2025年12月一覧

少年はいつ、サンタクロースを信じなくなったのか ― Greg Lakeの曲を聴きながら

少年はいつ、サンタクロースを信じなくなったのか

昨日、たまたま知り合った同世代の人と、クリスマスの話をした。
不妊治療をあきらめず、いまは小学生の子どもが二人いるという。

うちはもう、二十代の終わりと二十代半ば。
そんな年齢の子どもがいる身だから、一瞬、時間の感覚がずれた。

 

「長く治療しました。何十年も」その言葉が、静かに胸に残った。

私は「クリスマスは?」

「サンタさんは、まだ来ると信じているらしいんです」

場の空気がふっと和らいだ。

私も、自分がクリスマスプレゼントを探し回ったドジな話をして、笑った。
なんだか、その時間が少しだけ、あたたかかった。

 

この人、幸せなんだ。そして、そう思えた自分も、幸せなのかも。
いま、人の幸せをそのまま受け取れるのは、ありがたい……

 

自分がクリスマスプレゼントをもらった、遠い記憶もよみがえった。
今年亡くなった父が、買ってくれた野球のグローブ。
嬉しかったことを思い出す。

 

それでも――
少年は、いつサンタクロースを信じなくなったのか。

はっきりした瞬間を、私は思い出せない。

 

今日会った彼の子どもたちは、まだ信じているという。
クリスマスの夜、プレゼントは「サンタが持ってくる」。


グレッグ・レイクの75年のヒット曲、

「I Believe In Father Christmas:夢見るクリスマス」は、
多くのクリスマスソングとは、少し違う場所に立っている。

もっと、シビアだ。

 

 

この曲には、もう素直には信じられなくなった大人の視線。
それでもなお、何かを信じたいという、かすかな願い。

 

今日の会話を思い返しながら、
私はふと、その子どもたちの顔を想像した。できるだけ長く続けばいいと。

 

久しぶりに、この曲が聴きながら、その記憶・思い出が大切に思えることが、
きっとあると。

 

 

グレッグは歌う。 “The Christmas you get you deserve” 

「あなたにふさわしいクリスマスが、訪れますように」

 

この言葉を、昨日出会った彼とその子供たちに贈りたい。 

このブログを読んでくださっているあなたにも!!

 

 

 

 


 

 

 

※この記事は、ブログ15年目を前に行っている
〈再編集2026〉勝手なプロジェクトの一編です。

全体の所信表明はこちら▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【再編集2026】少年時代ロック前① サイモンとガーファンクル ……その後

※この記事は、ブログ15年目を前に行っている
〈再編集2026〉勝手なプロジェクトの一編です。
全体の所信表明はこちら ▶【再編集2026】来年15年目で思うこと・したいこと「じぶんROCK」

 

【1970年小4 10歳、サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」を聴いてい音楽に目覚める。綺麗なメロディーが好きだったと思う】2011年06月25日の記事

 

サイモンとガーファンクル —— その後

1970年。小学校4年、10歳。
サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」を聴いて、
音楽に目覚めた——らしい。これは、ブログを始めて1か月目、
「自分の洋楽の始まりは何だったんだろう」と思い出して書いた記事。
文、短い(笑)

 

当時、叔父さんが洋楽好きで、オーディオも当時としては立派なコンポーネントを揃えていた。
一体型ではない、分かる人には分かるやつ。

そこで聴いたのが、
サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」そして、ビートルズの「レット・イット・ビー」

どちらも、今さら説明のいらない超名曲だが、10歳でこの2曲を聴けたのは、やはり大きかったと思う。

当時の自分は、ロックがどうとか、メッセージがどうとか、
そんなことは何も分かっていなかった。
ただ、綺麗なメロディが好きだった。それだけだった気がする。

でも、不思議なもので、
今もその時の感動の延長線上で、音楽を聴き続けている気がする。

 

この叔父さんは、1970年の大阪万博にも連れていってくれた。

音楽だけでなく、マカロニ・ウエスタン映画やディズニー映画、
1970年公開の『トラ・トラ・トラ!』なども、映画館で観せてくれた。

のちに映画が仕事になるのだから、三つ子の魂百まで、とは本当!

