Gerry Rafferty – “The Right Moment”

ロックは、いつも大声で叫ぶとは限らない。
むしろ、本当に大事なことほど、低い声で、静かに語られる。

Gerry Rafferty の「The Right Moment」は、まさにそんな曲と。
アルバムは『Sleepwalking』(1982年)
派手さも過激さもない。
だが、それなりに生きてきた耳には、やけに刺さる。

Gerry Rafferty(ジェリー・ラファティ)と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは
「Baker Street」(1978年)だろう。
もちろん、あれは名曲だと思う。

だが一方で、Rafferty を“あの一曲の人”として語る声も目にする。
それで片づけてしまうのは、あまりにも惜しい。

Rafferty のメロディは、人生を淡々と見つめている。
成功も失敗も等距離で受け止め、
その感情を、過剰に盛らず、良質なメロディに落とし込む。
その冷静さが、どこかクールだ。

ただ、その姿勢は80年代の大ヒットには結びつかなかった。
だが、だからこそ残った音楽もある。



■ “正しい瞬間”は、向こうから来ない

「The Right Moment」を聴いていると、
よくある人生訓――
「焦らず待てば、いつかチャンスは来る」
そういう甘い言葉とは、明らかに違う匂いを感じる。

Rafferty は、
「待てばいい」などとは言っていない。

むしろ、こう問いかけてくる。

その瞬間を、迎えに行く準備ができているのか?

人生には、確かに“タイミング”がある。
だがそれは、偶然でも、神様の采配でもない。
自分は必然だと思っている。

自分が何を選び、何を捨ててきたか。
その積み重ねの先に、
ようやく「Right Moment」と呼べる瞬間が顔を出すのだと思う。

■ 音楽は、人生の答えをくれない

音楽は、人生の答えをくれない。
だが、嘘もつかない。

「The Right Moment」も同じだ。
慰めてくれるわけでもない。
ただ静かに、こう言う。

その瞬間を逃したのは、本当に“運”のせいか?

――耳が痛い。
だが、それがロック。

【このブログ、反原発で始まったブログです。時々、私見があります】

そもそもこのブログは、
ロックの曲を引用しながら、原発、マスコミ、施政に対する違和感や疑問を、
ぼやくように書いてきた場所だった。

最近は曲の思い出話が多くなり、少し反省(笑)

……という“言い訳もどき”を添えつつ、今日は久しぶりに、原点に立ち返り。

神戸(1995年)/東日本(2011年)/熊本(2016年)/能登(2024年)

