大人になってから──いや、ジジイになってから(笑)聴く80sの名曲とは何か。
そんな問いに、ふと浮かんでくるのがハワード・ジョーンズの
“No One Is To Blame(悲しき願い)”
70年代10代の頃はハードロック一辺倒だったのに、
70年代末からUKニュー・ウェイヴ、パンク、レゲエ……と指向がだいぶ軌道修正。
YMOの活躍もあって、テクノPOP系にもすっかりハマっていた。
そして、当時の“勤務場所の環境”も、私の音楽遍歴に大きく作用していた──
その理由は最後に。2013年のリブログを貼っておきます。
“悲しき願い” は1985年のアルバム
『Dream Into Action(ドリーム・イントゥ・アクション)』
貼っている動画は2011年リマスター版。

若い頃は「明るいシンセの陽性ポップ」として軽く聴いていたかもしれない。
しかし改めて聴くと、明るさの底にほんのり寂しさが漂う、絶妙なメロディ。
■ 皆さんは、ハワード・ジョーンズをどんな時期に知りましたか?
私がこの曲と出会った頃。
念願の映画会社に入れた、と思ったのも束の間、
配属はまさかの飲食部門。新宿勤務になり、
労務管理と金銭管理。月売上は億単位。
しかし実態は、今でいうところの“超ブラック”。
月2回だけの休み。一方、同期は映画部門で
「80年代、有休完全消化」が慣例化しており、月10日休み。
その不公平さに唖然とした。
私は縁故ゼロで入社した身。
新人は誰も望まない“かませ犬部署”だと、その時ようやく悟る。
そのうっぷんを晴らすように、夜は新宿で夜遊び──
ディスコ、クラブに足繁く通っう。
そこで初めて知ったのが 12インチ・バージョン の世界。
ダンス向きのシンセPOP、テクノの魅力。
その頃の旬が、まさにハワード・ジョーンズ。
1st『Human’s Lib(かくれんぼ)』(1984)は日本でも大ヒット。
当時の“街の空気”とハワードの音楽は、相性が良かった。
■ 音楽の魅力──明るさの奥にある「憂い」
軽快なシンセのリフ。
ハワード・ジョーンズの声が持つ“前へ進むための優しさ”。
それでいて、どこか物寂しい憂いも共存している。
1stアルバム邦題が「かくれんぼ」なのも絶妙だったが、
この “No One Is To Blame(悲しき願い)” の邦題もまた、
胸の奥に静かに沈む“悲しき”ニュアンスがある。
80s特有のプログラミングされたサウンドなのに、
あたたかさが残っている。
ポップでキャッチーなのに、誠実さがある。
少年のような表情と、大人の切なさが同居している。
実はこの曲──
プロデューサーは当時UKでのもっとも旬のフィル・コリンズ。
この後の全米ヒットにつながった。
“軽やかなポップ”として聴いていた曲が、
いまの年齢で聴くと“不思議な優しさ”に変わっている。
80年代のシンセPOPは、年月を経ても味方してくれる。
この歳でも、すっと耳に入ってくる。
■ リブログ(当時の職場の話はこちら)
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