 

明日に架ける橋 - サイモン&ガーファンクル

 

——もっとも、
2011年当時の自分は、YouTubeの上げ方をようやく理解した頃で、
「ネットをちゃんと勉強しておけばよかったな」と少し悔やんでいた時期でもある。

 

2000年代40代になった頃、会社から「ネットプロモーションをやれ」と命じられた。

当時は、ちょびっと偉そうな課長で、気に入らないことがあると役員に食ってかかり、

直属の上司から「頼むから役員から言われた事はまずイエスと言って」

社長からは会議室に1対1で呼ばれ「君たちがいなければ、うちは利益でるから」

と実話です。いまだに君たちでなく、「君がいなければ」問いたかったのか?と思う(笑)
でも、会議では好きな映画について1時間演説したり、誰も止められない、慢心自己中マイペース社員(笑)

だって仕事量は膨大で、誰もが尻込みしていた、新ジャンルの仕事。

本当に寝なかった。ひどい時は、枕がノートパソコンだった。

 

優秀なコピーライター兼編集長やディレクターがいて、
自分はクライアントの意向を偉そうに指示し、イベントを探し創りプランを出し、完成形にだけこだわった。

でも、正直に言えば、ネット中身はあまり勉強しなかった。

ネットが普及する前、会社のホームページ制作に2000万円オーダーした同期が、
全社員を敵に回した、なんて話もあった。当時はそれくらい、言い値の世界だった。

それもほんの一瞬。すぐに30万円でデザインを請け負う個人が現れ、
そこでようやく「サーバーが重要なんだ」と知る始末。
社員みな、似たようなものだった。

 

今は、ネットもスマホも生活に溶け込んで、人間が進化した気になっている。
でも、やっていることの量は、昔とそう変わらない。
これって、退化じゃないか、とも思う(笑)

14年前のブログを刷新しながら、こんなことを思い出している。

シニカルさは、60代になっても残っているようで、
それがちょっと嬉しい。
これがないと、どうも元気が出ない。

……つくづく、
自分はイエスマンじゃない(笑)

 

 

このシリーズの原点となる勝手な所信表明は、
こちらにまとめています。

▶ 【再編集2026】来年15年目で思うこと・したいこと「じぶんROCK」(2025年12月16日付け)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【再編集2026】来年15年目で思うこと・したいこと「じぶんROCK」

【再編集2026】来年15年目で思うこと・したいこと
― ブログを書き続けて、15年目に思うこと ―

このブログを書き始めて、もうすぐ15年になる。
振り返れば、ずいぶん長い時。

得意技は三日坊主が。
それが15年も続いたのだから、驚異・ミラクル(笑)

音楽、ロックやPOPについて書いてきたが、
反原発やマスコミへの私見が根底のエネルギー。
統一感があるかと言われれば、ねえ!か?

一つ言えるのは、
書くことをやめなかったという事だけ。

ここで言う「ロック」や「POP」は、
自分と並走してきた音楽。
それに対する敬意のようなものとして、
言葉としてたと思っている。


なぜ、いま「再編集」なのか

記事数は約4000本。一度整理しようとしたこともあったが、
テーマ数の制限などもあり、ミュージシャン別の整理は早々に諦めた。

量としては、多すぎるのかもしれない。

時間が経つにつれて、自分でも忘れてしまった文章が増え、
埋もれてしまった記事も多い。

書いた当時の熱量は確かにある。
だが、今の自分と同じ場所に立っているかと言われると、
判らない。

だから2026年を前に、このブログを 「再編集」 し、
見やすく整えることにしました。

変えないもの
音楽と共に生きる姿勢
自分の体験から書くこと
信頼している人の話
アメブロで交流のある方々の言葉を大切にすること

嘘のない言葉だけは残したい。
もっとも、勘違いがないとは言えないので、
そのときは やさしく指摘していただけると助かります。
何分、気が小さいもので(笑)