それでも、現実は「正しい瞬間」を選ばない


先日、青森沖で地震が発生し、
史上初めて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が出された。

その最中に――
北海道で原発再稼働が可決された、というニュースが流れた。

これは事実だ。誤報でもない。

「異常は確認されていない」
「規制委の審査に合格している」
「地元の理解は得られた」

いつも聞き慣れた言葉が、
いつも通りに並ぶ。

だが、ロックを聴いてきた耳には、
その言葉のリズムの悪さが、
どうしても気になる。

■ “The Right Moment” は、誰のための時なのか

「The Right Moment」は、
“待てば誰かが何とかしてくれる”という歌ではない。

むしろ逆だ。

間違った瞬間に下された決断は、
あとから必ず請求書を持って戻ってくる。

そういう現実を、私たちは何度も見てきた。

原発も同じだ。

「今回は大丈夫だった」
「想定外だった」
「当時の判断は正しかった」

――いったい、何度聞けばいいのだろう。

■ このブログが生まれた場所に、立ち返る

このブログ
【騙されるな! ロックを聴いていれば全てお見通し】
が生まれた源泉には、
反原発という、個人的だが切実な違和感があった。

私は、27年間勤めた会社を
2011年3月11日に退職した。

その日の挨拶回りの途中、
帰宅困難者となった。

生涯忘れられない、あの日から数か月。
テレビで流れる原発事故報道を見て、青ざめた。

事故の大きさ以上に驚いたのは、
報道のいい加減さだった。
関東と関西で違う内容。
新聞も違う。
海外報道も、推測と誇張と混乱が入り混じっていた。

正しいかどうか以前に、
情報が信用できない。

あのとき、
情報リテラシーの重要さを、
一市民として痛感した。

ロックは、政治スローガンではない。
だが、一言居士ではある。

危険を「慣れ」で覆い隠す社会に対して、
ノーを突きつけてきた音楽だとも思う。

ロックは、
何かが起きる「その前」に鳴っている、
さきがけの音だ。

だから、やっぱり言う。

騙されるな。

安全だと言われる“その瞬間”こそ、
一番疑ってかかれ。

ロックを聴いていれば、少なくとも
「考えずに同意する耳」にはならずに済む。

――そう、信じたい。


と云うことでおまけは音楽に戻り、Gerry Rafferty(ジェリー・ラファティ)の
『アルバムは78年『City to City:シティ・トウ・シティ』リブログで

 




 

























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少年の孤独と大人の孤独 Uriah Heep-The Wizard

ブリティッシュ・ロック少年の風景
Uriah Heep「The Wizard」が教えてくれた“心の旅”

Uriah Heep の「The Wizard」を聴くと、いつも “ブリティッシュ・ロック少年”だった頃の自分に戻っていきます。 ハードロックの激しさとは少し違う、童話のような柔らかさ。 そして、聴くたびに世界の見え方が少し変わって見える―― そんな不思議な力が、この曲にはあります。

ユーライア・ヒープの「The Wizard:魔法使い」で、アルバムは『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』(1972)


 


Demons & Wizards


 



10代が求めていたのは、ただの「強い音」ではありませんでした。 現実をそっとずらしてくれるような音。 その象徴が「The Wizard」だった気がする。 優しいアコースティックギターが鳴ると、 どこか遠い丘へ連れていかれるような感覚があった。

曲に登場する“魔法使い”は、ファンタジーの人物というより 「音楽そのもの」の姿。 迷ったとき、必要なのは現実を変える力ではなく、 世界の見方を少し変えてくれる魔法。 あの頃は、その魔法にすがるように、この曲を繰り返し聴いていた。

He was the wizard of a thousand kings. 魔法使いより、仙人かも! 聴く者への賛歌。
たった一行のフレーズが、どれだけ救いに。 何者でもなかった10代を、肯定してくれるような響きがあった。

振り返れば、Uriah Heep の音楽は派手さよりも、 “心の旅”をくれるロックだったと思う。 特に初期ボーカル:デイヴィッド・バイロン、オルガン:ケン・ヘンズレーの時代! 
The Wizard はその入口であり、 最初に感じた “旅” の音楽。

大人になってから聴くと、この曲はまた違う表情を見せる。 仕事のこと、家族のこと、思い通りにならない現実の中で、 ふと The Wizard を聴くと、 まるで昔の自分が現在の自分に手を差し伸べてくるように優しく響く。

今、父の遺産相続手続きで、委託した業者と悪戦苦闘、【つまらん、非常につまらん】時間の無駄に翻弄されて、大人っていつも、悩み難題がでるのだと、落ち込みに、癒しの音楽が『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』なっている。

ロックは、少年時代の想いから始まり、今になっても現実に寄り添ってくれる。 「The Wizard 」は、その橋渡しをしてくれた大切な曲なっていた。


何故、ユーライア・ヒープを好きになったかはリブログしておきます。

 




 






















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John Lennon – “Working Class Hero” 

“光陰矢の如し”を実感した日。レノンがくれた答え

John Lennon – “Working Class Hero”
あれから、もう45年。
二十歳だった自分が、気づけば六十五。
「光陰矢の如し、学成り難し」なんて言葉が、やけに胸に沈んでくる。

ほんの一瞬だった気もするし、途方もない年月を歩いてきた気もする。
でも——正直に言えば、取り残された感のほうが強い。

世の中の速度はどんどん上がっていくのに、自分だけが古いレコードみたい。

そんなとき、レノンの“Working Class Hero”が、また刺さる。
若い頃より、今のほうが、この歌の痛みと怒り、そして茶化しが…よくわかる

「Working Class Hero:労働階級の英雄 」でアルバムは『John Lennon/Plastic Ono Band:ジョンの魂』 (1970)


 


PLASTIC ONO BAND


 





