナルドがリザの肖像画を描いている、との知人の目もが見つかっており、この「モナリザ」が描かれていたことは間違いないようです。しかし、この絵は依頼者に引き渡されることはなかったのです。

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(撮影された4人のモナリザ cardian.exblog.jp)

  その絵は、どのようにして現在の「モナリザ」となったのか。最後の謎は、ローマに隠されていました。その鍵となるのは当時、ローマの超有力者であったジュリアーノ・デ・メディチ公です。彼は、レオナルドのパトロンであり、彼に一枚の肖像画を依頼しました。

  ジュリアーノにはそれはたくさんの恋人がいましたが、彼の子供を生んだ女性はただ一人でした。そして、其母親はその子供を産み落とした時に亡くなってしまったのです。その子供イーポリットは教会経由でジュリアーノの養子となりました。その母の名前はパチフィカ。ジュリアーノはイーポリットのために亡き母の肖像を描くようレオナルドに依頼したというのです。

  それゆえ、モナリザはすべての人の母親のように永遠の微笑みをうかべている。

  4人のモナリザの話は途方もないミステリーとその結末を我々に教えてくれたのです。


  さて、心を動かされる、と言う意味では先日行ったライブハウスでの演奏や、習っているテナーサックスの発表会に向けたレッスン、さらには大人買いしたジャズとクラシックのCDの話など、尽きない話もいろいろあるのですが、紙面が尽きました。続きはまたお話しします。

  今年はまだまだ残暑が続きそうですが、コロナと体調には気を付けて楽しく過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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