このブログの背景にあるものは、
映画・プロモが仕事として、人に楽しんでいただく事は考える、実行する
それが生きがいだった事、

そして死生観…それには、たぶん理由があるかも。

1981年の秋、
ロッククライミングで死を意識する出来事があった。
(ChatGPTにライティングの対話で書いてもらいました)

1981年秋 北岳バットレス中央稜 最終ピッチ・セカンドで多くの大岩をくらうが、なぜか当たらず、生かされたと……後に思うようになった

2015年、心筋梗塞で死線を見た。

▶ 生と死のバラード
リブログ

 




 




原点について

このブログの精神的な原点は、10年目に書いた、あの記事にある。

東日本大震災から10年。音楽と人生について、
自分なりの所信表明だったと思っているが、変わってねえ、ジジイ化かも(笑)

▶ 10年目の311(2021年)

https://ameblo.jp/wsuki2001/entry-12661738742.html

このブログの方向性は、2011年5月のスタートから、
実はあまり変わっていない。

これからについて
音楽や映画を人生の隣に置いて生きているなら、
このブログも、そういう場所であり続けたい。

おまけ

2013年にUPしていた動画。
たぶん、じぶん、ずーーーーーーーーーーーーと変わってない(笑)

ONE OK ROCK – じぶんROCK



※この文章は、ChatGPT(編集者)との対話を通じて整えています。
まあ、賢いようでも、そうじゃないようで。始めは てにはよ・誤字脱字の点検で使ってましたが1か月前から、この2週間で当方の事沿うような感じもありでしたが。

人が思うような全自動ではございません。ゼロイチは無理でしょう、特にアートに関しては。ブログ4000頁は根本的、外部URLアクセスできないとの致命的構造があります(たぶん軍事用はできると思う)
今回の再編集は「1頁ごとにやりましょう」だって、当方にくれてます、時間が無駄と思うから
膨大な手間がかかるから、できねえから、AI活用と思ったのに(笑)

気分は、宇宙船ディスカバリー号のハルから、ボーマン船長が宇宙空間から入船を拒否された気分、ハルの記憶装置を破壊いしたい気持ちが痛切に理解できる。判る人にはわかる話で(笑)





















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Gerry Rafferty – “The Right Moment”

ロックは、いつも大声で叫ぶとは限らない。
むしろ、本当に大事なことほど、低い声で、静かに語られる。

Gerry Rafferty の「The Right Moment」は、まさにそんな曲と。
アルバムは『Sleepwalking』(1982年)
派手さも過激さもない。
だが、それなりに生きてきた耳には、やけに刺さる。

Gerry Rafferty(ジェリー・ラファティ)と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは
「Baker Street」(1978年)だろう。
もちろん、あれは名曲だと思う。

だが一方で、Rafferty を“あの一曲の人”として語る声も目にする。
それで片づけてしまうのは、あまりにも惜しい。

Rafferty のメロディは、人生を淡々と見つめている。
成功も失敗も等距離で受け止め、
その感情を、過剰に盛らず、良質なメロディに落とし込む。
その冷静さが、どこかクールだ。

ただ、その姿勢は80年代の大ヒットには結びつかなかった。
だが、だからこそ残った音楽もある。



■ “正しい瞬間”は、向こうから来ない

「The Right Moment」を聴いていると、
よくある人生訓――
「焦らず待てば、いつかチャンスは来る」
そういう甘い言葉とは、明らかに違う匂いを感じる。

Rafferty は、
「待てばいい」などとは言っていない。

むしろ、こう問いかけてくる。

その瞬間を、迎えに行く準備ができているのか?

人生には、確かに“タイミング”がある。
だがそれは、偶然でも、神様の采配でもない。
自分は必然だと思っている。

自分が何を選び、何を捨ててきたか。
その積み重ねの先に、
ようやく「Right Moment」と呼べる瞬間が顔を出すのだと思う。

■ 音楽は、人生の答えをくれない

音楽は、人生の答えをくれない。
だが、嘘もつかない。

「The Right Moment」も同じだ。
慰めてくれるわけでもない。
ただ静かに、こう言う。

その瞬間を逃したのは、本当に“運”のせいか?