小生のビートルズ感
● Strawberry Fields Forever──ロックが“変わった瞬間”
● A Day In The Life──音で描かれた“終わりと始まり”
● Dear Prudence──優しさと孤独のあいだにあるもの























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2025年 スポティファイが勝手に創ってくれた今年聴いたモノ

けしてスポティファイの回し者でないと断言しますが、3年連続だと手下かも疑われる(笑)

音質がロスレスになり、うちのチープなステレオでも、違いは判ります。

圧縮音楽には、独特の音色があると感じる。

流しで聴く分には良いかもですが、ロスレスになってもCD同音質には聴こえないと思うがだいぶマシ、

気分は上がるようになりました。

 

で、  

2025年 スポティファイが勝手に創ってくれた今年聴いたモノ、個人データが勝手あがり。

聴いた時間は111,168分 ≒77日 23年は52日だったので25日増えた。ミュージシャンは3,145組、ほんとかいな怪しい(笑)

そんなにミュージシャン名、バンド名言えない断言する!                                                   

    

 

で、大問題(笑)AOR?? ヨットロック??????はあ、なにこれ???? オールディーズ

確かに聴くけど、メインじゃねえし、ほんと。今年もハードロック入らん。

オジーがなくなり1か月はほぼ聴いていたぞ。

Qobuz、TIDALで聴いていたのかな、ハイレゾと言っても。スポティファイの編集モノはセンスありで、これがあるから

聴いてるのに…俺のデータ変(笑) 当人も変人だから??なの(笑)

 

  

 

で、トップアーティストでここでも頭抱える(笑) UKRock、ブリティッシュロックファンです。メインは!!絶対。

キッスも聴くけど、確かにイーグルス聴くけど、大人になってから21世紀になってから、ジャクソン・ブラウンも好きになったけど。

 

TOP3、アメリカンロックです。ドゥービーも大好きだけど、新譜はけっこうガッカリだったけど……旧作を口直しで聴いた(笑)

アルバムでは、ドン・ヘンリー 1強じゃん、好きだけど???? ホントなの?? 

 

 

   

 

毎年、驚かせてくれるスポティファイ!!

10代はお金がなくて、なかなかアメリカンロック物のレコードは買えなかったけど、その点スポティファイに聴き逃し

後ろめたさ解消へ効果あり、認めます……

 

 

 

と云うことでおまけは、何がほんとなのか、フェイクなのか、YouTubeもそうなってました。

Paranoid (Funk)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Howard Jones – “No One Is To Blame(悲しき願い)”

「80sの優しい憂いシリーズ」
大人になってから──いや、ジジイになってから(笑)聴く80sの名曲とは何か。
そんな問いに、ふと浮かんでくるのがハワード・ジョーンズの
“No One Is To Blame(悲しき願い)”

70年代10代の頃はハードロック一辺倒だったのに、
70年代末からUKニュー・ウェイヴ、パンク、レゲエ……と指向がだいぶ軌道修正。
YMOの活躍もあって、テクノPOP系にもすっかりハマっていた。

そして、当時の“勤務場所の環境”も、私の音楽遍歴に大きく作用していた──
その理由は最後に。2013年のリブログを貼っておきます。


“悲しき願い” は1985年のアルバム
『Dream Into Action(ドリーム・イントゥ・アクション)』
貼っている動画は2011年リマスター版。 


 


Dream Into Action


 


若い頃は「明るいシンセの陽性ポップ」として軽く聴いていたかもしれない。
しかし改めて聴くと、明るさの底にほんのり寂しさが漂う、絶妙なメロディ。

■ 皆さんは、ハワード・ジョーンズをどんな時期に知りましたか?

私がこの曲と出会った頃。
念願の映画会社に入れた、と思ったのも束の間、
配属はまさかの飲食部門。新宿勤務になり、
労務管理と金銭管理。月売上は億単位。
しかし実態は、今でいうところの“超ブラック”。
月2回だけの休み。一方、同期は映画部門で
「80年代、有休完全消化」が慣例化しており、月10日休み。
その不公平さに唖然とした。

私は縁故ゼロで入社した身。
新人は誰も望まない“かませ犬部署”だと、その時ようやく悟る。
そのうっぷんを晴らすように、夜は新宿で夜遊び──
ディスコ、クラブに足繁く通っう。