――耳が痛い。
だが、それがロック。

【このブログ、反原発で始まったブログです。時々、私見があります】

そもそもこのブログは、
ロックの曲を引用しながら、原発、マスコミ、施政に対する違和感や疑問を、
ぼやくように書いてきた場所だった。

最近は曲の思い出話が多くなり、少し反省(笑)

……という“言い訳もどき”を添えつつ、今日は久しぶりに、原点に立ち返り。

神戸(1995年)/東日本(2011年)/熊本(2016年)/能登(2024年)

それでも、現実は「正しい瞬間」を選ばない


先日、青森沖で地震が発生し、
史上初めて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が出された。

その最中に――
北海道で原発再稼働が可決された、というニュースが流れた。

これは事実だ。誤報でもない。

「異常は確認されていない」
「規制委の審査に合格している」
「地元の理解は得られた」

いつも聞き慣れた言葉が、
いつも通りに並ぶ。

だが、ロックを聴いてきた耳には、
その言葉のリズムの悪さが、
どうしても気になる。

■ “The Right Moment” は、誰のための時なのか

「The Right Moment」は、
“待てば誰かが何とかしてくれる”という歌ではない。

むしろ逆だ。

間違った瞬間に下された決断は、
あとから必ず請求書を持って戻ってくる。

そういう現実を、私たちは何度も見てきた。

原発も同じだ。

「今回は大丈夫だった」
「想定外だった」
「当時の判断は正しかった」

――いったい、何度聞けばいいのだろう。

■ このブログが生まれた場所に、立ち返る

このブログ
【騙されるな! ロックを聴いていれば全てお見通し】
が生まれた源泉には、
反原発という、個人的だが切実な違和感があった。

私は、27年間勤めた会社を
2011年3月11日に退職した。

その日の挨拶回りの途中、
帰宅困難者となった。

生涯忘れられない、あの日から数か月。
テレビで流れる原発事故報道を見て、青ざめた。

事故の大きさ以上に驚いたのは、
報道のいい加減さだった。
関東と関西で違う内容。
新聞も違う。
海外報道も、推測と誇張と混乱が入り混じっていた。

正しいかどうか以前に、
情報が信用できない。

あのとき、
情報リテラシーの重要さを、
一市民として痛感した。

ロックは、政治スローガンではない。
だが、一言居士ではある。

危険を「慣れ」で覆い隠す社会に対して、
ノーを突きつけてきた音楽だとも思う。

ロックは、
何かが起きる「その前」に鳴っている、
さきがけの音だ。

だから、やっぱり言う。

騙されるな。

安全だと言われる“その瞬間”こそ、
一番疑ってかかれ。

ロックを聴いていれば、少なくとも
「考えずに同意する耳」にはならずに済む。

――そう、信じたい。


と云うことでおまけは音楽に戻り、Gerry Rafferty(ジェリー・ラファティ)の
『アルバムは78年『City to City:シティ・トウ・シティ』リブログで

 




 

























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少年の孤独と大人の孤独 Uriah Heep-The Wizard

ブリティッシュ・ロック少年の風景
Uriah Heep「The Wizard」が教えてくれた“心の旅”

Uriah Heep の「The Wizard」を聴くと、いつも “ブリティッシュ・ロック少年”だった頃の自分に戻っていきます。 ハードロックの激しさとは少し違う、童話のような柔らかさ。 そして、聴くたびに世界の見え方が少し変わって見える―― そんな不思議な力が、この曲にはあります。

ユーライア・ヒープの「The Wizard:魔法使い」で、アルバムは『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』(1972)


 


Demons & Wizards


 



10代が求めていたのは、ただの「強い音」ではありませんでした。 現実をそっとずらしてくれるような音。 その象徴が「The Wizard」だった気がする。 優しいアコースティックギターが鳴ると、 どこか遠い丘へ連れていかれるような感覚があった。

曲に登場する“魔法使い”は、ファンタジーの人物というより 「音楽そのもの」の姿。 迷ったとき、必要なのは現実を変える力ではなく、 世界の見方を少し変えてくれる魔法。 あの頃は、その魔法にすがるように、この曲を繰り返し聴いていた。

He was the wizard of a thousand kings. 魔法使いより、仙人かも! 聴く者への賛歌。
たった一行のフレーズが、どれだけ救いに。 何者でもなかった10代を、肯定してくれるような響きがあった。

振り返れば、Uriah Heep の音楽は派手さよりも、 “心の旅”をくれるロックだったと思う。 特に初期ボーカル:デイヴィッド・バイロン、オルガン:ケン・ヘンズレーの時代! 
The Wizard はその入口であり、 最初に感じた “旅” の音楽。

大人になってから聴くと、この曲はまた違う表情を見せる。 仕事のこと、家族のこと、思い通りにならない現実の中で、 ふと The Wizard を聴くと、 まるで昔の自分が現在の自分に手を差し伸べてくるように優しく響く。

今、父の遺産相続手続きで、委託した業者と悪戦苦闘、【つまらん、非常につまらん】時間の無駄に翻弄されて、大人っていつも、悩み難題がでるのだと、落ち込みに、癒しの音楽が『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』なっている。

ロックは、少年時代の想いから始まり、今になっても現実に寄り添ってくれる。 「The Wizard 」は、その橋渡しをしてくれた大切な曲なっていた。


何故、ユーライア・ヒープを好きになったかはリブログしておきます。

 




 






















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John Lennon – “Working Class Hero” 

“光陰矢の如し”を実感した日。レノンがくれた答え

John Lennon – “Working Class Hero”
あれから、もう45年。
二十歳だった自分が、気づけば六十五。
「光陰矢の如し、学成り難し」なんて言葉が、やけに胸に沈んでくる。

ほんの一瞬だった気もするし、途方もない年月を歩いてきた気もする。
でも——正直に言えば、取り残された感のほうが強い。

世の中の速度はどんどん上がっていくのに、自分だけが古いレコードみたい。

そんなとき、レノンの“Working Class Hero”が、また刺さる。
若い頃より、今のほうが、この歌の痛みと怒り、そして茶化しが…よくわかる

「Working Class Hero:労働階級の英雄 」でアルバムは『John Lennon/Plastic Ono Band:ジョンの魂』 (1970)


 


PLASTIC ONO BAND


 





小生のビートルズ感
● Strawberry Fields Forever──ロックが“変わった瞬間”
● A Day In The Life──音で描かれた“終わりと始まり”
● Dear Prudence──優しさと孤独のあいだにあるもの























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2025年 スポティファイが勝手に創ってくれた今年聴いたモノ

けしてスポティファイの回し者でないと断言しますが、3年連続だと手下かも疑われる(笑)

音質がロスレスになり、うちのチープなステレオでも、違いは判ります。

圧縮音楽には、独特の音色があると感じる。

流しで聴く分には良いかもですが、ロスレスになってもCD同音質には聴こえないと思うがだいぶマシ、

気分は上がるようになりました。

 

で、  

2025年 スポティファイが勝手に創ってくれた今年聴いたモノ、個人データが勝手あがり。

聴いた時間は111,168分 ≒77日 23年は52日だったので25日増えた。ミュージシャンは3,145組、ほんとかいな怪しい(笑)

そんなにミュージシャン名、バンド名言えない断言する!                                                   

    

 

で、大問題(笑)AOR?? ヨットロック??????はあ、なにこれ???? オールディーズ

確かに聴くけど、メインじゃねえし、ほんと。今年もハードロック入らん。

オジーがなくなり1か月はほぼ聴いていたぞ。

Qobuz、TIDALで聴いていたのかな、ハイレゾと言っても。スポティファイの編集モノはセンスありで、これがあるから

聴いてるのに…俺のデータ変(笑) 当人も変人だから??なの(笑)

 

  

 

で、トップアーティストでここでも頭抱える(笑) UKRock、ブリティッシュロックファンです。メインは!!絶対。

キッスも聴くけど、確かにイーグルス聴くけど、大人になってから21世紀になってから、ジャクソン・ブラウンも好きになったけど。

 

TOP3、アメリカンロックです。ドゥービーも大好きだけど、新譜はけっこうガッカリだったけど……旧作を口直しで聴いた(笑)

アルバムでは、ドン・ヘンリー 1強じゃん、好きだけど???? ホントなの?? 