そこで初めて知ったのが 12インチ・バージョン の世界。
ダンス向きのシンセPOP、テクノの魅力。
その頃の旬が、まさにハワード・ジョーンズ。

1st『Human’s Lib(かくれんぼ)』(1984)は日本でも大ヒット。
当時の“街の空気”とハワードの音楽は、相性が良かった。

■ 音楽の魅力──明るさの奥にある「憂い」

軽快なシンセのリフ。
ハワード・ジョーンズの声が持つ“前へ進むための優しさ”。
それでいて、どこか物寂しい憂いも共存している。

1stアルバム邦題が「かくれんぼ」なのも絶妙だったが、
この “No One Is To Blame(悲しき願い)” の邦題もまた、
胸の奥に静かに沈む“悲しき”ニュアンスがある。

80s特有のプログラミングされたサウンドなのに、
あたたかさが残っている。
ポップでキャッチーなのに、誠実さがある。
少年のような表情と、大人の切なさが同居している。

実はこの曲──
プロデューサーは当時UKでのもっとも旬のフィル・コリンズ。
この後の全米ヒットにつながった。

“軽やかなポップ”として聴いていた曲が、
いまの年齢で聴くと“不思議な優しさ”に変わっている。
80年代のシンセPOPは、年月を経ても味方してくれる。
この歳でも、すっと耳に入ってくる。

■ リブログ(当時の職場の話はこちら)




 




 

























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ジミー・クリフ追悼: “Many Rivers to Cross”と出会った70年代の風

ジミー・クリフの訃報を知った瞬間、
レゲエの伝道師、そして広々とした海のような
“祈りの声” が胸にせまってきた。


Jimmy Cliff – “Many Rivers to Cross”

 


The Harder They Come Original Soundtrack


 



ジミー・クリフを偲び、映画
『ハーダー・ゼイ・カム』(1972/日本公開78年)
を思い返す。
そしてサントラの名曲
“Many Rivers to Cross(遥かなる河)” を上げたい。

70年代、レゲエという音楽に初めて触れたあのころ。
ロックより衝撃だった。ぶんじゃかと独特に揺れるリズム。
ソフトで優しい音なのに、権力や搾取と向き合う鋭さもある。

10代の自分に芽生えた“社会への疑問”を、
そっとなぞってくれるような歌。

ソフトなバラードのはずなのに、ただの異国の歌ではなく、
むしろ 心を照らすように思えた。

Many Rivers to Cross(遥かなる河)

Many Rivers to Cross — 渡らなければならない川がまだいくつもある
But I can’t seem to find my way over — でも渡る道が見つからない
Wandering, I am lost — さまよい、道を失う

10代のときに聴いた歌が、60代になった今も変わらない。
やっぱりこれは、“本当のこと”を歌う歌 だからだと思う。
“Many Rivers to Cross” は、人の普遍性を教えてくれる歌だ。

■ 皆さんはレゲエを、どんな時期に知りましたか?

私のレゲエとの最初の接点は、
クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。
そして NHK『ヤング・ミュージック・ショー』で放送された
ボブ・マーリー&ウェイラーズ(1978)の衝撃。

世界にこんな“本物の歌”があるのか、と驚いた。

大学受験勉強より洋楽とレゲエのほうに頭が向いてしまい、
そこから本格的にレゲエを聴き始めた。

そして、ボブ・マーリーより先に世界へ出ていた
ジミー・クリフの存在 を知る。

日本公演はクリフが78年、マーリーが79年。
どちらも行っていない。
今でも悔やんでいる。観たかった、本当に。

この動画クリフがアコギ一本で歌う、素晴らしい!
音楽の才、声の震え、そのすべてが“祈り”に近い。
ただただ “みんなのために” 歌っている感じがする。

■ 歳を重ねて分かる “渡らなければならない川”

「渡らなければならない川がまだいくつもある」
この1行に、人生の重さと希望がすべて入っている。

若いころは“越えられない壁の歌”だと思っていた。
でも今聴くと、
「それでも歩き続ける人間の意志」 の歌に聴こえる。

人には突然“川”が現れる。
仕事、人間関係、家族、自分自身——。

その川の前で立ちすくむ前にこそ、
ジミー・クリフの歌声は、ひときわ温かい。

■ 映画『ハーダー・ゼイ・カム』について

この映画は、レゲエとジャマイカを世界に知らしめた
記念碑的作品。
サントラの曲はどれも存在感がある。

反骨、貧困、ジャマイカの日常のリアリティ。
そんなテーマを背負いながら、
どこか可笑しく、さびしく、
どこまでも 人そのもの を描いていた。


と云うことでおまけも同サントラのから主題で
落ち込んだ時によく聴いた歌で、
「危機や困難は迫ってくるけれど、
 いつも困難なら平常だよ」と
言われているようで、いつも元気をもらった

Jimmy Cliff – The Harder They Come



ジミー・クリフに感謝!!!















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Pretty Things – S.F. Sorrow Is Born

プリティ・シングスの「S.F. Sorrow Is Born」、アルバムは68年の『S. F. Sorrow:S.F.ソロウ』ですね。

むかし、むかし、“ロック・オペラ”なるものがありましたとな(笑)

10代の頃、70年代スペースオペラ系のSF小説が好きで、その流れでロックの“オペラ”にも興味を持ったんですが…
フーが69年に『トミー』を出し、さらに71年『フーズ・ネクスト』〜73年『四重人格』と続く。
小生は後期フーから入ったもんで、逆に『トミー』と『四重人格』には長いこと悩まされてきました。

私的にはどうにもー冗長なアルバムーでして。キャッチーな曲と、乗れない曲との差が大きすぎ。
そもそも当時、本物のオペラなんて知らないし、クラシックも組曲までは辿りつかないし、“ロックオペラ”と言われても、せいぜい「なんかストーリーのあるコンセプトアルバム?」ぐらいの認識。

そしてダメ押しは映画版『トミー』(76)あれはいまだに苦手。ケン・ラッセル監督の作品は81年『アルタード・ステーツ』は評価してますが、あれは原作の力。
あの毒々しい映画の中で、エルトン・ジョン(ピンボールの魔術師)は最高だったけど(笑)、クラプトン、ティナ・ターナー、フーメンバー、10代では喧噪映画は理解不能。

今思えば、ロックオペラというより『ロック・ミュージカル映画』と捉えたほうがまだ許せるのかも。

ロックオペラには独特のアレルギーがありまして、「普通のコンセプトアルバムでよくない? ビートルズもフロイドもクリムゾンも、思いっきり革新的だったじゃないか」と。
フーはライブでこそ真骨頂なのに、あえてアルバムにストーリー性を持たせる意味とは… 今でも判らん(笑)
好きなブリティッシュロックの革新性の真ん中に、どうしても好きになれないロックオペラがあるという矛盾(笑)

で、枕が長くなりましたが!!!

実はロックオペラの先駆け、フーではなくプリティ・シングスのほうが半年早かった。
このあたり、最近になって聴き直してます。50年以上前のアルバムを(笑)


 


S.f. Sorrow


 


60年代の英国ロックは、とにかく挑戦の時代。
アメリカもドアーズあたりが奮闘してましたが、小生は70年代以降に後追いしたロック、どうしてもブリティッシュ寄りに。

プリティ・シングスは60年代前半の結成。
ストーンズの前身バンドの流れから、ディック・テイラーが抜けて始めたバンドで、その4作目が68年の『S. F. Sorrow』

このアルバムは主人公 Sebastian F. Sorrow の一生を描く、いわゆるロック・オペラ/劇的コンセプト作品。1曲目「S.F. Sorrow Is Born」は誕生、アコギにロックンロール、そこにサイケが混ざり、60年代後半特有の英国ロックのきらめきがしっかり出ていると思う。残念ながら大ヒットにはならなかった。このあたりは、フーのほうが見せ方が上手かった。

誕生はスタートであり、そこから戦争、失恋、狂気と時代をロックで語っていく、定番、自由や反抗をロックを語った時代。今も同じと思う、時々「反骨とか熱い とか うざい」とロックについて語る方がいますが、それは太陽が西から上りますと言ってるぐらい、大勘違い、あり得ない発言と自覚してね、と思う(笑)