 

 

   

 

毎年、驚かせてくれるスポティファイ!!

10代はお金がなくて、なかなかアメリカンロック物のレコードは買えなかったけど、その点スポティファイに聴き逃し

後ろめたさ解消へ効果あり、認めます……

 

 

 

と云うことでおまけは、何がほんとなのか、フェイクなのか、YouTubeもそうなってました。

Paranoid (Funk)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Howard Jones – “No One Is To Blame(悲しき願い)”

「80sの優しい憂いシリーズ」
大人になってから──いや、ジジイになってから(笑)聴く80sの名曲とは何か。
そんな問いに、ふと浮かんでくるのがハワード・ジョーンズの
“No One Is To Blame(悲しき願い)”

70年代10代の頃はハードロック一辺倒だったのに、
70年代末からUKニュー・ウェイヴ、パンク、レゲエ……と指向がだいぶ軌道修正。
YMOの活躍もあって、テクノPOP系にもすっかりハマっていた。

そして、当時の“勤務場所の環境”も、私の音楽遍歴に大きく作用していた──
その理由は最後に。2013年のリブログを貼っておきます。


“悲しき願い” は1985年のアルバム
『Dream Into Action(ドリーム・イントゥ・アクション)』
貼っている動画は2011年リマスター版。 


 


Dream Into Action


 


若い頃は「明るいシンセの陽性ポップ」として軽く聴いていたかもしれない。
しかし改めて聴くと、明るさの底にほんのり寂しさが漂う、絶妙なメロディ。

■ 皆さんは、ハワード・ジョーンズをどんな時期に知りましたか?

私がこの曲と出会った頃。
念願の映画会社に入れた、と思ったのも束の間、
配属はまさかの飲食部門。新宿勤務になり、
労務管理と金銭管理。月売上は億単位。
しかし実態は、今でいうところの“超ブラック”。
月2回だけの休み。一方、同期は映画部門で
「80年代、有休完全消化」が慣例化しており、月10日休み。
その不公平さに唖然とした。

私は縁故ゼロで入社した身。
新人は誰も望まない“かませ犬部署”だと、その時ようやく悟る。
そのうっぷんを晴らすように、夜は新宿で夜遊び──
ディスコ、クラブに足繁く通っう。

そこで初めて知ったのが 12インチ・バージョン の世界。
ダンス向きのシンセPOP、テクノの魅力。
その頃の旬が、まさにハワード・ジョーンズ。

1st『Human’s Lib(かくれんぼ)』(1984)は日本でも大ヒット。
当時の“街の空気”とハワードの音楽は、相性が良かった。

■ 音楽の魅力──明るさの奥にある「憂い」

軽快なシンセのリフ。
ハワード・ジョーンズの声が持つ“前へ進むための優しさ”。
それでいて、どこか物寂しい憂いも共存している。

1stアルバム邦題が「かくれんぼ」なのも絶妙だったが、
この “No One Is To Blame(悲しき願い)” の邦題もまた、
胸の奥に静かに沈む“悲しき”ニュアンスがある。

80s特有のプログラミングされたサウンドなのに、
あたたかさが残っている。
ポップでキャッチーなのに、誠実さがある。
少年のような表情と、大人の切なさが同居している。

実はこの曲──
プロデューサーは当時UKでのもっとも旬のフィル・コリンズ。
この後の全米ヒットにつながった。

“軽やかなポップ”として聴いていた曲が、
いまの年齢で聴くと“不思議な優しさ”に変わっている。
80年代のシンセPOPは、年月を経ても味方してくれる。
この歳でも、すっと耳に入ってくる。

■ リブログ(当時の職場の話はこちら)




 




 

























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