当時の彼らは、まっさらなキャンバスに、コーラスワークとサイケのギミックで新しいロックを描いた、60年代ブリティッシュロックには遊び心と実験精神を盤にきざんだ。
メンバーが元になる小説を書き、それを音楽に落とし込んだらしいですが、その手法は、後のピンク・フロイドのほうがうまく昇華し、大成したと思う。まま彼らはそれで世界的なミュージシャン、バンドになった。

それでも……この『S. F. Sorrow』は、始まりの一歩のアルバム群だったのですね。

と云うことでおまけも同アルバムからで

Pretty Things - Baron Saturday






























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デイヴィッド・カヴァデール引退なんだ!70年代パープルに魅せられた者のミストゥリーテッド

時は流れる、時間が人生! でも寂しい。

ディープ・パープルⅢ期の「Mistreated:ミストゥリーテッド」で、アルバムは74年『Burn:紫の炎』ですね。



 デイヴィッド・カヴァデール引退、宣言と言うか告知、皆様のブログでも、たくさん拝見しました。カヴァデールはディープ・パープルⅢ・Ⅳ期、ソロ、ホワイトスネイク、カヴァーデイル・ペイジ、ホワイトスネイクでしたが、ホワイトスネイク、カヴァーデイル・ペイジは日本公演行きましたので、やっぱり好きだったと思う。

パープルは聴き始めが、Ⅳ期後パープル解散の75年なんで中坊、これは行けなかった。 
小生は自称パープルⅡ派でしたが、パープルのアルバムで一番聴いたのは『Burn:紫の炎』やライブ盤76年『メイド・イン・ヨーロッパ 』だったりで、隠れⅢ派だった(笑)

夢中になったパープルには、まず72年『マシン・ヘッド』『ライヴ・イン・ジャパン』がありき。Ⅲ期になってのアルバムで初めて聴いたのが『紫の炎』、びくびくしながらレコードに針を落とした時、「Burn」始まる、ひたすらカッコイイ!覚えいる。昨日の事も忘れ、ボケなのか悩む日々なのに、『紫の炎』の感激しっかり体に、しみついている。

パープルのボーカルはギランでしょうと思う心に、カヴァデールの低い唸りと、ヒューズのハイトーンが絡む独特の緊張、そこへリッチーのギターが切り込み、10代の感性はノックアウトされた。
レコードを聴き進みB面で「Mistreated:ミストゥリーテッド」では
ーーーー演歌や、ロックに演歌がある ぶっ飛んだ!ーーー

今聴いても震えるほどの“孤独の匂い” 単なる失恋の歌のでなく、おこちゃまのままでも60代になると「お前もどこかで誰かに裏切られたことがあるだろ?」と問いかけているようで……

ロックは歳を取らないが、人は歳を取る。

カヴァデールの引退に触れて、あの頃のパープルが胸によみがえる。若い頃は勢いで聴いていた曲が、寄り添う音になっている。音楽は同じでも、時が、音の聴こえ方を変える。

いろいろな思いのカヴァデール引退宣言。

今は、私は感謝のみ、デイヴィッド・カヴァデール ありがとう!!

ということでおまけはツインボーカルですがカヴァデールあればこその曲で

Deep Purple - Might Just Take Your Life


























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The Yardbirds – I Wish You Would

ヤードバーズの「I Wish You Would」は、1965年のアルバム『For Your Love』ですね。ただしこのアルバム、アメリカ盤のためコンピレーション的性格が強く、ジェフ・ベックとエリック・クラプトンの演奏が混在している。

いつ初めて聴いたのか、もうすっかり忘れている。たぶん1980年代、「For Your Love」が少し流行っていた頃、ラジオでかかっていた時期 かな??

東京の日々と輸入盤の匂い
その頃、東京に出てきたばかり。大学演劇部の先輩に輸入盤の大家がいて、彼の部屋には憧れのレコードがずらりと並んでいた。ところが、その先輩がどうにも苦手でして、強引で、威圧的な物言いをし、典型的なトラブルメーカー。しかもビートルズを馬鹿にしていた。もっとも、そのおかげで“ビートルズ以外”のレコードをたくさん聴くことができた。今思えば、嫌いな人や物でも、結果的に自分の幅を広げてくれることがあるかも? 還暦を過ぎてから、やっと判った(笑)

三大ギタリストとヤードバーズの記憶
昔は“伝説”のように語られた三大ギタリスト、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ。(まあ、レコード会社のプロモーション意向もあったと思いますが、良心的な仕掛けだったと今では思っています(笑))

80年代前半までは、彼らの名前にはまだ神話的な威光があり、その流れでヤードバーズも改めて聴くようになったわけで。

あの頃は、レイドバックしてあまり弾かないクラプトンに「もう本気出さないのかな?」と心配したり、ジミー・ペイジの動向もよく分からず、ザ・ファームを聴いて、「何、これ?」と思ったり(笑)一方で、ベック先生はフュージョン路線に夢中。

そんなことを思い出しながら、久しぶりに『For Your Love』を聴いたら、当時夢中になった“三大ギタリスト”の記憶が、よみがえり、ほんと、すり込まれてます(笑)


 


For Your Love


 


ブリティッシュ・ロック黎明期の息吹
ロックンロール、ロカビリーの流れを汲みながらも、ブルースを基調に、サイケの香りを漂わせたブリティッシュ・ロック。ヤードバーズは、その中核を担ったバンドだと思う。
ビートルズ、ストーンズ、フー、キンクス、アニマルズ、マンフレッド・マン、ホリーズ、他にバンドがたくさんいた。互いに競い合いながら、新しい音と曲風を創り出していた時代だったと思う。

「I Wish You Would」とクラプトン
「I Wish You Would」は、シカゴ・ブルースのカバーで、ギターはエリック・クラプトンで、ヤードバーズのデビュー・シングルだったようで、一方、このアルバムの大ヒット曲「For Your Love」は、クラプトン本人が気に入らず、これを機に脱退とWikiに書いてありました、知らんかった。(編集盤らしい結末)

その後、ジェフ・ベックが加入し、わずか1年ほどでジミー・ペイジへ。ギタリスト交代劇もブリティッシュロックの基!! これもヤードバーズならではの伝説ですね。

ということでおまけはクラプトンは嫌いでも小生は好きな曲で(笑)

The Yardbirds - For Your Love



























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Steve Winwood-Dirty City

スティーヴ・ウィンウッドの「Dirty City:ダーティ・シティ」で、アルバムは2008年『Nine Lives:ナイン・ライヴズ』ですね。

小生では珍しの21世紀のアルバムですが、大好きスティーヴ・ウィンウッドですから、この頃はしっかり大人の向き、アダルト・コンテンポラリー(笑)和むます。

「Dirty City:ダーティ・シティ」では、朋友エリック・クラプトンがギターを弾いている、音色かなり歪ありでも、やはりクラプトン、ソロのメロディ運びが絶妙、至極好み。

ウィンウッドのハモンド・オルガンもいい。ブラインド・フェイスの頃から時は経つが、その空気感はどこかでつながっている。


 


Nine Lives


 


この『Nine Lives』の翌年には、クラプトンとの連名ライヴ盤2009年『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』が出て、さらに2011年12月には日本武道館での公演。東日本大震災3月11日に会社を辞め、あの年は激動だった時に、本当、ライブに元気をもらった!!

ウィンウッドといえば、スペンサー・デイヴィス・グループ、トラフィック、ブラインド・フェイス、そして80年代のPOP路線まで、時代ごとに合わせたと思うが、21世紀に入ってからは再び本来のブルー・アイド・ソウルに立ち返った。

けして上手いとは思えない(むしろ不安定?)なのに、不思議と心にすり込まれる。寂寥感あり、せつない歌声。さらにバック・バンドがしっかりしていると、その魅力が一層際立つと思う。

前作2003年『アバウト・タイム』は、どこかサンタナを思わせるジャケットで、カバーの「Why Can’t We Live Together:かなわぬ想い」もソウルフルで心地いいで、ハモンドも最高。

2004年モントルー・ジャズ・フェスティバル:Hymns For Peaceでは、サンタナのバンドで同曲を歌っている。

「けして上手いとは思えない」は撤回かな(笑)やはりウィンウッドは、バンドが一流であればあるほど光る です。

と云うことでおまけはサンタナとの共演で

Steve Winwood & Carlos Santana ‐Why Can’t We Live Together































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